再び・時の流れに
〜〜〜私が私であるために〜〜〜
第13話 「本筋」は一つじゃない……歴史って、当てにならないのね……<その2>
「イツキ カザマ少尉、だな」
「はっ」
私は緊張しながら、目の前の人物に敬礼した。
ミスマル コウイチロウ。
この極東地区でも大きな力を持つ提督で、そして士官学校で憧れの先輩でもあった、ユリカさんのお父様。
一エステバリスパイロットでしかない私が、こうして直々に呼び出されたということは、何か大きな意味があるのだろう。
「今までの戦績は見させてもらった。なかなか優秀なようだな」
「はっ、光栄です」
「そこで君の優秀さを見込んで、ある特別任務を与える。その前に……今までの功績を鑑みて、君を中尉に昇進させる」
「は?」
変ですね……任務に『就くに当たって』ならまだ理解できます。ですが、『その前に』ですか? だとすると、もし私が後続する任務を拒否したとしても、この昇進は有効になってしまいます。
逆にいえば……拒否は許されない任務。なんだか、とてつもなくいやな予感がします。
「そして……特別任務に就くと同時に、君はある部隊へ転属となる。それに伴い、君を連合軍大尉に昇進させる」
なななななっ!
私は思いっきり混乱しました。今の一言で、最初の昇進は形式合わせ……軍では死亡及び、それに匹敵する英雄的行為以外では2階級の昇進を認めていません……であることはわかりましたが、私をわざわざ昇進させて送り込まねばならないなんて、どういう事でしょうか。
「だいぶ戸惑っているようだな」
うっ、さすがは提督……見透かされてしましました。
「心配しなくても結構。この昇進は、手続き上のものだ。ああ、待遇もそれにふさわしくなるから、単なる形式ではない。もっとも、それに見合う苦労はしてもらうことになるが」
一体、どういう部隊なんでしょう。私の転属先って。そもそもが急すぎる話だし、明らかに私に拒否権が与えられていません。
「このたび、連合軍に新たな部隊が一つ創設される。方面軍の支配下にない、いわば連合軍全てに所属する独立機動部隊だ。もちろん、隊員は一流揃い。エリートといってもいいだろう」
「えっ!」
さすがに驚きました。そんな話は、噂にすらなっていません。だとしたら、よほどの極秘部隊……。おそらく、メンバーに選ばれるだけでもそうとうの栄誉です。
「何しろメンバーの中には、西欧で神とまでいわれた男が加わるというしな」
ええええええっ!
それはもっと驚きです。
あの、『漆黒の戦神』が、ついに軍に入るのですか!
西欧方面軍の窮地を救い、最終的には地上で確認された西欧圏内のチューリップを全て粉砕したといわれる西欧最強部隊『Moon Night』。その中核にいたエステバリスライダーは、軍人ではなく、エステバリスの製造元であるネルガルから派遣されていたテストパイロットだったという。
テンカワ アキト。通称……『漆黒の戦神』。
エステバリスライダーの頂点。
ただ、ひどい軍人嫌いなため、再三の勧誘にもけっして首を縦に振らなかったといわれる彼を、ついに口説き落としたのですか!
私も体が震えてくるのを止められませんでした。恐れではありません。武者震いです。
何しろ『漆黒の戦神』には、もう一つ凄い腕前として知られていることがあります。
彼は、教官としても超一流だというのです。『Moon Night』は、彼一人で持っていた訳ではありません。西欧方面と行き来のある輸送隊のメンバーは、ことあるごとにいっていました。
あの部隊はテンカワも凄いが、同僚もほかとは桁が一つ違う、と。そしてそれは、テンカワに鍛えられたからだと、部隊全員が口をそろえて証言している、と。
その彼と共に戦える……この機会を逃すエステバリスライダーは、この世にいないでしょう。
「引き受けてくれるかね」
「はいっ!」
私は大きく叫びました。
「よろしい、承認しよう。イツキ カザマ君。君は12月25日をもって、連合軍特別独立機動部隊『ナデシコ』に配属される。頑張りたまえ」
「へっ?」
や、やられました〜〜〜〜〜っつ!
さすがはミスマル提督、見事にしてやられました。
私は身の回りの整理をしながら、派遣先のことを考えていました。
民間協力部隊『ナデシコ』。
確かに戦果だけなら、実は極東一なのは、極東軍の人間なら誰でも知っています。
ですが、
曰く、『敵味方関係無しの死神戦艦』
曰く、『火星帰りの愚連隊』
曰く、『ネルガルの陰謀の結晶』
曰く、『極東の反乱分子』
曰く、『スチャラカ部隊』
……ろくでもない噂しか聞きません。
今回の独立機動部隊というのも、表現だけはかっこいいですが、実情は業を煮やした連合がなりふり構わず強権発動して、ナデシコを徴用したというところでしょう。
おまけに方面軍同士の勢力争いまでからんでいるみたいですし。
私はあのあと聞かされた話を思い出していました。
「極東軍に取り込もうとしたら、グラシスの爺に先手を打たれてしまってな。よりにもよってあのMoonNightの司令をナデシコに送り込みよった。アメリカやオセアニアまで動こうとしたのは、何とかくい止めたがな。これ以上ナデシコをややこしくしたら、本当に手に負えなくなりかねん。第一あの艦の艦長はウチの娘だぞ。娘にこれ以上苦労はさせたくないわ!」
噂通りですね、提督。有能な提督のただ一つの泣き所が、娘さんだっていうのは。
ちなみに私の昇進も、実は政治的陰謀の産物でした。
「西欧から来たパイロットは、現在大尉でな。そこに少尉である君を送り込んだら、君は彼女の部下になってしまう。それでは意味がないからな」
エステバリスのパイロットは、原則として少尉、部隊長として、命令を下す立場になると、中尉になるというのが普通です。
ただ、例外もあります。
『白銀の戦乙女』、アリサ・ファー・ハーテッド。
グラシス中将の孫という血筋でありながら、血統ではなく実力で西欧軍のエースの座をもぎ取り、エステバリス隊の隊長を務めていた女性。
驚くことに、当時わずか17歳だったといいます。まさに天才といってもいいでしょう。
その彼女はのちにMoonNightの一員になり、軍属ではなかった『漆黒の戦神』に代わり、名目上の部隊リーダーになりました。
あの手のエリート部隊のメンバーは、通常より一階級上になるのが普通だから、彼女は大尉だったはずです。
そして私は、名目上でも、彼女の下になる訳にはいかなかった、ということです。
確かに私は極東で一番の撃墜数を誇るパイロットではありますが、状況が味方していたことはあまり否定できません。あのナデシコのパイロットに比べれば、私は格段に劣るでしょう。
彼らはあの戦力であれだけの戦いをしてきたのですから。
けど、もう決まってしまったことです。
それに、ユリカ先輩に、『漆黒の戦神』。
学生時代の憧れの人と、今の憧れの人、両方と一緒に戦えるのです。
ポジティブに考えれば、けっして悪いことじゃないんですから。
ただ……もう少し早めに知らせて欲しかったです。寝ている暇、あるかな〜とほほ……
>AKITO
まだ手を打っておきたいことは多かったが、もう時間がなかった。
間もなくヨコスカだ。
これからの戦いに、しばらくブラックサレナが使えなくなるのは痛いが、それは仕方ない。元々かなり無理を言っている話だ。まあ、アカツキたちを味方に引き入れればなんとでもなるだろう。
そんなとき、俺は呼び出しを受けた。
ムネタケ提督からだ。
いってみると、ユリカ、ルリちゃん、プロスさん、ゴートさん、オオサキ司令……もとい、副提督と、カズシさんにクラウドさんが集まっていた。
ずいぶん豪華なメンバーだな。
「ごめんなさいね、テンカワ君」
開口一番、ムネタケは頭を下げた。
な、なんなんだ、一体……と思ったとき、閃いたことがあった。
前回ナデシコは、ヨコスカに着くと同時に、連合軍に徴用された。
前回のそれは、ムネタケの陰謀だった。だが今回、ムネタケは明らかに俺たちに味方している。
前回は准将だった階級も、今回は少将になっているはずだ。
だとすると、ムネタケは今回、ナデシコの徴用を、阻止する方向に動いていてくれた可能性が高い。そのムネタケが謝っているということは……つまりはそう言うことなんだろう。
「いろいろ頑張ったけど、とうとう軍の堪忍袋の緒が切れたみたい。ナデシコは25日をもって、軍に強制徴収が決まったわ」
「まあテンカワさん、この件に関しては、提督を責めないでいただきたい。非は私たちにもあるので」
プロスさんが、そう口添えした。
これには俺も、そしてユリカやルリちゃんも驚いた。
「どういう事なんですか、提督、プロスさん」
その場を代表して、ユリカが聞いた。
「その前に、何故あなた方を呼んだかをいっておくわ」
ムネタケは、そう言うと俺、ユリカ、ルリちゃんを順に見わたした。
「まあほかのクルーはね、この件が発動するに当たって、選択の余地がある。無理を言えば、ナデシコを降りることができるのよ。ま、軍の監視が付いたりして、生活は不便になるけど、それでも戦闘から離れることはできるわ。食堂の女の子たちあたりなら、素直に解放されるでしょうけどね。でも……あなた達三人には、その余地がない。艦長はまあ仕方ないわ。元々士官学校の出だから、卒業時点で身体的欠陥がない限りは予備役登録されてしまう。それを持ち出されたら断れないのは、納得してくれるわよね」
「ええ、それは仕方ありません。ナデシコを離れろっていわれたら、サボタージュくらいはすると思いますけど」
言うようになってるな、ユリカも。
「ま、そんなわけだから、艦長にはあきらめて軍に入ってもらうしかないの。抵抗しなければ、100%間違いなく現任続行だから、ここを離れる必要はないわ」
そしてムネタケは俺とルリちゃんをまた見る。
「けど……あなた達二人に関しては、こうして頭を下げるしかないわ。あなた達には、本来認められて然るべき権利が認められていない。というか、もしあなた達が任官を拒否したら……」
「軍は全てを明らかにしてナデシコの罪を問うと言ってきたのですよ。メンツに凝り固まっていた連合軍が、ついにメンツを捨ててきたんです……それも悪い方に」
プロスさんの言葉に、俺とルリちゃんは顔を見合わせた。
「全く、あたしは連合がここまで腐っていたとは、さすがに想像もしてなかったわ! はっきり言って今の極東軍でまともな頭があるのは、ミスマル提督だけよ! どうせメンツを捨てるなら、何故この戦いの劣勢を認めて、ネルガルやクリムゾンみたいな企業と手を結んででも、この地球を、月を、そして火星を守ろうとしなかったのかしら! 今回ばかりはほとほと愛想が尽きたわ……プロスさん、最悪あたし、軍に辞表を突きつけるかも知れない。その時は再就職の援助をよろしく。贅沢は言わないわ。いい年して独身だし、親は未だに軍の現役だから、生活費さえ稼げれば暮らしていけるしね」
俺はあっけにとられて、ムネタケの激高を見ていた。
「……どうしたんです、提督?」
俺の質問に答えてくれたのは、プロスペクターさんだった。
「いやはや……軍には我々も裏切られましたよ。せっかくテンカワさんが西欧で頑張って、負債を減らしてくれたというのに、今度は今頃になってビッグバリア突破の件その他を、経済ではなく軍法レベルで持ち出してきたんですよ。もちろんこの件を軍事的側面から公にすれば、連合軍のメンツは丸つぶれです。たかが民間の戦艦一隻に、連合軍の全てがコケにされたことが明らかになるんですからね。ところが連合軍はついにこの札を切ってきました。つまり彼らは、今の連合軍全部を破棄してでも、ナデシコ一隻をほしがってきた、そう言うことなんです」
俺もルリちゃんも、あきれると同時に驚いていた。連合軍は、ついにそこまで思い切ったというのか?
「不覚だったのは、あなたが西欧で活躍しすぎたという点もあるわ」
ムネタケがため息をつきながら俺のことを見る。
「頑張ってくれたのはありがたいし、現に西欧はあなたの手で救われた……けど、それは諸刃の剣だったのよ。今のあなたの評価は、連合全軍すら上回る。軍のお偉方が、そう認識するほどにね」
「俺もちょっと甘かった。勘弁してくれ、テンカワ」
オオサキ副提督も頭を下げた。
「結論から申し上げますと、あなたが連合軍への入隊を拒否した場合、ナデシコ及びネルガルは直ちに軍事法廷へ提訴され、ほぼ即決で地球連合に対する反逆罪が確定するでしょう。判決は全クルーが死刑。ネルガルは解体の上接収。まあ、現実には懲役にとどまるでしょうけど、罰金刑及び執行猶予、及び保釈が認められるクルーはただ一人としていないでしょう。これが連合軍の通達です。あ、申し遅れましたが、ルリさん、あなたがナデシコのオペレーター任務を拒否した場合も同様です」
プロスさんの選択は、今の地球の腐敗ぶりを、まざまざと見せつけるものだった。ここまで開き直られては、今の俺に逃げる術はない。
ルリちゃんも、どこかがっくりした様子で俺とユリカの方を見ていた。
「私、なんだか思いっきり反逆したい気分です」
だろうな……俺もそう思った。
いっそのことこのまま反旗を翻し、全てを終わらせてやる、そんな気にさえなる。
だが……そんなことをしても喜ぶのは草壁とクリムゾンくらいなものだ。
それに今のナデシコは満身創痍。とてもじゃないが連合軍を敵に回して勝てる余裕はない。
「ただ、こっちも黙ってそんな横暴は許さなかったわ」
そんな俺たちに、ムネタケはいった。
「そっちがその気ならこっちもその気よ。そこまでしてナデシコをほしがるからには、せいぜい高く売りつけてやることにしたのよ」
そしてプロスさんと目を合わせ、にやりと笑う。
「まず第一に、ナデシコは5つの方面軍、どれにも属さない、独立機動部隊となったわ。西欧であなたが所属していた、MoonNightみたいなモノね。同時に現クルーの人事権を凍結。連合軍最高会議の承認がない限り、ナデシコ部隊の人間を他の部署に異動することはできない。逆は可能だけどね。これはあたし達に関する干渉を妨げると同時に、今後いかなる成果を上げても、私たちは今の上が認めない限り、一切昇進の必要はないって宣言したって言うことよ。彼らにとってナデシコ部隊の最大の恐ろしさは、あげた戦果を盾に、私やオオサキ副提督が中央入りを狙ってくることだからね。続いては艦長かしら。現状では民間船の艦長でも、正式に入隊したら、あなた佐官待遇よ。それも大佐ね。20代前半、しかも女性の大佐は連合軍のどこを捜してもいないわ。おまけに戦果を上げれば即将官の仲間入り。ナデシコ部隊の実力を考えれば、けっしてありえない話じゃないわ。平時ならともかく、今は戦時ですからね」
「ひょえええ〜〜〜」
ユリカはそう言われて、何とも気の抜けた返事をした。
「お父様が中将なんですよね、提督」
「そうよ。下手すればあなた、30前にお父様に並ぶことになるわ。私と違って、あなたにはそれだけの裏付けもあるし」
そう言われたユリカは、ばんばんと机を叩きながら、必至になって否定の意を表していた。
「じょじょじょ冗談じゃありません! 私、そんなに偉くなりたくはないです。私に必要なのはこのナデシコであって、連合軍の机なんかじゃありません!」
「そのための人事凍結よ」
ムネタケはそこで少々人の悪い笑みを浮かべた。
「あなたならそう言うと思ったから、勝手に話をさせてもらっちゃったわ。相手だってナデシコの連中が動いたときの恐ろしさはよく知っている。ただでさえ有能なのに、軍事的成果と、ネルガルという経済的バックアップをもたれたら、現状の自分たちが太刀打ちできないくらいは先刻承知っていうこと。だからこちらの出世を質に入れて、代わりに組織からの独立という札を手に入れたのよ」
「さすがに統帥権や完全自主行動権までは無理でしたが、ま、事実上今までと同じ行動が出来るくらいの自由は勝ち取りました。作戦協力義務はありますが、いわばナデシコは一隻であってもれっきとした『艦隊』として扱われるということです。立場からいったら各方面軍と形式上は『対等』ですよ」
「私もこれで文字通りの『提督』というわけ。ただオオサキ君、ごめんなさいね。あなたとカズシ君だけは、完全に巻き込んじゃったわ。この先出世の見込みは……たった一つしかないわ。私が何らかの形で提督をやめたときの後釜よ。そこでおしまい。本当にごめんなさい。あのまま西欧にいれば、きっとあなたがグラシス中将の跡を継いだでしょうに」
確かにムネタケとプロスさんの言うとおりではあった。オオサキ副提督が司令のままなら、ゆくゆくはそうなっただろう。
だがオオサキ副提督……シュンさんはゆっくりと頭を振った。
「いや、そんなことになったら、俺は退屈して死んでましたね。アキトが来る前の第13大隊みたいに。仕事っていうやつは、やっぱりやり甲斐がないと。どうやら天下り先にも事欠きそうにないですしね」
最後の冗談はともかく、彼らしい返事であった。
そしてムネタケとプロスさんは、じっと俺の方を見た。
「さて……アキトさん」
プロスさんが真面目な顔になって俺に迫る。
「この話……受けていただけますか」
「受けざるを得ないじゃないですか」
まあ、ある程度は予測していたことだ。それによくよく考えると、ナデシコが『艦隊』としての地位を得たのは、かなり大きい。今後和平を持ち出すとき、『連合軍艦隊』としての立場があれば、和平提案を正式に連合軍に提出できる。もちろんそれを総意とするには地球連合首脳及び連合各方面軍の賛成を取り付けなければならない。だがそれを『提案』できるとできないの違いは、あまりにも大きい。
たとえ形式上でも、『艦隊司令部』からの提案となれば、公式記録に残る上、『否決』しない限り無効にできない。つまり和平提案を『無視』できなくなるのだ。
これはムネタケとプロスさんのクリーンヒットであった。
「ルリさんはどうなさいますか。正直な話、アキトさん以上にルリさんに抜けられるのは痛いのですが」
「もちろん、お受けいたします。断れませんし」
「そうですか……いやよかったよかった。これで何とか年が越せますね」
プロスさんがほっとしたようにいった。
「テンカワさん、ルリさん……本当に無理を言って申し訳ございません。特にルリさんのような年端もいかない少女を徴用するなど、本来あってはいけないことです。実は私にも……おっと、失礼。関係ない話でした。細かい点は後ほど上陸後に詰めるとしましょう。ほかのみなさんにも発表しなければなりませんしね。で、申し訳ないんですが、この辺の裏事情はあまり大声でいわないようにしてください。我々はともかく、連合軍がいい顔をしないでしょうから」
「その辺はわかっています」
俺はうなずくと、プロスさんの手を取った。
プロスさんは会社に忠実な人だが、同時に真に会社のためを思ってもいる人だ。不正は長期的に見れば会社を蝕むということを、ちゃんと知っている。だからこそ前の歴史でも、アカツキに逆らってまで俺たちの味方をしてくれた。
変な話ですけどあの時の恩は、この世界で返させていただきます。
そしてナデシコはヨコスカ港に入港した。
入港反対のプラカード、やってくる連合軍。全ては前回同様だった。
違うのは俺が追い出されるどころか歓迎されたことと、代わりに補充でやって来て、名を聞く間もなくジャンプと共に消えた、あのパイロットの女性がいなかったことだ。
あと、メグミちゃんもナデシコを降りるとはいわなかった。
「これからはよろしくな、テンカワ少佐」
そう言って奴らがわざわざつけていった階級章だけは捨ててやりたかったが。
「やれやれ、少佐かい? 大変だねえ」
ホウメイさんはぼやきながらも、俺に気を遣ってくれた。
「ま、どうせ今夜は補給作業で徹夜続出だろ? こっちも夜通し開けとくってみんなにいっといておくれ。あんたもいろいろあるんだろう」
「すみません、ホウメイさん」
「なに、軍人になっちまうと、いろいろうるさいからね。パイロットと主計科じゃ責任範囲も変わるしね」
「でもプロスさんや提督が頑張ってくれたおかげで、俺はコックを続けられそうです」
それを聞いたホウメイさんは、心の底から笑ってくれた。
「さすがだね二人とも。ちゃんとお前さんの正しい使い方を心得てるよ。テンカワ、お前はパイロットだけやってたら、絶対ダメになる男だからね」
俺はあっけにとられて、ホウメイさんを見送った。
……やっぱり、かないそうにもありません、師匠。
そして俺が自室に帰ろうとしたときだった。
「アキト〜! ハルナちゃん、到着したわよ〜」
ユリカからの知らせに、俺はあわてて部屋を飛び出した。
入り口に着いてみると、出迎えの人間で鈴なりだった。
あいつ、結構人気あったんだな。
既に暗くなった港は、スポットライトに照らされている。
そんな中に見える車と、駆けてくる女の子の姿。
「ただいま〜!」
真っ先に駆けてくるハルナ。そして……
「会いたかったよ! タケちゃん!」
「こらっ、くっつかないのっ、小娘っ!」
……まあ、お約束だな。
「考えてみれば、ずっと一緒でしたものね。懐かしがるわけもないですか」
メグミちゃんに、冷静なツッコミを入れられてしまった。
「まあ、そうだな」
よけいなことは、いわない方がいい。
そうしているうちに、本命がやってきた。
ナオさんに連れられてくる、かわいい少女と、元気そうな少年。
「ねね、アキト、あれ、誰?」
ユリカが聞いてくる。と、その時。
「お父さん〜〜〜〜!」
桃色の髪の少女が、そう言って走ってくる。
みんなの注目が、一斉に俺に向いた。
脇を見ると、ハルナがにやりとしている。
計ったな! ハルナ!
「アキト!」(ユリカ)
「アキトさん!」(メグミ)
「おい、アキト!」(リョーコ)
「「アキトさん!」」(サラ&アリサ)
みんな、そう言う意味じゃないんだあっ!
>NAO
くっくっくっ、アキトのやつ、困ってやがる。こっちの読み通りだ。
まあ、苦労させられたからな。あれくらいはいいだろう。
全く、とんでもないやんちゃ娘と元気少年……ついでに悪魔の妹だ。
そう、俺とハルナちゃんが、ニホンへ来てからのことだ。
「まずは戸籍か……いいのか、親子で。あいつ、まだ未成年だろ?」
「そうしろって言うんだから仕方ないじゃない。よしっと、書き換え完了」
「正規の手続きじゃまずいのか?」
「テンカワアキトの弱みを捜している軍やクリムゾンを挑発したいの?」
「……それもそうか」
……いきなりこれだ。アキトのやつ、肝心なところが抜けてやがる。ハルナちゃんも、アキトの前ではこういうこといいたがらないしな。こうやって黙ってアキトの作戦の穴を埋めてやがる。
「忘れてるんだもん、お兄ちゃんも、ラピスちゃんも。未成年者は基本的に他人の親権者になれないって。例外は実子……実の親の場合か、身寄りが未成年者だけの場合くらいなのに。血縁でもない子供を、社会的責任が取れないと見なされている未成年者が引き取れるわけないじゃないの。齢忘れないでよ、全く。第一ラピスちゃんに戸籍がないっていう、一番肝心なこと忘れているんだから」
「そりゃそうだ」
一応マキビ家の養子になっている(戸籍上は実子だ)ハーリー君と違って、ラピスは完全な実験体……当然戸籍なんぞあるはずもない。
けど……よくそんなところに侵入できるな。戸籍と銀行口座は、一番セキュリティの硬いところだぞ?
なんていうか、マシンチャイルド……逆らわない方がいいな、こりゃ。
こうして書類形式を整えたあと、俺たちは実験施設へと向かった。
ネルガルの極秘実験施設……などというと身構えてしまうが、実際の所はただの研究所だ。表向きが研究所でないと、必要な設備その他の購入が大変だからな。
ただ、ちょっと報告していない研究をしているだけだ。
けど……打ち合わせではここで待つようにいわれたが、どうするっていうんだ?
「なあ、ハーリー君」
彼は金で片が付いた。元々その予定だったらしく、ハルナちゃんの偽造した書類と、振り込み証書だけで片が付いた。
「ばれたらヤバくないか?」と聞く俺に、ハーリー君はにっこりと笑っていった。
「大丈夫。すぐ偽造じゃなくなりますから」
……どういう意味だ?
とにかく、約束した時間に、彼女はここに来るといった。
一体どうやドカアアアン!
……………………
………………
…………
……
…
「あ、来た」
ハルナちゃんの言った方を見ると、桃色髪金目の女の子が、よたよたとこっちに向かってきた。
背後は派手な火災……。
「あの子のせいか!」
「うん」
当然のように言うハーリー君。と、後ろの方から追っ手が来た。こりゃヤバい。
俺たちはあわてて迎えに走った。
「遅い! レディを走らせるなんて、ガード失格よ!」
いきなりの台詞がこれだった。
実験体っていうから暗い子かと思っていたが、結構情緒豊かだな。と、
「こら、そこの奴ら!」
手に警棒……いや、警棒型のスタンガンを持った男たちが、ずらりと俺たちを取り囲もうとした。
もちろんそんなことを許す俺ではない。
「やっちゃって!」
ラピスちゃんは、金色の目を輝かせながら叫ぶ。
しかし、スタンガンはやっかいだな。接触するだけでこっちが終わっちまう。そう易々とはさわらせないが、受けられないだけに『事故』も多い。
偶然の接触でお陀仏だからな。
俺はためらわずに銃を抜き、追っ手の腕を打ち抜いた。
「ぐわっ!」
のけぞる追っ手。さすがに奴らも銃を見て少し引いた。
「待て、そう簡単にあたりはしない! それより……これがバレたら、お前たち全員懲戒免職だぞ!」
おいおい……今更それはないだろ。けど、死の恐怖より懲戒免職の恐怖の方が勝ったらしい。全く……これだから危機感のない奴らは。
俺がさらに三人を撃った。でも、こいつらは止まらなかった。ええい、いい加減に気がつけ、このど素人どもっ! こっちはわざと手加減してんだよっ!
だが。
殺すか、と覚悟を決めたとき、スタンガンがほんの僅かにかすってしまった。
ぐわあああっ!!
あっという間に、全身が麻痺した。
くっ……なんだこれは。この電圧は子供に使っていい代物じゃないぞ! まともに喰らったら、大人ですら……いや、そうか!
これはれっきとした、『殺す』ためのスタンガンだっ! こいつら、実験体を捕まえるんじゃなく、処分するために出てきたなっ! 爆発事故でコトが露見したら、自分の身が危ないとふんだんだのかっ!
アキト、まずいぞ。奴ら、お前の予測より、遥かに非情に徹してやがるっ!
と、俺の脇で、彼女が動いた。
「お姉さん?」
ハーリー君が不思議そうにハルナちゃんを見る。
次の瞬間、ハルナは風になった。追っ手が全員、一撃で気絶する。
「凄……ア○ンビーみたい。頭水色だし」
「うっそ……」
つ……強い! 俺は本気でそう思った。今の動きは、マジで本気アキト並みだ。
一人残ったのは、命令していた男のみ。
ハルナちゃん……いや、ハルナは、ラピスを後ろにかばいながら、男に向かって言った。
「殺そうとしたわね……この子を」
「当たり前だ! それは……お前! まさか、12号!」
そのとたん、ハルナに明確な殺気が走る。
「そう……あなた、お母様の研究室にいたのね……ああ、そうか、サワムラさんね」
その声は、俺ですら背筋が凍りそうになるほど冷たかった。
「生きていたのか、12号……あの時、火星で失われていたかと思っていたのに……さすがはミカサ博士の最高傑作、究極の、そして真のマシンチャイルド!」
しかしこのサワムラとかいう男は、ハルナの台詞が全然耳に入っていなかった。完全に自己の世界に入り込んでいる。
「お前さえいれば、こんなお前ふぎゃあっ!
ハルナのパンチが、男の顎を完全にうち砕いていた。殴ったハルナの手からも、血が滴っている。
「うるさい。それ以上よけいな口をきくな」
その口調は、あの時のアキトより恐ろしかった。ラピスちゃんも、ハーリー君も、すっかり引いている。
無理もあるまい。子供には目の毒だ。
しかし振り返ったときは、いつものハルナちゃんだった。
「恐い? あたしが」
二人はそのままうなずいた。ははは、素直な子供だな。動けさえすれば、俺がかばってやるんだが、畜生……まるで身体が動かん。たまたま視界に、状況が入ってくるだけだ。
「あのサワムラっていう男は、以前お母様と一緒に、あたしを研究していた男なの。野心が強くて、お母様の研究を利用して自分が偉くなることばっかり考えているゲスだった。あたしは、まあいいわ。元々、そういうものだし。けどね……あいつのために、ラピスちゃんまで利用されるのは、ちょっと気に入らないな。あんな奴に研究されていたら、ラピスちゃんまで汚される」
「殺しちゃダメ! アキト、そういうのは喜ばない……」
目を閉じ、耳を塞ぎ、縮こまりながらそういうラピスちゃん。その様子は、怖がっているのとはちょっと違っていた。
何か別の意味で、それを見ないようにしている……。
この時のラピスちゃんの取った態度、その真の意味がわかったのは、もっとずっと後のことだった。
「ありがとう、ラピスちゃん。わかった。殺しはしない。でもね……」
ハルナはサワムラに近づくと、転げ回る奴に、何か技をかけた。
「ぎゃひあ」
顎がごっそりえぐられているために何も言えないサワムラの口から、声とは言えない音が漏れた。
あっという間に両手両足の関節がはずされている。
「あたしはこういう男は許しておけないの。ハーリー君も、しばらく目を閉じて、耳も塞いでおきなさい……夢に見るわよ」
そういいつつ、手足の末端、そして額に軽く一撃。そう見えた。
だが、その技には、俺の予測を越えた『何か』がこめられていた。
この状況でなお、引きつる身体。両手両足に打ち込まれた一撃は、どう見ても触れただけなのに、それだけで奴の骨をバラバラに砕いていた。骨という支えを失った筋肉が、収縮して跳ね回る。
ちょっとした地獄絵図だった。ハーリー君、忠告通り見なくてよかったな。俺ですら夢に見そうだ。
そして額に打ち込まれた一撃……その一撃のせいで、奴の意識が覚醒しているのを、俺ははっきりと見た。
どんな原理かは分からないが、奴はこの地獄の苦しみの中、気絶すらできないのだ。しゃべることもできず、両手両足の骨がきれいに砕かれて、想像を絶する激痛の中に閉じこめられる苦しみ。
俺は彼女が初めて西欧に赴任したとき、夜這いをかけた男どもが文字通り畳まれ、そのうち何人かは再起不能なまでにぶち壊されたという話を思い出していた。
彼女、これをやったのか……。
その時初めて、俺はあの男所帯の中で、彼女が平然としていられた理由を悟った。
荒くれ男たち……大隊所属の男たちで、あまり彼女と馴染んでいなかった男たちの目によぎる恐怖……。
確証はないが、以前魔女のコスプレで、壁越しに俺を叩きのめしたのなんぞは、全然かわいい所行だった訳だ。いやっていうほど、そのことがよく分かった。
最後に気絶している奴らの頭をなでると、ハルナは俺に言った。
「行きましょ……って、ごめん、まだしびれてた?」
そういってあわてて俺の身体をあちこちもんでくれる。するとしびれがすっと引いていった。
「動ける?」
「ああ」
まだ少ししびれているが、大丈夫そうだ。
俺はラピスちゃんととハーリー君の肩を、ぽんとかるく叩いた。
びくっとして彼らは俺の方を見る。
「終わった……いくぞ。ああ、振り向くなよ」
俺の忠告に従い、全速力でその場を離れる二人。
どっちも子供なだけにとてとてという感じだったが、その二人をさっとハルナが抱え上げた。
露骨に怖がる二人。
だがハルナはいった。
「ちょっとごめんね……人が来ちゃった」
確かに遠くからサイレンの音がする。
そしてハルナの奴は、100メートル10秒くらいのスピードで、一目散にその場から逃げ出した。
俺がひいこらいいながら車にたどり着いたときには、既に二人ともシートベルトまでしっかり締めていた。
俺が乗り込むと同時に、
「ずらかるわよっ!」
いつぞや見せた、あのすさまじいドライビングテクニックで、ハルナはその場を離れた。
サイトウ……お前よく平気だったな。この車でこれじゃ、お前のカスタムカーならどこまで行った?
けど、子供達と来たら……
「すっご〜い! ハルナ、最高!」
「ジェットコースターなんか、目じゃないですね!」
……タフだな。さっきまでの怯えはどこに行った、全く……。
「しまった、燃料切れ〜。調子に乗りすぎた〜。ナオさん、代わって〜〜〜〜」
「?……あ」
「??」
「ばか、さっさと止まれっ!」
「おじさん、おかわり!」
「す、凄い……生で見ると違う」
「どこに入るんだろう」
「おい、誰だアレ」
「まさか、フードファイター?」
「いや……テレビじゃ見たことないぜ」
「新人かな?」
「結構かわいいじゃない」
「ほら、さっさといくぞ!」
「ごちそうさま〜」
やれやれ、何とも騒がしい一日だ。
ただ、さすがにヨコスカが近づくと、特にラピスちゃんの表情が曇り始めた。
「ね、ハルナ……あたし、隠しておける自信ない……」
「別に隠さなくてもいいけど、気にしてくれるの?」
「ううん、ハルナのそれを知ったら、アキトが悲しむ」
「……はいはい。ある程度は知ってると思うけど……それでも?」
「アキト……気が付いてないから」
「……あの馬鹿兄貴。鈍いにもほどがあるぞ。わかったわ。あのね……」
ハルナが話していたのは、ちょっとしたいたずらだった。それを聞いたとたん、俺は笑いを堪えられなくなった。ラピスちゃんとハーリー君も同じだ。
「うん……それならアキト、絶対よけいなことに気が回らなくなる」
「嘘は、ついていませんよね」
そしてこれがあの問題発言に繋がる。アキト、悪いな。
>AKATSUKI
親子、ねえ。
僕はテンカワと女性陣の間で繰り広げられるドタバタを、少し醒めた目で見ていた。
気がついていないのかい? 君たちは。少女の金色の……ルリ君やハルナ君と一緒の、金色の瞳に。
僕は少々怒りを感じていた。僕はあの少女のことを知らない……つまり、彼女はネルガルにとっても不正規の立場で研究されていたことになる。
見当はついていた。彼らの年頃で、マシンチャイルドに関する研究は、確か一件しかない。
僕が気がついたときは、危うく外部に情報が漏れかねないような状態だった。プロス君が適切に『処理』してくれなければ、ネルガルの土台が揺らぎかねない所だった。
ミカサ サクヤ博士。
非人道的すぎる研究に手を出したため、ネルガルを退職……表向きはそうなっている。だが事実は違う。名目上別組織にしただけで、資金、人材的には裏で繋がっていた。
そうでなければ、ハルナ君を完成させることはできなかっただろう。
現に今ネルガルが握っている技術には、彼……彼女の手によるものが山ほどある。
そして僕が父や兄から継いだ遺産の中には、手放したくても手放せない、危険な遺産がいくつもあった。特に多いのは、退職後に失踪した、彼……彼女が残した研究だ。
実は……マキビ ハリ君……彼もそうだ。あるプロジェクトの実験体として作られていた彼。幸い彼は外見上はごく普通の少年だったため、保護してマキビ家に預けることができた。能力開発はその後も継続して行っていたが、基本的にルリ君が過去受けていたものとそう違わない。彼自身は遊びの延長ぐらいに感じていたようだ。
だが……あの桃色の髪の少女は。
こちらの記録では、発見当時3人見つかった生き残りの内、一人は間もなく死亡、もう一人は遺伝子操作による弊害が激しく、しばらく保護観察が必要、そしてもう一人は特に問題なし……これがマキビ君だ……ということになっていた。保護観察の一人も、手当の甲斐無く死亡という報告が、追って入ってきた。
けれども、どうやらそれは虚報だったらしい。
当時禁止が決まっていた遺伝子操作プロジェクトの続行を望んだ研究者が、密かに匿ったと見るべきであろう。こうなると、残る一人も、下手をすると生きている可能性がある。
あとで追加調査の必要がある。
僕は密かにこのことを、心に刻んだ。
けど、テンカワ君……どこで君は彼女のことを知ったんだい?
「ちゃんと説明してください!」
「だ、だから……」
あーあ、全く、女性の扱いがなっていないな、君は。
助け船を出そうか、と思ったところで、ハルナ君が先に動いた。
「みんな、何あっさりだまされてるのよ。ラピスちゃん、嘘はついていないけど誤解させる言い方っていうのは、悪い大人の使う言い方だぞ」
「あーっ、何よそれ! 教えてくれたのハルナじゃない!」
二人のやりとりに、みんなの視線が集中した。
「ハルナちゃん、それ、どういう事?」
ユリカ君が、みんなを代表する形で彼女に聞いている。
「あのね、この娘……ラピス・ラズリっていうんだけど、よく見て。特に目を」
「目? あ……ルリちゃんやハルナちゃんと同じ……」
「おい、それじゃあこの娘……」
みんなが納得したところで、ハルナ君は言った。
「そう、この娘もなの。ちなみにハーリー君……マキビ ハリ君もそう。彼は普通に見えるけど、やっぱりマシンチャイルドだよ。訳あって、お兄ちゃんが引き取ることにしたんだ。その際、ラピスちゃんは、お兄ちゃんが親権者になっているの。だからお父さんっていうのも、あながち間違いじゃないんだよね。さすがに養子縁組まではしてないから、厳密には違うんだけど」
「マキビ君は?」
メグミ君が彼を見ながら聞く。
「あ、ハーリー君は一応両親いるよ。ある意味ルリちゃんと一緒なんだけどね。でもいい人たちだし、問題は無し。もっとも、そろそろ危なくなりそうなの。ちょっとヤバい筋が、数少ないマシンチャイルドを狙っているらしくて。だからこうして一緒に保護することにしたの」
「保護って……警察とかは」
「ダメダメ。本人自身に価値があるんだよ? さらわれたらそれで終わり。警察は起こる前の事件には対処できないから、この場合は役立たずなの」
「あ……」
「ちなみに二人ともルリちゃんと同じ教育を受けているから、ナデシコのオペレーターが務まるよ」
「そういうわけです。取りあえず見習いということで……よろしくお願いします」
テンカワ君、プロス君に頭を下げている。
「しかし急にいわれても……はい? わかりました。何とかしましょう」
ん? プロスの目が急に鋭くなった。あれは、仕事の目だぞ。
その目が僕とエリナ君の方をちらりと捕らえる。
どうやら……パイロットと副操舵士ではなく、会長と会長秘書に用があるみたいだな。
テンカワ君、一体……何を言ったんだい?
「誤解してごめんね〜、アキト。でも、ということは、建前だけど、アキトはラピスちゃんのお父さんになるのよね」
「そうだよ、お姉ちゃん」
(……コクコク)
「じゃ、ラピスちゃん、これからお姉ちゃんの事ね、お母さんって呼んで!」
「「「ユリカさん!」」」
「……いや」
「ぎゃはははっ!」
「そんなあ〜〜、アキト〜、ラピスちゃんに嫌われちゃったよ〜」
「泣くなっ! お前、もう21だろっ!」
「……バカばっか」
……何をやっているんだい、テンカワ君……
>PROSPECTOR
さて、ここですね。
間違いはないと思いますが……
「ミスター」
あ、来てくれましたか、ゴートさん。
「会長たちは?」
「間もなく来る」
実際、程なく会長……アカツキさんと、会長秘書のエリナ女史が現れました。
「どういうつもりなの、テンカワ君は」
おや、少しおかんむりのようですね。まあ、無理もないですけど。
「どういう事なの? こんな真夜中に、しかも会長まで呼び出すなんて」
「むしろ僕は楽しみなんだけどね。ボクらを呼びだしたのはテンカワ君だよ」
「えっ! どういう事?」
おやおや会長、肝心のことをわざと教えていませんでしたね。エリナさんが怒るのも当然ですよ。
「彼が、私たちを?」
「ああ、どうやら彼は、僕たちに少しは手札を見せてくれるんじゃないかな」
そうですね……今という時期を見てのことかも知れません。
ナデシコが軍に所属したとなったら、さすがに今まで通りにはいかなくなります。
それにあの二人の子供……特に桃色の髪の少女は、あの時の子供でしょう。
それはひょっとすると、ひょっとすることになるかも知れません。
失われたと思っていた、私の……。
いや、そのことは忘れましょう。そうであっても確率は1/2ですし。
と、あたりにいくつものウィンドウが開きました。
何かのポートフォリオのようですね。これは……いつの間に!
エリナさんの顔も蒼白になっています。無理もありませんね。
ナデシコに乗っていなければ、すぐにでも手を打てたでしょうが……これはいけません。
「テンカワ君! これは……どういう事なの! 説明しなさい!」
エリナさんの絶叫が、この人気のない倉庫に響きわたります。
まあ……密かに狙っていた陰謀を、先にやられてしまったとあっては、心中穏やかではないでしょう。
そこに現れたデータには、アカツキさん、及びネルガル関係者……つまり、完全に身内といえる人物の持ち株が、いつの間にか50%を切っていたことを示すデータが映し出されていたのですから。
そして、そのウィンドウに隠れるように、虹色の光があたりを照らしました。
「………………!!」
今度こそエリナさんの息が止まります。
光の中から現れたのは……テンカワさんと、ハルナさんのお二人でした。
「これはまた劇的な演出だね」
いち早く自分を取り戻した会長が、テンカワさんに語りかけます。
「それとも……これは妹さんの趣味かな?」
「あたしだよ」
あっさりと妹さんが認めます。
「地味好きなお兄ちゃんが、こんな派手な演出考えつく訳ないじゃない」
「ごもっとも」
確かに、そんな感じですな。
「それよりっ! これは、なんなの! 説明してっ!」
まあ……予想通りのものだと思いますよ、何となく……。
私はずり落ちた眼鏡をなおしながら、じっとテンカワさんの方を見ました。
(ネルガルの存亡に関わる話がある。深夜2時、会長ほかのネルガル関係者を17番倉庫へ連れてきてください)
要するに、このヨコスカで、あなたは仮面を脱ぎ捨てる気だった、ということでしょうね。
でも、見事な先制パンチを食らってしまいました。
「見ての通りのものですよ、それは。説明してあげてくれるかな」
テンカワさんがそういうと同時に、さらにウィンドウが3つ開きました。
「ルリちゃん! ラピスちゃん! ハーリー君!」
3人の子供達は、妙に大人びた目で、こちらのことを見つめていました。
「アカツキ会長。現在あなた個人の所有しているネルガル関連の株式は、全発行数の45%に過ぎません。あなたの身内全ての株式を集めても、その総量は49%にしかなりません」
ルリさんの声が冷酷なまでに事実を告げます。見事に出し抜かれましたね。
「……そのようだね。いつの間にか、見知らぬ人達に株が譲渡されているようだが」
「去年、クリムゾンとの仕手戦の時に動いたエージェントね、彼女たちは」
「ご名答」
ハーリー君が、ちょっと自慢げに答えます。
「実はこれ、みんな僕が作ったダミーだよ」
「そしてあたしの命令一つで、この人たちの持っている株は、みんなアキトのものになる……抵抗したって無駄だよ」
ラピスさんが、最後通告を会長とエリナ女史に突きつけてきました。
「その時点でアキトさんが所有する株式は、ネルガル発行の株式の51%に達します。それも全ての分野において。あなたの手元に残るものは、何もありません」
「完敗……ということだね」
「う、嘘よ! そんなことができるなんて」
「できるよ」
うろたえるエリナさんに、ハーリー君がとどめを刺します。少しは会長の潔さを見習った方がいいですよ。
「ネルガルなんか、その気になったら30分でバラバラだよ」
「私たちが組んだら、世界経済なんてあっという間に手中に収まります」
やれやれ……我々は、一体何を作り出してしまったんでしょうね……
「もっとも、そんな私たちを手玉に取るような怪物も、ネットには巣食っているんですけど」
ああ……『ウィザード』、ですか。アレは……考えたくないですね。ほとんど神話みたいなものです。
でも、エリナさんには、この程度でも衝撃的だったみたいです。
自分のいた場所が、砂上の楼閣に過ぎないと知らされて。
「で、どうしたいんですかな、新会長殿は」
ははは、テンカワさんがその気になったら、明日にでもそうなりますね。
もっとも彼には、その気はなさそうですけど。
「会長になる気はない。これは単なる脅しだ」
「そうそう、お兄ちゃんに会長職なんて務まると思うの? 優柔不断のお兄ちゃんには、決断なんていう仕事はできないよ。責任を取る方はともかく」
……いわれてますねえ、テンカワさん。
実は、私の判断もその通りですけど。テンカワさんは、あまり組織のトップに向く方ではありません。何というか……優しすぎるところがありますからね。
「だからアカツキさんは安心して会長やってていいよ。お兄ちゃん、別にそう無茶は言わないと思うし」
「はいはい。で、傀儡の会長は何をすればいいのかな?」
「会長!」
「エリナ君、現実を認めたまえ。僕たちは、既に敗軍の将なんだよ」
「くっ……」
それも、かなり厚遇されているんですよ、エリナさん。
「それほど大したことはいわない。今ネルガルが潰れたら、困るのはこっちだしな。お前が自棄になって残りの株をクリムゾンあたりに売り払われたりでもしたらこっちの負けだ。経営権はともかく、役員を送り込まれたらやりにくくてしょうがない」
なるほど……そう言う手もありましたか。勝てなくとも、差し違えることはできる、と。しかしそれをわざわざ口にするということは、本気で我々の力を借りたいようですね、テンカワさんは。
「まず、ネルガルはナデシコに対するバックアップを優先してくれ。軍の所属になったということで手を引かれたら困る。今の連合軍は信用できないからな」
「それは問題ない。元々その気だった。ここで手を引いたら、ネルガルは丸損だからね」
私もエリナさんも、揃ってうなずきます。
「あと、ラピスとハーリー君を連れてくるときに、少々強引な手を使った。それの後始末を頼む」
「ムカつくバカ一人、廃人にしちゃったから、そいつに責任をおっかぶせると楽だよ。しこたま不正していたっていう証拠は揃ってるし」
「これは私の仕事になりそうですね、よろしいですか?」
「任せた」
と、ハルナさんが何かしました。
「プロスさんの端末に資料送っておいたよ。後で見てね」
そうさせていただきましょう。
「そして……これが一番大事なことだ。俺は木連との間に和平を結びたい。これに協力してくれ」
「なっ!」
木連、と言う言葉を聞いたとたん、それまで冷静だった会長が、一瞬にして青ざめました。
エリナ女史も、ですね。
どうやら……かなり高位の機密のようです。それすらあっさり暴きますか、テンカワさんは。
「何故、それを……」
「だいたいね、そもそも最初っから間違ってるんだもん、ネルガルは」
ハルナさんが小馬鹿にしたような目で、会長を見下ろします。
「ボソンジャンプの独占……そんなことは不可能だよ。はっきり言って」
「やはり……ジャンプのことも知っていたのか」
「できるんだもん、当たり前でしょ」
がっくりと、会長は肩を落としています。
「全て、お見通し、というわけか。今度こそ、完敗だな」
「そこまで知られているんじゃ、手の打ちようがないわ」
今度こそ、エリナさんもあきらめたようですね。
「何故俺がこれを知っているのか、そして、どうして木連との間に和平を結びたいのか……それは、いずれ、時が来たらみんな説明します。今は、まだ早すぎる」
「そもそも理解してもらえないと思うし」
確かに、そんな気がしますね。私にすらわからないことだらけです。
「とにかく、今は協力してくれ。はっきり言って俺には、戦闘やジャンプはできても、これを発展させて広く社会に普及させたり、何万の人の生活を支えるなんていう真似は無理だ。お前を頼るしかない」
「やれやれ、そのために僕をここまで追いつめるのかい? 信用がないな」
「ないんだもん、仕方ないよ。何故かはその時が来たら教えてあげる。アカツキさんには、その資格があるから」
信用……ないですかね。私は結構あると思いますけど。
「それに、ただとは言わん。見返りは提供する」
「半分は自分のためでもあるんだけどね」
くすくす笑うハルナさんの脇で、アキトさんは居住まいを正しました。
「生体ボソンジャンプのデータ、まずはこれを提供しよう。エリナさん。現在の研究は百害あって一利無しだ。即刻取りやめてくれ」
「!!!」
エリナさんの目がまん丸になりました。いきなりもっとも望んでいたものを提示されたのですから当然でしょうけど。
「ただ、あらかじめいっておく。詳しいことは後ほど渡すデータを研究してもらえばわかると思うが、生体ボソンジャンプは、誰にでもできる訳じゃない。ある種の条件をふまえた人物にしかできないんだ」
「戦艦とかで『輸送』することはできるみたいなんだけど。私たちみたいに単独で飛ぶのには、特別な資格がいるみたい」
「さらにもう一つ。ブラックサレナ……アレに使われている技術、それを提供する。この技術があれば、まあしばらくは技術的優位をネルガルは保てるはずだ」
「ていうか、お兄ちゃんが持ってても宝の持ち腐れなのよ。この技術は、工業的なバックアップがあって、初めて生かされる……そう言うこと」
確かに、個人の力では、ああいうのを作るのは大変だったでしょう。どうやったんでしようね、テンカワさんたちは。
「それはありがたいな。さしずめ最優先は、あの黒い機体の完成かい? ウリバタケ君にいわせると、現行の素材では強度が足りないそうだね」
「ああ。ウリバタケさんやルリちゃんたちが行っている研究をバックアップする手配を取って欲しい。物凄い金食い虫なんでな。ちなみにあのブラックサレナは、原型こそあったものの、ほぼラピスが独力で設計している。ジャンプの補助システムはルリちゃんの設計だし、高集束型グラビティブラスト……グラビティランチャーはハーリー君が改良したものだ」
「なんですって……あの子たち、そこまで?」
「味方につけておいて損はないですよ。生まれは悲惨でも、彼らはけっしてあなた方のことを恨んではいません。ですがこれから彼らがどう成長していくか……それは、あなた方の態度一つです。彼らを『道具』にするか、『人間』にするかは……俺よりむしろあなた達の問題です」
「はいはい、少しは反省しているわ。あたし達……その威力も知らずに核兵器をいじり回していた昔の人と、なんにも変わっていないってコトなのね」
同感ですな。特にエリナさんは、少し謙虚になられた方が、人間として大きくなれますよ。
これは私の個人的な意見ですが。
「では、協力してくれるか、アカツキ」
改めてテンカワさんが、会長に握手を求めます。
「完敗だといっただろう。いずれ逆襲させてもらうかも知れないが、今は君のいう通りにしよう。何というか……君を信頼して投資をすれば、何倍にもなって返ってきそうだからね」
「アカツキさん、きっと、本当に『予想外』のものが返ってくると思うよ」
ハルナさんがにやにやと笑っています。
それはきっと……けっして形にできないものなのでしょうね。私にも何となくわかります。
会長はまだ気がついていないようですが。
それは……『友情』っていうんですよ。
「そういうことです。みんな、いいですよ」
と、テンカワさんはいきなりまわりに向かってそういいました。
「えっ!」
その声と同時に、あちこちから人が現れます。
「あなた達……」
その場に現れたのは、イネス博士、オオサキ副提督、カズシ補佐官、クラウド参謀、レイナさん、そして……ムネタケ提督。
「テンカワ君、これは一体……」
「西欧から来た人は、一応知っているよ。木連のこととか、ジャンプのこととか。ジャンプに関してはちょっとだけね」
そしてどことなく放心していた提督に、ハルナさんはすり寄ります。
「タケちゃんはほとんど知らなかったから驚いてるけど、あとであたしがゆっくり教えてあげるつもり」
「まあ、そういうことです」
その場を代表して、副提督が一礼しました。
「あなたがアキトを支援してくださったのですね。西欧を代表して、感謝の意を表します」
「い、いや……」
突然面と向かって正真正銘の感謝をされて、さすがに会長も戸惑っています。
いままで儀礼的な感謝は腐るほど受けてきた会長も、ここまで誠意のこもったお礼をされるのは初めてでしょうからね。
「こ、こちらこそ」
「会長にとってはただの実験か、テストだったのかも知れない……しかし、あの時会長が手配してくれた資材と、送ってくださったテストパイロットは、文字通り西欧の生命線になってくれました。このご恩は、西欧の治安を預かるものとして、一生涯忘れることはありません」
「……」
今度は無言で、その礼を受けています。
さすがに会長も実感したのでしょう。自分たちが行っている事が、世間でどう受け止められているかを。
こういう雲の上にいる生活をしていると、忘れがちになる、そこに生きる人の心というものを。
「企業が利益を追求する上で、ある程度非道なことをするのは、仕方がないことなのかも知れません。でも、それにしても限度というものがある。ネルガルもそういう意味ではけっしてほめられたものではないのかも知れない……けれども、あなた方はクリムゾンに比べればずっとましだ。アキトはここに来る前、ネルガルもクリムゾンも大してかわりはないが、アカツキ会長は違うといっていましたよ。彼はまだそこまで企業の持つ毒に犯されていないと」
会長は照れくさそうに笑い、そしてエリナさんははっとしたように自分の手を見つめました。
そんなエリナさんを、レイナさんがじっと見つめています……。
今のレイナさんには、何かある種の決意がみられました。
たぶん……もしエリナさんが副提督のいわれる『企業の毒』にどっぷりと浸かっていたときは、姉妹の縁を切るくらいの覚悟をしていたのでしょう。あれは、そういう目です。
「けれども、クリムゾンは、明らかにその毒杯を飲み干している。私の口からは言えませんが、アキトは西欧でその毒のために、大変に苦しめられました」
おや、エリナさん、何か思い当たる節でも? 何かハルナさんの方をじっとみていますが……
「ご存じでしたか? クリムゾングループが、木連と繋がっているということは」
「薄々とは」
本来ならそれを探るのが私の仕事なのでしようが、木連……とか言う組織のこと自体が秘密だったようですからね。
「この戦いは、何かがおかしい。クラウドの奴もいっていたんだが、どう考えても、木連……木星の隣人たちと、俺たちが争う理由があるとは考えにくい。その成り立ちを考えれば、確かに理由はある。だがアキトがいうには、最初彼らはけっして争いではなく、むしろ友好を求めていたという。だが現実にはこの有様だ……アカツキ会長、あなたは何かご存じではありませんか?」
「いいえ」
会長の答えは否定的でした。
「残念ながらその辺の事情は、私の父と兄が握っていました。木連とのことは、私でも知らないことは多いのです」
「お父さんの暗殺も、アカツキさんは関わってなかったんでしょ」
「「「「「!!!!!!!」」」」」
ハルナさんの何気ない一言に、まわり中の注目が集まってしまいました。
「あ、あれ? みんな知らなかったっけ」
「さすがにそんなことまでは聞いてないぞ」
カズシさんにいわれて、ハルナさんが頭をかいてます。
「いっけない、よけいなこと言っちゃったかな」
「いや、いい」
そう答えたのはアキトさんでした。
「俺もそのことは知っていた……でも、それはアカツキが命令した事じゃない。だろ?」
「うん、そうだけど」
「今更そんなことをいってどうなるもんでもない。もう……過ぎたことだ」
「すまない……としか、僕には言えない」
会長も、この件では頭を下げています。それを言ったら、本来頭を下げるのは私なんですけどね。
「そう思ってくれるのなら……虫のいい話だが、父さんの夢を……忘れないでくれ。父さんはボソンジャンプは、独占してはいけないものだと常々主張していたという」
「うん、そうだよ。母さんもいっていた。研究の成果は、適切に分かち合われるべきだって。所詮個人で出来ることなんか、たかが知れているからってね。おかげで怪しい研究者をほいほい仲間にしちゃうのは、娘ながら心配だったけど」
そういう人でしたね、彼……いや、彼女は。
ハルナさんの身元調査で、死んだと思われたサクヤさんの足跡が出てきたときは本当に驚きましたよ。極秘実験体12号。あれがまさかハルナさんだったとは全然思いませんでした。あの頃の研究ログは、実際にユートピアコロニーの壊滅と共に失われていましたし、秘密研究所を『処分』しに来た時には、もうサクヤさんと共に、別の場所に移られていましたからね。そもそもあの研究所自体が、失踪したサクヤさんの研究を再現しようとしていたものでしたし。しかしまさか灯台もと暗し。女性化して堂々とお膝元のユートピアコロニーに潜んでいたとは。すっかりだまされました。オカマさんだった頃の『美女』っぷりに、私ですら引っかけられましたものね。女性化したサクヤさんは、どこにでも居そうなただのおばさんでしたから。
ハルナさんの出現でそれに気がついた私は、彼女の真の身元を調べようと躍起になりました。当時の実験体12号には、それだけの価値があると考えられていましたからね。現に成長したハルナさんを見て、本社でもそう判断しましたし。私もナデシコを離れられなくてやきもきしましたっけ。そして判明した事実はどえらいものでしたけど。
あの時は破損したログといいましたが、事実は当時の住民の遺伝子リストから、ハルナさんの遺伝子を元に逆算したものです。それがなんとまあ、ミスマル提督の奥さんだったとは、本気でびっくりしましたよ。追跡調査でも、事実は確認されましたし。
けど、今ハルナさんは、一人の女性として、アキトさんを助けて、何か大きな事をしようとしています。そしてそれは、どうも会長のためにもなりそうなことです。
実際私も、ジャンプの独占は、リスクが大きすぎると思っていました。そもそも原理もわかっていないものを独占しようなんて、虫のいい話です。元々拾いものなんですから。
ただ、現時点での撤退は、負債が大きくなりすぎるため、引くに引けなかっただけです。先代や先々代には、どうしても理解していただけませんでしたけどね。どちらも野心の塊のような方でしたから。
副提督のいう、『企業の毒』を、どっぷりと飲み干していた方でしたし。
さて、会長。あなたは、どんな道を選びますか? そして……あなたには、私というナイフを、使いこなすことが出来ますか? 今までは黙ってあなたに従って参りましたが、私はここでのあなたの動きいかんで、あなたの『器量』を見極めさせていただきますよ……
「確約は、出来ない」
会長は、そう、アキトさんに答えました。
「僕は少なくとも今は企業人であり、ある意味全てを……人間としての心をすりつぶしてでも、グループを守らなければならない立場だ。その責任において僕は、まだネルガルを潰すわけにはいかない。君が『強権』を発動して全てをその手に握らない限りは、僕は君を裏切ることもあり得ると思ってくれたまえ。僕自身、そんなことはしたくないがね」
「今はそれでいい」
アキトさんも、肯定をもってそれに答えました。
「いずれお前にもわかるときが来る。俺が……何を思っていたかを。そして、それを知ってなお、お前が俺に敵対するならば、その時は俺は、全力でお前をたたきつぶすだけだ。掛け値なしの、全力で」
「……同盟成立、と思ってもいいかな」
「ああ」
今はっきりと、二人は手を取り合いました。
「ではイネスさん、これをお願いします」
「あたしからもこれ。お母さんの研究のコピーだよ」
テンカワ兄妹から、イネスさんに幾枚かのデータディスクが渡されました。
「確かに預かったわ。あなたのご両親からの遺産を」
イネスさんも力強くうなずきました。
「ボソンジャンプのことは、俺はいわば取りあえず使える、それだけです。使うのはともかく、原理や危険性について調査したり、普遍化したりすることは出来ませんから」
「お願いします、イネスさん……いえ、ドクター・イネス。火星のナノマシンに関する研究も、いくつか入っていますから。さすがに夢物語みたいなのもいくつか混じっているけど、見極めはお任せしますね」
そして改めて、テンカワさんはみんなの方を向いていいます。
「何度も繰り返すようだけど……俺たちと木連は、けっして不倶戴天の敵同士じゃない。ほんのちょっと行き違った、古き友なんだ。俺はこの誤解を解きたい……そして、これ以上、ほんの一握りの人間の欲望と野心に、罪もない人々が巻き込まれるところはみたくない。そのために、俺は……修羅となってでも戦う」
その時、みんなの間に、確かに何か熱いものが通いました。
「ところでテンカワ、艦長とかにはどうするんだ?」
「しばらくは伏せておくつもりです。ですが……」
「が?」
私が発した疑問に対して、何故か確信ありげにテンカワさんは言い切りました。
「木連のことが知れ渡るのは、そう遠いことではないでしよう。その時には……みんなにも心を決めてもらいます」
揺るぎない決意を秘めて、テンカワさんは言いました。
「どう思う、エリナ君、みんな」
みんなが散ったあと、会長はそう、ぽつりともらしました。
「青いな」
ゴートさんは、黙ってそういいました。
「だが、それは空の青さだ。ただ青いだけでなく、持てる力の全てを使って、青い空を覆い尽くそうとする雲を吹き飛ばそうとしている。自ら青くあろうとする青さだ、あれは」
……結構、詩人ですね、ゴートさん。
「大した甘ちゃんね」
これはエリナさん。
「あんまりにも甘すぎて、じんましんが出そうになるくらい。力の使い方を間違えているとしか思えないわ。私が彼だったら……世界の全てをその手に握っているわ、とっくの昔に」
しかし、そこで彼女は、ため息を一つ付きました。
「と、思っていたけど、わかんなくなっちゃったの、私。それだけの力を握って、一体何をしようとしていたのか。今までいろいろな意味で力を握ること……それだけを考えてきていたけど、あたし、その力で、何をしたかったんだろうって。実はなんにも考えていなかったのよね、力を得たあとのことを。そしたらね、会長がオオサキ副提督に頭を下げられているのを見たとき、閃いちゃったの。
私が世界の頂点に立ったとき、こうして頭を下げられることが、この先あるだろうか……ってね。会長のあれだって、別にあんな風に思われるためにやった事じゃない。けど、結果として私や会長の思惑は、思わぬところで多くの人を救っていた。
そしたら分かっちゃったのよ、私の本当の望みっていうのが。アキト君のことを笑えないわね。私、褒められたかっただけなのよ。昔、お父さんやお母さんに、よく頑張ったね、エリナって言われて、頭をなでられていた頃のようにね」
そういうエリナさんの顔は、今までになく穏やかでした。
「頑張って結果を出すと、お父さんが褒めてくれた。あたし今の今まで、そこから全然進歩してなかったのよ。ふと気がつくと、私はとにかく上に行くことだけを考えていた。手段が目的にすり替わっちゃってたのね。全く……自分で自分がバカに思えるわ」
「で、どうするんだい? そのことに気がついた君は」
「すぐにはわかんないわよ、そんなこと」
にこやかな会長の問いに、いい笑顔でエリナさんは答えます。
「取りあえず、目の前の見本でも観察してみましょうか、と思っているわ。あんだけの大口を叩いたのよ、彼。どこまでやれるものか、見せてもらおうじゃないの」
そういう彼女の頬には、かすかな赤みが差していました。
おやおや、あなたもですか、エリナさん。
「そうそう、プロスさん。あなたは?」
おっと、エリナさんに逆襲されそうです。
私ですか、私は……
「見届けたい、ですね」
「ほう、そうきたか」
会長が、にやにやと笑っています。
私は、ゆっくりと言葉を選びながら、自分の考えを言いました。
「彼は、若い。あまりにも理想を見過ぎている……。私みたいなおじさんには、それがよく分かっています。会長も、エリナさんも、まだまだお若い。私より、遥かにテンカワさんに近いところにいる。だから私は、会長たちを応援するしかありません。単純に夢を見るには、私は年を取りすぎましたし、何より汚れきってしまっています」
「いや、だとしたらそれは僕や僕の親父たちのせいだ」
いい表情をするようになりましたね、会長。さっきまでのあなたには、どこか厭世的な面が色濃かったのですが。
これもアキトさんのおかげでしょうか。是非はともかく、今のあなたには、大きな『目標』が出来ています。それがあなたを輝かせているんですね。
ただ……そのオヤジ特有の勘が、一つの懸念を告げています。
「いえ、全ては自分の業ですよ。人に押しつけられるものではありません。ただ、一つだけ気になることが……」
「なんだい、プロスさん」
「ハルナさん、です。一見、非常に協力的に見える彼女ですが、何かが私の勘に引っかかるんです」
「ミスターもか」
おや、ゴートさんにもでしたか。
「どういう事?」
「彼女には、テンカワからは感じられない、濃い闇のようなものを感じる」
「実は私もなんです」
正直に私は自分の感想を述べました。
「変な話ですが……私は今ナデシコにいる誰より、ハルナさんが恐ろしい。あの天真爛漫な笑顔の裏に、何かとてつもない化け物が潜んでいるような気がしてしょうがないのですよ。生まれのことや、マシンチャイルドとしての能力、それらの全てを除いたとしても、まだ底知れない何かが、ハルナさんにはあります」
「君にそこまでいわせるか、彼女は」
「はい」
私がうなずくと、会長は意外にもゆっくりとうなずきました。
「実は僕も感じたことがある。けっして敵ではない。僕らに不利益になることもしない……それでも、彼女はまだ僕らの味方ではない」
「どういう事なの?」
首をひねるエリナさんに、私はいいました。
「これは私の領域です。エリナさんにはまだ理解の及ばない……いえ、足を踏み入れては行けない領域の話ですよ。ここに踏み込まれてしまわれたら、私はレイナさんの顔を見れなくなってしまいます」
「なんでレイナが……そう、そういう話なのね」
どうにかわかっていただけたようでした。
ハルナさん……あなたはアキトさんの陰に隠れて、何を思っているのですか?