「……というわけで、テンカワさん。ヤマダさんの怪我が治るまで、臨時のパイロットをお願いしてもいいでしょうか?
職務についてはコックと兼業となりますから、その分給料はちゃんと増やしますよ」
「え?………まぁ、いいですけど」
ホントにいきなりだったプロスのその申し出に、ちょっと困った顔をしながらもその申し出を了承するアキト。
蜥蜴に対する恐怖も克服できたみたいだし、なんだかやる気になってるんだろうか?
「――それと、クロサキさん」
「はい?」
と、急に真剣な表情になったプロスが私のほうを見る。
「貴方には本格的にパイロットとして仕事をしてもらいたいのですが、いかがでしょうか。まぁ、お二人ともまずは新人研修からということになりますが」
「…………は? 私がパイロット??」
「洗濯班はお嫌なのでしょう? 間違いなく給料は上ですし、保険も充実してますから。はい」
機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜
第1章 『理想は遠すぎて、この手には掴みきれないけれど』
Act2
1.
ナデシコにとっての最初の戦闘から一日が過ぎて。
私は正式にパイロットとして採用されることになって、そのための研修を受けることになった。
現在ナデシコは太平洋上を航行中。一般クルーにその目的地は告げられていないけれど、少なくともアキトと私は、この船が火星に向かうってことだけは知っている。
ま、それは置いといて、とりあえず今日からパイロットの訓練とか始まるんだけど――――
「…………ねむ」
宛がわれた個室のベッドの上で、おぼろげな頭を抑えながら私は呟いた。どうも昔から朝は弱くて、この時間のどんよりとした気分だけはどうしようもない。
眠気を振り払うために部屋の明かりをつけて、まだおぼつかない感じの足で私は洗面台へと向かう。
―――そんなこんなで30分ほどで朝の身支度を済ませて、今日からは赤いパイロット用の制服に身を包んで。
さて、朝食はどうしようかと思いながら私はアキトの部屋へと向かった。
「…あ、艦長。おはようございます」
「あれ、サレナさん? おはよう。……どうしたの、こんなところで」
アキトの部屋の前には先客がいた。このナデシコの艦長であるミスマル・ユリカその人である。
昨日のアキトとの会話を横から聞いていた限りでは、昔からの知り合いみたいだけど……
「まだ知り合いとかいないんで、とりあえずアキトと一緒に朝食を取ろうかなって思ってきたんですけど……彼、いないんですか?」
私がそう訊ね返すと、艦長はその整った顔を少し困ったように変えながら返答した。
「それがさぁ、アキトってばさっきから『ちょっと待て』って言ってばっかりで出てきてくれないんだよ?
――――せっかくアキトと久しぶりにお話したいと思って来たのに…」
「あれ? 艦長、マスターキーっていうの持ってるんじゃないんですか?」
「あ、そっか! そういえばそんなものがあったっけ。………えーと、確か」
そう言って艦長服の裏地をまさぐり始める艦長。その動作を続けながら、艦長は不意に私に尋ねてきた。
「…ところでサレナさんって、アキトとはどういう関係なの?」
笑いながらも彼女の目は探索モードに入っている。どうも私とアキトの仲を気にしているみたいだ。
「うーん……向こうのシェルターで偶然知り合って、成り行きから一緒に地球に来たんですけれど…それから一緒に同じ食堂で働いてました。
ホント、それだけですよ? 私にとっては、この船で今のところ唯一の知り合いってことになりますね」
「ふぅん、そうなんだ。……って、あったあった!
ねぇアキトー! なんで出てきてくれないの?………って、え゙??」
「あ゙…????」
――――軽い圧搾音を立てて開いた扉の向こうには、制服を持ったまま硬直するトランクス姿のアキトの姿。
そしてそれを見て固まる艦長。
…一瞬だけの静寂があたりを支配して。
「きゃああああああああああああああああああっ!!!!!??」
「…バ、バカ!! いきなりドアを開ける奴があるかよ?!」
「…………ふぅん、アキトって意外とがっしりした体つきしてるんだね」
「いいから早く扉を閉めてくれぇえええええええええええっ!!!!!!!」
2.
「……まぁ、アキトも男の子ですし、一度くらいの過ちは大目に見てあげます」
「なんだよそれ? もとはと言えばお前が勝手にドアを開けたのがいけないんだろ?」
…あれからアキトが着替え終わるのを待って、三人で食堂に朝食を取りに来たんだけど…この二人はさっきからずっとこの調子だ。
「―――二人とも仲がいいんだね」
「あ! サレナさんもそう思う? やっぱりやっぱり!!」
「なんでそうなるんですかサレナさん?!」
ふと呟いた私に同意を求める艦長――ユリカさんと、抗議の声をあげるアキト。
「うんうん。二人とも幼馴染なんだっけ? どこからみても仲良さそうにしか見えないね」
「それも当然! だってアキトは私の王子様なんだもん!!」
「…………おいユリカ? お前まだそんな事言ってるのか??」
「王子様?」
なにやら抗議のうめき声を上げるアキトはとりあえず置いといて、とても嬉しそうにその恥ずかしい科白を言ったユリカさんに聞き返す。
「そう! アキトは私の王子様! 小さい頃に出会って、それからずっと私の運命の人なの!!」
「ほーお? なんだ、アキトにもそういう人がちゃんといるんじゃん。なんで私に教えてくれなかったわけ?」
「う……いや、あの………」
なにやら返答に詰まっているアキト。そこに突然、ユリカさんが別の質問をぶつける。
「ねぇねぇアキト? おじさまとおばさまは元気にしてるの?」
「……!!!」
…と、それは聞いてはいけない質問だったらしい。
アキトの表情は瞬時にこわばってしまって、火星丼を食べていた箸も止まってしまった。
「アキト?」
その変化に途惑うように声をかけるユリカさん。……部外者の私は席を外したほうがいいだろうか?
でも、彼についてのことはどんなことでも知っておきたいと思う私がいる。
たとえそれがどんなことであれ、私にとってはその一つ一つがとても重要なパズルのピースに思えるからだ。
――――結局、私はその場に留まることにした。
「そうか……お前、知らないんだな」
そしてアキトが重い口を開く。
その暗く沈んだ横顔は、哀しみをほんの僅かだけ垣間見せたその横顔は………夢の中の『彼』を一瞬だけとはいえ私に思い起こさせた。
「――――俺の両親は、死んだんだよ。お前が火星を去ったあの日に」
「え………?」
ポツリと、その言葉がアキトの口から漏れた。
その思いがけない言葉に、ユリカさんの顔が強張る。
「お前を宇宙港まで見送りにいって、泣きじゃくるお前にさよならを言って……そして空に上っていく飛行機雲をただぼおっと眺めていたときに、家のあるほうで爆発があったんだ。
イヤな胸騒ぎがして、必死で走っていったけど………もう駄目だった。自宅は完全に燃えていて、父さんと母さんの亡骸がその前に重なるように横たわっていて……………!!」
身体の底から湧き上がってくる激情を抑えるように、その両の手を握り締めるアキト。
私もまだ聞いてなかったその話。ユリカさんも私もなんて言ったらいいのかわからない。
「――テロだったんだってさ。
二人の研究のせいで狙われたんだろうってことになって、でも結局詳しいことは何もわからずじまいで―――――
…だから、俺はなんとしても事件の真相を知りたい。なんで父さんと母さんは死ななくちゃいけなかったのか…。
それを知ったときは、場合によってはユリカ…お前だって……殺すことになるかもしれない……」
「アキト…………」
沈痛な面持ちをして黙り込む二人。
私は何も言えずに、食べかけだったセットの入ったトレイを持って席を立った。そしてそのままトレイを返して出口へと向かう。
「サレナさん……?」
不意にアキトの呟きが聞こえた。
それはふと正気に返って、自分の言っていたことに自分で途惑っているように私には聞こえたかもしれない。
「…ごめん、もう訓練まで時間がないんだ。――――それと、お昼も一緒に食べてくれる?」
「あ、はい………」
そのまま、私は食堂を後にした。
そして物思いに耽りながら、トレーニング・ルームへと足を運ぶ。
……やはり聞いてはいけない話題だったと思う。でも、私にとっては聞かなくてはいけない話題だった。
夢の中の『アキト』と、今ここにいる現実のアキト、その二人がほんの少しだけ重なった気がする。あの哀しそうな横顔と、そして…………
それから、ミスマル・ユリカ――ユリカさんの存在も気になる。
あの人は、『アキト』にとって大切な人だったのだろうか?
『彼』は……『私』は、ユリカさんを助けるためにあの出口の見えないような戦いに身を投じていたのではなかったのか??
「…ああ、もう! わけがわからなくなってきたじゃないか!!」
…とりあえず、暫くは情報収集だけに努めよう。今色々と考えてみてもピースが足りなすぎるし、どうせ混乱するだけだから。
そう思い直して、トレーニング・ルームの扉を開けると――――
「よう、遅かったな」
――――そこには片足に見るも無残なギプスをつけたあのバカがいて。
「……ヤマダ? 私になんか用?」
「違うといってるだろうが!! 俺の名は『ダイゴウジ・ガイ』!!!」
そしてさっそく大声で吼える目の前の男。自分の名前にコンプレックスでもあるんだろうか?
「――――ねぇ」
「あん?」
半眼で聞き返してきた目の前の男に、疑問に思ったことをストレートに尋ねてみる。
「自分の本名がキライなの?」
「………うっせえな。別にそんなことはどうでもいいだろ!―――ったく、せっかくお前にここの使い方とか教えてやろうと思って待ってたのによ…」
そう言って不機嫌そうな顔を横に向けるヤマダ。
しかしどこまでもゴーイングマイウェイな奴かと思っていたのに、そういう一面もあったのか。
「そうなの?」
「ああ。まぁあともう一つ、実はこっちのほうが重要っていえば重要なんだが……」
そう言って不意にヤマダは真剣な表情になって私を見てきた。どうやらそっちのほうが本題らしい。
「――お前、本当にエステに乗ったのは初めてだったのか? なんであんな機動がいきなりできるんだ??」
そしてそう問い掛けられて、思わず私は返答に困ってしまう。
「そうは言っても、私もアキトもIFSは日常的に使ってたし………」
そう言いかけた私の言葉を、ヤマダは途中でさえぎって反論してきた。
「あーのーなー!! いくらIFSがイメージで機体を動かせるからっていっても、それと空を飛ぶことは全くの別問題だろうが! 普通の訓練してない人間だったら、上下の感覚がわかんなくなってマトモに飛べないんだよ!
……それともなんだ? オマエ、実は戦闘訓練受けたことがあるのか?」
目の前の机に腰掛けていたヤマダは、思わず立ち上がろうとして松葉杖が手元にないことに気づき、横に立てかけてあったそれを手繰り寄せる。
「訓練は受けたことないけれど……それに、自分でもなんであんなことが出来たのか、よくわからないからなぁ」
そしてそうあいまいに答えた私の顔を胡散臭そうに眺めたヤマダは、なにかを諦めたのかやけに気取ったようなポーズをとって私に宣言した。
「まぁいい。………だが覚えておけ!このナデシコのエース・パイロットは俺様だ。
あとから出てきてヒーローを気取ったようなオマエには決して負けんぞ!!」
「…いいからさ、早くここの使い方教えてくれない?」
その啖呵をあっさり切り捨てる私。それを見て憤慨している様子のヤマダ。
「ぐ…! こ、こいつ……!!――ま、まぁいい。ちょっと釈然としねぇが、こっちは元からそのつもりだったし教えてやるよ。なんたって、パイロットはチームワークが大事だからな。
じゃ、まずはこいつの使い方だが――――――」
そうして何とか、一悶着はあったけど今日の日課は順調にスタートした。
「――――というわけで、だいたい一通りの説明は終了だな。今日はそっちのパネルで基礎事項の学習がメインだろ」
…で、20分程で説明は終了する。あの『悪いクセ』がなければ、こいつもまあ実害はないのかもしれない。
「ん、いろいろとありがとう。…………で、これからお前はどうするの?」
パネルを操作しながら、真横の机に腰掛けているヤマダに問いかける。
「ん? 本当ならあそこのシミュレータで訓練時間を稼ぐところなんだが、今は『コレ』だしな。足を使わない筋トレでもしてるさ」
それに左足のギプスを指差しながら答えるヤマダ。
そのまま彼は自販機に向かうと、コインを投入しながら尋ねてくる。
「それよりもクロサキ。もう一人のアキトって奴はどうしたんだ?」
「……ああ、アキトなら本業のほう。今日は午前で上がるみたいだから、午後からこっちの研修に参加するって言ってたよ」
「ほう、ならば午後はあいつをみっちりしごいてやるとするか」
なにやら満面の笑みを浮かべるヤマダ。………何考えてるんだろう?
「ねぇヤマダ―――」
「――――ガイだっ!!」
ふと彼に呼びかけてると、瞬時に訂正してくるヤマダ。もうこうなるとパブロフの犬かと思えてくる。
「じゃあ、ジロウ」
「…う?」
そこで変則的な手段を使ってみたところ、なんだか途惑ったような表情をして固まってしまった。
「??……ジロウは何で、ナデシコに乗ったの? やっぱり、正義の味方っていうのに憧れたから?」
ヤマダのそんな態度は気にせずに、そのちょっと気になったことを聞いてみた。
――この男は、そういう非現実的なものを信じて、そういうものになりたくてこの船に乗ったんだろうか?
アキトも、そういうヒーローっていうのに憧れているような節があった。昨日のエステバリスを見ていたときの、子供みたいに輝いた目とか、パイロットになるのをOKしたこととか。
……じゃあ、それなら。私の夢に出てくる『アキト』はどうなんだろう? って思ったら、まずは目の前の熱血バカにその疑問をぶつけてみたくなったんだ。
「ねぇジロウ、聞いてる??」
「んあ?? わーった! わかったから、ジロウだけはやめてくれ!!」
なんだか途惑ってたジロウ、いやヤマダは、慌ててそう言うと自販機から出てきたスポーツドリンクのキャップを開けて、勢い良くそれを口にした。
そしてそのまま思いっきりむせる。
「…大丈夫?」
「ンガ、ゲホッ!…ああ、だ、大丈夫だ」
「で、なんで?」
しつこく聞く私に根を上げたんだろう、ヤマダは諦め顔でペットボトルをコーナーに置くと壁にもたれかかって話し始めた。
「……なんのことはない、単純な理由だぜ。
まぁ、昔からヒーローっていうのに憧れていたのもあるんだが…俺の名前を聞けばわかると思うけど、年の離れた兄貴がいてな」
「えーと……タロウ?」
思わずそう問いかける私。一応日本人系である私は、そういう名前が予想できた。
でもそれにヤマダはゆっくりと首を振る。
「いや、イチロウだ。…兄貴は地元で警察官をやってるんだが、昔から兄貴のカッコいいとこを間近で見て俺は育ったんだ。
――――だからっていうか、そんな兄貴に憧れてたんだけど、一番のライバルみたいな感じでもあってな。
それで、兄貴を超えるようなスゲェ仕事をやりてぇって思ってパイロットになったんだよ」
「…じゃあ、ダイゴウジ・ガイって名前は?」
そう問い掛けると、ヤマダは困ったような顔をしてこっちを見返してきた。
「………『正義の味方』がヤマダ・ジロウって名前じゃカッコがつかねぇだろ?」
「そういうもんなの?」
「そーなの!!」
「ふぅん…」
と、ヤマダは急に怖い顔をして私の顔を睨んでくる。
「いいかクロサキ。やむを得ずお前にはしゃべっちまったが、このことは絶対他の奴には言うなよ! 俺様の大事な秘密なんだからな!!」
「はいはい、わかってるよ。私の聞いたヤマダの恥ずかしい告白は、他の人には絶対しゃべりません。これでいいでしょ?」
「おう!」
なんだかちょっとだけ恥ずかしそうに、でも勢い良く返事をするヤマダ。
……そんなこいつを見ていたら、私は思わず吹きだしてしまった。
「ふ…あ、あは、あはははははっ!」
「な、なんだよいきなり?!!」
突然笑い出した私を見てびっくりするヤマダ。
でも、もうこうなったら笑いは止まりそうにもない。
「い……いやさ、ヤ…ヤマダってホントに子供みたいな奴だなって思ったら、なんかおかしくなっちゃって……」
そしてそう言いつつ、やっぱりこらえきれなくてお腹を抑えて笑いつづける私の横で…ヤマダはやっぱり子供っぽい憮然とした表情をして突っ立っていたわけで。
…なんていうか、思いもしないところでからかいがいのあるオモチャをみつけた子供の気分だった。
3.
それからまた一日経って、午前の訓練が終わってから食堂のカウンターでアキトと話をしながらヤマダと昼食を取っていた時のことだった。
緊急放送のサインが鳴ったかと思うと、いつになくキリッとしたユリカさんの声が聞こえてきたのである。
『みなさん、艦長のミスマル・ユリカです。これから本艦の目的について重大な発表がありますので、作業を中断して放送を聞いてください』
「お? なんだなんだ??」
その放送にいち早く反応したヤマダが、食堂のスクリーンに目をやる。食堂内の他の連中も、同じようにそれぞれのフォークや箸を止めて画面に注目した。
「ほらアキト。お前も手を休めて見なよ」
「ああ! ちょっと待ってよサレナさん。今大事なところなんだから!!」
そう言って鍋を器用に操るアキト。中のチャーハンを綺麗に空中で反転させると、そのまま軽くスパイスを加えてから二、三度左右に振って皿へと盛り付けた。
「ミカコちゃん、チャーハン上がったよ!」
「はーい!! 今行きまーっす!」
そうしてチャーハンはなにやら楽しそうな様子のウェイトレスによってテーブルへと運ばれていき、アキトは一段落する。
ちょうどブリッジでは、プロスの話が始まったところだった。
『さて、皆さん。今までこのナデシコの目的地を伏せていたのはとある理由があったからなのですが、その懸念も今日で解消したことですし、今ここで皆さんにもはっきりとお伝えしておこうと思います。
我々ナデシコの目的地。それは――――――』
『―――火星』
「「「火星?」」」
画面の奥に座っていたフクベ提督の漏らしたその単語に、一様に疑問の声を浮かべる食堂の面々。……もっとも、アキトと私を除いてだけど。
「ふぅん、火星ねぇ」
と思ったら、ここにもあまり動じていない人がいた。
このナデシコ食堂のシェフであるホウメイさんである。まぁ、アキトの上司にあたるんだろうか?
このいかにも大らかで豪放そうな性格の女の人は、その一見唐突に思える話もあまり気にならないみたいだ。
『―――そう!!火星です!』
そしてプロスが続きを話し始める。
『火星にいた人類が謎の敵、木星蜥蜴の襲撃を受けてから3ヶ月。軍は未だに発表をしていませんが、火星にはまだ逃げ遅れた人々が潜伏しているのです。
彼らは一体どうなったのか―――――』
『………もう、死んじゃったんじゃないですか?』
画面の向こうにいたホシノ・ルリの呟きが、はっきりと艦内に流れる。
この場にいた何人かの人間はそれに同調し、そしてまた何人かは、そのストレートな発言に反感を抱いたようだ。
ただ、かくいう私はその言葉に対してはなんの感情も抱けなかったというべきかもしれない。
…そう。あの時の状況を知っている身としては、その言葉が現実に思えてしまうから。
心の中の何処かでは、ミキたちが、ヒロィが、みんなが生きていることを望んでいながらも…やはりどこかで冷めた私が「そんなことなんて、ありえないんだ」って言っているのを、確かに感じているのだから。
そんな中、ルリの言葉を受けて話を続けるプロス。
『わかりません。しかし確かめてみる価値はあります!!
…ただもちろん、この艦は企業の保有するものですので、会社としての利益も考えなければいけません。
――つまりナデシコの任務は、火星に残されているネルガルの研究所から貴重なデータを持ち帰るとともに、同時に残されているであろう人々を救出することなのです!!!』
「「「…おおーっ!」」」
プロスが話を締めくくるとともに、食堂内から歓声が漏れた。それでもって隣に座っているヤマダに至っては、なにやら感激の涙らしきものを流している有様だ。
「くぅうーっ!コレだよコレ!!!俺が求めていたものは!」
終いには、とかなんとか叫んで拳を握り締めているし。
「なんだか皆、その気になってるね……」
そんな周りの様子を眺めながら、私は目の前で画面を見つめていたアキトに話しかけた。
「うん……みんな、火星の人たちのことを心配してくれてるんだ……」
「――――そうなのかな?」
アキトのその感慨深げな言葉に、私はなぜか疑問の呟きを返していた。………なぜだか理由はわからないのに。
ただ、私がこの食堂の空気によくわからない違和感みたいなものを感じていたのは確かだと思う。
それが何かはわからない。――――でも、私には彼らの持っている使命感みたいなものが、何か場違いなものに思えてならなかったんだ。
そう、この食堂の人たちは、ただその『使命感』に酔っているだけなように思えて………
『というわけで、これから本艦は火星へ向けて―――――』
そしてその場のテンションをさらに高めるようにユリカさんが号令をかけようとしたとき。
『その必要はないわ!!!』
『『――――?!』』
――――ブリッジにムネタケ副提督の率いる武装した兵士がなだれ込んでくのが見えた。
そして、この食堂にも。
4.
「ムネタケ!! 血迷ったか?!!」
機銃を構えた二人の兵士の真ん中で不敵に笑うムネタケ副提督に向かって、フクベ提督が叫びました。
そんな提督に副提督は笑いながら言葉を返します。
「あら、提督こそ軍の意向に逆らう気ですか?
―――さて、悪いけどこの船は火星なんかに行かせないわ。軍に徴発させてもらうわよ」
「…その人数で何ができる?」
副提督を見据えつつ、静かにそんな言葉を言い放つゴートさん。なんだか今にも暴れだしそうな怪獣って雰囲気ですね。
「お生憎様、今ごろ私の部下が艦内を制圧している頃よ」
「……ホシノ」
ゴートさんが私に確認を求めてきます。オモイカネの報告に目をとおす私。
「―――はい。確かに現在格納庫、食堂及び各施設ともに複数の兵士によって制圧されています」
「だから言ったでしょ? それにね――――」
そしてそんなムネタケ副提督の言葉に続くように、ナデシコ前方の海面から3隻の戦艦が姿を現しました。
『こちらは第3艦隊提督ミスマルである!!!』
同時に立派なカイゼル髭を生やした、堂々たる体格のその提督さんが通信を繋いできます。
……って、ミスマル…ですか?
「お父様!!」
「「「お父様ぁ??!!!」」」
その艦長の発言に、アオイ副長とネルガル社員の二人を除くクルーの皆さんが驚きの声をあげました。
――――しかしまた、全然似てない親子ですね。
『おおぉ、ユリカぁ〜! 元気にしていたか?』
……そして途端に表情を崩すミスマル提督。どうやら加えてあっちは、重度の親バカのようです。
「はい! ユリカはいつも元気いっぱいですから。……ってお父様! これは一体どういうことですか?」
『ゴホン!!――――いや、ユリカすまない。我々は軍の意向を伝えに来たのだ。ナデシコを火星へと向かわせるわけにはいかん!!!』
「…いやぁ、困りましたなあ。軍とはすでに話がついているはずなのですが……」
と、こういう事態になると途端に前面に出てくるプロスさん。ミスマル提督も一歩も譲る様子はありません。
『用件はこちらのほうで聞こう。まずはマスターキーと艦長をこちらへと連れてきたまえ』
「――ほう? では、交渉の余地はありと見てよろしいのですな?……しかしマスターキーというのは穏やかではありませんな。その要求は――――」
「ぐずぐずしないで、さっさと指示に従いなさい!」
プロスさんの言葉を遮るように、ムネタケ副提督が声をあげます。
途端に黙って、なんだか怖い雰囲気になるプロスさんと、さっきからずっと黙ったままのゴートさん。
いっぽうの艦長はマスターキーの手前でなにやら睨めっこしているみたいなのですが………
「艦長、いかがなさるおつもりで?」
怖い雰囲気のまま艦長に尋ねるプロスさん。
「ユリカ、マスターキーを渡すんだ! ミスマル提督の言い分のほうが正しいよ!!」
…って、アオイ副長はミスマル提督サイドにつくんですか? 元軍人だから、しょうがないかもしれませんけれど。
「う〜〜〜〜ん…………」
「艦長!」
「ユリカ!!」
で、結局。
―――――カシャンッ!
「抜いちゃいましたー――っ!!」
「「「あああーーーーーーーーーっ!!!?」」」
「…………メインエンジン、完全に停止。ナデシコ、着水します」
―――どうやらこれまでみたいですね。私は淡々とその報告をしながら、心の中でちょっとだけため息をつきました。
…なんでだかは自分でもよくわかりませんけども。
5.
結局艦長はアオイ副長とプロスさんと一緒にミスマル提督のいる旗艦『トビウメ』に行ってしまい、残った私たちは食堂に閉じ込められてしまいました。
……そういえば色々あったせいで、お昼をまだ食べていません。
でも、いつものジャンクフードの販売機は通路に設置してあるから使えないし……
――――空腹には変えられないし、仕方ないけどここでご飯食べるかな?
「すみません」
「ん? ご注文は?」
カウンターに座って中に声をかけると、返事をしてくれたのはシェフのホウメイさんじゃなくてコックの男の人――――テンカワさんでした。
「何か軽いものを頼みたいんですけど、いいですか?」
「う〜ん…軽いものって、好き嫌いとか、ある?」
「お米とかパンって、駄目なんです。それ以外でお願いします」
「え……」
「どうしたんですか?」
テンカワさんは私の注文を聞くと、なんだか考え込むような仕草をとりました。どうも驚いているようにも見えるんですが…
「あ、いや。ちょっと待っててね! すぐ作るから!!」
そう慌てて言ってテンカワさんは、厨房の奥のほうへと引っ込んでいきました。ちょうどその時。
「隣、いい?」
セミ・ロングの黒髪の女の人――パイロットのサレナさんですね――が、私に尋ねてきました。
「別に構いませんけど、席なら向こうも空いているんじゃないですか?」
「ああ、それがねぇ……ヤマダのバカが男どもと一緒にアニメの上映会なんか始めちゃったから、全然スペースがないんだよ」
苦笑しつつそう言うサレナさん。そういえばミナトさんとメグミさんもカウンターに避難してますね。
ついでにその問題の方角からは、うるさい音楽とともに『ケン』だの『ジョー』だの、さらには『ゲキガン・ソード』だの『ゲキガン・ビーム』だのといった暑苦しい叫び声が聞こえてきます。
「………バカ?」
「かもねー? でも、男の子ってみんな、ああいうもんなんだよ。たぶん」
私の呟きに、そんな言葉を漏らすサレナさん。
「あの人たちは『大人』だと思うんですけれど……」
「まぁ、少なくとも年齢はね。でも、中身がどうかっていうのは別問題でしょ? それがいいことか悪いことかは置いといて、きっとあそこの連中はみんなどこかが子供のままなんだよ」
「………サレナさんって、変な人ですね」
「変? そう??」
「はい、そうです」
「まぁ、そうかもしれないね。私、普通の人と『ここ』が違うみたいだから……」
そう言ってサレナさんは苦笑しながら、自分の頭を人差し指でつつきました。
そんな冗談っぽい発言だったのに、どうもそれが彼女の本音のように思えたのは私の気のせいだったんでしょうか?
――――と、サレナさんは私の顔をじぃーっと見つめてきました。正直、ちょっとだけ怖いです。
「な、なんですか?」
「うん、ごめんね。……ルリちゃんの顔、前にもどっかで見たことあった気がしたんだけどさ……」
そう言いながら、少しだけ困ったように笑うサレナさん。
「人違いだと思いますけど? 私、地球から出たことなんてありませんでしたし、サレナさんもずっと火星で育ったんでしょう?」
「……そーなんだよねぇ。でも、やっぱり…………ま! 私の気のせいかな?」
そしてなにやら一人で納得した様子のサレナさんは、大きな良くとおる声でアイスコーヒーのオーダーを出しました。
と、ちょうどその時。
「はい、おまたせ」
テンカワさんがトレイにスープらしきものと小皿に盛られたよくわからない料理を持って厨房から顔を出してきます。
そして、私の目の前に置かれるその料理。
「…………なんですか?コレ」
それを見て思わず私はそう、問い詰めてしまいました。
…だって、その料理はどうみてもライスにしか見えなかったんですから。
「いや、ごめんね。気に入らなかったかもしれないけど…ルリちゃん、お米が駄目だっていったでしょ?
でも、ジャンクフードばかりじゃ身体にもよくないし、おいしいものがあるのに食べようとしないのは、やっぱ勿体無いって思うからさ」
「……はぁ」
「だまされたと思って、食べてみてよ。おいしいよ?チキンライス。…まぁ、ホウメイさんの程はおいしくはないけど……どうしても食べれなかったら、お代は払わなくていいからさ」
そしてにっこりと笑うテンカワさん。
―――そうやって一生懸命私に食べてもらおうとするテンカワさんを見ていて、私は「そんなに言うならチャレンジしてみてもいいかな?」って思ってしまいました。
仕方ないので、トレイに乗っている大きなスプーンみたいなものを使って一口食べてみることにします。
「んむ……………」
「…………どう?」
緊張した面持ちのテンカワさん。ゆっくりとその味を確かめる私。
「……ちょっと塩味が足りない気もしますけど……おいしいです」
「はぁ……良かったぁ〜」
そして私の感想を聞いて、本当に嬉しそうにテンカワさんは笑いました。続けて私は二口、三口と口にしていきます。
…と、そんな私の様子を見ていたサレナさんがどこか呆れたような様子で、
「アキトってさぁ……女を口説くのがうまそうだよね…」
なんてことを言いだしました。
「な?! なんでいきなりそうなるんですかサレナさん!!」
それを聞いて途端に慌てだすテンカワさん。思いもしなかったことを言われて混乱してるって感じです。
そんなアキトさんを見ていたサレナさんがちょっとだけ意地悪そうに微笑います。
「別に−? ただそう思っただけだよ?」
「お、俺はただ…いつもジャンクフードばっかり食べてるルリちゃんのことが気になってただけで……!!」
「あ、なに? 前から目をつけてたの??」
「だあーーーーっ!! だから何でそうなるんですか?!」
「だってそうじゃん」
「だからぁ……!」
そんな二人の会話をちょっと困ったような、嬉しいような気持ちで聞きながら……私は結局チキンライスを全部平らげてしまいました。
6.
……やっぱりアキトも、ああいうアニメが好きだったみたいで。
「なんか向こうでヤマダたちがやってるけど、アキトは見にいかないの?」
って訊いたのが失敗だったのかもしれない。
最初のうちは、「ああ、あれ子供の頃見てたんですよ。懐かしいな…」とかカウンター越しに言っているだけだったのに……
いつのまにかヤマダたちの輪の中に入っていって夢中で鑑賞している始末だし。
挙句の果てには、
「俺、トビウメに行ってユリカを連れ戻してきます!!」
とか言い出すし。
で。そんなこんなで他のクルーも俄然やる気が出てきたみたいで、結局食堂のメンツ総出でナデシコを奪還することになったんだよね…
――――まあ、じっとしてるだけよりはいいと思うけど。
でも、いくらなんでもアニメがきっかけでそういうこと考えるかなぁ?
そしてフライパンを両手で持ったアキトと、全身が凶器みたいなゴートが外の見張りを張り倒して…それからアキトと整備班の大部分が格納庫に、ゴートと残りが残存勢力の集中しているブリッジを一気に叩くことになったんだ。
私は白兵戦に関しては戦力にはなり得ないので、格納庫に行って待機。
………ちなみにヤマダは食堂で残った女性陣の護衛。なんだかやけに悔しがってたけれど、ケガした自分が悪いんだから。
そうして食堂を出てから10分もしないうちに、ブリッジのゴートから制圧完了の連絡が整備班に入ってきた。
やっぱり、元軍人の肩書きは伊達じゃないみたい。
「――――じゃあ、サレナさん。俺、ユリカを迎えに行ってきます」
それから簡単な身支度を済ませ、そう言ってアキトはエステバリスに乗り込んだ。
マスターキーが抜かれたおかげで格納庫の設備は一切使えない。使えないから、アキトは一昨日に私の使った空戦フレームで出る。
「はやく帰ってきてよ。それと、気をつけてね」
「………はい。それじゃ」
パイロットスーツに身を包んだ彼は、私のその言葉にむず痒いような顔をしながら、そうとだけ応えるとアサルトピットの中に消えていった。
そしてカタパルトからエステバリスが飛び立って行く。
アキトひとりで行ってくるのはちょっと不安だけど、しょうがない。
アイツが自分で言い出したんだし、信じて待つことにしよう―――――――
「……って、何をセンチになってんだか、私は」
なんだかそういう自分が急にアホらしくなって、思わず小さなため息をつかずにはいられなかった。
7.
「さあユリカ、遠慮はいらないよ。どれでも好きなのから食べなさい」
「はあ………」
…プロスさんとジュン君がネルガル本社の人や軍の人と話し合いをしてる一方で、私はお父様に応接間に通されたんだけど…目の前には山のような数のケーキが並んでいたりする。
どれもこれも美味しそうだけど、あまり食べていると太っちゃうかもしれないなぁ………
「それよりもお父様。一つ訊きたいことがあるんですけれど」
「ん? なんだねユリカ?」
私は手近なモンブランを取ると、それをフォークでつまみながらお父様に尋ねる。
「テンカワのおじさまとおばさまのことは覚えていらっしゃいますか? 火星でお隣だった」
「テンカワ?……ああ、あの方たちのことか。
確か一人息子がいたと思ったが、アキト君だったかな……お前の二つ下だったか―――それがどうかしたのかいユリカ?」
私の質問の内容に、不思議そうな顔をしてそう答えるお父様。
「そのアキトに久しぶりに会って聞いたんですけれど、テンカワのおじさまとおばさま…亡くなったそうなんです。それも私たちが火星を後にしたあの日に」
「―――――!」
その沈んだ私の言葉を聞いたお父様の顔つきが、確かに強張ったのに私は気づく。
それに気づいてないふりをしながら、私は一番肝心なことをお父様に尋ねる。
「お父様、何かご存知ないですか? どんなことでもいいんです。知っていることがあったら教えてください」
するとお父様はかすかに唸って、そのお髭を右手でいじってから私の目を見て話し始めた。
「ふーぅむ………確かにテンカワご夫妻が亡くなったというのは私も聞いている。研究所をターゲットにしたテロ事件だったそうだ。
―――事が事だっただけに、お前には黙っていてすまないと思っているが……私が知っているのは、それだけだよ」
「そうですか………」
そしてそんなお父様のご返答に落胆したのもつかの間、応接間にプロスさんとジュン君が入ってくる。
どうもジュン君は浮かない顔をしているけれど……?
「……お待たせしました、ミスマル提督」
「うむ。してそちらの返事は如何に?」
そのお父様の詰問に毅然とした態度で結論を告げるプロスさん。
「当初の協定どおり、『我がネルガルとしてはナデシコの行動はいかなる機関による制限も受けさせない』ということになりました。
―――――残念ですが、交渉決裂ですな」
「そうか………ならば、こちらとしても強制的な手段に出ざるをえないがそれでも――――」
お父様が深いため息とともにそう言葉を続けようとしたその時。
『―――大変です提督!!!』
「…何事かね? 艦長」
ブリッジにいるトビウメの艦長という人から通信が入る。その慌てた様子からして、並大抵のことじゃないみたい。
『当艦の右後方7キロメートルの地点に破棄されていたチューリップが活動を再開しました!!』
「なに?!!――――現在の状況は?!」
『海上に浮上しつつ、活動の範囲を広げています! 護衛艦のクロッカスとパンジーが射程圏内に入るのはもはや時間の問題かと!!』
「すぐにブリッジに向かう!! 旋回しチューリップとの距離を取りつつ、迎撃態勢を整えろ! クロッカスとパンジーへの援護も忘れるな!」
『はっ!!』
そして一連の命令を出し終えたお父様…いえミスマル提督は、私たちのほうを向き直ると、
「非常に残念だが、ここで論議をしている場合ではなくなった。戦闘が終了するまでここで待っていたまえ」
とだけ言って応接間を退室していく。
「提督! 私もブリッジに参ります!!」
「…そうか、頼む」
そしてその後に続くように駆け出すジュン君。
「―――あ、ジュン君!!」
「ユリカはここでじっとしてて!」
ジュン君は私の呼びかけにも構わず、部屋を飛び出していってしまう。
この部屋に残されたのは私とプロスさんの二人。プロスさんはドアを一度だけ厳しい表情で見やると、私のほうへと向き直ってくる。
「どうします?艦長」
「…………ナデシコに戻りましょう」
そして私は、ただそうとだけ言っていた。ジュン君のいってしまったその先をみることなく、そう言うだけだった。
「は? しかし、アオイ副長が……」
聞き返してくるプロスさん。でも私は首を静かに横へと振る。それを見て、プロスさんはその表情を優しく…ううん、仕方なさそうに緩める。
「ジュ…いえ、副長を連れ戻すのは無理ですよ。それはプロスさんもお分かりになっているでしょう?
――――それよりも時間がありません。一刻も早くシャトルへ」
「……はい、艦長」
……そうして急いでシャトルまで戻って。シートに身体を固定させて、プロスさんがすぐにシャトルを発進させて。
「……ジュン君。ごめんね、置いていっちゃって……」
そして、そう小さく私は呟いた。
―――――私は軍には戻れない、あそこは私の居場所ではないって…私にははっきりとわかっていたからこそ。
『ユリカ!これは一体どういうことだね?!』
不意にトビウメのブリッジから、お父様から通信が入る。
「…お父様。ケーキ、ご馳走様でした。これから私たちはナデシコに戻りますので」
『なにぃ?! ナデシコをあけわたすつもりでここに来たのではないのかね?!!』
私の言葉が意外だったようで、驚いた顔をしながらお父様はそう言ってくる。
でもそんなお父様の目を見ながら、私は言う。
「―――――『艦長はいかなる時も、自らの艦を見捨ててはならない』、そう私に教えてくれたのはお父様です。
……それに、私はアキトのことをお父様に聞きに来ただけですよ? 結局お父様は本当の事を教えてはくれませんでしたけど…」
『ユ、ユリカ?! 私は――――』
「お父様、何か隠し事をするときにはお髭をいじるクセがありますから。…だから私、わかっちゃいました。
――ではお父様、私はナデシコに戻ります」
『ま、待ちなさいユリカ。チューリップなら我々が殲滅する、お前はトビウメに引き返しなさい!』
「それはできません、お父様」
『どうしてだね?!』
「だってあの艦には……私の好きな人が待っていますから!」
『な…ななななんだとおオー――――――ッ???!!!!!!!』
そして絶叫するお父様のお顔を最後に、プロスさんが通信を切る。プロスさんは私のほうを向いて、苦笑いを浮かべてくる。
「いやぁ、艦長もなかなかの親不孝者ですなぁ。最後の一言は父親にはかなり堪えますよ?」
「はぁ…そうなんですか?」
その言葉に疑問の声を返す私。
「ええ。それはもう…………っと、あれはエステバリスですね。ということは、ナデシコは我らの手に取り戻されたということでしょうか?」
「―――――まだですよ、プロスさん。私とマスターキーが到着するまでは、安心できません」
「…そうでしたな。では急ぐとしますか」
そしてそう言ってプロスさんは、操縦桿を思いっきり前に押し込んだ。
8.
「艦長はまだ到着しないのか?!」
「現在本艦から4キロメートルの地点を移動中です。到着まであと一分弱」
ゴートさんの問いに対して、私がスクリーンに状況を投影しながら答えます。
…艦長のシャトルをチューリップと呼ばれている敵戦艦の触手から守っている、テンカワさんの乗ったエステバリスの残りエネルギーは最大出力にしてあと2分。
護衛艦のクロッカスとパンジーはすでにチューリップに文字通り『飲み込まれて』しまいましたし、チューリップから見てナデシコと併走する形になっているトビウメも、装甲の硬いチューリップに対して決定的な攻撃手段を持ち合わせていません。
――――つまり、艦長がナデシコに到着するまでにアキトさんが守りきれなかったら、アウトってことになるんですけれど……
『うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』
テンカワさんが予想以上の頑張りを見せているみたいで、あまり心配する必要もないみたいですね。シャトルへチューリップの触手が向かわないようその前で盾になりつつ、時には触手に対して攻撃なんかもしてたりします。
ゴートさんの指示が的確なこともあって、今のところはこれなら何とかなりそうな感じですけれど。
『もしも−し! ブリッジ聞こえてるー?』
と、格納庫のサレナさんから通信が入ってきました。メグミさんがそれに受け答えします。
「はい、こちらブリッジですけど? サレナさん、どうしたんですか?」
『一応こっちも手動で出撃準備が整ったんだけどさ。出たほうがいい?』
「え…と、ゴートさん?」
「今の状況でもう一機出撃しても的が増えるだけだ。もうすぐ艦長のシャトルが到着するから、それまで待機していろ」
『―――りょーかい』
そう言ってサレナさんは通信を切りました。なんだかちょっとだけ不満そうな表情でしたね。
………って、そうこうしているうちにシャトルがナデシコに到着しました。程なくしてブリッジに艦長が到着します。
「遅れてごめんなさい!! それでは各員、持ち場について!」
「もう準備はできてるわよ〜!」
ミナトさんがお気楽な声で艦長に応えます。そしてマスターキーを差し込む艦長。
「メインエンジン、出力回復。エステバリスに重力派ビームの供給を開始します」
「艦長、どうするつもりだ?」
「グラビティ・ブラストのチャージをしつつ、進路を前方のチューリップに向けてください。ゼロ距離射撃で内側から撃破します!!」
「テンカワ機はどうする?」
「射程圏外に避難させてください」
「「了解!!」」
矢継ぎ早に指示を出していく艦長。こういう時は流石と思いますね。
――――そして、ナデシコは進路をチューリップへ。
『おいユリカ!!』
「―――テンカワさん?」
と、予想外と言うべきか、傍目から見れば当然と言うべきか。テンカワ機から通信が入ってきました。
見た限りではとても慌てているようですが、しかし当の艦長は気にした様子もなく前方のスクリーンを睨んだままです。
『ユリカ! 聞いてるのか?!! まさかお前、特攻する気じゃないだろうな?!!』
「アキト、大丈夫だから。私を信じて」
『いやお前、信じてって……』
もう、チューリップは目の前です。その大きく開いた口のようなものの向こうには、本当に虹色としか言いようのない不思議な空間が広がっていました。
「艦長?」
流石に不安になったのか、隣の操舵席からそう問いかけるミナトさん。でも艦長は軽く首をふっただけでした。
そしてナデシコは、チューリップに完全に飲み込まれて―――――
そして艦長の、その一声。
「――――グラビティ・ブラスト、発射!!!」
「グラビティ・ブラスト、発射します」
――――轟音とともにスクリーンは真っ白な光に包まれて………その光が収まった先には、目も覚めるようなあの青い海と、舞い散るチューリップの残骸が広がっていました。
「「「ふぅーーーーーーっ………」」」
思わずため息をつくブリッジの面々。しかし艦長もホントに無茶な手段を思いつきますね。
「ではテンカワ機の回収を急いでください。その後速やかにこの空域から撤退します」
9.
「行ってしまったか………」
僕の隣でそう呟くミスマル提督。ナデシコはすでに小さな光点となって僕らの頭上に輝いていた。
「提督、追わなくてよろしいのですか?」
トビウメの艦長が進言してくる。
「このトビウメだけではナデシコを拿捕することは不可能だよ。――――現時刻をもって作戦は終了だ。これより我が艦はサセボに帰還する」
「はっ」
そうして一通りの指示を出し終わったミスマル提督は、僕のほうを振り向いた。
「……さて、アオイ君。君はどうするかね?」
「―――ユリカを、彼女を止めます。僕がすべきなのはそれだけですから」
僕はただ、それだけを言う。僅かに俯く提督。
「そうか…………部屋を用意させよう。せめて今はゆっくり休みたまえ」
「ありがとうございます」
ミスマル提督に一礼し、僕はブリッジを退室する。………と、同時に重いため息が僕の口から漏れた。
「ユリカ。…………やっぱり君は、僕を選んではくれないんだね………」
でもそれなら。それならば僕が彼女を止めるしかない。このままユリカが地球の敵になるなんて、どうあっても僕には耐えられないから…。
だからユリカ。君は、僕が絶対に連れ戻してみせる。
………でも、でもそうしたらその時には。
君は僕のことを認めてくれるんだろうか――――?
(Act3へ)