時は少しさかのぼり、ナデシコが地球を出発する約一週間前。
サツキミドリにあるネルガルの施設の一角にエステバリスのライダー達が集められていた。最終的な打ち合わせをしている様子である。
打ち合わせ、とは言っても格闘戦なのだがエステを使わずに肉弾戦で実戦形式の模擬試合を行っている。
それを指揮している男を鬼教官とでも呼べばよいのか、筋骨隆々の男が教鞭を揮っていた。
「昨日今日来た新人に負けるとは、…貴様遊んでるのかッ!?」
教官の怒声が、遂今し方豪快に殴り飛ばされたライダーに向けられていた。
試合の勝者たるその人物は、ふぅっと小さく息を吐くと額に吹き出た汗を手の甲で拭う。彼が教官が言う「昨日今日来た新人」なのだろう。
まだ幼さの残る顔立ちをしている彼は、三日程前にこの施設の前に倒れていたのだ。
行く当てもなく、途方に暮れた彼を雑務用にこの施設で働かせるように取りはからったのは他でもない。この教官だ。
初めは雑務用で雇われた彼だったが、手にIFSと呼ばれるインターフェイスがあった事が判明し、急遽エステバリスライダーとして雇われる事になった。
本人はえらく狼狽したが、教官の鶴の一声とでも言うのか。
それで呆気なく陥落した。
ネルガルの方も、一人でも多くテストパイロットが欲しいのか条件付きで許可を出した。
身元授かり人をその教官[ リカルド・ウォーレン・クロサワ ]にする事と、エステバリスライダーとしての給金は支払うが雑務職の賃金はなしとする事だった。
彼の身元も、DNA鑑定により判明した。
シラナミ イクマ[ 白波 郁馬 ]16歳。火星ユートピアコロニー出身。
偶然か、ナデシコに搭乗する事になっている、艦長ミスマル・ユリカとネルガルが誇る屈指のライダーテンカワ・アキトと同故郷であった。
だが、釈然としない事があった。
サツキミドリに火星からの着艦はない。
ここ何年かの膨大な資料を検索してみても彼がサツキミドリに来たという記録は残っていない。
「次!もたもたするなッ!」
教官、リカルドの怒声が再び響き渡った。
彼イクマは「まだ終わらないのか…」と表情を曇らせた。もうこれで5人目だ。いい加減疲れてくる。
機動戦艦ナデシコ
Lone Wolf
第五話:期待
結局6人目でイクマは良い一撃を腹に浴びせられてしまい、負けてしまった。
かといって、6人目が強かったのかと聞かれたら首を捻る。負けてしまった事には変りはないが、連戦だ。
実力の殆どはそれ以前の戦いで削がれてしまっている。だが、もしもこれが実戦であるのなら死んでいた、と言う事だ。
とは言っても、イクマ自身実戦に出るつもりなど更々ないのだが。
「シラナミよ。貴様、武道の心得があるな?」
自分の模擬戦が終わり、一息つきながら宿舎から持ってきた蜂蜜に漬けたレモンスライスを食べていたイクマにクロサワが話しかけた。
実際、今日がイクマの戦闘を見た初日なのだ。
打撃中心の武道、空手か何かだろうか。それをやっていたと、クロサワは睨んだわけだ。
イクマの方も別段隠す事ではないと思ったわけで、レモンを嚥下させると頷いた。
「家がそう言う家系でしたから、幼い頃から父に手解きを受けていました」
「ふむ…。流派の類としては打撃系格闘技か?」
「そうですね。基本は打撃です。父は、他の格闘技にも通じていたらしく投・極も使っていましたが」
クロサワは、再度「ふむ…」と頷くと、イクマをじっと見ながら言った。
「シラナミよ。貴様の戦い方はスマートすぎる。もっとダーティな戦い方も学んだ方が良い」
クロサワが言おうとしている事は、ルールのある試合ではイクマが十二分にその実力を発揮する事が出来るだろうが、それがルール無用つまりは喧嘩、もしくは極端な例として殺し合い。それだと、イクマに勝機がないと言う事である。
「僕は別に戦うのが好きだからと言う理由で父から手解きを受けてきた訳じゃありません」
多少むっとしながらイクマはそう言った。
スポーツとしての武道は好きだ。汗を流し、ともに試合で切磋琢磨しお互いを高める。
そこにはえも知れぬ高揚感がある。感動もある。
イクマは喧嘩の類は大嫌いだ。喧嘩の為に武道を習う人間など虫唾が走る。
武道は喧嘩の為にあるのではない。己を高め鍛える為にあるのだ。
そう父にも言われたし、自分もそう思っている。
「しかしシラナミよ…」
尚も食い下がるクロサワに閉口しながらイクマは「兎に角、僕は嫌ですよ」と告げた。
少しばかり緊迫したムードのその場所に場違いとも言えるほど明るい声が響いた。
「やっほ〜!あっれぇ?どーしたの?男同士で見つめあっちゃってぇ」
ぷくくっと奇妙な含み笑いをしながら、その声の主はクロサワとイクマを交互に見た。
その声の主は栗毛の女性で、不釣り合いとも言えそうな多少大きめの眼鏡をかけている。
「アマノ。貴様いい加減その笑い方はやめろ」
クロサワがこめかみに青筋を浮かべながらその女性、アマノと呼ばれた女性を見た。
どうも生理的に受け付けないのだ。
別に彼女が嫌いだというわけではないが、あの笑い方だけはどうも苦手だ。
「ヒカル、笑う。ヒー。軽い笑い…ぷっ、ククククク」
フルネームはアマノ・ヒカルと言うようだ。
その隣で、胡散臭そうなどよーんとした空気を纏った女性がくだらないギャグをとばして一人で壺にはまっていた。
「…クッ!貴様等、舐めてるのか」
更にクロサワの不機嫌度が増した。青筋はこめかみに留まらず額にまで走っている。
今にも血管が切れて出血しそうな勢いだ。
思わず「最近の若い奴は…」などと愚痴をこぼしてしまう。
リカルド・ウォーレン・クロサワ43歳。
二児の父である。いずれは我が子もこんな戯けた連中のようになってしまうのかと思うと目頭が熱くなる。
実際こんなになるとは到底思わないが、現にここにそう言う人間が二人もいるのだ。
99%こうなるとは思わない。だが、不幸にも残りの1%を狙ってくるかも知れない。
漫画でもありがちな「99%失敗する場合の残りの1%で必ず成功する」と言うのが相場なのだ。
クロサワ43歳。どうやら漫画が好きなようだ。
「ヒカル。イズミ。やめねぇか。それよか、新入り」
二人の後ろにいたのか、そう言って現れたのは緑色に髪の毛を染めた女性だった。
髪を短くしている所為か、ボーイッシュな印象を受ける。多少つり目の彼女は胸の前で腕を組み、イクマを見下ろした。
「いい加減新入りは止してくださいよ。スバルさん」
僕だって名前あるのに、と心でぼやきながら苦笑混じりにスバルと呼んだ女性に言う。
ちゃんと自分の名前も告げたはずなのに、にもかかわらず彼女は名前で呼んでくれない。
嫌われているのだろうか…。
いや、ただ眼中にないだけなのだろう。それはそれで何だか悲しい気分になったイクマだ。
「リョーコ、シラナミ君に何か用でもあるの?」
「おう。コレよ、コ・レ」
ヒカルに呼ばれたスバル。フルネーム、スバル・リョウコは自分の腕をぽんぽんっと叩きながらにかっと笑った。腕試し、と言う事なのだろう。
初めて見たイクマの戦いぶりにリョウコの血が騒いだと、そう言うわけだ。
「僕、女性と戦う気はないですよ」
イクマはそう言ってリョウコを見上げた。
女性に試合とは言え手を挙げるなど言語道断。そんな事は出来ない。
そうイクマの目は語っていた。
リョウコは暫く考えた後、打開策とでも言わんばかりにぽんっと手鼓を打った。
「エステのシミュレーターなら良いだろ?」
「それなら別に構わないですけど…。僕、重火器の扱い方なんて解りませんよ」
エステのシミュレーターと言われてもピンと来ないが、シミュレーターと言うからには実際に殴り合うという代物ではないだろう。
エステバリス自体はクロサワに見させてもらったが動かした事など一度もない。
IFSがついているからそんなに難しい事はないとクロサワは言ったが、それでも自分はずぶの素人なのだ。
何処まで持ちこたえる事が出来るだろうか、と多少消極的な考えが頭をよぎった。
「かまわねぇよ。オレも殴り合うから気にすんな。どつきあいの方が燃えるしな」
男勝りな女性だな、とイクマは思った。
しかし、肉弾戦と言うのであれば多少の勝機が見え隠れする。
後は戦闘中にどれだけ動く事が出来るかと言う事だろう。いくらIFSで起動するとは言えアレはロボットだ。
複雑な機器が多々取り付けてあるに違いない。まずは動けるかどうかだ。
イクマはそう思いながら立ち上がると、リョウコ達についていった。
「なかなか面白い事になったな」
クロサワはそう呟くと、残されたライダー達に「後は適当にやれ」と告げその後を追った。
良いのだろうか。最終的な打ち合わせ、だと言うのにこんな適当で。
本人曰く、「休憩のつもり」だそうだ。
一同は屋外から暫く歩き、格納庫から少し離れた室内トレーニングルームに到着する。
その片隅に設置されている小型のシェルターのような器具がシミュレーターだ。
「さて、おっぱじめるとすっか!」
そう言ってリョウコは首の骨をならした。
最近、純粋な殴り合いをしていない。来る日も来る日も重火器専門の訓練ばかりで鬱憤が溜まっていた頃だ。
エステでしかもシミュレーターと言う枠限だがそれでも殴り合いの戦いだ。重火器を使って細々戦うより、幾分か良い。
まぁ、重火器を使うと細々とした戦いになるかと言えばそうでもないだろうが、やはり殴り合いの方が良い。
「あの、つかぬ事伺いますが、どうやって使えば良いんですか?…これ」
イクマが指さしたのは今から乗り込もうというシミュレーターだ。
リョウコは一瞬呆気にとられた後、「本当に初めてなんだな…お前」と呆れながら呟いた。
イクマは「だからそう言ったのに」とぼやくと溜息をついた。
マイペースな人間が多いなと思う。
別にマイペースな人間が悪いというわけではないが、多少はこっちの事も汲んでくれても良いものだと再び嘆息する。
「んじゃ、初めは慣らし運転、とでも行こうか?」
リョウコは仏頂面のイクマを見ながら吹き出しそうになるのを押さえ、肩を叩いた。
今時天然記念物のような奴だな、と思った。
こうも感情を隠すのが下手な奴は今まで見た事がない。「全部顔に出てるぞ。お前」と言い出したいのを我慢して、笑いも堪えるのが必死であった。
イクマは益々、仏頂面になる。
だが、ここで愚図っていても仕方がないので言われるがままにシミュレーターに乗り込んだ。思っていたよりも驚くほど簡素な作りだ。
とは言え、何がどうなっているのだか解らない。
さて、如何したものかとイクマが、目の前に存在する機材と睨めっこしながら難しい顔つきになる。
自慢ではないが、機械系統はとことん弱い。一度父のパソコンを触らせてもらい、その日のうちにクラッシュさせてしまった事が思い出される。
その時父が「ハードが跳びやがったぁ!?」と頭を押さえ、愕然としていたが意味がわからない。
パソコンとは飛ぶものなのだろうか?
父は今でも健在だ。今は地球で、世界を旅して回っているだろう。破天荒な父だからして行く先々で女性と関係を結んでいる事だろう。既に他界した母が見たら激怒する事間違いない。そして、父は今の火星の状況を知らないだろう…。
イクマがそんな事を何となしに思っていると、リョウコが不機嫌そうな口調で「何ボーっとしてるんだ?わからねぇなら聞けよ」と頭上から話しかけてきた。
「解らない事だらけですよ」
何と言っても自分はずぶの素人だ。加えて機械系統はとことん駄目である。
そんなイクマを見かねてか、今まで黙っていたクロサワが使用法について簡素に説明する。
基本動作には申し分ない。
イクマはそれを聞きながら機動キーを動かした。
ブゥンっと動作音が聞こえ、内部映像が映し出される。
まずは前進。教えられた通り動くのをイメージする。
それに応えるかのようにシミュレーターも動いた。
成程。確かに複雑な動作はいらないようだ。イクマは感心しながら体を連動させる。
イメージ通りであれば、軽く背伸びをしているはずだ。
「エステで背伸びする奴なんざ、生まれてこの方初めて見たわ」
クロサワが苦笑混じりに外部映像として映し出されているスクリーンを見て漏らした。
何ともシュールな光景だ。機動兵器が間抜けにも背伸びをしている。
「どうだ?新入り。イメージ通りに動くか?」
リョウコがそう言って、イクマに尋ねた。リョウコの方も既にシミュレーターに乗り込んでおりイクマの様子を外部映像で見ている。やはり、エステの背伸びが滑稽なのか苦笑半分と言った感じの表情だ。
「動かないとは言いませんが、難しいですよ」
イメージ通り動くとは言え、これは自分の体ではない。そもそも自分の体を動かす時にイメージなどして動きはしない。自然に行動できるからだ。
どうも、その感覚の違いか戸惑いが出る。
「そうか?他の機械に比べれば随分マシと思うが?」
リョウコがそう言って頭を掻いた。
リョウコが言う事も尤もだ。大抵の細かい作業はいらない。減速も加速も全て自分のイメージで可能なのだ。体を動かす事も自分の思念で連動する。
何が難しいと言うのだろうか。
「思い通りに動かないんですよ。
雑念が入っている所為かも知れませんが、どうも動作が鈍いような…」
イクマはそう言うと、溜息をついた。
だが、これ以上待たせるのを悪いと感じたのか「何とかなります」と言い、ハッチを閉めた。
一も二も、兎に角やってみないうちには解らない。
イクマは閉めきったシミュレーターの中で大きく深呼吸をすると、頬をぱんぱんっと叩いた。
「それじゃ、行こうか!」
リョウコはそう言うと、ハッチを閉めた。
腕が鳴る、とはこの事か。この所自分に追いついてくるようなライダーはいなかった。
今日イクマの戦いを見て、久々に血が滾った。
本当は生身でイクマと試合たかったが、イクマが拒否したから仕方があるまい。
妥協策とは言え、こうして戦えるのだ。文句は言うまい。
試合開始の合図が待ち遠しい。
ウズウズと体が忙しく揺れる。こうしてみると、やはり自分は乱暴者なのかと苦笑するがそれもまた良いかも知れないと思った。女らしくする事が出来るとは思えないし、かといって大人しくしたら非常に疲れる。
そう。
コレが自分らしくなのだ。飾る事などしない。
開幕が待ち遠しい。
その2に続く