『機動戦艦ナデシコ』
Another Dimension Story

「さよなら、いつかまた逢う日まで」

―第五話Aパート―




 


 午前7時59分45秒――。
 ネルガル重工の会長室の大きなデスクの上に置かれた電波時計がその時刻を示した時、部屋の主であるアカツキはあくびをした。

「・・・眠い」

 朝はきついな、と思いながら両腕を高々と挙げ、椅子に背を預けて伸びをする。それに答えるように本皮の椅子が、少し軋んだような音を立てた。
 そして、机の上に置かれている電波時計が8時ちょうどをさした時、机越しの前の空間に光の粒子が集まりだした。それは次第に人の形を取りはじめる。

「・・・相変わらず、時間には正確だねぇ」

 その幻想的な光景を見ながら、アカツキが笑顔で言う。
 彼の視線の先には二人の人間がいた。一人はどこか頼りなさそうな雰囲気の温和そうな黒髪の青年。そしてもう一人は、明るいブルーの髪を黒のリボンでポニーテールにしている女性である。

「ええ、ラビオに鍛えられましたから」

 黒髪の青年が言う。表情は苦笑で埋め尽くされていた。
 その青年の言葉に答えるように、隣に立つ女性が無表情で口を開く。

「カイトがこれまで遅刻したのは4回です。そして、私との約束でカイトが遅刻したのも4回です」

「そりゃ・・・、災難だね」

 アカツキが無表情の女性――ラビオ・パトレッタを見ながら答える。こういうときの女性に逆らってはいけないことを、彼はこれまで過ごした人生の経験から、十分過ぎるほど学んでいた。

「そう、時間に正確なカイトが私との待ち合わせだけ、遅刻するのです」

「・・・ごめんなさい」

 ”だけ”を強調するラビオの言葉にカイトは素直に謝る。

「何故、あやまるの? 別に私、謝られるような事をされた覚えはないわ」

 しかし、ここで素直に謝らなければ、そのエネルギーは指数級数的に増大して爆発することを彼は知っている。それが分かっているからこそ、公私を共にするパートナーであるカイトは常に素直なのだ。

(ラビオくんは相当、機嫌が悪いね・・・)

 無表情で前を見据え、そして冷静というより冷酷な感じの口調になり、普段は使わない敬語で話し出す。それが彼女の機嫌が悪い時の特徴だ。
 そんなラビオを見て、アカツキの脳裏に”触らぬ神に祟りなし”という言葉が浮かぶ。

「だって謝らないと・・・」

 カイトがラビオとは逆方向に俯きながら囁く。

「何か言いました?」

 この怜悧な声を聞いたアカツキは、顔を引き攣らせながら、まさに地獄耳、と思った。

「いえ、なんでもありません」

 カイトはそう言いながら、アカツキの方へと顔を向ける。そこには助けを求めるような縋る二つの瞳が、燦然と輝いている。

「は、ははは。悪いね、せっかくの休暇を・・・」

 アカツキがカイトの捨てられた子犬のような眼差しを受けながら、取り繕うような笑顔で言った。

「いえ、別に・・・」

「本当に悪いです」

 カイトの言葉を強制的に打ち切って、ラビオが上書きした。

「・・・・・」

 アカツキとカイトが同時に沈黙する。カイトは乾いた笑みを浮かべ、アカツキは先ほどまで浮かべていた笑顔が引き攣っていた。ただ、その沈黙を作り出したラビオだけがしれっとした顔で、前を見ている。
 カイトの咳払いを挟んで、5.78秒の沈黙があった。

「ま、まあ。ちゃんと臨時ボーナスも出すし、別な日に特別休暇を提供するから」

「あ、ありがとうござ・・・」

「当たり前です」

「・・・・・」

 カイトとアカツキが笑顔を引き攣らせたままで停止し、ラビオだけが先ほどと同じしれっとした表情のまま、再び、三人の間を沈黙が支配する。
 アカツキの咳払いを挟んで、10.64秒の沈黙があった。

「う、うん。じゃあ、今回の件についてなんだけど・・・」

 再起動に成功したアカツキは、同じく再起動したカイトに向けて言う。

「はい、ブルートヴァインの動向調査、ですね」

 アカツキの言葉にカイトが頷く。隣のラビオは『我、関せず』といった風体を決め込んでいたが、カイトがやるといっている以上、彼女もまたやるだろう。ラビオのカイト至上主義は有名である。

「そう。でも今のところ、全然、まったく、一ミクロンも手がかりが無いからね。本当はここにテンカワ君呼んで、君からブルートヴァインのことを説明してやって欲しかったんだが・・・」

「説明・・・、ですか。その言葉聞くと何故かイネスさんの顔が浮かびますね」

 カイトは苦笑する。

「彼女はいるよ、地下にね」

 アカツキはそう言いながら、椅子を45度ほど回転させ、肘掛に左肘をかけた。だが、顔はカイトとラビオの方へ向けられたままだ。

「確か・・・、今は『リシアンサス』の開発につきっきりでしたっけ?」

「そう、ウリバタケ・キョウカくんと一緒にね」

「彼女達も頑張ってますね。・・・ところで、そのアキトさんは? まだ寝てるんですか?」

 カイトの言葉に、アカツキは眉間に皺を寄せて渋い顔をした。

「それがね、彼、出かけちゃったんだ。まあ、勝手に出歩くなとは言ってなかったしね」

「なるほど・・・、で、何処に? もちろん場所は掴んでいるんでしょ」

 カイトが腕を組んで頷く。

「・・・墓地。奥さんの」

「大丈夫なんですか? 彼、有名人ですよ?」

「そのことなら心配は無いよ。昨日もなんだかんだ言って大丈夫だったし、それにうちのSSが警備についてるし、彼の素顔を知る者は少ないしね。・・・まあ、昨日の今日で同じところに行くってことは、彼もいろいろあるんだろう」

 そこまで言ってアカツキは笑顔を浮かべる。

「そこで、だ。カイトくん。テンカワ君を迎えに行ってきてくれないかい?」

「いいですけど。CCは?」

「CCは使わないで車で迎えにいってくれ。地下ガレージにあるのを適当に使っていいから」

「・・・ケチですね」

 カイトは座るアカツキに向けて、目を細めて小声で言う。
 その囁きが耳に入ったアカツキは大げさに肩をすくめた。

「金持ちほどケチなのさ。それに、いろいろと積もる話もあるだろう。18時くらいまでに帰ってくればいいよ」

「いってらっしゃい」

 そう言いながら、ラビオはカイトの方へと向き直った。

「ラビオくんは行く気ないのかい?」

 意外そうな表情をアカツキは浮かべた。ラビオは基本的にカイトと共に行動する、というのがネルガル社内での通説である。

「今回は、カイト一人の方がいろいろといいんじゃない? 私、テンカワさんとは『あの時』の一度しか面識ないから」

 ラビオは笑顔で言う。あの時とはイツキ・カザマとして会った事を言っているのだろう。その表情から機嫌がプラス方向への転化をはじめたようで、それは口調からでも判断できた。ちなみにその笑顔を見て、アカツキとカイトの二人がほっとしていたことはラビオには秘密だ。

「・・・そうだね」

 うん、と一人頷いてカイトが言う。

「じゃあ、私はイネスさんの所でも行ってるわ。ついでにスーパーアルストロメリアの修復作業のことも聞きたいし」

 ラビオがそう言いながら、片手をひらひらとさせながら部屋を出て行った。
 扉の奥に消えていくラビオの姿をアカツキとカイトは見送った。そして、アカツキはカイトを見据える。

「じゃあ、頼むよ。テンカワ君のお迎え」

「ええ」

 カイトは笑顔で頷いた。



◇◆◇◆◇



「お前は躊躇なく人を殺せるのか?」

 ユーゴの脳裏によぎる一人の男の言葉。士官学校の試験をパスした時に言われたものだった。

「――今のご時世・・・、あの時よりゃ、とりあえずは安定してるが、早いとこ見つけたほうがいいぞ。軍人になるんだったらな」

 その言葉を口にした男は、11年前のプラント事件に宇宙軍の一員として、鎮圧作戦に参加した元軍人だった。
 何を見つけるんだ? と問うと、男は苦笑いにも似た、どこか悲しげな表情で言った。

「戦う理由、死ぬ理由、引き金を引く覚悟。いくら優秀な戦士でも、攻撃もせず、抵抗もせず、ただ逃げ惑うだけだったら素人と一緒ってことだ」

 彼の両眼は、当時15歳だったユーゴの心を射ぬいた。



(――戦う理由、死ぬ理由、か)

 アフラ・マズダの紅く武骨な姿を眺めながら、手摺に両手を預けてため息をつく。
 ユーゴはドッグにいた。目の前には自らが所属する部隊の旗艦があり、そしてそれは現在整備中だった。ここは大きく、そして広い。唸るような機械音がBGMとして流れながらも、それは彼の思考の妨げとはならなかった。

(結局、『覚悟』が足りないんだろうな・・・)

 再びため息をつく。今朝見た夢が、印象深くかつ後を引き、彼の心のベクトルは下がる一方である。

(せっかく忘れてたのになぁ・・・)

 その問いかけを忘却することで、答えを出すことを、彼は無意識の内に考えないようにしていた。
 自分が、本格的にパイロットを志すきっかけを与えた『彼』の言葉。だからこそ、それはユーゴの心の中に深く刻み込まれている。

(やっぱり、原因は一昨日のことかなぁ・・・)

 ユーゴは昨日、艦内で起こったことを思い出した。ミズキがテンカワ・アキトに殴りかかったことである。

(あのミズキ大尉があそこまでキれるとはなぁ・・・)

 自分はあそこまで人を憎んだ事はない、とユーゴは思った。そして、あんなに強い感情――憎悪以外のも含めても抱いた事ことはないだろう。
 ユーゴにとってトーア・ミズキとは、軍人としては沈着冷静、私人としては優しく、そして士官学校の先輩としては頼りになる人だった。
 そのミズキがあそこまで負の感情を表に出して、あげくは手を出したのだ。

(反テンカワ・アキト派だったってことだよなぁ・・・)

 自分も子供の頃は、『悲劇のヒーロー』のテンカワ・アキトに憧れていたなんてことを言ったら、どうなるのだろう。
 やはり、ミズキに嫌われるのだろうか? ・・・想像したくない光景ではある。

(なんか、俺、こんな考え込む奴だったけ・・・?)

 垣間見たミズキの憎悪。
 かつての自分が持っていた、テンカワ・アキトへの憧憬。
 そして、『彼』の言葉。
 すべてが入り混じり、彼の中が『混沌』という名の迷いで満たされる。
 迷いは”死”を近づけ、”生”を遠ざける。

「ユーゴクン、ドウしたの? ムズカしいカオしちゃって?」

 そんな時、背後から声をかけられ、ユーゴは振り向いた。そこには笑顔を浮かべたティタニアが立っていた。
 ティタニアはユーゴと同じいつもの軍服だったが、普段ならお団子状にしてまとめている小麦色の髪を、そのまま肩口まで垂らしている。それは、すらりという表現がピッタリであるように思えた。

「なんだ・・・、ティタニアか」

 興味なさげにそう呟くとユーゴは、再び手摺へと両手をかけて、ティタニアに背を向けた。
 ティタニアはその動作に少しムッとしたような顔をすると、ユーゴの隣へと歩み寄る。そして、180度回転して彼の横の手摺に背を預け、寄りかかった。

「ゲンキないですね。・・・ドウかしまシタか?」

 ティタニアはユーゴの方へ顔を向けて、問う。
 ユーゴは今日、三度目のため息をついてティタニアの方へ向き直った。

「前から言おうとは思ってたんだけどさ・・・」

「ハイ」

「う〜ん、やっぱいいや」

 ユーゴは少し考え込んで、やはり『それ』を言うことをやめた。
 まさか、そう来るとは思わなかったのか、ティタニアがガクッと崩れる。

「どうしたの?」

「イエ、ナンでも」

 どこか疲れたようにため息をつくティタニアを見ながら、ユーゴは思う。

(ま、確かに美人ではあるな・・・)

 透き通るような小麦色の髪。彫りが深い顔立ち。そして優しそうな瞳。可愛い、というより綺麗という表現が正しい。

(これで、成績トップクラス保持していたんだから・・・。正に、『天は二物を与えた』って感じだよなぁ)

 地球一の士官学校ということで、有名な『シュタルケンブルク士官学校』でユーゴとティタニアは同期で、同い年で、同じ学科だった。といっても、最低点数獲得で入学と、最高点数獲得で入学という、正に天と地にも近い差があったが。ちなみに前者がユーゴ、後者がティタニアである。
 そんなユーゴがティタニアに唯一勝った教科が、『機動兵器の仮想戦闘シミュレーション』と『実機使用による戦闘シミュレーション』である(実機によるものは、毎年重症患者が必ず出るといわれる程、厳しいものである)。ユーゴはそれでトップをとった(ちなみにティタニアは三位)。
 その成績が評価されたのか、ユーゴは自ら希望した、地球一と名高いノエシマ・カズマ少佐や、『千里眼(ヘルゼーアー)』という字を持つオキタ・ジュウゾウ大佐が隊長を務める、ゾロアスターに配属されたのであるが。

(しかし、ティタニアが同じところに配属されるとは・・・)

 てっきりユーゴは、ティタニアは自分とは違う部隊に配属されると思っていた。その理由としては、学生時代から自分は彼女に避けられている、と思っていたことにある。
 士官学校時代は、まったくといっていいほど接点も無く、唯一、漸近したのが戦闘シミュレーションくらいだろうか。それもトーナメント試合方式の講義で、戦い前の挨拶程度の会話を交わしたきりである。それを思えば、今のように会話をしているなどということは、あの時の自分には想像もつかないことだろう。
 ユーゴがそんな考え事に捕らわれていた時、隣のティタニアがゆっくりと口を開いた。

「アノ・・・ユーゴクン? ヒマなら訓練しません?」

「訓練って・・・、バーチャ・マニューバ?」

 バーチャ・マニューバとは機動兵器戦闘仮想シミュレータのことで、原型はナデシコにあった『バーチャ・エステ』というネルガルが開発した訓練機を兼ねたゲーム機である。バーチャ・マニューバがバーチャ・エステと違うのは、選べる機体がエステバリスシリーズのみでなく、その他の機体も使用できることぐらいだろうか。すでに戦闘シミュレータとしての本質的な制御システムは完成しているために、かつての原型からシミュレーション部分にはこれといって変更となってはいないのだ。

「ええ」

 ティタニアは微笑んで頷く。
 ユーゴは視線を軽く上へと向けながら考えて、再び視線をティタニアへと向けた。

「でも・・・、まだYIMAシリーズのデータは入力されてないぞ?」

 トライアルにかけられている機体は、正式採用機とされるか、またはよほどの理由がない限りバーチャ・マニューバへデータを入力されることはない。

「アドバンスドの方でもイイじゃないデスカ?」

 ティタニアの言葉にそれもそうだな、と思う。基本的にユーゴは学生時代からシミュレーションなどの実際に身体を動かすなどの方が好きだった。というよりも、士官学校時代から黒板を見ながら戦術・戦略理論などを聞かされるより、それを実際に行うほうが楽だったし、なによりも面白いのだ。ただお前は、頭を使うのが嫌いなだけだ言われた事もあるが・・・。

「じゃあ、行くか」

 ユーゴは寄り掛かっていた手摺から背を離し、歩き出す。その背後をティタニアは笑顔で追った。


◇◆◇◆◇


 緩やかな振動音がラビオが佇む小部屋に鳴り響く。微かに上に引っ張られるような加速度を感じることが、この小部屋が下へと向かうエレベータであることを意味していた。
 ネルガル本社の地下は、ネルガル保安警備局第三課――通称ネルガルシークレットサービス(N.S.S.)の詰所と研究施設となっている。といっても、地下のフロアの大半が研究施設となっておりN.S.S.の方は全体の三分の一にすら満たない程度である。
 エレベータの右端に設置されている階数表示パネルは、もうじき目的地であるB2フロアに到着する事を示していた。
 数秒後、階数表示パネルが『B2』と変化し、振動音がした後、到着を報せるベルの音と同時にエレベータのスチール製の頑丈なドアが左右に開かれた。
 エレベータからラビオは降りる。扉が閉まる音を背後に聞きながら、グレイでコーティングされた通路をラビオは歩き出した。目的地は格納庫である。

(どことなく、寂しいな)

 歩きながらラビオはそんなことを思う。やはり、隣にカイトがいないと私は自分を保つ事すら危ういのだろうか、とさえ自嘲したくなるほどだ。先ほどだって実際には着いて行きたかったのだ。でも、カイトのジャマをしては悪いし、この姿――つまりラビオ・パトレッタとなってからはテンカワ・アキトには会ったことがないのだ。多少は我慢するべきだろう。
 そんなことを考えつつ、数人の同僚達とすれ違いながら、ラビオは目的地である格納庫へと向かっていく。格納庫には、先のブルートヴァイン潜入任務で壊れたスーパーアルストロメリアが修復を行われているはずである。
 何度か曲がり、いくつかの扉を越えて、ラビオは大きな開閉式のシャッターの前に辿り着いた。大体9〜10メートルはあるだろうか、その横には人専用の扉が備え付けられている。その扉の元へと向かい、中に入る。
 格納庫内は多くの照明器具で明るさに満ちていたが、同時にひんやりとした空気も満ちていた。シークレットサービスが使用する、多くのスーパーアルストロメリアがハンガーに固定されている。その両脇のハンガーに挟まれた中央に位置する通路をラビオは歩く。足音が妙に響いた。
 奥の方に、ラビオのエメラルドグリーンのスーパーアルストロメリアと、カイトの藍色のスーパーアルストロメリアが並べて固定されていた。遠くから見てもその様子は分かった。ラビオ機の方はあまり大したこと被害は無いが、カイト機の方は右腕が付け根から損失していて、顔の部分のセンサー系統の大半が壊れている。機体こそ大破したが、ブルートヴァインを二人同時に相手にして撃退したのだから、命があっただけめっけもんというべきだろう。
 ふと、視線を機体から下へ向けると、そこに二人の女性が立っているのを見つけた。彼らは顔を向け合い、時折、カイト機の方を見上げながら話をしているようだった。

「イネスさん、キョウカちゃん」

 ラビオは声を掛けて歩み寄った。その声に反応して、二人は振り向く。

「ラビオ、お久しぶり・・・」

 背中の中程まで届く金髪の髪を、黒いゴムでまとめている白衣の女性――イネス・フレサンジュが口元を緩やかに曲げて微笑んだ。多少皺があるものの、内から滲み出るオーラらしきものが実年齢より10歳以下の年齢に見せている。
 その隣にいる、四角いメガネを掛けて、ネルガル所属の技術者に支給される青い色の制服を着た女性が、にこりと表情を変化させて喋りだした。

「ラビオさん、日本に戻っていたんですね。でもまだ、機体の修理は完了していないんですよ。いろんな仕事が増えましてね。昨日送られてきたブラックサレナタイプ2の解体作業してたら何時の間にか朝になってるし・・・。それにですよ。この過密スケジュールでゾロアスターに出向するんですよ、私。なんかやっと完成にこぎつけたクレソンフレームのテストで。しかもですよ、そのテストパイロットがテンカワ・アキトなんですよ! 父さんが言ってたあのテンカワ・アキト! あの『悲劇のヒーロー』ですよ! いや〜、こんなに私だけ仕事が山盛りになるなんて、イネスさんはもう年だからってことですかね? やっぱり、肌の艶を化粧で誤魔化しているだけありますよねッ!」

 ここで、ひとまずその女性は笑顔で、ラビオに同意を求めるように言葉を切った。ふぅ、と息継ぎをしているようだ。もちろん、ラビオは同意するつもりなどない。怪我はしたくないからだ。
 イネスはこめかみに十字の血管の筋を浮かせながら、その女性を笑顔で睨みつけ、じわじわと背後から近づいていく。
 そんなことは露ほどにも気づかずに、再び、さきほどの女性が口を開いた。

「ネルガル社内で一番、厚化粧な女! ミス・へヴィ・メイクキャップ・オブ・フェイス! っつ――ぅ感じですかぁ? いや、やっぱり人って年とればとるほど若いってことに執着するもんなんですかね? いやはや、でもラビオさんなんかはネルガル社内で一番面の皮が厚い女っていわれてますけどね! 結婚しているから、ミセス・シック・スキン・オブ・フェイス! ですね。やっぱり実年齢と容姿年齢が激しく違う人は皮も厚いんですねっ!! 二人の平均年齢40代後半なのに、まだまだ若い容姿してるんですもん。すっごい若作りの技術ですよねっ! 私、感心しちゃいますよ・・・ってあれ? 何で二人ともそんな目を吊り上げて睨むんですか? なんか怖いんですけど。・・・ってなんで近づいてくるんですか? ちょ、ちょっとイネスさん、その右手に持った緑色の液体が入った注射器は何ですか!? ラビオさんも睨みつけてないで止めてくださいよ! イネスさんのそれはシャレにならないんですから・・・って、イネスさんマジでやめてくださいって!! ちょっとそれ以上近寄らないで・・・ってラビオさん! 何で私を羽交い締めにするんですか!? はっ! イネスさんその微笑みは何ですか! その『ああ、私、今幸福に浸っている』っていう笑みは!? ・・・やめてよしてやめてよしてやめてよしてやめてよしてやめてよしてやめてよして・・・、ヒーッ! ぎにゃあああっ!!」

 その女性――ウリバタケ・キョウカの悲鳴が格納庫内に響いた。
 ――10分後。
 どうにか、意識を現世に取り戻したが、未だに両手両膝をついてへたり込んでいるキョウカを、ラビオとイネスは見下ろしていた。

「気持ち悪い・・・」

 青ざめた顔のキョウカが呟く。

「まあ、自業自得ね」

「そうね」

 ラビオとイネスは頷きあう。

「私は本当のことを言っただけじゃないですか! 何で・・・」

「もう一本いっとく?」

 顔を上げて半ば涙目のキョウカが叫ぶが、笑顔で白衣のポケットに右手を突っ込み微笑むイネスを見て、凍りついた。
 その光景を見ながら、深いため息をラビオはつく。
 ウリバタケ・キョウカは、かつてのナデシコクルーの中でも特に変わっていたウリバタケ・セイヤの娘である。父親と同じタイプのメガネを掛けて、セミロング程の長さの黒髪を邪魔にならないように黄色いゴムで後ろにまとめている。とはいえ、顔立ちは母親のオリエさんにそっくりで、誰もが美人と言うだろう。

「つ、つ、つ、つ、つつ、謹んで遠慮いたします」

 ハイスピードで立ち上がり、軽く震えながら恐怖の顔を浮かべてキョウカは言った。両手を振る動作付きである。

「そう、残念ね・・・」

 心底残念そうな口調で、何故か俯き加減に微笑んでいるイネスがぼそりと呟く。その笑顔を見て、何故か背筋が凍るような寒気に陥るのは、決してラビオだけではないだろう。

「・・・それにしても、あなた一人? カイト君は一緒じゃないの?」

 その寒気を感じさせたイネスが振り返り、小首を傾げながら、ラビオに聞いた。

「ええ。今、テンカワさんのお迎えに行ってます。二人の方が良いかなと思って、私は遠慮しました」

 苦笑してラビオは答えた。

「無理しちゃって・・・」

「ええ、無理してます」

 イネスの笑顔で放たれた言葉に、ラビオも笑みで返す。

「・・・それにしても、私達の機体の修理はまだなの?」

 イネスから横に立つキョウカに顔を向けて、ラビオは腕を組んで尋ねた。

「ええ、まだですけど。・・・でも、修理自体は簡単なんです。だってスーパーアルストロメリアの換えパーツはたくさんありますから。こういう時、ワンオフタイプの機体じゃなくて良かった〜! って思いますよね、うんうん。エヘッ、そう思って修理作業のチームも全部、リシアンサスとクレソンフレームの方の作業に回しちゃいました」

 相変わらずだとラビオは思いながら、笑顔で口を動かしっぱなしのキョウカを見つめる。

「で、まだ修理に取り掛かってないから、このザマなのね・・・」

 そう言いながらラビオは上を向いて、壊れた藍色のカイト機を見上げる。

「別にいいじゃないの。量産機とあなた達の専用機も大した違いは無いんだし。やろうと思えば、量産機へのあなた達の戦闘データの移植は数時間もあれば終わるわよ?」

「イネスさんまで・・・」

 楽しそうに笑いながら言うイネスに、ラビオは振り返った。

「しかたないのよ。リシアンサスはもう少しで完成、後は新型エンジンの実戦テストのみ、ってところまでこぎつけて・・・」

「そのエンジンテスト用機体がクレソンフレームですか」

「その通り。ところが、そこまで来てアキト君の帰還。それに伴う、かつてのサレナ開発計画の幻のテストタイプとも言えるブラックサレナタイプ2の発見及び回収、そしてその解析。正に悲鳴をあげたいほどの忙しさよ」

「悲鳴は悲鳴でも、嬉しい悲鳴って奴ですか?」

 矛盾した言葉だよな、などと思いつつ、ラビオは笑いながら肩をすくめるポーズをした。

「分かってるじゃない。アキト君が帰ってきたのよ? これがはしゃがずにいられますか」

 イネスは小踊りを披露せんばかりに、身体を動かしながらラビオに向けて微笑む。そのはしゃぎ様は50代の女性とは思えなかった。

「私もサレナ開発計画には興味ありましたからね。正直、もったいないなぁと思いますもん。タイプ3まで開発されたけど、結局、アドバンスド・エステバリスに取って代わられた悲しきプロジェクト。・・・あ〜あ、これを機に復活しないかなぁ? 復活したら設計データと実物があるタイプ3を原型に今度は一から作るんだけどなぁ〜、あ〜作りたいなぁ〜」

 キョウカは喜怒哀楽を外面に思い切り露出しながら言う。

「今さら15年前に凍結になってるプロジェクトが復活するわけないでしょう? まあ、ブラックサレナ自体は有名ではあるけどね・・・」

 イネスはそんなキョウカの多彩に変化する表情に笑いながら言う。
 かつて幽霊ロボットなどと呼ばれていたブラックサレナは、今となってはプラモデルとなって売られているほど有名な機動兵器だ。『The prince of darkness』という小説の中で、テンカワ・アキトが駆る機動兵器の名称だからである。しかし、さきに発見されたタイプ2はそうではなく、ブラックサレナという名称を受け継いでいるがまったくの別物である。まず、開発チームからして異なっており、ブラックサレナが、北辰とその部下との戦闘を目的として開発された物に対して、タイプ2の方はそのブラックサレナのデータを元に、小型相転移エンジン開発チームが会社に『内緒』で、”外部装甲に相転移エンジンを組み込む”という開発コンセプトで製作したものなのである。それゆえに、戦闘能力も低く、形状も似てはいない。加え、存在自体が、その開発チームの独断で製作されたものだった為に、極秘扱いとされ、人々の記憶はあっても、その開発データ自体は残っていなかったのだ。そんなことがあり、ブラックサレナタイプ2は、『内緒』が『サレナ開発計画』と名称を変え、公なものになった時に、その新たに組織された計画担当チームから”幻のテストタイプ”と呼ばれるようになったのだ。

「やっぱりシビレますよねェ。あのずんぐりな形、あの宇宙に溶け込みそうな黒色の艶、うっとりしちゃいますよ。・・・私、パーフェクト・グレードのブラックサレナと、同じくパーフェクト・グレードの夜天光持ってますもん。杖を構える紅い夜天光もいいけど、やっぱり闇に染まったブラックサレナでしょうッ!」

 握り締めた右拳を振り上げて力説するキョウカだ。美女というカテゴリーにはめても誰も否定しないほどの母親譲りの容姿を持つが、それ以外(特に趣味など)は、父親のものを多く受け継いでいた。

「ブラックサレナ、ねぇ・・・」

 ラビオには特にジオラマが好きなわけではないので、キョウカが熱狂振りを発揮して、その良さとやらをアピールしても、共感などはできない。

「まあ、今となっては骨董品ものね・・・」

 それはイネスにとっても同じようだ。

「分かってないですね・・・」

 キョウカは舌打ちをしながら、立てた右ひとさし指をその音に合わせてメトロノームのように揺らす。

「あの良さを分からないなんて、まったく年を召したお方には困ります! ・・・ふぅ、若い人に聞いてみてくださいよ、絶っ対! ブラックサレナを一番カッコ良いと思う機動兵器に挙げますから! それにしても、サレナ開発計画に関わっていたお二方がそんな興味無さげにするなんて、私は悲しいですよ! ・・・って、なんでまた私を睨んでいるんですか! 別に私、何も言ってませんよ・・・。はっ! まさか、お年を召した方っていう言葉を気にしているんですか? あれは単なるジョークですよ、ジョーク。そんな言葉をいちいち気にしていたら、脳溢血とかで病院に運ばれちゃいますよ、もう結構な年なんだから・・・って、なんでまだ睨んでいるんですか」

「もう、キョウカったら・・・。もう少し考えて喋らないと――」

「――明るい将来が暗い影で覆われるわよ?」

 微笑むイネスの言葉に、同じように微笑むラビオが続く。
 そして、本日二度目の、ウリバタケ・キョウカの悲鳴が冷たい格納庫に響いた。

「あらあら、白目剥いちゃって・・・」

「泡も吹いてますよ、イネスさん」

◇◆◇◆◇



 テンカワ・アキトは再び、墓地に来ていた。
 墓石と墓標が立ち並び、その合間を縫うように風が吹き、木の枝を揺らす。

(未練、か)

 『御統』と書かれた墓石の前に彼は立っている。彼の脳裏に亡き妻のイメージが思い浮かんでいた。
 所詮は、自分の生み出した幻想に過ぎない。しかし、それでも慕情は募る。
 彼女の為に力を得た。
 彼女をこの手に戻す為に人を殺した。
 彼女に自分を見せたくなかったから、逃げ出した。

(そのむくいが、これ、か)

 家族であった二人の少女を巻き込み。

 ――ホシノ・ルリとラピス・ラズリ。

 そして、愛する妻が死んだ時は『この世界』にすらいなかった。

 ――ユリカ。

 自分の中の『闇色』が耳元で囁く。

<そうさ、俺たちに生きていく資格なんてない>

 でも、護らなくては。あの少女を、ユリカと自分の娘を。

<そんなこと言って・・・。結局、怖いんじゃないのか、死ぬ事が>

 死ぬ事は怖くない。セレネを護る為なら、死んでもかまわない。

<人は死ぬ事が怖いんじゃない、それに到る生にこそ恐怖する。死んでしまえば、残るのは『無』だからな>

 俺は決めたんだ。彼女を護る、と。

<誤魔化しているな。それが、今のお前の『この世界での存在理由』か>

 そうだ。俺は、彼女を護る為こそに、今、ここにいる。

<その決意が揺るがない事を祈るよ・・・>

 囀るような嘲笑。
 その声を脳裏に響かせながら、アキトは俯いていた顔を上げた。前の墓石を見据える。

(今度は、奪われない。今度は、護りきる)

 アキトは決意を固める。
 そんな彼を遠くで、一人の男が見つめていた。



◇◆◇◆◇

 ――連合宇宙軍極東方面司令部。
 その一室で、オキタは柔らかいソファに腰をかけつつ、前のめりになるように両肘を腿へと預ける姿勢で、目の前の男――連合宇宙軍総司令官でありオキタの実質的な上司でもある――ウィンチェスター・キャシドラルの話を聞いていた。
 窓際に置かれた観葉植物の間を通り過ぎる太陽の光が、幾筋のラインとなって床へと降り注いでいる。日は高く、まだ昼を多少過ぎた程度の時刻だった。

「テンカワ・アキトが発見されるとはな、驚きだよ・・・」

 言葉とは裏腹に、ウィンチェスターの表情は能面のように動きが無い。驚きを表す両手を上げるジェスチャーをしているが、顔の動きが伴わない為に、まるで操り人形のようである。

「そうですね」

 軽く頷いてオキタは答えた。そしてウィンチェスターの顔をみる。ウィンチェスターはロマンスグレーの髪と厳格そうな顔と鋭い双眸を持つ壮年の男である。そして常に、その睨みつけるような表情(彼自身は、睨んでいる、というつもりはない)が変化しない為、宇宙軍内部でも畏怖を抱かれている。とはいえ、オキタにとっては尊敬と信頼に値する人物の一人だった。

「テンカワ・アキトがネルガルのテストパイロットとして、君のところ(ゾロアスター)に出向するということはもう知っているだろう?」

「ええ、昨日聞きました。・・・なんとなく予想はついていましたけどね」

 オキタは軽く笑みを浮かべながら答えた。テンカワ・アキト、数少ないA級ジャンパーであり、優秀なパイロットでもある。建前の目的は新型機のテストパイロットでも、本当の目的は妖精(セレネ)の護衛だろう。

「こちらにも昨日連絡が来たよ。会長直々に、な」

 ウィンチェスターがそこまで言って笑った。とはいえ、彼をよく知らない人間であれば、今の彼の表情は『無表情』と言うだろう。そこまで微弱な、分かる人にしか分からないようなものだった。

「まあ、その話は後にするとしてだ。・・・本題に入ろう、ゲイボルグについてだ」

 ウィンチェスターから放たれた『ゲイボルグ』という単語を耳にして、オキタの体内を激しい奔流が巡る。その流れは如実に彼の瞳の表れて、その眼光が鋭さを増した。

「・・・残っているんですか? あいつらが・・・」

 俯き加減のオキタから放たれた声は低いものだった。

「まだ分からん。・・・ゲイボルグの残党かも知れんし、その名を騙る別の新たなモノかもしれん。とにかくだ、オーシャニックとリュンカーシティに対する破壊予告――テロといってもいいかもしれんが、(うち)の情報部に入った」

「・・・ゲイボルグの名で、ですか?」

「名は名乗っていない。ただ、11年前の復讐の狼煙がオーシャニックとリュンカーシティで起こるだろう、といった内容のものだ」

「愉快犯による悪質ないたずら、などの線は?」

「もちろんその可能性もある、・・・だが、この件に関して調査していた関係者が七人ほど行方不明になっている」

「行方不明?」

「・・・今はそうとしか言えん。ただ、調査中に連絡が途切れ、所在は、今もなお掴めず・・・」

 ウィンチェスターの言葉を聞いて、オキタは口元に左手をあてて視線をあさっての方向へとずらした。この仕草は彼が頭の中で思考をめぐらしている時によくやる癖でもあった。

「・・・調査を行っているのはどこですか?」

 視線をウィンチェスターへと向け直して、オキタが問う。左手がまだ口元へと当てられたままであるため、まだ彼の頭脳は思考を巡らしている最中のようだ。

猟師(トラッカー)だ」

「・・・猟師(トラッカー)の人員が七名も行方不明になっているんですか?」

 『猟師(トラッカー)』(あるいは『追跡者(トレーサー)』とも呼ばれる)とは連合軍総合情報管理局所属第三実行部隊の通称で、軍にとって利となりうる、もしくは利となる情報を入手することを目的とする部隊である。任務の重要性から、多くの優秀な人物を登用していることでも密かに有名であった。

「・・・事実だ。だが、トラッカーがやられてしまうほどの相手ならば、数は限られてくる」

 ウィンチェスターの無表情から放たれる、無感情の何の起伏もない言葉にオキタは、すぐに答えに思い至った。

「・・・ブルートヴァイン、ですね」

「・・・相手がフルヒトならば、トラッカーがやられてしまってもおかしくはない」

「しかし、ブルートヴァインが・・・」

 オキタは釈然としない。11年前の戦闘では、連合軍対ゲイボルグという構図ではなく、そこにブルートヴァインが加わり、まさに三つ巴といった構図になっていたのだ。だが、その時のブルートヴァインの動きは、連合軍は相手にせず、ターゲットはゲイボルグとなっていた。それも連合軍が勝利した一因だろう、とオキタは思っている。

「・・・11年前のゲイボルグとは違うのかもしれんな」

 ウィンチェスターが呟く。その視線は変わらず一定方向へと注がれていた。

「・・・ウィットネスに娘がいた、という話を聞いた事がある」

 そう呟くように言って、ウィンチェスターは視線をオキタへと向ける。

「ええ、それは私も知っています。・・・11年前の戦いで死亡したと聞いてましたが?」

 視線を受けたオキタは頷きながら言った。

「だが、証拠がない」

「ええ、生きているという確証も、死んでいるという確証も、ですね」

「そうだ。だがもし生きていて彼女がゲイボルグの再興を行うとしたら・・・」

「拙いですね、彼女――ウィットネスの娘、という影響力は計り知れないものがあります」

「ああ、宇宙海賊でいまだに奴を信望している者も多い。11年前と同じことが繰り返されるかもしれん」

「プラント奪取、ですか・・・」

「そう簡単にはいかんだろう。プラントは統合軍が二個艦隊で防衛についている。・・・それに、ニヌルタはすでに破棄されたはずだ」

「ニヌルタ――統合軍が極秘で開発していた兵器。そう簡単に破棄するとは思えませんが」

「そこまで統合軍も愚かではあるまい。あの兵器を残しておいたら世論が黙っておらんよ」

「・・・確かに。あの兵器を使われでもしたら、それはもう戦闘ではないですからね。本来は太陽系防衛兵器として、かつてのナナフシを作り変えたもの」

「プラントに残っていた同型も含めてな。・・・・・開発データは残っているだろうが、こちらの網には引っかかってはいない」

「軍内部での網掛けですか」

 オキタは苦笑いを浮かべながら言う。

「14年前の戦いで、統合軍の風通しもマシになったかと思えば、11年前のこともある。トップが挿げ代わったとはいえ、すべてが一掃されたわけではい。統合軍から眼を離すわけにもいくまい」

「内と外。・・・監視の対象は己以外、ですか」

「だからこそ、外はお前達――独立任務部隊にまかせている」

「ええ、それこそが独立任務部隊が結成されたわけでもありますからね」

 オキタはそう呟くと、過去の記憶を反芻した。
 独立任務部隊が正式に結成されたのは9年前である。11年前のプラント事件を教訓に、当時プラント事件を解決してみせ『千里眼(ヘルゼーアー)』とも呼ばれるようになったオキタが、連合宇宙軍最高議会に提出した草案を元に結成されたのものである。  そして、その結成のきっかけとなった問題とは、プラント事件においての宇宙・統合、両軍の展開の遅さであった。
 その第一の原因として、プラント奪取の情報を統合軍が意図的(失態を隠すため)に宇宙軍に隠蔽していたこと(当時プラントの管理は統合軍であった。これは現在もそのままである)が挙げられる。当時、唯一、独自の判断で動く権限を有していた、極東方面軍に属するナデシコ部隊(テンカワ・ユリカが指揮官を務め、ナデシコシリーズを始めとしたネルガル製品で構成された実験的な部隊)だけが唯一動けたという話もあるが、これも統合軍の隠蔽のため一歩遅れた、というのが通説である。
 そして、第二の原因として(これが最も両軍展開の遅延に影響を及ぼしたと目されている)、両軍上層部のいがみ合いであっただろう。統合軍としては『プラントは我々の管轄であるから、プラント奪回は我々が行うのが筋である』と一向に譲らなかったし、宇宙軍としては『プラントを奪取されるという失態を犯しておきながら、その事実を我々に隠蔽するという卑怯極まりない統合軍などに、プラント奪回を任せることは出来ない』と統合軍による奪回作戦を反対していた。このいがみ合いによって生まれた時間によって、ゲイボルグはプラントを完全に制圧した。
 その遅さこそが初動部隊(宇宙軍・統合軍の混合部隊)において、最大の戦闘損害比率(約40パーセント)を生み出す結果になった。ゲイボルグは統合軍が極秘に開発していた兵器――多連装型重力波レールガン、コードネーム『ニヌルタ』(別名ナナフシ改)を完全に支配下においていたのである。その一撃で初動艦隊は壊滅状態に陥り、軍は敗走した。
 結局、オキタ・ジュウゾウが立てた作戦で事件は解決したが、彼はその戦闘で一人の敬愛した女性と、一人の親友を失ったのだった。

(所詮、軍を勝利に導けても、大事な人たちは守れなかった・・・、何が英雄だ)

 英雄。『人を一人殺せば犯罪者だが、百人殺せば英雄』とは誰の言葉だっただろうか。ならば、百人の命を救えても、たった一人の大事な人の命は救えない。それも英雄というのか?
 オキタは悔恨する。人はすべてを救うことはできない。そんなことをできるのは、神ぐらいなものだろう。しかし、手近な人は救うことができる。――そう、信じていた。

(だが、俺にはできなかった。愛する女性も、親友も救えなかった)

 ミスマル・ユリカ。
 ナグモ・ヨシマサ。
 彼らにはもう逢えない。失ったものは二度と戻らないのだ。

「3日後にはまた宇宙(うえ)に上がってもらう」

 オキタの沈んでいた思考をウィンチェスターの声が呼び戻す。
 オキタは聞き返す事も無く、はい、と答えた。

「分かっています。行き先は木星プラント、ですね」

「途中でオーシャニックを経由して、だ」

 ウィンチェスターが頷きながら言う。相変わらず表情の動きがまったくない。

「オーシャニックとリュンカーシティの警備、何処の部隊がやるんですか?」

 ふと思い、オキタが尋ねた。

「オーシャニックは第一独立任務部隊(アガストヤ)と宇宙軍第八師団第二機動部隊、リュンカーシティは統合軍の第六特殊機動部隊(ニダヴェリール)が警護に当るらしい」

「なるほど・・・。司令も今回のこと、本気にしてるんですね。それに統合軍も・・・」

 独立任務部隊の一つと機動部隊を警護に付けさせるというのは、あきらかに通常事例ではない。それに統合軍の方も、最強と言われて名高い特殊作戦部隊の一つを警備に配置することから、相当警戒しているようだ。

「あそこは民間企業も多いからな・・・、彼らの要請でもある」

 恐らくその例の『破壊予告』とやらが入った時点で、ウィンチェスターはオーシャニックとリュンカーシティの最高責任者に通達しているはずだ。それゆえの、今回の警備規模なのだろう。

「オーシャニックとリュンカーシティの責任者は11年前の被害を知ってる経験者ですからね。素直に警備を求めてくれると、こっちとしても助かりますね」

「ああ、みんな怖いのさ。『ニヌルタ』のことをな」

 それはそうだろう、とオキタは思った。戦艦程度の大きさならば、破壊ではなく『消失』させてしまう兵器。いくらオーシャニックが多重ディストーションフィールドで包まれていても、あれが直撃すれば、比喩でもなんでもなく大穴があく。そして、今はもう無いとはいえ、知っている者からすれば『あれ』は恐怖そのものだ。

(もちろん俺も含めて、だが)

「だが、民間人の避難については未だ話は付いていない」

「それはしかたないでしょう・・・」

「彼らは企業からの出向者だからな。『破壊予告』程度では逃げ出さないらしい」

「彼らは逃げ『出せ』ないんじゃないんですか?」

「うむ。上司には逆らえないのが、企業人の宿命なのかもしれん」



◇◆◇◆◇



 闇は好きだった。
 ――見たくないものを、隠してくれるから。
 ――欲しいものを、隠してくれるから。
 光は嫌いだった。
 ――見たくないものを、さらしてしまうから。
 ――欲しいものを、見せてしまうから。

 でも、闇は寂しい。自分が一人だと言う事を痛感してしまうから。

 でも、光は悲しい。自分が  でないことを理解してしまうから。

 そして、私の意識はおぼろげになって――。





 薄いブルー色のブラインドが陽光を遮りつつ、微かに揺れる。その隙間から縫うように射しこんでいる陽光は、窓辺に置かれているガラスの花瓶を輝かせていた。
 そんな光景をトーア・ミズキは見ていた。

(あれ・・・、私、どうして・・・?)

 先ほどまで、アフラマズダの船内にいたはずだ、と彼女は思った。そして、柔らかな枕から頭を起こし、そのまま上半身を起こして周囲を見回す。だが、誰もいない。
 この白い病室には自分だけのようだ、とミズキはぼぉーっとした頭に刻み込んだ。まだ、頭が完全に回っているわけではないようだ。
 頭のどこかで微かな雷鳴が鳴り響き、彼女の意識の覚醒を阻害していた。それは同時に彼女の記憶に蓋をして、忘却――いや、浮かび上がらせることを封じていたのかもしれない。
 ミズキは身体の力を抜いて、重力に誘われるようにベッドへと沈み込んだ。そしてぼんやりと微かに見える記憶の糸を探っていく。

(・・・え――、・・・何があったんだっけ?)

 『何か』衝撃的なことが起こったような気がするが、どうやらよく覚えていないらしい。その部分だけコンクリートで塗り固められたように、それ以上のことは探り出そうにも無理なようだった。
 うっすらと覚えているのは――。
 黒い機動兵器。
 茶色い髪の若い男。
 そして――。

(あれ?)

 ここで記憶が途切れてしまう。何か大事なことだったような気もするが、そこだけの記憶が抜けている。

(――おかしい)

 とは思う。だが、それは記憶を失ったことではなく、それを失っても、何の感情も抱いていない自分がおかしいと感じるのだ。
 記憶を失ったという喪失感も抱かず。
 記憶を持っているという充足感も持てず。
 あるのは、ただ『そうなんだ』と感じる、疑問も抱かない、ただ納得だけをもたらす感情だけ。
 よく考えてみればそんなことは一度だけではない。こういった一部分の記憶を失うといったことは前にもあり、その時も何の感慨も抱かない自分がいた。
 でも、前まではそんなことすら思わなかったのに。
 何故、こんなことを思うのだろう?
 今までは、こんなちぐはぐで奇妙な感情を抱いた事はなかった。
 自分はなんなのか。
 どこかおかしいのか。
 いくら自分に問うても、満足のできる答えは得られない。
 誰なら答えてくれるのか。
 そもそも答えなど存在するのか。
 思考はループし、固定化する。
 ――とそこまで考えていたとき、扉がかすかな軋み音を発しながら開いた。
 ミズキが反射的に顔を向けると、そこには一人の看護婦が立っている。彼女は左手で抱えるようにカルテを持ち、優しげな微笑を見せつつ歩み寄ってきた。

「トーアさん、目を覚ましたんですね」

 看護婦が言う。ミズキは「ええ」、と軽く返事をすると頷いた。

(どこかで、あったような・・・・?)

 黒い髪。切れ長の双眸。蒼い瞳――。

<――ということは、彼女はまた――>

<――ああ、だがまだ彼女の覚醒レベルまでは到っていない――>

 脳裏を描くイメージ。稲妻のように現れたそれは、ミズキの思考を著しく麻痺させる。

(く・・・)

 立ちくらみにもにた眩暈が彼女を再び、暗い眠りの縁へと誘う。
 そして浮かぶ、刹那のイメージ。

<――そう、ミズキ、というの――>

 フラッシュバック。

<――私? 私は――>

 上位者
 天才。
 それは誰?
 下位者。
 隷属。
 それが私。

 すべてが混然となり、イメージは手の届かぬ果てへと――。

 そして、誰かが、何処かで、微笑んだ。



◇◆◇◆◇



 カイトは墓地の横に位置する少しばかり坂になっている道沿いに車を駐め、そして、イグニッションキーを抜くと車から降りた。

「やっと到着。やっぱり時間かかるね」

 仕事の都合上ボソンジャンプを多用しているからか、こういった目的地への移動にかかる時間がカイトには無駄に思えてしかたない。とはいえ、CCはそう簡単に支給されるものではないし、これもしかたないのである。

「ま、直ぐに着くと、『これ』も吸えないものな」

 カイトはポケットからタバコを取り出すと、口に咥えて火をつけた。紫煙が立ち昇り、彼の表情がすっきりしたものになる。カイトは重度の喫煙者――俗に言うヘビースモーカーだった。一日に一箱は当然の消費量で、場合によっては二箱いくときさえある。それにもちろん、報告書を書く時にタバコは必須である。彼にとって、思考や事務作業のエネルギー源はタバコなのだ。
 彼は紫煙を吐き出して、携帯用灰皿に吸い殻を放り込むと、墓地の入り口に向けて歩き出した。

(・・・おかしいな?)

 カイトは歩みを止めぬまま、微かに視線を動かした。

(同僚の気配がないぞ・・・?)

 アカツキが言うには、アキトにはシークレットサービスが護衛として付いているはずである。

(もう、違うところに行ったのか?)

 いや、それはない、とカイトはすぐさまその考えを否定した。先ほど――つい五分前にアキトの護衛についている同僚達(シークレット・サービス)から、アキトは墓地にいると連絡があったばかりなのだ。それに、どこか別の場所に行くのなら連絡があるだろう。
 カイトがそんなことを思いながら歩きつづけていると、視界に墓地の入り口となる石階段が入った。目を凝らしてよく見ると、その階段の下に二人の黒いスーツ姿の男が倒れている。

「何!?」

 駆け出したカイトはその男達の元へ急ぐ。そして、倒れている彼らの前でしゃがみ込むと、その首筋に手を当てて脈を確認した。

(良かった、気絶しているだけだ)

 その二人の黒スーツの男達は息もしているし、特に目立った外傷は無かった。
 カイトは少々忍びないと思いつつも、無理矢理彼らの意識を目覚めさせた。

「おい、何があった?」

 男の一人を抱きかかえるように支えつつ、カイトは早口で言う。

「カイトさん・・・?」

 男はうっすらと目を開けると、かすれた声で呟く。

「よく分かりません。ただ、テンカワ・アキトの周りを警備していて首の辺りにショックが走ったと思ったら、急に視界がまっくらになって・・・」

 男は思い出すようにゆっくりと喋る。
 カイトの脳裏に嫌な予感がよぎる。

(まさか、狙いはアキトさん・・・・?)

「早く本社に連絡するんだ」

 カイトはそう叫ぶような早口で言うと、男を離して、階段を駆け上り始める。
 男はそんなカイトの姿に呆然としていたが、すぐに自分がやるべき事を思い出し、胸ポケットの小型携帯通信機を取り出した。

(くそっ! やばい!)

 カイトは階段を駆け上り、荒く呼吸を繰り返しながら心の中で毒づく。テンカワ・アキトは今では数少ない(カイト自身も含めて)A級ジャンパーである。狙われる理由はそれだけで十分なのだ。
 カイトの心が『焦り』という色で塗りつぶされていく。
 ――急げ。
 ――早くしろ。
 己を激しく叱咤し、息を激しく切らせながら、カイトは階段を疾走する。
 やがて、登り終えたカイトは前に広がった墓地の風景を見回す。

「はぁはぁ・・・。どこだ・・・・?」

 左右に揺れるカイトの視線がある部分で固定された。その先にはグレイの長袖シャツとブルージーンズを履いた、懐かしき友人であるアキトがいる。そして、その隣にいた者を見たとき、彼の両眼が驚きで見開かれた。

「なんでアイツが・・・」

 カイトが呆然と呟く。だが、次の瞬間、彼は懐に付けているガンホルダーにある銃に手を伸ばしながら、二人の方へと走り出していた。






 A−part...end.
 To be continued on B-part