アカツキとプロスはさすが大企業ネルガルを支える中心人物といった感じだった。
ウィーズの切り落とされた左腕を見た瞬間こそ大層な衝撃を受けたが、反火星の後継者の各支部とのやりとりにひと段落を付けたアカツキがおっとり刀で加わると、彼らはすぐに冷静に頭を回転させ始めた。
火星の後継者に捕まったウィーズや、彼女をおとりとして逃げてきた月臣に対する非難などは一切ない。そんなことより如何に今の状態を切り抜け、またネルガルの利益を生み出すのか。そのことに意識の一切を傾けているみたいだった。
「この手紙は程度の低い挑発だね。これ以上ウィーズ君を拷問に掛けられたくなければおとなしく出て来いっていう」
アカツキの分析にプロスは頷き、自身の見解を述べる。
「はい。火星の後継者側としてもこの機にネルガルを潰せるとなればそれが最良と考えているのでしょう」
「しかもネルガルと引き換えに出て行ったとしてもウィーズ君を返してくれるとは限らない」
現時点でネルガルの取れる選択肢は大別して2つ。
1つは各地に散っているネルガルや連合軍の反火星の後継者部隊を集結させて一大反撃作戦を取ること。これは今までの作戦の骨子を大幅に変えてしまうものなのでどれだけ連携が取れるか不安でもあり、また部隊を集結させるまでにネルガル・連合軍の本部が落とされ、そして火星の後継者には逃げられてしまう可能性がある。さらに失敗すればいよいよもって全てが崩壊する。
もう１つは今の戦力を全て護りに費やし、今の状態のまま今後も火星の後継者と戦い続けるという方法だ。ただでさえジリ貧のネルガルがもう一度戦える余力があるかどうかは不明だが、分の悪い勝負を仕掛けて全滅するよりはずっとマシな選択肢であるとも言える。
正直どちらも良い手とは言い難い。
「何か良い手はないかな。このままでは火星の後継者を倒すどころかネルガルの存続すら危うい」
「火星の後継者が送ってきたデータディスクの中身を確認してはどうでしょうか」
アカツキの独り言のような台詞に月臣が応える。
彼らはまだデータディスクの中身を確認してはいなかった。
それはその内容が先の手紙と同じく、こちらを挑発するものだろうと見当がついていたからである。
しかし、今はどんな些細な情報でも欲しかった。
アカツキが合図すると、プロスは備え付きのプレーヤーでそのディスクの再生をした。
虚空に画面が浮かび上がる。
画面には1人の笑う男が映っていた。
綺麗に撫で付けられた髪の毛、ぱっと見にも職業を連想させる白衣、人を食ったような薄ら笑い。
その男は映像が始まると、まず慇懃無礼に一礼した。
『ネルガルの皆様、はじめまして。僕は火星の後継者の技術士官ヤマサキ・ヨシオと申します。以後よろしく』
「こいつがあのヤマサキか」
アカツキが呟くように言う。アキトたちから話は聞いていたが、実際に話している姿を見るのはこれが初めてだった。
『この映像を見ているということは皆様はもうあの生肉を見たということですね。はい。ご期待のとおり、これからお見せするものはその生肉の加工風景でございます』
言って、ずっとヤマサキをアップで映していた画面が切り替わる。
そしてヤマサキに代わって画面に映ったのは、椅子に両手両足を拘束され、目隠しとさるぐつわを噛ませられたウィーズの姿だった。
実際にはヤマサキは別の場所にいたようで、彼女の周りにふよふよとコミュニケの画面を浮かせている。
『今回の素材は最上級品です。捕らえにいった完全武装の兵士を50人以上も返り討ちにしたというのですから活きも最高。それを惜しげもなくカットしていこうというのだから贅沢な一品といえるでしょう』
まるで料理番組の司会のような口上を述べると、ウィーズの側にがしゃんがしゃんと一体のコバッタが現れた。
その背中部分にある精密作業用のアームに、場違いに古びたノコギリを携えて。
「ま、まて…やめろ……」
コバッタの持つノコギリがウィーズの腕に食い込んでいく。
身体を拘束されたウィーズはぐったりとして逃げることも出来ない。
『ノコギリを使うコバッタなんてこの機体だけでしょう。このためにわざわざ僕がプログラミングしました。ほ〜ら、がんばれ〜』
ヤマサキが勝手なことを言う間にも、ギコギコ、ゴリゴリとノコギリの刃は進む。
ビクンビクンと反射的にウィーズの身体が跳ね回る。
ぶちぶち、と血管や神経が切断され、ぶしゅう、と動脈を切ったところで血液が噴出し、そしてぶつん、と彼女の腕が身体から切り離された。
『あはははは！ やあ、上手い上手い。刃こぼれしたノコギリじゃ切れるかどうか分かんなかったけど、力任せにやればどうにかなるもんだねえ！』
コバッタが誇らしく掲げるアームで切り離されたウィーズの左腕がぶらぶらと揺れる。
『ああっと！ 気持ちは分かるけど先に止血止血！ 一応でも生きててもらわなくちゃ困るんだから！』
コバッタがウィーズの左腕切断面にその頭部を近づけると、口に相当する部分が開き、そこから細い棒状のものが現れた。
それは小型のレーザーだった。コバッタはウィーズの切断面に容赦なくレーザー照射をする。
じゅう、と肉の焦げる音と共にみるみる彼女の出血部分が炭化していく。
もう一度びくんとウィーズの身体が跳ねた。
『あ、失敗したなぁ。これじゃ、こっちにもそっちにもたんぱく質の焦げた良い匂いが届かないや。モニターの前の皆さん、興味があれば自分の髪の毛を燃やしてみてください。今この部屋の匂いは丁度そんな感じです』
月臣はただ呆然とモニターを眺めていた。
思考が追いついてこなかった。
ヤマサキが笑いながら行うソレが、どうしても現実のものに思えなかった。
まるで子供が作った出来の悪いホラー映画のような。
そうとしか、思いたくなかった。
『では、この辺りで出演者の方に感想をいただきましょう。コバッタ君、その目隠しとくつわを取ってあげて』
コバッタがウィーズの目隠しとくつわを器用に取り外す。
くつわはウィーズが強くかみ締めていたため、唾液が糸を引いていた。
『やあ、相変わらず我慢強いねえ。まさか腕切られても傷口焼かれても声を上げないとは思わなかったよ。こっちは色っぽい叫びの１つも期待してたんだけどねえ』
『……ただ…の意地よ。アンタ…みたいな下衆の……思い通りには…なら…ないわ』
はぁはぁと荒れる呼吸の合間にウィーズはそれだけ言う。
その態度がヤマサキの嗜虐心を否応なく刺激する。
もはや料理番組の司会よろしく取り繕っていた演技も忘れていた。
『ふ、あははっはははは！ イイね！ 実にイイ！ そういうこと言われると余計に泣かせてみたくなるんだよ！』
コバッタの前足がウィーズに打撃を与える。
頬を張り、腕の切断面をえぐり、みぞおちを突く。
『……っか！』
みぞおちを突かれた所で息が漏れ出た。
しかし声は上げない。
吐息をかみ殺し、ウィーズはヤマサキを睨みつける。
『やばいなあ。これでも実験に使う以外は対象を傷つけないって決めてたのに、君が可愛すぎてついつい破ってしまうよ。……とりあえずその口に長くて熱いのぶち込んで良い？』
『噛み…千切るわよ』
『おお怖い。なら代わりにレーザーを女の子の部分に突っ込んでみようか？ でも僕も鬼じゃないからね。涙流してごめんなさいって言えば止めちゃうかもよ？』
『…………』
ウィーズはヤマサキを蔑んだ目で見据えた。
それにヤマサキはゾクゾクと歪んだ快楽を覚える。
口にこそ出さないが『ああ、僕ってエスでもありエムでもあったんだ』などと場違いな自己分析をしていた。
『これだけやっても心が折れないなんて本当に楽しませてくれるよ。薬を使おうにも君のナノマシンが解毒しちゃうし、そもそも意識を飛ばしたらボソンジャンプの実験体としては価値が半減しちゃうからね。なんとも上手いこと出来てる』
一拍。ヤマサキはニヤリと口端を持ち上げる。
『テンカワ君にウィーズ君、流石はネルガルだ。お次は何で僕を喜ばしてくれるのかな？』
『一杯おご…るわ。怒り狂った馬鹿が……煮え湯を…ガロン単位で飲ませに…来る…はずよ』
この期に及んでも軽口を止めないウィーズにますますヤマサキの笑みは深くなるが、そこで彼の元に通信が入る。
『お取り込み中すみません。例の装置の準備がもうすぐ完了しますが……』
『ん、もうそんな時間か？ この僕が時間を忘れて楽しんじゃうとはねぇ。うん、わかった。すぐそっちいくから準備進めといて』
ヤマサキはそう言って下士官と思われる人物からの通信を切ると、コミュニケの画面を動かして始めのようにカメラを自分のアップに切り替えた。
切り替えながら、こう言った。
『時間がないから、ビデオはこれで終わりにするけど、助けに来るなら早く来たほうがいいよ。シンジョウ君は使えないようなら必ず速やかに殺せって言ってたけど、僕はそんなもったいないことしないからね。せっかくの活きの良いオモチャだ。脳髄へ直接に電極をぶっ刺して被験者の意思を無視してボソンジャンプのナビゲートが出来るか確かめてもいいし、最高レベルのジャンパーの頭ではなく中身がどうなっているのか、内蔵を腑分けして丹念に調べたっていい。ああ、単純に目玉を繰り抜いて顔の皮を剥ぐのも面白そうだ。泣いて謝って僕に服従を誓うというのなら、それはそれで使い道もあるしね。それでは次は時間制限のないもっともっと楽しい映像で会えることを期待してるよ』
ヤマサキは手を振りながらにこやかに締める。
映像はそこで終わっていた。
月臣は今にも狂いそうなほど怒り猛っていたが、アカツキとプロスはこの映像からでさえ冷静に状況を分析していた。
「なんとも凄惨だったけど、これで分かったね。ウィーズ君はネルガルの脅威足りえない」
「はい。演技という可能性もなくはないでしょうが、おそらく口が滑ったのでしょう」
「ど、どういうことですか」
付いて来れない月臣はプロスに尋ねる。
「我々が最も危惧していたのはウィーズさんが脅迫や洗脳されて我々の障害となってしまうことでした。しかしヤマサキは言いました。意識を飛ばしたら意味がない、薬を使うことも出来ない、と」
「確かにウィーズ君の能力は抜きん出ている。しかしそれは彼女が協力の意思を持つときのみ遺憾なく発揮され、そして彼女には脅迫にも拷問にも屈しない鉄のような意思がある。さらに薬物への耐性もあることから薬漬けにすることも出来ない。かといって殺害するにはもったいなさすぎる。いや実際はがゆいと思うよ、火星の後継者も」
アカツキの補足にプロスは頷く。
こちらを動揺させるためだろうが、間を空けずにこの映像データを送り込んできたことはやはり失策だったのであろう。
この短時間ではいくらなんでも編集など出来るはずもない。
「あんな性急な責めでは意地っ張りなウィーズ君の意思をユリカ君のように操ることは出来なかったらしい。だとすればこちらにとっては大規模な痛手ではない。1人いなくなったからといっても、まだネルガルにはA級ジャンパーが2人残っているからね」
「ウィーズさんには気の毒ですが、やはり彼女を見捨てて守りを固めるべきかと」
2人の言葉は月臣には届いていない。
彼のぶれた視界は、消えたウィーズの残像をぼうっと捉えていた。
その拳が硬く握られる。
「待つんだ月臣君っ、下手に動けば敵の思う壺だ！」
「それがどうしたと言うんです！ 俺にはあの映像を見させられて動かない理由がない！！」
「君は草壁春樹との決着も捨てて1人玉砕するというのか！？」
「〜〜〜〜〜〜〜っ！」
アカツキの言葉に月臣の足が止まる。
今の彼には目的があった。
泥をすすってでも生き延びて、優人部隊の制服も脱ぎネルガルに頭を垂れて、亡き友への贖罪のために草壁春樹との決着に拘ってきた。
ウィーズに対しても仮に彼女が目的の障害となるのなら裏切るぞとも確かに言った。
だが、しかし……！
月臣がどうすれば良いのか分からなくなったその時。
『話は聞かせてもらいましたわ！』
不意に通信が入った。
誰も応答ボタンを押していないにもかかわらず虚空に画面が映し出される。
映し出されたのは女性だった。目鼻立ちや輪郭がウィーズに酷似しているのだが、隅々まで手の掛けられた育ちのよさが彼女が別人であることを示している。
「―――通信？ 何故ここが！？」
「何故と言われれば、俺がここまで中継装置を持ってきたからと答えるしかないな」
プロスの呟きに誰かが答える。
見ると1人の男が佇んでいた。
闇に解けるような細身の黒スーツと屋内にもかかわらず掛け続けるサングラスが特徴的だった。
「「―――！！」」
「待て。俺は特使だ。やり合うつもりはない」
反射的に臨戦態勢をとる月臣とプロスに男はそう言って両手を上げる。
「特使？ 一体いつの間に？ 何処から入った？ ―――プロス君？」
「警備は万全でした。破られた形跡もありません」
動揺を隠せないアカツキにプロスはありえないという風に答える。
「万全？ アレの何処がだ」
『マルコ、口が過ぎますわよ』
「申し訳ありません。アクアお嬢様」
アクアとマルコの会話を聞いて得心したようにアカツキが言う。
「……ああ、君はアレか。アクア・クリムゾン。僕たちに降伏勧告をしに来たのかい？」
『まさか。まさかまさかまさか。そんなことはありませんわ。その逆ですの』
一拍、アクアは口角を持ち上げながら言った。
『手を貸してあげますわ。全てを台無しにして差し上げます』
アクアは妖艶に笑いながら、縋り付きたくなるような言葉を口にした。
手を貸す？ 全てを台無しに？
……どうやって？
「君は敵の大将格の肉親だ。どう信用しろと？」
『もちろんタダで、とはいきませんわ。報酬はクリムゾンの地位の保証と私の次期後継者への後押し』
「なんだって？」
『私は今すぐに力が欲しいんですの。お爺様が引退するまで待つなんて耐えられませんわ』
「…………」
『仮にこの戦争にネルガル・連合軍が勝てば、お爺様は戦争犯罪の責任を取って解任させられるでしょう。まずはその後釜として私を推薦してもらいますの』
一拍、アクアは軽く息を吐く。
『でも負けたクリムゾンは当然、衰退していくしかないでしょう。そんな泥舟に乗るつもりはありませんわ。だからそうならないようにネルガルに擁護してもらおうと思いますの、強力に』
アクアのその言葉に、アカツキとプロスが目を見開く。
アクアがクリムゾンの地位を失いたくないように、アカツキたちネルガルも、その最大の好機を失いたくはないのだ。
戦争責任を負わせ社会的信頼を失墜させる壊滅的な打撃。
それはジリ貧のネルガルにとって臥薪嘗胆して待ち続けた宿敵の1人を打ち倒せる千載一遇のチャンス。
しかし、故にこそカードとしては最強であり、不思議な信用も生まれる。それだけの報酬なのである。
だからこそアカツキは悩んだ。それを失うことは、あまりに痛すぎるのだ。
「そちらの言い分は分かりました。よければ具体策をお聞かせ願えませんか？」
考え込むアカツキに代わってプロスが応える。
交渉なら自分の分野である。そして相手が誰であれ、それがこちらにも旨みのある適正な取引なら交渉の席に着く。それが商人なのだ。
アクアは笑みを崩さないままに説明を続ける。
『私は火星の後継者の逃亡先を表明している組織の全データを持っています。これを火星の後継者にちらつかせようと思いますの』
プロスたちは舌を巻いた。それはまさに彼らが現在、一番欲しかった情報なのである。
なぜなら逃亡先が明らかになれば雲隠れとは行かず、国際社会からの反発も受けるため、受け入れを拒否する可能性すらあるからだ。
これを逃げ始めている火星の後継者にちらつかせることで逃亡を防ぐ。
そして逃亡が不可能となった場合、兵力を過度に集中させた火星の後継者の戦略はまったくの裏目となる。短期決戦を挑むためには落とさねばならない拠点をことごとくスルーしてしまっているからである。
当初の作戦からは随分とズレてしまったが、それならばまだ五分の勝負にもっていくことが出来る。
『ウィーズさんの場所も把握していますわ。混乱に乗じて助けるのも良いでしょう』
「―――！ その話、乗った！！」
今まで黙っていた月臣が声を上げた。
火星の後継者と戦えてウィーズも助けることが出来る。これの何処を躊躇う必要があるのだろうか。
しかしプロスは渋い顔で明言を避けて頭を振った。
アクアの話は一見正しそうな魅力的な案だが、あくまで推論だ。
彼女の情報が何処まで正しいかは分からない。
「何を迷う必要があるのですか！ 簡単なことではありませんか！」
「月臣さん、あなたは少し黙っていてください」
「そうしてウィーズを見捨てるのですか？ ならば私は今ここでネルガルを裏切り暴れさせていただきますよ」
脅し文句以外の何物でもない。
プロスはそんな裏切りにも似た殺し文句をいう月臣に、苦虫を潰したような顔をした。
しかし、護りに入ろうとジリ貧であることには代わりないのだ。全滅は免れるだろうが、現時点での損害を考えれば随分とその勢力は削がれてしまうのだろう。その上、月臣が裏切ることは目に見えている。
プロスも、そしてアカツキも迷っている。迷いきっている。
だからアクアはそこを押した。
『火星の後継者の逃亡を防ぎ拠点に封じ込めたとして、そちらの作戦継続能力はどうなっておりますの？』
一拍、ニヤリとアクアは笑う。
『あるんでしょう？ 切り札が』
「まいったね。何処までこちらの手札を読んでいるのやら」
アカツキがやれやれという風に切り返した。
「火星極冠遺跡についてはまだ予定の範囲内だ。ナデシコCは健在。要のルリ君も合流するためにシャトルで既に出発した。敵が極冠遺跡に留まり、遺跡ユニットごと待ち構えていてくれるのなら、十分に制圧可能だ。ネルガル本社と連合軍総本部については、時間の勝負になるだろう。素早く、効率的に部隊の再集結が出来れば、そこから先は月臣君たち次第だ」
『今からでもそれは間に合いますの？』
「うちの社員は軒並み優秀だよ。そうなるように育てた」
アカツキの言葉にはネルガルへの自負と信頼が込められていた。少々大胆すぎる委任ではあるが、そんな乱暴な発想が出てくるということは、アカツキもその気だからだと、アクアは思った。
そんなアカツキにアクアが思い出したように言う。
『そうそう。全てが終わってから約束を反故にしようとは考えないことですわ。マルコたちがネルガルとテンカワ・アキトとの情報を掴んでますから、裏切ったらバラしちゃいますわよ』
思わず苦笑いのアカツキだが、今はそんなアクアの言葉が頼もしい。
アカツキは肩をすくめながら、何気ないようにアクアに質問した。
「それで、ウィーズ君の場所はつかめてるんだよね？」
「ネルガル本社地下の特殊車両の中だ。詳細データも用意してある」
契約成立と見て従者であるマルコが代わりに答える。
「だ、そうだ。後は頼むよ、月臣君？」
「お任せください！」
月臣は我知らず拳を握りながら答える。
木連を飛び出した後、ネルガルに身を寄せたのは決して間違いではなかった。
月臣は猛る胸中でそう呟いたのだった。
白黒ーwhite
& blackー
第伍幕 ト・モ・ダ・チ
presented by 鴇
「弾幕を絶やすな！ 何としても奴らの攻撃を食い止めろ！」
ゴートの号令に、NSS――ネルガル・シークレット・サービス――たちが銃声で応える。もっとも、ゴートが指示するまでもなく、銃声は途切れる気配を見せなかった。
無数の銃声に怒鳴り声、爆音が重なりあって空間を埋め尽くしている感がある。
鼓膜だけでなく、皮膚で、さらには下腹に響く振動で、弾幕の厚さが分かるほどだった。
ある者はライフル。ある者は機関銃。サブマシンガンにロケット砲、手榴弾、さらにはハンドガンすら手に取り、必死になって防御膜を構築している。
音と衝撃で周りを埋め尽くし、ヤマアラシのように周囲を威嚇し続けている。
そうでなければ、次々に襲い来る火星の後継者たちに瞬く間に浸透され、そして虐殺されるだろう。
タイトロープのような戦況の中でNSSは戦線を維持していた。
だが、果たしてそれがいつまで保つか。
「練度だけならこちらが上だが、単純な数は概算でもこちらの５倍以上か……これで制圧用の機動兵器でも出されたら一溜まりもないな」
今のところ、ルリとミナトを他のナデシコメンバーに預けたゴートが帰参して指揮をとっているためNSSの統率は乱れてはいない。
不意をつく形で武器庫の１つを奪還できたことも大きかった。この武器類がなければ今頃はとっくに攻め落とされていただろう。
しかし、このような乱戦では、戦場全体を俯瞰することは難しい。ネルガル本社以外の戦場がどうなっているか、ゴートには知る術がなかった。
プロスからの連絡では早ければ３時間以内に周囲に散っている部隊が援軍として現れるとのことだった。
到着する援軍の中には腕利きの古参もいれば機動兵器乗りもいる。ゴートは無意識のうちに何度も腕時計で時間を確認していた。
だが彼の焦燥とは裏腹に、時計の針は一向にその歩みを進めない。
戦場の轟音はいつ止むとも知れず続いていた。
「ダメです！ 右翼はこれ以上保ちません！」
「中央もそろそろ限界ですっ。負傷者多数！」
前線からの連絡がゴートの元に寄せられる。ほとんどは戦線の悪化、または激化を告げる内容だ。
「……やむを得ん。各チームに通達。手持ちの地対地ミサイルを一斉に発射し、敵の勢いを一時的に弱める。そのタイミングで一区画分だけ後方に撤退。防衛ラインを張り直す」
逡巡はわずかに数秒。ゴートは直ちに指示を下した。
彼は知っている。このような力と力のぶつかり合いの中で、部隊を後退させつつ再構築することがどれほど困難なことかを。
そもそも既に最良と思われる地点に部隊を配置していたのだ。下がれば下がるほど戦線の維持は難しくなる。
しかし、やるしかない。
唯一の救いは後退するほどに補給部隊との距離が狭まるため補給が迅速に行われることぐらいか。人が少ない分、１人あたりの物資だけは豊富にある。
だが敵の攻勢はいつになく執拗だ。怯む気配が見えない。
予想ではこのまま姿をくらます筈なのだが、逆に退路のない決死隊の様相だった。
「くぉっ！？」
ゴートの間近で爆発が起こる。
榴弾だ。いよいよもって攻めこまれてきたところで
ゴゥ―――と風が吼えた。
「がはっ！！」
次いで攻め込んでいた敵の一端が吹き飛ばされた。
爆発はない。火器を使わない接敵攻撃だ。
まるで出来の悪いCG映画のように敵を吹き飛ばしながらその男は一直線にゴートの横まで走ってきた。
「遅くなりました、ゴート殿！」
「月臣か！」
声をかけようとしたゴートの目が見開かれる。
風になびく長い黒髪。
意志の強そうな切れ長の瞳。
真一文字に引き締めた口元。
そして―――白い学ラン然とした優人部隊の制服。
そこには蜥蜴戦争時、木連の英雄として名を馳せた月臣元一朗の姿があった。
「その制服は……」
「決めたんです。俺はアイツを必ず助けると」
ゴートの言葉を遮って月臣が言う。
散発的に飛んで来る銃弾を広範囲に広げた小型ディストーションフィールドではじくと、月臣は腰につけた手榴弾を取り出して振りかぶる。
狙撃手までの距離は約１２０メートル。
まず届く距離ではないが
「ふんっ！」
気合一閃。
放物線を殆ど描かないレーザービームが空気を切り裂いて敵の密集地帯に吸い込まれる。
爆発。
敵の一端がまた吹き飛ばされる。
「惚れた女が捕まった。ここで男が動かねば筋が通りません」
一拍。NSSも火星の後継者も唖然としている中で、月臣は淡々と言う。
「筋を通すこと、信念を貫き通すことが俺の正義です。ならば今ここで俺がこの制服をまとうことに躊躇いはありません。邪魔をする奴らは……ことごとく蹴散らします！」
月臣が睨みつけると、明らかに火星の後継者の攻勢が怯んだ。
曰く白鳥九十九ら木連三羽烏の１人。曰く撃墜数３００オーバーのスーパーエース。曰く素手で木連式抜刀術免許皆伝の草壁春樹を倒した男……。
プロパガンタに踊らされているものもあるが、木連人中心の火星の後継者にとって月臣元一朗の勇名はそれだけで脅威なのだ。
火星の後継者は攻めあぐんでいたかと思いきや、気がつくと大層な増援を呼んでいた。
「ずいぶん警戒されているな。顔見知りでもいたのか？」
「いえ。どいつもこいつも優人部隊にはいないですね」
「蜥蜴戦争では前線不参加の者たちか？」
「はい。政府広報では俺は随分と化物じみた能力の男と紹介されていましたからね。おそらくその影響でしょう」
先程の投擲を見る限りあながち嘘ばかりにも思えんのだが。
月臣の言葉にゴートはふと思った言葉を飲み込んで、傍らの部下に問いかけた
「他の戦線に動きは？」
「今のところ見られません！ あっても散発的なもの、偶発的なもので、指揮統制は取れていないため撃退できています」
「増援もか？」
「はい。敵は南からのみ攻めている模様です！」
部下の報告に、ゴートは頷いた。
敵の狙いはネルガル本社の中枢部と、NSS施設内の機動兵器であることは明確だ。本来なら包囲して攻めるはずのセオリーすら破棄して、敵は戦力を一点に集中して攻めてきている。
罠の可能性も否定出来ないが、おそらく、敵はNSSを殲滅するつもりなどないのだろう。ネルガル施設内から追い出し、ネルガル本社の守りを無くすことだけが目的なのだ。
また、以前ゴート自身が指摘していた『士官不足』が浮き彫りになっているとも考えられる。
火星の後継者は兵力こそ多いが、指揮系統に難がある。特に部隊を指揮する士官の数が圧倒的に不足しているのだ。だからこそ複雑な部隊運用を行うことができず、真正面から攻めてきているのである。他に攻め落とすべき拠点を無視せざるを得なかったのも、おそらくこれが理由なのだろう。
だからこそ、こちらとは逆に、敵は姿をくらます前にネルガルだけは是が非でも攻め落とそうとしているのだ。こちらが粘れば粘るほど、援軍の集結により追い詰められていくことになる。
敵も、絶対的優位にいるわけではないのだ。
ゴートは部下に指示を下す。
「……よし。最低限の戦力を残して、多方面に回している予備戦力をこちらに集中させる。すぐに伝達を」
「了解しました！」
言って、離れていく部下に頷いてから、ゴートは今度は月臣の方を見ながら言った。
「お前の人気は凄いな。数だけならこちらの１０倍以上にふくれあがっているぞ」
「ええ。しかも数を揃えたことで精神的にも落ち着きを取り戻したようですな」
「ふん。もう勝った気でいるのか」
一拍。ゴートには珍しく威圧するような笑みを浮かべる。
「月臣、奴らに『戦争』を教えてやるぞ」
「了解！」
月臣も獰猛な笑みを返す。
数で圧倒する火星の後継者の大軍を前にして、前大戦の最激戦区を駆け抜けた２人は守勢から攻勢へとスイッチを切り替えた。
月臣が優人部隊の制服に袖を通す少し前、火星の後継者の参謀であるシンジョウは1人の女に追い詰められていた。
シンジョウはコミュニケの画面を睨みながら言う。
「アクア殿。貴方はご自分が何を言っておられるか分かっているのですか？」
仕立てのよい白のワンピース、手入れの行き届いた繭のようなふわふわとした金髪。見た目の特徴だけなら箱入りお嬢様といった風のアクア・クリムゾンは、シンジョウの問に蛇のように艶然と口角を持ち上げた。
『もちろんですわ。私は貴方達が潜もうとしている組織の全データを持っていて、それをネルガルに提供しようと思っていますの』
シンジョウの肌が総毛立った。トップシークレットとも言える情報がどうして知られていたかは分からないが、そんなものがネルガルに渡されたとあっては彼の逃亡計画は根幹から崩れることになる。
「貴方は身内であるロバート・クリムゾン殿も裏切ろうとするのですか？」
『物事には優先順位というものがありますわ』
「……実の祖父よりも優先するものがあると？」
シンジョウの言葉に、アクアはチェシャ猫のように笑う。裏側に秘めたものを隠し、笑みだけが見るものの脳裏に映る、そんな笑顔。
『私は名より実を取るタイプですの。手段を惜しんで目的を諦めるなんて出来ませんわ』
「…………」
『私はお祖父様に従順な孫を演じてきましたから。お飾りの広告塔として、クリムゾン・火星の後継者・統合軍の後押しを受けて、実に様々な場所で様々な要人と会話をしましたわ』
一拍。アクアは目を細める。
『私は信用されていたのでしょう。随分と色々な情報を頂きましたわ』
「………ｯ！」
アクアの目に妖しい光が混じる。
彼女の言葉はもはや不可解ともいえる響きを示し始めている。頭の芯が痺れてくるようなこの感覚。もし目の前に彼女がいたら蛾の鱗粉のような甘い香りすら感じていたかもしれない。
シンジョウはアクアの話術に引き入られないよう、きつく唇を噛んだ。
アクアはゆっくりと話を再開する。
『中には露骨に私に色目を使ってくる殿方もおりましたわ。父と母が他界した今、お祖父様の後継は基本的に私ですから』
アクアの言葉にシンジョウの頭が追いつかない。
口にされる言葉の1つ1つが突拍子もなさすぎて、切り替えが間に合わない。
……目隠しをして戦場に赴いているようなものだ。
自分の知らない情報、知りえない情報、あるいはその真偽を判断することすら出来ない情報から、アクアは絵を描いている。
そんな絵の説明をされても理解などできるはずもない。
「アクア殿の望む見返りについて、こちらも最善の努力をしましょう。ですからそのデータの流出は―――」
『―――貴方にお祖父様を後ろから刺すことが出来て？』
とりあえず現状を維持しようとするシンジョウの提案を遮ってアクアが言う。
「―――！ まさか、貴方の目的は！？」
『うふ、それは言わないお約束ですわ』
肯定はしないが否定もしない。それ以上は聞くな。全てはその笑顔が物語っている。
『とはいえ、このデータは私の切り札の１つです。そう簡単にネルガルに渡しもしませんから、今すぐに私の居場所を突き止めて捕まえればデータは流出しませんわ』
「……そういう罠を貴方は描いているのかもしれない」
シンジョウには、そう言うのが精一杯だった。
アクアは両手の挙げて降参の姿勢を取っている。
馬鹿にされているのは、もちろん分かっていた。
「それらの話の真偽を私は確かめることができない。何か証拠となるようなものはありませんか？」
『今すぐというと無いですの。ですが難しく考えることもありませんわ』
クリムゾンの毒蛇は愉しそうに笑う。
『騙されたと思って私のかくれんぼに付き合ってくれればいいんですの。制限時間は私とネルガルとの取引が成立するまで。途中で負けを認めたときは、このデータの凍結と引換に私の先程のお願いを聞いて頂きます』
アクアはそう言って、くふふふと哂う。
酔っているのかと勘ぐりたくなるほどだ。
いや、実際酔っているのだろう。
この足元さえぬかるんでくるような幻惑的なやり取りに。
シンジョウは仕方ないとばかりに頭を振って覚悟を決めた。
「……いいでしょう。貴方の首根っこをすぐに捕まえに行かせてもらいます」
一拍。シンジョウはふと気になった問をアクアに投げ掛けた。
「最後に、貴方の目的とやらをお聞かせ願えませんか？」
『それはもちろん―――』
少女のようにニッコリと笑ってアクアは答える。
『世界平和ですわ』
ふざけてる。
笑顔のままのアクアを睨みつけると、シンジョウは荒々しくコミュニケのスイッチを切った。
「怒らせてしまいましたわ。本当のことですのに」
「まぁ、あれでは無理も無いでしょう」
肩をすくめながら言うアクアにマルコが応える。
「しかしどうするんです？ 先ほど言っていた火星の後継者の潜伏先は2割程度しか裏が取れていないんですよ」
そうなのだ。マルコの言葉通り、アクアがシンジョウに切った大見栄はただのブラフなのだ。如何に大企業クリムゾン・グループ総帥の孫娘であろうと、現時点での彼女にたいした力はない。一応、クリムゾングループの広告塔兼親善大使というお飾り的な役職が与えられているため、それを利用した各国の上層部への人脈作りや一般大衆への知名度はなかなかのものであるが、正直その程度のものである。情報収集能力こそマルコたち元クリムゾンSSがいるためそれなりに高いが、後は子飼いの護衛や部下が数人とそこそこの予算が彼女の武器の全てだ。
ポーカーで言えばブタか良くてワンペア。
通常の精神ではとても勝負する気にはなれない。
だが、それでもなおアクアは何でもない様に返す。
「まぁ、何とかなりますわ」
「なんとかって……」
「どうせ、こちらから和解する気などありませんから、データなんてなくても構いませんわ。よしんば向こうが折れてくれれば、こちらは労せずクリムゾンを握ることができる。その時はネルガルとの連携は解消いたしましょう。彼らには悪いですが、どう転んでも我々には損が出ませんの」
それでも一抹の不安を隠しきれないマルコにアクアは笑いかける。
先ほどシンジョウと相対していたときのような、それは毒蛇の笑み。
「私の社交界でのあだ名は知っているでしょう？」
変人。
それがアクアの嘘偽らざる評価の1つだ。
曰く自分のためだけの漫画を描かせるためにお気に入りの少女漫画家を拉致監禁した。曰く来賓に振舞われる料理に手製のしびれ薬を混ぜた。曰く気に入らない会談相手の弱みを握って脅迫した……。
真実半分。嘘半分。虚実を織りまぜたアクア像は、既に1人歩きを始めている。
「実に様々な方たちと会話をして、そのイメージを植えつけてまいりましたわ。故にどれほど荒唐無稽のことであろうとも心の何処かでは思っているでしょう。アクア・クリムゾンは何をしてくるか分からない狂人である、と」
「それは……ッ」
「些細なことの積み重ねで結構ですの。アクア・クリムゾンにはクリムゾングループ当主の孫という立場と権限がある。お飾りながら広告塔として世界各地で要人と会談を繰り返してきた。マルコをはじめ元クリムゾンSSの精鋭を部下として持っている。エキセントリックな性格で実の祖父すら裏切りかねない……。こういった情報の1つ1つが合わされば、それが信用に値する状況証拠に見せかけられる。シンジョウさんは生真面目な方でしたからね。嘘だと思っても完全に無視することなど出来はしないでしょう」
それは思考にまとわりつく、蛇のような毒。自覚したからと言って解毒の特効薬はない。
調査を進めればアクアのブラフに気が付けるだろうが、それには何より貴重な時間を浪費するしか無い。
一拍。アクアは口角を持ち上げる。
「大きな勝負になればなるほど、ビビった方の負けなんですのよ」
掛けるリスクもアクアたちは自分たちの身の破滅だけで済むが、シンジョウ側は火星の後継者全体の破滅に及ぶ。
度胸勝負のチキン・ランなど出来るはずもない。
悪魔のような取引を仕掛けながら、蛇からお嬢様の笑顔に戻してアクアは言う。
「これで最低限の時間稼ぎはできましたわ。後はネルガルの頑張りに期待して、ウィーズさんを助けることとしましょう」
火星の後継者に囚われた後、ネルガル本社地下でウィーズは待っていた。
四肢を拘束され目隠しまでされているため周囲の様子は音でしか判断できないが、彼女の優秀な聴覚はこの場所に近づく者があることを知らせている。
気配とでも言うのか、近づいてくるそれはこの場を制圧しつつある火星の後継者のものではなく、深く静かに潜入しようとしている。
ウィーズの胸が1つ高鳴った。
来ている。
自分を助けるために、有象無象を飛び越えてあの馬鹿が。
助けを期待するとは言ったが、内心ひやひやモノだった。
期待を裏切られることは何度も、それこそ数え切れない位にあった。
だからこそ今は本当に、涙が出るくらいに感激している。
シュン、とスライド式のドアが開いた。
次いで誰かが入ってくる気配がある。
足音から1人なのがわかった。
アイツが来てくれた。
ウィーズの胸がまた高鳴った。
四肢の拘束が外されていく。
右足首、左足首、左手はすでに切り落とされているため最後に右手首。
それらが外されたところで、ウィーズは目隠しを取るのも忘れてその相手に抱きついた。
「…月臣っ、月臣っ、月臣っ……うっ、ぐす……月臣っ、月臣っ、月臣っ、月臣ぃ……」
何度も何度も想い人の名を呼びつづける。
不安を打ち消し、感謝を示すために首に腕を絡めてむしゃぶりつく。
五感の全てで相手を感じようとしている。
甘い香りが脳髄を溶かし、想像に反して細い首筋に顔をうずめると、きめ細かい肌の感触が返ってくる。
その香りも、肌触りも、長い髪も、柔らかな胸の感触も、そのすべてが愛おしい。
…………柔らかな胸？
不審に思い目隠しを取り外したウィーズの前にいたのは……赤面しながらも満更ではないツラをしているアクアだった。
「おギャーっ！！」
ウィーズは叫びながらも後ろに飛んで思わず距離を取る。
「な、な、な、な、なん、なっ！？」
ぷるぷると指さしながら針の飛んだレコードよろしく何度も繰り返してしまうウィーズに、アクアは華麗に一礼しながら返す。
「お久しぶりですの、ウィーズさん。助けに来ましたわ」
「えぅ、あっ？ ……アクアが？ その、……お久しぶりです？」
まだ思考が追いついてこない。
意味のわからない言葉がそのまま口をついて出る。
「しっかりしてください。私はウィーズさんの愛しの月臣さんではありませんのよ？」
アクアの言葉にウィーズの顔が瞬間湯沸かし器よろしく赤く染まる。
「い、いとしのっ……そんなワケ無いでしょっ！ っていうかなんでアクアがここに！？」
「ウィーズさんを助けるためと言いましたわ？」
「い、いや。そういう事じゃなくて……」
「ふふ。分かっていますわ」
なんといっていいか分からないウィーズにアクアは微笑みながらあるものを手渡す。
それはマルコが愛用している拳銃だった。
ＲＲＲ・０４＜アサシン＞。小さな回転弾倉式拳銃で銃身が極端に短く弾も５発しか入らないが、携帯に便利なため潜入捜査官などに愛用者が多い。アクアから渡されたそれには小柄なサイレンサーが付いているため、以前見たものより若干銃身が長くなっていた。
渡しながら、アクアは不敵に笑ってみせる。
「私が戦場と言って差し支えないこの場までどうやって来れたかでしょう？ 対策の1つや2つは常に張り巡らせてあります。この銃で私を撃ってみてくださいな。何度撃っても弾丸は私に決して届きませんわ！」
自信満々に言うアクアにウィーズは言われるがままに銃を向ける。
わずかに躊躇ったが、アクアを信じて発砲する。
狙いは眉間。
小型ディストーションフィールド発生装置か、新種の迎撃装置か、はたまた全く未知の対抗策か。
ウィーズが注視する中で彼女の放った弾丸は………アクアの眉間に吸い込まれて小さな飛沫を上げた。
「………………は？」
アクアは泡を吹きながら糸が切れた操り人形のように後ろ向きにぶっ倒れる。
「えっ？ これ私が殺ったことになんの！？ っていうか私の不殺はこんなんで途切れるんか！？ ちょ、アクア…死ぬな、死ぬなァァァあああっ！！」
なにかビクビクと痙攣しながら『ト・モ・ダ・チ』などとE.T.のようなカタコト言葉を呟いているアクアの前でウィーズが絶叫する。
そんなシュールな光景の中にアクアの護衛であるマルコが入ってきたのはその時だ。
「お嬢様。あまり遊ばれていては困りますが……む、これは」
「うわぁぁああっ、マルコさん！？ これは違うのーっ！ アクアが私に撃ってみろって言ったから撃っただけで……うわぁぁあああん、だから違うのーっ！！」
錯乱しているウィーズは『堪忍してつかーさーい！』とわんわんと泣いている。
マルコは額を抑えながら軽く溜息をつくとアクアに声をかける。
「お嬢様、本当に時間がないのでそのくらいにして下さい」
するとアクアは何事もなかったように起き上がった。弾丸もペイント弾だったようで、マルコが拭うと綺麗に落ちてしまった。
「ふぅ、ゆっくり死んだふりをする時間も無いんですの」
「何ィ！？」
何も言うことが出来ずにぷるぷると震えているウィーズにアクアはニッコリと笑いながら応える。
「せっかくのおちょくりの機会を私が見逃すと思いまして？」
「チクショウ！ こんなのに振り回されて……っていうか月臣のせいよ！ アイツが約束通りきちんと来てくれてれば……ッ！！」
「まあ、そう言うな」
恥ずかしさを怒りでごまかそうとするウィーズにマルコが言ってやる。
「月臣は今、この戦場で一番つらいところを受け持って陽動作戦を展開している。お前を助けようとした言いだしっぺだから当然だと言ってな。さらに言えば、アカツキやプロスといったネルガルのメンツからはここの防衛システムなどの機密情報をもらった。完全社外秘の情報を渡してくれるくらいには、お前は大事にされているんだよ」
「……そう…なんだ」
マルコの言葉を噛み締めるように小さく、ゆっくりと笑うウィーズ。
彼女はそれをつまらなそうな顔でみているアクアの手をとりながら頭を下げた。
「ありがとう、アクア。アンタだって怖い思いしてここまで来てくれたのに……。ごめんね、私はまずこれを言わなきゃいけなかった」
「べ、別に構いませんわ。友人が困っていたら助ける。当然のことでしょう？」
照れながら応えるアクアの言葉にウィーズは一瞬ぽかんとしていたが、すぐに笑顔を浮かべて大きく頷いた。
「そっか、友達だもんね！」
ユキタニ食堂で共に働いていた頃、ウィーズは自身のコンプレックスからアクアとの対等な関係を維持できなかった。
だが、今ならそれを受け止めることができる。
自分の価値を認めることができる。
『ありがとう』
そう言ってくれる人が、自分にも出来たのだから。
「一段落したなら、早くここを離れるぞ。ウィーズ、お前を一度医者に見せないといけないしな」
「後は私たちに任せて、ウィーズさんは身体を休めてくださいまし」
マルコとアクアの言葉に、ウィーズは驚きながら返す。
「えっ、アクアたちも逃げるんじゃないの？」
「差し当たってこの場は離れますが、火星の後継者とお祖父様に堂々と喧嘩を売ってしまいましたから」
何でもない風に言ったが、まだショックを受けているウィーズを見ると、アクアはこう付け足した。
「ウィーズさんと別れた後、私も出来る限り人が死なない社会を作ろうかと思いましたの」
「出来る限り人の死なない社会……」
「はい。はじめはクリムゾングループの後ろ盾で親善大使などしていました。クリムゾンすべてを背負うよりは気が楽だと思いまして。ですがそれは嘘でした。私がそんなことをしている間にも人は死に続けていますし、ついにはクーデターが起こるなんて情報まで入ってきました」
「……アクアはどうする気なの？」
「クリムゾンの全てを掌握します。お祖父様をハメて、権力を奪いとって、ネルガルと協調して、歪んでしまったこの世界の流れを矯正します。私が、クリムゾンの人間としてやれることは、これが最善ですわ」
「…………」
「この世界はまだ捨てたものではありませんわ。木連が、クリムゾンが、この地球がダメだからといって、やれるべきことをやらないのは、クリムゾンの人間としての義務から逃げるなんて卑怯なことは、私には耐えられませんの」
「……アクアはそれでいいの？」
「確かにお祖父様に刃を向けることは気持ちの良いものではありませんわ。ですが、今からやることを変えようとは思いません。私はクリムゾン当主の孫なのですから」
凛とした顔で、アクアはウィーズを安心させるように微笑む。
その表情はウィーズが知っていたかつてのアクアのものではなかった。
ロバート・クリムゾンの孫としてではなく、アクア・クリムゾンとしての信念と責任を帯びたそれは、同性であるウィーズをしてはっとさせるほどの美しさを持っていた。
「私には私の戦場があります。キツネとタヌキの化かし合い、陰謀と政治抗争の泥沼という」
そう言って、アクアは最後に付け加える。
「ウィーズさんだけではありません。この世界を良くするために、みんな『頑張って』いるんですわ」
その一言が、ウィーズのスイッチを入れた。
そう。やるべきこと、やれるべきことから逃げることは卑怯なことなのだ。
みんな、アクアも、月臣も、アカツキもプロスもゴートも誰も彼も、必死になって自分の務めを果たそうと頑張っているのだ。
ならば自分はどうなる。
たかだか手が一本ちぎれただけで全てを他人任せにして逃げるのか？
そんなのはウィーズ・ヴァレンタインじゃないね。
胃の中に熱した石を突っ込まれたような、訳も無く叫びだしたくなるような高揚感が身を包む。
瞳が急に輝きを増したかのようだった。ウィーズは生気に満ちた眼差しでアクアを見つめながら言った。
「私は何をすればいい？」
「…………え？」
「みんなが頑張っているのよ。私はどう動けばいいって聞いてんの」
「それは………」
言いながら、アクアはしまったと後悔した。
一度その気になったウィーズは決してその行動をやめない。
彼女の強すぎる芯がそれを許すはずがない。
たとえアクアが何も指示しなくとも、ウィーズは一人武器を取り立ち上がるだろう。
……自身を省みずに。
アクアがどうすれば安全にウィーズを動かせるかと思案しているところで―――
「諦めましょう、お嬢様」
マルコが横から口を挟んだ。
そして言いながら、ウィーズにあるものを投げ渡す。
それはつま先から首筋まで覆うボディー・アーマーだった。このボディー・アーマーは先の熱血クーデターでも活躍したものと同タイプの、衝撃吸収構造や倍力機構などの仕掛けがある特別なものだ。
片手で器用に受け取るウィーズにマルコが説明する。
「そいつは俺達が使っている装備の１つだ。各部の構造材がそれぞれ身体を支える形となっているから、腕の痛みもそれなりに抑えられるはずだ」
「マルコ、貴方……っ」
主人であるアクアの言葉にマルコは首を振る。
「分かっているでしょう。こいつは絶対に自分から折れたりはしません。ならこっちから手を貸してやったほうがむしろ安全です」
「そ、それは………」
淡々と言うマルコと口ごもるアクアを見ながら、ウィーズは何と言っていいか分からずただ2人を見つめていた。
その視線に気づいたマルコが付け加えるように言う。
「なぜ、初めから連れ帰るつもりの俺達がお前の身体にぴったりの装備を持っていたかなんて聞くなよ。話がややこしくなる……」
やはり表情を変えないマルコとそっぽを向くアクアの姿に、ウィーズはその視界が歪んで鼻がツンとしたような感覚を覚えた。
自分がこう出るのは読まれていた。
読まれた上で、その背を押してくれた。
一人じゃなかった。
自分の心にとても暖かいものが満ちていくのをウィーズは感じていた。
「泣くなよ。それは月臣と2人きりの時にしろ」
「だ、誰がッ！」
零れ落ちそうになる涙を上を向くことで堪えて、ウィーズはそのまま上着を下からめくるようにして脱ぎ捨てる。
彼女の透けるような白い素肌が露わになるが、マルコがそれを見る前にアクアが下からそのアゴを打ち抜いた。
下も同じように脱ぎ捨てると、片手だけで器用に着替える。
コミュニケとボソンジャンプユニットであるC.C.を身に付けると、次の瞬間には、涙で湿った瞳はすっかり渇いて、凛とした光が戻っていた。
「それで、私はどう動けばいいの？」
『それはこちらの指示に従ってもらうわ』
この声はエリナのものだ。
ウィーズがつけたコミュニケに電源が入ったことから通信を送ってきた。
「エリナっ、そっちは大丈夫なの？」
『私は月のネルガルの施設にいるから直接の襲撃は受けてないわ。アキト君とラピスも無事よ』
エリナはそう言って軽く身体を動かすと、その後ろにいたアキトとラピスの姿を画面に映しだした。
『ウィーズにはこれからある場所に行ってもらうわ。火星の後継者も見逃したネルガルの武器庫じゃない武器庫よ』
「なにそれ」
『行けば分かるわ。そこで武器を調達してから、月臣たちが狙っている機動兵器の格納庫へ貴方も向かってもらいたいの』
「ボソンジャンプ使って要人を暗殺する爆弾テロやれっていうなら断るわよ」
『貴方の信念に反するようなものは頼まないわ。……やれそう？』
気遣いながら聞いてくるエリナに不敵に笑いながらウィーズは応える。
「やらせなさいよ。たかが修羅場。いつものコトだわ」
捕われのお姫様から王子様を援護する傭兵へ。
短い夢だったなぁと心のなかで密かに溜息をつきながら、ウィーズはどんと請け負った。
『それじゃ地図を出すわ。ここからはラピスのナビゲートに従って』
「おっけー。よろしくね、ラピスちゃん」
ウィーズが言うと、すぐにこの一帯の地図と目的地までの道のりが表示されたコミュニケが現れた。
これに沿って行けということなのだろう。
ウィーズはそれらを確認すると、アクアたちに向かって話しかけた。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。積もる話もあるし、これが終わったらゆっくりと話しましょ」
「ウィーズさんも、お気をつけてくださいまし」
「無理はし過ぎるなよ。そのために仲間がいるんだからな」
まるでコンビニに行くような口調で言ってくるウィーズに、アクアとマルコがそれぞれ声をかける。
ウィーズはそれをくすぐったいもののようにはにかむと、1つ頷いてからこの部屋を後にした。
ウィーズたちの気配が十分に遠ざかったことを確認してから、アクアは傍らのマルコに話しかける。
「マルコ、貴方はウィーズさんの左腕を見ました？」
「はい。酷いものです」
「私のせい、ですわね？」
「否定はできません。お嬢様がウィーズを餌に火星の後継者をハメようとしなければ、おそらくアイツは五体満足でいれたはずです」
マルコは淡々と事実を述べる。
アクアがクリムゾンを牛耳るためには、ネルガルが火星の後継者に打ち勝たなくてはならないが、ただネルガルが勝てばいいというものではなかった。
基本的にネルガルが劣勢であって、それをアクアが助けてやるという形を取らなくては、恩を売ることが出来ない。
だから彼女はまず自身が仕入れたネルガルの情報を火星の後継者にリークした。
諜報部門に特化した彼女の部下たちは、こと情報戦においてはNSSとすら伍する能力を有する。
その力をフルに使って手に入れた『ネルガルが火星の後継者の武装蜂起に合わせて一大反攻作戦をとる』という情報と大まかな戦力分布図を火星の後継者に流してやった。
さらにウィーズという特A級のサンプルの存在と、その悪魔のような運用方法も仄めかしたものだから、当初の予定を大幅に変えて連合軍本部襲撃部隊の一部を割いてまでネルガルへの侵攻戦力は増強された。
火星の後継者はこの逃亡戦後の長期的な戦略において、アクアの言った方法でウィーズを切り札の1つとしようと考えていたのだ。どれほど期間が必要かは不明だが、たとえ無意識下であってもボソンジャンプの能力を引き出せることは『白雪姫』の件から立証されているのだから。
そうやって散々、前のめりになるように仕向けてきておいて、いきなりそのハシゴを外したのだ。
火星の後継者が想像以上に早漏で実験体にいきなり手をつけたこと以外は、おおむねアクアの描いた絵のとおりであった。
アクアは底冷えのする、けれどハッキリと怒気を含んだ声でマルコに命令する。
「私の友達を傷つけた落とし前は、兆倍にして返しますわよ」
「はっ、むろんです」
それは復讐なのか、誓いなのか、はたまた全くの別の決意なのか。
アクアでさえ判別としないその気持ちは、しかし彼女の中で盛大に燃え広がっていた。
自分にはヤマサキを殺し、そしてこの世界を理想的なものに仕上げていく義務がある。
それが自分の信じるものを、理想を描くためのツケを、友人であるウィーズに押し付けてしまった代価なのだと、彼女は考えていた。
アクアは我知らず拳を握りしめる。
ヤマサキ・ヨシオ。楽に死ねると思わないことですわ？
それはもはや狂気の奔流。
自身の聖域を土足で踏みにじったものに対する、純粋で狂おしいまでの魂の叫び。
心を黒く覆い尽くす炎を隠すことなく、アクア・クリムゾンは大きく口角を持ち上げた。
楽屋裏
やっぱ厨二病ですよね。みんな厨二設定好きですよね。
幻想殺しとか言ってそげぶってみたり、約束されし勝利の剣とか言ってエクスカリバってみたり。
意味もなく新型メカをドイツ語で名付けてみたりとかモニターの前でドッタンバッタンしてみたりとか（落ち着け
かく言う私もこのシリーズを書こうとしたきっかけは某禁書SSに触発されて厨二話を書きたくなった事なわけでして。
そんなこんなで囚われの女をきゅぴーんと何かに覚醒した主人公が助けに行くなんて厨二病全開で行きたいのにアクアがそれを邪魔しやがりました（ｵｲ
う〜んう〜ん、畜生め。
閑話休題。
こんにちは、冒頭から少々バグリました鴇でございます。
前回はシンジョウ無双になりすぎたので少しだけ予定を繰り上げて主人公サイドもチートキャラを投入しました。
と言っても能力差があるわけでなし、単純に相性なんかの問題なんですが。
感動の再会なんかを考えていたものの彼女が出張ってきた以上ギャグを入れたいなーなんて考えてしまった結果が今回の後半部分の流れです。
この流れに沿って次回はギャグ成分大増量となるでしょう（ﾏﾃ
最後になりましたがAction3000万ヒットおめでとうございます。
今回は記念ということでおまけもウィーズたちオリキャラを除いたオール既存キャラによる劇場版ビフォアです。
メグミ主役による何時もとは少し毛色の違う話となりましたので、よろしければご笑読してください。
できるだけ早く次の愚作で会えることを祈りつつ。
それではまた次回に。ありがとうございました。
＜アイマス風プロデューサーちっくな話を当初は目指していたはずのおまけ＞
おまけ
感想代理人プロフィール
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代理人の感想
うん、吹いたｗ
これでこそウィーズだよね・・・・とは言うものの、一応お姫様に憧れる感性はあったのかｗ
ちょっぴり意外だｗ
ちなみにウィーズよりもアクアさんよりも月臣が可愛くて仕方がないんですがどうしましょう。
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