再び・時の流れに
〜〜〜私が私であるために〜〜〜
第18話 水の音は『嵐』の音……〜そのとき、歴史は動いたのです〜……その6
夕暮れの光の中、その車は人気のない裏道を走っていた。
「いや〜、助かりましたよ。最初は女性の方々だったのでびっくりしましたけど」
「お任せを。女性であっても私たちにはプロフェッショナルとしての自負があります。どんなに道が渋滞していようとも、きっちりと間に合わせてご覧に入れましょう」
助手席に座る私の隣で、運転席に座る金髪の美女が答える。後ろの座席には、中年の男と、着飾った少女がいる。
「しかしいまだに信じられませんよ。しがない事業部長でしかない私が、あのパーティーに招待されるだなんて。てっきり本社重役か、支社長が招待されるものだとばかり思っていたのに」
そう。普通ならあり得ない。あり得ない事があり得るからには、それなりの理由がある。
「もう、お父さんったら。信じるも信じないも、これは現実よ。宝くじに当たったようなものじゃない。せっかくなんだから、気にしすぎてもしょうがないわよ」
「しかし、シオリ……」
「しかしもかかしもないわ。お父さんったら、心配性なんだから……」
だが、今回ばかりは、父親の方が正しかった。突然車が停止する。
「ん? どうしたのかね」
その質問に対する答えは、窓の外から突きつけられた銃口だった。
なすすべもなく車から放り出される私たち4名。
いかんせん賊の方が多い。この場で下手に逆らったら、無くなるのは命だろう。
「か、金なら出す。命と、この子だけは!」
「お父様っ」
「そうだ。女が欲しいなら私たち二人で止めてくれ。クライアントには失礼だが、そちらの小娘よりは上物だという事は保証するぞ」
相棒はサングラスを外し、隠された美貌をあらわにする。
父親の方は素直に感動し、娘の方はほっとした様子とプライドを傷つけられた様子がない交ぜになっていた。
だが次の瞬間、二人は口元に布を貼り付けられていた。そのままくたりと崩れ落ちる。
「お見事」
その瞬間、忠実な女運転手とその相棒である私は、即座にその立場を賊の仲間に変えていた。
そう。彼らと我々はグルだ。この不幸な親子には、味方なぞ互い以外に存在していなかった。
彼らに招待状を手渡した雇い主たちすらも、彼らの味方ではなかった。
あり得ない事があり得るのには、それなりの理由というものがあるのだ。
彼らは強盗に襲われたものとして、翌日には街の郊外で発見される予定だ。
やがて本命が現れた。少々意外ではあったが、同時に私たちは今回、何故このような手の込んだ事をするかの理由も知った。
私と相棒も、女性運転手から社長令嬢に早変わりをする。
そして私たちはメインゲストとともに、今度は車の後部座席へと乗り込んだ。
変わりの運転手が車に乗り込む。
そして車が動き出したとき、私は小さく息を吐いた。
いよいよだ。待ち望んだ時が来る。
漆黒の戦神、テンカワアキトに死をもたらすときが。
残念ながらこの手で彼を殺す事は出来ない。技量が違いすぎる。
だがこのゲストにはそれが可能だという。
確かに可能かもしれない。私はそう思った。
そして私たちは、このゲストをテンカワアキトの元に送り込むサポーター。
いや、はっきり言えば、『囮』だ。
だが、それでもかまわない。
この私、カタオカチハヤは、目的のためなら手段は選ばない。
「落ち着きなさい」
そういわれて気がついた。手を強く握りすぎて、色が白くなっている。
「ありがと、ライザ」
そう言葉を返したとたん、キツい言葉が飛んできた。
「今の私はエルザよ、アヤノ」
それは今回の潜入用の偽名だ。だが偽名はよくなじませないとぼろが出る。
「ごめん、確かに緊張していたみたい」
後は無言だった。そして車は、着実に目的地――ピースランド城へと進んでいった。
>SARA
「姉さん、そっちは終わった?」
「もちろんよ、そっちこそ終わったの?」
今時……そしてこんな時勢の中、今日は現実と一線を画すようなイベントが行われます。
舞踏会。世の多くの女の子にとって、物語の中にあるあこがれの景色。
でも、これが現実となると、結構大変です。
この日のためにあつらえた、とまでは行きませんが、滅多に袖を通す事のないフォーマルなドレスに、私とアリサは身を包んでいます。
ここしばらくは滅多にしなかったお化粧もばっちり決めて、今日の私は美人度20%UPが確実です。
残念ながらアリサをはじめとする多くのライバルも同じ状況ですから、決定的な優位には至らないんですけれどもね。
そして夕闇が星降る夜へと変わる頃、私とアリサは、お祖父様とともに夢の舞台へと立ちました。
開場にはまだ少し間があります。しかしもうかなりの人が、この会場に集っていました。
ナデシコ組も、ユリカさんや提督、オオサキ司令やカズシさんなどの姿はありました。
「あ、サラちゃん、アリサちゃん。さすがね〜。見違えちゃった!」
こちらに気がついたユリカさんが、あたしたちを呼んでいます。
「そういうユリカさんこそ、ものすごくきれい……」
うーん、わずかとはいえ、年上な分だけ、『大人の色気』とでもいうもので負けている気が。若さでもそう大きく差は付きませんし。アキトさん、どっちが好みなんでしょうか。
「そういえばアカツキさんたちは見かけませんね」
アリサがそう不思議そうにいいました。
「ああ、彼らはもう少し後に来るだろう。こういう場では、基本的に格上のものほど後から入場するのがお約束みたいなものだからね。我々も連合軍では各方面軍の上位に位置しているが、今回はガトル大将閣下も招待されている。閣下が出てくるとなると、さすがに儂らも一枚落ちる事になるからな」
それに答えて、ミスマル提督が解説してくれました。さすがに私達も、そんな事は知りませんでした。
「対してアカツキ君たちはネルガルという一つの組織のトップだしね。世間的にはともかく、こういう場においてはある意味連合軍大将と同格になる。だから彼らやクリムゾングループ、アスカインダストリーの会長たちや、周辺小国の元首、そして連合政府高官の姿が見え始めたら開始は近いね。で、最後に入ってくるのが、主催者であるピースランド王家。お待ちかねのアキト君は、おそらく守護騎士として、彼らと一緒になるだろうな」
「そうなのですか、お祖父様」
いろいろとややこしい取り決めがあるんですね、こういうのにも。
けど、だとすると……
「そういえば副長とハルナさんの姿が見えませんね」
ジュンさんやハルナさんはもう来ているはずですよね、さっきのお話からすると。
「あれ? ジュン君どこ行ったのかな? さっきまでいたような気がするんだけど」
艦長、ちょっとそれは副長がかわいそうです……みれば隣で、ミスマル提督も天を仰いでいます。
「彼ならあたりを一回りしてくるといっていたよ。万一テロリストなどが侵入していたら一大事だといってね。気持ちは判るがちょっと気を回しすぎじゃな」
お祖父様の言葉に、私は思いっきり納得してしまいました。
確かにあの人にはそういう部分があります。だからこそうまくいくようでうまくいかないんですよね、艦長とは。
「ま、彼も少しは別の意味で周りを見渡して欲しいものなのだがな。そうでなくては将来が少し不安じゃよ」
「それもそうよね」
私には今ひとつぴんと来なかったのですけど、アリサはよく判っているみたいでした。
「ねね、アリサ、どういう意味?」
私が彼女に小声で聞くと、彼女はちょっと顔をしかめて答えました。
「姉さんが鈍いのは判ってたけど……要するに、艦長以外の女性にも目を向けろっていう事」
「ああ」
そういう事ですか。でも、彼の性格では、そう器用な振る舞いが出来るとも思えませんけど。
わたしは彼の幸せを、ほんの少しですけど祈りました。
>NAO
お嬢たちの仲よさげなところを、俺は招待客に紛れて遠目でみていた。
念のために言っておくが、一応俺も『招待者』の扱いにはなっている。だがそんな事が建前な事くらいは、すぐに予想がつくと思う。
俺は今回の舞踏会に合わせて、グラシスの爺さんの紹介で、臨時の警備員の仕事を請け負った。ま、要するに客に紛れて、不審な人物を洗い出したり、時には実力でご退場願うというお役目だ。一応本業の警備員はピースランドの軍人がああして壁に張り付いて立っているが、それじゃ忍び込んだスリとかには対応できない。俺の他にもこの手のプロが何人も潜り込んでいる。
だからこうして、いまいち似合わない礼服を着込んで、この場にいるわけだ。どうせならミリアを同伴したかったが、残念ながら彼女は手が離せなかった。
と、入り口のあたりが少しざわめいた。新しいご来客だなと予想をつけた俺は、そちらの方に視線をずらした。今日はお嬢たち専業っていうわけじゃないからな。
だがそこで俺は、ちょいとびっくりする事になった。
入ってきたのは、若い女の子の小集団だった。年の頃20前後、艦長やアリサちゃんたちとそう変わらない。軽そうな雰囲気からすると、アメリカあたりのカレッジの学生を思わせる。
その中に1人、見知った顔がいた。
だがよく見知っているにもかかわらず、それはまるで別人だった。
化粧とかのせいじゃない。内側から変わったとしか思えない、今までにない『オーラ』とでも言うしかないものを、彼女は放っていた。
「こりゃあたまげた……」
そう俺が小さく口の中で呟いたとき、視線が彼女と会ってしまった。
彼女もこちらに気がついたらしく、ほんの少しだけ足を速めて、こちらに近づいてきた。
「お久しぶりですね、ヤガミさん。お仕事は、相変わらずですの?」
そこには俺の元護衛対象、アクア・クリムゾンが、見違えた姿で立っていた。
「これはお嬢様、お久しぶりです……ええ、仕事の方も相変わらずです」
俺は人に聞かれても不自然じゃないと同時に、今の状況を伝えられる言葉を選んで彼女に返した。
「そうですか。心配していましたけど、それはよかったですね」
しかし……本気で別人だな、こりゃ。まああの日、いきなり一本芯が通ったような気はしていたが、それが見事に花開いていやがる。
ここにいるのは、あの自殺マニアのボケ女じゃない。己の目的という奴を、きっちりと見定めているイイ女の目だ。
俺はふと、その目をよく見ている事に気がついた。
最近の艦長、ルリちゃん、ハルナ……そして、何より、アキト。あいつらの目にそっくりだった。
「道を、見つけたんですね、お嬢様」
俺はそんな思いを託して、彼女にいう。彼女は全てを理解したかのように、小さく、しかしくっきりと頷いた。
「未だ至りませんけども。でも、この通り、お友達も増えました」
彼女は一緒にいた女性達を、俺に紹介してくれた。
「こちらがレスフィーナ・クリント。クリント工業社長の娘さんになります。そしてこちらがサライ・マナンガ先輩。国費留学生として、中東地区より経済を学びに来ている才媛です。そして……」
決して美人ばかりではなかったが、どの女性の目にも、彼女と同じ、強い意志の光があった。彼女たちと握手をしながら、俺はあのお嬢が本気で『いい女』になったのを実感していた。
「そして最後に彼女がカタギリ テツコさん。極東出身で、経済ジャーナリストを目指してますの」
「よろしく」
最後に握手をしたのは、お嬢に匹敵する美形の女の子だった。だが、握手をしようとした瞬間、俺の中の『何か』のスイッチが入った。
と、その刹那、彼女の手が普通とは違うように動く。
反射的に俺はその手を振り払った。
「わあっ、はずせる人いたんだ」
「テツコ、またやったの? でも確かにはじめてじゃない? あれやられて体勢崩さなかった人って」
おいおい、なんだ、このアマ。握手と同時に小手返しを掛けて来やがった。
しかも周りの女の子たち、驚いちゃあいるが、それは俺の体捌きの見事さについてであって、彼女がそういういたずらをした事にじゃあねぇ。
「お嬢さん、こういういたずらは無しにしてくれませんか?」
俺はテツコとかいう女にそう話しかけた。
「ごめんね。あたし合気道とかの心得があるから、みんなの護衛役みたいなところがあって。で、おじさんみたいな、出来そうな人を見ると、つい」
彼女は悪びれもせずにそう言った。
「まあ、アクアお嬢様の顔に免じて何も言いません。ですけど、生兵法は怪我の元、ともいいますよ。ほどほどになさい」
「判ってますよ」
全然判っていないように、テツコという女は言った。
>TETSUKO
「判っていますよ」
そう答えつつ、私は……いや、『俺』は、必死に笑いをこらえながら、顔だけはすましたまま、アクアお嬢の後に付いていった。
いるとは思っていたが、やっぱりな、ナオ。
でもおまえ、気づいちゃいなかっただろう。
俺が小手返しを掛けたのは、おまえが俺の事を『勘』で察知しかけたからだって。
一流のプロなら、本気でやばい相手には、ああいう警報が鳴る。だがさすがにあの場でその警報を鳴らされるわけにはいかなかったんでな。
後々の事を考えて、お嬢たちの前で護身術やらなんやらをいろいろ見せてたのが、とんだところで役に立ったもんだ。
あぶない、あぶない。
だが今の俺の敵は、おまえじゃないんでな。お嬢だって判っている。
お嬢がこの舞踏会にわがまま言って参加したのは、あの女のアドバイスと、後々の伏線……まあ顔を売るためだ。
ま、あの魔女の方はその時が来れば嫌でも判るように動くだろうから、こちとらは表向きに集中しますか。
「お嬢さん、お一人ですか?」
おっと、いけねぇ。お嬢たちと間隔が空いちまった。それに……『俺』のまんまで考え事をしすぎるのもこの場では……まずいわね。
「ごめんなさい……約束している人がいますので」
婉然とほほえんであげて、その場を立ち去る。あらあら、でれっとなっちゃって。
思考のベースを少しずつ『私』に戻しつつ、アクアさんの後を追う。
今の私は、カタギリ テツコなのだから。
>JUN
なんというか……いたたまれないというか、居場所がないというか。
情けない話だけど、僕は見回りを口実にみんなの輪から離れた。
まあユリカが僕の事なんか気にしていないのは承知とはいえ、ユリカの目には僕なんかどこにも映っていなかった。
ユリカも、そして一緒にいたサラさんやアリサさんも、テンカワアキトただ1人しか見ていない、いや、見ようとしていない。
理屈では納得していても、さすがにつらすぎた。
だからといって、あの場で落ち込んでいるわけにも行かない。僕は気分を変えるべく、口実に使った見回りをする事にした。
「はあ……思ったよりきてたのかなあ」
庭園風に造ってある周辺の休憩(密会)スペースを、僕はぶらぶらと歩く。
たまに目に入るのは、ほとんどがカップルだ。
あ……なんか余計に落ち込んできた。
やっぱり戻ろうか、と、思った時だった。
植え込みの影に、女の人がうずくまっているのが見えたのは。
周辺には人影はない。
「どうしました、大丈夫ですか?」
僕は声を掛けながら、その女性に近づいていった。
>CHIHAYA
「どうしました、大丈夫ですか?」
いきなり声を掛けられて、思わず心臓が止まり掛けた。
幸いにして、爆弾のセッティングは完了したところだった。今の声がワンテンポ早かったら、危ういところだった。
汚れるのを防ぐために使っていた、薄いビニールの手袋を素早く脱ぎ捨てる。現場を見られないうちにと、私は立ち上がった。
その瞬間、不覚にもめまいがする。立ち眩みだ。
だがそれもまたこの場では幸いしたようだった。
ふらつく私の体が、誰かに支えられる。華奢な感じだが、それでも女性ではあり得ないがっしりとした体だった。
「無理はしないで。そこに……」
彼は私を支えたまま、側にあったベンチへと私を座らせた。
ちょうどめまいも収まった。
「ありがとうございます……」
そういって私を助けてくれた事になる人物を見上げる。
瞬間、また心臓が止まり掛けた。動揺した顔を見せないように、慌ててうつむく。不自然だが、驚いた顔を見られるよりはましだ。
よりによって、ナデシコのクルーだとは。
アオイ ジュン。
ナデシコの副長。見た目は女のような優男だが、ミスマルユリカに次ぐ逸材と聞く。
強固な堤も蟻の一穴から綻びる事もある。
だが、重ねて幸いな事に、この男は何か勘違いをしたようだった。
「あ、無理はしないでください。今人を呼びますから」
それはあまり得策ではない、と、私の中のコンピューターが答えをはじき出す。
「いえ……もう少しこうしていれば大丈夫です。失礼ですが……少し、隣にいていただけませんか」
「あ、はい。いいですよ」
彼は私の隣に腰を掛ける。私は心を落ち着かせ、そっと顔を上げた。
とことん人の良さそうな男の顔がそこにあった。
美形顔だが、それ以上に、平和そのものの顔だった。
私は少し腹立たしさを覚えた。
よほど恵まれた生き方をしてこなければ、こんな顔にはならない。
少し遊んでやろうか。
そんな嗜虐的な思いが、ふと浮かんだ。
仕掛けはさっきのが最後だ。後は時間まで、怪しまれないように過ごしていればいい。
だとしたら、この男をからかうのも悪くはない。
私は自分の思考を、今回の偽装、「カトウ アヤノ」のものに切り替えた。
>JUN
「本当に、大丈夫ですか?」
僕はそう声を掛ける。彼女は気丈そうにしているが、何となく顔色が悪い。
「いえ……少しこうしていれば平気だと思います」
けど、そうは見えなかった。緊張しているのだろうか。
と、彼女が口を開いた。
「あの、お名前……お伺いしてもいいですか?」
「あ、僕? ああ、ごめんなさい。名前も名乗らない男なんか、信用できるわけ無いですね」
考えてみれば当たり前じゃないか。名前もいわずに近づいてくる男を、年頃の女性が信用できる訳なんか無い。
「僕はアオイ ジュン。ナデシコっていう戦艦の副長を務めています」
「え、あのナデシコの?」
「知ってましたか? ナデシコの事」
僕はちょっと意外に思った。極東軍が情報統制していたと思ったんだけど」
しかし彼女は、ちょっと意地悪そうな表情を浮かべてこういった。
「私も一応、こういう所に来られるくらいのつてはあるっていう事です。いろいろと噂は聞いておりますわ」
ちょっと気取った話し方。でも何となく、僕はそんな話し方は彼女には似合わない気がした。
でもそれは置いておいて、僕も言葉を返す。
「そうでしたか。それじゃあいろいろとひどい話も聞いているのでしょうね」
「そんな事無いですわ! ナデシコの働きがなかったら、とっくに私たちは負けていたって聞いておりましたけど」
それは行き過ぎのような気がする。
「そんな事はないですよ」
僕はそう言った。
>CHIHAYA
「そんな事はないですよ」
そういう彼の表情には、一点の曇りもなかった。
ずいぶん認識の甘い男だな、と、内心私は思う。
あるいは極東をはじめとする、連合軍の内情には疎いのか。
我々の世界では、ここ数ヶ月の巻き返しが、事実上ナデシコとテンカワアキト、この一艦と一人の活躍によるものだというのはほぼ常識である。地球に住むものとしてはそうは思いたくないのだが、ナデシコ及びテンカワアキトの参加している戦闘がほぼ全勝なのに対し、彼らのいない部分では勝率が5割を切っているというのははなはだ情けない。特に先日の敵巨大機動兵器による攪乱戦によって連合艦隊が事実上全滅したあの戦いなど、言い訳のしようもない大敗である。
だが、この男には、自分たちがそういう特異な存在であるという認識が全く感じられない。
そこに私は興味を持った。
「そう、なんですか?」
疑問型で私は彼に問いかける。少しでもこの男の持つ情報を引き出すべく。
「私がお父様から聞いた話だと、ナデシコがいなかったら、とっくに地球は木星蜥蜴、じゃなくって木連さんに滅ぼされていたという事ですけど」
「ずいぶん持ち上げてくれるんですね。ひょっとしてネルガルの関係なのかな? お父さん」
「何とも言えませんわ。うちの父みたいな小さい会社では、ネルガルだとかクリムゾンだとか、とにかく仕事を選んでいたら潰れてしまいますもの」
「それはすごい」
彼は私の並べたでまかせに、何故かひどく感心した様子だった。
「なるほど、さすがは招待されるだけの事はありますね」
? ? ?
訳が判らない。こういう時は、相手に聞いてみるしかないか。
「あの、どこがすごいのですか? ネルガルやクリムゾンに比べたら、うちの父の会社なんて、比べものにならないくらい小さいのに」
「でも、ネルガルともクリムゾンとも、たぶんアスカインダストリーとかとも取引しているんでしょ?」
その辺の細かい設定までは覚えていなかった。一応現実に存在している企業を元にして今回用のプロフィールは構築してあるが、まさかこんな設定まで必要になるとは考えていなかったのだ。やむを得ない。私は、とりあえずこの場の雰囲気に合わせて肯定の返答をすることにした。
「ええ、相手を選ぶ余裕なんかありませんから」
「だとしたらやっぱりすごいですよ。規模は小さいかもしれないけれど、あなたのお父さんは一国一城の主だ。そういう意味では、ネルガルやクリムゾンと、対等とも言えますよ」
私は思わずぽかんとしてしまった。開いた口がふさがらなかったとも言える。
なるほど、確かにそういう見方も出来る。だが私にいわせれば、よくそんな考え方が出来ると言いたい。
だが、ここでこいつの意見を否定して、自分を卑下するのも変だろう。私は素直に感心する事にした。
「そういう風にも、取れるんですね」
「いえ、もっとすごいかもしれませんよ」
そうしたらこの男は更に調子に乗った。
「あなたはよく知らないのかもしれませんけど、ネルガルとクリムゾンのライバル意識はかなりのものなんです」
それは嫌になるほど知っている。
「ですから、たいていの会社は、ネルガルと取引をしたらクリムゾンとは取引しません。逆もまた真なり。まあ、一種の系列化、とも言える現象があるんです」
私は思わず頷いていた。それには心当たりがある。考えてみれば、私が元ネタにした会社は、小規模ながらも他に真似の出来ない特殊な部品を扱っているメーカーである。こういう企業は、普通なら真っ先に囲い込みに出るはずだ。
「ところがそういう状況の中、あなたのお父様の会社は、ネルガルにもクリムゾンにも媚びず、独立独歩を保った上、彼ら大企業にその価値を認めさせている。だとしたらあなたのお父様と会社は、あなたの考えているよりずっと誇っていい価値を持っているのだと思いますよ。それこそこういう場にきちんと招待されるくらい」
私たちの設定したプロフィールなんかより、ずっと筋が通っていた。そしてある事に気がつき、私はくすりと笑う。
さげすみと自嘲、それと、何故か久しく忘れていたおかしさがこみ上げた、我ながら複雑な笑いであった。
この男は苦労知らずの楽天家というだけではない。根本的に物事の見方が肯定的なのだ。
「ありがとうございます、少しだけ自信が持てましたわ」
そういって私は立ち上がる。そして私は何故か、この役どころの令嬢にふさわしいような真似をしていた。
「踊っていただけませんか? 私と」
そして私は、驚いている彼の手を取った。どうせ我々は脇役にすぎない。それにテンカワアキトやハルナ、アカツキナガレといった面々と顔を合わせるまでの逢瀬だ。
少しくらいこの楽天的な男に夢を見させてやるのもいいだろう。
……だが、この事態を楽しんでいる自分も、確かに存在しているような気がした。
>AKATSUKI
「会長、そろそろお時間です」
エリナ君の声に、僕はもう一度だけ鏡の中の自分を眺める。
うむ、問題ない。いつもの10%増しのハンサムボーイが鏡の中にいる。
「了解。そろそろ行くか」
僕は立ち上がると、エリナ君の腕を取った。
彼女もぴしりと決まったメイクが、その美貌をいつもの20%増しに引き立てている。
まあ、本当はテンカワ君にエスコートされたかったのだとは思うが、しばらくは僕で我慢してもらおう。それが彼女の立場だ。
こういう時のためにいるスタッフたちにねぎらいの言葉を掛け、僕とエリナ君は控え室を出た。
「僕たちの出番という事は、ほぼみんなそろったのかな?」
「はい。私たちと同じくらいに入室予定なのは、連合軍代表ガトル大将、クリムゾングループ代表ロバート・クリムゾン、アスカインダストリー代表会長代理カグヤ・オニキリマル、そして木連代表東舞歌一行の予定です」
それを聞いて僕は気を引き締めた。どれも一筋縄ではいかない面々だ。
そして僕たちは、エステバリスのアサルトピットとは違う、華やかな戦場へと足を踏み入れた。
タイミングをほぼ同じくして、ロバート・クリムゾンとカグヤ・オニキリマル嬢が入室してきていた。
「お久しぶりですな、アカツキ会長」
老いてなお鋭い眼光が、僕の方を見つめている。静かに、しかし、途方もない圧力を込めた瞳で。
「お祖父様、今日はそういう場ではございませんことよ」
彼にエスコートされていたアクア嬢が祖父をたしなめる。
この人もずいぶんイメージが変わった、と、僕は思った。
ライバル会社の令嬢であるという事実以上に、僕は彼女の動向には注目していた。
何故かって? 僕のような若造が世界的な大企業の会長をやっているとなると、どうしてもある問題が持ち上がるからだ。
そう、結婚だ。
僕のような立場の人間は、いつの時代でもそう易々と結婚は出来ない。恋愛すらもだ。
もちろん僕だって、惚れた女性と一緒になりたいとは思う。幸いネルガルは大企業であると同時に、きわめて健全な財政状況で運営できる企業体であるため、昔風の政略結婚を押しつけられるような事はない。だが、どんなに惚れ込んだ女性であっても、相手の性格が企業運営上マイナスになるようなものだとしたら、一時の遊びならまだしも、結婚にはとうていこぎ着けられない。
浪費癖のある女性や、権力志向の強い女性などは、僕としても立場上お近づきにはなれないという事だ。
そんな中、アクア・クリムゾンという女性は、年頃といい立場といい、僕の花嫁候補として、かなり有力な立場にある女性だった。クリムゾンとは血で血を洗うような関係ではあるが、僕と彼女の結婚が成立すれば、この争いの矛を互いに収める絶好の理由となる。
今のところそういう動きはないが、逆に言えばいつ出てもおかしくない話なのだ。
だからこそ僕は、同じような立場にあるカグヤ嬢なども含めて、情報収集の手はゆるめなかった。
そんな中、アクア嬢の情報は、きわめて興味深かった。
僕たちが軍の任務でテニシアン島に行った頃は、被害妄想と自虐癖の強い、それこそ精神科へ行ってらっしゃいというような女性だったのに、ちょうどそのころを境に性格が一変していた。
先に挙げたような精神疾患を思わせるような言動がきれいに立ち消え、休学していた学校に復帰するやいなや、ほんの数ヶ月のうちに破竹のごとく成績を伸ばし、今ではカレッジでも最優秀の学生の一人として捉えられているというのだ。
そのせいか結婚話が蒸し返されかけて、僕は裏で対策に大わらわだった。
特にここしばらくはナデシコに乗っていたから余計である。
ま、何とか無事にいつも通り叩き潰せたので問題にはならなかったけどね。
そして彼女を目の前にした僕は、実のところ、叩き潰したのは早まったかも、と、ちらりとだけ思った。
こうして目の前にしてみるとよく判る。彼女は別人といってもよいほどの輝きと、それにアクセントを加えている、独特の憂いを帯びていた。
この憂いも以前のような歪んだ自殺願望のようなものではない。明らかに『大人の女性』が、その身に抱えるのにふさわしい、高雅な憂いであった。
ぶっちゃけた話、ものすごく魅力的になっていたのだ。
元々僕は、理知的な女性に弱い。エリナ君なんかもその範疇だけど、彼女は権力志向が強すぎるので僕の好みじゃあない。仕事上の相棒としてはものすごく頼りになるけれどね。
僕はもう少し控えめな方が好みだ。ちょっと古いが、『内助の功』なんていう言葉の似合う女性なら尚いい。僕は外側では突っ張っているけど、内側はどっちかって言うともろいという事ぐらいは自覚している。そんな僕の、人には見せられない内側を、しっかりと支えてくれる女性が、僕にとっての最高の女性だ。
マザコンの一種なのかもしれない、という自覚はある。
だが、僕がそれを必要としているのも、事実だしね。
僕は二言三言ロバートと話をした後、その場を離れた。
相変わらず迫力のある爺さんだ。
あの歳になって、目から野望の光が消えていない。しかもそれが、妄執になっていない。もっと、しっかりとした裏付けのある野望だ。
妄執を抱いた人間は、例外なく歪む。だがあの爺さんは、そのぎりぎりの線を保ちきっている。
テンカワ君の話通りなら、この爺さんは木連と手を組んでよからぬことを企んでいるという。だが、彼が嘘を言っているとは思えないものの、僕には今ひとつ納得がいかなかった。
動機だ。
この爺さん、見かけや実績とは裏腹に、金銭や権力に対する執着が薄いのはこっちでも掴んでいる。敵対者は容赦なく叩き潰し、自勢力の拡大のためには遠慮無く情け無用の非情な手段を使う割に、それに満足した風なところがない。
それこそがわずか50年、一代のうちにクリムゾングループを地方の小企業から世界的な大グループにまでのし上げた、ロバート・クリムゾンの持つ最大の謎とも言えた。
僕は欲望で動かない人間なぞ信じはしない。どんな人間もそれによって動いている。ただそれが崇高に見えるか卑俗に見えるかの差でしかない。
死んだ親父が求めていたのは、世界が自分の足下にひれ伏すという快感だった。生きていればいずれは政界に打って出、連合主席の座を狙っただろう。兄貴は親父よりはずっと善良だったが、それでも野望はあった。
僕だってあまりかっこいい事は言えない。世界征服なんて言うめんどくさい事をする気はないけど、それなりの実力を保持するつもりはある。
平たく言えば、僕は人に頭を下げたり、自分のやりたい事を人から邪魔されたり、あるいはやりたくないことを押しつけられるのが嫌いだ。我が儘と言わば言え、とにかく僕は、他人の思い通りに動かされるのは大っ嫌いだ。
不思議とテンカワ君の言うことを聞くのは嫌じゃないんだけどね。
それはさておき。
そういう意味では、ロバート爺さんという人物は、僕の目から見ると『異様』だ。
50年ほど前、クリムゾンの母体となった小さな商社に、令嬢の護衛兼経営アドバイザーとして登場、そのまま令嬢をゲットして社長に納まる、と思われていたものの、現地の政治テロ(建前)に巻き込まれて結婚当日に新婦が死亡。テロの原因は当時のネルガル会長がクリムゾンの乗っ取りを狙っていたことらしいけど、怒り狂ったロバートの逆襲によって、当時のアカツキグループ(ネルガルの昔の名だ)オセアニア支社は裏表両面にわたって壊滅的な打撃を受け、撤退。
その空白を全てクリムゾンに分捕られたあげく、クリムゾンが世界的大企業に発展する力を与えてしまったという、極めつきにお粗末な結果となった。
そしてクリムゾンはそのまま手段を選ばずにネルガルに対して攻撃を仕掛け、現在に至るまで両者の確執は解けていない。
僕が会長を引き継いだ直後くらいの頃は、この両者の争いは純粋な覇権競争だと思っていた。ロバート・クリムゾンの過去を知った時には、花嫁を殺したネルガルという組織に対する復讐かと思った。
だが、どうも彼の行動は、そのどちらにも当てはまっていない気がする。
10年くらい前までは、まだ最初に上げた二つの理由の複合のような感じだった。ところが、僕がこの座に着く前のあたりから、彼の動きは明らかに変わっている。テンカワ君からもたらされた情報によって、やっとある程度の推測がついてきたところだ。
クリムゾングループは、明らかにネルガルの火星進出、及びそれによって得た技術にターゲットを絞っている。企業同士の、目に見える部分、見えない部分、どちらに関しても、ネルガルとクリムゾンが競っている分野には、何故か『火星』に関わることが引っかかっている。
どうもそれは、僕が狙っていたボソンジャンプの支配なんかより、もっと根深い『何か』のような気がしてしょうがない。それは間違いないと思うのだが、『何故』ロバートがそれを狙うのかが、どうしても見当がつかなかった。
僕の勘も、知識も、判断も告げている。
ロバート・クリムゾンの狙いは、何かとてつもないものだと言うことを。
「会長」
エリナ君の一声が、思考に沈んでいた僕を引き上げた。
爺さんはとっくに他の相手に声を掛けている。その様子を僕は、話しかけてくる相手との受け答えを適当にこなしながら、こっそりと観察していた。
それで一つ気がついたことがあった。
あの爺さん、僕を視界に入れていない。
こっちがこういうことをしていれば、向こうだって気付こうと言うものだ。こっちだってその覚悟で相手を観察している。
なのに爺さんは、こちらの方に気付いているそぶりすら見せなかった。
これは変だ。誓ってもいい。アレは無視しているのではない。本気で気がついていないのだ。
言い換えれば、今のロバート・クリムゾンにとって、ネルガルなど眼中にないということだ。
僕としてはそれが非常に気にくわなかった。無視されたことより、ならば彼は何を今一番注目しているのか、その方が気になった。
何気なく彼の視線を追うものの、特にどこかに注目していることもない。
と、その時だった。
奥側、壁の側の扉が開き、新たな入場者があった。
そちらを使うのは、本来ピースランド直接の関係者だけ。だが主賓の入場ならは、奥は奥でも奥正面の扉が開くはず。奥の壁側の扉は、本来なら使われるはずのない扉なのだ。
なのにそこが開かれるわけはただ一つ。
今回の裏の主賓、木連からの一行が入場すると言うことだ。
そして僕は見た。
やはりそちらに注目していたロバート・クリムゾンの目に、ほんのわずかとはいえ、憎しみとも殺気とも取れる、明らかに彼らを歓迎していないという様子が浮かんだことを。
だが、そう思う間もなく、扉は開かれた。
入場してきたのは、きらびやかではあったが、拍子抜けするくらい、僕たちと何ら変わらぬ人々であった。全員、きりっとしたところが共通している女性達である。
そのうちの一人には、明らかに見覚えがあった。
カワサキを襲った3台の巨大ロボット。そのうちの1機、グラビティブラストを持っていなかった、女性型のメカに乗っていたパイロット。
ナデシコ内で脱走し、そのまま行方をくらました女性。
その人物が、一行の先頭に、堂々たる風情で立っていた。
思わず会場内がしんとなる。それは彼女の立場ではない。彼女自身が醸し出す、いや、まき散らしているという方がふさわしい迫力のせいだ。
只者ではない。ちらりと隣を見ると、エリナ君ですら、彼女の持つ迫力に押され気味である。気味、で済んでいるところが立派と言えよう。
ざっと見渡せば、ロバート・クリムゾン、ガトル大将、ナデシコ関係者、そして……意外にもアクア・クリムゾンとカグヤ・オニキリマル。
変わらずに立っているのはそのくらいであった。
だが、その緊張も、すぐに別の方に向いた。
彼女たちが入場してすぐ、高らかにファンファーレが鳴り響いたからだ。
会場内全員の注目が、正面の大扉に集まる。
そしてファンファーレがフェードアウトしていくと同時に、その扉は開いた。
>RURI
心臓のどきどきが止まりません。
見た目通りの歳ならともかく、私の中身はもっと大人で、それに加えていろいろと大変な経験を積んでいるのにもかかわらず、私は緊張しまくっていました。
「さあ、いくよ、ルリ」
父の声が、さらに緊張を呼び覚ましてしまいます。
と、そんな私の手が、大きなものに包まれました。
ちらりとそちらを見ると、アキトさんが私の手を取っています。
私の緊張が、別のものに置き換わってしまいました。
心臓がどきどきしているのは一緒ですけど。
「大丈夫かい?」
そう聞いてくる声。アキトさんは……緊張していませんね。少なくとも見た目は。
そう思ったら、なんか、すとんと、気が落ち着いてしまいました。
「はい」
私は短くそう答えます。
そんな様子を見て、私の父と母はかすかに微笑んだようでした。
同時に母の目に、何か底光のようなものが浮かんだのは、無視です、無視。
「お姉様、そろそろ時間です」
後ろから掛かった声は、弟たちのもの。
私はそれを合図にするように、正面に向き直りました。
白を基調とした、清楚な乙女のドレス。ちょっとふわふわしすぎている感はありますが、この服をまとっている私は、自分でもはっきりと、人間以外のもののような気がしてしまいました。
そこまで美人だとうぬぼれる気はないのですが、どうにもこうにも、自分で見てすら、何というか……人間味が薄い、とでも言うのでしょうか。人間に限らず、こう、生物的とでも言うべき生々しさが希薄なのです。
実体感の薄い儚さ。
それをもし言葉で形容しろと言われたら、我ながら恥ずかしい話ですが、こういう以外に言葉が浮かびません。
『妖精』
それは私に限らず、スタイリストさんやメイキャッパーさんたちにも共通の認識でした。
父と母を先頭に、その背後に私とアキトさん、そして5人の弟たちが続きます。
扉の向こうで鳴るファンファーレ、それと同時に消えるざわめき。
一拍おいた後に、高らかな伸びのある男性の声のみが会場内から響きます。
『ピースランド国王一家、ご入場〜〜〜』
その瞬間、私の手をつかんでいるアキトさんの手が、ぴくりと震えた気がしました。
一瞬疑問に思ったものの、すぐにその理由が浮かびます。
その言い方だと……アキトさんも『国王家』の中に入るんですけど、母。
細かいところで既成事実を積み重ねていく気ですね?
まあ、そうなったとしても嫌ではありませんけど、アキトさんがそう思ってくれたのでなければ嫌です。サラさんやアリサさんに負けるとは思いたくないですが、まだユリカさんに勝てている気はしないので。
いくら午前中にハルナさんから聞いた事実があるといっても。
私はそういう余計な要素を越えた、一人の『ひと』として、アキトさんと一緒に過ごしたいと思っています。
妹か、娘か、恋人か、その辺は微妙ですけど。
大広間には、大勢の人がいました。
見知った顔、見知らぬ顔、そのすべてが、私たちの方を……いえ、半数は私を、残る半数はアキトさんを見つめていました。
そして実感しました。
私を見つめる視線には、なんというか、こう、珍しいものを見る、という感じがこもっています。好奇心あふれる瞳、とでも表現しましょうか。
対してアキトさんに向いている視線には、そういう眼も多いですが、それに匹敵する、敬愛とあこがれ……そして、崇拝とでも言うべき何かが混じっている気がしました。
もちろん、眼は言葉のように明確な意志を発することはありません。ですが、私は極東のことわざ、『目は口ほどにものを言い』という言葉の意味をいやと言うほど悟ってしまいました。
見つめる眼にこもる光が明らかに違います。私を見る目は軽く、力の入っていないものですが、アキトさんを見つめる眼には明らかに力がこもっています。
それは紛れもなく、現世の救世主を見る目でした。
自分たちの命を救ってくれた、希代の英雄の姿を、その目に焼き付けようかとするかのように。
その思いが、瞳に、全身に、力をこめさせています。
戦果からすればナデシコもそう変わらないかもしれません。ですが、ナデシコとMOON NIGHTでは、人々との間にあった『距離』が違います。
アキトさんたちは、常に力なき人々の間近で戦い続けてきました。
そして絶望的な状況を、わずか3ヶ月で逆転させたのです。
それを目の当たりにした人々の心を、私は初めて直接眼にしました。
ここにいる人々は、社会の上層の人々……一部の例外を除けば、西欧の危機に際しても、それほど脅威を感じなかった人々のはずです。それでもこの有様と言うことは、もっと直接的にアキトさんたちの恩恵を受けた、最前線の一般市民の方々は……
私の脳裏に、パレードの時、私たちを取り囲んだ、膨大な人々の姿が浮かびました。
おめでたい話であり、珍しいイベントでもあるとはいえ、なんの面識もない『姫』の帰還に、あれほどの人が集まった理由を、私はこのときはっきりと悟りました。
彼らは私ではなく、アキトさんを、故郷を守ってくれた、『漆黒の戦神』の姿こそを見たかったのでしょう。
私に対する興味は、ある意味二の次だったわけです。
そう思ったら、何か肩の力が抜けてしまいました。
「落ち着いた? ルリちゃん」
それを感じたのか、アキトさんが小声で話しかけてきてくれました。
「はい」
私は短くそう答えます。それ以上長くは言葉を出せませんでしたし。
そのとき私は、会場の正面、お披露目の場所に立っていたので。
「ようこそ皆様方! この度は我が娘のためにようこそ!」
父のスピーチが会場内に響きます。
皆が父の言葉に耳を傾けていました。私はすました顔のまま、ちらりと周囲を見渡します。
アカツキさんやエリナさん、ユリカさんにミスマル提督、オオサキ提督にカズシさん、グラシス中将にサラさんとアリサさん、その辺はすぐ目に付きました。
反対の方には舞歌さんや千沙さんの姿も見えます。
そして、写真などでは見たことあるものの、直接見るのは初めての人がいました。
ロバート・クリムゾン。
前においては木連との繋がりを密かに持ち、熱血クーデター以後は火星の後継者ともつながってた黒幕。直接の証拠は挙がっていませんでしたが、ヒサゴプランに対する関与の度合いからしてもまず間違いのないところだったでしょう。
一見したところ、鋭い目つきのおじいさん、という感じです。なのに、私は、えもいわれぬ悪寒のようなものを彼から感じました。
その視線が、私から少しずれたところに向いているような気がします。頭の中で位置関係を計算してみた私ははたと気が付きました。
その視線は、間違いなく、アキトさんを貫いていました。
「それでは皆さん、どうぞごゆるりとお楽しみください」
父のスピーチが終わるのに合わせて、傍らに控えていたオーケストラが、優雅なワルツを奏で始めました。
私が顔を上げると、視線がアキトさんとぶつかりました。
お互い、言葉は要りませんでした。アキトさんは私の手を取ると、自然に舞台の中央へと私を導いてくれました。
私はダンスを習う暇などありませんでしたけど、とりあえずの踊り方は付け焼き刃で覚えています。でも意外だったのは、アキトさんのリードが私の想像以上に見事なことでした。
いつのまに覚えたんですか?
そう思っているうちに、曲がラストパートにかわりました。
ターンからフィニッシュ。タイミングもぴたりと決まりました。
ポーズのせいでちょうどアキトさんの顔が間近に来たので、私は小声でアキトさんにささやきました。
「いつのまに覚えたんですか?」
「対北斗の特訓のついでにね。ハルナがリズム感を養う練習だって言って基礎トレの中に組み込んでおいてくれたんだ。準備体操代わりにね」
なるほど。
「もっとも練習中は、意図的にリズムを突然崩したりするプログラムになってたから、こんな素直には踊れなかったけどね」
私にはその特訓がどういう意味なのかよくわからなかったのですが、戦いの際にリズムが単調になるのを防ぐためだと言うことでした。
まあ、でもおかげさまですてきな思いをさせていただきました。さすがというか、本気でやることにそつがないですね、ハルナさん。
さて、ここでちょっと残念ですが、パートナー交代です。私の方はしばらく軍の高官やいろいろな組織の代表の方、平たく言えばお偉いさんが続きます。おじいさんばっかしですね。でも、逆に言えばダンスに慣れた方ばかり。私はおとなしくエスコートされているだけで良さそうです。
問題はアキトさんの方ですね。
様子をうかがうと、早速ユリカさんが並み居るライバルを押しのけて2番をゲットしていました。そしてその後ろにはサラさんとアリサさん、エリナさんまで順番待ちしているようです。さらに何人もの人がアキトさんの方を虎視眈々という感じで狙っています。
手が空く暇がなさそうですね、アキトさん。
まあ、こうなるのは見え見えでしたけど。
私とアキトさんにダンスの申込が集中した結果でしようか、私とアキトさんは、会場の中央で踊り続ける形になりました。私たちそれぞれのペアを中心に、20組前後の方が思い思いに踊り、踊らない方々は壁際で、ある人は真ん中のダンスを見学し、別の人はひっそりと密談にふけり、またある人は会場の隅の方に目立たない形にしつらえられた食事コーナーを制覇しています。
最後のが誰かは言うまでもありませんね。さすがにこういう場ですから立ち居振る舞いはそれなりにおとなしいですが、さっきから見ていると淡々と料理を制覇しています、ハルナさん。彼女がどのくらい食べているのかを把握しているのは、青い顔をしている配膳係の人くらいのようですが。
いずれにせよ、いろいろな思惑がうごめく中、思ったより何事も起こらず、時が経っていきました。
ですが、当然、それで済むわけもなかったのです。
こうして私がいろいろな方と踊っている間にも、私やアキトさんの目に見えないところで、いくつもの出来事が同時に、密やかに進行していました。
そして、一連の出来事のクライマックスは、私たちが気づかぬうちに、すぐそこまで来ていたのでした。