機動武闘伝
ナデシコ

 

 

 

 

 

 

「さて皆様。このナデシコファイト決勝大会もようやく中盤に入り、

各国とも相手のつぶしあいに必死になってまいりました。そして本日のメインエベントは、

お馴染みネオアメリカのナデシコマックスター対ネオデンマークのマーメイドナデシコ。

ですが闘いのさなかヤガミ・ナオは、運命の女神の紡ぎ出す赤い糸のほつれに胸躍らせる事となるのです。

そう、さながら本当の人魚と出会ったかのように・・・。

 

それでは!

ナデシコファイト・・・

レディィィ!ゴォォォゥ!」

 

 

 

第二十九話

「試合放棄!?

恋にドキドキ、ヤガミ・ナオ」

 

 

 

 

 

コーナーポストとロープの代りに廃墟と化したビルを配し、マットの代りに瓦礫を敷き詰めたリング。

鋼鉄の巨人のためにしつらえられた瓦礫の闘技場・・・クイーンズロードイーストリングで今、

二体のナデシコが相対していた。

片や半人半牛、牛頭のボディに頭と手足を生やしたような、

豪快なパワーと精妙な剣技を併せ持つネオスペイン代表マタドールナデシコ。

片や伝説に出てくる魚人(オアンネス)の如く魚の体に手足を生やし、下顎に顔をつけたような、

パワーとスピードには一歩譲るものの技と試合巧者振りでそれを補う、

ネオデンマーク代表マーメイドナデシコ。

 

右手のビーム・フェンシングサーベルと、攻防一体の武器である左手のビームケープを駆使するマタドール。

対してマーメイドナデシコは陽光にきらめく三又の矛を両手で構えている。

ファイト開始後に数合打ち合った後、今は互いにゆっくりと回って隙を窺っていた。

 

歓声やヤジの飛び交う試合場の中、勝負に、あるいは賭けに熱狂する観客達の中に混じって、

双方の一挙一動を冷静に見つめる二対の目があった。

「しっかり見ておけよ。」

「ああ、わかってるよ、カズシさん。」

敵情視察に来たナオ達である。

反対側ではゴートが同じように試合の映像を記録している筈だった。

粗末な観客席にだらしなく座りポップコーンを頬張るナオの、だがその目は鋭い。

ふとその視線が背後の気配に向けられた。

「おや、ナオさん達も来てたんですか。」

ほぼ同時に気配に気がつき、アキトが会釈しガイが軽く手を上げる。

「よ、アキト、ガイ。偵察かい?」

「ええ。敵を知り己を知らば百戦するとも危うからず、って言うでしょ。」

「なんだそりゃ?」

「舞歌さんの国の古い言葉ですよ。彼我の戦力を正しく把握しなければ勝てないって意味です。」

「お二人さんよ、お喋りもいいが試合は大詰めだぜ。」

雑談を交わす二人をカズシの声が振り向かせる。

 

マタドールナデシコの左手のビームケープが殆どその全身を覆うほどに巨大化していた。

左半身になって体の前に大きく左手をかざし、その影に引いた右手は刺突の構え。

突進してきた敵を左手の赤いビームケープで包み、動きを封じる。

そして右手のビームサーベルでカウンターの一突き。

こう言ってしまえば至極単純な技ながら、予選では十体以上のナデシコがこの技の前に散った。

女性ながら「史上最強のマタドール」と呼ばれたファイター、

御剣万葉の決め技にしてマタドールナデシコの決め技・・・

「出たぞ。レッドフラッグ・カモンだ!」

「むう・・・何度見ても凄い必殺技だぜ・・・!」

ガイの言葉通り、単純な技ながらこれを破るのはなまなかな事ではない。

この体勢のとき、相手から見るとビームケープはマタドールナデシコの首から下をほぼ隠してしまっている。

つまり、この時ケープは攻撃を逸らし、受け止め、更に相手のボディに巻きつけて動きを封じる他に

刺突の軌道を隠す働きもするのである。

ここで相手が動かなければ間合いを詰め、裏側からケープを突き破って剣が繰り出される。

これまた見切るのは至難の技であろう。

「どう出る、マーメイド・・・?」

しばし睨み合う両雄。

先に動いたのはマーメイドナデシコだった。

素早い踏みこみから、一直線に鋭い突きを繰り出す。

万葉の目が光った。

穂先がビームケープによって絡めとられ、力の方向を逸らされた矛が大地に突き刺さる。

(!?)

だが万葉が勝利を確信して繰り出した突きは何もない空間をすり抜けた。

驚愕がその体を走るのと同時に、マタドールナデシコのボディに電磁ネットが覆い被さり動きを封じる。

アキトが呟く。

「さすがだ・・・決まったな。」

マーメイドナデシコは攻撃の為に矛を繰り出したのではなかった。

それは最初から絡めとられるのを前提として繰り出されわざと地面に突き立てられた。

つまりマーメイドナデシコは棒高跳びの要領でマタドールナデシコの上を飛び越したのである。

同時に繰り出した電磁ネットがマタドールナデシコの動きを封じる。

着地と同時に繰り出したマーメイドナデシコの一撃が、その首を宙に舞わせた。

とどめを加えられたマタドールの胴体の黒い牛が一声高く、長くいななき、次の瞬間どうと倒れた。

 

「さすが決勝大会まで残っただけあっていい動きをする・・・。」

カズシが感心したように呟く。

「いや。上手くカバーしてはいるが・・もう限界だろう。」

カズシと、ガイとが怪訝な顔になる。アキトが言葉を続けた。

「無駄のない動きで機体に極力負担を掛けないように戦っている。

とは言え恐らくは機体にかなりがたが来ている。・・・持って一試合かもしれん。」

「じゃあ、マックスターとのファイトには・・」

「文字通り決死の覚悟で挑んでくるって事だな。」

カズシが厳しい顔になる。

「油断するんじゃないぞ、ナオ。」

「ああ、わかってるさ。」

ナオも軽く答えながら、目だけは鋭くマーメイドナデシコを見ていた。

 

「さて・・・と。」

ナオ達と別れ、ガイを先に返してアキトは地下の選手控え室を訪れた。

ソファや簡易ベッドなどの完備された広い部屋。恐らく続き部屋なのだろう、奥にもドアがある。

アキトの足音を聞きつけたのか、その奥のドアが開いて細く引き締まった体つきの中年男が顔を覗かせた。

短いボサボサの頭、細身の顔に同じくやや細めの目。顎にはまばらな不精髭を生やしている。

いぶかしげにアキトを見ていたその表情が数秒後、鮮やかに変化し破顔一笑した。

「・・・アキト!テンカワアキトかお前!」

「お久しぶりです、サイゾウさん。」

アキトが珍しく微笑して挨拶した、この一見冴えない中年男こそ、

マーメイドナデシコのファイター雪谷サイゾウであった。

元格闘家であると同時に一流の料理人であるこの男はアキトの師東方不敗マスターホウメイの友人であり、

アキトがホウメイに弟子入りしたばかりの頃、しばらく預けられて料理のイロハを教わった存在である。

ホウメイを別にすればアキトが師匠と呼びうる唯一の人間だった。

「しかし、サイゾウさんがナデシコファイターになっていたなんて驚きましたよ。

昔お世話になっていた時は『俺はもう一生飯屋の主人で食ってくんだ』ってのが

サイゾウさんの口癖だったじゃないですか。」

「まあ、世のしがらみって奴さ。」

苦笑するサイゾウ。アキトには心なしかその笑みに自嘲の影があるようにも見えた。

気がつかないふりをして話題を変える。

「店の方はたたんでしまったんですか?」

「いや、一時休業さ。娘に任せようかとも思ったんだがな、やっぱ十年はええよ。」

「・・・娘さんなんかいましたっけ?」

アキトの記憶にある限り、サイゾウは一人暮しのはずだった。

「いいや。お前と別れた後にな、ダチの娘を引き取ったのさ。・・・そういや丁度お前と同じくらいだな。

まあ、そこそこ美人で気立てもいいんだが口煩いのが玉に傷でなあ。あれじゃ嫁の貰い手がありゃしねえ。」

「とか言って、男を連れてきたら厳しく品定めするんでしょう。」

「ッたりめえよ。そうでなきゃ死んだダチ公に顔向けが出来ねえじゃねえか。」

ひとしきり笑った後、サイゾウがアキトの胸を突つく。

「それにしてもお前、全勝宣言たぁ吹いたな。しかも今の所はまだ無傷じゃねえか。」

「そう言うサイゾウさんも調子いいじゃないですか?」

「ああ。手前で言うのもなんだが結構頑張っていると思うぜ。」

「ですが、マーメイドナデシコは・・・。」

「ああ。もう限界だ。持って一試合だろうな。」

奇しくも先ほどのアキトと同じセリフをサイゾウが口にする。

複雑な思いで口を開きかけたアキトをサイゾウが制した。

「貧乏なのさ、うちの国はな。だからナデシコファイターの養成だって出来なくて、

こんなロートルが出てくる羽目になるって訳だ。」

「サイゾウさん・・・」

「ま、泣いても笑っても後一試合、ってんなら逆に気が楽になるってもんだ。せいぜいいいファイトをしてやるさ。

・・・ま、俺もお馬鹿なファイターだったって事かな。」

「結局、ナデシコファイターなんて馬鹿ばっかりなんでしょう。」

「け。それを言っちゃあ、おしめえよ。・・・っと、ところでお前なんか隠し事をしてねえか?」

ん?とサイゾウが片目だけを細めてにやりと笑う。

相変わらずのサイゾウの勘のよさに、アキトは苦笑しながら両手を上げた。

「ばれましたか。」

「馬ぁ鹿。伊達に年は食ってねえよ。」

「実はナデシコマックスターのファイターと顔見知りで、ついさっきも顔を会わせていたところなんです。」

「ヤガミ・ナオだったか・・・強えのか?」

「ええ。」

「俺の機体のことには気がついてるのかね?」

「はい。」

「そりゃ楽しみなこった。」

ニヤリ、と不敵に笑った後、ふと言葉を切ってサイゾウがアキトの目を覗きこむ。

戸惑うアキトにぽつり、とサイゾウが呟いた。

「おめえも弱くなったな。」

「は?・・・まだ未熟、と言う事ですか?」

「違う違う。良い意味で弱くなったな、って言ってんのさ。」

「どう言う事です?」

「昔のおめえは・・・なんつーか、何事も力づくで片付けようとしてたろ?

今のおめえからはそう言う力んだ所が感じられねえ。押すべき所は押し、引くべき所は引く。

それがようやくわかったようだなッて言ってんのサ。・・・なに冷や汗かいてやがる。」

「は・・・ははははは。」

アキトが答える前に突然、SPが控え室になだれ込んで来た。

素早く散開し、手に持った銃をアキトにポイントする。

「そこまでだ!不法侵入者め!」

怪訝な顔つきになった後、ジト目でアキトを睨むサイゾウ。

「・・・おい、アキトよ。そう言えばおめえどうやって入ってきた?入り口には見張りが居た筈だよな?」

冷や汗を掻いたアキトが答える前にSPの指揮官らしき男が銃口をアキトに向けながら答える。

「その男は入り口のSPを気絶させ、力づくで侵入したのです!」

「・・・・・。前言撤回だ。ちっとも成長しねえな、おめえはよ!」

「雪谷殿。その男とお知り合いなのですか?」

「まあな。」

戸惑いながらもサイゾウに確認する指揮官に、

苦虫を二、三匹まとめて噛み潰したような顔のサイゾウが短く答えた。

「ですが、その男はネオジャパンのナデシコファイター・・・」

「それも知ってるよ。けど安心しな。そういう事を考えつけるほど、この男は頭が良くねえ。」

褒められてるのか、けなされてるのか。いや、けなされているのは間違いなかろう。

とは言えアキトにできるのは引き攣った笑みを浮かべる事くらいである。

要するに、明鏡止水の心などと言っても、良くも悪くもアキトはアキトのままなのであった。

 

SP達が退出しドアを閉めた途端、ぽかり、と景気のいい音を立ててサイゾウの拳骨がアキトの頭に落っこちた。

「このアホンダラ!どこの世界に門番を殴り倒す客がいる!まずは取次ぎを頼むのが筋ってもんだろうが!」

「いきなり痛いじゃないですか!それにあれは態度が悪かったから・・」

「あン?アキトてめえ、まさか口答えできる立場だと思ってんじゃあねえだろうなぁ?」

「あ痛たたた!判りました、私が悪うございました!」

ほぼ十年ぶりにこめかみに食い込むサイゾウの拳に、アキトが悲鳴を上げる。

笑いながらぐりぐりと拳を押しつけるそのこめかみに青筋が走っていた。

「ん〜?本気で悪かったと思ってんのか、こら。」

「はい、思ってます、思ってますから勘弁してください!」

素人目にはただ拳を押し付けているように見えるが、サイゾウのそれは異常な程によく効く。

曰く、硬そうに見える骨にも継ぎ目があり、筋がある。

骨によらず物の筋目を見極める事ができれば斬るのも割るのも砕くのも自由自在、

金槌で薪を割ることも出来ればアイスピックの一撃で十貫(約40kg)の氷を粉々にする事もできる、

と言うのが魚のさばき方と卵の割り方をアキトに教えた時のサイゾウのセリフであった。

そしてそれは人体が相手でも同じなのである。

一度これに捕えられれば、アキトの頭蓋骨ですらもタマゴの殻同然であった。

それからもしばらくの間、サイゾウの拳はアキトの頭蓋骨を圧迫し続けた。

最後のほうはさしものアキトが半泣きになっていたのは言うまでもない。

 

 

一方ナオである。

カズシ達を先に帰したあと、こちらは下町で思う存分買い食いの喜びを堪能していた。

変装のつもりか古ぼけたサングラスをかけている。

(当然ながらファイトの時は掛けていないので変装になると思っているらしい)

あちらの屋台で怪しげな煮込み料理を食べ、こちらの露店で粥を一椀。

一見グロテスクな何かの肉の串焼きが意外に美味かったり、

殆ど無色透明な汁が異常なほどにコクがあったりする。

舌と鼻を存分に楽しませながらナオは師匠と世界中を旅した頃の事を思い出していた。

あの頃は(今もだが)新しい土地土地のものを買い食いするのが何よりの楽しみだった。

「なんじゃい、ここの料理はぁ!?」

大きめの肉饅頭を齧りながら次を物色していた時、

だみ声と共に陶器の割れる音とくぐもった悲鳴がナオの耳に飛び込んできた。

「ワシらにこないなモン食わせて、どないするつもりじゃいオッサン、ああ?」

料理屋の主人らしい、地べたに尻餅をついた老人を「いかにも」な感じの三人組が取り囲み、

竹箸の先っぽでつまんだ芋虫(まだもぞもぞ動いている)をその鼻先に付きつけている。

「・・・今時よくあんなクラシックな手使うな〜。」

感心半分呆れ半分でナオが溜息をつく。

まあ放っておくわけにもいくまいと、ナオが饅頭の残りを口に放りこみ、飲み下す。

そのままヤクザ者どもの方に一歩踏み出そうとした時、凛として響いた声がその足を止めた。

「言いがかりはおよしなさい!あなた達がポケットから虫を出す所、見てたわよ!」

栗色の後ろに流した長い髪。影を帯びた藍色の瞳。飾り気のない白のワンピースがよく似合う。

二十前後であろうか、優しげな整った顔立ちに今は義憤を浮かべていた。

「何やとォ!?」

「ああン、ナンや嬢チャン?」

「可愛い顔してエエ度胸やんけ、コラァ!」

この職業の人間なら標準装備であろうと思われる「カタギ威嚇用表情」を作りゴロツキが振り向く。

だが、威圧感を垂れ流す三人に取り囲まれながら、その女性は気丈にもそれに耐えた。

「もっぺん言うてみい!」

女性が怯えない事に苛立ったのだろう、ゴロツキの中でも体格の良い男が胸倉を掴もうと腕を伸ばす。

いつのまにか横から伸びてきたナオの手がそれを空中で止め、そのまま後ろ手にひねりあげた。

「あ痛ででででぇっ!」

情けない悲鳴を上げるゴロツキ。

残りの二人が血相を変え、余りといえば余りの展開に女性は目をぱちくりさせる。

「何やオンドレェッ!」

「俺かい?そうだな・・・悪を許せぬ渡り鳥、ってとこさ。生憎ギターは家に忘れてきたがね。」

昔見た映画の主人公そっくりの口調で決めてからニヤリ、と笑うナオ。

腕を後ろ手にねじり上げられたゴロツキの額には脂汗が浮かんでいる。

「関係ない奴ァすっ込んでろい!」

「ニイチャン、女の前だからってエエかっこすると痛い目見るでぇ?」

あくまでもマニュアルに忠実なゴロツキの言葉に再びナオが・・今度は苦笑・・唇を歪める。

「うむうむ、自分達の演じる役割をわきまえているようで大変結構。

ただこう言う場合、三下は喧嘩を吹っかけてみっともなくのされた後、

最後には『覚えてやがれ』と言って逃げていかなきゃいけないって、法律で決まってるだろ?

ここは手間を省こうじゃないか。それに、せっかくそちらのお姉さんをお茶にでも誘おうと思ったのに、

目の前で暴力を振るっちまっちゃあ嫌われないとも限らないしな。これでも俺は平和主義者なんだ。」

「なめおってからに!」

「歌わせたるわ!」

 

 

「さてお嬢さん、お怪我はありませんでしたか?」

ナオが思いっきり気取った声で(舞歌辺りなら吹き出しているだろう)女性に話しかける。

その背後。

「ワ、ワシらやられるシーンも描写してもらえんのね・・・」

最後の力を振り絞ってそれだけを言い残し、ゴロツキの中でも兄貴分らしい男が動かなくなった。

まあ、別に死んだわけではない。ちなみに他の二人は既に沈黙している。

戸惑っていた女性が何か言おうとした時、ナオの表情が急変した。

「あ、あの?」

再び戸惑いを見せる女性が何か言い掛けるのにも構わず、

ナオが振り返り、電光の早さで懐のワルサーPPKを抜いた。

死んだ振りをしていたチンピラの一人が頭の山高帽に手を掛けたままの姿勢で凍りつく。

山高帽の縁に金属の光沢がある。刃物を仕込んであるらしい。

ナオのPPKの銃口はチンピラの眉間を完全に捉えていた。

「さて、そちらが武器を出すならこっちも出さざるを得なくなるが・・それでいいかな?」

チンピラの額に冷汗が滲む。

くるっ、と向き直って逃げ出した兄貴分を追って他の二人も走り出した。

それでもしっかりと捨て台詞を残していくあたりは流石と評すべきだろうか。

「今日はこれくらいでカンベンしといたるわ!」

「覚えとけよ!ワシら、執念深いさかいな!」

「月夜の晩ばかりやないでェッ!」

ナオが眉をしかめてこめかみを揉みほぐした。PPKはいつのまにかホルスターに収まっている。

「・・・・最後まで基本に忠実なやつらだったな。

っと、いけねえいけねえ。お嬢さん、大丈夫かい?ついでにオッサンも。」

振りかえるナオに笑みを浮かべて礼を言いかけた時、店の主らしき老人が急に体を折って苦しみ始めた。

「お爺さん!?大丈夫ですか!」

「うぐぐぐ・・じ・・・持病の癪が!これでは店が・・」

しばらくその顔を見ていた女性が、やがて決意に満ちた顔で頷く。

「わかりました!ここは、私に任せてください!」

 

 

「アンちゃん、紹興酒と梅!」

「うお〜い、さっき頼んだ鶏粥まだかい?」

「はいはい、ただいま!・・・・なんでこうなるんだろうな・・・。」

エプロンをつけたナオがぼやきながらテーブルの上の皿を片付けている。

驚いた事にあの女性は中国料理の達人、とは行かないまでもかなりの腕の持ち主だった。

品書きにある料理の殆どのレシピを身につけているらしく、

材料と器具を確かめただけでエプロンを身につけ、厨房に入ってしまった。

無言の要請に負けたナオも、気が付けばウェイターになってしまっている。

注文を聞き料理を運び、勘定を受け取ってから食器の後片付け。

てきぱき働く様子が意外に似合っているのがどこかおかしみを誘う。

「豆苗とカニの炒め上がりました!」

「はいは〜い♪」

そして、ぶつくさ言いながらも厨房から聞こえる女性の声には声を弾ませて返事してしまうナオである。

まこと男とは悲しい生き物であった。

 

 

「ビックリしてしまいました。お強いんですね。」

「へへっ、まあね。」

店を閉めた後・・・材料がなくなったので早めに店じまいしたのだ・・・二人は何となく連れ立って歩いていた。

「そう言えばお名前も伺ってませんでしたね。私、ミリアといいます。」

「俺はヤ・・とっと、・・ハンフリー・ボガード。」

「ええと、ハンフリーさん・・ですか?」

「いいや、ボギーと呼んでくれ。・・・・・『君の瞳に乾杯。』・・・なぁ〜んてなっ!」

一瞬きょとんとした後、くすっ、と笑うミリア。

「面白い人ですね、ボギーさんって。」

「そ、そうかい?」

照れ臭いのか気恥ずかしかったのか、自分でもわからないままにナオがなんとなく笑ってごまかす。

それきりしばらく無言のままで二人は海沿いの石畳を歩いた。

十分ほど歩いてからミリアが立ち止まり、左手の指で曲がり角を指す。

「あの、じゃあ私これで失礼します。帰り道、こっちですから・・・おやすみなさい!」

「え?あ、ああ・・・おやすみ・・・・なさい・・・。」

さすがに何か期待していたわけではないが、軽い喪失感がナオの胸に広がる。

やや呆然と彼女を見送るナオの視線の先で、歩み去ろうとしていたミリアが不意にくるっと振り向いた。

両手に手を当てて精一杯の声でナオの方に叫ぶ。

「ねえボギーさん、あのおじいさん当分起きられないみたいだから・・・!

私も、料理するの好きだし・・・!お店の切り盛りってしてみたいし・・・・!」

リトマス紙が化学変化を起すように、ナオの表情が鮮やかな歓喜の笑みへと変わる。

「え・・・・・・じゃ、じゃあ!」

「また明日、あの場所で!」

「ああ、また明日!きっとだよ!」

ナオの大声に、再び振りかえったミリアが笑って手を振る。

「うううううう・・・イィィィヤッホォォォォッ!」

嬉しさの余りナオが2mほど跳び上がる。夜のネオホンコンに紛れもない歓声が響き渡った。  

 

 

“I’m singing in the rain♪ just singing in the rain♪

 What a grorious feeling I’m happy again♪

 I’m laughing at crowds so dark up above♪

 The sun in my heart,I’m a ready for love・・・♪”

「足が地に付いていない」というのはこういう事を言うのだろう。

踊るような足取りで・・・いや、事実器用にタップダンスを踊りながらナオが飛び跳ねて行く。

意識が完全に空の彼方のナオは、自分が歌っていることにも全く気が付いていなかった。

ちなみに今夜の空は綺麗に晴れ渡り、星がどこまでも高く澄んでいる。

ナオらしいと言えば、らしい。  

 

 

「只今!」

ナオと別れたミリアが帰ってきたのは英国風の瀟洒な白い建物・・・外国人向けの貸別荘であった。

床にわざわざ畳を敷き、卓袱台で書き物をしていた作務衣の男が顔を上げる。

「お、ミリアか。今日は随分と遅かったじゃねえか、この放蕩娘め。」

「ねえ、お父さん。今日、すっごく面白い人と知り合ったの!」

「・・・男か?」

「ふふ、そんなところ。」

「ほお?どんな奴だ、おい。」

「それは・・・秘密です!」

「なんだそりゃ。」

ミリアの言葉に呆れたような顔でぼやいた中年男は、

雪谷食堂の主にしてネオデンマークのナデシコファイター、雪谷才蔵だった。

 

 

夜のないネオホンコンにも朝は来る。

まだ暗い中を荷物運びのジャンクが行き交い、

曙光が照らし始めた港を弾む足取りを押さえ切れないナオが走っている。

今朝もまた約束の場所で先に待っていたミリアがナオの方を振り返り、背中ごしに微笑んだ。

 

 

一方カズシ達三人の表情はやや険しい。

ここはナオ達の泊まっているホテルリッツ・ネオホンコンのペントハウス。

「またか!ったく、ナオの奴どこ行きゃあがった!」

「ここの所トレーニングもせずに外出ばかり・・・困ったものですな。

しかし、あのナオさんが夜が明ける前に起き出すというのもおかしな話ですね。」

「・・・・・・・・・・・・・心を入れ替えて早寝早起きをする事にしたのだろうか?」

「あの夜遊び大王が?そりゃあ絶対にないな。」

 

 

店は昼からなので、二人は朝市でその日に使う魚介類、野菜などを買い込む。

とはいえナオは料理だの食材だのには門外漢だから荷物持ちくらいしか出来ないが。

「でも、ボギーさんがいてくれて本当に助かります。私じゃ一日分の食材なんて持てませんから。」

「いやあ、俺なんてこれくらいしか出来ないからな。どんどん使ってくれて構わないぜ。」

意味も無く緩む頬。それに気がついて慌てて表情を引き締める。

それを見てくすり、とミリアが笑った瞬間。

「きゃあああああっ!」

ミリアの白いスカートが大きくまくれあがった。

地下鉄の突風が足元の排気口から吹きつけてきたのである。

顔を真っ赤にして必死で裾を押さえるが、完全にまくれあがらないようにするのが精一杯で、

とてもそれ以外まで手が回らない。

助けを求めるように傍らを見ると、こちらも真っ赤な顔で硬直していた。

風が止む。

真っ赤な顔で、目尻にかすかに涙を滲ませてミリアがこの気の利かない男を睨みつけた。

うろたえるナオにそっぽを向き、さっさとミリアが歩き始める。

慌ててナオがその後を追う。

再び口を聞いてもらえるようになるまで二十分ほどかかった。

 

 

「あら?とっても安いですね、これ。」

ミリアが見ているのは魚市場の一角にある店、その店頭のざるだった。

大小まとめて山のようなエビに、驚くほど安い値がついている。

「安すぎるのはなんかやましい所がある証拠だと思うんだが・・」

顔をしかめるナオに、ミリアも首を傾げながら答える。

「でも、鮮度とかはしっかりしてますよ。確かに傷は多いですけど。・・御主人?」

「おう、そいつは正真正銘の今朝取り立てのエビだぜ!」

「じゃあ、なんでこんなに安いんだ?」

「実は今朝がた中環(セントラル)の方に海産物がどさどさ降ってきてな。

折角だからそれをかき集めて安く売ってるって訳さ。」

「へ?空からエビが降ってきた、てか?」

海で竜巻が起こり、海水ごと生き物を巻き上げる事がある。

それは時に、海から何百キロも離れた内陸にまで魚や海草を降らせる事があるのだ。

「ネオホンコンのエビは主に市街地に降る。」

「なんですか、それ?」

「いや、なんでもない。」

 

 

一通り買い物を終えた二人は港の堤防で一休みしていた。

ミリアと並んで座っていると、まるでハイスクールの学生のようにどぎまぎしてしまうナオ。

逆にミリアはそう言う感情に疎いのか、いつも自然体だった。

「へえ、お父さんがこっちでお仕事があるんでネオホンコンに・・・」

「お父さん・・・って言うか私の父親の親友で、

事故で父と妹を亡くした私の面倒を見てくれた人なんです。

普段は食堂をやってまして、私の料理の先生でもあるんです。」

そういって首に掛けていたロケットをパチン、と開く。

その中には温厚そうな中年男性と中学生くらいの栗色の髪の少女、

そして同じ色の髪をした三、四歳位の少女の写真があった。

「十三までは父と妹と三人で暮らしてたんですけど・・・事故で二人とも行方不明になった後、

『よかったらウチにくるか』って言ってくれて・・・今じゃ本物のお父さんみたいなんです。」

「ふぅん・・・似てるな。」

「え?」

「俺は天涯孤独な身の上でさ・・・元はといえばスラムで暮らしていた名無しの孤児だったんだ。

それがひょんな事から格闘家のおっさんに拾われてさ。名前もその人から貰ったんだよ。

その人、俺の格闘術のお師匠さまでもあるんだけどさ。」

「似たもの同士・・そうかもしれませんね。」

風になびく髪を左手で押さえながら、ミリアは水平線の彼方を見ている。

傍らの女性と同じ方角を見つめたまま、ナオが短く頷いた。

 

 

「お!?見ろよ、あのカップルの男の方・・・ナオさんだぜ!

へええええ。ナオさんも、いつの間に。こりゃあご挨拶しないと・・」

「趣味が悪いぜぇ、アキトよぉ?」

そう言いつつガイの顔もアキトに負けず劣らずにやけている。

二人が顔を見合わせて歩き出そうとした時。

がん。

ごん。

かなりいい音がして、二人が地面にうずくまった。

申し合わせたように頭を押さえている。

痛みをこらえつつアキトが振り向くと怒ったような呆れたような顔の舞歌が立っていた。

手には大きな鉄の塊がある。

目に涙を浮かべてアキトが抗議する。

「ふ、普通人の頭を中華鍋で殴りますか!?」

「タチの悪い真似をするんじゃないの。こう言う時はそっとしておいてあげるもんよ!」

「舞歌さんだってこう言う時は楽しそうにちょっかい出すくせに・・・。」

「あのね。人の恋路にちょっかい出して引っ掻き回すのは別に構わないけど、それも時と場合によるの。

二人でいい気分出してるのに邪魔するのは『野暮』ってもんよ。」

「そんなもんですかね・・・?」

「そういうもんなの。」

不満顔のアキトといまだに頭を押さえているガイの首根っこを引きずり、舞歌がその場を後にする。

もっとも、その表情を見る限り何らかのちょっかいを出す事を考えているのは間違いない。

(やっぱり、からかうなら最大の効果を上げられる瞬間と方法を選ぶべきよね・・・ふっふっふ)

どっちがタチが悪いんだか。

 

 

二時間後。昼飯どきである。ダッシュ達を誘い、舞歌とアキト達は下町に来ていた。

歩きながら舞歌がメモ帳を開く。

「ナオくんはね、あの女性・・名前はミリアと言うらしいわね・・と一緒にその店を手伝っているらしいわ。

数日前に何か騒ぎがあって、そのどさくさで知り合ったみたい。

あそこでは『ボギー』って名乗っているから注意しなくちゃ駄目よ。

折角偽名使ってるんだから、からかうネタにしない手はないわ。

後、あの女性とは別に若い女の子を三人雇ったらしいの。それのお蔭もあって大繁盛してるみたい。

料理の味自体も結構いいらしいわよ。」

ナオをからかう(だけの)ための下調べは既に終わっていたらしい。

 

その一団を見た時、テーブルの後片付けをしていたナオの顔がはっきりとひきつった。

見知った顔の集団が揃って満面のニヤニヤ笑いを浮かべながらこちらに歩いてくる。

「やあ、ボギーさん!」

ボギーさんお久しぶり〜。」

「お店のお手伝いしてるんだって?ボギーさん偉いなぁ〜。」

傍から見ているとただ不気味なだけの集団だが、今のナオにとっては疫病神以外の何者でもなかった。

アキトを捕まえて小声で悲鳴を上げる。

「な、何しに来たんだよ!?」

「決まっているじゃないですか。ボギーさんが真面目に働いているって言うから、

お店の売上アップに協力しに来たんですよ。」

にやにや。

「そうそう、美味いって評判だしな。」

にやにや。

「私も料理人の端くれとして美味しい店はチェックしておかないとね。」

にやにや。

「・・・六名様御案内!」

半ばやけでナオが叫ぶ。

その顔に一瞬浮かんだ暗い笑みにニヤニヤしていたアキトは気がつかなかった。

 

 

「それでは復唱します!

こちらが清湯蘿蔔牛月南(大根と牛筋の煮込み)と定竹笙紅焼豆腐(衣笠茸と豆腐の煮込み)、

例湯(本日のスープ)と油条のセットに乳猪(豚の皮をぱりぱりに焼いたもの)と燒鵝(ローストグース)、

清炒豆苗(豆苗の炒め)セットに、お隣が魚唇鍋巴(鮫皮のおこげ)セット!菜肉雲呑セットに

清炒蝦仁(エビの炒め物)と紙包鶏(紙包蒸し鶏)、乳腐方角(豚ひざ肉の腐乳煮込み)定食、

小龍包に坦々麺、焼餃子セット、五目粥と炸両(揚げドーナッツ)、堂煎醸雙寶(なすとピーマンの肉詰め)、

排骨菜飯(広東風炊き込み御飯)と例湯、ワンタンメン大盛り、鶏ささみと青菜の羹に三鮮炒麺、

雪菜毛豆百頁(豆腐蕎麦と枝豆と高菜の炒め)と叉焼飽五つに鮮竹巻(湯葉巻き)、

清蒸鮮鮑仔(とこぶしの蒸し物)、豆支油王煎花蝦(エビの醤油焼)、竹笙才八雙蔬(衣笠茸と野菜の炒め)、

百花鮮帯子(エビすり身と貝柱団子)と炒米粉、鮮蓮火屯冬瓜中/皿(丸ごと冬瓜のスープ)、

大海東星両味(ガルーパ二味)と枝竹火文頭翅(湯葉と頭部の醤油煮込み)に野菜粥と菜飯、

以上で間違いございませんね!?」

 

おおっ!

 

殆ど同時に発せられた注文をひとつの間違いもなく復唱したウェイトレスに賞賛の声と拍手が起こる。

ブイサインを出したウェイトレスの笑顔を見て、今度はアキトが固まった。

「な・・・なんでユリカがここに!?」

「お嬢ちゃんだけじゃないぜ。」

へっへっへっ、とあの暗い笑いを張りつけながらナオが囁く。

店の中ではカフェーの女給のようなエプロンドレスを着たユリカのほかにも、

手ぬぐいで黒髪をまとめ、緋色の絣の小袖に前垂れを付けた茶屋娘と、

お団子髪のチャイナドレスの女性が忙しそうに働いていた。

「どうしたんですの、ボギーさん?お客様を早くお席の方へ・・」

新しい客に気がついた茶屋娘の方が一行の方に近寄ってきた時、再びアキトは固まった。

「アキトさん!やっぱりいらして下さったんですのね!

私がこんな所で働いている事を知れば必ず来て下さると思ってましたわ!」

「か・・カグヤさん・・・なんで・・」

「ふ、社会勉強の一環と言う事ですわね。

それに、ボギーさんに頭を下げて頼まれては断れませんわ。ほ〜っほっほっほっほっほ!」

(ユリカ嬢ちゃんに対抗意識燃やして無理矢理雇わせたくせに・・・)

ナオに取っては幸いな事に、その呟きはカグヤの耳には届かなかったらしい。

「あの〜、カグヤさん注文を・・・」

「あら、御免遊ばせアキトさん。さあ、どこからでもどうぞ!」

「取り敢えず小龍包と叉焼飽を人数分ずつ、排骨菜飯と例湯、菜肉雲呑、清炒蝦仁、什錦鍋巴に粥を二つ。

・・・そんなものでいいですかね?」

定番(作者の好みとも言う)を注文してからアキトが舞歌達の方をちらっと見る。

「ん〜っと、アキト君とガイ君がいる事を考えると少し足りないんじゃない?他に二、三品・・・」

「私、油鶏(鶏の揚げ物)がいい!葱生姜たれで!」

「じゃ、僕は珍珠糯米鶏(鶏のもち米蒸し)!」

「俺はアキトにまかせるよ。」

「僕も同じく。」

「じゃあ、取り敢えずそれだけお願いしますね、カグヤさん。」

「おまかせください!」

妙に力強く胸を張るカグヤに一瞬悪い予感を覚えたアキトがナオを呼ぶ。

「ナオさん、まさかカグヤさんに料理させてないですよね?」

「?いや、料理は全部ミリアがやってるけど?」

「良かった〜。」

「・・・・・・・。」

心底胸を撫で下ろすアキト。ナオは対照的に妙に不安そうな顔になる。

微笑みながら二人を見ていた舞歌が、獲物を狙う雌豹の顔になってナオに話しかけた。

「ねえ、ところでナオくん?」

「あ、俺まだ仕事が残ってるんで!」

見事なまでの反射神経で舞歌の不意打ちを回避し、ナオが足早に立ち去る。

「「「「「ちっ。」」」」」

舌打ちが五つ、見事にハモった。

敵もさる者、どうやら先制攻撃は失敗に終わったらしい。

 

「お待たせしました。小龍包と叉焼飽、油鶏と珍珠糯米鶏です。」

間もなく髪を御団子にしたチャイナドレスの女の子が料理を運んできた。

一同の卓に料理を置いて、忙しそうに・・というよりそそくさと背を向ける。

「お前、ちょっと待て。」

足早に去ろうとしていた女の子がびくっ、とアキトの声に震えて立ち止まった。

「な・・・なんでしょう?」

声が震えているのがありありとわかる。

背中を向けたままなので顔は見えないが、後れ毛の掛かるうなじと

両脇の大きく入ったスリットから見える白い足がなまめかしい。

「何、大した事じゃあない。その場に立ち止まったまま、ゆっくりと、こちらを向いてくれ。」

「な、なんでですか?」

「どうした?振り向けない訳でもあるのか?」

震えて動かない女の子ににやにや、と笑いながらアキトが追い討ちを掛けた。

頭上に?マークを浮かべている他の四人と違い、

アキトの意図に気がついたらしい舞歌は邪まな期待に目を輝かせている。

もう一押ししようとアキトが腰を浮かせた時、その肩をごつい手が掴んだ。

「・・・・何だ?」

振り返ったアキトの顔のすぐそば、息が掛かるくらい近くに傷だらけのごつい顔があった。

「おう、ニイちゃん。ちょっと面ぁ貸してもらおうか。」

傷のある大男がアキトを睨んでいる。

その後ろに似たような雰囲気の連中が数人、あからさまな殺気を発して立っていた。

「フ・・・」

アキトのニヤニヤ笑いが更に大きくなる。

「お客さん、店の中で揉め事は困りますよ。」

わかっている、と言うようにナオにうなずくとアキトに顎をしゃくり、大男とその連れが店を出る。

「すぐ戻る。」

わざわざ男たちに聞こえるように言ってからアキトが席を立った。

ふう、と呆れたように溜息を一つついてから、ガイが食事を開始する。

「ちょっとちょっとガイ兄、放っておいていいの?」

「いいの。あれしきの相手に遅れを取るアキトかって。な、舞歌さんだってそう思う・・・ありゃ?」

「おや。」

「舞歌姉どこ?」

「ディア、あのチャイナドレスの女の人もいないよ?」

 

 

「なあ、そう言えばお前達どうして俺に喧嘩を吹っかけたんだ?」

「・・・そう言う事は普通叩きのめす前に聞くんじゃないか?」

ぱんぱん、と手の埃を払うアキトに横合いから声が掛けられた。

聞くだけでその呆れた顔が容易に想像できる、そんな声だ。

ちなみに聞かれた本人たちは既にぴくりとも動けない状態だったりする。

訂正。何人かはいまだに痙攣し続けていたから、ひくひく、とは動いていた。

「相変わらずだな、テンカワアキト。」

「そう言うお前は少し会わない内に随分変わったな。いつの間に手術したんだ?」

「手術なんかしてない!」

髪をお団子にしたチャイナドレスの女の子・・・もとい男の子、アオイ・ジュンが怒鳴った。

 

 

「・・・それにしても化けたな。一体全体、なんで女装なんか。」

「ううううううううううううう。」

「泣くな。鬱陶しい。」

「・・・最初は偶然だったんだ。この店でナオさんが働いていて、

人手が足りないって聞いたユリカがいつもの調子で『ウェイトレスやってあげる!』って言い出して、

それに対抗意識を燃やしたカグヤさんが自分もやるって言い出して、

二人を止めようとしてたらいつのまにか僕も女装してウェイトレスをする事になって・・・。

もし僕が男である事がばれたら二人がかりでお仕置するって・・・。ううっ。」

「鬱陶しいと言ってるだろうが。しかし、いくら何でもおかしいと思わなかったのかお前は?」

「あの二人の決定に異議を差し挟めるとでも?」

「・・・・・・・・思わん。」

その一瞬だけ、ジュンに深い共感を覚えたアキトだった。

「ところで、なんでこいつらは俺を?」

「・・・そいつらの袖をまくって見ればわかるよ。」

「?」

言われるままに、倒れた連中の袖をアキトがまくった。

直後、身を屈めていたアキトが突然姿勢を崩し両手を地面につく。

その体が小刻みに震えて・・次の瞬間、アキトが爆笑した。

「ぶはははははははははははははは!」

余程おかしいのか地面をゴロゴロ転がり、顔を真っ赤にしてアキトが笑い続ける。

ジュンが別の意味で顔を真っ赤にしながら耐えた。

アキトにのされたヤクザ者の二の腕には、一人残らず『ジュンちゃん命』と彫ってあったのである。

 

まだアキトは笑っている。

俯いて耐えていたジュンが人の気配を感じて視線を上げ、再び顔を引き攣らせた。

白い高級スーツにエナメルの靴。手には大きな花束を持っていた。

そこそこハンサムな、坊ちゃん育ちの顔に今は真剣な表情を浮かべている。

地面に転がり、呼吸困難を起こしながらも笑いを止められないアキトを見て男性が胡乱な物を見る目になる。

「ジュンちゃん捜したよ。・・・この男性は?」

「ああ、俺は単なる友達さ。・・・さぁて、こっちの話は終わったし、どうもお邪魔らしいから先に店に帰るか!」

顔を引き攣らせたジュンが何か言う前にアキトが起き上がり、その場から全力で走り去った。

もちろん、満面のニヤニヤ笑いを浮かべながら。

 

「ジュンちゃん。俺の気持ちはわかっているんだろう?」

「そ、そんな・・困ります。」

「一生不自由はさせないよ。」

「え〜と・・。」

「この岩清水、君のためなら死ねる!」

「・・・・・あ、あのね・・・。」

「ジュン。今日こそは俺の愛を受け入れてくれ!」

「そんな・・・そ、そうだ、私は浮気な女ですよ!」

「ふ、構わないさ。君ほど魅力的な人ならしょうがない。」

「え、え〜と・・あなた名門の跡取り息子でしょ!?私、子供を産める体じゃないんですっ!」

「そんな事、気にしない気にしない。養子を貰えばいいんだよ。」

「〜〜〜〜〜〜〜!!あ・の・なぁっ!俺は男なんだよ!」

「なに、誰にでも欠点はある。」

その後。

ジュンがどうなったかは誰も知らない。

 

アキトが店に戻ってきた時、既に注文した料理はあらかた片付いていた。

「おう、遅かったじゃねえか!」

「料理、ガイ兄が全部食べちゃったよ!」

「あ、そう言う事言うか?ブロスだって結構食ってたじゃないか。」

「ガイ兄ほどじゃないもん。」

「まあまあ、さっき追加しましたからもうそろそろ来るでしょう・・・っと、噂をすれば。」

「は〜い、五目粥と豆支油王煎花蝦、竹笙才八雙蔬、香露火局龍江鶏(鶏の塩蒸焼)と叉焼飯お待ちどうさま〜!

あ、アキト!ミリアさんの料理、すっごく美味しいんだよ!」

屈託の無い笑顔でアキトに笑い掛けるユリカ。アキトも幼馴染のこう言う所だけは嫌いでは無い。

「ああ、そうだな。」

「本当に。ミリアさんの料理は素晴らしい物ですよ。」

そう言って、ダッシュが好物のエビを口の中に放りこむ。

三秒後、アキトが料理に箸をつけた瞬間ダッシュの体が傾き、椅子ごとひっくり返った。

「お、おい!ダッシュ!大丈夫か!?」

慌ててダッシュを抱き起こすアキト。ガイが素早くダッシュの脈を取る。

その体が痙攣し始める。それが収まった時、ぱちり、とダッシュがまぶたを開けた。

「ダッシュ!?」

「オハヨウゴザイマス、博士。私ハおもいかねだっしゅデス。サア、今日ノ勉強ヲ始メマショウ。」

遂に訳のわからない事を呟き始めるダッシュ。その目は完全に空ろだった。

「ちょっと、ダッシュ!?しっかりして!」

「ダッシュ〜!」

ブロスが顔色を変え、さすがのディアが半泣きになる。

「寒いよデイブ・・・怖いんだデイブ・・・」

「まずい、チアノーゼか!?・・・・アキト!酸素ボンベ取ってくれ!」

ダッシュが救急車で運ばれていった後、アキトがユリカを問い詰めた。

「ん〜とね、ミリアさんが味を整えて皿に盛っておいて下さいって言うから・・。」

「味を整えたって・・・それだけか?」

「うん、少し調味料を入れただけだよ。それに・・」

「・・・それに?」

「折角アキトが来てるんだし、私の愛情の詰まった料理を食べて欲しいじゃない!」

その瞬間、天を仰いだアキトがダッシュに最大級の感謝を捧げたのはガイにも言えない秘密である。

ちなみにダッシュは処置が早かった事もあり、三日間寝こむだけで済んだ。

なお翌日にもカグヤの手に掛かって・・もとい、カグヤが手に掛けた料理を食べた客が救急車で運ばれた。

こちらも幸い命は取り留めたそうである。

二日続けて救急車が来たというのに何故か客足は衰えなかった。

ナオなどはしきりに不思議がっていたが、当の本人達は気にもしなかったようである。

 

 

二日後。

「ええっとこの辺の筈・・・にしても下手糞な地図だな、全く。・・・お、あれか。」

くたびれたジャンパーとズボン、何故か下駄履きと言う格好の男が手元の紙片を見て呟いた。

ちなみに、服装のみならず中身の方も相当にくたびれている。

その男は、ナオがテーブルの片付けをしている時に店に入ってきた。

「ミリア!」

「はいはい、お次はミリアちゃん一丁・・・ん?」

「お前さんは・・・。」

顔を上げたナオと、その男・・雪谷サイゾウの視線が絡み合う。

ナオがサングラスを外した。

「あんた、ネオデンマークの・・・」

「ナデシコマックスターのパイロットじゃねえか!なんだってこんな所にいるんだ?」

「お父さん!」

厨房から出てきたミリアの一言が、二人の動きを止めた。

 

 

 

 

其の弐に続く