すべての人に、この言葉を送りたい。

『ありがとう』

と・・・




劇場版ナデシコアフターストーリー

死にゆく人へ 生きてゆく人へ




 今日もまた二隻の船が、追う者、追われる者に分かれて追いかけっこを繰り返していた。


「アキトさん、どうして逃げるんですか?

 もうすぐユリカさんも退院されます。

 せめてユリカさんに顔だけでも見せてあげてください。」


 追う者はその胸に果て無き思いを抱いて暗き虚空を駆ける。


「ルリちゃんすまない。

 俺にはもうユリカと会う資格なんてないんだよ。」


 追われる者はその胸に果て無き後悔を抱いて暗き虚空を駆ける。


「どうして資格なんか要るんですか。

 ユリカさんはあなたに会いたい。

 それだけで十分なんじゃないですか?

 それに本当は、あなたが誰よりもユリカさんと会いたいんじゃないですか?」


 悲鳴にも似たルリの叫びが暗い虚空に響く。


「ダメなんだよ、俺は。

 俺は沢山の人の幸せを奪ってきた。

 だから俺なんかが幸せになんかなっちゃいけないんだよ。」


 悲しきアキトの慟哭が暗い虚空に飲み込まれる。


「卑怯です・・・、あなたは。

 あなたはただ会うのが怖いだけ、あなたはそれを今まで殺してきた人たちで誤魔化しているだけです。」

「そうかもしれない。

 だけどね、ルリちゃん、俺が何故ユリカと会うのを怖がっているかわかるかい?」

「・・・いいえ。」


 そう言って、ゆっくりと首を横に振る。


「俺はユリカを不幸にすることが怖いんだ。

 今の俺は人を不幸にする事しかできない。

 そんな俺がユリカの下へ帰ればどうなる?

 きっと俺はユリカを不幸にしてしまう。

 俺はもう、そんなことには耐えられないんだ。」

「・・・・・・。」


 アキトの言葉にルリは何か言葉を紡ごうとして、けれども出来なくて、ただ黙っている事しか出来なかった。


「そうだ、もうこれで最後になるかも知れないから、いっそのこと告白してしまおう。

 俺は死ぬのが怖いんだ。

 一人ぼっちになってしまうから。

 可笑しいと思うかい?

 あれだけ人に死を与えてきた男が、死ぬのが怖いというのは。」


 そういうとアキトは自嘲気味にフッと笑った。


「・・・いいえ。」


 溢れ出る感情を押し殺そうとして、それでもとどめる事が出来ないといった具合にルリはそう答えた。


「ユリカや皆と一緒にいると、どうしても自分の“死”という物が、大きな物になると思う。

 皆と一緒に居る時が楽しければ楽しいほど、一人になる時の孤独が怖く恐ろしいものになってくるんだ。

 だから・・・俺は皆の所へは帰れない。」


 アキトの告白は時間にすれば短かいものだったのかもしれない。

 だが語る者、そして聞く者にとっては永遠とも思われるほど長い時間だったのかもしれない。


「久しぶりに聞いたかもしれませんね。

 あなたのそんな弱気な言葉を・・・。」

「そう・・・かもしれないな。」


 アキトは昔を懐かしむようにフッと何もない宇宙を見上げた。


「ええ、そうです。

 せっかくですから、私もずっと心に秘めていたことを告白しておこうと思います。

 私は今まであなたが好きだと思っていました。

 もちろんあなたを嫌いな訳じゃありません。

 でも、気付いたんです。

 あなたを男の人として好きじゃないんだって・・・。」

「・・・・・・」


 ルリの告白にアキトは何も言わず、ただ耳を傾けるだけだった。


「私が好きなのはユリカさんといるアキトさん。

 父親のようで、兄のようで、そんな包み込むような優しさを持った“家族”のアキトさんなんです。」

「残念だがもう、俺はそんな男じゃないよ。」

「もう少し聞いていて下さい!

 私ある嘘をついてました。

 ユリカさんの事です。」

「艦長、そのことは・・・。」


 ハーリーがルリの言わんとすることを察し、止めに入る。


「いいんです、ハーリー君。

 だから少し黙っていて下さい。」


 そして少し溜めるように間を開け、そしてこう言った。


「ユリカさんですが、あと数年しか生きられません。」


 アキトは、しばし驚愕に身をたじろがせた後、自らの動揺を振り払うように呟いた。


「嘘は・・・冗談はよしてくれよ。」

「嘘や冗談なら、もっとマシな事を言います。

 退院されるというのは本当ですが、それは・・・。」


 ルリは目を閉じ息を吸って、その口から真実を語ろうとする。


「止めろ。もう止してくれ。

 それ以上は聞きたくない。

 これ以上俺を苦しめるような事は言わないでくれ!」


 アキトの顔には焦燥と恐怖が浮かんでいる。

 けれどアキトの苦痛に満ちた言葉も、ルリの強い思いを秘めた言葉を止めることは出来ない。


「・・・せめて、その数年を出来るだけ生きたいというユリカさんの願いのためです。」

「止めろ。もう止めろ。

 ラピス、ジャンプの準備を頼む!!」

「・・・・・・」


 アキトの悲痛な声に答えるのはただ沈黙だけだった。


「ラピスどうした?

 ジャンプの準備をしてくれ!!」

「ダメ。」

「ラピ―――ス!!」

「ダメ、絶対ダメ!


 私もアキトの気持ちよくわかるよ。

 私もアキトと出会って一人でいることの淋しさがよくわかったの。

 でも、そのユリカって人も一人でいるのは淋しいんじゃないの?」

「ユリカには皆がいる、だから一人じゃない。」


 アキトは震える声でそう反論する。


「でも違うよ、私は大好きなアキトと一緒にいるから淋しくないの。

 ユリカって人もアキトの事大好きなんでしょ。

 だったらアキトがいないと淋しいんじゃないの?」

「それは・・・」


 その言葉にアキトは苦悶の表情を浮かべる。

 まだ抵抗を続けようとするアキトにラピスはさらに言葉を重ねる。


「それに前、アキトは優しい顔をして言ってくれたよね。

 『いつか温かい家族に囲まれて幸せに暮らしてくれ』って。」

「確かにそう言ったが、それは俺が死んだ時の・・・。」

「簡単に死ぬなんて言わないで下さい。

 もう一度一緒にやり直しましょうよ。

 ラピスも一緒に、四人で!」


 ルリもこの機に乗じ、畳み掛ける。


「俺は・・・、俺は・・・。」

「それでなくてもせめて、一目だけでもユリカさんと会って下さい。

 すべては、それからです。」

「すまない・・・、それでも俺は・・・。」


 絞り出すような声がアキトの口からこぼれ出た。


「アキト、逃げちゃダメだよ!」

「・・・・・・。」

「アキトさん!」

「アキト!」


 アキトは観念したかのように椅子にもたれ掛かり、大きく息を吐いた。


「・・・わかった、会うよ。

 二人の・・・、そしてユリカの為だ。」

「よかった。本当によかった。」



 ルリのその声は震えていた、歓喜の為に。

 安堵の為、その目から涙が零れ落ちる。

 一度溢れ出した感情を塞き止める術もなくそのまま泣き崩れた。


「でも、その格好じゃ目立ち過ぎますね。

 もうちょっとちゃんとした格好をしなくちゃいけませんね。」


 流れる涙を拭いながら、ルリはそう言い微笑む。


「そう・・・かもな。」


 アキトは苦笑しながらも、そう答えた。










 場所は移り変わり、ネイガル私設病院。

 テンカワ(旧姓ミスマル)・ユリカの病室内。


「今日で退院ね。」


 シャッ


 カーテンが開かれ、真昼の陽光が白い病室に差し込む。

 かつてはアキトの・・・、

 そして今はユリカの主治医でもあるイネス・フレサンジュがカーテンを開けながらそう尋ねた。


「そうですね。

 もうこれからはバッチリ生活できるんですね。」

「そうね。

 でもわかってると思うけど、あなたは今健康そうに見えるけど実際は体中ナノマシンのせいでボロボロ。

 あと数年しか生きられないの。

 それも、普通の生活をしていたら・・・のお話。

 だから、くれぐれも無茶だけはしないでね。」

「もー、わかってますよ。

 子供じゃないんだから、そう何度も言われなくてもわかりますよ。

 だからこそ今日こうやって退院するんです。」

「そう・・・だったわね。」


 イネスが淋しそうにそう呟いた。










 同時刻。ネイガル私設病院。

 テンカワ(旧姓ミスマル)・ユリカの病室前。


 部屋の中からは楽しそうな声が漏れ聞こえてくる。


「やっぱり来るべきじゃなかったかな・・・。」


 そう呟き、そっと立ち去ろうとしたアキトをひしと掴む手が一つ。


「ダメです。ここまで来て何言ってるんですか。」

「いやでも、俺がいても・・・。」

「またそんなことを、それはユリカさんと会ってから決めることです。

 だから今はただユリカさんと会って下さい。」

「わかったよ・・・。」


 アキトはそう言い、覚悟を決めてドアに手を掛けた。





――――どあガ開ク。

――――おれノ意思トハ関係ナク、足ガ前ニ出ル。



「アキト・・・?」


――――ゆりかガソウ言ウノガ聞コエル。

――――声ガ出ナイ。

――――息ガ苦シイ。

――――否定モ肯定モできナイ。



「アキトなんでしょ?」


――――ゆりかガおれニソウ聞イテクル。

――――逃ゲタイ。

――――ココカラ逃ゲ出シタイ。

――――誰デモイイ、おれヲココカラ連レ出シテクレ。

――――サモナクバ、おれヲイマスグ殺シテクレ!



「アキト、お帰りなさい。」


――――ユリカが微笑みを浮かべて、俺に両手を差し出しながらそう言った。

――――涙が俺の頬をつたっていた。



「ルリちゃん、私達はお邪魔の様ね。」

「そうかもしれませんね。」



「どうしたの、アキト?」


――――ユリカがそう言うのが聞こえる。

――――ただ涙が頬を伝う。

――――口が動かない。

――――声が出ない。

――――足だけがただ、ユリカの元へと進んでいった。


「辛かったんだよね。

 ごめんね、アキト、無理させちゃって。」


――――そんなことは無い。

――――そう言いたかった。

――――でも・・・口が動かなかった。


 アキトはそのままユリカのベッドに崩れ伏せる。

 ユリカの手が優しくアキトの頭に置かれる。


「お帰り、アキト。」


――――俺はただ泣くことしか出来なかった。





 病室から出ていったルリとイネスは、待合室で静かにお互いの気持ちを交わしている。


「どうなると思う、ルリちゃん?」

「それは、わかりません。

 でも・・・悪い事にはならないと思います。」

「そうね、あの二人ならきっと大丈夫だわ。」





「俺は、俺は・・・。」

「何も言わなくてもいいよ。」


 ユリカが優しくあやすようにアキトの頭を撫でながら、その言葉を遮る。


「お互いに迷惑をかけちゃったかもね。

 アキトも私もこんななっちゃって。」

「すまない。

 本当にすまない。」

「どうしてアキトが謝るの?

 本当は私が謝らなくちゃいけないのに。

 ね、アキト。もう一度一緒に暮らせないかな?

 ね、もう一度一緒に暮らそうよ!

 うん、そうだよ。それがいい。」


――――ユリカ、ダメなんだよ。もう俺は一緒には暮らせない。

――――出来るのならば俺もそうしたい。

――――でもダメなんだ。


――――そう言いたかった、けれど、言葉の代わりに出てくるのは大粒の涙と嗚咽だけだった。


「そうだったね。アキトは・・・。

 それでもさ、捕まるまでなら一緒に暮らせるよ、ね!」

「・・・ユリカがそれでもいいのなら、俺は構わない。」


――――必死だった。

――――声を出す、言葉を紡ぐことがこれほど辛いものだとは思わなかった。

――――けれども、必死にその言葉を言った。

――――このまま何も言えなければ、ユリカが俺の手から離れていってしまうような気がしたから。


「ホント!?

 よかった〜。

 また三人で暮らそうね。」

「違うよ、ユリカ。

 今度は四人で・・・だ。」


――――涙を拭いながら、俺は答える。

――――ユリカの優しさは今の俺には温かくて、でもとても辛いもので。


「あ、そっか。アキトと私の赤ちゃんね。

 も〜、アキトったら気が早いんだから〜。」

「いや、そうじゃなくて、ラピスっていう子なんだけど・・・。」

「な〜んだ、でもいつか作ろうね、二人の赤ちゃん。

 あっ、でも、四人だと寝た時に川の字にならないね。」

「ハハ、そうだな。」


――――それでも、空虚な今の俺の心を満たすものだった。










 薄暗い、灯りのついていない部屋に虹色の光が輝く。

 その光が人の形をかたどる。

 けれどその部屋の持ち主、ミスマル提督は驚かずに言った。


「テンカワ・アキト君だね?」


 その虹色の光の中から『はい』と言う声が聞こえ、その光が消えていく中からテンカワ・アキトの姿が現れる。


「ミスマル提督、一つお願いがあります。」

「何かね?」

「俺はどうなっても構いません。

 ですから、ラピスという少女のことをよろしく願えませんか?」

「その少女は今?」


 ミスマル提督はあくまで表情を変えず淡々と喋り続ける。


「ユリカが世話をしています。」

「そういえば、ユリカも君もそう長くはないのだったな。」

「ハイ。」


 ミスマル提督の口からそういった言葉を聞くことは、アキトにとってどれほど辛いものだろうか。


「ところで、先ほど君はどうなってもよいといったが、どういうことかね?」

「俺はテロリストとして捕まってもいい、ということです。」


 ミスマル提督は静かに目を閉じ、こう続ける。


「・・・死者は誰にも裁けない。

 それと同じように死んでゆく者は誰にも裁けないと思うのだが?」

「どういうことですか?」


 ミスマル提督は閉じた目をゆっくりと開きながら、こう続けた。


「君達はもう死んだ人間だ。

 そしてまたこれから死んでゆく者だ。

 だからせめて残された日々を平穏に暮らして欲しい。」


 そう言うとミスマル提督は薄く笑みを浮かべて尋ねた。


「これだけは聞いておきたい。

 君はユリカをこれからも愛し、幸せにしていくと誓うか?」

「はい。」


 アキトは何の画策もなく、本心からはっきりそう答えた。


「君には失望していたよ、娘を守れなかった君には。

 だが、今日会って気が変わった。

 そして今その言葉を聞けてよかったよ。

 行け、テンカワ君!

 君にはユリカを・・・娘を幸せにしてもらわねばならんのだからな。

 頑張ってくれよ、我が・・・息子よ。」


 提督はどこまでも澄み切った目をしていた。

 そして、その目には何かを決意したような強い意志の光が宿っていた。


「義父さんもお元気で。」


 そしてアキトは虹色の光に包まれてその場から消え失せた。

 そしてその部屋からその光さえも消えるとフウッと息をつき椅子にもたれ掛かった。


「すまない、テンカワ君、ユリカ。

 私に出来る事はこの位の事だけだ。」


 そう独り言ちた後、ジュンにもう終わったと告げた。

 そしてミスマル提督は机の引出しから銃を取り出すと、自らのこめかみに突きつけた。


「君達の未来に幸多からん事を!!」


 そう言って、その引き金を引いた。










 その日のニュースではコロニー連続破壊事件のことが大々的に流されていた。


『宇宙軍将校の狂行!!
  何が彼を狂わせたのか!!』



 そんな見出しが世間に躍り、


『世間を恐怖に陥れたコロニー連続破壊事件の指揮者と思われる
 連合軍のミスマル・コウイチロウが本日自殺しました。
 なお、その遺書によりますと実行犯はすでに殺害されている可能性が高く・・・』



 ニュースキャスターのそんな言葉が民衆の耳に入っていった。


 そのため、一人の少女が軍を辞めたことに興味を抱く者は誰もいなかった。










「お父さん、死んじゃったんだね。

 やっぱり私達のため・・・だよね。」


 外は二人の心の中のように、土砂降りの雨だった。


「そうかもしれない・・・。」

「今日少し姿が見えなかったけど、やっぱりお父さんのところに行ってたの?」

「ああ。

 ・・・俺がまた殺したんだ。

 俺がいたから・・・、俺のせいで義父さんは死ななきゃならなかったんだ・・・。」

「アキト・・・。」


 ユリカはアキトにかける言葉が見つからない為、

 アキトは自分のせいで死んだ人への後悔の念の為に、二人の間に言葉はなかった。

 そしてまたラピスもアキトの心がわかる為に何も言う事が出来なかった。

 そんな三人の沈黙を破ったのは一人の男の登場だった。


「おじゃまします・・・。」


 ジュンが土砂降りの雨の中、傘も差さずに濡れながらやって来た。


「ジュンか何のようだ?

 悪いがあまり今は気分が良くない。

 どうでもいい用事だったら、また今度にしてくれ。」

「ジュン君、濡れてるんだったらキチンと拭かないと、風邪引いちゃうよ。」

「いや、構わない。」


 アキトの冷たい言葉も、ユリカの温かい言葉も、今のジュンには関係がないようだった。

 そしてその三人の間でしばらく沈黙が続いた後、ルリが帰ってきた。


「ジュンさん、どうしたんですそんな所で?」


 ルリの顔にも少なからず後悔と自責の色が浮かんでいる。


「これで、全員そろったな。

 今日はミスマル提督の遺書を預かってきた。

 このことできっと三人が悩み苦しんでいることだろうからと、ミスマル提督に預けられた物だ。」

「ジュン、お前はこのことを知っていたのか?」


 ジュンは少しためらうかのように下を向いた後、その口を開いた。


「ああ、すべて知っていた。

 だけど提督には『言ってはならん』と釘を刺されていたからな。

 僕は役目を果たしたからこれで帰る。

 必ずそれを見てくれよ、提督の意思を無駄にしないために。」


 それだけ言うとジュンはまた雨の中を濡れて帰っていった。





「どうしますか、これ?」


 ルリが尋ねる。


「見るしかないんだろうな。」


 アキトはそう答える。


「でも、やっぱり。」


 ユリカはそういって止める。


 先ほどからそんなことを何度も何度も繰り返していた。

 そんなことを何度繰り返したときだろうか。


「やっぱり見るしかないんだよね。」


 とうとうユリカの方が折れた。

 その場にいた全員が賛成した為、アキトがジュンに渡された包みを開けるとその中から一つの封筒が出てきた。

 そして封筒を開けると、幾行にも渡って提督の最後の思いが書かれた紙が出てきた。


「直筆の手紙か・・・。

 読むぞ。」





『テンカワ・ユリカ殿、ホシノ・ルリ殿、そしてテンカワ・アキト殿、

 君達は今回のことで大きなショックを受けたと思うが、

 すべて私の独断でやったことだから気に病まないでくれ。

 私は君達の幸せのためなら喜んで犠牲になろう。

 そう、だから私の事は笑顔で送り出してくれ。


 まずはユリカへ

 お前は優しい子だから、皆のことを考え今回のことであまり悲しみを見せないかもしれない。

 けれどお前には、アキト君がいる。

 だから、いくらでも泣いてくれて構わない。

 泣いて泣いて、そして最後には必ず幸せな家庭を築いてくれ。


 つきにルリへ

 今回のことでは君に大きな迷惑をかけた。

 君のことだから、この事を手伝ったことで私を死なせてしまったと悔いている事だろう。

 だけれど、気に病むことはない。

 そして、君もいつか善き人にめぐり合って幸せな家庭を築いてくれ。

 ただ、残念なことは結局最後まで私をパパと呼んでくれなかったことかな。


 最後にアキト君。

 君は自分が私を殺したと思っていることだろう。

 確かにそう見えるかもしれない。

 けれども、私は君に殺されたのではない。

 ただ、君達のことを思って自ら死を選んだのだ。

 だから、そんなに思い詰めないで欲しい。

 ただし一つだけ、

 必ず幸せになるんだ、私のことを本当に想ってくれるのなら。

 もしそうならなかったら化けて出るかもしれん。

 出来ることなら初孫の顔を見たかった。

 それが心残りだ。

 その話は後でゆっくり聞かせてもらえるかな。


 それでは、君達の未来に幸いあれ。


 ――――――――――――――ミスマル・コウイチロウ』





「お父さん!!」


 手紙が終わり、ユリカの目から涙がこぼれる。


「言ってくれれば、いつか・・・必ずパパって呼んであげたのに。」


 そしてルリの目からも。


「泣けばいいよ、今は思いっきり。

 そしてきっと叶えよう、提督――義父さんの最後の願いを。」


 アキトは、優しく二人を抱きしめる。


(アキトも悲しいんでしょ。

 悲しい時は泣くものだって、前に言ってなかった?)


 アキトの脳裏にリンクしているラピスの声が響く。


(そうかもな。

 でも、俺まで泣くわけにはいかないよ。)

(なら、私が代わりに泣いてあげる。

 アキトが流す涙を私が流す。

 アキトの悲しみは私の悲しみ、アキトの喜びは私の喜びだから。)

(ありがとうラピス。)


 その夜は、悲しみに更けていった。





 カラッと晴れ上がった日だった。

 そんな日にミスマル・コウイチロウの葬式はかつての部下であるジュンの手によりひそやかに執り行われた。

 彼の犯したであろう罪の為か、参列するものは少なかった。

 それでもかつて恩を受けた者、生前親交があった者、そしてもちろんテンカワ家の四人の姿も見受けられた。


「これで、お別れなんだね。」


 肉親を失った悲しみが、ユリカの言葉に寂しさを漂わせる。


「そうだな。」


 アキトの言葉にも悲しさがにじみ出る。


「でもきっと見守っていてくれますよ。

 違いますか、アキトさん、ユリカさん。」


 ルリは涙で目を腫らしながら、この暗い雰囲気をどうにかしようとする。


「そうかもね。

 でもダメだよルリちゃん、ボロボロと泣いちゃ。

 お父さんが『笑って見送ってくれ』って言ってたしね。」


 そう気丈に振舞うユリカの目もは涙が浮かんでいた。


「ほら、ユリカもルリちゃんも涙を拭いて。」


「アキトさんこそです。」


 アキトの目からも涙が零れ落ちていた。


「みんなもう行こっか。

 最後のお別れももうすんだでしょ。

 ほらここにいてもただ悲しくなるだけだしね。」


 青く晴れ渡った空、けれどもそこだけに雨が降っていた。









 それから半月、平和な日々がテンカワ家に訪れる。

「アーキート、今日のお昼は何がいい?」

「別に何でもいいよ。

 どうせ今の俺には味なんて全然わからないし。」

「もー、だからこそ何にするかってことが重要なんじゃないの。」

「そういうものか?」

「そういうものなの!」

「じゃーねー、私カレーがいいな。

 お母さんのカレーは最高だもんね。」


 昼食のことで向き合っていた二人に突然ラピスが割り込んでくる。


「あれ、ラピスちゃんいつ帰ってたの?

 学校は? まだ11:00だよ。」

「ん、今日はいろいろあって午後放下、だから昼前に帰ってきたの。

 もー連絡があったでしょ。」


 ラピスは頬を膨らまして拗ねる。


「あ、そういえばあったぞ、そんなこと。」


 アキトもオーバーかと思える仕草でラピスに同調する。


「もー、アキト知ってるんなら教えてくれてもいいのに。」


 まるで、幼い子供のようにユリカも頬を膨らませる。

 そこには笑いがあふれ幸せな家庭そのままだった。


「いや今思い出したんだって、ホントに。」

「もー、そんなことはいいから。

 お昼は〜?

 私、お腹すいた〜。」

「あーはいはい。すぐに作るからね。

 たっぷりと愛情を注いだ特製のカレーを。」

(ラピスもずいぶんとユリカになついたものだな。)

「どうしたの、お父さん?

 じっとこっちを見て?」

「いや、なんでもないよ。」

(どうやら俺はじっとラピスの顔を見ていたようだな。

 でも、俺がお父さんか・・・、なんだかやっぱり慣れないな。)


「ふふふんふん、ふふふ〜ふ。」


 キッチンからはユリカの鼻歌が聞こえてくる。


(ルリちゃんは俺の為にネイガルの五感補助機具開発の方面に勤めてるんだよな。

 まあ、そのおかげでユリカの鼻歌も良く聞こえるよ。)


「そういえばユリカ、材料はあるのか?」

「あら、そういえばなかったっけ。

 買ってこなきゃいけないね。」

「なんなら俺が買って来ようか?

 何が足りないんだ?」


 そう言ってアキトが外出する準備をしようとした時、キッチンからユリカの声が響く。


「待って〜、どうせなら一緒に行こうよ。

 やっぱり少しでも長く一緒にいたいしね。」

「そうだな、じゃあラピスお留守番よろしくな。」

「私ももちろん一緒に行くよ。」

「ラピスちゃんは甘えん坊だね〜。

 そうだね一緒に行こう。」





「じゃあ、ラピスちゃん一緒に作ろうか。」

「うん。」

「おーい、まったく買って来た物持ってかなきゃ作れないだろ。」

「そうだね。

 じゃあ、ハイ。」


 ユリカが買い物袋を受け取ろうとしたその時、アキトはその手を引っ込めてからかうように言った。


「どうせだから持ってくよ。

 それに材料を切るくらいなら俺にも出来るよ。」

「じゃあ、三人で作ろっか。」





 数十分後。


 三人仲良く声をそろえて、


「「「出来た〜。」」」

「さっそく食べようか。

 もうおなかペコペコだね。」

「そうだな、ユリカ。

 じゃあ、食べようか。」


 また三人声をそろえて、


「「「いただきま〜す!!」」」

「ユリカの作ったカレーか。

 どんな味だったけな。

 ユリカの料理って言ったら、ナデシコ時代の味のインパクトが強すぎて・・・。」


 考え込むアキトにユリカは、


「そんなに酷い味だったかな、私の料理って?」

「そりゃあ、もう。

 何べん意識を失いかけたことか。」

「でもアキト、これ美味しいよ。」

「そうだろ、結婚してからずいぶんと特訓したからな〜。」

「大変だったけど、幸せだったよね私達。」


 ユリカはそう言って寂しそうに遠くを見つめる。


「今も、十分すぎるほど幸せだよ。」

「アキト・・・。

 あ、そうだ今日の料理の味はね・・・。」


(こうやって毎日、ユリカは俺の為に料理の味を教えてくれるんだよな。

 ありがとう感謝してるよ。)


「ねえアキト、聞いてる?」

「ん、ああ聞いてるよ。」



「「ごちそうさまでした。」」

「ごちそうさまでした。

 美味しかった・・・と思うよ。」

「ありがとうね、アキト。

 やっぱり一緒に暮らせて嬉しいよ。」

「俺もだよ、ユリカ。」

「もちろん私もだよ。」


 平和な時がゆったりと、でも確実に過ぎていった。


続く