食堂でのちょっとした休憩時間。
楽しい時間を過ごした者もいれば、物思いに耽る者もいる。
考える時間、自分を見つめる時間、時間はまだ多くある。
人が一人死んだのだ。
考える時間は足りないかも知れない。
隣人が死んだのだ。
実感がわかないのかも知れない。
そして、それはガイにとって何よりもショックな事だった。
ガイはずっと自室にこもっていた。
ヨウスケと自分がつい昨日まで寝食を共にした自室。そこで、ゲキガンガーを見ていた。色々、ヨウスケに与えてもらった。
ナデシコに来て初めて出来た友人だった。
姿を改造されてしまったゲキガンガーもヨウスケが直してくれた。
ゲキガンガーも一緒に何度も何度も見た。
「ヨウスケ…。お前も見てんのか?」
ゲキガンガーの流れるモニターを見ながら、ガイはポツリと呟く。
隣を見ても、ヨウスケのベットを見てもその姿を見受ける事は出来ない。
納得は出来ない。したくもない。
だが、ヨウスケはもう帰ってはこない。死してしまったのだから。
それは曲げる事の出来ない真実であり、変える事の出来ない過去なのだ。
「なぁ、ガンガー。…正義っていったい何なのか、教えてくれよ」
モニターに映り込むゲキガンガーは何も答えてはくれない。
そこに写し出される出来事から、感じ取り、考えるのは自分自身。
与えられる物ではない、与える物でもない。
何よりも自分で考え、感じ取らねばならない事なのだから…。
機動戦艦ナデシコ
Lone Wolf
第四話:時間…中編
その日の夜、眠れなかったアキトはバイツを誘い部屋を出た。
寝酒でも煽ろうと言う魂胆である。アキトは未成年のため飲酒は法度だが、バイツはそれを咎める事などしない。
「基本的に夜のお誘いは女性からしか受けないんだけどねぇ」
バイツは可笑しそうに喉で笑いながら肩を竦めた。
アキトはそんなバイツを見て悪戯気に笑うと、頭の後ろで手を組み、話しかける。
「例えば、エリちゃんとか?」
「おいおい、ミス・ウエムラがそんな娘に見えるか?」
バイツは、苦笑してアキトに聞き返す。
アキトもそう言われ、苦笑する。とてもそんな女性には見えないからだ。どちらかと言えばまだ友達と遊んでいたい、といった感じの女性に思える。
そうは言ってもアキトと一つしか違わない17歳なのだが、歩んで来た人生の軌跡とでもいえばいいのか、それが決定的に違うだろう。
それなりにアキトは人を見る目があると自負している。だが、未だにバイツの本性が見えない。
昼にバイツと別れ食堂でルリと二人になった時、彼女が遠回しにバイツが不審な行動がとっていると伝えてきた。
その事も眠れなかった要因に入るのだが、やはり大部分は整備士のミカワ・ヨウスケ殺害によって生まれた苛つきだ。
「…やっぱり、これも戦艦なんだよな」
アキトはそう言いながら廊下を歩き、ナデシコを見回した。
民間船であることは間違いないが、それと同時にナデシコは戦艦なのだ。武器も搭載している。戦闘機も搭載している。戦う術を持っているのだ。
軍の戦艦と異なっているのは、クルーが民間人だという事だけだろう。
「何を今更…」
「解ってたけど、それでも、さ」
バイツが呆れたと言わんばかりに肩を竦めるとアキトは小さくため息をついてそれに答えた。
戦艦と名を打っているのだから、ある程度の覚悟はあった。だが、彼はこんな事が起きるなどと思いもしていなかった事だろう。
彼は戦闘要員として雇われたわけではない。整備士として雇われたのだ。整備の最中に事故で怪我を負う事は覚悟していただろう。
だが、あの事件はそうではなかったのだから。
会話をしながら話している内に、食堂に着いたが、誰もいないはずの食堂に明かりが灯っている。
誰だろうとアキトが覗くとホウメイがテーブルについてウィスキーを呑んでいるのが見えた。
ホウメイは、入り口で覗いているアキトに気付き、微笑みかけた。
「やあ、テンカワ。アンタも眠れなかったのかい?」
「アンタもって事は、ホウメイさんも眠れないんですか?」
アキトがそう聞き返すと、ホウメイは苦笑して軽く肩を竦めた。
肯定の意味だろう。アキトは頭を掻くと、ホウメイの目の前の席に座る。バイツもそれに続きアキトの隣に座った。ホウメイはバイツを見ると珍しげに「これは珍妙な客だねぇ」と楽しそうに含み笑いをした。
「アンタは眠れないってタイプじゃなさげだから、テンカワの付き添いかな」
「ご名答。冴えてるな料理長」
そう言ってバイツは笑うと、ホウメイにウィスキーをご馳走になっても良いか、聞いた。それに対してホウメイは笑いながら好きに呑みな、とバイツにボトルを渡す。バイツは礼を言うといったん席を立ち、アキトに「呑むだろ?」と言う。
「おやおや、テンカワは未成年じゃないのかい?…まぁ、良いさね。自棄飲みするんじゃないよ。明日使い物にならないってのは御免だからね」
「こ、心得ておきます」
暫くたってから戻ってきたバイツがアキトの前と自席の前にグラスを置くと、ホウメイがそれにウィスキーを注ぐ。
「…うちの子達も参ってるよ。人が死んじまったから、ね」
注ぎながらホウメイはそう言い、苦笑した。
彼女もあの事件に酷く衝撃を受けた。ヨウスケの事は覚えている。ガイの隣で疲れた苦笑を浮かべながら刺身定食を毎回食べていた青年だった。
自分にとっては大事な客であり、同時に同じ船という家ですんでいる家族でもあった。
「死ぬんだったら、嫌な奴が良かったのにねぇ」
そう言ってホウメイはぐっとウィスキーを煽った。度のきついアルコールが喉を駆け抜け胃に到達すると体が熱くなってくる。こんっとグラスを置くとほぅっとため息をついた。
「無茶な飲み方をするねぇ。料理長」
バイツがそう言って自分自身もウィスキーを口に含む。舌で吟味した後、飲み干し感嘆のため息をついた。
「ほぉ…。これは良い酒だ」
「だろう?20年寝かせてある奴だからね。本当は祝い事で呑みたかったんだけど、ね」
アキトはそんな二人とは対照的に無言で酒をぐっと煽り一気に飲み干して次の酒をグラス注ぐ。バイツはそれを見ると苦笑して小さく肩を竦め二口目を口に含んだ。
「自棄飲みするなって、言ったろ?テンカワ」
「呑まなきゃやってられない、って事だろうさ」
バイツはそう言って懐から煙草を取り出し、ホウメイに「吸っても良いかい?」と聞いた。ホウメイは隣の席にある灰皿をとるとバイツの目の前においた。バイツは礼を言うと火をつけ大きく吸い込んだ。
「ところで料理長」
「その料理長ってのは止してくれないかい。ホウメイで良いよ」
ホウメイがそう言うと、バイツは小さく眉を動かし肩を竦めた。そして「ではそう呼ばせてもらうよ。ミス・ホウメイ。いや、ミス・リュウかな?」と言い少し笑う。
「好きにしな。で、なんだい?」
ホウメイは苦笑して空になった自分とバイツのグラスにウィスキーを注ぐ。ウィスキーを注ぐホウメイにバイツは礼を言うと、話の続きを始めた。
「アキトの仕事ぶりはどうだい?」
「良いね。料理に対して凄く前向きだし、何より美味しい物を作ろうって気持ちがある。
…ま、唯一の欠点と言えば、料理人という職種を完全に理解していないって事かねぇ」
「料理人の理解?」
バイツがそう言うとホウメイは酒を一口含み、頷いた。アキトもウィスキーを煽る事をやめホウメイの次の言葉を待っている。
「テンカワ。アンタは宿題だから…そうだねぇ。アンタは料理人をどう捉えてるんだい?
料理人には確かに技術が必要だ。それも半端じゃない技術がね。
それに味覚。スピーディな動きもしなくちゃいけない。
思ったよりも、ハードな仕事だからね」
「人に、美味しいと思ってもらえる料理を出す。それを食べて満足してもらう。
それが俺の思う料理人です」
「半分、って所だね。朝も言っただろう?料理ってのは腹を満たすためだけにあるんじゃないって」
ホウメイはそう言い、アキトをじっと見つめた。思えばアキトが初めて料理をしたのは、まだ子供の頃で四苦八苦しながら作った事を覚えている。あれは自炊のためで人のために作ったわけではない。初めて他人のために作ったのは、ルリとラピスの為だった。
少しでも美味しい物を、暖かい物を食べてもらいたくて馴れない料理を必死に作ったのを覚えている。自分の料理を食べてくれたルリとラピスが美味しいと言ってくれた時、何とも言えずに涙腺が弛んだ事も覚えている。それ程嬉しかったのだ。
あの時、二人はアキトの料理そのものよりもアキトの好意自体が嬉しかったのだ。
だから、それが何よりもご馳走だった。
「…心、ですか?」
「そう。真心だよ。料理は味だけじゃない。作る側のハートも大切なんだよ」
アキトは「ハート」と呟き、自分の胸に手を当てた。
ホウメイが朝にも言った事だが、腹を満たすだけであるのであれば、ジャンクフードでも一向に構わないのだ。
「テンカワ。アンタは笑顔が良いんだ。その笑顔で料理を作ってみなよ。それこそ”心の笑顔”でね。
…今日の朝みたいに辛気くさい顔じゃ駄目だ。確かにあんな事件があって皆が沈む気持ちはよくわかる。
でも、だからこそ、こんな時だからこそ私達の作る料理で少しでも元気を取り戻して貰いたいじゃないか」
ホウメイはそう言うと、ウィスキーを煽った。飲み終えたグラスをこんっとテーブルに置くと、バイツがボトルを持ち、ホウメイに呑むかと言った感じでボトルを揺らす。ホウメイはそれに対して空いたグラスを揺らすと頬を弛め、肩を竦めた。
「いける口だねぇ。ミス・リュウ」
バイツはそう言って楽しそうに笑った。
そんなバイツをみて、ホウメイはこの男が今回の事件でショックを受けている所を見た事がないな、と思い口が動いた。
「そう言えば、アンタは動じてないね。今回の事にさ」
ホウメイがそう言うと、アキトもそれに続いてバイツを見る。
その疑問はアキト自身の疑問でもある。バイツがショックを受けるとは到底思えないが、それでも死んだ人間は同じ船に乗る仲間だったのだ。
それに、バイツが関与していたかも知れないなどと、信じたくない。
「人の死など、何度も見てきたからな」
バイツは素っ気なく言うと、ウィスキーをくっと飲み干し、短くなった煙草を灰皿でもみ消すと新しい煙草を取り出してくわえた。
「今更、何も思わぬよ」
バイツはそう言うと、煙草に火をつけ苦笑した。
肺に吸い込んだ紫煙を吹き出すと二人を交互に見て「わからん、か」と再び苦笑する。そして、ゆっくりと天井を仰ぎ煙草を吸う。
「…だが、ダイゴウジは酷くショックだろうな」
そんなバイツの台詞を聞いて驚いた表情を浮かべアキトがバイツを見る。
そもそもバイツという男が他人を気にしたりする事自体が珍しい事なのだ。
やはり、バイツが関与したのだろうか?だから、こんな台詞が出たのだろうか?
アキトはバイツを見ながらふとそんな事を思う。バイツの表情からそれをどうか読みとる事は出来ない。
もしかすると、今なら酒の勢いも手伝って多少の本音は出るかも知れない。アキトはそう思って少しカマを掛けてみる。
「バイツの口から他人を気遣う台詞が出るなんて、意外だな」
「大切な者を失った時の痛みは、計り知れんさ」
そう言ってバイツはククッと喉で笑う。そして不意に目線を食堂の入り口に向け、肩を竦める。それにつられてホウメイとアキトが視線を向ければそこには沈んだ雰囲気を纏ったガイが俯いて入ってきている時だった。
「噂をすれば何とやら、か」
バイツはそう言って煙草を吸い、頬を歪めた。
アキトが思ったように、表情からバイツの心情を読む事はおろか、本音が聞ける事すらかなわなかったようだ。俯いて歩いてきたガイに向かってホウメイが話しかける。
「アンタも眠れないのかい?」
「…眠れるわけ、ねぇだろ」