『 5月18日 雷雨』
   今日、本件に於ける最大の懸案が解決。
   この良き日を祝い、雑務を忘れ、とって置きのスコッチを空けた。




    〜 ナデシコ長屋  提督室 〜

なあ、アーク。

   ナニ?

お前、何か隠してないか?

   ナニカッテ?

ここ三日ばかり、頭の隅でチクチクしているヤツだよ。
まさか、お前が俺に憑いてる副作用とか言い出すんじゃないだろうな。

   イワナイ

じゃあコレは何だよ!
最初は気の所為かと思っていたが、昨夜辺りからは、此方へのアプローチの様なものさえ感じるぞ。

   ソウ、タダノアイサツ

………誰からだ。

   ゴート

うぎゃあ〜〜!! やっぱりそうだった!
あ…あのヤロ〜、遂に俺の最後の聖域にまで踏み込むつもりか!
なんとか、なんとかしなくては………

おっ、そうだ。微弱とはいえ繋がっている状態ならこれが効く筈。
渾身の力を込めて竜のイメージを固める………よし、完成。

くらえ、秘剣 竜王牙斬!!

   グワッ〜〜〜〜!

殺ったか?

   ジガチガウ

些細な事は気にするな
それより、ヤツの様子は如何だ。

   ……… (前のめりに倒れ、ピクリともしないゴートの映像)

ひょっとして、やり過ぎた?

『オオサキ殿!』

おお、アークの上役か。
丁度良かった。実はゴートの………

『それはもう此方でも確認している。
 表層意識に可也のダメージを受けているが、如何にか修復可能なレベルだ。
 恐らく、四〜五日もすれば目を覚ますだろう』

そうか〜、いや良かった。

『良くはない!
 一体どういうつもりなのかね。はっきり言って、先程の君の行いは、足元に擦り寄ってきた幼子を蹴り飛ばしたのも同然だぞ!』

何時に無く厳しい口調で非難するアークの上役。
容姿という概念が存在しない彼の感覚からすれば、先程の攻撃は、正に言葉どおりの暴挙なのだろう。だが、

悪いが、俺にも譲れないモノがある。
先程のアレだって、やりすぎた事は認めるが、それでも間違った行為だったとは思わない。
俺の精神は俺だけの物だ。不可抗力であり、いずれは縁の切れる貴方達とゴートではワケが違う。

『………判った。
 では、彼には先程の衝撃は『再三の神託を無視した神の怒り』という感じで伝えておく。
 これで彼は、君に近付こうともしなくなるだろうが、本当にそれで良いのかね?』

ああ。

『そうか。ならば、この件はそれで良しとしよう。
 (コホン)さて話は変わるが。今回来たのは他でもない。貴公に頼みたい重要な事があるんだ』

頼み?

『そうだ。実は2015年に於いて『使徒』と呼ばれている知性体の事なのだが、如何にか殺さずに済ませられないかね?』

おいおい、無茶を言うなよ。
相手は皆40m以上の巨体で、しかも、セカンドインパクトの引き金として憎悪されている存在なんだぞ。
仮に俺達が、2015年の世界を征服して人類に使徒との共存を義務付けたとしても、それを守らせるのは、まず不可能だ。

『実を言うと、件の使徒とは、二万年程前に生存競争に敗れて地球に落ち延びた第五過程…擬似思念体の一種族でな。
 その特性故に、例のアニメの様な形で撃破しても、完全に消滅するわけじゃないんだ。
 何故なら、あの使徒としての体は、地球の核に刻まれている生物進化の過程を読み取り、自分にあった形で再構成した物。
 極論するならば、只の『服』に過ぎないのだよ。
 そして、元の擬似思念体と成った状態の彼らは、君らの概念で言う所の怨霊の様な存在となる。
 当然ながら実際に祟る故、そのまま放置していては、人類のその後の行く末に、多大な影響を及ぼす事に成ってしまうだろう』

ちょっと待て。なんでそんな肝心な事を、今まで黙っていたんだよ。

『すまんな。当初は此方で引き取る予定だったのだよ。
 だが、彼らの大本の種族というのが、少々厄介な自滅の仕方をした種族なだけに、八方手を尽くしても受入先が見つからなくてな。
 だからと言って、此方の都合で彼らを処分するのは心苦しいし故、如何にかならないかと思って、今、こうして貴公に相談する事にしたという訳なんだ』

そうか〜
判った、コッチでも色々打診してみる。
だが、あの姿のままじゃ拙いぞ、幾らなんでも。

『勿論だ。所詮は服だからな。例の使徒の姿のままである必要は無い。
 それに、受肉後の寿命は50年から80年位だから、地球人として余生を送っても、それ程奇異な事にも成らないだろう。
 知っての通り、ドイツに最初から人間型の形態を取った使徒『ダブリス』が居る故、まずは彼に打診してみて欲しい。
 人間として生きる事を承諾してくれるのなら、形体変化に必要なエネルギーは此方で用意する』

形体変化って?

『ああ、説明不足だったな。
 彼らにとって受肉とは、君らの概念で言う所の、蝉や蝶が成虫と成る様な行為でな。
 その際に、生命エネルギーの殆どを使い切ってしまう為、後は子孫を残すべく、彼らの唯一の伴侶であるアダムを目指すしかないという訳なのだよ。
 だが、彼らの目論見が成功すればサードインパクト。失敗しても、先程述べた様に悪影響が残ってしまう。
 だから私としては、彼らに地球人に帰化して欲しいのだよ。それも完全な…交配すら可能なレベルでね』

成る程ねえ。………って、一寸待て。
受肉したら50年から80年位の寿命とか言ってなかったか?
おまけに、交配が可能って?

『別に間違えたのではない。
 何しろ彼らは、幼生体である擬似思念体のまま、5万年から7万年を過ごす特異な種族なのだよ。
 思考形体そのものが肉体に沿う物に変わる故、己の短命を嘆く様な事はまず無いだろうが、
 客観的視点に立つのであれば、受肉後の彼らは、余命幾許も無い状態と言っても過言ではない。
 そして、如何なる肉体と成ろうと種族維持の本能は消し様が無い故、彼らには地球人として子孫を残して欲しいと言うのが、私の偽らざる本音だよ』

へえ〜、本当に蝉みたいな種族なんだな。
んじゃ、実際にダブリスと話してみなければ確約は出来んが、なるべく此方で引き取れるように根回ししてみる。

『有難い。此方も引き続き受入先の打診を続ける故、何とか半数以下に絞ってくれ。それでは宜しく頼む』

そう言うと、アークの上役は再び己の職場へ戻っていった。
どうも、向こうの世界での風当たりは相当強いらしく、この所の彼は、どこか疲れた様な思念波をしている。
せめて件の使徒の件は、此方だけで処理しようと誓いつつ、俺はもう一度先程の吉事を反芻した。

『これで彼は、君に近付こうともしなくなるだろうが、本当にそれで良いのかね?』

………ふ…ふふっふ、ふふっ

   ピコン

「あっ、ナカザトか。俺はこれから有給に入るから、後の事は宜しく頼む」

『なっ! 一寸待って下さい。
 既に火星出発まで三日を切っているですよ。滞ったままの出国手続きはどうするんです』

「お前に任せる」

『そんな事出来るわけ………』

   ピコン

ブラボー! 遂にヤツとの縁が切れたぞ。
おまけに、あのダメージからして、三日後の火星出立に間に合わないのも、まず間違いない。
嗚呼、何たる開放感。何たる愉悦。外は雨だが心はピーカンだ。
俺は内部空調完備型の重要書類用の金庫に隠してあった秘蔵のスコッチを開けると、久しぶりの美酒に酔いしれた。




『 5月21日 晴れ』
   今日、火星駐屯地に向け出立した。
   今回俺達が乗り込む船は、当然ながらナデシコでは無く、型遅れもいい所の旧型輸送船である。
   予定通り、ゴートは急病の為不参加となった。
   晴れ渡った今日の天気の様に清々しい旅立ちだ。




『 5月24日 宇宙』
   予定より2時間早く、きたるべき和平会談へ向けて地球衛星軌道上へ向けて曳航中のチューリップと接触。
   航海時間短縮の為ジャンプした。
   ちなみにこの輸送船。見た目こそ只の旧型だが、この2ヶ月間の間に、ナデシコ整備班の面々によって様々な改造が施されており、
   通常の核パルスエンジンでジャンプ可能なだけのDFを張れるという中々の優れ物である。
   問題があるとすれば、ジャンプ制御を行うのが白鳥少佐だという点だけだろう。
   チューリップを潜る瞬間、多少の『説明』を覚悟してでもイネス女史に頼むべきだったと、ちょっとだけ後悔した。




『 5月29日 晴れ』
   本日、無事に火星の大地を踏む。
   そして、火星極冠遺跡跡地に、今後の住居となる火星駐屯地を建設した。
   と言っても、ナデシコ長屋と同じ造りのプレハブ住宅で、部屋割りもまったく同じ故、極短時間で恙無く移転が終了。
   分けても、先の聖戦の折、俺はほとんどの私物を失ったので、その作業は極簡単なものだった。
   だが、その充足感だけは、全クルーの中随一だと自負している。
   嗚呼、屋根があるって素晴らしい。




『 6月 3日 曇り時々晴れ』
   今日、現時点に於ける火星唯一のBAR、花目子が開店した。
   はっきり言って、一部の愛飲者の拘りによる出資だけで開店した店である。
   開店祝いに行く途中、ナカザトに捕まり小言を言われたが、その話の中で、意外にもコイツが呑める事が判明。
   余興がてら引きずっていく事にした。

「まったく。火星到着以来毎日通い詰めているのに、今更開店祝いも無いでしょう」

「まあそう言うなよ。今日は『本当』に開店なんだ。出資者の一人としては、行かずばなるまいて」

「出資者というより、事実上のオーナーでしょう。
 店内に置く酒の主銘柄、提督が独断で決めたそうじゃないですか」

「カクテル関係には口を出していないぞ。あれは純粋にプロスさんの趣味だ」

「単にストレートしか飲まないからでしょう」

「おっ、判ってるじゃないか」

「自分としては、判りたくありませんでした」

「まあなんだその〜、今日は奢ってやるからそんな顔は止めろよ。酒場で仏張顔は御法度だぞ」

「了解致しました」

「だから、そういうのを止めろと言ってるってのに………」

何故かどんどんキツくなるナカザトの視線を受け流しつつ、俺はBAR花目子のドアを潜った。
全く、奢りだぞ奢り。しかも、俺自らプロデュースに参加した店だぞ。
少しは期待に胸を躍らせったって罰は当たるまいに。
畜生、こうなったら徹底的に飲ませてやる。

   カラン

「いらっしゃいませ」

ナデシコの基準で言えば控えめに飾られた開店祝いの花輪の間を潜り店内に入ると、
まるで十年前から其処に居たかの様に、何処から見ても『バーテン』としか言いようの無い姿のプロスさんが出迎えてくれた。

「御二人様ですね。カウンター席の方へどうぞ。(ククッ)」

此方はママ役のイズミ君だ。
某歴史の未来を先取りしたその姿は、ブロスさんに引けを取らない位、良く似合っている。
とゆ〜か、最大の懸案だったこの役を、彼女が快く引き受けてくれたからこそ、この店を開店させる事が出来たと言っても良い位だ。

まだ宵の口故、ほとんど客の入っていない店内を一瞥した後、俺は徐に黒ビールを注文した。
ツマミとして、マキ君が鱒のホイル焼きと自家製のザワークラフトを出してくれる。
そう。意外な事に。本当に意外な事に、彼女はホウメイガールズよりも料理の腕が立つのだ。
特に、この手の酒のツマミ系の料理が得意であり、この店のメニューを決める際には、イネス女史ばりのウンチクを披露してくれた程である。
嬉しい誤算とは、正にこの事だろう。
夕食と兼業である事を見越した彼女の気遣いに目で感謝しつつ、まずは一杯流し込む。
うむ。ちゃんとドイツ産の黒ビール………っておい。

「何時まで其処に突っ立ているつもりだ、ナカザト」

「あっ? いえその〜、プロスさんとマキ中尉ですよね、あの二人って?」

呆れた事に、既に俺が店内に雰囲気に馴染み、これから談笑でも始めようかという段になって尚、
コイツはドア入り口に立ったまま、通行の邪魔をしていたのだ。
どうやら、目の前の事態に頭が追いていかなかったらしい。
相変わらず軟弱なヤツだ。

「取り合えず、此方に来て注文しろ。話はそれからだ」

「そ…それでは、スワッター・ミサイルを」

やれやれ、まさか自分からそんな物を飲む奴がいたとは。

「お前、趣味悪いな」

何しろ件の『スワッター・ミサイル』とは、ウオッカにグレープフルーツをスクィーズしてアルカリイオンのスポーツドリンクで割っただけの代物で、
口当たりは悪くないが酔い心地は最悪。しかも、確実に二日酔いに成るという、謂わば新兵イビリの為に産まれたカクテルなのだ。

「何を仰います提督。これは自分の青春であります」

はあ〜、ジュンとは別の意味でイジメられっ子だったんだなコイツ。
しかも、本人には自覚が無いときてるし。
まあいい。

「「取り合えずスワッターらどう(だ)?」」

図らずもネタを振ってくれた返礼として、逆らわずギャグにする。
そして、ナカザトが感動に打ち震えて硬直するのを横目で見ながら、マキ君と御互いの技の切れを称えあった。

いや、過日『貴方にはオヤジギャグの才能がある』と言われた時は、ショックで二の句を失ったものだったが、
いざやってみると、結構に楽しいのだから、世の中というヤツは奥が深い。
御蔭で彼女とは、この辺、既にツーカの仲である。
俺は二杯目の黒ビールを受け取ると、勝利の味を堪能した。

だが、俺が優勢だったのは此処まで。この後、事態は急変する事になる。

「ウグッウグッウグッ……(トン) お代わりを」

「どうぞ。(トン)」

「ウグッウグッウグッ……(トン) お代わりを」

「どうぞ。(トン)」

「ウグッウグッウグッ……(トン) 提督、どうもゴチになっております。(ビシッ)」

何を思ったのか、ナカザトは再起動してから二分で三杯のスワッター・ミサイルを飲み干し、その後、何故かいきなり此方に敬礼してきた。
何時になく間延びしたトーンのセリフからみて、早くも完全に出来上がっている様だ。
無理も無い。何せ典型的な、酔っ払う為の飲み方だからな。

「………今のは何かの呪いか?」

「何を言ってるんです提督。出された杯は先ず三杯飲み干すのが礼儀でしょう」

そして、何か俺の知らない世界の常識について語った後、何故か訴えるような目で此方を見つめている。
こ、これは…まさか………

「判った。此方の事は気にせず好きなだけ飲め」

「はっ! 有難うございます。(ビシッ)」

再び敬礼した後、ナカザトはそれまでと変わらないペースで飲み始めた。
どうやらコイツに酒の飲み方を教えたのは、余程碌でもない男(?)だったらしい。
何より、マキ君が苦肉の策で出したツマミの(何せ一応はカクテル)自家製バターピーナツには目もくれない辺り等、人として如何かと思う。
そんな事をツラツラ考えている間に、ナカザトの杯は12を数え、胃と肝臓の限界からか目に見えてペースダウンしてきた。
俺は、てっきりこのまま潰れて終わりだと思っていたのだが………

「おばちゃん、おでん頂戴」

事はそう甘くは無かった。
そう。コイツの異常な飲み方自体は(おそらくは)コイツのかつての上司の責任だろう。
だが、それさえ些細な事と思える程、コイツの酒癖は悪かった。

「もう提督。ウチにもDFSってのを回して貰いましょうよ。
 ほら、真紅の羅刹が修羅シュシュシュて感じで一躍有名になったヤツですよ。
 また〜、書類の記載が面倒臭いなんて駄々を捏ねて、もう」

あれから早一時間。コイツは既に半ば自己完結した愚痴モードに。
それも、どうも此処をかつての部隊に居た頃通った酒保と勘違いしているらしく、わけの判らない繰言を言っては周りの失笑を買っている。
酒に溺れるとは、正にこういう状態を指すのだろう。
マキ君を酒保の管理人のおばちゃんと誤認している辺り、視覚は目玉を刳り貫いて銀紙でも張っておいた方が役に立ちそうだし、
味覚も既に死んでいるらしく、先程から、必死におでん(チビ太風)のオモチヤを齧ろうとしているという体たらくだ。
そして、おばちゃんと呼ばれて怒る辺りマキ君も年頃の娘だったんだなあと、俺がちょっとだけ感慨に耽っている最中、
コイツは言ってはならない事を口にした。

「だからね〜、提督。俺は思うんですよ。
 そりゃ〜ミスマルとアオイが、先の大戦で戦功があった事は認めますよ。
 でもね〜、いきなり大佐はないんじゃないですか、大佐は。
 幾ら名門の出だからって贔屓が過ぎますよ。オマケのアオイでさえ少佐だし」

「殺れ」

「OK」

   バシッ
         キュウ

かくて、マキ君秘蔵の巨大ハリセンによって悪は潰えた。
その亡骸を店の外に放り出した後、迷惑をかけた他の客達に謝罪すると共に一杯奢る。
そして、俺自身も験直しに、ウィスキーのダブルを注文した。

「(コトン)提督」

「ああ、判ってる。二度とアイツは連れてこない」

気まずさからふと隣に視線を移すと、ブロスさんは先程の騒ぎを『どこ吹く風』と言わんばかりに、微笑を絶やす事無くグラスを拭き続けている。
その姿に、内心最大級の敬意を払いつつ、俺はマキ君の出してくれた苦い杯を飲み干した。




『 6月 4日 曇り』
   今日よりモルモット1号の観察を始める。
   来月の今頃までは、忘れずにデータを取っておくとしよう。

狂乱の宴が開けた翌日。今日は火星駐屯地の仕事始めの日だ。
司令官自ら朝礼をすっぽかす訳にもいかない為、俺は重い身体に鞭打ち、予め用意してあった訓示をたれている。
見渡す旧ナデシコクルー達もだらけきっているが、だからと言って止めにする訳にもいかない。
何故なら、将来的には、正規の軍人や火星再開発の為の作業員も此処で寝起きする予定なので、
対外的に、折に触れてのこうした集会をやらない訳にはいかず、この手の事は、付き焼き刃では大抵ボロが出るからである。
一人だけ元気一杯に、ナカザトが、俺の読み上げた訓示の要点をホワイトボードに書き付けている。
その後頭部を思いっきり殴りつけてやりたい衝動に必死に耐えながら、俺は最後の一行を読み上げた。


午前10時。書類仕事が一段落したので、俺は一息入れて濃い目のコーヒーを自ら入れた。
実を言えば紅茶の方が好きなのだが、その香を引き立てる『魔法の滴』が手に入らなくなってしまった為、
最近では実用性を重視し、もっぱら此方を飲んでいる。
これというのも、重要書類保管用の金庫の設置位置が、提督室から保健室に移されてしまった所為である。
俺としては『重要書類を保健室に置いて何になるんだ?』と声を大にして言いたいのだが、
何故か保健室の方が提督室よりセキユリティレベルが上であり、この件に関してはフィリス君が『駄目です』とホシノ君ばりの笑顔で拒否するので
手の出し様が無い。
嗚呼、まるで陶器人形の様に素直で可愛らしかった頃の彼女は、一体何処へ行ってしまったのだろう?

と、嘆いてみた所で何が変わるわけでも無い。
医師という魔性の職業についた彼女の心が、徐々に黒く染まってゆくのを、忸怩たる思いで見守るしかないのが、俺の現状という訳である。
ナカザトが居なければ………いや、せめてナカザトがスパイでなければ、彼女の当初の希望通り、俺の秘書に転職して貰うのだが………

  コン、コン

「入れ」

  シュイン

「失礼致します。(ビシッ)」

俺が『いっそ始末しようか』と危険な事を考え始めた矢先、噂の男が定刻通りに執務室へと現れた。
命拾いしたなナカザト。もう少しで、ケーブルテレビに賛美歌をリクエストする所だったぞ。(笑)

「ネルガルの工業用プラント建設に関する書類をお持ちしました。(ドサッ)」

俺の内心の葛藤に頓着する事無く、ナカザトは、何時も通りニコリともせずに、山の様な書類をデスクの上に置いた。
その姿からは、二日酔いの兆候をはおろか、路上で一夜を明かした影響さえ欠片も感じられない。全く持って理不尽な話だ。
次にコイツが泥酔した時の対応策を模索しつつ、俺はナカザトに型通りの挨拶をした。

「ようナカザト、昨日は大変だったな。体の調子はどうだ?」

「はっ、問題ありません」

「おいおい、幾らカクテルでも20杯近く飲んだんだぜ。実は二日酔いで倒れる寸前なんじゃないか?」

「はっ、二日酔いではありますが問題ありません」

「そうか〜、御互い迎え酒が欲しい所だな」

「提督、そのお考えは軽率です。迎え酒によって苦痛が軽減されるのは………」

ん? なんか可笑しな会話の流れだった様な………二日酔い?

「………つまり、一時的な錯覚に過ぎないんです。お判り頂けましたか?」

「お前、二日酔いだったのか?」

「はい。今朝方から、多めの水分補給を心掛けております」

改めて、ナカザトを一通り観察。
言われてみれば、顔色はファンデーションで誤魔化しているようだし、目も充血気味。おまけに、首筋にはビッシリと鳥肌まで立っている。
コ…コイツ、根性だけで平静を保っていたのか。
昨日大幅に下落したナカザトの株を少しだけ上げてやると、俺は親切心から、これまで怖くて………
いや、勿体無くて手が出せずにいた『さる薬剤』を勧めてみた。

「思ったよりキツそうだな。どうだ、コイツを試してみるか?」

「お気持ちは嬉しいのですが、自分は薬の効きにくい体質で……」

「チッ、チッ、チッ。
 これは今世紀最高の天才と謳われた、故イネス=フレサンジュ博士の特別薬だ。そこらの二日酔いの薬とはモノが違うぜ」

取り合えず、良く効く事だけは疑う余地が無い。だから、何となく手放せなかったんだよな。

「そ…その様な貴重な品を自分にですか」

「気にするな。お前に倒れられたら俺が困る」

「光栄です! 有難く頂戴します」

悲しいほど権威に弱いヤツだな。
大喜びで薬を飲むナカザトを眺めながら、手元で大量に薬の残っている手製ラベルの薬瓶を玩ぶ。

1ケ月位してもコイツが無事な様なら、俺も3錠の所を2錠飲んでみるとしよう。




『 6月 7日 曇り』
   今日、木連に2015年の世界との直通の通路を確保すべく、火星に次元跳躍門を公式に配備してもらう為の折衝が行われ、
   それと同時に、今後の俺の課題が浮き彫りに成った。
   カグヤ=オニキリマル。もはや彼女はロバート=クリムゾン以上の障害となっている。
   早急にアキトに戻ってきて貰わんと、いずれ太陽系は彼女に牛耳られてしまうかもしれない。
   どうしてこれ程の難物が、前回の歴史では『鳴かず飛ばず』だったのだろう………歴史は謎に満ちている。

本日はカグヤ=オニキリマル大使との非公式の会見日。
議題内容は、2015年の世界との直通の通路を確保すべく、火星に次元跳躍門を公式に配備して貰う事である。
無論、普通ならこうした折衝は、運輸省なり外交官なりとするのが筋なのだが、いまだ各国の政治家達が、戦争責任の擦り合いを続けている為、
実は、現在でも木連に対する地球側の代表は彼女だったりするのだ。
………地球の未来はかなり暗いな。

とは言え、個人的感情を横に置けば、通常の政治家より彼女の方が話が通じ易いのも確かだろう。
そこで、敢えて今回の様な非公式な形での会見をセッティングしたという訳である。
本会見に於ける味方サイドの人間は、エリナ女史と東中将と各務君。
万一に備えて木連の二人は、髪を結い上げ眼鏡を掛けエリナ女史の御伴を装い、俺も特大のサングラスを掛け、顔半分を隠している。
はっきり言って、気休めにも成らないチャチな変装だが、やらないよりはマシだろう。

   ガチャリ

マホガニー製の見るからに高級そうなドアが開かれ、まずオールバックの妙齢の女性がドアを開け、一礼して入室し、
ついで彼女にエスコートされて、本会見に於ける最大の敵が、優雅に一礼しつつ入室してきた。

「大変御待たせ致しました。カグヤ=オニキリマルで御座います」

今日の彼女は略式の軍服を着込んでおり、襟元には大佐の記章が光っている。
そう。彼女はカグヤ=オニキリマル大佐なのだ。
この奇跡の人事のカラクリは、去年ナデシコが軍に編入された頃にまで遡る。
当時、概ねカザマ君の様な経緯で二階級特進して『イザという時のクビ切り用の』ナデシコ艦隊の司令官に就任したのを皮切りに、
ナデシコの大活躍によって中佐に昇進し、ついで、木連大使就任に合わせて大佐に昇進したというのが、彼女の華麗なる軍歴なのだ。

ちなみに、彼女が連合本部にある『ナデシコ艦隊司令官席』に一度として座った事が無いのは、連合本部詰めの将官達の間では有名な話らしい。
実戦経験も、先の最終決戦が最初のものであり、おそらくは最後のものとなるだろう。
ナカザトではないが、幾ら名家の出だからっても、あっては成らない異例の人事。
とゆ〜か正直な話、此処までやられると、いっそ清々しささえ覚える程、見事な贔屓っぷりである。

「それでは、御手元の資料の一枚目を御覧下さい」

と、俺が物思いに耽っている間に、エリナ女史とカグヤ君の間での冷ややかな社交辞令が終わり、実質的な説明が始まっていた。
配布されたテキスト通りに、簡潔かつ明瞭な定型調で、その内容が語られていく。
その御蔭か、某女傑の説明の様な必殺の破壊力は無く、それ自体は大変喜ばしいのだが、肝心の内容が難解すぎて、俺にはサッパリ判らない。
正直言って、ちょっとショックだ。
だがまあ、俺が意見を求められるとすれば、地球と木連との再戦時に於けるチューリップの有効性と危険性の事位のもの。
それ以外の話はスルーしても、さして問題は無いだろう。
かくて、経済学の話はエリナ女史達に一任し、俺は、改めて敵陣営の展開状況を確認した。

無論、前回の失敗を踏まえて、予習は完璧。
敵主戦力の能力は勿論、その対人関係もバッチリ頭に入れてある。

今、書類を読み挙げているのが、エマ=ホウショウ中尉。
昨年度の士官学校の主席卒業者であり、連合軍の作戦課で頭角を表し始めた矢先、カグヤ君の誘いで現在の職場に移籍してきた才女だ。
肩の所で切りそろえたストレートヘアーをオールバックに整えた、如何にも軍人という物腰であり、
常に冷静かつ的確にカグヤ君をフォローし続けるその様は、差し詰めジュンの完成形といった所か。
ちなみに、彼女もまた、カグヤ君とは小学生からの付き合いであり、その頃から今の様な関係を続けているらしい。
正直、御苦労様としか言いようの無い、苦労性な女性である。

「もう、カオルたら。せめて姿勢を正しなさい。御客人の前ですよ」

「しゃ〜ねだろ、この資料を作るのに徹夜続きだったんだから」

優雅な仕草で同僚に注意を促しているのが、リサコ=タカチホ少尉。
緩いウェーブのかかったブロンドの髪と、極細やかで抜ける様な白い肌が印象的な美女で、そのおっとりとした物腰とは裏腹に、
戦艦から機動兵器まで、操縦と名の付くもの全てに超一流の腕を持ち、プライベートでは仲間達の纏め役を勤める、まるでハルカ君の様な女性である。

タカチホ君の隣で眠そうな目を擦っているのが、カオル=ムラサメ少尉。
目のクリクリッとしたちょっとボーイッシュな感じの女性で、通常IFS所持者に限定するならば、他者の追従を許ぬ卓越したオペレーティング能力を誇る、
謂わば明日香の頭脳の一人だ。
極度にマイペースな性格で、よく禁句を口にしては回りとトラブルを起こすが、それでも根に持たれる事の無い、艦長の様な天性に恵まれている。

他にも、経済学の博士号を持つ才女と、常勝無敗を誇る敏腕弁護士がいるのだが、今日は席を外している。
此方を嘗めているのか、それとも絶対の自信があるのか………何れにせよ、油断は禁物だ。

「……と、いう訳です、カグヤ・オニキリマル大佐」

結局、最後まで俺には全く判らん話だったが、蒼白な各務君の顔色からして余り愉快な内容じゃないらしい。
対照的に、エリナ君は真っ赤になって抗議しているし。

「何がヒサゴプランよ。こんな事が…他社の業績を横から掠め取る様な真似が許されると思っているの!」

「あら、自由競争こそ経済の基本理念の筈でしょう?
 それに、肝心な所でグズグズしてらっしやるネルガルとは違い、明日香は既にターミナルコローニーの建設認可を受けていますし、
 それに関連した娯楽施設の建設プロジェクトも、もう各方面で準備を始めています。
 コロニーのイメージキャラクター『ヒサゴン』のデザインも、既にアマノイワト先生に発注済ですのよ」

ぐはあっ、アマノ君の商業誌用のPNじゃないか。一体何時の間に彼女と接触したんだ。
この分では、ウリバタケ班長辺りも抱き込まれているかも知れん。
………矢張りこの娘は侮れんな。

「明日香には企業倫理というものが無いの!」

「倫理ですか? それをネルガルに口にして欲しくありませんわね」

「どういう意味よ!」

「アキト様の御両親の件、私が知らないとでも御思いですの?
 アキト様は御心の広い故、敢えて貴方達の罪を問おうとしませんでしたが、
 私は、大恩ある叔父様方を無残にも暗殺した貴方達を決して許しませんわ!」

「………(ギリッ)」

「失礼。証拠も無しに口にして良い話ではありませんでしたわね。
 このお話は、いずれ相応しい場所で話し合うと致しましょう。
 それとも、私共の先手を取って、先程の発言を名誉毀損で訴えてみます?」

まずいな。まさかアキトを駒として使ってくるとは思わなかった。
心理的弱点を突かれて頭に血の上った今のエリナ女史では、話を掏り替えられている事に自力で気付くのは無理そうだし、
舌戦の引き継ごうにも、俺には『何故明日香が横槍を入れられるのか』という根本的な部分が判らないので、助太刀すらままならない。
このままでは一気に押し切られる。如何すれば………

「一寸良いかしら」

「何かしら? ネルガルの方」

「私の事を『東舞華』として扱う気が無いのならそれでも構わないわ。
 単に、この会談自体が時間の無駄に終わるだけですものね」

既に勝利を確信したのか、木連の介入を無視しようとするカグヤ君に対し、東提督は眼鏡を玩びながら、そう言って艶然と微笑んだ。

「どういう意味ですの?」

「あら、判り難かったかしら?
 そうねえ、『東木連中将は、公式の予定通り木連にて公務に就いていた』っていう事にでもしましょうか」

「つまり、『此処までの話を聞いていなかった』と、仰りたいのかしら?」

「それは貴女の態度次第ね。
 そうねえ、貴女はネルガルはアキト君の両親の敵だと主張する。
 でも、何故かネルガルはアキト君がもっとも信頼する企業。この矛盾は一体何故生まれたのかしら?
 まずは、これについて説明して欲しいわね」

言外に、答えなければ『居なかった事にする』と言われ、僅かだがカグヤ君の顔に動揺が走る。
良いぞ。東提督が居ないと何が困るのかは判らんが、これで良くない流れを止める事が出来た。
何より、今ならカグヤ君達の注意が東提督に集中している筈。反撃態勢を整えるなら今しかない。
俺はさり気無くエリナ女史の脇腹を突付くと、目の前のお茶菓子を勧めてみた。

一瞬、ギロリと睨まれる。
だが、すぐに彼女は、自分が冷静さを失っていた事に気付き、優雅に紅茶で口を湿らした後、目で謝ってくれた。
その瞳には、既に会談開始前と同じ、理性と意思の輝きが戻っている。
どうやら反撃の狼煙は上がった様だ。
安堵した俺が二人の舌戦に意識を戻すと………あれ、何でカグヤ君の方が劣勢なんだ?

「生憎、刑事責任を問えるだけの証拠がありませんの」

「あらあら。それじゃ証拠が揃っていた場合、被告席に立つのは一体誰かしらね?」

「ネルガルに決っています」

「ネルガルじゃなくて『ネルガルの誰か』でしょ。私はその人物について尋ねているのよ。
 ついでに『何故』それを知っているかも教えて貰えると嬉しいわね」

「そ、それは………」

「お願いだから『そういう噂がある』だなんて言い出さないでよ。
 今後の地球政府の公言を、一切信じられなく成っちゃうから♪」

「!」

「貴女は忘れているかも知れないけど、私達木連の人間にとって、貴女は今も地球政府の全権大使なのよ。
 憶測で物を語る様な人間に、そんな大役を任せる相手を信用出来ると思って?」

俺が僅かに気を逸らしている間に、攻守は完全に逆転していた。
既に東提督の姿は、鼠を甚振る猫の様である。 正直言って、ハマリすぎていて怖い位だ。

その後、エリナ女史もこれに参戦した事で『アキトの件』に関しては、彼女をグウの音も出ない位にやり込める事が出来た。
だが、それ以外の部分では、東提督はネルガルの味方とは成らず、純粋に木連の利益を追求しているらしい。
とゆ〜か、三人の顔色と声音からそう推察しただけで、いまや会談は、完全に俺を置き去りにした、三つ巴の高度な経済学の話と成っている。
嗚呼、空が青いなあ。

   マドガナイ、クモッテル

お前なんて大嫌いだ。

………
……

「それじゃあ、次は実際に和平が成立してからという事にしましょうか」

俺が夕飯のメニューに思いを馳せ始めた頃、東提督が会談の終了を告げた。
なんとなく、視界に『東WIN』と書き文字を入れてみる。
そう。会談の内容など判らなくても、誰が勝者かなんて、三人の顔色を見れば一目瞭然だ。

「はい、そうですか。………と、御返しすると御思いですか?」

敗者その1ことカグヤ君が、悪足掻きに陳腐な脅し文句を口にする。だが、

「勿論そう思っているわよ。地球を破滅に導いた悪女として歴史に名を残すのは嫌でしょう?」

アッサリ切って捨てられて終わりである。
まあ、敗者その2のエリナ女史が茫然自失している事を考えれば、口がきけるだけでも大したものなのだろうがね。

「提督。(ニコリ)」

「な…何かなカグヤ君?」

いきなり微笑まれてしまった。
妙だな。つい先程まで疲弊しきった顔をしていたのに………

「御免なさい。何となく御顔を拝見したかっただけですわ。
 (パンパン)御客様方が御帰りになるそうよ。ホウショウ、御送りして」

「はっ」

かくて、個人的に引っ掛かる物が残ったが、俺達はホウショウ君に送られて明日香インダストリーを後にした。

「食えない娘ね」

帰りのリムジンの中、東提督が嬉しそうに一人呟ている。
如何にもこの件について喋りたそうな顔なのだが、此処で水を向ける(もしくは話を逸らす)役の各務君は、今だ社会復帰していない。
徐々に強くなっていく無言の圧力に負け、俺は恐る恐る各務君の代役を勤めた。

「食えない娘って、俺には中将が圧勝した様に見えたんですが?」

「(クスクス)やだわ提督ったら、冗談ばっかり。
 あんな会談で幾ら勝った所で、何の意味も無い事くらい判ってるでしょうに」

「え?」

「ネルガルもクリムゾンも、ボソンジャンプの技術を独占しようとしたのが仇に成ったわね。
 根回しの段階で出遅れた所為で、既にこの件に関する政府筋の利権の分配は、明日香によって仕切られている。
 つまり、上手く漁夫の利を得た明日香にしてみれば、今回の会談は、結果を確認する為のものでしか無かったってことよ」

成る程。
ネルガルとクリムゾンが対立している間に、当時の明日香は名前と効用位しか知らなかった筈のボソンジャンプの技術を、
技術先端を争う三強を無視して政府に売りつけていた訳か。
いやはや、凄まじいまでの大博打だな。
もしも二社のどちらかが技術の独占に成功していたら、背任行為の咎やライバル会社からの追撃で、会社の存続すら危うかったかもしれんのに。

「正直、良い手よね。好きにはなれないけど」

「そうですか?
 俺なんかは、良い手と言うには成功率が低すぎるし、交渉役を勤める人間への負担が大き過ぎる様に感じるんですが」

「や〜ねぇ、『私は明日香のエージェントです』なんて名乗るわけ無いでしょう。
 上手くいけばそれで良し。旗色が悪くなったら、ネルガルかクリムゾンの人間を装って、政府が介入する為の呼び水にするだけのことよ」

さも『判っているクセに』と言わんばかりの顔で、そう宣う東中将。
だが、敢えて心の中だけでも俺はこう言いたい。
それが当たり前の様に判る人生なんて送りたくね〜!

「アキト君の事も、法律を重視する企業間での争いのセオリーを逆手に取った上手い手だったわね。
 普通なら法的拘束力を持たない追求なんて意味の無い言動でしかないけど、
 アレって、木連人の代表である私に対して、ネルガル=悪の構図を印象付けるのに持って来いの内容だったもの」

「はあ、さいで」

「もっとも、この私を誤魔化すには、導入部が一寸稚拙だったけどね。
 まあ彼女にしてみれば、当たれば儲け程度の策。
 それに、本命は私じゃなくて貴方の方だったみたいだし」

「はい?」

「ほら、最後に貴方の顔色を伺ったあれ。あれは、貴方の動揺の度合いを推し量る為のものよ」

「動揺って。そんな内容の話がありましたか?」

「(クスクス)そうね。貴方の様に敵は敵とハッキリと区別するのも一つの策よね。
 正直、あの娘が必死にコナを掛けるのを厳然と跳ね除ける姿は、ちょっと爽快だったわ」

さも『惚けちゃって』と言わんばかりの顔で、そう宣う東中将。
故に、敢えて心の中だけで謝罪しよう。
すみません、適当に相槌打ってただけです。(汗)

「どの道今回の会談なんて、将来に於ける地球〜木連間の貿易の主導権争いの、ほんのを前哨戦に過ぎないわ。
 次に問題に成ってくるのは流通経路の………」

その後も東中将は今回の会談の内容について語ってくれたが、もはや俺はそれ所ではなかった。
そう、今必要なのは経済学の知識では無い。
早急に現在の勢力状況を洗い直すべく、俺の心は、既に駐屯地へと飛んでいた。




   〜 火星駐屯地 PM09:00 〜

「にして、珍しいな。提督が俺と飲みたいだなんて」

「いやそれなんだが、実は腹を割って話したい事があるんだ。それも、とても素面じゃ話せそうも無い内容でな」

「まあ、せっかく奢ってくれるってんだ。俺も細けぇ事は言わねえよ。
 で、何が聞きてぇんだ。な〜に、相手が提督なら機密保持には抵触しめえ。
 今、ネルガルが進めている最新プロジェクトから、その新技術のノウハウまで、なんでも御座れだぜ」

はあ〜、御蔭で不安が五割増に成ったよ。
班長の的外れな好意に苦笑しつつ、俺達はBAR花目子のドアを潜った。

   カラン

「雪の進軍氷を踏んで  どこが河やら道さえ知れず  馬は斃れる捨ててもおけず  此処は何処ぞ皆敵の国………」

なんだ、これは。

「あっ、提督。アレ、何とかして下さい。早急に」


マキ君の何時にない真剣な顔によって、俺は思考の退路を絶たれた。
そう。頭が理解する事を拒否していたが、覚悟を決めて現実を受け入れれば事態は単純だ。
要するに自腹で飲みに来たナカザトが、前回よりさらに絶好調でハメを外しているだけの事でしかない。
く〜、矢張りプロスさんが何と言おうと、カラオケなんて入れるんじゃなかったな。

「守るも攻めるもくろがねの 浮かべる城ぞたのみなる  浮かべるその城日の本の み国の四方を守るべし………」

「ほ〜、『雪の進軍』に続いて『軍艦』か。マニアックだな」


何故か班長はナカザトの狂態に理解を示しているが、当然ながら他の客達は辟易している。
ふっ。ウチに『余所者には手を出さない』という不文律があって良かったなナカザト。だが、その悪運も此処までだ。

「マキ君、例の物を」

「はい」

   パシッ
          ブン、ブン

軽く素振りをして手に馴染ませる。うん、良い感じだ。

「貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため」

「そうか。なら散って来い」

「へっ?」

   ボクッ
         キュウ

こんな事もあろうかと、予め店内にキープして於いた粉砕バットによって悪は潰えた。
その亡骸の額に『肉』と書いて店の外に放り出した後、他の客達の喝采に応えつつ、迷惑をかけた事を謝罪。
そして、流れを変えるべくマキ君に『ちょっと値の張る』ブランデーを二つ注文し、片方を班長に勧めてみる。
暫し呆気に取られていた班長だったが、滅多に御目に掛かれない上物に気を良くし、何事も無かったかの様に杯を受け取ってくれた。
ふっ。やはり高級酒の霊験は灼かだな。
かくて、多大な投資を注ぎ込んでの小一時間後。
完全に酔ったのを見計らって、例の件をそれとなく聞き出した結果、班長以下整備班の面々は『今の所は』シロだった。




    〜 4日後 火星駐屯地 提督執務室 〜

『アキト君って冷たいのね』

そうだ。判ったら、とっとと愛想を尽かせ。

「提督」

『もう、アキト君。何時まで寝ているの?』

って、なんで昨日の今日で何事も無かったかの様に振舞えるんだよ、この娘は。

「提督!」

「五月蝿いぞナカザト。俺は今忙しい。緊急でない物は後回しにしろ」

「忙しいって、執務時間中に一体何をやってるんです」

「何って、幼馴染系のキャラとの効果的な縁の切り方をディスカッションしていたんだよ」

「そういう御遊びは、プライベートな時間だけにして下さい」

「何を言ってるんだ。この駐屯地の将来………いや、太陽系の未来さえ左右しかねない重大事だろう」

「自分には、提督が何を言ってるのか判りません」

とと、しまった。つい、コイツがスパイだって事を忘れて本音で話していた。
それにしても、ホシノ君とラピスちゃんが総力を挙げて特注してくれた、未来を掴む為の対人シミレーションも、コイツにとっては只の御遊びか。
無知とは斯くも人を助けるものとは………実に羨ましい人生送ってるな。

「判った。その書類の決裁は全てお前に任せよう」

「ちっとも判って無いじゃないですか!」

「おいおい、一介の中尉が提督の真似事が出来るんだぞ。一体何が不満なんだ?」

「自分の望みは、提督に己の職務を果してもらう事だけです。それ以上でもそれ以下でもありません」

コ…コイツ、マジに言い切りやがった。
俺的には半分サービスでのつもりで言ってやったっていうのに………
自分がスパイだって事を完全に忘れてやがるな。

「なにより、本日の書類は火星に配備されるチューリップと地球駐留基地に関する重要なものです。必ず熟読して下さい」

そう。東中将曰く『出来レース』と評された会談の翌日、政府は地球衛星軌道上に建造された明日香インダストリーの大型工場衛星の一角に、
送迎用のシャトルへの乗換施設とカグヤ君の指揮する特殊部隊メールシュトロームの駐留基地を設けるとの決定を下した。
つまり、彼女は大使としての権限をフル活用する事で、木星←→地球間の流通を完全に把握出来る立場に立った事になる。
此処までが予め裏取引によって決っていた事であり、此処から如何に巻き返しを図るかが今後のネルガルの課題という訳だ。

正直、状況は芳しくない。
単独ポソンジャンプという裏技がなければ、遠からず総ての物資と情報を抑えられゲームセットに成ってていただろう。
そこで、この状況を引っ繰り返す一発逆転の策として考案されたのが、この『打倒! 幼馴染キャラシミレーション KAGUYA』なのだ。
現在、整備班の有志一同によって急ピッチでデータが蓄積されており、俺も及ばずながらその一端を担っていたのだが、
それをコイツの前で話す訳にはいかない。
この辺が提督の辛い所だな。

「判った、判った。ちゃんと目を通しておくから、とっとと行け」

「了解致しました。(ドサッ)」

   シュイン

大量の書類をデスクに置くと、ナカザトは如何にも疑わしそうな顔をしつつ出ていった。

さて、音声をOFFにして続きをやるとするか。目標としては矢張り、後腐れが無い様に『親友の彼女にする』が望ましいだろうな。
改めてアキトを取り巻く女性達の相関係図を思い浮かべつつ、俺は画面の前の運命の選択へと意識を集中した。




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