アキトが長屋を出てから一年半、アキトの勉強は必要とする各分野の専門基礎を大体モノにする所にまで至っていた。比較的自分の時間が多く取れるようになった事が大きい。意欲を持って自分から勉強すれば学ぶスピードも自然と上昇する。それにアキトは学ぶ、自分が知らなかった事を知る、という行為が面白くなってきているためその傾向が特に顕著だった。 体の鍛錬の方はそう上手くは行っていない。格闘技、というより護身術だが、を学ぶにはそれ相応の覚悟というものが必要になってくる。あれもこれもと手を出していて、とりあえず体を鍛えればイイや、という程度の考えしかもっていないアキトがそうそう簡単に上達するはずも無かった。それでも銃器の扱い同様、IFS使用パイロットとしては必須技能ではあるので目覚しい進捗こそ無いもののそこそこまでは上手くなっていた。もちろん銃器の取り扱いも警備員に混ざって学んでいるものの目を見張るほどの技術は習得できていなかった。 一方、この半年で知り合いを多く作る事には成功している。勉強にしてもイネスだけではなくジャンプ実験で知り合った研究者―アキトの両親を知るものも多い―にも色々と教わっている。体を鍛える上でインストラクタや警備員達とも知己を得た。最初はテンカワ博士夫妻の息子、ジャンパー、ナデシコのパイロット、というような先入観や偏見、フィルターを通して見られていたが、やがてそれも消えていった。 テストパイロットの仕事の方はいよいよこれから本格化する。地球に出張してシミュレータでの実験を通しての意見の交換などを多く行い、近く試作機が完成する予定だ。これからは実機に乗って数多の試験を行う事になるだろう。機体開発技術研究においても重力波ユニットの小型化・効率化の分野において一定の成功を収めている。 ジャンプ実験のほうも大分進捗した。ジャンプフィールドの研究のほかにもジャンパーとしての資格についての研究も進んでおり、ある時期に火星のある地方で生まれたものがジャンパーである事が判明していた。どうも遺跡が火星の気候コントロールナノマシン散布機に干渉して特別なナノマシンを散布し、それが新生児の体内に入り込んで遺伝子を弄ったようだ、というのが一番有力な仮説である。地道に研究を続ければそう遠くない時期に人工ジャンパー処理が可能となると思われている。 そんな状況において、アキトは月実験施設の食堂において夕食を食べていた。普段は貧しい食生活を続けているのだが、今日は地球からの客人が居たために会食という形を取っている。 「色々と頑張っているみたいね、アキト君」 「まあそれなりにやってますよ、エリナさん」 その場に居るのはアキトとエリナとイネスの三人だった。エリナの会長秘書から月面研究施設責任者への昇進を祝ってのものである。三人は食後酒を嗜みながら会話に興じていた。アキトの行動をエリナが把握しているらしい事に多少違和感を感じるが、エリナにはそれを知る手段が山とありそうだったので無視する事にした。しばらく思い出話や共通の知人についての話を笑いを交えながらしてからエリナは本題を切り出した。 「実は二人に話があるの」 「なにかしら?」 イネスがそれに答え、アキトは聞き役に徹した。 「最近多発してる誘拐事件、聞いてるかしら?」 「ええ、ニュースで見たわ」 「そのことなんだけどね、一見何の関係も無さそうな被害者たちに実は共通する要素があるのよ」 「ナデシコクルー、のわけはないわね。とすると・・・・・・」 「ええ、ジャンパーよ。正しくはおそらくジャンパーだと思われる火星の出身者たちね」 アキトとイネスの顔が険しくなった。 「ということは誰かが非合法なジャンプ実験を行っている、ってことですか?」 「多分そうなるんでしょうね、アキト君。火星人嫌いの過激派という線も残っているけどね」 「それで?」 「艦長も含めたあなたたち三人がジャンパーであることは割と大勢が知っているのよ。それでもしかしたらあなた達にも危険が及ぶかもしれないの」 「犯人の目処は?」 「まだついてないわ」 「それじゃあどうするの?」 そのイネスの問いにエリナは僅かに間を置いて答えた。あまり気が進まないようだ。 「艦長については心配ないわ。ミスマル司令が手厚い身辺警護を行っているから。問題はあなたたちなのよ」 アキトもイネスも黙って続きを待つ。 「アキト君は現在行方不明ということになっているから、それを更に推し進めるわ。名前と過去なんかをこちらで用意するから別人に成りすましてもらいます。ドクターについては、申し訳ないけど一旦死んでもらうわ」 「・・・・・・死んだふり、ってことよね」 「ええ」 「アキト君もそれでいいかしら?」 そこでようやくエリナとイネスはアキトの異常に気が付いた。アキトは黙って座っているのだがその雰囲気が明らかに変わっていた。 「アキト君・・・?」 エリナがためらいがちに声をかけると、アキトは押し殺した声で尋ねた。 「誘拐されたのって何人くらいなんですか?」 「えっと、明らかになっているだけで100は超えてるわね」 アキトは怒っていた。自分が色々な力を手に入れている、と自惚れていたら足元を掬われた。まだまだ自分には分からないところでその運命が決められてしまっている。また居場所を奪われてしまうのか? 否。断じて否。 もうアキトは状況に流される気はなかった。今度はこちらから動いて流れを変えてみせる、そう決心した。 「エリナさん、聞いた話ではネルガルには特殊な部門があるそうですね」 「特殊な部門?」 「表向きは会長警護を主任務としているけれど、実はネルガルのために特殊作戦をしている所です」 「あなたが何を言っているのか私には分からないわ」 「隠さないでもいいですよ。確信が無ければ俺もこんなこと言い出しません」 「・・・・・・ふう、いったいどこからそんな話を仕入れたのかしら?」 「秘密です」 人は結構噂好きなものだ。アキトはその話を一緒に訓練を行っていた警備員から聞いていた。 「多分ゴートさんとかプロスさんもそこにいるんでしょう? 俺も入れてください」 「どういう意味?」 「俺もそこで働かせてください、と言ってるんです」 「ちょっとアキト君、何言ってるの?!」 そこでイネスが口をはさんだ。アキトが自ら危険な事をしようとしている、一緒に居る時間が減ってしまう、などなどその理由は様々。しかしエリナはすっと手を上げてイネスを遮ると正面からアキトの瞳を覗きこんだ。そこに浮かぶのは強い決意、そして怒りか。 「それを望む理由を聞いてもいいかしら?」 「火星人というだけで迫害されるのはもううんざりだ。それに・・・・・・もう俺の人生を他の誰かにかきまわされるのは真っ平なんですよ。俺の生き方は俺が決める。誰かがそれを邪魔するというのなら黙って見過ごす気は無い。それには技術や情報が必要で一番それが手に入りそうな手段だということです」 「きっと後悔するわよ」 「後悔なんてとっくの昔にしてますよ」 「・・・・・・そう、分かったわ。一応話は通しておきます。またこちらからそのうち連絡するから。ただ他の仕事ももちろんやってもらうわよ」 「もちろん手を抜くつもりはありません」 「ちょっとエリナ!」 「ドクター、アキト君が決めた事を邪魔する権利があなたにあるの?」 エリナにイネスが噛み付くものの、その反論に口を封じられた。アキトが頑固なのは知っていたし、特にアキトと特別な関係にあるわけでもない自分が何か言う資格をもたないことも熟知していたのだ。 しばらく後、イネスは月から地球に向かうシャトルで事故にあい、死亡した。 イネスの葬儀にはナデシコクルーの多くが参列した。天気の良い暑い夏の日の事だった。その場で話題に上るのはかつての思い出、そしてこの場に居ない人の事。 「アキトの奴、一体何やってやがるんだ!」 「ちょっとリョーコ、場所をわきまえなよ。イネスさんのお葬式なんだよ?」 怒りと苛立ちに任せて吐き捨てるリョーコをヒカルが眉を顰めて嗜めた。リョーコは統合軍で一部隊を預かる立場となり猛訓練に励んでいるがさして精神的な成長は無いようだ。ヒカルは最近人気が出てきて連載を数本抱えていた。ちなみにイズミには誰も連絡がつけられなかった。 「せっかく戦争さえも乗り切ったのに・・・・・・人の命って儚いものなんですね」 「そうね、ルリルリ」 14歳にして僅か一年弱通っただけの中学をスキップで卒業したルリは、ユリカと同じく連合宇宙軍に奉職、オペレータとして活躍している。相槌を打ったミナトは学校で教師として引き取ったユキナを扱いていた。他にも多くのクルーがこの場に集まっている。ネルガル関係者は仕事の関係で到着が遅れていた。 「もうアキトったらどうしてユリカに会いにきてくれないんだろ? 恥ずかしがり屋さんなんだから」 連合宇宙軍参謀本部でデスクワークをしているユリカの脳天気な台詞に何人かが顔を顰めた。とても本気で心配しているようには聞こえなかったからだ。彼らからすればまだリョーコの台詞の方が場違いとはいえ真実味を帯びて聞こえていた。確かにユリカはたった二人(ヤマダジロウとカザマイツキの二人、ムネタケは部下ではなかった)の犠牲で常に最前線を闘い続けクルーを連れ戻した艦長ではある。だが、その高い戦術能力や作戦立案能力とは反比例するようにあまり統率力に優れているとはいえなかった。軍隊ならば、生きて兵を連れ帰ってくれる上官は最上の上官、と崇められただろうが、生憎ナデシコは人間性のほうを重視する。常にコミュニケで戦闘中のブリッジさえ映し出していたナデシコにおいて、『アキトなら大丈夫!』というような根拠の無い(と思われる)無理な命令を押し付けられ、苦労してそれを達成しても当然として扱われていたアキトは割と同情されていた。艦長権限の乱用やあからさまな贔屓を行っていたこともプラスには働かない。戦闘以外、事務仕事などを副長のアオイジュンに押し付けていたこともある。もちろん、ユリカが理不尽な暴力を受けていたりすればクルーは一丸となって救い出そうとするだろうが、日常生活で慕われていたとは言いがたい。 「やあ、遅れてすまなかったね」 軽い台詞と共にアカツキ、エリナ、プロス、ゴートのネルガル組がようやく到着した。参列予定者が全員揃った所で、献花の代わりに故人が愛したミカンを墓前に備えた。親しい者達だけ集まった密葬であり、遺体も無いので既に立てられている石碑の前である。 「やれやれ、艦長も変わらないね」 少し離れたところで一人、自分よりも年若い故人を悼んでいたウリバタケにアカツキが咥えタバコで声をかけた。 「あん? まあ、そうだな」 多少含むところのある返事だったがアカツキは特に追及しなかった。 「アカツキ、わりぃが一本もらえるか?」 「どうぞ。ウリバタケ君がタバコを吸うとは知らなかったな」 「は、こんな時だけだ」 二人は暫く黙って煙を吐いていた。そしてウリバタケがぽつりと声をかけた。 「なあ、アカツキよ」 「なんだい?」 「おめぇ、テンカワの居場所知ってるだろ」 「僕が知るわけ無いじゃないか。なんでそんなこと言い出したんだい?」 「俺に言わせればお前が知らないわけ無いんだよ。ただでさえ数が少ないってのに親交があるジャンパーだぞ? しかも一人こうやって失った。ネルガルの会長さんとしては放り出しておくわけねぇだろ」 「はは、戦友を心配して、とかそんな理由じゃないんだね」 「お前がそんな甘ったれた奴かよ」 「ひどいな、僕は甚く傷ついたよ。」 アカツキとウリバタケは顔を見合わせると肩を震わせて笑った。 「ウリバタケ君、モノは相談なんだけどさ。ウチを手伝ってくれないかな? 優秀なドクターを失ってこっちも参ってるんだよ」 ウリバタケは首を傾げた。確かにイネスというネクシャリストを失ったのはネルガルにとって大きな痛手だろうが、何故そこで自分のヘッドハントの話になるのか。ウリバタケは機械弄り専門である。いや、今の話の流れでこの話題が出たということは・・・・・・ 「なるほど、そーゆーことか。ああ、いいぜ。暫くしたら連絡する」 「ありがたい」 俺もテンカワに久しぶりに会いたいしな、とウリバタケは心の中で呟いた。 一方、その頃アキトは地球に来ていた。偽装工作の葬式に出るなんていう理由ではない。その前にプロスやゴートと話し合いがあったのだ。ネルガル・シークレット・サービスにいきなり本式採用になるわけもなく、しばらく訓練をしてから、ということになった。そして案内された訓練施設で紹介されたインストラクタと現在睨み合い中である。 「こんなところで何やってるんだ、お前」 「ネルガルの飼い犬よ」 このご時世で未だに白い学ランという木連優人部隊の制服を着用して腰には日本刀を差し長髪をなびかせる男。月臣源一郎であった。熱血クーデター後、消息を絶っていた彼はこんなところにいた。親友であった白鳥九十九を撃った男。 「どうしたテンカワ、かかってこないのか」 「なんだと?」 「貴様は訓練するためにここに来たのだろう?」 その台詞とともに鋭い踏み込み。一瞬で一足一刀の間合いから踏み込み更に下から持ち上げるような掌打を抉るように水月に叩き込んだ。アキトは殺気に反応してなんとか腹筋に力を入れる事には成功したものの、見事に吹き飛ばされて受身も取れずに壁に叩き付けられる。横隔膜が痙攣して呼吸が出来ない。青い顔をして睨みつけるアキトを月臣は平然と見返した。 月臣はかつて親友を裏切り、その手で殺した。しかし、それは上司である草壁に命令されたからではない。彼は命令を受け、自分の意志で九十九を殺したのだ。自分の信念を持って殺した。・・・・・・そう思っていた。だが、草壁が正しいとは思えなくなった。ユキナに顔向けできないと思った。そして木連を出奔した。己の中にある大事なもの全てを失って。 月臣から見ればアキトは幸せな奴だった。物事の裏、汚い面を知らない甘ちゃんだと思っていた。だから最初アカツキにアキトの訓練をしろと命じられたとき言下に断った。だが会ってみて気が変わった。アキトの目にはあの頃に無かったどこかしら暗い光が宿っていた。だからわざと皮肉げに口元を歪めて嘲笑を作りながら声をかける。 「いつまでへたりこんでいる。強くなるのではなかったのか?」 ご意見等 |