そうして日は昇り、また沈む。

 そして二月ほど過ぎたある日の夕食時。


「どうしたんだ、ユリカ。

 あんまり、食べてないじゃないか。」

「うん、なんだか最近食欲がなくて。

 あ、でも大丈夫。

 私は元気が取得だから。」

「そんなこと言って。

 ユリカさん、また無理してるんじゃないんですか?」


 ルリは心配のあまり、思わず語気が強くなってしまう。


「ルリちゃん怒んないで〜。」


 ルリの剣幕に思わず首を縮めるユリカ。


「ごめんなさい、つい・・・」

「ううん、私のことを心配して・・・、うぅっ。」


 吐き気をもよおし、思わずトイレに駆け込み、ユリカは思いっきり嘔吐した。


「ユリカ、大丈夫か?

 おい、ユリカ。」

「アキトさん、少し落ち着いてください。

 病院呼んで救急車に運んで。」

「ルリちゃんこそ落ち着いて。

 えぇい、クソっ、俺はまた何も出来ないのか。」

「イネスさんに連絡しておいたよ。

 それでいいんでしょ?」


 おたおたする二人に対し冷静に行動するラピス。


「そしたら、スグに運んでくれって、ほら急いで。

 もしもなんてことがあったら、私・・・、私・・・。」


 その実はユリカを助けたい一心に、動揺する頭で何とか必死に考えたようだった。





 ネイガル私立病院。


「症状は良くわかったわ。

 だから落ち着いて、そこで待っててね。」


 イネスにこういわれては、アキト達には何も出来る事はない。


「クソッ、ユリカにもしものことがあったら、俺は・・・、俺は・・・。」


 アキトは何も出来ない無力さと、ユリカの無事を祈る気持ちで心が焦がされるようだった。

 そしてゆっくりと診察室のドアが開き、イネスの姿が現れる。


「おめでとう、アキト君。」

「何がおめでとうだ!!

 場合によっちゃただではすまさないぞ。」

「アキトさん、落ち着いてください。」


 そう言いながら、ルリは暴れるアキトを必死に止める。


「それでイネスさん、おめでとうってもしかして・・・。」

「そう、二ヶ月ってとこかしら。」


 アキトは何を言っているのかわからず、目をパチクリさせる。


「二ヶ月目って何がですか?」


 まだ良くわかっていないアキトを置いといて、ルリとラピスは二人で盛り上がる。


「ラピス、弟が妹が出来ますよ。」

「ルリ姉、ホント!?

 どうせなら妹がいいな〜。」


 アキトの二人の娘たちは事情をよく理解して、その喜びを全身で表している。


「改めて言うわね、奥さんの妊娠おめでとう、アキト君。」

「・・

 ・・・・

 ・・・・・・

 えっ、え〜〜〜〜!?

 夢じゃないですよね!?

 現実ですよね!?」


 あまりに唐突に降って沸いた話の為、アキトはどうも理解できなかったようだ。


「現実だということをたっぷり説明してあげましょうか。

 今なら当社日二倍くらい説明出来そうよ。」

「は、ハイ。」


 アキトは驚きのあまり、ついうっかり返事をしてしまった。


「じゃあ、まずは・・・」


 イネスの顔には思いっきり歓喜が、対照的にアキトの顔には多少の後悔が浮かんでいた。





「・・・というわけ。

 ちなみにユリカさんは今はぐっすり眠っているから、どうする?

 帰るのならユリカさんが起きたら連絡するけど。」

「もちろんここにいます。

 ユリカが目覚めた時に俺がいないと不安になるかもしれないですから。」


 イネスの説明による疲労も自分達の子供が出来た喜びの為にさして関係がない。

 一方、あまりに長い説明の為ルリとラピスはソファーの上で仲良く寝ている。


「そう、それでも寝ていなさい。

 あなたもそれほど体は丈夫じゃないんだから。

 大丈夫、心配しなくてもユリカさんが起きたらちゃんと起こしてあげるから。」

「なら、お言葉に甘えさせてもらいます。」


 そう言われ横になったアキトは、そのまま夢の世界に落ちていった。





 昔々、あるところにお姫様と王子様が幸せに暮らしていました。

 ところがある時、お姫様と王子様は悪い竜と魔法使いにさらわれてしまいました。



―――これは何だ?


 何とか一人、命を助けられた王子様は悪魔と契約して力を得、黒の王子様となりました。

 黒の王子様はお姫様の為に黒き鎧を纏いその手を血で紅く染め、その血にまみれた手で悪い竜と魔法使いを倒しお姫様を助けました。

 けれども悪魔と契約した自らを呪い、お姫様のもとへと帰ろうとはしません。



―――止めろ。

―――今さらこんなものを見せて何になる?


 お姫様と王子様の幸せを願う妖精も王子様を追います。

 そしてとうとう妖精や王様の心で王子様はお姫様のもとへと帰ってきました。

 めでたしめでたし。



―――これが、何だというのだ?

―――今までの俺の事じゃないか。


 けれどもここでお話は終わりません。

 お姫様は自らの意志で王子様のもとから去っていきます。

 そして・・・



―――ユリカが俺のもとから去るだと!?

―――そんなことは、そんなことは・・・





「アキト、アキトほら帰るよ。」


 ゆっくりと目を開いたアキトの前にユリカの顔があった。


「・・・ユリカ?」


 アキトは思わずユリカに抱きつく。

 そしてそれを優しくユリカは抱きとめる。


「もう、どうしたのアキト。」

「怖い夢を見たんだ。

 今は全然覚えちゃいないけど、でもまだ怖いんだ。

 だから、もう少しこうさせてくれ。

 こうしていると安心できるから・・・。」

「うん私は別に構わないけど・・・。」

「構わないけど、何だ?」

「イネスさんもこっち見てるし。」


 アキトとユリカが抱き合っているのと反対の壁で、白衣に身を包んだイネスが複雑そうな顔をして立っていた。


「まったく、朝早くからアツアツなことで。

 私には少し目の毒だから、離れてくれない?」

「嫌です。

 俺が一度手放してしまったものだから、もう手放したくはありません。」


 アキトは力強くそう言うと、ギュッと強くユリカを抱きしめる。


「まあ、そこまで言うのなら私は何も言わないけれど。

 でも、そこで寝た振りして、聞き耳を立ててる二人には注意した方がいいわよ。」


 イネスのその言葉に、傍で寝ている二人がビクッと反応する。


「グーグーグー。」

「スヤ、スヤ、スヤ。」

「二人ともそんなことを言って寝た振りしてもダメだよ。」


 ユリカがからかうようにそういうと二人はムクリと置きあがり、


「もー、ルリ姉がこうすればバッチリばれないって言ったのに〜。

 ルリ姉の嘘つき。」

「ラピスだっていい考えだって賛成したじゃないですか。

 こないだのあの時も・・・」

「なによ、ルリ姉だって・・・」


 そうやっていつものように口ゲンカしあう。

 それをまた、いつものようにアキトが止めに入り、


「ほら二人とも、つまんない事でケンカしないで。」


 そしてまたいつものように、


「お父さん(アキトさん)は黙っていて(ください)!!」


 娘二人には敵わず、


「ほら二人ともそれくらいでいいでしょ。」

「ハーイ。」


 ユリカによって二人の口ゲンカは止められるのであった。


「ほらほら、用事が済んだのだったら早く家に帰ることね。

 病院なんて長居するもんじゃないし。」

「そうですね、じゃあ、さようなら。」

「あ、そうそう。

 定期的に検診に来るように、わかった?」

「あ、ハイ。」

「じゃあまた今度の時にね。」



 そして皆が去った後、


「皆には黙っていてくださいか・・・。

 私は口が堅いほうだけど、このことだけはいつまで黙っていられるか・・・。」


 イネスは一人、苦しげに呟いた。










 それからのテンカワ家というのは、


「えっと、確かあれはあそこにあったから。」


 ユリカが台に上って高い所にある物を取ろうとすると、


「ユリカ〜〜!!

 はら、ユリカは大人しくしてなきゃ。

 もし台から落ちたりして、お腹の子にもしもの事があったら・・・。」

「も〜大丈夫よ、このくらいのこと。」

「いや、ダメだ、ダメだ、ダメだ!」


 アキトは激しく首を振る。


「俺が取ってあげるから、ほらユリカは向こうで大人しくしいて。」

「でも少しくらい運動した方がいいって、イネスさんが・・・。」

「もう、とにかく俺が取ってあげるから。

 な、な。」

「うん、アキトがそう言うんだったら・・・。」


 結局いつものように、アキトに押し切られるユリカであった。





 ドシン、ガッシャーン、ガラガラ。


 キッチンから、何か大きなものが倒れる音、床にものが叩きつけられる音、そしてものが崩れ落ちる音が響く。


「アキト、大丈夫!?」


 その音の原因であるアキトが、モノに埋もれた中から這い出してきた。


「ほらな、ユリカ言っただろ。

 俺に任せておけば安心だから。」

「もう、アキトがそそっかしいからこうなったんじゃないの。」

「ハハハ、そうかもしれないな。」



 そこには絶えず、笑いがあふれていた。










 月日の経つのは早いもので、ユリカの出産予定日がまぢかに迫ってきていた。

「ユリカさんには入院してもらいますからね。」


 イネスがアキトにビシャリと言い放つ。


「どうしてですか!?

 別に家にいても構わないじゃないですか。」


 驚いたアキトはイネスに聞き返す。


「ユリカさんの妊娠が判明したときのこと忘れたの?

 家族そろってアタフタしてたじゃないの。

 また、ああなったりしたら大変だからね。」

「な、何でそのことを知ってるんですか?

 あの事を知っているのは俺たち家族以外いないはずなのに。」


 ちなみにテンカワ家ではあの時の慌て様は口外してはならないことになっている。


「ユリカさんが教えてくれたわよ。」


 イネスはやれやれといった具合に肩をすくる。

 そして真面目な声で、


「あの時は、そんなに大事じゃなかったから良かったものの、今回はどうなるかわからないの。

 だから、ユリカさんにとってもお腹の赤ちゃんにとっても、入院させた方がいいの。」

「それなら仕方ないですけど。」


 アキトは渋々納得したようだが、心の何処かではまだ諦めきれていないようだ。


「別に面会謝絶って訳じゃないから毎日お見舞いに来てくれてもいいし。

 それに生まれるときには必ず連絡を入れるから。」

「それなら、まあ。

 じゃあ、ユリカとおなかの赤ちゃんのことよろしくお願いします。」


 アキトは表情を明るくして、深々とイネスに頭を下げた。


「わかってるわよ。

 安心していなさい。」



 アキトが出て行った診察室で、イネスは苦しげに


「人を騙すのは辛いわね・・・。」


 そう、呟いた。










 それから毎日のようにアキトはユリカのもとへと通いつづけた。


 コンコン


 ドアがノックされる。


「アキトでしょ、どうぞ。」


 中からユリカの声が聞こえてくる。

 アキトは思わずスグにドアを開けたくなる衝動をぐっとおさえる。

 その場で深く深呼吸をして、ドアを一気にバッと開けてユリカに、


「ユ〜リ〜カ〜。」


 義父も真っ青の声で呼びかけ、飛び込んでくる。


「やっぱりアキトだ。」

「元気かい?

 おなかの赤ちゃんの様子は?

 赤ちゃんはまだ生まれないのか?」

「も〜、昨日にもそのことを聞いたじゃない。

 最近は少し食欲も出てきたけど。

 一日やそこらでそんなに変わりません。」

「ハハハ、それもそうだな。」

「フフフ、そうだよ。」


 ほんわかとした空気が病室に満ちる。

 すれ違っていた過去に、二人の間にあった空気とはまったく別の空気が。


「あ、イタッ。」

「どうしたユリカ?

 大丈夫か?」

「うん、最近定期的に痛くなるんだけどね、たぶん大丈夫。」

「ならいいんだけど・・・。

 悪いけど俺、今日の所はこれで帰るな。

 いつもこっちばっかりに来てるとさ、ルリちゃんたちに怒られて。

 『たまには家族サービスしてください』だって。

 だからゴメンな。」

「ううん、たまにはルリちゃんやラピスちゃんの相手をしてあげないと。」

「そうだ、今度来る時はルリちゃんたちも連れてくるよ。」

「うん、お願いね。」





「ふーやれやれ、ずっと荷物持ちしてたら腰が痛いよ。

 しかしどうしてこう、服とか色々とドッサリ買うのかな?」


 アキトは腰をさする。


「腰が痛いのならマッサージしてあげましょうか?

 それとも腰だけじゃなく、全身隈なくすみからすみまでしてあげましょうか?」

「い、いやいいよ。

 ところでラピスはどうしてる?」


 ルリの思わぬ言葉にアキトはたじろぐ。


「ふふふ、冗談ですよアキトさん。

 ラピスなら今日買い物やら何やらで歩き回って、疲れたようでダウンしてます。」

「ところで今日は何でこんなに色々と買ったんだい?」

「女の子はいろいろと身だしなみに気をつけなくちゃダメですから。

 ラピスにはもう少し女の子らしくなってもらいたいですしね〜。」

「そういうもんなのかな〜。」


 そうアキトが物思いにふけっているところに、突然家の電話が鳴り出した。


「はい、テンカワですが、どちらさまですか?

 ってイネスさんじゃないですか。

 ユリカに何かあったんですか?」

「流石ね、その通りよ。

 分娩が始まったわ。

 ユリカさんがアキト君を呼んでるの。

 だから、慌てず急いで来てね。

 あ、くれぐれも真っ直ぐこないでね。」

「えと、どういう事ですか?

 わざわざ寄り道して来いと?」

「えーっとそうじゃなくて、くれぐれもアキト君の家から病院まで一直線に来ないでね、っていうこと。」

「まさか、そんな事するはずなんじゃないですか。」

「まあ、とにかく焦らなくても大丈夫だから、落ち着いてきてね。」


 そこで、電話は切れた。


「ルリちゃん、ラピスを起こして。

 あとは、病院に行く準備を。」

「どうしたんですか?

 そんなしまりのない顔をして。」

「えっそれはねえ、生まれるからだよ、赤ちゃんが。

 ほらほら急いで急いで。」










「ここ・・・だよな。

 えっと、入ってもいいのか?」

「はあ、はあ、アキトさん、早すぎです。」

「もーお母さんも赤ちゃんもどこへも逃げないから。」


 全速力で走るアキトに着いて来たため、ルリとラピスの二人は肩で息をしている。


「いやでも、そんなこと言ったって。

 ほら不安じゃないかやっぱり。」


 あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。

 アキトは落ち着きなく、ドアの前を右往左往している。


 しばらくすると、ドアが開きイネスが顔を出す。


「アキト君来てたの?

 それなら言ってくれれば良かったのに。

 ホラ早く中に入って。」


 アキトは服の袖をつかまれ、そのまま中まで連れて行かれそうになる。


「でも、俺が入っても邪魔じゃないですか?」

「ユリカさんの手を握って安心させることもできるでしょ。

 ハイ、だから大人しく入って来る。」

「でもこういうところは男人禁制っぽいし。」

「男ならそんな細かいことは気にしない。」


 アキトは抵抗空しく、そのまま中に引きずり込まれる。


「あのー、私達は?」

「うーん、安心させる役は一人いれば十分だから、外で待ってて。」

「「そんなー!!」」










「ユリカ、ユリカ?

 大丈夫か?」

「うーん、アキト〜死にそうだよ〜。」

「大丈夫だよ、ユリカ。

 俺がついてるから。」


 アキトは小刻みに震えるユリカの手をギュッと握り締めた。


「やっぱり、アキトがいてくれると安心できるな。」










 そのままどれくらいの時間が経っただろうか?

 ほんの少しの時かもしれないし、果てしなく長い時間かもしれない。

 とにかく、しばらくあと。


「生まれて来たけど・・・。」


 部屋に沈黙が満ちる。

 本来あるべき歓喜の声、そして赤ちゃんの自らの呼吸の証である産声が響かなかった。


「そんなどうして?」


 悲痛なイネスの声が重苦しい空気に響く。


「イネスさん、どういうことなんですか?

 赤ちゃんは大丈夫なんですか?」

「落ち着いて、アキト君。

 落ち着きなさい!!」


 おそらくイネスの言葉はアキトだけでなく自らにも向けられた言葉であろう。


(神と言う者がいるのなら、俺は祈る。

 多くの命を奪った罪は俺が必ず受ける。

 だから、だから、赤ちゃんの命は持っていかないでくれ。)


 様々な感情が行き交う中、ユリカが生まれてきた自分の赤ちゃんに手を伸ばす。

 そしてその小さな手をギュッと握り締める。





 その時奇跡が起きた。


 オギャア・・・、オギャア・・・、オギャア・・・、オギャア・・・


 その子は己がこの世に生を受けた証として、高らかに自らの産声を上げた。


「ふぅ、おめでとう、アキト君、ユリカさん。

 元気な女の子ね。」

「てへ、女の子だって。」


 弱々しくもユリカは微笑んだ。


「ホント良かった。」


 アキトの目には涙が浮かんでいる。


「アキトはすっかり涙もろくなったね。」

「ホントだよ。」



 バンッ


 ドアが開く。


「ユリカ〜〜〜。」


 立派なヒゲをたたえた男が入ってくる。


「お〜〜、これが孫か。

 女の子か。

 ならユリカに似てとっても美人になるぞ。」


 そのまま赤ちゃんを抱きかかえようとしたところで、フッと掻き消えた。



 そして残ったのは、複雑な顔をした二人。

「ちょっと素直に喜べないな。

 お父さんに見せてあげたらきっと物凄く喜んだだろうね。」

「そうだな。

 ならさ、あとでしっかりと教えてあげよう。

 家族みんなで!!」

「そうだね。」

「あ、そうだ。

 外で待ってる二人を呼んでくるよ。

 きっと今頃待ちくたびれてるだろうから。」


 アキトがドアを開けたところ、


「おー、生まれたのか?」

「どんな子だ?」


 どっと人が流れ込んでくる。

 ドアの前にいたアキトは入ってきた人に踏みつけられ、それでも尋ねた。


「お〜い二人とも、これはどういうことだい?」

「すみません、せっかくだから皆に連絡しようと思ったら、こうなっちゃいました。」

「あれ、アキト君はここにいるって聞いたんだけどね。

 声はすれども姿は見えず、これはどうしたことだい?」


 アカツキの問いに、元から部屋の中にいた人たちは失笑しながら入ってきた皆の足元を指差す。

 アカツキは下を見ると、


「やあ、アキト君おめでとう。

 とりあえず皆、退こうじゃないか。」


 そう言った。


「まったく、会長業務をほっぽりだして。

 どんなことかと思ってみたらこんなことだとはね。」


 退きながらそう言うエリナも、顔では二人を祝福している。


「うむ。」

「いやはや、出産祝いはどうしましょうかね?」


 ゴートやプロスも来ている。


「月並みだけど、おめでとうと言っておくわね。」

「私もいつか結婚して、赤ちゃんを産もうかな?」


 ミナトもユキナも祝福の言葉を述べる。


「おめでとう、テンカワ。

 それにしても、まさかこうなるとはな・・・。」

「ふぅ、まったくかける言葉が見当たらないよ。」


 月臣、ジュンもそれぞれの言葉を述べる。


「やれやれ、騒がしいねえ、まったく。

 ま、ともかくおめでとう。」

「「「「「おめでとうございま〜す。」」」」」


 ホウメイさん、及びホウメイガールズからも祝いの言葉が出る。


「クックック、おめでとう。尻尾に目玉が十個でておめでとう。」


 微妙だが、イズミからもおめでとうが述べられる。


「ねえねえ、アキト君。

 実はね、リョーコも子供を産んでるんだよ。」

「だー、言うな言うな。」

「実はね、父親はね、なんとね。

 三郎太君なのよ。」


 ヒカルはいかにも楽しげと言わんばかりな表情を浮かべている。


「だーもう、自分の口から言うから。

 いやまあ、なんと言うか。

 気の迷いというか。

 なんかその・・・。」


 リョーコは顔を赤らめてそう言う。


「でね、サブ君はね、逃げ回っているのよ、いまだに。」

「そうなんだ・・・。

 じゃあハーリー君も巻き添えに?」


 アキトは苦笑しながらもそう答えた。


「そうなのよ、これが。」

「ハハハ、あ。

 そういえば、子供の名前は?」


「スバル・スグハ、真っ直ぐな刃と書いてスグハって読むんだ。」


 リョーコがそう答えた。


「いい・・・名前だね。」


 そう答えたアキトにウリバタケが呼びかける。


「おお、そういゃあ子供の名前はどうすんだ?

 なんなら俺が名付け親になってやろうか?

 女の子だったよな。

 じゃあ、アリカか、それともユキか?」

「せっかくだけど、実はもう考えてあるんだ。」


 アキトとユリカ、二人の視線が合わさり笑顔が交わされる。

 そして二人そろった声で、


「「この子の名前はテンカワ・ミコト。

 命と書いてミコトと読むんだ!」」


 そう、高らかに言い放った。





「じゃあ皆さん、とりあえず出て行きましょうね。

 いろいろとまだあるから。」


 イネスのその言葉に従い、祝福を言いに来た皆は部屋から出て行く。

 そしてアキトも出て行こうとしたその時、イネスがアキトにしか聞こえない声で


「後で、ちょっと私のところに来てくれる?

 大事な話があるから。」


 そう告げた。










 久しぶりに会う一同ゆえその話にも花が咲く。

 家庭のこと、仕事のこと、プライベートなことまでも。


(そろそろいいころかな?)


 話し始めてから暫くして、アキトはルリに耳打ちした。


「ルリちゃん、俺ちょっとイネスさんのところに行ってくるから、よろしく。」

「わかりましたけど、何の用ですか?」

「何か話があるんだって、何の話かまではわからないけど。」

「そうですか。

 じゃあ、いってらっしゃい。」

「うん、いってくるよ。」










「とりあえず病室に行けばいいのかな?」


 イネスにどこにいるのかわからないので、とりあえずアキトは病室にむかうことにした。


(にしても話ってなんだろうな。)

「アキト君。」

(もしかして治療費のこととか、いや待てよ・・・)

「アキト君!!」

「は、ハイ!!」

「なにボーっと歩いてるの、危ないでしょ。」

「ああ、イネスさん。」

「何か考えてたの?」

「いや、何の話かなと。

 でもイネスさん、せめてどこに行けばいいのか教えといてくださいよ。」

「そうだったわね。  まあ、とりあえず私の部屋にでも来て。」









「二人とも入院させるからね。」

「え? 二人って?」


 部屋につき二人が椅子に座るのとほぼ同時に、イネスはそう切り出した。


「もちろん、ユリカさんとミコトちゃんの話よ。」

「ああ、そうですか、どうもまだ実感が湧かなくて。

 ・・・って、えぇっ!? 入院させるってどういう事ですか?」

「驚くのもわかるけど、いろいろと検査しなきゃいけないの。

 わかってくれる?

 もちろん今まで通りお見舞いに来てくれて構わないから。」

「そういうことなら・・・」


 ということで、ユリカとミコトはそのまましばらく入院することになった。










 次の日、さっそくアキトはお見舞いに来ていたりする。


「ユリカ?ミコト?入るぞ。」


 ドアを開けるとそこにはアキトの見知らぬ少年と青年がいた。


「誰だ! まさかミコトを狙って!?

 ダメだ、ミコトは嫁にはやらんぞ。」

「フフフ、アキトまだ気が早いよ。

 すっかり親バカだね。

 えっと、この二人は・・・」

「あ、自分達で自己紹介しますので。」


 少年の方がユリカの言葉を遮った。


「え、そう、それじゃあよろしく。」


「じゃあ、まず俺からしますか。

 俺の名前は高杉三郎太、元ルリちゃんの部下で今はナデシコCの艦長をやっている。

 で、こっちのちっこいのがマキビ・ハリ、俺の下僕。」

「誰が下僕ですか、誰が。

 僕はマキビ・ハリ、ハーリーと呼んで下さい。

 ナデシコCのオペレーターをやってます。」

「じゃあ、君達が・・・」

「そう、この人たちがルリちゃんのよく言ってた二人だよ。」

「ところで何で今頃ここに?」

「そうなんですよ、アキトさん、聞いてください。

 実は僕は昨日行きたかったんですけどこの人に無理矢理引きずり回されて・・・」

「お前はな、何言ってんだ。」

「本当のことを言ってるだけじゃないですか。」


 そのまま二人でいがみ合う。


「ほら、ルリちゃんの言ってたとおり二人とも面白い人たちでしょ。」

「そうだな。

 これがルリちゃんが良く話してくれた、ナデシコ名物『サブロウタ×ハーリーの夫婦漫才』か。」

「「だれが、夫婦だ(ですか)。」」

「だってそう言ってたんだからな。

 そうだろ、ユリカ。」

「そうだね〜。」

「そんな〜。」



 そんな中、突然部屋のドアが開く。


「おーい、いるかーい?」


 開いたドアの向こうから現れたのは、リョーコだった。


「げっ。」

「あっ。」


 リョーコと三郎太二人の視線が絡む。


「逃げるぞ、ハーリー。」


 三郎太はそう言うと、ハーリーの首根っこを掴み駆け出す。


「待て!!」


 伸ばされたリョーコの手を掻い潜り、三郎太は逃げていく。


「ちぃ、逃がすかよ。」


 リョーコもそれを追って出て行った。


「騒がしいね。」

「そうだな。」


 アキトとユリカ目を合わせてそう笑いあう。


「まあ、でも二人、あ、いや三人でゆっくりできるわけだ。」

「そうだね。」


 その日もまたゆったりとした日が過ぎていった。









 アキトはその日も、いつものようにユリカの病室へとお見舞いに向かった。

 いつものようにドアをノックし、いつものように呼びかける。

 そしていつものようにドアを開け、いつものように部屋に入る。

 そのままいつものようにユリカのベットに目を向けた。

 けれどもそこはいつもと違っていた。

          わら
 いつもそこで微笑っていた女性――――ユリカの姿はそこにはなかった。

 代わりにそこにいたのは、イネスだった。

 静かに眠る子どものあたまを優しくなでながら、ベットのそばで椅子に座っていた。


「きっと来ると思ってたわ。」


 今にも消え入りそうな声でアキトに言う。


「ユリカは? ユリカはどこに行ったんですか?

 今日は天気がいいから外に散歩に行ったんですか?

 ダメだなあ、どうせ行くならちゃんとミコトも連れて行かなきゃ。」


 アキトは自分の思いを言った。

 けれど、その声は震え上擦っていた。

 すべてのことを察しているように。


「ユリカさんは・・・死んだわ。」

「冗談でしょ? 俺を騙して驚かして、笑う・・・つもりなんだろ?」

「アキト君、もう一度言うわ。ユリカさんは死んだの。」

「嘘だ。嘘だ。嘘だ。

「あまり大きな声は出さないで、ミコトちゃんが起きちゃうじゃないの。」


 アキトは血が出るほどに拳を握り締め、その唇を噛み締めていた。


「ついてきなさい。

 証拠を見せてあげるから。」






 ミコトの世話を任せるための看護婦が来ると、イネスとアキトは部屋を後にした。


「ここよ。」


 イネスが指差した部屋は『霊安室』と書かれていた。

「ここで、ユリカさんは眠っているわ。」


 アキトはただ黙っている。

 イネスも声をかけようとしない。

 ただ黙って二人は部屋の中へと入っていった。





 部屋の中では一人の女性が眠っていた。

 白い装束を着て、白い布が顔にかけられてはいたけれども・・・。


「なぜ、もっと早く教えてくれなかったんですか・・・。」


 沈黙を破りアキトはそう訊ねる。


「電話で言って信じた?

 今これでも信じていないような人が。

 それとユリカさんが『アキトが来るときまで、誰にも教えないで』って言ったからよ。」


 ただアキトは黙っていた。

 放って置けばそのまま闇に溶け込んでいきそうな雰囲気を纏って・・・。


「これじゃあ、ユリカさんの最後の言葉を言っても無駄のようね。」


 イネスのその言葉にアキトは反応する。

 イネスの襟元を掴み、締め上げて壁に押し付ける。


「放しなさい、このままじゃ何も言えないでしょう。」


 その言葉にゆっくりとイネスを開放すると、アキトは、


「最後の言葉だって!

 『もっと一緒に生きたかった』っていう悔やみの言葉ですか?

 それとも、『どうして、私は死んじゃうのかな?』っていう恨みの言葉ですか?

 そんな・・・、そんなユリカの言葉は聞きたくはない!!」


 そう叫んだ、あらん限りの声で。


「残念ながら違うわ、彼女が最後に言った言葉それは『ありがとう』よ。

 まあ正確には『みんな、みんな、ありがとう』よ。」

「ありが・・・とう・・・?

 どうしてですか、どうしてユリカはそんなことを言ったんですか?

 ありがとうなんて俺のほうが言いたいですよ。」


 アキトは再び叫んだ、今度は悲しみの叫びを。


「今のあなたにはわからないでしょうね。

 最後にユリカさんにお別れを言ってあげなさい。」


 そう言うとイネスは部屋から出て行った。





 アキトはそこに横たわる女性の顔にかかった白い布を取り払った。

 その顔は間違いなく愛した――――いや、今でも愛している女性の顔だった。

 そのままその唇に自らの唇を重ねる。

 おはようのKiss、いってらっしゃいのKiss、ただいまのKiss、おやすみのKiss、ありがとうのKiss

 幾度となく重ねた唇、けれどもその唇は今まで重ねたどの唇よりも冷たく味気ない唇だった。

 そしてその場に力なく崩れ落ちる。

 そしてただ涙を流した。

 愛する女性がもうこの世にいないことを知って。

 その事実を認めたくはなかった。

 でも・・・認めてしまった。

 皮肉にも重ねた唇はお姫様を目覚めさせることなく、その死を王子様に告げた。





 ユリカの横たわる台にもたれ掛かり、ただただ呆然としている。


「ユリカは死んだのか・・・。」


 天井を仰ぎ見、ゆっくりと手で顔を覆う。


「俺は死なず、ユリカが死ぬ・・・

 なぜ、こんなことになったんだ・・・」


 流れる涙を拭こうともせず、ただ呟く。


「今の俺はユリカだけがすべてだった。

 ユリカが生きていることが俺の生きるすべてだった・・・」


 その姿はもうすでに、闇と同化してしまったかのようだった。


「もう、ユリカの生きている姿を見れないのなら、

 ・・・こんな目などいらない。」


 そう言うと、自ら目を抉り取る。


「もう、ユリカの声を聞けないのなら、

 ・・・こんな耳などいらない。」


 そして自らの鼓膜を貫き、耳を引きちぎる。


「もう、ユリカと話すことが出来ないのなら、

 ・・・こんな舌などいらない。」


 そのまま舌を噛み切る。


『もう、ユリカと唇を重ねられないのなら、

 ・・・こんな唇などいらない。』


 その唇を引きちぎる。


『もう、ユリカを抱きしめられないのなら、

 ・・・こんな腕などいらない。』


 今度は腕を。


『もう、ユリカの元へ駆け寄れぬなら、

 こんな足などいらない。』


 ついには足までも。


――――もう、ユリカと鼓動を重ねられないのなら、

――――こんな心臓など・・・いらない。


 胸を掻き開き、心臓を抉り出し、そして握り潰した。

 そうしてアキトの意識は黒く塗り潰された。





 そして・・・、いえ、けれど、お姫様はただ去って行くだけではありません。

 お姫様はその代わりに大切なものを残していきます。

 その子に希望を託して・・・。



―――そう、俺はあの時こんな夢を見ていたんだ。





 オギャア・・・、オギャア・・・、オギャア・・・


 声が聞こえる。

 産声が聞こえる。


(そうだったんだよな・・・。)


 アキトは目を覚ました。


(なのに俺は何を考えていた・・・!?)

「そう、死んではいけないんだよな。

 俺はまだ生きなくちゃいけないんだよな。

 そうだろ、ユリカ。」


 そう呟くと、ただ泣いた。

 人を――今は亡き人を――ただ純粋に思い、ただ泣いた。










 イネスは夕日が赤く染め上げる部屋でただ黄昏ている。

 かつては笑い声が絶えなかった病室で。

 今はただシンと静まり返った病室で。


 コンコン


 ドアがノックされる。


「どうぞ。」


 男――――アキトが入ってくる。


「気持ちの整理はついたようね。」

「一応それなりには。

 でも、まだやっぱり何故ユリカが最後に『ありがとう』といったのはわかりません。」


 そう言って顔を伏せる。


「そう、まあいいわ。

 まずはそこに座って。

 ところで、何から話しましょうか。」


 顔を伏せたまま、アキトは呟く。


「ユリカは後数年の命だったはずです。

 なら何故こんなに早く死んだんですか?」

「そう、そのことね。

 ユリカさんは文字通り命をかけてあの子――――ミコトちゃんを産んだのよ。」


 アキトはただ黙って聞いていた。


「ユリカさんの体は出産には耐えられるものではなかった。

 もし産もうとすれば生まれてくる子どもかユリカさんの命、下手をすれば二人とも死ぬこともあったわ。

 だから、もちろん私は反対したわ。

 でもユリカさんは頑なに断った。

 『私とアキトが生きた証だから』って。」


 アキトはギュッと重ねた手を握る。

 思い出していた、あの時見た夢のことを。

 そして理解した、あの夢はこのことを言っていたのだと。


「そうなんですか・・・」

「ここにユリカさんが最後に残したビデオレターがあるわ。

 もちろん見るわね?」

「ええ。」


 ビデオが再生され、明るいユリカの顔が映し出される。


「えーっとこれでいいかな?

 もしもーし、アキト綺麗に撮れてる?」


 その中では以前と変わらぬ姿が映し出される。


「えっとね、なんか私もしかしたら死んじゃうらしいんだ。

 アキトがこれを見ているって言うことはやっぱり死んじゃったのかな?

 それとも、私は死んでなくて、あの時こんなこと考えてたんだなー、って笑って一緒に見ているのかな?

 じゃあ、言いたいこと言うね。

 私たちの子ども――――ミコトちゃんのことよろしくね。

 あ、まだアキトには言ってなかったか。

 生まれてくる子どもの名前ミコトにしました。

 男の子でも女の子でもオッケーな名前でしょ。

 私この名前考えるのに結構頭使ったんだからね。

 とにかく、よろしく頼んだね。

 ルリちゃんやラピスちゃんと協力してしっかり育ててね。

 えっとね、ホントはもっといろいろと話したかったんだけどね。

 なんかこうやって話していると、なんて言ったらいいかわかんなくなっちゃうよ。

 このままでいるときっと私泣いちゃうから、これで終わるね。

 みんなとは笑ってお別れしたいから。

 それじゃあ、またね。」


 画面の中のユリカは最後まで笑顔だった。

 けれどその目には光るものが、そしてその声は震えていた。

 アキトの方も最後の方では涙で画面が良く見えなかった。


「『またね。』ってなんだよ。

 そりゃお前にとってはまたねかもしれないけど、こっちにとってはもう・・・二度と会うことは出来ないんだからな。

 結局最後もお前に振り回されることになったんだな。」

「どうするの、アキト君。これを二人に見せないってこともできるけど・・・、もちろん見せるわよね。」

「ええ、これはユリカの残した最後の――――いや、いくつもの内の一つですから。」

「帰るんでしょ? 送っていくわ。」


 アキトはただ黙ってイネスの言葉に従った。





 ユリカの最後の思いがこもったであろう声が、アキトの家に流れる。


「最後まで、ユリカさんらしいですね。」


 そう言うルリの目からは涙が止め処なく流れていた。


「グズッ、グズッ、ワーン。」


 ラピスはその溢れ出る感情を抑えることなく表現していた。

 そんな二人の娘を抱きしめながら、アキトはユリカの願いを叶える事を心に決めた。











「アキトさん、これってどうするんですか〜?」

「ねえ〜、父さん、ミコトちゃんが呼んでるよ〜。」

「ルリちゃん、ラピス、二人ともちょっと手伝ってくれ〜。」


 アキトもルリもラピスもなれない子育てに悪戦苦闘しながらも、平和に幸せに暮らしていた。

 そんな中、忘れていた、けれども逃れられない運命の時が遂に訪れる。


「アキトさーん、そろそろミコトちゃんにミルクを上げる時間じゃないですかー?」


 姿の見えないアキトをルリが呼ぶ。

 しばらくしても姿を見せないアキトを探しにキッチンへ向かったところ、


「アキトさん? アキトさん?」


 血を吐き倒れるアキトの姿がそこにはあった。










「アキトさん? アキトさん? 大丈夫ですか?」


 アキトが目を覚ますと目の前にはルリの顔があった。

 そして周りを眺めて見ると枕もとにはイネスがいた。


「ルリちゃんここは・・・?

 俺は一体・・・?

 そうだ! ミコトは? ミコトはどうしてる?」

「大丈夫です。ラピスがちゃんと面倒を見ています。

 だからアキトさんはしっかり休んで早くよくなってください。」

「ルリちゃんお願いがある。」


 アキトの真剣な眼差しがルリを覗き込む。


「なんですか?」

「家に帰ってミコトの面倒を見てやってくれ。」

「えっ・・・でも・・・。」


 思わぬアキトの申し出に思わず困惑するルリ。


「頼む・・・。」

「わかりました。

 後で必ず来ますからね、ゆっくり休んでいてください。」

「わかってるよ。」





 ルリの出て行った部屋でアキトはおもむろに口を開く。


「俺は死ぬんですね。」

「アキト君!!」

「むしろ今まで生きてきたこと自体が奇跡だった、そうでしょ。」

「どうやら隠しても無駄みたいね。

 はっきり言うわ、今こうやって会話をしていることそのこと自体が不思議なくらいよ。

 体ももうほとんど自分の意志では動かないでしょ?」

「はい。」


 イネスは電話取ると、


「大至急彼の知り合いに連絡して、これが・・・最後のお別れになるかもしれないから。」










 そこには数多くの人達が来ていた。


「アキト、死ぬな!」

「どうして皆を置いていくんですか。」

「ミコトちゃんのことは任せておけ、だけど死ぬな。」

「アキトさん!」

「アキト君!」

「アキト!」


・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・


 誰もが皆泣いている。

 誰もが皆それぞれの思い思いの言葉を言っている。


 けれどもアキトには、それが誰なのかを見分けるだけの力も残っていなかった。


 ただわかっていた。

―――自分がこんなにも愛されていたことを・・・


 ただ感じていた。

―――自分が温かい光に包まれていたことを・・・


 そしてただ思っていた。

―――『みんな・・・ありがとう』と・・・



――――ユリカ、お前が何故最後に『ありがとう』と言ったか俺にもなんとなくわかったよ。


――――わかってくれたんだね。


 優しい光に包まれたアキトにユリカの声が届く。


――――ユリカ・・・?


――――うん、ユリカはユリカだよ。

――――さあ、一緒に行こう。

――――そして二人でみんなを見守ろうよ。


 そういってアキトに手を伸ばす。

 アキトはその手を掴むと、ユリカを引き寄せ抱きしめる。


――――ご苦労様、アキト。

――――私、無理言っちゃったね。

――――そのせいでアキトを苦しめちゃったのかも。


――――いいんだ。もう会えないかと思っていた。

――――これが夢でも幻でもいい最後にもう一度会えて本当に良かった。


――――もし生まれ変わったらさ、私はルリちゃんの娘でアキトはラピスちゃんの息子がいいな。

――――それで二人はまた結婚して幸せに暮らすの。

――――もちろんミコトちゃんも結婚してて、四夫婦そろって暮らしたりするの。


――――そうだといいよな。

――――だから今はゆっくり休もう。

――――今はただ・・・。


 二人の姿はそのまま光に解けて消えた。










 アキトに付けられた心電図がその動きを止める。

 無機質で不快な音が部屋に響いた。


「アキトさん最後になんていってましたか?」

「たぶん『ありがとう』って言ったんじゃないかな。」

「やっぱり夫婦よ、二人とも。

 最後の言葉も一緒なんだから。」


 誰もが皆泣いていた。

 けれども、誰の心にも不思議な温かさが残った。


 そして、静かに眠るアキトの顔には見る人すべてに不思議な温かさを与える、


――――安らかな・・・微笑みがあった



〜Fin〜




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