日保ちしないこと
地球上の都市、東京。
明るい色のアスファルトの地面と、そこを走る古めかしい路面電車。
扉が閉じ、車掌の声が聞こえ鐘が鳴ると、摩擦音を軋ませながら動き出した。
僕はその車輌が去るのを見送りつつ、その先に広がる空を見上げた。
雲の綺麗な空で、そこに不安を感じなければ、心地よいもののはずだった。
不安・・・、近頃その漠然としたものに僕は悩まされていた。
いま地球は、他の知的生命による侵略の危機にさらされ、戦火によって焚き上げられた煙に包まれている。
始めは火星での戦い、そして劣勢が伝えられてからはあっという間で、今では地球のいたる所で戦争が繰り広げられている。
そうしていつの間にか、自分達の街の上では戦闘機やヘリコプターが飛び回っていた。町の片隅に装甲車が佇んでいるのは日常となった。
映画で見る戦争は錆び色だったけど、僕の町は鮮やかに映る。まるで、熱帯魚が死ぬその直前の最後の輝きのようないような美しさで。まさかこんな戦争が最後を飾るはずはないのだろうけれど、もしかしたら時代が変わろうとしている瞬間なのかもしれない、なんて言う空想が僕の思考に存在していた。
川沿いの三叉路に到ると、一台の兵士を乗せたトラックが信号を待っていた。
彼らの敵である「トカゲ」は、バッタと呼ばれることになった無人兵器(虫ふうのロボット)を使って様々なものを破壊し、地球連合軍がそれを追いまわしていた。だから市街戦が毎日のように行われ、死傷者は兵士に限らず民間人にまで及んでいる。タウンラジオが言っていたけれど、昨日は佃の泊まりにいた水上艇が戦闘を行い、周りの建物に被害があったそうだ。
そんな調子なので政府は疎開を勧めたのだが、たまにシャッターで閉ざされた店を見かける程度で、多くの市民が残っていた。
トラックは鮮やかな錆びの残し香が放ちながら進み始めた。
その香りはとても現実的で、兵士の視線は逞しかった。
疎開先として母の実家が挙っていたのだが、うちは動かなかった。
危険ではあったが、街にいるという事は、首都にいるということで防衛が厚かったし、僕にとってはやっと取ったバイクの免許が利用できることを意味するから都合が良かった。しかし、このご時世に乗りまわせるわけはない。だから、たまのお使いなどに運転できることは多少僕を喜ばせた。
その頃、一番の関心事だった志願制の徴兵も始まっていた。
気が付けば、高校の事務室前に置かれた四つの足が揃っていない揺れる机の上に、生徒会報や高校の月報と並んで、赤い表紙で作られた薄い冊子が置かれていた。それには志願の申し込み用紙が含まれていた。
出征を希望する者、そんな気などさらさら無い者。
当然いろいろな思惑があったのだろうが、クラスの中ではその話題に触れる人はいなかった。皆、意識的にその事から逃れるようにしていたのだろうが、どうしても触れなければならない時もある。それは、例えば兵隊の数が足りないことを担任や他の教師が仕事として話した後や、働き手を失ったクラスメートが出た時、僕等は小さく固まって、小声で話した。
僕は何か人の役に立ちたいと切実に願っていた。
それは今がこんな状況だったから。
多くのプロの兵隊が宇宙で死に、今ではこの街で自分達が死んでいる。
別に兵隊に憧れていたわけではなかったし、軍人がそれほど好きなわけでもない。
しかしその冊子を見てからというもの、僕はじっとしていられなくなっていた。見返りなどは求めていない。欲しいのは世界とのつながりのようにおもえていた。
元々口数が多い方ではなかったけれど、友人にそんな相談をして悩ませるのも酷な気がしたから誰にも言いはしなかった。僕は志願しようかと、一人密かに思い悩んだ。
どちらの選択肢を選ぶかはほぼ決まっていた。しかしそれにはそこには何か後ろめたさがあった。僕は「死」について考えないわけにはいられなかったし、家族についての事も自分の決断を鈍らせる原因の一つだった。幸せのことも。
他に道はないものだろうかと考えたが、どうも兵隊しか思い浮かばなくなっていた。
とにかく多くを悩んではいたが、何かを行おうとする自分の意思は、本気だった。
路面電車の待合所から歩道へと歩く。冷たい風だった。
本屋の店先にある新聞紙の売り場には、今日も「チューリップ」と言うトカゲ達が通ってくるドカンの名前が踊っていた。日本近海で何個目が落ちたとか、それに対する防備体制はどうだとかという内容で占められていることは実際に読まなくとも予想できた。
みな同じようにその新聞に目を留めては、通り過ぎていく。
その書店を越えて、いつもの地下鉄に向かった。変わらない帰り道。
今では、ほとんどの学校が終わるのは2時だから、同じように家路へ急ぐ生徒達が目にとまった。
日中の制服はかなり目立ち、下から覗かせるYシャツやブラウスが光を放っている。
階段を使って地下鉄へ降りる。構内には簡易テントが並んでいて、侵してはならないテリトリーを示すロープが張られ、市民がいつでも避難できるようになっていて、そんな光景を僕らは毎日目にできるようになっていた。
ホームでいつも通り五分程待つと、空洞から騒音がやってきた。電車の中には生徒や荷物を抱えた人で混み合っていて、席は空いていなかった。それは別に珍しいことではなかったので、僕は入り口の近くに立つと、動き出した車中から暗いトンネルの壁を眺めていた。
車内は静かで、ひそひそと話す声もしない。
考え事をしているうちに、いつの間にか周りにいる生徒達の様子を眺めていて、ある一つの光景が僕の目に浮き上がった。こんな時でも、いやだからこそかもしれないが、単語帳に目を走らせている人がいたのだ。
信じられないと咄嗟に思った。
なぜなら、僕の手には赤く薄い冊子が握られていたから。
これには何度も何度も目を通したから、内容は百点を取れるくらいにわかっていた。高校卒業の見込みを校長に認められたもの、及び既卒者で18歳から28歳までの男女というくだりから、その欲するところの理由まで。
体力には多少自信があったし、志願時の簡単なテストに受かるのも当然で、心配はしていなかった。実は体力の面は部活をやっていたからという点で及第を信じていた程度のものだったのだけれど。
いつも通り家に帰って、母にニュースを聞いて、変わりが無い事を確かめた。
そして部屋に入って寝転んで、何度も好きな漫画とバイクの雑誌を読んだ。
変化の無い毎日に見えて、変化はあった。
ある日の帰り道。
たしか月で大きな戦いがあった辺りだった。
慣れ親しんだ駅の階段に差し掛かり、家へ向かおうとしていると、大人の人が降りてくるのが見えた。
女の人、そう思った時には彼女はつまづいていて、僕は階段を駆け上っていた。
派手に転ぶ事も無く、彼女を支えることが出来た。
それが出会いになった。
彼女はお礼にと僕を誘い、そしてファストフード店で飲み物をご馳走になることになった。
店に入って小さなテーブルをはさんで二人が座り、いつの間にやら会話は途切れていた。
誘った彼女の方は、たまにこちらを眺めたりしながらミネラルウォーターを口に運んでいた。歪んだパンプス。僕はいらついていた。目の前にいる人はカジュアルな格好をした綺麗な人で、こういう服装によく表れる知的な感じもして、余計緊張させられた。こんな事なら断っておくべきだったと後悔していた。
女性と二人きりでいることが苦手というわけではなく、見知らぬ大人の女性からお礼としてウーロン茶を奢ってもらっているこの状況で、何の話題も浮かばないということがきつかった。子供だった。子供だからと言って逃げても、正当性がありすぎてどうしようもないくらい僕は許されていて、頭が痛かった。
学校の友達同士なら全く勝手が違っただろうし、付き合っていた彼女が騒ぐのが好きで、彼女となら一緒になって騒げた。やはり子供だった。
(ん?)
と一つの考えが浮かんだ。
もしかしたら、さっさとこのウーロン茶を飲み干して「ご馳走様でした」と言い、立ち去るのがこういう時の礼儀なのかもしれない。
彼女はこちらのペースに合わせていて、自分が飲み終えるのをじっと待っているとすれば・・・。
いや、そうに違いない。
さっさと逃げ出したいこの状況に照らし出された人の道。誰が何と言おうとも「これ以上この人に迷惑をかける」わけにはいかないのだ。
そう思いつくと同時に、Lサイズのカップを掴んでいた。
考える時間さえ野暮ったい。
「高校何年生なの?」
先手を打たれた。
「三年ですけど・・・」
「あ、それじゃあ就職か進学かだ。もう決まったのね?」
彼女のしゃべり口調はアクセントが希薄なので棒状に感じた。
「ええ、就職組みです。銀行の高卒組みで、大型スーパー内の窓口業務になります。あの、何をしてらっしゃるんですか?」
オーエルで、受付よ、と彼女は言って優しげに唇を緩やかにした。
「OLさんですか・・・」
「OLさんですよ。もう大変だけどね。人が足りなくて」
(それって笑う事かよ)
人が足りないというのは、疎開や何かで彼女の会社に人がいなくなっているということを意味しているのだろうから、少なくとも笑い事ではないと感じた。
(のんきな人だ)
と当たりをつけた。
僕は自分の関心事を話してみようと思った。
実は、こうして向かい合い始めてから無性に話題に上げたいと思っていた。このことを他人に言うのは初めてだが、初対面の相手だからそんなに遠慮は要らないと感じていたので、気軽だった。
それに、大人というのは何でも話す権利をもっていて、問えば答えてくれるし、教師には返答のできないことでも思うままに返してくれるような予感がある。
「人手が足りないって言うとアレですね。兵隊の徴兵」
「なに? もしかして考えてたりするの?」
少し驚いた目をしてこちらを見た。反応としては予想の範囲内だ。
「ちょっとは考えますよ。当然じゃないですか? 東京が今じゃいつ死ぬか分からない場所ですよ?」
「兵隊になったら死ぬ確率がもっと上がるわ」
「ただ死ぬなんて・・・嫌ですよ。俺はまだ二十歳にもなってないから、もし死んでしまうなら何かやっておきたいんです」
「なるだけならなんにでもなれるわよ。いつかは死ぬかもしれないけど、それがすぐやってくるってわけじゃないわ。そんなにすぐ死ぬつもりなら、何かしようなんて、あきらめた方がいいわ」
「でもいつ死ぬか分からないでしょ、実際」
「死にたくはないんでしょう? なら、わざわざ殺される場所に行かなきゃいいし、居なきゃいいでしょう? 就職が決まった高校生が何考えてるのよ・・・。家族のそばに居てあげるとか、もっと他にあるでしょう」
「俺、・・・今何かの役に立ちたいんです」
「今って、焦んなくてもいいじゃない。戦争が終わった後の方がよっぽど大切だと思うけど」
「・・・付き合っていた人の両親は死にました。次はうちかもしれないし、友達かもしれない、自分かもしれないからから、守りたいんです。何かしたいと思うでしょう?」
ああ、ひどく矛盾している。守りたいのに離れようとしているのだ。そして守るのはきっと本当に他人なんだろう。
「キミね、TV見てる? 軍隊なんて歯も立たないのよ、実際これが。もしトカゲがニンゲンを全滅させる気なんだったら、こんなちまちました事しないと思うけど。後何年かもすればきっと終わるわよ」
終わる? どんな終わりになるのかも分からずに、それにゆだねられるだろうか。負ければどうなるのかわからない、人類の歴史上いまだ経験したことのない戦いだというのに。
「そんなっ・・・。今なんです! 明日死ぬかもしれないんですよ! 絶滅するかもしれないんだ!」
と叫んだ時に周りの視線に気がついた。キツイ話するなよ、そういう顔がこちらを見ていた。
熱にほだされた頭は、取って代わって恥ずかしい熱に犯され始めている。
「すいません・・・、大声出してしまって」
「いいのよ、命の恩人君。・・・! そうっ・・・! そうね」
謝る僕への返答もおざなりに、なにやら一人で納得をはじめた。
そして僕と顔を合わせた。
「あなたは私の命を今日、救ってくれたわ。あなたは少なくとも一人の命を救ったんだからそれでいいじゃない、命の恩人君。キミは十分やったわ。こうやって軍隊なんかに行かなくたってできる事は沢山あるじゃない。絶滅から救いたいというなら、君は子供を生める女を救ったのよ。君はここにいても必要な条件を満たしているのよ。どこでだって大丈夫。・・・それとも何かね? 君が役に立ちたいって言う何かが私の命じゃ、軽すぎるかね?」
「・・・いえ、いえ」
彼女は別人のように大きな声でそう話した。その後も会話は続いたのだが、僕は完全に圧倒されてしまっていて、ずっと押し込められていた。とにかく大変にいろいろな恥ずかしさが重なって、おろおろとし続ける事になった。
それでも、結局はどうでもいい話もできるようになって一緒に語り合い、大人の仲間入りをした気分にも一時なれて、ご馳走様をして、店の前で別れた。
(結構可愛かったかな)
名前を聞いていなかった事に後悔した。相手はしっかり訊いていったのに。
一度振り返って彼女の背中をみつめた。
その光景が心に刻まれていた事を、後から何度も確認する事になった。
一週間ほど経ってから、高校の卒業見込みを手に入れて、徴兵志願書を提出するために市ヶ谷へ向かった。既に志願準備手続きは終えてあった。
決めたきっかけは彼女の言葉だった。あれで踏ん切りがついてしまい、以前のように焦りや苛立ちが消え、僕の頭はクリアになっていた。
やはり悪いかな、とは思ったが・・・。
誰かを助けることが出来たという事実に、僕は心地よい後押しを感じていた。やるからには精鋭と呼ばれる部隊に入ってみたい、そう思えるくらいに。
門前で警衛の兵士に理由を告げると、なんとジープが迎えに来てくれた。
それに乗ってすんなり中央にあった建物まで送ってもらい、その中に入ると、なんとお茶が出された。なんとソファーだ。
てっきり硬い椅子と、長机を前に勢ぞろいした威圧感たっぷりの状況を思い浮かべていたのに。
すぐに当直だったらしい幹部らしい人が来て、僕の履歴書(ガラガラ空いている)や卒業見込み証明書を眺めると、なんと筆記試験はいらないという。
「キミはいい兵士になれる」と笑顔でそう言うと僕を連れ立って医務室へ向かい、身体検査を受けさせた。
彼は僕が身体検査を受けている間、後で仲間の幹部と一緒になってなにやら話していた。
勧誘に行かなくて済んだ、とか、彼二輪の免許持ちだよ、とか話していた。
カモネギ――
広い体育館で体力テストを受けた。
どうやらなかなかいい成績らしい。五人の若い幹部連中はご満悦だ。
息の上がっていた僕は、この後に自分の審査書を一瞬垣間見たのだが、筆記試験の欄が90とか85とか、どう考えても良いであろう数字が並んでいて呆然とした。
もしかしたらこの連中の下で働かなければならないのかと思うと、今まで考えもしなかった不安に襲われた。
そして、即、入隊の許可がでた。
なんか面接も終わっていたらしい。
さっきのソファーだろうか?
沢山の拍手が響き、その音に包まれて、僕はぽつんと立っていた。
想像もしていなかったことが起きると、人はどうなるだろうか。
答えは置いておいて、僕は家族に入隊の許しを請うた。
父は猛反対、母は泣いた。
予想通り、予想通り。
考えの衝突は二時間ほど続き、互いに分かり合えないということが確認された時、父の口から台詞が現われた。
「お前の就職にどれだけ手を回したか知らんのか! この親不孝ものが!」
言葉が響いた。
僕がどれだけ一生懸命金融関連の知識を仕入れ、面接を重ねたのか、彼は知っていたのだろうか?
いやいや、僕はそんなことを考える間もなかった。
目が釣り上がっていくのを感じていたし、直ぐに彼に飛び掛り、拳を振るっていた。
彼の行った事は愛情からのお手伝いかも知れないが、僕にとっては重大な裏切りだった、と思う。
両者の齟齬を埋められるほど、私は大人ではない。
その日の内に、僕は何の後腐れもなく家を後にした。
本当は、それをなくすために彼が私にでっち上げ、送り出した。
もしそうならば尊敬も出来たろうが、
「お父さんは良かれと思って・・・!」
あの時、妻は泣いて夫を庇っていた。
統合自衛隊陸上戦闘群に入営し教育体の指揮下に入ると、恐ろしく厳しい新兵訓練が待っていた。
予想通り、予想通り。
だが、恐ろしく厳しかった。
三軍は兵の質に悩んでいたようだ。
宇宙軍は火星での戦いに敗れると、陸海空軍(「三軍」と呼ばれ、蔑まれていた。自分達が三軍なら二軍はどこだったのだろうか?)からの引き抜きを行い、それをもって戦闘を行っていた為であることがのちに分かった。
三軍は一時的に統括され、連携を強めている。志願者達のほとんどが陸上隊に入り、何か特別に資格を持つ者が、海空に選ばれる。
(パイロットなどを集めるために航空学校などにスカウト班が足を運んでいたようだが、そうそう物好きはいはしないだろう。)
自分は班内で一番若かったのだが、一人前の兵隊である班長に付く雑用係をさせられた。それほどまでに悪かった。
既に、敗戦の二文字が皆の頭にあったのだろう。この頃でも兵隊を志願するような者は、必ず何か「事情」と言うものがあるもので、自分のような理由で自ら入っていく者は両手で足りる程しか知らない。そして、その理由の為に高校を自主退学した奴など自分を含めて三人を知っているだけだ。それは全体に対して何分の一だと思う?
だから年上で生きのいい奴にどう接してよいのか不安だったが、さすが軍隊、三軍でも軍隊は軍隊なのだ。
なってしまえばこっちのものだった。
それに自分には彼らに対して悠長にかまっていられる程余裕は無かった。
人手の足りない軍隊は直ぐにでも新しい血を補充したいのだ。
半年でやることを三ヶ月に詰め込み、三ヶ月を二ヵ月半に・・・というのを続けた挙句、ついには四週間ごとに新兵を判断して合否をつけるものに変わっていた。
先程も言った様に、恐ろしく厳しかった。
朝(0500)起きて、夜(2100)まで。体力付け、講義、実習、体力付け。
前は軽装での持久走と言うものがあったらしいが、自分たちは重武装での走破しか知らない。
馬鹿みたいな飯の量に体が変わっていった。たんぱく質、カルシウム、アミノ酸、鉄分。
疲れ(大方が筋肉痛と疲労骨折の予防)が残らず、筋肉がつき易いように出来ているそうだ。予想に反して美味く、貪り食った。
実習は完全に体で覚える方向だった。出来ない者は出来るまで。出来る人の周りにはいつも視線が集まっていた。
おまえら、と呼ばれた。
何をするにしても「おまえら」だった。最大で区隊、最低で自分と相方。
連帯責任。それを意識してのものだろう。
最小単位である自分と相棒は、戦友と言うらしい。
しかしどうだろうか。決まった期日ごとに合否の結果が出て、合格者は兵科を決めてその教練に出る。最短で四週間の相方だ。
出来ない奴が相方になり、いくら腕立てに付き合わされることになろうとも、自分が上手く合格すれば四週間でさよならの仲だ。28日が一つの目処になっている、そんなことで「戦友」というつながりを感じはしないだろう。
結果、新隊員は利己的になり、新しく入ってきた素材はよく吟味され、質問攻めに遭った。ライフルのほうが戦友と言えた。
訓練は、いくら部活をやっていたからと言っても、全く違うレベルだった。マメ、痣、擦過傷が、消えるのを待たずに出来てていった。寝る前はよく明日はもうダメかもしれないと考えたが、それでも朝起きると走ることが可能になっていて、そんな自分が異常に思えていた。おそらく飯に原因があるのだろうが、食わないわけにはいかない。なぜ美味いのかよく分かった。初日には、正直帰りたいとも、逃げ出したいとも思ったが、しかし既に帰る場所など無いのでどうしようもなく、諦めた。
もう汗の匂いは感じはしない。
辛くて眠れない夜は彼女のことを思い浮かべた。初めて助けたあの人の後姿。
笑ってもらっていいんだが、四週間で卒業できた。最短記録タイにもかかわらず、どうやらそれほど珍しくはないらしい。
最初の二週間を世話になったパートナーが良かった。いろいろな楽の仕方を知っていて、どうやったら消耗せずに乗り切れるのかを教えてもらえた。
「要はココとコツさ」
何を選ぼうかと、兵科を決める段階になってから迷っていた、ら徒労だった。
既に決まっていた。
バイクの免許を持っていたおかげで偵察隊行きに決定済みだった。なんと班長曰く「入隊時から決まっていた」そうだ。
それを聞いたときには、「まさか精鋭の強行偵察班か!?」と恐怖に身を震るわせたのだが、幸運にも違っていた。
通常の偵察隊員だ。人員に悩む偵察隊にとって、免許持ちは都合がよく、免許を取らせるためにさらに教習に時間を割く必要がないので当然といえば当然の進路だ。
自分の勘違だとわかると、ほっとした。
偵察隊内にある強行偵察班は、促成栽培のルーキーが行ける場所ではないので、そんな配属があるわけが無かった。
死ぬっつの。あんなところへ行ったらさ。
東京の偵察隊には専門の訓練地が指定されていて、宮城の多賀城へ送られる事になっている。何でも現地部隊に所属し、その元で訓練を行ってからルーキーになるらしい。既に関東は危険だった。
しかし、到着すると落ち着く間もなく蔵王の山形側にあるスキー場に送られ、隣接したホテルに詰め込まれた。もう、こんな事にも慣れていた。
「*|%#$&−−。@ppxxろっ」
森の中、走っている自分のインカムに、最早言葉なのかも分からない言語で小隊長がまくし立てる。それを聞くやいなや、咄嗟に方向を変えて木の陰へ回り、息を殺す。言われた方向を慎重に窺うと、中華鍋の様な物体を発見した。
まさか“中華鍋があります”と答えたら殺されるだろうから、その物体から得られる情報を真剣に伝える。後には相棒が居て、取るべき行動を確認するために、彼は瞳で語ってきた。
ここで僕は戦友と出会えた。
二つ上の鳥居と言う人で、クセはあるが器用な人だった。
教育隊(一応今でもそうなのだが)に居た頃と同じくハード(ゲレンデを駆け上がったり)だったが、体で覚える前にまず理屈を教えられた。戦闘術、通信技術、都市や山間部での活動、潜入術、えらく静かなバイク(タイミングが取りづらい)での悪路走破術、人への質問の仕方、etc、etc・・・。僕は彼と一緒になって困難に立ち向かった。機銃掃射にさらされている掩体に飛び込むのも一緒、何時間も川に潜むのも一緒、ロープに宙吊りになるのも一緒、殴られる時も罰としての腕立て伏せをさせられる時も野営する時も。
そんな厳しく、充実感を感じさせる訓練の後には、信じられない事になんと温泉に入れてしまう。
僕らは幸福感にひたった。軍の集団浴場は広く深かったので、そりゃ比べようもなかったが、温泉だと言う事実が僕らを包んでくれた。硫黄の匂い。
「おまえらは幸せ者だ」
風呂や就寝する時に雑談が出来た。その余裕が生まれていた。彼は僕にお決まりの質問をして、その動機を聞いて笑っていた。
それといい女の話をした。如何に性格が大事かという発端から、歯並びから産毛について奇妙な考察など様々に語った。「後姿の彼女」の話を初めてしてみた。僕の支えでもあるその憧憬に、小隊全員が笑った。からかわれている訳じゃなく、みな心の中にいる誰かと重ね合わせていた気がする。
別れがやって来た。
半年経って、僕は東京に、彼は北海道に。
ヘリコで飛び立った彼を見送ったが、涙は出なかった。
死んでたまるか。そう誓いあった。
何かの役に立ちたいという気持ちに変わりはないが、生き残りたいと、渇望するようになっていた。
東北はわりと戦闘が少なかったため、関東、北海道、九州に多くの兵士が送り込まれた。
北海道は、関東に次ぐ激戦地になった。
統合自衛隊、陸上戦闘群、関東特別強化師団、偵察隊第一小隊所属の二等陸士を一つ跳んで一等陸士になった僕は、東京に戻ると直ぐに偵察隊の指揮下に入り、X−R0094GS“モラン”と言うバイクに跨った。襟には偵察隊の、古くは騎兵を示した緑色の兵科章が縫い付けられていた。
一等陸士になれたのは、志願者を集めるための殺し文句として登場した特別昇進制のおかげだが、たいして魅力的に映らなかったと思う。実際になる側にしてみれば、正直言って周りの事も考えなければならず迷惑なだけだろうと思っていた。しかし不運にも二等陸士などほとんど存在していない状況だったため、助かった。
2日に渡って実力を測られ、めでたく迎えられることとなり、そして新しい相棒を得た。遂に僕は本当の兵士になった。
感動はなく、漠然としていた不安がはっきりとした重圧に変化しただけで、右も左も分からない入隊直後のように不恰好に背筋を伸ばした。
部隊の皆から認められたことに、少しの嬉しさはありはしたが、その後に起こった驚くべき事件によって、僕はぞっとした。
それは僕に対する全てのテストが終わり、小隊全員での訓練に移り軽装で走っていた時に起こった。
駐屯地は狭い面積を有効に活用するため、アンダーパスなどを作って立体的に施設が作られている。そして問題は正面入り口にある立体交差うえの橋状になった場所で露見した。
あの日、僕らが掛け声をかけながら橋の上を走っていると、目の前からトレーラーの一団が現われた。
どうやら伊豆のほうに行って来た対空ミサイル部隊が帰ってきたようだった。
僕らはスマートなそのシルエットを眺めつつ、踏み潰されないように一列になって走っていた。
運転席の隊員の一人と目が合い、その鋭さに驚いた。前線のつわものを見た思いだった。
僕は敬礼しようかと迷ったが、相棒がしていないところを見ると別にかまわないらしい。しかし、後で欠礼した事をネタされてインネンをつけられるかもしれないと思い後悔しながら走った(実際にはそんなことはなかったが)。
車体の隅に、消えかかった白いゴシック体にも似た文字が見え、かろうじて「航空群」と読むことが出来る。
前を走る相棒が息を荒げながら話かけてきた。
「これが、関東の守り神、航空群第二高射砲部隊だッ。よく見とけよッ」
「はい。守り神と呼ばれているのでありますかっ?」
「知らなかっただろう、こっち側でしか、呼んでないからなッ。声ッだせーッ!」
二人掛け声を合わせ、その隊列を横目に見ていると、最後尾から初めて見る小さな「車」が現われていた。
パラボラアンテナが付いているところを見ると、航空群で使っている指揮通信車輌なのだろうか。小亀のように装甲化されているが、距離が近くなるとそれなりの大きさをしているのが分かった。
確か入隊直後に教わったはずだ。名前は・・・、88式指揮通信車、誰も呼ばない公式の愛称はグローブだったか。「ハチハチ」といえば通じるだろう。
更に近づくと、人が車輌のキャノピー部分に座っているのが確認できて、その風体に違和感を感じた。どうやらツナギの様になっている戦闘服の上を垂らしていて、上半身はシャツ姿らしい。
突然、止まれの号令が掛かり、全体が停止した。
「気を付けッ。敬礼!」
小隊の先任曹長が掛け声をかけたのでそれに従ったが、どう聞いても敬礼が「キェーッッテェー!!」と、どちらかと言うと「気を付け」にも聞こえ、かっこ悪かった。
「すぐ慣れる」と小声が聞こえてきた。
「はッ」と小さく短く誰かに返した。
小亀にはきっと小隊長よりも上の階級、多分尉官か佐官が乗っているのだろう。真っ直ぐ前をみつめて、小亀が通り過ぎるのを待った。
低く唸るようなエンジン音と共に、目の前に深いオリーブグリーンの装甲が見え始めた。ふと、さっき見えたキャノピー上の男を見ようと思い、視線を上げてみる。
やはり彼は戦闘服の上半身部分を着流していた。服の肩のあたりに、弓矢が空を睨む水色のワッペンが見て取れる。階級は花が三つの「一尉」のようで、戦闘服を微妙に肩のあたりに引っ掛けていて、白い首筋が見える。
違和感にハッとして、彼の胸に目が止まった。そこには確かに「胸」がある様に見える。それは女性のタイプのものに間違いなかった。
視線をゆっくりと、首筋から彼の顔に到達させると、そこにはやはり女性の顔があった。化粧っ気がなく、油の浮いた顔。眠そうにも感じる瞳だが厳しさがあり、帽子が夕日を遮っていた。その姿は美しいと感じたが豪胆であり、どこか儚さまで漂っているように思えた。
不意に、夕日の光が差している彼女の瞳と目が合った。激しい既視感に襲われた。
どこかで見たことのある顔……。
あっ、と声を上げそうになって、すんでの所でお互い堪えきった。
それは、「後姿の彼女」に間違いなかった。
急速に記憶が洗い出され、駅でお礼を言われたときの表情やファーストフード店で向かい合ったときの目線、大きな声で話し出した時の笑顔が浮かび上がった。それは、あの時以来思い出せなかくなっていた記憶だった。娑婆と呼ばれる世界に残してきた記憶。
彼女のほうは直ぐに冷静さを取り戻したようで、視線を逸らした。
そのまま装甲車は進み、敬礼をしたまま固まっていた僕の視線は、置き去りにされた。
想像もしていなかったことが起きると、人はどうなるだろうか。
答え、呆然としていた。回答は想像の範囲内。
兵営に戻ってからは、偶然の再会の嬉しさに痺れていた。
密かな憧れの気持ちに気付いてはいたが、実際目の前に再登場されるのはたまったものではない。
そして、自分が彼女を裏切っていた事を思い出した。
彼女は入隊を勧めず、やめるようにと言った。それにも関らず、僕は今ここにいる。
自分の中ではOLだった彼女は、軍人で、しかも将校であった現実。埋めようもないこの差。
そして、あの表情が気にかかっていた。
「おいルーキー、元気ないな」
「こいつオサベ空尉を見てからずっとこうなんですよ。な、お前惚れたんか?」
相棒が軽く冗談めかしていった。
「・・・そんな様な感じです」
オーッ、と狭い営内班に男の声が響いた。事の始まりを話せるほど余裕は無かったので、正直に話した。視線を交わしたときの光景が、どうしても目を離れない。病気だ、これは。
「あれだな、山篭りから出てきて女にやられたな」
その言葉に間違いはないと感じた。偶然の出来事に、確かに僕は「やられて」いた。
その後はとにかく冷やかされ続けたのだが、そのおかげでいろいろと情報が収集できた。さすがは偵察隊。
防衛大学校卒の幹部、25歳、独身。名はユミカ・オサベ。趣味、不明。彼氏無し。性格は判然としないが、女性隊員の間では人気がある。
航空群所属、第二高射砲部隊隊長。地下に篭った中央司令部にいるわけではなく、地上において地対空ミサイルの傍らに立ち指揮を執っている。首都防衛の要。関東の守り神。隠密迎撃隊。
そして、2195年(つまり一年前)、第一次火星会戦時に交際していた相手が亡くなったらしい、という噂があるそうだ。
そうこうしていると班で一番の古参、稲垣士長が戻ってきた。階級を抜きにしてもこの人には皆、頭が上がらないらしく、他の班の人間でさえ困ったことがあると意見を伺いに来るそうだ。
士長は、冷めた顔をしていて、入り口に立ったまま乾いた口を開いた。
「あれは難物だが、喜べ。われわれ第一小隊は四日後、つまり今月13日をもって航空群第二高射砲部隊の指揮下に入り、その活動に協力することになった」
痺れている僕はその台詞がまったく理解できなかった。そして周りは静まり返っていた。
高部士長が口を開いた。
「本当で、ありますか」
「まず間違いない。補給係の野崎陸曹が言っていたからな。明日にでも下達されるだろう」
静かに凍っていく空気。
「オサベさんの隊って言ったら、防空ラインの外まで突出して叩く役の筈です。ルーキーが来たばっかりで、この間まで新木場に張ってたうちに下す命令ですか、それは」
「航空群にばかり、危ない橋を渡らせるわけにはいかないということだろう。それにうちにしか出来ん仕事だぞ。第三小隊は、このあいだ全滅したんだからな」
僕はやっとその事態が飲み込めた。つまりあの沈黙は「キタカ」と皆が感じた瞬間だったんだろう。
そして彼女の隊が突出するということは、相手から包囲される危険性が格別に高い。
その偵察任務を自分達が受け持つと考えた途端、背中が寒くなった。僕は四日後、初めての実戦に向かうのだ。
湿度の高い、深い緑の森。
バイクを茂みに隠して二時間ほど山を登ると、目標が見えてきた。分隊は静寂を保っている。
「ルーキーは後発組みだ」
駐屯地を出発して30時間後に目的地に潜り込んだ僕は小隊長にそう命じられ、仲間と共に隠匿された陣地に残っていた。
陣地は起伏の多い場所が選ばれ、ミサイルに息を潜ませ、睨みを利かせてある。攻めるに易く、守るに難い。そんな場所を選んだ彼女は指揮通信車にいるらしく、ほとんど姿が見えなかった。防空ラインから突出して敵を迎撃すると聞いたが、まさか40km近くも離れるとは思わなかった。防空ラインが既に国土上に引かれている事もおかしいのだろうが・・・。
今回は伊豆に上陸してきたチューリップに対処するための作戦で、ついでに海からの敵を撃退する事も狙っているらしい。地図でチューリップの進路を見たが、グニャグニャと曲がりくねっていて、どうにも迷いこんで来たようにだった。対空ミサイルなど遠隔操作できればいいのだろうが、通信を阻害されることが多く、また自動操縦やリモートコントロールでは攻撃後の移動が難しい。撃破されたら即供給されるわけではない。使い捨ての兵器を作ったとしても、それをふんだんに使えるほどの生産力は無いのだ。またナビゲーションをしなければならない衛星もずいぶんと破壊されている。よって、早期発見・早期撃退を行うには、わざわざ敵の近くまで出向かねばならなかった。何となくだが、彼女の軍における位置と言うのが分かってきていた。しかし、これほどまでに肉迫するというのはどうにも理解できなかった。
22時間後、先発隊と交代する為に陣地を出発した。
重い荷物を背負い、身を屈めてサインを確認しながら、無言のまま慎重に森へ分け入っていった。
その途中でバッタが頭上を掠めてからというもの、僕はすっかり怯えてしまい、鳥の羽ばたきにさえもびくついていた。ライフルを持つ手が痛かった。
僕らの任務は状況によっては強行偵察班と変わらない。元々無理に向く仕事だったし、誰も文句は言わなかった。
ランデブーポイントで先発隊が去っていくのを見送りながら、進路の確認を行う。
いちいち足にまとわりつく枯れ枝や蔓をナイフで払いながら進んだ。森を抜けて崖の上に出ると、眼下の谷にチューリップが寝そべっているの見た。
巨大で人外の存在。
その姿に、僕は恐れと憎しみを感じた。神という者が存在するとして、もし目の前に具現化したらこういうものなのかもしれなかった。
僕らは谷を迂回して目標地点に到達した。移動中も到達した後も分隊の緊張は維持されていたのだが、僕に到っては意識しないと息も出来ないほどビビっていた。それを悟られないように歯を食いしばって、気丈に振舞う。
目の前の仕事、分解して背負ってきた簡易レーダーの設置を進める。僕は一度タオルを取り出して、冷たい汗と鬱蒼とした森に汚された顔を拭いた。これくらいでドーランは落ちない。
広げた端末に映し出された表示を確認しつつ点検を行っていると、相棒が拳で僕の鉄帽を叩いた。膝が震えていたのを知られたのだ。ドーランがなければ、恥ずかしさに赤く歪んだ表情まで見られていたに違いない。
「ルーキー、設置終了を本部に連絡」
「了解。設置終了を本部に連絡します」
分隊長の命令に、防弾ジャケットの背中に背負ったハードカバーぐらいの大きさの通信機を使い、報告を行った。
「連絡終わり」
「ご苦労。よし、後退するぞ」
レーダーに迷彩のネットを被らせた後、工具を収納して撤収の準備を整えた。
やっと帰り道になったのかと思うと、はたして陣地まで「自分」がもつのか疑問に思った。
バケモノめ・・・、帰り際に稲垣士長がそう呟いていたのを僕は知っている。
ふらふらする足を何とか進めて陣地に戻ると、僕だけが小隊長に呼び出された。
確実に昨日と今日の任務中のことで何か言われる、その覚悟を決めて天幕の中に入る。
中には小隊長の他に分隊長もいた。そして「作戦中の貴様の行動を点数にしてみろ」と言われ、「30点であります。悪くありました」と正直にそう答えると、傍にいた分隊長が僕の前に進み出て仁王立ちした。殴られる事を覚悟した。
バチッ、と平手が頬で弾けた。
入隊してすぐの頃はよろめいたりしたものだが、今ではびくともしないほど体が引き締まっていた。だが痛いのだ。
分隊長にベンチへ座るように指示され、小隊長が僕の隣に座り直すと、ガムを差し出してくれた。
僕は「いただきます」と言ってそれを受け取った。
「お前が30点と言うのならそうなんだろう。だが、俺にはそこそこに見えたぞ。お前の志願理由は知っているが、いいか、そんな大層なことが出来るわけじゃない、俺達のやる仕事はな。いいか間違っても体を張ろうなんて考えるんじゃねえぞ」
よく分からない事態に驚いている僕に向かって、小隊長は続けた。
「偵察隊に馬鹿は配属されん。しかしあれを読んだ時は、お前はすぐに死んじまうような奴かと思って不安だったが、今回の任務で少しは安心したぞ。だがな、いいか。死に急いだっていいことなんざねえ。分かるか」
「・・・はい」
そう答えると小隊長は口を閉じた。変わって、分隊長が口を開いた。
「第一分隊の市川一士に変わって今夜の歩哨につけ。了解か」
僕は立ち上がって踵を揃えると、復唱した。
天幕を出ると、外はすっかり紫色に染まっていた。ドーンパープルの中で、浮かび上がった疑問を考えた。
志望理由?
もしかしたらあの時のものかもしれない。今では遠い昔になったあの面接。あの時の幹部が何か書いたのだろうか・・・?
そう思い当たると「次ぎあったら殴り飛ばそう」そう思った。
どうせいい言葉が並んでいるのだろうが、一体どんな事が書いてあるのか、それを知りたいとも思った。
深夜零時から、僕は一人で歩哨についた。
一人だけというのは自分だけではなく、人体の発する熱が敵のセンサーに引っ掛からないようにという事で、皆同じように要所で張っている。しかし自分の場所は陣地を微かに見下ろせる山の上だった。どうやら一番嫌な役回りらしい。
それと新入りが可能な限り多く歩哨に付くのは、偵察隊に伝わる儀式だそうだ。こういう事には疑問を挟むだけ無駄なんだろう。
あの深い森を進むことに比べれば、歩哨など退屈なものだった。木の陰から開けた場所に出て行き、下に広がる景色を見下ろしてみる。確かに見つかり難いだろうが、もし発見されたら逃げ場はない。戦術に明るくなった僕は、その地形に脅威を感じた。
空には雲がかかっていて、月が顔を見せる事のほうが少なかった。貰ったガムを取り出し、包装を剥く。
ガムを咥えながら、月明かりの間にライフルの槓桿を引いて中を覗いてみた。
異常ナシ、そう思った思考を直ぐに打ち消した。救援など期待できない場所で、初弾を装填するどころか弾倉さえ装着していかったのだ。
この戦友のことは知り尽くしたはずだったが、弾倉なしの重さになぜ気付けなかったのだろうか。
震えがきた。
こんなミスは敵に襲われるよりも致命的だった。実際に遭遇するよりも、もしも、例えば分隊長にでも知られたら、本当に殺されかねない。
誰にも見られていないことに感謝しつつ、ウエストパックから弾倉を取り出して装着し、槓桿を軽く押してやる。
カシンッ
と音がして強力な30口径が戦闘配置を完了した。周りの虫達は鳴り止まなかった。
闇に沈んだ山々を見つめる。
昨日今日のことを思い返し、僕はじっとしていられない衝動に駆られて、いらついた。この7ヶ月にも及ぶ訓練は何だったのだろう。「そこそこ」と言われはしたが、思うように動けずまるで素人だった。
恐怖。
戦場に立って初めてそれを知った。体の底にべったりと染み付いたようだった。いや、染み付いているのに気付いてしまったのだ。
それを見抜かれた事も悔しいが、何より自分の臆病さがとても悔しかった。
何かの役に立ちたい、そう考えている。しかし命がけで鍛えた自分は取るに足らない存在だった。一体、自分が役に立てないその「何か」とは、何なのだろうか。何かはどうして欲しいのだろうか。
小難しい事にうんざりした。自分にとって家族はどうでもよく、娑婆にいる友達もどうでもいい位に遠くなっている。
微かに月の光が落ち始め、雲が動いていることに気付いた。
何か気配がした。
振り返ると、乗って来たバイクの傍に人影が見える。ライフルを肩に当てて腰を落とす。
「止まれ。誰か」
暗やみに向かって誰何した。影が答えた。
「オサベ一尉、ご苦労」
「! 一尉殿でありましたか・・・。お一人のようですが」
「・・・どうして志願した」
一尉の声は大きくなかったが、空気を震わせた。さすが、凄んでもよく通る声だ。
「私の意志であります」
「いっぱしの兵隊になったようだが、後悔してももう遅いぞ」
「二年間は逃げられませんからね」
「笑い事かっ。それより・・・ご家族はどうしている」
「いろいろあって、縁が切れました」
一尉の表情が豹変した。言ってからシマッタと思った。
「このっ・・・、馬鹿がッ」
説教が始まった。どんな事であろうと上官は絶対である。そして軍隊で食ってきた月日が多いほど、階級に関係なく偉いものなので素直に聞いた。一尉の説教はその二次元において思いやりがあった。性格が何となくわかってきた。が、執拗に説教は続く。
「何だ貴様、さっきから返事だけはいいな」
「悪くありましたっ!」
背筋を伸ばして僕が声を張り上げると、あたりが静寂した。虫の声も一瞬途切れた。
「まったく・・・どうしてこう・・・」
「は?」
「こんな捨て駒まがいの任務に、陸上群から協力なんかいらないと言ったのに、どうしてその偵察隊にキミがいるんだ。・・・・・・・いい? うちの隊は“首都防衛の要”なんて言われてるけど、ほんとはただ士気を上げるためにあるんだからね? 内局の広報が言い出しっぺの鉄砲玉なのよ? 作戦に効果が無い事はないだろうけど、もとから全滅することが前提となっているの。どれだけ綱渡りしてるか分かるでしょ」
「はッ」
「出来るだけ相手の懐近くまで入って、複数のチューリップを刺激しないようにするしかないのよ? いつ死ぬか分からないところなのよ?」
「あ、それでこんなに近づいてるんですか」
「なにを感心してるのよ・・・。一体どうしてあのキミがこんな所にいるのよ? 死ぬっていうのは、それで終わりなのよ」
「死にたくはないですよ。でも、その危険が高い命令でも信じて従うのが兵士です」
「だからっ、来るなって言ったの。本当に私の話し聞いてたの? 自分が馬鹿に思えてくるわ・・・」
「聞いてましたよ。兵隊になっていろいろ考えだって変わりましたよ。でも、来ちゃったものは仕方ないじゃないですか。大体・・・、いえ。とにかく俺は今だって何か役に立ちたいと、守りたいと思っています」
「死んだらどうにもならないのよ。悲しませるだけなのよっ。死んで何の役に立つっていうの!」
「だから死にませんよっ。いえ、・・・分かりません。分かりませんけど、俺、相棒と約束したんです。だから絶対に死にたくない。相手がなんだろうが絶対死なない。俺が死ぬと相棒も死ぬんですよ。だから俺は、相棒と必死に生き残ってみせる。俺は・・」
勢いに任せて話していた。
「死んだらそれで終わり。死んだら誰にも会えない、話せない。貴方にだって会えなくなる、貴方と話せなくなる。貴方が死んでもそれは同じ。だから、だから貴方を死なせたくないから、なら、俺は貴方の助けたい」
「・・・滅茶苦茶」
「・・・すいません」
「死ねって意味で役に立てって命令されるところなのよ、軍隊ってのは」
「でも、役に立てって言われて役に立ちたいわけじゃなくて、あの時あったあなたを、命令としての貴方じゃなくて・・・」
沈黙
「え?」
「はい?」
「もしかして・・・、私のこと、好き、とか?」
「あっ、その、そんな様な感じです」
「・・・・・・ええっと、だから志願した、とか?」
「貴方が軍人だなんて知りませんでしたよ。あの時OLだって嘘ついたじゃないですか。だから、俺が死んでも貴方は生きていてくれると思って、覚えていてくれると思ってここに来て、実際こうだったけど、でも、ま、その会えて嬉しかったですよ。
でも貴方こそ何やってるんですか? 駐屯地であったときのあの顔、なんなんですか。人に生きろって言っておいて、死にそうな顔して。生きたいって言えばいいじゃないですか。俺、何だろうが聞きますよ」
「・・・うん。あのね、キミのそういう感覚って、嫌いじゃない。前に付き合ってた人と似てるから。気に障ったら悪いけど」
「なんか引っ掛かりますけど、タイプって意味なら、うれしいですよ、俺」
「ごめんなさい、だけどね」
「でしょうね・・・」
次の日、チューリップから現われた虫型機動兵器を迎撃すると、僕らは予定通り逃げた。
足の速い偵察隊は一目散に逃げ出せるのだが、トラックを抱えた高射隊はそうはいかない。僕らは相手の反撃を撹乱する為に方々へバイクを走らせた。
そして僕と相方に、バッタ共が喰いついた。
どんな地図にも乗っていないような道を駆け抜け、空き缶みたいなミサイルに追いまわされた。必死に回避運動を取りながらも、僕は不思議と自分が死ぬとは考えていなかった。先が開けた原っぱになっていることを知ると、僕らはバイクを森へ乗り入れた。身を潜め、奴らの行っている無差別爆撃に晒されないように祈っていると、あいつらは地上に降りてきて足を伸ばして散策をしはじめた。その姿は見ようによっては可愛くない事もなく、また、空中にいた時ほど脅威を感じず、僕らはその頭部を狙って30口径を叩き込んだ。これが面白いように次々と撃破できて、撃退に成功してしまった。
初めての戦闘を、辛くも生き残った。ランデブーポイントに着くと偵察隊の皆も生きていて、最後にやって来た僕らを手荒く出迎えてくれた。やっと仲間入りできた気がした。
我々第二高射砲部隊は、その日の夕方には防空ラインに入っていた。
急襲。
第二高射砲部隊と共に六度目の出撃をした際、奴らは、高速道路を走行していた僕らに、襲い掛かってきた。
河を遡って来た雲霞の如き大群。ミサイルは底をつき始め、弾幕は枯れていった。
絶望的状況での抵抗。
援護が来るまでは20分かかる。その時間を稼ぐ間もなく、次々にトレーラーが破壊された。僕らは嵐の中心にいて、トレーラーを掩体にして射撃したがまるで効果は見えず、背後では悲鳴が上がっていた。インカムにも辺りにも怒声が響き、銃声と爆音がした。インカムのレシーバーがガリガリと鳴る度に、応答がなくなっていった。小隊長が肉声を張り上げて後退を叫び、僕はそれを聞くと、移動手段を失った高射砲隊の隊員をバイクで運び出すためにバイクに向かった。
その時、辺りが炎で染まった。
トレーラーに積んであったミサイルに被弾して、誘爆し、熱風が雄叫びを上げた。
爆発したトレーラーから離れた直後だったので吹き飛ばされただけで奇跡的に助かったが、僕の周囲には多くの人間が転がっていて、どこを見回しても立ち上がって抵抗している者の姿は見当たらなかった。みんなが死んでしまったんだという虚無感が、喪失感が頭の中に広がっていった。ああ、彼女はどこだ・・・。
指揮通信車が破壊されたのは知っている。でも、逃げ延びていた筈だ。さっきまで隊員を指揮していたのだから。
ライフルを支えにして立ち上がり、炎の中で女の名を叫び、飛び回る虫どもに点射しつつ探し回るが、見当たらない。
きっと、なんとか、なんとか後退していてくれ。
足をやられて助けを求めている男を見た。すぐに駆け寄って、ひっくり返ったトレーラーの陰まで引き摺って行く。
ヘリは、戦闘機は、戦車はまだか。
もう一度探しに行こうと踏み出した僕の足元で耳慣れた細かい音が響き、その貫通する衝撃を感じたときには既に、仰向けになって倒れていた。
雲の綺麗な空が、黒煙と火の粉の隙間に垣間見えた。
目を瞑りたくなんて無いのに、それに抗うことも出来ず、血を流した。
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