再び・時の流れに
 〜〜〜私が私であるために〜〜〜

 第18話 水の音は『嵐』の音……〜そのとき、歴史は動いたのです〜……その4



 「何とか予定通りに着きましたね」
 「もー、疲れたー」
 「百華、少しは大人しくしなさい」
 疲れたとわめく百華を、千沙がたしなめる。
 「ほら、しゃきっとする!」
 「「「「「「はいっ!」」」」」」
 そこに東副司令の声がかかった。反射的に私たちは敬礼をしてしまう。百華もだ。
 「あ、ごめんなさい。休めっ!」
 その声と同時に、私たちは休めの体勢を取った。
 「解散! っと、その場で楽にして……けど、なんでホテルの室内でこんなことしなきゃなんないわけ?
 後半はよく聞こえなかったが、別段問題はないだろう。
 そう、ここは地球地上、ピースランドとかいう国にあるホテルの一室……本来2人部屋なので、私たち7人が入ると少し狭い……である。
 私たちは生物学的には人間であるが、社会的には地球人とは言えない。木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパおよび他衛星小惑星国家間反地球共同連合体、略称木連に所属する人間だからだ。
 そのうち、特別に選ばれた者たち……生体改造によって跳躍耐性を身につけた者達で構成される優人部隊、それに準ずる実験部隊として作られた優華部隊。
 私たちは両部隊の代表者である東舞歌副司令の下、特殊な任務を帯びてこの地球に下りたった優華部隊の一員である。
 各務千沙、天津京子、紫苑零夜、御剣万葉、玉百華、そして私……神楽三姫。部隊員には後一人、空飛厘がいるが、彼女は今別の任務に就いている。
 そう、優華部隊は、全員女性の部隊である。いや、女性の優人部隊員を優華部隊と呼んでいるという方が正しいかも知れない。
 何しろ優人部隊における女性は、副司令である東殿を除けば我々優華部隊員しかいないのだから。
 かように稀少な女性隊員である我々は、当然その役割として、女性でなければつとまらない任務を割り当てられる。先日行われた皐月緑宇宙島強奪作戦においても、我々は敵の油断を誘って内部に侵入する、先導部隊の任を果たした。
 そんな我らが次に受けた任務は、ある意味意外、ある意味順当な任務であった。
 この戦乱の中、地球上の連合に直属していない独立国家より、舞踏会への誘いがあった。もちろん舞踏会というのは表向きの名目だ。かの国において、過去失われていた王族が発見され、それを記念した慶賀の式典が開かれる。その名目の元、地球圏の要人と自分ら木連の要人を引き合わせ、和議の場を設けようというものだ。
 その代表として、主催者たるピースランド王家からは前線司令官たる東八雲司令が招待されていたが、さすがに今の時期、司令が直々に動くわけにはいかなかった。そこで司令は名代として自らの妹でもあり、また副司令でもある舞歌様を指名、そしてその護衛に、同じ女性であり、また火急の任務もなく手の空いていた我らを当てた。
 我々は宇宙島の勢力範囲内で出迎えの宇宙艇に乗り、そしてその後偽の身分証を受け取ってこの地に到着した。今回の儀に木連の人間が招待されている事は、関係者以外には極秘となっている。これは地球側が何かを企んだものではなく、むしろ我らのためだと、迎えに来た人間は説明していた。
 自分たちには木連の人間を招待する事を秘密にする理由は特にない。だが、もし木連に属する人間が地上に降り立つ事が知られたら、復讐の念に駆られて危険な行動に出る輩が間違いなく現れる。此方としてはそのような事態を迎える事は本意ではない。
 ある意味当然の問題であった。
 それ故今我々は表向き、この地へ式典を見にやって来たただの観光客という扱いになっている。護衛などもなく、ホテルの部屋も一般客と全く変わりはない。情報の漏洩を考え、舞踏会開始時より一級国賓として扱われるそうだが、現時点ではただの一般人に紛れ込んでいる事になる。
 「もしよろしければ、その目で地球をご覧ください。もっとも我が祖国であるピースランドは、国全体がテーマパーク……つまり遊び場ですので、あまり参考にはならないかも知れませんが、その分楽しむ場所には事欠きません」
 我々を迎えに来た男はそういって我々に、地球圏で使用可能なクレジットカードと、かなりの現金を差し出した。
 「残念ながら地球と木星の間では通商関係が成立しておりません。そのままでは無一文で街に降り立つ事になります。そのままでは何かとお困りでしょうから、これをお使いください。これはあなた方を歓待する費用の一部ですので、遠慮なさらずにお使いくださって結構です」
 「ありがたくいただくわ」
 東副司令は顔色一つ変えずにその現金を受け取った。
 「ついでにこの現金の具体的な価値をお教え頂けないかしら」
 そう言っていろいろな商品の平均的な値段を男に聞き、脇で臨時副官に任命された千沙が細かくメモを取る。
 私が聞いてて判ったのは、男の差し出した現金は、かなりの量だったという事だった。
 平均的労働者の年収、その数倍に当たるほどの額だった。
 また、クレジットカードの方はピースランド銀行保証の物で、事実上無制限の額を引き出せるという。
 「舞踏会用のドレスなど、もし市井の店で気に入った物を見つけたならば遠慮無くお買い求めください。全額をピースランド銀行が保証いたします」
 豪気な事であった。
 
 
 
 「さて……みんな、今日この後、夜の舞踏会まで、私達が為さなければならない事は何もないわ。という事で、現地時間夕刻5時まで、自由時間といたします。但し、万一を考え、単独行動は禁止。2人以上の組になって行動します。希望する組み合わせはある?」
 特にそういうものはなかった。他のみんなも別段口を挟む者はいなかった。
 結局くじ引きという事になり、副司令−千沙−百華、万葉−零夜、京子−私の組になった。
 「現金とクレジットカード、連絡用の携帯電話機は持っていますね……よろしい。では解散」
 そして私達は、にぎやかな街へと繰り出していった。
 
 この街は国全体が遊園地となっているというとんでもない国ではあるが、国である以上住民もいれば、彼らが住む住居や日常の用を足す商店とかも当然存在している。
 私が興味を持っていたのは、そういった裏側の面であった。
 彼らの住居は、観光客の目を引かない部位に、古の町並みを再現するような形でひっそりと設けられている。欧州の古い町並みを作る事によって、観光施設との違和感を消すという形であった。
 「昔こういう形の、住宅混在型の遊興施設があったのを参考にしたらしいですわね」
 私が何気なく口にした言葉に、京子がそう相槌を打ってきた。
 「詳しかな」
 そう聞いた私に、京子はやや照れながらいった。
 「案内書で予習してあるだけです。ほら、実はみんなここに」
 そう言って彼女は、私に薄い小冊子を見せる。ホテルの受付でもらったものだという。
 手渡されたそれを見てみると、地球で使われている各国語で今言われたようなことが書いてある。
 「なるほど」
 私はそう相槌を打って、冊子を京子に返した。
 そして改めて周囲を見渡す。
 戦いは終わっていないはずなのに、荒れた様子もなく、治安も行き届いていそうであった。
 と、道沿いの雑貨屋の前で京子が足を止めた。
 「ぷりーず・いっと・わん、はう・まっち?」
 缶入りの飲料を指さしながら、片言の現地共通語で店番とおぼしきおばさんに声を掛ける。
 するとおばさんは意外にも、我々にも理解しやすい言葉で話しかけてきた。
 「無理しなくてもいいよ。あんたたち、東洋系の人でしょ? 何、店にいる人間は、たいてい東洋語ならしゃべれるしね」
 「そらかたじけん。わしにもこるばいっちょ」
 私も京子と同じ缶入り飲料を買い求める。おばさんは少しにやにやしながら、私達に話しかけてきた。
 「あはは、やっぱりびっくりするね。なに、ここは観光都市だかんね。結構あんたたちみたいなひとが入ってくんのよ。そんとき東洋系の言葉しゃべれれば、お客さん増える。商人の知恵ね、これ」
 私は思わず感心してしまった。
 木連は元々月面都市独立派がその祖である。そしてその祖は、ほとんどが東洋系、それも3大中核の一つといえる日本地区系の人間で占められていた。そのため木連で使用されている言葉は日本語である。こちらに来て判ったことであるが、ここ100年ほどの間に、言語形態もかなり変わっていた。似て異なる言語が多数存在する中国語圏が、面子にこだわる民族性とそれ故の不便さから失速し、その隙を縫うように、100年の間にさらに砕けてしまった日本語が中国語すらも取り込んで共通東洋語とでも呼ぶような言葉になっていたのである。一方西洋圏でも英語・フランス語・ドイツ語などのラテン語系言語が大崩壊を起こし、英語を簡易化したような西欧共通語的な言語になり始めていた。
 結果、各祖国の言語は維持されつつも、共通東洋語と共通西洋語がある程度出来れば、地球のどこでもそれほど言葉には困らなくなってしまったのである。イスラム教を護持するアラブ系ではまだそのようなことは起こっていなかったが、この地域の知的階層は多様な言語を自在に操るのが当たり前なためか不都合は生じていないらしい。
 われわれも今回の訪問に基づいて現在の共通語は一通り学んだものの、内心東洋語の乱れには心を痛めたものだ。
 閑話休題。
 東洋語に堪能なこのご婦人のおかげで、私達はかなりいろいろなことを知ることが出来た。
 この地も一時期は危険だったものの、幸いにして近くに落ちた跳躍門が動作不良を起こしていたため、初期型甲式や乙式の、無差別殺戮に巻き込まれなかったらしい。
 東司令の報告で判明していたが、今になってみると、戦争初期に相手の戦力を削ぐ目的で行われていた無人兵器による一斉攻撃は、一応はその目的を果たしていたものの、地球側の反抗が思ったより強固だったために、本来の戦果以上に民間人に対する無用の被害を出していた。
 結果として木連側は、民衆の感情面などによる影響を考えれば、大幅な損をしていると考えるべきであった。民間に被害を出していなければ、我々の行った主張は、腐敗した地球上層部に対する抵抗として、一般民衆の支持を受けることすら不可能ではなかったであろう。そこまで行かなくとも、外交上多大な優越を得ることが可能だったはずである。
 まあ、この点はもはや取り返しが付かない。その上で我々は次の戦略を立てねばならないのだ。
 「この辺はそれでもまだましだったのよ〜。もう少し西の地域にはね、チューリップがいっぱい落ちて、そこから木星蜥蜴がどんどん湧いてきて、人もいっぱい死んだし、建物や道もみんな壊れちゃってね。一時期は集団で疎開しなけりゃならないところまでいったのよ」
 「そんなにすごかったのですか……」
 京子はやや青ざめながら話を聞いている。
 一部の男共なら、『地球に巣くう蛆虫など殲滅されて当然だ』くらいは言うかも知れないが、私や京子はそこまで地球の人間達を憎んではいない。優華部隊の人間は、基本的に東司令の考え方に賛同しているものが多いのだ。百華あたりは何も考えていないかも知れないが。
 「うちらのとこるもそぎゃんの被害はなかったけん、今いっちょ実感がなかとが、そぎゃんにひどかったのか」
 私がそう切り出すと、婦人はさらに口の回りを滑らかにして語った。
 「そうそう。あたしは大して被害を受けてなかったけど、お隣のリチャードさんのところは、娘夫婦が全員やられちゃってね。こんなご時世だからお葬式なんかも出せなくって、そりゃ辛かったろうに。木星蜥蜴のこんちくしょうって、さんざん思ったもんさね」
 「……」
 真面目な京子には、少し重い話かも知れない。
 しかし私は、意を決して次の言葉を口に出した。
 「ばってんどうも木星蜥蜴は、蜥蜴じゃなくって人だったらしかですなぁ。それも元々は地球から無理矢理追い出された人だとか」
 私はあえて月ではなく、地球と言った。しかしその程度の差違には気が付かなかったようだ。婦人の口はますます軽くなる。
 「なんかそうらしいわね。全くひどい話だよ。こっちとしてもさっさと帰れって言いたいけどね……」
 ある意味予想されたことだったが、言葉の末尾が不明瞭なのが少し気になった。
 「言いたい、けど?」
 京子がそう聞く。彼女は深々とため息をつきながらこう答えた。
 「何でもこっちのお偉いさんがそりゃまあひどい仕打ちをしたって言うじゃないかい。木連さんとか言う人たちが怒り狂っても当たり前っていうくらいのことをね。お偉いさんはそんなのは木連が自分たちを正当化するためのでっち上げだっていろいろ言ってるけど、なんかねえ……どうにもこうにも、お偉いさんたちの言うことは何でああ嘘くさいのかねぇ。あれじゃなんだか木連さんたちの方が本当のことを言ってるようにしか見えないじゃないのさ。
 だからって木連さんたちを許すのかって言ったら、そりゃ別だけどね」
 「おばしゃんも、そう感じとったんだろか」
 私はそう言葉を返すと、挨拶をしてその場を離れた。
 
 
 
 「やはりうちらは侵略者ってこったいな」
 私は周りに人のいなくなった路地裏で、京子にそう言った。
 「仕方ないですけど……悲しいですよね」
 「ああ、ある意味やはり、東司令は正しかちうこったい」
 敵から鹵獲した技術によって可能となった、あの一斉放送。あれは間違いなく地球圏全体に、大きな影響を与えている。
 このような一都市の一般庶民に、木連にも一分の理はあったということを伝えているのだ。
 盗人にも三分の理、と同程度かも知れない。それでも、ただの侵略者と取られるよりはずっといい。
 私は少しだけだが、心が軽くなるのを感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 今日は少しお寝坊をしてしまいました。
 前回ではほとんど会うこともなかった両親や弟たちと、たっぷり『家族の団らん』してしまったせいです。
 さすがに『かんべんして』と言うわけにもいきません。
 まだ中身が17歳の私だから何とか捌けましたが、12歳の時の私がこのもてなしを受けていたら、たぶん二度とここに近寄ることはなかったでしょう。
 気持ちは判らないでもないのですが。
 特別に用意された、やたら乙女チックな部屋。私は備え付けの洗面台で顔を洗います。
 けど、呆れるくらい広いですね。ちょっとしたホテルのスィートか、一戸建て住宅並みの広さです。個人の部屋だというのに。
 目が覚めてすっきりしたところで髪をとかし、クローゼットの中からおとなしめの服を取り出します……でも、ナデシコの制服以外の服を着るの、なんか久しぶりのような気がします。
 でも、遠出をするのには不便ですからね。
 私は今回も、昔私が暮らした、あの施設に行くつもりです。
 両親には夜の舞踏会準備までの自由行動を許可してもらっています。
 そして私は、アキトさんの部屋を訪ねました。
 
 
 
 幸いにもアキトさんは一人でした。ユリカさんの襲撃くらいは覚悟していたのですが、そんなこともなかったようです。
 「おはよう、ルリちゃん」
 「アキトさん、今日は予定大丈夫ですか?」
 「ルリちゃんがそう言うだろうと思って、何の予定も入れてないよ」
 ……ちょっとうれしいです。
 「なら、行きませんか……あそこに」
 「……ああ」
 それだけで通じたようです。
 私はアキトさんと、ガレージの方へ行きました。
 
 
 
 ……が。
 
 
 
 「エステ? とっくに持ってっちゃったよ、基地の方に。そのために私、早起きして点検したし」
 昨日私達が乗ってきたエステバリスのところに行ってみると、そこにいたのはつなぎ姿で工具を片づけているハルナさんでした。
 迂闊でした。
 前回のエステバリスはアキトさんの機体でしたが、今回のは借り物だったということを失念していました。
 「うーん、どうしようか」
 「どうかしたの?」
 ハルナさんの問いかけに、アキトさんが周囲に人がいないのを確認してから答えます。
 「いやな、ルリちゃんが昔いたところを訪問しようと思っていたんだがな……エステ無しじゃ足がない。地球じゃ車の運転は出来ないし、そもそも車じゃ遠いしな」
 「ならVTOLの小型シャトルでも借りてこようか? 見た目にこだわんなきゃここに一台有ったはずだし」
 「それはありがたいんだが、さすがにおまえでもここのことまでは知らないだろ?」
 ナデシコと同化していたっていうことらしいですしね、ハルナさんの『前』は。
 けど、返ってきた答えは意外なものでした。
 「ううん、そこなら別口で心当たりあるよ。それにたぶん……私が一緒に行った方がいいと思う。話したいこともあるし」
 「そうなのか? 俺はかまわないが……ルリちゃんは?」
 「私も別にいいですよ」
 そう答えます。けど、何の話なんでしょう。それに、別口、ですか?
 「じゃあ借りてくる。準備にたぶん1時間くらいかかるから、その位したらとなりの広いところに来て。あと……ほかの人つれてこないでね」
 最後だけ少し真面目な顔をして、ハルナさんは行ってしまいました。
 「アキトさん」
 私はハルナさんの方を見ていたアキトさんに声を掛けます。
 「なんだい、ルリちゃん」
 「別口って、なんだと思います?」
 「さあ……見当も付かないな」
 ですよね、当然。
 けど、1時間ですか。
 ちょうどいいから、朝ご飯でも食べてきましょう。
 「そう言えばアキトさん、ご飯はすませてますか?」
 「ん、まだだけど」
 「じゃあ……一緒に食べませんか? たぶん両親と一緒になると思いますけど」
 「いいよ、ありがたくご相伴にあずからせてもらおうかな」
 そう言ってくれたアキトさんの顔は、ちょっと料理人入っていました。
 でも、ごめんなさい。
 誰かいないと、私の方が持ちそうになかったんです。
 
 
 
 案の定、アキトさんは母の口撃をくらって撃沈しかけました。
 いきなり『婿殿』は気が早すぎます、母。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 長い拷問のような朝食が終わって、俺はやっと一息つくことが出来た。
 さすがは成り上がりでも王家、西洋風に整えられた朝食は大変においしかったのだが、あのイセリナ王妃の口撃にはやられた。
 「……すみません、まさかあそこまでとは」
 隣でルリちゃんが小さくなっている。
 俺を避雷針代わりにするつもりだったのだろうが、王妃から飛んでくる口撃はルリちゃんの予測を遙かに上回ったらしい。
 もしあと1時間あそこにいたら、自分でも気が付かないうちにルリちゃんとの結婚証明書にサインをしていたかも知れん。下手なキャッチセールスなんかより遙かに恐ろしいぞ、あれは。
 そりゃルリちゃんは大切な人なのは間違いないんだけど、どっちかっていうと妹や娘……は歳が近すぎるか……とにかく、『家族』としての要素の方が強い気がする。
 ルリちゃんが俺のことをどう捉えているかは、ちょっと微妙な気がするんだけどね。
 ひょっとしたら恋人レベルで好いていてくれるのでは、という気もする。でもそれもなんか違う気がするし。ユリカぐらい開けっぴろげならともかく、俺はそっちの方には疎いらしいというくらいの自覚はあるしな。
 まあ、ハルナにいろいろ言われたせいもあるし、西欧でサラちゃんとアリサちゃんとメティちゃんに挟まれたあの日のことを思えば……やめとこう。あの日のことを思い出すのは。
 少なくとも今の俺には、彼女たちを『恋人』のレベルで好きになる気はない。
 俺の心や体は、押さえてはいるがユリカを求めている。
 恋人づきあいもけっこう長かったし、つかの間とはいえ結婚して夫婦にもなった……物理的な意味でも。
 それが最初で最後の『夫婦生活』というところが我ながら似つかわしくもあり嘆かわしくもあり、だが。
 そしてその一夜を俺が覚えている限り、俺はほかの女の子に手を出すことは、たぶん出来ない。ハルナに指摘されるまでもなく、何となく自分でも判っていた。
 そしてひどい話だが、もし俺が後々のことを考えてユリカのことを捨てる日が来たとしても、たぶん今度は逃げられまい。
 今隣にいる少女からは。
 
 
 
 そして俺たちが待ち合わせの場所に着いたとき、そこに待っていたのは頭の痛くなるような代物だった。
 VTOLの小型コミューター。大きさも取り回しもたぶん今回の目的には叶っている……こんな派手な装飾が付いていなければ。
 考えてみれば、前回ナデシコにルリちゃんのことを知らせに来た連絡艇も『アレ』であったことから、予想くらいはしておくべきだった。
 「派手ですねぇ」
 『Welcome to PEACELAND』と描かれた電飾看板を見て、ルリちゃんがため息をついている。
 「これでもなるべく地味にはしたんだよ、オプション看板は外して。幸い中身は一級品だし、整備も行き届いていたから問題なし。こんな時代だけに、軽装とはいえ武器まで付いてるよ。もっともバッタ1匹落とせないと思うけど。さ、乗った乗った」
 ハルナに促されて、俺たちは機上の人となった。
 
 飛行は快調で、心配するほどのこともなかった。
 「苦労して掃討した甲斐があったね、お兄ちゃん」
 「そうだな」
 MoonNight時代の3ヶ月で、俺たちはこの西欧域から、破壊可能なチューリップと無人兵器を、文字通り掃討していた。残っているのは地上落下時にそのまま地中深く埋まってしまったか、落下の衝撃で破損したと思われる物くらいである。いくつかはスリーパーの危険性も考えられたが、困ったことに今の西欧には、ほじくり出して確認するだけの余力がない。
 言い換えればそれくらい深く埋もれているわけで、危険はほとんど無いと思われている。あり得そうな危険といえば、地下深くからバッタたちが地面を掘り抜いて街などに奇襲を掛けるという可能性だが、幸いその場合は、敵も大部隊で襲撃できるわけではない。初動の一撃だけはどうにもならないかも知れないが、現有の兵力で撃退できなくなる恐れはないと見られていた。
 それに木連の情報が加わって、危険度は更に減少していた。
 何を考えているか判らなかった木星蜥蜴が、戦略的思考をする自分たちと同等の人類であると判った以上、今更あのような攻撃をするとは考えにくかったからだ。
 「こうやって勝ち取った平和が目に見えるって言うのはいいですよね、実際」
 ルリちゃんも感慨深そうだ。
 「どっか見たいところとかある? 大して寄り道は出来ないけど」
 操縦桿を握りながら、ハルナはそんなことを言う。ちなみに今はオートパイロットなので、寄り道する必要がなければ別段操縦桿を握っている必要はない。緊急事態でも起これば別だが。
 「いいえ、別に」
 ルリちゃんも大人しく答える。
 「どうなっているんでしょうね、あの研究所。おじさん、今回もいるのでしょうか」
 「どうだろうな……結構歴史も変わっているからな。ま、今回は叩かずにすみそうだね」
 あのときのルリちゃんの悲しそうな顔は、俺にとっても忘れられない思い出だ。
 「ねえお兄ちゃん」
 と、唐突にハルナが口を挟んできた。
 「遺伝子操作で思い出したんだけど……」
 「なんだ、突然」
 いくら何でもハルナはあのことは知らないはずだし……『別口』の話か?
 「もしお兄ちゃんの目の前に、姿も遺伝子も記憶も全く変わらないユリカさんが2人現れたら、お兄ちゃんはどっちを選ぶ?」
 「なんだそりゃ。クローンか何かか?」
 俺は戸惑いながらもそう答えた。
 「ルリちゃんにも同じ質問。遺伝的にも全ての記憶も寸分違わないお兄ちゃんが、突然2人、目の前に現れたら、どうする?」
 「どうしろといわれても……全く同じなんですよね」
 「うん、強いて上げれば、2人が現れた時点から、2人はそれぞれ別の記憶を持つことになるはずだけど、そこまでの記憶は全く違わないよ」
 ルリちゃんは「うーん」と頭を捻って本気で考え込んでしまった。一方俺はあえてそれには答えずに、こう聞き返した。
 「何でまたそんなことを聞くんだ? いきなり」
 「そのうち判るよ。でもその前に、ちょっと覚悟しておいてね」
 「覚悟?」
 お互いがお互いの問いに答えぬまま、機体は着陸態勢に入っていった。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 「なんですか、ここ……?」
 駐車場かヘリポートのような、広くて平坦な場所に着陸したコミューターを降りた私達の目の前にあったのは、記憶に全くない建物でした。
 朽ちかけた洋館ではなく、高い塀に囲われた、もっと立派な研究所。荒れ果てていたのは同じでしたが。
 「おいハルナ、場所間違ってないか?」
 アキトさんがそう言ったのを無視して、ハルナさんは歩き出していました。
 「付いてきて。そうすればすぐに判るから」
 渋々ながら、アキトさんはその言葉に従います。私もあわてて後を追いかけました。
 そして舗装された部分が終わり、足下が土に変わったあたりで、その音は耳に入ってきました。
 
 さらさらさらさら……
 
 ぴちゃん、ぱちゃん……
 
 
 
 それは私の記憶そのままの、あの懐かしい音でした。
 
 
 
 「そんな……」
 思わず、言葉が漏れました。
 「8年前……4歳の時だったんでしょ。ルリちゃんが研究所を出て、ネルガルに引き取られた、というか買われたのは」
 そんな私に、後ろからハルナさんが声を掛けてきました。
 「ルリちゃんを手に入れたネルガルは、その優秀さにかなりびっくりしたのよ。そこでこの研究所に出資をして、より効率的で優れた遺伝子操作体を生み出す計画が立てられたの。会長の……ああ、アカツキさんじゃなくって、そのお父さんのね。えっと、つまり前会長の肝煎りで、あくまで極秘に計画された物だったの。ちなみにアカツキさんが会長職に就いたとき、ここも潰されたよ。それも物理的に。表向きはネルガルと無関係だったから、ここ」
 私もアキトさんも、ハルナさんの言葉が何を意味するのか、何となく判ってしまいました。
 「ルリちゃんは優秀だったけど、その身に施されていた遺伝子操作技術は未熟、というか、まだまだ改良の余地のある物だった。そしてネルガルは、そのためのノウハウを間接的にではあるが持っていた。そのノウハウと、ルリちゃんをここまでの天才に仕上げられた育成方法……あえて教育という言葉は使わないね。それを組み合わせることによって、ネルガルはきわめて有効な人的資源を確保できる。そう考えたのね。
 そう。その頃いろいろな事情が重なって火星の研究所から身を引いていた、超一流の遺伝子工学の研究者を引き抜いてここに据えたの。名前は……今更言う必要ないよね」
 もちろん、聞く必要なんかありませんでした。
 どう考えても、この話の流れからすると該当者は一名しかいません。
 「『別口』っていうのはこのこと。これって突きつめていけば、13年前、本来失敗していたはずのあのプロジェクトを、私が舞い戻ってきたために成功させちゃったことによる、歴史の変化なんだよね。本来いなかった私のせいで、お母さんは表向きはネルガルから引きつつ、裏で研究を続けていられた。そして8年前からしばらく、お母さんはここで研究をしてたの」
 「だからか……おまえもついていったほうがいいって行ったのは」
 「うん」
 アキトさんの言葉に、ハルナさんは頷きました。
 「あたし、知ってたよ。ここが元ルリちゃんの生まれた場所で、そして……」
 そこでハルナさんは一旦言葉を止めました。
 「お兄ちゃん、ラピスちゃんと通じてる?」
 「あ、ああ。今は月で例の作業しているからそっちに集中しているけど、聞こえてはいると思うぞ……ああ、今返事があった」
 「じゃあちょっとこっちに注意していてって言っておいて。ちょっと神経に来るこというから」
 なんでしょう、いったい。
 「よし、いいぞ……今手を止めて、こっちに聞き耳を立てるのに集中している。俺に聞こえることは、ほぼリアルタイムでラピスにも聞こえる」
 「ん、判った」
 そしてハルナさんは、驚天動地の事実をあたしたちに話してくれました。
 
 
 
 
 
 
 
 >AKITO
 
 (なんなの? ハルナが改まってわざわざ)
 頭の中にラピスの声が響く。ここしばらくは、おはようとおやすみの挨拶くらいしかしていなかったから、こうしてリンクを意図的に強めるのも久しぶりだ。
 まあラピスの方が、俺専用機体の最終調整に掛かりっきりになっているというせいもあるが。何かに集中しているラピスは、本当になんにも聞こえなくなるからな。
 (そうそう、仕上がりは順調だよ。あと一息で最終テストに入れる)
 (そうか、楽しみにしてるよ)
 そのとき、ハルナの声がした。俺は注意をハルナの方に戻す。
 「受精卵の段階からの遺伝子操作。元々お母さんはぶっ飛んだ人だったからね。元々の研究者の人なんかが考えもしなかったレベルで、大胆不敵とも言える遺伝子改造をお母さんはやってたわ。でも、その程度ではなかなかルリちゃんを越える素質というか、才能を示しそうな子供は作れなかったの。ちょっとひどい言い方だけど、ルリちゃんの場合、改造前の遺伝子の時点で、きっと優秀だったんだよね」
 「微妙な言い方ですね」
 ルリちゃんは苦笑いしながらそう答えていた。
 「そこで研究者の人は考えたの。もっと改造のしがいがあって、なるべく優秀な子供を産み出す素体がいるんじゃないかって。そしてそこには、ちょうど生理が始まった年頃のあたしがいたの」
 「……!」
 ルリちゃんがハッキリ息を呑んだ。ちなみに俺もだ。
 以前ハルナがいった言葉が、頭の中をよぎる。
 
 世の中には12歳の娘を妊娠させる親もいるんだし
 
 「おい……まさか」
 「うん、そのまさか」
 ハルナはしれっと答えた。
 「火星産のナノマシンをその身に宿している少女。ナノマシンによる神経置換に唯一耐えた素体。それにお母さんはそのころ、こうも考えていたわ。脳細胞置換は、本能的な行為に関しては影響しない。置換が始まっても、しばらくは正常に生きていられたわけだから。それが崩壊するのは、置換によって本人の自我や精神活動が崩壊するときとほぼ一緒。これからすると、脳細胞置換によって本人が死ぬのは、物理的要因じゃなくって、ソフト的な物……つまり『脳』というシステムに載っている『自我』や『人格』といった人間を規定する精神活動ソフトウェアが、ナノマシン神経網と不整合を起こすせいじゃないかって。だとしたら人格形成前の胎児や新生児なら、置換が成功する可能性があるんじゃないかと思った。そしてお母さんは身内だろうがなんだろうがためらう人じゃない。自分自身ですら平気で実験材料にする人なんだから。
 で、お母さんたちはあたしの胎内から取り出された卵細胞と、ネルガルが取り寄せた各種精子を掛け合わせて、初期実験体を作ったのよ。ちなみにそのうちの1人は、直接あたしがおなかを痛めて生んでるよ。種付けも直接。つまり父親に当たる人物は12歳だったあたしの処女を散らしたあげくに妊娠させたんだわ、こりゃ」
 がしいっ!
 そんな音が俺の耳に入った。音の原因は俺の拳と、研究所の壁。
 「アキトさん!」
 (アキト、大丈夫! 痛み、感じてないよ!)
 興奮しすぎてアドレナリンが過剰分泌でもされているのか、素手でコンクリートの壁をぶん殴ったのに、全然痛みを感じていなかった。
 おまけに手の方もかすり傷だ。普通なら骨折している。
 自分でもちょっと意外だった。
 「そんなに怒んないでよ、お兄ちゃん」
 ハルナにすら言われる始末だ。
 「けど跡が残るとまずいよね……ちょっと御免」
 そう言ってハルナは俺の手を取ると、ぺろぺろと傷をなめはじめた。
 「おい……照れくさいんだが」
 「そうじゃないの、以前のハーリー君みたいなものよ。あたしの中のナノマシンには、治療促進のやつもあるから。これは別段乗っ取られる訳じゃないから平気だよ」
 実際、いつの間にか傷はどこにもなかった。
 (人間救急箱……)
 頭の中でラピスが呆れていた。
 「でさ、まだ続きがあるんだけど」
 「……ああ」
 俺は少し毒気を抜かれて、このとんでもない妹の方を見た。
 道理であの時、テツヤとの戦いの時に平然としていたわけだ。
 「ちなみにその男は知ってる。あ、もう故人だから落とし前つけさせるなんて考えないでね」
 「……殺ったのか?」
 思わずそう聞いてしまい、手加減無しで殴られた。
 むちゃくちゃ痛いぞ、おい。俺はいいけど、ラピスにまでいってないか?
 (あたたたた)
 あ、やっぱり。実害はないだろうけど、相当堪えたらしい。
 「そいつはネルガルの前会長、つまりアカツキさんのお父さん。天網恢々疎にして漏らさず、あたしが手を下すまでもなかったっていう事ね」
 俺とルリちゃんは思わず目を見合わせていた。
 「で、その実験体なんだけど、とりあえずあたしが生んだのを含めて12人作られ、生き延びたのは3人だった。やっぱりいろいろ無茶してたしね。そして前会長が死んで、後を引き継いだ新会長は、この手の事業から全撤退した。バレたときのリスクが、あまりにも大きかったからね。ここも当然処分されたの、それも物理的に。ここって前会長派の牙城だったしね。新会長にめいっぱい逆らってたし。ま、あたしもお母さんも、そのころはとっくに逃げてたんだけど。子供たちも、悲しいけど絶対処分されたと思ってた。けどね……何の因果か生き残ってたみたいなのよ。これは推測だけど、たぶん襲った側も、まだ前会長側のシンパだったんでしょうね。プロスさんあたりが直々に手を下していたら、見逃すはず無いもん、子供たちのこと。私が後から調べた公式報告だと、保護されて生きていたのは男の子1人だけ。今更殺すわけにも行かないので、信頼の置ける人物に養子に出す、となってる。でもどうやら……残る2人も別の研究所に移されて、新会長の目の届かないところで生きていたみたいね、実験体として」
 その言葉がどっかの話とつながった。なんか似たようなシチュエーションに心当たりが有りすぎるんだが……。
 「ちなみに子供は、産んでないのが女の子2人。父親はそれぞれ別なのに、なんかとってもそっくりな、珍しい桃色の髪の毛をしていた子だったよ。で、産んだのは男の子。髪や目の色は父親似の、かわいい子だったよ」
 (ちょっと待ったあああああああああああああっ!)
 頭の中でラピスが絶叫していた。ありゃ現実でも叫んでいるな。まあ、気持ちは判る。
 全くとんでもない妹だ。俺とユリカの妹だっていうんじゃ不足なのか?
 (あたしとハーリー、どっちもハルナの子供で、つまり兄弟っていうこと!……わ、ハーリー、ちょっと黙っててよ、あたしも今聞いてるところなんだから!)
 珍しいな。普段このコミュニケーションは、俺の様子をラピスが覗いていることが多いんだが、慌てているせいかラピスの見聞きしていることが俺の方に流れ込んできている。
 突然怒鳴りだしたラピスにびっくりして、何事かとそっちを見たイネスさんとハーリー君が、続けて爆弾発言を聞かされてうろたえていた。
 さて、では情報収集してやるか。
 「それってやっぱり、ラピスとハーリーのことなのか?」
 「そうだよ。ちなみにネルガルでも一人を除いて確証は持っていない。アカツキさんもね。この件は彼の敵対側の人間がやったことだから、詳しいことは調査中だと思うし」
 「ハルナさんがハーリー君の実のお母さん……」
 ルリちゃんも固まっている。
 「産んでないだけでラピスもだぞ」
 「つまりお兄ちゃんはラピスちゃんの実の伯父さん。戸籍で養女にしてもなんにもおかしくなかったりして」
 もはやなんにも言葉が出なかった。
 だが、甘かった。
 ハルナの爆弾発言は、まだまだ止まらなかったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 >RURI
 
 びっくりしすぎて、なんか心が凍ってしまったみたいでした。
 私なんかより、遙かに過酷な体験をしているハルナさん。
 かなうわけがありません。
 
 それにしても、とんでもない話です。
 アカツキさんが手を引いたということは、まだ彼には良心が残っていたということですね。前の世界ではいろいろひどい目にあったりあわされたりでしたが、これを聞いてしまうとそんな彼ですらいとおしくなってしまいかねません。
 「と、前振りはここまでだよ、お兄ちゃん、ルリちゃん、あとラピスちゃんもね」
 「これが、前振りなんですか!」
 私は凍ったはずの心を爆発させて聞いてしまいました。
 アキトさんは……もはや気力が尽きたのか、座り込んでいます。
 「ただ、お兄ちゃん……ラピスちゃんに言っておいて。ここから先は、あたしたちだけの……逆行してきた人たちだけの秘密になるって」
 それを聞いてアキトさんの背筋がしゃきっとしました。顔もいつものにこやかなものから凍るように厳しいもの……北辰に復讐人と呼ばれた、あの頃のものになっていました。
 「で、本題はどういうものなんだ」
 「本題はね、来るとき中でした質問」
 あの、アキトさんが2人、とかいうやつですか? それが何か。
 「あたしたちはみんな、心だけがこの世界に飛んできて、本来のこの時間線、この時代の自分と融合してしまった。そう思っていると思うんだけど」
 あたしは黙って頷きました。アキトさんも軽く頷いたあと、「ラピスもそう言っている」と付け加えました。
 「その点は間違いないとあたしも思ってる。でもね、よく考えてみてね。ルリちゃんやお兄ちゃんは、ほとんどずれもなく、せいぜい前後2週間くらいの時間にこの世界にやってきた。だけどね、そこは既に、13年前に飛んだ『あたし』という存在によって、すでに別の歴史を刻んでいた世界だった……わかる? その意味が」
 最初はなんのことかと思いました。ですが、その意味が頭に染みて来るに従って、私は再び愕然とすることになりました。
 「ここは最初から、私達の知っている『過去』じゃない、ということですね……」
 「正解」
 ハルナさんはにこやかにほほえみすら浮かべてそう言いました。
 「お兄ちゃんは偶然ここに飛んだと思った。そしてやり直せると思い、過去を変え、別の未来を生み出そうとした。でもここはすでに『別の過去』になっていた。そして……こうも言えるんだよ。私達のほかに、ランダムジャンプに巻き込まれて、過去に飛んだ結果、意図するしないにかかわらず、歴史をねじ曲げてしまった人がいないとは限らない……つまり我々は過去に飛んだというより、むしろパラレルワールドへのスリップをしているのかも知れない、ということになるわ。たとえ世界の歴史が一つだけで、歴史が書き換わったのだとしても、ね。タイムトラベラーが複数いて、誰かが過去を書き換えたとしたら、それはもはや我々の時間とは言えないかも知れないってこと。今ここにいるユリカさんが、お兄ちゃんの知っているユリカさんと同一である保証はもうどこにもない」
 「……」
 アキトさんはじっと考え込んでしまいました。私はまだましかも知れません。ここにいるアキトさんは、少なくとも私の知っているアキトさんなんですから。
 「それにね、お兄ちゃんもルリちゃんも、すでに自分自身が本来の自分じゃないんだよ。こっちは掛け値なしの真実。可能性の問題じゃない。あたしの場合過去に戻ってしばらくは、未来での記憶がおぼろになっていた。夢だと思ってた。そうじゃないって思い出したのもお兄ちゃんがナデシコに乗る前あたり、ここを出た後、火星に引っ込んでいたあたしと母さんが、ボソンジャンプで地球に跳んで来ちゃってからよ。そもそも完全に思い出せていたら、あたしはもっと早くに雪谷食堂に着けたわ」
 「確かにな」
 アキトさんはそう言って頷いていました。
 「で、次にルリちゃんに聞くよ。たぶん気が付いていないというか、自覚無いと思うから」
 「何を、ですか」
 私はちょっと震えながら聞き返しました。予感、といってもいいでしょう。これを聞いてしまったら、私は元に戻れなくなる、何かそんな気がしたのです。
 「質問。ナデシコは相転移エンジンをいくつ積んでいる?」
 はあ? なんでそんなことを。今はYユニットが付いているから3つ……
 
 
 
 そのとたん、はじめて私はものすごい違和感を感じました。
 五感全てがシャットダウンしたようになり、私は外界の刺激全てを感じなくなってしまいした。
 眠りに落ちた直後の、落ちていくような深い闇が私を捉えます。
 
 
 
 そう、ナデシコAの相転移エンジンは2基。Yユニットの増設によって4基になったはずです。
 
 ですが……今のナデシコには、相転移エンジンは3基。Yユニット増設前は1基でした。
 
 
 ナゼ、キガツカナカッタンダロウ
 
 
 
 私の記憶は真っ白になっていきました。
 その真っ白なスクリーンに、走馬燈のように記憶が映っていきます。
 2重写しの映画。ぴっちりと重なっているが故に一重の映像にしか見えないそれに、ほんのわずかな食い違いが何カ所か浮かび上がってきます。
 「ルリちゃんの感じている違和感は、ルリちゃん自身がオモイカネを通じて、ナデシコに関わっていたからこそ感じているもの」
 そんな私の心理を読んだかのように、ハルナさんの声が聞こえてきます。それによって私の五感は急速に回復していきました。
 「私達、っていうか、お兄ちゃんやルリちゃんたちの知っている『前』では、そして私の知っている『前』でも、『ミカサ サクヤ』という人物は、早々にネルガルの歴史から姿を消している。けどこの世界では、私の存在がきっかけになって、彼女の存在もまた大きくなった。彼女は遺伝子操作や人体改造がメインだったけど、火星系の技術全般に通じた、いわばイネスさんみたいな学者だった。彼女の存在によって、ナデシコその他の相転移エンジンは大幅に進化していたわ。元々では2基無いと足りなかった出力が1基でまかなえるほどに。それどころか、ウリバタケさんが研究していた超小型相転移エンジン、アレをこっちの世界で5年も早く形に出来たのもそのせい。前の世界の技術水準じゃ、たとえ未来の知識があっても、形に出来たのは5年後くらいだと思うよ。材料に使う物質の物性とか、お兄ちゃんの意識しない部分で、確実に『前』より進化しているから、この世界は」
 そう、私の持っている違和感は、そこに由来していました。自分でも自覚できる『本来』の知識に加えて、同程度に『本来』と感じている技術が、強く意識していないと区別できないくらい自然に『並立』しているのです。
 「ラピスちゃんなんかもっとひどいよ。記憶的な違和感とかはないと思うけど、『前』の世界で、ラピスちゃんたちの『遺伝的母』となった人物は、絶対私じゃなかったはずなんだから」
 「あ……」
 そう……なりますね、論理的に。アキトさんも一瞬びっくりしたような顔をしたあと、再び考え込んでしまいました。たぶん頭の中でラピスと会話しているのでしょう。
 「お兄ちゃんたちはきっと、変わった歴史でのお兄ちゃん本人と、未来から飛んできたお兄ちゃんの心が、完全に融合しちゃったんだと思う。私が気が付いた違和感というか歴史の違いを、ルリちゃんたちはごく当たり前のこととして認識していたみたいだったからね。だから今までなんにも言わなかった。ていうかそもそも言えなかったけど。
 でも、今回の歴史の変動は、たぶんお兄ちゃんたちの想像を超えて大きいよ。私達の方にもこれだけの変化があるのに、木連はもっと大きく変わっているみたいだし。私もだけどお兄ちゃんも見たこと無いでしょ。クラウドさん……東八雲さんなんていう人は」
 「そうだ……な」
 アキトさんは少し時間をおいたあと、重々しく言いました。
 「俺たちが手を出すまでもなく、この世界の歴史は全く別物になっていたということか」
 「うん。でも、放っておいたら、たぶんまた歴史は繰り返す……和平の時、白鳥さんじゃなくって八雲さんが撃たれる、位の違いはあるかも知れなかったけど」
 私は頭の中で想像してみて……大きく頷きました。
 「八雲さんは明らかに和平派ですからね。ましてや優人部隊の前線総司令。立場的には白鳥さん以上に我々と協力して和平を仕掛けてきてもおかしくない人物です。だとすれば……」
 その凶弾を放つのは誰でしょうか。
 でもそれが誰であれ、待っているのは火星での決戦でしょう。
 そして最後に行き着くのは、火星の後継者たち……。
 ひょっとするとその中に、白鳥さんたちの姿がある可能性すらあり得ます。
 
 
 
 「で、どうする? お兄ちゃん」
 と、そこまでの深刻な話から、一転してハルナさんの態度は軽くなりました。
 「ま、心配すること無かったみたいだけど、今ここにいるお姉ちゃんは、お姉ちゃんそのものであって、それでもやっぱり別人かも知れないお姉ちゃんだよ。気にせず前と同じように結婚する? あ、もちろん新婚旅行を邪魔するような不届き者は滅殺してからね。それともいっそ、同じ世界から来ていることは確定のルリちゃんとでもくっつく? ある意味今のお姉ちゃんはお兄ちゃんが愛した奥さんとは別人とも言えるわけだし。あ、でも、元の世界の奥さんに操を立てるっていう線もあるか」
 ……それであんなこと聞いたんですか。アキトさんは……何とも言い難い困った顔をしています。
 そして意を決したように言いました。
 「あのな……こんなややこしいこと、すぐに答えられるわけ無いだろ」
 「それもそっか。でも、これは今更どうしようもない事実だよ。よくよく考えて、答えを出すときは覚悟完了してから出してね」
 「それは約束する」
 それを見て私は、ふとまるで別の、それでいて関係のあることに思い至りました。
 私達が逆行者……歴史を遡ってきたものであることを知られるのを一番恐れたのは、ボソンジャンプによって歴史を改変することが可能である、この事実が広まることを恐れていたためでした。
 でも、この私の体験や、ハルナさんの言葉からすると……。
 歴史というやつは思ったよりやっかいなものかも知れません。
 でも、もはや手遅れというかなんというか。
 私達には、自らの意志を貫く道しかないのです。
 それがどんな余波を呼ぼうとも。
 
 その5