NADESICO
-COOL-






 蛍光ピンクや黄色、青などのどぎついネオンが煌々と光る繁華街の片隅にそのバーはひっそりと立っていた。BAR花目子。放浪の旅から帰ってきたイズミの開いた店である。まばらな客を前にして薄暗い店内の小さなステージでウクレレをかき鳴らしながらくだらないギャグを歌っていたイズミは一人の男が店に入ってきたのを目に留めた。どことなく薄汚れた格好をした疲れた風な男。イズミは僅かに目を細めると手早く歌を切り上げてカウンターに入った。カウンターによりかかるようにスツールに座った男が注文する。

「メーカーズ・マーク、シングル、ストレート。チェイサーは要らない」

 イズミは無言で後ろの棚からメーカーズ・マークのビンを取り出すと目分量でショットグラスに注いで男の前に置いた。ついでに一言声をかける。

「アルコールが入ると血が固まらないわよ」

 男はぴくりと肩を震わせたのみ。煽るようにグラスを半分ほど空けると壁に貼ってある数葉の写真に顎をしゃくった。イズミのパイロット時代の写真。

「ママさん、あんた、あのナデシコに乗ってたんだろ?」
「ええ」
「すまないが、これを昔のお仲間さんに渡してくれないか」

 そう言ってカウンターの上に茶封筒を滑らした。イズミは素早く受け取ると頷いて見せた。

「トイレは向こう。向かい側に従業員用の扉があるから入って右側が裏口よ」
「悪いな、ありがとう」

 男は短く答えるとグラスの残りを一息で開け、札を一枚置いて席を立った。微かに匂う甘い血の香り。男はさりげなく脇腹を抑えながらトイレのほうに向かって歩き始めた。イズミは僅かに悲しみを乗せた眼差しでそれを見送った。











 翌日、イズミは派手な化粧を施しケバイ服装に身を包んでネルガル重工本社ビルを訪れていた。正面から入り真っ直ぐ受付嬢のもとへ向かい、開口一番こう言ってのけた。

「私はBAR花目子のオーナー。ここの社員のプロスさん、ツケが溜まってるから今日は是非とも払って貰いたいの。呼び出してもらえる?」
「は?」

 訓練された受付嬢といえども、さすがにこれには驚いたらしい。慌てて社員データベースを確認、プロスが秘書室長であることを確認して顔を引きつらせながらも事情を告げて呼び出した。

「これはこれは、イズミさん」
「どこか内密に話が出来るところはあるかしら? あなたにとっても外聞がいい話では無いでしょう?」

 そう言ってニヤリと笑ったイズミにさすがのプロスも口元が引きつった。しかしそれでも仮面のような愛想笑いを貼り付けたまま彼女を一室に案内した。

「やれやれ、勘弁してくださいよ」
「うふふふふ」
「それで今日は一体どういったご用件ですかな?」
「昨日ある客からネルガル宛の言付けを言い付かったの」
「ほほう」

 イズミはハンドバッグから茶封筒を取り出してプロスに渡した。昨日から一瞬たりとも手放していなかった。プロスは無言で受け取り一読した。そして表情を変えずに質問をする。

「ありがとうございました、イズミさん。お手数かけました。そのうち思い出話でもしに寄らせて頂きますよ」
「待ってるわ。・・・・・・彼、多分死んでるわ。出血が多すぎた」
「そうですか・・・・・・この後は何かご予定でも? よろしければお食事でもいかがでしょう?」
「店の準備があるのでこれで失礼するわ」
「そうですか、それではごきげんよう」
「ええ」

 プロスの儀礼的な誘いを断るとイズミは席を立った。ドアに向かって歩き出し、振り返らずに一言。

「何かあったら店のほうに連絡を頂戴。ヒマしてるし手伝える事もあるかもしれないわ」
「承知しました」











 プロスはイズミから渡された情報の確認作業に追われた後、報告を行った。

「これは確かなんだね?」
「はい、断片的には確認済みです」
「そうか」

 アカツキは暫く厳しい表情で虚空を睨むとやがて受話器を持ち上げた。

「もしもし、司令ですか? アカツキです。今時間大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。で、プライベートの秘匿回線へ一体どんな用件かな?」
「モノは相談ですが、B、あれをターミナルコロニー・アマテラスに寄航させられませんかねえ」
「ふむ。それは構わんが」
「ありがとうございます。それじゃ」
「ああ、達者でな」

 ネルガルはナデシコBの建造に際してかなりの資金援助を連合宇宙軍に対して行っており、多少なりともBの運行に口を挟む権利を保留していた。アカツキがその権利を行使するのはこれが初めてだった。これで連合宇宙軍も勝手に色々とかき回してくれるだろう。報告書に書かれていたのはとある通話記録。その内容には『ジャンプの機械制御実験』及び『クーデター』という言葉が含まれていた。ネルガルだけで事に当るには荷が勝ちすぎる。

「さて、と。大分後手に回っちゃったみたいだけど挽回しないとね。月に連絡して」
「はい」
「テンカワ君怒るんだろうなあ」
「怒るでしょうねえ。もちろんエリナ女史もドクターも」
「ははは・・・・・・はぁ」











「少佐殿」
「おう、ちょっと待ってくれ」

 その男は上司からかかって来ていた電話の対応をしていたが、戸口で声をかけた部下に向かってマイク部分を手で覆ってそう答えると手早く話を纏めて切った。

「待たせて悪かったな」
「いえ。準備の方ですが既に九割が完成いたしました。後は細かいタイムスケジュールの確認と機密保持が主です」
「随分予定より早かったな。ご苦労様」
「はっ、ありがたくあります!」
「うむ、ただ最後まで気を抜くなよ?」
「はっ。もう一点ご報告する事があります」
「なんだね?」
「宇宙軍の草からの報告ですが、何やら気がついたようで動きがある模様です」
「ほぉ」
「例の艦が出てくるようです」
「アレ、か」
「はい」

 ニコヤカに、そして満足そうに部下の報告を聞いていた男の顔が不愉快そうに歪んだ。報告する男の口調も唾棄するようなモノが混じっている。さながらそれとしらずに不味いものを口に入れてしまったような響きがある。

「判った。こちらのほうでも手を打っておこう」
「はっ、失礼します!」

 扉がしまった後、部屋の主は秘匿回線を開き、いずこかへと連絡を取った。

「閣下へ伝言を頼む。敵は何かに勘付いた模様、計画の前倒しの必要があるやもしれない、と」

 口早にそれだけ言うと受話器をクレードルに置いた。一直線に結んだ口元も厳しく、部屋の主は眼光鋭く沈思黙考を続けた。











「はぁ?! あれの開発は中止になったんじゃないのか? ただでさえ例の艦の突貫工事で忙しいってのによ」
「いや、そうも言ってられない事態に陥りつつあるらしい。出撃準備だけでも整えてくれまいか?」
「やれと言われりゃこっちとしては雇われてる身だし否とは言わんが・・・・・・パイロットはどうするんだ? ありゃとても人が乗りこなせるような代物じゃねえぞ?」
「それは私も答えられん。何も知らないからな。上がなんとかするんじゃないのか?」
「はぁ・・・・・・判ったよ。なるべく慣性中和には気を使っておく」
「いや、その必要は無い」
「あん?」
「上からの厳命なんだ。パイロットを気にせず性能の向上を追求をせよ、と」

 眼鏡をかけた中年男、ウリバタケは現在の上司というかなんというか、顧問兼技術アドバイザというなんとも曖昧な役職についている彼にとってそのような存在にあたる人物の台詞を聞いて眉を顰めた。

「そうは言ってもよ、全力発揮させることは不可能じゃないぜ、勿論。というかあいつに全力を発揮させたシミュレーションデータを取ったからこそお蔵入りが決定したんだからな。あいつが全力で加速したらパイロットが潰れる、全力で回避したら忽ち気絶、しかも全力を発揮させるにはオモイカネのオペレータクラスのIFS処理能力が求められる、そんな代物だぞ?」
「中間管理職をいじめないでくれよ」

 仮の上司はそう言って苦笑した。ウリバタケも彼に愚痴ったところで意味が無い事を思い出した。

「ああ、そうだな、スマン。全力発揮は可能にしておく、だけど性能を落とさないようにパイロットを保護する工夫だけは可能な限り講じるぜ。俺の作った欠陥機で人死にが出たんじゃ名折れだ」
「よろしく頼む、既にあいつは保管庫からハンガーに出してある」

 ウリバタケは軽く仮の上司に手を振ってハンガーに向かって歩きながら小さく呟いた。

「なんとなくパイロットの予想がつくんだけどな・・・・・・アイツに乗りこなせるのか?」











 扉が開くと同時に黒い長外套を羽織り古風な編み笠のようなものを被った男たちが室内に音も無く入ってきた。その数、七人。先頭の男は細身ながら鋼のようなしなやかな強さといったものを感じさせる雰囲気をもっていた。細長い顔に切れ長の目。片目は濁った血のような色をしており義眼だろう。

 室内にいた者たちは揃って白衣を着ており周囲にある多数の用途不明な機械と共にいかにも科学者といった雰囲気を醸し出している。彼らのうち数人がドアの開閉音に気が付き、振り向いて男たちを見つけた。

「何をしているんだね、君たち。ここは一般職員は立ち入り禁止・・・・・・」

 不愉快そうに彼らを追い出そうとした中年の男はそこまで口にしてその口を閉じた。先ほど入室した先頭の男がいつのまにかその研究者の目の前に現れていた。ぞぶり、という不快な音と共に何かを研究者の胎内から引き抜く。現れたと同時に胸に躊躇い無く肋骨の間を縫って心臓を切り裂くように突き立てたのであろう血塗られた短刀。飛び散る血潮。壊れた人形のように崩れ落ちる研究者。顔まで数滴跳ね飛んだ返り血を、どこかヘビを思わせる長い舌で舐め取ると男は枯れた声で短く命令を下した。

「滅」

 同時に男の部下たちは一斉に外套の下から日本刀を引き抜くと研究者たちに走り寄った。

 ほんの十分、それだけの時間でもとから室内にいた研究者たち数十人は全員床に倒れ伏していた。辺り一面、返り血を浴びた機械の群とねじくれ体の一部が欠けた死体、そして床に広がり行く血の海だった。男たちは全員息の根を絶ったことを確認すると入室時同様、音も無く去っていった。先頭の男の酷薄な笑みのみを残して。











「くぅ!」

 アキトはリミッタを切ったシミュレータの中でマウスピースを噛み切らんばかりに噛み締めた。高機動に伴う凶暴な振動と急加速、急制動に伴うGに耐えることを目的としたこの数ヶ月の訓練は突如彼に課された。彼にしてみれば非常に苛立たしい事態だった。新しく出来た家族たちと共に新たな平和な生活を営もうとしていた矢先に下されたこの命令が癇に障る。腹立たしい事に命令はアキトだけに下されたわけではなかった。一月ほどの間彼の娘となっていたラピスにもオペレーションの訓練、エリナにも戦艦クラスの戦闘機動の操舵訓練、イネスにはジャンプに関して最優先研究課題が言い渡され、全員ばらばらの生活サイクルを強制されていた。おかげで彼女たちと顔を合わすことさえままならない。
 しかもこのシミュレーション訓練の内容がまた凄まじかった。基本的に単機での対大多数戦闘を主眼目においたものなのだ。時に一機くらいの僚機もしくは戦艦が一隻ほどサポートに入るものの、そのような場合はそれだけの戦力で艦隊規模の敵の殲滅が目標とされた。自機はカスタマイズされたアルストロメリアを想定しているのだが、いくらなんでもそれは無理だろうとアキトは思っていた。彼にとっていじめとしか思えないほど山ほど敵として沸いて出てくるエステバリス、ステルンクーゲル、そして無人兵器。あまりにも敵の数が多いのでとてもジャンプをするようなヒマもない。これでは武器、機体、あるいはパイロットである自分に余程の底上げが無い限りミッション完遂は不可能だった。

―テンカワ機、爆散―

「くそっ」

 あまりにシミュレータに揺られたおかげで三半規管がおかしい。口から出る悪態も力が無い。よろよろと這うようにシミュレータから出てくると、同様の月臣が隣のシミュレータによりかかって立っていた。普段毅然とした態度を崩さない彼のその姿が、彼らが受けている訓練の過酷さを雄弁に物語っている。お互いに疲れきった顔で視線を合わせる。

「・・・・・・なあ、月臣」
「なんだ?」
「ネルガルがよっぽどヘマやって地球連合と戦争でもはじまるのか?」
「・・・・・・縁起でもないがそうかもしれんな」
「機密保持かなんか知らんが、いくらなんでもこんな訓練、理由も知らずに受けてられるか!」

 アキトには愚痴をこぼすくらいしかストレス発散の方法が残されていなかった。壁を殴るような体力が残されていないからだった。そんなへろへろの二人へと具体的な説明と命令を下すべく後ろからエリナが近づいていた。











 突然の総司令命令で半舷上陸中止、慌しい補給作業を終えると同時に出航となったナデシコBの艦橋ではルリが何事が起きたのかと探りを入れていた。寄航先に指定されたターミナルコロニー・アマテラスに何か異変でも起きたのかと思ったがそれはなかった。ネットに潜って多少調べてもみたが特筆すべき事は何もない。

「ルリちゃん、なにか判った?」
「いえ、まだです、ユリカさん」

 艦長のユリカも珍しく真面目な表情をしていた。何かしら不穏なものを感じる。長期間の訓練航海から帰還したばかりの愛娘の乗った艦を考え無しに宇宙に放り出すような父ではない、と信じての事だった。乗員たちもあの親馬鹿で有名なミスマル司令が娘の指揮する艦にこれだけ理不尽な命令を出したという事はよっぽどの事に違いないと考え、特に不満の声は聞かれなかった。極一部、ナデシコB搭載機動兵器隊長兼副長補佐のタカスギサブロウタ大尉(隊員は彼のみ)は、行きつけの飲み屋でツケを払わされそうになってるところを緊急呼び出しで脱出できたので感謝さえしていた。
 ナデシコBは現存する唯一のナデシコシリーズであり、なおかつ先の戦争で活躍したナデシコ級ネームシップ・ナデシコの名を襲名した艦であり、宇宙軍で最も有名である。試験戦艦と名乗っているのはこの艦がネルガルが標榜するワンマンオペレートバトルシップ(OOBS)構想の叩き台だからである。管理AIであるオモイカネに艦の維持管理やもしもの場合のダメージコントロールの大半を任せて徹底的な乗員の削減を行っている。最終的にはオペレータ一人によって運営される予定のOOBSの試験艦であるナデシコBのクルー達は少数精鋭、自分たちが選ばれた事に大きな誇りを抱いており、初代ナデシコ艦長ミスマルユリカの指揮を受けている事とあいまって、その士気は非常に高い。同じく初代ナデシコオペレータであるルリや木連優人部隊隊員でも高い地位にあったサブロウタが配置されている事でもわかるように上層部の期待も大きい。つまりその分重大な場面に投入される覚悟が出来ていた。

「引き続き探りを入れて」
「了解です。アマテラスまで経由するターミナルコロニーのリストはこれです」
「ありがと」

 いくらA級ジャンパーであるユリカが艦長を務めているとは言え、ナデシコBには一隻丸ごとジャンプフィールドで覆うようなシステムもなければ、そんなに大量のCCも搭載されていない。よってチューリップを流用したターミナルコロニー伝いに目的地まで行かなければならなかった。

「艦内にジャンプ態勢に入るよう通達して」
「了解しました。総員、ジャンプ態勢に入れ、繰り返す、総員、ジャンプ態勢に入れ」

 通信士の艦内放送が流れ、ナデシコBはディストーションフィールドを展開。目前まで迫った異空間へ侵入を開始する。ユリカは目を瞑り、イメージを収斂させると一言呟いた。

「ジャンプ」

 通常空間に復帰すると目の前にターミナルコロニー・アマテラスの巨大な姿が見えていた。

「アマテラスに通信、寄航を要請」
「了解」
「各員、入港準備せよ」

 ナデシコBはアマテラスに到着した。







 どうも、Keisです。今回はクライマックス前の一息アンド悪巧み編です。前回は私の不備を代理人さんにフォローして頂いてありがとうございました。これからはあまり見かけない単語がありましたらソースにでも語句説明をしておきたいと思います(といってもどれにつければいいのやら…)。
 (前回の後書きの続き)ルリがアキトに惚れてたってのも劇場版で後付けちっくに出てきた設定のような気もします。いくらなんでも16で少佐で艦長はなかろう、とも思いますし。ユリカがナデシコAの艦長ってのはまあ許せるんですがね、軍じゃないんだから(士官学校出たてで実戦経験も無い本来なら少尉風情に指揮をとらせるアカツキとプロスの正気は疑いますが、コウイチロウ、つまり宇宙軍との絡みなんでしょう)。(続きは次回の後書きで)

ご意見等





代理人の感想

う〜〜〜む。

前半は結構ほのぼのしてたんですけどねぇ(笑)。

後半は一気に陰謀の影が広がるわテンカワ家家庭崩壊の危機だわ(違)。

ラピスなんか、アキトとのリンクがなければ夜泣きして情緒不安定に陥っていたでしょう(爆)。

いやマジで。



で、やはり次回は話が大きく動きそうですね。

そして遂に「あれ」の登場・・・・もっとも、「あれ」ではない可能性も無い訳ではないのですが(笑)