虚空の夷
アキトの背中、石段を上っていく。両脇には静まりかえった大木がしっかりとした間隔と保ちつつ根を下ろしている。
苔の群落。
夜が明けてまだ間もないためうっすらと霧に包まれている。首筋、頬、唇を、その風が撫でるせいか、上るにつれて思考が冴えていくような気分になる。朝露が葉の表面にころがり始めているだろう。石段は湿りを保っていて、進む者を気遣うように歩みを慎重にさせる。かすかな風のために黒のロングコートが揺れる事は無く、スーツの下の白い開襟シャツもただ動きに合わせているだけだ。
赤い花の蕾。
階段の先には、いったいどれほどの歳を経たのだろう、悠然とした山門が構えている。巨大な柱と屋根。門の両脇にある囲いの中では一対の仁王像が息をひそめ、眼差しを落としている。階段が終わりに近づくと門の先が見え始め、そこに一人が立っているのに気がついた。上りきると今度は石畳になっていて門の脇に三本の竹箒が立て掛けられているのが眼に入った。
「月臣」
「来たな」
アキトは門へ進みつつ一言発し、月臣も返事をした。お互いを確認を済ませる。月臣は門よりも奥に立っていて、アキトはそのままの歩速で薄暗い門の中へ入った。その中央、二人の距離が4m程のところでアキトは歩みを止め、手袋をした両手をポケットからおろした。
「まさかここを探り当てるとは思っていなかったぞ。どうやって探り当てた?」
「・・・・・・。」
「なぜ、こうして貴様と向き合う事になったのか知りたいだろう」
「馬鹿だよ、あんたは」
「・・・、連合警察にいたそうだな、テンカワ。道理でどこを探しても見つからんわけだ」
「追いかけっこさせておいて、よく言う」
その返答に、月臣が、ク、と笑いを浮かべたのを見ると、アキトの口元が皮肉っぽく歪んだ。
アキトはサングラスをしているせいで微かに口元に現われて見えるだけだが、月臣は嬉しそうに目を細めてみせた。
「会いたかったぞ」
「・・・・・・。」
「単刀直入に言う。今回の事からは手を引け、貴様は邪魔だ」
「やればいいさ。<初動において最大の攻撃力の要を、全力を以って突く>よく話してたろ」
月臣の目はアキトの知っている普段の真剣さを伴いつつも、乾いて見えた。
「その通りだ。ナデシコCを封じれば動揺は大きい。・・・心配する事はない。ねじ伏せるだけだ」
「それだけじゃ足りない。月の騒ぎは、知っている」
ここ一ヶ月ほどまともに休んではいないせいか、アキトの声は幾分かすれ気味だ。
押し殺した筈の殺気で、疲れた神経が逆立っていく。
「・・・耳が良くなったものだな」
「なぜ、奪った」
詰問には苛立ちが含まれていて、口にしてしまうと皮肉などに構っている余裕はなかった。
「そのためだ」
「違うッ、それだけじゃない。あんた、俺にふっかけたんだろ」
「・・・・・・禍々しい」
「死にたいんなら勝手に死ねばいい。どいつもこいつも勝手すぎなんだ」
「・・・今貴様を殺すのは本意ではないし、俺も死ぬことはできん」
「あんたは手をかけた。俺は、手は引けない。大義名分を並べる馬鹿を目の前にして、見過ごせるわけないだろ。月臣、自首しろ」
「自首か・・・。馬鹿は貴様の方だぞ、テンカワ。大人しく女のもとへゆけばよかったのだ」
「・・・白鳥ユキナ、あんたこそあの子に会ってないだろ」
「馬鹿なッ、今更会えるわけがあるか!
・・・テンカワ、今は退け!」
放たれた怒りに門の中が震える。
「・・・もういい。何を聞こうがあんたは見過ごせない。言葉が無駄なら・・・、ここで潰す」
アキトの手がコートに差し入れられ、キンッ、と音が響く。
「決着はつけたいが、今はまだ死ねん」
構わずに右手を引き抜こうとした刹那、声が響いた。
「そこまで」
ロングコートをひらめかせて男達が取り囲み直刀を抜き放つ。その直刀は諸刃であり、刀身は短いのに柄は長く、クセのある風貌。
門を挟んで奥に三人、手前にも、三人。
月臣は背を向け、立ち去ろうとした時視線をこちらへ飛ばした。
「無駄に死ぬなよ、テンカワ」
「・・・・・・ッ」
動かないアキト。手を掛けていた右手は空のまま垂らし、表情はただ焦燥を表している。
「事が終わるまでの間、大人しくしていてもらう。動くなよ、女捜査官はこちらで押さえさせてもらった」
「それで? 北上さん」
「・・・いや、嘘だ」
アキトと似た格好の一団と対峙し、声に聞き覚えのあった頭目だろう男に向かって話す。
北上という男は、木連時代に諜報組織に属し、熱血クーデターの最中に失踪した月臣元一郎を監視していた男だ。その後月臣ごとネルガルに移るとその腕を振るい、かつてはアキトをも支えてくれた。月臣に対して最も敬意を払い、月臣も彼を信頼していた。
今もその関係は変わらないようで彼の背後には去り行く月臣が見える。
他の男達もネルガルから抜けたメンバーだろうから、アキトの知り合いになる。
焦りがアキトの表情を険しくさせる。
「頼む。どいてくれ」
「動けば殺す、空間跳躍しようとしても殺す。無駄な抵抗はするな」
「断れば」
「同じく」
ジワジワと包囲が狭まってくる。月臣との距離はどんどん開いていく。
悔しさを表すかのようにギュウッと空の手を握り締めるが、結局、全身から脱力し視線を上げた。ふぅ、と空にため息を漏らす。
(来るか?)
と、アキトの垂らしていた両手の袖口から単一乾電池のようなものが滑り落ち、カツン、と接地する。
クワッ!!
一瞬にして閃光があたりを包み轟音に揺れ、薄い煙が広がる。
男達はその轟音にもめげずに爆心地へ向かって突入していたが、どの刀も空を貫いた。
「やったか」
との問いに対してはいい答えは帰ってこなかった。
「階段です!」
男達はすかさず振り返る。視線を下げると石段の中段には仲間の一人が伸びており、その傍らにはサングラスを失ったアキトがうづくまっていた。しかしすぐに、グウッと立ち上がり、そして左の上腕に突き刺さっていた串のようなものを引き抜いた。それは北上の愛用する得物だった。
アキトはスタングレネード使った瞬間、月臣を捉えるために前方へペネトレイトしたのだがガードするように位置していた北上の化け物じみた閃撃を喰らった。その後退際、バックドアで、後ろにいた奴を捕らえるとそのまま階段へ身を投げたのだ。包囲を抜ける事はできたが方向が逆で、しかも痛手を負ってしまっている。
「野郎ッ」
それを見るやいなや、ジャンプで逃走を図られるのを嫌ったのか三人の男が駆け下りてくる。その内の一人が拳銃を発砲した。
銃が向けられると同時にアキトは姿勢を低くし、半身になって頭部をコートで守る。拳銃弾は防げるが、当然視界は悪くなる。
のぞき見る先の相手は、銃を下ろし、片手で刀を抜き放った。
アキトは右手を腰の得物にやり、スクッと立ち上がると、抜いた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!!
切り結ぼうと白刃をかざした三人が順序良く吹っ飛ばされ、空中で一回転した者もいた。そのまま階段をずり落ちる。
アキトの両腕に抱えられたそれは、手動で給弾する必要の無いオートマチックタイプのショットガンだった。衝撃力を高めるために最適なゲージを使用したため撃たれた相手はそのまま動けなくなっている。撥弾コートを着ていれば死ぬ事は無いだろうが、あばらがやられているのは確実で、現にノックダウンしている。
「月臣ィ!」
アキトは階段の先にいるだろう本当の相手に向かおうと走り出す。
しかし、すぐさま両脇の木陰から二人の男が飛び掛ってきた。焦って登ったせいで簡単に接近を許してしまっていた。銃口を向けるが刀で弾かれ、アキトは後ろに回られまいと必死に相手に対して弧を描くように動く。
「ア゛、グッ」
しかし、足場が悪いせいと数的不利によって相手の袈裟切りを銃で受けた瞬間、左手にまわっていた男からローキックを喰らってしまい、メタルが入っているらしいそのブーツのおかげで、途端に左足の感覚が怪しくなってしまう。仕方なく二段ほど下がるが追撃をかわすことも距離を置くこともできない。退がるだけ損な事を身を以って知ることになっていた。二人は間髪いれず間合いを保ち、追い詰めてくる。アキトの足さばきに精彩がなく、徐々に後退するしかない。蹴りを打ちたい衝動に駆られるが土台無理な話だった。北上に貫かれた左腕の痛みが酷くなっていき、そう長くはもってくれそうに無い事が嫌でもわかる。高所を取られ、数で負けている。防戦一方、それもギリギリの線だった。
飲み込まれまいと、牙をむく。
決死の思いで一つの鋭いフェイントを入れ、同時に左側の敵に袖口の隠しナイフが飛ばす。相手がそれを弾き飛ばした瞬間連携が止まる。運良くフェイントによって重心を移動させかけた右の相手の脇に飛び込むと、石段の上で前転、その勢いを利用して両手をついて水面蹴りを放つ。
が、アキトの蹴りは体勢が不十分なために階段の傾斜と同じくらいの角度になってしまい、相手は軽く飛ぶことで避けることができた、が、それは契機となった。
蹴りの勢いに乗って体を起こそうとした時飛び退いた相手の足が目の前にあったのだ。アキトは無意識のうちのにそれを捕まえ、シメタとばかりにショットガンを向けるが、もう一人が既に駆け上がり目前に迫っていた。
「フッ」
鋭く吐かれた息と共に白刃が突き出される。アキトが相手の足元に滑り込むとそれは額の上を通過していったが、今度は足を掴まれ不安定になっている奴が桎梏となった腕を切り落とそうと直刀を振りかざす。
ドンッ!
引き金が弾かれていた。。彼は弾き飛ばされ、石段の上に墜落する。
戦いは終わらない。
仰向けになったアキトの上を取った彼の目は光り、両手で柄を握り、突き落とす。
ギキッ!
つき上げた銃口に切っ先が捕らえられていた。
この角度では当たらないし危険だがアキトは構わず引き金を引が、なぜか反応が無かった。
弾はまだ残っている筈だったのでパニックになりそうになる。ショットガンを使ってチャンバラをしたせいなのか、ジャムっていた。オートマチック式の弱点がこんな時に現われたのだ。
相手はそれを察知すると柄から刃へ手を滑らせてそのままショットガンを左手で押さえ、アキトの右肩を踏みつける。
「終わりだ」
男は得物を引き抜き、脇を閉め右腕を引きつけると、一気に突きおろした。
しかし、また二人の間で刀は止まる。刀身を血がつたっている。アキトの左手が刃の根元を握り止めていた。
アキトは両足を使って相手の右腕に組み付きそのまま引き倒し馬乗りになろうとしたが、逃げられてしまう。アキトは相手に背を向けてしまっていたので階段を転がり下り、やっとのことで上体を起こしたが、直刀を拾いあげた彼はすぐに間を詰めることが出来た。
オートマチックピストルを懐から抜きだして発砲する。炸裂弾が相手の胴体にヒットし動きが鈍る。一発、二発、三発と連発し、五発目を放ったとき二人はゆっくりと交錯していた。
男はアキトに抱きかかるように意識を失っていた。
左足へ掛かる負荷を少なくするために、重心を移動させる。おそらく腫れ上がっているだろう。
安心しかけた気持に鞭を打ち、左腕の痛みも堪えて重くなった彼をのけようとした時、目の前にもう一つ顔が現われた。
アキトは飛び退き7、8段を転がり落ちる。
熱い。
うずくまり右手でコートの中の左脇腹を押さえつけ、全身の筋肉が収縮するのを耐える。ぬるいものが溢れ出し、押さえた手の平の隙間から流れ出していく。視線の先には、先ほど撃った男の腹から突き出た銀色の刃と、その男の後ろに立つ北上が見て取れ、何が起こったのかがおぼろげに理解できた。
浅くはない。
「オッ、のっ・・・!」
左手の銃を向けて連射する。発砲するたびに左腕が痛み、照準にかまっていられない。とにかく接近を止める。
飛び出しかけた北上はすかさずしゃがみ込み、動かなくなった男を盾にする。
北上は伝わってくる衝撃のために、男諸共押し倒されためられた。
すぐにアキトの銃は空になった。
スライドが下がったままのそれが手中からこぼれ落ちる。前へ倒れ込む体を何とか左手で支えるが、大きな血の粒がしたたり落ちて石段の上にひろがり、流れ、銃をぬらす。呼吸が出来なく、体の芯から血の気が引いていく。
北上は締まって抜けなくなった刀に力をこめる。
「月臣さんには悪いが」
血刀を引き放つ。
「いいかげん死ね!」
そう言い放つと、構えて北上は疾しる。
石段の滑りやすさが気になり本来のスピードが出せないため、その距離にもどかしさを覚えた。
その時、
(カチン)
北上の耳が微かな震動を感じた。知っている音。
アキトが動く。
一点に集中した眼光、コートから現われた右手には拳銃が握られていた。
それを見た北上は一気に加速する。嫌な汗を感じた。相手は<リボルバー>を差し向ける。
(いかん、間に合わないっ・・・!)
左手で上体を押し上げる。その左手も銃把へ向かった。
アキトのこの動作が、北上に味方した。
(殺れる)
下段に構えた得物を、素早く脇へもってくることで突きに変化させ、相討ちを狙う。
銃口は動きを止め、両手がそれ固めた。
強く踏み込む。
こちらを捉えた鈍く光る物よりも、その先にある視線を睨みつける。
血走った二組。
ドッ!
両腕が跳ね上がり背をしならせたアキトと、交錯し背後に回った北上。
静寂の戻った山中には、仰向けに倒れ込んだアキトと、その下段で、北上はうめきながら千切れかけた膝を抱えていた。
石段のきざはしに不揃いな武装をした集団が現われていた。ゴート・ホーリーが指揮するネルガルのシークレットサービスと連合警察調査部の特殊機動隊<シナプス>だった。散開し、警戒しながら登り始める。
山の奥へと続く石段には5,6人の人が点々と転がっていた。
(クッ、遅かったか)
ゴートは他の慎重な動きには関わらずに石段を駆け上がると、アキトらしき人影のもとへ一番速くたどり着いた。
やはり彼だった。
「おいッ、テンカワ! しっかりしろ!」
ゴートの声に蒼白になったアキトがうっすらと目を開き始め、食い入るように目を合わせるとか細い声を発する。ゴートは口元へ耳を寄せた。
「・・・何だ?
ゆっくりだ焦るな・・・・」
「ツキ・・・オ・ミ・・・ツ・・」
「・・・ツキ・オミ?
月臣が上にいるのか? そうなんだな!?」
「出血がひどい。石和! 応急手当!
すぐ搬送しよう」
ゴートはアキトをシナプスの隊長に任せるとライフルを携えて駆け出そうとする。
ズ、ズウウウン・・・!
森に爆音が響いた。鳥が無秩序に飛び立ち、地が震える。ギャアギャアという鳴き声のこだまする中、彼らは足を止め姿勢を低くする。
音は石段の上からのようだったが、それほど大きなものではなかった。
その時、ゴートは自分の視界が歪んだように感じた。
(屋根がせり出してくる?)
直ぐにそれが錯覚だと気がついた。巨大な山門がこちらへ向かって倒れ始めていたのだ。インカムにむかってゴートは吼える。
「全員回避しろォ!!!」
山門は、みるみるうちに加速して石段に崩れ伏せると、その上をゴートでさえ腕が周りきらない様な柱や、馬鹿でかい屋根が破片を飛ばし轟音を鳴り響かせて駆け降りてくる。
回避しようと考えた瞬間、後ろにいるアキトや他の者達のことが気になった。
30口径をフルオートで撃ちまくるが、やはりいかに30口径といえども相手が木材のため効果など無い。ささくれ立つ感情を抑えつつ、時間稼ぎにもならないことは分かっていたが行動せずに入られず、最も効果のありそうなグレーネ―ドを射出する。
爆音が響く。
動く瓦礫がその身にまとい、尾を引いていた破片や埃に引火して炎を巻き上げ、一瞬にして一個の巨大な火球に成長していく。
あまりのまぶしさに顔をそむける。炎の中からは真っ黒い物体が次々と襲い掛かってくるのが見えたが、既に避けられそうには無かった。
突然、体が勝手に巨木の後に引き飛ばされ、間一髪でかわした。
ゴートの横を通過していった熱の塊は、下の方で最後の断末魔を上げた。
嫌な匂いの立ち込める中でゴートは眼を開く。
どうやら無事のようだった。しかし、アキトのことを思い出しすぐさま振り返る。
「テンカワ・・・」
目に染みる煙の中、山のように積み重なった瓦礫とチロチロとくすぶる破片があるだけでどこにも見当たらない。
と、直ぐ背後に人の気配を感じて振り返ると、そこにはシナプスの隊長に抱きかかえられたアキトがいた。
何と言う名だったろうか、名前が思い出せない。その彼が目を開いた。
「スマン、助かった」
「それより・・・アキトだ、搬送しないと」
「ヘリを使うぞ」
ずれたインカムを引き寄せ、傍に寄ってくる隊員達へ命じて動き出す。もう月臣にはとどかないだろう。
石段を振り返ると、剥き出しになった一対の仁王像がこちらを見下ろしていた。
*後編在リ