〜 18:45 BAR 花目子 〜
一日の労働を終え、取り合えず、花目子へと足を向ける。
これは、別に一杯ひっかけるのが目的と言う訳ではない。
使徒娘達の保護監察官として、保護対象である使徒娘の近況を視察するという『重要な職務』を果たす為である。
そう。転生から約1週間後。つまり、今から約一ヶ月程前。
幾つかの職場を見学した後、アニタ君は此処花目子に就職した。
なんか知らんが、マキ君のキャラクターを気に入ったというのが主な理由らしい。
本当に、価値基準の良く判らない娘である。
「最後のキスもう一度〜、誰よりも愛してる〜」
そして、そんな彼女に会う為に、マスオは暇さえあればやって来て、こうしてラブソングを歌っているらしい。
思わず『プロポーズまでしといて何やってるんだよ、お前は!』と、ツッコミたくなるような展開だが、これはもう仕方ない。
何せ、既にアニタ君に『アイムソーリー』されてしまっている身。こうして彼女の前に顔を出せる事だけでも、寧ろ賞賛すべきだろう。
意外にも、彼は中々の美声で、結構良いBGMとなっている事だし。
「ア…アニタさん、何時ものヤツを御願いします」
何曲か歌った後、盛大に赤面しつつ、消え入りそうな声でカウンターのアニタ君に注文をするマスオ。
既に玉砕している身とはいえ、信じられない様な及び腰である。
まあ、此処で気の利いた立ち振る舞いが出来るくらいなら、某組織なんぞに入る筈が無いと言えばそれまでなんだが。
「OK、マスオ。3・2・1・ファイヤー!」
注文通り、アニタ君は鳥の照り焼きを差し出すと、指先から炎を発して軽く焦げ目を付けた。
これが彼女の特殊能力『パイロキネシス(発火現象)』である。
今でこそ、この様に平和利用されているが、出力を上げれば、嘗ての様な熱線砲を撃つ事も可能らしい。
おまけに、純粋な腕力も、現時点では使徒娘中最強と、コンスタントな強さを誇っている。
もっとも、その優れた戦闘力も、一介のバーテンに納まった現在では、偶におこる揉め事の仲裁くらいにしか使い道が無いのだが。
などと、俺が酔いに任せて『一寸もったいなかったかな〜?』と『いや、これが彼女の天職だろう』の間で思考を彷徨わせていた時、
「大変です提督!」
突如、もっとも彼女の手を煩わせた男が、息せき切って飛び込んできた。
「どうしたナカザト、そんなに慌てて。
とゆ〜か、まだ此処への出入禁止が解けてないだろ、お前」
いや〜、アレは本当に酷かった。
第二回模擬戦の開催が決定した直後の祝杯だった所為か、完全にタガが外れていたからな。
昔日の惨劇に、思わず身を震わす。
だが、ナカザトによってもたらされた報告は、それさえも上回る悪夢の様なものだった。
「自分が禁止されているのは、この店への入店ではなくアルコール類の注文だけ………いえ、今はそれどころではありません。
先程、送られてきましたボナパルト大佐からの報告によりますと、あの日以来、例のゲキガンガー3の放送が今も週一で続いており、
しかも、各国の放送局は、既にその時間帯での放送を諦め、試験放送に切り替えているとの事です」
「そんな馬鹿な! ヤマダはあの日以来、特別隔離室に拘束してあるし、
ダッシュだって、ホシノ君に頼んで徹底的に折檻した上で、放送関係のプログラムにロックを掛けてある筈だぞ!」
「それなのですが、初回以降の放送の実行犯は御剣中尉であり、
事が露顕した際、彼女が焼却処分しようとしていた指令書の断片を読む限りでは、その黒幕は東中将らしいとの事です」
な…なんてこったあ!
あの御剣君がスパイだったなんて………って、違うだろ!
畜生! 要は、ヤマダと御剣君の仲を進展させる為のネタ作りなんだろうが、もうチョッと手段を選んでくれよな、まったく。
と、内心毒付く俺。だが、もたらされた凶報はこれだけではなかった。
「それと、地球に出向中のプロスさんからの報告によりますと、西欧州に不穏な動きが。
昨年、西欧州軍支部に配属されましたグラシス中将の補佐官に、エージェントが頻繁に接触しているとの事です」
「なんだって! クリムゾンか!?」
「いいえ、明日香インダストリーです!」
さ…最悪だ。
『一応』、明日香は味方陣営って事になってるから、フリーマン准将も無碍な扱いは出来ないだろうし、
万一、あの切れ者がカグヤ君の陣営に取り込まれでもしたら………
「提督、いかが致しましょう!?」
え〜い! こんな大問題をアッサリ解決出来る脳味噌があったら苦労せんわい。
内心愚痴りつつも、それが顔に出ない様に注意しながら必死に打開策を模索する。
そう、俺は司令官。ピンチを前に動揺する所など、見せてはいけない立場の人間なのだ。
「よ〜し。こうなったら最後の手段、毒を持って毒を制すだ!」
暫しの沈思黙考の後、俺は思いついたばかりの無茶な策の実行を決めた。
本音を言えば、全体会議を開いて広く知恵を借りたかったが、早急な対応が求められる以上そうもいかない。
おまけに、艦長や大佐といった軍師に相談しようにも、これはあの二人向きな問題じゃないし。
「と言いますと?」
「初回だけなら、番組宣伝なり特別映像なり誤魔化す言い訳は幾らもあったが、既に放送が3話目を数えている以上、もう止める訳にいかん。
放送事故を認める事になっちまうからな。
だから、一寸でも視聴率を減らす為に裏番組をぶつける。
そうだな………取り敢えず、『なぜなにダークネス』でもやるとするか。
ついでに民放形式にして、例のCMも流すぞ」
ううっ。正に『肉を切らせて骨を断つ』つう感じの策だよな、コレって。
だが、次のゲキガンガー3の放送までに用意できそうな番組って他に無いし。(泣)
「そんな! 本気ですか、提督。
あんなものを…それも、ダークネスからの発信で流したりしたら、マーベリック社は潰れかねません!」
「別に潰れても構わん。とゆ〜か、半分は潰すのが目的なんだよ。
トライデント中隊の専用機は、既に全機完成しているんだ。
各種メンテナンス分の資金も、予めCM料って形でガッポリ徴収しておけば良い。
んでもって、アレが倒産すれば、グラシス中将も少しは反省して、本業の方に身を入れる筈。
そうなれば、カグヤ君陣営の裏工作にも充分対応出来る」
万一、資金が足りなくなったら、何処かの会社にM&Aでも仕掛ければ良いしな。
その為のノウハウは、ラピスちゃんとハーリー君の頭の中にある。
イザとなったら、スポンサーの再設立なんて何時でも可能だ。
「や…破れかぶれな策ですね」
「五月蝿い! そんな事は、俺自身が一番良く判っている。
つ〜か、文句があるなら案を出せ、案を! その為の副官だろうが」
呆れ顔で嘆息するナカザトに、逆ギレ気味に説教する。
頭の冷めた部分では八つ当たりだと判っているが、どうにも納まりがつかない。
酔いも手伝ってか、俺の理性は開店休業中の様だ。
「つ〜ワケで諸君、明日の朝礼に先駆けての重大発表だ。
我々ダークネス首脳部は、毎週土曜日に放送する30分番組を広く募集する。
厳選な審査の元、全部で5〜6本位採用する予定なので、振るって応募してくれ!」
ナカザトを黙らせた事で更に調子に乗ったらしく、ついには、まだ草案に過ぎなかった策を勝手に発表してしまう。
一瞬の沈黙の後、歓声に包まれるBAR花目子。
その喧騒を背にした時、よ〜やく冷静さを取り戻したらしく、俺は己の失敗に気付いた。
そうだよ。何も、オリジナルに拘る必要なんてない。
それこそ、2199年の定番番組だって構わなかったんじゃないか。(爆)
だが、ああも盛り上げてしまった以上、今更、取り消す訳にもいかない。
『さらば〜優しき日々よ〜、も〜う、戻れない〜』ってヤツだ。
「おごりましたね提督。これオゴリです」
「ミーからも、プレゼント・フォー・ユーね」
後悔に沈む俺の前に、マキ君とアニタ君から、銘酒『男盛り』と、マスオの定番メニュー『青い小鳥亭風 若鶏のティソダー焼き』が差し出された。
どちらも、ちょっぴり涙の味がした。
「マキ イズミのお笑い道場、どうじょ宜しく」
「ミーもスチューデント役でハッスルするよ」
って、慰めてくれたんじゃないんかい。
>SYSOP
〜 木連 カグヤオニキリマルの別荘 〜
その同時刻、別荘地下に設けられた対盗聴対策済みの一室にて、カグヤとエマ中尉が、ひっそりと会談を行っていた。
「………という訳で、昨夜19:54。第一班は、尾行中のオオサキ准将をロスト。
彼を中心とした半径3km周辺に予め配置させてありました第二班から第九班によるローラー作戦による捜索でも、
再発見は出来ませんでした。
また、火星駐屯地に潜り込ませてあったカデナ ウキョウ曹長からの報告によりますと、
その時刻の前後一時間、イネス博士は愛弟子を相手に医術の講義を行っていたそうです。
無論、ミスマル大佐についても、同様にアリバイが確認されています」
一部の隙も無い冷徹な表情で、淡々と報告を行うエマ中尉。
だが、直属の上司であり、彼女の幼馴染でもあるカグヤには判る。
彼女が、嘗て無いほど興奮しているのだと。
「つまり、これで五人目のA級ジャンパーが居るのは確実ということね」
「イエス、マム」
「その内、シュン提督の所に三人…いえ、アキト様も含めて四人かしら。
(クスッ)その気になれば、何時でも太陽系征服に乗り出せますわね」
からかう様にそう宣うカグヤ。
だが、徹底した現実主義者のエマ中尉にとって、それは冗談でも夢物語でもない。
「笑い事ではありません。
カグヤ様。この際ですから、はっきり申し上げます。
オオサキ准将は危険過ぎます。早急に排除すべきです」
「あらあら、ホウショウったら。どこかの政治家さんみたいな事を言い出して。
いったい、シュン提督の何所が危険だと言うの?
各分野の天才達の忠誠を、一身に集めている事?
それとも、明日香のエージェントが総力を結集して尚、いまだ発見出来ずにいるA級ジャンパーの一人を隠し玉にしていた事?
そうそう。暫定的にとは言え、あの真紅の羅刹までが、あの方の配下に加わっていましたわね。
正にオールスターチーム。敵対陣営としては悪夢の様な編成よね。
でも、私は危機など感じていませんわ。だって、あの方は敵ではありませんもの」
「表面的にはそうかも知れませんが、潜在的には最大の敵です。
まして、今となっては、その表面部分さえ信用出来なくなりつつあります。
あの日、オオサキ提督を見張らせていたのは、本来ならば決して撒かれる筈の無い実力を持ったチームでした。
それが、ジャンプシーンを目撃するどころか、口を揃えて『気付いた時にはもう見失っていた』と言い出す始末。
こんな事は、彼の個人戦闘記録と、全く合致しません。
つまり、過去のデータは、総てが捏造である可能性さえ………」
尚も淡々と諫言を続けるエマ中尉。それを手を振って制すと、
「や〜ね、ホウショウ。だから面白いんじゃない」
と言いつつ、カグヤは、いまだ腹心中の腹心である彼女にしか見せたことの無い類の微笑みを浮かべた。
〜 同時刻 火星工事現場 〜
ウワ〜〜〜ン、ウワ〜〜〜ン
「ん? もう交代の時刻だべか。
お〜い、ゲンドウ。そこのブル、アガル前にカタしといてくれっかの?」
「問題ない」
「んじゃ、頼んだでよ」
ブルル〜
三々五々現場を後にする作業員達の間をすり抜け、ゲンドウは、ゆっくりとブルドーザーを定位置へと進めた。
その右手には、IFSの紋章が光っている。
「(チラッ)19時8分。作業時間には1%の超過もない」
キャタピラにストッパーを噛ませ念入りに固定処置を行った後、時計を確認しつつ立ち去るゲンドウ。
見るからに怪しい言動と言うか、滲み出る様な横柄さと言うか………
兎に角、尋常ではない人物というイメージこそ払拭されていないが、その仕事振りは勤勉でソツがない。
そう。亡き妻に一目巡り合う為に、全人類を集団自殺の道連れにしようとした愚かな男など、もう、どこにも居はしない。
運命のあの日より、彼は生まれ変わったのだ。
『本気だべか?
そりゃ、ブルやシャベルを動かせる奴が増えればオラっちも助かるだけんど。
コレって、まだまだ偏見を持ってる奴も多いでよ』
『人に疎まれる事には慣れている』
そんな経緯でIFSを入れ、重機を操る上級職にクラスチェンジ。
また、作業員間での揉め事に対しても、
『その辺にしておけ。要は、こいつ等を真っ当に働かせれば良いのだろう?』
といった感じで仲裁。
自称カメラマンの問題児三人組を引き取り、『まったく働かない』から『ちょっと怠け者』にまで更生させたりもした。
そんな事もあって、元々外観や経歴には余り拘わらない集団ゆえ、今では作業員達の間での評判も上々である。
「……………ユイ」
宿舎に帰る道すがら、遠目に最愛の妻の眠る初号機のコアを見つけ、一人、物思いに耽るゲンドウ。
その顔は、前日に行われた決闘で見せたシンジの表情と何所か似通っており、彼等が親子である事を窺わせるものがある。
そう。地獄の特訓に耐え抜いた息子に勝るとも劣らぬ固い決意で、彼の胸は燃えていたのだ。
〜 四十日前、火星駐屯地 〜
「キャ〜〜〜ッ!!」
ゲンドウの新たな闘いの日々。それは、このレイナ=キンジョウ=ウォンの悲鳴から始まった。
此処で、彼の名誉の為に、これだけは断っておきたい。
この時点では、悲鳴を上げられる様な事は何もしていないし、その意思も彼には全くなかった。
只単に、現状を把握する為の情報収集の一環として、工事の発注元から来たらしい彼女に声を掛けただけである。
だが、その時、奇しくも周りに人影が無かった事が災いした。
ドカ
バキ
グシャ
TV版の人物像というフィルターが掛かって事もあって、レイナは例のアレだと誤解し、過剰なまでの防衛行動に出たのである。
そんなこんなで、転職3日目にして、ゲンドウは入院生活を余儀なくされた訳なのだが、彼にとってはこれが、正に人生のターニングポイントだった。
彼が知る物よりも、遥かに発達した作業機械。
同僚達の会話の内容と、あり得ない軌道で動く太陽に月の見えない夜空。
そして何より、暴行を受けるその過程で、薄れゆく意識の中で聞いた、逆上したレイナの発した言葉の断片。
それらの情報を、病床の上で一つ一つ丹念に検証した結果、
此処は2199年の火星だが、同時に2015年の世界とも繋がっている事。
此処の上層部は、裏死海文書に関する正確な知識を持っており、ある人物(女性職員にとっては意中の相手)のサルベージを目的として活動している事。
その為の方法と手段は既に確立しており、後は第17使徒を倒すのを待つばかりである事。
といった情報を得る事が出来た。
これは、ゲンドウにとって正に福音。
これまでに築き上げてきた物を総て失った代償に得た、未来への希望だった。
かくて、彼は人類補完計画を完全に破棄。
アキト奪回計画が最終段階に入ったドサクサに上手く立ち回り、アキトの代わりに最愛の妻をサルベージさせる事を狙う『碇ユイ奪還計画』を立ち上げたのである。
ちなみに、計画を練っている時の顔が余りにも怪しかった所為で、意識が戻ってから僅か3時間で病室を追い出される事になったりもしたが、そんな事でめげたりはしない。
早急に活動の自由が得られた分、寧ろ幸いだと考える。
そんな強烈なポジティブシンキングこそが、彼の最大の武器だった。
「ダンナ、賭場の支度が整いましたぜ」
物思いに沈む彼に、カメラマンAこと青山キシンが声を掛けた。
「問題ない。総てはシナリオ通りだ。(ニヤリ)」
御約束のセリフを吐きつつ、出来たばかりの部下を従え新たな戦いの場へと赴くゲンドウ。
そう。まずは活動資金を得る事が、計画成就への第一歩だった。
〜 同時刻 2015年 15:00 第一中学校2A 〜
「………そのころ、私は利根川に住んでいましてねえ」
キ〜ン、コ〜ン、カ〜ン、コ〜ン
「おや、もうこんな時間でしたか。矢張りブランクは隠せませんな」
嘆息しつつも、どこか名残惜しそうにそう呟いた後、
「それでは、些か尻切れ蜻蛉ではありますが、私の授業とHRはこれで終わりです。
短い間でしたがお世話になりました。(ペコリ)」
北斗が不在の間、その代理を務めていた元教師の金田平八郎(68歳)は、淡々と別れの挨拶を告げ、2Aの教室を後にした。
「(ハア〜)これでまた、来週からは北斗先生が教壇に立つのよね」
その後ろ姿を見送りながら、ヒカリは暗い顔でそう呟いた。
公明正大を絵に描いた様な彼女だが………
否、この場合はだからこそ、非常識と固くイコールで結ばれている北斗の言動が、かなりのプレッシャーとなっている様だ。
「まあ、そう言うなよ委員長。
良いじゃないか、北斗先生が帰ってくるって事は、あの二人も帰ってくるって事なんだから」
「な、何を言っているのよ相田君! 私は別に、鈴原の心配なんてしていないわよ!」
シュン提督より新たに依頼された御仕事の準備をしながら、からかいの声を掛けたケンスケに、赤面しつつそう絶叫するヒカリ。
これでなお、彼女自身は『誰も知らない秘めたる恋心』だと思っているのだから大したものである。
まあ実際、意中の相手には全く伝わっていないのだから、ある意味、完璧な隠蔽であると言えない事もないのだが。
「まあ、そういう事にしておきましょうかね。(ガシャン)よし、完成っと」
気の無い返事を返しつつ、折畳式の資材運搬用キャスターを組上げると、
「さ〜て、帰るよ日暮さん。
あっ。今日こそは、玄関までは自分の足で歩いてね。正直、階段は一寸キツイから」
二週間前に転校してきて以来、総ての授業を居眠りして過ごす眠り姫を促し、下校の準備を始めた。
〜 同時刻 某環状線電車内 〜
第3新東京市を周回する環状線。
旧世紀において、『ま〜わる緑の山○線、真中通るは中○線』と歌われた物を模した線路を走るその電車内で、ミサトは半ば放心したような表情で座っていた。
電車は回る。彼女が乗り込んだ始発から数えて17周目に入った現在も。
空いている時もあればラッシュになった時もあった。
だが、彼女の周りには常に変わらぬ空間が広がっていた。
足元に転がる空き缶の数だけが、もたらされる唯一の変化だった。
そんな、駅乗務員でさえも声を掛けるのを躊躇う環境の中、座り続ける彼女の脳裏を只一つの言葉が回っていた。
(中学生に負けた。中学生に負けた。中学生に負けた。中学生に負けた。中学生に負けた。中学生に負けた。中学生に負けた)
8時間後。永劫に続くかと思われた周回運動も、終電という形で終わりの時を迎えた。
と同時に、ループ状態にあったミサトの思考も、漸く前へと進みだした。
『北斗君の見立てでは、本来なら7:3だったそうよ、貴女が勝つ確率』
昨夜、目覚めた後に、リツコから聞かされた話がリフレインする。
『そう。監視カメラに写ったあの特訓映像は、貴女を油断させる為の撒き餌だったのよ。
笑っちゃうわよね、最初から欠片も信用されていなかったってなんて。
まあ、実際、結果は彼の読み通り。正にグウの音も出ないんだけれど』
そんな愚痴混じりの説明に、己の敗北を改めて実感。
居た堪れなくなって赤木ラボから逃げ出し、今現在に至るのである。
「そうね。確かに、予備知識無しでアレをかわせる確率はその位だし、その後は接近戦を選んでいた筈よね。
実際、あれは助走距離が無ければ出せない技なんだし。
(ハア〜)とどのつまりは自業自得か〜」
溜息を一つ吐いた後、ミサトは電車を降りた。
「アイツ、今頃、どうしているかしら。
祝勝会………って、そんなガラじゃないわよね。まあ、浮かれてはいるだろうけど」
そんな事を考えながら、フラフラと夜の繁華街へと歩き出す。
ちなみに、その『アイツ』とやらは、木連秘伝のドーピング薬の効果が切れ、
二週間分の筋肉疲労が一気に押し寄せた所為で、現在その親友共々昏睡状態に陥っていたりするのだが、これは、彼女には関係の無い話だ。
途中、ガード下の赤提灯で、更なるアルコール分を補給。
絡んできた酔漢どもを返り討ちにして憂さ晴らし。
そんな悲喜交々の一幕を経て、オールナイトの映画館を見つけたミサトは、そこで夜を明かす事にした。
「なによ。こんなの嘘っぱちじゃない」
皮肉な事に、映画はセカンド・インパクトのドキュメント物だった。
南極に居合せた葛城調査隊の視点で撮られたソレは、ミサトにしてみれば、正に茶番としか言い様がない。
何しろ彼女は、その唯一の生き残り。歴史の生き証人なのだから。
「そう言えば、もう何年も墓参りに行っていなかったわね。………まあ、良いか。どうせ誰も居やしない墓なんだし」
そう呟くと、ミサトはゆっくりと目を閉じ、眠りについた。
翌日。なんとはなしに、薄原を流離うミサト。
本来ならば、迷彩服を着た某少年がモデルガンを抱え、
『ズダダダッ! グワァ〜ッ!』
『小隊長殿っ!』
『行け! 俺に構わず行くんだ相田!』
『自分は………自分は、小隊長殿をおいては進めません!』
と、一人芝居を演じていた筈の場所なのだが、某提督の陰謀によって多忙を極める彼は、そんな電波な事をやっている暇など無かった。だが、
「あら、こんな所に缶詰が。
レトルトのカレーと飯盒まであるじゃない。ラッキー」
テントの方は常駐したままだったので、図らずもTV版のシンジ同様、その場でキャンプ生活を始めるミサトだった。
数時間後。腹が膨れた事で眠気を催し、彼女には些か小さ過ぎる寝具に包まって、昼下がりの午睡を楽しむミサト。
だが、彼女の安眠は、昼寝と呼ぶには些か苦しい夕暮れ時に終わりを告げた。
「NERV保安一課の者です。冬月司令代理の命令により、あなたを連行します」
遠慮がちな誰何の声に目を覚ますと、彼女の周りを、黒服にサングラスの男達が取り囲んでいたのだ。
「れ、連行って。ア…アタシはチョっち、休日をアウトドアしているだけよ。別に逃げ出した訳じゃ………」
青い顔で必死に抗弁するミサトに、保安部職員の一人が止めを刺す。
「冬月司令代理より『君には、果たさなければならない責務がある筈だよ』との伝言を御預かりしています」
「って事は………やっぱ、北斗君絡み?」
躊躇いがちに頷く黒服達。北斗の事は、もう完全に周知の事実となっている様だ。
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
脱兎の如く逃げ出すミサト。だが、その道のプロ達が黙ってそれを許す筈もなく、
「(ガシッ)只今、目標の確保しました。これより、そちらに御連れします」
黒服は彼女を両脇から押さえ込むと、そのまま担ぐ様に連行していった。
十数分後。尚も往生際悪く抵抗を続けるミサトに閉口しつつも、保安部職員は目的地へと到着。
「降ろして! 放して! 見逃して! お願いよ〜!!」
「少しは落ち着きたまえ。別に、取って食われるという訳じゃないだろう?」
その醜態に顔をしかめつつ、山岸課長は彼女を諭しに掛かった。
そう。彼としては、ミサトに自分の足で向かって貰わなくては困るのである。
無闇に力をひけらかす暴君ではなく、今時珍しいくらい律儀な性格。
此方が礼を持って接する分には、決して無体な真似はしない人間。
これが、北斗をつぶさに観察して出した山岸課長の答えだった。
彼の経験から言えば、ある意味組し易い相手とも言える。
だが、対応をしくじった時の予想ダメージは只事では無い。
だからこそ、約束を違えるという、北斗が覿面に機嫌を損ねそうな事態は、絶対に回避しなければならないのだ。
「何言ってるのよ!
頭からバリバリ食われるに決ってるじゃない。相手は人の形をした怪獣なのよ!」
こらアカンでや、完全に幼児退行しちょる。
と、内心、つい出身地の方言でツッコミを入れてしまう。
だが、このまま諦める訳にもいかない。
仕方なく、噛んで含める様に、『同居している碇シンジは、まだ生きている』とか
『彼と何度も敵対した保安部の人間でさえ、最大でも全治10日程度の怪我で済んでいる』といった基礎的な事から、
『イザとなったら、紫苑零夜に泣き付けば、影護北斗は手を出せない』という、彼自身にとっても最後の手段まで教え、ミサトに翻意を促した。
チョッとだけ、赤木博士の苦労が偲ばれる山岸課長だった。
「わ…判ったわよ。
も〜ヤケよ! コッチから行ってやるわよ。どうせ、逃げ切れる相手じゃないし」
山岸課長に促され、口では威勢の良い事を言いつつも、鉛よりも重い足取りでコンポート17の自室へ向うミサト。
そして、半ばヤケクソ気味にドアを開けると、そこには綺麗に掃除された部屋の中、スキヤキ鍋を囲んだ北斗達が居た。
「おお、やっと来たか」
そう言いつつ、優しい笑顔を(ミサトビジョン)向ける北斗と零夜。
(私、馬鹿だ………)
此処に来て彼女は、自分の目が、復讐心と焦りに曇っていた事を実感した。
北斗やシンジに対し、加害者でありながら一方的に絡み文句ばかり言っていた事。
作戦部長でありながら、使徒への復讐心を優先させる余り、大局を見失っていた事。
何より、人の善意というものを信じられなくなっていた事。
それらが走馬灯の如く胸に去来し、深い悔恨と共に、目の前の出来事に感謝の念が沸いてくる。
「あ…有難う北斗君!
ええ、今日はもうトコトン飲みましょう! 自慢じゃないけど、お酒だけは売るほどアンのよ!」
目を潤ませつつも、たちまち生来の調子の良さを取り戻すミサト。
挨拶もソコソコに意気揚々と冷蔵庫を開けエビちゅを取り出そうとする。
たが、常に満杯に入れてある筈のそれが、何故か一本も入っていない。
すぐ横に、酒屋が開けるくらい箱で積んであった物も同様だ。
「約束通り一ヶ月間禁酒して貰いますよ」
呆気に取られるミサトに、三時間程前に復活したばかりのシンジが、チョッと意地悪な顔をしてそう言った。
無論、これは意趣返しを目的としたものなのだが、さほど悪意がある訳では無い。
それどころか、先程のセリフには『健康の為、少しお酒は控えた方が………』という、ささやかな善意すら含まれている。
そう。単にTV版とは異なり、ミサトの生態について殆ど知らない為、
これが、死刑宣告よりは多少マシ程度でしかない過酷な罰則である事には気付いていないだけなのだ。
「お前には慰謝料を払って貰わなければならん。鋭気を養ったらキリキリ働け」
「……………ハイ」
北斗の止めのセリフに、放心しつつガックリと頷くミサト。
「葛城さん、はいコレ。丁度、煮上がった所なんですよ」
落ち込みつつも食欲には勝てず、零夜から小鉢を受け取り、いい感じで煮えているスキヤキに舌鼓をうつ。
牛肉ばかり目の敵にして摘み、同類のトウジと衝突した挙句、二人揃って零夜に叱責される。
テーブルの下で、一羽(?)黙々と自分の取り分を啄ばむペンペンがチョっち羨ましかったりする。
アルコール分を求めて発作的に絶叫し、北斗達の失笑を買ったりもした。
彼等の笑顔を睨みつけつつ『アタシの感動を返して!』と、内心で毒付いてみる。
だが、何故か悪い気はしていない。
最低で最高な夕食会の一コマ。そして、彼女達の心の距離が、少しだけ縮まった瞬間だった。
『次回予告』
他人との接点を最小限にとどめ生きてゆく少女、綾波レイ。
その彼女が唯一(?)、心を開いている人物は碇司令だった。
自分よりも父親に近い少女にシンジは戸惑う。
心の収束を待たずして第5使徒の放つ光がダーク・ガンガーを焼く。
ガイの絶叫が御茶の間に響く。
次回「レイ、心の目覚め」
神の意を受けるのは誰か。
あとがき
あけまして、おめでとうございます。
新春を寿ぎ皆様の御健勝と御多幸をお祈りいたします。
新年と共に、漸くミサトを予定のポジションに付ける事が出来た事に胸を撫で下ろしている、でぶりんです。
これもひとえに、このような拙い作品に御感想を下さる方達の御蔭です。
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
そして、まず最初に謝罪させて下さい。
ガンダムSEEDファンの皆様ごめんなさい。
あのような事をナカザトに言わせたのは、あくまで演出です。
かの作品に悪意はありません。ええ、本当ですとも。
実際、私はアスランたんのファンですし。
また、御感想で指摘して頂きました『23世紀が激しく薄い』という点なのですが、
此方でも何か事件を起こすと、どうしても2015年での動きに支障が出てしまいます。
おまけに、そうした後顧の憂いを断つために、一年がかりで、
オペレーション・リバースエンドの失敗によって、木連優位の形で和平条約を結ばせる。
ミルキーウェイ条約中の放送によって、舞歌>地球の政治家の図式を作る。
両国の軋轢が始まる初期段階で、海神氏を担ぎ出しその沈静化を計る。
グラシス中将の後釜に有能かつ協力的な人間をあてる事で、西欧州の協力体制はそのままに、中将の政界入りフラグを立てる。
ハーリー君を優等生にする事で、ルリをオペーレーター席から遠ざけ、彼女を起点に始まる同盟の暗躍を阻止する。
と、序章の段階でガチガチにセキュリティを固めてしまってある為、
事件自体がそう簡単には起こせず、やるとなったら、どうしても草壁クラスの大陰謀になってしまいます。
そんな訳で、一応、23世紀サイドでのラスボスも用意してあるのですが、
登場するのは、多分最終決戦直前くらいになってしまうんですよね。(爆)
それでは、多少ヒロインっぽくなった(?)ミサト共々、本年も宜しくお願いします。
PS:ちなみに、老教師の名である金田平八郎は、金八先生の本名、坂本金八を間違えた訳ではありません。彼のモデルは別口です。
それと、代理人様のお言葉に甘え、『これはちょっとやりすぎかな?』と思ってボツにした、アークの新たな陰謀を話に追加させて貰いました。
勿論この突然のパッワーアップは『最強キャラ決定戦にオオサキ提督が参戦?』という意味ではありません。
実際、彼が素直に力に溺れる様な人間では無い事をアークも良く知っています。
目的は別にあります。ようするに彼は、まったく懲りていないという訳です。
御不快でなければ良いのですが。
PSのPS:ミサトの身長は、公式設定では163cmになっていますが、本作品では172cmとしてお読み下さい。
代理人の感想
・・・・アリシア人もピンキリなんだなぁ・・・・
とりあえず上司の人、お疲れ様です(爆)。
それはさておき、落ちは一応ハートウォーミングっぽく決めましたが、殆どアル中扱いですな、ミサトはん(爆)。
まぁそっちはこれからの更正に期待しますか。w
後ちょっと注目したい点。
基本的に「君」「さん」づけの零夜がシンジのことを呼び捨てにしてますね。
割と人見知りで他人行儀なところがある彼女ですが、シンジ君にはさすがに同情してるのかいつのまにか随分と打ち解けてるようで。
ある意味、シンジの更正と同時に彼女自身も更正しつつあるのかな、と読んでて思いました。
作者の人への私信
HTMLはこんなもんで大丈夫ですが、ファイルの名前(勿論リンクも)は半角英数字でお願いします。
HTMLのファイル名は半角英数字でないと、web上でリンクが繋がらないんですよ。