〜 数時間後。ジオフロント内にある、とあるショット・バー 〜

『私は忙しいのよ』と口では言いつつも、ミサトの驕りというレアイベントを逃すのも惜しまれて。
何となく、自分でも忘れていた誕生日に唐突に子供からプレゼントを貰った母親チックな感動を覚えつつ、久しぶりに酒宴の席へ。
過ぎ去り行くこの一時を惜しむかの様にゆったりとドライマティーニを嗜む、リツコ。
ついこの間まで、急高騰したエビちゅの値段にピイピイしていた親友の姿を良く知っているだけに、感慨も一入である。
これは、同席していた加持もまた似た様な心境だったらしく、

「本日は、こうして慰安の席を設けて頂き真に有難う御座います、葛城三佐殿」

と、内心の動揺を押し隠しつつ、取って付けた様な真面目な顔で感謝の言葉を。

「って、ナニ言っちゃってんだが。
 今日だって、晴れの席に盛大に遅刻をかましていたクセに」

「………いや、スマン。どうしても時間までに仕事抜けられなくてさ〜」

ミサトの普段通りなリアクションに、どうやら心配していた様な異常事態という訳ではない事を敏感に察して。
これ以上の“探り”はヤブヘビになると見て方針を転換。
何時もの力を抜いた顔に戻ると、加持は飄々と遅れた理由を言ってのけた。

「如何だか。何時もブラブラ暇そうにしてからに。
 とゆ〜か、何とかならないのその無精ヒゲ? ほら、ネクタイだって曲がってるし」

そう言いつつ、ミサトはヨレヨレだったネクタイの皺を伸ばして形を整えた。
この辺、意外に思われる向きもあると思われるが、そこはそれ、門前の小僧のなんとやら。
『もう、北ちゃんたら。ジッとしていて』といったカンジで、毎日の様にそれを見せ付けられていれば、嫌でも覚えるものなのである。

「こりゃ、どうも」

バツの悪そうな顔で、されるがままに。
次いで、意外にも慣れた手付きを披露したミサトに、驚く加持。
大学時代に暮らしていた時でさえ、された事がなかっただけに。
それ以前に、彼女にこんな事が出来るとは思っていなかっただけに、思わず素直に感謝を口に。

「(クスッ)まるで夫婦みたいね、あなた達」

「おっ。良いこと言うね、リっちゃん」

更にアグレシッブに。親友のフォローにも乗っかってもみる。
『ウゲッ』とばかりにミサトは嫌そうな顔をしたが、これは概ね予想通りの展開。
寧ろ、8年前に別れた折の父親を見る目。あの愛憎の織り交じった生理的な嫌悪感が感じられない分だけマシだろう。
おまけに、口で言うほど嫌がってはいない様子。寧ろ、好感触である。

「って、だ〜れがこんな奴と」

「そうね。これまでだったら、ミサトが嫁に行く姿なんて想像すら出来なかった事だけど。
 今なら大丈夫でしょう、きっと。何しろ、零夜さんが付いているんですもの」

「……………そのココロは?」

「そんなの、貴女の方が良く知っている事でしょうに。
 そう。貴女が『嫁に行く』と決まったら、彼女は手加減しないわよ。絶対にね。
 良かったわね、リョウちゃん。ミサトは良妻賢母………は流石に無理でしょうけど、それでも人様に後ろ指を刺されない程度にはなるわよ、多分」

「いや〜〜〜〜っ! もう特訓はいや〜〜〜っ!!」

とか言ってる間に何やらトラウマに触れたらしく、先程までの雰囲気を打ち壊しに。
完全に幼児退行を起こして、ミサトは『イヤイヤ』とばかりに身体を捩っている。
事情を聞くに、北斗君の所の居候に収まった初期の頃、彼女が家事が何も出来ないっぽい事を察した零夜との間で一悶着あったらしい。
概ね予想はつくが、一体ナニがあったやら。あまり想像したくない光景である。

「零ちゃんってば、家事には滅茶苦茶ウルサイのよ。
 『根ものは水から葉ものは湯から』とか『食器を洗う時は油汚れ拭き取ってから』とか〜
 洗濯なんて手洗いオンリー。掃除だって、掃除機すら使わせてくれないし〜
 料理に到っては、もう初歩以前の事から。お湯を沸かす為の水を汲む所からダメ出しをするのよ〜」

「でも、その『初歩以前』からの問題こそが、学生時代、某キャンプ地にて惨劇を引き起こしたアレが。
 通称『Mカレー』と呼ばれた、あのバイオハザードな物体が出来上がる主原因だったんでしょう?」

「や…やあねえ、リツコったら。ど…ドコからそんなデマを?」

「あら、証人なら何時でも複数人用意出来るわよ」

「とゆ〜か、その露骨なまでの動揺振りだけでも状況証拠には充分だって」

と、リツコに便乗して突っ込む、加持。
この件の犠牲者の一人としては、一言言わずには居られなかった様だ。

「チョ…チョっち、お手洗い」

「おう、そのまま逃げんなよ」

劣勢を強いられ戦略的撤退を計ったミサトに、ヒラヒラと軽く手を振りつつ追い討ちを。
そんなささやかな勝利に酔いしれた後、コレをチャンスとばかりに、加持はリツコへのアプローチを開始。

「何年振りかな、三人で飲むなんて」

椅子をズラして身体を寄せると、まずは懐かしさを前面に押し出した昔話を。
そんな加持の態度に苦笑を浮かべつつ、リツコは当たり障りの無い返答を。
だが、そんな態度とは裏腹に、その声音には当時の事を懐かしむ音色が混じっている。
何せ人生の黄金期の話。それが相手の狙いだと判っていても逆らい難いものがある。

そして、それは仕掛けている側もまた同様だった。

「そう言えば、今日は全然飲んでないな、葛城は」

そんな初期の目的から外れた事が、如何にも気になって仕方がない。
そう。アルコールを主食にしてる筈の彼女が、らしくない。妙に落ち着いた飲み方をしているのだ。
あたかも、これまで漫画チックな擬音が聞こえそうなドカ食いしかしていなかった人間が、いきなり深窓の令嬢用のテーブルマナーを身に付けたかの様に。
量的にも精々リツコの2倍強程度と、充分常識の範囲内。
学生時代であれば、舐めた内にも入らない酒量である。

「そうね。漸く『もう若くない』っていう現実が見えてきたんじゃないかしら? でなきゃ、まだ諦めてないのかもね」

「諦める?」

「影護家で食べる筈だった『今日の夕食』をよ。
 実際、万難を排してでも食べに行く価値があるわよ、零夜さんの作る手料理には」

「そりゃ凄い。今度、是非とも御相伴に預かりたいもんだ」

「止めておいた方が良いわよ、命が幾つあっても足りないから。
 まあ『どうしても』と言うなら小型のボイスチェンジャーを用意して………いえ、あまり意味が無いわね、今の貴方では」

声質だけでなく、加持リョウジ個人としても嫌われていると指摘され苦笑する。
実際、リっちゃんの評価は正しい。現状では、あの家の玄関を潜る事さえ至難の業である。
とはいえ、如何してこうまで自分は嫌悪されているのだろうか? ほとんど面識さえ無いと言うのに。

「そうだ。これ、松代のお土産」

と、話題の転換を兼ねて、加持は新たなカードを切った。

「あら、ありがと。相変わらずマメね」

「女性にはね。仕事はズボラさ」

「どうだか」

口ではそう言いつつも、眠り猫をモチーフにした小さな一刀彫の置物を嬉しそうに眺める、リツコ。
実はコレ、京都に行った折に偶然出会った少女からの貰い物なのだが、如何にかそのお眼鏡に叶った様だ。
矢張り、彼女へのプレゼントはこの路線に限る。

「ミサトには?」

「負ける戦はしない主義なんでね」

「不戦敗というのは、ある意味、敗北以下だと思うけど?」

「こりゃ手厳しい」

目線は猫の置物に釘付けでありながら、ポンポンと痛い所に飛んでくるリツコの言に苦笑する。
何時もながら、彼女の言う事は正論だ。
言われる事が判っていてもなお結構キツイ。

「それで、アスカには?」

「えっ?」

「あと、レイとシンジ君の分は?」

だが、リツコの追及の手は、そんな正攻法のみに留まらなかった。
加持の余裕を吹き飛ばす様に、次々と想定外な。
ストライクゾーンを頭から無視した、大暴投なボール玉が。

「おいおい。いくらナンでもそりゃナイだろ、リっちゃん」

やんわりと抗議の声を上げる。
しかし、リツコはそれを頭から無視して、

「貴方の役職は? バイトが忙し過ぎて、もう忘れてしまったのかしら?
 それと、ひょっとして気付いて無かったの? そういう無責任な所が、北斗君達の反感を買ってるって事?」

前言撤回。暴投どころかド真ん中。矢張り、彼女の言は常に正論だった。
なるほど。確かに、仮にもチルドレンのガードである自分が碌に姿も見せないとあっては職務怠慢だと。
それを理由に嫌われたとしても仕方がない。
正に自業自得である。

と、加持が凹んでいる所へ、リツコが駄目押しを。

「私が言えた義理じゃないけど、堕落したわねリョウちゃん。
 本当は判っているんでしょ? 真実を知りたいのであれば、北斗君を探る………いえ、捨て身でぶつかって行くのが一番の早道だって。
 それに、単に超人的な身体能力を持っているというだけで、彼は貴方が思っているほど理不尽な存在じゃないわよ。
 愚直なまでに筋を通す事に拘る、ある意味、善良な性格とさえ言って良いわ。
 少なくとも、貴方が今探っている相手に比べれば確実にね」

と、そんな忠告を。 それを消極的に肯定しつつも、胸中では机上の空論だと揶揄する、加持。
そう。リツコの勧める北斗との腹を割っての直接交渉というのは、例えるなら、目も眩む様な超高度にて行う綱渡りの様なものなのだ。
たとえ、イザという時には泣き付ける相手が。ミサトという名の命綱が付いていたとしても、おいそれと実行に移せるものではない。
ましてや、高所恐怖症のケが。零夜にチョッカイを出した折に痛い目にあい、少なからぬトラウマを背負う事となった身にしてみれば尚更である。
これに比べれば、今やっている事の方が遥かに心臓に優しい仕事だろう。
たとえ、実質的な危険度は数段上な。交通量過多な交差点を、信号を無視して渡るかの様な行為だったしても。

「ご忠告どうも。でも、どうせ火傷するなら君との火遊びの方が良いな」

「あら、それなら先約が居るじゃない。
 日本内務省調査部のオフィスとか、マーベリック社の受付とか、………そして、貴方のすぐ後ろにとかに」

そんなリツコの言葉に恐る恐る振り返れば、そこには何時の間にかミサトの姿が。

「おやおや、お早いお帰りで」

咄嗟に軽口を叩く加持だったが、その口元の引き攣りまでは消しきれなかった。
そう。仮にも現役の諜報員が気付かない間に後ろを取られたのだ。それも、その分野では素人同然のミサトを相手に。
あり得ない。否、あってはならない失態である。

「変わんないわね、そのお軽いとこ」

呆れた様にそう呟く、ミサト。
全くの自然体。特殊な技術を使ったという痕跡は無く、“してやったり”という得意げな様子も無い。
ついでに言えば、嫉妬らしき感情さえ欠片も感じられない。
純粋に、親友の学生時代から続く女癖の悪さを嘆いている“だけ”の様だ。

「いやあ、これでも結構変わってるのさ。
 そう。『生きる』ってことは『変わる』ってことだからな」

色んな意味で少なからぬショックを受けつつも、それを顔に出す事無く適当な返答を。
実際、自分はかなり変わったと思っていたが、かつての恋人はそれ以上に変わっている様子。
リっちゃんから聞いた話では、もはやニー○も同然の自堕落な生活をしているとの事だったが、矢張り“あの”影護家での暮らしているという実績は伊達では無いらしい。
とゆ〜か、そうでなければ仮にもプロである自分の立場がない。

「ホメオスタシスとトランジスタシスね。
 今を維持しようとする力と変えようとする力。
 その矛盾する二つの性質を共有しているのが生き物なのよ」

と、リツコが久しぶりに己の役所たる『説明』を披露。
それに適当な相槌を入れつつ曖昧に頷いておく。

蛇足だが、今とは異なる歴史の様に『男と女だな』とは加持には言えなかった。
実際、目の前に居る比較者を。かつての恋人の変化を見れば嫌でも判る。
真実を追い求めている間に自分は随分変わったと思っていたが、その実、本質的な部分は八年前と全く変っていなかった事が。
そう。一般的に、女性は現状維持を、男性は変化を求めるとされているが、
真実という名の過去を追い続ける自分と、復讐という名の過去から脱却しつつあるミサトとでは、それが逆転してしまっているのだ。
まあ、それもまた男と女の関係と言えなくもないのだろうが、あまり喜ばしい事では。
少なくとも、自分から吹聴する様な話ではない。

「なるへそ。あのままアッチと。あの十年後の日向君っぽいカンジな方と結婚するって選択もアリだったってワケか。
 おっ、そう言えばリツコ。あの後、ドウなったのよ。
 私が愛の伝道師やってた間に、ソッチはソッチでナニかあったんでしょ?」

と、強引に話題の転換をしてくれたミサトのマイウェイ振りが、今回ばかりは結構ありがたい加持だった。



「残念だったわね、リョウちゃん。もう少し早く着ていれば、貴方の好きな『青春』がライブで見れたのに」

「いや、そう言われても。何せ、俺が来た時にはもう、喧騒渦巻く収拾不能なスタンダップ・コメディだったし………」

「(クスッ)それは三本目。その前にはアクション物も演っていたのよ」

数十分後。丁度、ミサトが初期の目的を。
上記の様な形で、本ページ冒頭の寸劇の概略を一通り聞き出した所で、

「そろそろ御暇するわ。仕事も残ってるし」

との挨拶を残して、リツコは敵前逃亡………じゃなくて、帰り支度を始めた。

「そぉ? ナオコさん、『ゆっくりしてきなさい』とか何とか言ってなかったっけ?」

「ええ。“だから”帰るのよ」

怪訝な顔で問うミサトに何かに耐える様な顔でそう答えると、チラッと腕時計で時刻を確認。
そのまま、別れの挨拶もおざなりに。次の電車に乗り合わせるべく、そそくさと急ぎ足で出て行く、リツコ。
理由の方は良く判らないが、どうも本気で一刻も早く帰りたいらしい。
そんな彼女の後ろ姿に、

「残念だな」

と、口では言いつつも、内心では『リっちゃん、グッドジョブ』と親指を立てておく。
実際、色々あって中々実現しなかった。加持的には、振って湧いた願っても無いセッティングだった。

「ま〜ね。でも、しゃあないわよ。
 口では何だかんだ言ったっても超マザコンだからね〜、リツコは。
 10年来の友人との飲み会よりも、ナオコさんと一緒に居る時間の方が大切なのよ、きっと」

いや、それは違うから。色んな意味で。
チョッピリ憂いの入った。久しぶりのシリアス顔でそんな事を呟くミサトに、胸中でそう突っ込む。
もっとも、彼女の視点から見れば、これまでアレコレと煩いくらいに構ってくれていたリツコが、
ナオコさんが復活(?)して以来、自分の事を半ばほったらかしにしているのだから、そういう風に受け取るのも無理ない事なのかも………
って、いったい幾つだよオマエは? 生まれたばかりの妹に嫉妬する、齢一桁台の新米お姉ちゃんじゃあるまいに。

「よっしゃあ! 次ぎ行くわよ、次!」

そんな生暖かい。どういうフォローをしたら良いのか判らず、加持が屈託している間に、当の本人の中では決着が付いたらしく、まずは己に一喝。
そのまま徐に席を立って、このささやかな酒宴の精算をカードで済ますと、早くも梯子の体制に入った。
どうやら、ゲン直しとばかりに、これまでの淑女の仮面を脱ぎ捨て本格的に飲むつもりらしい。

また、暗に『オゴリは此処までよン』との事。
彼女らしいと言えば“らしい”と言えなくもないのだが、加持的には想定外な。
チョッとビックリな、中々狡猾な一手だった。

「良いのかい? せっかくの晩餐に間に合わなくなるぜ」

「まあ、確かにチョッち惜しいけど、それはソレこれはコレよ」

興が乗ったが故の些か意地悪な質問にも淀みなく返答が。
その言葉の響きからして、純粋に自分との友誼を優先させた“だけ”っぽい。
素直に喜ぶべきか? それとも、ラブ臭が全く感じられない事を嘆くべきか?
ミサトへの好意は、加持自身の中でも友情と愛情の垣根が曖昧なだけに、少々悩む所である。

「って、まさか10年来の旧友の。それも、こ〜んな美女の誘いを断わるつもりなの、ひょっとして?」

「いえいえ。私で宜しければ喜んでお供致しますとも、レディ。勿論、酒席以外の場所でもね」

「(フン)ナニ言っちゃってんだか。ほら、行くわよ」

そうだ。今は友人で結構。まだ、チャンスタイムが終わった訳じゃない。
自分にそう言い聞かせつつ、加持はミサトの後を追って店を出た。
八年前なら多少の動揺くらいは引き出せた筈のセリフが軽く流された事がチョッピリ悲しいのは、彼の内面世界だけの秘密だった。



  〜 数時間後、とある幹線道路の歩道 〜

と、意気込んでみたは良いものの、そんな加持の思惑をあざ笑うかの様に。
このチャンスを生かし得る舞台装置を脳内検索する間も無く、次の店は、ミサトが適当に選んだ居酒屋に大決定。
おまけに、それがまた間の悪い事に、

『オッちゃん、お代わり!』

『もうそのくらいにした方が良いんじゃないか?』

『ナ〜ニ言っちゃってンのよ、加持〜
 インフレの嵐が吹き荒ぶこのご時世に、大ジョッキが一杯なんと400円ポッキリ。
 そんな都会のオアシスっぽい店を発掘したのよ。ココで飲まなくて何時飲むってのよ!?』

と、ミサト的には大アタリだった為、2軒目にして根を張った様に動かない状態に。
なまじ、時間潰しがてらに摘むお摘みが美味かったりするもんだから、かえって腹が立ったり、
軽くイチャモンの一つも付けてやろうと店主の方を見れば、身の丈2mを越える筋骨逞しい大男だったり、
そんな、加持的には針の蓆な酒宴が続き、数時間後、何の進展も無いまま帰途に着く事に。

そんなこんなで、敗者復活戦とばかりに、こうして車通りもまばらな夜道を二人で歩いている訳なのだが、

「(ゲッ)ヤバ、もうこんな時間。
 ああもう、終電逃しちゃうし、タクシーも捕まんないし。このままじゃ零ちゃんに殺されちゃう〜」

肝心の意中の相手はと言えば、此方の思惑を頭から無視して。
夜空を見上げてロマンチックな気分に浸るどころか、腕時計とニラメッコをしつつイラついていたりする。
もはやムードもへったくれも無い状態。今回は、この辺で諦めた方が無難な様だ。

「(ガチャ)芍薬まで。……………そう。この先にあるアパートまでお願い」

と、加持が厭戦気分に浸っている間に、首尾良く流しのタクシーを捕まえたらしく、サッサとそれに乗り込むミサト。
行き先が些か気になる所だが、歩いて帰るにはキツイ距離。このまま置いて行かれては敵わない。
『虎穴に入らずば虎子を得ず』と覚悟を決め、それに同乗する。

「(フ〜)やれやれ」

タクシーのシートに身体を預け『これで一安心』とばかりに気怠るげに溜息を吐くと、ミサトはチョッと遠い目をしつつ、

「そう言えば、昔はよくこうしていたわね。
 2人っきりで飲んでは深夜のご帰宅。違うのは、こうやって深夜料金のタクシーに乗れる事くらいかしら」

「そうだな。あの頃は、俺はもっぱら介抱役で。
 飲み過ぎてグロッキーの葛城を如何にか駅まで背負っていって、そのまま二人してベンチに寝転がって始発を待ってたっけなあ」

「重ねたスニーカーを枕にしてね。若かったわよね〜、お互いに」

「その葛城が、今じゃヒール履いてんだもんな〜
 時の流れを感じるよ。学生時代には想像すら出来なかった」

こうして昔話に興じていると、不思議に壁を感じない。
手の甲で顎をとジョリジョリと擦りつつ『いい加減、剃んなさいよ。無精ヒゲ』とジト目で呟くその仕種も、昔とチッとも変わっていない。
曖昧にそれに頷く自分もまた同様なのだろう。
半ば諦観を含んだ彼女の瞳が、それを肯定してくれている。

「ねぇ。私にフラれた時、ショックだった?」

と、チョッと油断していた所へ、手痛い一撃が。

「ごめんね、あの時一方的に別れて。
 あの時、『他に好きな人ができたって』って話。あれ、ウソ。気付いてた?」

「いいや。でも、ま、俺が悪いのか。
 浮気ばっかしてたし、自業自得ってトコかな」

咄嗟におどけてみせたが、横目で此方を見詰めるミサトの視線は、何時もの稚気に溢れたものではなく、

「アレは浮気っていうより、ワザと嫌われようとしていただけだったんじゃない?
 実際、貴方はどの娘に対しても本気ってカンジじゃなかった。勿論、私に対してもね。
 愛を囁いている最中でさえ、貴方の目は他のものを見ている。そんな気が。
 『このまま、何処までいっても本気で愛されないじゃないか?』って思ったら、凄く怖くなった。
 気付いちゃったのよ………加持君が、私の父に似てるって事に」

そんな彼女の独白に、加持は沈黙するしかなかった。
取り繕う言葉は幾つか心に浮かんだが、それを口には出来なかった。
同棲してた頃に、件の父親がどんな人物だったのかを聞いていたが故に。
そう。彼の人ほど不器用ではないつもりだが、事実、本質的な部分においては、自分は同じ穴のムジナなのだ。
『似ていない』などと主張した所で、既に確信してしまっている相手を誤魔化しきれるものではない。

「その時、怖かった。男に父親を求めてるって事に気づいた時、どうしようもなく怖かった。自分が女だって事も。
 それを吹っ切るつもりでネルフを。使徒に復讐する事を選んだの。
 もっとも、それだって結局は逃げてただけ。父親という名の呪縛から逃げ出しただけだった………」

「葛城………」

浮かぶ涙をこらえて言葉を紡ぎ出すミサトに、加持もまた言葉を詰まらせながら。
それでも『そんなに自分を卑下するものじゃない』と。それに類する事を告げようとする。
だが、それよりも早く。その顔から憂いを払うと、

「でもね、そんな無様な悪足掻きを褒めてくれた人が居るの。
 『愛であれ憎しみであれ、一人の人の事を15年も一途に思えるのって本当に凄い事だと思います』ってね。
 シンジ君がそう言ってくれた時、初めて肯定して貰った。救われた気がしたわ。
 泥濘だった足元に、踏み台の様なものが出来たってカンジかな。
 もっとも、その御蔭で、自分が重度のファザーコンプレックスだっていうイタイ事実を認めなくちゃならなくなっちゃったけどね」

一転して何時もの。否、今の自分には眩し過ぎる笑顔を浮かべる、かつて恋人だった女性。
これはもう、本当に置いていかれてしまったのかも知れない。

「ううん。勿論、そんなに変れた訳じゃ。まだ、父の事を吹っ切れた訳じゃない。
 今だって復讐心に寄りかかっている様な状態だけど………
 それでも、その先の事を。使徒戦が終わった後の事を考えられる様になってきた」

「そりゃ凄い。良かったら聞かせてくれないか? その将来のビジョンってヤツを」

「ヤダな、そんな大層なものじゃないわ。
 漠然とした。精々、小学生の『将来の夢』レベルのものよ。
 そうね。たとえば、何処かの学校の美人教師になるとかね。
 もっとも、もっと優先しなきゃならない事が。
 まずは、溜まっているシンちゃんへのカリを返してから………
 って、考えてみたら、具体的にはドウしたらイイのかしらね?
 これが男の子だった時なら、それこそ筆下ろしの相手を務めても………
 いや、これじゃ私の方が役得な様な気が。初物喰うと現役期間が三年延びるって言うし。
 それに、零ちゃんの教育の所為か、妙に潔癖症なトコもあるから裏目に出そうだし。
 とゆ〜か、女の子なのよね、今のあの子は。
 それも、今すぐにでも良いお嫁さんになれるスキルが揃った………
 ヤダ。絶対認めないわよ、シンちゃんを何処の馬のホネとも知れないヤロウにくれてやるなんて。
 それならいっそ、私が貰って………って、ナニ訳の判らない事を口走ってんのよ、私は!」

いや、まったくだ。
口に出す事こそ如何にか防げたものの、思わず胸中で全面同意する、加持。
これまでのシリアス展開が打ち壊しと言うか、チョッと期待していただけに、実にガッカリな返答だった。
どうも、彼女の中の不等式は『自分≧父親』から『父親>自分』を経て、八年後の現在では『父親≧シンジ>自分』らしい。由々しき事だ。
とゆ〜か、幾ら潜在的なものとはいえ、父親だけでなく十四歳の女の子が恋敵ってのも如何なものかと。
それなりに恋愛経験は豊富なつもりだったが、これはもう想像すらした事の無い領域だ。

「ゴメン、思ったより酔ってるみたい」

「いや……いい」

色んな意味でコメントし難いドツボ状態から、辛うじて相槌を。
そんな加持の窮状を天が察っしてか、タイミング良く、タクシーが芍薬の前に到着。
これ幸いと、多目の額の紙幣を運ちゃんに手渡し、『ツリはいらない』とばかりにそそくさと外に出る。ホッと一息――――

  ゴォォォォォォ!


(゚Д゚)

( Д )  ゚ ゚

「って、ナニしてんの。サッサと来なさいよ」

あまりの事に呆気に取られて。気付いた時には、ミサトに手を引かれて影護家の玄関を潜る所だった。

「いや…その…あの」

上手く言葉が出てくれない。
そんな此方の窮状を察してか。否、明らかに厄介事に関わってしまった事を嘆く険しい顔付きになると、ミサトは噛んで含める様な口調で、

「ああアレ? あれは只の夏の風物詩の心霊現象よ。
 鬼火がポルターガイストで、総てはプラズマで説明が付くわ。
 とゆ〜ワケで、関わんのは止めなさい。でないとタタるわよ、マジで」

と、厳命を。
どうやら、あの暗闇の中に浮かぶ朱金の輝きは。
一瞬、ATフィールドかと思ったそれは、彼女ですら二の足を踏む、触れてはいけないタブー中のタブーらしい。
そう言えば、『人類は群体である事を選んだ18番目の使徒』という話があった様な。
ならば、あの人外魔境な北斗君ならば………って、まさか!?

「……………なあ、葛城。『もしも』だぞ、彼が敵に回ったとしたらネルフは。人類は勝てると思うか?」

突如、胸中に湧き上がってきた影護北斗ラスボス説に、背中にドバっと冷や汗が。
それを押し隠し。なるべく平静を装いつつ、最前線で戦うエース様(?)に、その場合の勝算をさりげなく伺ってみる。

「絶対無理。精々、零ちゃんに泣き付く事くらいしか手は無いわね」

返ってきたのは、気の無い声音でありながら、まるでそれが当然だと言わんばかりの断言だった。
予想以上。どうやら彼我の戦力差は、あくなき使徒への復讐心に燃える葛城をして、戦う意志すら持てないくらい絶望的らしい。
いや、寧ろ『戦えない』と言うべきなのだろう。
何しろ、使徒戦の最大の戦力であるエヴァのパイロット達全員が、多かれ少なかれ彼に魅かれているのだから。



その後、これまで恐怖という名の分厚いカーテンに隠され、その実態はついぞ窺い知れなかった影護家の邸内へ。
相も変らぬ胡散臭いものを見る目と歓迎こそされなかったものの、人類最後の希望様が作られた夜食を馳走に。
うずめ飯と言うらしい椎茸と根野菜で出汁を採ったと思しき雑炊は、アルコールで焼けた胃に優しく、また噂に違わず大変美味だったのだが………

(おい、葛城。さっきから、何で彼女は卓袱台の前じゃなくて襖のすぐ前に座っているんだ)

(ああアレ。多分、アンタを警戒してるんじゃないの? あの後ろは、シンちゃんの部屋だから)

って、そこまで信用が無いんかい、俺は。



  〜 翌日。再び、影護邸 〜

朝、目が覚めると加持は、椅子に拘束された。
テルテル坊主の如く、ゆったりと首から下にシーツを被せられた『お母さんの床屋さん』ぽい格好をさせられている自分を発見した。

「な…なんじゃこりゃあ!」

「それは此方の言う事です。
 葛城さんから聞きましたよ。貴方のその胡乱な格好は、只の無精故のものだそうじゃないですか。
 正直、呆れました。昨夜、その姿を見た時は、シンジ達の前に顔を出さないのは、身嗜みに気を使う余裕も無い程に忙しかった所為かと思っていましたのに」

声のした方に振り向けば、そこには剃刀を片手にジト目で此方を見詰める零夜の姿が。

「いや、それはその………」

「はいはい。別に釈明して欲しい訳じゃありません。
 それより、あまり手間を掛けさせないで下さい。朝食までには済ませなくてはならないんですから」

  ゴキリ

「おごっ!」

かくて、抗弁する暇も無く。剃り易い様に頭の位置を強制的に変えられる事を除けば、素人とは思えない慣れた手付きで顔の手入れを。
ついでとばかりに、髪の毛先も整えられる事に。
終了後、鏡に映る自分の姿は確かに小ザッパリしていたし、朝食の席で葛城達にも好印象を。
更には、最近口説き落としたばかりの、日本内務省調査部の受付嬢のウケも良かったのだが………
何かこう、大切なものを失った様な気がする加持だった。



  〜 10月10日。午前0時、第一中学校校庭 〜

その日の深夜、シンジ達が通う学び舎に招からざる客が来訪。
月齢13日目の満ゆく満月の光が照らす校庭には、一部の教師と生徒を除けば、どこにでもあるありふれた中学校には似つかわしくない。
色とりどりのメイド服に身を包んだ年頃の娘達を引き連れた、如何にも身分卑しからざる紳士然とした初老の男の姿があった。

「というワケで、アタシ達は今、既に8時間後に迫った運動会に向け、コ○ケの徹夜組の如く場所取りに。
 こうして、警備員さんの巡回が終わった時刻を見計らって、夜の中学校に忍び込んでいま〜す」

「あの、何方に御説明なさっているんですか、先輩?」

「勿論、それだけじゃありません。
 お嬢様の御活躍を快適に御観覧して頂く為に、こうして会長専用の特別席を設置する為の資材も抜かりなく用意してきていま〜す。
 (いや〜、ワガママも此処までくると、いっそスガスガしいですよね。流石はグラシス会長、良い意味でも悪い意味でも、そこらの凡百の輩とは格が違うってカンジです)」

「あらあら、カスミちゃんまで」

「(フルフル)ダメです。先輩達の奇行はタダの職業病です。気にしたら負けです、チハヤ先輩」

「まあ、コレが例の……………噂には聞いていましたが、怖いものなんですね、TV関係のお仕事って」

そんな、彼女達が出演する某番組の視聴者にとっては御馴染みの。
ありがちなツカミのギャグを入れつつも、体育祭のプログラムを元に割り出した最適な位置へ歩を進める。
と、その時、

  ズボッ

「ぬぅ、トラップか!?」

突如、足元の地面がヌルリと液状化。
次の瞬間には、広範囲に渡っての落とし穴が出現。

「ハッちゃん!」

深さ約5m、下は泥沼と、此方の捕縛を目的とした罠である事を素早く見て取ると、
エクセルは、以心伝心とばかりにバレーのレシーブの様な体制をとっていたチハヤの手を足場に。

「はい!」

更には彼女に反動を付けて貰い、大きく飛翔を。
そう。こうした場合、体術に優れた。生き残る可能性の高いエクセルの脱出を優先させるのが、長年コンビを組んできた二人の暗黙の了解だった。
片方を生かす事で、もう片方も救出し得るチャンスを残す。
そうやって、彼女達は数多の戦場を生き抜いてきたのだ。
この辺、バディシステムの真骨頂である。

「えい!」

これに対し、ミルクは背負っていた各種資材を投げ捨てた反動と自らの身体のバネによって。
独力でエクセルに負けない大ジャンプを。
突出した身体能力を誇る彼女ならではの大技である。

出来ればグラシス会長の救助もしたかったが、これは断念せざるを得なかった。
位置的に遠い上に、新たに荷物を背負えば飛距離が足りなくなる。
それ故、まずは自分の脱出を優先させた訳である。
だが、そんなミルクの目算を狂わすアクシデントが派生。

「えい!(カスミだって泥レスはイヤですう!)」

「あれ〜〜っ!?」

    ボチャ〜〜ン!

既に落下中だったカスミに『溺れる者は藁をも掴む』とばかりに足首を掴まれ、体勢を崩すと共に失速。そのまま共倒れに。
そう。これこそがバディシステム最大の弱点。
1+1が5にも10にもなる代わりに、この様にマイナス以下の結果となる可能性をも秘めているのである。

「カスミのアホ〜〜〜ッ!!」

辛うじて泥沼の広がる陥没部分を飛び越えたものの、文字通り味方に足を引っ張られての戦力ダウンに思わず罵声が。
だが、そんな胸中の苛立ちとはうらはらに行動はクールに。
エクセルは、遮蔽物を求めて音も無く疾走していた。
この辺、身体に染み付いた兵士の本能とも言うべきもの。
そう。脱出できたのは自分だけ。此処は逃げの一手しか無い。
救出作戦を練るにせよ、まずは自身の安全を確保しなくては話にならない。

  ドス、ドス、ドス

それを許さじとばかりに追撃が。
パッと見は五寸釘っぽい。あからさまに破壊力重視な極太の棒手裏剣の乱舞がエクセルを襲う。
それを後ろも見ずに。カンだけで見切って躱すと共に、走りに鋭角的フェイントを入れ敵のミスを誘う。

「でや〜〜〜っ!」

そのまま頭から草むらにダイビングすると共に気配を消し、音を立てない様にゆっくりと場所を移す。
そして、その進路とは逆方向に石ころを投擲。

  ドス、ドス、ドス

作戦成功。アッサリ引っ掛かった所を見るに、どうやら上手く隠れられた様だ。
ホッと一息。頭を脊椎反射モードから、作戦立案の為の熟考モードに。

取り敢えず、敵の位置に関しては探すまでも無い。
見上げれば、姿を隠す事無く、戦う上で有利な位置を確保するでもなく、
どっかのゲームキャラ宜しく、塀の上で満月をバックに、お約束なポーズで佇んでいたりするのだ。

あれでは『狙い撃ちにしてくれ』と言っている様なもの。
馬鹿丸出し。普通なら“誘い”だとしても、あり得ない一手なのだが………

   ガン、ガン、ガン

取り敢えず、懐のベレッタで牽制してみる。
しかし、必中の軌道で放たれた筈のその銃弾は、相手に回避行動を取らせる事さえ出来ずに、

   カン、カン、カン

「(チッ)やっぱ、こんな対人用の小口径じゃ効果無しかぁ」

再び気配を殺しながら移動しつつ、善後策を練る。
彼我の戦力差は致命的。此方の攻撃は、紅い絶対領域によって総て阻まれる。
先程の、その痕跡が全く見られなかった落とし穴もまた、確か土遁の術とかいう名の彼女の特殊能力の一つ。
作るのも、それを埋め直すのも造作も無い事。従って、アレ以外にも複数仕掛けられている可能性が高い。
おまけに、純粋な身体能力までもが一枚も二枚も向こうが上と、ある意味、最新型の戦車より厄介な相手。
思わず『反則だ!やってらんね〜!』と喚きたい所だ。

いや、ンな泣き言を言ってても始まらない。
此処は矢張り、セオリー通りアレしかないだろう。

「しゃあない。気は進まないけど、やりますか」

覚悟を決めると、彼女は物陰からゆっくりと敵の前に姿を現し、

「我が名はエクセル=コバヤシ。この首、トれるもんならトってみな!」

大ぶりなアーミーナイフを斜に構えつつ、そんな武芸者の様な名乗り上げを。

「委細承知。雨宮カスミ、推して参る!」

陣取っていた塀から飛び降りると、カスミもまた同じ土俵の上に。
そして、己の得物である小太刀を上段に構えると、

「鷹嘴強襲撃!」

鋭い踏み込みと共に、その余勢を駆っての神速の一撃を。
だが、これこそが此方の注文通りのもの。
そう。如何に一撃必殺を期そうとも、小太刀の殺傷レンジは左程広くは無い。
あらかじめ来る事が判っていれば、その初太刀を受け止めるくらいは、無手勝流の自分でも充分可能な筈。

    ガキッ

狙い違わず、鍔迫り合いの状態に。
その瞬間を狙って、

    シュッ〜〜〜ッ

懐より取り出したスプレーを、通常は一吹きの所を一昔前の殺虫剤の如く大量噴射。
そんな下手をすれば致死量分の睡眠ガスによって、

「ふ…不覚」

糸の切れた人形の如く、力無く崩れ落ちるカスミ。

と、一見、不意を付いての圧勝の様に見えるが、その実情は然に非ず。
実力的には完璧に負けていた。相手がノリ易く、この手の化かし合いの経験が無かったからこその。云わば、勝たせて貰った様な勝負。
次は絶対に、こんな簡単にはいかない。
それ故、本来なら是が非でも此処で消しておきたい所なのだが………
そんな事をしたら最後、今の(実質的な)上司に。
あの絶対無敵なお嬢様に、ナニをされるか判ったもんじゃないので止めておく。

「(フ〜)ヤッパ使徒娘はコワイわ。もう二度とヤらないぞっと」

思わずそう語散る。掛け値なしの本音だった。
だが、そんな彼女の願いも空しく、

   シュルルル〜〜〜

「あら〜〜〜っ!?」

新たな使徒娘の不意打ちによって、アッというまにグルグル巻きの蓑虫状態に。
そう。接戦をモノにして気が緩んでいた所を狙っての。
それも、深夜の暗闇によって普段より更に視認困難な状態での、ラナのプロべーション・ウィップ(伸縮自在の髪の毛)を避けるのは、
如何に歴戦の兵士たるエクセルと言えど、流石に不可能だった。



  〜 十数分後。再び、第一中学校校庭 〜

「一体如何いうお積もりなのですか?
 西欧州軍にその人ありと言われたグラシス中将ともあろう人が、何故この様な愚行を?」

予想された今回の襲撃(?)に対する、待ち伏せ&捕獲作戦。
その指揮を執っていた男。ナカザト ケイジ中尉(23)が、集合&正座と言わんばかりの雰囲気で、
ホースによる放水によって軽く洗浄されたばかりのメイド達と初老のジェントルマンを前にガミガミとドヤしつけている。
だが、そんな彼の熱意溢れる説教も虚しく、

「(フッ)決まっておろう。家族の為ならば常に全力全開。それがワシのジャスティスじゃ」

欠片も悪びれる事無く、胸を張ってそう言切るグラシス会長。
びしょ濡れな上に、まだ所々ドロが付着している散々な有様だったが、その姿からは確かな威厳が。
数多の経験と鋼の意思とに裏打ちされた、オーラと呼ぶべきものがあった。
しかし、この手のプレッシャーに慣れている。否、“慣らされてしまっている”ナカザトには通じず、

「それでカヲリさんに心配を掛けていれば世話がないでしょう!」

寧ろ、辛うじて残っていた敬意の念を拭い去る結果となり、今や中将の株は、彼の直属の上司とドッコイなレベルにまで大暴落する事に。
そして、端から会長に対する幻想など持っていなかったメイド四人衆もまた、

「(ポン)おお、ナルホド」

「盲点でしたね〜、先輩」

「困ったものです。(確かに全力“全壊”の間違いですよね、どちらかと言えば。それもスーパーにフリーダムってカンジで)」

「だから『止めましょう』って言ったのに〜」

「なっ! 裏切ったな、お主等! 会長たるこのワシを裏切りおったな。
 『チョッと書類仕事が溜まっていまして』とか何とか適当な口実を並べて結局ついてきてくれなかった豹堂君と一緒で、ワシの事を裏切りおったな!」

そんな彼等の狂態を眺めながら、ケンスケは物思う。
この場合、『ドコに突っ込めば良いのだろう?』と。
ふと隣のラナを見れば、とっくに匙を投げているらしく、彼女の定位置とも言うべき折畳み式キャスターの上で既に寝息を立てている。
もう片方の同僚はと言えば、うつ伏せの体勢のまま寝息すら立てずに昏倒している。
物理法則を無視した漫画忍術を多数習得しているクセに、わりと実際にあったらしい『毒物の類は効かない』というスキルは無いらしい。
とゆ〜か、あんなマヌケな失態ばかり繰り返していた日には、終いには公式設定の欄に“うっかり”属性とかが付く事に………

マズイな。なんかもうドウでもイイことをアレコレ考えている。
そろそろ戦わなきゃな、現実と。

「あの〜、そんなガミガミ言わなくてもイイんじゃないですか? ほら、相手はスポンサー様なんですし」

取り敢えず、そんな消極的な取り成しをしてみる。
しかし、コレが裏目に出る事に。
理不尽な上官達にからかわれ続け、色々鬱屈していた事もあってか、
或いは、未来ある少年を前にチョッピリ見栄を張りたかったのか、

「良く憶えておきたまえ、現地工作員ケンスケ君。
 相手が誰であろうと例外無く、否なものは否と言える体制。それが、健全な組織の有様というもの。
 悪の秘密結社であろうと、決して例外ではない。  そう。今回の場合、問題なのは『中将に反省の色が欠片も無い』という点なのだよ」

と、ナカザトは自信満々に持論を披露。

「………ごもっともで」

うん、基本的には正論だと思う。
もっとも、相手が相手だけに神様でも実行不能っぽいけど。

そんなこんなで、再開された喧騒をどこか遠くに感じながら、この仕事は長丁場になる事を覚悟する、ケンスケ。
体育祭の開会まで既に8時間を切った、とある深夜の一コマだった。



  〜 午前5時、第一中学校近くにある某24時間営業のファミレス 〜

あの後、結局はグラシス会長の粘り勝ちに。
出勤してきた警備員さんの取り成しもあって、彼等は済崩しに場所取りに成功。
ドロを被る事を免れたエクセルを留守番に、意気揚々と着替えの為に一時帰宅していった。
その後ろ姿を呆然と見送った後、漸く自分の失態に気付いたらしく、ナカザトはケンスケに平謝りを。

「すまない、俺とした事が失策だった。
 学生時代の華とも言うべき体育祭を前に、あんな馬鹿な事に延々付き合わせて。この埋め合わせは必ず………」

せめて朝食でも奢ろうと、ケンスケ達を誘って最寄のファミレスに入った後も、概ねこんな調子だった。

「いえ、そんな気にしないで下さい。
 その手の心配は杞憂って言うか。元々、運動関係で活躍するタイプの人間じゃないですから、特に期待もされてませんし、徹夜にも慣れてます。まったく問題ありません」

そんなナカザトを前に、ケンスケはチョッと面くらいつつもその謝罪を受けた。
と同時に、敢えて生意気な事を言わせて貰えば、ダークネスから来た臨時の上官の事を見直していた。
幾ら己に非があったとしても、イイ大人が自分の様な小僧に本心から頭を下げるなんて中々出来るものではない。
どうやら第一印象通りの。ただ固いだけのマニュアル人間ではないらしい。

でも、いい加減、この状況は如何にかして欲しい。
早朝故に、店内の客の入りはまばらとは言えチョッピリ………いや、かなりハズい。
既に軽目の羞恥プレイと言って過言ではないレベルだ。

「お待たせしました。此方、モーニングセットのA、四つで御座いますね」

とか言っている間に、この店独特の制服に身を包んだ店員さんが注文の品を持ってやって来た。
よし、幸い此処はファミレス。この際、サッサと食事を済ませ、ラナやカスミに習って寝たフリを………じゃなくて、仮眠をとらせて貰う事にしよう。

そんな決意を固めつつ、チラッとナカザトの様子を伺う。
すると、何故か彼は、先程までとはまた方向性の違う奇態を演じて。
盛大に顔を赤らめつつ、ホットケーキを配膳中の店員さんの動きを目で追っている。

いや、先程『この店独特の制服』とか言ったが、此処はどこかのソレがウリなイカガわしい店ではない。
実際、かの店員さんの格好は、特に扇情的という程ではなく、ごく普通に可愛い系の制服姿。
少なくとも、二十歳を越えた成人男性が照れる様な要素は何一つ無かった筈………
ま…まさかコレは、現代では既に根絶されて久しい筈の奇病。
今日(こんにち)では、もはや低年齢層向け(此処ポイント)の少女漫画の世界でしか見られないと言われるあの、一目惚れというヤツなのか!?

キラリと眼鏡を光らせながら。
胸中でお約束の『な、なんだって!』と、合いの手をセルフサービスで入れつつ驚愕する。

その間にも、ナカザトの病状は急速に進行中。
既に此方の給仕を終えて、斜向かいの席に移った。
偶然にも顔見知りだったらしい、ブランド物のスーツを極自然に着こなした貫禄溢れる中年男性と談笑している彼女の姿をソワソワしながら。
それも、あからさまに嫉妬混じりな熱い視線を送っている。
嗚呼、なんて………なんてベタな人なんだろう。

   パシャッ

取り敢えず、そんな彼にバレない様にさりげなく、その一部始終を参考資料としてカメラに収めておく。
そう。自分が請け負った職務からは些か外れるものだが、これは是非とも上に報告しなくてはならない重要事項だ。
これまで培ってきた現地工作員としてのカンが、ケンスケにそれを確信させていた。




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