この作品は劇場版afterです
time after time
病院の夜の屋上から眺める夜景はどこか作り物めいて見える。
男は張り巡らされた金網の内側に立ち、よれた白衣を風に揺らせていた。敷地を出れば高い建物が無秩序に並んでいるが、病院自体は高台にあるので視界は遮られない。街には夜を過ごす為の灯が輝いており、男は多くのことを感じさせられていた。それぞれの生活、人と人が寄り集まること。
それは男自身が失ったものと、そして痛みと重なっていた。ぬるい風が古傷を撫でる。感じる痛みに、できることなら償えるものならそうしたい、と考えさせられたがそれまでだった。眼鏡の奥で目を閉じる。
(止せ、考えてもしようがない)
男は手にもっていた新聞を取り出してみる。この病院の近くの晧々と夜に浮き出たコンビニで珍しく購入したもので、一面を広げると大きな見出しが踊っていた。
一ヶ月前に制圧されたクーデターの責任追求、逮捕された者達の思想。なんにせよ内容は多くの離反者を出した新地球連合を責めるもので埋め尽くされており、たまに見るニュースやワイドショーのものと大差ないようだった。誰彼が辞職、誰それが事情聴取という、どこか溜飲を下げようとしているかの臭いがする読むに堪えない代物で、何に期待していたわけでもないが失望感を覚えずにはいられなかった。
(批難されるだけの訳はあるが)
早々に次面に移っても詳しくなっただけで云いたい内容に変わりはなく、明らかになった事実をただ氾濫させ、身勝手に筋書きを並べているよう見える。そんな中、小さな欄のコラムに目がとまった。
そのコラムはクーデターというものの性質を語ることから始まり、否定された側である自分たちはそれまで見えていなかった自身の問題を把握しなければならないのではないかと静かに語っていた。終わりの段で挙げた反乱の名を男は知らなかったが、最後に告げられた亡くなった人々への哀悼の言葉が胸を突いた。
男が新聞を閉じたのは、哀悼の言葉を想う資格がなかったからだ。
あの時、自分は笑っていたのだろうか。苦痛に満ちていたのだろうか。淡々と作業をこなす自分は、それとも泣いていたのだろうか。案外、そうなのかもしれない。
唸りを上げた突風が新聞を奪っていく。それはもしかすると男が手放したのかもしれず、ばらけた新聞は川面を跳ねる小石のように屋上のコンクリの上を滑っていった。風が収まり始め、背後に気配を感じたのはその時だ。
(二人、いや、一人か)
気配とはなんなのか。男のよく考える暇つぶしの一つだ。それは音なのだろうか、聞こえない音。いや、聞こえないはずの音なのだろう。呼吸音、足音、衣擦れ、人がいると必ず発生する存在を表す普段は意にも介さない音。それが気配の正体なのだろう。気配の感知する器官は耳ではなく皮膚のような気がする。あるいはその両方かもしれない。もしかすると嗅覚もそうなのか。ただ、いま感じている視線とはなんなのだろう――。
気配と視線を感じながら思案しつつ、男は様子をうかがった。気配が徐々に近づいてくるのがわかる。気配を消す、とは音の存在を消すということなら息を潜めるという言葉にも頷けると、男は一人で納得した。
誰何してこないからどうやら警備員ではないらしい。看護婦や医者でもなさそうだ。背後の者が大いに存在をあらわしているのは、もしかしたら囮なのかもしれない。にしても段取りが悪いと不満を零す自分に随分余裕がある、と苦笑する。
相手の見当がついているから気楽なのだろう。
できることなら会いたい相手ではなかった。しかし会うことになるだろうと予想していたのも確かで、男は自分が苦笑するのを感じていた。
振り向くと長い髪を風に浮かせていた少女が立ち止まり、かすかな逡巡を見せた後に前にたらしていた両手を重ねた。気配というものには髪の揺れる音というのも含まれるかもしれない。
男は笑みを作るように努めた。それが彼女へのかつての顔だったし、今では不思議に思えるほど自然なことだった。
「忍び足か……、ルリちゃん」
「こんばんは、アキトさん。いい夜ですね」
星野ルリは歩み寄り照れ隠しにか笑ったが、こわばりの見える眉根は隠せてはいなかった。
アキトは空を見上げた。なるほど、そうなのかもしれない。風の強さも心地いいし、雲はあるが漏れくる月光が明るい。それに、
「すごく静かだ。……そういえば、ラーメンの屋台を引いてた一緒の夜から何年ぶりだろうな、おたがい変わった」
アキトは懐かしいものを見る思いで云った。料理人を目指していた過去の自分は、味覚を失ったと知った時に死んだ。
「屋台は、ウリバタケさんの倉庫にしまっていましたが、あとになってミスマル総司令のお宅に移しました。どうしても傍に置いておきたいとおっしゃって……。私の抜き足の話ですが、それは警戒厳重なこの病院に一人で涼んでいる当直外のお医者がいるせいです、今日は白衣なんですね」
「下で見つけた借り物さ。簡単に入って来れたから警戒は緩いと思ってたが、見つかったな、なんとなくは、見つかるだろうと考えてた」
筆記用具で膨れた白衣の胸ポケットのネームプレートが風で揺れた。
「……お見舞いはされたのですか」
不意にナノマシンの発光現象が現われ、ぼんやりと視界が明るくなった。衰えた視覚を補整している眼鏡が微調整を始める。神経にそって張り巡らされたナノマシンは常人と異なり、感情の昂ぶりによって制御できない幾何学模様をぼんやりと闇に浮かべていた。光を通さない裏地の服を着、手袋をしても顔はなかなか隠せない。
(まるで電飾だ)
アキトは心の内で舌打ちする。他人に感情の動きを見透かされるというはよく知った仲でも、家族でさえいやなものだ。
――全ては新たなる秩序の為に。
アキト達A級ジャンパーを拉致し人体実験を行った者たちの言葉を思い出す。この光は彼らに捺された刻印だ。人道を省みない残虐な行いのなか、よく生き残れたと思う。
察したルリは笑顔のままだったが、それはアキトからみれば余計な気を使わせているのを際立たせるだけだ。
ゆっくり気を静めていく。だが、心に広がった波紋は消えそうにない。
「ユリカに会いに来たわけじゃない、俺には会えない」
アキトはなるだけ明るく笑顔を作ろうと試みた。別れる道に進んだ自分が再会することは出来ない。
星空を見上げる。
自分の戦争を戦っていた。暴風のように疾駆する機体を滑らせ、コロニーに襲撃をかける。向かってくる何も知らない者達を殺す気などなかった。殺意はなかったといっていい。突破すべきをしただけで、頓着もしなかった。事実、自分の機動兵器も手勢の虫型ロボット兵器も、邪魔者は打ち払わせるのに徹した。到達すべきに近づくためであって、それがまさか悲劇を呼ぶとは考えもしなかった。
甘かったのだ。殺意を強く育て、奪われたものを奪い返すのだから遠慮は無用と考えていた。だが、突きつけられた結果は警告を含めた報復だった。
アキトの目の前で、コロニーは無惨に爆破された。手を伸ばせば願うものには届かず、証拠と共に罪なき者達が死んでいく。
――汝、己ガ妻二触レルナカレ。
しかし脅しに躊躇うだけの情を憎悪を湛える自分に許せるはずもなく、一層に決意を固く冷たくしていく自分がいた。刃は氷解する前に振るわねばならない。戦闘中の暗いコクピットの中で、ディスプレイに示された3D立方体の一点へ、ユリカに向かって操縦桿を握り締めるアキトは、やはりその狂気に笑っていたのかもしれない。
「帰ってらしたんじゃないんですね」
空を見上げていた瞳を戻す。
「だから忍び足だったんだろう、ルリちゃんはわかっていた」
「……そうですね、声をかけて逃げられるのが怖かったのかもしれません。でも仕方ないじゃないですか、会いたいというのはどうしようもありません、アキトさん、あなたも同じじゃないんですか」
アキトは見つめてくる瞳を受けていた。ルリが小さく吐息をつき、それが重くのしかかる。
何故病院を訪れる気になったのだろう。明かりを投げる正面玄関から入り静かなホールを抜けエレベータに乗り込むと屋上まで直接来た。確かな理由があってきたわけではないのだ。戦艦ユーチャリスの破棄を前にして何となく気が向いた、といえばそれまでだった。
ついこの間まで、同じA級ジャンパーであるユリカはボソンジャンプと呼ばれる瞬間移動を常人にでも出来るよう補助するために管理機械“遺跡”に組み込まれ、仮死状態で眠らされていた。その彼女が眠りから醒め回復に向かっていることは知っている。いま自分がここにいるのは、心配からなのか、それともルリの云うように一目会いたいという未練からなのだろうか。
考え事をしていたアキトの沈黙に堪えかねたのか、ルリが口を開いた。
「あの、アキトさん。わたしは帰ってきて欲しいと思ってます、前と同じ様に過ごせるなんて考えていません、それでも帰ってきて欲しいです、帰ってこなかったら追いかけるなんて宣言してしまいましたけどそれはもっとずっと先の話で、ただ……今わたしの云えるのことは、好きなだけ休んで欲しい、それだけですから……。アキトさん達が死んでから私も辛かった。でも……」
「よしてくれ」
ルリの告白を遮った。アキトが自身の生存を隠していたことについては、ルリはもう整理をつけたらしい。しかし励まされるとは考えもしなかったことで、それはアキトを情けなくさせた。男の意地とか年長者の優越性というもののせいなのかもしれない。だがそれ以前に誰かに励ましてもらういわれはないのだ。帰る場所は無いと考えてきたしこれからも変わらない。償いも見つからない。
「まいったな。でも感謝する、不意打ちを食らった気分だ。……ところで、そこのタンクのそばで息を潜めてる人にはいい加減出てきてほしい、おっかない」
ルリが「あ」ともらしたのに一拍おいて、貯水タンクそばから金色に染めた長髪を後ろで結わえた背の高い男が出てきた。タンク近くに彼がいることはルリが近づいてきた時からわかっていたが、気配を消すことができるようだから接近する術を知っているらしいと踏んで注意していたのだが、かなりラフな恰好だ。
存在を知られていては今更隠れていても意味はない。
艦長、と男は笑う。艦長とはルリのことらしい。
「やっぱバレテたか、そうじゃないかとは思ってたんだよな」
「俺を捕える気ですか、高杉大尉」
「ああもう、名前までバレテるのかよ。……どうします艦長」
投げ遣りに問い掛ける高杉サブロウタにルリは真顔を向けて応える。
「すいません、いるの忘れてました。私の護衛を続けてください」
サブロウタは、途方に暮れたようにして頭を掻く。
「俺はハーリーじゃないですから忘れてても問題ありませんけど、ずっとかがんでて腰が……」
彼は手を腰において胸を反らす。それを見てアキトは苦笑した。
「ルリちゃんのは芝居じゃなかったのか」
「それはどういう意味ですか」
ルリの声色が険しくなったのが分かり冗談だと言おうとすると、そこへ階段を駆け上がってくる複数の武骨な靴音が響いた。アキトは無意識の内に身構える。だがルリやサブロウタを見ると、二人はばつの悪そうな顔をしている。緊張感などまるで無かった
開け放たれていた出入り口から人影が飛び出してきた。現われた五人はアキトを囲むようにして配置し銃を構える。服装は警備員のようだが手にしているのはサブマシンガンで、病院の警備には必要ないだろう。おそらくこれがユリカの護衛だろう、そう思うと警戒の拙さが先にたち苛立ちに奥歯を噛んだ。
「天川アキトだな、一緒に来て貰おうか」
じりじりと近づいてくる男が云うのに、アキトは心中で今更かと笑う。ちょうど破壊衝動が湧き上がってきているのを感じたが、心配するほど強くはない。
とりあえずルリと目を合わせ、軽く連中にひとさし指を向け、そしてルリへと移す。
「違います、私じゃありません」
首を振ったルリが毅然と声を上げる。
「彼の拘束については現在説得中です。地球連合安全保障委員会の皆さんはもう少し待っていただけないでしょうか。物騒なものを向けられては安心して話し合うことも出来ません」
「ホシノ少佐、ただならぬ仲であるのは承知していますが、説得なら我々に知らせてからにしていただかなくては困ります。監視カメラにダミーを走らせるなど妨害行為にあたるのでは」
「どうしても二人で話したかったもので」
そ知らぬ顔でルリが言うのと同時に、班長、とアキトの異変を察知した護衛が鋭く警戒を発した。
「な、何をするつもりだ」
呼ばれた男が、顔面に光の線を明滅させているアキトに向かって問い掛ける。五人は銃を構え直したが、アキトは構わず後退していく。
「これからボゾンジャンプを行う、巻き込まれるな」
護衛たちは一瞬怯み、それを見たルリが悲鳴のように続けた。
「A級ジャンパーのイメージングを妨害すると周辺に被害が及ぶ場合があります、下がってください」
動揺が広がるのを見てアキトは駆け出す。
一瞬ルリと視線を交わした。彼女は昔よりも悪知恵が働くようになったようだが、何故か申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「お、おい待て」
静止を求める声がして、サブロウタが慌てたようにして地面に伏せるのが視界の端に見て取った。乗りのいい人物らしいが、少しわざとらしい。
一息で墜落防止用の金網に駆け寄り飛びつく。縁を捕らえた両腕に力を込め体を持ち上げつつ片足で蹴り、腹筋と背筋を連動させ下半身を跳ね上げ一気に越えた。夜が広がる絶壁のあそびの部分に着地すると、八階建ての病院の縁に足をかける。そこで何となくルリが気になり肩越しに振り返った時、乾いた銃声が夜気を切り裂き体勢が崩れた。
「止まれ!」
男達の怒声が響く。護衛が発砲したのだ。
(撃たれた)
左のふくらはぎから広がる痛みに耐えつつ闇に向かって身を投げる。一瞬、細い悲鳴が聞こえた。
落下するなか目を閉じて、出現地点のイメージングを開始する。全身に地面を向かえる前に終わらせなければただの自殺行為だ。空気を切り裂く体を安定させつつ強く想い描くと、チューリップクリスタル(CC)がフィールドを作りだす、まるで水流に洗われているかのようないつもの感覚に襲われた。それがジャンプの開始を意味する、ボース粒子への変換にもうすぐ移る前兆だと経験的に知っている。
ジャンプの瞬間が近いと瞳を開くと、飛び過ぎていくはずの目の前の光景から異質なものが飛び込んできた。
それは視線だった。いや、相手の視線に自分が飛び込んだのかもしれない。窓辺の闇に、はっきりと人影が浮かんでいる。通過する一瞬、月光の加減とアキトの位置がぴたりと合ったことで姿が露わになった。肩ちかくで纏めた頼りない直線を描く黒髪、パジャマを着ているシルエットは女性そのもので、その大きく開き濡れた瞳がこちらを見ている。
「ユリカ」
遭遇は一瞬だった。遠ざかっていく窓を見つつ、うろたえたアキトは突然自分の中にある言い知れぬ空洞に気づいた。
呆然としてしまった為にフィールドが弱まり、ジャンプの感触が小さくなっていった。いま考えていては自損してしまう。死に向かって落下を続けるアキトは強く想像するのだと言い聞かせ、フィールドを、ゲートを開いていく。緊急跳躍の手順には慣れているのだ。蒼い光が解放され夜に輝きだす。
ジャンプと呟くと、体は波に呑まれると同時に溶けて海へと引いていった。意識は小さな泡となり、瞳のように周囲の光景を映していた。
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