彼の仕事は、いつも負けばかりだった。
 それは彼の仕事の本質が常に手遅れであるからだ。即応、といえば聞こえはいいが、決して先手を打てることはない。
 待ち続け、事が起こってから慌てて出かけて、そしてひどく野蛮な方法で解決する。
 その繰り返し。
 当然、犠牲者も数多くでる。
 無駄ばかり負けばかり。労力の割りに報われることの少ない、そんな仕事を彼と彼の仲間達は続けていた。
 彼は周りに不平不満をぶちまけるほど迂闊ではなかったが、このような乱雑な方法を続けていて良いとも思ってはいなかった。
 だから彼は耐えた。
 機が熟すのを待った。人間は進化する生き物だ。それが時に己の首を絞めることとなっても、さらに長い年月をかけてその欠点すらも補っていけるものだと、彼は信じていた。
 そして今、その自信が確信に変わったのだと、彼は実感している。
(もうすぐだ。もうすぐ―――)
 それが精神の平衡を保つ呪文であるかのように彼は脳裏で繰り返す。
 薄暗い室内も慌しく周囲を駆け回る研究員の声も気にならない。
 細く狭められた瞳の奥で、小さな高揚の炎だけが揺れていた。
『記録開始。<白雪姫>を作動します』
 通信士からのその言葉が出ると同時に、彼の意識は前方へと釘付けとなった。
 通電によりかすかな光を放ちはじめた、有機物とも無機物とも言えぬ女性のレリーフ―――<白雪姫>へと。
 いや、それはただのレリーフでなどではない。なにしろボソンジャンプの演算ユニットに生身の人間を部品として結合させたのだから。
 ボソンジャンプ。
 物理法則をも捻じ曲げるその移動手段は、誤解を恐れずに言えば空間跳躍(ワープ)とでも言えばいいのか。しかし通常、地球上の生物がボソンジャンプを行おうとすると、共に跳んだ物体の構成物質同士が融合してしまったり、ジャンプアウトの地点(ポイント)がランダムになったりと、その真価を発揮できないどころか命の危険に晒されすらする。それはボソンジャンプの演算ユニットである火星極冠遺跡が、人類とは異なる思考基盤を有しているため、そのままではジャンパーのイメージに変換相違(ノイズ)が混じってしまうからである。これを回避するためには『ある特殊な遺伝子』が必要となるのだが、その遺伝子が現在では非常に希少なこと、また一定の年齢以上のものには外科手術を行ってもその性質を手に入れる事が出来ないことから、当分の間は実用化には機械補助が常に必要だと考えられていた。
 しかし、ここで彼らは、否、彼らの仲間の1人、ヤマサキ・ヨシオという科学者は1つの妙案をひねり出す。
 普通の人間ではイメージに変換相違が入ってしまうのなら、変換端子としての性質を持つものを遺跡本体に組み込んでしまえば良い、と。
「……どうした?」
 自らの仲間が作り出した悪魔の所業。それを見つめながら彼は静かに呟く。
「さあ――私にお前の力を見せてみろ。目覚めろ。発動しろ。さあ―――」
 ある種の期待と緊張の混濁した声で彼は物言わぬ実験体へ囁き続ける。
「跳躍させてみろ。ミスマル・ユリカ」
 そして……3回目の通電時に、ついに変化は訪れた。
『ボソン反応確認。なおも増大中。各員跳躍準備』
 <白雪姫>に幾何学模様の光の筋が生まれ演算ユニットの活性化が始まる。
 ついでその光は<白雪姫>の脇に控えていたボソンジャンプを行うべき有志による決死隊――(てい)の良い実験体だ――へと移っていく。
 それは人であり人でないもの。
 ただ、人や物をジャンプさせるための装置。
 目もくらむほどに発光しているその姿がそのままその身に秘めた力の強大さを表していた。
「……くッ」
 彼はつばを飲み込んで多様な計器類の並ぶ光景を眺める。
 これは望んでいた光景だ。全くもって予定通りの光景だ。覚悟もしていた。だが―――それでも足元から這い上がってくる恐怖が自分にへばりついていることを彼は自覚した。
 この実験が失敗したらどうなるか、彼は知っている。
 どこか知らぬ場所へ跳躍されるのはまだマシな方だ。いきなり宇宙空間に跳躍することもあれば、今となりにいる組員や目の前の機械類と融合してしまう可能性すらある。
 しかし、目を逸らすわけには行かない。この実験を成功させること、仮に失敗したとしてもその被害を最小限に抑える事が、彼の責務なのだから。
『ボソン反応規定値突破。次元跳躍開始確認』
 そして。
 <白雪姫>のみならず跳躍準備に入っていた決死隊の身体にも幾何学模様の光の筋が浮かび上がり、その姿が半透明に透けて見える。不自然極まりない現象である。
 これこそがボソンジャンプだ。
 古代火星人により構築され、今もって一部しか解明されていないブラックボックス。1つ間違えば軽々と人類全てを滅ぼしかねない力の塊。この手綱を握る事が、人類の目下最優先最重要事項であると、彼は確信していた。
 一拍。研究員たちの注目。先程までのけたたましい喧騒が収まったかと思うと―――
『跳躍確認!』
 待ちに待った報告。彼の目の前で3人の実験体全ての姿が掻き消えた。
 あとは15メートル離れた別室の中に実験体がジャンプアウトすれば実験は成功である。
 そしてその別室内にもボソン反応の高まりが計測されている。
 上手くいった。
 息をつき我知らず作った握り拳を解こうと思ったところで……
「………!!」
 しかし彼は息を呑んだ。
 確かにジャンプアウトは完了した。完了したが、ジャンプアウトできたのは3人のうちの1人だけ。しかもそれは下半身しかなかったのだ。丁度へそから上の部分が欠落している。その下半身の断面は鋭利な刃物で切られたのでも、さりとて力任せに引きちぎられたのでもない。不自然なまでに出血がなくうっすらと皮膚のようなものまで見えるそれは、まるで初めから下半身だけの生き物のようにも見えた。
 どすん、という重い落下音。
 自分の真後ろで生じたその音に彼が振り返ると、そこには化け物がいた。
 いや違う。それは先程の下半身だけの実験体の上半身部分が他の実験体の背中にべっとりと癒着しているものだ。まるで悪夢だ。彼らは頭部が2つ、腕が4本となってしまっていた。当然ながら生命体としての機能は失われていた。
「ひ、ひあああああああっ!!」
 研究員の叫び。それは彼に3度目の衝撃をもたらした。
 先程まで<白雪姫>に浮かんでいた光の筋がその光量を爆発的に増加させているのだ。
(―――暴走かッ!?)
 戦慄が彼のつま先から頭の頂点へと駆け抜ける。
 ボソンジャンプの暴走はその実験体のみならず実験施設全ての消滅を意味する。自分の周囲全てを巻き込んでのランダムジャンプの展開である。
(やはりまだ無理だったのか!?)
 そんな弱気すら脳裏を過ぎる。
『全員退避! <白雪姫>への通電をやめ機密保持用爆破処理の自動設定だけ行え!』
 スピーカーから通信士ではない、ヤマサキ技術主任の切迫した叫びが響く。
 だが―――
「まだだ!」
 己を鼓舞するように彼は叫んだ。
 まだ完全に暴走したとは限らない。幸い<白雪姫>への接続はまだ切られていない。ならばまだやれることはあるはずだ。
 私たちはこの力に屈するわけには行かない。この力を使いこなさなければならない。古代火星人だろうと何だろうと、それが有用であるのなら人間が脈々と積み重ねてきた英知に取り込まなくてはならない。
 断固たる決意を胸に彼は動いた。
「シンジョウ大佐! 実験は失敗です! 退避してください!!」
 部下の声が聞こえるがそれは無視して彼――シンジョウ・アリトモはオペレーターの逃げ出したコンソールへとその身を滑り込ませる。木連人らしいアナログな計器類が狂ったように針を左右に往復している。
 CCユニットの隔離。冷却装置作動。沈静化システムフル稼働。
 頭に残る危機管理マニュアルの非常時対応策を片っ端から試していく。身体の奥で警鐘を鳴らし続ける生存本能を無視し、彼は自分に言い聞かせる。
 まだいける。まだ大丈夫。
 彼はコンソールを叩きつつも胸のうちで呟き続ける。
 そして。
 次の瞬間―――<白雪姫>はそれ以上発光することなくゆっくりとその光量を落としていく。
「―――!」
 驚きと安堵の息を思わず漏らしそうになるが……彼は計器類越しに<白雪姫>を睨みつつコンソールに指を置き続けた。<白雪姫>がまた暴走するようなら、いよいよもって爆破処理を行うために。
 火星遺跡に自分たちの持つ常識は通用しない。発光が収まったからといって暴走も沈静化したとは限らないのだ。
 5秒、10秒、15秒……
 発光は完全に収まり、妙な静寂が辺りを支配する。
 やがて。
『ボソン反応急速低下。遺跡の沈静化を確認』
 通信士の喜色交じりの声が聞こえてきた。
 次いで通信機越しに歓声が爆発した。
『こちらジャンプアウト計測班! 被険体のジャンプアウトを確認!』
 実験体の最後の1人がボソンジャンプに成功したのだ。
『データは取れたのかッ!』
『完璧です! 最高のデータが取れました!』
『やった! 実験は成功したんだ!!』
『おめでとう、シンジョウ君。さすがだね』
 仲間たちが次々と叫ぶ。何度も何度も叫ぶ。その声を聞きながら、シンジョウはゆっくりと息を吐いた。
「……やった、か」
 ゆっくりと舌を転がし、自分の発した声に満足そうに頷く。
 冷や汗ものではあったが、A級ジャンパーに頼らないボソンジャンプへの足がかりが出来た。
 周りはみんなお祭り騒ぎだ。きっと今日は仲間たちにとって記念日となるだろう。
「だが、まだだ」
 彼は呟く。
「まだまだ安定していない」
 そう。これでは実用化など程遠い。1つの足場を作ったら、それを基にもっと遠くへ、もっと確実な足場を作らなければならない。その繰り返しこそが磐石なものを作る。新たなる秩序を構成する。
 そのために……
「これで今夜も泊り込みか」
 誰にともなくそう呟き、シンジョウは肩をすくめた。
 2201年4月、今の軍事バランスを作ったとされる熱血クーデターより丸3年。コロニー『アマテラス』の非公開区域にて<火星の後継者>の計画が次のステップへと進んだ。

















白黒ーwhite & blackー
第参幕 武装蜂起4ヶ月前
presented by 鴇













 シンジョウ・アリトモ。28歳。独身。およそ歴史上最大のテロリストグループ『火星の後継者』の実質的ナンバー2。もっとも、『火星の後継者』のメンバーの大半がそんな本性とは別に表の顔を有している。このシンジョウの場合は統合軍中佐という肩書きである。ターミナルコロニー・アマテラスの警備責任者アズマの副官としての二重生活が今の彼の日常であった。
「……ふぅっ」
 副官席に座りながらぽくぽくと自分の肩を叩く。
 昨夜行われたボソンジャンプ実験の報告書を徹夜で作成していたのだが、やはり多少でも仮眠はとっておくべきだったと、襲い来る眠気にシンジョウは思った。
 あくまで仮の姿とはいえ、いや仮の姿だからこそ、仕事に支障をきたすことにより疑いを持たれることは決して避けねばならなかった。
 何より彼の上司というのが―――
「何だ、シンジョウ中佐! 覇気がないぞ、覇気が!」
 禿頭にカイゼル髭、筋肉質の男臭さ濃縮還元100%といった感じの男が、勢い良くシンジョウの背中をバシバシと叩く。
 このある意味ステレオタイプの軍人が、統合軍中佐であるシンジョウの直属の上司であるアズマ准将である。蜥蜴戦争で劣勢の月軌道艦隊の一隊を率いて、長期に渡り月の拠点を防衛し続けた功績から、ヒサゴプランのターミナルコロニー、『アマテラス』の警備主任となった経緯がある。もっとも、それなりに優秀で扱いやすい馬鹿だからというのが彼が選ばれた最大の理由だということはもちろん知らない。
 疲れている時にこの人を見ると軽く気が滅入るな。
 シンジョウは内心の苦笑を鉄壁のポーカーフェイスで覆って敬礼をする。
「どうされましたか?」
「おお、急で悪いがな。会議が入ってしまった」
「……私は聞いておりませんが」
「うむ。それがヒサゴプランの警備体制についてのオブザーバーとして是非ともワシに、そうワシの意見が必要だと言われてな」
 言って、ガハハと笑うアズマ。
 先週も似たようなことを言って、下請け受注を得ようとする民間企業の接待を受けたばかりだというのに。
 シンジョウは心の中で溜息をひとつ吐くと、
「了解しました。留守は私にお任せください」
 と、返答した。
「うむ。よろしく頼むぞ。何しろワシが行かんと話が進まんらしいからな。ガッハッハ!」
 シンジョウの言葉に気を良くしたアズマは豪快に笑いながら出て行ってしまう。
 まぁ、あれで根は真面目な人間なので、低俗な賄賂を受け取ったりはしないだろう。
 そう結論付けて副官としての業務に戻ろうとすると、ヤマサキから連絡が入っていることに気がついた。
 ヤマサキ・ヨシオ。火星の後継者のボソンジャンプ部門の技術主任であるが、コロニー開発公団の次官としてシンジョウと同じく二重生活を送っている。
 シンジョウがヤマサキに連絡を入れると、すぐに応答があった。
「連絡が遅れてすみません。何かありましたか?」
『忙しいところ悪いね。昨日の実験について思いついたことがあったから、また実験体を見繕ってもらいたくてね』
「人的資源は無限ではないのですよ。特に先日のような自分の意思でやってくれるような奇特な人員は」
『大丈夫大丈夫。次はもっと大事に使うから』
 ……まるで新しいオモチャをねだる子供のようだ。
 彼の実験には被験者の安全など考慮に入っていない。つまり使い捨てにできる駒はないかと聞いているのだ。
「では、穢れし者の生き残りであるウィーズ・ヴァレンタインでも捕獲するよう進言しましょうか?」
 半ば冗談のつもりだったのだが、それを聞いた途端、ヤマサキはその表情を変える。
『ああ、いいねえ! 彼女がいれば、一気に僕の研究も進むよ』
「ヤ、ヤマサキ博士?」
 シンジョウの問いかけも無視して、熱を持ったようにヤマサキは続ける。
『つくづくイレギュラーだと思わないかい。彼女の運の良さは』
「運が良い?」
『ああ、そうさ。僕が彼らを強制連行したとき、彼女は重度の肺炎に掛かっていたんだ。それで僕は彼女をその場に捨てていった。いちいち治るのを待つのも面倒くさかったし、おそらくそのまま死んでしまうだろうと思ってね。その結果、彼女は僕の実験材料となることから逃れた。それからの彼女は一旦は木連の施設に預けられたみたいだけど、程無く脱走して孤児として生き抜いてきたみたいだ。どこへ逃げようと木連から外へは出れないからね。彼女が女だてらに妙に腕が立つのは、この辺りのことが理由なんだろう』
「周りが全て敵の中でよくも生きてこられたものですね」
『まぁ、元の潜在能力が高かったってのもあるけど、本当に運が良かったみたいだ。で、ここからが傑作なんだが、彼女は月の地球連合軍研究所に囚われていたときに、どうにも改造を受けていたみたいなんだ。と、言っても向こうも彼女の希少性は一応理解していたみたいでね、行った改造というのが薬物への耐性、筋繊維と骨格の移植、治癒機能増強のための新陳代謝の異常促進、各種ナノマシンの注入……。やってることは一昔前に木連の軍部が行っていたことの簡易版だ。元々は彼女を多少の実験でも壊れないようにしようとしていたみたいだけど、結果として彼女をただ強くしただけだね』
「…………」
『これ以降は君の知る通りだよ。その研究所からも脱走した彼女は地球からも木連からも追っ手を差し向けられ、その悉くを退け続けている。さらに最近になっては次元跳躍の技術まで積極的に使うようになってきた。どうだい、なかなかに笑えるだろう?』
「……笑うところですか?」
『ははは、考えてもみなよ。初めは差別をしてくる一般市民が相手で、途中で改造をはさんで、そこからは職業的暗殺者が相手だ。順番が違っていたら彼女は生きてはいない。まるで雑魚モンスターからあてがわれてこつこつレベルを上げていくRPGのような人生じゃないかい? これだけ上手く育って、それでいて跳躍適合体質は跳びぬけている。最高の素材なことは間違いない。彼女を弄くれると思ったらまたぐらがいきり立つよ』
 ニヤニヤと笑うヤマサキを見ながら、シンジョウは彼に見えないように拳を握る。
 同じ火星の後継者の仲間だとしても、こうまで人命を軽視するヤマサキとは、シンジョウ個人としては、どうしても相入れなかった。
 しかし、ヤマサキの能力が火星の後継者に必要不可欠であることは疑いようがなかった。
 地球との大戦を経験し、統合軍にもぐりこんだからこそ身に染みて分かったことだが、木連と地球との技術格差はどうしようもないくらいに深刻だった。
 志はともかく、ヤマサキ博士の研究が進むことにより、少しでもその差を埋めることが、今の木連にとって最も優先されるべきことなのだ。
 ……実験体となった同志やウィーズら穢れし者たちの命よりも。
 この世に勝者というものが存在するのなら、それは誰よりも先にルールを作り、武力でそれをゴリ押しして、むりくり既成事実を作りきってしまった者だ。
 木星の傍らに引き篭もり、技術開発とは名ばかりの遺跡の発掘のみを行い、競争らしい競争をしてこなかったこの国は、和平が成った今でもそのツケを払わされ続けている。
 だが例えどれほど不利な状況であろうとも、木連のためにもこの狂った競走から脱落するわけには行かなかった。
 ならば自分の意見はともかくとして、ヤマサキの意見を尊重するしかなかった。
 シンジョウは内心の不満を押し殺してヤマサキの要望を了承した。
「……なるほど、わかりました。ウィーズの件については進言してみましょう。当面は先日のような志願者を可能な限り早く手配しますのでお待ちください」
『助かるよ。あ、それと草壁さんがそっちに行ってないかい?』
「閣下が?」
 いきなりの問いかけにシンジョウは眉を持ち上げる。
 ヤマサキが言っているのは火星の後継者の首魁である草壁春樹のことである。元々は木連の指導者的立場であり、対外的には先の熱血クーデターの際に行方不明になったとされているが……。
『実は今朝から連絡が取れなくてね。ほら、今日って「あの日」でしょ? 草壁さんも木連に戻るって言ってたから、そっちにジャンプゲートの利用申請を出してないかと思ってね?』
 余りにフランクすぎるヤマサキの言葉に思うところがないでもないが、それは今は良い。それよりも何故、自分の周りにはこうもふらふらと動く人間ばかりなのか。少し現在の待遇にシンジョウは泣き言を言いたくなった。
「………わかりました。そちらは私の方で何とかします。ヤマサキさんは私の代わりにアズマ准将のサポートをお願いします」
 『了解』と軽い口調で話すヤマサキを見ながら、そろそろ頭痛薬と胃薬を買ってくるべきだろうかと本気で考える。
 だが、まずは自分たちのトップの首根っこを押さえることが先決だ。
 シンジョウはヤマサキの通信が切れたことを確認すると、大きくため息をついてから、よろよろと副官室を後にした。















 木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体、通称木連(もくれん)のはずれ、工業衛星カリストのさらにはずれに、所謂スラム街と呼ばれる場所がある。
 氷の大地の上に大小さまざまな生活用ドームと工業用設備を配置することにより構成されたカリストは、木連の首都である超弩級市民艦『れいげつ』の中央議会から任命された知事のいる行政区画を中心に、同心円状に一定の距離に防壁が建てられている。
 中心に近づくほど権力・社会的地位の高い者が住み、反対に離れれば離れるほどスラム街としての様相を深めるという、ある意味とても分かりやすい力関係の上にある場所といえよう。
 さて。
 そのカリストの一番端のスラム街にある1軒のあばら家。質素な材質ではあるが、非常に丁寧に建てられている上、全体として清潔さを保っているため、荒れるがままの周りの風景とあいまって、この最果ての街では結構目立つ。表札には『フィリア・K・ウィンシップ』と控えめに書かれていた。その家の居間で、1人の怪しげな男が仁王立ちをしていた。
 年のころは40代後半から50台半ば。中肉中背で角刈り頭にスーツタイプの喪服を着込んだ、一見ちょっと地味なだけの外見なのだが、ここに厳つい顔とその表情のままに三角巾と割烹着なんぞが付随されているものだから、その男本来の威厳漂う気配と相まって絶妙に珍妙な違和感をかもし出していた。
 それはともかく。
「……こんなものか」
 仁王立ちのまま辺りを見回していた男は、満足したように頷いた。よく見れば足元にバケツと雑巾のセットがある。シュールな想像になるのだが、男はどうやらこの格好であばら家の拭き掃除をしていたようである。
「さて、次は……」
「次は、ではありませんッ!」
 てきぱきと作業を進めていく男に、怒声がかけられたのはその時だ。
 驚いて振り向くと、そこには短髪に同じくスーツタイプの喪服に身を包んだ青年、シンジョウが立っていた。手に弔事用の花束を持っていることから、この男も墓参りに行くみたいである。
 角刈りはシンジョウを見ると溜息交じりに話した。
「何の用だ、シンジョウ」
「何の用、ですと?」
 シンジョウはその言葉にぴくりと眉を動かす。角刈りはまずいと思ったが、もう遅い。シンジョウはこめかみに血管を浮かべながらその顔ををずいと近づけると一気にまくし立て始めた。
「貴方が1人でいなくなるから部下とヤマサキ博士に仕事を任せて方々探したのではないですかッ。もう少し自分の立場をわきまえてください!」
「しかし今日は休暇で、その申請もしっかりしただろう?」
「何が休暇ですかっ! 草壁閣下、貴方はいま、全太陽系で指名手配をされているんですよッ。我等の計画は水面下で動き切ってこそ勝機があるというのに、その首魁がこんな所で捕まったらどうするつもりです!」
「こんなところに軍も警察もいないだろうに」
「ここはそれだけ治安が悪いということですッ。捕まらなくても貴方がここで死んでしまえばば同じことではないですか!」
「妻の命日ぐらいは家に戻ってやりたくてな。それに、護衛を付けるにしても何と言えば良い?」
 シンジョウの言葉に角刈りの男、草壁は奥に飾られてある遺影を見ながらなんとはなしに呟いた。
「……それは」
 草壁の呟きに北辰の言葉が濁る。つられて彼もその遺影を見やった。
 彼らの視線の先には話に出ていた死んだ草壁の妻がいた。
 ……若く美しい女性だった。
 日系のみの木連ではありえない金髪蒼眼。
 それが何を意味するのかは、木連人であれば知らないものはいない。
 『穢れし者』。
 それは火星のテラフォーミング技術者を祖先に持つ木連の少数民族だ。彼らは木連の主流である月独立派の血を引いていないという理由だけで差別、迫害されてきた。特筆すべきことは、彼らがその待遇を甘んじて受け入れていたということである。この迫害は表向きには民族間のイデオロギーの対立の結果ということになっていたが、その中身が政情不安による国民の不満を彼らに逸らすためだということは、少し頭の回る人間なら容易に想像がつく。そしてそこまで考える事が出来たのなら、『穢れし者』が抵抗しなかった理由は政情の安定のため自ら犠牲になったのだということも、想像がついてしまうはずだ。
 彼らは職業や住居、結婚についてまで厳しく差別されているうえ、木連人(・・・)としての市民権も与えられていない。
 そのため妻と呼んではいるが木連人である草壁との結婚などできるはずがなく、彼は書類の上ではいまだ離婚暦なしの独身となっていた。この家の表札にある『K』の一文字は、彼女なりの精一杯の意思表示だったのだろう。
 草壁とフィリアの関係は、彼らを知るものにとっては周知の事実であり、そして半ばタブーであった。そもそも知るものも極端に少ない。そんななかで、元木連の実質的トップが、国を挙げて差別化政策を行っていた民族の妻の命日だから誰か護衛について来いなど、言えるはずも無かった。
 シンジョウが目を細めながら呟く。
「私は直接お会いした事はありませんが、お噂はかねがね聞いております。確か今日でフィリア殿が亡くなってから14年とか」
殺されてから(・・・・・・)、な」
「閣下、それは……」
 草壁はシンジョウの言葉をさえぎって続ける。
「14年だ。あいつが死んでからたった14年で色々な事が起こりすぎた。首都『れいげつ』に異動して軍の実権を握り、地球と開戦して、クーデターを起こされ失脚し、そして今度はこっちが反体制となり俺はその首魁だ。全く、このカリストにいた時の穏やかな時間は何だったのだと思えてくる」
 草壁は元々はこのカリストの一軍人に過ぎなかった。優秀なれど政治を知らず、ただ正義と平和を追い求めた若かりし草壁がフィリア・ウィンシップにあったのはそんな頃だ。暴漢に襲われていた彼女を助けたという、まるで古典的な騎士物語のような出会い。単純な当時の草壁は状況に酔い、彼女の美しさに酔い、彼女もまた素朴な草壁の人柄に惹かれ、程なく2人は恋に落ちた。春輔という男児も授かり、全てが順調に進んでいた。
「ここにいるとまるであの頃に戻ったかのように感じるよ。 向こう見ずな馬鹿野郎と近所でも評判の偏屈剣士、一士官に過ぎなかった私と北辰の2人だけで何処までだっていけると思っていたあの頃にな」
「何を言います。事実、貴方は強くなった」
「ああ。だが悟ってもしまった。この世にはどうやっても出来ない事があると言うことを」
 一拍、草壁は何とも言えない笑みを浮かべる。
「皮肉なものだな。努力して強くなったが、その分はっきりと限界が分かってしまった。何時の頃からか私は理想を叫ばなくなった」
 草壁はこう言っているが、彼が理想を口にしなくなった()は明白である。
 それは彼がフィリアをその手で撃ち殺したその時からである。
 事の発端は単純であった。
 当時の草壁は地位こそ低かったがその実力は折り紙付きで、また人望も厚かったためそれを妬んだ者が2人の関係を密告したのである。上述の通り、穢れし者は結婚等の差別を受けており、木連のゲキガンガー的正義の象徴――というイメージが構築されていた――である軍人士官がそんなものとくっつくなどということは、到底受け入れられるものではなかった。
 しかし草壁はそれらの雑音全てを相手にとってフィリアと春輔の擁護をしたが、むしろそれは彼自身の立場を悪化させる結果にしかならなかった。このままでは草壁もフィリアも全て処罰されてしまう。草壁は木連屈指の実力者であったため、軍の規範に当てはめ彼をそのまま殺してしまうことは、軍にとっても望ましくはなかった。そこで軍上層部は草壁にある提案をしてきたのだ。
 それは妻であるフィリアをその手で撃ち殺せというもの。草壁が彼女と通じていたのは一時の気の迷いだった。だから彼女をその手で殺してくれば今回は水に流そう。そういうことらしい。
 そして草壁はフィリアを撃った。彼女も抵抗はしなかった。全員が死ぬよりも、少ない犠牲で残りが助かる道を選択したのだ。してしまったのだ。
「閣下。貴方は……この木連の民をどう思われているのです?」
「もちろん好きだ」
 草壁は即答した。
「確かにあいつのことを認めなかったことを恨みもした。だがそういった感情的なものを抜いて見れば、素朴で純情な、普通の人たちだ。この国と今の生活を愛していたからこそ、彼らはそれを脅かすかもしれないものには不安も抱き―――残酷にもなる」
 ふと、彼女が死んだ当事のこの場所を思い出した。
 『糞魔女』、『ざまあみろ』、『死んで当然だ』……
 壁に書き殴られた血文字。燃やそうとしたのか、鼻にツンと来る灯油の匂い。何か硬いもので殴った傷。良識あるものであれば目を背けずにはいられない、かつて幸福があった場所の残骸。
 シンジョウが軽く眉を持ち上げながら口を開いた。
「……聞いていた場所よりもずいぶんときれいな所ですね。閣下が全て掃除したのですか?」
「まさか。どうやら周りの人たちがやってくれていたらしい。でなければ年に1〜2回しかこれないような場所が少し掃除しただけできれいになるものか」
 草壁の言葉にシンジョウは頷く。
「そういえばフィリア殿はここの浮浪者たちに人気があったらしいですね」
 そして頷いてから、ふと草壁に問いかける。
「結局、激我思想とは何だったのでしょうか」
 シンジョウが聞いた激我思想とは、木連の行動規範として掲げられているものだ。人を助け悪を憎むゲキガンガーのような勧善懲悪を理想として掲げ、木連で育った人間は幼少の頃からこの思想を叩き込まれている。この思想自体は決して悪いものではないのだが、愛国無罪という不文律が見え隠れすることから、近年では地球の有識者から法治国家ならぬ人治国家の下地になると非難を受けていた。
 草壁は特に表情を変えずに答える。
「手っ取り早く分かりやすい道徳にして権力者の横暴の隠れ蓑だ」
 またしても即答である。
「政治犯を裁判も通さずに死刑にしようと戦争が長引いて配給が滞ろうと、『正義のため』といえばどうにかその場は収まってしまうのだから、統治する側としては楽なことこの上ない」
 身も蓋もない言い方ではあるが、これがこれまでこの国を治めてきた草壁の、嘘偽らざる本音だった。もちろんそのような者ばかりではないのだろうが、腹に溜めたものをブチまける空気が四散してしまうのである。聞く者がいなければどのような主張も存在しないのと同じことだ。
 草壁は話を続ける。
「あいつが初めてまともに接触した木連人はここの浮浪者たちだった。この国のルールから外れた(・・・・・・・・・・・・)彼等だからこそ、上手くやれたのであろう。妙な偏見を持たなければ、あいつにはそれだけ人を惹きつける魅力があった。死して14年経つ今なお、な」
「皮肉なものですね。不満を抑えるためとはいえ、閣下は奥方を理解しようとしなかった善悪二元論の画一的な激我思想でこの国を統治された」
「仕方あるまい。私が実権を握った時この国は未だ若く、そして弱かった。いきなり今までの考えを改めて精神的な自立をしろといっても無理な話だ。だが―――」
 一拍。草壁は軽く間を取る。
「だが、弱いことは決して悪いことではない。弱いからこそ各々を補うための絆が生まれ、弱いからこそ相手を思いやる事が出来る。この国ではそれが大きくなりすぎて別の弱者を踏みつけてしまったが、何時かその弱さの上に強さを築いてくれれば、それが本当に強い国を作ることになるのだろう。それがあいつとの最後の約束だ」
 一歩一歩、遅々なる歩みだけれど着実に前に進む。草壁の言葉にシンジョウは頷きながら答える。
「……フィリア殿は、彼女らはこのために100年も耐えてきたのですね」
「出来ることなら他の穢れし者たちにも最低限の保護はしてやりたかったが」
「ヤマサキ博士、ですか」
 シンジョウはうつむきながらにその名を口にする。
 ヤマサキは草壁よりも一回り年下であるのだが、とある研究成果から始まった一連のプロジェクトにより火星の後継者内部では彼に勝るとも劣らない知名度を有している。
 そのプロジェクトとは有人次元跳躍理論の確立―――後の優人部隊設立の基となった研究である。それまではボソンジャンプの実験と言えば、基本的に彼らが開けたチューリップの(ゲート)を宇宙服を着て通るだけであったが、それすら失敗を繰り返すだけであった。それをヤマサキは独自の理論―――火星の古代遺跡(プラント)に近い場所で暮らしていた『穢れし者』の第一世代には意図的であったにせよ、そうでなかったにせよ、ジャンプに対して何かしらの適合があるはず。そしてそれはその血を色濃く継いでいる現在の穢れし者も同じだろう、というもの―――により、有人次元跳躍の人体実験に『穢れし者』を大量に投入したところ、彼の理論どおり、それまで他の木連人が軒並失敗していたにも関わらず、なんと彼らだけはそのほとんどが成功したのだ。
 有人次元跳躍は来るべき地球との決戦の切り札となる。そう考えた当時の木連上層部は残り少ない『穢れし者』のすべてを実験動物(モルモット)として研究に消費することを決定したのである。
「……あの頃の私は、まだ権力の階段を上っている最中で、国民感情を下げてまで彼らを助けることは出来なかったからな」
「まだ1人残ってはいますが」
「ウィーズのことか。何か報告することはあるか?」
「相変わらずです」
 草壁の言葉に息を吐きながらシンジョウは答える。
「騒動と言う騒動に首を突っ込んでは引っ掻き回して、気がつくと解決して去っていきます。特に最近は積極的に次元跳躍を使うようになってきたので始末に負えません。監視に気付かれたときは次元跳躍で姿をいったん消しますが、しばらくするとまた騒動に自ら首を突っ込んで足取りをつかませます。何を考えているのかさっぱり分かりません。まるで……」
 シンジョウはそこで言葉を切った。
 言葉に詰まった彼に、草壁はふっと笑いながら返した。
「別におかしくはない。あの娘は……いや、あの人種はそういうものだ(・・・・・・・・・・・・)。もう100年も前からな。ただあの娘は他のものよりも能力が抜けているから数々の障害を解決、ないし解決できないまでも生き延びる事が出来たのであろう」
 そういう草壁の妻とて、そうして自身を犠牲にした。ここまで来るとそれは彼らの本能や習性のようにも思えてきた。
 ……いや、どちらかと言えば呪いか。
 彼の妻はともかく、少なくともウィーズに関する報告を見る限りでは、草壁には彼女が『この身は誰かのためにならなければならない』―――そんな強迫観念に突き動かされているように感じた。
「……監視もそろそろ限界です。ご命令があれば捕らえますが」
 ふと真剣な面持ちで尋ねるシンジョウに対して草壁はおざなりに答える。
「必要なかろう」
 余りにもあからさまな、それは嘘。
 重要性云々を問うのならば、ウィーズ・ヴァレンタインという人間は掛け値なしの重要人物である。
 それは実験体(サンプル)としてはもちろん、要注意人物としても上位にランクインされる。
 可能性としては低いのであるが、仮に彼女がネルガルにでも所属し、そのもてる能力をフルに活用してテロ活動を行う事だって、ありえない話ではない。
 だがそれらを知りながら草壁はウィーズを放置し続ける。
 それは彼女が火星の後継者の出資者であるクリムゾングループ総帥、ロバート・クリムゾンが孫娘、アクア・クリムゾンと懇意であることも影響しているのだが、しかしそれ以上に彼女に手を出させまいとする動きが、草壁の鶴の一声なのである。
 ゆえに火星の後継者は遠巻きに彼女を監視することだけに留めている。
「そんな顔をするな。対A級ジャンパー用機動兵器『アシュラ』の製造も終わっている。お前が思うほどウィーズは脅威とはならんよ」
「し、しかし、あの機体は実戦投入にはまだ―――」
「―――さて、そろそろ墓参りに行くか。シンジョウがせっかく弔花をもってきてくれたのだしな」
 この話はこれで終わり、そう宣言するかのように草壁が話題を変えるとシンジョウもそれ以上は食い下がることが出来ずにそれに続いた。
「……そうですね。しかし今更ですが、外に出るのなら北辰殿に護衛についてきて欲しかったですね」
「あいつは来れないだろうな」
 なぜ、と視線だけで問いかけるシンジョウに草壁は苦笑いをしながら答える。
「フィリアを殺すよう上層部に進言したのはあいつだからだ」
 草壁の言葉をどこか遠くで聞きながら、ばさり、とシンジョウは弔花を落としていた。













 軽くぐい呑みの中の酒を口に含む。
 日本酒は大吟醸。それも昔飲んでいた木連人が作ったものではない本場もの。
 自国の物を卑下するつもりはないが、自分の知っている酒と今飲んでいるものを同じ言葉で括るには若干の抵抗すらあった。非常に口当たりがまろやかで香りも良い。鼻腔を過ぎ去る時のえもいわれん感覚が堪らない。
「ずいぶん奮発したな、北辰」
 そう言って、草壁は北辰と呼ばれた男に笑いかける。
 草壁と同じく北辰も年の頃は四十代後半から五十にさしかかろうという所。
 草壁の角刈りに学生服のような軍服のコーディネートは北辰の短髪に着流しという服装と相まってまるで明治初期の日本のような不可思議な情景を作っていた。
「たまには、な」
 片頬を持ち上げながら答える北辰。
「貴様の奥方の命日だ。こんな時まで普段の安酒ではあんまりであろう」
 言って、ぐい呑みの中身を一気にあおる。
 2人がいる場所は、火星の後継者本拠地の草壁の執務室である。
 部屋の中には木製の事務机と安物の椅子しかなかったので床にござを敷いてその上で酒盛りをしているのだ。
 上座の位置には草壁ではなく写真立てと小さなおちょこが置かれている。
 話に出ていた死んだ草壁の妻、フィリアのものだ。
「あいつが死んでから、もう14年か。俺たちもずいぶんと年を取ったものだな」
「……そうだな。そういえばシンジョウが血相を変えて我に問いかけてきたな。フィリア殿のことを話したのか?」
「触りだけ、な」
 言って、草壁はぐい飲みをあおる。
 草壁とシンジョウはフィリアの墓参りの後、このアジトにとんぼ返りをしてきたのだが、さっきの今でもう北辰に内情を聞きにくるとは仕事が速いものだ。
「なんて答えたんだ?」
「そのままだ。我がフィリア殿を売ったのには違いない」
 北辰の言葉に草壁は額に手を当てる。元々あまり期待はしていなかったが、その言い方ではシンジョウが変に勘ぐりをしてしまうだろう。こちらからフォローを入れるか。草壁はやれやれと今後の予定を1つ入れた。
 そんな草壁を見ながら、北辰はぽつりと呟いた。
「今だから思うが、貴様は本当は死にたがっていたんじゃないか、ずっと。今も」
 北辰はフィリアの死後、草壁がどれほど魂を削って権力の階段を駆け上がってきたか知っている。そして時折その背中が殉教者のような凄絶さを帯びていたことも、知っていた。
 事実、彼は熱血クーデターで月臣と相対した際、一度はその命を諦めている。
 草壁は手酌で酒を足しながら答える。
「死なんよ。死ねんよ。俺には約束がある」
 木連と地球が対等に手と手を合わせられる世界を創る。
 それが草壁がフィリアに誓った約束だった。
「だから全てを壊し、そしてもう一度やり直させる」
 草壁の目的は何も木連による地球圏の支配などではない。
 ただ地球圏と木連との、本当の意味での対等な関係を築くことだ。
 だが、そのためには、地球と木連の双方が疲弊する必要がある。
 自身が不幸にならない限り、仇敵と手を取り合おうなどと、考えることもできないからだ。
 木連は今のところ、十分疲弊していると言える。後は、地球側に打撃を与えられれば、頃合を見て新しい価値観と条約を作って、それで終わりだ。 
 穏やか、とは随分とかけ離れた手段をとり続けてきてしまったが、こうでもしなければ木連と地球圏との対等な関係など築くことが出来ないくらいに、もはや世界は歪んでしまった。
 果たしてこれがフィリアの望んでいたものと同じものなのか、草壁にはもう確かめる術はない。
 しかし止まるわけには行かなかった。
 あまりにも多くを巻き込みすぎた。そんなことが許される時期はとうの昔に過ぎ去ってしまっていた。
 言葉にこそ出さないが、そのことを痛感していた。
「随分と酷い計画だ。何奴(どいつ)此奴(こいつ)も連れ回して、全てお前の理想のために皆殺させるか」
 一拍、北辰は草壁を見据えながら言う。
「狂っているな、草壁」
「ほう。お前ともあろうものが狂気を口にするか、北辰?」
「ああ。今のお前はまとも(・・・)じゃない」
「今更だな。ならばこちらも問おう。我らが支えてきた木連は、果たして正気足りえたのか?」
「―――!?」
「いいか、北辰。ここで我らがネルガルと地球連合に屈し、兜を脱いで後事を彼らの手腕に委ねる。それはなんとも魅力的な案だ。出来ることなら俺もそうしたい。だが―――」
 一拍、草壁は表情を一変させる。
「―――だがしかし、それでは我らが歩んできた、我らが信じてきた木連の未来はどうなる? 国力の差は圧倒的だ。祖先を虐げられ、住む場所も奪われ、血と泥に塗れながら、恩人を迫害し続けてまで維持してきたこの国の未来はどうなる? 玩具に飽きた童のように捨てるのか!」
「…………」
「で、あれば木連のために散っていったフィリアも、白鳥九十九も、そして数多の将兵の死も、そのどれもこれもが犬死となってしまう! 元とはいえ俺は指導者だ。そんなことを許容することなど出来ん!!」
 草壁の正義は、決して彼一人のものではない。数多の味方の想いを抱き、おぞましいほどの『敵』の想いさえも背負った、質量さえ感じさせる圧倒的なまでの信念。それが彼の歩みを進める。ただ(・・)の人間ならば決して出来ないような非道な行いも、彼の正義がやれと背中を押す。
「俺を誰だと思っている!? 木連の指導者だった人間だぞ! この国の未来のために命令1つで何億人殺したと思っている! 狂っている? 14年ほど言うのが遅いぞ!!」
 草壁はあらん限りの力を込めた握り拳を己が顔の前に掲げる。
「俺もお前も引き返すことは許されん。英雄になどなる気もない。例え全世界から蔑まされ孤立しようとも……俺は俺の道を誇る!」
 草壁の言葉に北辰は頷いて言う。
「草壁、確かに貴様は英雄なんかじゃない。だが……」
 一拍、そこで彼はニヤリと笑った。
「木連最後の『正義』だ」
 言いながら、北辰はぐい飲みを一気にあおった。
 なんとも身体の芯が熱くなる。
 堪らない。何もかもが堪らなく、辛抱ならない。
 そうだ。これこそが草壁春樹だ。元木連の指導者であり、火星の後継者の首魁。我の主だ。仕える価値もある。
 2人の間に静かな、けれど濃密な雰囲気が形成される。
 そんな空間がくすぐったいというわけでもないのだが、草壁は北辰を茶化すように笑った。
「ずいぶんと弱気だな。いつの間にそんな気が回るようになったんだ?」
 そんな彼の言葉に、むぅ、と呻きながら手酌で酒を注ぐ北辰。
 それまでの空気がゆっくりと四散する。
 普段ではありえないような気安い雰囲気。
 火星の後継者の表と裏のトップ同士という仮面を外した、今だけの安息の時。
 冗談めいた口調で北辰は草壁に問いかける。
「まぁ、貴様が腑抜けたと言うなら、我は息子の春輔(しゅんすけ)に後を引き継いでもらおうと思っているのだがな。軍隊式格闘、機動兵器操縦、指揮能力、カリスマ。どれを取っても地球連合大学では抜きん出ているらしいしな」
 草壁春輔。草壁春樹の実の息子であるが、理想の違いにより先の熱血クーデター時に現連合軍所属の秋山源八郎ら若手穏健派に合流。袂を分かっていた。彼は木連と地球連合との和平会談後は奨学金制度により地球連合大学に進学していた。
「あいつは俺の元を離れた。もう息子でもなんでもない」
「頑固だな。息子とは大違いだ」
「なんだと?」
「くかかか。春輔の憧れの人間は誰だか分かるか? 級友たちには貴様だと言っていたそうだ。いい息子ではないか」
「………ふん」
「貴様にその気がないのなら我に預けてみんか。あやつなら我を越える暗殺者に……む、待て。冗談だ」
 北辰は台詞を途中で区切る。
 草壁が恐ろしく据わった目で――酒のせいだけではあるまい――睨みつけているため気迫負けしたのだ。
 しかし北辰は言葉とは裏腹に、
(くっ、草壁め。眼力だけで我を引かすとは。だが我は諦めんぞ。見ておれ……人の執念というものを)
 などと考えていたりする。
「大体、人の事ばかりを気にしている場合じゃないだろ」
 言われっぱなしは御免だとばかりに草壁はニヤリと笑いながら喋り始める。
「六人衆の奴らがぼやいていたぞ。最近呑みに誘ってくれない、とな。部下のストレスを解消してやるのも上司の責務ではないか?」
「くっ、あ……あやつら!」
「知っているぞ。枝織ちゃんに振袖を送ろうとして金を溜めているんだろ? なかなかいじらしい所があるじゃないか」
 枝織とは北辰の1人娘の名前である。彼はフィリアの死後、自責の念から軍の暗部に転属した。その際に妻・さな子と娘・枝織との籍を外していたが、毎月の仕送りだけは未だ続けていた。
「しかし振袖とは未婚の女性が着るものだぞ。せっかく高いものを買うのならもっと他の……」
「たわけっ! 枝織が結婚などまだまだ早いわっ!!」
 プライベート時とはいえ直属の上司をたわけ扱い。生真面目な南雲大佐あたりが見たら卒倒するであろうが、草壁はむしろ笑みを強めて切り返した。
「どうだか。俺たちがくっついた時、あいつはちょうど24歳。枝織ちゃんと1つしか違わんぞ?」
「我より強い者でなければ交際など認めんわーっ!!」
 普段の彼らを知るものならば誰もが絶句するであろう親馬鹿と子供っぽさ。
 ぎゃあぎゃあと一通りじゃれあった後、2人は途端にその勢いを消す。
 そしてどちらからともなく呟く。
「……あいつがいたら、今の俺たちをどう思うだろうな」
「苦笑いされるだけであろう」
「かもな」
 写真立てを一瞥する2人。
 ……急速に、記憶は過去へと遡る。
 14年前。まだ、2人が正義というものを信じていた時代。
 全てが穏やかだった時代。
 記憶にあるフィリアは、良く笑う女だった。
 劣悪な環境と過酷な差別政策により彼ら<穢れし者>の平均寿命は30歳を少し超える程度だった。
 2人は彼女に辛くはないかと聞いたことがあった。
 すると彼女は笑ってこういった。
 ―――今を生きていることに疑問は感じません。もうすぐ死ぬんだ、なんて言って嘆いてみても、皆、いつかは死にます。だから慰めてもらうよりは、私は皆と笑いあいたいです。そうした時間の1つ1つが、きっと、『幸せに生きた』という証になると思うから。
 淡々と話す彼女の横顔を今も鮮明に覚えている。
 それは達観しているというわけでも諦観しているというわけでもなかった。
 そういったマイナスの感情から来る表情を、彼女は持ってはいなかった。
 ふと、北辰はフィリアの最期を思い出した。
 草壁のために死んでくれといったとき、彼女は何も言わずに頷いてくれた。
 その後、草壁は死んだフィリアと形だけの結婚式を挙げる。
 誰も着ていないドレスを嬉しそうに抱きしめている草壁の姿がおぞましかったのを覚えている。
 それからだ。
 草壁が木連のために本当に全てを尽くすようになったのは。
 元々の力もあったのだが、暗殺、脅迫、拷問、詐欺、横領……。目的のために手段を選ぶことをやめた。正義を声高に叫ぶことも無くなった。
 集団の先頭に立ち、皆を引っ張っていくことが義務付けられた。
 彼はもう泣けない。そういうときに笑うしか出来なくなってしまった。
 そして彼は強くなった。地球と戦う正義のヒーロー、容赦なき公平なる男、涙を持たぬ者、誰の物にもならぬ者。
 皆が持つイメージを体現し続けることを義務付けられた。
 そうなるように北辰が『仕向けた』。
 そのことに思うことが無いと言えば、やはり嘘になるのだろう。
「後もう少しだな」
「ああ、そうだな」
 北辰の言葉に草壁が頷く。
 そう。あと少しだ。
 今回の火星の後継者の武装蜂起が成功すれば、草壁の求めていた理想へ一気に近づける。フィリアとの約束を果たし、草壁も落ち着くことが出来る。
 だからあと少しなのだ。
 狙うは頂上のみ。求めるは彼女の望んだ対等なる世界のみ。
 北辰はぐい飲みを一気にあおるとタン、と澄んだ音を立ててそれで地面を叩いた。
「露払いは任せろ。貴様は最期まで走りきれ!」
 北辰の言葉に、草壁は片頬を持ち上げると、同じように酒をあおって地面を叩く。
「おお、ロートルが最期にあだ花を咲かせてみようじゃないか!」
 見る者が見れば、それは14年前の彼らのように見えたかもしれない。
 この4ヵ月後、足場を定めた火星の後継者は全世界に向けて武装蜂起宣言を行った。

















楽屋裏
 木連の男はどいつもこいつもロマンチストだったというわけで。
 どうも、鴇です。おっさんスキーかつ脇キャラスキーの鴇フィルタを通すと木連キャラは軒並み美化300%くらいになります(オイ
 前回のあとがきにも書きましたが、いやもう木連中心だと女性キャラが出ないこと出ないこと。
 野郎どもばっかの中でメインが50手前のおっさんの昔の恋物語って今振り返っても凄え字面だw
 やっぱノーマルな恋愛話なんて書けねっス。好きとか嫌いとかトキとかメキとか薄ら甘酸っぱい青春のメモリアルとかもう無理っス。
 幼馴染も血の繋がらない妹も巫女さんもメイドさんもこのシリーズには出せません(ん、既にノーマルじゃないって?
 ……あれ、でも過去にそんな話を書いたような気が(マテ

 閑話休題。
 火星の後継者側のタレントが少ないので、今回はシンジョウにスポットを少し当ててみました。
 おそらく火星の後継者の参謀は彼ですよね。他に出来そうなのいないしw
 一応生真面目タイプとしてますが実際のところどうなんでしょ。
 パラメータ的には三国志だと徐庶辺りになるんですかね。武官ばっかりの初期劉備軍時代の。

 北辰については割りとまともな家族構成となっております。
 さな子さんは存命で娘男性化計画は考案すらされていなかったので北斗も存在していません。
 っていうか、あと3話で北斗クラスのキャラを絡ませるのはちょっと無理です(苦笑
 もし期待されていたらごめんなさい|・ω・`)

 ともあれ。今回の話で起承転結の承までが終わりました。
 ジェットコースターで言うならば丁度いちばん上まで昇りきったところです。なのでここから先は一気に下りきるのみです。
 エピローグを除けばあと3話。これを読んでくださる皆様が少しでも愉しいと思えるものを目指して頑張ります。
 それではまた次回に。ありがとうございました。





 ……あっ、南雲の出番忘れたw


<南雲ごめんよごめんよ南雲なおまけ>
 おまけ











感想代理人プロフィール

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代理人の感想

今日も元気だ人体実験がウマい。
ヤマサキさん絶好調ですね(ぉ

それはともかく今回本気でオヤジばかりだなぁ・・まぁ、木連ではナナコさん信仰がまかり通っていて、場所によっては三次元の女は子供を産む機械扱いなんじゃなかろうかとひそかに思っておりますが。
いや、まじめにありそうじゃないですか?w

それはそれとして五十路前のオッサン二人が酒飲むとか、何という俺得。大好物です。
しかしここら辺の男臭さが敗因と気づき、後に南雲はアクアを巻き込んで第二の反乱を起こした・・・だったら嫌すぎるなw



追伸 本編に感想が付いてなくて申し訳ありません。鴇さんは絶対ジオニストに違いないとか、そう言う文面を書いた覚えがあるんですけどねぇ・・・。多分間違って消した物と思われます。すいませんでした。

追伸その2・・・メール本文が文字化けを起こしておりました。何か重要な事でもありましたら別途メールをお願いいたします。


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