――――――草原。
………かつて火星に広がっていた、その小さな草原。
その草原の片隅で、一人俺は泣いている。
『アキト?―――どうしたの??』
子供の頃のユリカが、一人泣いている子供の頃の俺にそう話しかけてくる。
『…うるさい! なんでもないんだ、あっち行け!!』
今の自分の泣き顔を見せたくない、今は一人で泣いていたい……そんな思いからユリカを拒絶する俺。
そんな俺の目の前で、きょとんとした顔をして立っているユリカ。
―――そして草原に一陣の風が吹いた。
『……ね、アキト。元気になれるおまじない教えてあげよっか?』
『…??』
不意にユリカは俺の顔を覗き込みながら、そんなことを言ってきて。
少し戸惑いながらも、そのいつものユリカの笑顔に根負けしてコクリと頷く俺。
『じゃ、ちょっと目をつぶって!』
そうして言われるとおりに目を軽くつぶって…ユリカのやつ、いったい何をする気なんだろうって思っていたら――――
―――――ちゅっ。
『!!?!?!!?』
…その唇の感触に驚いてパッと目を開けてみると、目の前には目を閉じて俺に『キス』してるユリカの顔が広がっていて。
『バ、バカ!! いきなり何すんだよお前?!』
『ほら! 元気になった〜!!』
『わっ?! ユリカ…?!』
なんだか嬉しそうな顔をしながら思いっきり俺に抱きついてくるユリカ。
そのいっぱいに散りばめられたナノマシンがキラキラと光る、夕焼けに染まった火星の空。
…もうなんで泣いていたのかは、今になっては思い出せなくても――――――
「…………!!!」
――――――そこで不意に、その懐かしい『夢』から俺は目覚めた。
機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜
第2章 『誰も貴方を責めることはできないのか』
Act2
1.
(はぁ……なんで今頃になってまた、あんな夢見たんだろう)
そう一人心の中で呟きながら、ゆっくりと布団から出て朝の身支度に入る俺。
…あれはもう10年以上も前のことだったか。
まだふたりとも半人前の子供で、俺があいつと知り合ってから随分とたった頃の話。
「でも、まぁ…それが大人までずっと続くとも限らないもんな…」
戸棚から新しいタオルをひっ掴んで、それを手すりにかけながら俺はそう自嘲気味に呟いた。
そして思い出されるのは、一週間前のあの時の出来事――――――
『…アキトさん、ちょっといいですか?』
―――食堂で顔を合わせるなり、そういつもとは違う表情で言ってきたメグミちゃん。
そのまま彼女に誘われるがままに、俺たち二人は展望室に足を運んで。
…それから何を話したっけ。
確か、これからの俺たちのこととか、ナデシコが軍の指揮下に入ったこととか、ナデシコを降りるとか降りないとか。
それから、俺がナデシコに乗りつづける理由とか…そんなことを話してたと思う。
『…俺、やっぱりナデシコに乗っていようと思うんだ』
『軍の下に入っても、ですか?』
『――――うん。確かに、軍の命令で働くって言うのは…『ちょっと違うかな?』っても思うけど…
それでも俺は、何かを守れる人間になりたいんだと思う。
…俺は火星のみんなを2度も救えなかったし、これからも誰かを守れるとは限れないかもしれないけれどさ。……でも、頑張ってみたいんだよ、今は』
『……じゃあ、私も降りるのやめよっかな』
『メグミちゃん?』
『だって…好きな人の傍には、ずっと一緒に居たいじゃないですか』
『え…??』
――――――そして、メグミちゃんの思いもかけなかった俺への告白。
『…私、アキトさんのことが好きです。ずっとアキトさんと一緒にいたいです。ずっと――――ずっとアキトさんの傍に、こうして私はいたいです。
でもアキトさんは……私と一緒じゃ、駄目ですか?』
……そうメグミちゃんは、その微かに震えた瞳でそう俺に言ってきてくれて。
そして――――
『……駄目じゃ、ないよ』
――――――そう。正直、とっても嬉しかったんだ。
嬉しくて、なんだか急に気持ちが暖かくなったような気がして…………そしてでも何故か、心のどこかでは小さな引っ掛かりを感じていて。
でも、俺がメグミちゃんのことを女性として気にしていなかったと言えばそれは間違いなく嘘になる。
彼女はホントに可愛いと思うし…できるなら俺が守ってあげたいって、今までにも何度そう思ったことかわからない。
……だからつまりは俺もメグミちゃんのことが『好き』なんじゃないかって、俺はその時そう思って。
だから俺は心の奥にあるらしいその、認めたくないほんの小さな引っ掛かりを払いのけるようにして―――――
『俺も、メグミちゃんと一緒に――――ずっといられたらな、って今心の底から思っているから……』
そうして俺がその一言を口にしたら、メグミちゃんはどこか気の抜けたような表情をして俺に寄りかかってくる。
彼女のその柔らかな笑顔が、俺だけに優しく向けられてくる。
『ふふっ……勇気、だして良かったです』
『メグミちゃん…』
そしてそんなメグミちゃんの肩に、自然に俺は手を回していって――――――
「……で、そこにいきなりユリカの奴が来て、すんごいびっくりした顔しながら走り去っていったんだよなぁ…」
そうついつい一人呟いて蛇口を捻りつつ、俺は小さくため息を漏らす。
まぁ俺とメグミちゃんが付き合い出したら、そのうちあいつに知れるのはわかりきってるんだけど…でもあのタイミングは色々と問題あったよ、ホント。
それでそれから一週間。
ユリカの奴は目に見えて元気がないし、ヒカルちゃんやイズミさんにはからかわれるし。…おまけにサレナさんは、なぜか俺に対してだけ微妙に不機嫌で。
何でか理由を訊いてみたら、『私、一応ユリカさんを応援してたんだよね〜』って言われるし。
でもまぁアカツキさん…もとい、アカツキ曰く、『そんなん最初だけなんだから、気にしない気にしない』ってことだから。
実際ガイやシーリーさんは今までどおりに接してくれてるみたいだし、今を乗り切れば風当たりも良くなるだろうしね。
……多分。
そんなことを思いながら、俺が洗い終わった顔をタオルでゴシゴシこすっていると。
「アキトさーん! 起きてますかー?」
と、部屋の外からメグミちゃんの声が聞こえてくる。
「あ、メグミちゃん! もうちょっと待ってて、今すぐ支度するから!!」
それを聞いた俺は、急いで部屋の中に戻りつつ布団を隅に押しやって上着を横の籠へと脱ぎ捨てる。
続いて火急かつ丁寧にシャツと制服を着込んでから、残る着替えも籠へと放り投げて。
「そう言えばアキトさん、聞いてました? 今日、提督から最初の指令があるそうですよ?」
「え、そうなの? ゴートさんもジュンも何も言ってなかったのにな。メグミちゃんはそれいつ聞いた?」
「えっと…私は昨日ですよ。でも、やりがいのある任務だといいですよね」
「うん、そだね…っと、ワックスワックス」
そんなドア越しの会話をしつつ、洗面所に戻って身なりの確認と寝癖の残った頭の整髪をテキパキと済ませていって。
……こういう時、男だと10分位で身支度終わるもんな。
前にメグミちゃんを朝ご飯に誘いにいった時は、かれこれ40分くらい待たされた気がしたし。
「それでですね、アキトさん―――」
「…お待たせっ!」
そして身支度完了と同時に、部屋の外へと駆け出る俺。
ドアの横で何かを言いかけたまま、きょとんとしているメグミちゃん。
「…アキトさん、この前よりも早くなってますよ?」
「だって、あんまり待たせちゃ悪いからさ。それに早いほうが食堂もすいてるしね」
それからメグミちゃんが俺の身なりを上から下までチェックしてきて。
「う〜〜ん…今日もちゃあんとオーケイですね」
「じゃ、いこっか」
「はい!」
そうして今日もいつものように、俺とメグミちゃんの朝は始まっていく。
2.
「うーん、ついにナデシコにもラブラブカップルが出現したわけね〜」
「…ヒカル、やけに楽しそうだね」
食堂の片隅でハムエッグをかじっていた私の目の前で、お茶碗片手にそんな面白くないことをぬかすヒカル。
その隣ではリョーコがヒカルと同じ定食を口に運んでいて。
――――私の横で静かにお茶をすすっているイズミを含め、なんとも色気のない四人である。
そして絶妙なやけ具合の卵焼きを箸で摘みながらヒカルが口元をゆがめて。
「だってさあ、こういうのは一度カップルができればあっというまに増殖するモンだよ?」
「んなインフルエンザじゃねえんだからよ…」
「およ? リョーコもなんだか不機嫌だねー。もしかして―――…ああ〜〜っ?! 私の卵焼き盗ったぁ!!!」
そうして目の前でおかずの奪い合いを始める二人。
そんな二人はもう置いておいて、私はまだ人影もまばらな食堂を見渡してみる。
出勤時間が早いブリッジのクルー、とくにユリカさんやアオイさんは私たちが来たときにはもうトレイをかたずけていたし、逆にヤマダなんかは朝はいつもギリギリだからこの時間にいる訳がない。
それからちょうどカウンターではシーリーとアカツキが注文を受け取っているところで。
……で、肝心のアキトは最近いつもメグミと一緒に朝食取ってるんだよね。
「やあ、おはようみんな。サレナ君は今日も朝から浮かない顔してるねぇ」
「…まぁねー、朝からこんな浮かれたヒカルを見てればそういう気分にもなるわよ」
「あー。サレナ、何気にひどい事いわなかった??…って、アカツキさん!?」
そしてトレイを片手に私たちのところへやってきたアカツキは、挨拶ついでにそんなことを言ってくる。しつこくリョーコと格闘していたヒカルが目聡く聞き取って突っ込んでくる中、続いてシーリーもヒカルの隣にやってきた。
そしていつもの如く微笑みながら、丁寧な挨拶をしてくるシーリー。
「みなさん、おはようございます」
「うん、おはよー」「よっす」「おはよ」「………(口の中にご飯が入っているので手を振っているイズミ)」
いっぽうのアカツキは私の横に座ると、焼きたてのパンを手で引き裂きながら言ってくる。
「今日もいつもどおりのメンバーみたいだね。ヤマダ君はまだ寝てるみたいだし、それに…」
「―――アカツキ、お前もヒカルと同じクチか?」
…と、微妙に半眼になったリョーコが箸を握りつつそんなことを言ってきて。
「…まあいつもどおり平穏ってことかな」
それにちょっと驚いたように言いつくろうアカツキ。続いて彼は私に小声で訊いてくる。
「一体どうしたんだい、彼女?」
「ヒカルの毒気に朝から当てられてるみたいだからね、かなり機嫌悪いよ。ちなみに私もだけど」
「そ、そう…」
「で、そういうあんたはどうなわけ?」
それから私がそう尋ね返すと、アカツキは軽く笑って答えてきた。
「この前も言ったと思うけどな。僕は別にどうもしないさ、特に彼女―――メグミ君を気にかけてたわけじゃないしね」
「ふぅん……お目当ては別にあり、ねぇ」
そして紅茶を口につけながら言った私に、小さな苦笑を返してくるアカツキ。
「おやおや、これは随分と手厳しいお言葉だ」
「……」
「――――シーリー?」
「あ、はい! なんですか?」
と、アカツキの目の前でなんだかぼんやりしながら中華粥をかき混ぜていたシーリーに私が声をかけると、彼女は寝起きにピンポン玉をぶつけられた猫みたいな顔をしてこっちを向いてきた。
その横では醜い争いにやっとケリがついたらしいヒカルがささやかな戦利品を口に運んでいて。
「どしたの? なんかぼおっとしてたけど」
「いいえ、たいしたことじゃありませんから」
そしてそう苦笑しながら言ったシーリーに、ヒカルはまたもや邪悪な笑みを浮かべる。どうやら彼女を絶好のカモと認識したようだ。
「ふぅ〜〜〜ん? そっかシーリー、もしかして……」
「な?! なんですかヒカルさん! その妖しい笑みは!!」
口元を手で押さえつつも迫り来るヒカルに、思わず後ずさるシーリー。
「この、アホ」
「あいたっ?!!」
それをみて右手を軽く振り下ろすリョーコ。
「…んー、まったくもってここは平和だねぇ」
「平和もたまにはいいものよ」
とどめにグラスに入った牛乳を飲みながらそんなことを言ってくるアカツキと、朝だけに珍しくこっちの世界にいるイズミ。
…そしてそのどこか後ろ向きにまったりとした空間は、ナデシコでただいま一番有名な二人組が入ってくるその瞬間まで続くのだった。
――――――そしてまた、ブリッジにはナデシコで一番平和ではない人が一人いて。
3.
「うう〜〜〜……どうしてぇ……」
そうして最近は既に恒例になっている呻き声を漏らしながら、ナデシコの艦長であるユリカさんはキャプテン・シートに突っ伏していました。
そのともすれば呪いにも聞こえる声はオペレータの私の席まで確実に聞こえてきます。
「ユリカ…その、元気出してね?」
「うう…元気だしたくても出せないよう……」
副長の慰めも効果を発揮せず、艦長はさらに縮こまっていったみたいですね。
と、そんな時に限ってブリッジの扉が不意に開いたりして。
「……ちょっと艦長? なんなのその腑抜けたサマは??」
「あ?! てっ、提督!!」
ゆっくりとブリッジの中に入ってきたムネタケ提督に一睨みされて、艦長は途端に慌てて跳ね起きました。続いて入ってきた副操舵士のエリナさんがそれを見てため息をついています。
そして提督がなんだか呆れたような声で口を開いて。
「――――まあいいわ……今から打ち合わせどおり、軍からの命令を発表するわよ。せめてその間だけでもビシッとしてて頂戴ね」
「は…はいっ!」
…それから程なくして、集合したパイロットを含めたブリッジのクルーに提督からの命令通達が始まったわけです。
「…先に断っておくと、今回の命令は何もナデシコ単艦で蜥蜴を潰せっていうわけじゃないの。貴方たちにやってもらうのは、『救出作戦』よ」
「「「「救出、作戦?」」」」
で、パイロットの皆さんがシートに座って見上げてくる中、そのブリッジの上で提督は扇を開きつつそう切り出します。そしてそれに訝しげな声を漏らす皆さん。
続いて提督はスクリーンに映されたマップを見上げて言ってきて。
「そ。―――このように、現在地球上にはおよそ1457個ものチューリップが存在しているんだけれども…北極海域に浮かぶ小島、ウチャトラワトツスク島もその一つ。
私たちの仕事は、この島に取り残された某国の親善大使を救出することよ」
「…提督、ちょっといいですか?」
「なに?」
ここで声を上げる艦長。それを聞いた提督が横を振り向きました。
続いて艦長がその疑問を口にします。
「どうしてこんなところにその大使さん取り残されたんです?」
すると扇を口元に当てながら、チラリとスクリーンを見た提督が言葉を返してきます。
「…ん〜、大使はとても好奇心旺盛な方でねぇ。この付近の気象データに漁場なんかの調査をなさっていたところでバッタに襲われさあ大変。
ところが極東方面軍に手の空いてるシップがなかったもんだから、まずは無難な初任務って事で私らにこの仕事が回ってきたわけなのよ」
「はぁ……」
そしてどうも集中しきれてない様子の艦長がそう声を漏らして。
いっぽうのメグミさんは、なんだか幸せそうな顔をしてアキトさんに小さく手を振ってたりしてます。それに嬉しいような困ったような笑みを返すテンカワさん。
……とまぁ皆さんそんな状況なものだから、ブリッジの上からなんだか物凄く不機嫌そうなオーラを提督が放ってきて。
「―――だからいいこと?! 軍の上層部に対するナデシコのイメージを挽回する意味でも、この作戦はなんとしてでも成功させるのよ!
わかったわね艦長!!!」
「はっ、はい!」
………今日のブリッジはホント、上から下までバカばっかでした。
4.
そしてそれから半日ほどが過ぎて。
私たちの乗ったナデシコはこれといった障害にもつきあたらずに順調に作戦海域へと到着しつつあった。
…でもそれは船の外の話であって、相変わらずと言えばいいのか、艦長であるユリカさんは気の抜けた状態のままだ。
一方で待機命令を出されている私たちパイロットは、それぞれ食堂やトレーニング・ルームで時間を潰している。
――――ただ一人、どこに行ったかわからないアカツキの奴を除いてだけど。
「アカツキさん、いったいどこ行っちゃったんだろうね〜?」
食堂の一角、テーブルの向かいに突っ伏しながらそう声を上げてくるヒカル。それに対してリョーコが欠伸をかみ殺しつつ言ってくる。
「さあ、な。大方どっかでまた女でもひっかけてるんじゃねぇのか?」
「うわ。何気にひどい言い草だね、リョーコ」
途端にムクリとその頭をもたげたヒカルがリョーコのほうを見やって。
「だってなぁ、ここ1週間のあいつの行動見てればそれしか考えられねぇだろが」
そして眉根を寄せつつそう言うリョーコと、その隣でコクコクと首を縦に振っているイズミ。
…確かにアカツキはナデシコに来てからずっと、『そっち』のほうに大忙しといった印象を与えてたからね。おかげで男性クルー、とくに整備班の印象はあまり良くないみたいなんだけど。
ただあの男はどこまで本気かわからない面があるから、それなりに熱を上げる女性クルーは大勢いてもホンキになってる女の子はあまり多くはないんじゃないだろうか。
アカツキもその事はきっとわかっているのだろう。だから多分あれは、彼なりの社交術なんじゃないかと私は思っている。
「……なーんかリョーコ、アカツキさんに思うところあり、ってかんじだね」
と、ゆっくりと体を起こしつつ、不思議そうにそうリョーコにヒカルが訊ねる。そのヒカルから訝しげな視線を受けたリョーコは、さらに前よりもムズカシイ顔をして声を上げた。
「正直俺には何であいつに人気があるのか、わからん」
「え〜?? なんで〜〜??!」
それにやけに驚いた仕草で言葉を返すヒカル。一方私の隣に座って、よくわかんない中国のお茶を飲んでいるシーリーはやけにのほほんとしていて。
それから二人の会話に口をはさむ私。
「じゃ、リョーコはアカツキのことあまり好きじゃないの?」
「…いや、そうじゃねぇんだけどよ。話してて退屈はしない奴だしさ。……ただ、あそこのジュンコとかエリたちみたいにはしゃげるかっていったら、どーもなぁ」
リョーコがそう頬杖をつきながら答えると、なにやら納得がいった様子のヒカルが小さくため息っぽいものをつきながら言う。
「…ま、リョーコはけっこうさばさばした性格だしね。ちやほやされて浮かれちゃうタイプじゃないかな?」
「だから女にモテるのよ、あんたは」
「……イズミ、てめえは一言余計なんだよ」
「まあまあ、イズミさんもリョーコさんも落ち着いてください」
そしていつものようにイズミにつっかかろうとするリョーコをシーリーが苦笑いをしつつ諌めて。
そんなこんなな光景を視界に入れつつ軽く椅子の上で背伸びをした私は、ふと視線を厨房のほうに、先程からその中で料理の特訓らしきことをやっているアキトのほうへと移した。
その私の視線に気がついたのか、シーリーも同じくアキトのほうを見ながら言ってくる。
「…でも意外でした。アキトさんって、本当はコックさんだったんですね」
「意外? そう??」
「はい。アキトさんが食堂で働いてたって聞いた時、私てっきりウェイターさんのことかと思いましたから」
「…………ウェイターねぇ」
そのシーリーの言葉を受けて、正直呆れた気持ちでアキトのほうを私が見やる中、当のシーリーはどこか嬉しそうな表情で厨房のアキトを眺めていた。
そう、あまり考えたくはないんだけど………まるで『彼に恋心を抱いてます』っていうような表情で。
「――――シーリー、あのさ」
「はい?」
「もしかしなくても貴方………」
そして私がその続きを口にしようとしたその時。
「おぅい、アキト!! 日替わり定食大盛りで至急頼むぜ!」
トレーニング・ルームから戻ってきたらしいヤマダの奴が、食堂いっぱいに響く大声でそうアキトに注文して。
「あ! じゃあ私にも明太子スパゲッティお願いね〜」
「玄米茶セット、よろしく」
「俺は日替わり定食、並な」
「ああ、そんな一辺に注文しないでくれよ! サユリさああん、ヘルプ頼みますー!」
続いて畳み掛けるようにアキトに注文を出すみんなと、うろたえながらも情けない声を上げるアキト。
「ほら、ヤマダ君もそんなカウンターに座ってないでこっち来なよ〜」
「ん? いや、なんか取り込み中みたいだったからな」
「……で? ヤマダ、その『特訓』とやらの成果はでてきたのか??」
「な、なにをいきなり」
「隠したってバレバレだよ。まぁた奇妙キテレツな必殺技考えてたんでしょう?」
「お前さぁ、接近戦にこだわるのもいいけどもう少し中・遠距離戦の訓練もしておけよ」
「――――ふん、甘いなスバル。今度の特訓はその中距離戦なのだ。後はこれからアキトの奴に手伝ってもらって実戦形式の調整をだな………」
それから先は、いつもの調子。
エステの話で盛り上がるリョーコ達と、一人あっちの世界へ行きつつも時々鋭いツッコミを入れるイズミ。
「―――で、サレナさん。さっき言いかけてたのって…」
「ん、やっぱなんでもないよ。それよりさあ………」
それとは対照的に他愛のないおしゃべりをする私とシーリー。
ついでに言えば厨房では、アキトの奴がサユリと一緒に大忙しで働いていたりして。
……そして結局アカツキはこの時間には一度も姿を見せず、これは私も知らなかったのだが、その間彼が何をやっていたかというと。
5.
「――――ふむ、じゃあこれで今日の仕事はお終い、っと」
「はい。後は本社のほうで処理しておきますので」
…ナデシコ艦内のある一室。本来ならば士官級の広さを誇る私の部屋の一室で、私と彼は差し迫っていた分の書類を処理していた。
窮屈なソファの上で彼は大きく伸びをする。まるでひとときの休養を貪っている、研ぎ澄まされた肉食獣のように。
「うーん、こうやってこっそり仕事をかたずけるってのも、結構大変だねぇ」
「だから言いましたでしょう? わざわざナデシコに乗らなくてもよろしいと」
その彼の呟きに私が呆れたように声を返すと、彼はそれこそ心外だというように笑みを漏らして。
「本社のほうにはちゃんと選りすぐりの人員を残してあるんだからいいじゃないか。それになんといっても、この船はホント面白いからね。――――――エリナ君。ちょっとお茶しようか」
「………わざわざ私としなくても、いっしょに『お茶』してくれる女性クルーならたくさんいるんじゃないですか?」
「ははっ、まあそう言わずにさ。いつものことだろう?」
私がさり気なく放った嫌味を彼は笑って切り捨てると、あの不敵な微笑みを私へと返してくる。私は小さくため息をつくと、その準備をしにキッチンへと向かった。
「…そうそう。それで君としては、テンカワ君のほうはどうするつもりなんだい?」
「いずれはカワサキの研究施設で、実験に協力してもらおうと思っています。ただその前に、何とかして彼にアプローチをかけなければいけませんけどね」
と、私がその両手を動かしている間にも、彼は壁の向こうから質問を投げかけてくる。
「アプローチ、ねぇ。――――彼の過去から考えると、なかなか骨が折れそうな感じだけど。かといって艦長……ユリカくんはナデシコにいてもらわないと困るし、サレナくんは………あれはやめておいたほうがいいね」
そしてその彼の言葉に、私の手が一瞬止まった。
「――――何故ですか?」
「この一週間で得た感触から言わせてもらうと、彼女はその手の使命感に心動かされる人間じゃない。よしんば実験に協力してくれるといったとしても、いつこちらの手元から離れていくかわからないよ。そんな不安定な人物に協力を仰ぐのは、あまり得策とはいえないね」
「そうですか。――――では、ドクターのほうは?」
「彼女なら昨日、正式に協力の申し出があったそうだよ。こちらは何の問題もないだろう。――――ああ、ありがとうエリナ君。君も座るといい」
「ええ。元々私の居室ですから」
そしていつものように私のいれたティーを受け取り、それをなれた動作で口へと運ぶ彼。私も向かいのソファに座り、自分のいれたそれを味わうことにする。
―――うん、今日も美味しくいれられた。
「ん……。やっぱりこれが一番美味しいねぇ」
「それはどうも」
彼のいつもの賛辞に、私は素っ気ない返事を返して。
不意に真剣な表情になった彼が、その鋭い目で私のほうを見やってきた。
「――――それでエリナ君。ボソン・ジャンプ実験のほうの進行具合は?」
「…現在、引き続き生体ボソン・ジャンプ実験を行っていますが状況は芳しくありません。動物実験でも未だに成功例がありませんから、先行きは未だに不透明なままです」
その私にとっては、あまりにも気の進まない報告。曲りなりにも私が1年以上も前から手がけているプロジェクトが、ここ数ヶ月大きな停滞を見せているのである。
そんな私の表情を読み取ったのか、彼はソファにゆっくりともたれかかると呟くように声を発し始めた。
「この1年の君の努力と、研究の発展によってチューリップを使った非生体ボソン・ジャンプはほぼ実現した。――――だが、その先にあった壁は僕らが思っていたよりも遥かに大きかったようだね。
定量場以上のディストーション・フィールドによって対象物の圧壊を防ぐことはできても、内部にある生体の活動停止…『ジャンプによるショック死』を防ぐことには未だに成功していない―――――それは木星の連中も同じことだ」
「……ええ、わかっています。ですから、だからこそ現在唯一の単独生体ボソン・ジャンプの成功例であるテンカワ・アキト、サレナ・クロサキを、ネルガルが手放すわけにはいきません」
「そう、そのとおりだ。だからこそ――――――頼むよエリナ君?」
「ええ、かならず」
6.
――――私がこの部屋を訪れるのは、今日で何度目だったかしら?
そんなつまらないことを思いながら、この私…ムネタケ・サダアキはこのこざっぱりとした部屋に、故フクベ提督の居室に足を運んでいた。
「……相変わらず何もない部屋よね。ま、当たり前と言えば当たり前だけど」
そう呟いて私は、めぼしい物が殆ど運び出された小さな和室を見回す。あの方の遺品が遺族のもとへと――――娘夫婦のもとへと返されたのがつい先日のこと。
その場に私は立ち会わなかったけれども、あの娘さんは父親のことを尊敬していたみたいだったから、さぞかし泣かせるご対面だったのでしょうね。
……でも、まぁそんなことは今の私には関係ないか。
そう心の中で一人呟くと、私は今まで何度かそうしてきたように部屋の中を調べてまわる。あの方が残したかもしれない、なにかしらの言伝のようなものを探しているのだ。上層部に提出する調査書に必要そうなものを、ね。
それから少しの間そうやって探し回っていたんだけれど、今まで以上の何かは特には何も見つからなくって。これで調査書の内容も大体決まったわね、と思いつつ私は改めて、この小さな和室を見まわしてみた。
――――そう。ホントあの提督の居室だったとは思えないほどちっぽけな部屋。
今の私の居室でさえも、ここよりはずっと広いというのに。あの方は何かを遠慮していたのか、それとも何かを覚悟していたのか。
(……これじゃあまるで、牢獄じゃない)
そんな不謹慎なことをふと思った私は、以前提督が漏らしていた言葉を思い出して苦笑する。
『私はもう、軍人としていることはできないのかもしれないな………』
あれは確か、第1次火星会戦の直後のことだったか。その時私は、何をいきなりと思ったものだったけれど、今になってみればあの結果のことを指していたのだろうということが私にもわかる。
もはや正義が云々とか、守るべき者がどうとかいう奇麗事を口にする気は私にはさらさらないけれど、でも。
………提督。あなたという人は本当に――――――
――――いえ、くだらない感傷はやめにしましょう。そんなものは私には、ムネタケ・サダアキには必要ないのだからね。
だから私はこの部屋を後にする。振り返るべきものもそこにはない。もう二度と来ることもないだろうし。
……そう。私はフクベ提督とは、かつて私が尊敬していたあの方とは、違う人間なのだから。
そしてその決別を最後に私が部屋を出たその時。
――――――ドォォォォォォォン……!!
「……一体なんなの?これは、敵襲??」
遠い着弾音とともに、ナデシコの船内が微かに揺れた。
7.
「ちょっと艦長?! いつまでぼけっとしてれば気が済むの?!!」
「まあまあ提督、少し落ち着いてください」
「……本当にすみませんでした」
「ごめんで済めば戦争なんか起きてないのよ!」
…さっきからブリッジの上で絶え間なく繰り広げられている提督のお説教。
そのお説教を一身に浴びている艦長はやはり、さっきからずっと黙ったままで。
――――ちなみに状況を詳しく説明すると、順調に遂行中だったはずの任務が蜥蜴とばったり出くわしてふいになってしまった上に、艦長の判断ミスのせいでナデシコは作戦海域にある小島に潜伏中。
そんなこんなな状況なものだから、どうやら楽観的に見ていたらしい提督は思いっきり不機嫌になって艦長に当り散らしている最中、ってわけです。
「…だいたいアンタねぇ、最近ちょっとたるみすぎなのよ! 艦長なら艦長らしく、せめて仕事の時くらいはピシッとしてられないわけ?!!」
尚もお怒りが収まらないらしく説教を続けようとする提督とひたすらに頭を下げている艦長。
と、その時。
ブリッジの下から思わぬ声が上がりました。
「――――提督、もういいじゃねえっすか。今はそんなことしてる場合じゃねぇんだろ?」
「……??」
そしてその発言者にクルーの目が一斉に向きます。その先に立っていたのは、どこか不機嫌そうな顔をしてブリッジの上部を見上げる――――
―――――よりにもよって、ヤマダさんでした。
「……これはパイロットのアンタが口をはさめる問題じゃないのよ、黙ってなさい」
途端にそれまでの剣幕が嘘のように、重くて底冷えのするような声でそう言い放つ提督。
「―――ケッ」
どこか苛立たしげに腕組をしながら、顔をそらすヤマダさん。その横ではシーリーさんがとても困ったような顔をしながら視線を宙に彷徨わせていて。
…つまり、もう説明するまでもなく。ヤマダさんと提督ってとても仲が悪いんですよね。
なのに普段なら間違いなく提督に自分からなにかを言おうとなんてしないヤマダさんが突っかかったものですから、クルーの皆さんもどこか困ったような顔をして動向を見守っています。
沈黙がけっこう重たいです。
―――と、そんなほんの僅かの間ブリッジの空気を支配していたその雰囲気をあっさりと振り払ったのは、やっぱりいつものこの人でした。
「いやぁ、そうですね。そろそろお時間のほうもありませんし、作戦の説明に移りたいのですが……提督もよろしいですか?」
いつものように飛び切りの笑顔と明るい声で言いながらそう提督に問いかけるプロスさんに、提督もどうにか落ち着いたように肯いて引き下がって。
「―――では、作戦の説明を開始する。
現在本艦は目標地点から南南東に10km離れたC-6地点の岩礁地帯に潜伏中だ。敵の本体はマップのB-4からB-7地点に集中している。そこで本艦お
よびエステバリスの主力チームがポイントC-8に進行し敵を引き付ける一方で、別働隊の2機によって目標の救出を行うこととする。
では別働隊のメンバーについてだが――――フォン。君がリーダーだ」
「了解しました」
ブリッジの雰囲気がいつもの空気に戻っていく中、ゴートさんの通知にピシリとした敬礼を返すシーリーさん。
「もう一名は、テンカワだ。主にフォンの援護を担当するように」
「はいっ!」
続いてやけに元気のいいというか、気合の入ったような声でテンカワさんが返事をして。
「次に本艦の護衛部隊だが―――――」
…あとはいつものとおりでした。普段はバカばっかやっているパイロットのみなさんも、作戦中は人が変わったように真剣な表情で―――――なんてことはまず間違いなくないんですけれど、それでも普段に比べればずっと気の入った表情をしているのは確かだと思います。
今回は直前のいざこざのせいでヤマダさんがやけに大人しかったですけれど、その他はホントにいつもどおり。
…………そう。
――――――ドサッ。
「え…………ユリカ??」
―――艦長が、突然何の前触れもなく。ブリッジの冷たい床の上に倒れてしまうその時までは。
8.
「―――疲労と心労から来るストレスが原因ね。2〜3日は安静にしている必要があるわ」
俺のすぐ横に立って、ため息と一緒にそう言うイネスさん。
目の前のベッドの上には目を閉じて静かに眠っているユリカの姿がある。
「……そうですか」
そして小さくそう呟く俺。作戦開始までの僅かな時間を見てユリカのお見舞いに来てみたのだけれど、思っていたよりも目の前のコイツは無理をしていたらしい。
俺の顔を横目でチラリと見ながら、イネスさんは口を開いた。
「ナデシコが連合宇宙軍に配属されることが決まってから、艦長はずっと働き尽くめだったのよ。通常業務に加えてネルガル上層部との連日の会議に、その上クルーに対してもかなり気を配らなければいけなかったし……ま、副長もかなりサポートしてくれてはいたんだけどね。
ちょっと…一人でがんばりすぎちゃったのかな?この子は」
「…………」
そんなイネスさんの言葉を聞きながら、どこかユリカに対してすまないという気持ちを抱く俺。
なんて言えばいいのかよくわからないけれど、こうなってしまったのは俺にも少し、責任があるんじゃないだろうかって考えてしまう。
こんなふうに考えるのは傲慢なことかもしれないけれど、でも。でもやっぱり…………
「――――彼女のことがそんなに心配なのかしら?」
「え?」
突然そんなことをさらりと言ってくるイネスさん。その表情はどこか可笑しそうに笑っているようにも見える。
「まぁ、大事な大事な幼馴染ですものねぇ。いきなり倒れられたらそりゃあ心配にならないわけないか」
続いて静かに微笑みながらそう言ってきたイネスさんに俺は苦笑を返すと、眠っているユリカの頭を静かに撫でてやった。
「………最近、コイツに構ってやれてなかったですから」
「ふふ。…そうやっていると、まるで貴方のほうが『お兄さん』みたいよね」
滅多に見せることのない、優しい微笑みを浮かべながらそう呟くイネスさん。
「確かに、そうかもしれませんね。――――なんだかんだいって、コイツのこと…放っておけなかったっていうのは昔から変わらないのかもしれない」
「――――――」
そして俺たちは口を噤んで。
最後に眠っているこいつの顔を一目、なんだか懐かしい気持ちになりながら見ると、俺はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「じゃ、そろそろ行きますね」
「…作戦、頑張ってね。『お兄ちゃん』?」
白衣のポケットに両手を突っ込みながら、どこか楽しそうにそう言ってくるイネスさん。
そんなイネスさんにもう一度苦笑を返すと、俺は格納庫へと大急ぎで走っていった。
『遅えぞテンカワ!! なぁに油売ってやがったんだ?!』
「すんません! すぐ準備しますから!!」
格納庫に飛び込んで早々、セイヤさんからの怒鳴り声が飛び込んでくる。
俺は大慌てで自分のエステへと駆けていく。
「おうアキト。点検のほうはバッチシだからな、ちゃんと無傷で帰ってこいよ?」
そうコクピットの外から声をかけてくれるのはタニマチさん。セイヤさんがわざわざ選んで新米の俺につけてくれた、ベテランの整備士だ。
もう30近い年齢で、短く刈り込んだ黒髪にトレードマークの無精髭、それにがっちりとした体格のこの人はセイヤさんの後輩なんだそうで。まだまだパイロットとして不慣れな俺にとっては本当に頼もしい人でもある。
「ありがとうございます。……でも、さすがに無傷はムリですよ」
そう苦笑いをしつつ俺が返事を返すと、タニマチさんはニヤリと笑って言い返してくる。
「ばぁか、無傷ってのはおめぇのことだよ。かわいい彼女さんがいるんだから、もしまかり間違ってキズモンにでもしちまったら大変だろが。
――――ま、機体のほうは大目に見てやるよ。だから気合入れて行ってきな!」
「はいっ!!」
聞きなれた駆動音とともに閉まるハッチ。
慣れた手つきで起動チェックを終了させた俺は、ナビゲーションに従ってカタパルトへと向かう。
『テンカワ機、フォン機は射出準備に入ってください』
「了解」
ウィンドウの向こうから、真剣な面持ちのメグミちゃんが指示してきたとおりに射出デッキに入っていって。
ふと彼女が俺のほうを見て微笑みかけてきた。
『………アキトさん、無茶はしないで下さいね?』
「ありがとう、大丈夫だよ。これ終わったら、いつものところで、ね」
そんなメグミちゃんに微笑み返す俺。嬉しそうに肯くメグミちゃん。
そして突然横から入ってくるウィンドウ。
『か〜〜〜〜っ、てめぇら! こんな時までイチャイチャしててえのか??』
『きゃ?!』
「せ、セイヤさん?! なんですかいきなり!」
そのウィンドウの先ではセイヤさんがやけに楽しそうにニヤついていたりして。
『二人とも仕事の時くらいはきっちりしておけよ? 今やってんのは遊びじゃねぇんだからな』
「――――セイヤさん、その顔で言われても説得力ありません」
『ん?……オホン!! と・も・か・く! 作戦中は集中しろよ! お前ら二人はナデシコから離れて行動する分、危険度も高いんだからな』
「わかってますって。でも、なんで俺なんかがこっちに選ばれたんでしょうかね…?」
と、不意になんとか真顔に戻ったセイヤさんが眼鏡の位置を直しながら、どこか嬉しそうに笑って言ってくる。
『なぁに、簡単なことさ。ゴートの旦那もお前には期待してるんだよ。だからわざわざこうやって、やりがいのある任務に就かせてくれてるんだろが。
ただその分、責任は重いぞ? それがわかったらビシッと行ってこおおおおい!!!!』
「………はいっ!!」
『アキトさん、準備はよろしいですか?』
作戦準備も“ALL GREEN“、徐々に緊張が高まっていく中シーリーさんからの通信が入る。
「はい。よろしくお願いします!」
『ふふっ………そうですね。では行きますよ』
『―――――フォン機、及びテンカワ機、発進してください!』
「了解!!」『了解!』
そして急速に、その視線の中心から遥か後方へと流れていく視界。狭いカタパルトを抜けた瞬間に一面の光が飛び込んでくる。
………一面の光。
その光に誘われたかのように、ほんの一瞬だけ。
あの火星の草原と、静かに眠るユリカの横顔が脳裏に浮かんで消えていった。
―――――――作戦は始まったばかりだ。ここからは遊びじゃない。
そう自分に言い聞かせて機体を海面ギリギリまで下降させ、先行するシーリーさんとともに目標ポイントへの進行を開始する。
『…アキトさん、ポイントC-3までは時間の余裕がたっぷりあるんです。先行しすぎても作戦は失敗ですから、もっとリラックスしましょう?』
「あ、はい。すみません」
まるで俺たちを待ち受ける罠みたいにして海面からポツリポツリと顔を出している岩礁の間を縫うように、ややスピードを落として進んでいく俺たち。
背後ではナデシコがゆっくりと別の作戦ポイントへ動き出したところだった。
「そろそろナデシコのビーム範囲外に出ますね」
『ええ。ここから先は、時間と根気との勝負ですよ』
スクリーンの左下部に映し出されるバッテリー残量―――――あと40分。
『ここから先の通信は音声のみとします』
「了解」
手元のパネルを操作するとスクリーンの片隅に写っていた真剣な表情のシーリーさんの姿が掻き消える。代わりに現れたのは先程までより二回り小さいウィンドウと“SOUND ONLY”の文字。
さらにコクピット内の照明も少し落ち、俺とシーリーさんのエステは薄暗い雲間に覆われた、夕焼けがかった氷海の下を静かに進んでいた。
「きれい………だな」
『――――』
思わず、そう呟く。
遥か向こうの雲の隙間からは、オレンジ色の陽射しが静かに海にそそぎこんでいて。一面の氷で覆われた島々は、その光を一身に浴びて、黄昏時に相応しい錆びた黄金色に薄く染まっていた。
そう、辺りはホントに勿体無いくらいに静かで、綺麗で、落ち着いていて。
(任務中だったりしなければ、もっと――――)
『……作戦遂行中でなければ、もっとゆっくり眺めていられたでしょうね』
「…ええ」
ああ、シーリーさんの言うとおりだ。
――――ホント、メグミちゃんにも見せてあげたかったな。この景色。
まるであの頃の火星を思い出すような、俺と、ユリカと……一緒にバカみたいに笑いながら、泣きながらすごしていた頃の――――
…………??
『アキトさん、そろそろ到着です』
「…あ、はい」
そのシーリーさんの呟きに、どこか上の空といった様子の呟きにふと我に返る俺。
自分でもなんだか良くわからないことを考えていたような気がする。なにか矛盾するようなことを考えていたような。
ゆっくりと俺とシーリーさんのエステは近くの小島に降下すると、時間が来るまでの待機姿勢に入る。
「――少し、早かったかもしれませんね」
そして先程の妙な気持ちを振り払うつもりで、そう声に出す俺。
『………ええ。そうかもしれません』
やはりどこか心なさげに聞こえるシーリーさんの声。
「??―――シーリーさん、どうかしましたか?」
と、シーリーさんは慌てたような声を出して言葉を返してきた。
『え?! いえ、何でもありません!…………ただ、ちょっと……見とれていただけですから』
そのシーリーさんの声はなんだかとっても恥ずかしそうでいて、照れているようでいて。
「はは………ホント、綺麗ですもんね。夕焼け空」
『――――――はい』
先程まで空の大半を覆っていた雲は、今はちょうどいいくらいに夕日のまわりだけが切り取られている。
その隙間から見える黄金色の夕日。
その夕日をただ黙って、俺とシーリーさんはこのひんやりとしたコクピットの中から眺めている。
そんな俺の心の中には、もう認めざるを得ないだろうけど……あの日の火星の日々がやはり、ずっと大事にしまっていた宝物のように輝いて浮かんでいる。
――――でも、今は今だ。
思い出は、思い出。そして今は今。
だから俺は、きっともうユリカのことを…………
「……やっぱ、わからねえや」
『??―――なにか言いましたか?』
軽くため息をつきながら、そう呟く俺にシーリーさんが問いかけてくる。
「ん、なんでもないですよ」
『…………うーん』
と、なにやらシーリーさんが考え事をしているようだ。
そしてやおら弾んだ声で言ってきて。
『わかりました! きっとメグミさんのことを考えていたんですね? 一緒に夕焼け見れたらなぁって、考えてたんじゃないですか?』
「……えーと、実はハズレ」
『え? 違うんですか??』
心底不思議そうに訊いてくるシーリーさん。そんなシーリーさんに、これはメグミちゃんには内緒にしておいてね、と前置きしてから俺は話し始めた。
「実はさ、昔の頃の―――火星にいた頃の夕日を思い出してたんだ」
『昔の………ですか?』
「うん」
訝しげに訊ねてくるシーリーさんに一つ返事をして、もう一度その夕日へと目をやる。
「そう、ずっと前の――――俺がまだ小さな子供だった頃のこと。
その頃に一度、今日みたいな夕日を見たことがあってね。あの時の夕日も、ホントに綺麗で…なんか、久しぶりに思い出しちゃったからさ」
…そう、俺がどこか懐かしい、もはや失われてしまった郷愁のような気持ちとともに告白すると、シーリーさんはほんの僅かな沈黙と、ただなぜか感じさせる寂しさとともにゆっくりと言葉を紡いできた。
『……私はこの夕日を見て、ただ、ホントに綺麗だなあって思いました。――――ただそれだけだったんです。
今までこんなに綺麗な夕日を……こんなに綺麗な気持ちのままで見たことなんてなかったのかもしれません。アキトさんに言われるまで私、全然気がつきませんでしたから。
――――ホントにアキトさんって、すごいなあって今思いました。
どんな時でも、アキトさんはこんな何気もないところにある片隅の風景なんかを見つけることができて、そういうものの一つ一つに、心から感動できるんだなあって』
……その言葉に思わず、赤面してしまう俺。
ウィンドウの向こうからは何故か唐突に、シーリーさんの息の詰まるような声が聞こえてきたような気がした。
「いや………まあ、はは………ありがとうね。うん」
『………あ、いえ。すみません、その――――変な事言ってしまいまして…』
…はあ、音声通信でよかったよ、ホント。
多分俺の顔、赤くなってるだろうからなあ………
「―――――」
『……』
「………」
『…………ふふ』
「―――はは」
『………ふふふっ』
「ははは――――……まあ、お互い様ってところですね」
『そうですね……まったく、何をやってるんでしょうか、私たちは』
「こりゃあ、ナデシコのみんなには言えませんね。言ったら思いっきり怒られそうですし、『俺たちが必死に戦ってる間、おまえらなにやってたんだー!!』って」
『あははははっ………
――――ええ、そうですね。流石に、これは………みんなには言えませんよね―――』
気がつけばなんとなく二人とも、そうやって静かに笑い出していた。
この一瞬だけここが戦場であることを忘れてしまったような、そんな一時。
そして時間はゆっくりと流れていって。
「……そろそろ、時間ですね」
夕日ももう、その身を半分以上地平線の向こうへと沈めてしまっていた。
『ええ。では、これより作戦段階をCLASS−2へと移行します』
「―――了解」
再び真剣な声へと戻ったシーリーさんの指示を受けて、俺ももう一度気を引き締めなおす。
静かにその機体を揺り起こして。
ゆっくりと、俺たち二人の機体は宵闇色に染まった空の方角へと進路をとっていった。
9.
―――作戦は結果として、成功しました。
ナデシコでは艦長が不在だったために思ったよりも敵の掃討に苦戦したり、私たちのほうも途中で敵機に発見されたためにアキトさんが囮を買って出て、バッテリーが予想以上に早く切れてしまい……その、色々とあったりと大変ではありましたが。
それでも結果として無事に、親善大使―――もとい、実験機材の組み込まれた白熊を保護できたのですから良しとしましょう。
アキトさんと一緒のコクピットの中でナデシコの到着を待つなんていう、思いもかけなかった嬉しいハプニングもありましたしね。
「……シーリー。こんなところにいたんだ」
「サレナさん」
……そして、夜。
目も覚めるような満天の星空の下、私がブリッジの後方にある空挺用のデッキの一角で夜風に当たっていると、後ろから彼女のそんな声が聞こえてきました。
「ここ、結構な穴場だと思いません? 天気の悪い日や空の上なんかにいるときは勿論使えませんけれど………こうやって星空を直接眺めることができるんですよ」
すぐ隣にやってきて、手すりにもたれかかって空を見上げるサレナさん。
「……ホントだね。全然気がつかなかった」
私も同じようにして、嘘みたいに雲の吹き払われたその満天の星空を眺めてみます。
――――この星空も、アキトさんといっしょに見れたら良かったのに。
…そして今はきっとメグミさんと一緒にいるだろうアキトさんのことを考えながら、私はふとそんなことを思ってしまって。
「……艦長、具合はどうだったんですか?」
だから隣にいるサレナさんに私は、胸の底に微かな痛みのようなものを感じながらもそう関係のないことを訊ねてみて。
「んー、イネスさんの話によれば2,3日は仕事を休ませるって言ってたけど……
会ってきた限りじゃ、十分元気だったよ。アキトの奴に思いっきりしかられて、ちょっとは反省―――というか、元気が出たみたい」
「アキトさんが?」
そのサレナさんの言葉に思わず彼女の顔を見ると、サレナさんはなんだか可笑しそうに微笑いながら言ってきました。
「うん。アキトの奴、珍しくユリカさんに『らしい』言葉かけててね。なんだか不必要に赤い顔なんかしながら、『このバカ、お前一人でなんでもかんでも抱
え込もうとなんかしなくていいから、もっとみんなに迷惑かけちまえ。――――困った時には、俺もちゃんと相談に乗ってやるからさ』……だって。
なんだかんだ言ってアイツ、ユリカさんのこと結構気にしてるみたいでさあ。そのせいで今頃、メグミに必死になって頭下げてると思うよ、きっと」
「はあ………」
そう最後に言って口元を押さえると、とっても可笑しそうに笑うサレナさん。
そんなサレナさんの言葉を、けっこうかなり複雑な心境で聞いていた私は、ふと夕方のアキトさんの言葉を思い出しました。
『そう、ずっと前の――――俺がまだ小さな子供だった頃のこと。
その頃に一度、今日みたいな夕日を見たことがあってね。あの時の夕日も、ホントに綺麗で…なんか、久しぶりに思い出しちゃったからさ』
(そっか…………あれって、もしかしなくてもきっと―――――)
「……シーリー? どしたの??」
そうして一人沈み込みそうになる気持ちでそんな考え事をしていると、サレナさんが困ったような、『しまった』と言うような顔をしながらそう訊いてきました。
そんなサレナさんの表情を見て、私はついポツリと自分の心を漏らしてしまって。
「――――『一目惚れ』って、怖いですよね」
「……!」
その私の言葉にサレナさんは、一瞬だけ表情をこわばらせて。
それでも私は構わずに、私の気持ちとは裏腹に穏やかに揺れている夜の波間に目をやって。
「――初めて会った人なのに、その人のことが理由もなく気になってしまって。
一緒になって話をしたりなんかしているうちに、自分でもどうしようもないくらいにどんどんその人が『好き』になっていってしまうんです。……本当に、自分ではどうしようもないくらい――――」
――――そう。本当にどうしようもないなぁって、私自身でもそう思う。
それでもやはり、私はアキトさんのことを好きになってしまったんだ。
…なのによりにもよって、私がこのナデシコに来た後にメグミさんと恋仲にならなくてもいいじゃないですか――――なんて、自分勝手で理不尽なことまで考えてしまって。
(はぁ…………忍ぶ恋、かぁ――――――)
…そしてデッキの向こうに見える、暗い海をぼんやりと見つめながら私はそんなことを思って。
それから再び頭上の星空を思いっきり見上げると、不意にサレナさんがどこか遠いような声をして呟いてきました。
「……そうだね。恋愛って――――大変だし、不安だし……時には本当につらい事だってあるし。
でもそれでもやっぱりその気持ちは止められないもの。私だってまだ――――結局は終わってしまった自分の想いに踏ん切りがつけられてない………」
「――――ええ。みんなそうなんですよね……艦長も、メグミさんも、みんな…………」
――――結局その夜はただ静かに、穏やかに過ぎていって。
そんな、それだけのことがあった不思議な一日でした。
(第2章 Interludeへ)