機動武闘伝
ナデシコ 

 

 

 

 

 闇の中、風が吹きすさぶ。

 轟々と音を立て、コンクリートのジャングルを駆け抜ける。

 ネオホンコン市街の外れ、廃墟となったビルが立ち並ぶ無人の一角。

 星明かりの元に対峙する二人がいた。

 炎の如く赤いマントを風にはためかせ、同色の長鉢巻を激しく揺らす影。

 新生シャッフル同盟が一、キング・オブ・ハートにしてネオジャパンのナデシコファイター、テンカワ・アキト。

 まとうは純粋の白と空の青。青みのかった黒髪を風になぶらせ悠然と立つ影。

 同じく新生シャッフル同盟が一、ジャック・イン・ダイヤにしてネオフランスのファイター、ミスマル・ユリカ。

 

 

 

「ユリカ! こんな所に呼び出して何の用だ」

「ふふ。明後日のファイトを前に、ご挨拶・・・と言う所かな」

 

 唸り渦巻く風がユリカの髪をなぶり、舞わせる。

 その手には真紅の薔薇が一輪。

 アキトの鉢巻とマントが風にはためく。

 目はユリカを見据えて動かない。

 

「・・デビルホクシンとの戦いよりこの俺との決着をつける方が先と言ったな。その気持ちに変わりはないか!」

「そうだよ。デビルホクシンの事はお父様たちにまかせて、私は全力でアキトと戦う。

 たとえアキトであっても・・ううん、アキトであるからこそ決着はつける!」

 

 

 ユリカの言葉とともに、風が不意に真紅に染まった。

 無数の薔薇の花びらが渦巻く風に乗って舞い踊る。

 その色は全て真紅。

 ユリカの「気」が作り出した真紅の薔薇の嵐がアキトを渦の「目」に幾重にも取り囲んだ。

 

「アキトとの決着をつける為、ギアナ高地で編み出した必殺の奥義!

 これが変幻自在のローゼスハリケーン!

「・・・たかがビット攻撃! 幾ら集まろうと同じ事だっ!」

 

 薔薇の渦に巻かれて動きを鈍らせながらも言いきるアキトに余裕を崩さず

 すっ、とユリカがアキトの体の一点を指差す。

 

「ふふ。それは、アキトの首筋を見てから言って欲しいな」

「!」

 

 瞬間、アキトは戦慄した。

 その左の襟元に、真紅の薔薇が一輪差しの如く突き立っている。

 ユリカの手の薔薇がいつのまにか消えていた。

 

「変幻自在、と言ったでしょう? ・・・狙えば首を貫くのも容易かったよ」

 

 アキトの全身を貫いた戦慄を瞬時に闘志が燃やし尽くす。

 やはりアキトは生まれながらの闘士であった。牙を剥き出しにして餓狼が唸る。

 真紅の薔薇がその襟元から毟り取られ、風に散った。

 

「・・・・・・・・・わざわざ新しい必殺技のお披露目と言うわけか」

「もちろん。正々堂々・・それこそが私の誇りだから。アキト、ファイトを楽しみにしてるよ!」

 

 猛るアキトのその表情を満足げに眺め、ユリカが真紅の風の中に消えた。

 

 

 

 

 

 

「さて皆さん。本日のテンカワ・アキトの対戦相手は今ご覧になった通り・・・・

 ミスマル・ユリカのナデシコローズ。どちらもいずれ劣らず闘志を漲らせています。

 ですが、祖国の栄光の為に戦う騎士には思いも寄らぬ残酷な運命が待ち構えていたのです・・・!

 それでは!

ナデシコファイト・・・

レディィィ!ゴォォォゥッ!」

 

 

 

 

第三十六話

騎士の誇り!

奪われたナデシコローズ

 

 

 

 

 

 ネオフランス国ネオホンコン総領事館。

 大理石の床を鋭く蹴りつけ、ユリカが歩いていた。

 厳しい眼差しを真っ直ぐ前方に投げかけている。

 

 角を曲がって廊下に出てきたイツキルイゼが頬をほころばせてユリカを呼びとめる。

 そしてユリカは・・・・・・・・表情も変えずその横を通り過ぎた。

 しばし呆然とした後、慌てて振りかえったイツキルイゼが声を掛け直そうとした時にも、

 遠ざかったその背中はやはり、問いかけを拒絶していた。

 

 通路の突き当たりの巨大な両開きの扉をノックし、返事を待たずにユリカは室内へ入った。

 下手な小部屋ほどもあろうかと言う面積のマホガニーの机で一人の男が執務を取っている。

 その視線がゆっくりと上がってユリカの視線と正面からぶつかり合う。

 

「何の用かな。貴官を呼んだ覚えはないぞ、ミスマル・ユリカ」

「お聞きしたいことがあってやってまいりました。お父様・・・・・・

 いえ。ネオフランス宇宙軍元帥、ナデシコファイト実行責任者ミスマル・コウイチロウ閣下」

 

 普段はにこやかに会話をかわすこの親子の間に、ぴりぴりとした緊張が走った。

 

 

 

 

 

「アオイ・ジュン・・・一体何があったと言うのですか!?」

「イツキルイゼ様・・・・」

 

 立ち尽くしていたイツキルイゼの横を通り過ぎようとしたジュンの袖をイツキルイゼが捕まえた。

 袖を握り締めたままジュンの目を覗きこむイツキルイゼ。

 数秒間逡巡してジュンが口を開こうとした時、

 分厚い樫のドア越しにもはっきりわかる怒声がその場に轟いた。

 

 

 

「ならん! ネオジャパンと戦う事は断じてならん!」

 

「だから、その理由を伺いたいと申し上げているのです!」

 

 

 決して狭くはないはずのコウイチロウの執務室に二人の怒声が充満し、

 窓や飾り棚のガラス、あろうことか磁器の花瓶や巨大な清朝の壷までがびりびりと震える。

 

 しばしの沈黙が訪れた。

 二人の視線が真っ向からぶつかり合い、息苦しい静けさが部屋に満ちる。

 視線を外さぬまま、先に沈黙を破ったのはコウイチロウだった。

 

「はっきり言おう。私は、貴官がゴッドナデシコに勝てるとは思っていない」

「!!」

「そして今までの結果を見る限り、ゴッドナデシコが勝利した場合

 敗者の機体は重大な破損を蒙る可能性が非常に高い。

 本決勝バトルロイヤルで勝ち抜く為にも、ここでの機体の損害は軽視すべきではない」

 

 破損した頭部の交換のみならず「機体自体の交換」すらも許可されているこの決勝リーグ戦において、

 コウイチロウの述べた「機体の損害」は大した事ではないと思われるかもしれないが・・・・実は違う。

 ナデシコのマンマシンインターフェース、平たく言えば操縦機構はモビルトレースシステム、

 つまり操縦者の動きをダイレクトにマシンに伝える機構である事は既に述べたが、

 実はこの動きの伝達には並行して精神波が使用されている。

 通常の場合は例えば腕の動きと「動かす」という意思の双方をシステムが汲みとってナデシコの腕を動かすが、

 人型から大きく離れたマシンの場合(六本腕のアシュラナデシコ、馬型の風雲再起など)や

 本来人間の身体にはないギミック(ナデシコローズのマントやビット、マックスターのグラブ&装甲など)を

 動かすには主に精神波による思考コントロールに頼ることになる。

 

 この際、装甲などと共に「神経」である伝達系にも使用されるナデシコニウム合金を介し

 操縦者の精神波がナデシコに伝えられるわけだが、

 人間の精神波に反応して様々な反応を起こすナデシコニウムは、

 長らく同一の精神波を受ける事によって、自らをその精神波に対して最適化する性質をもつ。

 つまり、パイロットとナデシコ(正確にはコクピット)が文字通り「馴染む」現象が起きるのだ。

 いわば、コンピューターに蓄積されている戦闘データとはまた別の、「機体の経験値」なのである。

 そして、ディスク一枚でコピーできるコンピューターのデータと違い

 こちらの「経験値」をバックアップする手段は現在にいたっても開発されていない。(注)

 

 注:現在の所、シャイニングナデシコからゴッドナデシコへの「馴染み」の移植が唯一の例ではあるが、

   これはガイ、ハーリー、ウリバタケなどネオジャパンでもごく一部の人間のみしか知り得ない事実である。

   また、当初の構想ではシャイニングのコクピット周りごとゴッドに移植する予定であったようだ。

 

 特に、ナデシコローズの主武器であるローゼスビットはまさしく思考コントロールによって

 動かされる武器であるから、この問題は致命的とすらと言えた。

 例えて言うならば、色々なカスタマイズを施してきたパソコンの設定が初期化されるような物である。

 確かにスペックそのものは変化しないが「使いやすさ」においては雲泥の差が出ることであろう。

 そしてナデシコファイトにおいてその「使いやすさ」の差は、

 ファイター=機体間のタイムラグやローゼスビットの戦闘機動の単調化と言った形で現れる。

 極限を戦うこの決勝大会において、それは間違いなく命取りとなる筈であった。

 

 これまでの所、ゴッドナデシコの決め技である爆熱ゴッドフィンガーを受けたナデシコは

 殆どがその損害故に機体ごと交換する事を強いられている。

 これは、とりもなおさずファイターが馴染んだコクピットを失い、

 初期化されたナデシコでの戦いを強いられる事をも意味した。

 コウイチロウが危惧していたのはまさにその点であったのである。

 

「残念ながら勝利の可能性は低い。

 ならば、無理に勝ち点を得ようとして本決勝の前に深刻なダメージを負うリスクを犯すよりも、

 むしろ本決勝への進出を念頭に置き、そこでの勝負に賭ける方がまだ勝算は高い」

 

 これがコウイチロウの思考であった。

 

 むろん、ユリカとて戦術戦略の天才と呼ばれたのは伊達ではない。

 その程度の事は既に承知している。

 だがそれでも自らのうちに湧き起こる衝動のままにユリカは反論した。

 いや、その衝動がユリカをして反論せしめたのだ。

 

「幸いにも貴官は順調に勝ち星を挙げ、得点を重ねている。

 ここで一戦を棄権し不戦敗を得ても、本決勝への進出は堅い所であろう」

「ですが! 戦わずして敗退するなど国家の恥! ファイターとしての恥辱にほかなりません!」

 

 じろり、とコウイチロウがユリカを睨む。

 その視線にこもった力がユリカのそれ以上の反論を封じた。

 ユリカの記憶にある中でも、コウイチロウがこれほど厳しい目つきをした事はない。

 

「どうしてもと言うのであれば、貴官をナデシコファイターの任から解く」

「!!」

 

 あまりにもはっきりとして、誤解しようもないコウイチロウの宣言。

 ないことに、ユリカが絶句する。その顔が青ざめていた。

 

 

 執務室の外、固唾を飲んで中の様子をうかがっていたジュンとイツキの前で扉が開き、

 無言のまま出てきたユリカが二人に言葉をかける事もなく走り去った。

 わずかに逡巡した後ジュンがユリカの後を追う。

 その後ろ姿を見やり、イツキルイゼは執務室の扉に向けてきっ、と振り向いた。

 

 

 ユリカは領事館の庭、紅い薔薇が咲き乱れる温室に立っていた。

 温室の入り口に、声をかけかねたかの様にジュンが立ち尽くしている。

 

 

 国家のために戦う事。

 主君に、生まれた国に、そしてそこに住まう民草に忠誠を誓い、それらの為に戦う事。

 そは騎士の務め、そは騎士の誉れなり。

 

 騎士が戦うべきいくさは忠誠を誓ったものの為のいくさ。

 主君のために、己の信じる大義のために、あるいはただ一人の女性のために。

 剣を捧げる対象はそれぞれに違えども、捧げた対象の為に戦う事においてその戦いに差はない。

 そして、ミスマル・ユリカが忠誠を誓ったのはネオフランスという国家、そしてそこに住まう全ての人々。

 ならば、戦わぬ事が国家のためになるのなら戦わぬのが道理。

 その筈だった。

 

 だが。

 だが。

 だが!

 

 この胸の中の炎はなんだ。

 己の内で咆え猛る獣はなんだ。

 戦いが決まった時に感じていた身震いするほどの高揚感はなんだ?

 この筆舌に尽くしがたいほどの無念は、口惜しさは一体なんなのだ! 

 

 ユリカにはわからなかった。

 

 慟哭する。

 ユリカの声にならぬ、してはならぬ思いを、迸る叫びに乗せて慟哭する。

 

 渦巻く。

 ユリカの思いを代弁するが如く、大気が渦を巻いて唸る。 

 

 血を吐く叫び、と言う。

 血の色を交えたが如く、ユリカの叫びを乗せた風が温室の薔薇を吹き散らして自らを真紅に染めた。

 

 

「あれを見ても・・・・あれを聞いても何も感じないというのですか!

 答えなさい! ミスマルコウイチロウ!

 

 窓の外、真紅の嵐が吹き荒れる温室を指してイツキルイゼが叫ぶ。

 イツキルイゼお付きの女官が怯えたように一歩下がったほどの一喝。

 だが、その王女として育まれた生来の威厳を乗せた、叩き付けるようなイツキの激昂にも、

 コウイチロウは荒波を跳ね返す巌の如くその髭の一本すら動かさなかった。

 そう、顔の筋一つ、髭の一本たりとも動かしはしなかった。

 

 

 温室を吹き荒れていた嵐が唐突にやんだ。

 我に返ったジュンが声をかける暇もなく、再びユリカが駆け出す。

 ジュンの錯覚かもしれなかったが、その頬には涙の筋が付いている様にも思えた。

 ユリカが自分に与えられた部屋に駆け込み、ドアを閉める。

 次の瞬間、中から堰を切ったようなユリカの泣き声が上がり、同時に甲高い破砕音が響いた。

 

 2mほどもある姿見が叩きつけられた拳に抗し切れず、彫刻を施された枠を残して粉々に砕ける。

 その枠も一瞬後に横薙ぎに払われた手によって真っ二つにへし折れた。

 サイドテーブルが叩き割られ、羽根布団が引き裂かれる。

 力一杯叩かれた壁にひびが入り、壁紙が破片と一緒にバラバラと落ちる。

 既にロココ調の椅子も書き物机も叩き壊され、クローゼットや飾り棚は投げ飛ばされて真っ二つに折れ、

 豪奢な天蓋付きのベッドは横腹を蹴り飛ばされた弾みで足と背骨がへし折れて

 その上に乗っていた布団と一緒に部屋の隅でこんもりとした残骸になっていた。

 お茶を楽しんだテーブルは蹴り飛ばされて壁に叩きつけられ、真中からあっさりと割れる。

 年代ものの鳩時計は文字通り木端微塵になって床の上に積もる木屑となった。

 泣き喚くユリカが駄々っ子の様に手足を振りまわすたび、何かしら調度品が砕けて木端微塵になった。

 身も世もなく、ただただ悲しく。

 ユリカは泣いていた。

 涙と鼻水で顔はぐしょぐしょになり、白い手も傷だらけになったが気にもならなかった。

 壊せる物は壊し尽した後部屋の真中でしばし呆然と佇み、

 そして部屋の隅のソファの残骸に顔を埋めて思い出した様にまた泣き始めた。

 ジュンが恐る恐る入ってきて何か言っていたようだったが、ユリカにはどうでも良かった。

 しばらくしてジュンがそっと立ち去るまで、そして立ち去ってからもずっと、ユリカは泣き続けた。

 

 

 

 

 ネオフランス棄権。

 その報せがアキトの元へもたらされたのはユリカがコウイチロウに直談判してから一時間後、

 おりしもアキトが対ローゼスハリケーンの為の特訓を重ねていたその時であった。

 

「棄権とはどういう事だっ!」

 

 アキトの剣幕に、上機嫌だったエリナの顔から一瞬にして血の気が失せた。

 まさか、ここまで激しい反応を示すとは思っていなかったらしい。

 

「答えろエリナ! ユリカが何故ファイトを棄権しなくちゃならない!?」

「わ・・・・私に聞かれたってわからないわよ!

 あちらが国家の意思として戦わないと言ってる以上、こっちにはどうしようもないんだから!」

「・・・・・くそっ!」

 

 一言叫んで、アキトは叩き付けるように通信を切った。

 今頃通信の向こうではエリナ委員長がさぞかし憮然とした顔でいることだろう。

 無論、彼女のせいであるわけがない。また、彼女の立場からすれば不戦勝を喜ぶのが当然でもある。

 だがわかってはいても、この怒りが収まるわけではない。 

 エリナも災難であった・・・本当に災難なのは苛立ったエリナの矢面に立たされるハーリーなのだが

 この際それは忘れることにする。

 

 視線を感じてアキトが振りかえった。

 ガイと、特訓に付合ってくれていたメティとが物問いたげな、やや心配するような目でアキトを見ている。

 深呼吸をして心を落ちつかせた後、アキトは装える限りの平静を保って特訓の中止を告げた。

 

 

 

 

 どれだけ泣いていたろうか。

 不意に、ユリカは自分の後ろに誰かが立っていることに気がついた。

 それも殺気に近いレベルの怒気をまとっている。

 そんな人間が近づくことも察知できなかったなんて、よほどに自分は弛緩していたのかなと、

 ぼんやりとした頭の片隅でユリカは思った。

 

「まぁ、なんてみっともない」

 

 その怒気に相応しく、容赦のかけらもない声が浴びせられる。

 ユリカがひっく、と驚いたようにしゃくりあげ、ぐしゃぐしゃになった顔を上げて

 倣然と立つ女性・・・・カグヤ・オニキリマルを見上げた。

 

「本当に無様ですわね。これが仮にも一国を代表するナデシコファイターの姿かしら?

 ましてや誇り高き我がネオフランス代表の姿とは天地が引っくり返っても信じられません・・

 いえ、信じたくありません!」

「まったく、なんてみっともないんでしょう!

 名門ミスマル家の長女、ネオフランスに忠節を誓った騎士ともあろう者が

 たかがファイトを一つ棄権することになったぐらいでめそめそと!

 ああ、ミスマル家のご先祖様方も我が家の栄光ここに終われり、

 家門の名誉泥濘にまみれたりとさぞやお嘆きの事でしょう」

「でも、不思議ですわね。

 何かの間違いがあったとしても、仮にもユリカさんは自らの手で騎士の位を勝ち取った女性。

 それほどの方が何ゆえファイトの棄権ひとつでそこまでの醜態を晒すのでしょう?」

「我が国の名誉とか、そんなもののためではありませんわね。

 もしそうであれば、あなたが泣き叫ぶほどに取り乱す筈はありませんわ」

「・・・・・・」

「では、あなたがそんなに取り乱すのは一体何故?

 ミスマル・ユリカともあろうファイターをそこまで高ぶらせる思いとは一体なんなのかしら?」

「カグヤ・・・ちゃん?」

「自分の胸に手を当ててよく考えてごらんなさい。

 あなたは何をしたいのか。なにをしなくてはならないのか」

 

 きびすを返して立ち去ろうとしたカグヤがドアノブに手を掛けて思い出した様に振り向いた。

 

「そうそう、これからどうするかは存じませんが、少なくともこれ以上無様な姿は晒して欲しくないですわね。

 今のあなたとライバルだなどと言われては、私恥ずかしさの余り死んでしまいたくなりそうですわ!」

 

 叫ぶと同時にばたん、と強く叩き付けるようにドアを閉じる。

 その拍子にぱりん、と何かが割れる音がした様にユリカには思えた。

 心を覆っていた激情が嘘の様に雲散霧消し、目の前の壁が崩れたかの様に進むべき道がはっきりと見える。

 今までの痴態が嘘であったかのように、静かにユリカが立ちあがった。

 懐から出したハンカチで顔を拭い、ぐしょぐしょになったハンカチを投げ捨てて乱れた着衣を整える。

 その表情にも双眸にも、先程までの乱れは最早なかった。

 ユリカの居室の扉が、再び内側から開く。

 意志の光を目に宿し、確固たる足取りでユリカは歩き始める。

 

 廊下の片隅からその後ろ姿を見送っていたカグヤの目には

 このうえなく満足げな、そして一方でどこか寂しげな表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・飯が不味いな」

 

 むっつりと、どこか虚脱した表情でアキトが粥の椀を置く。

 いつもの半分ほども食が進んでいない。

 ダッシュのジャンクの、ここ数週間で馴染みになったアキト達の夕餉の風景である。

 雪崩れこんできていたメティが辛そうに目を伏せ、好物のおかずを取合っていたブロスとディアは

 タイミングを図った様に同時にきょとん、とした表情を浮かべた。

 

「え〜? 美味しいじゃん」

「大体、今日のごはん作ったのアキト兄だよ?」

「ブロス、ディア。アキトさんは料理が不味いといってるんじゃないんですよ。

 心ここにあらざれば食らえどもその味を知らず、といいましてね・・・」

「くさくさしてる時は何食っても美味く思えねぇのさ」

 

 と、ダッシュのセリフを奪ったガイはアキトとは逆にいつもの倍近くを胃袋に放り込んでいる。

 アキトは勿論だがネオフランスの試合放棄はこの男にも割り切れないものを抱かせているらしかった。

 顔を見合わせるディアとブロス。黙々と食いつづけるガイ。メティは目を伏せたままだ。

 椀を置いたままのアキトが一つ溜息をついた時、部屋の入り口にかかっているすだれが持ち上げられた。

 

「それでは、お食事を美味しくするとびっきりのニュースを教えて差し上げましょうか?」

「・・・・今食事中だぞカグヤ嬢ちゃん」

 

 無論ガイの言うことなど気にも止めず、いきなり現れたカグヤは当然の如くアキトの横に腰掛ける。

 不機嫌なメティの視線など意にも介さず、微妙な距離を保ってアキトに寄り添うカグヤ。

 

「ふふ。お知りになりたくはありませんか、アキト様?」

「・・・・カグヤちゃん。今の俺は最悪の気分なんだ。手短に頼むよ」

「なら、それを吹き飛ばして差し上げますわ」

 

 ちらりと視線を向けただけでまたぼんやりと粥の椀を眺めるアキトにも

 一向に気分を害した様子もなく、悪戯っぽくカグヤが笑う。

 その笑みにきな臭いものを感じたか、粥を掻き込んでいたガイの目が胡乱げに細められた。

 

「先ほどネオフランスのナデシコ格納庫が襲われ、ナデシコローズが強奪されました。

 犯人はミスマル・ユリカと言う説が有力ですわね」

 

 その重大な事実は、まるで今日の天気の事のようにさらりとカグヤの唇から滑りでた。

 一瞬のタイムラグをおき、カグヤの言葉を理解したアキトの目が大きく見開かれる。

 その口から驚きの声が上がる前に、ガイの胴間声がさして広くもないジャンクの一室に響いた。

 

「おい! よりによってナデシコ強奪だぁ? 国家反逆罪ものじゃねえのかそりゃ!」

「無論、そうでしょうね」

 

 これまたさらりと、自分の国の一大事にしては余りにも他人事じみたカグヤの物言い。

 ようやく合点がいった、と言う顔で眉を動かしガイが斜めにカグヤを見る。

 

「・・・・焚き付けたな、嬢ちゃん」

「あら、私は腑抜けきっていたユリカさんに活を入れて差し上げただけですわ」

「そういうのを普通『焚き付けた』って言わないか?」

「私はああしろこうしろとは一言も言ってませんもの。

 だからユリカさんがなにを考えてどう行動するのかは全て彼女のこと。

 それにいちいち責任を取れといわれても困るんですけど?」

「・・・・・・・ケッ」

 

 苦笑いを浮かべてガイが話題を打ち切った。

 所詮男は口で女には勝てない。

 

「それより、また客のようだな」

 

 無言のまま、しかし微かに笑みを浮かべてカグヤとガイのやりとりを聞いていたアキトがぼそっと呟く。

 言われて気配を感じたらしいメティが誰だろう、というように首を傾げ、カグヤが再び悪戯っぽく笑う。

 肩をそびやかしたイツキルイゼがジュンを引きつれて

 鼻息も荒くダッシュのジャンクに押し入ってきたのは十数秒ほどしてからだった。

 何故かその後にユキナとチハヤの姿も見える。

 すだれを押し開けるなり、アキトを問い詰めようと口を開きかけたイツキルイゼのその目が、

 目標の横にいる人物を捉えてぱちくり、と瞬きする。

 

「テンカワアキト! あなたに・・・え。カグヤ先輩?」

「あら、お久しゅうございますイツキルイゼ様。モンセール伯爵のパーティ以来でしたか?」

 

 カグヤが立ち上がって優雅に礼をする。それに反射的に礼を返そうとして、

 当初の目的を思い出したイツキルイゼが矛先をカグヤに変えた。

 あの、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、カグヤがイツキルイゼの詰問をやんわりと受け流す。

 

 ユリカと違い、カグヤとイツキルイゼの関係は単に仲のいい先輩後輩であるし、

 あれで恐ろしく頭の回転の速いユリカに比べれば

 猪突猛進のみのイツキルイゼなどは赤子のようにあしらいやすい。

 熟練のマタドールのようにひらりひらりとイツキの角を躱すカグヤを他所に、

 いつのまにかアキトの隣まで来ていたジュンが口を開いた。

 

「テンカワ。折り入って内密に相談したい事があるんだ。実は、ユリカが・・・」

「知ってるよ。カグヤちゃんから聞いた」

「知っててよくそんなに落ちついてられるな!?」

「心配する理由がとりあえずないんでね」

 

 薄く笑いつついかにも心配するほどの事ではない、と言うように平然と言うアキト。

 そして、その態度に怒りの声を上げたのはジュンではなく、その横にいた少女であった。

 

「見そこなったわよテンカワアキト!」

 

 それこそユリカばりの大声が室内に響き、何人かが顔をしかめた。

 イツキルイゼまでもが思わずカグヤへの追求を中断する。

 

「性格は悪いし女にもだらしないけど友誼には厚い奴だと思っていたのに!

 仮にもお友達が大ピンチだって言うのにその平然とした態度は一体なんなのよ!?」

 

 ユキナの激昂にも動じず、無言のままアキトがすっ、と立ち上がる。

 いきなり立ち上がったアキトに威圧感を感じたのか、ユキナがびくり、と口を閉ざして後ずさった。

 カグヤに突っかかっていたイツキルイゼ、ガイやメティを含めて

 部屋の中にいる全員の視線がアキトに集まる。

 

 どこか悠々とした歩みでアキトがジュンとユキナの間をすり抜け、アキトが部屋を出た。

 そのまま船尾に出たアキトの後を、何かに突き動かされてイツキまでもが追う。

 

「ほら、出てこいよユリカ」

 

 何人かがギョッとしたように身を固くした。

 船尾の手すりに身を持たせかけ、暗い海面に向かってアキトが呼びかけた次の瞬間。

 星を映して波打つ黒い水面がざわめき、次の瞬間鋼鉄の巨人が海水を押しのけて姿を現した。

 

「来客の多い日ですねぇ」

 

 只一人、部屋の中に残って粥の残りを片付けながらのんびりとダッシュが笑っている。

 

 

 

 ジャンクの甲板よりやや上に位置するコクピットのハッチが軽い圧搾音を立てて開いた。

 正装のマントを翻し、ユリカが開いたハッチの上に立つ。

 そう、正装である。純白の装束に同色のハーフマントをまとい、

 儀礼用の装飾を施したレイピアを吊るしている。

 ただ、本来そこにあるべき階級章と徽章は全て取り払われていた。

 それを除けば一分の隙もない、純白のネオフランス宇宙軍士官礼装。

 白装束の如きそれはそのままユリカの覚悟を示す物であった。

 

「ユリカ! 今ならまだ間に合う、ナデシコローズを返却して・・・」

「駄目だよジュン君。それはできない」

 

 真っ先に口を開いたジュンの言葉を静かに、だがきっぱりとユリカが否定する。

 なおも言い募ろうとするジュンを制してカグヤが口を開いた。

 

「わからないの、アオイジュン? だからあなたはユリカさんに及ばないのよ」

「っ! わからない訳・・・わからない訳がないでしょうっ!」

「・・・・・・・・そうね、ごめんなさい。

 でも、あなたが考える彼女の幸せと、彼女自身にとっての幸せは必ずしもイコールではないわ。

 やりたい事をやってから死ぬのと、やりたい事もやれずに只長く生きるのとどちらが幸せかしら?

 あなたは、そこを理解してあげるべきよ」

 

 ぎりぎり、とジュンの奥歯が鳴る。

 カグヤを睨みつける目には、うっすらとではあるが涙すら浮かんでいた。

 それだってわかってはいるのだ。わかってはいる。ただ自分を納得させられないだけなのだ。

 カグヤもそれはわかっている。だから、それ以上は何も言わない。

 

 それまで黙ってカグヤを睨みつけていたユキナが

 ジュンの気持ちを代弁するかのようにカグヤに食ってかかろうとした。

 寸前、一歩引いた位置でジュンを見ていたチハヤがそれを押しとどめる。

 振りかえって自分を睨みつけるユキナに、黙って首を振る事で答えるチハヤ。

 その沈痛な表情に何故かユキナは、かつてチハヤもまたファイターであったことを思い出した。

 

 

 ジュン君の気持ちをどうにかしてあげたい。

 でも自分には何もできない。

 チハヤ姉にもどうも出来ないみたいだ。

 

 ユキナの唇が悔しさと無力感に震える。

 こんな時、彼女なら、ミスマルユリカならどうにかできるのだろうか?

 あるいはあの男、テンカワアキトなら。

 どうにかできるのだろうか?

 

 ユキナは歯噛みしたい思いだった。

 

 

 

 

 ユリカの手が胸の前に持ち上げられた。

 ごくごく自然な動きで左手から抜き取られた手袋が、アキトに向かって鋭く投げ付けられる。

 反射的に動いたアキトの手がそれを空中で掴み取った。

 

「テンカワアキト! 私ミスマルユリカはあなたに一対一の決闘を申し込みます!」

「理由は?」

「ありません!」

 

 快刀乱麻を断つが如く、アキトの問いを一言のもとに切り捨てる。

 僅かな笑みがアキトの顔に浮かび、カグヤの目が同種の感情を含んで細められた。

 

 

 常に彼にまとわりついて来たユリカ。

 アキトを好きだと公言して憚らず、アキトを追いかけまわしてきたユリカ。

 おちゃらけてるくせに空気を吸うより自然に名誉と誇りを守り、義務と責任を果たすユリカ。

 名門の家柄に、偉大な父親の影に、束縛の鎖を感じてそこから抜け出そうとしていたユリカ。

 国家と国民への忠誠を自らに誓い、常にそれに忠実であったユリカ。

 だが、今目の前にいる女性にアキトの知るユリカの面影はない。

 地位も、家柄も、義務も、国家への忠誠も、全ての虚飾を自らかなぐり捨てた一個の戦士。

 戦士としての己を貫く、恋する自分をすら一時のあいだ忘れ去った誇り高き騎士、自由なる一振りの剣。

 ファイター、ミスマル・ユリカ。

 相手にとって、不足なし。

 

 アキトの戦士としての本能が、ごく自然にそれを認識した。

 

 

「決闘の作法にのっとり、時と場所はこちらで決定します。

 時刻は明日の夜明け! 場所は郊外、ライオンロックパーク跡!

 そして、挑戦された側であるあなたには、決闘に用いる武器を選択する権利があります」

「武器なら決まっている・・・・ナデシコだ!」

「よろしい。では当方の武器はナデシコローズ! 其方の武器はゴッドナデシコ!

 明日の夜明け、ライオンロックパーク跡にて待っています」

 

 アキトが頷き、ユリカが頷き返す。

 挑戦はなされたのだ。

 

「ユリカ先輩!」

 

 悲痛とすら響くイツキルイゼの声が投げかけられた。

 再びナデシコローズに乗りこもうとしていたユリカが無言のまま振り向く。

 

「・・・・・・・・・・・ご・・・御武運を・・・」

 

 しばらくためらった後、震える唇でそれだけを言ってイツキルイゼは泣き崩れた。

 返事こそ返さなかったが、ユリカがにっこりと笑ってそれに答える。

 いい笑顔だった。

 

 

 掴み取ったままのユリカの手袋を握り締めて戦いの高揚に身を震わせるアキト、

 なんとも言えない表情で大きく息をつくカグヤ、無言のままくちびるを引き結ぶガイ、

 堅く握った拳を震わせるジュン、その腕に手を添えるユキナとチハヤ、

 心の力が尽きたかのように泣きじゃくるイツキルイゼ。

 それぞれの思いを乗せた視線を受けながら、ナデシコローズはユリカを乗せて再び海中に没した。

 

 

 

 

 曙光の照らす砂利道を一台の高級車が疾駆する。

 その周りを囲むのはネオフランスの最新型モビルスーツ「ダンテス」四機。

 イツキルイゼとコウイチロウの護衛としてコロニーより随伴してきた、

 事実上ネオホンコンにおけるネオフランス軍の全戦力である。

(当然ながら、ネオホンコンに他国の軍が駐留する事は認められていない。

 護衛MSは幾つかの大国の国家元首クラスにのみ許された特権であった)

 

「ええい・・・・もっと急げ! なんとしてでもネオジャパンとのファイトを止めるのだ!」

 

 後部座席からの、無言ならぬ大音量のプレッシャーに恐れをなしたか、運転手が更にスピードを上げる。

 舗装どころか碌に整地もされていない道路をアクセル踏みっぱなしで走る危険など、

 今のコウイチロウの頭の中では何ほどのこともないらしい。

 事故の恐怖とコウイチロウの板ばさみになった運転手こそ災難であった。

 

 彼にとっては幸いというべきか、取り返しのつかない事故を起こす前にこのドライブは終わりを告げた。

 彼らの目の前に一体の巨人・・・・ノーベルナデシコが立ちはだかったのだ。

 咄嗟に運転手が車を横滑りさせながら急停車させる。

 コウイチロウが、ノーベルナデシコのコックピットと通信が繋がると同時に怒鳴り付けた。

 

「そこをどきたまえ! 私は急いでいるのだ!」

「どかないよ。この勝負・・・たとえ誰であっても邪魔はさせない!」

「これはネオフランス国の問題だ! 他国のファイターが邪魔をするな!」

「違うよ小父さん。これは国の問題じゃないの。

 ファイター同士の問題なんだからファイターじゃない人こそ口出ししないで!

 手を出すのはもっと駄目だからね!」

「だがミスマルユリカが使っているのはわが国のナデシコなのだぞ!

 いくらファイターとは言え、国家の財産であるナデシコを勝手に持ち出していいものか!」

「そんなの、そんなファイターを選んだ方が悪いのよ!」

「む・・・無茶苦茶を言うなぁっ!」

「無茶苦茶でもなんでも、ここは通さないよ!」

「こ、この・・・・ネオフランスとネオスウェーデンの間の国際問題になってもいいというのかっ!?」

「え〜とねぇ、メティ子供だから難しい事はわかんないの」

 

 激しい口論から一転、にっこりといかにも無邪気な笑みを浮かべてメティが言い放ち、

 ごついがどちらかと言えば色白なコウイチロウの顔に太い血管が浮き出る。

 

 様々な出来事が一瞬の内に起こった。

 四体の「ダンテス」がバーニアを吹かし、完璧な連携で空中から一斉射撃を浴びせようとする。

 メティの操るノーベルナデシコの両手にビームで出来たフラフープとリボンが魔法の様に出現し、

 次の瞬間ノーベルナデシコはジャンプした四体のMSの中央を翔け抜けながら

 綺麗なトリプル・アクセルを舞う。

 そしてメティが完璧な三回転を決めて着地した時、既に勝負はついていた。

 コクピットを巧妙に外したメティの一撃により、あるいは肩から上を切り飛ばされ、あるいは両足を失い、

 あるいは胴体を三等分されて四体の「ダンテス」は悉くその戦闘力を喪失した。

 

「言ったでしょ? 手を出しちゃ駄目だって」

 

 こんどはにやり、と舞歌を彷彿させる笑みを浮かべてメティがうそぶく。

 ・・・・・・ミリアかナオあたりが見ていたら冷や汗を流したかもしれない。

 メティス=テア10歳。成長期であった。

 

 

 

 

 

 時間は少し戻る。

 まだ日は昇っていない。東の空が明るんだように見えなくもない払暁と言うにもまだ早い時刻。

 山の中に開けた草原。

 かつてライオンロックパークと呼ばれた自然公園の跡地で

 ゴッドナデシコとナデシコローズは対峙していた。

 双方共にその視線は微動だにせず、宙で火花を散らしている。

 ガイ、カグヤ、ジュン、チハヤ、ユキナ、そしてイツキルイゼが六人六様の表情を浮かべて

 100mほど離れた草原に立っていた。

 

 本来、100mどころか1kmであっても、バリアを介さずにナデシコファイトを観戦するには安全とは言えない。

 何しろ戦うのは人間の十倍の身長、数千倍の体重を持つ鋼鉄の巨人である。

 彼らにしてみれば引っかき傷にすらならないような流れ弾でさえ、

 生身の人間がまともに当たれば致命傷をあっさりと通り越して

 数十リットルの「血しぶきのような物」になることは言うまでもない。

 そんな場所にネオフランスの次期王位継承者であるイツキルイゼを連れてくる事は無論、論外の筈である。

 だが、ジュンやガイは勿論カグヤですら止めたその無謀を、イツキルイゼは今実行に移していた。

 ナデシコファイターの地位のみならず、今まで築き上げてきた実績、名門の家柄、名誉、

 それどころか命さえ失う事を覚悟の上の決闘。

 ユリカはまさしく己の全てを掛けてこの戦いに臨んでいる。

 ならば、イツキルイゼはそれを見届けないわけにはいかないのであった。

 

 

 決闘の開始は夜明け、太陽が水平線から離れた時。

 

 

 対峙する闘士の瞳は、ひた、と未だに互いを見据えて動かない。

 東の空が、漆黒から紺色に変わった。

 それはゆるやかに紺色から深紫へ、そしてとび色へと移って行く。

 そしてそれが薔薇色へと変わった時、太陽の最初の輝きが世界を貫いた。

 曙光がそのボディを照らすのと同時。

 ゴッドナデシコとナデシコローズがはじめて動いた。

 流れるような動作で同時に腰の剣を抜き、構え、再び静止する。

 顔の横に柄を握り、切先は天高く八双に構えるゴッドナデシコ。

 ナデシコローズは作法に習って顔の前に刀身を立て、ビームの刃ごしに敵手を見据える。

 

 ゆらり、と陽炎の中にその姿を歪ませながら東の海から太陽がその姿を次第次第に現してゆく。

 日輪が半ばを海の上に見せた時、ナデシコローズが立てていた剣を払った。

 そのまま、今度は剣を突き出して構える。

 

 太陽はゆっくりと、だが確実に昇る。

 そして、名残を惜しむかのように繋がっていたその下端と水平線が、ついにぷっつりと切れた。

 ナデシコファイト・スタンバイ。

 

 

「レディ!」

「ゴォォォォォォォォッッッ!」

 

 

 

 斬撃と刺突とが、朝焼けの中で交錯する。

 神速の踏みこみから鋭いファーント(突き)を繰り出すユリカ。

 対するアキトは一歩を踏み出したのみで真っ直ぐに刀身を振り下ろす。

 だが、違和感があった。ナデシコローズのボディを狙って繰り出されたにしては明らかに間合いが遠い。

 それに気がついた瞬間、ユリカが咄嗟に右腕の力を抜く。

 直後、自らの剣に襲いかかってきた重圧を辛うじてユリカが受け流す。

 アキトの一撃はユリカそのものではなく、その剣、ないし腕を狙った物だったのである。

 

 叩きつけるような一撃を辛うじて受け流しはしたものの、攻撃の出花をくじかれた・・・・

 かに見えたナデシコローズの、その姿が一瞬前後にぶれ、二体に増えた。

 少なくとも、息を詰めてこの戦いを見ていたイツキルイゼの目にはそう見えた。

 アキトの剣と撃ち合った瞬間、ユリカは先ほどの踏みこみに等しい速度で後方にステップしたのである。

 そしてバックステップした足が地面についた瞬間、壁に当たったボールが跳ね返るように再び踏みこむ。

 イツキルイゼの目はその動きを追い切れず、ゴッドの剣を受けた瞬間のナデシコローズと

 後方にステップしたナデシコローズの姿を同時に捉えていたのであった。

 

 恐らく、ガイやジュン、あるいは元ファイターであるチハヤですら確かには見切っていないだろう。

 剣術においてユリカのライバルであるカグヤの目で辛うじて捉えられた代物である。

 事実ユリカが再び踏み出した時、まだアキトの剣は振り下ろされきっていない。

 それほどの、神速であった。

 踏みこみからの、突き。

 今度はかがみこんだ姿勢からアキトが剣を跳ね上げる。

 その切り上げの剣が辛うじてユリカの突きを逸らした瞬間、両者は今度は同時に後方に跳んでいた。

 

 

 アキトが出た。剣を脇に構えて刺突の構え。

 瞬時に防御の構えを取り、カウンターのリポスト(突き返し)を狙うユリカ。

 ぐん、とアキトの体が沈んだ。

 刀は返され、地面すれすれの下から切り上げる態勢である。

 この態勢からの切り上げにはフェンシング流の突き返しは対応できない。

 例えユリカが間合いを開けようとしても、次の踏みこみで存分に斬る自信がアキトにはある。

 だがアキトの予想とは裏腹に、次の瞬間両者は密着していた。

 かがんだアキトに覆い被さるような形でユリカが踏みこんできたのだ。

 ゼロ距離からの鋭い刺突がアキトの顔面を狙って繰り出される。

 密着してはなたれた銃弾にも等しいそれを首をひねって躱しつつ、再びアキトが切り上げる。

 アキトの斬撃はナデシコローズのマントをかすめ。

 ユリカの刺突はゴッドナデシコの首筋を薄く削ぐにとどまった。

 

 

 あらためてアキトは実感する。今までのユリカと今日のユリカとは別人であると。

 「覚悟」が違った。そしてその覚悟が生み出したのはあくなき勝利への執念。

 その覚悟と執念が半歩深い踏みこみを、半拍速い突きを、そして剣に篭る熾烈な闘志を生み出す。

 そして、三度剣が閃いた。

 

 

 

 まばたきをするのも忘れ、この稀有なファイトを凝視していたジュンたちの後ろで草を踏みしだく音が聞こえた。

 端のジュンが振りかえり、低い声を洩らす。

 緊張を破られた時特有のあの弾けるような反応を示し、何人かが振りかえった。

 カグヤとイツキルイゼはファイトから目を離していなかったが。

 

 コウイチロウがそこにいた。走ってきたらしくやや呼吸が荒い。

 傍らには何故かメティがいた。

 こちらは息も乱していないが、ガイ達の視線に少々ばつの悪そうな顔をしている。

 

「・・・・やっぱりいらっしゃいましたわね、ミスマルの小父様」

 

 カグヤがぼそり、と呟いたのを打ち消すように、コウイチロウの大声があたりに響いた。

 

「ユリカ! ファイトを止めるんだ! お前を失うわけにはゆかん!」

「その命令・・・・お聞きいたしかねますお父様!

 この戦いはネオフランスではなく私だけの物・・・・

 例え罪に問われようとも決着がつくまで引きはしません!」

「なっ!」

 

 今度はコウイチロウが絶句する番だった。

 今彼の娘は確かに「国家反逆罪に問われようとも自分のやりたいことをやる」と宣言したのだから。

 だが、こうなったら梃子でも動くまい、というのをさすがに父親だけあって知っている。

 咄嗟に戦術を切り替え今度はアキトに呼びかける。

 

「ア・・・アキト君! この戦い、君にとっても意味のあるものではないはず!

 頼む! 手を引いてくれ!」

「悪いけど・・・・俺も今更引く訳には行かないんだ!

 それにこの戦い意味があるかないかは、俺達だけが決める!

 そう、他の誰にも決めさせはしない!」

 

 なおも言い募ろうとしたコウイチロウの前にイツキルイゼが立った。

 無言のまま立つその表情には、今やコウイチロウを沈黙させるだけの何かが現れていた。

 しばし黙り込んだ後、コウイチロウの方から口を開く。

 

「この戦いの結果がどうであれ、あれの将来にいい影響は与えないでしょう。

 それでも戦わせて欲しいとおっしゃるのですか」

「はい」

「その結果、国家反逆罪に問われてもですか」

「はい」

「その結果、命を落とすことになってもですか」

「はい!」

 

 涙をぼろぼろこぼしながらイツキルイゼが気丈に言い切る。

 その瞬間、コウイチロウは自分の敗北を悟った。

 無言のままきびすを返し、ジュンの横に並ぶように立つ。

 

「・・・・閣下」

「ジュンよ。おまえともあろう者が何故止めてはくれなかった?」

 

 視線はファイトから離さぬまま、静かながらも厳しい声でコウイチロウが問う。

 それに答えるジュンの声は自分でも驚くほどに落ちついていた。

 

「もとより覚悟は出来ております」

「私は何故、と尋ねた筈だが」

「・・・」

「言えない、と言うのか?」

「・・・・・・・ご覧になればおわかりになろうかと存じます」

「そうか」

 

 言葉少なにそう答え、再びコウイチロウは眼前の戦いに神経を集中させた。

 

 

「メティちゃん、どうして足止めしておいてくれなかったんだい?」

「うん・・・・小父さんがね、『自分の娘が危ないというのにじっとしてられるか』って言ったもんだから・・・・」

「・・・・・そうかぁ、それじゃぁ仕方ないな」

「御免ね」

「・・・ま、いいさ。結果オーライだ」

 

 

 フェンシングと日本剣術。

 異種格闘戦として考えれば決して互いに噛み合うスタイルではない。

 だが、今アキトの剣とユリカの剣はまさしく旋律を奏でるが如く、

 時には激しく、時には小刻みに、そして時には交差して、絶え間なく打ち合い無数の火花を散らしていた。

 

 やはりアキトの刀術とユリカの剣術は互角。

 またもや間合いを取ったユリカが笑みを洩らす。

 

 無論、そうでなくてはならない。

 自分の全てを叩きつけずに勝てるような相手との戦いに何の満足があるか。

 フェンシングとは剣と剣による対話であるという。

 深く激しく語り合う事によって満足が得られるのもまた同じ。

 そう、自分との会話にとことんまで付合ってくれるアキトによって、ユリカは今この上ない充実を覚えていた。

 ならば最高最大の技を持って応えるのが剣の礼。

 ユリカの双眸がギラリと強く、激しく光った。

 

 

 

 

BURNING!