ヤマダの奴が死にかけた。
……なんでも脱走したムネタケ副提督とその部下に撃たれたらしい。
幸いなことに、たまたま格納庫を訪れたアキトに発見されて一命は取り留めたんだけれど―――でもあの子供みたいな男はまだ目を覚まさない。あいつは医務室の白いベッドの上で、今も静かに横になったままだ。
―――正義の味方に憧れていたあいつが、戦場でもなんでもない暗い格納庫で死んでしまっていたかもしれないってその事実は……
私には運命の女神っていうヤツが、皮肉げに笑っているようにしか思えなかった。
機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜
第1章 『理想は遠すぎて、この手には掴みきれないけれど』
Act4
1.
「………はぁ」
白い照明に照らされる部屋の中で、私はベッドの上に転がりながらため息をついた。
今の服装は淡いブルーの下着の上に白のブラウスを着ているだけ。とてもじゃないが男に見せられるような格好ではない。
――で、なんで私が着替えの途中で寝っ転がってため息なんかついているかというと、それはヤマダのことが気になるから……では正直全然なくて、あのデルフィニウムとの戦闘で見た、全くもって理解不能だった光景が気になっていたからだ。
今まではあんなにはっきりした『記憶』は――――そう、あれは記憶と呼ぶのがふさわしい――――見たことがなかった。
だいいちアレは、夢ですらない。私がいつものように見ていた、あの曖昧模糊とした夢ですらないのだ。
そして私が過去に見てきたその夢は、決まって悲しそうな表情をした『アキト』の姿だったのに。
そう、あの黒い衣装と黒い鎧と、そして黒い心に身を包んだ『私』の姿。
…なのにあの時みた『記憶』の中で、『アキト』は『ユリカさん』と一緒に笑っていて…………
まだ私には何も見えてこない。あの黒い記憶が、『アキト』の大部分を覆い隠してしまっている。
――――だからこそ、私はもっと『私』の事を知りたいと思う。
ぼんやりと天井を眺めながら、私が『アキト』について今までにわかっていることを思い起こしてみる。
夢の中で彼は、『私』は…ボロボロの体を引き摺るようにして、あいつらに囚われた『ユリカさん』を助けようと戦っていた。
……いや、それだけじゃないんだ。それは『私』にとって、『アキト』にとって、復讐の意味もあったんだ。
『アキト』も『ユリカさん』もあいつらに捕まって、自分だけは体をボロボロにされながらもなんとか救出されて。
『アキト』は―――自分をそんな体にしたあの『火星の後継者』って連中に復讐をするため、そして『ユリカさん』を連中から助け出すためにって、あの暗くて長い闇の道に足を踏み入れたんだから。
――――それが、私が今知っている『アキト』の人生。
でも私は、それしか知らない。
それしか覚えていない。
……その前にあったであろう平凡で幸福な人生も、その後『アキト』がどういう一生を送ったのかも――――――
あまりにもあの『黒い記憶』が強烈過ぎてまるでそれにかき消されてしまったとでもいうように、私の夢には一切出てこないから。
だから、やっぱりナデシコに乗ったのは正解だったと思う。今はそう確信できる。
現にああして私は今まで知らなかった『アキトの記憶』を見た。きっとこれからも色々なことを『思い出す』のだろう。
―――そしていつかは、全てが…………私の中に眠っている、私の知らない秘密の全てがわかる日がくるはず。
…そう思いながら両足を高く上げると、私は勢いよくベッドから跳ね起きた。
「………ふう。それじゃ、さっそく情報収集に行くとしますか」
心機一転、手早く制服に着替えた私は髪をセットし直すとそのまま部屋を出て行く。―――さて、まずは誰からあたっていこうかな?
「―――こちらND-001ナデシコ。サツキミドリ、応答してください!! こちらND-001ナデシコ。サツキミドリ………」
とりあえずターゲットに決めたユリカさんをお昼に誘おうと思って訪れたブリッジは、とても緊迫した空気に包まれていた。
通信士のメグミが何度も無線で呼びかける中、他のクルーもみんなそろって真剣な表情をしている。
「……プロスさん、いったいどうしたんですか?」
私はとりあえず、話しかけても支障のなさそうなプロスにそう訊いてみた。
「おや、クロサキさん。実はですね、コロニー・サツキミドリとの通常交信可能区域に入ったのですが、一向に向こうからの応答がないのですよ」
と、プロスはその緊張した表情を崩さずに言ってくる。
「応答がない? それって……」
「もしかしたら、木星蜥蜴の攻撃を受けているのかもしれません。
あそこはビッグ・バリアの外側にあるとはいえ、軍の一個中隊が駐留していますので生半可な攻撃ではびくともしないのですが……」
そういって言葉を濁すプロス。と、ルリちゃんが不意に声をあげる。
「映像、届きます」
「「「!!!」」」
そしてブリッジのクルー全員が一斉に驚き、硬直し、息を呑んだ。
―――なぜなら前面に表示されたスクリーンには、ナデシコの望遠レンズによってとらえられた、大破したサツキミドリが映し出されていたのだから。
「あ……」
交信を思わずやめ、その口を手で抑えてかすかに震えるメグミ。
絶句する彼女の見つめるスクリーンの中、そのボロボロになった隕石型コロニーの周辺には、その破片に混じって明らかに機動兵器や戦艦のものと思われる残骸が漂っている。
――――――間違いなく、大勢の人がそこで死んでいた。
「メグちゃん! 生存者がいるかもしれないから、コンタクトを続けて!!」
「あ…はい!」
ユリカさんの叱咤の声で正気に返り、たどたどしい口調で再び交信を試み始めるメグミ。
重々しいブリッジの空気の中、彼女の必死な声だけが静かにこの空間に響き渡っていた。
2.
ナデシコ食堂の厨房で中華鍋を振るいながら、俺はガイのことを考えていた。
…あと少し発見が遅かったら、ガイは死んでたかもしれないって医者は言っていて―――幸いそうはならずにあいつは助かったけれど、あれから1日経つのにまだ目を覚まさなくて。
(でもなんで……なんでガイが撃たれなくちゃならなかったんだよ…?)
―――そして、俺にはただそのことだけが納得できなかった。
ガイを撃ったのは捕虜になっていた軍のやつらだ。ナデシコと軍が対立していたっていうのは理屈ではわかっているけど……でも、だけど感情ではどうしても納得できないんだ。
それに、なんで整備班のみんながいつもどおりの平然とした表情を装っていられるのかもわからない。ウリバタケさんも他のみんなも、一緒にゲキガンガーのビデオを見て騒いだりしたのに、今はガイのことなんか全然気にしていないように俺には見える。
……結局ガイは、みんなにとって他人でしかないんだろうか?
だとしたら、もしかすると俺のこともみんなは――――
「ほらテンカワ!! なにボサッとしてるんだい!」
「…あ、はい! すいません!!」
と、手元がお留守になっていたせいでホウメイさんに怒鳴られてしまう。とりあえず俺は目の前のチャーハンに集中してそれを完成させると、鍋を横手において一息ついて。
「―――テンカワ、少し疲れてるんじゃないか?」
そんな俺を見てホウメイさんが尋ねてくる。
「いえ、まだ大丈夫です」
それに愛想笑いを浮かべながら返答すると、ホウメイさんは腕を組みながら俺の顔を見てさらに言ってきた。
「本当かい? ただでさえパイロットの訓練なんかもやってるんだ、平気なわけないだろう?…いいからちょっと休んできな」
「でもホウメイさん……」
「今のお前さんには休養が必要だよ。まるで『心ここにあらず』って感じじゃないか」
そう言ったホウメイさんはとても心配そうな表情を俺に向けてくれた。この人のそんなちょっとした気遣いが、今の俺にはたまらなく嬉しく感じて――――
「…じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ休んできます。どうもすいません」
俺は思いっきりホウメイさんに頭を下げると、調理道具を片付けて厨房の奥へと向かう。
そしてそのままロッカーにエプロンなんかを仕舞っていると、サユリさんと昼食をとっていたジュンコちゃんに話しかけられる。
「あれ、アキトさんも休憩ですか? だったら一緒にご飯食べません?」
「ううん、ちょっと出てくるからさ。ごめんね、また今度ね」
「そうですかぁ…それじゃ、ごゆっくり〜」
そしてちょっとだけ残念そうな顔をした彼女と…なにやらそんなジュンコちゃんに視線を向けているサユリさんに挨拶をして、また厨房に引き返したその時。
「――――それと、テンカワ」
不意にホウメイさんが声のトーンを落として言ってきた。
「…なんですか?」
振り向いた先に立っていたホウメイさんは、さっきまでとは違って真剣な表情で、なんだか戸惑ってしまう。
その目でじっと、俺のことを見てくる。
「わかっているとは思うけど、ウリバタケ班長を責めるんじゃないよ?…一番ショックを受けているのはあの人なんだ。
でも、あの人はそれを表に出すことはできない。整備班のリーダーとして、そんなことをして仕事に影響を与えるわけにはいかないからね。
もちろん、他の連中だってそうさ。みんな、そうやって気持ちを押し殺して仕事をしてるんだよ――――――あたしが言いたいのはそれだけさ」
…それは、ホウメイさんのその言葉は、俺にとっては思いがけない言葉で……そして多分、なによりも言って欲しかった言葉で。
――――俺は少しだけ心の中のもやもやしたものがなくなったのを感じながら、ホウメイさんに最後にお辞儀をして食堂を後にした。
そしてそのまま展望室へと向かって、その青い人工芝の上に寝転がる。
ホウメイさんのおかげで朝よりはだいぶマシな気分になったけど、それでもまだガイのことが気がかりで……
スクリーンに映し出された青い空はホントに綺麗だっていうのに、次第に俺の心は曇っていくのがわかる。
「―――いや! そんなことはない!! ガイがこんなところで死んだりするもんか!」
唐突に起き上がった俺は、そんな重い気分を振り払うようにして頭を強く左右に振った。
そしてまた天井のスクリーンに広がる空と雲とを、ただぼうっと眺めてみて。
そうしていたら、ふと何かが見えてきた気がして。
…と、ちょうどその時。
「――――隣、いいですか?」
「え?……あ、うん」
いつのまに展望室へ入ってきたのだろう、笑顔を浮かべて立っていた通信士のメグミちゃんがそう言ってきた。
特に断る理由もないので俺がそれを了承すると、彼女はその一つに編みこんだ長い黒髪を揺らしながら、少しだけ俺との間を空けて隣に座り込んでくる。
「どうしたんですか? アキトさん。なんだかぼうっとしてましたけど」
そして僅かに笑顔の消えた表情で、メグミちゃんが言ってきた。
「うん………ガイのことをさ、考えてたんだ」
「ヤマダさんですか?」
「そうだよ。あいつが脱走した捕虜の人たちに撃たれて、もうちょっとで死んじゃうような大怪我をしてさ。
―――それで、『ああ。俺たちは本当に戦場にいるんだなぁ』って……今まで蜥蜴と戦ってきて、それでもうわかっていたはずなのにさ?」
そう言って、ひざを抱え込んで俯く俺。
「……アキトさん」
「まさかナデシコのクルーが、そしてパイロットであるガイが死ぬかもしれないっていうことは…本当は全然わかっていなかったんだよ、俺は。
理屈ではわかっているつもりでいても、心のどこかでそんなことはあり得ないっていう気持ちがあったんだ。
――――でも、こうやってここでぼうっとしてて……ふとその事に気がついたらさ。みんながガイのことを気にかけてないように見えた理由が、なんかわかっちゃった気がして――――」
「――――私も、アキトさんと同じなんですね」
不意にメグミちゃんは、沈んだ顔をしてそう言ってきた。
「……メグミちゃん?」
「―――サツキミドリが、木星蜥蜴に襲撃されてたんです。もうなにもかも壊れてしまっていて、みんな死んでしまっていて……」
「本当なの?! それ!」
メグミちゃんが教えてくれた、突然のニュースに俺は驚愕する。メグミちゃんは無言で頷くとさらに言葉を続けた。
「でも、それなのにブリッジのみんなやサレナさんはあまり動揺してないみたいでした。少なくともあの時、私にはそう見えたんです。
私にはとてもショックだったのに……なんでみんなはそうやって平気そうな顔をしていられるんだろうって…!
でも―――アキトさんの言うとおりですね。私もわかっていなかったんです。
私たちは、どんなに理由をつけてみても結局は、戦場の真ん中で戦ってるんだってことが……私にはわかってなかった……。
……でも、私はみんなみたいに割り切って考えたりはできません。それで、こんなんで私はこの先本当にやっていけるのかなぁって考えたら……」
「――――そうじゃないよ、メグミちゃん」
「…アキト、さん?」
俺の口から漏れた一言に、メグミちゃんは顔を上げて問い返してきた。
「俺もそう思ってた。みんなはガイのことなんか、全然気にしてないんじゃないかって思ってた。――――――でも、ホウメイさんが教えてくれたんだ。
『みんなも心の中じゃショックを受けている。でも、それを表に出してしまうとどんどん悪い方向に向かっていっちゃうから、みんなはそれを心の中だけに仕舞ってるんだ』ってね…」
「――――強いんですね、みんな………」
「そうだね……」
そうして俺とメグミちゃんは、ただぼんやりと目の前のスクリーンに映し出されている草原と青空を眺めていた。隣にいるメグミちゃんを横目でそうっと見てみると、彼女はちょっとだけ元気の戻った様子でスクリーンを眺めている。
…俺は勢いよく伸びをすると、彼女が隣にいるのもかまわず思いっきり芝生に仰向けになって寝転んだ。
そして思わず天上のスクリーンを見ながら呟く。
「はぁー……、きっれえな空だよなぁ……」
「………そうですね」
続いてメグミちゃんも体を静かに倒しながらそう言ってくる。――――と。
…唐突に情けない音を立てて、俺の腹が鳴りやがった。
「??……ふふっ」
「あ…いや、ははははは……まだメシ食ってないんだ、俺」
苦笑しているメグミちゃんの顔を苦笑いしながら見つつ、そう言う俺。
ちょうどその時、まるで俺の腹の虫に刺激されたようにメグミちゃんのお腹もかわいい音を立てて鳴る。
「……実は、私もなんです」
困ったような笑顔を浮かべつつ、俺の顔を見て言うメグミちゃん。なんとかこの場をフォローしなくちゃな、と思いつつ…ちょうどいいので彼女をお昼に誘うことにした。
「じゃ、お昼食べにいこっか?」
「…ご一緒してくれるんですか?」
そう問い返してくるメグミちゃんに、思わず笑いながら俺は答える。
「ああ…―――俺でよかったら、喜んでご一緒させていただくよ」
3.
メグミちゃんと一緒にお昼を食べて、それからまたしばらくして…俺がガイの様子を見に医務室へ来ていた時、担架を担いだ整備班の人たちがなにやら騒ぎながらやってきた。
…見ると、パイロットスーツを着た見慣れない女の子がその上には乗っている。
「ホレ、お前は肩持って!」
「よーし、いくぞ!」
なんだか掛け声を上げながら、その女の子をベッドの上に横たえるみんな。
ややあって作業が一段落したらしいので、気になったその眼鏡の女の子の事を訊いてみる俺。
「…どうしたんスか? その子」
「いやな、サツキミドリから脱出カプセルで射出されたらしいんだがその時の衝撃で気を失ったらしくてな。
―――って、それよりもテンカワ! お前もちょっと格納庫に来い!!」
と、その整備班一人、ユウキさんは俺を見て手を煽りながらそう言ってきた。
「え? なんで??」
「いいからさっさと来るんだよ! ウリバタケ班長の命令だ、逆らうと後が怖えぞ!!」
「ええーーっ?!」
……で、結局俺はユウキさんの痛烈な脅しに屈服して格納庫にやってくる。
そこには何故かサレナさんも来ていて、さらに加えてその場の雰囲気はとても物々しかった。
「あ、アキト」
俺の姿に気がついて、こっちを向きがら声をかけてくるサレナさん。
「サレナさん、どうしたんですか? なんだかすっごく緊張した雰囲気ですけど……」
「所属不明のエステがナデシコに向かってきてるんだって。ユリカさんは敵じゃないだろうから収容するようにって言ってるんだけど――――」
「所属不明?」
「通信に応じないんだってさ。ルリちゃんが言うには通信系統が故障してるんじゃないかって」
そう言ってサレナさんはハッチのほうを見やる。
向こうではウリバタケさんの指揮のもと、整備班が着々と収容の準備をすすめていて。
「……そう言えばサレナさん。サツキミドリが襲撃されたって、本当ですか?」
「あ、うん。ホントだけど。…でも誰に聞いたの? ブリッジにいたクルー以外はまだ知らないはずなんだけどな」
俺がそのことを聞いてみると、単純に不思議そうな顔をしながら、サレナさんはそう訊いてきた。――――見た目は全然そうは見えないけれど、この人もサツキミドリのことはショックを受けているんだろうか…?
「メグミちゃんに聞いたんですよ。展望室で考え事をしてたら…偶然彼女が来て、それで」
「メグミ?」
と、サレナさんが意外そうな顔をしてさらに訊ねてくる。
「彼女、大丈夫だった? あれからメグミだけ思いっきりショック受けてたみたいだったから、ブリッジのみんなが心配してたんだよ」
「―――多分、大丈夫ですよ。確かに落ち込んでましたけど、一緒に話をしてたら少しはすっきりしたみたいですから」
そして苦笑しつつそう言った俺の顔をどこか不思議そうな顔で見ていたサレナさんは、ふと僅かに微笑んだ。
「そっか。……ちょっとだけ安心したよ。メグミのこともそうだけど、お前も相当落ち込んでたからね。
――――――これであとは、ヤマダの奴が目を覚ますだけか」
腰に両手を当てながら、一息ついたような様子でサレナさんがそう言う。……そんなサレナさんを見ていたらふと俺は、サレナさんはガイのことをどう思っているのかをそれとなく訊いてみたくなった。
…サレナさんはガイのことを心配してくれてたんだろうか?
それと…ガイのこと、異性として気になってるんだろうか……って。
「――――あ、あの…」
聞きたいような、でも聞きたくないような…そんな気持ちでその問いかけを発しようとしてたその時。
「ウリバタケさん!! 準備はできましたか?!」
―――なんだか絶妙のタイミングで、副長のジュンが叫びながら格納庫に飛び込んでくる。
「おおよ。こっちはもう、いつでもオーケイだぜ?」
それに対して整備班の制服の上に薄いグレーのジャケットを羽織ったウリバタケさんは、その後ろでそれぞれパイプや作業用ドリルなんかで武装している整備班のみんなを横目で見ながらそう言う。
「ユリカ。格納庫は準備完了だよ」
それを受けてジュンが、コミュニケを操作しながらブリッジにいるユリカに伝えて。
『うん。じゃあルリちゃん、ナデシコの外部ハッチを開けてくれる?』
『了解。外部ハッチオープン』
続いて画面の向こうで、ルリちゃんにそう命令するユリカ。ハッチの向こうから鈍い音が聞こえてくる。
そして、何かがナデシコの中に着地する音。
『外部ハッチ、クローズ。空気注入――――気圧、正常値。続いて内部ハッチ、オーブンします』
「さぁて……くるなら来やがれってんだ」
緊張した面持ちで、手に持ったスパナを握り締めるウリバタケさん。
―――――まさか、起動しているエステをそのスパナやドリルで分解する気なんだろうか?
そんな俺たちが見つめる中、内部ハッチの重くて分厚い扉が開いていって―――
そして、真っ赤なエステバリスが大量の荷物――――黄色と青緑の2機のエステバリスと、装備や弾薬が入っているらしいツール・ボックスとを引き摺りながら、格納庫へと入ってくる。
「……信号機?」
サレナさんがそんな気の抜けた声を発するなか、問題の赤いエステからパイロットが降りてくる。赤いパイロット・スーツを着たその女性パイロットは、やけにラフな仕草でヘルメットを脱ぐと、
「ふは〜〜〜〜っ…ったく、やってらんねぇよな――――――スバル・リョーコ、ただ今到着したぜ?」
グリーンに染めたそのショートヘアを撫でつけながらジュンに向かってそう言い放ってきた。
「あ、ああ。……生存者は君だけなのかい? 他のパイロットは―――」
「さあな。こっちは蜥蜴どもから身を隠しててそれどころじゃなかったしよ……今ごろどっかで隠れてんのか、それとももうくたばっちまってるのか……」
やや戸惑った様子のジュンの問いかけに、口をはさむようにしてそう答えるそのパイロット。
…なんていうか、とてもワイルドな性格らしい。その仕草や言葉遣いを見ているとそう思えてくる。
「それよりもさ、腹減ってんだよ。なんか食うもんないか?」
そして疲れたような口調で彼女がそう言ったその時。
「ああーーーーーーっ!!! リョーコだぁ!」
突然格納庫の入り口から、聞きなれない女の子の声が聞こえてきて。
いっせいにその方向を振り向くみんな。その声の聞こえてきた先を見たパイロットの彼女―――リョーコさんが、途端になんだか嫌そうな顔をする。彼女に向かって大声で話しかける。
「……って、ヒカル!! なんでお前がもうナデシコに乗ってんだよ?!」
「だって脱出カプセルでさっさと逃げてきたんだもーん。まぁナデシコに回収されたのは運がよかったとしか言いようがないんだけどね」
そしてリョーコさんとジュンのそばに駆け寄ってきた、ロングの茶髪に眼鏡をかけた女の子。
……っていうか、さっき医務室に運ばれてきた子なんだけど―――その彼女を見ながら、ジュンが尋ねる。
「君は?」
「えーっと、私はアマノ・ヒカル。リョーコと同じくナデシコの補充パイロットでーす!
それで貴方はどこのひとですかぁ?? なんかすっごくキレイな顔してるけど、ホントに男の人ぉ?」
なにやら簡潔な自己紹介をしたかと思ったら、やけに怪しい目つきをしながらジュンの顔を覗き込もうとしたその子の頭を、リョーコさんが思いっきりはたき倒す。
「この、ドアホ!! この人はナデシコの副長だよ! お前もおととい資料見ただろが!!」
「えー?! うっそぉ?!!」
と、非常に困ったような顔をしたジュンが二人に向かって口を開く。
「―――…あのさ。とりあえず、艦長に着任報告をしてくれないかな?」
「えー? でも、まだイズミがいないよー?」
それになんだか不満そうな声をあげるヒカルさん。…なんかさっきからずっと能天気な人だなぁ。
「……あいつはいなくてもいいだろ。このまま成仏してもらうのがこの艦のためだ」
そしてリョーコさんがそんな辛らつな意見を述べた矢先。
彼女のパイロット・スーツの手首についている無線から、か細い女性の声が聞こえてきた。
『――――勝手に、殺さないで……』
「げ」
非常に簡潔な呻き声を漏らすリョーコさん。
「イズミ?! 生きてるの??! どこどこ、今何処いるのー?!」
スバルさんの腕にかじりつくようにして、ヒカルさんが大声をあげる。
『それより……ツール・ボックスを、早く…開けて………』
「あん?」
その要求に訝しげな声をあげたリョーコさんは、指示どおり手元に持っていたリモコンを操作してダークグレーのツール・ボックスのロックを解除した。
…軽い圧搾音を鳴らして、ボックスのサイドについているポケットの一つが開いていく。
何故か内部からドライアイスらしき白煙がもれ出てくるなか、そこからパイロット・スーツに身を包んだ一人の女性がゆっくりと姿を現す。
「「「おお……」」」
低いため息と、歓声とをあげる整備班の面々。その女性は艶やかで長い黒髪を揺らしながら、その体をそらすようにして肺いっぱいに空気を吸い込んでいる。
……はっきり言って、かなりの美人だ。ブリッジの女性陣やサレナさんにも引けを取らない、いやもしかするとそれ以上かも。
そんなことを俺が思うなか、かすれたその声でその女性は静かに言ってくる。
「はぁ…………空気がおいしい。生き返るようだわ…………」
そして。
「こンの――――ド阿呆ーーーーーー!!!!」
何故か激怒した様子のリョーコさんが、ツール・ボックスめがけて一目散に走っていた。
「ちょ、ちょっとリョーコ―――?」
そしてその女性が誰何の声をあげるのもかまわず、渾身の力でそのポケットのドアを押し込み始めた。
「この! この! このこのっ!!」
「きゃあああああああああっ??!」
必死になって踏ん張る女性と、やけくそのようになってドアを押し込んでるリョーコさん。
「てめぇアホかっ! ンなとこ長時間入ってたら窒息死するだろうがっ!!!」
と、
「ちょっとリョーコ、お願いだかシメないでよっ!
…………鯖じゃ、ないんだからさぁ……――――――」
……途端、あたりが脱力した空気に包まれる。彼女を形だてる大切な何かが、音を立てて綺麗さっぱり砕け散った気がする。
「ぷっ……くくくく―――あはははは!」
そんな中で一人、座り込みながらツール・ボックスの縁を狂ったように叩きはじめるその女性。
さっきまでの面影なんか微塵もなく、なんだか狂ったようにその縁を叩いてる。
「な…何なんだ、この人?」
「アハハハハハ………アーーッハッハッハッハッハッハッハハハハ………!」
「……こいつの名前はマキ・イズミ。以下略だ」
そしてその頭を片手で抑えつつ言ってくるリョーコさん。
格納庫にいるみんなが疲れたようなため息を一斉に漏らす中、やっぱりイズミさんは一人ひたすらに笑い続けていた。
4.
「……待機、ですか?」
「そうだ」
私の発した問いに、目の前に立つゴートがそう簡潔に答える。
「まだ戦闘経験の浅いお前たちに、いきなり0G戦―――無重力戦闘をやらせるわけにはいかん。
エステバリスの回収だけならスバル達だけで十分だ、お前たちはトレーニングでもしているといい」
―――――というわけで、例のパイロットたちと副長率いる調査隊がサツキミドリに向かう中、私はトレーニング・ルームのシミュレータの中で暴れまわってたりする。
ちなみにアキトの奴はヤマダの様子を見に行った。………ホントあいつもマメだよね。
一方、私の目の前の画面には7機のエステバリス。
リーダー格の赤いヤツの指揮のもと、その両端に並ぶ黄色い6機のエステが次々と私の機体に攻撃を仕掛けてくる。
…まず突出してきた1機のワイヤード・フィストによる攻撃から身を反らし、そのアサルト・ピットを狙ってラピッド・ライフルを2連射。
でも、フィールドに阻まれて弾丸は機体まで届かない。続いて2機が左右から囲むようにして襲いかかってくる。
「――――!!」
何とかして上空に逃れた私の機体に、さらに3機が集中射撃を浴びせてきて。
……そしてトドメとばかりに突撃してきた、赤いエステバリスの持つイミディエット・ナイフにアサルト・ピットを貫かれてジ・エンド。
「はぁ………やっぱり1対7じゃ、ボコボコにされてお終いだよね」
画面に写る、無残にブチ壊された黒いエステを見ながら私は呟いた。
だいたい、対多数戦闘をやるには装甲が薄すぎるし…なにより今の私のエステじゃ、あの『夢』の中の黒いヤツに比べてスピードが遅すぎるんだ。
「そう! とにかくエステが遅いんだよね……でも、こればっかりはなんともならないか」
軽いため息をつくと、私はシートに体を横たえる。
…さっきからもう十回以上も同じ事をしているけど、どれも結果は同じ。あちらさんにタコ殴りされて即ゲームオーバーだ。
「やっぱり、そう簡単に思い出したりはしないかな………」
そしてゆっくりと目を瞑り、あのとき見た光景を心の中に懸命に描き出そうとしながら私はそう呟いた――――――
……こうしていれば、また何かを『思い出す』かもしれないって思ったのに。
少しは何かがわかるかもしれないって、そう思ったのに。
でも、しばらくそうやって目を閉じていたけれど、やっぱり何も思い出さない。私はシミュレータの終了手続きをとると、ゆっくりとボックスの外へと出る。
………とくにやることもないし、部屋で寝てよっかな? と思い、トレーニング・ルームの出口へと向かったその時。
「サレナさん!!!!」
――――――とても嬉しそうな顔をしたアキトが、ドアを開けて飛び込んできた。
「ど、どうしたの?」
その尋常じゃない様子に、私は戸惑ってしまう。
「ガイが、ガイが目を覚ましたんですよ!―――ほら、サレナさんも早く!!」
「え? ちょっと……おわぁ!」
そしてアキトは私の手を強引につかむと、そのまま有無を言わさず私を引き摺るようにして走り出した。
「ぐが…いてててててててて…………」
「……???」
――――アキトに散々引っ張られてたどり着いた医務室では、何故かヤマダのヤツが両手で虚空を掴みながら唸っていた。
「ヤマダ? なにやってんの?」
アキトに右手をつかまれたまま、私はそう尋ねる。
「それがさ。ガイの奴、いきなり目を覚ましたかと思ったらおもいっきりベッドから跳ね起きようとして――――医者も呆れてましたよ」
そのときの光景を思い出したのか、苦笑しながらアキトが言った。と、ヤマダがこっちを振り向いてくる。
「お、クロサキ――――って、なんでお前ら手ぇ繋いでんだ?」
「え゚…? あ!」
不思議そうにベッドの上でそう言うヤマダに指摘されてはじめて気がついたらしく、アキトが変な声をあげる。程なくしてなんだか困ったように私の手を離すアキト。
「こいつが私の手を掴んでトレーニング・ルームから引っ張ってきたんだよ。余程お前が目を覚ましたのが嬉しかったんだろうね。
……ま、とにかく。無事で何よりだ」
そんなアキトはとりあえず置いといて、私は少しだけ微笑みながらヤマダにそう言ってやった。
私はヤマダのベッドの傍まで近寄ると、そこに置いてあった椅子に腰掛ける。
「……なぁ、あれからどうなったんだ?」
と、アキトも続いて私の隣の椅子に腰掛ける中、不意にヤマダがどこかぼうっとした表情になって訊いてきた。
「あれからって――――」
言いよどむアキト。ヤマダはさらに言葉を続けてくる。
「格納庫で不審な連中を見て、俺は声をかけたんだ。
そしたら、急に意識が真っ白になって……気がついたら、やっぱり真っ白な天井が俺の目の前にあった。――――やっぱり俺は、死にかけたのか?」
「そうだよ」
「…サレナさん?!!」
ヤマダの問いに対する私の断定的な物言いに、語気を荒げて抗議するアキト。
でも私はそれに構わず、言葉を続ける。
「本当に危ないところだったんだから。…アキトの奴がお前を探して格納庫まで来てたから助かったんだ。だからアキトに感謝しなよ」
「―――――そうか。ありがとな、アキト」
「…ううん、いいんだよガイ。ガイが生きててくれて…俺、ホントに嬉しかったから。早く怪我治して、また一緒にゲキガンガー見ような?」
「……ああ、そうだな――――」
なんだか『らしくない』笑顔でアキトに礼を言うヤマダと、ちょっぴり涙ぐみながらもそう嬉しそうに言うアキト。
そんな二人の雰囲気に少しだけもらい泣きなんかをしそうになりながらも、私は静かに、なだめるようにヤマダに言う。
「ヤマダ。…今はゆっくり休んだほうがいいだろ? 私もアキトも、しばらく席をはずすからさ――――ほら、アキト」
「え? あ、はい…」
突然そう言われて戸惑っている様子のアキトを押しながら、私は医務室の出口へと向かった。
―――と、ヤマダが少しだけ、ホントに少しだけ辛そうな表情をして言ってくる。
「クロサキ、済まねぇな―――――」
「いいのよ。…じゃ、おやすみ」
それに私はできるだけやさしい声で応えてあげると、アキトを押しながら医務室を出た。
そして程なくアキトが納得の行かない顔で訊いてきた。
「……サレナさん。なんでもっとガイの傍にいてやらないんです?」
「あいつはプライドのすごく高い奴だからね。…一人じゃないと泣くこともできないだろうから」
「え?――――――」
…私の言った言葉がそんなに意外だったんだろうか。アキトは誰が見てもはっきりとわかるほど驚いた表情を浮かべていた。
私はそんなアキトの顔をなんとなしに見ながら、壁に軽く寄りかかりながら言う。
「あいつはホントにぎりぎりのところで、死の恐怖を味わってきたんだ。それが今からいっぺんにあいつの心に襲いかかってくる。
―――きっと今頃、ヤマダはベッドの上で号泣してるよ。……だから、しばらくはそっとしておいてやろう?」
「……………はい………」
とてもやりきれなさそうな顔をして医務室のドアのほうを見るアキト。
その先にある白い部屋のはじっこから、俯いているヤマダの小さな嗚咽が聞こえてきたような気がして――――何故か、そんな気がして。
だから私は黙って、静かにこの場を後にした。
5.
……それから数日たって。
無事だった物資の補給とサツキミドリの調査も終了して―――僅か十数名だった生存者を救出して。
そして彼らが地球へ帰還するのを見届けてから、ナデシコは再び火星に向かう航路へとついた。
で、パイロットである私は例の補充パイロットの三人やアキトとともに、毎日トレーニングに明け暮れているわけである。
「おいサレナ!! てめー汚ねぇぞ、ちったぁまともに勝負しろ!」
「やだ。殴り合いなんかする気ないもの」
さて。そんなこんなでトレーニング・ルームにてひっきりなしに続けられる模擬戦闘。
執拗に接近してこようとするリョーコの赤いエステをなんとか振り切りつつ、ネチネチと遠距離から射撃を加えていく私。
どうやら彼女は射撃より接近戦のほうが得意らしい。
「この! この! この!!――――――って、ああ?!!」
結局突っ込んできたリョーコ機のアサルト・ピットを撃ち抜いて、勝負は私の勝ちとなる。
「ふう……これで5勝8敗か」
「む、むぐぐぐぐぐぐぐ……………」
私はボックスの扉を上げながら、呟くように言う。
隣のボックスでは素人上がりの私に5敗もしたのが悔しいのか、リョーコが拳を握り締めながら唸っていた。
そんな彼女を見て少し困りながらボックスを降りると、
「いやー、見事にリョーコの弱点をついてるよね〜。でもなんでそんなにリョーコの手口に慣れてるわけ?」
スポーツ・ドリンクをストローで吸いながら、休憩していたヒカルが不思議そうに聞いてきた。
「療養中のパイロットにヤマダっていうのがいるって言ったでしょ? あいつも接近戦ばっかしたがるタイプだからさ、たぶんおかげで慣れちゃったんだよね」
「…ヤマダ? 強いのか、そいつ」
続いてボックスから降りながら、私の返事に反応するようにリョーコが訊いてくる。
「暑苦しいよ」
「「はぁ?」」
その私の簡潔な返事に、そろって疑問の声をあげる二人。ついでに言えば、ヒカルのむこうでアキトの奴が苦笑してたりするんだけど。
――――ちなみにイズミはなんだか、別の世界に旅立ってるみたいだから気にしないほうがいいかもしんない。
「普段はまだいいんだけどね。エステに乗ると人格変わったみたいに騒ぎ出すし、おまけに大声で叫びながら攻撃するし……
この前なんか、避ければいいのにデルフィニウムのミサイルをまとめて片手で弾き飛ばしたんだから。――ねぇ、アキト?」
「え? あ、はい」
私の問いかけに生返事をよこすアキト。と、ヒカルがなにやら笑いをこらえながらリョーコに向かって話しかけた。
「うっそ〜?! さっすがのリョーコもそこまではしないもんねぇ」
「う、うるせえな!!―――でもよ、それにしてもサレナの腕は素人にしちゃ異常なくらい良くねぇか?」
「そう? ていうか、8勝もしておいてそういうこと言う?」
どこか不審げに言ってくるリョーコに、ちょっとだけ不満げにそう言う私。
「俺らはもう200時間以上訓練してるからな。
だいいちお前と同時期にエステに乗ったって言うテンカワは、俺に10戦中1勝できるかできないかくらいじゃねぇか」
「そうそう、どうもリョーコとやってるのを見る限りじゃ素人さんには思えないんだよね〜。私やイズミなんかとやるとボロ負けするのにさ」
「……おいヒカル。それは俺がお前らよりも弱いって言ってんのか?」
途端にちょっぴり険悪な表情になってヒカルを睨むリョーコ。
「違うよー。多分、相性の問題だと思うんだけど……」
「――――サレナさん、そんなに凄いの?」
と、ドリンクを飲みながら一息ついていたアキトが会話に入ってきた。
「……凄えっつうか、妙なところで玄人っぽいんだよな。サレナは」
「あ、それ言えてるかも。まるで初めてエステちゃんを操縦したっていうよりかは、久しぶりに動かしたってみたいな感じがするんだよね」
「アレか? やっぱ、昔なんかやってたとか」
なんていうか、興味心身な目で私に聞いてくるリョーコとヒカル。
でもまさか、『昔から夢の中で動かしてました』なんて答えはバカバカしすぎるしねぇ……
「ヤマダにも訊かれたけど、思い当たることはないなぁ。
――――強いて言えば、IFSは7歳だか8歳だか……その頃から付けてたけど」
「ええーーーー?!! それって、ちょっと早すぎない?」
と、いきなり驚いた声をあげるヒカルと、そんな彼女を見て苦笑いを浮かべるアキト。
それを見たリョーコが、不思議そうな顔をする。
「なんだ? もしかしてテンカワも、そんな頃からIFSつけてたのか?」
「うん、まあ。…俺もサレナさんも火星育ちだからさ。
確かに向こうでも子供の頃からIFSをつけるのはちょっと珍しいけど……でも、向こうじゃ大人は大抵つけてたしね。生活必需品だったんだよ」
そう言って、アキトは自分の右手についているIFSをなんだか懐かしそうに眺めた。
―――――と、不意に壁にかけられている時計を凝視して、アキトは思いっきし硬直する。
「………アキト君、どうしたの? もしもーし」
目の前で手を振るヒカルの呼びかけにも答えないと思ったら、
「いけね、もうこんな時間じゃんか!……じゃあ、俺今日はここまでだから!!―――お疲れさまっ!!!」
なにやら慌てふためいたかと思うと、おもいっきりお辞儀をしてトレーニング・ルームから飛ぶように出て行ってしまった。
「あ、はーい。お疲れさまー………って、アキト君。急にどうしたの?」
気の抜けたような表情をしながら、ヒカルが訊いてくる。
「あいつは食堂のコックも掛け持ちでやってるからね。そう言えばそろそろ交代の時間だし」
「コック? なんでコックとパイロットを一緒にやってんだよ?」
続いてわけがわからないといった顔でそう問い詰めてくるリョーコ。
「最初はコックとしてナデシコに来たんだけどね。ヤマダのバカがいきなり怪我しちゃったから、臨時のパイロットとして戦闘に出てたんだよ。
で、本当ならサツキミドリまでのはずだったのに―――――プロスのおっさんに説得されたらしくて、本格的にコック兼パイロットになっちゃったわけ」
「ふーん……あのおっさんの目に止まったってわけか……」
私が少しだけため息混じりにそう説明したところ、リョーコはなにやらそう呟いて考え込んでしまった。
そしてその時不意に、『あっち』の世界にいっていたっぽいイズミが真顔になって言ってくる。
「……あれは、女たらしの素質があるね」
「はぁ? イズミー、それってアキト君のこと?」
信じらんないといった顔つきで問いただすヒカルに、無言で頷くイズミ。
続いて私の顔を見て、僅かに笑いながら言ってきた。
「今はまだアマちゃんだけど、ひょっとしたら大化けするよ、ああいうタイプは。……アンタも心当たりがあるんじゃない?」
「うーん……確かにねぇ、なんか色々と思い当たることがあるし……」
「そしてここにもその毒牙にかかりそうなのが一人……」
ユリカさんやルリちゃん、それにここのところなんだか仲の良くなった雰囲気のメグミのことを思い起こしていた私の言葉に続くように、イズミが一人の人物のほうを横目で見る。
「あー、確かにちょっと引っかかりそうかも〜」
それにシンクロするように、ヒカルもその顔を彼女のほうへと向けた。
「うん。それはある意味言えてる」
終いには私までなんとなしに彼女の顔を見てみる。
「な……なんだよ…?」
――――――そしてその先には、かなり困ったような顔をしたリョーコがいたりするわけで。
そんな彼女の顔を見ながら、これはこれからの展開が非常に楽しみかもしんない、などと思う私たちだった。
6.
「…あー、もう!! いつの間にこんな時間になってたんだよ?! 15分も遅刻じゃないか!!」
そう叫びつつ、俺は食堂に向かって廊下を疾走する。
確か今日は葬式料理を作るから、忙しくなるってホウメイさんが言ってたのに……!
――――でも、なんでナデシコでサツキミドリにいたネルガルスタッフの葬式をやるんだろうな…。プロスさんは、『最寄のネルガル支店がナデシコだから』って言ってたけど………
とかなんとか考えながら走っていた俺。
まぁそんなわけで、うっかり曲がり角の向こうから飛び出てきた人影を見落としてしまっていて。
「―――――え?!」
「―――わ!!」
そしてその、修道服を着た見慣れない女性と派手にぶつかってしまう。
頭と頭のぶつかる鈍い音。天井と床がごちゃ混ぜになる錯覚。弾けるようにして、向かい合いながらどさりと尻餅をつく。
「あいてててててて……すいません、大丈夫ですか?」
俺はまだ火花の飛んでいる頭を抑えつつ、まず同じく頭を抑えていたその女性に謝った。
「う……僕は大丈夫だけど―――」
「…へ?」
でもその返答してきた女性の声は、そのずれ落ちそうなヴェールのせいで顔がよく見えない女の子の声は…なんか聞き覚えのあるような声というか、ちょっと女性にしてはハスキーな声というか……。
ちらりとその女性のほうを見てみる。見た感じけっこう背は高め、大人びた感じの顔つき。つけくわえるならけっこう美人。
生活班の人だろうか、格好からすると俺と同じように葬式に借り出されているみたいだけれど――――
と、そんなときだった。
「大丈夫? ジュン君……って、アキト!」
「ユリカ?」
その修道服の女性の横に立って心配そうに俺と彼女を見下ろしてきたのは、何故か首からロザリオを下げた神父姿のユリカ。
そのユリカが話しかけていた…『彼女』をもう一度よく見て、ユリカの口からでてきたその名前を思い返して―――俺の口から驚きの声が出ていく。
「……って、もしかしてこっちはジュン?」
「そうだよ。何言ってるのアキト?」
なんだかわけがわかんなくなってきて、パニックになりそうになっている俺にユリカが不思議そうな顔をして言ってくる。
「だって――――普通、カッコが逆じゃないか? いや、なんか違和感ないんだけどさ……」
と、俺のその言葉を聞いて。ユリカと何故かシスター服を着ている彼女…もとい、ジュンが困ったような顔をした。
「……やっぱり、そう見えるかい?」
ため息をつきながらそう言ってくるジュン。
「うん。思いっきり」
即答する俺。見かねたユリカが、事の真相を話してくれる。
「ホントはジュンくんの服、神父服にするはずだったんだけど……サイズの合う服がなかったの。
で、ミナトさんが冗談半分で『それじゃあ、シスター服なんかどう?』って言って、それで着てもらったんだけどね――」
「……あまりに似合ってたから、そのまま着させられたわけだな?」
「そうなんだ……もう着替える時間の余裕もなくて――――」
そしてさらにジュンは盛大なため息を吐いた。それも哀愁たっぷりに。
……ただ、そんな仕草もなんだかサマになってるって言ったら、やっぱり怒るかなぁ…?
「―――って、いけね! 早く行かないとホウメイさんに怒鳴られる!!」
「あ、ユリカ! 僕たちも早く行かなきゃ!! あとカトリック14件にイスラム8件、今日のノルマは厳しいからね!」
と、ここでぼやぼやしている場合じゃないことに気がついて、急いで身を起こす俺。
同じようにしてジュンも立ち上がり、ローブというかスカートの埃をはたくと一目散に駆け出していく。
「あ、ジュン君ヴェールずれてるよ!!
ねぇアキトー! これ終わったら食堂に行くから、待っててねーーーーーっ」
そして遥か彼方に消えていくユリカの叫び声を耳にしながら、ジュンのやけに似合ってた修道服姿を頭から振り払いながら。
俺は俺の戦場へと、全速力で向かっていった。
7.
「はぁ〜……、ホント、暇よねぇ…」
私の右隣に座っているミナトさんが、手で口を抑えて欠伸をこらえながらそんなことを言います。……朝寝坊してきたのにまだ眠たいみたい。
「確かにやることありませんもんね。でも、食堂のほうも忙しそうですし……」
いつものように雑誌を読んでいたメグミさんも、何か考えているようなそぶりを見せながら言いました。
――――ちなみに現在、火星への航路へとついているナデシコはなーんもない宇宙のド真ん中を航行中。
さすがにこんなところでは木星蜥蜴もほとんどいるわけがなく、たまに攻撃をしてきてもあいさつ程度。
そんなわけで艦長と副長をはじめ、ネルガル組のプロスさんとゴートさん、それに手の空いている人はサツキミドリの人たちのお葬式なんかをやっていたりします。
……まぁ、私たちはブリッジを離れるわけにはいかないので、こうしてここにいるんですが――――
「……というわけで―――じゃーん!! さてルリちゃん、これはなんでしょう?」
いきなりミナトさんは、シートの横から小さめの手提げバッグにいっぱいに入ったソレを取り出してそう訊いてきました。
「――――? カップケーキ…ですか??」
私がそう、不思議そうに尋ねたのもつかの間、
「ああーっ! それって、昨日厨房でサユリさんが作ってたやつじゃないですか!! なんでミナトさんが持ってるんです??」
メグミさんが大声をあげて、雑誌を膝元に置きながら詰め寄ってきます。…なんていうか、飢えた獣のような雰囲気で。
「ふっふー♪ ちょっと、ね。どうせ暇なんだしさ、3人でお茶でもしよっか?」
「さんせーい!」
楽しそうに笑いながら言うミナトさんに続くように、メグミさんも雑誌を横に片付けながらうれしそうに言います。
ミナトさんはそのバッグをコンソールの上に『ちょん』とおくと、さらに横から大きめな水筒と3つのコップまで取り出しました。
「……なんていうか、随分と用意がいいですね?」
そんなミナトさんにちょっとだけ呆れながらそう言う私。
「まぁまぁ、いいじゃないのそんなことは。はいこれ、ルリちゃんの分ね……それとこっちはメグちゃんにまわしてちょーだい?」
「あ、はい……どうも」
「わー、おいしそー! ミナトさん、ありがとーございます!」
ちょっとだけ戸惑いながらそれを受け取った私とは裏腹に、目を輝かせた様子のメグミさんが歓声をあげます。
「こっちの紅茶もおいしいわよー? なんたってホウメイさんからわけてもらったフォションだからね」
続いてそう言いながらコップに淹れたその紅茶をわたしてくるミナトさん。
程なくしてブリッジにはお二人の楽しそうな声が響き渡るわけでして。
「そういえばメグちゃん、なんか最近ずっと機嫌がいいわよねぇ。なんかあったの?」
「えへへ〜。ちょっといい人見つけちゃったんですよ」
「いい人、ですか?」
「うん、いい人」
「それってやっぱりアキト君?」
「実はそうなんです! 艦長との仲もそういう関係じゃまだないみたいですし、これなら私の入る余地もあるかな〜って」
「ふぅ〜ん…―――って、あらルリちゃん。あなたも気になるの?」
「だって私、少女ですから」
……でも、とかなんとか言っても、私もその中に入って一緒にお話してるんですよね。
どうやら私も『バカ』ばっかのナデシコの雰囲気に…なじんてきちゃったみたいです。
8.
――――――そして私は医務室の扉を軽く数回ノックする。
「…開いてるぜ?」
程なく聞こえてきたヤマダの返事を確認した私とアキトは、ゆっくりとその扉を開いた。
明るい医務室の白の照明の中、私とアキトは奥にあるカーテンンの向こうの一角へと足を運んでいく。
――――その奥の壁際のベッドの上では、ヤマダの奴が上半身を起こして背もたれに寄りかかったまま、静かに目を閉じて何か考え事をしていた。
「ガイ? そんなにしてて大丈夫なの?」
「……」
ベッドの傍まで寄っていったアキトのその問いかけには無反応に思えたヤマダ。――――――どうみても今までの、いつものヤマダの雰囲気じゃない。
やはり、今回のことがヤマダには相当堪えたんだろうか? 昨日までにも増してさらにいつもらしくないヤマダはその目を静かに開くと、戸惑う私たちを尻目にゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……クロサキには、前に話したよな? 俺が正義の味方に憧れて…それと、兄貴を超えるような仕事をしたくて、パイロットになったって」
「―――うん」
かすかに横目で私のほうを見てくるアキト。それに気づくことなく、ヤマダは言葉を続ける。
「あの頃そう心に決めてから、とにかく俺はがむしゃらに頑張ってきた。初めてって言ってもいいくらい本当に頑張ってきたんだよ、俺は。
…訓練学校もトップの成績で卒業して、それにつられるように飛び込んできたナデシコのパイロットの話も二つ返事でオーケイして――――俺がガキの頃から心の底で憧れていた、ゲキガンガーの主人公みたいなヒーローに、木星蜥蜴と戦う英雄になってやるんだってな」
―――不意にヤマダは、その体にかかっている白いシーツの端を握り締めた。
そんなこいつの微かに震える右手から、その感情が私に、アキトに、はっきりと伝わってくる。
「ガイ――――」
………アキトのその呟きに、ヤマダは自嘲気味に口元をゆがめて応えた。
「でも、現実はそんなに甘くはねぇ。……見てのとおり、格納庫で誰とも知れぬ奴に銃で撃たれて死にかけてんのさ、俺は。
…そう、俺は『絶対無敵の正義のヒーロー』なんていう、幻想じみたものにはなれなかった。
なれっこなかったんだ。なぜならそれは――――――」
「……それがわかったんなら、それでいいじゃないか」
「――――クロサキ?」
私が不意に発したその言葉。
その言葉に、キョトンとした表情で問いかけるヤマダと、同じような表情をして私の顔を見てくるアキト。
「確かにお前の言うとおり、現実っていうのは思い通りにはいかないものだよ。それはアキトもよく知っているし、私だってよく知ってる。
…でも、だからってお前は現実の前に負けを認めるのか?――――ううん、お前はそういう奴じゃないだろう?」
そしてそう告げる私に、ヤマダは今までとはまったく違う笑みを浮かべながら言葉を返してきた。
「……ああ、そのとおりさ。この3日間、悩みに悩んでひたすら考えた。それでやっと答えが見つかったんだよ。
―――やっぱり俺は正義を、夢を捨てれねぇ。それが例えこの世の中の何処にもないとしても……いや、そうだとしても、やっぱりそれはあるんだ。
俺がここにいる限り、俺が自分の求めている正義を俺のこの手で実現しようとあがく限り、それはそこにあるんだってな」
ヤマダはそのヤマダなりの決意をそこに込めるかのように、右手を宙でぐっと握り締める。そんなヤマダをどこか眩しそうな目で見ているアキト。
―――と、急にヤマダの奴はなにやら暑苦しい気配を漂わせながら、あの大声で叫んできた。
「…そう! だからこそ俺は、あの『ジョー』のように死の淵からここへと帰ってきたんだ!
この俺の心に燃え盛る正義の炎はいまだ衰えることを知らぬ! いや、それは誰にも止めることはできん!! …なればこそ! 例えまたこの身が死の淵へとたたされようとも、俺は不死鳥の如く蘇り、そして再び羽ばたいてみせる…!!!」
「………へ?」
そしてそんな、いきなりのヤマダの『発病』に、思わず間の抜けた声を出す私。
その横ではアキトの奴が『伝染』したらしく、なんだかやけに感動したような顔をしていて。
「ガイッ!!」
叫ぶアキト。
「ああ、アキト! 俺は負けん!! いつか俺は必ず、この手に正義を実現してみせるぜ!」
叫び返すヤマダ。
「そうだよ! そうだよな?! 正義は決して理想なんかじゃないんだ!」
「ああ、そうだとも!!―――そう! 俺はここに誓う!! 我が新たな心の師……『海燕ジョー』の名に誓って!!!」
……終いには私を置いてけぼりにして、二人してガッツ・ポーズをとりながら熱い話を始めるし。
――――まぁ、ヤマダの奴が元気になったみたいだから…いっか。
少々呆れながらもそう思った私は、次第に熱血の度合いを増していく二人をおいて医務室の出口へと向かった。
うん。……多分、これでいいんだろうね。
男って生き物は女とは違って、理想をなくしたら半分は死んでいるようなものだと思うから。
――『女は現実を見て強くなっていくけれど、男は現実を見て打ちのめされる』っていうのは、これは私の持論のようなものだ。……もちろんみんながみんな、そういうわけじゃないとは思うけれど。
そしてヤマダの奴は結局理想を追い求めることを選んだ。
けれど、ヤマダはヤマダだ。……ヒロィとは、私の知っているあの男とは違う。
――――あの純粋な青い目で、ただひたすらに現実を眺めていたあの男とは違うんだ。
そうして一人歩きながらそんなことを考えていると、ふと…胸の底からどうにも言えないさびしい感情が湧きあがってくるのを私は感じていた。
(………そっか。もう3ヶ月以上も、あいつと会ってないんだ―――――)
そんなことを思いながら、扉をゆっくり片手で押さえながら閉めていく。
……今夜は久しぶりに、あの頃みたいな眠りにつくことになるだろうか?
涙とともに眠ることになるだろうか?
――でも、それでもいいと私は思う。
それでもいいから、せめて夢の中ででも……あの男のあのどこか寂しそうな笑みを私に見せてほしい…………
今はただ、そう思うしかなかった。
――――あいつのいるだろう火星の大地までは、まだ遠い。
(Act5へ)