虚空の夷






















蜂の接吻に、花びらは流れ・・・







カウント 「83,84,83,83,83、83・・・、上昇が、止まりました・・・?」
驚きとも喜びとも取れる表情で皆が振り返る。
そこには「当たりまえだ」という表情の研究者。そして、よし、と固い拳を作った月臣がいた。
それは予期していた反撃の機会が訪れたことを表していた。




「!?」
「あっ、あれ、艦長? 止まってませんか?」
ハーリーのうろたえた声にサブロウタも異変に気付いたようだった。いつの間にか彼のウインドウにも変化がなくなっていた。
「艦長、どうしました!?」
事態の怪しさにせっつかれたようで、咄嗟に問い掛けて来る。
「分かりません。オモイカネ、オモイカネ?」
ルリには分かりませんと答えるのが、精一杯だった。なんせ、いくらオモイカネに要求を出しても反応が無いのだから。
システムを覗く事も出来なくなっていたので、ルリは身に降り掛かっている状況を飲み込めずにいるのだが、しかし解かる事が一つある。
自分達とオモイカネのコンビネーションがほぼ絶たれたという事だ。それもオモイカネの方から一方的に。あの、静かに、規則的に体を流れる一体感や、目の奥で会話しているような感覚がない事で、それは嫌がおうにも認めざるを得ない。先程、相手艦の壁をもう少しで越えるという時、一瞬不自然なラグが現われ、その直後にオモイカネと音信不通になってしまっている。とはいえ、うんともすんとも言わないわけではないのだが、ルリにはオモイカネがどこかにいってしまったか、或るいは急に「ボケ」たかのように感じられた。これほどまで・・・、と思うほどデータ処理能力が衰退していた。
「おいおい、まいったな。こっちもダメだ・・・。ハーリー、何とかしろよ」
「そんなこと言われても・・・」
おーい、ねえっ、返事しろよー!、独り言にすぎなくなったハーリーの問い掛けは、ルリ自身の状態から考えても「ぬかに釘」なように思える。実際、自分からのごくごく簡単な要求も、まったく相手には届いていないようにさえ感じられる。どうしましょうか、と変に落ち着いた頭をひねってブリッジを振り返ると、サブロウタや他のクルーのウインドウに、別の表示が取って代わる瞬間を目撃する事となった。
そのウインドウは、見間違いでなければハーリーとルリのやるゲーム以外ではめったに見ることの出来ない、エラーを示すタイプのものに見えた。
その内容、
[アクセスに矛盾が発生]
の一言にルリは絶句してしまう。
あり得ない表示、あり得ないエラーだった。
(・・・わけ分かりません)
思考が滞ってしまったルリは、そんなふうに言葉を浮かべつつ原因を探ろうとしてみるが、原因以前にナデシコcの中枢を担うスーパーコンピュータ・オモイカネがルリとの連携中にエラーを起こすなど、考えられない事だった。ましてルリの方がミスした覚えはなく、今までのことを考えてみても不可思議で、到底信じられる現象ではなかった。
(なにかされた?)
がその形跡がなかったことはオペレーティングしていた自分が一番よくわかっている。
あのラグはこちらの足を止めるための、どうでもいいデータに触れたせいで発生したものだろう。
「艦長、相手艦から侵入が試みられています!」
通信士のカンナが急を告げる。今度はナデシコが侵食にさらされているのだ。
形勢の逆転。
ナデシコの壁「タケヤライ」は、相手からの侵入を易々と許す出来損ないの類では決してなく、その名を付けたのもその逆の性質を期待してのものだったのだが、今ここでは名は体を表すという皮肉な結果を見せていた。なぜか、途中途中引っ掛かりながらも、相手の侵入スピードは意気揚揚と、威風堂々としている。
かなりたどたどしいが、まるで誰かが案内しているようだ、とルリは考えたのだが、とにかく自前の竹組みが進撃ラッパを鳴らした騎兵隊に蹂躙されるのは時間の問題だった。いくつかある補助回線から話し掛けてもいっこうに返事がない。
というわけで単純な方法でいくことにする。
「ハーリー君、ログし直しましょう。まずそこからです」
平静を装ってハーリーに告げる。とにかくこちらの体勢を急いで立て直さなければならない。
「は、はい。わかりました」
二人はウインドウボールをたたんで、もう一度オモイカネに対してログインした。
そしてその時、それは起こった。


ナデシコの艦橋に悲鳴が響いた。
喉の奥から搾り出すように放たれ、苦痛に歪んだその声は、辺りをつんざき、一瞬の空白を作り出し、そしてその元から呻き声を洩れ続けさせた。
クルーが目にしたのは背を反らし自分の両肩を抱きしめるようにしているルリの姿で、副長席にいるサブロウタからはその首筋が震えているのが見て取れた。そして、ハーリーも同じようにして両肘を抱え、耐えるようにうずくまっているのを見ると、あの悲鳴は同時に二つが重なり合ったものだということを理解した。
とにかく戻すようにと下の二人に告げ、サブロウタはすぐに席を離れて艦長席へ急ぐ。ルリのコンソール下にあるペダルをいささか乱暴に踏みつける。
モーターが稼動する震動を感じると同時に、スライドアームが艦長を元の位置に戻しはじめ、やっとの事で彼女が自分の元へ来た。
何があったというのか。
「艦長ッ!」
ルリは額に冷たい汗をかきながら両腕を抱きしめ、短い呼吸を繰り返している。
「イタイ・・・です」
震える声でやっと一言告げると、潤んだ瞳から堪りかねた様に涙が溢れる。
「衛生班を呼べ! 大至急だ!」
下で自分と同じように声を掛けているカンナに命じる。腕が痛いらしいというのは見て取れるし、ルリもそう言った。
「大丈夫ですか? 艦長ッ」
大丈夫も何もないだろう。そんな質問をしたところで、ルリから返ってくる答えは決まっている。
「大丈夫、で・・・す」
しかし、一体どうしてあげたらいいものかまったく分からない。抱き上げて医務室へ走るべきだろうか?
「・・・サブロウタさん、ナデシコを・・・」
ハッ、としてウインドウを見ると、ちょうど「タケヤライ」が突破されるところだった。
ヤバイ、と感じた瞬間、オモイカネが降って湧いたように復帰して自立防御をはじめた。どこへ行っていたのかは知らないがいい気なもので、今の今まで知らぬ振りを決めていた、オモイカネの方からアクセスを要求してくる。
「この野郎、ちょっと待ってろ!!」
実体があったらきっと襟首を締め上げているだろう。
衛生班はまだかと思いつつ、下段のハーリーを見る。するとハーリーは青白い顔を向け、目を瞑ってしまっていた。
「おい、ハーリー!」
「脈、呼吸ともにあります。不安定ですが・・・」
ハーリーを抱きかかえたキョウコがそう答えると、サブロウタは嫌な予感がはずれた事に安堵した。馬鹿な予想は外れたらしい。しかし、現状が進行中なのは言うまでもない。「タケヤライ」を抜かれたという事は、いくらオモイカネが防御しているとはいえ懐に入られた事を意味する。
「オモイカネのガードが押されはじめています!」
「艦長」
指示を仰ごうと、すぐそばに座るルリの顔を見た。ルリは懸命にIFSでアクセスしようとしていた。
しかし、何度彼女が気を入れてコントロールを取ろうとしても反応は無く、その白く細い手に視線を向けると、彼女の手の甲にタトゥが現われる様子は見受けられない。冷たそうな汗が乱れた前髪を伝って頬を流れていく。極度の疲労がルリを襲っていることを、明らかに瞳は映しだしていた。
無反応なIFS、それが示すこと。
「艦長・・・、もしかして・・・」
「ダメ・・・です」
そう言うとサブロウタを呆然と見つめ返してきた。何がダメなのかは簡単にわかる。
彼女のアクセスが受け付けられないのではなく、彼女がアクセスできないのだ。
つまり、彼女のIFSが死んでいる。
(もしかしてハーリーもか?)
システム側の問題とも考えられるだろうが、痛みに耐える彼らの仕草を見れば、ぼんやりと現在の状況に予想がついた。
「最大戦速、針路はあの残骸の背後へ。ディストーションフィールドを維持、それと送受信を絶て!」
「不可能です。送受信は艦長のアクセスでしか断ち切れません」
断ち切るように進言したいが、それは不可能なのではないか?
ルリは手動のコンソールに手を伸ばして、操艦を手伝い始めていた。
ズズンッ!
ブリッジが揺れた。
「左舷シールドに被弾! 損傷を目視で確認!」
ナデシコcが生まれて初めて受ける被弾だった。相手の攻撃を知らせるはずのセンサーは、何も言ってきてはいない。
サブロウタの脳裏を何かがよぎる。
「狙いはエンジンかブリッジパートだ。回避運動、ジグザグに舵をとれ!」
「了解!」
「くそ、いまどきボソン砲かよっ・・・!」
モニターを呼び出すと思ったとおりシールド内にボース粒子反応があり、爆弾か何かがジャンプアウトしたことを示していた。無限砲の照準がかなりいいかげんな事は先の大戦で実際に使用したことのある身として分かっているが、使用される側にこれほど恐怖感を与える兵器とは思わなかった。
その技術は短距離ボソンジャンプの応用なので敵のアウトレンジへ逃げ込めばいいのだが、相手が駿足を売りとする駆逐艦と来た日にはもう、最強のフネに思えてきた。しかも、機関や艦橋にでも当たれば一巻の終わりなのだ。藻屑と化した艦船を隠れ蓑にして何とかしのぎたいと痛切に思うのだが、センサーが受けるの反射の影響を気にして戦域を離れた場所にもってきたため、そうそうあの森へは入れない。グラビティブラストの対策はしてあるだろうから、反撃がどれほどの効果を与えられるのか、わからない。奥歯をかみ締める。
ブリッジ下段のドアが開き衛生班が到着する。
今の被弾を知り、多少怯えた表情をしているのが分かった。ハーリーにはキョウコに変わってカンナが寄り添っている。戦闘中であるので通信士の席のそばへ抱えてきて、横にしてあった。彼らはそこへ駆け寄ると、素早く副長補佐を軽々と担架へ乗せて、艦橋を降りた。
ハーリーは医務室へ搬送されたが、ルリはブリッジを去ることを拒否した。サブロウタはルリの身を心配しつつも、それは艦長として当然の行動だと感じるが・・・。
サブロウタにIFSは可能だが、ただのパイロットでしかない。自分にオモイカネとの高度なやり取りなど出来る筈がない。右手のタトゥが不甲斐ない。
爆弾に追いまわされ、クラッキングのパンチに打たれっぱなし。オモイカネがアクセスを要求する表示を繰り返している。
一体、何が起こったというのだろうか。

一体、何が起こったというのだろうか。 被弾があった箇所を見たいと思いウインドウを操作しようとしたのだが、元々モニターしていたブリッジの様子以外は映らなくなってしまっていた。
しかしナデシコが負けこんでいる事実に変わりはない。
その事実にラピスは衝撃を受けていた。過去、ユーチャリスで駆け回り、ワンマンオペレーションを完成させるに至らせた開発側の人間として、信じられない思いだった。ナデシコAの時代には、敵艦を支配下に置くことなど不可能だった。オモイカネとルリのコンビでも、その頃は出来なかった事。それがたったの三年ほどで、最強艦の称号をほしいままに出来るほど強力な情報能力を、ナデシコcは身に付けた。当然世界的に見ても情報通信技術は発展したのだが、他の追随を許さないまでにナデシコのそれは磨き上げられた。
そのナデシコc艦内。
作戦室のなかは、照明が落ち非常灯へと変わり、先程から扉が開かない。閉じ込められている。
近くで爆発があったらしく、艦体が震える。
重苦しい空気が沈殿してきたことで耐え切れなくなったカーナが、苦しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「で・・・、どうする?」
みなが時間を感じだした。
「とりあえず、出たほうが良くない? 手伝えることがあるはずだから」
「出来る事少ないよ? あたしらまだ職能者じゃないんだから。のこのこ歩いてたらクルーの気に障るだけだよ」
「じっとしている方がいいかもしれないけど、やっぱり動きたい、かな」
と話す中、ラピスは直通の赤い受話器を取る。が、こみあっていて通信士にはつながらない。そしてつながる可能性も低い。役に立たない自分達の相手をしている時間が有る筈はなかった。失意のまま受話器を置く。
「とにかく外の状況を見よう」
ユミカは手動で扉を開閉するためのハンドルを見つけだしてしゃがみ込み、さっさと回し始めた。
徐々に扉が開いていく。
「うそ・・・」
カーナの口から洩れた。
明るい光が差し込んでくるという想像に反して、見えてきたのは同じような暗がりで、外にも非常灯が灯っていた。
「ダメかも・・・ね。ここいよっか、終わるまで」
とにかく落ち着こうとしているのだろう、皆ニコニコしながら話す。苦し紛れなのはわかっていた。
ラピスは天井を見上げる。
名前だけの作戦室は食堂などへの交通の便を考えた配置になっていて、艦橋はここから二つ上の階にあるはずだった。
「私は艦橋へ行きます」
自分でも意識しないうちに、乾いた唇をラピスは開いていた。






新月、艦橋。
「ふむ・・・」
血気にはやるわけでもなく、ブリッジは落ち着いている。その後ろで、月臣はただ目の前の光景を眺めていた。
月臣の切り札。
それは自分をルリと思い込ませるため、彼女自身を限りなく目的のひとへ近づけるためにデータを与えた強化体質者の一人を使った、オモイカネへの工作である。
手に入る限りの情報を与えた。操作の癖や網膜たんぱく質濃度から、性格から来る心理変化の多彩なパターンまで。
その結果、オモイカネの混乱を誘引できた。
彼女は、ピースランドにいるルリの兄弟を素にして造られた人間だ。成功例の少ない強化体質者の育成には莫大な費用と時間が掛かる。多くの問題をクリアするには、出来るだけ成功した例に従って行わなければならない。類例から得られる可能性の考慮から、瓜二つに作られていた。
彼女は艦後部にある重力制御の効かないバックパックの中にいて、浮遊防止や落下防止のためにベルトで縛られたスーパーコンピュータの中で、埋もれるようにして操作を行っている。堅く狭いベッドの上で目を瞑り、薄暗く雑然とした周りの中でifsが蛍のように輝いている。
彼女がオモイカネとコンタクトした瞬間、その一瞬が勝負だったのだ。オモイカネにルリだと思い込ませるためのデータや、回線を鈍化しラグらせるための無意味に重いデータを意味ありげに送り込んだ際に、このプログラムもオモイカネに渡して、トラップを仕掛けた。
「キラ・ビー」と名付けられたプログラム。こちらは期待どおりの働きを見せている。
「ナデシコはオモイカネの自立防御へ移行したようですが、ということは妖精からのアクセスはないようですね。「蜂」の攻撃に活動を止められたのでしょう。強化体質者は普通適用者以上に操作能力が良くなければならないので、ifs(イフス)の自壊プログラムは効果が高いようです」
「パイロット相手の実験では下りの伝達はほとんど効きませんでしたからね。痛みを感じるように設計しましたが、どれほどのものかと」
口数の多くなった研究員がなにやら話しているのだが、艦長はもう気にはならないようだ。彼にも、ナデシコが落ちるのは時間の問題という事がわかっているので、気が楽なのだろう。
「グラビティブラスト、来ます」
「補整。艦正面、外すな」
難なく弾く新月。
「ナデシコの主層を取ります」
月臣は勝利を確信した。






「だめ」
「何しに?」
「安全かもしれないけど邪魔になるだけよ」
というのが「私は艦橋へ行きます」というラピスの発言に対する答えだった。ラピスがIFS強化体質者であることは皆知らないのだから、反対されて当然だ。その事は他の人に知られてはいけない。もしブリッジに行って手伝いをするなら、ラピスは何か言い訳をしなければならない。
なんと言うか不器用なもので「艦橋へ行く」などと言わずに、トイレとでも言ってユミカあたりに付いて来てもらい、隙を突いて昏倒させればよかったのかもしれなかった。いや、自分はそんな強くない。第一カーナも付いて来るだろうから数で不利だ。とにかく何とかブリッジへ行き、オモイカネとコンタクトを取ってここのウインドウを消せば、まずOKのはず。でも何と言えば、一人で行けるだろうか。
「お茶を淹れに・・・」と言おうとした自分を引っぱって止める。
「アキトを呼びに・・・」アキトの声で突っ込まれた気がしたので即却下。
直通電話で事情を話し、艦長直々に呼んでもらって・・・、というのはどうだろう。いけそうだ。きっと適当な理由もつけてくれるだろうし。
(これ)
と思い電話を取るが、もうつながりもしなくなっていた。重苦しい無情感を感じつつ、そっと置く。それでも状況が深刻化しているというのは分かった。こうなればいっそ闇に紛れたい、が怖がりのマキに手を握られている。きっと「事情」を話せば、難なく動けるだろう。
答えは五割ほど決まっているのだが、はっきり言って、告白したくない。
自分で強化体質者であるということを認めたくはないし、いまの自分の環境を無くすかもしれないし、皆から気を使われるのも嫌だ。迷惑も掛かる。
嫌いになって欲しくない。
しかし、ナデシコを撃沈するというのが敵の目的なら、みすみすそれを許すのはいけない。
皆が死ぬのはもっといけない。
はっきりしろと自分を叱り付ける。不意に、いつかイネスが言っていたことを思い出した。
「自分のための行動なら、最もいいと思う行動が出来ればいいんじゃないかしらね」
皆が死なないということは自分にとって最もいいはずだ。自分勝手はいけないと、自分は思う。
選択しなければならない。時間はない。
(うん、悩む必要はない)
けれども、脳に血が回っていないのかクラクラするし、一気に喉が渇いてしまった。目の奥が重い。膝に感覚を感じないので立っている気がしない。
やっぱりよそうかとも思うのだ。降伏してくれれば、誰も死なないわけだから。
唾棄すべき、いろいろな囁きが聞こえてくる。
ウインドウからはグラビティブラストを発射しようと、懸命にポジションを取ろうとする様子が見えた。事態は急を要するのだ。
ひとり考え事をしている自分を気遣ってか、注視していた皆と目が合った。薄暗い中、みなの瞳に光がさしていた。
その視線に圧倒されてしまって、目を逸らした。情けない自分の姿が、眼に見えた。
言いたい、話したいという意思を信じて、それでも独り覚悟を決めた。
身を正し視線を上げて、皆を見た。
「私は手伝えます。と言いますか、勝てます」
「「「「?」」」」
両手を握り締めて、声を絞り出す。
「私には・・・、私は艦長と同じ能力をもっていますから。私は、何とかできると思います」






「主階層を取られました。オモイカネ、引き続き補助階層に避難して防戦に入ります」
「機関停止。補助電源に切り替わります」
フッ、と照明が落ちる。
非常用の明かりが点き、薄暗いながらも辺りを照らす。
≪こちら第三居住区。消火は不可能と・・・判断し、排気、真空鎮火を指示しました・・・!!≫
≪イロハ通路、アの参の防火扉、ロック解体がじきに終わります。五分もすれば通行可能になります≫
「艦長、推進力0。コントロールが落ちたようです」
「このまま惰性で、残骸の背後へ。サブロウタさん、宇宙軍総司令部へ報告を出してください」
サブロウタは躊躇った。
もしも救援要請などを出せば、ナデシコが死の淵にあることは公然の事となるだろう。そこでルリは単に報告と言ったのだろうが、この報告は士気を削ぐ。また、報告によって上層部がコスモスなどを跳躍させたとしても、ナデシコが適わなかった相手では援軍に勝機はない。司令部も同じように判断するだろう。救援は期待できないと考えた。勝ち目がないということは・・・
「・・・了解。カンナ君」
「先程も試みましたが外部への送信に異常があります。1番から5番までは完全に死んでいますが、生きているアルファも、おそらく何か細工が・・・」
文面を考えていたサブロウタはそれを聞くと眼を鋭くして艦長席へ近寄り、ルリの耳元に唇を寄せる。
「・・・艦長、降伏という手もありますが」
しかし、「ええ」と言ったきり、ルリはそのことに触れなかった。顔色は悪いが、まだ諦めているようには見えなかった。
至近弾。
艦体が細かく震え、ブリッジが光に照らされる。どうやらもう当てる気はないようだ。
「下方から放棄された船が流れてきます。衝突コースにあるかもしれません!」
皆、プレッシャーを感じて視線を床に向けた。









「艦長。先ほど探知した浮遊艦、あと60秒でナデシコcと交錯します」
新月は既に、衝突が確定している事を知っている。
モニターにシミュレーションが現われる。二つのラインが交わったポイントが拡大され、表示される。
瀕死のナデシコと全ての活動を止めた木連型無人戦艦の立体物。
艦首を向けて浮遊している艦が、ナデシコcのシールドとブリッジに囲まれた花びら状の隙間をすり抜けつつ、その艦腹をナデシコの船体に衝突させた。
予想されるナデシコcの被害は、大破、と出る。フィールドで多少勢いが殺されるようだった。
「ナデシコは舵が利きません。本艦で助けてはどうでしょうか」
ナデシコのほとんどのコントロールは奪ってあるが、それを自在に操れるような余裕はなく停止させてある。だからナデシコ事態を操艦して回避させることは出来ない。そこで、威嚇に切り替えた無限砲を使い、第三者を破壊してはどうかと副長は言っているのだ。
「これ以上はなぶり殺しです」
「まだ降伏していない」
老いのにおいを感じさせる艦長は、そう呟いた。降伏勧告を出していたがナデシコはそれを丁寧に断っているので、艦長の判断は当然で、正論だ。
しかし、船乗りとして船舶同士の衝突というのは眼にしたくない。副長は音が聞こえないことをせめてもの慰めとした。
画面には二つの船が写りその距離を縮めていく様子が克明に追跡されていく。見てはいられない思いに駆られ、月臣のほうを振り返ってみる。しかし、何かのセンサーを示したモニターを眺めているだけで、手を下す気はないようだ。
目のやり場に困って、士官学校以来愛用している左手のアナログ式腕時計に目を落とすと、刻々と進む秒針が映った。
シミュレーションどおりに、ナデシコを串刺しにするように進む艦がナデシコに向かっていく。ナデシコもその針路に変化はない。浮遊艦から見てもナデシコから見ても、相手は艦底を突き刺さんとするかのように進んでいる。
「衝突します」 もしかしたら鋼鉄のひしゃげる轟音が聞こえてくるのではないかと思い、聴覚を鈍くしようと身構えた。
いよいよ衝突か、と思ったとき、かすかにナデシコが動いたように見えた。
いや、確かに動いていた。
艦首を持ち上げつつ左回頭を行い、減速している。
回避行動を取っているようにも見え、副長はこの動作が必死の操艦であることを感じた。
(急げッ!!)
彼は心の中で叫んだ。
ナデシコの右舷シールドが、主のいない船との摩擦でガチガチと火花を上げている。回頭スピードを上げたことで、ディストーションフィールドと浮遊艦の間で干渉が起こり、浮遊艦の表面に一瞬、旋風の様な電気火花が渦を作って、舞い上がった。
「なんだと!」
別の人間の驚愕した声が、喜びのあまり歓声を上げそうになった彼を制した。ナデシコの回避行動に気付いた月臣が、怒声を上げていた。
「なぜだ・・・」
ナデシコは浮遊艦に、艦底部のシールドを接触させながらかわしきっていた。






「回避しました」
ラピスの声が艦橋に響く。
ユミカに付き添われたラピスがブリッジに現われたのは、衝突の直前だった。
ルリは彼女が来ることをあらかじめ予想していたようで、「いいのですか」と一言質問し、ラピスが頷くのを見ると、IFSを明け渡した。
ラピスのアクセスによってオモイカネとのコンビネーションが復活し、衝突事故から逃れることが出来た。
しかし、メイン階層を取り返すことは適わず、メインの補助階層を利用して艦を制御している。兵装は完全におかしくなっていたが、通信系はさほどダメージが少ない。もしかしたら、ナデシコを拿捕するのも目的の一つかもしれなかった。
(えらい)
と、補助階層を守り抜いたオモイカネに話し掛けてみる。ラピスが指揮しているとはいえ、補助系を頼みにした防御活動は骨が折れるらしく、すこし経ってから照れを表してきた。以前は感じなかったが、「AI」と行うIFSには、今まで触れてきた無口な物達と違って、何か楽しさがあるのかもしれない。もしかしたら、強化体質者にとって最適な環境、それは精神においても、を提供してくれるのかもしれない。
アクセスする時少し不安だったのだが、オモイカネが以前に一度会ったときの記憶を隠し持っていてくれたので、簡単に受け入れてもらえた。
ルリたちに感染したウイルスがメイン層のどこかにいることを考えると、メイン層に手を伸ばすのは慎重を期さねばならない。相手がナデシコのコントロールを自在に操れるほどに強力でないことが幸いして、さほどの障害も起こらず、楽にことが進んだ。相手の攻撃が緩む事は無かったが、守りきれそうだ。しかしオモイカネのデータ処理能力が幾らか衰退したからといって、ラピスとタメを張れる相手なのだから、たいした実力を持っているのだろうと感じる。
そこで一つの可能性が浮かんだ。それは相手側にもIFS強化体質者がいるのではないかということだ。だとしたら連合警察やアキトが情報を待っているかもしれない。
(アキトに知らせよう)
そう考えて、通信速度は遅いが今一番信頼できる回線を選んで、あの秘密なメールボックスを使うことにした。

[xAkito−emergency:************************
***********************************
***********************************
***********************************
************************************]


送信すると同時に、オモイカネに頼んでおいた検索結果が現われ、かろうじて残されていたウイルス発動時のプログラムを発見できた。
即座にワクチンを組む。








「なぜだ・・・」と月臣は二人の研究員を見る。彼らは、すでに状況を調べ始めていた。
「これはやはり、」
「妖精が復活したように思います」
とうなずきあう二人は、この戦闘においてかなり場違いで腹立たしかった。
「あのウイルスは、相手の行動を止めるのではなかったのか」
「・・・、手応えはありました。それはお分かりになった筈です。しかし、現に復活したのですから、何か落ち度があったという感がするのは否めませんね」
「もう聞かんッ」今はこの二人に頼るべき時ではないと考え直す。「艦長、ナデシコを撃沈しろッ」
「わかりました」と艦長は答え、無限砲の準備をさせた。
「そう焦らずともよいでしょう。あのプログラムは破れませんよ」
白衣の男がなだめようと、癪に障る、落ち着いた声を掛けてきたが、聞いていられるはずもない。
(いやまてよ・・・)
戦闘前に届いた、直属の諜報員である「北上」からの報告を、月臣は思い出した。

[火星に向かう途中、ナデシコに乗艦中の、連合大学の実習生と思われる一団を、艦載してあるシャトルを用い、コロニー「サクヤ」へ向けて逃した模様]

(連合大学の実習生と思われる一団を・・・?)
二人の研究員の穏やかな会話が聞こえてくる。
「そう、あのプログラムは安心です」
ラ・ピ・ス・・・?
まだ乗っているのか?
「オモイカネでも気付かないでしょう」
あのプログラムは・・・、そう、あのプログラムはっ・・・
(まさか・・・、まさかっ)
月臣は絶望的で、限りなく暗やみに包まれたことが起こっているのに気がついた。疑問は既に、疑いがたいほどの確信へと変わっていた。
もう、マサカ、ではなかった。
立ち上がって、壁を叩きつける。
「北上ィィィ!! ・・・貴様、復讐のつもりかッ!!」
遠く、月にいるはずの北上に向かって吼えた。








ラピスは、手に入れたウイルスを相手にも感染させてやろうと思い立ち、オモイカネと連携して相手に楔を打ち込んだ。
そこから即座に滑り込ませると、効果覿面で、相手の攻撃は消え、こちらのメイン層を取り戻す事に成功した。
即、メイン層を管理下の置いて、一挙に攻勢を掛けるために復帰したその場所にアクセスした。
予想通り襲ってきたウイルスを、ワクチンを使って駆逐した。
勝ったと思った瞬間
ウイルスは姿を変えて、ワクチンを取り込み、ラピスを襲った。
その美しい髪が揺れた。






蜂の接吻
花びらは流れ、






(蜂は、二段構えですからね。二刺し目が一番・・・)
ラピスがいないと知っていたから、そのプロテクトを解く事に躊躇わなかったのだ。
月臣は彼女を見守り、大切に接していた。アキトと同じように。
「テンカワ・・・」









ナデシコの近くにボソン光が輝き、黒い人型の機体がジャンプアウトする。
識別信号無し、所属不明のその機体は、傷ついたナデシコを横目に見るようにして前へ出ると、ブースターに点火して爆発的に相手艦へ接近を試みる。
駆逐艦、新月の直衛機である機動力をアップさせた向上型ステルンクーゲルが二機、前へ出た。
黒い機体の接近を阻もうとする。
黒い機体は相手の攻撃を避けつつ回りこむ。
追撃者たちは黒い機体のシックスを取ろうと、相手がバンクしたその後方へ捻り入った。
彼らの目の前には、相手からの攻撃を許さないように激しく機動する黒い機体が見えた。
彼らがそれを追おうとして機動を行うと、その姿は震えるようにぶれ続け、虚空に星の光芒が流れる。
本当ならば、そのような現象がディスプレイ上で起こらないように修正されるのだが、その機体についている機能は性能が悪く、あまり効果がなかった。
相手の機体には二つのふてぶてしいウイングが付き、怪物であることを証明するかのような尾が滑らかに踊っている。
これを見てそう簡単に捕捉できそうにないように思えたが、アクティブにしてあった彼らのセンサーが怪物の全身を嘗め回したため、短距離自動追尾ミサイルが一瞬ロックを表示した。それを逃さず発射ボタンを押す。
黒い機体のパイロット、テンカワ・アキトは、ロックオンを知らせる警報と表示が現われたときには既にロックされるタイミングを知っていたかのように黒い機体を動かしていた。
フットペダルでパワーを最大に入れつつ左手で握る操縦桿を一杯に引き、垂直バレル・ロールを行う。その機動はIFSの強みである柔軟な運動性能を発現したというよりも、すさまじく鋭いものだった。
追撃者たちは突然上方に消えた目標を追おうと、機体の正面をそれまで上方だった面に変えるための追従型縦ターンを行う。その瞬間、彼らの頭上を何かがかすめた。
アキトは恐ろしいまでの機動で、新しく彼らの頭上になった方向に黒い機体を操り、そのままバックアップについていた二番機の背後を取ったのだ。
射撃は、一瞬にして両足に付いたステルンクーゲルの命であり、売りである重力波推進ユニットを破壊した。
その間に、一番機はレーザー照準をもってもう一度ミサイルを放ったが、ミサイル達はチャフによって目標を失ってしまう。
かろうじて何発かが目標にむかって迫ったが、相手はいままでの機動とはうって変わって、くるくる木の葉のようにかわした。
そしてまた、黒い機体はその機動力を存分に吐き出して、相手の側面に回りこもうとする。
一番機はシックスを取ってやろうと機を窺うが、相手はそれを許さない。
あっ、と思ったときには、相手は急激な減速性能を利用してすぐ隣に現われていた。
黒い顔面と赤い瞳がすぐそばに見えるほど接近され、恐怖を感じた瞬間に武器であるハンドレールガンもろとも腕を引き千切られた。すぐさま距離を取られる。
静止した相手の機体には、先程はどこかに収納されていたハンドカノンが、装着されているのが見て取れた。
その鬼神の如き相手によって両足はあっという間に破壊され、機体は活動を停止した。


アキトは前衛を叩き伏せると、そのまま駆逐艦へ接近し、両舷に点いた相転移機関にそれぞれ二発を飲み込ませる。
すると艦体は飴の様に膨らみ、散った。
センサーを使って、新月のブリッジパートが分離している事を確認すると、ゆっくりとその場を離れる。


ヘッドセットを外して、途端に静かになった宇宙とそこに浮かぶ火星を眺めつつ、一息をつく。
向き直って例のバイザーをかけてから、送受信を開いた。
「こちら所属不明機のパイロット。ナデシコc、応答を請う。こちら所属不明機のパイロット。ナデシコc、応答を請う。こちら所属不明機のパイロット・・・」
アキトは呼び出しを続けた。






















*ラストカットへ




あとがき

2001 10/上旬に修正。