再び・時の流れに
〜〜〜私が私であるために〜士官〜〜
第17話 それは『遅すぎた再開』……いまさら、ですか。それでは意味がないんですよ……その3
「こちらサツキミドリ、何があったのですか!」
「よくわかりません。何か大きな衝撃を受けたかと思うと、突然船が揺れて……」
「すぐに救助に向かいます! 生存者は!」
「現在、私達だけです……シャトルを運航していた人たちは、もう、誰も……」
「判りました。とりあえず落ち着いてじっとしていてください。下手なところに触ったりしたら、事態が悪化するかもしれません」
そして通信が切れた。
そのとたん、スクリーンの前で泣きはらしていた女たちの顔つきが一変する。
「チョロいわね、男なんてどいつもこいつも……不潔」
「ホントホント。京子ちゃんの演技にころっと引っかかってるし」
私たちの同志……零夜と百華が軽口を叩く。
「油断してはダメよ。むしろ本番はこれからなんですから。よけいなことを聞かれないように、皆負傷で倒れたふりをする。医務室に担ぎ込まれてしまえばこっちのものよ」
「わかりもうした」
隊長の千沙の言葉に、三姫も頷く。私もだ。
私は御剣 万葉。優華部隊所属の一隊員だ。
「みなさんにやってもらいたいことは、囮と目印です」
「目印、ですか?」
八雲総司令の言葉を、千沙は思わず問い返していた。
「はい。これはあなた方でなければ、成功のおぼつかない任務になります」
そして八雲総司令は、驚くべき策を我々に語った。
地球の周辺には、様々な目的の人工天体が浮かんでいる。居住用、生産用、軍事用、研究用……様々な宇宙島が、地球周辺の軌道を回っている。
そのうちの一つ、サツキミドリと称されるもの。
総司令はこれに目を付けたのだ。
「この宇宙島は規模、所属、位置、どれをとっても理想的です。軍事用ほど警戒堅固でもなく、かといって民間居住用のようにたくさんの住民がいるわけでもない。本来は農業用として建造されたようですが、企業が軍事兵器の研究をするのに使っていたこともあるようです。いずれにせよ、それほど大量の人間がいるとは考えられません」
これは私達のあずかり知らぬ事ではあったが、以前ここは無人兵器の襲撃を受けたことがあり、そのときの痛手を修理することが戦乱の中でままならぬまま、何とか維持だけはされていたらしい。
そして総司令は言った。
「ここを我々の手で乗っ取ります。この場所は月よりも遙かに地球に近い。古の昔、我々の祖先が狭い地表の、更に狭い地域で争っていた頃の逸話に、『墨俣城築城』というものがあります。本来この話は知恵者が不可能なことを成し遂げることに対する故事として使われますが、ここでは軍事戦略的な意味で共通点があります」
ふむ……これは予備知識がなければわかるまい。なぜ攻め手は危険を冒してまでも墨俣に城が欲しかったのか。それはこの地が敵の城ののど元だったからだ。
この宇宙島も同じだ。この地を落とせば、それは地球という城の、のど元に突きつけた刃となる。
ただ、普通ではこの地を押さえても無意味である。敵地のまっただ中の拠点など、包囲されて補給を断たれたらそれまでだ。
だが我々には跳躍門がある。補給は可能なのだ。
ただ、気になる点はある。いくら我々が不意を突いても、この人数で宇宙島一つを制圧できるわけがない。
少なくとも一個大隊は必要なはずだ。
と、そこまで考えを巡らせたところで総司令の言葉が続いた。
「攻略に当たっては、秋山君の部隊が試験運用を任されていた新兵器を使用いたします。あなた方を囮として先行させるのも、その兵器の運用を万全にするためです」
なるほど、それなら納得がいく。
秋山閣下の部隊で試験されている武器といえば、確か跳躍砲の筈。
空間跳躍によって、爆発物を直接相手の内部に転送するという、画期的なのかせこいのか今ひとつわからない兵器だ。
理論上は絶対防御不可の兵器だが、確か実用上はいくつか問題があって採用は見送られたと、以前飛厘が言っていた気がするが……総司令のことだ。何か考えがあるのだろう。
我々は与えられた任務をまっとうするだけだ。ただの武人、ただ一振りの太刀として。
そして今私達は、医務室にいる。
疑われもしなかった。ずいぶんと平和ボケした連中だ。
もっともこれは後にわかったことだが、この時点で地球側は、我々のことをよく認識していなかったらしい。情報の混乱により、木連人がキョアック星人より醜怪な異生物だと思っていた人もいたくらいだ。
つまり連中は、戦っている相手が生物学的には同じ人類であることすら碌に認識していなかったというのだ。これではスパイの侵入を疑えという方がむずかしいかもしれない。
何にせよ、僥倖だった……総司令はそこまで読み切っていたのかもしれないが、あの方はそんな仮定に頼るほど甘い性格ではない。あくまで偶然だろう。
我々は難なく作業員達の目を盗み、十分な広さの空間に『目印』を取り付けた。
さすがは総司令……「適材適所」という言葉をあれほど的確に使っている方もいないだろう。彼の手に掛かると、欠陥兵器と思われていた跳躍砲ですら恐るべき新兵器に変わってしまう。
跳躍砲の弱点はその射程の短さだ。約100qまでの距離でないと、誤差が大きすぎて意味が無くなってしまう。また、照準合わせをしてから実際に発射されるまでの間に少なからぬ時間差があり、準備をしているうちに相手が移動してしまうと照準合わせがやり直しになってしまうという、とんでもない欠陥があった。この時間差は照準の正確さと比例しており、より正確に狙うほど、照準固定に時間が掛かってしまう。これは宇宙船に対艦用として搭載される兵器としては致命的な欠陥だった。秋山閣下は、照準機構の改良によって、何とかこれを実用段階へと引き上げる研究を進めていたと聞いている。
だが幸いこのサツキミドリは高速で運動する宇宙船とは違い、相対速度を合わせれば事実上静止したのと同じ事になる。これならば十分に時間を掛けて照準が可能になる。
つまり現行のものでも、不動に近い目標になら、跳躍砲は十分実用になるのである。ただ、今回のように、要塞内部に直接有人弾頭を跳躍させるとなると、あらかじめ目標内部に先発隊が侵入し、安全な目標位置を正確に知らせる必要があった。これこそが我々の任務だったというわけである。
再び医務室に戻った頃、内部に警報が鳴り響いた。
秋山殿の戦艦、かんなづきが発見されたのだろう。
少し経つと通信が入ってきた。
『申し訳ありません。敵の戦艦とおぼしき艦船が接近しています。万一を考えて、そこから出歩かないようにしてください』
「はい……」
しおらしく隊長が答える。もちろん演技だ。
実際すぐに、我々はこの部屋を出ることになった。
第一陣が、無事に跳躍に成功したとの連絡が入ったからだ。
「どうしました、お嬢さん! こちらは危険です!」
「はっ!」
私達の姿を見ても、ここの人間達は驚きはするもののまだ疑おうともしない。
私の振るう技によって、あっさりと倒されていく。
「参ったね、私や三姫が手を出す余地がないや」
百華がぼやくが、それはこの温すぎる奴等に聞いてくれ。
「あっ、優華部隊の方々ですね!」
「そうだ」
やがて我々は後続の部隊員と合流した。我々の案内で、手際よくブリッジその他へと彼らは散っていく。
そして3時間後、宇宙島サツキミドリは、我ら木連の手に落ちた。
情報その他もそのまま残されていた。
全く、なっていない。電脳内の情報を消しておく位の知恵すら回らんとは。
ふっ……所詮ゲキガンガーを忘れた男など、この程度ということか。
私はため息を一つ付くと、みんなの手伝いに赴いた。
>RURI
連合軍と木連軍との戦いは、結局悪い予感通り、木連軍の圧倒的な勝利に終わりそうでした。
あの場に私達がいたら……そう思わざるを得ません。せっかくのエステバリスも、使い方がまるでなっていませんでしたし。
シュッ。
ぴぴっ。
と、二つの音が同時にしました。シュッというのは、休憩していた副提督が帰ってきた音、そしてぴぴっと言うのは、思兼からの至急伝です。
何事でしょう……「ええええっ!!」
「どうしたの、ルリちゃん!」
ユリカさんがいきなり大声を上げた私のほうを見ます。
わたしはその知らせ……こっそり軍の秘匿回線に潜り込ませてあったワームからの情報を話しました。
「サツキミドリ2号コロニーが、木連の手に落ちました」
次の瞬間、ブリッジは阿鼻叫喚の叫び声に包まれてしまいました。
「副提督……」
「艦長……」
ブリッジがどうにか落ち着いた時、二人は同時に顔をあげ、お互いの目を見つめます。
「それって……そんなにまずいことなんですか?」
二人の様子に気がついたメグミさんがそう聞いてきます。
「下手をすると、これで決着が付いちゃいます」
艦長は、さらっととんでもない事を言いました。
「え……」
あ、やっぱりメグミさん、凍っちゃってます。
「あそこを押さえられると、相手はいつでも地球に対して有利な立場で攻撃が可能になるんだ……みんなも聞いてくれ」
それを見て、副提督が解説をしてくれました。
「これが地球のゲリラとかなら、さして問題にはならないんだが、木連にはチューリップがあるからな。こっちの目と鼻の先に出城を築かれたようなもんだ。しかもあそこを押さえるっていうのは、地球と月との連携を断ち切ることにもなる。せっかく取り戻した月面カードが、これで死にかねない」
「それじゃあ……」
「決戦艦隊の大敗北と合わせれば、地球側が圧倒的に不利だ。もしここで相手がもう一押ししてきたら、一気に崩れかねんぞ」
「して、来るでしょうね」
メグミさんは、なぜか確信を持ってそういいました。
決戦を勝ち抜いた木連側の戦艦が、次々とサツキミドリ周辺に布陣していきます。重厚で堅固な球形陣。まさに一分の隙もない陣形が、サツキミドリを中心に完成してしまいました。
「完璧にやられたな、これは」
副提督のつぶやきが、ブリッジに重くのしかかりました。
「やっぱり敵には回したくないやつだったよ、あいつは」
「ですね」
カズシさんが肩をすくめてうなずきます。
「けど、どう出るでしょうね、連合軍」
「手打ちしかあるまい」
打てば響くように、副提督は言いました。
「これでもはや連合軍は木連を無視できなくなった。ここで彼らをテロリストと決めつけようものなら、奴等は本当にテロリストの戦法で来かねんからな」
「テロリストの、戦法、ですか?」
ジュンさんが首をかしげます。
「ジュン君はこういう戦法は苦手だもんね。だから大学であたしに勝てなかったんだよ」
ユリカさん、それはちょっとキツいです……。
けれどもユリカさんはジュンさんが落ち込んだことに全然気がつかないまま、ずばりと言いました。
「最悪ね、落とせるのよ……サツキミドリそのものを。テロリストにならね。これをやられたら地球の被害は甚大。連合軍と連合政府は責任問題で崩壊すること間違い無しね」
「そこまでやるのか!」
「やると思う……クラウドさんなら」
思わず激昂したジュンさんに対して、ユリカさんは静かに言います。
「犠牲を出すことは嫌うけれども、それが必要となったらためらう人じゃないわ、彼は。シミュレーションとはいえ、彼と戦ったあたしにはわかるの」
「ユリカ……」
と、そのとき、ぱんぱんと手を叩く音がしました。
ブリッジ内のみんなが思わずそちらを向くと、副提督が手を叩くポーズのままこちらを見ています。
「さて……賭けてもいいが、これからこっちはものすごく忙しくなるぞ。おそらく連合軍は、いったんは彼らに交渉を持ちかけるはずだ。木連側もおそらくそれを受ける。だが、まず結果として交渉は決裂するだろうな……現時点では、地球側が木連側の言い分を飲むとは思えん。クラウドのやつもそんなことは百も承知だろう。実際にはその上の絡みもあるだろうが、この時点で手打ちになるわけがねえ。となれば、連合はまず間違いなくこの手を打つ。ナデシコに対して、サツキミドリ奪還を命じる、って手をな」
はっと息を呑む声が、あちこちからしました。
「さて、パイロットも含めて全員集合だな。コマが足りない連合軍のことだ。かなりの無茶を言ってくると思うぞ」
私も同感です。こう言うとき軍人さんは恥知らずになりますからね。
この後私達は、サツキミドリ攻略プランをいろいろと話し合いました。
ですが、事態は私達の予測を大いに裏切る形で進行していったのです。
……まさか歴史改変のツケが、こんな形で回ってくるとは思いもよりませんでした。
かんべんして。
>MAIKA
「以上が今回の成果です。さすがにこれ以上の交渉は私の分を越えます。出来うることならば、閣下自身にこちらに来て欲しいくらいなのですが……」
さすがは我が兄上。立案した計画はことごとく読み通りになり、我々は地球に対して圧倒的に優位な立場に立った。
多少の読み違いはあったが、それすらも全く問題になっていない。いやむしろ怪我の功名とも言える形になっている。
そして今兄は、我々の偉大なる指導者、草壁閣下に今までの戦果を報告していた。
報告を受けとった後、閣下はしばしの間沈黙を保った。
そしてゆっくりと、重々しく口を開く。
「いささか行き過ぎの点もあるようだが、とりあえずは不問とする。地球艦隊に対する大勝利、及び絶好の拠点確保は、見事なまでの成果といえよう。送られて来た映像も確認した。あれはこれから戦う者たちに対する、何よりの励みになるであろう」
「光栄です、閣下」
実のところ主戦派の草壁閣下と非戦派の兄はあまり仲がよくない。しかしどちらも軍事的立場と政治的立場を混同する人物ではない。
それ故、返ってきた返答は、少々意外であった。
「だが……少し勝ちすぎたようだな。東司令」
「……やりすぎましたか?」
何か思うところがあったのか、素直にうなずく兄。
「あまり相手を追いつめすぎると、かえって交渉時に意固地になるものだ。東司令、少し時間を稼ぐように」
「はっ……閣下の方にも何か方策が?」
「うむ」
画面の中で、閣下はうなずいた。
「こちらで進行中の作戦がある。本来の予定ではそれなりの被害なども覚悟の上であったが、貴君の手柄によって大きなゆとりを得られた。貴君の功績は大ではあるが、卑劣な地球側がこの先どんな手を打ってくるかはわからん。だがこちらの計画が完遂されれば、どんなに地球が卑劣なことをしようとも手出しの出来ない状況を得ることが出来る。
そこで貴君には新たなる指示を出す。
貴君を優人部隊総司令に加え、新たに対地球外交交渉全権大使に任ずる。ただし、追って指示があるまで、地球との交渉をまとめてはならない。貴君の能力を持って、地球政府の動きをその場にとどめるのだ。必要ならば随時報告を送るように」
「かしこまりました。とりあえず見せ札としてはどこまで譲ってよろしいでしょうか」
「まずは強気で押せ」
閣下はそうおっしゃった。
「その後最終的に、貴君が確保した拠点は好きに開放・放棄してもよい。但し指示あるまで、連合軍を地球及び月から出してはいかん。その場に足止めするのだ」
「わかりました」
「うむ、期待しているぞ」
そしてお互いが礼を交わし、報告は終了した。
「ふう、疲れたよ」
通信が切れたあと、兄は大きくため息をついた。
「とんだ狐と狸の化かし合いだ。閣下……何を狙っているんだ?」
「と、いいますと?」
私は素直に疑問を兄にぶつけた。こう言うときに自分で考えても、正解が出たためしはない。
「今のやりとりではっきりとわかった……閣下はこの戦いにおいて、何か裏側の作戦を行っている」
「それは私も感じました」
そう、我々を陽軍としたら、閣下は陰軍を動かしている。
「しかもそっちこそが本命の作戦だ。極端なことを言えば、今私達がここで全滅しても、閣下は何ら痛痒を覚えないと言うことだ」
「そ……それは少し言いすぎでは」
さすがに私も焦った。我が兄ながら、相変わらず過激な部分は過激だ。
「まあ……ちょっと言いすぎたかもしれないな。だが、閣下は賭けている……この動きからすると、私がこの戦争において感じていた、不可解な我が軍の動き……そして地球に見え隠れする齟齬。閣下は何か途方もない切り札を握っている。ただ……それが地球との交渉を円滑にするものかどうかは、少し不安だな」
「と、言うと?」
私が聞くと、兄はうっすらと微笑みを浮かべた。
妹ながら、何か寒気がするような笑みを。
「草壁閣下は主戦派筆頭であり、地球に対して軍事レベルでの勝利を狙っていることを忘れちゃいけないよ。閣下の狙いは、おそらく我々に絶対的な軍事優位をもたらすものだと、僕は踏んでいる。以前も言っただろう? この戦い、基本的にはこちらが不利なんだ」
私は少々疑問に思った。それはそれで間違いではないと思うのだが。
「ただ……閣下の動き、そしてあのテンカワアキトやハルナの動きからすると、どうも閣下の狙っている行為は、有効ではあっても、ある種の倫理的な禁忌を伴うようなものであるのかもしれない。かつての核兵器のようなね」
そういって兄は自分の手を見つめた。そこにはあの紋章が浮かんでいる。確か地球圏ではIFSとか言うものだ。
「まあ、今のところは我々の圧勝だけど、地球側には最大の切り札が一枚残っているからね。それを切られたらこの優位もどこまで有効かわからないし。閣下の懸念も、ある意味では正解だな」
「ナデシコ……そして、テンカワ兄妹ですか」
私の問いに、兄ははっきりとうなずいた。
「そうだよ……そうか」
と、何を思いついたのか、兄はくすくすと笑い出した。
「兄さん、何か?」
「いや……ひょっとしたらと思ってね」
兄は先ほどまでの怜悧さをかけらも感じさせない、優しい笑い顔を浮かべる。
「草壁閣下の狙いを、突き止める方法があるかもしれない」
逆に私は身を固くした。いくら敬愛する兄上といえども、閣下に害を与えるような行為は見過ごすわけにはいかない。
「ほらほら、そんな怖い顔をするな、舞歌。何、ひょっとしたら知ってるんじゃないかっていう気がしてね……テンカワ兄妹なら」
私は一瞬呆けてしまった。が、次の瞬間には思考を激しく回転させていた。
そういえば兄上は……
「テンカワ兄妹が完全な有人跳躍を成し遂げていたことを、報告していませんでしたね」
「なんかそれを言うと、彼らを消せっていわれそうな気がしてね。命令されてしまったら、ごまかすわけにも行かないし。まあ、もしそのときが来たら、私もためらうつもりはない。だけどね……もう一度話し合ってみたいんだ、彼らとは。お互いの立場をふまえた上でね。とはいえ、しばらく私はここを離れるわけにはいかない。そこで舞歌」
兄はじっと私のほうを見る。珍しく、私に頼み事をする目だ。命令の時はこういう顔をしたりはしない。
「多分、このあと彼らと接触する機会があると思う。さすがに地球側も今度は交渉の札を切ってくるだろうからね。そのとき、機会があったら、彼らとつなぎを取ってくれないかな。場合によっては……」
「よっては?」
「彼らと手を組む必要があるかもしれない」
そう言った兄の瞳は、また冷たく怜悧なものになっていた。
こちらの配置が終わった頃、兄のいったとおり、地球側から交渉の打診があった。
「地球連合軍、渉外担当となったバールだ」
「はじめまして。私が木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家反地球共同連合体所属対地球攻撃軍、優人部隊総司令、東八雲です。このたび代表の草壁中将閣下より、地球圏との交渉担当を改めて命ぜられました。よろしく」
お互い、どことなく慇懃無礼な態度で予備交渉は始まった。
けど、地球圏にはこれほど人が住んでいても、まともな人間はいないのか? このバールとかいう男も、品性のなさが目に余る。
「今回の交渉に当たり、内々にではあるが、貴君らを外交官と同等に扱うとの内示を得ている。そのつもりでいてくれたまえ」
言い方は丁寧そうであったが、言葉の裏には『仕方ねえから体裁は付けてやるよ』とでも言いたげな、嫌味な思いがべっとりと張り付いていた。
こんな物言いを私の部下がしたら、いや、上司であってもそいつの首は私の前から消えている。今までそういう部下にも上司にも当たらなかった私は、案外恵まれていたのかもしれない。
そして兄も、この手の無礼には容赦のない人物であった。
「いまさら、ですか……それでは意味がないんですよ。あなた方は、戦端を開く前にこそ、そういうべきだった。それを何ですか。喧嘩を売っておきながらぬけぬけと。わびを入れる気があるのならあなたのような使い捨ての小物ではなく、あなたの上であるガトル大将が出てくるべきでしょう。出直してきなさい。あなたではそもそも交渉になりません」
「な……」
うはっ、これはキツい。兄もこうなると本当に情け容赦が無くなるからな。まあ、いい気味だ。
「そ、それでは木連は、我々との交渉を拒否するというのか!」
「いいえ、私が拒否するのはあなたとの交渉です。決して連合政府や連合軍との交渉を拒否する気はありませんよ」
高飛車に出ているなあ、兄上。確かにそうしろという指示はあったが、これは少しやりすぎではないのか?
「そもそも予備交渉などする必要性は別にないのですよ。それとも何ですか? こうして私がこちらに注意を向けている隙に、特殊部隊の一つでも侵入させようとでもいうのですかな?」
相手の顔が赤くなり、そして青くなった。あの様子では、今のところそういう動きはなさそうだな。にしても腹芸の出来ない男だ。
……いや、あれは弱者相手にはいくらでも腹芸の出来るタイプだな。強者にへつらい、弱者をこき使うタイプと見た。だが、真の強者(つわもの)とは戦ったことがないようだな。あれでは兄の相手にはならん。
「まあその必要がないのならいっておきましょう。我々はさんざんあなた方地球人には裏切り続けられている。少なくとも交渉は、絶対的に信頼できる場所でなくては危なくて受けられませんね。そしてそちらもきちんと誠意ある回答を用意してきてください。
とりあえず地球と月との貿易は邪魔しないことにしましょう。暴動など起こされたらよけいな手間が増えるだけですからね。但し軍艦や宇宙圏戦闘機のような兵器は決して見逃しません。心しなさい」
一方的に言いたいことをいう兄。ちなみに無礼千万のような物言いではあるが、兄の言った方針は最初っから予定通りのものだ。
「くっ……おのれ、必ず後悔させてやるぞ!」
と、相手はそう言い捨てて通信を切ってしまった。あきれた。猿以下かもしれない。仮にも代表として外交に出てきたものが、ここまで情けない態度を取るとは。
「使えない輩ですね。まあ、次はもっとまともな相手が出てくるでしょう。もっとも、少し時間が掛かるでしょうね。ちょうどいい時間稼ぎです……あ、私は少し休みます。舞歌、あとはよろしくおねがいします。ダッシュ君も」
対する兄は余裕綽々。地球人よ、もう少しまともな人材はいないのか?
もっとも、私の嘆きは、意外な形で慰められた。
馬鹿はとことん馬鹿だが、逆に侮れない相手はとことん侮れないものだと、この後私は思い知らされることになる。
しばらく後、我々に連絡を取ってきた人物は、極めて意外な人物だったのだから。
>YAKUMO
「あ、私は少し休みます。舞歌、あとはよろしくおねがいします。ダッシュ君も」
「はい」
『おまかせっ!』
ブリッジを退席し、自室で一人になると、私はふっと息を抜いた。
(さて……舞歌にはああいったものの、閣下……あなたはその手に収める気なのですね、跳躍技術を……)
私はかつて西欧で、テンカワアキトに聞いた話を思い出していた。
あの時はまだ記憶も戻ってはおらず、純粋に地球の味方として聞いた話だった。
木連の狙いは、跳躍技術の独占にある、と。
あの時は、なるほどと思っただけであった。だが、今の立場になってみると、俄然その意味は違って見える。
何しろ地球攻略の最前線司令官である私すら、跳躍技術の独占を自分達が狙っているなどということは知らなかったのであるから。
となればそのための動きは、草壁閣下が直接手がけていることになる。そしてこの閣下の動き……合わせて考えれば、答えは一つしかない。
(火星……ですね。跳躍技術独占のカギがあるのは。そしておそらくテンカワさんは、それが何であるか、すでに知っている。それでいて、その事実を、未だにネルガル関係者はおろか、ナデシコのメンバーにすら明かしてはいない)
ネルガルが危険を冒してナデシコを火星に送った計画、スキャパレリプロジェクト。
それも目的地は火星の施設だったという。となると……。
(発見したのはネルガル。但し、それが何であるかを知っているのは、テンカワさんとハルナさん、あとは……ルリ君あたりというところでしょうか。ネルガルも目鼻は付けているだろうが、彼らほどの確信は持っていない……)
私は思考の海に沈む。独占が可能になるということは、『それ』は跳躍『技術』ではないということになる。技術は表面上の権利はともかく、真の意味での独占は不可能だからだ。
(形あるもの、ということになりますね。跳躍技術は、我々が発見した古代火星人の遺跡から見いだされた技術。彼らはこの技術をごく日常的に使っていたらしいことは、今までの研究でも明らかです。過去の先祖は、核に狙われ、一時的に目覚めた『れいげつ』が一気に木星プラントまで跳躍してくれたからこそ生き延びたと伝えられています。そして現在我々の手にある跳躍制御装置も、れいげつ及びプラントに残されていた機械類の解析よりもたらされたもの。だとすれば、おそらくどこかに、すべての跳躍を支配できる『中枢制御装置』のようなものがあるのでしょう。そう考えれば理屈に合いますね。跳躍の原理からも、その存在は予測されていましたし)
私はそこまで思考をまとめ、更にそれを発展させる。
(そのシステムは、かなり大きいものですね。持ち運びできるようなものならば、テンカワさんがさっさと処分しているはずです。同様の理由で、破壊もかなりむずかしい。なぜなら可能ならテンカワさんはとっくに壊しているでしょうから。そしてテンカワさんに破壊できない以上、他の誰かが破壊できるとも思えません。結果としてその『制御装置』は、事実上不可侵に近い堅牢さを持つと言えそうです)
但し、堅牢ではあっても、奪取は可能であろう。そうでないならば、テンカワアキトが奪われることを心配する理由がない。
(しかし……私の手に収まる程度の跳躍技術でも、今までの戦い方を激変させるだけの力がある。もしこれで跳躍すべてを支配下におけるとしたら、まさしく地球に限らず、人類社会の勢力図は一変してしまいますね。その意味においては閣下の狙いは正しいのかもしれません。しかし気になります。なぜテンカワさんは、それを誰にも渡さないようにしているのでしょうか。はっきり言って、今の彼の実力と影響力を考えたら、閣下に奪われる前に自分の力でその『制御装置』を奪取してその手に収めてしまう方がよっぽど安全です。ましてや彼は我々のものより完全な生体跳躍の技術を持っているのですから、よけいにです。なのに彼はそれをしようとしない……舞歌に言っておくべきでしょうかね。閣下が『それ』を狙っていることを、テンカワ君達に伝えるように。それを聞いてどう彼が動くのか、それが答えになるような気がします)
テンカワアキト君……あなたは、我ら人類に、何を求めているんですか?
戦いが終わったら、ゆっくり話し合いたいものですね。
>SADAAKI
「やれやれ……これは拙いわね……」
獄中……といっても、本物の牢屋ではなく、通常の士官用仮眠室なんだけど……で、アタシはため息をついた。
業務上横領の罪で告発され、拘禁されているものの、まだ営倉入りになったわけではないアタシは、こうして一室に監禁されている。出歩くことと、外部に連絡を取ることは禁じられているものの、外のニュース等はごく普通に入ってくるわ。
そしてアタシは、連合軍が一大決戦に敗北したあげく、その隙に民間コロニーを一つ占拠されたことをニュースで見た。
馬鹿ねぇ、ホントに。面子にこだわって、ナデシコを無視するからああいう羽目になるのよ。あたしの目から見ても天才といえるあのミスマルユリカと五分に張る男なのよ、あの敵軍司令は。ましてやアズマ少将じゃ相手になるわけ無いって事くらい、アタシにだってわかる。でも……軍のお偉方にはそれがわからなかったようね。
まあ、あの男の素性を隠してたあたし達にも責任の一端はあるけど。さすがに気づかず使ってた元クルーでしたなんてバレたら、ナデシコに対する政治的攻撃はこんなもんじゃすまなかったと思うけどね。どういう訳だか、その情報だけは完璧に押さえ込まれていたし。コレならナデシコ側からばらさない限り、こっちにバレる気遣いはほとんど無いわね。
それはそうと、そろそろ私の取り調べの方も始まるかしら。小娘の話だと、一旦は有罪が確定して、それから名誉回復の機会が来るって言ってたけど。まあ、せいぜい惨めに足掻くとしましょうか。
けど、取り調べに来た男を見たとき、私は一瞬、すべてを失ってもいいからこいつを殺してやろうかと思いかけたわ。
ササキ タカシ……あんたが担当ですって!
それはまだ私が若かった頃の話。
宇宙軍には、『二羽の若鷹』がいるといわれていたわ。
柔のムネタケ、剛のササキ。
当時の宇宙軍には、今みたいな戦いの目標はいなかった。100年前とは違って、昨今の宇宙には宙賊が出ることもない。あのころは地球−宇宙間の管制も未整備だったから、輸送船を襲って逃げる場所はいくらでもあったけど、今そんなことをしたらあっという間に発見される。結果割に合わなくなった宙賊は激減したわ。宇宙軍の仕事は、航路の見回りと事故の対処。まあ地上なら警察と消防関連の仕事みたいなものね。
かといって実戦訓練がなかった訳じゃない。まあ私と彼はそこで並んで優秀な成績を上げていた。お互いライバルかつ親友という感じだった。
あの時までは。
彼が訓練用の軍需物資の横流しをしていることに気がついたのは、些細な偶然だったわ。彼が一般入隊から叩き上げた、生粋の庶民派だったのに対して、私は威張る訳じゃないけどエリート軍人を父に持つ、まあお金持ちといえる人間だった。そんなわけだから、私は彼がそういうことをしてお金を稼ぐ心理なんてわかりもしなかったわ。偶然気がつかなければ、永久に気がつかなかったでしょうね。
でも私の知る彼は、そういうことをする人間とは思えなかった。
それにその横領は、彼の持つ権限で出来る事じゃないのも一目瞭然だった。
つまり彼は、最悪でも単なる協力者、いえ、多分飴と鞭を両方とも示されて、逃げ場を無くされていたんじゃないか、そう思ったわ。
密かに行った調査でも、そういう結果が出ていた。協力を拒めば、彼は病気の母に苦労をかけることになる。だが協力すれば、十分な治療を受けさせて上げられる。
少なくとも発端は、彼にとっても本意ではなかった……それは間違いない。間違いなかった。
でも。
甘かったのはアタシの方だった。
友人として彼を諫め、軍の内部監察に事態を告発しようとしたアタシを待っていたのは、彼と彼の上司が、すべてをアタシに押しつけてのほほんとしている姿だった。
アタシは完璧に嵌められていた。関係者全員に口裏を合わせられたら、勝ち目はないわ。オリエント急行殺人事件の被害者みたいなものよ。
ちなみにそのときは、一般社会でいうなら証拠不十分で不起訴になった。でも実際は父がいろいろと手を回したからだった。
そしてアタシは知ってしまった。アタシの濡れ衣は、父に敵対する派閥の人間が父を陥れようとして仕掛けたものだということを。
そして友と信じていた人間が、そのためにならためらいもなく親友を裏切れる人間だと。
……そう、アタシは気がついてしまった。連合軍の中に横行している、数限りない不正と堕落に。そして父さえも、それとは無縁ではないということに。
正義なんて、どこにもなかった。あるのは欲望と権力だけ。予算を食い物にして肥え太る魑魅魍魎だけ。
そしてアタシも堕ちた。
奴等を見返せる、せこい復讐心だけのために出世することを望む、卑屈な獣に。
そして運命の……裁きの日はやってきた。
木星蜥蜴……木連の攻撃。上が何を考えていたのかは、さすがにアタシにもわからない。けど、何人かの人間は、確実に相手がかつての同胞であることを知っていた筈。
そしてそれを喰い物にして、肥え太ろうとしていたはず。
だが……敵は予想以上に強大だった。
腐りきった連合軍は、もはや倒れるところまで行きかねなかった。
良識派の将軍・提督達が頑張っても、巻き返すのは奇跡に近かったはずよ。
でも……奇跡は起きた。ロクに抵抗できなかった木星蜥蜴を撃破できる戦艦。
機動戦艦ナデシコ。
たった一隻の戦艦が、口火を切った。
その後のネルガルとの和解、二番艦コスモスの活躍……そして、ナデシコ奇跡の生還。
私は知っているわ。連合軍が現在の地球及び月で上げた成果、その7割以上がナデシコ及びコスモスの手で成し遂げられたことを。
そして西欧圏で奇跡を巻き起こした、あの特殊部隊・MoonNight。
連合軍が立ち直るための貴重な時間が、すべて彼らの手で稼がれたことを。
それらの核となった男……テンカワアキト。そしてその妹、テンカワハルナ。
彼らによって、堕ちたアタシは救われた。
妹にはかなり直接的に。兄にもその手で上げた成果によって。
けど、それは思わぬところに軋みをもたらしていたわ。
彼等の活躍によって、極東軍ではミスマル−ムネタケ(父)ラインが主流派となり、他の派閥は政治的な危機に見舞われた。彼らは巻き返しを図ろうとしたものの、カギとなるテンカワアキトに対する影響力において西欧のグラシス中将に先んじられ、また私とネルガル会長派、そしてミスマル提督達の工作により、ナデシコには迂闊に手を出せない状況が生じてしまった。
事ここに至って、極東軍非主流派が大連合を組んだ。ネルガルのライバル企業であるクリムゾングループやアスカインダストリーと癒着した一派が中核となり、他方面軍の非主流派も巻き込んで、ネルガルから手に入れた新兵装が行き渡ったこの機に、ナデシコ抜きでの一大反攻作戦を計画した。
全く本末転倒よね。ここまで来て、まだこいつらの目は地球の、それも組織内部しか見ていないんだから。
で、この軍事的成功を以て、彼らは主流派と五分の状況まで持っていくつもりだったんでしょうけど……結果は見ての通り。こうなったら今回の大失敗の元凶、極東軍非主流派の運命は、たまたま見つかった手駒であるアタシをどこまで生かせるかで決まるっていうところかしら。
……まあ、踊らされているだけなんだけど。あの兄妹に。
だからアタシは、少し余裕を持って事態を見ていた。この状況下で非主流派の面々が、どんな手を打ってくるかと。
けどまさかタカシをぶつけてくるとは……何を考えているのかしら、上の方は。
「久しぶりだな、サダアキ」
「……本当にね」
彼の顔は、歪んだ喜びに満ちあふれていた。
昔いやというほど、鏡の中で見続けていた顔。
「昔は濡れ衣だったけど、今度は本物というわけか。やっと……やっとだな。今度こそオレは、貴様の上を行く」
その言葉に、アタシは演技を忘れかけた。こいつ……そこまで堕ちたっていうの?
「タカシ!」
つい声が甲高くなる。けど、その、自分の声が、かろうじてアタシの意識を理性の領域に引きとどめてくれた。
彼の目は、過去しか見ていない。いえ、自分のすぐそばしか見ていない。
ナデシコに乗る前のアタシと同じく……。
「そんな! アタシとあんたは親友だったじゃない! そりゃ一度は酷い目に遭わされたけど、アレはたまたま派閥の利害がかち合ったせいじゃないの!」
ヒステリックな声で、わざとらしく言う。友情に訴えかける口調を取りつつ、実は相手を責める話術……に見せかけて。
昔のアタシなら、本心で今の嫌味を言っていたはずね。けど今のアタシは知っている。そんなことに、何の意味もないって。でも、タカシにはまだ十分な意味を持っていた。
「ははは、負け惜しみはよすんだな。今度はいくらあんたの親父さんでも握りつぶせないぜ。でっち上げだった昔と違って、今度のコレにはここまではっきりとした証拠が挙がってるんだ。おまけに……見たんだろう、ニュース」
そういう彼の顔には、奇妙な満足感が満ちあふれていた。
「あっちもドジをふんだからな……コレでタナカ派は終わりだ。次いであんたを使ってミスマル派を潰せば、あとはオレたちウエムラ派の天下だ。あとは宙に浮いたナデシコをこっちで釣れば終わりだぜ。何しろ今の副提督は、活躍しすぎて西欧の爺様に睨まれて、ナデシコに飛ばされたっていうじゃないか、ハハハハハ」
「何ですって! ナデシコはアタシの手駒よ!アンタ達になんか渡すもんですか!」
わざとらしく金切り声を上げる私。けど、やってて虚しくなるわね……そもそもそんな認識を持っていること自体が、アンタ達がすでに敗北している証拠よ。
オオサキ大佐は、元々アフリカ方面軍では極め付きに優秀な指揮官で、ガトル大将にも気に入られ、その娘さんを奥さんにしたほどの人材よ。ただ政治的な立ち回りがとてつもなく下手で、アフリカを喰い物にしていたバールという男に、したたかにやられてたけど。
未確認情報だけど、オオサキ大佐はアフリカで、彼を排除するためにクーデターまで考えたっていわれているし。もっともそれは未遂で終わり、それが元で西欧に移動になったらしいんだけどね。
そしてね……彼とグラシス中将の結びつきは、アンタ達の考えているほど甘いものじゃないのよ。現地で彼といっしょに過ごしてきた、あの小娘直々の情報。
テンカワアキトを通じて、グラシス中将はオオサキ大佐を腹心の部下に出来たって。
大事な孫娘達を託せるほどの信頼を置いた、ってね。
たかが昇進程度で、あの男を利用できると、本気で思っているのかしら。
まあ、アタシはせいぜい叫んでいましょ。
……全く、何でアタシは、こんな馬鹿に復讐しようだなんて思っていたのかしら。
そのためにあんなにしゃかりきになって。
危うく人生丸ごと、無駄にするところだったわ。
2階級の懲罰降格と転属、それが私に下された指示だった。
翌日の軍広報は、見苦しい言い訳をヒステリックに叫ぶ私を大々的に報じていた。
歴史的大敗北の記事を覆い隠すように。
あ〜あ、アタシもあのおちびさんの真似していいかしら。
馬鹿ばっか。
>SHUN
そろそろ動きがある、と思っていた頃、一通の辞令が届いた。
そこには、俺を独立機動部隊ナデシコの提督に、カズシを副提督に任命する、と書かれていた。
……ムネタケ提督。もはやこのナデシコには、帰れないという事ですか……
俺はこの辞令を受け取るときの担当官だった、ウエムラとかいう人物の言葉を思い出した。
「おめでとう、オオサキ大佐……いや、准将。そう呼んでもいいだろう。ただ近々昇進祝いとして、景気づけの花火を上げてもらうことになるかもしれん。追っての連絡を待つように」
そういう奴の顔は、どこかで見覚えがあった。それが何であるかを思い出し……胸くそ悪くなった。
バールの奴にそっくりだったからだ。
バール……奴の名を思い出すだけで、はらわたが煮えくりかえりそうになる。
奴は俺の妻と息子の仇だ。
バールという男を一言で言うならば、握りが最高に切れるナイフとでも表現したくなる。
斬れんでもいいところばかりが斬れる男なのだ、奴は。
軍人としては最高ランクに無能なくせに、保身や不正にかけては天才的な男であった。
まさに軍を喰い物にしているとしか言い様がないのにもかかわらず、誰一人として奴を告訴できない。証拠を残さず、バレたときも常に誰かが身代わりにされ、本人は傷つかない。
そして奴と対立した俺は、奴の手によって妻と子を失ったのだ。
もちろん証拠はおろか、奴との関わりすら出てこなかった。
だが妻と息子を手にかけたのは、奴としては浅はかなことだった。
すべての枷を断ち切られた俺は、最後の手段に出る決意をしたからだ。
理屈も証拠も何もかもぶっ飛ばして、奴を倒す。
但し暗殺程度では殺し損なう恐れがある。また、奴の周辺にいる取り巻きを取りこぼす恐れもある。
俺の立てた反攻計画は、実質クーデターのレベルになっていた。
そして奴は、そこまでしなければ倒せぬ相手だったのだ。
……だが、それは未遂に終わった。
義父の差し金だった。
「しばらく頭を冷やせ。お前の人生は奴と引き替えられるほど安くはない」
「しかし……」
「いずれわかる日が来る」
義父……ガトル大将には逆らえきれず、俺とカズシは西欧方面へと配置換えになった。
義父の心配りを理解できたのは、テンカワとの出会いのおかげとも言える。
あいつのおかげで、俺は自分が本当にしなければならない事が何であるのかを、はっきりと思い出す事が出来た。
街を、民を、力無き人たちを。
守りきる事が出来た。
それは確かに、どんな理由があろうとも、内部抗争などより遙かに意義のある事だった。
そして、非情なようだが、妻と息子の死よりも。
愛するものとの別れは、平和であろうともいつかは来る。しかし俺は、その日が予定より早く来るのを防ぎきれなかった。
それだけに……俺と同じ思いをする人物を一人でも減らす事こそが、亡き妻と息子に対する本当の供養だったと、西欧での戦いを通して実感したのだった。
「はっ、かしこまりました。今後ともよろしくお願いいたします」
「うむ。期待しているぞ」
……俺だっていつまでも若くはない。こういう奴に対する態度の取り方というものも、少しは学習している。
ああいう輩の耳には、自分の都合のいい事しか入らない。そして都合のいい事は、無条件に信じ込む。
迎合すれば味方、不満そうにすれば敵。
単純すぎる思考回路だ。
世の中には迎合する敵もいるって事を、少しは考えるんだな。
少なくともバールの奴はそっちの方面にかけてだけは、掛け値なしの天才といえた男だ。
お前なぞ奴の足元にも及ばん。
だが……別の意味でやっかいだな。無能な上司を操るのは、結構骨が折れるのだ。
「まあ、どうせやる事は一緒だ。肩書きくらいは、もらっとかないと逆の意味でやりにくくなりそうだからな」
ああいう手合いは、自軍の勝利ではなく、自分の勝利のために軍を動かすからな。
自軍が勝つために必要な事なら、こう言う事もあるという事だ。
昔の俺も、エラそうな事を言って結局は同じだった。
自分の勝利のために、もっと大事なものをなくすところだった。
義父さん……今こそ、あなたの教えに感謝いたしますよ。
あと、早く名誉を挽回してください、提督。
濡れ衣なのは、見え見えなんですから。