再び・時の流れに
 〜〜〜私が私であるために〜〜〜

 第18話 水の音は『嵐』の音……そのとき、歴史は動いたのです……その9

 



 「ふむ……まさしく『万が一』があったようだな」
 我が主は、退避先の控え室で、そう呟かれた。
 「だが、確かにあの男の言うとおりだったな。テンカワアキト本人より、その妹の方に用心しろ……まさに、その通りだった」
 先ほどの一幕を思い出しているのだろう。我が主は、目を閉じて、くつくつと嗤っていた。
 私も『その時』の様子を思い返してみる。
 赤毛の女性の仕事は、確かに見事だった。私とはやや方向性が違うものの、完璧に己の殺気、殺意を消していた。もしあの瞬間、あの場にフォークが飛んでこなければ、隠された毒針の一撃で、テンカワアキトの命は天に召されていたはずだ。
 もっとも今時毒物をああいう形で使用することはあまりない。かなり明確に証拠が残るのではっきり他殺と判ってしまうし、対抗手段も豊富にある。すなわち、全く未知の物か、即効性で対処をする間もなく絶命するような強いものでもない限り、大抵は解毒が間に合ってしまう。防御手段を用意しようなどとは思っていない一般人ならまだしも、曲がりなりにもその危険性に備えねばならない人物にとっては、毒に対する対応策の一つも用意できないようでは食事すらままならなくなる。他にいくらでも手段のある現代において、毒は『素人の凶器』なのである。
 それはともかく、その絶対的な死の運命を変えたフォーク、それを投じたのがテンカワハルナだった。余人の目には単なる偶然に映ったであろう。いや、達人の目を持ってしても、違和感は感じられなかった。
 あくまでもあの場で彼女がフォークを飛ばしたのは、偶然である。そう結論づけるしかないのは、私も見ていて判っている。
 だが、私のような人間は、あの状況下に置いて偶然ということがあるとは考えない。
 『偶然にしか見えないほどの技を振るう達人である』
 と考えるのだ。
 だとすれば、彼女を排除しようとするならば、下手な手段は使えない。
 姑息なタイプの方法では全て返されるであろう。一番堅実にして確実な手段……接近戦からの一撃しかあるまい。あの相手に対して一番無駄にしてはいけないのはおそらく『時間』だ。遠距離からの狙撃などでは、相手に対処する『時間』を与えてしまう。殺意の発生から0.3秒……その辺が限界だと、私の勘ははじき出していた。
 「頼んだぞ」
 そう考えていたとき、絶妙のタイミングで主の声がした。
 何を、と問い返すようなことはない。
 それが私の仕事だからだ。
 私は暗殺者。名前はない。名乗る必要がないからだ。







>MAIKA
 
 「ルリ、何ということをするのですか!」
 「申し訳ありません、母。私が軽率でした」
 
 私たちの視線も気にせずに、王妃はホシノルリ……いや、ルリ姫を叱りつけていた。
 叱られている姫も不服な様子はなく、しおらしく頭を下げている。悪いことをしたという自覚はあるようだ。無理もない。ある意味最重要VIPである彼女が、自ら暗殺者の跡をのこのこつけていくなどまさに言語道断な行為である。
 気持ちは判らないでもないが。彼の姫がテンカワアキトのことを少なくとも恋慕の位で好いていることは見え見えである。その割に妙に達観した部分も感じるのがちょっと変わっているが。
 「やれやれ、全くとんだ騒ぎになったな」
 「ええ」
 私のつぶやきに、千沙が言葉を返す。
 昨日の大騒ぎの後、主要な人物は皆あわててこういう時のための場所に待避した。その中、我々はある意味もっとも疑われる立場でもあるせいか、光栄にも王族の方々と同じ場所に待避することになった。
 えらく度胸のある方々である。このピースランド王家の方達は。
 あるいはものすごく計算高いのか。私にはその双方であると感じられている。
 暗殺者が木連の関係者ならば、その木連代表である我々を懐に入れることはとてつもない危険が伴う。ましてや我々は隠すまでもなく軍人でもある。ここまで懐に入れてしまったら、その気があった場合、彼らは一撃の下に制圧されることになる。だが逆に、木連の人間に対してそこまでの庇護を与えるということは、我々を完全に信頼していると、話し合うことが可能な、人類の「同胞」であるということを周囲に強く印象付けることになる。
 こんな状況で我々が彼らに敵対的な行動をしたら、戦術的には強力でも戦略的には致命的とも言える失点になる。我々は地球側を完全に騙し討ちしたことになり、彼らが私たちを「討伐」することに絶好の名目を与えてしまうことになる。
 そう、「討伐」である。「制圧」でも「戦闘」でもない。
 信頼に値しない、この世界から消去するべき存在だと認識されるということになるのだ。
 もしそれでも我々がそうする理由があるとすれば、そこまでの不利益を被ってでも得られる利益がある場合となる。が、それはテンカワアキトやナデシコ、及びネルガルや連合軍の優秀な人材を根こそぎ抹殺できたとしても、まだ割に合わない行為である。
 軍の指導部を消滅させ、地球を無血占領したとしても、圧倒的多数の民心に、木連に対する絶対的な不信感を植え付けることになるからだ。これに引き合う利益など、私には想像も付かない。
 そして、おそらく……あの親馬鹿な王や一癖ありそうな王妃は、そこまで完全に読み切っているに違いない。そうでなければ、圧倒的な経済力と無力な軍という組み合わせの小国が、他国の毒牙に掛からず生き延びられた道理がない。ある程度有能で優秀な組織相手には、実は意外とこの組み合わせは強い。彼らのような国家にとっての最大の敵は、暴力のみを信奉する馬鹿である。目先の、一時的な利益しか見えていない、山賊同然の存在こそがもっとも御しにくい相手なのである。
 
 
 
 そんなことを考えていたら、朝食の準備が出来たという連絡が来た。
 本来なら各自の部屋で取るところなのだろうが、昨日の事件でいくつかの施設が壊れたとのことで、遺憾ながらホテルのバイキング形式に近い朝食となるとのことだった。
 同じ部屋にいたナデシコ組の面子は、ルリ姫とテンカワアキトを除いてそそくさとそちらに向かっている。どうやら彼ら二人は王家の方と一緒に別室で食事のようだ。
 さて、我々も移動するとしよう。
 
 
 
 
 
 
 
>AKATSUKI
 
 さすがピースランド、一見手抜き風の朝食にも、しっかりとした仕事がなされている。僕は軽めの料理をいくつか皿に取ると、素早く腹の中に押し込んだ。
 繰り返すがさすがはピースランド、転んでもただでは起きない。こうして僕たちを一つの部屋に不自然無く押し込めることにより、この後行われる会談の予備交渉を可能にする場を提供している。現にここそこで、大使たちの話し合いや企業家の売り込み交渉などが行われている。そんな中僕が一番注目しているのは、当然ながら美女の一群……木連代表組だ。見ているだけでも楽しいし、それ以上にその腹の中に何を抱え込んでいるのかを推察するのが楽しい。
 エリナ君とどっちが上かな、とも思う。
 とりあえず彼女たちの様子をさりげなく視界に入れたまま、僕は食後のコーヒーを味わう。彼女たちはこの場においても警戒を怠っていないせいで、まだ全員が食事を終えていない。気の強そうな武人ふうの女性が、舞歌女史にきちんと食事を取れとせっつかれているようだった。どうやら警備に専念しようとしていたところをやり込められたらしい。
 なんにせよ、女性が食事を終える前に割り込むのはルール違反だ。かといってのんびりしていたら他の余計な連中に先を越されかねない。彼女たちは当然のことながらこの場で一番の注目株なのだからね。
 ………………
 …………
 ……
 
 そして僕は、我ながら絶妙と思われるタイミングで彼女たちに声を掛けた。
 
 
 
 
 
 
 
>CHISA
 
 「やあ、おはようございます。麗しいご婦人方」
 軽い、軽薄そのものという声で、その人は話しかけてきました。
 まだ若い、髪の長い男性です。もちろん私にはそれが誰だかすぐ判りました。
 一緒に踊った方を一晩で忘れるような失礼なまねはできません……相手を気に入ったかどうかは別にして。
 けど、昨日も感じましたが同じ長髪でもやはり月臣様とはまるで印象が違いますわね。あの人は『雄々しい』なのに、なぜ大して違いのないはずの髪型が、こちらの方だと『女々しい』になるのでしょうか。
 案の定こういう男の方を毛嫌いしている万葉さんが柳眉を逆立てています。
 でもおそらく、この方のこの軽さは演技……あるいは武器ですわ。昨日踊った私には判ります。外的要因で自分を強く見せられない場合、あえて弱い者の振りをすることによって利を得るのは、古来よりの兵法です。
 相手がこちらを侮れば、それだけで自分が有利になります。敵味方、同盟でも敵対でも関係ありません。
 敵には言うまでもなく、味方であっても、最初に頼りなげな印象を与え、後にそれが見せかけだけであることを判らせるというのは、結構いい手です。特に一過ではなく、末永くつきあおうと考える相手に対しては結構有効だったりします。
 「あなたは……確か、ネルガルの会長殿であったな」
 万葉さんを抑え、舞歌様はやや尊大な口調で言葉を返します。
 「ええ、お見知りおきを。もっとも、あなた方から見れば我々はどちらかというと宿敵かもしれませんが」
 「いや、そのことの是非はさておき、あなたには結果的にとはいえ、我が兄を保護していただいたという恩がある。無下な扱いはできません」
 「いえいえ、それこそ結果論というもの。我々にとっては、彼はクラウドという一参謀でしかなかったのですから、そのことを恩に着てもらう義理などありません。このあと戦いになった時は、遠慮無く命を賭けてぶつかり合いましょう。ま、そうならない方がいいですけれどね。あなた方のような美しい方が戦場に出てきているとなると、銃を撃つ手が鈍りそうです」
 おもしろい言い方をする人ですね、と、私は思いました。
 軽口を叩いているような言葉遣いで、かつ鼻に掛かったような声で。特に最後の一節など、こちらが女の身であることを軽く見たような言い方です。
 しかし私にはそうは聞こえませんでした。
 最後の一節は単なる付け足し、内容ほどの意味は乗せていません。位置は違いますが俳句の枕詞のようなもの。今の彼の言葉は、自分たちは木連の要人を保護した覚えはない、つまりその事実を利用する気も口外する気も無いということ、また戦いになったとしても戦いという枠を越えて卑怯な振る舞いをする気はないということ、そして戦いそのものをネルガルという企業は望んでいないことを端的に伝えています。
 「もっとも、戦いを挑まれている以上は後ろへ引く気はありません。引くに引けない戦いというものもこの世にはありますからね」
 と、彼はそこで舞歌様の手をさりげなく、あくまでさりげなく取りました。
 私はその様子を見ておや、と思いました。舞歌様はその手を振り払おうとしません。確かに彼の動きには功夫を積んだものがありますが、到底舞歌様に及ぶものではありません。すなわち、その気になればふりほどくことも投げ飛ばすことも自在なのです。
 そしてそのことを、手を取った彼も気づいていると思います。わずかに浮かんだ意外そうな表情が、それを証明しています。
 そしてまた一瞬、彼の顔に何かを決意したような表情が浮かびました。
 彼は取った舞歌様の手をぐっと引き、顔面をそれこそ今にも口づけせんが如くまで近づけ、ささやくような、それでいてある程度近くの人には聞こえるような声音で言葉を続けました。
 「できることなら、あなたのことをもっと知りたいものです。さすれば、不毛な戦いなどしなくて済みますしね」
 そして気障ったらしげに片目を閉じます。あ、万葉さん、ぶち切れ直前です。
 ですが舞歌様は少しもあわてず、すっと身を引くと、にやり、と、あのタチの悪い悪戯や企みを思いついたときの笑みを浮かべ、



 すぱああん!



 と、小気味よい音を、彼の頬という楽器を使って打ち鳴らしました。
 
 
 
 「ふん、軟弱な男め、舞歌様に色目を使うなど二百年早いわ!」
 万葉に怒鳴られた彼は、周り中から笑いと蔑みの籠もった目で見られつつ退場していきます。見ていたら秘書と思われる女性からもはり倒されていました。
 私はあらためて舞歌様の方を見て、少しぎょっとしてしまいました。
 先ほどのものより、さらに危険な笑みを浮かべていたのです。
 それは気に入ったおもちゃを、獲物を見つめる目。
 「千紗、あの男、どう見た?」
 視線を合わせずに、舞歌様は私に問いかけてきます。私は少し先ほどの場面を回想しながら、慎重に言葉を返しました。
 「切れますね、それもかなり」
 「合格よ」
 万葉さんがちょっと意外そうに私たちの方を見、その様子を三姫さんが少しあきれた目で見ています。
 京子さん達は訳がわからないっていう感じですけど。
 舞歌様はそんな私たちの方を見渡し、少しため息をついた上で私たちにいいました。
 「確かにあの男は軽そうだけどね、それでもこんな場で堂々と女を口説くほど馬鹿ではないわ。つまりアレは演技。あの男、あの一言で自分の意志と立場と問題点を伝えてきたのよ」
 そう、彼の一言は、ネルガルという大企業の会長という立場から見た、和平における問題点、及び表裏一体の解決策の示唆とでもいうものです。
 我々は木連について何も知らない。そしてそれが知らされなければ和平には至らない。そういう意味に他なりません。
 テンカワアキトの意志、及び彼の立ち位置からして、ネルガルという企業は明らかに和平派のはずです。ですが今の地球の政治状況からすれば、そのような立ち位置を明確に表明するのは、多分時期尚早でしょう。ですから、我々と会話するに当たっても、親密な様子を見せたりするのは得策ではありません。かといって話すらしないのでは和平なぞ成り立つ道理がありません。そんな中で彼が考えたのが、政治的意図とは結びつきにくい、見目麗しい女性を口説く言葉に、本来伝えたい言葉を織り込むという方法だったのだと思います。
 「『あなたのことをもっと知りたい』という言葉の『あなた』は、私の事じゃあないわ。そういえば判るでしょ」
 そう言われてやっと気がついたのでしょう。京子さん達の表情に『納得』という文字が浮かび上がっていました。
 「なるほどね。確かに我々の社会形態や意図、そして表向きの国力くらいは判らないことには迂闊に和平などできないわ。ちょっと考えれば判るようなことを見落としていたとは、我々もまた迂闊と言うことかしら。ついついかつての地球上の紛争と同じように考えてしまっていたけど、地球と木星の間の距離を、きちんと見直すべきね。彼らは何も知らない。知っている人物は、こちらの予想以上に少ないのかもしれないわ」
 私も思わずうなずいていました。この争いが地球上でのことなら、和戦いずれにせよ、お互いのことに対していわば基礎情報とでも言うべき共通認識があります。しかし現在の地球と木連の間にはそれがありません。こちらは偶然密偵のような形となった八雲様のおかげでそれを入手できましたが、地球の側は考えてみれば現在の木連の状態など、ほとんど判っていないのが実情です。ある程度でも判っているのは、かつてこちらからの通信を受け取った一部の地球人と、謎の情報源を持つテンカワ兄妹、及びその周辺くらいかもしれません。
 「でも、そうなると……」
 そこで舞歌様は思案顔になりました。
 「落としどころが難しいわね。過剰に取られれば硬化し、過小に取られればなめられる。さて、どの辺を狙おうかしら」
 過大でも過小でも、和平という道は歩きにくいですからね。







>AKITO
 
 「ごちそうさまでした」
 疲れた。果てしなく疲れた。
 昨夜目覚めた謎の力のせいなのか、肉体的には熟睡した後のように力がみなぎってしょうがないのに、あの戦いの直後より激しい疲労感が今の俺には満ちあふれていた。
 同情と非難と賞賛と獲物を見る目つきを全て複合した視線に晒されれば、多分俺じゃなくてもそうなると思う。
 王と王妃、ルリちゃんと五つ子の弟たちを交えた朝食(第2ラウンド)は、またしても俺のTKO負けであった。
 昨日の行為についてルリちゃんを少しだけ非難しつつ(すでに叱ったことを蒸し返すわけではなかった)、俺に向かって愚痴をこぼす口調で語りかけてきながら、話を合わせた俺に今度はこの子はこういう調子で心配だから、あなたのような方によく見ていて欲しい、とごく当たり前に語りかけてくる。だが迂闊に頷いてはいけない。これは罠だ。うっかり肯定の意を表そうものなら、たちどころに面倒を見る>保護下に置く>結婚という三段コンボが襲ってくる。よってここは頷きつつもルリちゃんの自立性の強さを、心配しつつもほめるという言い方で回避。しかし敵も然る者、いえいえこの子はまだ子供ですと、こちらの保護欲に訴えかけてくる。ここで揚げ足を取ったように子供だから恋愛ごとは早いなどと言おうものなら、当然の如くルリちゃんから否定の意が飛び、そこに王妃様が合わせ技を放ってくるのが見え見えである。
 家族の団らんであるはずの朝の会話は、またもや言葉の格闘技と化してしまう。
 どうにか言質を取られることは免れたが、はっきり言ってこの後の本番より疲れたような気がしてしょうがなかった。
 何とかこの場を辞し、俺に割り当てられている部屋に戻ったときには、まじめな話へたり込みかけた。
 「参ったな……」
 そうつぶやいた俺に、ラピスが話しかけてきた。
 (アキト、どうしたの、なんか元気ないけど)
 (いや、ちょっとね)
 俺は今朝の様子をラピスに見せる。こういう時このリンクは便利だ。百の言葉より雄弁に、そのときの様子が伝わる。
 (うげ……)
 ありがたいな。ちょっときつい意見かもしれないが、こちらに来て感情の発露を覚えたラピスでなかったら、今のやりとりに対して同情の入り交じった反応などしなかっただろう。冷静に分析するか、敵として認識すべきかどうかの確認を求めてくるか、そんなところが関の山だったと思う。
 そんな思いは閾の下に押し込め、とりあえず彼女の意見を聞くことにする。
 (この人、ものすごく頭のいい人だね。自覚しているのかどうかはともかく、会話の組み立て方に隙がない)
 やはりか、と思いつつ、続きを促す。
 (ルリにもそれと認識させずにアキトとの恋愛を肯定どころか推奨してくるなんて、並の話術じゃないと思う。ものすごく切れる交渉術だよね。この人が中に立つんなら、木連との和平も夢じゃないかも)
 それは同感だ。相手になるのはおそらくクラウド……八雲さんぐらいだろうけど、逆に言うと和平交渉となったらきっちりと両者の中間に落としどころを作る人だ。きちんとした情報を持っていれば、狙ったところに相手を引っ張ってくるくらいはやってくれそうである。
 (でもね……まだちょっと早い、って思うよ。この人にきちんと交渉させようと思ったら、手持ちの情報、ほとんど渡さないと逆に足引っ張られそう。特にボソンジャンプのことを隠したままだと、絶対裏目に出ると思う)
 俺はラピスの意見に深く頷いた。これもまた同感だ。
 現在の状況やお互いの発展度その他を勘案すると、木連との和平交渉においての落としどころは火星への入植を認めることにあると思う。元々火星はテラフォーミングがなされているとはいえ、出来る野菜の味とかからも想像がつくとおり、未だ『人が住めるようになった』レベルでしかない。火星への移住も、『都落ち』的なイメージが色濃く残っている。ここに木連の持つ技術と人員が提供されれば、火星の発展段階は間違いなくステージが上がる。木連側は安定した土地と生活を入手でき、地球側も発展した新たな土地を手に入れられる。いわゆるWin−Winの関係を築くことが出来るのだ。
 但し――当然ながらこれは、ボソンジャンプというファクターを無視した場合のものだ。ジャンプそのものはともかく、その管理の要たる遺跡が火星に眠っている今の段階では、迂闊な人物を火星の極冠遺跡に近寄らせるのは問題がありすぎる。地球と木連が、本気で手を取り合ってあれを研究するというのならまだいいが、今の木連がそこまで妥協するとは考えづらい。
 そんなことを考えていたら、ラピスから心配そうな声が届いた。
 (難しい問題だよね、それ)
 (ああ)
 脳裏で明確に返事を意識しながら、俺はもう少し考えてみた。
 
 
 
 
 


>JUN
 
 目が覚めると、いつの間にか翌日になっていた。しかも僕が気絶している間に、テンカワアキト暗殺未遂事件などという、とんでもないことが起きていた。
 よくよく聞いてみると、僕もまたその事件に巻き込まれたことになっていた。至近距離で爆弾が爆発したというのだ。我ながらよく生きていたものだと思ったけど、何でも側にあったベンチが上手い具合にカバーになったらしい。倒れたところがもう少しずれていたら、気絶くらいではすまなかったと、僕を病院に運び込んでくれた捜査員の人が教えてくれた。
 けれど、それらの情報は、全てがある一点を指していることに、僕は気がついてしまった。
 
 爆弾の仕掛けられていた位置。
 僕を(おそらくスタンガンで)気絶させたアヤノさん。
 爆弾の爆発から護られる位置に倒れていた僕。
 
 僕が最後に立っていた位置にそのまま倒れていたとしたら、僕は間違いなく爆発の被害を受けていたはずだ。ヘタをすれば死んでいたかもしれない。
 これらの事実から導き出される結論は一つ。
 
 
 
 (アヤノさん……なぜ)
 
 
 
 事実はともかく、その動機について、僕が知りうることは何もなかった。
 
 
 
 
 
 
 
>AKITO
 
 10時になって、俺たちは王家主催のお茶会に招かれた。
 もちろん、お茶会というのは単なる建前だ。これはもちろん、地球圏と木連、各種団体や政府の代表者が集う会談の場である。お茶会の時間で収まらないようならそのまま昼食会>午後のお茶会とつながる。上手いものだ。実際バレバレであっても、表向きの名目は立ちすぎるくらいに立っている。
 我々ナデシコ組からはオオサキ提督とユリカ、あと俺が『独立艦隊提督関係者』という立場で出席することになる。アカツキとエリナさんはネルガル代表、ほか、クリムゾン、アスカインダストリーなどのメガコーポ代表等の姿が見えている。軍からはガトル大将を初めとする5つの方面軍を代表する人物が顔を出している。ミスマル中将も極東代表だ。そして連合政府より何人かの特使が招かれていた。さすがに表立っての代表までは来ていない。いわゆる外務大臣クラス、連合非加盟の国々との交渉に当たる渉外担当官である。これにくわえて木連組は全員が出席。集まるとなんやかんやで30名近い『お茶会』になっていた。
 
 「皆様、今日は我が娘であるルリ姫のためによくぞ集ってくださった。これからも皆、仲良く暮らしていきたいものです。では、ごゆるりと我が国自慢のティータイムをお楽しみください」
 
 国王の言葉により、言霊戦線の火蓋は切られることになった。
 「仲良く、ですか。まあ、今の地球圏は大量発生した蜥蜴の駆除に大わらわですからな。まあ、何とか一段落ついたものの、未だ予断は許さない状況ですし」
 初弾を打ち込んだのは連合政府の渉外担当。露骨な当てこすりの挑発だが、同時にあからさまな軽口でもある。この程度で腹を立てるようでは、外交交渉など出来るわけもない。
 「全くでしたね。どうやら蜥蜴の出所は私たちの所だったようで、なにやら害虫だけならまだしも益虫まで一緒に食い散らかしてしまったとか。それではお腹立ちもごもっともですわね。もっとも、蜥蜴のやることにまで私たちが責任は持てませんけれども」
 切り返したのは舞歌さん。皮肉に彩られたジャブの応酬である。
 「ですな。全く、あんなところに蜥蜴の発生するような場所があったなんて、こちらは全然気がついていませんでしたよ。判っていたならこんな事でもめることもなかったのですがね」
 ガトル大将が、さりげなくくちばしを差し込んでくる。舞歌さんは嫣然とした笑みを浮かべつつ、
 「あら、おかしいですわね。ちゃんとこちらからはお知らせしたはずですけど」
 「ああ、私が偶然受け取ったので、包み隠さずそちらにはお知らせしたはずですぞ」
 切り返した言葉にロバート・クリムゾンが乗る。俺はその様子を見て、少し意外に思った。
 クリムゾンと木連のつながりを考えれば、彼らのことをロバートが知っていたのは当然である。だが、今彼は『偶然受け取った木連からの通信を包み隠さず連合政府に知らせた』と断言した。この場で彼がそういう以上、おそらくそのことは一点の曇りもない真実であるはずだ。この会談は建前は内輪でも、実質的には明確な公式会談である。そんな場所で迂闊な嘘は百害あって一利無しである。沈黙は金、知られたくないことは黙っているに限る。だとすると……クリムゾンと木連との間の関係を少し見直す必要がある。
 しかも今ロバートは明らかに『怒って』いた。だとすると、彼が連絡を受け取ったその時点においては、ロバートには彼らと癒着して『悪行』を為す理由がない。
 となると、その時点においてはどちらかというとネルガルあたりが悪役だった可能性が高い。そう思ってアカツキの方を視界の端で見ると、案の定苦虫を噛み潰したような顔つきになっている。知らない人間には判らないだろうが、俺やエリナさんには判る。俺もこれはあの復讐行の中で知った事実だ。口元には出ないが、どうしてもまだ目尻に表情が出るのだ。
 「ほう、なぜあなたがそのような通信を?」
 渉外担当官の男は疑問というより好奇心を浮かべて質問で切り返す。ロバートは平然と、
 「我が家にどこからか伝わってきた謎のがらくたが、なんと木連とも通じる通信機でしてね。私がオブジェだと思って磨いていたら突然復活したのですよ。この件に関しては、私は本当に何一つ隠さずに連合政府に報告したはずだ。事が事だけに、マスコミ関連にも知られないように細心の注意を払ってね。その後そちらが何を言って彼らを怒らせたかなど、私には知る余地もない。くだんの通信機も、そちらに提供してしまいましたしね」
 答えると同時に彼を詰問していた。彼らは何も答えられずに押し黙る。
 そこに追い打ちを重ねるように、ロバートは言葉を重ねた。
 「その後のことは、むしろ私が知りたいものだ。何しろそれ以降、一切の問い合わせに、そちらは無視を決め込んでくれたからね。まあ、こうなると私が何を言おうと無駄だろうと、こちらも口をつぐんだがね。だが結果はこれだ。事の責任は、君たち連合政府にある、と私は結論づけなければならなくなるよ、このままでは」
 「まあまあ、ロバートどの」
 オセアニア方面軍代表がロバートを押さえに出た。彼はいわば、クリムゾンと連合政府の間に位置する人物だ。あまり彼に強く出られてもいろいろとまずいのであろう。根っこでは彼に牛耳られているのが見えていたが。
 そのときふと俺の脳裏に、記憶の違和感が走った。俺の知っている歴史では、クリムゾンは「欧州の大コンツェルン」だったはずだ。だがここでのクリムゾンは「オセアニア圏を拠点に急速拡大したメガコーポ」となっている。ハルナから衝撃の事実を告げられた後少しだけ調べてみたが、バリア技術に強いなど表面的にはまるで同じ企業なのだが、実体的には全然別の企業といってもいい。本来俺たちが知っているクリムゾンになるはずだった企業は、このオセアニア発の新興コンツェルンに、遙かに小さいうちに吸収されていた。
 それでいてアクア・クリムゾンは、確かに俺の記憶にある人物と同じ顔をしている。なぜか性格の方は幾分まともだったし、舞踏会の時に見かけた彼女はすっかり影のない美女になっていて内心びっくりしたが。でも、かつての彼女と同一人物であることには間違いない。
 これが歴史の修正力、というやつなのだろうかと、俺は漠然と思ったりしていた。
 俺のような人物が歴史を変える。ハルナやクリムゾンの例を見るまでもなく、それによって歴史は変えることが出来る。変えられる以上、いわゆる『定まった歴史』なんて言うものは存在しないのだろう。なのになぜ歴史は元のように戻ろうとするのだろうか。ちょっと考えてみたい命題であったが、今は場所が悪かった。俺は本来の目的である、会議の方に集中する。
 話題は木連のことに移っていた。
 
 
 




>AKATSUKI
 
 ふう、何とか躱したか。
 先ほどのロバート・クリムゾンからのツッコミを、僕は何とか『それは死んだ父親のやったことで、むしろ今の我々はその尻ぬぐいに動いている』という線に話を持って行くことが出来た。
 言いがかりならともかく、事実なだけに始末に負えない。僕はますます親父殿が嫌いになりそうだった。全く、ネルガルにはこういう『負の遺産』が多い。それはそれで役に立つものなのではあるが、結果はよくても経過がまずすぎる。このむごたらしさは、絶対に『企業の必然』じゃない。親父の性格に、そういう暗い部分があったに違いない、と、僕は思うことにした。
 とにもかくにもやっかいな攻撃を一ついなした僕は、美味であったはずの(少しさめてしまったのだ)紅茶を一口いただいて喉とともに心を静めた。
 場の話題は『木連とは?』ということに移っている。ある意味、今この場にいる木連美女連以外の全員が心の底から知りたい情報だ。
 東舞歌女史は、それらの質問に対し、「軍事機密は割愛しますが」と断った上で、その国力を述べはじめた。
 実際に説明していたのは、昨日一緒に踊った千沙という女性だったけどね。
 答えは少し意外、ある程度は順当、なものだった。
 まずはっきり言って、木連は「小さい」。人口も一千万にも満たない、極めつけの小国だ。これはこちらには予測できていたけれども、政府筋の人間にはものすごく意外なことのようであった。ま、無理もないが。
 地球と月を合わせれば百億が見えている地球圏。それと対抗しうる軍隊を持つ存在が、まさかこれほどの小国だったとは夢にも思っていなかっただろう。だが、忘れてはいけない。そんな小国の軍隊に、我々は押されているのだ、ということを。
 我々が科学技術と軍事戦略の二点で後れをとったが故に。
 そしてそんな僕の考えを肯定するかのような言葉が、僕の耳に入ってきた。
 「今説明したとおり、我らの国は小さい。だが、侮ってもらっては困るぞ。それだけの小国でありながら、少なくとも軍事的に我々はあなた方と互角以上の戦いをしているという点を忘れてもらっては困る。こちらの数の少なさにつけ込み、二百万人殺してもこちらを百万殺せればいずれは自分たちが勝つ、などという下らぬ妄想は抱かないことを切に願う」
 舞歌女史の言葉には、とてつもない重さが籠もっていた。見ると軍の重鎮方は、納得したように頷いている。しかし政府代表は……明らかに人選を間違えたと言うことがよくわかる。彼らが無能だというのではない。能力はある。だが、この場で発言するのには、彼らの役が軽すぎるのである。少なくとも自らが『政府の一員』として、明確な責任を取れる言葉を語れる立場の人間が来るべきであった。彼らがどんな意見を持ち、言葉を放とうにも、彼らの役職にはその言葉に対して付随する責任を取る権限がない。責任を取らないのではない。取りたくても取れないのだ。故に彼らの言葉は軽くなり、政府筋は立場をなくしていく。
 結果彼らは、明確な意見を交わすこともできぬまま、ただのメッセンジャーへと堕ちていった。



 対して軍関係者はきちんと責任のある立場の人間が来ていた。さすがに軍は事態を軽く見たりしていないと言うことだ。ただ、それが仇になった面もあるようだ。木連側が自らの国力を開示したことにより、敵の姿がより明確になった。その上で軍関係者も今後に対する意見を述べていたのだが、いつの間にやら和解か決戦かの意見を戦わせていた。当の木連代表が目の前にいるというのに、だ。和解派はミスマル中将とグラシス中将、決戦派はアメリカとオセアニアの代表だ。アフリカ代表を兼ねているガトル大将は、立場上のこともあるが賢明にも中立を貫いている。
 オオサキ提督も沈黙は金とばかりに口を閉ざしている。と、
 「落ち着かんか、馬鹿者」
 議論が白熱化し掛かったところで、実に巧みにガトル大将が水を差した。
 その言葉に中将達の議論がピタリと止まる。そこを逃さず、
 「木連の方達にはきつい言葉だが」
 舞歌女史達の方を見つめ、彼は語る。
 「この戦争、一朝一夕のうちにやめることは出来まい。だが、少なくとも軍部としては、こちらの方向性で連合政府に働きかけたいと思う。木連に対して、戦時条約の締結を申し入れたい、とな」
 僕は息を呑んだ。テンカワ君も、ピースランド国王夫妻も、ガトル大将の方を注目している。
 これはとんでもなく巨大な果実だ。あくまでも「働きかけ」とはいえ、ガトル大将自身は木連を「国家」として承認したと言うことだからだ。戦時条約は「戦争関係にある国家間における条約」である。誤解されやすいことであるが、「戦争」はあくまでも国家間同士の関係、つまりは「外交関係」の一分野である。往々にして感情的になりすぎ、虐殺などの非道も起こるとはいえ、基本的にはそこにルールがある。人道的な常識のような暗黙の了解的なものもあるが、それとは別に、明確に定義されたものがこの戦時条約だ。これはお互いがルールを定めることによって、双方絶滅するような戦いにならないような「お約束」を決める行為といえる。
 捕虜虐待の禁止によって前線の兵士達は『負けた』と思ったときに降伏できる。攻撃側も適当なところで攻撃の手を控えることが出来る。もしかつての日本軍のように『生きて虜囚の辱めを受けず』なんて調子だと、とにもかくにも敵を全滅させるまで戦いが終わらないし、勝者の側も被害が出すぎて結果割に合わなくなる。敵地を占領して得た利益が遺族年金に全部消えたりしたら本末転倒だしね。戦時条約というのは、こんな調子にお互いの妥協点を明示化したものだ。大抵は民間人への攻撃や大量破壊兵器、環境破壊兵器の禁止が盛り込まれることが多い。これらは被害が大きすぎるという事の他に、戦争関係にない第三国にも影響が出ることが多いからだ。相手の補給拠点になっているからといって後方の街を攻撃したりすると、たまたまそこにいた他国や同盟国の民間人を巻き込んだりする可能性も大きいしね。で、巻き込まれた国が怒って宣戦布告されたりしたらかえって大損になるわけだし。
 それはともかく話を戻すと、少なくともガトル大将は木連を『国家』に値すると認めた。これは木連にとって大きな前進だ。今現在では確定していないが、この事実によって、木連側は連合政府の出方を見ることの出来る羅針盤を手に入れたことになる。これで大将が更迭されるようなことになれば、連合政府は木連を国家とは見なさなかったことになる。逆に彼が軍にいる限り、この戦いは『戦争』になる。戦時条約の締結まで行けば、以後はもう少しまともな戦いになる。結果がどうなるにせよ、『人間同士の戦い』として決着がつくことになるのだ。木連側もたとえ敗北しても一般市民が殺されたりする心配はなくなるとも言える。
 ……あくまでもそうなった場合は、だけどね。
 
 僕はもう少し深い事情を知っている。
 木連がその小勢でこちらを押し切れるかもしれないのは、そこに『プラント』があるからだ。かつての異星人の遺跡。木連に無尽蔵ともいえる兵器を提供してくれるシステム。
 もし連合政府が(そしてその背後にいる『誰か』が)その存在を知り、それを欲したならば、彼らは木連を『国家』として認めようとはしないだろう。木連を国家として認めると言うことは、同時にプラントを木連の所有物として認めることになる。たとえ戦争に勝ったとしても、プラントの接収は明示された国家事業になる。そしてプラントの能力は、推測される範囲だけでも絶大な力をその管理者に与えることになる。
 絶大な権力と財力の源泉となるプラントは、権力欲を持つものを狂わせるには十分すぎる。そしてそれをその手に握るためには、木連が『国家』として認められてしまうことは非常に都合が悪い。
 いや、はっきり言おう。
 プラントを私物化するための必要条件は、『木連市民の全滅』だ。
 木連に所属し、その恩恵にあずかっていた人間は全て排除する必要がある。
 木連全体を国家とは認めず、大規模なテロリストの集団という扱いにすれば、相手を殲滅しても理が通る。テロリストというのは、『対話を拒絶した集団』になるからだ。
 僕の目は、一人の人物に向いていた。
 ロバート・クリムゾン。
 彼が木連に肩入れしていることは知っている。だが、彼の狙いはどちらにあるのか。
 彼は木連に肩入れしている割には、立場がどうも和平否定派に属しているようなのだ。
 そこがどうも納得できない。
 おかげで彼が狙っていることが判らない。
 ボソンジャンプの独占やプラントの占拠を狙うにしては、木連に寄りすぎている。
 木連に対して同胞意識をもつにしては八雲氏の暗殺未遂など不審な行動が多い。彼は暗殺者を送ったのは「地球側」としか言っていないが、クリムゾンが無関係なわけがない。直接にせよ間接にせよ、彼らにその気がなければ成功はおぼつかない。また、クリムゾンにとって八雲氏が有益な存在なのならば、間違いなくガードがついていたはずである。それにそもそも、クリムゾンの手引き無くして地球圏の有力者に八雲氏達が接触できるわけがない。そういったことを勘案すれば、ロバートが八雲氏を煙たがっていたことは明白だ。
だが、彼を排除するのは木連にとって大損害のはずである。この矛盾がどうにも納得できない。
 しかしこれを解き明かすには、僕の手札は少なすぎた。多分、テンカワ君と提督達の持っている、西欧時代の情報をもう少しと、後テンカワ君が未だに隠している『最大の秘密』に関わる札がないと解けないんだろうな、と僕は思っている。
 いずれにせよ、ロバート氏の狙いこそが、この戦いの落としどころを決める大きなポイントの一つになることは間違いない。僕はその点を頭に叩き込んだ。







>SHUN

 さて、ここまで傍観してきたが、どうやらおおむね良識的な方向に話は向かっているようだな。まだよくわからんことも多いし、ボソンジャンプを初めとする異星人テクノロジーの話題が全く出ないのがちょっと気にはなっているが、まあアレはこんな段階で話題にするものじゃないのも確かだから気にしすぎだろう。
 意外だったのはロバート・クリムゾン氏の立ち位置だ。
 もう少し木連におもねった位置にいるのかと思っていたが、あの発言からするとそうは取れない。状況を鑑みる限り彼があの場で嘘を言う可能性はゼロだから、彼と木連のつきあいは偶然開始されたことになる……が、それも納得がいかない。ヤマダの奴はあのそっくりさんとゲキガンガーやミナトさんを通じて友誼を深めることが出来たようだが、アレはあくまでも個人的な感情だ。少なくとも企業体としてクリムゾンが積極的に木連に近づくにしては、動機、情報、いずれにしても偶然の出会いでは希薄すぎる。木連の側だって単なる偶然でテンカワが語るような深い関わりを持つとは考えにくい。言い換えれば、木連側からすれば、クリムゾングループ、あるいはロバート・クリムゾン本人に対して、出会いは偶然であるにせよ、お互いに信頼し、共闘できるだけの保証となる何らかの『パスポート』があったはずだ。そうじゃなければ狂信的な面もある木連が地球側の勢力と手を組むとは考えにくい。
 ……これはむしろ逆に取るべきか。偶然知り合うきっかけになったのは、彼の家に伝わっている謎のオブジェだという。つまりロバートの家系には、『後に木連になる一派』との間に何らかの関わりがあった可能性が強い。月独立派は約100年前、立ち上がるも敗走し、火星に逃げ込んだがそこすら追われて木星まで逃げ延びた。だが彼らはその全員が木連になったわけではない。以前士官学校で月の反乱について学んだが、独立派の中枢になったのは紅屋という財閥企業体で、ネルガルはその末裔に当たっているはずだ。もっともそこには血腥い話があり、当時の若き当主が独立派の首魁となったのに対し、跡継ぎの座をかっさらわれた父親が反発して地球側に通じたのが彼らの敗北の原因だった。父親はそれに乗じ、息子を追い出して紅屋を奪い取った。ネルガルはその末裔なのである。
 そう考えてみると、その紅屋には、独立派と反独立派の二つの派閥があったことになる。で、独立派は敗北して火星に逃げた、というわけだが、ここで一つ疑問が残る。

 独立派は全員が逃げたのだろうか。

 もし俺ならそんなことはしない。少なくとも最高に信頼できる手駒の一枚くらいは地球に残す。出来うることならば相手方の獅子身中の虫となれるような強力な手駒を。
 現実にはそういう存在がいた証拠はない。だが、もしロバートがそういう存在の系譜に連なるものだとすればかなり筋が通る。もっとも、クラウド……八雲氏に対する態度の矛盾は、これだけでは納得のいく解は存在しないが。
 仮説でなら思い当たることもある。優秀な部下は、上司にとって必ずしも歓迎されるものではない、ということだ。木連上層部が、地球との和平など出来るわけがない、と思っていたら彼の暗殺は十分にあり得る。ロバートもそのラインに所属する存在だと言うことだ。だが、これも少しおかしい。和平派の彼をそこまで疎んじるのは、明らかに殲滅派とでも言うべき、地球に対して一切の謝罪を許さず、本気で地球上の人間を全て鏖殺しようと考えるタイプの人間であろう。そういう立場の人間以外にとっては、八雲氏の能力は絶対に生かして使った方が役に立つ。個人的な感情を別にすればそういう結論にならざるを得ない。
 だが、だとするとロバート氏は自分の存在を滅殺する相手と親交していることになってしまう。彼はそんなに愚かではない。それを肯定すると言うことは、彼の築き上げてきた財産その他も全て無に……
 
 
 
 その瞬間、かつて八雲……いや、クラウドとした会話が蘇った。
 
 (誰か、西欧が壊滅的な被害を受けて得をする人がいるんですか? そう言う人物が、意図的に西欧を見殺しにするためにこの人事配置をしたとしか思えませんよ? これ」)
 
 
 
 頭の中に、あまりにも危険な映像が浮かんだ。
 俺はロバート・クリムゾンを、あくまでも『地球の企業人』として捉えていた。そう、あくまでも『利益』のために木連と結んだ人物だと。
 だが、もし。もし、仮に。
 彼の魂がかつての独立派と共にあったとしたら。
 地球における立場に対して、なんの未練もないとしたら。
 俺は思わずロバート氏の方を見つめてしまった。あわてて視線を外したものの、何事かと思われたかもしれない。
 これは押さえておかないといけないかもしれない。
 もし彼が独立派の意志を深く継ぐものだとしたら。
 
 
 
 (地球は……とてつもなく巨大な虫を腹中に飼っているのかもしれない)
 
 
 
 思い過ごしだとは思う。だが、この考えは、どうしても俺の脳裏から去ろうとはしてくれなかった。



その10