或いは、真っ白な紙に地図を描くように。

 人は生き続ける。


 目の前の扉を開けながら、また新たに地図を書き記しながら。


 

 

 

 

 

「戦いつかれた君よ眠れ……か」

 

 金髪に白衣の女性が、寝台の上で眠りに就いた男を見て小さく呟く。

 哀れみを込めてか、親愛を込めてか、苦笑いにも似た小さな笑みを浮かべながら、傍らに立つ少女の髪をそっと撫でる。

 少女の隣には黒髪にスーツ姿の女性。

 

「何よ、それ」

 

 白衣の女性の呟きが聞えたのか、僅かに浮かんだ涙を拭いもせずに問う。

 

「旧世代の歌よ。一般のウェブサイトに載ってた、ね」

 

「鎮魂歌よりは、ずっと似合うわね。この人には」

 

 そっと、男の顔を隠していたバイザーを取り、深い眠りに就いている事を確認するかのように、その顔を寄せる。

 側に立つ少女は身じろぎ一つしない。

 

「あなたの望んでいた未来は、きっとここにはなかったのね」

 

 眠る男に黒髪の女性が言う。

 零れた涙が頬を伝い、男の唇に落ちても、男はもうまぶたを開く事はなく、安らかな午睡の中で生き続ける。

 そう、もう目覚める事はない。

 全てを忘れて、全てを受け容れて、全てを肯定し、全てを否定し、永久に眠る。

 

「イネス、お願い」

 

 無表情のままに、少女が白衣の裾を引き、女性の瞳を直視する。

 

「そうね。このまま放置しておけば研究で切り裂かれ、世に出し弔えば世に汚されるだけだものね」

 

 全てを了承し、受け容れた者だけが浮かべる事の出来る笑みを浮かべながら、白衣の女性は未だ涙を流し続けている黒髪の女性の肩を引き小さく頷く。

 ただそれだけの行為だけで、黒髪の女性も全てを理解し、懐から小さな、青い宝石のようなものを取り出した。

 全ての始まりを司り、そしてまた男の終りを告げる石だ。

 

「最後を告げるのもその石なのね。……あなたは怒るかもしれないけれど」

 

 白衣の女性がそっと目を閉じると、それと同時に青い石が、僅かな明かりしかない部屋を虹色の光で染め上げ、別世界へ飛んでしまったかのような空間を作り上げる。

 これから行う行為を考えれば、あながち間違った考えではないのかもしれない。

 黒髪の女性が皮肉の笑みを浮かべる。

 

「さあラピス。最後に彼の…アキト君の為にサポートをしてあげて」

 

「分かった……。ジャンプ先のイメージング開始。ジャンプフィールドの形成…終了」

 

 少女は男の全てを知っていた。

 白衣の女性は、黒髪の女性は男の苦悩と狂気を垣間見た。

 痛ましい、現世に居ながら修羅の世界を生きたこの男の先に、今度こそは暖かな始まりが迎えられますようにと、3人が目を閉じ、男の愛した世界を思い浮かべる。

 そこで、幸せな瞬間を。

 

「どうか……過ごせますように――」

 

 神には祈らない。

 ただ男の新しい始まりが幸福であるように。

 それだけ祈ってこの世界の男に別れを告げる。

 

「……ジャンプ」

 

 明滅を繰り返していた石の光が収まると、そこにはただの沈黙と、深淵にも似た暗闇が広がるばかり。

 虹色の光が消える前と違うのは、もうここに男が居ないという事だけだ。

 そして、男はこの世界から、消えた。

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 機動戦艦ナデシコ
 Refrain of ――


 

 

 


第一章
ひなたの夢



 

 

 

 

 

 プロローグ

 

 

 

 

 

――ぼく等は、この町を見下ろす

 

――丘の上、風を受けて

 

 

 

 赤く痩せた大地に根を張る草原に、麦藁ぼうしを被った少女が1人、吹く風に髪を浮かばせながら、それ以外何も無い草原の上を駆け回っている。

 周囲に人は居らず、どうやら1人散歩に興じているようだ。少し離れた先に、少女が乗っていたであろう小さな自転車が置かれている。

 目指す先には草原。

 散歩に持つ意味なんてものは暇つぶし以外の他には特にないのだが、少女にとっては楽しい一時なのかもしれない。

 きらきらと光る空を見上げながら草原を進む。

 

「アキトアキトアキトアキトーーー」

 

 ふと、草原の先から僅かに喋り声のような、叫び声にも似た声が響いてきたのを耳に捕らえて、少女はその足を声の方へと向けて歩き出した。

 

「あーーっ。もういちいち付きまとうなぁっ」

 

 耳に捕らえる声の中に、まだ変声期を迎えてない、幼い男の子の叫び声も混じり始める。

 これはもう会話というより、罵り合いのレベルの声量だ。しかし、どうも叫びあっている2人の言葉がいまいち上手く噛み合っていない。

 そんな声に怪訝な表情をしながらも、止まる事の無い興味心と好奇心に背中を押されるようにして歩みを進める。

 徐々に声量が大きくなってきている。

 

「ねぇアキトってばー」

 

「だから離れろぉーーっ」

 

 聞く人によっては痴話喧嘩にも聞えるような内容の会話だが、少女の年齢で痴話などという単語の意味が分かるはずも無く、それでも少し呆れたように口元を綻ばせながら、もう少女の視界に入っている声の主の姿をじっと見詰める。

 男の声の主は、短パンにTシャツ姿、そして手入れのされていない陽の光を孕んで茶色く見える黒髪の、元気そうな男の子だった。

 ただ、今の表情は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情をしているが。

 それと正反対に屈託の無い笑みを浮かべている女の子は、黝い髪に、日の光を反射する上質の繊維で作られたワンピースを着た、やはり普通の女の子だ。

 何てことはない、探せばどこにでもある男の子と女の子のじゃれあい。

 

「あ、き、と……ゆ、り、か……」

 

 それがただ、少女の琴線に触れた。

 理由は分からない。ただ懐かしさと、それと同じくらいにひどく哀しい気持ちが少女の心の内に浮かび上がり、感情の栓を越えて湧き出てしまったのだ。

 鳴咽を漏らす訳でもなく、栓の緩い蛇口から零れる水のように、涙が零れる。

 麦藁ぼうしの両端を掴んで、顔を隠すようにしてその場に蹲っていると、不意にとんとん。と誰かが自分の肩を叩いている感触に気付き、麦藁ぼうしから手を離して叩かれた肩の方へ顔を向けた。

 そこには、心配そうに少女を見る男の子と女の子。

 

「どうしたの? 転んじゃったの?」

 

 自分が転んだ訳でもないのに、今にも泣きそうな表情の女の子。

 

「あっ、ほらハンカチもティッシュもあるよ!」

 

 こちらは少女の泣き顔を見て大慌てでポケットからハンカチとティッシュを取り出して蹲ってる少女の膝小僧を見ている男の子。

 また、少女の瞳から涙が零れた。

 

「あうぅ、泣かないで。ユリカも悲しくなっちゃうよぉ」

 

「ちょっ、おいユリカも泣くなよっ!」

 

 少年の必死の努力も空しく、爽やかな風の吹く草原の上に、女の子の泣き声が響き渡った。

 少女の前にはようやく泣き止んだ女の子と、呆れ顔の男の子。

 

「まったく…何でお前まで泣かないといけないんだよ」

 

 女の子からそっぽを向いて、愚痴にしては大きな声で漏らす。

 

「だってー。ほら、ユリカってたかんなおとしごろなんだよー」

 

 えへへ。と可愛らしく舌を僅かに出して、先ほどじゃれあっていた時と同じ笑みを浮かべると、男の子は、もう既に慣れた事なのか、見た目の年には不似合いな大きな溜め息を漏らしながら、自分の渡したハンカチで涙を拭っている少女へ目をやった。

 精練された銅のように、光を孕むと瑞々しい茶色の光沢を放つ髪に色素の薄い肌。人形のように整った顔には、光の反射によっては金色にも見える瞳。もっとも、麦藁ぼうしの影が出来た時に見えた通常の瞳の色は、自分達とさほど変わらない茶色い瞳だったが。

 とにかく、人形のような少女。

 それが男の子から見た少女の第一印象だった。

 

「もう大丈夫?」

 

 女の子が心配そうに少女を見る。

 

「どこか痛いのか?」

 

 続けて男の子。

 

「……ううん。もう、大丈夫」

 

 少女が恥ずかしそうに僅かに顔を赤くし、俯きながらそう答えると、それに安心したように2人は息を漏らした。

 

「あ、私はね。ユリカって言うんだよ。ミスマル・ユリカ!」

 

「おれはアキトだ。テンカワ・アキトって言うんだ」

 

 にこにこと、奇麗な笑みを浮かべながら、2人揃って握手を求めるように手を差し出す。

 

「わたし……ヒナタ。トウマ・ヒナタ」

 

 右手を差し出して2人と握手を交わす。

 この年の子供達にはそれが友達になった証という暗黙の了解でもあるのか、途端に親身になってヒナタの周りをユリカがぴょんぴょん跳ねながらじゃれ付いてくる。

 それを見て、ヒナタは小さく笑った。

 今まで泣いている事も、あの時何故自分の中にあのような感情が生まれて来たかも分からないままに、ただ、この2人と出会えた事に微笑みを浮かべた。

 それが、2人と出会った最初の記憶。

 

 

 

 ……。
 ………。
 …………。

 

 

 

「お、目を覚ましたみたいだな」

 

 目を開けると、視線の先に真っ白な天井が映った。

 鳴り止むことなく響き続ける単調な電子音にキーボードを叩く音。無機質なコンクリートの壁に反射する電灯の明かり。

 見慣れた風景。

 

「……ゆめ」

 

 きょろきょろと、目の動きだけで視界にあるもの全てを把握すると、ようやく自分が眠りの中で夢を見ていたという事に気が付いた。

 実験中に深い睡眠領域まで落ちる事は度々ある事だったが、夢を見るような浅い眠りに落ちたのは随分久しぶりのような気がし、おもわずこれもまた夢の続きなのだろうかと、古典的ながらも軽く掌を抓ってみた。

 勿論、夢ではなかった。

 

「おいおい、寝ぼけてるのか?」

 

 どこか遠くから聞えるような他人の声。

 

「……アキト…ユリカ」

 

 遠い昔、一度だけ会っただけの2人の事を、何故今更夢に見たのだろうかと、ぼんやりとした意識のままに考えてみるが、これと言って思い当たる節はない。ただ、自分の持つ記憶と、或いは研究所のデータの中で自分が泣いた。という現象はその時以外に確認した事がない。

 きっと、それが理由だろう。

 そう決めると、ゆっくり身体をベッドから起き上がらせる。

 

「まったく。低血圧ってのは難儀なもんだな」

 

「仕方ないだろ。こればかりはいじりようがないからな」

 

「しかし、遺伝子操作されたマシンチャイルドでもないのによく10年以上も生きてるな」

 

「ま、なんてったって遺跡に捨てられてた子供だからな」

 

 周囲の人間が何かを話しているけれど、その会話に暖かさはない。

 夢に見た白衣の女性は、あんなにも暖かだったいうのに、同じ白衣の人間でも、明らかにこの人間達は夢の人達とは異なった、知識という欲望の権化だ。いや、知識に踊らされてるピエロに過ぎないのだろう。

 

「ったく、火星極冠の研究所の奴等から取ってくるのは苦労したよなぁ」

 

「そうそう。まっ所長夫婦が死んじまったらすぐこっちに回されたけどな」

 

「それでようやく思い通りに研究できると思ったら次は木星蜥蜴かよ」

 

 木星蜥蜴。今から数年前に突如として表れた他惑星から侵略者。地球及び太陽系惑星全土の掌握を求めるエイリアンだ。という情報を研究員から聞いた記憶がある。

 それ以外の事は何も知らない。5歳までは、今とは違う研究所でのんびりと暮らしていたけれど、この研究所に来てからは何かを学んだ記憶はヒナタにない。ヒナタの中にあるのは、夢に見た思い出と、5歳まで過ごした研究所の記憶しかない。

 ここにいる11年は、深い闇の中の記憶だけ。

 

「おかげで好き勝手出来る訳だけどな」

 

「女に飢える必要もなくなったし……か?」

 

 周囲の人間達が笑ってる。

 とても嫌な、下卑た笑みだ。

 しかし、ヒナタには関係の無い事だ。

 2年ほど前から見るようになったこの人間達の下卑た笑みも、身動きの取れない自分の体を蹂躪される事も暗闇の中へと仕舞い込まれている。

 今はただ、時間だけが過ぎるだけだ。

 

「しかし、そろそろ先の事も考えないとな。本社からも連絡は途絶えっぱなしだし、いつここも襲われるか分かったもんじゃねぇし」

 

「ユートピアコロニー跡に残留民が集まってるらしいぞ。襲撃も少なくなってる今の内に逃げとかないか?」

 

「でもなー、今だって定期的に襲撃は起きてるんだぜ?」

 

――なら、いっそここを襲えば良い。

 

 何故自分がそう思ったのか、ヒナタは分からなかった。

 自分が持つ唯一の幸福な時間を夢で見てしまったからなのか、理由は分からないけれど、この人間達を見ていると、込み上がる気持ちが抑えられなかった。

 そして、気の昂ぶりはヒナタの奥底に眠る黒い扉を開く。

………。

 と、瞬間的にナノマシンの活性化を示す幾何学文様がヒナタの身体を覆う。

 

「んだ? 何か妙な波長の電波が一瞬流れたな」

 

 モニターを視界の端に捕らえていた白衣の男が、煙草を咥えたままモニターの方へ向き直る。

 

「どうせどっかのコロニーの救難信号かなんかだろ。ほっとけほっとけ」

 

 そして次の瞬間――。

 物凄い音量の爆音と、研究室に置かれていた大型のモニターが破裂するほどの振動に研究所が襲われた。一瞬収まった爆音と振動も、次の瞬間から止まる事無く研究所を襲い続けている。

 地球とは規模、構成からして違う惑星である火星だが、地殻を持つ星である以上地震が起こるのは必然だが、それでもこの揺れと爆音はおかしい。

 

「きょ、局長! 地下研究所上空に無人兵器の群れが出現しました! このままでは数分後には研究所が崩れます!!」

 

「なっ! 何で今頃になってこの場所を!?」

 

「アホ! とにかくとっとと逃げるぞ!!」

 

 ものの数秒で、研究所の中は阿鼻叫喚の地獄絵図のような状態へと様変わりを果たしていた。崩れ落ちる瓦礫に押し潰され、もう既にヒナタの視界範囲の中でも3人が瓦礫の下敷きになって即死している。

 ……また1人、頭だけを奇麗に瓦礫に潰されて死んだ。

 

「おいっ!! コイツはどうするんだ!?」

 

 逃げる準備が出来たのか、白衣にはひどく不似合いな避難用ヘルメットを被った人間が、ヒナタを指差して叫ぶ。

 

「放っとけ! データはもうディスクに落としてるんだ! 早く地下シェルターに潜るぞ!!」

 

 どんっ。

 今までで一番大きな爆音が響くと、ヒナタの目の前に1本。長細いミサイルが地面に突き刺さった。ヒナタには知る由も無いが、地下壕潰しの遅延信管爆弾だ。どうやら地下シェルターに潜った研究員も死を免れる事は出来ないようだ。

 不思議と、ヒナタに恐怖はなかった。

 そして、目の前の爆弾から煌々とした明かりが放たれ出した瞬間――。

 ヒナタの意識は、闇へ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 第一話




 後書き。

 ……とは言ったものの後書きなんて書くのが初めてで何を書けば良いのか分からなかったり。
 取り敢えずセオリーにのっとって、はじめまして。機動戦艦ナデシコ Refrain of―― の作者の森屋ひーろです。
 Benさんや他の投稿作家の皆様の作品に触発され、なお今までため込んでいた大量のプロットを消化すべくこの作品を書いてみました。
 読んで下さっている読者様の数に関係なく、ほぼ全ての方が御想像の事と思いますが、その御想像の通り、ヒナタはアキトがボソンジャンプで過去に逆行したもののある別の形です。
 死んでしまったアキトの隠匿の為にイネスとラピスがその身体をジャンプさせた訳ですが、何故ヒナタという人格を得てしまったかは話が進むに連れ明らかになる予定ですので、自然消滅しそうになったら、この腐れ外道が死ぬなら書き終わってから涅槃へ旅立て。とでも激励の言葉を頂ければ幸いです。
 勿論、平素から指摘や感想等のメールも頂ければ幸いですが。
 それでは、おそらくもう当分後書きの類を書く事はないだろうと自分でも思っていますが、この先にまたいつか後書きを書く際は、是非御目をお通し下さい。

 July 8.2001.
 森屋ひーろ。

 

 

代理人の感想

 

森屋ひーろさんからの初投稿です!

・・・・なんてことは管理人さんが改めて言ってくれるだろうからこっちへ置いといて(^^;

一応は逆行物の様ですが、さとやしさんの作品とはまた別の意味でオリジナリティ溢れてます。

なんかこー、いろいろと裏もありそうですし(『月姫』、お好きでしょ(^^;?)

謎が糸玉のようにころころとほどけていくのを楽しませて頂きましょう。