再び・時の流れに
 〜〜〜私が私であるために〜〜〜

 第16話、『私達の戦争』が始まる……それでも、彼女は、私たちの、大切な、仲間なんです……その2



 「これは?」

 「お前達が要求したものだ」

 そこにあったのは、エステバリスの残骸。アサルトピットがないところからすると、パイロット達は無事に脱出したようだ。

 「これがあれば出来るのであろう……あの武器を運用出来る機体が」

 「ああ、可能だ。あなた方から提供された情報と、この機体のパーツがあれば、なんとかな……ただ」

 「ただ?」

 目の前の男……北辰は、相変わらず感情を感じさせない声で私に聞く。

 「どうやって制御する気なのだ? DFSを集束させておくためには、すさまじく微妙な制御が必要になる。IFSを通じてでさえ、制御領域をほぼ限界まで使用してしまうんだ。並のパイロットではコントロールすら出来ないし、刃を形成出来たとしても、それだけで制御バッファがいっぱいになって、同時にエステバリスを操縦することなんか出来っこない。出来るとしたら……並の人間の数倍の能力を持った、スーパーパイロットじゃなきゃ無理だ。現にこの武器を使う人間は、未だに一人しかいないんだろう?」

 「最近、二人になった。そして……三人目の当てもある。お前はいわれたとおりに機体を作ればいいのだ、タニ。足りない部品などはヤマサキに言え」

 うなずくしかなかった。
 私はタニ コウスケ。元ネルガル火星研究所勤務。現在は木連の捕虜にして協力者。
 イリサ博士の下、ボソンジャンプの研究をメインに、相転移エンジンや機動兵器技術の研究もしていた、まあ言うなれば発掘科学に関する何でも屋である。
 そして今私は、ある装備……DFSを運用出来る機体の作成を要求されていた。



 実際私は感心していたのだ。よくこんな武器を実用化出来たと。確かに理論上、フィールドジェネレーターのエネルギーバランスを崩したり、複数のフィールド発生点をシンクロさせることによって、ディストーションフィールドの展開形を球形から他の形にすることは可能である。ナデシコ級戦艦では、二本の平行する棒状の発生システムにより、空力的な整流作用を兼ね備える回転楕円体……いわゆるラグビーボール型のフィールドを発生させている。そしてこのDFSでは、円筒の内側にある幾何学的な配列でとてつもない数のフィールド発生端末を並べてある。この配置でフィールドを発生させると、理論上は無限長直線のフィールドが円筒内の軸線上に発生する。
 だが、ただエネルギーを流しても、いたずらにエネルギーが消費されるだけで、フィールド発生システムはなんの故障もしていないのに、フィールドが発生しない。
 『無限長直線』及び『円筒内の軸線上』というのがくせ者なのだ。
 どこまでも延びると言うことは、無限にエネルギーを消費するということにもなる。また、『数学的直線』は、1次元の存在であり、この3次元世界では太さ0の理論的存在でもある。しかもフィールドは、『太さ0の直線の内部に向けて』発生するのだ。
 つまり現実世界では観測出来ない。
 結論としてこのシステムは、ただエネルギーを流しても、エネルギーを高位次元に捨てているだけに過ぎない。だが、微妙に各発生器の出力バランスを変化させることにより、ホログラフのように『DFの干渉縞』を空間に出現させることが出来る。縞といって侮るなかれ。この縞はいわば『接触型超高密度斥力式歪曲場(ディストーションフィールド トゥ ソリタリード)』とでも言うべきものなのだ。平たくいえば高周波数で変調・圧縮され、ソリトン化した『閉じた』歪曲場である。グラビティブラストを空間に固定したようなものだ。
 これは外部空間には何の重力的変化を起こさないくせに、フィールドの外部境界面に触れたとたん、異常なまでの力Fが接触面に生じる。大気のようなものならほんの数ミリ厚ほどの乱流が起きる程度ですむが、固体がぶつかったらただではすまない。
 ハンマーなどで物体を叩いた場合、接触部分以外にも力が伝達され、反動で物体は移動しようとする。ニュートン力学の基本である。だが、このフィールドの接触は、接触面『だけ』に異常なまでの力Fを生じさせる。その力が他の部分に伝達されないのである。何かに力Fを掛けた時、その力が物体の重心線を通っていなければ物質は回転しようとするが、DFSで叩かれた物質は回転しない(!)のである。
 その結果物体が無重力空間にあっても、回転モーメントが生じず、接触面との潮汐力によって引き裂かれていくという恐るべき破壊効果をもたらす。実体のある刀剣と違い、力を受け流せないのである。幸いDFでならある程度『中和』が可能であるが、エネルギー密度的に並の強度では対抗など出来ようがない。事実上受けられるのは同じDFSだけという、まさに脅威の武器としかいいようがない。しかもソリトン化されているだけに、理論的には『変形』どころか、『粒子化』、つまり弾丸のように発射することすら不可能ではない。
 だが現実的には、実体化に必要な『微妙な変化』が問題である。一番簡単な有限長直線状の干渉縞ですら、安定させるには膨大な計算量が必要とされる。しかもそれをナノセコンドの単位で変化させなければならないのだ。専用のアナログコンピューター回路を併用しても、まともに計算しようとすれば、あの発掘コンピューターでもなければ制御出来ない。ただ、逆説的だが、人間にならこれを使用出来る可能性がある。
 囲碁や将棋の有段者は、桁違いの効率で先の手を推測出来る。これと同じように人間の頭脳の持つ『直感的計算能力』をIFSを通じて利用することによって、DFSの安定化に必要な計算を大幅に効率化出来る可能性があるのだ。
 そして現に一人のパイロットが、それを成し遂げている。現場の人間には単なる技術でしかないが、研究者の目から見ればこの現象は大変に興味深い。これは人間の持つ直感力と、機械の持つ計算速度の融合という命題に繋がる。『妖精』のコードで呼ばれている遺伝子操作型強化人間……マシンチャイルドの研究も、本来はこの方向性のものなのだ。人機一体となったコンピューターの計算能力は、今までの計算機をすべて時代遅れにしかねない。
 木連ならずとも、興味は引かれるであろう……ネルガルや地球連合にとっても。
 そして、私や、あの男にも。
 私は、北辰が連れてくるつもりらしい、『三人目の適格者』に、あの男……ヤマサキが、どんな反応を示すかが非常に気になった。
 あの、『外道』を自ら名乗りとしている北辰すら霞む、真に『非道』な男が。
 だが、残念ながら、今の私には時間がなかった。







 >YURIKA

 目が覚めたら、目の前にエリナさんの顔があった。
 あたりを見回してみたら、ここはあたしの部屋で、あたしは服を脱がされてベッドに寝かされていた。
 こ、これって……

 「駄目ですエリナさん! あたしにはアキトが!」

 「なに馬鹿なこといってるの」

 いきなり頭をはたかれた。痛いです……。

 「まあ、それは置いといて」

 憮然としたまま、エリナさんがいう。

 「調子の方は大丈夫? さすがの艦長といえども、疲労がたまっていたみたいだけど」

 調子は……それほど悪くない。眠ったせいか、頭もすっきりしている。

 「大丈夫みたいですけど」

 そういった時、エリナさんの脇からメグミちゃんが出てきた。
 何故か看護婦の格好をしている彼女は、あたしの額に手を当てて、少しそのままじっとしていた。

 「うん、発熱その他も無し。多分単なる疲労ですね。調子が戻っていれば、後はゆっくり休んでいれば大丈夫」

 「とりあえず彼女のいう通りよ。今ナデシコは自動巡航モードで運転中。敵が襲ってくる心配もまずないから、今のうちにゆっくり休んでおきなさい」

 あたしはエリナさんの優しさが、ちょっと嬉しかった。

 「やっぱり年上の人は違いますね」

 あたしがそういったら、何故かエリナさんの眉毛がつり上がった。
 アレ? あたし変なこといったかなあ?
 そう思っていたら、エリナさんは、ゆっくりと、一言一言、叩きつけるようにいった。

 「艦長、あたしと、あなたは、同い年です!」

 「え……、ええっ! そうだったの! てっきり2つは上だと思ってた!」

 「どういう意味かしら、それは」

 「え、あの、その、あはははは……」

 「……莫迦?」

 ルリちゃんならぬメグミちゃんの一言が、ぐさりとあたしの胸に突き刺さった。
 はあ……



 「全く……私って、そんなに老けて見えますか?」

 いつの間にかあたしとエリナさんとメグミちゃんは、こたつを囲んでお茶をしていた。お茶を入れているのはエリナさん。さすがは……おっとっと、これは本人が秘密にしているつもりなんだっけ。
 なんにせよ、あたしが入れたのとは大違いだった。

 「ごめんなさ〜い」

 でも……意外。こうして向き合ってみると、エリナさんって、結構いい人なのね。なんかおっかない委員長みたいなイメージがあって、近寄りがたかったんだけど。
 でも、ほっとすると、またアキトのことが頭に持ち上がってきた。
 アキト……そして、ハルナちゃん。
 あたしの頭の中には、あのときの光景が焼き付いてしまっている。
 手首を自分の口で喰い千切ったハルナちゃん。
 そこから流れた血がハーリー君の口に入ったら……ハーリー君は息を吹き返してしまった。
 ハルナちゃん自身も、まるで別人のようだった。その姿が、北極圏でのアキトに重なって見えた。
 アレは一体、なんなの……なんだか、わかんないことだらけだ。
 シュンさんは考えろ、ってあたしに言った。けど、考えたってわからないことはわからない。情報が不足している。
 ふと、エリナさんの顔が目に入った。
 この人とアカツキさんが、実はネルガルの会長秘書と会長本人なのは、あたしも気がついている。いや、はっきり言って気がついていない人の方が少ないと思う。
 だって……ナデシコにも配信されているネルガルの社内広報に、写真入りで載ってるんだもん、二人とも。
 まあ本人達が何も言わないから、みんな知らない振りをしているけど。
 そして、そのことを思い出したあたしの口から、その言葉が漏れていた。

 「エリナさんは、どう思っていますか……アキトと、ハルナちゃんのこと」



 「気になる? やっぱり」

 エリナさんは、なんというか、とっても優しげな目であたしを見ています。
 こんな目も出来たんですね、この人。

 「……何か、ご存じなんですか?」

 隣からメグミちゃんも口を挟んでくる。あたしはちょっと複雑。
 だってメグミちゃんの目には、『アキトが気になる』って言う文字が浮かんでいるんだもん。でも今のあたしは、エリナさんの方に気が向いていた。
 そしてエリナさんは、あたしの問いに答えてくれた。

 「言っておくけど、あたしだって、本当のことはなにも知らないわ。ただ……あたしはほんの少し、あなた達より多くのことを知っていた、ただそれだけのこと。けどね、これだけは確かなの。アキト君とハルナちゃんは、多分……この戦いの、最大の鍵を握っているわ。何故そんな物を彼らが持っているのかは、全然見当がつかないけどね」

 「それって、どういう事なんですか? アキトさんが、なんで!」

 あたしの隣では、メグミちゃんがエリナさんに詰め寄っている。
 しかしエリナさんは、動じることなく、あたし達に向かって言った。

 「だからあたしだって知らないって言ったでしょ。今のあたしに言えるのは、多分これだけ……きっとその答えは、アキト君が月で語ってくれるでしょうって。多分今の彼は、もういろいろなことを秘密にしておく必要が、ほとんどなくなっていると思うから。あなた達も、あのルリちゃん達の態度は見ているでしょう?」

 私とメグミさんは、そろってうなずいた。

 「だからって言う訳じゃないけど……この後の戦いは、今までのものとは全く違うものになるわ。ただ無人兵器を薙ぎ倒していればよかった、今までの戦いとは、なにもかもが変わると思う。そしてね……艦長、あなたも決断しなければならないと思うの」

 あたしが、決断? なにを?

 「本当はあたしがこんな事を言う筋合いじゃないんだけど……ナデシコに乗り続けるかどうかの決断よ」

 「ええっ!」

 さすがにその一言にはびっくりした。ど、どういう意味?
 うろたえるあたしに対して、エリナさんは言った。

 「謎の敵の中に、どう見ても人類としか思えない存在がいた……彼らが何者かはともかくとして、あたし達は今後、『彼ら』と戦うことになるのは確実だわ。つまりあたし達、この船に乗っている人間全員が、必要とあらば彼らを『殺す』決断を強いられることになる……これは明らかにナデシコ当初の目的、スキャパレリプロジェクトの実行や、木星蜥蜴の撃退とは契約内容からして変えざるを得ない、大幅な方針転換になるわ。我々は誰にも人殺しを強要することは出来ない……つまり、もし相手が我々同様の知的生命体なら、すべてのクルーに対して、ナデシコの搭乗続行を問い直すことになるはずよ。今までの戦いは、『無人兵器の撃退』でしかなかったわけだけど、今後はどう言いつくろっても、『殺し合い』になる……今は軍人扱いされているとはいえ、我々は決して軍に志願した訳じゃない。あくまでも本来は民間企業の従業員な訳。この件は、たとえ軍上層部がなんと言っても、ネルガルとしては通さなければならない筋よ。だから少なくとも一度は考え直す機会を、ネルガルはその企業としてのあり方に掛けて与えるはず。ていうか、その覚悟のない人とは、この先仕事は出来なくなるでしょうから。そして……それが『人殺し』にならない最後のチャンス。この事実が公開されたら、ナデシコは今後間違いなく『人殺しの船』になるわ。艦長……その決断が、あなたに出来て?」

 あたしもメグミちゃんも、思わず呆然としていた。
 そう……そうなのよね……。
 気分が悪くなった時に見えた、血まみれのアキトと私が頭をよぎる。
 あたしは……人が乗っている艦や機動兵器に対して、武器を向ける決断をしなくちゃいけなくなる……それが、艦長だって言うこと。

 「なんで……ナデシコが、そんなことをしなくちゃいけないんですか……」

 と、つい物思いにふけっていたあたしの耳に、張りつめたメグミちゃんの声が聞こえてきた。

 「なんで、ナデシコなんですか? アキトさんなんですか? ナデシコはあくまでも民間の船で、火星の人たちや、木星蜥蜴に襲われた人を助けるためにあるんじゃなかったんですか! 人間同士なら、いえ、人間じゃなくたって、話が通じる相手なら、話し合えばいいんじゃないですか! どうして……殺し合わなくちゃいけないんですか! なんでナデシコが人殺しにならなきゃいけないんですか!」

 最後の方は、涙がにじんでいた。
 けど、エリナさんは動じることなく、きっぱりと言った。

 「一つは、ナデシコにその力があるから。いくら言葉を尽くしても、殴りかかってくる相手が止まらなきゃ、結局は暴力沙汰になるわ。相手にその気がなければ、会話は成り立たない。だとしたら、自衛出来る力を持ったものがその力を振るうのは、半ば義務みたいなものよ。でもね……ナデシコが戦いに挑む最大の理由は……それが彼の……アキト君の意志だからよ」



 どんっ!



 「何でです! なんでアキトさんが!」

 メグミちゃんは、いきなりこたつに手をついて立ち上がっていた。湯飲みが危うく倒れそうになる。

 「あたしにあたらないでよ。こっちが知りたいくらいなんだから……」

 優雅に返すエリナさん。
 そしてお茶を軽く含むと、改めてあたし達の方を見渡して言った。

 「このことはね……紛れもなく、アキト君、彼の意志よ。理由が知りたかったら、彼に直接聞きなさい。でもおそらく、ナデシコが本格的に軍事行動に出るのは、もう止められない……今度の月面到着後が、さっきも言ったとおり、最後のチャンスよ。覚悟だけはしておく事ね」

 そして彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

 「エリナさん!」

 そして後を追うように、メグミちゃんも部屋を出て行く。
 あたしは一人、こたつにうずくまって、今後のことを考えていた。
 あたしは、人を、殺す……。
 夢に見たみたいに、多くの人の血に染まる。
 エリナさんはごまかしていっていたけど、多分相手はあたし達と同じ人間。
 理由は分からないけど、多分木星にいた人たち。
 エリナさんは、絶対に残ると思う。
 その理由が、とっても切なかった。
 あたしに、同じ事が出来るかな……。
 あたしはアキトが好き。アキトはあたしが好き。アキトはあたしの王子様。
 アキトはあたしのためなら、全身を血に染めてでもあたしを守ってくれる。
 でもあたしは……そんなアキトの隣に立てるの?
 血まみれになったアキトに、今までとおんなじようにさわれるの?
 エリナさんは……出来るみたいだった。
 いつの間にかアキトを、『テンカワ君』じゃなくって、『アキト君』って呼んでいたエリナさんには。
 戦争。
 この2文字が、あたしにのしかかってくる。
 シミュレーション演習。データの上では、あたしはもう何十万という人を殺していることになる。
 木星蜥蜴もいっぱいやっつけた。
 けど、今度は、データでも何でもない、あたし達と同じ『人間』……。
 頭の中が、またぐるぐるしてきた。
 あたしの脳裏に浮かぶ、二人の映像。
 アキト……ハルナちゃん……

 「あたしに、人が、殺せるのかな……」

 そう、アキトも、ハルナちゃんも……間違いなく、人を、殺せる。
 あたしはじっと、自分の両手を見つめていた。
 何となく、わかっていた。
 これを決められなければ、あたしはエリナさんに負ける。
 胸を張ってアキトの前に出られなくなる。
 でも、意地を張っても駄目。自分に嘘をついたって、何にもならない。出来るなら出来る、出来ないなら出来ない。はっきりと答えを出さないと、駄目。
 アキトは優しいから、どんなことになってもあたしを守ってくれると思う。
 でも、いいの? それで。
 今まで考えたこともなかったけど、何かが間違っている気がした。
 アキトはあたしの王子様。じゃあ、あたしはアキトの何なの?
 アキトの影で、一人綺麗なままでいていいの? それともアキトは、あたしを汚したくないからこそ、頑張ってくれているの?
 アキトがどっちを望んでいるのか、あたしにはわからない。
 出来れば、アキトの望むとおりのあたしでいたい。
 でも……なんかそれも違う気がする。
 ねえ……
 あたし、どっかで何か大事なことを、間違って来ちゃったのかな……
 あたしの頭の中から、どうしても血まみれのアキトが離れてくれようとはしなかった。







 >MAIKA

 兄は今、謹慎している。
 記憶喪失の振りをしていたのが仇になって、北辰に自分の正体を告げられてしまったそうだ。

 「まあ、あの場では仕方がないけどね」

 「ごめんなさい……」

 北辰を動かしたのは、私の要請だ。四方天が『東』の代理として、『北』に捜索を依頼した。
 あの時点での私の判断が間違っていたとは思えない。だが、どうやら北辰の側には、何かの事情があったようだ。
 そして結果が、これだ……。
 全く、なんと言ったらいいのだろうか。

 「けど、これからどうするつもり、兄さん」

 そろそろ私をかくまっておくのも限界だろう。
 そして私をかくまったことがバレたら、今度こそ兄には行き場がなくなる。
 何しろ立場が立場だ。我々に出来ることなど、最後の一つしか残らない。
 だが兄の顔には、あきらめの様子など微塵も浮かんでいなかった。

 「脱出はするよ……この船はもうじき……後半日足らずの間に月へと着艦する。その時が唯一の機会だ。それを逃したら、さすがに脱出は不可能だ。とにかくナデシコの中にいたら終わりだね。ナデシコを出た後は、ま、その時に考えよう。出たとこ任せで行くしかない」

 「兄さん……」

 うちの兄はいつの間にこんな行き当たりばったりのことを言い出す人物になったのだ?
 そう思ったとたんに言われた。

 「今、行き当たりばったりだって思っただろう、舞歌」

 私は顔が赤くなるのを止められなかった。

 「行き当たりばったりと出たとこ任せは、同じようで違うよ。こんな言葉もある。『人事を尽くして天命を待つ』ってね……今僕たちに尽くせる『人事』は、『ナデシコ艦内から脱出して、帰還の機会を広げる』、これしかない。なんの情報もない以上、そこから先のことは考えるだけ時間の無駄だ。それこそその場その場で対応していくしかない。とりあえず行けば何とかなる、じゃあない。行って何とかする、なんだよ」

 「わかったわ、兄さん」

 やっぱり兄は兄だった。私は自分がまだまだ未熟者であることを反省した。
 と、丁度それを見越したかのように、部屋の端末が立ち上がった。
 私はとっさに物陰に隠れ、兄はそれを確認してから端末の方を見る。
 その兄が驚愕の表情を浮かべ……不意にそれが弛緩した。

 「全く……どういう手品なんですか? ハルナさん」

 端末に映っていたのは、あの忍者装束の女であった。



 「あ、正確にはハルナじゃないよ」

 「? どういう事ですか?」

 何かのっけからとんでもない発言が飛び出している。
 私も思わず顔を出していた。

 「詳しくは言えないけど……今ハルナはここにはいない。北辰にさらわれてるものね。ま、私はそんなときのためのバックアップ要員みたいなものよ」

 「そうなのか……しかしその姿は」

 同感だ。どう見ても私が会った忍者ではないか。

 「姿なんか映像上ではいくらでも変えられるよ。声やしゃべり方もね。これが一番わかりやすいと思っただけ。だからあたしの正体の詮索は無しね。この姿だけで、十分証拠になるでしょ」

 「確かに」

 兄は笑って言った。

 「で、この状態で接触してきたと言うことは、脱出のお手伝いをしていただけるとでも?」

 「うん、ナデシコを出るまではあたしがフォローするから、安心してね。さすがにその後は何とも言えないけどね」

 彼女はそういうと、あたしと兄の方を見つめた。映像の割に器用なことだ。

 「ただね……到着するのはネルガルのドックだから、そのまんまじゃ結局は袋の鼠だよ。けどね、機会はある……なにしろ九十九さん達が、襲撃を計画していると思うし」

 「そういえば……」

 私は元々その予定があったことを思い出した。無限砲による敵軍事物資生産拠点の襲撃計画。その目標、と言うわけか。

 「情報提供ありがとう。後はこっちで何とかする」

 兄もそう言った。

 「頑張って、死なないでね、二人とも。貴方達二人が死んだりしたら……多分和平の可能性は潰えるわ。たとえ和平が成ったとしても、それは偽りの平穏でしかない。元々の木連と地球との間にある格差が、いつかはお互いの間にひびを入れてしまう……そんなんじゃ意味がないもの」

 「……ひょっとしてあなたが我々に肩入れしてくれるのは……」

 私も同じ事に思い至った。それならばこの女の不可解な行動にも筋が通る。

 「うん、私たちの目的は、前にも言ったけど地球と木連の、完全に対等な関係での和平。そっから先はある程度個人的なことになるけどね。でも現時点では木連側がやや不利だもん。テンカワアキトと、このナデシコが頑張ったせいで。まあ木連側も序盤でちょっとやり過ぎちゃったから、これは仕方ないんだけどね。でも、仕方がないとはいえ、テンカワアキトもちょっと裏技を使い始めたし。ここいらへんで一旦仕切り直しをしないといけないから。それが……私があなた達に味方している理由だよ」

 「裏技……ね」

 兄の微笑みに、皮肉なものが混じる。

 「それはあの黒い機動兵器のことかな?」

 「それもそうだけど、それだけじゃないよ」

 彼女はそう答える。そして、姿勢を正した。

 「八雲さん、この戦い、あなたならどうなると思う? 戦う相手が無人兵器から有人の部隊に変わる。当然戦略にも変化が出るわ。そんな中で、あなたが地球の、そして木連の軍事司令官だとしたら、どう動く?」

 私ならどうするであろうか。だが、判断するには大局的な情報が少なすぎた。
 しかし、兄ならば……



 「我々は、このナデシコ1隻のために壊滅しますね……現状では」



 私は一瞬、目の前が暗くなった。

 「な、なんだと!」







 >YAKUMO

 「正解。さすがだね」

 映像盤の中の相手は、私と同意見のようであった。

 「な、なんだと!」

 舞歌も一瞬ふらつくほどの衝撃を受けていたようだ。

 「兄さん! それ、どういう意味! 私達は……たかが戦艦1隻に負けるとでも言うの?」

 「そんなことはないさ」

 私は舞歌をなだめながらそういう。だが、ナデシコはただの戦艦ではない。いや……テンカワアキトの存在が、ナデシコを『それ以上』の何かに変えてしまう。
 私はそう読んでいた。
 そしてそれは、目の前の映像盤の人物によって肯定された。

 「テンカワアキトはね……まだいくつか切り札を隠している。その力を本気で使ったら、たった一人で木連全軍を殲滅出来るぐらいの力を、間違いなく持っている。そして木連側には、それに対抗する手段がない……悲しいけど、これが現実だよ」

 「彼は、そこまでの力を……」

 私は今の言葉がはったりでもなんでもないことを理解していた。

 「持ってるよ。彼の力は、彼自身が考えているより大きいんだ。彼はあんまり、『波及効果』って言う奴を理解していないから。バタフライ効果って知ってる?」

 蝶の羽ばたきが、巡り巡って大嵐になると言う理論だ。

 「彼はその『最初の羽ばたき』なんだよね……自分じゃ全然理解してないんだけど。自分を過小評価しすぎて、結局やり過ぎちゃう……今のまんまだと、そうなっちゃうんだ。でも、それを止めるのは、あたし達じゃ駄目」

 「それで私、と言うわけですか」

 ……なんというか、少しすっきりした。これで『単なる好意』なんて言われたら、逆に落ち着かない。

 「そ」

 目の前の少女は悪びれずに言う。

 「だからあたし達は、あなたに力を貸す。この戦いを、昇華するにふさわしい『力』を。無為に人を殺すことなく、この誤解と過ちを昇華するに足る力を。期待してるからね、八雲さん。道は、狭く、細く、険しい。でも、きっとあなたならそれが出来る。あなたならきっと、テンカワアキトの闇を受けきれる人の一人になれる。憎しみは……決して愛だけで溶かせるものじゃない。時にはとことん、燃やし尽くさないと駄目なんだ」

 私は実感していた。彼の闇を燃やし尽くす……それが彼女の目的だと。
 そしてそれは……私の利益にもなる。

 「わかった。ご協力感謝する」

 「まあ多分、何らかの形でハルナから接触があると思うよ。機会は逃さないでね」

 そして映像盤は、その光を失った。

 「兄さん……」

 舞歌の目は、鋭い光を放っていた。

 「彼らは……なにを考えているのだ? 私には理解出来ない」

 「まあ、ちょっとわかりづらいだろうね」

 舞歌の頭には、個人的な思惑のために平気で世界すべてを利用する、などという大胆不敵な発想は入っていないだろう。でも彼女ならやりかねない。
 私には、それがわかっていた。
 それは、私も考えたことだからだ。







 >HIKARU

 あたし達は、あの衝撃的な戦いの後……呆けていた。
 今までとは、全く違う戦い。
 最初は腕の差を嘆いてリョーコやアリサ達とシミュレーターに籠もったりしたけど、全然気分がすっきりしない。
 で、結局……食堂で一同くだを巻いていた。私、リョーコ、イズミ、アリサ、イツキと、見事に女ばっかりだから、目の前に並んでいるのはパフェやケーキの類ばっかりだ。男の人なら今頃ここには酒瓶がごろごろしているんだろう。

 「これから、どうなっちまうんだろうな……」

 リョーコは暗い目をしている。吹っ切れたと思っていたけど、なんかまた以前、出撃できなかったときのような目になっている。
 対してアリサやイツキはそれほど変わった気がしない。まあ、まだ知り合ったばっかしなんだけど、なんか私達3人とは、雰囲気そのものが違う。
 イズミは……まあこの程度で動じる女じゃない。
 今も隣で、寒いダジャレの新作を考えているみたいだ。
 と、アリサがどことなく乾いた目でリョーコを見た。

 「どうなるもなにも、私達に出来るのは、戦うことだけですわ」

 「けどよう……」

 きっぱりしているアリサに対して、リョーコは歯切れが悪い。さすがにアリサも何かに気がついたようだった。
 それは私にも言えることだった。

 「そう言えば……みなさんは軍人ではなかったのですね」

 私はその一言ではっきりと自覚した。
 私も、リョーコも、多分、人に銃を向けられない。イズミは……何となくだけど、その時が来たら『撃てる』人種のような気がする。
 そしてアリサとイツキは……軍人、なんだろう。
 この二人は多分『撃てる』。だから二人とも、軍の中で生きてこられたんだと思う。
 そしてアリサは、喧嘩を売っているとでも言うような台詞を言った。

 「だとしたら……ナデシコを降りた方がいいかも知れませんね」

 「あんだとっ!」

 思った通り、リョーコが激高する。けどリョーコ、それって強がりだよ。
 あたしは醒めた頭でそんなことを思っていた。

 「なんでオレがナデシコを降りなきゃいけないんだ!」

 「リョーコ……あなた、人が乗っている機動兵器を撃ち墜せる?」

 「!!」

 リョーコの動きが止まった。

 「私は墜せるわ。それが私のやらなければならないことだから。でも、あなたには、その理由がない。そんなんじゃ、無理したって、結局壊れるのは自分よ。私はほんの1年足らずで、言い方が悪いけどエリートコースに乗った。けどね、パイロットとしての最前線で、私は同僚を何十人と失ったわ……中には見殺しにした人だっている。助けようとすれば死ぬのは私だったから。けどね……それが『現実』よ。あなた達の腕前は私もわかっているけど、このナデシコには『戦場』の匂いがしない……『死』と隣り合わせの、あの陰惨さがないの。それはそれでいいことなんだけど……欠陥でもあるわ。リョーコ、キツいことを言うけど、あなたは『自分の死』には耐えられる人だと思う。でも、あなたは優しすぎる……今のあなたでは、まだ『相手の死』に耐えられない。あなたの中には、まだ『相手を殺してでも奪いたいもの』がないから……」

 私はそういった時のアリサの目に見覚えがあった。
 かつて北極圏でかいま見た、アキト君の瞳と同じだった。
 リョーコにもそれがわかったみたいだ。明らかに気圧されている。

 「アリサ……」

 「でもね、それがいいことがどうかは、私にはわからないわ。それって結局、人として大切な『何か』を壊していることだもの。私や、アキトさんみたいになることが、人として正しいことだとは、自分でも思わないわ」

 「……ちょっと待て、アキトさんみたいって、どういう意味だ?」

 あたしもちょっとそれには引かれた。それって、ひょっとして……

 「……そう、知らないのね」

 アリサはあっさりとそう言った。

 「なら、その方がいいわ」

 「ちょっと待て! なんだその言い方は!」

 あ、リョーコが切れた。掴みかからんばかりの形相で、アリサのことを睨む。
 けどアリサは平然とその視線を受け流した。

 「……知らない方がいいこともあるのよ。と言うか、もし知ってしまったなら、そんな寝ぼけた台詞は言えないだろうし、あなたの悩みなんか……多分簡単に吹っ飛んじゃうわね。でも、そのことを口に出す権利は、私にはないわ」

 「気にくわねえな。え! なにが言いたいんだ、てめぇ!」

 「知りたかったらアキトさん自身に聞くのね。私はたまたま西欧で知ってしまったけど、私の口からそんなこと言えないもの」

 なんか、やな雰囲気だな……。どっちも間違ったことは言っていないんだけど、『アキト君が好き』って言う感情が絡んで、ややこしいことになってる。

 「ちょっと、二人とも止めなさいよ!」

 と、それを見かねたのか、イツキさんが割って入った。

 「私もナデシコでは新人だから、アキトさんがどういう人なのかは全然知らないわ。私が知っているのは、凄腕のエステバリスライダーで、ついでに教官としても一級品だっていうこと。後……私達の知らない何かを知っているっていうこと」

 「???」

 リョーコの注意が逸れた。

 「この間の戦闘、覚えている? あの巨大ロボットと戦った時のこと」

 「当たり前だろ?」

 ……なにが言いたいんだろう。

 「あの戦いの中、私があの青いのに取り付いた時、彼、私が絡ませたワイヤーをライフルで断ち切ったのよ。戦闘中はよくはわからなかったけど、後で記録見てびっくりしたわ。それにね、彼は、こういったのよ……『君は知らないだろうが……あれに巻き込まれたら、絶対に助からない』ってね。あ、アレっていうのは、あいつがやっていた瞬間移動のことだと思うわ」

 ふむふむ。確かにあのときのアキト君の動きはそういう感じだった。

 「けどね……あのときは聞きそびれたんだけど、当然そうすると一つ疑問が出てくるわ」

 「何だよ、一体」

 ……鈍いわね、リョーコ。あたしにだってわかったわよ。

 「何故彼は、それを知っていたのか、ね」

 私の隣で、イズミが地獄の底から響くような声でそういった。



 「そういえば……そうなるな」

 リョーコにもその言葉の意味は通じたみたいだった。そしてイズミはさらに続けていう。

 「そもそもテンカワ君は、あの巨大メカを倒す時に、明らかに手加減していたわ。そう、アレに人が乗っているって知っていたみたいに」

 「!!!」

 リョーコとイツキさんの目が丸くなった。あたしもびっくりした。
 ただ、アリサは……別に動揺していないみたいだった。
 それに気がついたリョーコが、またアリサに絡む。

 「アリサ……お前、知ってたのか?」

 「いいえ、あたしも知らなかったわ。でも、アキトさんがそれを知っていたとしても不思議じゃないことは、あたしは知っているから」

 「何だよ、それ……」

 ちょっとショックを受けているリョーコ。どうやらアリサは、あたし達の知らないアキト君を知っているみたいだった。
 しかしアリサは、別段動揺せずに言った。

 「多分ね……月ですべてがわかると思うわ。こんな事件があった以上、アキト君もおそらく、あのことを隠しておこうとは思わないし。この話の続きは、その後にしましょう。そうじゃないと、私もまともに答えられないと思うから」

 「……わかったよ」

 リョーコも渋々ながら納得したみたいだった。
 と、丁度その時。



 「はいはい、深刻な話は終わったかい? お嬢さん方」



 ホウメイさんが、声を掛けてきた。

 「そういう時は、とにかく腹ごしらえでもして、後は寝て待つんだね。大体あんたらみんな怪我してたんじゃなかったのかい?」

 まあ、幸い軽傷でしたけど。

 「実際人間ね、時には空元気を出すことも必要だよ。偽善でも善は善、空元気でも元気は元気ってね。ふりでもしてれば本物になる時はあるわ。さ、なにがいいかい?」

 あたし達は何となく好物を注文していた。さすがはホウメイさん、頼りになります。
 でも……イツキさん、その赤いものは、なにを頼んだんですか?
 煙が目にしみていましたよ。







 >NAO

 「はい、後はしばらく動かさないでね」

 イネスさんは俺の手に治療をした後、そういった。

 「ま、見た目ほど大したことはないわ。骨や筋肉には幸い異常なかったし。くっつけば元通りになるわよ」

 元々やたらに直りが早いっていうのは、俺の体質だからな。いつもみたいに、すぐに直るだろう。

 「じゃ、退散しますよ」

 そういって俺は、未だに怪我人がごろごろしている医務室を後にした。



 「ふう……」

 何とはなしに、俺は展望室で、ポケット瓶のウィスキーを片手に星を見ていた。
 色々と考えたいことがあったからだ。
 こうしていると、ハルナちゃんと語り合った、西欧での一夜を思い出す。
 あのときもいろいろと語ったが、今感じている衝撃はそれ以上だった。
 頸動脈切断。まず助からないはずの傷を、彼女は一瞬にして治療してしまった。
 元々なにがあっても死なないって自分でも言っていたが、アレを見ると納得せざるを得ない。
 アキトの奴にも謎は多かったけど、彼女はマジでそれ以上だ。
 西欧で見せた顔すら、まだほんの上っ面に過ぎないことを、俺は確信していた。
 そして、思う。
 あの『北辰』という男の事を。
 ルリちゃん達は……そしておそらく、アキトとハルナちゃんも、奴の事を知っていたのだろう。だが……一体どこで?
 それに、奴の方は彼女たちの事を知らなかった。それは俺の目で見ても間違いはない。だとすると、その接点は、どこなのか。
 俺の見る限り、彼女たちとあの男の関わりは、かなり深い。なのに奴は彼女たちを知らない。
 どうしてもこの矛盾が解けなかった。
 ……いや、逆なんだろう。この矛盾こそが、アキト達の持っている最大の秘密だ。
 それが解ければ、アキト達のなにもかもが白日の下にさらされるくらいの。

 「アキト……ハルナちゃん……君たちは、何者なんだ?」

 俺が何となく星空にそう問いかけた時だった。
 人の気配がした。
 反射的に身構えてしまうが、よく考えたらこんなところに敵が来るわけがない。
 そちらを見ると、そこに立っていたのは、私服姿の艦長だった。



 「よ、どうした?」

 俺がそう声を掛けると、艦長は最初びっくりしたような顔をして、つづいてちょっと恥ずかしそうに顔を伏せた。意外だな。もっときゃぴきゃぴした人だと思っていたんだが、結構おしとやかな面もあるじゃないか。きっと俺と同じように、一人で考え事がしたかったんだろう。そこに俺がいたんでびっくりしたんだな。
 おじゃまするのも悪いかと、退散しようかと思った時、その機先を制するように艦長は顔を上げた。
 その顔には、何というか、張りつめたものが漂っていた。

 「あ、ちょっと……いいですか?」

 「ん? まあいいけど」

 と、艦長は俺の隣に、丁度一人分くらい間隔を空けて腰掛けた。
 この人にはあんまり合わない……もっとも別の意味では似合いすぎている……『憂い』と言う感情を浮かべて。
 しばらく、そのままの時間が過ぎた。知らない人間から見たら、さしずめ別れ話を切り出そうとしているカップルに見えただろう。
 俺は何も言わずに、時折ウィスキーを口にしながら、星を眺めていた。
 しばらくしてからふと思いついて、俺はウィスキーの瓶を彼女に差し出した。

 「呑むか? 口つけちまってるけど」

 彼女は無言のまま瓶を受け取ると、まるで水でも飲むかのようにくいっと瓶を傾けた。

 「おい、ちょっと待て!」

 俺は慌てたが後の祭りだった。瞬時に顔色が変わり、激しく咳き込む。当たり前だ。

 「う゛〜、まず〜」

 声もしゃがれている。無理もない。

 「全く……艦長、一応成人してるんだろう? 酒の飲み方も知らんのか」

 「こういうお酒……飲んだ事……ないから」

 まあ、女性ならそれもありか。俺はとりあえず艦長の背中をさする。幾らか効き目はあったらしく、どうにか落ち着いてきた。

 「……ごめんなさい」

 「何というか……あんたらしくないな。どうした、一体」

 と、艦長、いきなりまたがっくりと落ち込んだ。なんか気に障ったか?

 「そういえばナオさん……確か、アキトとは西欧で一緒だったんですよね。ハルナちゃんとも」

 「……ああ」

 一抹の不安を感じながらも、俺は答えた。まずい。俺の中の何かが警報を鳴らしている。だが俺はその場を離れられなかった。
 幸いなのは、いわゆる男女の関係でやばいって訳じゃなさそうだった事だ。そんな事になったらミリアに合わせる顔がない。この艦長、こういう顔しているとやたら美人に見えるからな。普段の言動が、いかにこの外見と合っていないかの証拠みたいなものだ。
 と、美人艦長が口を開いた。

 「アキトは……人を殺した事、あるんでしょうか……」

 目の前にいきなり地雷が埋まっていた。
 おい、なんて答えりゃいいんだ?
 正解は簡単だ。この目で見た事はないが、あいつは間違いなく人を殺した事がある。
 だが、それを言っていいものか。俺は悩みに悩んだ。

 ……結局のところ、俺は不器用な男だった。
 女に嘘をつける男じゃないって言う事だ。特に今の艦長みたいな女には。

 「見た事はないが……多分、あるな。それも、はっきりと自覚した上でだ。刑法で言うなら、傷害致死じゃなくって、殺人罪が適用される殺しだ」

 「やっぱり……そうですか」

 うつむいたまま、彼女はそういう。
 まあ、そうだろう。愛しい男が人殺しだと聞かされて元気でいられる女は、どっかに逝っちまった女だ。
 だが、彼女はある意味ぶっ飛んだ女だった。うつむいたまま、淡々とした口調で、彼女はこう言った。

 「じゃあ……あたしも人を殺さないと駄目かなあ」

 思わず艦長の顔を見つめちまったね、俺は。一瞬彼女が『ぶっ壊れた』かと思ったし。
 だが、そんな事はなかった。思い詰めてはいたけれども、彼女の目は光を失ってはいなかった。
 だから俺は言った。

 「冗談でもそんな事を言うのはよせ。好きな女に、好きこのんで手を汚させようって言う男は、まずこの世にはいねえよ。いるとしたら、そいつは最低の屑だ。お前さん、アキトがそういう屑だと思うのかい?」

 「ううん……でも」

 彼女は小さく首を振る。

 「アキトにばっかり手を汚させるなんて、もう、耐えられそうに、ないんです……あたし」

 「それでも、だ。自分がつらいからって、安易に堕ちる道を選ぶんじゃないぞ」

 我ながら説教くさいとは思ったが、それでもそう言うしかなかった。
 多分アキトでも同じ事を言うだろうし。もっとも、だからこそ、男と女って言うのは難しいモンなんだが。
 男と同じところに行きたがる女と、女には理想のままでいて欲しい男。なかなかうまくいくもんじゃない。

 「でも、ナオさん……あたしも、選ばなきゃいけなくなりそうなんです。エリナさんが言っていました。この後の戦いは、殺し合いになるって……そして、アキトは、戦場で、相手の兵隊さんを、殺す……あたしのために。アキトはあたしの王子様だけど、あたし、あたしのために血まみれになるアキトは見たくない……そんなアキトを見るくらいなら、アキトがあたしの王子様じゃなくてもいい……」

 最後の方は涙声だった。
 なんか思いっきり独善的な台詞ではあったが、言いたい事はわかった。
 ムチャクチャなところはあるが、このお姫様、本気でアキトの事が好きだ。それだけはよ〜〜〜〜〜くわかった。
 アキトの側がどう思っているかは、それこそ本人かハルナちゃんにでも聞かなきゃ判らないが、まあ、アキトのやつは、こういう女に引っかかったら、イヤだイヤだと言いながら、結局見放せなくなって、なし崩し的に情が移っちまうタイプだからな。最初はいやがっていても、一歩引かれたとたんに逆に追い回すと見た。

 「……あたし、どうしたらいいんでしょう」

 「それを決めるのはあんただな」

 頼りなげな艦長に対して、俺はずばりと言い切った。

 「どの道を行くも、あんた次第だ。ただな、アキトの奴が、あんたの思うとおりの人間なら、あんたがどう変わろうと、決してあんたを見捨てたりはしないさ。たとえ血まみれになろうとも、純白のままでも、あいつは変わらない……そういう男だろ、アキトっていう奴は。ただな」

 「ただ?」

 そう聞き返す艦長の顔は、いつもの彼女に戻っていた。少しは元気が出たみたいだな。

 「あんたがアキトに合わせて、あんたらしくなくなっちまったら、アキトの奴はかえってあんたから離れちまうと思うぜ。アキトって奴は、ある意味優しすぎるからな。あんたが自分のせいであんたじゃなくなっちまったら、それを理由に自分を責めちまうような奴だし。だからよ、一番大事なのは、あんたがあんた自身でいるって事だ。それならアキトがあんたを見捨てるような事は、まずないさ」

 「……ありがとう、ナオさん」

 そんときの艦長は、実に『いい顔』をしていた。ちょっと俺の心すら揺るがすぐらいに。
 おい、アキト。
 この艦長、頭いい割に馬鹿だと思っていたが、一皮むけたらどえらくいい女になるぞ。この果報者。
 と、その時俺の頭の中に、もう一人の顔が浮かんだ。
 ハルナ……。
 あいつは、どうするつもりだ?

 「なあ、艦長」

 「はい?」

 気がついた時、俺はその一言を口に出していた。

 「ハルナちゃん……どうするつもりだ? あんたは」

 「え……どうするって、いいますと」

 あらら、わかってなかったのか? わかっていたなら、見た目はともかく頭はいい彼女の事だ。こんな態度にはならん。

 「あんな人外の真似をさらして、クルーのみんなが、今までと同じように彼女に接する事が出来ると思うのか? 元々結構人外な真似はさらしていたけど、今度のあれはやりすぎだ。どんな重傷者でも一瞬にして治療可能となったら、モルモットじゃすまないぞ? おまけにあの戦闘能力……アレで燃料切れを起こさなかったら、まさに『超人』だ。そんなのとまともに付き合える人間はそうそういないぞ?」

 「あ……そっか」

 俺は思いっきり砕けた。マジで考えてなかったな、このアマ。

 「そんな事、全然考えてなかったし。だって、ハルナちゃんはハルナちゃんなんでしょ? そりゃ少しはびっくりしたけど、それがどうかしたんですか? アキトだって王子様だったんだもん、それくらい別に不思議でも何でもないじゃないですか。さっすがはアキトとあたしの妹さん!」

 脳天気に言う艦長を見て、俺はさっきまでの幻想的な美女ががらがらと音を立てて崩れていくのを感じていた。
 前言撤回。苦労するぞ、アキト……。

 「でも、いわれてみればそうですよね。ハルナちゃんの血を巡って変な陰謀とかが起きたらいやですし……どうしました、ナオさん」

 びっくりしたような顔で俺の方を見る艦長。それはいつもの彼女だ。
 このギャップ、どうにかならんのか……。

 「……艦長、そういう方向にしか発想が行かないのか、あんたは」

 「そういわれても……」

 うつむいて指をつんつんする彼女。こりゃどうやら本気でわかっていないな……まあ、これが彼女のいいところでもあるんだろう。
 普通あんなところを見せつけられたら、まず恐れる。なのに彼女にはそういうある種の偏見がまるで無い。
 ふと、その時思った。
 ならばこの艦長は、木連の存在を知っても同じじゃないのか?
 今は確証を持っていないだろうけど、木連の存在を知ったとしても、彼女の気質からしたら、平然と彼らを受け入れられるだろう。
 過去の恨みも、経緯も、なにもかもすっ飛ばして、単純に『失われし隣人』として。
 そりゃ彼女だって馬鹿じゃないから、戦争とかの経緯は無視しないだろうが、根本的な心構えが地球の政治家や、その辺の一般人とは違う。
 本気でハルナちゃんを受け入れられる彼女だ。木連が本当に異星人であっても、彼女なら彼らとの和平交渉が出来るはずだ。

 ……そこまで考えて、俺は愕然とした。
 これか、アキト。お前がナデシコに求めたものは。
 確かに彼女なら出来るかも知れない。
 すべての遺恨を水に流しての和平交渉が。
 そして、得てして艦の気質というのは、艦長の気質に染まるものだ……いつの間にか。
 アキトの性格からすると、すべて承知でああ言ったとは思えない。だが、薄々とは感じていたのだろう。
 敵対していた異邦人ですら難なく受け入れられる、ナデシコの持つ度量の広さを。
 それがあの『和平の鍵をナデシコが握る』という発言に繋がったというわけか。
 そう思うと、なんだかばからしくなってきた。
 この艦長が頭を張っている限り、ハルナのやつも、いつの間にか受け入れられているに違いない。そう思ったが、それでもちょっと意地悪してみたくなった。

 「なあ、艦長。あんたがいくらそう思っていても、クルーのみんなが怖がったり気味悪がったりしたらどうするんだ? 無視程度ですめばいいけど、排斥運動にでもなったらどうする気だ?」

 「そんな事無いですよ。だって彼女は、私達の仲間なんですもん」

 「そうか?」

 俺の意地悪い問いかけに、彼女はきっぱりと言った。

 「それでも、です」

 その顔は、別人のように引き締まっていた。

 「それでも、彼女は、私たちの、大切な、仲間なんです」

 そう言い切った言葉に、迷いの色はなかった。



 「だったら、艦長の悩みは、解決したも同然なんじゃないか?」

 少し間をおいて、俺は言った。

 「へっ?」

 ……本気で頭いいんだか鈍いんだかわからん人だな、艦長。

 「艦長はアキトの事を信じているんだろう? ならばそれを貫けばいい。結果血まみれになるか、白いままでいるかは、あくまでも結果だ。一番大事なのは、一番あんたに大切な事は何か。それに尽きるんじゃないか? 変な例えだけど、俺は人を殺すのは好きじゃない……だが、きれい事を言うつもりはないから言っちまうが、俺は人を殺した事がある。その時は仕事だった。そして今でも、俺はミリアのためなら、多分世界全部を敵に回しても戦えるな」

 「ミリア?」

 「ああ、言ってなかったが、俺の恋人だ。いろいろあったが、アキトとハルナちゃんのおかげでゴールインしたようなもんだな。結婚の約束もしている」

 「わあ、おめでとうございます」

 艦長も女の子か。目がきらきらしている。

 「だからこそ、俺はミリアを守るためなら、他人を殺す事にためらいはない。相手にどんな理由があろうともだ。たとえそいつが、俺を殺さなければ、自分の最愛の人が死ぬ、そういう状況であろうともな。そして……その相手がアキトだったとしてもだ。俺にとってミリアとの結びつきは、世界すべてを敵に回しても守る価値があるものだ。そういう、『絶対に譲れない何か』のためになら、人間は他人を殺せるものなんだよ。ま、その『何か』は人それぞれだけどな。ちっぽけな石ころや、明日のパンを買う金がそうだって言う奴もいれば、自分の持つ『信念』や『正義』がそうだって言う奴もいる。ただ共通する一点は、『迷い』を捨てられるっていう点だな。人間は迷うものだ。けど、その迷いが消えるラインっていうのがどっかにある。それをどこに置くかって言う事じゃないのかな? それが引けないやつは、それだけの『価値』を持つものをまだ見つけてないっていう事だ」

 そして俺は一口ウィスキーを呷ると、言葉を続けた。

 「ま、ゆっくり考えてみるんだな。あんたにとって一番大切なものが何か。まああんたからすればまずアキトのやつだろうけど、本当にそうか? ていうか、本気で恋に狂った女って言う奴は、男の事をそういう風には疑わないからな」

 そして俺は立ち上がった。全く、柄にもない説教をカマしちまったぜ、と思いながら。
 だが、結構いい気晴らしにもなった。
 何というか、俺も、ハルナちゃんが帰ってきたら、頭を押さえつけてぐりぐりしてやりたい気分になっていた。
 心配掛けるんじゃねえ、このバカタレ、とかなんとかいいながら。

 ……いつの間にナデシコに染まったんだ? 俺は。いくら何でも早すぎるぞ。

 それでも、俺の心も、星空のように晴れやかになっていた。







 >RURI

 ……眠れません。
 眠いはずなのに、何というか、目が冴えわたってしまっています。
 布団の中でこうして上を見ていても、目に入るのは魚のモールと、見慣れた天井だけ。
 目を閉じても、一連の出来事が頭の中をぐるぐると回り始めてしまいます。
 ハルナさん……本当にあなたは、何者なのですか?
 今までのデータをまとめる限りでは、こうなります。
 アキトさんのお父さんの精と、ユリカさんのお母さんの卵を組み合わされて作り出された子供で、
 ミカサ サクヤ博士によって、『究極のマシンチャイルド』となるべく、遺跡原産のナノマシンを投与された存在で、
 その作用によって脳神経組織や筋組織、内臓などが生体細胞からナノマシン細胞とでもいうべきものに置換されていて、
 そこに我々のものとはほんの少しだけ違う世界から来た意識が、13年前に宿った存在で、
 実はこの世界最強のハッカー、『ウィザード』で、
 ボソンジャンプも出来るA級ジャンパーで、
 実は北辰をも上回る、ものすごい戦闘能力があって、
 やたらに大食らいで、
 エステバリスの操縦も出来て、
 ひどい怪我を、一瞬で治療出来て……
 …………
 ……



 完全なまでの『スーパーレディ』です。
 でも……よく分からないところがいくつもあります。



 能力を隠していたのは、まあわかります。私だって、時を越えてきた存在である事を秘密にしているわけですし。それにあそこまではちゃめちゃな能力を持っていると知られたら、絶対まともには過ごせません。アキトさんが能力全開にした時並に注目を浴びてしまいます。
 でも彼女の目的は、一体何なのでしょうか。なんだか、彼女には、我々にも語れない、彼女だけの秘密がまだまだあるような気がします。
 そして変わりつつある歴史。
 木連優人部隊の総司令、東八雲。この人は前回存在していませんでした。
 そして3体のジンシリーズ。
 前回の歴史で出てきたジンシリーズは、テツジン・マジン・デンジン・ダイテツジン・ダイマジンの5種類だけで、その他は建造されていませんでした。
 あの、ボンテージZそっくりのジンシリーズは、誰のために造られたものなのでしょうか。あの、黒髪の女性は、一体……。
 そして、ミナトさんを連れ去ったヤマダさん……いえ、あれは九十九さんですね。こうしてみると驚くべきほどお二人はよく似ていましたけど、あれは九十九さんでしょう。歴史の流れからしても多分間違いありません。
 ……ん?
 何かが私の脳裏に引っかかりました。何でしょう……ああああっ!
 あれが九十九さんなら、ヤマダさんはどうなっているんですか!
 まさか……そんな!

 「思兼!」

 私は飛び起きると傍らの端末に手を当て、思兼を呼び出します。ここからではコネクトは出来ませんが、このぐらいなら問題はないはずです。

 『なんだい、ルリ』

 ウィンドウに出てきたメッセージに対して、私は呼びかけます。

 「ヤマダさんの居場所は! 彼はナデシコ内に存在していますか!」

 その答えは、驚くべきものでした。



 「やっと気がついたの、ルリちゃん」



 突然新しいウィンドウが立ち上がり、そこにはハルナさんの顔が映っていました。







 「な、何でハルナさんが……」

 驚愕する私に、ウィンドウ内の彼女は、もっとびっくりする事をいいました。

 「あら、私はハルナじゃないわよ。私は彼女に作られたAIの一人、コードネーム『プラス』よ。よろしくね」

 え、AIですって! 信じられません。私が知る限り最高峰のAIである思兼だって、ここまで人間らしくはありません。そもそも思兼自身が、未来記憶を持つ私の調整で、前回より遙かに進歩しているのに、このAIはその上を行っている事が一目でわかります。
 こ、これが、この世界で最高峰と言われた、『ウィザード』の実力というわけですか、ハルナさん……。
 と、まるでそれを見越したように、ハルナさん……いえ、プラスさんは言いました。

 「あ、そんなにびっくりしないでいいわよ。私はいわば『裏技』で作られたものだから。ルリちゃんは知っているでしょ。私のオリジナル……ハルナが、ナノマシンで置換された脳組織を持っているって言う事を」

 「はい」

 私はうなずきます。

 「つまりね、ハルナの思考回路って、ある意味普通の人よりコンピューター寄りなのよ。それを思兼に転写したのが私。いわばぷちハルナなのよ、私は」

 そ……そんな事まで出来たんですか? ハルナさんは。

 「まあ、極論すればハルナも思兼も、遺跡原産の科学の産物だから、互換性が高かったのよね。ハルナがいとも易々と思兼を制圧出来たのはそういう理由よ」

 ……少しは納得出来ました。確かにいろいろと思い当たる事があります。
 でも……

 「あなたは思兼の陰に隠れて、こうして存在していたんですよね。では、何故私の前に姿を現したのですか?」

 声が固くなるのがわかります。ある意味彼女は、思兼に取り付いた「バグ」でもあるのですから。

 「一つはね、ヤマダさんの問題を解決するため。あなたは気がついたんでしょ? 九十九さんとミナトさんが接触していた事実に。だとしたら、もう一人、接触していたはずの人物がいた事に気がつかない?」

 逆に問い返されてしまいました。もう一人……あ。

 「ヤマダさん本人ですか?」

 「正解。ここだけの話だけどね、ヤマダさん、ジンシリーズとの戦闘で受けた傷、実は致命傷だったのよ」

 「えええええっ!」

 でも記憶喪失になったとは言われていても、傷は軽傷だったはず……あ、そういう事ですか。それは九十九さんだったんですね。
 そして彼女の言葉の続きも、私の推理と一緒でした。

 「アサルトピットを背後から直撃したテツジンの装甲板は、ヤマダさんの後頭部に重大な損傷を与えていたの。気になったハルナはこっそりと抜け出して様子を見に来たんだけど、さすがに蒼くなってたわ。後頭部挫傷、たとえ一命を取り留めても、重度の身体及び精神障害を起こす事は確実だった。助ける方法は、一つしかなかったの」

 「……ハーリー君を助けたのと、同じ方法ですね」

 「そう」

 ウィンドウの中で彼女がうなずきます。

 「しかも間の悪い事に、本来の歴史ではコックピットに閉じこめられているはずの九十九さんが、破壊方法の違いのせいか、負傷しながらも脱出してしまっていた……このままでは九十九さんとミナトさんが出会う事はなくなってしまう。ルリちゃん、あなただったらどうする?」

 考えた事もありませんでした、そんな可能性。でも……多分私も、ハルナさんと同じ事をしたでしょう。

 「さすがに重傷ではあっても単なる外傷だったハーリー君とは違って、ヤマダさんは脳回路の一部を修復しなければならなかった。ここだけの話、ヤマダさんが一般人だったら……パイロットじゃなかったら助けられなかったわ。ハルナの持つ生体置換ナノマシンは、あなたも知っているとおり、一度神経細胞を置換したら、すべての神経細胞が置換されるまで止められない……結果がどうなったかは、あなたも知ってのとおりよ。でも幸い、ヤマダさんはパイロット……ナノマシンによる補助脳を持っていた。だから彼女は脳組織の損傷は治療するだけにとどめて、代わりに彼の持つ補助脳に干渉・強化して、障害を受けるはずだった部位の働きをそれに肩代わりさせたのよ」

 ……そ、そんなことまで出来るんですか、ハルナさん……
 私は開いた口がふさがりませんでした。

 「何でそんなことが、って思っているんでしょう」

 ……見透かされました。

 「ハルナはね、伊達にあんなムチャクチャな体で正気を保っている訳じゃないのよ。実際のところ、ハルナはむしろ超人的な能力を解放している方が楽な位なのよ」

 「どういう事ですか?」

 答えは信じられないものでした。

 「彼女はね、そのあたら優れた能力をほとんどすべて、『ただの人間と同じ振る舞いをする』事につぎ込んでいるのよ。実際、たとえば人間としての姿を捨て去れば、彼女は今の数千倍の能力を発揮出来るわ」

 「……それって、どういう……ことですか!」

 私は彼女の言っていることの意味がまるで分かりませんでした。

 「イネスさんの言葉を覚えている? 実験の結果、脳を食い尽くされた人の体は、暴走したナノマシンによって分解され、塵となってしまったって……塵と言っても、ナノマシンの固まりだけどね。でもハルナは人としての姿を保っている。どうしてだと思う?」

 ……今までの話の流れからすれば、答えは一つしかありません。でも、そんなことが……

 「そう、彼女はあの姿を、すべて意識して保っているのよ。それこそ寝ていてすらも。まあ半ばは無意識領域で、バックグラウンド処理みたいにしているとはいえ、それは彼女にとってものすごい負担を強いているわ。一度彼女、思兼をあの体に乗り移らせていたでしょ。あのときだって、思兼に支配を渡したのはほんの一部だけよ。表層意識の一部を私とリンクしてあいつらを追っ払う一方で、元のボディを維持しているんだから、全く我がオリジナルながらあきれかえったけど」

 何なんですか、それって……

 「ま、だから彼女にとって、人の体を修理するのは何でもないことなのよ。彼女は人体構造について、それこそ遺伝子レベルで知り尽くしているからね。以前あなたが疑問に思った、あのシミュレーターを作れるくらいに。ハーリー君のあれなんか、絆創膏を貼ったくらいのものよ、彼女にとって見れば」

 ……全くどこまで謎なんですか、ハルナさんは。
 私は心底あきれてしまいました。

 「そんで話を戻すけどね」

 おっとっと、そうでした。元々はヤマダさんの話だったんです。

 「ヤマダさんはしばらく安静が必要だった。でもあの時点で彼の傷を見られたら、ただの傷じゃないことはすぐバレちゃったわ。特にここには、イネスさんがいるからね。彼女に見られたら致命的よ。気づかないはずないんだし。だから彼女は思いきってヤマダさんと九十九さんをすり替えた。九十九さんにIFSのマーキングをつけ、ヤマダさんのパイロットスーツを着せて近くに放り出しておいたのよ。その隙に本物のヤマダさんは、彼の部屋で寝ていてもらったの」

 「そうだったんですか……じゃ、ヤマダさんは、自分の部屋に?」

 「ええ、実のところ、九十九さんとも友人になってるわよ。ゲキガン馬鹿同士、気が合ったみたいで」

 「それは、そうかもしれませんね……」

 私も思わず納得してしまいました。

 「ちなみにこのことを教えたのはね、後で彼に降りかかるであろう誤解を解くのに、一枚かんでいて欲しかったから。本来ならハルナ本人がやるつもりだったんだけど、捕まっちゃったでしょ? だからヤマダさんはどっかに監禁されていたことにでもして欲しいわけ」

 「……わかりました」

 まあ、仕方ないですね。

 「どうせミナトさんが帰ってきたら、全部真相がバレると思うけど、それまでごまかしておければいいからさ、お願い、ルリちゃん」

 「わかりました、拒否する理由はありませんし」

 「さんきゅ〜。じゃさ、ハルナの部屋開けるから、そこの冷蔵庫に入っている、ドリンク瓶をヤマダさんに渡してくれる? それを飲ませた後、しばらくしてから発見した振りをすればいいから」

 「わかりましたけど……何なんですか? それ」

 「超強力睡眠薬。寝てたことにするのが一番楽でしょ? ヤマダさんも」

 ごめんなさい、ヤマダさん。確かにそうです。



 私はハルナさんの部屋に入って、問題の瓶を手にしました。
 けどハルナさんの部屋の端末……あれ、なんですか。また一段と改造が進んでいました。
 ちょっと、うらやましいかも。

 「ルリちゃんも欲しい? あの端末」

 「……はい」

 「じゃ、ハルナが帰ってきたら言っとくね」

 ……私は悪魔と取引してしまったのでしょうか。



 ヤマダさんの部屋をノックすると、中から声がしました。

 「ルリちゃんか」

 「はい」

 「話は聞いてるぜ。心配掛けたな」

 「ものはこれです」

 瓶を手渡し、扉が閉まるのを見届けた私は、心臓が変にどきどきしているのを感じました。



 そして自室に帰った私は、今度こそぐっすりと寝てしまいました。
 思ったより疲れたようです。
 ……ぐう。







 その3へ