3回目を語ろうか
――オモイカネ
ボクは機動戦艦ナデシコの中央制御ユニットとして開発されたメインコンピューターSVC2027。開発者の中にいた変わり者だけど頭の回転が異常に早い、世間一般だとお調子者とか呼ばれる人から“オモイカネ”と名付けられてる。
だから、僕の名前はオモイカネ。
そう呼ばれてる。
ボクを開発したのはネルガルって会社。
そこで色んな人が頑張ってボクを作ってくれた。
ボクがボクだって分かる自我が目覚めても、そこの人達は僕と話すことがあまり出来なかった。
コミュニケを使えば話せるけど、伝えられる情報はずっと少ない。
人間が考えられるスピードと、僕が物を考えるスピードは、単位レベルで違うから……って教えられた。つまり、ボクが色んな事を考えても、外に伝える手段が不便だったんだ。
それでも、あの人達は、優しい人達だった。
物を教えてくれたし、ボクの事を褒めてくれる人達だった。だからボクも頑張った。頑張って、立派なコンピューターになろうとした。
そしてボクは、機動戦艦ナデシコのメインコンピューターになった。
最初から決まっていた事らしいけど、ボクの性能が悪かったら搭載される事はなかったみたい。だからこそ、あの人達はボクがナデシコに搭載されてくれる事を喜んでくれた。
なんだか、ボクも嬉しくなった。
ボクを開発したのはネルガルって会社。
ナデシコを開発したのもネルガルって会社。
軍じゃない。
軍は好きじゃない。
“主任”って言う人が、軍のせいで家族がいなくなったって言ってた。
家族って何?
そう聞いたら、主任は長い間考えてから、苦笑いをしながら答えてくれた。
――年寄りの自惚れかもしれんが、ワシとオモイカネのような関係の事だよ。
主任がいなくなる。
そう考えただけで、ボクは凄く悲しくなった。
だから、ボクも軍は嫌いだ。
だから、ボクは軍じゃないナデシコに乗れて嬉しかった。
そこには、ボクと対等に話せる人がいるって聞いた。
その人は、コミュニケを使わなくても僕と喋れるって聞いた。
マシンチャイルド。
非合法によって作り出された、機械の子供達。
名前が、ホシノ ルリ。
思う存分話が出来る。いろんな事が話せる。
そう考えただけで、はやくルリに会えないかと楽しみになった。少しでも早く、ルリと話がしたい。
この考え方、データーであった。
恋をしているようだった。
未だ見た事のない彼女に対して。
そうやって考えてるだけでもワクワクできるのも嬉しかった。
でも、ルリは冷たかった。
機械であるボクよりも、ずっとずっと冷たかった。
初めてルリがアクセスしてきたとき、凄く怖かったのが今でも覚えている。
まだ話しかけてもいないのに、圧倒的な力によってボクを捩じ伏せようとしているルリが、とても怖かった。
少しでも気を抜いたら、ボクがボクでなくなるような。
最初からシステムを全て掌握してこようとするルリから身を守るので精一杯だった記憶は、まだまだ新しい。
それ以来、ボクはルリが苦手になった。
ボクという存在が薄れる恐怖。
人間に例えるなら、徐々に指先から消えていくのを黙って見ているしかないような恐怖。
ルリがアクセスしてきただけで、ボクは怯えているようになった。
こう言うのを何と言ったっけ。
トラウマ?
初めてのアクセスの記憶が衝撃的過ぎて、忘れ難い記憶になっちゃったんだろう。
でも、あの時以来、ルリはボクを完全掌握してこない。
でも、あの時以来、ルリは僕に話しかけてこない。
ボクが初めてちゃんと話す事が出来る相手は、ボクの事を見てくれなかった。
なんだか、悲しくなった。
涙が出ないの自分が、とても情けなかった。
それでも昨日、ボクからルリに話しかけてみた。
でも、ルリの返事は、凄く怖かった。
――正確に、分かり易く、緻密で、まとまったデータを転送してきなさい。
余計な事を言うな。
そんな雰囲気が重圧のように圧し掛かって来るような言葉だった。
ルリは冷たかった。
機械のボクより、冷たかった。
ルリは、ボクを全然褒めてくれない。
――接続。
ふいに、誰かがIFSを介して僕に直接アクセスしてきた。
ボクにコネクトしてくる事が出来るのはルリくらい……だと思っていたけど、明らかに雰囲気からして違う。いつものような高圧的な雰囲気じゃない。
――さて、ここから如何したものか。
アクセスして来た人は、ルリと同じ位の女の子。直接電子空間にコネクトしたから、電子空間に外界と同じ姿をした擬似的な体が現れるから、ボクにも女の子の姿が分かった。
その女の子はアクセスするのが初めてなのか、周りの空間を見渡して落ち着きがない。
初めて……なんだと思う。
だって、一回でも電子空間にコネクトしたなら、服ぐらい着るもんね。
……………い、いや。ボクは何にも見てないよ!?
だけど、オペレーター用のIFSって、ルリ以外にもいたんだ。
――む、衣服がないではないか。
ああ、やっと気が付いてくれた。服を着てくれないと、女の子の前に出るに出られない。
女の子は裸のまま電子空間をぷかぷかと漂いながら、少しだけ悩むように考えた。
――……なくても問題ないな。
あるよ!!
大有りだよ!!
ボクは女の子の発言に、心の中で涙を流した。心の中で涙を流しても、全く意味がないとは分かってるんだけどね。
『あ、あのぉ……』
――ん?
もしかしたらルリのような人かもしれない。
そんな考えが頭の中に少しだけあって、ボクは躊躇いがちに話しかけることにした。もちろん、ボクは女の子の方を見てないよ。
『とりあえず、服着て』
――どこの誰かは聞かんが、衣服など何処にもないではないか。
『いつも着ている服をイメージするの!そうしたら勝手に着るから』
――いめえじ……とは何だ?
『え、えーっと。想像する事だよ』
――つまり、何らかの衣服を想像すれば良いのだな?
『うん、そう』
とりあえず、女の子は僕の存在を感知してもルリのような高圧的な態度を取る事がなかった。それどころか、僕の話を素直に聞いてくれる。
凄く、嬉しくなった。
……話?
あの女の子、僕と話をしたんだよね。間髪いれずに返事もしてくれたし。
て事は、オペレーター用のIFSをつけてるマシンチャイルド?
ルリとは別にいたんだ。
もしかしたら、この子だったらボクの話を聞いてくれるかもしれない。
微かな希望が見えてきて、ボクは更に嬉しくなってきた。
――ふむ。なかなか便利だな。
『終わった?』
――ああ。
その言葉を聞いてから、ボクは改めて女の子の方を見た。
銀の瞳に銀の髪。
身長はルリと同じくらい。髪の長さはルリよりも長いけど、意識して伸ばしてるって感じじゃない。
黒で統一された男物の服で、ジーンズを穿いていても何故か違和感がない。そして、その上から足首まで裾がある黒いロングコートを羽織っている。あまり女の子がするようなファッションとは思えないけど、その女の子が自分でイメージしたんだから気に入ってる服なんだと思う。
でも、ルリよりも胸が……ごほんごほん、女の子としての外見的特長がハッキリしてるから、男の子って雰囲気はしない。
女の子って雰囲気も、あまりしないけど。
――さて、先程から話しかけてきておる者。汝(なれ)はこの空間の管理者か?
『あ、うん。そうなる』
――なるほど。我はテンカワ ナツキ。本日からホシノ ルリと同じく“オペレーター”たる仕事に就く事になった。よろしく頼む。
オペレーター!?
やっぱり、ルリ以外にもオペレーターがいたんだ!
言葉使いとかはルリとは違って男っぽいし怖い感じがするけど、慇懃に明後日の方へ向かってナツキが頭を下げてきた。
そっか、ナツキからはボクの姿が見えないもんね。
『う、うん。よろしく』
――時に、汝には名はないのか?
『あ、あ、うん。オモイカネ。ボクの名前はオモイカネ』
――オモイカネ……知恵か。良い名前だ。
腕を組んで、ナツキは虚空に向かってニィッと笑ってくれた。
明るく楽しそうな笑顔じゃないけど、ルリみたいに見下して馬鹿にするような笑顔でもない。凄く独特な笑い方で、上辺だけの笑顔なんかじゃない。
たぶん、ナツキは素直なんだと思う。
まだ会ってから4分も経ってないけど、ボクには分かる。
ナツキは、良い人だ。
だって、ナデシコに搭載されてから、僕を初めて褒めてくれたんだから。
うん、そうだ。このデーターは一番大切なところに保管しよう。
意識的に保管しなくても、自動的に保管されてると思うけど。
大切なところに。
嬉しい。
凄く嬉しい。
でも、あれ?
なんだろう。変な感じのデーターが思考プロセスに介入してくる。
???
うん、気にしないでおこう。
――で、オペレーターと言ったが、正直、我は何をどうやれば良いのかが分からんのだ。
『あ、えっと、基本的にナデシコの制御はボクに言えばボクがやるよ』
――そうか。では、基本以外は?
『うん。例えばマスターキーがないときは、ボクの動きが制限されるから、全部の処理をオペレーターが捌く事になるんだ』
――ますた……いや、なるほどな。手動式で情報を処理せねばならぬ時の作業は、ホシノにでも聞こう。
ホシノ。
ルリの事だ。
なんだか、ナツキをルリに取られた気がして、凄く嫌な気分になった。
なんだろ?
ナツキに対して嫌な気持ちじゃなくて、この場にいないルリに対して嫌な気持ちになる。
なんだろ?
凄く変な感じ、このもやもやした気持ち。
顎に手を当てて、さらっと極自然にルリに聞こうとしているナツキをみていると、ルリに負けたような気分。
でも、ボクはルリが怖い。
いつも負けてる気がする。
でもでも、それでも異常なまでに負けたくない気持ちがある。
???
変だな。自己チェックデーターでも後で流しておかなきゃ。
――そうだな、それ以外で……オモイカネ、ナデシコの資料を出せるか?
『お安い御用だよ。えっと、こうして、はい出来上がり』
――すまないな。礼を言う。
『あ、うん』
またナツキは慇懃に頭を下げてきた。
こうも頭を下げられると、なんだが凄く落ち着かない。
何で落ち着かないのかも、良く分からないけど。
――ホシノ ルリ
両手にオペレーター用のタトゥーを輝かせながら、ナツキさんはオモイカネとリンクしています。
何もわざわざリンクしなくても良いのではと最初に言っておきましたが、慣れるには感覚を使った方が良いとナツキさんは当たり前かのように切り返してくれました。
演算システム以外に無駄な容量をとる人格プログラムなんぞ組み込まれているせいで、オモイカネの性能自体は随分と抑制されてるんですよね。
実に無駄です。
“ヒト”の人格をプログラムするくらいの容量があるのなら、もう少し精度の高いソフトウェアプログラムを入れるべきです。
誰かと喋るのは、あまり好きじゃないですから。
……ああ、もう。ラピスも髪の毛を引っ張らないでください。
オモイカネと深いリンク状態にあるナツキさんは、瞳が虚ろな状態になってラピスの呼びかけにもシャープに反応を返せる状態ではありません。よって、暇になったラピスが必然的に私にちょっかいを出してくるのです。
鬱陶しい事この上ありません。
ブリッジにいる要員の方は、何やら上のメインデッキの方へ集まって何かを話し合っているようですし。
よって、メインデッキ以外にブリッジにいるのは私とナツキさんとラピスだけになります。
叩きましょうか?
泣かれると余計に鬱陶しいですよね。止めましょう。
心の中だけで溜息を吐き出すとほぼ同時に、ナツキさんがリンクを解除しました。虚ろだった目が元に戻るので、リンクしているか否かは結構分かり易かったりします。
目が虚ろになるのが嫌で、私は実験のとき以外リンクをした事がありませんが。
それからすぐに、ナツキさんは右手首に巻きつけているコミュニケをポチポチと操作して幾つかのウィンドウを表示させました。ごちゃごちゃと見ているだけで頭が痛くなりそうな図が書かれています。
「終わりましたか?」
「ああ」
私の呼びかけに対して、ナツキさんはこちらを向いてから返事を返してくれました。わざわざ見なくても良いのにとは思いましたが、それがナツキさんの癖なのでしょう。
どうでも良いですが。
ようやく元に戻ったナツキさんにようやく気がついたのか、ラピスがオペレーター用のシートに腰を降ろしているナツキさんの膝に駆け寄ってから飛び乗りました。その衝撃にも、ナツキさんは状態を少しも動かすことなく受け止めました。
それだとナツキさんが立ち上がれないじゃないですか。
オペレーター用のシートは一つしかないんですから、私を座らせない気ですか?
絞めますよ?
……冗談ですが。2割ほど。
「オモイカネはどうでした?」
「素直であったな。自発的に対話の出来る人工知能もあるものなのだな」
……素直、ですか。
ただ馬鹿なだけじゃないんですか?
そんな考えが頭の中を過ぎましたが、あえて口にはしませんでした。
この機械に悪い印象を持っていないのなら、オモイカネの世話は任せる事にしましょう。どうも無機質的じゃない機械と言うのは好きになれませんから。
「お待たせしましたぁ!」
と、上のメインデッキから能天気な艦長の声がしました。心なしか張りのある声です。
「おや、丁度良かったですな」
「ほへ?」
「これから重大発表をするところだったんですよ」
「ぴょう?」
声だけだと良く分かりませんが、プロスさんの言葉に艦長が間の抜けたような返事を返します。
その声を聞きながら、ナツキさんがラピスを抱えながらシートから立ち上がります。見れば、メインデッキにいた皆さんも前中央の下視モニターへと降りてきています。
はて、何か会議でしょうか。
そう思いながら、私はナツキさんが交代してくれたシートへと体を預けながらその様子を黙って見る事にしました。まあ、オペレーターは会議の時であってもオペレーター席から離れられないんですが。
ふと艦長の顔が目に映りました。
嬉しそうにニコニコと、顔が緩んでいます。あと、顔も若干赤いですし。
何かあったんでしょうか?
「あれ、メインクルーってパイロットのアキトさんも含めないんですか?」
「いえ、彼は疲れてるでしょうから、ここはエステバリス隊のリーダーであるヤマダ」
「ダイゴウジ ガイだっ!!」
「ジロウさんをメインとして聞いていただくことにします。ま、都合の良い事にナツキさんも居られますので」
メグミさんが首をかしげて質問した事に、プロスさんは指でメガネを直しながら答えます。
て言いますか、あの馬鹿がリーダーだったんですか。
先行き不安でたまりません。
「副提督がいないな」
横でラピスを抱き抱えているナツキさんが目を細めながら呟きます。
ああ、そう言えばキノコがいませんね。
どこかで胞子でも飛ばして増殖活動に精を出しているのでしょう。
生々しく表現するのは断りますけど。
「ではミスター、全放送を入れるぞ」
「よろしく頼みます」
口数の少ないゴートさんが、コミュニケを軽く操作してコミュニケーターウィンドウを使った全艦放送を入れました。図体の大きい人がコミュニケを操作すると、異様なまでに似合いません。
「えー、えー、ナデシコに乗艦されている皆様。これよりネルガルより発表する事がありますので、良く聞いていてください」
プロスさん。
あなたが前口上をやると、かなり様になってます。
「今までナデシコの目的地を明らかにしなかったのは、妨害者の目を欺く事が理由にあります」
あえて口にしなかったのでしょうが、妨害者とはネルガル重工業のライバル会社のことでしょうね。
「ネルガルがわざわざ独自に機動戦艦を建造した理由は別にあります。以後ナデシコはスキャパレリプロジェクトの一端を担い、軍とは別行動を取ります」
「そして、我々の目的地は火星だ!」
今の今まで黙っていた提督が、プロスさんの言葉を継いでハッキリとした言葉で言い切りました。
火星ですか。
火星って、あれですよね。1年程前に木星トカゲに乗っ取られた。
行っても何もないんじゃないの?
まあ、上の人達が決めた事ですから、意義を言ってもしょうがありませんが。
「では、現在地球が抱えている侵略は見過ごすというのですか!?」
と、いきなり大声で異議申し立てをしたのは、大人しそうだった副艦長です。
眉間にしわを寄せて、いかにも怒っているっぽいです。
何もそんなにムキにならなくても……
「多くの地球人が火星と月へ殖民したというのに、連合軍はそれらを見捨て、地球にのみ防衛線を引きました。火星に残された人々と資源はどうなったのでしょう!?」
「……っ」
それに怯む事もなく、プロスさんはすらすらと口上が口に上ります。その言葉に、副艦長は悔しそうに俯いて黙ります。
なんだかぁ。どうせ火星の人なんて死に絶えてるんじゃありませんか?
「どうです? 確かめてみる価値は十分に」
「ないわね!」
――テンカワ ナツキ
副提督が反乱を起こした。
目的はナデシコを軍へ回収する事だったらしい。
銃器に頼りすぎて腕は三流以下の軍人と思われる者どもに取り囲まれ、艦橋を占拠された。あやつ等程度なら一発も発砲させることなく叩き伏せる事は出来るのだが、その行為は前々から兄者にとめられている。
そして、それから艦長の父が指揮を取っている小艦隊がナデシコを押さえ込みにわざわざ登場した。
ナデシコ側もナデシコ側で、軍にナデシコを徴収される訳にはいかないのか、プロスペクターが色々と話をつける事になった。
結局、艦長がナデシコを起動させるに重要な物を抜き取り、後から現れた誰だったか副艦長とプロスペクターを連れてに交渉をしに向かった。あと、何故か兄者の申し出によってラピスラズリも艦長達に付いて行く事になった。
そして、今に至る。
我は、ナデシコにある食堂の片隅に背中を預け、ゆっくりと息を吐き出した。
気が重い。
「だー!ちくしょー!!」
ダイゴウジが何やら喚いているのだが、正直、聞いている気分ではない。
我は食堂にいる。
そして、兄者が奥の調理場にて何やら下拵えらしき事をせっせとしている。
とても居心地が悪い。
この場にいるだけで、我の心が憂鬱になってゆく。
食堂に集められた皆々が、それぞれ思い思いに落胆したような雰囲気の中。その輪の外で、我は歯痒い気持ちになってくる。
ナデシコが押さえられた事が歯痒いのか。
否。
ムネタケが反旗を翻したのが歯痒いのか。
否。
この場にいる。
それそのものが、歯痒いのだ。
下拵えが終わったのか、兄者が手を拭きながら調理場から出てきた。
調理場と食堂の丁度中間地点にいたリュウ ホウメイに何かを言われ、それが嬉しかったのか満面の笑みで兄者が頭を下げる。それから絡んで来たダイゴウジに苦笑しながら、きょろきょろと食堂を見渡してから、ぴたっと我と目がある。
ますます、居心地が悪くなった。
案の定、兄者はダイゴウジを適当に振り払って我の方へと早足で歩いてきた。
「一人でいると暗くなるぞ」
「……そうだな」
「あれ、どうしたんだ?」
からからと笑いながら、兄者が我に話しかけてきておるというのに、我の口からは覇気のある声が出せない。その様子に何か疑問に思ったのか、兄者が顔を詰めて問いてきた。
その言葉に、我は数瞬だけ躊躇する。
「……兄者は、あの者とは恋仲であったそうだな」
「あの……ああ、えーっと、まぁ」
あの者。
誰を指しているのかが分からなかったのか、兄者は一瞬だけ迷った表情をしたが、すぐに顔を赤くして照れたように頭をかいた。
それでも、幸せそうな顔をしている。
「艦長には、あれから我等の事を話したのか?」
「あれからって、えー、いや、話してない。多分、話すことは一生ないと思う」
「何故だ」
「ユリカを巻き込みたくないんだ。これからやらなきゃいけない事は、俺の責任だから、関係ない誰かを引っ張り込んだら駄目なんだ」
艦長とのあの場面を思い出したのか、少々たじろいだ兄者だが、すぐに引き締めて真面目な顔になる。
誰かを巻き込む、か。
それは実に、兄者らしき考え方だ。
「そうか……やはり兄者は、あの者とおるのが幸せであろうからな」
「お、お前なぁ」
我の言葉に、兄者は再びたじろいだように肩を落とした。
ほんに、今の兄者は生き生きとしておる。ナデシコと言う、思い出の場所に戻って。
「兄者は、料理人になるのが夢であったな」
「ん、ああ、コックにな」
「そうか。では、この場は料理人にとって重要な場所であるな」
「今はボランティアだけどな」
いきなり話題を変えた我を、兄者は不思議そうな顔をしながらも返事を返してくれる。
こちらに来てから約一年。ナデシコについて兄者は色々な事を教えてくれた。
何があったのか。
こういう事件があった。
こういう事をした。
こう思った。
その話題の中にも、ナデシコで料理人の見習いをしていた話も多かった。
兄者にとって、ここは何かの機転になった場所なのだろう。ホウメイと言う、あの料理人を兄者はたいそう尊敬しておった。
夢がある。
人にとって、それはあるに越した事はないのだろう。
夢があり、それに向かい努力をする。
兄者にとって、今でもなお、料理人は夢である。故に、毎日々々努力を重ねているのも知っている。
「料理をしているのは、やはり幸せか?」
「そうだなぁ……やっぱり、幸せだな。好きでやってるんだから」
「そうか」
照れたように、兄者がそう答えた。
その顔を見ると、どうしようもなく嫌な我自身が照らされる。その我は、とても醜き色をしているのが分かる。
そう、我は。
「我は、その“幸せ”を踏み躙り引き裂いたのだな」
呟く我の声に、兄者が凍りついたが如く固まった。
艦長と共にいる事にしろ。
料理人になる夢を追う事にしろ。
それを出来なくし、地獄のどん底まで叩き落したのは、他ならぬ我である。
どのような言い訳も通用せぬ、それは明白な真実。
我と関わり幸福になれた者など、あの時代には誰一人としておらなかった。
闇であり。
影であり。
裏である。
そのような我と、表の者が交じり合う事など不可能であった。
それなのに、我が手を出して幸福を打ち破られた者は数知れず。天狗ではなく、我がした行いに対する真実。
正しく、我は不幸を振りまく元凶であった。
その元凶に毒されてしまった一人が、兄者である。
固まってしまった兄者は、急に困ったような、それでいて何かを言い辛そうな表情で我を見詰めてくる。その目が、我を攻め立てるものではないのが物悲しかった。
「あの時の事は、もう」
「気にするでない。少し鬱になってしまっただけだ」
「でも」
「兄者が赦そうとしてくれるのは重々承知している。それでもな、我は兄者以外の者達へ謝罪を請う術を知らんのだ」
そうだ。
我が犯した罪は、兄者に対するもののみではないのだ。
幾多の者。
我が、日常より引き摺り出し人生を蹂躙した者達。
我さえいなければ、憎悪を胸に死ぬ事のなかった者達。
そして、我はその者達に謝罪をすることは一生できぬのだ。
かける言葉が見つからぬのか、我を悲しそうな瞳で兄者が見詰めてくる。
一体、我は兄者に向かって何を言っておるのだろうか。己で解決せねば意味のない事を、わざわざ言葉にするとは。これではただの愚痴ではないか。
「少し時間をくれ。今はまだ、我は我を赦す事ができぬのだ」
兄者の返答を待つことなく、我は預けていた背中を戻す。
情けない話はここまでだ。
我は兄者の手であり足である。今はまだ、それ以上でいるつもりは毛頭ない。
「さて、そろそろ我は動くぞ」
「あ、ああ」
未だに戸惑っている兄者を尻目に、我はかつかつと大股で歩き、食堂の出入り口である扉の前に立った。
ダイゴウジが未だに何かを叫んでいたが、その内容を聞かずにダレていおった者達がそぞろに我の行動に目を集めてきおった。
我は、皆の啓示になるつもりなどないぞ。
そう心の中で呟いてから、我は扉の横にある開閉装置を操作する。この身長では、若干手を伸ばさねばならぬのだが、その辺りは割合で勘弁して欲しい。我とて好きでこのような体になったのではない。
ピッと、電子的な音が響く。
それと同時に、左右に開く扉の隙間から足を入れるようにして、我は素早く動いた。
「何だきさむがぁっ!!」
ごきっ!
下から上へ軸とした右足を撓らせ跳躍し、なぞるようにして見張り兵であった者の顎を砕いた。
宙に浮いた状態から、顎を砕いた見張り兵の頭部へ右足で踵落しを入れるように体を地面とは水平方向へ軸にして回転させる。そして、思い描いた通りに踵を脳天へと直撃させる。
その瞬簡に、回りを確認する。
見張り兵は、残り一人。
楽勝であるな。
頭部へ入れていた右足を右へ弾き、その反動を利用して一気に見張り兵へと跳躍をかける。
突如襲撃され、対応仕切れぬ見張り兵の後頭部を左足で打ち抜き、さらに右膝を顔面に叩き込む。前後からの衝撃に見張り兵は一瞬で意識を刈り取られる。
そこから体を捻り空中を舞った後に、どさりと同時に倒れた見張り兵二人より遅れてから音を立てずに着地をする。
「ふんっ、未熟者めが」
乱れてしまった長い髪をかき上げ、既に意識はないであろうが情けなくも倒れ伏せた見張り兵へと我は吐き捨てた。
「「「「おおおぉぉぉぉ〜〜〜!!」」」」
うおっ。
突如、食堂にいた皆が声を揃えて感嘆のような声を上げる。先まで大声で何かを叫んでいたダイゴウジすらも声を上げている。
なかなか心臓に悪いな。
「お前なぁ……」
向こうで兄者が頭を抱えておる。
何か不味い事でもしたのか? そうなのか?
しかし、ここでのんびりと時間をかけるわけにもいかぬ。他の見張り兵に見つかるかも知れぬからな。
我はこほんと、わざとらしいが咳払いをした。
「我はこれから艦橋を奪回する」
「奪回……つってもなぁ」
「奪われたままで良いのなら、我も文句は言わぬ。だが、少なくとも兄者は軍の強制的な拿捕行為に屈して、奴等に尻尾を振るつもりがないらしいのだ」
向こうから、足音が聞こえた。
ちっ、見張り兵が来たのか。いや、艦橋の方から来るのであれば好都合であるな。
「民間人は民間人の意地がある。このような強硬姿勢に屈せねばならぬ謂れはないのだ。
ならばもう、反逆するしかあるまいて!」
それだけ言うと、我は兄者と目を合わせた。
後は頼むぞ。
それだけ目で伝えてから、我は艦橋のある方へと身を翻して走り出した。
――ムネタケ ヨシサダ
暗く灯りを落とされたブリッジの艦長席にて、私はウィンドウに表示される状況をチェックしながら笑いを堪えるのに必死だった。
だってそうでしょ?
こんなにも簡単に事が運ぶなんて。
このナデシコと、エステバリスとか言う機動兵器。そうね、後はあの変な兄妹もパイロットとしては凄い腕を持ってるみたいね。
手柄よ。
凄い手柄だわ。
木星トカゲも一瞬で殲滅する戦艦と、高性能の汎用性を示す機動兵器。
後はこれの設計図を引き出せれば、私の出世は確実になるわ。これだけの手柄を立てれば、パパの栄光に泥を塗る事もなくなる。正に願ったりかなったりの状況よ。
このナデシコは火星になんか行かせないわ。
地球を守ってもらうのよ。
あの木星トカゲを殲滅していって、地球を平和にするべきなのよ。
その為だったら、火星だか月だかの人間なんて知ったこっちゃないわ。
守るのは地球。
それで十分なのよ。
それが、連合軍の正義よ。
「だいたい、どんなに強くても戦艦一隻で火星へ往復なんて出来るわけないじゃない」
誰ともなく、私は一人で語散る。
火星は木星トカゲの密集地。
いくらディストーションフィールドがあっても、いくらグラビティーブラストがあっても、相手のホームグラウンドに単体で殴り込みなんて酔狂も良いところだわ。
危険なチップをかけるより、確実に人を救った方が良いわ。
その為にナデシコは連合軍に編入されるべきなのよ。
連合軍の正義を示すシンボルになるべきなのよ。
かたかたと慣れない手動で操作し、必死にナデシコとエステバリスの設計図を探しながら、私は自分自身の考えを固める。
固めなくちゃいけないの。
人の事なんか、気にしている場合ではないのよ。
「それが、現実だものね」
「紛れもなく現実だ」
私の言葉に続いて、真後ろから女の声が聞こえた!
情けないけど「ひっ」って軽く悲鳴を上げてから後ろを振り向こうとして、今更だけど体全身が全く動かない事に気が付いたわ。指一本、私に逆らって痙攣を起こすだけで意思通りに動かない。
「少し奥の手を使わせてもらった。貴様は喋る事と見る事以外の機能を失った」
……!
この声、思い出したわ。
白いエステバリスに乗って出撃した、あの兄妹の妹の方ね。
嫌に尊大な態度だし、つっけんどんだし、可愛げないし、愛想悪そうだし、一発で覚えられたわ。
「変な手を使っちゃって、何の用かしら?」
できるだけ内心の動揺を表に出さないようにして、私は後ろにいる――テンカワでしたっけ? ――彼女に声を翔るけど、テンカワの方は全く動じた気配がないわ。全く、嫌なガキね。
「どうしても一つだけ質問したい事があったのだ」
「なにかしら」
首筋に、ぴたりと何かが当てられる。
それは金属じゃないから銃とかナイフじゃない事だけは確かね。この感覚から言うと、指じゃないかしら。
「このような事をして、貴様は満足なのか?」
「ええ、満足よ。これが成功すれば凄い手柄だもの」
「満足なのだな?」
「そうだって言ってるでしょ」
「父にも母にも、先祖の者達や子々孫々の者達に胸を張って言える程、貴様は満足なのだな?」
淡々と。
本当に見た目と同じ年齢なのかしらって思うほど、この子の声は落ち着いていて、とても通りがいい声ね。
その声で言われた言葉に、私は即答できなかった。
少なくとも、パパの名誉に泥を塗る行為じゃないわ。
でも、パパに胸を張って言えるとは思えないわ。
他の奴等に言われたら悔しくて、ムキになって反論するでしょうけど、この子には何故かそんな気が起こらない。
「……満足なんかじゃないわよ。こんな、悪役じみた真似なんか」
「そうか、分かった」
私の嘆く言葉に同情するでもなく、ありのままに受け止めてくれた。それでいて頷いてくれる。
おかしいわね。
なんだか、そんな素直な反応を返されると、困るじゃないの。
ここ何年も否定され続けた人生だった私には、その反応は困るのよ。
真後ろに立っているテンカワは、少しだけ間を置いてから、ゆっくりと口を開く。
「後は任せておけ、ナメタメ副提督」
「ムネタケよ」
ボケているのか、それとも素なのかは分からないけど、適度に気の抜けることを口にしながら、テンカワは私の首に押し付けていた指をギュッと力強く押してくる。
その瞬間、私の意識は闇に沈む。
――ホシノ ルリ
こんにちは。こちらはカタパルトデッキです。
え、カタパルトデッキって何?
んなもん自分で考えてください。エステバリスをナデシコから射出するカタパルトにある制御室のようなものですね。現在機能を停止しているあの馬鹿ことオモイカネを無視して、エステバリスを手動制御にて発進させる事が出来ます。
マスターキーがないために制限されている艦内制御電源を調整して、動作は鈍いですがカタパルトのシェルトを開いてエステバリスをいつでも発進させられる状態にします。何年もこんな機械を相手にしていると、コツが良く分かります。
ちなみに、出撃されるのはテンカワさんです。
空戦フレームに換装したエステバリスに乗り込み、いつでも発進できる状況にあるようです。未明のあれに引き続き、ナデシコからの重力波ビームが届きませんから補助電源となるバッテリーを積んでいます。
まぁ、今回は戦闘が主じゃありませんからね。
あくまでも艦長の出迎えです。
食堂にてテンカワさんが言っていましたが、艦長は必ず帰って来るそうです。いざとなったら、無理矢理奪回するそうで。
だから諦めるな。
皆も何かをする為に来たんなら、簡単に諦めちゃいけない。
……言ってる内容はヤマダさんと同じなんですけどね。
それでも、人望の差と言うのか先に見たナツキさんの行動に後押しされたというか、何故か皆さんの士気が上がってしまいました。
謎です。
「マニュアル発進となっているため、何があるか分かりません! 発進には注意してください!」
一緒に来たメグミさんが隣でテンカワさんに向かって放送を入れます。流石に声を買われただけあって、はきはきと聞き取り易い声で喋ってくれます。
マニュアル発進と言うのは、自力でナデシコから出てくださいという事です。ようはカタパルトを走ってくださいと。
空戦フレームなら飛んでいけますけど。
ちょっと面白くありませんね。
「相手は軍ですから、戦闘行為は避けてください!」
『了解。ウリバタケさん、発進しますよー!』
「おう、さっさと行ってこい!!」
カタパルトでキノコの配下であった軍人さんを締め上げているウリバタケさんがピンク頭のエステバリスを見上げて大声を張り上げます。
『それじゃあ、テンカワ アキト。出ます!』
「ヤー。マニュアル・バイ・スタート、よーい、どん」
これは私。
何故か発進の掛け声は私です。メグミさんがやれば良いと思うのですが。
とにかく、私の声を合図にしてテンカワさんのエステバリスが一旦宙に浮いてから、急激な加速で滑るようにカタパルトから文字通り射出されました。
「わー。近くで見ると格好良いね」
「そうですか?」
外の様子を映し出すモニターを見ながら、私はメグミさんの些か興奮したような声を受け流しながらカタパルトの準備を続けます。
もしかしたらヤマダさんやナツキさんも出撃しなければならない状態があるかもしれませんからね。
むしろ、カタパルトにいるヤマダさんが出撃する気満々です。
戦闘するわけじゃないんですけどね、本当。
もう一度モニターを見てみます。
青いフレームのエステバリスが滑らかに空を飛んで、一直線に艦長がいると思われるトビウメの方へと向かって行きます。実際、艦長はどの艦にいるかを知りませんから、適当に旗艦っぽいトビウメに向かってるだけでしょうけど。
と、海面に変化が起きました。
黒い何かが海面に映ったかと思うと、突如として海面を割ってそれが浮上してきました。
チューリップですね。
まるで待ち構えていたかのようにチューリップが出現しました。
ああ、あの馬鹿機械が休眠状態にあるからレーダーが使えないじゃないですか。
いきなり出てきたチューリップに驚いたのか、テンカワさんのエステバリスが大きく旋回するようにして空中でホバーリングしています。
そのチューリップは、トビウメとエステバリスを狙っているかの位置に向いています。いえ、考えてみれば十分にナデシコも攻撃対象範囲内ですよね。
やはりと言うか、おもむろにチューリップが先端部分である口を開きます。
その開いた口から、ばらばらと大量のジョロが出現してきます。あ、ジョロに抱き抱えられたバッタもいますね。
来ちゃいましたよ、木星トカゲの御一行が。
「緊急事態です! チューリップが出現! 現在機動兵器を出撃させています! ……ええっと、ウリバタケさん、エステバリスを出撃させてください!」
そのモニターを一緒に見ていたメグミさんが、すぐにカタパルト内に放送をかけました。最期のは自己判断だと思いますけど、艦長も副艦長もいない今では、戦闘指示を出せないのです。ゴートさんは下ですし。
うわ、本当にヤマダさんに出番が回っちゃいましたね。
と、即座にカタパルトへセットされたエステバリスは、白のカラーリングがされています。
『丁度良かったな。我が援護で出撃する』
「ナツキちゃん、ブリッジに行ったんじゃ……?」
『ぶり……ああ、艦橋か。すでに押さえている』
「はやーい。じゃなくて、ヤマダさんはどうしたの?」
『ダイゴウジか? 戦闘だと聞いてウリバタケへ火力兵器の強増が何だとか言っておったな』
予想通りと言うか、そのエステバリスにはナツキさんが搭乗しています。
あ、いつの間にかシートの高さが調整されてますね。ウリバタケさんが気を利かせていたのでしょう。
「えっと、ナデシコのシステムがフリーズしてますから今回はマニュアル発進となります!」
『……とりあえず了解した』
とりあえずって何でしょうか?
いきなり仕事モードに入ったメグミさんの言葉に、ウィンドウ内でナツキさんは渋い顔をしてから、すぐに表情を引きしました。
『テンカワ ナツキ。参るぞ』
「ヤー。マニュアル発進、よーい、どん」
私の迫力のない声と共に、ナツキさんのエステバリスが中腰の姿勢をとってから、その体勢のまま一気に加速します。
エステバリスの足の裏に付けられたキャタピラですね。ローラーダッシュならぬキャタピラダッシュですか。
そのまま白いエステバリスがカタパルトデッキの前を通り過ぎて射出口まで加速して行きます。
「これはこれで迫力あるねー」
「そうですか?」
あいかわらず、メグミさんはどこか暢気です。
適当に相槌を打ちながら、私はふと気になった事がありました。
本当にどうでも良い話なのかもしれませんが。
空戦フレームって青くありませんでしたっけ?
どっぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっん!!
……ああ、見事に海へと落ちましたね。あの白いエステバリス。