悠久を奏でる地にて・・・

 

 

 

 

 

第22話『この曲を貴方に…』

 

 

 

 

 

 

―――――十月二十一日―――――

 

 

ショート財団主催、音楽コンクール開催日……

 

アレフ達は、ジョート・ショップに集まっていた。

シーラにチケットを貰っていた皆は、それぞれ思い思いに着飾っている。

 

一地方で行うわりには、今回の音楽コンクールは位が高い…というか、出場者の階級が高いため、

自然と観客まで貴族やその関係が集まり、品位が高くなってしまっていた。

 

それを知った皆は、事前に洋品店・ローレライでドレスなどの衣装を購入していたのだ。

 

今、店内にいない仕事仲間は、自宅から会場に向かったシーラと、シーラの家に泊まっていたアキトのみ。

アキトはシーラの護衛をするため、シーラの家に泊まっていたのだ。

その甲斐あってか、二回ほどあった不法者の侵入を、アキトと士度、そしてハーリーが見事撃退していた。

 

 

「さて、待たせたね、みんな。そろそろ行こうか」

 

 

着替え終わったアキトが、二階から店に降りてくる。

その格好を見た一同は……そろってため息を吐いた。

 

 

「な、なに?みんな、俺を見てため息なんか吐いて…」

「あのなぁ、お約束すぎるんだよ。なんだよ、その格好は!」

 

 

アキトの格好……それは、いつもと同じ格好であった。

上下とも、茶色の暖色系の服で、ごくごく平凡な服装であった。

街中で着ていても目立つことはない。が、コンサート会場では、間違いなく奇異な目で見られるだろう。

 

アレフの指摘されたアキトは、意味もなく頬を掻く…

 

 

「やっぱりダメ?」

『ダメ!』

「でも、これ一応新品だし。それでもダメかな?」

『ダメ!!』

「……やっぱり」

 

 

みんなの『ダメ』だしに、今度はアキトがため息を吐く。

その『ダメ』にしても、アキトの正装を期待していたクレアなどの口調は殊更厳しい。

 

 

「アキト、まさか正装をもっていないのか?」

「いや、持ってはいるんだけどね。あまり着たくないというか」

「??……なんでだよ」

「俺がアレを着るとさ、みんなが俺のことを見るんだよ。俺としては、あまり目立ちたくないし」

「アキトさん。ボク、その格好の方が逆に目立つと思うんだけど」

 

 

トリーシャのつっこみに、一同がそろって頷く。

言うなれば、孔雀の中に雀といったところか。

これから向かう会場では、地味さが逆に目立ってしまうということだ。

 

 

「アキト様。やはり、ちゃんとした正装じゃないと…

アキト様は構わないのかもしれませんが、招待して下さったシーラ様に申し訳ないのでは?」

 

「そうよ、アキト。私だって、ドレスなんて着慣れないものを着て、恥ずかしいんだからね。

私が我慢してるんだから、あんたもツベコベいわず着なさいよ」

 

「アキトちゃん?ちゃんとお洋服を着なきゃだめだよ〜」

 

「・・・・・・わかった。着替えてくる・・・」

 

 

クレア、そしてパティとメロディに説得されたアキトは、正装に着替えるために二階にある自室に戻っていった。

元々、ダメといわれるような気がしていたから、諦めるのはかなり早い。

 

その後ろ姿を見ていたアレフは、もうすぐでてくる面白いものを楽しみにしているような顔で口を開く。

 

 

「アキトの正装姿って、そういや見たことねぇよな」

わたくしはとっても楽しみですわ。アキト様なら、きっとお似合いでしょうし」

「でもねクレア、あいつが着るのを嫌がる服なんだよ?どんな奇抜なデザインかわかりゃしないよ?」

「エル様。いくらなんでも、そのような服であれば、アキト様も着る、着ない以前に新しく買いに行かれるのでは?」

「そりゃそうか」

 

 

皆は思い付きで色々な推測をたてる。皆の顔から、面白がっていることは確かだ。

 

―――――そして数分後。

 

きちんと正装したアキトが、階段から下りてきて皆の前に姿を現せた。

 

その姿を見た瞬間、皆は、驚きに目を見はると同時に、

アキトがなぜこの服を着るのを躊躇っていたのかを理解した……

 

この服を来たアキトは……そう、風格を漂わせているのだ。

ある種のカリスマというか。とにかく、無意識なまでに周囲の目を引く。

 

(やはり、注目されるんだよな。服は特別派手というわけじゃないのに)

 

アキトは自分の着ている服を見下ろす。

 

その服は、黒を基準としており、派手ではない程度に装飾されている。

仕立てはかなり良い…どころではなく、個人のために手間暇かけて作られているのが一目でわかる。

 

それもそうだろう。

その服は、前の世界でゼフィーリアの女王から貰った礼服であった。

アキトの手元に残された唯一の荷物であるリュックに入っていたのだ。幸か不幸か…

 

ブローディアと一緒に行方不明になっておれば、

あきらめもついて新しい礼服でも買うのだが、手元にある以上、使うしかない。

 

無駄な金を使う余裕は、アキトにはないのだから。

 

(いい加減に諦めよう。結局、この状況を最終的に選んだのは自分自身だしな)

 

 

こうなることを半ば予想しつつも、アキトは何もしなかったのだ。

確かに、自分の考えているとおり、この結果はアキトが選んだものだとも言える。

 

ただ、恩のある女王からわざわざ作って貰った服を、死蔵させるのは失礼にあたる。

と考えているあたりは、アキトらしいとと言えるかもしれない。

 

 

「本当に待たせた。さぁ、みんな行こうか」

 

 

礼服に着替えて気が引き締まったのか、いつもとは違う口調のアキト。

 

元々、アキトは着ている服と状況によって少々性格が変わる傾向がある。

例えば、戦闘服を着ている場合には、戦士としての性格・・・

普段の服を着ている場合は、普通の優しい性格・・・

エプロンなどをつけている場合は、料理に集中するコックとしての性格・・・等々。

 

性格というよりも、心構えというべきだろうか?

ともあれ、根本は同じなので、どのような場合になっても考え方は大きく違わない。

が、口調が変わることはもちろん、周囲に感じさせる気配や身に纏う雰囲気は大きく変化する。

 

無論というべきか、お約束というべきか、アキトはあまりその事を自覚してはいない。

 

 

「シーラちゃんに聞いた話だと、入り口が混む可能性がある。早く行こう」

 

 

アキトの言葉にホッと安心したクレア達。

口調や身に纏う雰囲気は少し変わったが、

シーラをちゃん付けで呼ぶアキトらしさは変わっていないことに、安堵したのだ。

 

先程までのアキトだと、まるで知らない人になってしまったような錯覚を受けていたのだ。

馴れればそうでもないのだろうが、初見ではこうなっても仕方がないだろう。

 

 

「では行きましょうか。アリサさん、着慣れていない服で歩きにくいでしょうから、エスコートします」

 

 

目が悪いアリサにとって、着慣れていない服で歩くことは、かなり苦労を伴う。

それが、よく知っているエンフィールドの街とはいえ、そうそう変わりはない。

それは理解しているのだろうが、それを見ていたクレア達一部の女性陣は、複雑そうな表情をしていた。

 

 

「私は大丈夫よ、アキト君」

「いけませんよ、アリサさん。今日の通りは馬車とかが多いんですから。万が一がないように…」

「わかったわ」

「ありがとうございます」

「ご主人様〜。僕も行きたいッス!」

「ごめんね、テディ。今回は動物の持ち込み禁止だから…」

「そんな〜!僕も、シーラさんのピアノ聴きたいッス!」

「そうはいっても…」

「ごめんなさいッス。僕、わがままッスね。ご主人様を困らせたくないから、諦めるッス…」

 

「………いや、テディも一緒に行こうか」

 

「ほ、本当ッスか!?」

「でもアキト君、本当にいいの?」

「ええ、アリサさんは気を悪くするかもしれませんけど」

「私のことは気にしなくてもいいけど、どうするつもりなの?」

「少々、強引にいくだけですよ。おっと、本当に時間がもう無いな、早く行こう」

 

 

アキトはそういうと、アリサをエスコートしながら店を出る。

後の皆もアキトに続き、会場であるリヴェティス劇場へと向かった。

 

その道中、やはりというか、アキトは目立っていた。

道行く人々、皆がアキトに注目する。

特に目を引く格好でも、超絶な美形というわけでもないのに。

まるで、舞台に主役が上がったときのように、無意識の内に目を引きつけられ、

アキトの歩いている道の端が、道の中央であるかのような錯覚に陥りそうになる。

 

もっとも、当の本人であるアキトにとっては、単純に煩わしいだけなのだが。

幸いなのは、そう時間をかけることなく、リヴェティス劇場コンサート会場まで着いたことか。

 

アキトは周囲の視線など気にすることなく、アリサをエスコートしながら会場の一般入り口へと近づいた。

皆も、アキトに続いて一般入り口へと近づく。

 

そこには、劇場の係員の女性と、自警団のノイマンと司狼、そして、アルベルトがいた。

 

 

「こんにちは」

「ああ、こんにちは、テンカワ君」

「お、おう」

「は、はい!テンカワさん!こんにちは!!」

 

 

アキトの挨拶に返事をするノイマン。司狼と係員の女性は、アキトを見てややどもりながら返事をした。

返事をしなかったアルベルトはというと……アリサのドレス姿に見惚れているようだ。

アリサの隣にいるアキトとテディは、眼中にないらしい。

 

そんなアルベルトに苦笑しながらも、アキトは受付嬢をしている係員…レニーにチケットを渡す。

 

 

「これ、チケットです。みんなの分も一緒に」

 

「は、はい!人数分、確かにあります。渡し主の名前は…シーラさんですね。はい、結構です。

御手数をお掛けしますが、そちらの自警団の方に手荷物のチェックを受けてから入場を願いいたします。

女性の方は、私が致しますのでご安心下さい」

 

 

最初はアキトを見ていたレニーも、自分の仕事を思い出したのか、すぐさま事務的な反応を返す。

そして、アキト達は反論することなく、ボディーチェックを黙って受けた。

 

 

「チェックが厳しいんですね、レニーさん」

「ええ、そうなんです。今回は、貴族の方が多くて……」

 

 

何でも屋の仕事上、リヴェティス劇場の人とも顔見知りであるアキトは、軽い笑みを浮かべながら話しかけると、

レニーも、事務的な顔と口調をやめ、地の話し方で言葉を返した。

 

 

「あっちの特別ゲートは忙しそうですけどね」

「そうね、いつもとは逆になっているわ」

 

 

アキトとレニー、そして皆は、少し離れた所にある特別ゲートの方向に目を向ける。

そこは、いかにも高貴な身分です!と言わんばかりの馬車が列を作っていたのだ。

 

今回の音楽祭を見に来た、貴族関係の人々だ。

レニーが言った通り、いつもであれば一般受付の方が混雑するのだが、

今回は貴族関係の来場が多いため、忙しさがいつもと反転しているようだ。

 

 

自警団オレ達は良かったよ、一般入り口のボディーチェックで。あっちなんか忙しくてたまらないしな」

 

 

司狼は特別ゲートでボディーチェックをおこなっている公安の連中を眺める。

貴族の連中が、ボディーチェックを受けるのなら、一地方の治安組織である自警団よりも、

国営である公安の方が良い。と言ったため、こうなっているのだ。

 

そう言われたとき、パメラ達公安の面々は、優越感に満ちあふれた顔で自警団を見ていた。

……のだが、今現在、ボディーチェックの忙しさと緊張感でそんな顔をしている余裕すらなくしていた。

 

何しろ、貴族の来場者の数が多い上、貴族相手に下手なことをすれば即、クビとなるため、

一人一人チェックするだけで、かなり神経を磨り減らしているのだ。

 

それを感じたアキトが、性格が丸くなるまで磨り減ってくれないかな……と、かなり本音混じりで呟いた。

まぁ、無理だろうな…とも、同時に思いつつ。

 

 

「とにかく、劇場ナカに入ろうか。時間もそうは残っていないだろうし」

「そうですわね、アキト様」

「どうぞお通り下さい。席はチケットに書かれてあるので、お間違えのないようにお願いします」

「わかりました」

 

 

その時、今の今まで惚けていたアルベルトが、アキトがアリサをエスコートしているのにやっと気づき、

半ば強引にアキトとアリサの間に割り込んだ。

 

 

「ア、アリサさん!不肖、わたくしめがエスコートなどを!」

「兄様、お仕事はどうなさるのですか!?」

 

「うるさい、俺にはアリサさんをエスコートするという重要な使命があるのだ!

それに比べれば、この様な任務、優先順位から言って―――――」

 

 

―――――ゴン!

 

司狼の振り上げた刀がアルベルトの脳天を強打し、気絶させる!

刀といっても抜刀しておらず、納刀したままなのだが、さすがは力ある武器、鞘でも硬さが半端ではない。

 

 

アルベルトこのバカは放っておいて。ほら、中に入った入った。開始時間はもうすぐだぞ」

「済みません、司狼様。うちの兄がご迷惑を」

「なに、良いって事よ」

 

「皆さん、早めに移動しないと、混雑するかもしれませんので」

「わかりました。行こうか、みんな」

 

 

アキト達はレニーの言葉に頷くと、劇場内へと歩き始める。

その時、レニーが慌ててアキト……の横にいるアリサを呼び止めた。

 

 

「あ、あの、アリサさん、申し訳ありませんが、会場に動物の持ち込みは…」

 

 

来るべきものがきた!と、皆はそろって思い、何か考えがあるであろうアキトに目を向けた。

アリサに抱かれているテディは、不安げな表情で、アキトとアリサ、そして受付嬢レニーを交互に見た。

そんなテディに、アキトは安心しろと言わんばかりに、頭を優しく撫でる。

 

 

「確か、動物『ペット』の持ち込みは禁止なんですよね」

「え、ええ。残念ながら…」

「でも、例外はありますよね」

「いえ、例外は…」

 

「特殊な事情、身体の一部が不自由な場合、その者を介護する動物の持ち込みは特別に許可する。

テディは、アリサさんのための介護動物です。つまり、盲導犬の代わりです」

 

「なるほど、そういう解釈をしますか。確かに、それは特別に認められています。

現に、出場者の中に該当なさる方もいます。しかし…」

 

「まぁいいじゃねぇの。盲導犬の代わりを認めても―――――って言うか、犬だろ?」

「犬じゃないッス!!」

 

 

言葉途中で司狼に遮られレニーは、続きの言葉を飲み込んだ。

介護犬は、それなりに訓練を受けた動物しか認められない。無論、テディは訓練など受けてはいない。

テディにそのようなことはあまり必要ないのだが、規則上、受けない限りは盲導動物としては認められない。

認められていない以上、テディを介護動物として、中に入れるわけにはいかない。

 

それを言うのは容易い。が、レニーも心情的にはアリサ…そしてアキトの味方なのだ。

 

 

「ハァ…わかりました。ですが、できるだけ目立たないようにお願いします」

「わかりました、レニーさん。ありがとう」

 

 

アキトは最後の感謝の言葉を笑顔で言うと、皆を連れて劇場内へと入っていった。

後に残されたのは、アキトの雰囲気と笑顔にあてられたレニーと、アキト達を見送るノイマンと司狼。

そして、実の妹からも見捨てられた、気絶したアルベルトだった……

 

 

「アキトの奴、服装が替わるだけでなんで、あんなにも雰囲気変わるのかね」

 

「人間は服を着替えると、多少は雰囲気が変わるモノだ。ただ、あそこまで変わるのは私も初めて見たがな。

おそらく、アキト君は服装などによって、気持ちなどを切り替えるようにしているのだろう。

その為、自然と雰囲気が変わってしまうのだろうな。それよりも、気がついたか?」

 

「え?ええ。アキトの着ていた服にあった『紋章』でしょう?気がつきますよ。

ただ、見た憶えはありませんけどね。ノイマン隊長は?」

 

「私もないな。私の知っている王族の紋章、その縁類の類にもあのような紋章はなかった。

少なくとも、今現在、存続している家紋でないことは確かだ」

 

 

大戦中、国の紋章によって軍隊を見分けるため、大戦経験者は大方の紋章を把握していた。

リカルド然り、ノイマン然り。憶えておかないと、どちらが味方か判らなくなるからだ。

司狼は経験していないが、過去、とある事情で世界を回っていた為、それなりに知識があったのだ。

 

その二人の知識を持ってしても、アキトの服にあった『紋章』は見覚えのないものであった。

それもそうだろう。何せ、異世界にある王家、ゼフィーリアの『家紋』なのだから。

むしろ、知っていたらアキト云々よりも、そっちの方が驚愕に値するだろう。

 

 

「アキトは一体、何者なんでしょうね?」

 

「さてな。おそらく、それを知る者は誰もおらんだろう。たぶん、アリサさんでさえ知るまい。

アキト君はいずれこの街を去るつもりだ。誰とも、必要以上に深く関わらないようにしているようだからな。

己の素性など誰にも言わず、事が終われば消えるつもりだろう」

 

「でしょうね。それは、俺も薄々気がついていました。

同時に、そう簡単に消えさせないでしょうけどね。仲間内、特に女性達が……」

 

「ははは、違いない」

「でしょう?」

 

 

安易に予想できる未来図に、ノイマンと司狼は苦笑する。

アキトの正体の推測など、この二人にとって、暇つぶしの話題でしかない。

アキトが何処の誰であろうと、信頼できる人物だと思っている故に……

 

 

 

そんな二人が暇つぶしを興じているとき…アキト達は、チケットに書かれていた席に到着していた。

さすがに、今回、期待されているシーラから貰ったチケットなのか、その席は特等席にほど近い。

他の貴族よりも、よっぽと好待遇だともいえる。

 

 

「俺の席はここだな」

「ボクはここ。結構良い位置だね」

「アタシは……丁度真ん中か」

 

 

アレフ、トリーシャ達がそれぞれ自分の席を見つけ、座ってゆく。

皆は二列に別れており、前の列にアキト一、後の皆は後ろの列という形になっている。

アキトの位置以外、シーラはランダムに渡しているため、順番などに規則性はない。本当にバラバラだ。

 

 

「なんでアキトの席だけ前なのよ!マリアもアキトと一緒に前に座りたい!」

「マリア!我が儘を言うんじゃないよ。別に一列ぐらい前に行ったって、なにもかわりゃしないよ」

「エルはそれで良いかもしれないけど、マリアは嫌なの!」

「前がいいなら、あんたは自分の席・・・・に行けばいいじゃないか」

 

 

エルはそう言いながら、審査員席の少し隣にある空席を指差した。

そこは、エルの言うとおり、今回のスポンサーであるマリアの父、モーリスの為に、会場側が設置した特別席。

だから、その娘であるマリアの席も、ちゃんと用意されている。

だが、マリアは特等席に座り、父モーリスと音楽を聴くよりも、

シーラから貰ったチケットを使い、皆と一緒にいることを自分の意志で選んだ。

 

ただ、それを聞いたモーリスが、少し拗ねているのはご愛敬というヤツか。

 

 

「いやよ。マリアはみんなと一緒にシーラのピアノを聴くんだもん」

「なら文句を言うな……(不満なのは、お前一人じゃないみたいだからな……)」

「ぶ〜☆あ!アキトの隣って空いてるじゃない!だったらマリアが座っても……」

 

 

ナイスアイデア!と言わんばかりに目を輝かせるマリア。

人の迷惑など考えちゃいない、我が儘お嬢様ぶりだ。

 

 

「駄目だよ、マリアちゃん」

 

 

マリアのあまりな言葉に、アキトは席を立ち、苦笑しながらやんわりと注意する。

そして、注意されたことにぶ〜たれようとしたマリアの頭を撫でる。

 

 

「ここの席の人は、俺の友達なんだ。だから、空けておいてくれないかな?」

「アキトの友達?一体誰?マリアの知らない人?」

「シーラちゃんの友達の恋人さ。俺も昨日会ったばかりなんだ。後で紹介すると思うよ」

 

 

それだけ言うと、アキトはホールの出入り口に向かって歩き始める。

 

 

「アキト様?もうお時間ですけど…どちらへ?」

「シーラちゃんの所にね。応援と護衛に…直前に何かある可能性もあるから」

 

 

クレア達は今朝方、アキトから直接事情を聞いていたため、それ以上何も言うことは無く、

ホールから出ていくアキトを黙って見送った。

 

アキトは廊下に出ると、シーラの控え室に向かった。

一応、一時的に護衛を士度に任せてあるため、無用な心配はしていなかった。

昨日から撃退した人間の数は百人以上。さすがに、それなりの手練れはもういないと判断したのだ。

 

無論、シーラには菱木などの強敵にあったら、闘わずに逃げろ!と言い聞かせてあった。

それでも、やはり少し心配なのか、アキトの足は普段以上に速かった。

そのおかげか、アキトは一分も経たない内に、シーラの控え室に到着した。

 

 

コンコン……

 

 

「シーラちゃん。俺、アキトだけど…開けてもいいかな?」

「ええ、どうぞ」

 

 

シーラの返事を聞いたアキトは、扉を開け、シーラの控え室へと入った。

控え室には、薄いピンク色のドレスを着たシーラとメイドのジュディがいた。

 

二人は、アキトを見た瞬間、驚いたように目を大きく開き、硬直した。

アキトの纏う、人を惹きつける雰囲気にとらわれた所為だ。

 

シーラとジュディは、アキトの正装姿はさぞかし素敵なものだろうと予想していたのだが…

その予想から来る心構えも、実際のアキトの前には、あまり意味もなかったらしい。

 

 

「俺が居ない間、何か変わったことはあった?」

「……ううん、なにもなかったわ。そんなに心配しないで」

 

 

惚けていたため、返事が遅れたシーラは、アキトに言葉を返しながら、無意味に手をバタバタさせた。

落ち着いていれば、その動作は『大丈夫だから』と解釈できるのだが、

そこまでバタバタさせると、『私焦っています』と宣伝している様なものだ。

 

自分の姿が人にどんな影響を与えるのか、ある程度知っているアキトは、

そんなシーラの態度に、苦笑ともとれる微笑を浮かべた。

 

 

「うん。それでもね、シーラちゃんに何かあったらと思うと、心配になるんだ」

「………ありがとう、アキト君」

 

 

嬉しそうに微笑むシーラ。

アキトには、その微笑みの中に、幾分か安堵のような感情が含まれていることに気がついた。

 

おそらく……

 

 

「シーラちゃん、少し緊張しているみたいだね」

「え!?そ、そんなこと無いわ。うん、絶対!」

 

 

何度も同じ様な言葉を繰り返すシーラ。

それは、アキトに答えているのではなく、自分に言い聞かせている感じが強い。

 

その時、シーラの肘が台の上に置いてあったコップに当たってしまった!

そのコップは床に落ちると、粉々に砕け散り、周囲にガラス片を散らばらせてしまう!

 

 

「た、大変!」

「お嬢様、危険ですから手を触れないで下さい、今すぐ私が掃除いたしますので」

「だ、大丈夫よ、気をつけるから―――――いたッ!」

 

 

シーラの右の人差し指先から少量の血が溢れ出る!

ガラスの破片で切ったのだろう。

傷は浅いのか、溢れるという表現は大げさで、小さな紅い珠を作り始めていた。

 

 

「お、お嬢様!!い、今すぐ手当を!包帯を巻きますので!」

 

「大丈夫よ、ジュディ。この程度なら、すぐに血は止まるわ。

それに、指に包帯なんか巻いたら、演奏の邪魔になってしまうわ」

 

「だったら俺が治療するよ。シーラちゃん、傷を見せて」

「そ、そんな!自分の所為なのに、アキト君の手を煩わせることは……」

「そんな事はどうでもいいから、早く手を出して!」

「は、はい」

 

 

滅多にない、アキトの強気な言葉に、シーラは反射的に傷を負った右手を出す。

その右手を両手で包み込んだアキトは、治癒リカバリィと軟氣功を同時に施す。

これにより、治癒リカバリィを施しても、シーラは体力を減らすことはない。

 

体力を減らさず、相手の身体を治す『復活リザレクション』が魔力許容量キャパシティの都合上使えないアキトが、

何とかならないものか……と考えた末、導き出した答えの一つがこれだった。

 

 

「はい、傷はふさがったよ。おかしな所はない?」

「ううん。もう大丈夫」

 

 

シーラは、アキトが握っていた自分の右手を抱くように、胸のあたりに持ってゆく。

軟氣功の所為なのか、その右手がほのかに暖かかい。

そのぬくもりを、少しでも長く感じていたいから……シーラは、ギュッと右手を抱いた。

 

 

「さっきは緊張していないって言ったけど…やっぱり緊張していたみたい。でも、もう大丈夫!」

「シーラちゃん……」

「心臓がドキドキしている。わかる?アキト君」

 

 

シーラはそう言うと、アキトの手をとり、自分の胸の上に当てる。

なんに気負いもない自然な動作に、アキトはなんの抵抗もできなかった。

 

アキトの手の平に、胸の柔らかさを通じ、シーラのやや早めの心臓の鼓動がしっかりと伝わってくる……

 

 

「私、さっきまで悩んでいた。ちゃんと演奏できるのかどうか…失敗しないのかって。

でも、もう大丈夫。今、心がとっても澄んでいるみたい」

 

(早く脈打つ心臓も緊張の為だけじゃない、アキト君のぬくもりを感じたから…優しさを感じたから……)

 

 

シーラは後半部分を口にすることはなかった。

今の自分では、まだ、アキトには釣り合わないと思ったからだ。

アキトと釣り合うようになるためには、強くならなくてはならない。

その強さは、ただ単純に闘う力ではない。それぞれが持つ、譲れない強さのことだ。

それが、シーラの場合は闘う力ではなく、音楽……ピアノなのだ。

 

 

(もっと上手くなろう。自分のために…そして、アキト君に認めてもらえるように)

 

 

その思いに、知らず知らずの内に力がこもったのか、シーラはアキトの手を強く胸に押し付けてしまう。

アキトは、シーラの胸の柔らかさに赤面しながら口を開く。

 

 

「あ、あの…シーラちゃん、そろそろ放してくれないかな?」

「え?あ、ご、御免なさい!」

 

 

アキトの言葉に自分が何をしているのか、それを改めて認識したのか、

シーラは顔を真っ赤にして慌ててアキトの手を放した。一抹の寂しさと共に…

 

しばらくの間…気恥ずかしさのあまり、黙りこくってしまう二人。

そんな二人の微笑ましい様子を、ジュディは暖かい眼差しで見つめていた。

 

 

「そ、そろそろ客席に行くよ。もうすぐ出番のようだし…もう、襲ってくることもないだろうしね」

「え、ええ。昨日から色々とありがとう、アキト君」

「どういたしまして。頑張ってね、シーラちゃん」

「うん。アキト君、私の演奏を楽しみにしててね」

「うんわかった。楽しみにしてるよ」

 

 

そう言うと、アキトはシーラの控え室から出た。

それとほぼ同時に、隣の控え室から一人の男性、士度がでてきた。

 

 

「よう、アキト。お前も感じたようだな」

「ええ、数はどっちも二十程度。大した手練れはいないようですね」

「ま、昨日あれだけ倒した上に、氷漬けにして川に流したんだ。いい加減、数も減るだろうさ」

「氣の探知範囲を広げましたけど、どうやら館内にいる邪魔者は、それだけですね」

「そりゃ結構だ。さっさと半殺しにして、マドカ達の出番に間に合わせないとな」

「そうですね。間に合わなかったら悔やみきれませんし。行きましょうか」

「ああ…早めに終わらせよう」

 

「俺は非常口あっちの方に行きます。士度さんは、ホールの方そちらをお願いします。

奴等を倒した後は、そのまま客席に行きましょう」

 

「わかった。一応、気をつけろよ」

「ええ、士度さんも……」

 

 

アキトと士度はそういうと、左右に分かれ、それぞれ襲撃者に向かって足を進めた。

 

先程、アキトが言ったとおり、シーラ達の控え室に行くには二通りの道しかない。

非常口からの直通の道と、一般入場口からエントランスを通り抜ける道。

故に、二手に分かれ、道を塞げば、自然とシーラ達を守れる。

 

この二人が本気になっている以上、誰一人としてシーラ達の元へ辿り着くことはないだろう。

 

 

(その2へ……)