再び・時の流れに
〜〜〜私が私であるために〜〜〜
第15話 遠い星から来た『彼女』……兄さん、なんでこんな所にいるの!?……<その2>
「とりあえずはここに隠れてください。ここなら安全です」
淡い色の髪と金色の目をした女は、私にそういった。
個人の居室……それも、男性が現実に住んでいると思える部屋だ。
全く……何故ここが安全なのだ。不可解極まる。
だが、今の私には、彼女の言うとおりにするしかないのだ。
この、どことなく珍妙な風体の女の言うとおりにするしか。
私の名は東舞歌。木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパおよび他衛星小惑星国家間反地球共同連合体、通称木連所属、突撃宇宙優人・優華部隊共通副司令を務めている。
全く……まさかここが、航海中の宇宙戦艦の中だとは思いもしなかった。これでは逃げ場が全くない。
彼女の手助けがなかったら、どうあがいても捕まるしかないところだった。
しかし、もしこの変な女の名乗りが真実なら、まだ一縷の希望はある。
この女……淡い、青みがかった髪と、金色の瞳を持つ、白い忍者装束の女は、よりにもよってとんでもない名を名乗った。
『輔星』……木連の、ほんの一部にしか知られていない、とてつもない腕を持った情報屋。四方天が北、諜報、不正規部隊が長、北辰の、『不正規な』配下とも言われる幻の人物。
『その姿を見た者は、伝説の死兆星のように死ぬ』事から名付けられたという符丁。
『輔星』のもたらす情報は、この戦争において、いくつもの決定的な役割を果たしたと聞いている。序盤、まだ有人跳躍の出来なかった時期に、地球側の情報をもたらしたのは、ほとんどこの人物だったという。そして北辰達と、我々優人部隊による跳躍実験が成功し、こうして地球圏に有人の部隊を派遣できるようになった今でも、きわめて高品位、大量の情報を提供している。
この女は、その『輔星』の、影の一人だと名乗ったのだ。
操縦席の扉が外部から開かれたとき、私は決断した。周囲の状況は全くわからなかったが、このままでは私にもたらされるのは『死』あるのみ。ならばと思い、愛用の短杖とともに一か八か打って出た。
結果はあまりにも手応えのない素人たちを打ちのめすことになり、いささか拍子抜けしたのだが。
どうやらこの場にいたのは調査のための人物だけらしい。私はいずれ現れるだろう追っ手に備え、身を隠すところを探った。だが、この建物は、奇妙に密閉度が高かった。
秘密の研究所かとも考えた。我らが木連の兵器を調査するために運び込まれたのかとも。
ただがそれが誤りであったことを、私はすぐに知らされた。
あの女に。
その通路に進入したとたん、どこからともなく声がした。
「しばしお待ちを」
慌てて足を止めた私だが、声の主は、その気配すら感じさせなかった。
私の身に緊張が走る。ここまで高度な隠形術を使う相手にあったのははじめてであったからだ。
「お初にお目にかかる」
背後からその声を聞いて振り向いたとき、そこには周囲の壁面にとけ込むような、白い忍び装束の女がいた。
「何奴!」
小さく、しかし力強く問うた私の言葉に、奴はこう答えた。
「『草』でござる」
「『草』?」
こういう状況で『草』と言えば、敵陣に潜伏している手のもののことである。
けれども、木連がどうやってそのようなものを仕込んだのか。疑問に思っていると、女はそのまま言葉を続けた。
「こう言えばおわかりであろう。私は『輔星』に連なるものです。東舞歌殿」
その一言が決定的であった。相手は我が名を知っている。そうとなれば、これが仮に罠だとしても、私には逃れる術はもうない。
私はおとなしく彼女に従った。
幸い、彼女の忠心は本物であった。壁に設置されていた隠し扉を難なく開くと、彼女は私をそこへと誘った。
「我が工作により、しばしの間、この船の超電脳は、その目を曇らされております。今のうちに。この中に入ってしまえば、下手な行為をしない限り、監視の目は届きません」
そこはおそらく整備用の通路だと思われるところだった。美しく整えられた表に対し、こちらはそこかしこに電線や伝導管がむき出しになっていて、なんというか、見苦しい。
「表のように環境を整えてしまうと、かえって整備や補修が大変になるのでござる。そのせいで歩きにくくなっております。ご注意を。もしこれらの電線を、些かなりとも傷つけようものなら、直ちに船の電脳に異常を察知されてしまいます。こればかりは船の環境維持機能に直結している故、我といえども細工は不可能故に」
「わかった」
そして私は彼女の案内に従って通路を巡り、時には換気口と思われるところに潜り込んで、この部屋に案内されたのだ。
「この部屋だけは、やはりくだんの超電脳にもあなたの存在を察知できないよう細工をしておきました。ここがいかなる所かはそこの端末をお使いくだされ。かなり木連式に比べて進歩しておりますが、補助機能が組み込まれているので、扱えると思います。後、これを」
そういって彼女は、なにやら青い糸のようなものを渡してきた。よく見ると糸ではなく、極細の腕輪であった。
「これは秘伝の細工物でござる。危険な……この場では、私と、後二人いる味方以外の人物が接近すると振動する仕掛けになっておりまする。これが震えたら身をお隠しくだされ。ただ、この後さらにお味方が増えても、やはり震えてしまいますので、それはご容赦を」
私はそれを見てため息をついた。その輪は、まるで彼女の髪を丸めただけのような代物だった。しかしそれにしては継ぎ目もない。
「秘伝ね……どういう仕掛けなの?」
しかし彼女は答えなかった。
「秘伝故、ご容赦くだされ。そもそも我ら『輔星』に連なるものが姿を見せたことすら、きわめて異例の事態。我らに関する噂はご存じでござろう?」
「そういえば、そうね……」
姿を見た物は死ぬと言われる『輔星』なのだ。
「あなた様はまだ死んではいけないお方。それ故、お助け申した。故に我が事は、ただ一人の人物を除いて、草壁中将にも秘匿していただきたい」
私はふと疑問に思った。草壁中将にも秘匿しろという割には、一人だけ話してもいい人物がいる?
「どういう事?」
しかしその質問は予想済みだったのだろう。彼女はほほえんで……覆面に覆われて見えなかったが、確かにほほえんで、言葉を続けた。
「すぐにおわかりになります。その方にだけは、たとえ命を戴くと言ってもお話になってしまうでしょうから」
「え?」
しかしそれ以上の問いに答えることなく、彼女は姿を消した。
あっという間の出来事であった。
あの姿は、伊達ではないということか……まさに古き伝説に伝わる『忍び』そのままだ。
「あのような者がいたとはな……私が知ることなど、まだ氷山の一角と言うことか……」
ため息をついてあたりを見回すと、妙なモノが目についた。
個人用の風呂場につながると思われる扉の前に、畳んだ衣服と、盆にのった食事がおいてある。食事は握り飯に沢庵、そして缶に入った茶であった。
「……用意のいいことだ」
衣服を見ると、下着までそろっている。恐ろしいことに、寸法まで合っている。
さすが輔星、その目は私の身体寸法にまで及ぶか。
しかしそれはそれでありがたかった。長時間操縦席に籠もっていたため、尾籠な話だが些か汗の臭いが気になっていたのだ。私も一応はうら若き乙女である。恥じらいの心は持っている。
ありがたく利用させていただくことにした。
汗を流してさっぱりし、髪を無断借用した手ぬぐいでまとめ、用意してあった衣服に着替える。見目は些か派手であったが、着やすく、また着心地のいい服であった。
「なるほど……地球というのは、これほど豊かなのか」
服の形からすると、この服はおそらく制服である。戦艦内で、それも女子用の制服であるというのに、これだけの物が、『制服』として用意されている……余裕のある軍でなければ、とうてい出来ることではない。
「その豊かさに驕ったこと……必ず後悔させてやる」
私はゆるみそうになる心を引き締め、傍らの糧食に手を伸ばした。たとえ敵の飯であっても、食料を無駄にすることは出来ない。毒が入っている心配も、まずないのだ。
握り飯は、とてつもなくうまかった。米自体の味が、まるで違うのだ。
私は今は亡き兄に、この米を食べさせてあげたかったと、心から思った。
それ故、些か反応が鈍ったのだろうか。部屋の入り口の開いた音に気がつくのが一瞬遅れた。だが、『草』からもらった腕輪には変化がない。仕掛けはともかく、嘘を言ったとも思えないから、入ってきたのは部屋の主……おそらくは味方の一人なのだろう。
私はそれでも物陰に隠れて様子をうかがった。はっきり言って、侵入の跡は歴然としている。これに気づかぬようなら大した相手ではない。味方といっても、信じることすら危険だ。
だが、相手は気づいた。一瞬油断無く身構え……が、何故かその緊張はすぐに解かれた。
そして、相手の声がする。
その瞬間、私の時は止まった。
「隠れていなくてもいいよ、舞歌」
……私はその時、生まれて初めて神に感謝した。
物陰から出た私の目の前に、二度とその手にすることが出来ないと思っていたものがあった。私の心は混乱した。理性も、感情も、すべてが押し流される。
万感の思いだった。
喜びと悲しみと愛しさと切なさと、すべてが入り交じる。
そして結晶化した私の心に浮かんだのは……
「兄さん、なんでこんな所にいるの!!」
何故か、怒り、だった。
>CLOUD
いきなり怒鳴られたか。その割には表情が泣き笑いだが。
しかし……彼女も思いきったことをする。僕の……私の記憶回復は、すでに見切られていたということか。
そうじゃなければ、舞歌をここに連れてくるはずがない。記憶が戻っていれば、ここほど安全なところはないだろうけど、戻っていなければ一番危険な場所でもあるのだから。
事態の静観が決まり、いったん3次警戒までレベルが落とされることになった。巡回はしているが、パイロットと保安要員以外は通常勤務に復帰。私も休息と着替えのため、自室に戻ってきたら……何者かが侵入している気配があった。
ここにいる人物といえば、一人しかいない。声を掛けてみたら大当たりであった。
怒鳴りはしたものの、それは驚きと緊張のせいだろう。
私に出来るのは、黙って彼女を受け入れることだけであった。
「ホントに……心配したんだぞ!!」
ぶっきらぼうな口調のまま、私の胸に飛び込んでくる舞歌。
私は彼女をしっかりと抱きしめた。
落ち着くまで、そのままじっとしている。
「……兄さん、夢じゃ、ないんだね……」
「ああ」
そして私と舞歌の、長い話し合いが始まった。
「でも兄さん、何故兄さんがこんな所に? ここは……その……敵の戦艦なんでしょう?」
「ああ」
私は簡潔に答える。そして、一番大切なことを確認する。
「舞歌……今、木連の方針はどうなっている?」
「気になるでしょうね……当然。今のところは、大きな変化はないわ。ただ、優人部隊、そして、優華部隊の実戦投入が可能になったの。草壁中将など、今まで不安があった年配の方々にも、安全に跳躍処置が可能になった……もちろん、処置そのものは安全だけど、跳躍そのものの不安定さは変わらないわ。今でも木星圏から地球圏までの長距離跳躍を行うと、約3%の誤跳躍が起きる……火星あたりに出現したのはいい方。1%は、完全に未帰還になっている」
「変わらず、か……」
私は心の中で、改めて決意する。
「舞歌、よくお聞き。今すぐには、私はこの場を離れることは出来ない」
「ええっ!」
さすがに驚いたようだった。
「どうして! 優人部隊総司令の兄さんが、何故こんなところで、敵に……」
そこまで言ったときに、舞歌も気がついたようだった。
「お兄様、今、何をしていらっしゃるのです?」
私は笑いを抑えて説明した。
「地球の軍組織の中で、最強を誇る部隊の参謀をしているよ。舞歌たちには悪いが、この部隊の練度は、優人部隊の最強組すら上回る。このことを知らずに戦っていたら、白鳥少佐や月臣少佐ですら、生き延びるのは難しいね。舞歌も実感したんじゃないか? あの黒い機動兵器の恐ろしさは」
「ええ……さすがに寒気がしたわ、彼には。地球にもいたのね、あんな実力者が……あ、それよ!」
とつぜん舞歌の雰囲気が変わる。
「彼、一体、何者? 彼があのとき振るった技は、間違いなく木連式の奥義の一つよ。地球では絶えているはずの技……強いのは納得できるけど、何故彼が木連式の技を?」
気がついたか。さすがは私の妹だな。
「そのことはまだ私にもわからないよ。ただ、彼は、地球では『漆黒の戦神』の二つ名で呼ばれる、最強のエステ……機動兵器乗りだ。その強さはまさに一騎当千、地球圏において、我々の無人兵器に与えた被害の、実に4割近くが彼一人の手によるものだ。彼の所属する部隊を含めると、なんと7割近くにもなる」
「……何よそれ」
さすがの舞歌もあきれ顔になった。
「じゃあ何? 我々の部隊は、事実上、たった一人の人間に負けたわけ?」
「そうだ」
私は冷静にその事実を認めた。
「それだけじゃない。彼はいくつもの優れた技術を地球圏にもたらし、また指導している。そしてこれが一番重要なことだが……彼は『完全な生体跳躍』を可能にしている」
「な……何よ、それ!」
舞歌の声が完全に裏返った。
「地球圏に、すでに生体跳躍の技術が? それも、我々のものより、完全なそれが? それじゃあ、この戦い……」
「このままでは、どうやっても勝ち目がない。それも、たった一人の男のせいでね」
私がそういった瞬間、舞歌の表情が明らかに一変した。
「ならば……逆に言えば勝てるわ、この戦い。その男さえ……亡き者にしてしまえば」
「無理だって。それに彼には死んでもらっては困る」
「どうして!」
まあ、舞歌がそう思うのも無理はない。舞歌は彼を知らないのだから。
だから私は、舞歌に説明した。
「これだけの力を持つ、圧倒的な存在感の英雄……彼はね、地球圏最大の和平推進派だ。それも、圧倒的にこちらの側に立ったといえるほどのね」
「……なによそれ」
舞歌は心底から放心していた。彼女にはこういう考え方は、まあ理解できないであろう。
「すさまじい力を持っている割には、何故か彼は権勢欲とか支配欲といったものと無縁なんだ……むしろそういったものを激しく憎んでいる様子すら見受けられる。木連の侵略行為には怒りを向けているが、彼の目は何か別の物を見ているように思えるね……それに彼は、ある意味我々以上に我々を知っている。不思議なことにね」
「……何者? 怪しすぎるわよ。最強の戦闘力を持ち、指導力もあって、技術も持っている。なんでそいつが地球圏の首魁になってないわけ?」
「私も気にはしているんだけどね」
あの日の、ネルガルのトップとの、交渉の様子を思い出す。
「彼はこの戦いの真実を知っていた……我々が戦いを仕掛けることを決意した経緯を。まあ、さすがに完全なものではなかったけどね。そしてそれをふまえて、本気でこの戦いを止める気でいる。ある意味彼の意見は、私と一緒だよ」
「地球の人間の考える事って、訳がわかんないわね。主体性も、理念も、なんにもないとしか思えない。たるんでいるわよ」
ふくれる舞歌を、私はもう一度抱きしめた。
「いずれにせよ、私もまだここから抜け出すわけにはいかない。幸いこの船は、絶大な戦闘力を持ちながらも、我々を無視した、まさに『堕落した』地球人達とは、少々毛色の変わった人間たちが集まっている。彼らをうまく動かせば、この戦い、戦術的ではなく、戦略レベルで勝利することが可能になるかもしれない。そのために必要とあらば、私は東八雲の名を捨ててもかまわないと思っている」
「え……」
おっと、これは誤解されたか? 私の言葉を聞いた舞歌が、急に小さくなったように見えた。
「どうしてなの……兄さん。私たちを、見捨てるというの……」
「違う!」
私は力強く言う。ここで舞歌を説得できないようでは、地球と木連の和平などという大事業は成り立たない。
「この戦いのことをもう一度思い直してごらん……そもそもの発端を。元々我々が戦術レベルで勝利を収めることは難しい。物量が違う。我々がまともに地球の物量に対抗しようとしたら、都市母艦『れいげつ』まで動員する覚悟がいるよ。そして勝っていたと思われた技術力も、漆黒の戦神……テンカワアキトとその妹のハルナ、そしてネルガルの手によって覆されようとしている。我々は今のところあの『プラント』の生み出す製品を利用しているだけだが、彼らは『改良』を加えることが出来る。基礎技術の差は、結構大きい」
私の話を聞いて、頷く舞歌。
「けどね、原点に立ち返ってみれば、我々は必ずしもこの戦い、戦術的に勝つ必要はないんだ。元々我々の目的は、自らの存在を、地球圏に知らしめることにあったはずだ」
「そういえば……そうなのよね。私たちは何も、地球の人たちを根絶やしにして、我々が取って代わろうとした訳じゃない……のよね」
私もそのことを、改めて心に誓う。
「そう、ある意味これは、かつて祖先が成し遂げようとしていた、独立戦争の続きとも言える……我々という存在を認めさせること……それはある意味、独立に他ならないからね。この戦いの終結も、たとえ破れたとしても、我々は国家として敗北しなければならない。植民地や、ましてやテロリストや犯罪者として扱われることだけは、断じて拒まねばならない」
「そのために、兄さんは?」
「ああ」
私は頷く。
「もう少し、地球側の意図を確かめてみるつもりだ。そう、これは覚えておきたまえ……地球側も、決して一枚板ではない。この戦いの裏には、もう一つ、別の意図が絡んでいる。本質的には民族闘争であるはずのこの戦いに、利を持って干渉している存在がある。ただ、まだその実態がつかめていない」
「……それを知ることが、目的なのね」
「そうだ」
そう、何故私は暗殺されねばならなかったのか。ロバート・クリムゾン……我々の最大の協力者であるはずの彼の行動には、不可解な点があまりにも多すぎる。
初めは利益のためだと思った。だが、テンカワアキトを通じて知ったこの世界の現状からすると、どうもそう単純な問題ではないようだ。ただ、この件に関しては、むしろテンカワハルナの方が頼りになると、私は踏んでいる。
そういえば……
「あ、そうそう、これは聞いておきたかったんだが」
「何、兄さん」
「お前を助けたのは、どんな人物だい? どう考えたって、援助無しにお前がここにたどり着けたわけがない」
「それは……」
打てば響くように答えようとしていた舞歌の動きが、何故か一瞬止まった。と、彼女は上を見上げ……しみじみとつぶやくように言った。
「確かに隠せないわね……兄さん、ビックリしないでね」
「何となく予想はついているからね」
すると舞歌はいたずらを思いついたときによく浮かべる、淡い微笑みをしながら、私に言った。
「『輔星』の影……本人はそう名乗っていたわ」
さすがに一瞬、私も息を呑んだ。
その名は木連でも長いこと謎になっている、凄腕の工作員の事なのだから。
それでも一応、確認を取る。
「その人物……金色の瞳をしていなかったか?」
「あら、よくわかったわね」
その返事に、私は内心頭を抱えた。
テンカワハルナ……君は一体、何者なんだ?
とりあえず舞歌には、無難な答えを返しておくことにした。
「その人物には、私も命を救われているからね」
「えっ?」
舞歌の目が丸くなる。
「彼女は表向きこの船で働いている人物だよ。まあ、良くも悪くも有名人だ。接触しても、余計なことは聞かない方がいいぞ」
「兄さんは知っているのね」
私は、黙って首を縦に振った。
「舞歌、しばらくはこの部屋に隠れていてくれ。彼女が動いている以上、この部屋の中なら安全だが、さすがに外に出たらたちまち見つかってしまうだろう。そうなったらかばいきれん。なに、きっと脱出の手段は用意している。彼女はそういう人だからね」
舞歌も、素直に頷いてくれた。
やれやれ、まさか木連内部にまでその手が広がっていたとはね、『電子の魔術師』殿。
>RURI
一応、艦内は少し落ち着きました。事態の静観も決まり、業務は通常へと復しています。
ただ、ブリッジには妙な雰囲気が漂ったままです。
ユリカさんが倒れ、ジュンさんとメグミさんが付き添っているので、主要メンバーはそのままです。提督とクラウドさんは時間が来たので自室で休息中、艦長の代わりにオオサキ副提督が艦長の位置にいます。
副官がカズシさんですね。
ハルナさんはいつの間にか整備班で仕事に復帰しています。私もコミュニケの回復と同時にモニターしていました。
彼女を見つけたレイナさんが突っかかっていましたけど、トイレにいたの一言で黙らされていました。というか、アレは『聞かないで』のサインですね。レイナさんにも通じたようでした。
けど……私の心の中のもやもやは、まだ残ったままです。
私はちらりと、隣にいるラピスを見ました。
「どうして、そう思ったのですか?」
手は操作盤に置いたまま、私はラピスに問いかけます。
「……上だった」
やがて返ってきたのは、短い言葉。
「上って?」
「あたしより、上だった……ハッキングの腕」
「……」
確かに、心当たりはあります。彼女の持つ真の実力は、おそらく……私より遙かに上なのですから。
でもさすがに、ラピスの出した結論は考えもしませんでした。
なぜなら……
「でも、そうすると、年齢が合いませんよ?」
ウィザード……伝説のハッカー。
彼女は私たちが逆行してくる、遙か前から存在しているのですから。
まあ……裏ネットの世界に興味のなかった、前回はどうだったか知りませんが。
と、ラピスがことさら声を絞って私に言いました。
「ハルナは……ずっと前から、この世界にいる。彼女がこちらに来たのは、13年前」
「!!」
声になりませんでした。それなら、確かにラピスの意見も納得できます。ですけど……
「何処でそれを知ったのですか、ラピス」
「!」
今度硬直するのはラピスの方でした。顔中に『しまった』と書いてあるみたいです。
ですが、その様子だと、素直にしゃべりそうにないですね。しらを切られたらそれまでです。
ここは一歩引いておきますか。
「まあ、今は聞かないでおいてあげます。でもその情報は、確かなものなのですね」
「うん」
どうやら、間違いはなさそうです。
とすると、彼女は一体……。
疑問は、ふくれあがります。
もし彼女がウィザードなのだとしたら、彼女はその気になったら一撃でクリムゾングループを叩きつぶすことも可能なはずです。
それだけじゃありません。
変な話、やろうと思えばなんだって出来たでしょう。歴史だって変え放題なはずです。
……考えても無駄ですか。私は彼女じゃありません。
でも、そうすると、彼女、本当はもっと年上なんですね。ある意味アキトさんより。
時折大人っぽく見える意味が分かった気がします。
けど、ラピス……多分あなたがそこに至った根拠は、アキトさんですね。あなたが私にも知らない、その手の情報を知っているとしたら、出所はアキトさんとハルナさんの会話を、こっそり覗いていたとしか思えません。
高くつきますよ、ラピス。
でも、今はそんなことを言っている場合ではありません。
私はチャンネル72に、秘話回線を設定しました。一応ラピスとハーリー君も呼んであげます。
文字オペレートだと覗かれるおそれがあるので、コミュニケのモードは音声に限定しました。
そして私は、ハルナさんを呼び出します。
「……呼んだ?」
すぐに返事は返ってきました。
「はい。いろいろ聞きたいことがありまして。一応秘密回線にしました。聞いているのはラピスとハーリー君だけ……アキトさんのことを知っている人たちだけです」
「お気遣いありがとね」
ハルナさんの声は、至って平静です。これから私が何を聞こうとしているかぐらい、おわかりでしょうに。
まあ、だからこその彼女なんですけど。
私は気を引き締めて、大事な質問をぶつけました。
「ハルナさん……まず先に一つだけ正直に答えてください。侵入者を確保したのは、あなたですね」
「そうだよ」
あまりにもあっさりと、彼女はその事実を認めました。
「どこにいるんですか?」
「安全なところ。秘密だよ、たとえルリちゃんにも」
私は怒鳴りたくなるのを必死にこらえました。
「何故……そんなことを」
「いろいろ訳があるのよ、ルリちゃん」
ハルナさんの声は、あくまでも落ち着いていました。
「彼女のことは気にしないで……悪いけど、白鳥さんとは違うの。彼女に関わったら、取り返しがつかなくなるわ」
「だったら説明してください!」
……………………
………………
…………
……
はっ、いけません、つい叫んでしまいました。
隣でラピスが私のことをジト目でにらんでいます。
「……バカ」
ううっ、激しく落ち込みます。まさかその言葉を、他人から言われる日が来るとは。
「ルリ君、何をしていたのかね」
シュンさんの声が、重くのしかかってきます。
どうしましょう……はあ。
>SARA
「だったら説明してください!」
いきなりルリちゃんの声がして、私はビックリしました。
ブリッジにいたみんなの注目が、ルリちゃんに集まっています。
「ルリ君、何をしていたのかね」
オオサキ副提督が、重々しい声でルリちゃんに問いかけています。
まあ、そうでしょうねえ。
何かこっそりと良からぬ事をしていたのは見え見えです。
『説明してください』っていうことは、どうも内緒話でもしていたみたいですけど……。
なんだったのでしょう。
と、目の前のコンソールが、勝手に動き出しました。
何事ですか!
ですが私が何かするまでもなく、ブリッジのコミュニケがONになりました。
「参ったな……けど、ルリちゃんを悪者にするわけにもいけないし。話し相手は私。ごめんなさいね、オオサキ副提督」
そういって映ったのは、ハルナさんの顔でした。
私は半ば呆然と、その映像を見上げていました。
「何を話していたのかな、ハルナ君」
司令……おっと、いけません。副提督の様子は、ちょっと恐ろしげなものでした。
「内容によっては、さすがに私といえども、君を拘束せざるをえないぞ」
「確かに、『さすが』ね、副提督。まあルリちゃんが怒鳴っちゃったのもある程度当然なのよ。想像はついているんでしょ?」
副提督は頭を抱えて言いました。
「とすると……やっぱり君か? 侵入者を逃がしたのは」
「うん、まだ逃げてはいないけどね。誰にも見つからないところに隠しちゃった」
ええっ!
さすがに私もビックリしました。まあ、ハルナさんはアキトさんと並んで、不可解なところのある人ですけど、一体どうやってそんなことをしたんですか?
「なんでそんなことを!」
「カズシ、声がデカい」
カズシさんでなくても、つい声が大きくもなります、そんなことを言われたら。
「大丈夫だよ。回線はロックしているし、今ブリッジに近づいている人もいないから」
私がそれを聞いてコンソールを見直してみると……確かにそういう設定になっていますね。どうやったんですか?
「まあ、そのことはいい」
副提督は話を元に戻しました。
「一つ確認しておきたい。それは……テンカワの意志か?」
「ううん、お兄ちゃんはまだこのことを知らないよ。でも、今彼女を拘束させるわけにはいかないっていうのは、多分わかっていると思う」
「まあな……うかつだったといえばうかつだった。こういう形で木連の存在がばれたら、連合軍は下手をするとナデシコを沈めかねんしな」
「わかっているじゃない、副提督」
ハルナさんは言います。
「木連のことは連合でも本当に一部の人が知っている極秘事項。今このタイミングでそのことがバレたら、とってもまずいことになる。証拠隠滅のために、ナデシコ一隻ぐらい、ためらいもなく沈めるでしょうね」
「ああ、彼女も間違いなく消されるな」
……認めたくはないですが、そうかもしれません。
「嫌な言い方だけど、連合がごまかしきれなくなるくらい、はっきりとした戦局の変化があればいいんだけど、まだそうじゃないでしょ? この状況じゃあ、まだバラせたものじゃないわ。はっきり言ってやっかいなのよね。さっさと出て行ってもらった方がいい位なんだけど」
「けど、そうも行かんぞ。侵入者があったことは事実なんだ。この件をごまかすのはもう無理だ。これであっさりと彼女を逃がしたりしたら、ナデシコ自身が連合に対してまずい立場になる。その辺はどうするつもりなんだ?」
「お兄ちゃんがいれば、まだ話は楽なんだけどね」
ウィンドウの中で、ハルナさんは溜息をつきました。
「ごまかそうとしたら、ナデシコの内部意志を一つに統一しなきゃいけない。けどそれが出来るのはお兄ちゃんだけだし。でもお兄ちゃんは月。それじゃあどうしようもないよ。裏技を使うのも、今は無理だしね」
ボソンジャンプですね。それを使えば、アキトさんはあっという間に帰ってこれるのでしょう。
「何しろ慌てて発進していったからね、フィールド発生装置、持っていっていないし。エステに付けていた装置も、壊れちゃっていると思うし。元々無理して付けてたから」
「研究所には一応CCが置いてあるけど、勝手に持ち出すわけにもいかないものね……」
エリナさんも相槌を打ちます。
「そういうこと。はっきり言って、今人前に出すわけにはいかないのよ、彼女。私たちのためにも、木連のためにも。だからとりあえず私がかくまったんだけど」
「どうする気だ?」
副提督はさらにハルナさんを追求します。
「ごめん。最終的にはお姉ちゃんやジュンさんなんかも説得しなきゃならないけど、それが出来るのはお兄ちゃんだけ。悪いけどそれまで、彼女は隠しておくよ」
「……こっそり我々に引き渡すわけにはいかんのか? 出来ることなら話し合ってみたいとも思ったんだが。我々はあまりにも彼らのことを知らなすぎる」
確かに同感です。私たちは、話には聞いていても、彼らのことは何一つ知らないのです。
「そうできれば話は早いんだけど……そうもいかないんだわ、これが」
どういう事でしょう。一体。
「何故だ?」
さすがに副提督も気になったようです。
「……ごめんなさい。それはまだ私の口から言えないの。副提督」
けれども、しおらしくはしていたものの、ハルナさんの口から出たのは、拒絶の言葉でした。
「残念だけど、彼女はまだみんなと接触できる余裕がない。秘密を保ったまま、彼女と接触できるのは今のところ私だけなの。理由は……これも、まだ、言えない。お兄ちゃんの秘密に関わっちゃうから……どうしてもっていうなら、ルリちゃん、ラピスちゃん、ハーリー君……この3人には教えられるけど、他の人はまだダメ」
名前を言われた3人が、何かはっとした表情になりました。
「……気になる言い方だな」
副提督の顔がますます曇ります。
「それではまるで、君と彼ら3人だけが、何か大事な情報を独占しているように聞こえる」
「……独占しているよ。お兄ちゃんの秘密を」
……もう、驚く人はいませんでした。むしろ、やはり、という思いが強いのでしょう。
ルリちゃんとラピスちゃんは、ウィンドウの中のハルナさんを、何となく強い目でにらんでいます。ハーリー君はそうでもないんですけど。
「これはエリナさんやプロスさんも聞いておいて」
呼ばれた二人が同じようにウィンドウに注目します。
「あたし、お兄ちゃん、ルリちゃん、ラピスちゃん、ハーリー君……お兄ちゃん以外はマシンチャイルドだっていうのを別にしても、なんか変だ、とは思っているでしょう。変な言い方だけど、出来が良すぎる……そもそもマシンチャイルドっていうのは、あくまでも機械と人間の、より高度なコンタクトを目的として生み出されたもの。そもそもの計画じゃ、こんなある種人間離れした天才になんかなるはずがない……そうなんだよね。あたしも、ルリちゃんたちも……この天才的な知識と技量は、マシンチャイルドだからじゃない。お兄ちゃんと一緒の……ある、とんでもない秘密が関わっている。でも、その秘密のもたらす影響は……とてつもなく、大きい。大きすぎる。冗談抜きで人類社会を破滅させかねない規模の秘密なんだ」
……もう、何も言えません。私は、一体、何を聞いているんでしょう。
さすがに副提督も呆けています。
「オイ、ハルナちゃん……」
そんな中、カズシさんが、ぼそぼそという感じの声で言いました。
「本気……なんだよな。お前さん、いまいちよくわからんところがあるが、なんというか……こう言う場面で嘘をつく奴には見えない……テンカワや君たちが抱えている秘密っていうのは、そんなにデカいのか?」
「はい」
答えたのは、ハルナではなく、ルリさんでした。
>ERINA
もう、あきれて声も出なかった。
木連の侵入者一人……言い方は悪いけど、あたしはたかをくくっていた。
単なる捕虜一人。こっちでいえば、アキト君……ほどのわけないわね。せいぜいリョーコさんかヤマダ君が捕まった程度のこと。そう思っていた。
でも、どうやらそうでもなかったらしい。
ハルナは、この件に関して、あたしや会長、いや、下手をするとテンカワ君すら知らない、何かの情報を握っている……あたしはそう見ている。
そう考えないと、彼女の行動が腑に落ちないのだ。
こんな目立つまねをしたら、自分が何かたくらんでいると明かすようなもの。それに、それまで明らかに協力態勢を取っていたルリやラピスたちをも裏切るようなまねをしている。
究極のマシンチャイルド。いえ、真の、と言い換えた方がいいかもしれない。
いみじくも彼女がいったとおり、ルリたちはあくまでも思兼のオペレーター……今までの常識を、根底から覆す力を秘めた次世代型コンピューターの能力を、極限まで引き出す存在として設計、教育されてきた。
設計という言い方は言葉が悪いけど、ほかにいいようがない。それにこの計画は、あたしがネルガルに入社する以前から進められていた計画だ。あたしはただそれを『負の遺産』として引き継ぎ、ついでに最も有効に利用しただけ。利点も大きいけど、それ以上にリスクの方が大きい。それがあたしと会長の判断だったから。
はっきり言って、スキャパレリプロジェクトが立案されていなかったら、そのまま闇に葬られていた研究だったと思う。
けれども、結果は……予想以上だった。すごすぎた、といってもいい。
重役たちの中には、マシンチャイルドプロジェクトの復活をたくらんだものが出たくらいだ……何とか叩きつぶしたけど。今では完全に違法となっている以上、メリットがこれほどでも、まだデメリットの方がわずかに上回る……例外があるとすれば、軍がなりふり構っていられなくなってからだと踏んでいた。
まあ……結局の所、それでも見落としがあった。その証拠がラピスちゃんだ。
そして彼らマシンチャイルドの能力は、私たちのそんな読みを遙かに上回るものだった。たった3人で、このネルガルを誰にも気づかれずに乗っ取ってしまう……そんなことが出来るくらいに。
だが……もしラピスちゃんのいうことが真実なら。
ハルナの真の姿が、あの伝説のハッカー、『ウィザード』だとしたら。
彼女の持つ能力は想像を絶する。
そしてそれは……あり得ない話ではないのだ。
もし彼女が、ボソンジャンプすら制御する『遺跡』とのリンクを所持しているとしたら……
地球の情報ネットワークなど、多分おもちゃ以下だろう。
でも、彼女はその力を秘匿していた。明らかに、アキト君にも。
気持ちは、わからないでもない。
だが……ならば何故今、そのことを明らかにする危険すら冒して、侵入者をかばうわけ? そこが納得いかない。
どう考えてもリスクとメリットが釣り合わないのだ。
もし、釣り合う理由があるとしたら……
彼女の存在は、ある意味アキト君の秘密に直結するはずなのだ。
「はい」
そして一つの答えが出た。
カズシさんの質問に対して、肯定の意志を表したホシノルリ。それは、アキト君の、そしてハルナの抱えている秘密の大きさを、そのまま表していた。
ルリの言葉は続く。
「アキトさんの実力、私たちの持つ力……すべてはある、たった一つの秘密に行き着きます。少なくとも今はまだ明かすことの出来ない、大きな秘密に。ハルナさんの言ったことは、ほぼその通りの意味があります。今の段階でそれを明かすことは……多分、みなさんにとんでもない衝撃を与えてしまいます。また……同時にそれは、たとえ説明されても理解できるものではありません。そのことを、そのことの本当の意味を、みなさんに説明することは……決して出来ないんです。たとえ幾千の言葉を費やしても、万の時を掛けても……決してアキトさんの気持ちは理解できません。しかるべき、その時が来ない限りは……」
最後の方は、この子にしては珍しく、涙まで浮かんでいた。
同時に感じる、とてつもない違和感。
これが……わずか12の少女に浮かべられる表情だろうか。
愛と、憎しみと、悲しみと……そして、恋。
その横顔は、どう見てももっと経験を積んだ女性のものであった。
絶対に思春期前の少女に出来る顔ではない。
このあたし、エリナ・キンジョウ・ウォン、若輩でありながらここまでの出世を成し遂げたのは、決して能力だけではないと思っている。魑魅魍魎、海千山千の化け物が闊歩する巨大企業の中で生き延びるには、能力に加えて、人物を見抜く目が要求されるのだ。
そのあたしの『目』が言っている。
この少女は、見た目より遙かに『大きい』人物だと。
そして、それこそが、多分、『秘密』なのだと、私は直感した。
わずか12の少女に、こんな『表情』をさせてしまうようなことだと。
「……わかった」
沈黙の落ちたブリッジに、オオサキ副提督の声が響きます。
「事は想像以上に大きいようだな……このことは、月に到着してから、テンカワを交えて話し合おう。おそらく、奴抜きでは、何も話してはくれないのだろう?」
「ごめんね、副提督」
あまり悪びれる様子もなく、ハルナさんは言います。
「でも、そのことをわかってくれたなら、ちょっとだけ教えてあげる。訳は聞かないでね。逃げてきた彼女……ただのパイロットじゃないの。地球連合で言えば……ミスマル提督やグラシス中将に匹敵する重要人物よ。だからなの、私が隠したのは」
「なんだとおっ!!!」
……何考えているのよ、あなた。
>AKATSUKI
やれやれ、どうして僕はこんな事をしているんだろうな。
僕は今、ある資料を読んでいる。
この騒ぎが起きる前、ハルナ君から手渡された資料だ。
内容は、彼女やラピス君が、僕の名前を勝手に使ってやった、いくつもの研究内容。
それは、まあ、いい……頭の痛くなるようなまねをしでかしてくれていたけど、逆に言うと、とてつもない利益を、少なくとも5年近くは保証してくれそうな研究ばかりだ。
新方式小型相転移エンジン、画期的な構造の新型エステバリス用フレーム、そして……テンカワアキト専用機動兵器。あるものは会長勅命で、またあるものは他のプロジェクトに偽装されて、研究が進められていた。この新型合金研究班など、まさか自分が研究していたのが奇跡の超合金だなんて夢にも思っていなかっただろう。本来の特性じゃなく、全然別なところに焦点が合うように誘導されている。一見したところ目的の強度が出ていないように見えているが、実はこの金属の特徴は全く反対の柔軟性だ。こういう『隠し研究』が、僕の知らないところで、いつの間にか行われていた。
一番とんでもないのは、やはりこの新型機動兵器だろう。パーツごとなら、すでに試作品すら完成している。制作者たちは、最初から予定されていた月面フレームの、試験評価用パーツだと思っている。大した手腕だよ、全く。れっきとした背信行為の癖して、僕が判子を押すと、すべては会長の先見の明による研究に化けてしまう。この実績があれば、僕の地位も、まあ、テンカワ君が強権発動しない限りまず安泰だ。
だが……そんな重要な書類を、僕は何故トイレで読まなけりゃならないんだ?
この騒ぎで外敵との連携に備えて、パイロットはずっと即時対応状態……つまりカンヅメになっている。それはまあ仕方ない。だがテンカワ君とヤマダがそれぞれ事情があって欠けているとなると……女性5人に男1人。お花畑と言わば言え。男の立場なんぞ無いに等しくなる。プライベートスペースは女性陣に占拠されて、僕はこっそり書類を読むのに、こうしてトイレに籠もるハメになる。
……早く侵入者が見つかって、この体制、解除になってくれないかな。せめて半舷休息が出来るようになれば、ゆとりも出来るんだけどね……
はあ……テンカワ君、君は今頃、何をやっているんだい?
ナデシコは……大変だよ。
>AKITO
(どうだい、そっちは)
(もう、大騒ぎ。なんか、全然違っちゃってる)
(そうか……参ったな、こりゃ)
俺はラピスからの報告を、頭を抱えながら受け取っていた。
本来ここで合流し、ナデシコのみんなに木連の存在を明かす事になるはずだった、白鳥九十九の動向は不明、ガイは記憶喪失になり、おまけに入れ替わるようにナデシコを騒ぎに陥れた未知の侵入者……もはや歴史は、取り返しのつかない、というか俺の知らない何かに変わってしまっている。
大筋が変化していないのが唯一の救いだ。
俺は今、とりあえずは月にあるネルガルの出張所に身を寄せている。自爆したマジンを振り捨てて何とかここまで戻ってきたものの、はっきり言ってフレームはほぼ全壊。アサルトピットを何とか回収するのが精一杯だった。
当然ジャンプフィールド発生装置も壊れてしまった。普段なら身につけていた携帯用の発生装置も、今回は出動直前まで女装していたものだから、持ってくる暇がなかった。
CCの一つもあれば何とかなるんだろうが、さすがになんの根回しも無しにネルガルの研究所からCCを取ってくるわけにも行かない。それにボソンジャンプに関わる研究は、現地の火星を除けば、ほぼ地球の本社周りの研究所が独占していた。機密保持を考えれば当然の事だ。CCがあるかどうかもやや怪しい。
で、今俺が何をしているかというと……何故かテストパイロットの真似事をしている。
前回、襲ってきたダイマジン……月臣と戦った時に使用した月面フレーム。その制作班に手助けを求められたのだ。
前回は気がつかなかったが、改めて見直してみると、ここの特異性がよくわかる。
ここは応用研究所なのだ。エステバリスをエステバリスとして使うのではなく、その技術を使用してどんな事が出来るかを研究する場所だ。
実を言えば……前回、アカツキの支援の元、ブラックサレナの研究をしていたのがここだ。エステバリスは、よく、『戦闘機』と仇名される事がある。小型軽量、母艦の周辺を直衛するために設計されている。そのため、西欧のように母艦を運用できない地では、フィールドジェネレーターを積んだトラックなどを、現地近くに配備しなければならなかった。
基本的な設計が、局地防衛型の兵器なのである。
対してここでは、エステバリスから、その制約を取っ払ったときに、どんな兵器が出来るのかを研究している。大型化するのを了承した上で、当時の限界まで小型化した相転移エンジンを積んでいた、この月面フレームなどがいい例だ。相転移エンジンを積む事によって活動限界を無くし、防御型から、攻撃型の兵器へとその質を転換させる……それが月面フレームのコンセプトだ。もう一つ、母艦との連携が基本のエステバリスに対して、単独行を基本とする事も違う。
このことに思い至った俺は、この月面フレームを、エステバリスと呼ぶよりは、プロトサレナとでも呼んだ方がいい気がしてきた。相転移エンジンこそ積まなかったものの、ブラックサレナはこっちの方がコンセプト的に近い。
ただ、現在のエステバリス全盛の状況では、やや日陰者扱いだ。そこに俺が迷い込んできたため、このタイプの機動兵器の運用に関して、俺の意見を現場が聞きたがったのだ。
ブラックサレナの研究とテストに明け暮れていた一時期を思い出したが、それでも俺は彼らに協力した。ナデシコでハルナが作ったあのシミュレーターは、一般販売はまだらしかったが、こういう研究施設にはすでに行き渡っているようだった。あの実機さながらのシミュレーターで、俺は月面フレームを初めとする試作機を、何度かテストした。
だが、そのうち俺は妙な事に気がついた。試作機のデータの中に、どっかで見たような物が混じっているのである。
『性能はいいんですけど、組み込むと現行のフレームじゃあバランスが取れないんですよね……まあ、試作品にはありがちな事ですけど』
現場の人間は、そういっていたパーツ。だが、俺は知っていた。
そういったパーツを組み上げたところを想像すると、あるものができあがる。
中枢部がないので、ここの人間には想像できないのだろう。だが、これにブラックサレナBタイプの中枢ユニットと、小型相転移エンジンを持ってくると、俺の記憶にある機体ができあがる。
ラピスに依頼し、ハルナも試作モックアップのデータを作ってくれた、あの機体だ。
エステでは限界が来る事を予想して、ラピスに頼んでおいた次世代型機動兵器。
だが、この段階でここまでパーツが出来ているとは予想もしていなかった。元々の予定では、アカツキが月に到着した時点で依頼するつもりだったのだ。
(ラピス……ここまで準備していたのか?)
だが、そう問いかけた俺の所に戻ってきたのは、驚愕の声だった。
(え! あたし、まだそっちには手を付けていないよ)
(……どういう事だ?)
(とりあえず、これから言うところにデータをちょうだい)
俺はシミュレーターのデータを見るふりをして、ラピスの言うところにデータを置いた。この手のデータは研究中は結構クローズライン環境で処理されるので、さすがにラピスといえども手を出せない場合も多い。
返事はすぐに来た。
(……多分ハルナだよ。この手際の良さは。あたしがこの間、やっと完成させた設計図のデータ、こっそりバラバラにして、ここに送られてる)
(オイ、それって……)
(あたしがそっちに行って、最終設計図を渡したら、多分エンジンを作って組み込めば、すぐにも使用可能になるよ、あたしの、最高傑作が……)
そう、以前の世界では、使用することなく終わった、もう一つの黒き鎧。
拠点制圧、強襲用のブラックサレナではなく。
対北辰用に練り上げた、白兵高機動戦を可能とする機体。
ラピスがイネスさんとアカツキの協力を受けて研究していた機体だった。
残念ながら主力兵装となるはずだった武器……DFSの設計が間に合わず、前回はお蔵入りしていた。以前イネスさんに渡したDFSのコンセプトデータは、その時のものだ。
そして、バッタのエンジンやフィールドジェネレーターに使用されている特殊合金……高空間張力保持合金。
ウリバタケさんに指摘されて、俺はこれの事を思い出した。前回はこういう方面の研究は、イネスさんとラピスに任せっきりにしていたしな。説明もほとんど聞き流していた。やはり俺には、こういうのは向いていない。
フェリ化チタン合金とでも言うらしい。ただし、この合金は、本来の用語の意味である磁場ではなく、歪曲場に対して作用する不思議な特性がある。歪曲化された空間内にこの物質を置いておくと、さらにその周辺の空間が歪むのだ。相転移エンジンの、転移空間に対する壁面材料として使うと、相転移時に副作用として発生する空間歪曲エネルギーを吸収、同時に歪曲場を再展開して、通常物質より遙かに強い耐性を示す事になる、不思議な金属。
そしてこの特性は、ほかにもいろいろ応用が可能だった。だが、当時の俺たちには時間が足りなかった。元々木連プラントでしか作れなかった特殊合金である。原理を解析して、地球側でこの金属を生成できるプラントを作ったときには、ほぼリミットいっぱいの時間が経っていた。それを元に研究する余裕は、俺たちにはなかったのである。当時の木連側でも、この金属の特性は解明できていなかったのだ。漠然とバッタなどに使われていただけなのである。
前回の時点でも、ラピスによれば、これを使いこなせれば相転移エンジンやフィールドジェネレーターの、飛躍的な小型化が可能になると言っていた。ただ、こればかりは個人的な製造は不可能だ。現行設備でも、量産を考えなければ、何とか少量なら製造は出来るが、そんな施設はネルガルやクリムゾンクラスの大企業でないと維持できない。情報を提供しても、そうそうすぐに手に入るものでもないのだ。
結局、前回は間に合わなかった。完成していたら、アルストロメリアやステルンクーゲルですらあっという間に時代遅れになる事は必死の、革命的な素材であり、凋落しかかっていたネルガルの切り札であった。
これらの情報も、ネルガル乗っ取りを仕掛けた俺たちに対し、なおそれでもアカツキが抵抗したときのための武器として用意されていたものだった。それが……
(なんかいつの間にか、ネルガル中に、巧みに偽装されてばらまかれているよ。アカツキさんの判子と指令一つで、この偽装は解除され、ネルガルはとてつもない利益と力を得られる……こんな事、ウ……ウ〜ん、私にだって無理。ハルナだけだよ、できるの)
……? なんか引っかかったが、俺は心の中で頷いた。
(かもな……で、そうなると具体的にどうなるんだ?)
(これにあたしの持っている最終設計図と、ウリバタケさんが喜々として研究している小型相転移エンジンの設計図が組み合わされば……完成するよ、アレ。多分一ヶ月たたずに、実用試験に入れる)
(それはまた……早いな)
俺はうなった。大した手際の良さだ。
(まあ、早い分にはいいと思うけど……ちょっと悔しいな)
(いいじゃないか、素直に感謝しておこう)
(……)
この時点では、俺はナデシコの騒ぎを楽観視していた。どっちかというと、確実にやってくる、月臣にどう対抗しようかと思っていたのだ。
現段階では、まともに乗れる機体がない。前回はあった月面フレームも、この細工のあおりを食らって、まだ試作品だ。潜在的な性能は上だが、実用には耐えない。
そんな事を考えていたら、なんか腹が減ってきた。
時計を見ると、もうお昼時である。
「食事に行ってくる」
「あ、行ってらっしゃい」
そして俺は、研究所を後にした。
後にする、といっても、実際はネルガルの社内だ。ここは研究所だけでなく、製造工場やその他管理施設も設けられている。社宅やその人たちのための設備もあるから、実質的には『ネルガル町』といってもおかしくない。
具体的に言えば、あのシャクヤクがあったドックだ。
そして、この工場内には、あの食堂がある。
前回いろいろお世話になった、あの食堂が。
「こんにちわー」
「いらっしゃいませ〜」
久美ちゃんが挨拶してくる。どうも俺は、ここや雪谷食堂みたいな、古びた感じの場所に弱いらしい。さすがに料理を作ってこそいなかったが。
心のこもった料理に舌鼓を打ちつつも、俺は考える。
前回はこの子の瞳を涙にぬらしてしまった。そして、時間を考えると、今日か明日の夜あたりの筈だ……月臣の襲撃は。
どうも歴史の変動のせいか、こういう事の時間が微妙にずれはじめている。
今までは何ともなかったが……警戒が必要だろう。
今夜はドックにでも泊まり込むか。
そして、奴は来た。
深夜町中に鳴り響く警報。月面にそびえる巨大な機体。
ダイマジン……自爆したマジンの強化型だった。
乗っているのは、まず間違いなく月臣だろう。
「これ、使えるか?」
「ええ、幸いにも。ただ、まだ仮組みですからね。DFSをつないで、このエンジンが持つかどうか……」
「何とかやってみる。定期試験が、いきなり実戦試験になっただけだ」
俺が乗り込もうとしているのは、月面フレーム……の、試作品だ。
極端な事を言えば、何とか動く手足に、相転移エンジンの動力部とフィールドジェネレーター、DFSへのコネクションを組み込んだだけの代物。エステバリスとも言うのもおこがましい。
「そもそも装甲なんて飾りなんですよ、エステバリスのコンセプトからすれば」
なかなか大胆な事を言うエンジニアだった。
「エネルギー量さえ十分なら、ディストーションフィールドは光線兵器だけでなく、質量兵器にも十分対抗できるんです。現行のジェネレーターでは、そのための出力が足りないだけで。この月面フレーム用のエンジンとフィールドジェネレーターなら、装甲なんて無くたって十分です!」
実際は誰もそんなものには乗らないだろうがな。だが、幸い、俺には乗りこなせる。
元々DFSを使用すれば、防御力は最初から無いも同然だ。さすがに相手がバッタやジョロではかえってキツいが、襲ってくるのがダイマジンなら何とかなる。
そこで俺は、あの後動作試験と称して、このスケルトンフレームとでも言いたくなる、月面フレームを組んでもらっていたのだ。
一発でも食らったら終わりだろう。
だが、今はこれでどうにかするしかない。
俺は月臣の方へと、このがらくたもどきの機体を走らせた。
『ゲキガンパーンチ!』
コックピットの中に、月臣の声が響く。
月臣は、電波に乗せて自分の叫び声を『放送』していた。
律儀に聞いている俺も俺だが。
だが、気持ちはわかる。地球では気がつかなかったが、おそらくあっちでも同じ事をしていたはずだ。
技の名前を叫ぶのは、『お約束』だからな。ゲキガンガーを模したジンシリーズに乗っていて、叫んでいないわけがない。
さすがに俺は少し苦労していた。慣れないテスト版のフレームである。やや大きめに動かないと、攻撃が回避できない。最初ぎりぎりで見切ろうとして、危うくいきなりやられるところだった。
月臣の狙いが甘くなかったら、そのまま終わりだったろう。無様にこけた俺の動きは、まさに『やられメカ』だった。
だが、何回かこけた甲斐あって、やっと動きがなじんできた。
「そろそろ……いけるか」
俺はそう小さくつぶやき、DFSの起動を意識する。
無意識的な操作により、腕に収まっているDFSに、フィールドが集束していく。
『むっ、剣状の兵器だと……』
月臣は剣の使い手だ。感じる事があったのだろう。
そして剣が完成した瞬間であった。
(アキト!)
爆発的に上がる、ラピスの悲鳴。
一瞬俺は、DFSの保持を忘れた。
結果、それに救われた形になった。
DFSの保持が解けた事により復活したフィールドが、隙を見せた俺に向かって襲いかかってきた月臣の打撃を、ほんのわずかだがそらしてくれた。
直撃になっていたはずの攻撃は、左腕を吹き飛ばしただけですんだ。
幸いDFSを持っていたのは右手だ。まだ戦闘力は失われていない。
慌てて体勢を立て直し、同時にラピスとのコンタクトに意志を回す。
(どうした、ラピス!)
(あいつが……あいつが来た! アキト!!!!)
同時に脳裏に展開する、ある人物の姿。
「なにいいっ!」