『 6月12日 曇り時々晴れ』
今日、プロスさんと新戦力に加入ついて話あう。
やはりネックは火星←→地球間の交通の不便さにある。
何とかしなくては。
火星駐屯地が旗上げして早半月、大分形が整ってはきたが、やはり旧クルー72人が抜けた穴は大きかった。
かくて、早急に各部署の戦力不足を補うべく、新戦力と為り得る人材の選定に入る。
と言っても、この駐屯地にいる人間が、現在の火星の全人口なので、実際のスカウト活動は、プロスさんが地球に帰還してからの事。
従って、此処に新人が配属されるのは、早くても来月の下旬頃に成るだろう。
遠からず破綻する部署さえ少なくない故、正直言って、かなり厳しい話だ。
特にナデシコ食堂改め日々平穏は、戦力が激減した所為で深刻な人手不足に陥っている。
旧ナデシコクルーの約65%とネルガルの研究所職員、合計217人。
幾らホウメイさんでも、一人で賄うには難しい人数だろう。
それに加えて、今月末には工業用プラント及び農業用プラント建設の為の作業員が大挙して火星にやってくる事になっており、
そう成れば、確実に人手が足りなくなる。
だからと言って、適当な人材を見繕って当座を凌ぐという策も使えない。
何せ、ホウメイガールズの後釜の娘達の評判が芳しく無いという、嬉しくない前例が既にあるのだ。
此処でヘタな人間を雇ったりしたら、今度こそクルー達の不満が爆発するだろう。
そんな訳で、彼らの眼鏡に適いそうな掘り出し物の人材を求め、俺は目を皿の様にして資料を漁った。
〜 選定中 参考資料 貴方が選ぶ名コック(ネルガル文庫) 〜
「おっ、ちょとプロスさん。これを見てくれませんか」
正直、これ以上の人材は望めないだろう。
俺は自信を持って件の人物の資料を指差した。だが、何故かプロスさんの顔は渋い。
はて、何が拙かったのだろう。
「ああ、やはりこの方ですか。確かに、これ以上の方は居ないでしょうが………
実を言いますと、先のナデシコクルースカウトの折にも再三打診してみたのですが、けんもほろろに断られましてねぇ。
正直申し上げて、この方がスカウトに応じてくれる事は、まずありえないと思いますよ」
「成る程。ですが、先のスカウトって事は2年以上も前の話でしょう。もう一度、駄目元で打診してもらえません?」
「お気持ちは判りますが、なにぶん地球にいられる時間は限られていますからねえ。
他の業務との兼ね合いもありますんで、スカウトに廻せる時間は余り無いんですよ。
出来ればその〜、断られる事が判っている方への御挨拶は避けたいのですが」
う〜ん、プロスさんをして交渉を渋る以上、望み無しと思った方が良さそうだな。
やはり20日のブロスさんの地球帰省時に、条件に見合うコックを『その場で』見つけて確保して貰うしか無いらしい。
正直、俺も同行したい所だが、現在イネス女史は、送られてきたチューリップの調整に忙しく、おいそれと時間を空けてくれとは言えない状況にある。
かと言って、こんな事で艦長や御剣君を呼び出すのは、A級ジャンパーの秘密が洩れる可能性を自ら高める愚行も良い所だろう。
忸怩たる思いを抱えつつ、その後も様々な部署の増員についてプロスさんと討議する。
だが、やはり秘密厳守と一流の腕という二大条件を兼ね備えた人材の確保は難しく、半ば暗礁に乗り上げた形で終了した。
こんな時カズシが居てくれたら………
失われたものの重みを改めて感じつつ、俺は自棄酒を煽りにBAR花目子へと足を向けた。
『 6月14日 晴れ』
本日、遂に本作戦の根幹とも言うべき、西暦2014年の世界と近似値を持つ並行世界との間を結ぶ次元跳躍門、
通称『確変チューリップ』の機動テスト及び有人ジャンプ実験が行われる事と成った。
これに合わせ、2015年の情報収集の名目でダブリスとの交渉も行われる事に成っている。
被験者………じゃ無くて参加者は、ジャンプ制御を努めるイネス女史、ガード役のナオ、交渉役の俺という構成だ。
ちなみに使徒との交渉の件は、エリナ女史を筆頭とする『最後に計画を全て引繰り返される危険性』を危惧して反対するグループと、
ハルカ君を筆頭とする『共存出来るならそれに越した事は無い』と考えるグループの真っ二つに分かれて泥沼の論争に陥った為、
他のクルーにはナイショのオペレーションだったりする。
最近、自分でも考え無しの力技ばかりに成っている気がするが、裏の事情は話せない以上、俺には他に手の打ちようが無い。
アキトが帰ってくる前に、俺が総スカンを食う日が来ない事を祈るのみだ。
カチャ、カチャ、カチャ………
「………という背景の元、俺達はゼーレの本部のあるドイツにやってきたという訳だ」
「誰と話してるんです、提督?」
「なに、御約束というヤツだ、気にするな。
それよりナオ。三人称を変える時はちゃんと伏線を張れよ。読者が混乱するじゃないか」
「え〜と。ほら、佐官と将官とじゃ周りの扱いがまるで違うでしょ。
だから隊長って呼ぶのは混乱の元になるんじゃないかって、その〜
………って、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ提督」
「そう言えば、シュン提督も、今や名実共に提督と呼ばれる身分だったのよね。
送られてくる書類の類が、無意味なまでに装飾過多なのは伊達じゃないっていう処かしら?」
「俺には、あんなものを喜ぶ奴の気が知れませんね。
何せ、これまでが実用一辺倒な物しか見たことが無かっただけに、なんとなくタマネギの皮を剥いてる気分になっちまう」
「って、イネスさんまで。何でこの状況で、そんな和やかな会話が出来るんすか!」
ナオが、小声のまま絶叫ポーズで此方を非難している。
それでも、地下牢の鍵を外そうとする手が休む事が無いのは流石と言えよう。
「この状況って言うがなあ。事前の打ち合わせで、ワザと捕まるってのも選択肢の一つだったろ。
ある意味『計算通り』って言っても良いんじゃないのか?」
「捕まり方が問題なんですよ。いきなり正門の前に立ったかと思ったら、監視カメラに向って
『ヘ〜イ、キールのジ〜サン。俺と茶でもシバキながら人類補完計画について話さないか?』ってあれ、いったい如何いうつもりですか?」
「手っ取り早く捕まるには良い手だと思ったんだよ。実際、こうして恙無く地下牢に招待して貰ったじゃないか。
おまけに、拷問はおろか碌にボディチェックさえ受けなかったんだぞ。これ以上を望むのは、ちょっと贅沢なんじゃないか?」
流石にジャンプフィールド発生装置は没収されちまったがな。
まあ、あの怪しさ大爆発な外観じゃ仕方ないけど。
「だからって、アレは無いでしょうアレは!
いや、それ以前に相談して下さいよ。そういう重要な事は」
「すまん、すまん。実物の警備を見たら、当初の予想より忍び込むのが難しそうだったんでな。出直してからアレをやるのも不自然だろう?」
謝罪したにも関らず、何故かナオの視線はキツイままだった。
妙だな。こんな粘着質な奴じゃなかった筈なんだが。
「………昼飯の時に飲んだ黒ビールが不味かったからッスね」
「おいおい、何を脈絡の無い事を言って………」
「惚けても無駄です。下見の段階からついてくるって言った時点で、おかしいと思ってたんスよ。
此処に来たのは、本場の黒ビールを飲む事が目的だったんだ。そんでもって、期待外れだったんでトットと2198年に帰りたくなったんでしょう」
「いや、確かにアレはビールと呼ぶのもおこがましい酷い物だったが、
セカンドインパクトの所為で気候が変わって、良質の麦芽が手に入らなくなったんだから当然の結果………」
「そういう事を言ってるんじゃなくて!」
パン、パン
「はい、はい。手が止まってるわよヤガミ君。そういう不毛な言い争いは、帰ってからにしましょうね」
カチャ、カチャ、カチャ………
弾かれた様に開錠作業を再開するナオ。
そして、俺が相手では埒があかないと思ったのか、無謀にも愚痴の矛先をイネス女史へと向けた。
「それにしてもイネスさん。提督は………まあ今更として、この状況で貴女まで落ち着いて居られるのは何故なんですか?」
「私一人なら何時でも逃げられるからよ」
と言いつつ、イネス女史は胸元からCC付きのペンダントを取り出して見せた。
「き、汚ね〜!」
「大丈夫よ。貴方達を見捨てて行ったりしないから安心なさい。
それより、開けられれそうも無いのなら早目にギブアップして頂戴ね。
余り遅れる様だと、ジャンプフィールド発生装置の置き場所のイメージが崩れちゃうから」
「へっ?」
「あら、ひょっとして意味も無く目を瞑ったままだと思っていたの?」
そう言いながら、とっておきの悪戯が成功したと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるイネス女史。
時折見かける邪悪な哄笑とは似ても似つかないその笑顔からは、まるで天使の様な純粋ささえ感じられる。
実際、彼女は天使の様な存在なのだろう。特に、敵には一遍の慈悲さえ掛けない辺りが………
「ちょ…ちょっと待った。ひょっとして、俺が必死に鍵を開けようとしていたのって無駄な努力だったんですか?」
「そうでもないわよ。
何せボソンジャンプが一般公開されて以来、CCの市場価格は天井知らずの高騰だもの。
今やこのサイズのCCともなれば、貴方の給料三ヶ月分位の値が付くんだから」
「はあ〜、嫌な時代になったもん(チャキ)………よ〜し、開いたっと。それじゃあ、ちょっと様子を見てきます」
靴底に隠してあった欺瞞装置で無力化してある監視カメラを一瞥した後、
ナオは地下牢の扉を開け、如何にもな感じのレトロな佇まいを見せる地下道を、音も無く走っていった。
〜 一時間後 CLONING HUMAN PLANT前 〜
波乱の幕開けを切った本作戦だったが、地下牢脱出後は、ナオの的確な先導とホシノ君&レイナ君謹製の欺瞞装置によってトントン拍子に進み、
恙無く目的地まで来る事が出来た。
無論、奪われたジャンプフィールド発生装置も無事回収済だ。
「いや〜、実はシリンダー錠を開けるなんて、駆け出しの頃の受けた研修以来なんッスよ。
それがまさか、実戦で使う日が来るなんて………流石2014年ってとこですかね」
首尾良く脱出出来た事に気を良くしたらしく、ナオが、いつも通りの軽口を叩いている。
どうでも良いが、そういうノスタルジィの浸り方も如何かと思うぞ。
「にしても、本当に一人で行くつもりですか。今更ですが、せめてイネスさんだけでも同行した方が………」
「悪いが今回用意した取引材料ってのが、サシの話でないと使えないネタなんだよ。
まあ、帰ったら納得の行くまで説……(ゲフン、ゲフン)
そのなんだ。話して聞かせてやるから、今は黙って行かせてくれ」
「判りました。但し、持ち時間は最大15分。それ以上掛かる場合は諦めて撤収。良いですね」
「おう。吉報を期待していてくれ」
ガチャリ
かくて、一人CLONING HUMAN PLANTに入った俺は、水槽の中で眠るダブリスの魂と接触した。
スカウト@ ― ダブリスの場合 ―
感知できるかダブリス。俺は………で………という立場の者だ。
………
これから、君が辿るであろう未来に関する情報を流す。
それを見て貰えれば判るが、このまま行けば未来は無い。
あるべき歴史の流れに修正する為、協力して欲しい。
………
生憎、俺は18番目の使徒として覚醒した訳じゃない。
運悪く貧乏籤を引いただけの只のオッサンだよ。
………
悪いが時間が押してるんで、その手の話は後回しにしてくれ。
それじゃアーク、例の映像を。
アイヨ、………、………、…………、…………、…………。
!
映像を観て絶句(?)するダブリス。
事前に聞かされたアークの話では、彼は使徒であるが故の充分なキャパシティの元、超高速通信が可能であり、
12時間以上もある映像データを1分足らずで観賞出来るらしい。
文字通り『話が速い』ので実に有難い。
………
信じられんだろうが、これは事実だ。
疑るなら俺の記憶を隅々まで探ってくれ。
………
どうやら信じてくれた様だな。
それじゃあ、無茶な話で悪いが時間が無い。
このままゼーレに協力して無に帰るか、それとも俺達に協力するかを今すぐ決めてくれ。
………
無論だ。可能な限りの援助を約束する。
望むのであれば、俺達の住む世界で暮らしてくれても良い。
………
協力してくれるか! いや、有難い。
………
おお、そいつは好都合だ。無論、君の兄弟達についても君と同様の立場を用意しよう。
………
心配無用。覚醒に必要なエネルギーなら、既に用意してある。
んじゃアーク、やってくれ。
アイヨ
俺の合図と共に、何十体もの彼の体が一斉に輝きだし、20〜30秒後、漸く光が収まった水槽を見ると、
その上部のハッチから一人の少女が、軽やかに飛び降りてくる処だった。
「初めまして………に成るのかしら? 渚カヲリです」
そう。俺の前に現れた人物は、アルビノの肌と独特のフンイキこそ渚カヲルのものだったが、亜麻色の緩やかなウエーブの掛かった長い髪といい、
外見年齢からすれば豊かな胸といい、どう見ても少女だったのだ。
正直、このまま『美少女大歓迎』とか言って、何も考えずに連れて帰りたい所だが、彼女がダブリスである事が計画の大前提であるが故、
敢えて俺は、彼女が聞いて欲しくないであろう質問をした。
「え〜と、渚カヲリ君。そのなんだ、君はその〜、渚カヲル君じゃなかったのかね?」
「私にとって、性別は等価値ですから。
渦中の人物たる碇シンジ君が男性なので女性体を選んでみたんですが、可笑しかったかしら?」
「いや、可笑しくは無いんだが、その………」
予想外の展開に戸惑いつつ、俺は予め用意してあった下着(男物)とカッターシャツ&ズボンを遠慮がちに差し出した。
「男物なんですね」
「すまん。俺は君が男だと思っていたんでな」
「構いませんよ。私にとって男装と女装は等価値ですから」
彼女が着替えている間、この異常事態を把握すべく、俺は必死に頭をフル回転させる。
成る程。要するに、意中の人物に合わせて性別を変えた訳か。
以前、ラピスちゃんに付き合って見たアニメに、雌雄同体のコマッタちゃんな性格な生物が出てきたが………
まっ、北斗の時みたいに、『実は女だった系のキャラ』とでも思う事にしよう。(笑)
「問題なのは似合うか否かなんですが………感想、聞かせて貰えます?」
「早急に君に似合う服を用意するとしよう。
でないと俺は、特殊な趣味の持ち主だと思われても文句が言えそうもない」
「(クスクス)それって、当然褒め言葉ですよね」
う〜ん、慣れ親しんだ微笑だな。正直、慣れたくは無かったがね。
かくて、とんでもない相手にターゲッティングされているシンジ少年の冥福を祈りつつ、俺は彼女を促しCLONING
HUMAN PLANTを後にした。
ガチャリ
「待たせたな」
「いや、結構早かったッスよ。まだ五分と経ってない………って、誰です? その少女は」
「ゆっくり紹介している場合じゃないんで、結論だけ言おう。彼女がダブリスだ」
「え…え〜と」
「気持ちは判るが今は考えるな。考えたら負けだ。
今、早急にやらなければ成らない事は、此処から脱出する事と彼女にまともな服を用意する事だけだ。それ以外の事は後回しで良い」
「た…確かに」
事の重大さを理解したらしく、ナオが諤々と頷く。
そう、こんな所を誰かに。特にアマノ君に見られたりしたら………嗚呼、考えるだに恐ろしい。
そんな事になったら身の破滅だ。
「う〜ん。確かに、視覚的にちょっと許しがたいものがあるわね。取り合えず、これでも着ていてくれるかしら」
そう言って、イネス女史がトレードマークの白衣を差し出してくれた。
顕になった悪魔のアイテム、ジャンプフィールド発生装置の威容に気が滅入るが、幸い彼女は、裏面の事情には気付いていな様だ。
さ〜て、これで後は逃げるだけ………
「危ない!」
チュイン
ナオが横っ飛びにイネス女史を突き飛ばしたが、ワンテンポ遅く、急所を外すのが精一杯だった。
しかも、その狙撃を合図にしたかの様に、蜂の巣を突付いたかの様に非常ベルが鳴り響き、乱雑な靴音が聞こえてくる。
焦る心を抑えつつ、ナオがスナイパーを沈黙させた隙に、俺はイネス女史を抱きかかえて物陰に飛び込んだ。
「無事か? イネス女史」
「ええ、私はね。幸か不幸か弾はジャンプフィールド発生装置の上で止まってるわ。
もっとも、その御蔭でコッチは重傷よ」
何時になく蒼ざめた顔で返答するイネス女史。だがそれは、慣れない直接的暴力に晒された所為だけではない。
彼女にとって、アキトとの絆の結晶とも言うべきジャンプフィールド発生装置。
それが、素人の俺でも一目で判るくらい、致命的な損傷を負っていたのだ。
「御免なさい。私が白衣を借りたりしなければ、こんな事には……」
「つまらない事言うんじゃないわよ。
それに、こうも筐体の心臓部に直撃している以上、白衣を着ていたってどうせ壊れてたわよ」
「でも………」
「それより、何故貴女が白衣の防弾処理の事を知ってるの?」
拙いな。交信中、余計な知識を与え過ぎたらしい。
「イネス女史、今はそれ所じゃないだろう。ナオが抑えている間に、CCによるジャンプの準備を頼む」
俺はその場を誤魔化すべくイネス女史を急かした。
だが、その返答は、俺を愕然とさせるものだった。
「残念だけど、それは無理ね」
「ど…如何して?」
「逃げられるのは私一人だけだからよ。忘れたの? CCで飛べるのはジャンパーだけなのよ」
「あっ!」
「それじゃ、急いで2198年に戻って装置を取ってくるから、それまで何とか時間を稼いでいて頂戴」
う〜ん。地球衛星軌道から多少距離を取った所に設置した確変チューリップまでジャンプ。
次に確変チューリプを通して2198年にジャンプ。
更にイネス女史の秘密研究所までジャンプして折り返しだから、およそ15分位か……って、おい。
「ちょっと待て。
短時間に6回も長距離ジャンプ出来るわけ無いだろう。失敗してくれと言う様なものだぞ」
「それでもやるしか無いのよ。他に方法は無いわ」
「いや、駄目だ。
もし貴女を失ったりしたら、計画の実行は絶望的になる。俺とナオは何とか正攻法で脱出するから、馬鹿な考えは捨ててくれ」
「馬鹿はどっちよ。それが可能だと本気で思っているの? 少しは自分の歳を考えなさい」
「なに。イザとなったら、ナオなら俺を置いていけるさ」
「ふざけないで! アキト君が居ない今、貴方まで失ったりしたらナデシコは終わりよ!」
「御二人とも、今は言い争っている場合じゃないでしょう」
不毛な口論を止めるべく、その小柄な体躯を生かし、カヲリ君が体ごと俺達の間に割って入ってきた。
いきなり現れた彼女の顔のアップに気を飲まれる俺とイネス女史。
その空白を利用し、彼女は運命の一言。その後の計画の方向性を大きく書き換えた、あの能力の事を口にした。
「この場所からの脱出………
その…確かボソンジャンプって言いましたよね。ジャンプ先のイメージングをお願いできますか?」
「おいおい、ジヤンプには………」
「(クスッ)大丈夫。私にとって地球人と火星人のDNAは等価値ですのよ」
彼女が俺の口を人差し指で封じながらそう言いうと、その言葉に呼応するかの様に、俺達とナオの周りに赤い障壁が現れた。
チュイン、チュイン
「わたたたっ、何だこりゃ」
乱反射した銃弾を避けるべく、タップダンスを踊るナオ。
流石の最強の盾、内側に対しても磐石な様………
あれ? パレットライフルの弾って何ですり抜けるんだろう?
後でアマノ君にでも聞いてみるか。
「では、行きます。………ジャンプ」
彼女がそう呟くと共に、一瞬、目の前が光に包まれ視界がホワイトアウト。
そして次の瞬間には銃声が止み、俺達は何処かで見たような薄暗い部屋へとジャンプアウトした。
「此処は………」
「おや、如何したんですか提督。確か、御帰りは明日の今頃の御予定だった筈ですが」
「って、プロスさん! それじゃ此処は………」
「ええ、BAR花目子の店内です。
御免なさい。直接2198年にジャンプするにはイメージング力が少し足りなかったので、アークさんに制御を手伝って貰ったんですけど、
何故か、ジャンプ先は此処にした方が良いと言うものですから」
予想外の展開に驚く俺に、さり気無くカヲリ君が状況を耳打ちしてくれた。
その内容から察するに、どうもこの結果はアークの悪戯らしい。
にしても、如何いう目で俺を見とるんだアイツは。(怒)
「これは一体どういう手品かしらカヲリ嬢?」
安全が確保されたのを察したらしく、如何にも興味深々といった顔で、イネス女史がカヲリ君を問い詰め始めた。
その言い知れぬ迫力に押され、彼女の顔から、ダブリスの標準装備とも言うべき余裕が失われてゆく。
良かった。使徒である彼女にも、この手の本能はシッカリ備わっている様だ。
「え…えっと、ジャンプの方法ですか。ちょっとDNAを操作して……」
「成る程。使徒としての能力によって制御用の遺伝子を構築。
しかる後、ATフィールドで包んで非ジャンパーをガードしつつジャンプしたという訳ね。そうでしょう!」
「は…はい」
「素晴らしいわ。CCも機械的なサポートも必要としないなんて。差し詰めセルフ・ジャンプとでも呼ぶべき技ね。
後でDNAを採取させてくれない? 出来れば操作する前と後の二種類を。
ああ、もちろん骨髄とか脳皮質なんて贅沢は言わないわ。
皮膚組織………いえ、髪の毛だけで良いから」
「は…はあ。その位でしたら………」
「(ガシッ)ありがとう! これでイザという時、お兄ちゃんを守る為の切り札が出来るわ!」
余程嬉しいらしく、カヲリ君の手を無理矢理掴んでブンブン振回すイネス女史。
こうまで彼女が手放しに喜ぶ程の事。件の切り札とは、ジャンパー問題を一気に解決しうる画期的なものなのだろう。
俺としても喜ばしい限りだ。
それにしても、全使徒中最も弱いだろうと思っていたダブリスに、これ程までの能力があろうとは………
正直、彼女の潜在能力とその行く末に一抹の不安を感じずにはいられないが、
それでも、アキトに匹敵しうる精度を持ったA級ジャンパーが仲間に成ったのは、望外の幸運と言うべきだろう。
いや、実に目出度い。この快挙を祝って祝杯を挙げるとしよう。
「蛇足ですが、今日は定休日ですよ」
顔色から俺の意図を感じ取ったのか、ブロスさんが釘を刺してきたが、今は彼女との仲を、より確かなものにする事の方が重要さ♪
「いやそれなんですが、なんか予想以上に上手くいったとう言うか、込み入っていると言うか……
詳しい事は明日話しますんで、新た仲間が加わった事を祝って、兎に角一杯出して下さい」
「(クスッ)私にも御相伴させて貰えますか?」
「おっ、飲めるのかい?」
「さあ? 飲酒なんて始めてなので何とも言えませんが、是非ともこの機会に経験してみたいですわ。祝い酒という言葉に心惹かれたってことね」
「よっしゃあ。ブロスさん、彼女にも口当たりの良さそうなヤツを」
流石にプロスさんは雅というものを理解しているらしく、何も言わずに彼女にスクリュードライバーを出してくれた。
専門用語で『諦めた』とも言う。(笑)
「んじゃ、俺にもウィスキーをダブルで。ああ、例の秘蔵のツマミを付けて」
話の流れから俺の奢りである事を察して、ナオが此処ぞとばかりに注文する。
今回の一件の当事者の一人でありながら、最も状況を理解していない我が身を省みる気は皆無の様だ。
まあ、ある意味正しい対応と言えん事もないがね。
「どうだいイネス女史も。偶には一杯飲まないか?」
「そうね。それじゃブロスさん、私には普通のオレンジジュースを」
「おいおい。珍しく誘いに乗ったか思えば、それは無いんじゃないか?」
「悪いけど、この商売を長く続けようと思ったらアルコールは厳禁なのよ。何故かと言うと、アルコールは脳の水分を蒸発させて周辺の脳細胞を………」
「まあまあ、イネス女史。酒場で無粋な話はするものじゃありませんよ。(コトン)
それに提督も。なにもアルコールだけが酒場の存在価値って訳じゃないでしょう?
一歩退いた位置から、酒精によって齎される開放的な雰囲気を味わうというのもまた、一つの楽しみ方ですよ。
如何です、今夜はその辺りの事をデスカッションしてみるというのは?」
イネス女史にオレンジシュースを出しながら、さり気無く長居を勧めるプロスさん。
開店以来始めて、妙齢の美女がカウンター席に座ったのが、かなり嬉しいらいしい。
しかも、本邦初公開とも言うべき私服姿のイネス女史ともなれば、別の意味でも感慨深い物があるのだろう。(当然、もう悪魔の装置は外している)
本人は何時も通りの営業用スマイルを浮かべているつもりだろうが、何時に無く震える指先に、その下心が透けて見える様だ。
いや。プロスさんともあろう者が、こうまで物欲しげな態度をとる以上、これだけでは終わるまい。
おそらく、バーテンを志す者なら、誰もが一度は演じてみたいという、あのシチュエーション。
『酔った勢いで零す美女の愚痴を聞いていないフリをしつつ聞いてやり、頃合を見てさり気無く、彼女を揶揄したチョッとイイ話を披露する』を狙ってくる筈。
ならば、これに便乗しない手はあるまい。
「その…なんだ、イネス女史。ものは相談なんだが………」
「はいはい。丁度、彼女の話も聞きたかったことだし、夕食を奢ってくれるなら付き合っても良いわよ。
という訳でミスター。帰る前に、私様にサンドウイッチでも用意して置いてくれないかしら?
ああ。提督とヤガミ君なら、最低限の良識位は守る様に見張っておくから大丈夫よ」
願っても無いチャンスに上擦った俺の言を制すと、俺の用意したシナリオなど問題にならない巧妙な罠を張るイネス女史。
これだから頭の良い人間は怖い。目の前に美味しそうな餌をぶら下げ、絶妙のタイミングでそれを取り上げ様とすれば、
「いえいえ。定休日と言っても、どうせ趣味で始めた様なものですからねぇ。
偶々在庫チェックをしていた時に出くわしたのも何かの縁というもの。最後まで御付き合いしますとも」
といった具合に、考え無しに食付いてくるという訳である。
しかし、こうもアッサリと引っ掛るとはね。プロの交渉人も人の子だったと言った所か。
まあ何にせよ、これで言質はとれた。おまけに『誰に』付き合うとも言っていないしな。(ニヤリ)
〜 一時間後 再びBAR花目子店内 〜
「成る程ねぇ。でもその場合、遺伝子の獲得係数が狂ってこない? 細胞自体にもヘイブリック限界値があるし」
「すみません。私には学術的な説明は、ちょっと………
感覚としては、百メートルを全力疾走した位かしら。連続して行うのは辛いってことね」
「使用回数によって負荷が増えていく感覚は?」
「ありません」
「う〜ん。そうなると、遺伝子情報を上書きしているんじゃ無さそうね。
S2機関によって無限に細胞分裂が出来たとしても、分裂時の情報の劣化まで防げるわけじゃ無いだろうし………」
パッ、パッ、パッ、パッ、パッ(いや〜、耳栓持ってて良かったっスね提督)
パッ(ああ、そうだな)
かくて、イネス女史の御守りをカヲリ君に任せ、俺達はユッタリと酒宴を楽しんでいる。
ナオとのコミニケーションは、手旗信号モドキで充分可能だし、
目の前も光景も、二人とも観賞に値する美人なだけに、声さえ聞えなければ何の問題も無い。
それ所か、ちょっと想像力を働かせてセリフの差し替えなどを行えば、微笑ましい寸劇として、格好の酒の肴と成ってくれる。
いや、これは新発見だな。今後、様々な場面で役立ちそうだ。
「あの〜イネス女史。御夕食は………」
「あら、まだそんな時間じゃないでしょう?」
「そう言われましても、もう9時過ぎなんですけど」
「生憎(ピラ)私の時計ではまだ4時よ。それじゃ、そういう事で」
なにやらブロスさんがイネス女史に話し掛けていおり、イネス女史が自分の腕時計を指差している。
どうやら、自分が如何に甘い事を考えていたかに気付いた様だ。
畳み掛けるのチャンスと見た俺は、さり気無くプロスさんの肩を叩きつつ駄目押しをした。
「(ポン)やだなあ、只の時差ですよ時差。
ほら、外国への出張なんかでよくあるアレ。プロスさんにとっては馴染み深いでしょう?」
「ですが、確か時間軸は同調させてあった筈なのでは?」
「あれ? ひょっとして直接此処まで飛んだ所為かな?
まあそれはそれとして、勿論この酒宴に最後まで御付き合いしてくれるんですよね」
ブロスさんの笑顔が凍りつき、次いで先の自分の失言に気付き青くなるが、もはや後の祭である。
その後、3時間程でイネス女史は自宅へ帰っていったが、首尾よく摩り替えに成功した約束を盾に、カヲリ君を交えて明け方まで飲む事が出来た。
ちなみに、カヲリ君は本当に幾ら飲んでも酔わないタイプだった。
………ずるいぞ、肝機能まで操れるなんて。
痛恨の敗戦と成った宴の翌日。俺は早速カヲリ君を連れて関係各所への挨拶回りに出かける事にした。
当初は、いきなり2014年で暮らして貰うつもりだったが、今や『少女』と成ってしまった彼女に一人暮らしをさせるもの気が引ける………
いや、所詮これは只の建前。本音は、彼女のジャンプ能力を遊ばせておくのが勿体無いからだ。
自分でもズウズウしい話だと思う。
だが、彼女の特殊能力が、計画遂行の上で重要なポイントとなるのは疑う余地が無い。
それ故、決死の覚悟でストレートにその旨を伝えたら、何故かおもいっきり笑われてしまった。
彼女に言わせれば、俺の『そういうところ』が好意に値するらしい。
自覚の無い能力を評価されるのも妙な気分だが、その御蔭で彼女との友好関係が崩れなかったのだから、まあ良しとしよう。
そんな訳で、彼女には、まず2198年で生活してもらう事になった。
戸籍の方は、ホシノ君に頼めばなんとでもなるだろうし、火星駐屯地に住むので正体が漏れる心配も無い。
問題なのは、関係各所との連携だ。
特に、頻繁にジャンプして貰う事になるであろう先。ミスマル中将とグラシス中将の二人への根回しは重要な物となる。
取り合えずアポを取ろうと思いグラシス中将の予定を調べたところ、
偶然にも今日が非番だったので、ちょと悪戯心を発揮し、サラ君とアリサ君を伴ってイキナリ押かける事にした。
この先2年は碌に会えない予定だっただけに、彼女達の突然の帰省は、中将にとって驚きに満ちた喜びとなるだろう。
いや、実に楽しみだ。
〜 翌日 西欧州ハーテッド邸前 〜
久しぶりに会ったミリア君のポカンとした顔は見物だった。
あの事件から立ち直って以来、何があっても動じない印象があっただけに、ちょっと新鮮な感じがする。
ささやかな悪戯の成功を喜びつつ俺が事情を話すと、グラシス中将の年齢を理由に、こっ酷く説教されてしまった。
そう言えば、そろそろ心臓が気になる御年頃だったけ。いや、これは不味かったな。
慎重に言葉を選んで俺達の来訪を告げる彼女の姿は、説教以上に堪えるものがあったし。
己の失態を真摯に反省しつつ、彼女に案内され、グラシス中将のいるリビングへと足を踏み入れる。
久しぶりの祖父と孫の対面。だが、俺達を迎えた中将の第一声は、彼女達への再会の挨拶では無かった。
「エリーヌ!」
「「「はい?」」」
「生きて………生きていてくれたんじゃな」
そう言いつつ、感極まった顔でフラフラとカヲリ君近づいていくグラシス中将。
既にその目は焦点を失っており、彼女ではなく、この世ならざるものを見ている様だ。
「あの、人違いをなさっているのでは? 私は渚カヲリですけど」
「エリーヌでは………無い?(ガタッ)」
「危ない」
意中の人物でなかったのが相等ショックだったらしく、中将は正気に返ると同時に崩れ落ちた。
その身体を抱き止め、そのまま御姫様だっこに抱え上げて安楽椅子に座らせるカヲリ君。
う〜ん、流石は元使徒。見た目は華奢でも、とってもパワフル。
「大丈夫ですか?」
「あ…ああ、大丈夫だよ、体の方はな。
だが、頭の方はもう長い事は無い様だ。虚構と現実の区別もつかんとは………
いや、この際一時の夢でも良い! エリーヌ…いや、カヲリ君と言ったね。キミ、料理は出来るかね?」
「は…はい。一通りの心得位なら」
「頼む! チコリパイを作ってくれ!」
中将が『夢よ、もう一度』と言わんばかりのノリで情熱的にカヲリ君の手を握りつつ懇願する中、
俺は、件のエリーヌ女史について、アークに全速力で検索させた。
え〜と。亡くなった中将の奥さんで………成る程、そういう事か。
「ちょ、ちょと御爺様!」
おっと。此処はこのまま進めた方が都合が良いな。
「いや、思い出のパイですか。実に楽しみだな。早速頼むぜカヲリ君」
「え…ええ、判りました。
それではサラさん、アリサさん。すみませんが手伝って貰えます?」
中将を止めようとするサラ君達を制すと、俺は軽い目配せと共に、エリーヌ夫人の大雑把な情報と咄嗟に立てた作戦を伝えた。
それを受け、注文通りに、さり気無く二人を連れ出してくれるカヲリ君。
以心伝心成らぬ、アークを基点とした三角通信なのだが、口に出さなくても意図が伝わるのは実に有難い。
これも、今後なにかと役立ってくれそうな技だな。
「どういう事です提督? 御爺様の暴走を助長させるような真似をするなんて」
キッチンに着くと同時に、サラ君が激しく詰問してきた。
アリサ君の方は、しきりに中将の居るリビングの方を伺っている。
どうやら、本気で○○老人化したと思っている様だ。
無理も無い。俺自身、裏付が取れるまでは、その線を疑っていた位だからな。
「それなんだが。この話どう思う? サラ君、アリサ君」
「似ているのであれば此処まで心配しません!
確かに、幼い頃アルバムで見せて貰った御婆様は、栗色の髪で青白い肌をしていました。
でも、顔の造詣は基より、全体的な印象が違いすぎます」
「ええ、まるでイメージが重りません。
彼女の容姿は、『似ているか?』と問われれば、御婆様より寧ろ私達………いえ、姉さんに近い感じのものですよ」
それとなく匂わせてみたが、サラ君の視点ではエリーヌ夫人とカヲリ君が全く重ならないらしく、尚も言い募ってくる。
それを後押しする様に、アリサ君も俺の説得に加わってきた。
仕方が無い。これは少々不自然な形になっても、強引にエリーヌ夫人=カヲリ君説を推し進めるしか無さそうだ。
さ〜て、どう言ったものか。う〜〜〜ん、よし。
「え〜と。確かエリーヌ夫人は、君らが産まれる前に病死したんだったよな」
「はい。もう30年以上も前の事です」
「エリーヌ夫人は、先天的に病弱だったのかね?」
「それが、御父様も御爺様も、御婆様の事は何も話してくれなかったので………アリサ、知ってる?」
「いいえ。私も詳しい事は何も」
くっ。そう言えば、グラシス中将が出征中にエリーヌ夫人が亡くなったのが、ハーテッド家確執の原因だったっけ。
まいったな。これじゃイキナリ話が繋がらない。
え〜と、……… げっ。似ていた当時の写真が残ってないんかい。
畜生。なんで事実を証明するだけの事が、こんなに難易度が高いんだよ。
え〜と、……… 中将が23歳で二人の父親が21歳か。
よし、この線でいこう。
「そうか。それじゃ、この件は保留にして。
え〜と…そう、君らはアルバムでしかエリーヌ夫人を知らないんだろう?
それなら『十代の頃は似ていた』って事は考えられないかね?
顔なんて、歩んできた人生によって結構変わるものだ。
君達の容姿がエリーヌさんの隔世遺伝で、当時の彼女がカヲリ君張りの笑顔を浮かべる少女だったとしたら、二人はかなり似ている事になるだろう?
それに、グラシス中将と君達の年齢差から考えて、中将も君らの父親も、結婚したのは共に二十歳そこそこの頃の筈。
16〜17歳の嫁さんを貰っていたとしても、釣合は取れ無くもない。
つまり、中将の脳裏に浮かんだのは恋愛中の頃のエリーヌ夫人で、丁度カヲリ君と同世代という訳だ」
「そう言えば、御父様の小学校入学式の写真。御婆様の姿は、どう見ても20歳位だった様な………」
おお、ナイスだぞアリサ君。よ〜し、後一押しだ。
「なら、この仮説は結構的を得ているかも知れんな。少なくとも歳勘定は合う」
「でも、10代半ばで結婚なんて。
そりゃあ法的には可能ですど、普通はしないんじゃないんですか?」
「先程保留した話を持ち出してスマンが、彼女が先天的に病弱だとしたら如何だ?
結婚を急ぐ理由の一つになるし、長い闘病生活が、青白い肌と変わってしまった容姿の理由にもなる。
何より、10代云々を君らに言われるのはエリーヌ夫人も心外だろうな。君らだって婚姻届を片手にした10代の娘じゃないか」
「「あははっ、そ…そうでしたね」」
痛い所(?)を突かれ苦笑するハーテッド姉妹。
どうやら、辛うじて前後の事情を納得して貰えた様だ。
実際、即興で作った話にしては良く出来ている気もするしな。(自画自賛)
「でも、凄いですね提督。あの僅かな会話から、ここまで状況を把握するなんて」
「本当に大した推理力ですね。まるで、当時の出来事を見ていたみたいです。」
二人の尊敬の眼差しが、俺のなけなしの良心を抉る。
すみません。実際、見てきたんです。ダイジェストで。
ううっ。気が付けば、俺って存在自体が『ノックスの十戒』に抵触しているな。
そのうち、推理小説ファンに後ろから刺されそうだ。
「えっと…それはそれとして、パイの方は如何するつもりなんです提督。
カヲリさんは言うに及ばず、私達だって、御婆様の料理のレシピなんて知らないですよ。
そりゃあ、似ても似つかないパイを作って貰うのも一つの方策かも知れませんけど、あんなに盛り上がった状態ではショックが大き過ぎませんか?」
○○老人疑惑が薄れた御蔭で、先程までより柔らかい物腰でサラ君が尋ねてきた。
今度は事態の収拾方法だが、俺としてはこのまま終ってもらっては困る。
そう、問題は此処からなのだ。
「それについては大丈夫だ。カヲリ君は必ず思い出の一品を再現するから、フォローの方を宜しく頼む」
「「はい?」」
「だからさ。中将はカヲリ君が気に入ったみたいだから、俺としては『このまま彼女を引き取ってくれたら良いな』って、思っているんだよ。
そういう意味じゃ、此処で華麗に『思い出のパイ』を作って見せたら、かなりポイント高いだろ?」
「「え…ええ」」
此処に来る前までは想像すらしなかった手だが、この状況なら何とか成りそうな気がする。
当然、狙いはカヲリ君の立場の強化だ。
何せ、ある意味カヲリ君は、北斗以上に世界のパワーバランスを揺るがしかねない存在。
そんな彼女が健全な社会生活を送る為には、その特異性を隠し通せる立場にある後見役が絶対に必要になる。
当初は俺自身が務めるつもりだったが、グラシス中将ならモアベターだろう。
そして今、切っ掛け作りに恰好の状況が此処にあるという訳だ。
「でも、本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、パイについては問題ない。寧ろ、問題なのは君達の方だ。
今更という気もするが、今後の生活にかなりの影響が出るかもしれん話だ。反対なら、今のうちに言ってくれ」
流石に困惑顔を浮かべる二人。
だが、僅かにアイコンタクトをしただけで、その色は消えた。
「提督の仰りたい事は判りますが、それは杞憂と言うもの。こう見えても、妹の誕生を祝う位の度量はあるつもりです」
「もちろん私もです。
性格的にも上手くやっていけそうな娘だし、何時ぞやのラピスちゃんの『アキトの娘』発言に比べれば大した事じゃありません」
うんうん。君達ならそう言ってくれると思っていたよ。
まあ、いきなり『妹』云々は行き過ぎだと思うが、そこまで考えて出した結論だと思えば、頼もしい限りだ。
かくて俺は、既に準備を始めていたカヲリ君に、中将思い出の一品のレシピを伝授しGOサインを出した。
(あの、本当にこの通りに作るんですか?)
さも呆れたような思念波が帰ってきた。
俺には料理の知識が無いので何処が拙いのかは判らないが、そのニュアンスからして、かなりセオリーから外れたレシピらしい。だが、
(勿論だ。中将にとっての思い出の一品。問題なのは、その一点であって味じゃない。この際、少々不味くても一向に構わんよ)
(わ…判りました)
西欧州の家庭料理「チコリパイ」
〈材料〉 チコリ ・・・ 500g パイ生地 ・・・ 適量 ベーコン ・・・ 100g
玉ねぎ ・・・ 小1個 チーズ ・・・ 100g サワークリーム ・・・ 20g
塩・コショウ ・・・ 少々
〈作り方〉オーブンを200度に温めておく。
玉ねぎ、ベーコンをそれぞれ小さ目に切る。
フライパンにバターをしき、玉ねぎ、ベーコンがやわらかくなるまで炒める。
炒め終ったら、サワークリーム、チーズを加え、2、3分フライパンで温めながら混ぜ合わせる。
塩・コショウを振り、チコリと一緒にパイ生地の中に入れて、20分間オーブンで焼く。
チ〜ン
「出来上がりよ。一応ね」
な…なんかパイ生地が、えらくモッタリしている様な………
「これは、チコリから出た水分よ。詰め物の具に水物を使ってはダメってことね」
カヲリ君は、パイの下部を指差しながらそう言うと、達観した顔でグラシス中将の待つルームまでパイを運んだ。
そして、そのまま彼女自身の手によって切り分けられ、俺の前にも給仕された。
「では、頂こうか」
グラシス中将に促され、問題のパイを食す。
パクリ………
嗚呼、ベーコンとチーズの油分を吸い取ったパイ生地が、チコリから出た水分の生臭さを確りと支え、
中のチコリの肉厚でしっかりとした歯ごたえと、油分の抜けたチーズとが絡み合って、と…兎に角苦い。(泣)
「おお、これだ! 間違いなくこの味だ!!
この菊芋科の野菜独特のイヌリン(多糖類)とインティビン(辛味成分)が絡み合った苦味を殺す事なくパイに閉じ込めた………………」
何やら中将が、それっぽい薀蓄を語っているが、俺にはまるで聞き取れない。
とゆーか、頭がこのパイへの賛美を聞く事を拒否している。
ああもう、なんか知らんが苦味以外の感覚が麻痺しているかの様だ。
「ん? どうしたんだね二人とも。食が進んでいない様だが、口に合わなかったかね?」
パイに手を付けようとしないのを不審に思ったのか、中将は孫娘達に声を掛けた。
一応疑問形で尋ねてはいるが、目が『美味しいだろう』と訴えている。
この状況、二人は如何出るだろうか? 上手い手だったら便乗させて………
「い、いえその。とても美味しいですよ。でも、これを見ると、つい御父様の事を思い出してしまって」
「そ…そうそう。久しぶりに見る御婆様のパイなのに、もう胸が一杯で」
って、ちょっと待て。何故君らまで祖母のパイについて熱く語る!
いやそれ以前に、エリーヌ夫人が亡くなったのは君達が生まれる10年以上も前の話。久しぶりも何も無いだろうに。
さては逃げる気だな。俺を人身御供にして逃げるつもりなんだな!
「そうか、それでは仕方が無いな。
御土産として持たせてあげるから、落ち着いてからユックリ食べなさい。
ああ。何時も通り二つ焼いてあるんだろう、エリーヌ?」
「ええ、まだオーブンの中に一つ残っています。ですが、私はカヲリです」
「おお、そうじゃった、そうじゃった。それではカヲリ、御代わりを頼む」
「はい。(カチャリ)」
かくて、色んな意味での問題を多数抱えつつ、一見和やかに見える昼下がりの御茶会は、尚も続いた。(泣)
「そう言えば、一国一城の主となった感想は如何かね。地球連合軍火星支部司令官オオサキ シュン殿?」
なんとかパイを半分ほど胃に収めた頃、中将が何やら世間話を振ってきた。
惰性で俺は返事を返す。正直、もう殆ど頭が回らない。
「止して下さい、そんな呼び方。事実上の左遷だって事は御存知でしょう」
「おいおい、今更左遷がどうこうと言う様な君ではあるまい。寧ろフリーハンドを与えられた事を喜んどるんじゃろう?」
「いや〜、西欧州ならまだしも火星ですからね。折角の自由も使い道がありませんよ。
なんせ、出世したってのに生活レベルは格段に落ち込んだ位でして」
「はははっ。常在戦場の気構えを持つ君といえど、戦場為らざる最前線で寝起きをするのは辛いかね。
だが、そう悲観したものでもないぞ。君は提督としてはまだ若いことだし、今日の苦労が役立つ日がきっとくるだろうて」
ははっ、苦労? 苦労って何?
笑顔で殺人パイを食べる事? 後ろに鎮座している御土産のプレッシャーに耐える事?
嗚呼、カヲリ君。君は何故そんなに平然としていられるんだい?
いっそ俺も使徒に成りた………
ガチャン
「提督! しっかりして下さい提督!」
あれ…俺、倒れたのか? 世界が揺れる。いや、もう何も見えない。
「脈拍は………ほぼ正常。瞳孔が開き気味。う〜ん、どうも極度の緊張による急性カンテン症みたいね」
「成る程のう。
司令官とは、常に緊張を強いられる過酷な職種、無理もあるまい。
こんな事になったのも、久しぶりのアットホームな雰囲気に気が緩んだ所為じゃろうな」
ううっ、どこかで勝手な事をほざいているジジイがいる。
それが俺の脳裏に浮かんだ最後の言葉だった。