ネルガル重工会長、アカツキ・ナガレは挙げられてきた報告書から目を離すと、大きく伸びをした。
 執務室にこもって8時間。いい加減酸欠状態になってくる。まだ半分も減っていない報告書群を半目で見たところで、不覚にも欠伸がでた。
「気持ちは分かるけど、休憩はやることやってからよ」
 すかさず傍らの会長秘書であるエリナ・キンジョウ・ウォンから注意される。
(……タフだね)
 いつも通りの彼女の姿に、アカツキは内心そう呟く。自分と同じかそれ以上に働いているはずなのだが、エリナの姿に疲労の兆候は見えない。髪は綺麗に櫛が入った真ん中分け。バシッとノリの効いた、というか形状記憶合金ででも出来ているんじゃないかと疑いたくなるブラウスとスーツを着込んだ、『キャリアウーマン』を絵に描いてそのまま立体化したような姿は今日も健在だった。
(やれやれ、だよ。まったく)
 アカツキはエリナの言葉に肩を竦めることで返すと、残りの報告書に取りかかった。
 彼らはこの1月ほど、勤務先である此処ネルガル重工本社に詰めっぱなしで自宅に帰っていなかった。
 火星の後継者の有力情報を掴んだためである。
 それは今年の2月に、とある火星の後継者の研究所を襲撃し、その際に手に入れたデータから発見したものだが、それによると彼らの中核を成すボソンジャンプの実験施設が惑星間ボソンジャンプ実験施設『ヒサゴプラン』に属するコロニーにあること、そして彼らの一大クーデター計画が8月半ばの地球連合総会に照準を絞ってあることが読み取れた。元データがダミーデータやウイルスの固まりであったことから罠であることも考慮されたが、例えダミーデータといえど目的となるデータを隠そうとすればある種の歪み――残り香といっても良い――が発生する。それらを丁寧に丁寧に解きほぐしていった結果辿り着いたのが、ヒサゴプランコロニーと8月の一斉蜂起なのである。
 ヒサゴプランコロニーには既に数箇所アタックをした。
 タカマガ、ウワツツ、ホスセリ、シラヒメ……。
 どのコロニーも機動兵器ブラックサレナを駆るアキトが防衛線を突破するかしないかというところで自爆されてしまった。世間的にはコロニーを襲撃したテロリストが沈めたことになっているが、内情を知っているネルガルとしては、これは機密保持のために全てを爆破したようにしか見えない。そもそも機動兵器1機でコロニーを中破大破させるなど火力が足りないのだ。で、あれば一連のコロニーの自爆は火星の後継者の実験設備がヒサゴプランのどこかではなく、それぞれのコロニーに分散しているということを示唆しているのか。
(……絶対的に人数が足りないんだよねぇ)
 報告書を読みながらアカツキは思案する。ここ半年ほどの間に、明らかに火星の後継者の行動が活発化している。だからこそ今回の武装蜂起の情報が現実味を増しているのだが、問題が問題であるだけに信頼性等の観点からも絶対的に使える部下が限られてきているのだ。今まではあくまで水面下での情報戦が主流であったことから対等に渡り合ってこれたが、本格的に動かれてはそもそも数が違いすぎるのである。表面的にはよくある武装テロを装っているが、その標的としてネルガルや地球連合軍が狙われているのだ。数時間前にも火星の後継者の情報を受けて、ネルガル・シークレット・サービス――NSS――の1ユニットが飛び出していったばかりである。その1件については、どうやら早々に解決したようであるが……
「テンカワ君、今日の出動で今週は4回目か。さすがに多くなってきたね」
 報告書の束をすさまじい勢いで読みながらアカツキはエリナに話しかけた。彼女は「そうね」とうなずいて、
「活動内容が変わってきたわね。アキト君は本来、こっちのジョーカーとして各地の火星の後継者の施設を急襲することが役割だったわ。それが火星の後継者の活動が活発化し始めてから、逆にネルガル等の施設の救援が多くなってきているわ」
 と、過去の出動記録を参照しながら言った。
「明らかに押され始めた、かい?」
「そういうことよ。ただでさえ神出鬼没の北辰達に加えて各地で武装蜂起前にネルガルと地球連合軍の戦力を削ろうとする動きがでているわ。だからこっちの損害は増えているし、何時でも何処でもボソンジャンプで駆けつけられるアキト君の負担は肥大化しているわ」
「もちそうかい?」
「人員の充足率は8割が良いところね。育成に手間のかかる機動兵器のパイロットに限れば4割を切るところもあるわ」
 エリナは冷静に言った。数字を通して戦況を見ていると、刻一刻と破滅に近づいていることがわかる。
 それでも予定通り8月中に一斉蜂起をしてくれたなら、勝機はある。それだけの努力を積み上げてきた。NSSは情報戦に特化する事で火星の後継者の動きを長期間にわたり阻み続けた。アキトと月臣の両パイロットは文字通り血反吐を吐いて救援を成功し続け、その中でさらに成長を続けた。ブラックサレナという魔改造された故障率の高い、扱いの至極難しい機体を、整備班は魔法の如くベストコンディションに仕上げてきている。さらに整備班と連携をとった開発班はアルストロメリア、ナデシコCという切り札を作り上げた。それだけのことが出来る顔ぶれが幸運にもネルガルに揃っていたのである。考えられないような偶然が幾重にも積み重なって火星の後継者の向こうを張れるだけの状況を作ってきた。だからこそどんな些細なミスも彼らには見過ごすことは出来ない。
「月臣君達が戻ってくるのは今日だっけ?」
「もう空港に到着しているから、程なく来ると思うわ。会いに行くなら一区切りつけてからよ」
 先に釘を打たれ苦笑を浮かべるアカツキ。
「どんな娘か気になる?」
「……あぁ、気になるね」
 誰かが何かで言っていた。愛情と憎悪は非常に近い感情であると。それは心を狂わせ、判断を鈍らせ、自身の行動を制御不能とさせる。
 蜥蜴戦争の終結からこっち、ずいぶんと様々な切り口で叩かれてきたが、それでも自分はうまく切り抜けてきたという自負がアカツキにはあった。部下を護り、余計な火種も作らず、半ば意地になって『自分らしく』を貫いてきた。後は火星の後継者の一斉蜂起を潰せば、ネルガル再興の計画はほぼ軌道に乗る。
 だが。
 ウィーズ・ヴァレンタイン。あの偽善者。
 彼女のことを考えると妙に心がささくれ立つ。奇麗事を並べ立てる奴等はずいぶんと見てきたが、たいていは自分の利益のための建前だった。
 しかし彼女はそのどれとも異なっていた。どれほど自身が窮地に陥っても努めて周りの被害を抑えようとしていた。
 もちろん、それ自体が悪いなどということはない。が、そのあまりの偽善者っぷりがアカツキには鼻についた。そして彼を最も苛立たせていることに、どうやら彼女は自分のやっていることがどれほど甘いことかということを理解しているようなのだ。
 あまりの馬鹿さ加減にイライラする。
 不意に、火星の後継者に人体実験の被験者として囚われていたテンカワアキトが救出されたときのことを思い出した。
 今でもツンと鼻につく刺激臭を覚えている。
 その時のアカツキは酷く混乱していた。
 彼の頭にハンマーでガツンと叩かれたような衝撃が走ると、次の瞬間、目の前に使い古したズタズタの人形が飛び込んできて、それが知人であるテンカワアキトの成れの果てだと理解するのに数秒かかった。
 アキトは体が自由に動かず、芋虫のようにもぞもぞと蠢きながらも、ひたすらにほの暗い瞳で、聞き取れないような小さな声で呪詛をつぶやき続けていた。
 アカツキの頭の中でもう一人の自分が冷静に呟いた。
 ―――これはもうダメだ。
 思えば彼の人生は喪失の連続だった。
 テロか事故かはわからないが、飛行機事故により幼少の時に父と兄を失った。
 引き継いだ父のネルガルグループを手段を選ばず成長させようとした。かなり汚いこともためらわず行ってきたが、それもネルガルを背負う自分の義務なのだろうと無理矢理自身を納得させてきた。しかし、そのネルガルは蜥蜴戦争の責任の一端として世界中から冷遇されている。
 そして今度はナデシコのクルーとして共に戦ってきた仲間の1人であるテンカワアキトが、精神的にも肉体的にも壊されかかっている。
 アカツキは気がつくと横たわるアキトの手を取り大声で何度も何度もその名を呼び続けていた。
 握り返すこともできずただ震えるその手。人のそれとは思えないその感触が、彼にすさまじい喪失感を与え、背中から冷たい汗が流れていく。
 泥にまみれ、その手を血に汚し、望みも未来もあきらめていた彼は、そのとき初めて失いたくないと、心から思った。
 他の何を犠牲にしても自身の仲間を守らなければと思った。
 そんなアカツキからしてみれば、ウィーズの思想も存在もとても許容できるものではなかった。
 選ばなければならない。すべてを救うことなんてできない。それがわかっていてなお理想を叫ぶウィーズにイライラする。
 これは憎悪かはたまた愛か。
 アカツキは心の中で盛大にため息をついた。我ながら陳腐な問いかけだ。自分でも分かる。彼女のことになると、なぜか自分はとても子供になってしまう。
「ウィーズ君か。あのレベルの人材を遊ばせるわけにはいかないからね。せいぜいふっかけてみるか」
 月臣からあがってきた報告書を眺めながら、アカツキはそう呟いた。

















白黒ーwhite & blackー
第弐幕 その女、凶暴につき
presented by 鴇
















 ネルガル重工本社。
 それは佐世保の街の港と高速道路の出入り口(ランプ)と空港とのちょうど真ん中の一等地に、これ以上無いというほど、傲然と存在していた。
 通常であれば、世界的にも有数の企業であるネルガルの本社が佐世保にあるというのはどう考えてもおかしい。
 が、今は亡き先代ネルガル会長の独断により、約20年前にこの佐世保に本社が移転されたのである。幸か不幸か、先の蜥蜴大戦によりヨーロッパほどではないが、首都東京も少なからず被害を受けていた。まるでこの大戦の発生を知っていたかのような先代の慧眼により、ネルガルは致命的な損害を被ることなく、大戦を越えた。それ以前にも軍需産業として成長していたネルガルとしては、佐世保の軍ドックのそばに本社を構えられたことは何かと都合が良かったらしい。そんなこんなで、日本の一地方に過ぎない佐世保にネルガルの最新技術を駆使した本社ビルは鎮座していた。
 とはいえ……
「……はぁ」
 ウィーズはうんざりした顔で周囲を見渡してから、溜息をつく。
 落ち着かない。どうにも落ち着かない。自分が気にかけられているのはわかる。通された施設にとんでもない金がかけられていることもわかる。だが―――
「……どういうことかしら」
 隣の月臣を見ながら、彼女は問いかけた。
 ウィーズと月臣がいるのは、ネルガル本社の応接間である。
 彼女たちは北辰の襲撃後、体調を崩したウィーズの回復を待ってから、ロンドンから此処、ネルガル本社へと移動していた。客扱いということもあり、その移動はファーストクラスを飛び越えてネルガル専用機による至れり尽くせりなもので、大層ウィーズを驚かせた。だが、その対応も佐世保に着いてからは一転、非常に堅いものとなっていた。まずはこの応接間に通されるまでにされたボディチェックである。その数7回。さすがに全裸になれとは言われなかったが、虎の子であるCCも没収されてしまった。客であるウィーズに対してこれはかなり無礼にすぎる。さらにこの通された応接間である。四面が頑強な金属性の壁に覆われ窓もない。出入り口は1つのみで、そこには屈強なガードマン2人が配置されている。高級そうな机やソファなどは確かに応接間のそれであるが、このままネルガル側から動きがなければ状態としては軟禁されているのと何も変わらないのである。
「私は客よね? VIPよね? ベリーでインポータントなピーポゥよね? それなのに何故ドナドナが似合う子牛ちゃんみたいな状況になっているのかしら?」
「人聞きの悪いことを言うな。まずはプロス殿が話をしたいそうだ。そこで現状とこれからのことの説明があるだろう」
 周りをきょろきょろと見ながら話すウィーズに月臣が顔をしかめながら返す。
 応接間と言えば本来、客をくつろがせるためのものである筈なのだが、このひどく緊張感のある部屋で気が休まる人間がいるのだろうか。全方位が癒しも何もない威圧的な壁であり、出入り口にはガードマン。おそらく盗聴機のたぐいも少なからず仕掛けられているだろう。
 ウィーズはまたもグチっぽく不平を漏らす。
「なぁんか嫌な予感しかしないんだけど」
「くどいぞ。何があろうと、お、お前は俺が護るから安心しろ」
 彼女の言葉に、目を合わさずに、何故か不機嫌な風に月臣が返した。
 それを聞いたウィーズはニヤニヤと月臣の顔を覗き込みながら問いかける。
「本当に護ってくれる?」
「ああ。任せろ」
「誰が相手でも?」
「男に二言はない」
 照れ隠しのため視線を合わせないままの会話であったが、それだけ聞くとウィーズは……
「……よし、信じるわ」
 にやけ笑いを素の微笑に変えてそう言った。
 そんなやり取りを2人がしていると……
「お待たせいたしました」
 プロスペクターとゴートが入ってきた。いや、彼らだけでなく、その横にはもう1人の若い男がいた。
 思わず月臣が立ち上がって挨拶をしようとしていたが、その男はそれを手で制すと、ウィーズ達と向かい合う位置のソファに腰を下ろした。
 彼は上等な仕立てのスーツを大胆に着崩して、その髪は肩の高さまで伸ばされていた。一見すると至極チャラついた感じを受けるのだが、身に纏うものの上質さからか、はたまた本人の資質なのか、意外と浮ついたようには感じられない。
 次いでずらりと厳つい男達が彼の背後に並び、プロスがその脇に控える。
 まるで質の悪い中世の王侯貴族のようだ。さしずめこの部屋は謁見の間で、背後の男達は騎士や臣下と言ったところか。よく見れば彼の座っているソファだけが他のものとは作りが違う。それがこの場での彼の『玉座』と言うことなのだろう。
 男は芝居がかった風に話を切りだした。
「さて、改めて自己紹介といこうか。といっても僕のことはもう知っているかもしれないが、アカツキ・ナガレ。このネルガルの会長さ」
 目の前の男、アカツキ・ナガレの自己紹介にさすがに眉を持ち上げるウィーズ。ニュースなどで時折紹介されていたので何となく顔を知ってはいたが、まさか世界的な大企業のトップがこんなところにホイホイやってくるとはにわかに信じ難かった。彼女は隣の月臣に視線だけ飛ばすと、肯定の頷きが返ってきた。どうやら本当らしい。意外に暇なのだろうか。そんなことを思いつつも彼女も自己紹介を返す。
「ウィーズ。ウィーズ・ヴァレンタインよ。お招きいただきありがとう、とでも言うべきかしら?」
「手荒い出迎えとなってしまったことは謝るよ。そこの月臣君がずいぶんと粗相をしたみたいだしね」
「会長! その件については誤解だと説明したではありませんかっ」
 アカツキの話は、月臣がウィーズの様子を見に行った際に入浴中の彼女と鉢合わせになってしまったことを言っている。もちろん月臣に下心などはなくまったくの事故であったのだが、面白おかしく囃し立てたものだからこの話題の度に月臣は躍起になって反論をしていた。からかい半分のアカツキは月臣の抗議を軽くいなしながらウィーズに話を続ける。
「月臣君やプロス君からどこまで話を聞いているかい?」
「おとなしくしていれば5食昼寝つきで囲ってもらえると聞いたわ」
「くくく。それは良い。せっかくだから僕の愛人ってことにでもするかい?」
「会長、お戯れはやめて下さい。去年あなたの為に支払った手切れ金だけでエステバリスが何機買えるかお教えしましょうか」
 アカツキの冗談に若干底冷えのするプロスの突込みが入る。彼は経験上、この手の冗談は早めに釘を刺しておかないと本当に実行されかねないことを良く知っていた。
 ウィーズはそんなプロスたちを見ながら興味無さ気に答える。
「けっこうよ。私、ロン毛の男って生理的に受け付けないの」
 アカツキが苦笑いを浮かべ、月臣が地味にショックを受けているのを見ながら、彼女は話を続ける。
「それで、話を聞かせてもらいましょうか。月臣は私に言ったわ。ネルガルは出来うる限り穏便な手段で火星の後継者のクーデターを抑えようとしている、と」
 単刀直入。まっすぐにこちらの目を見つめてくるウィーズに内心苦笑しながら、アカツキは彼女に答える。
「ああ。僕は根が商人だからね。無駄な被害や死人なんて非効率なものは極力省きたいのさ」
「私はネルガルは戦争も金儲けのチャンスくらいにしか考えてないのかと思ってるんだけどね」
「あまり露骨なことをやると痛い目を見る。さんざっぱらマスコミに叩かれたからね。方向転換したのさ」
 歯に衣着せないウィーズの言葉に肩をすくめながらアカツキは答えた。
 彼は蜥蜴戦争後、A級戦犯扱いされ世界各国から槍玉に挙げられたことを言っている。
 元々の原因は地球連合と木連とのいざこざであったが、その対立を決定的にしたのは火星の極冠遺跡を独占しようとした先代ネルガル会長の裏工作なのだ。これによりネルガルはその後の地球・月・木連の共同事業である大規模ボソンジャンプ施設設立プロジェクト『ヒサゴプラン』のメンバーからも外されている。
「作戦の骨子はシンプルなものだよ。火星の後継者が近々に一大クーデターを起こす。大きな攻撃目標は2つ。1つは地球連合総会で各国の要人を人質にしようとしている。そしてもう1つがボソンジャンプの要である火星極冠遺跡。ボソンジャンプの独占を狙う火星の後継者は是が非にでもここが欲しいはずだ。敵の首魁、草壁春樹もここに陣取ると見て良いだろう」
 一拍。アカツキはウィーズの目に理解の色があることを確認してから結論を言った。
「彼らが一斉蜂起し集結したところで、これを一網打尽にする」
「……そんなこと出来るの? テロリストとはいえ仮にも相手は元軍人が主流で、その規模もかなりのものなんでしょ?」
「戦艦・機動兵器が主流となる極冠遺跡での戦闘は問題ない。詳しくはいえないが、敵の兵器群を無効化する切り札がこちらにはある。正面からやりあわなければ被害は最小限にとどめられるだろう」
 半信半疑といったウィーズにアカツキはそう断言する。
「問題は地球での戦闘だ。戦力の多くを地球連合総会の防衛に回さなければならないが、当然ここネルガル本社にも敵はやって来る。その防衛戦力がどうしても手薄になる」
 一拍。アカツキはにやりとウィーズに笑いかける。
「そこで、だ。ウィーズ君、君にもここの防衛を手伝ってもらいたい」
「話が違うわね。私はここで大人しくしているだけじゃなかったの?」
「状況が変わった。よくある話さ。こちらが想定していたものより戦況が悪化していてね。このままではネルガルの人間に多数の被害がでそうなんだ。そこでちょうど手の空いている人間に仕事を振っている。そんなところさ」
「仲間の命が大事ならとっとと降参すればいいじゃない。無理にガチやるよりはよっぽど平和的だわ」
 一拍。半目で睨みながらウィーズはアカツキに問いかける。
「ハナからそのつもりで私をここに呼びつけたんじゃないの?」
 いぶかしるウィーズに芝居風に両手を広げて首を振りながら答えるアカツキ。
「どう取るかは君の自由だ。しかしここで協力してもらえないと、双方の被害を最小限にするという当初の計画も修正しなくてはいけない。千人か万人か、いったいどれだけの被害がでるだろうね」
 これはハッタリだ。今のネルガルに真正面からやり合うだけの戦力はない。ポーカーフェイスのゴート、プロスの2人も片眉だけわずかに持ち上げたが、そのまま何もいわずに話の先を促した。
「月臣君から報告を受けたが、君の信念はとても立派なものだと思うよ。だからこそ君は僕たちに協力するべきだ。君が援助を望んだ孤児院のためにもね」
 アカツキはニヤリと口角をあげる。
 明らかな、これは脅しだ。おまえの大切なものは自分たちの手元にあるぞという。ネルガルの真意が何処にあるかはわからないが、もしウィーズの真価を発揮させるのであれば本社の防衛などという仕事をやらせはしないだろう。一番手っとり早いのは敵の拠点に対する大型爆薬による一撃離脱のボソンジャンプテロ。多くの被害がでるが、それでも実際に戦争をすることに比べれば微々たるものであろう。
 アカツキたちに迷いはなかった。
 1,000の命を救うために敢えて100の命を潰す。
 全てを救おうとして500の命を取りこぼすのなら、はじめから100を潰して900を護りきろう。
 対局的に見ればそれは差し引き400のプラスだ。もちろん潰される100の中に自分に近いものたちは入っていない。
 だが、当然といえば当然であろう。
 見ず知らずの、しかも敵対する人間の命と、護るべきネルガルグループの仲間と、どちらが大事かと問われれば―――感情的に迷う人間はいないだろう。
 誰でも他人よりは身内の方が大事だ。それはごくごく自然な感情である。
 ならば。
 その考えを突き詰めれば、ウィーズのやるべきことはネルガルに協力することなのだ。一人でも多くの命を救うことを最優先とするのなら、不殺などという自身の信念に固執することなど愚の骨頂なのである。
 人数が問題なのだろうか。
 それなら何人であれば見殺しが出来る? 何人の命とまでなら、ウィーズは自分の信念を捨て去ることが出来るのであろうか?
 苦渋の決断であろうが、現実的に考えるなら、ウィーズはネルガルに頭を垂れるしかないと、アカツキは考えていた。いい加減その現実を認識させてやろうと考えていた。
 大筋でその考えは間違っていない。だがアカツキは1つだけ読み違えていた。
 ウィーズは机の上に片足をドン、と乗せてから挑むような目つきでアカツキに返答した。
「糞喰らえよ」
 アカツキの誤算。それはウィーズが想像以上に意固地であるということだ。彼女はアカツキたちが自分を舐めていると知っている。いったん制御下に置いてしまわれたら、なし崩し的に随分な要求をされるのだろうと理解していた。後になってそれは実は世界のためだった、なんて言われて喜ぶのは軍人のように名誉を重視する連中だ。彼女はそういったものにまったく価値を見出せない。利用されれば頭にくるし、命令されるのは大嫌いなのだ。ウィーズは制止しようとする月臣を無視してまくし立てる。
「黙って聞いてりゃ、都合の良いことばかりづらづら並べて! 今、分かったわ。私はアンタ達が気に入らない! 気に入らないから協力だってしてやらない! そんな配線工事みたいに命がやり取りできると思ってる奴等なんて虫唾が走るのよっ!!」
 一息に言い切ったウィーズにやれやれと首を振りながらアカツキは軽く右手を上げる。
 すると一斉に護衛の者たちが懐から拳銃を抜き放ちウィーズに向ける。
「―――っ会長!?」
 月臣の抗議を無視してアカツキは命令を下す。
「連れて行け」
 その言葉に、護衛がそのままウィーズに近づくと、連行するため拳銃を向けたまま、その両腕を掴んで無理矢理その場で立たせた。彼女は持ち上げられた腕をそのままにアカツキを見下ろしている。
「追い詰められれば本性が出ると思っていたがね」
「まともな頭があれば今頃は顔も名前も変えて何処かでロハスな生活送ってるわ」
 この期に及んで軽口をやめない彼女は横目で動きの取れない月臣に言う。
「約束、守ってね」
 言いながら、動いた。
 両脇で拳銃を突きつけている護衛の腕を上げたままの腕で弾き飛ばす。
 そのままその護衛の頭を両手で掴んで目の前の机に叩きつける。
 ごしゃっという鈍い音。
 両脇の護衛は机に顔をめり込ませてその意識を飛ばされた。
「き、貴様っ!」
 あまりの事に一瞬、護衛たちは動きを止める。しかしすぐさま状況を理解して反撃に転じた。
 右奥の護衛が発砲する。
 ウィーズはそれを半身になるように避けると、高速の踏み込みでその護衛に肉薄。
 勢いを殺すことなく交差法気味のラリアートでその脳髄を揺さぶった。
「こいつっ」
「馬鹿がァ!」
 前後から同時に護衛が銃を向ける。
 ウィーズは一瞬早く銃を向けた背後の護衛に狙いをつけると、その銃を持つ腕を思い切り捻り上げる。
 同時にその護衛の銃を前方の護衛に向けて続けざまに発砲。正確にその両足を撃ち抜く。
 ここで周りの護衛が一斉に彼女に銃を向ける。
 しかしさせない。
 腕を捻り上げた護衛を盾にしてそのまま発砲。発砲。続け様に発砲。
 さらに3人の護衛を戦闘不能にする。
「ウォォォオオオッ!」
 雄たけびを上げながらゴートが突っ込んできた。
 手に持つ拳銃では護衛を盾にするウィーズに致命傷は与えられない。近づき、その膂力で護衛ごと吹き飛ばすつもりなのだ。
 圧倒的な質量。足を撃ち抜こうがこの勢いはまず止まらない。
 瞬時に判断したウィーズは、突っ込んでくるゴートに盾としていた護衛を突き飛ばす。
 ゴートの視界が黒く染まった。
 思わず抱きとめてしまったゴートの顔に、突き飛ばした護衛の背中を踏み台にして跳んだウィーズの右ひざがぶち当たる。
 ぐちゅ。ひざの先で鼻骨が砕ける嫌な感触が伝わってきた。
 ウィーズはくるりと回転して着地しようとするが、させない。
 着地の瞬間だけは動きが止まる。
 僅かな時間に過ぎないが、それで十分。
 彼女の戦闘能力を奪うにはそれで十分だった。
 着地地点を狙ってプロスが拳銃を抜き―――
「ご、御免っ!!」
 ―――その脇腹に月臣の掌底が叩き込まれた。胃が垂直に持ち上がり呼吸が無理矢理止められる。
 堪らずプロスはその場でひざを付いた。
「つ、月臣さん。あなたは……っ」
「す、すみません。自分は―――」
 プロスの抗議に自分でもなぜ動いてしまったのか分からない月臣が答えようとして
「―――月臣っ、入口のゴツいの持ったやつらお願い!」
 それをウィーズの言葉が遮る。
 見ると入り口から機関銃を持った護衛2人がウィーズに狙いを定めていた。
 ウィーズはそれらを無視して一人反対方向に突っ走っている。
「くっ、何で俺が……!」
 見捨てることの出来ない月臣。
 反射的に小型次元歪曲場(ディストーションフィールド)発生装置を作動。
 自身とウィーズの壁となるように広範囲の力場を作る。
 構わず発砲してくる護衛の弾をいなす様に弾くと、彼らに肉薄して力場をそのまま叩き込んだ。
「オオオオオオオオオオオッ!!」
 床がめり込むほどの踏み込み。
 圧倒的な破壊音。言うなれば豆腐をハンマーで思い切り砕いたようなものか。
 叩きつけられた力場は護衛2人はもちろん、その後ろの壁もさらにその向こうに待機していた他の護衛も一切合財まとめて吹き飛ばした。
「……めちゃくちゃね」
 思わず呟いたウィーズの言葉に反論すべく振り向いた月臣は、しかし驚きに目を見開く。
 ウィーズは大将であるアカツキに銃口を突きつけていたのだ。
 にやり、と笑いながら彼女はアカツキに話しかける。
「いい様ね、色男」
「……やられたよ。まさか月臣君が裏切るなんてね」
「っい、いえ! これはそのっ……!」
 必死に取り繕うとしている月臣をふふふと笑いながらウィーズが言う。
「約束したからね、護ってくれるって。野心や保身が少しでもあるなら今頃は連合軍の幹部の席にふんぞり返っているはずだから。あいつの筋金入りの馬鹿さ加減は信頼できるわ」
 自分のことを棚にあげた酷い言いようだが、確かに月臣は思考よりも行動が先に立つ人間だ。目の前で知人が撃たれそうな状況下なら、動かずには居られないだろう。
「で、この僕にどうしろと?」
「当初の契約を履行するだけよ。私は火星の後継者とやらの争いには手を出さない。ネルガルは孤児院への援助を行う。1つだけ違うのは私がネルガルの保護下から外れるって事だけ。月臣の立場もあるから勝手に出て行ったりはしないけど、安全のためにC.C.は返してもらうわ」
 月臣の立場というのは、もちろんただの口実だ。ウィーズとしてはC.C.さえ手元にあれば相手が誰であろうと逃げ切る自信はあった。だからこそ下手に逃げて周りに被害が出るくらいならとりあえずおとなしくここに留まろうと考えていた。
 ここまでやっておいて俺の立場も何もないだろう。ウィーズの考えに感付いた月臣は強くそう思ったが、とりあえず口には出さずに何時でもウィーズを護れるようにさりげなく移動した。
 アカツキは疲れたように溜息を1つ吐くと、
「……1つ聞かせて欲しい。さっきの話、どこまでが本気だい?」
 ウィーズにそう問いかけた。
 彼女が言った『仲間の命が大事ならとっとと降参すればいい』という台詞についてだ。
「当然、全部よ」
 ウィーズは即答する。
「生きていれば、どんな絶望だって覆せるチャンスはある。少なくとも私は死なないで良かったと思えることがあった」
 ボロボロになりながらも『ありがとう』と言ってもらえた、あの時が。
「どうしても駄目だと思うんなら逃げ回ることに徹すれば良いのよ。駄目だと思いながら特攻するよりよっぽどましな選択だわ」
 自分でも笑ってしまうような台詞だ。
 一国の指導者よりも権力を持っているアカツキに対して住所不定無職の人間が言えるようなことではない。だが、それはウィーズの嘘偽らざる本音でもあった。
 征服できない不運なんて無い。克服できない絶望なんてものも無い。
 たとえ現実には征服できず、克服できなかったとしても、それはその時に間違いを認めれば良い。そしてそれは決して今ではない。
 誇りのために死ぬのなんてまっぴらだ。
 そういう生き方が間違っているとはいえないが、少なくとも自分の考えは違う。
 名誉を傷つけられようが泥を啜ることになろうが、死んだら全てが終わりなのだ。
 だから死ぬのは最後の最後に……1回だけで良い。
 アカツキはウィーズを見つめ返しながら、
「……随分と人のいい話だ」
 呆れるような溜息をもうひとつする。次いで彼は脇で控えていた護衛にウィーズのC.C.を持ってくるように指示を飛ばす。余計などたばたをはさんでしまったが、ウィーズの要求通りならひとまず予定通りということにはなる。このあたりが引き際か。
 アカツキはウィーズにやれやれという風に言う。
「ま、色々あったけど大人しくしていてもらおうか」
 ウィーズはC.C.を受け取ると、ようやくアカツキに向けていた銃を下ろした。
「約束は守るわ。だからアンタ達も守ってね。もし―――」
 ウィーズはアカツキの胸倉を掴んで表情のない目で言う。
「もし約束を破って私の周りに手ぇ出したらタダじゃおかないわ。ボソンジャンプで逃げ回って片っ端からネルガルの施設を潰しまくってやる。地球の端だろうと月の裏だろうと、何千ヶ所だろうと何万ヶ所だろうと、私が擦り切れるまで徹底的にやってやるわ」
 そこまで一息に言って、ウィーズはアカツキを離しながら口元だけ笑う。
「だから約束、守ってね」
 ……思っていたよりも厄介なものを引き入れてしまったかな。アカツキは胸の中でそう悪態づいた。

















「無茶をするのもいい加減にしろっ!」
 アカツキたちとの話が終わり、ウィーズの軟禁場所となるネルガル本社敷地内にあるSS用社員寮の1室である月臣の自室―――当初の軟禁予定の部屋は流石にウィーズが嫌がったため―――に入るや否や月臣は声を荒げた。
「もし会長が来なかったら人質に出来るようなものもなく、どうするつもりだったんだ!」
「いやー、それならそれで他の手を打ったまでだったんだけどね」
 悪びれずに言うウィーズ。
「しかも会長の前でネルガル全体を敵に回すようなことを言うなど、自分が何を言ったのか分かっているのか!?」
「うん、わかってるよ。最後まで戦うしかないって。私の周りに手ぇ出そうって奴等がいなくなるまで」
「そんなこと本当にできると思っているのか?」
 月臣は顔を歪めてウィーズに問いかける。
 ネルガルは強大だ。表の顔は言うに及ばず、SSを初めとする暗部についても、当の月臣でさえその闇の底が見えない。そんな先の見えない暗闇に、こんな女が一人で立ち向かって、一体どうなると言うのか。
 吐き捨てるような言葉に、ウィーズは迷わず答える。
「思ってるわ」
 何一つとして疑わない。そんな表情だった。
 彼女は自身の能力を心の底から信じている。その頼りとしているものは類まれなる逃走能力(誤字にあらず)。事前に危機を察知する獣じみた直感。ネルガルSS1ユニットとすら伍する接近戦能力。どれほど窮地に陥ったとしても決して諦めようとしない精神性。なにより火星の後継者のジャンパー狩りによりただでさえ絶対数が減少しているA級ジャンパーの中で、頭1つどころか体が2つも3つも抜けているほどの出鱈目なジャンパー適正。これらを持ってすれば、そう簡単に捕まることはありえない。地下にもぐり情報を収集しつつ護衛も防衛も飛び越したボソンジャンプテロを繰り返す。例え自身が大きな勢力でなかろうとも、ネルガルが最も嫌がる戦い方を自分は出来るのだということを彼女は知っている。そしてネルガルには目下、彼女よりも遥かに強大な火星の後継者という敵がいる。ただでさえ苦戦が必至な状況で、さらに後ろから攻撃され続けれられればどうなるのか。ネルガルとてそれが分からぬはずがない。
 だから彼女は、己の行動を一切疑わない。
 彼女は本当に信じているのだ。このどうしようもなく巨大なネルガルに戦いを挑んで、最後まで勝ち残ることを。
「それに、さ」
 奥歯を噛む月臣に、ウィーズは微笑みながら言う。
「月臣が手を貸してくれるって言うなら、割と何でも出来ちゃうような気がするんだよね」
 ウィーズの信頼が苦しい。
 彼女の純粋さ、度胸、大胆な行動力、それを実現するだけの実力。
 月臣にとってもそれは賞賛に値するものだと本心で思っている。
 だが、ウィーズは決定的なことを見落としている。
「途中で裏切るかも知れんぞ。こっちにも色々都合があるからな」
 歯の間から呻くように言う月臣。
 今の月臣の最大の目的は熱血クーデターで取り逃がした草壁春樹と決着をつけることだ。だからこそ蜥蜴戦争時の天敵であったネルガルにも組みすると決めた。優人部隊の制服も脱ぐと決めた。優人部隊時代のように正義を胸にこめた行動ではなく、それが自分なりの贖罪と筋の通し方だと思ったからだ。
 何を犠牲にしても草壁を倒す。例えその先に避けえない破滅があろうとも、戦うと決めた。
 だからもし、その目的にウィーズが邪魔をするというのなら、月臣はウィーズを排除することとなるだろう。
 もちろんウィーズも月臣の言いたいことは分かっている。分かっている上で、さらに言葉を続ける。
「大丈夫。なんだかんだ言っても月臣は助けてくれるよ。アンタのその誰も見捨てることの出来ない小市民っぷりを私は信じてる」
 褒めているのか貶しているのか分からないウィーズの言葉に月臣は憮然として押し黙る。
 そして小さくこう付け加える。
「……ま、もし本当に助けてくれなくてもさ。それはそれで構わないから」
「おい、それはどういう―――」
 月臣が言いかけたところで、不意に部屋のチャイムが鳴った。
 家主の月臣を差し置いてウィーズが『どーぞー』と入室の許可を出すと、すぐに入り口のドアがスライドした。
 入ってきたのは小さな女の子だった。
 淡いブルーのワンピースの上から、黄色いリボンのついた白いマントを羽織っている。金色の瞳に、染めたのか生まれつきなのか、幻想的な桃色の長髪がすとんと腰まで流れている。通常ではありえないその髪と瞳の色が、彼女の超然的な雰囲気とあいまって、まるで絵本の世界の妖精のようだとウィーズはぼんやりと思った。
 そんなことを考えていると月臣がその女の子に声を掛ける。
「どうした、ラピス。何か用か?」
 月臣から問いかけられると、女の子――ラピスはウィーズを指差しながら答えた。
「彼女と話がしたい」
「……私?」
 言われて同じように自分を指差しながら問いかけるウィーズに、答えとばかりにラピスはこっくりと頷いた。
「ラピスがウィーズに対してか? テンカワではなく?」
「アキトは顔を合わせたくないと言ってた」
「……ねえ、月臣。この間から気になってたんだけど、そのテンカワってもしかして……」
 何気なくラピスと話す月臣におずおずとウィーズが問いかける。
「ああ。お前と月にいたあの(・・)テンカワ・アキトだ」
「えっ? うそ? シャトル事故にあったんじゃないのっ?」
 眉根を持ち上げてウィーズが矢継ぎ早に言う。アキトとユリカが巻き込まれたシャトル事故――実際は火星の後継者によるテロ――は、数百人単位の犠牲者を出し、かつ、良くも悪くも耳目を集めたナデシコクルーが巻き込まれていたとあって、事故当時はかなりの報道がされていた。シャトルの船体が盛大に爆発する様は何度も放送され、それ故ウィーズもアキトは既に死んだものと思っていた。
 ウィーズとアキトは知己である。4年前、まだ蜥蜴戦争の真っ只中の頃、月にボソンジャンプしてしまったアキトと同じ職場に住み込みで働いていたことがある。期間こそ短かったが、2人は本当に信頼しあっていた。だからこそアキトの死を知った時はしばらく何も出来ないくらいに気が動転した。
「……そっか。アキト君は生きていたんだ」
 脱力するように笑うウィーズ。アキトの生存が分かっただけでもネルガルに来た価値はあった。しかし月臣は若干その表情を暗くするとこう切り返した。
「ジャンパー狩りの被害にあってな……。随分とボロボロになってしまったがな……」
 月臣は淡々と言う。
 そのシャトル事故自体が実はアキトたちを実験動物として捕らえるために仕組まれたテロだったこと。火星の後継者に身体をボロボロにされ料理人という未来もユリカという妻も奪われたこと。火星の後継者に復讐を誓い、そのために動いていること。その過程でラピスを保護し今はパートナーとしていること。そして、その復讐のために既に数え切れないほどの殺人を犯していること……。
 やるせない。本当にやるせない顔で月臣はウィーズにアキトの今を端的に説明した。
 知己であるウィーズに会いに来ないのもそれが原因だろうとも。
 ウィーズはそれだけ聞くと、やはり変わらずに微笑を浮かべながら答えた。
「……色々あったんだね。でも良かったよ。良く分からないけど、それでもアキト君は『今』生きているんだし」
 生きてさえいればどこからでも仕切りなおしは可能だ。どれほど困難であろうとも、少なくともチャンスだけは残っている。ウィーズはネルガルにいる間にアキトと話し合おうと心に決めた。
「……そっちの話は済んだ?」
 これはラピスの台詞だ。
 月臣とウィーズの話が一段落したことを見計らってウィーズに声を掛けてきた。
「ああ。ごめんね。えーと、で、ラピスちゃんは何が聞きたいのかな?」
「あなたの楽観的過ぎる思考について」
「ら、楽観的過ぎるって……」
「ウィーズの素性は調べさせてもらった。穢れし者の社会的な立場も、様々な組織から追われている今の状況も、周りにも敵にも被害を極力出させないようにする行動方針も」
 一拍。ラピスはウィーズを真正面から見据えて言葉を続ける。
「ウィーズの行動は不可解。なぜ『敵』まで助けようとするの? なぜ自身の生存確率を下げてまでそんなことをするの?」
 別にそれは非難の声ではなかった。
 人の感情の機微というものに聡くないラピスだから、それは単に不思議だったから聞いたことだった。
 極限状態におかれた場合、他の者のことなど省みることなく、自身の状況を改善することが必要であろう。
 しかしウィーズはそんな状況で『敵』にまで救いの手を差し伸べようとする。
 それが分からない。そう思う感覚が、ラピスにはどうしても分からなかった。
「おしえて。ウィーズは何を考えているの?」
「……私が『敵』と思っていないから、かしらね」
 ウィーズはゆっくりと言葉を選んで問いに答える。
「例えどんな人でも、将来的に仲良くなれるかも知れない。そう考えたら、この世界は友達になれるかも知れない人で溢れているのよ。だったら、助けないわけには行かないでしょ?」
「友達……」
 ウィーズの言葉を舌の上で確かめるようにラピスは呟く。
「そう思えない?」
「何をもって友達とするかその基準が分からないけど、私にはそれが殊更に命を危険にさらしてまで行うようなことには思えない」
「…………」
 ウィーズは片眉を持ち上げて目の前の少女を見やる。
 ラピスはまるで新聞の記事を読み上げるような口調で告げた。
「『敵』と『味方』の区別があまりにも不明確」
「区別、か……」
「家族や同僚であっても絶対の『味方』である保障は無い。まして自分以外の不特定多数で構成される社会は常に一定の『敵』を内包していることになる」
 ラピスの言っていることは事実だ。
 そもそも人間が1人しかいない世界には犯罪も戦争も起こりはしない。
 人間の最大の敵は、結局のところ人間ということになる。
「ウィーズのいう『友達』になれるかもしれない確率は潜在的で、普段は判別できない。そもそも自分以外の全ての人間は、例え直前まで『味方』であっても『敵』となる可能性を常に秘めている。だから人間は―――」
 ラピスの言葉に逡巡や躊躇いは無い。
 当たり前のことを当たり前のように、ただ断じた。
「―――『敵』になるかもしれないもの同士で無理矢理に集団を形成していることになる」
「…………」
「人間は1人では生きていけないというけど、それはやり方次第。だから私にはウィーズが何で命を危険にさらしてまで敵や無関係の人間を助けようとするのか分からない」
 どれほど過酷な経験をすればラピスのような歳でこれほど達観した考えを持ちうるのだろうか。こんなところにいる以上ラピスの素性にはそれなりの理由があるのだろうし、ウィーズ自身もあまり恵まれた人生を送ってきたとは言いがたいが、人によっては十代そこそこの少女がこんな台詞を普通に言えることに戦慄を覚えるのだろう。それは子供の頃にありがちな背伸びをしようとするあまりに生じる自尊心の裏返しなどではない。
 心底ラピスは不思議がっているのだ。
 ウィーズが他人のために命を賭けられるということを。
「えーと、ラピスちゃん?」
「なに」
「ラピスちゃんの話だと……アキト君もラピスちゃんにとって『敵』となる可能性を含んだ存在になっちゃうの?」
「…………」
 珍しく、本当に珍しくラピスは黙り込んだ。
 一拍。ウィーズは軽く息を吐くと、そんなラピスを見ながらこう続けた。
「一度しかない人生。嫌いなものがあるってのは単純に損なのよ」
「……損」
「そう、損。嫌いな『敵』が1つ増えれば好きなものが1つ減ってしまう。だったら少しでも気持ちよく生きるためには、やっぱり目の前で困っている人は見過ごせないでしょ」
「それで自分が死んでしまったら意味が無い」
 身も蓋も無いラピスの言葉。
 しかしウィーズはこの手の言葉は言われ慣れている。
 噛んで含めるようにゆっくりとこう続けた。
「病気だって事故だって、死は平等に訪れるわ。まして私は穢れし者だからね。死はいつも私と隣りあわせで、そして問いかけてくるの。今の人生に後悔は無い? 偽り無く生きてる? 仮に明日死んでしまったとしても、それで笑って逝けるか? ってね。……命を粗末にするわけじゃないわ。せっかく生まれたんだもの。限りある人生をきちんと搾り切って生きようとしているだけよ」
 ウィーズはラピスの顔に理解の色を認めると、最後ににっこりと笑いながらこう締めくくった。
「それにね、自分でやりたくてやってることだから、思ったよりもしんどくないのよ、これが」
「…………」
 笑いかけてくるウィーズを見ながら、ラピスは衝撃を受けていた。
 ウィーズの考え自体は酷く単純で簡単なものだ。それは子供の理論ともいえる。しかしだからこそしがらみや先入観の少ないラピスには分かりやすく伝わり、反論が難しい。
 良くも悪くもラピスの周りには大人(・・)しかいなかった。そんな彼女にとって、ウィーズの言葉は心の奥にまで一気に染み込んできた。
 そしてなにより、ラピスは迷いの無いウィーズの瞳に魅入ってしまっていた。
 全てを自分で決め、自分で選び、自分の生き方をハッキリと持っているウィーズだからこそ、その言葉が強く印象に残った。
 それは成り行きでネルガルに留まっている自分とはあまりにも違うものだったから。
 ラピスはウィーズのことをもっと知りたいと思った。
 何を考えているのかを知りたい。聞きたい。彼女にも不安や迷いがあるのか。
 もっと。もっと。
 ―――しかし、その言葉を発する前に彼女のコミュニケに着信が入る。
『ラピス。任務だ。月臣を連れてすぐに戻れ』
 声はアキトのものだった。
 彼はラピスがウィーズに会いに来ていることを知っているため、サウンドオンリーでコミュニケも表示されない。しかも用件だけ告げるとすぐに切ってしまった。
「行くぞ、ラピス」
 脇で2人の会話を眺めていた月臣がラピスに声を掛けた。
 ラピスは頷いて、ウィーズに右手を差し出す。
 握手。
 ラピスが持ちうる、数少ない友好を求める行為。
 ウィーズがその手を握ると、ラピスも握り返して別れの言葉を告げる。
「また、あとで」
「うん、またね。ラピスちゃん」
「…………」
 月臣はそんなラピスを怪現象でも見たかのような表情で見ていた。
「……どうしたの?」
「いや、何でもない」
 不思議そうにたずねてくるウィーズに首を振ってそう言う。
「じゃあ行ってくるが、あまり暴れるなよ」
「私を何だと思ってんのよ。良いからとっとと行ってきなさいよ」
 悪態をつきながら出て行く月臣の背中に蹴りを入れるウィーズ。
 そして月臣とラピスが十分に離れたことを確認すると、にんまりと笑って部屋に据え付けてある電話機を見やる。
「さて、思う存分出前を頼まさせてもらおうかしら」
 後日、領収書の束を見てプロスに呼び出しを食らうことになるのだが、任務に向かう月臣にはその原因を知るすべは無かった。














 暗い部屋の中でノートパソコンと向き合っていた。明かりは消され、宙に浮くディスプレイの淡い光だけが、彼女の顔に反射している。
 身なりの良い、良家のお嬢様という感じだ。手の行き届いたふわふわの金髪が特徴的で、着ているものも上等な生地の白いワンピースである。身にまとう雰囲気自体はまるで違うのだが、目鼻立ちや輪郭といったパーツがウィーズにかなり似ている。人によっては姉妹だと思うかもしれない。
 頑張ろう。
 それが彼女、アクア・クリムゾンの現在の目標だった。
 『出来る限り人の死なない社会を作る』という最終目標に向かってクリアしなければならないハードルは無数にある。
 そして自分がやろうとしていることがどれほど大それていることかも、アクアはよく理解していた。
 地球と木連との和平からこっち、ねじれ続けた両者の関係は、ついに木連側がクーデターを起こすという点にまで発展してしまった。
 木連側の出資者が自分の祖父ロバート・クリムゾンなのだ。クーデターの情報は割りと簡単に手に入った。
 まずはこれを潰す。
 これは普通の感覚では到底不可能なことだろう。というかなまじクリムゾンの実情を知ってしまっている分、余計に夢物語に思えてしまうだろう。如何に大企業クリムゾン・グループ総帥の孫娘であろうと、現時点での彼女にはたいした力はない。一応、クリムゾングループの広告塔兼親善大使というお飾り的な役職が与えられているため、それを利用した各国の上層部への人脈作りや一般大衆への知名度はなかなかのものであるが、正直その程度のものである。後は子飼いの護衛や部下が数人とそこそこの予算が彼女の武器の全てだ。
 これでクーデターを、それも実の祖父が首謀者の1人となっている世界的規模のものを防止することなど、質の悪い妄想でしかないだろう。
 だから頑張らなくてはならない。
 自分に出来ることなど、それくらいなのだから。
「それに動機も不純なものかもしれませんわね」
 ぺろりと舌を出し悪戯っぽい――けれど見るものの背筋を否応なく粟立たせるかのような、凄惨な苦笑いを浮かべて、アクアはパソコンのコンソールを叩き続けた。
 部屋の明かりは消してある。以前に窓から漏れる明かりから部下であるマルコ・オーエンにバレてしまったことがある。
 ディスプレイの青白い光が、彼女の顔を下から薄暗く照らしている。亡霊のようなその姿を、アクアはしかし気付いてはいなかった。
「そうですわ……」
 自分の理想とする社会を作り上げたい。そして成長して対等な立場としてウィーズにもう一度会いたい。
 そんな個人的な理由で祖父や世界を相手取って立ち回ろうというのだから、自分のひねくれ具合ももはや修正不可能なレベルにまできてしまったのだろう。
 そしてそんな個人的な理由で大勢の人を巻き込んでしまう以上、自分には言い訳の入る余地などない。文字通り死ぬ気でやるしかないのだ。
「今が……正念場なんですから……」
 アクアは自分が各国の上層部と会合を持つ中で、これはと思った人物――もちろんクリムゾン、火星の後継者の息が掛かっていないことを確認済みである――に対してクーデターの情報を一部リークしていた。そしてその上でクーデターの妨害、ないしは被害の最小限化を提案していた。
 火星の後継者は本当に大きな組織だ。一定以上の諜報技術を持つ国々がそれを知らないはずはない。知っていながら事実を伏せ、秘密裏に対応してきたはずなのだ。
 アクアの提案に彼らがどう動くかによって、世界の方向性が決まってくるのだろう。そしてその時こそ、機を窺ってきた世界の流れが一気に加速する時でもあるのだ。
 地球連合か火星の後継者か。
 どちらに付くべきか、いつ動き出すべきか。
 どの国や組織も迷っているはずだ。彼らを説得し、その背中を少し押すきっかけさえ作れれば……。
 そのような状況で―――
「ウィーズさんは今頃どうしているんでしょうか」
 ぽろりと呟く。
 その瞬間、突然こみ上げてきた吐き気に彼女は口を押さえて慌てて席を立つ。
 そのまま机の横に備え付けてあるくずかごに倒れこむように抱え込んだ。
「……うっ、………かはっ」
 吐き気は収まらないが何も吐くことが出来ない。考えてみれば今日は朝にパンを一切れ放り込んだきりだ。涙に視界がにじむ中でアクアは地震が収まるのを待つかのようにじっと耐えていた。そして呼吸が落ち着き、吐き気も消えると、彼女は何事もなかったかのように立ち上がった。
「……さ、続きをやらないといけませんわ」
 呟くアクアの顔には、先ほどと同じ微笑が張り付いていた。
 無理をしていることなど、百も承知だ。
 それでも今動かなければ、彼女の理想は早々にして潰える。
 自分の動きが祖父にバレて潰されるまで、頑張り続けるしかないのだ。
「ゾクゾクしますわ」
 精一杯不敵に呟いて、アクアは椅子に座りなおした。
 と、そこでコンソールを叩く音だけが響いていた部屋にノックをする音が混じった。
「――お嬢様」
 ギクリ、とアクアの手が止まる。
 抑揚はなく、ただ透明で硬い響き。思わず背筋を正したくなるようなそれは、礼節を具現化させればちょうどこんな声になるのかもしれない。
 無視するのも不自然なため、彼女はとり急ぎ展開中のウィンドウを全て閉じてから返事をした。
「失礼します」
 扉を開いて入ってきたのは1人の青年であった。
 年の頃は30歳前後。黒髪を一本の乱れもなく綺麗に後ろに流しているその髪型が、彼の性格をよく現していた。闇に溶け込むような細身のスーツと、その袖口に星のように煌く銀色のボタン。それらとは対照的な一点の汚れもない白いワイシャツ。そして夜の屋内にもかかわらず掛けられたサングラス。
 よく言えばボディーガード、悪く言えばマフィアのような男、マルコ・オーエンは部屋に入るなり溜息交じりにアクアに話しかけた。
「お嬢様、くれぐれもご無理だけはしないようにと、言っているはずですが」
 どうやら隠れて仕事していたことはバレバレだったようだ。アクアは悪戯がばれた子供のような居心地の悪さを覚えたが、とりあえず咳払いをしてその場を取り繕った。
「私のことは良いですわ。それよりこんな時間にどうしたんですの?」
「報告です。交渉中であった飛鳥インダストリー社役員の身辺調査が完了しました。これが資料です」
 アクアはマルコから受け取った資料に目を通すとその口角を吊り上げた。
「あらあら。ずいぶんと良いご趣味をお持ちのようですわね。女装に盗撮、まさか『男』まで買っているとは……」
 小娘だと思って馬鹿にしたあの役員め。明日の会談でそのすだれ頭を毟り取ってくれましょう。
 Sっ気全開の表情でとてもとても楽しそうにアクアは一人ごちる。
 そんなアクアを見ながら、表情を変えることなくマルコは報告を続ける。
「それともう1つ。ネルガルがウィーズを捕獲。それに合わせて火星の後継者と一戦交えたようです」
 マルコの言葉にアクアの眉が持ち上がる。
「このタイミングで? 想像よりは遅いですけど理想よりは早いですわね」
 アクアたちはウィーズがイギリスにいたこともネルガルに狙われていたことも知っていた。本来ならば真っ先に自分たちで保護してやりたいところだったが、もろもろの事情によりそれが出来なかった。そのため、彼女の周辺を調査していたのだが……
「あいつの存在は良くも悪くも周囲を巻き込んで変化を起こします」
 世界を変えるきっかけ。
 それを聞いたアクアの口元が自然と吊りあがった。不意に発作のように込み上げてきたものが口をついて出る。
「くふ、くふふふふふふ!」
 横隔膜が痙攣するように腹の底から(わら)いが漏れる。
 これは素敵だ。とてもとても素敵だ。
 彼女に合わせて自分が動けば、それで全てが『無』に返る。
 なんとも頭の悪いちゃぶ台返しだ。
「良いでしょう。計画を一段階進めます」
 アクアはマルコに指示を出す。
 ネルガルはまだウィーズの重要性を真には理解していないはずだ。
 ならばこちらの打つ手もまた決まってくる。
 意図したにせよ、そうでないにせよ、ウィーズが起こした風に思い切り帆を張ってやろう。
「ああ、待ち遠しいですわ。待ち遠しいですわ。待ち遠しいですわ」
 アクアは両手を開いて高らかに哄笑した。哄笑しながら、声を張り上げた。
「急いて急いて参りましょう。だからウィーズさん、待っていてくださいな。これから世界をひっくり返すような戦いが始まりますわ。踊り狂ってみませんか? 絶対楽しいですわ絶対に!」
 だから私を待っていて、とアクアは本当に楽しそうに叫んだ。
 過去の友を思いながら、クリムゾンの毒は高らかに(わら)っていた。











 室内は静寂に包まれていた。
 待機を命じられてからどれくらいの時間が経過したのか定かではない。時計を見れば無論分かるのだが、特にそんな気にもならない。
 テンカワアキトは実感していた。今回の襲撃が、火星の後継者に対して大きな打撃になるという確信があった。
 今までの砂を噛むような達成感の沸かない任務を思えば、たとえ丸1週間待たされるとしても苦痛ではない。
 むしろ―――
「―――アキト」
 小さく高揚する彼に声が掛けられたのはそのときだ。
 顔を上げるとそこにラピスの顔があった。
 ここはネルガル本社敷地内のNSS隊員用施設の中にある控え室だ。アルストロメリアやエステバリスといった通常兵器はともかくとして、機動兵器ブラックサレナや戦艦ユーチャリス等の機密兵器は月の基地にあるので、普段はここで待機して任務開始直前に月までボソンジャンプで取りにいくことになっている。特に最近はコロニー襲撃を初めとしてブラックサレナ等を使うことが多いので、この施設で待機することが多くなっていた。
 アキトはラピスに今回の任務の内容を端的に説明する。
「今度のアタックはターミナルコロニー『アマテラス』だ。今までのコロニーとは防衛戦力の桁が1つ違う。ボソンジャンプによる奇襲を仕掛ける」
 ラピスは頷くと、それとは別に、こう切り出した。
「ウィーズに会った」
 アキトの眉がぴくりと動いた。
 ラピスがウィーズに会いに行ったことは知っている。
 アキトは無言でラピスに先を促した。
「ウィーズは……」
 そこでラピスは言葉を切った。
 なかなかいい言葉が見つからない――そんな様子で彼女はしばし逡巡の表情を浮かべ、そして言った。
「面白い人間だった」
「……そうだろうな」
「アキトは会わないの?」
「……合わせる顔がない」
「後悔しない?」
 返答には、若干の間があった。
 ラピスの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
 まったく、彼女はどんな魔法を使ったのやら。
 記憶に残るウィーズを引っ張り出し、心の中で苦笑いを浮かべながら、アキトは答えた。
「……毎日、後悔の連続だ。しかし―――」
 一瞬、口元に微かな笑みを作ってからアキトは続ける。
「―――しかし、後悔できるうちは、まだマシなんだろうな」
「……そう」
 本当に絶望したものは後悔などしない。
 後悔し、苦しみ、もがいている内はまだいける。まだその先がある。
 まだ先があるということは、それがどれだけ見えにくい、海の底のような行く先だとしても、それは幸福なのかもしれない。
 ラピスと出会って、アキトは自分が復讐だけでなく、ユリカと一緒にこの先も生き続けたいのだと気付いてしまった。
 全てを捨てたつもりで、絶望することすら満足にできていないことを分かってしまった。
 ……火星の後継者を倒し、ユリカを取り戻すことが出来たら、彼女に会ってみるのも良いだろう。
 ふと、そんな考えが頭をよぎった。
「話を戻すぞ。俺たちのやるべきことは、まずは火星の後継者の打倒だ。次のアマテラス襲撃はその大きな足がかりになると思う。詳細データは既に送ってある。確認して準備をしろ」
「わかった」
 ラピスは頷くと、手元の端末を操作して情報を閲覧し始めた。
 この翌々日、2201年8月9日。アキトたちはアマテラスへの襲撃を敢行した。アマテラスには火星の後継者のボソンジャンプ実験の中核を成す施設と、『ユリカ』がいた。アキトとラピスの捨て身の襲撃により、火星の後継者の最大の泣き所である主要施設の発見に成功したのである。火星の後継者はそれら全てを隠蔽することは難しいと考えたのか、それとも既にボソンジャンプ技術が確立したのかは分からないが、この襲撃に合わせて、その正体を公にし、そして全世界に向けて武装蜂起を宣言した。
 この時をもって、火星の後継者との戦いは一気に加速度を増したのである。
 ……しかし。
 真に絶望してしまうことと、絶望しきれずに泥沼から這い上がろうとすること。
 どちらが本当に危険であるか。
 真に絶望したものは何もしない。本物の絶望は何も壊さない。誰も殺さない。ただ、自壊するだけなのだ。
 本当に危険なのは、争いと災厄を生み出してしまうのは、むしろ絶望しきることさえ出来なかった人間なのだ。
 彼らは絶望しない。出来ない。その覚悟がない。それ故に動く。シャカリキに動いて、周囲を巻き込み、己の行動の行く末を確かめることもなく、しばしば多くを道づれに自爆する。
 絶望を恐れて暴走する者たち。
 それがどんな結末を引き出すのかということを、この時のアキトたちは、まだ知らなかった。




















楽屋裏
 アカツキの扱いの悪さは作者の愛の表れですよ?(何
 こんにちは。最近、自分の愛情は歪んでいるのではと思っている鴇でございます。
 読んでくださった皆様、誠にお疲れ様でした。

 今回は(も?)大上段からの直球です。
 ウィーズはあれですね、ジャンプとかサンデーとかに出てくる直情径行暴走タイプのキャラと一緒ですね。(実はガイと根っこは同じ?
 なんとなく後から読み返してみるとオイオイって思うような行動取ってるし。
 以前、代理人様からの感想で『狂気というのは何かひとつのことが他の全てに優先される状態』というのがありましたが……
 ああ、うん。ウィーズ狂ってるかもしれないです(マテ
 今回はアカツキとウィーズでバチバチやり合いましたが、アカツキにとって優先すべきものは『ネルガル』というコミュニティの利益で、ウィーズにとってのそれは彼女の周りにいる不特定多数の人命。しかもその人命を護るためなら他の被害は無視するという本末転倒っぷり。主人公キャラとしてはそれでいいのかもしれませんが、社会人として組織のトップとして一般的な常識と平衡感覚を持っているアカツキからしてみたらなんだかなぁ……って思ってしまうんでしょうねぇ。
 というか、普通の人からしてみたらヒーロー的な存在ってみんな狂ってますよね(マテ
 優先順位が理解しがたいベクトルになってますし。
 木連だって正義のために女子供も皆殺しにしましたしね(それは違
 極論すると『ウィーズは人命を企業にとってのお金と同じくらい大事にしている』ってことで。
 うわ、何かカイジに出てきそうw やっぱり狂ってるわ(私も

 閑話休題。
 まさかのアマテラス襲撃カット。ほぼ原作と一緒なんで状況説明だけで。
 テンポ的な意味もあってアキトの見せ場は火星の後継者武装蜂起後ということになります。
 そして現れる原作壊し1号・アクア。
 今回のプロットでは流石に主役喰いはしないはずですが、さてさてどうなるんでしょうね?
 冷却期間は彼女にとっても歪んだ友情?を育みましたよ(最悪だ

 次回は時間軸を少し戻した火星の後継者側の話となります。
 大体3分の2くらい書き終わっているんですが、いやもう女性キャラがいないこといないことw
 個人的な副題は『ドキッ、男だらけの陰謀話。ポロリもあるよ(失言的な』です。
 お楽しみに!(ぜんぜん楽しみに出来ねぇ






<フラグ回収用エピソードでラブコメに路線迷い猫オーバーランしようとして失敗したおまけ>
 おまけ









感想代理人プロフィール

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代理人の感想
まー、無制限に自分より他人を優先できる人間、例えば勇者とか聖人とか……
ってのはやっぱりどこか壊れてますよね
、って話でした。

Fateを引き合いに出すまでもなく、例えプラス方向(あるいは一般的にそう思われている方向)であっても、
人間を越えようとすればどこかで歪むというか異常になると言うか。
正常というのはとどのつまり平凡と言う事ですからね。

そう言う意味で「断食なんかくだらねぇぜ! スジャータの乳がゆ
蝶うめえーっ!」(違)と叫んだお釈迦様は、
この手の宗教の開祖とかの中では異常に親近感が持てるんじゃないかなぁとw


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