…………青い海。
 眩しすぎるほどの燦燦とした陽射しに、透きとおるような青い、どこまでも続いている海。
 まるで穢れを知らないといったような純真無垢な心を思わせる白い砂浜。
 これでもかと云わんばかりにリゾート気分を増長させる南国の植物たち。
 心地よく響いてくる潮騒の音。踊るように天まで伸びる遠い入道雲。

 そして。

 「いいかヤロウども!! 気合入れてけよ!!!」
 「「「「「「「「オオーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」」」」」」」」


 ――――そろいもそろって頭のネジが抜け落ちたバカどもがわんさかと。




 「………サレナさん。こんなところで難しい顔をしてどうしたんですか?」
 「んー、なんでもないよルリちゃん。ただ目の前に広がってる男どもの痴態を目にしたら眩暈がしただけだから」
 「はぁ……」
 「なぁに言ってんのサレナ〜? あんただって気合入ってるじゃん。その妖しさいっぱいの黒ビキニは何なのさ??」
 と、そんなことを言いながらも自身も気合入ってるとしか見えないヒカルは花柄のアクセントのついたオレンジのセパレート。そしてそのすぐ横で首を傾げてるルリちゃんはいったい誰が選んであげたのか、淡いパステル調のピンクのビキニにミニスカートといった格好である。

 ま、かわいいといえばかわいいんだけど。

 「――――で、リョーコたちはどしたの?」
 そう私が言いながらあたりを見回してみると、近くにおっきなイルカの浮き輪を持って走ってくる、スポーティなブルーの水着を身に着けた緑頭の女がいた。
 言うまでもなく、リョーコである。
 続いてのんびりとやってくるのは、毒々しいまでのワインレッドのビキニに同色系のロングパレオを纏ったイズミの姿。その病的なまでの白い肌との組み合わせは、もうなんともいえない限りだ。意味もなくかけてるサングラスもかなり怪しいし。
 「ありゃー、イズミってばこうして見てみるとどこぞの女スパイみたいだね〜。太腿に小型拳銃とか隠してそう」
 「……多分本人もそのつもりなんでしょ?」
 「――あーもう! そこの二人!! ぼーっとしてないで手伝ってよ?」
 「あ、はい!」
 「今いっきまーす!!」
 続いてすぐ近くでパラソル立てに苦戦していたミナトさんが、私とヒカルを見てそう言ってくる。そしてどこか困ったように周りを見回すルリちゃん。
 「私はどうしましょうか………」
 「もちろん、手伝うの!」
 「あ、ちょっと…サレナさん!?」
 私はルリちゃんの手を掴むと一直線に、傾いたパラソルへとめがけて走り出す。
 そしてまた、遠くから聞こえてくる男どもの剛声。
 ………とまぁ、なんだかいろいろやってるけれども。

 そう。つまり、なんのことはない。
 私たちナデシコ・クルーは南の島に『バカンス』に来ているのだ。










 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第2章 『誰も貴方を責めることはできないのか』

  Interlude





 1.

 「だからこれはバカンスじゃないって言ってるでしょ!!!」

 真夏の太陽が照りつけるビーチの中で、一人そう大声を上げている提督。
 「――――そうなんですか? 提督」
 その提督に心底不思議そうに問いかけているシーリーさん。
 ちなみにシーリーさんが着ているのは何故にかアーミー柄のセパレート。対する提督は白のハーフパンツにアロハシャツといったいでたちをしているから、言ってることにも説得力がない。
 「いいこと? つまり私たちはそもそも、このテニシアン島に落下した新型のチューリップの調査に来たのよ。今はそのついでとしてたまりにたまった休暇をまとめて取ってるに過ぎないわけ!」
 「はぁ…………」

 (……それって結局、バカンスだよな)

 心の中でこっそりとそう呟きながら、俺は両脇に抱えていた荷物を地面へと下ろす。と、先に来てパラソルを豪快にビーチに突き刺していたガイが腕組みをしながら、なんだか燃えるような気迫とともに口を開いた。
 「くぅ〜〜〜〜っ! こうして海を眺めていると思い出すぜぇ、あのエノシマでの熱い日々を!! 兄貴とともに沿岸に迷い込んできた人食い鮫と死闘を繰り広げた、まばゆいばかりの16の夏!」
 「……って、ガイ? 鮫??」
 「え? なに? なに? ヤマダ君地元でそんなことしてたの??」
 と、不意に現れたヒカルちゃんが、心底驚いた顔をしてガイに問いかける。
 「ああ、奴は本当に強かった。……だがな、この俺と兄貴のほうが一枚も二枚も上手だったのさ。お返しにこのとおり、奴の手痛い一撃をもらいはしたが―――ふっ、それも今となってはいい思い出だぜ」
 するとそう言ってガイは右肩に刻まれたやけに物々しい傷跡を俺とヒカルちゃんに見せてくれた。
 「うわ、すっげ……!!!」
 「えー?! これホントに鮫に噛まれたの? 痛くなかった??」
 そして鮮やかに高笑いするガイ。
 「なーに、これも俺様にとっちゃ男の勲章みたいなもんさ。兄貴なんか身体喰われそうになったんだぜ?」
 「…………アンタ達いったい、どーゆー兄弟なのよ…??」
 「――って、おわ?!! くっ、クロサキ!」

 ――――――…うわぁ。

 その俺らの目の前に現れたのは、もうこれ以上ないってくらいに眩しいばかりの黒いビキニに身を包んだサレナさん。
 さらに隣にいるユリカの、対照的な白いビキニのパレオ姿がそろうことにより、二人のそのスタイルをビーチの中で際立たせている。
 そしてそんな二人に見とれて棒立ちになる俺とガイ。
 「やっほーアキト! どう? どう? 私の水着姿!」
 「あ? いや、その……な」
 「あー! アキトくん、照れてる照れてるー!」
 「ひ、ヒカルちゃん!!!」
 と、思わず俺が声を上げるとヒカルちゃんは、どこか冷たいような拗ねたような眼差しを俺に向けてきた。
 「なによー、私やリョーコのときはノーリアクションだったくせにぃ。アキト君のばかぁ!!」
 そして意味もなくあさっての方向に駆けていくヒカルちゃん。…………と思ったらユウキさん相手に楽しそうにドロップキックかましてるし。
 「……アキト、お前心底アマノにからかわれてるぞ」
 「わかってるよガイ………」
 「ねーねーアキトー。それはそうと、ジュン君見なかった?」
 と、不意にユリカがそんなことを訊ねてくる。
 「…いや、俺は見てないけど。ガイは?」
 「あー? 俺も上陸前に制服姿で目撃したきりだな。案外アレじゃねえか? あいつ結構マジメだから、一人ブリッジで番してるとか」
 そのガイの答えに首を横に振るユリカ。
 「ううん、私艦内はだいたい見てきたもの。ブリッジにも食堂にも、ジュン君の部屋にもいなかったよ」
 「それにそーいえば、メグミの奴も見てないわね。―――さては私とユリカさんのスタイルに恐れをなしたか。フッ」
 そしてさらにそんなことを口走ってニヒルな笑みを浮かべるサレナさん。正直けっこう怖いッス。

 …まぁそれはそうと、そうなんだよね。
 メグミちゃんも上陸してすぐに、『少し待ってて下さいね』って言ってミナトさんと一緒に艦の中に戻って行っちゃったんだ。
 でもミナトさん、さっきまでは確かにビーチにいたはずだけど………

 「………あれ?」
 「どうしたの、アキト?」
 あたりを見回して声を上げた俺にユリカが問いかける。
 サレナさんも不思議そうな顔をしてる中、俺は素直に疑問を口にしてみる。
 「いやさ、気がついたらミナトさんもいないなーって。ルリちゃんはイネスさん達とあそこでなんだかくつろいでるけど、ミナトさんだけ姿が見えないだろ?」
 「あ、うん。言われてみれば」
 そうしてもう一度、ビーチを見回してみる。
 陸地に近いほうでは固まったパラソルの下で、なにやら盤上の勝負事をしているプロスさんとゴートさんに、控えめな感じの黒のセパレートを着ているエリナさんが端末で仕事らしきことをしていて。
 いっぽうそのとなりではセイヤさんが何故か屋台を出していて、その向こうでは提督とシーリーさんがまだまだ続いているらしい長話の真っ最中だ。
 さらに海のほうでは整備班の有志とアカツキやリョーコちゃんたちパイロットのメンバーがビーチバレーをしていて、残りのみんなはめいめいのグループなんかを作ってかって気ままに遊んでいるんだけど――――

 「確かにハルカさんの姿が見えねえな……」
 何故か水平線の彼方を見渡すような仕草をしながらそう呟くガイ。そんなガイの仕草を見ていると、もしかして5km先に浮かんでいるペットボトルも発見できるんじゃないかなんていう錯覚に陥りそうになってしまうから不思議だ。
 「ま、それはそうと…いつまでもぼさっと突っ立ってるわけじゃねえんだろ? どーする、これから」
 「うーん……でも私とユリカさんはあんまり遊ぶ気はないよ? ユリカさん、まだ疲れ完全には取れてないし」
 「――――ユリカ? ホントに大丈夫なのか?」
 そのサレナさんの言葉に、少し心配になって声をかけるとユリカはちょっと困ったように笑いながら言ってくる。
 「やだなーもう、そんなに心配しなくっても大丈夫だよ。…でも流石に、あんまり泳いだりはしないほうがいいかも」
 「そうか…………って、あれ?」
 ここで不意に深刻な事態に思い当たって声のトーンを下げる俺。
 「え、なに? アキト」
 やけに無邪気そうに思える笑顔で訊ね返してくるユリカ。
 「……お前ってさぁ。ちゃんと泳げたっけ??」
 「――――――」
 「――――――」
 「………………」
 「あ…あはははははははははははは…!! や、やだなぁアキト! 何言ってんの、泳げるに決まってるじゃない!!」
 「――――艦長、声が乾いてるぜ?」
 「……そうね。でもまさかとは思うけど」
 「これはジュンに訊いてみたほうがいいかな?」
 「って、なんで3人とも信じてくれないのーーーーーっ??!!」

 そのユリカの悲痛なまでの絶叫は、もちろん俺たち3人の耳に入ることはなかったわけで。






 2.

 「副長ですか?……そういえば私も見てませんね」
 そしてあれからしばらくすぎて。
 セイヤさんの営む臨時浜茶屋、『怒号一番』でカキ氷を頂きつつルリちゃんにそう尋ねると、もう何人目かわからないその同じ答えが返ってきた。
 「そっか〜〜。ルリちゃんも見てないのか」
 「はい」
 思わず小さくため息をついてからホットドッグにかじりついた俺に、ルリちゃんはイチゴシロップのかかったカキ氷をかき混ぜながら返事をする。
 そして、その横ではいい加減に拗ねた様子のユリカがブルーハワイのカキ氷にぱくついていた。
 「もぉ、なんで3人とも信じてくれないの? …私、ちゃんと泳げるって言ってるのに」
 そう言って俺とサレナさん、それにルリちゃんを見回してもう一度不機嫌そうにスプーンを口へと運ぶユリカ。ガイの奴はいい加減に身体を動かしたくなったのか、リョーコちゃんや整備班の面々と一緒に沖の小島まで遠泳に出かけている。
 そして苦笑しながら口を開くサレナさん。
 「わかってるってばユリカさん。私たちは副長見当たらないから探してるだけだって」

 ……でもそう言うサレナさんが、一番信用できないと思うのは俺だけだろうか。この人は普段真面目ぶってはいるけれど、ハメをはずすと決めた時にはとことん徹底的にはずす人みたいだし。

 「……なんだ、お前らジュンの奴を探してたのか?」
 と、作業が一段楽したらしいセイヤさんが意外そうな顔をしてそう言ってきた。
 「セイヤさん、ジュンがどこいるか知ってるんですか?」
 「詳しくは知らんが、ミナトのやつに連れられてどっか行っちまったぞ」
 「それ、いつ??」
 そして続くサレナさんの問いかけに、セイヤさんは首を捻りながら考え込む。
 「んーと……確か俺がボンベを取りに行ったときだったから、上陸してしばらく後のことだったと思うが―――」
 「「それだ!!」」
 思わず声をそろえて叫ぶ俺とサレナさん。
 「え? ちょっと二人とも―――」
 二人一緒に椅子から立ち上がって、一目散にナデシコに戻ろうとしたその時。

 ――――――おおーーーーーーーーーっ!!!?

 突然向こうから聞こえてくるそのどよめき。その声に振り向く俺たち。
 「……なんだなんだぁ??」
 そしてセイヤさんのその誰何の声の先、白い砂浜の上には…みんなの視線を一斉に浴びている三人組――――の中の、一人がいた。
 さて、その右端。間違いなくミナトさんである。今まで見た中で一番キワドイかもしれない、イエローを基調としたそのビキニを着て楽しそうに笑っているけど、注目を集めてるのは彼女じゃない。
 いっぽうまわってその左端。ここにいる俺に気がついて手を振っているのはメグミちゃんだ。ルリちゃんの水着に似た、かわいいピンクのセパレートを身に付けてるけれど、やっぱり彼女でもない。

 ――――そして、中央。
 ストライプの入った水色のセパレートに同系色のロングパレオ、肌の露出は決して多くはないけれどその分可憐な印象を十分に与えている、恥ずかしそうに俯きながら歩いている見慣れない長髪の女の子がみんなの注目を浴びている本人で。

 ……って、いや―――待て。そういえばあの子、どこかで見たことあるような…………

 と、ユリカが不意に立ち上がる。その『見たことある気がする』、『長髪』の女の子のところへと走っていく。
 「あ、ユリカさん??」
 慌ててその後を追いかけるサレナさん。それに続く俺。
 いっぽうで近づく俺たちに気がついて、どこか怯んだ様子を見せたその女の子にユリカは開口一番―――――


 「――――ジュン君!? いったいどうしちゃったの??」




 「「「…………」」」
 「…………な」
 「「「「「「「「「「なにぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ??!!!」」」」」」」」」」

 砂浜が、でっかく揺れた。


 「あちゃあ……もうバレちゃったか。やっぱり艦長にはあらかじめ言っておかなくちゃ駄目だったかな?」
 そしてこの場にいるみんなが揃って唖然とした表情をする中、そういって一人苦笑いをするミナトさん。
 「あ、アキトさん! お待たせしましたーっ!!」
 いっぽうこちらはかなりマイペースなメグミちゃん。
 「…あ、うん。遅かったねメグミちゃん」
 俺はそう返事をしつつも、目の前で世にも情けなさそうな顔をして立つジュンのほうから目を離せない。
 そのなんだか色々と間違っているはずの姿から目を離せない。
 そして。
 「ぷっ……………ぷくくくくくくくくくくくく」

 ――――なにやら笑いのツボにはいったらしく、先程から口元を押さえて懸命に笑いをこらえているサレナさん。
 俺はそのサレナさんを無意識のうちに視界からはずすと、なるべく落ち着いた声を出せるように努力しながら…そのジュンらしき少女(?)に声をかけた。

 「で…ジュン? いったい何があったんだ??」
 「い、いや………これは違うんだ。その…ミナトさんが、外に出ようとしてたボクを見ていきなり『そんなカッコで出たら駄目でしょ!!』って言って、その上部屋まで連れ込まれて―――」
 「それでジュン君、そんな格好させられたの?」
 ミナトさんのほうを見ながら困ったように訊ねてくるユリカ。
 「そーよ? だってあのままジュン君が外に出てたら問題ありそうだったんだもの。言ってみればか弱い少女がトップレスでビーチをふらふら歩いてるようなものよ」
 それに対して満面の笑顔でそう答えるミナトさん。
 でも多分、この人は自分が楽しみたくてやっただけに違いない。きっとそーだ。
 「だからってミナトさん、ウィッグまでつけさせなくてもいいじゃないですか…」
 そうため息混じりに反論したジュンに、ミナトさんは苦笑しながら答えて。
 「だってジュン君、恥ずかしがってたでしょ? だからせめて正体バレないようにつけてみたんだけどな。――――ちなみにかなり、似合ってるわよ?」
 「嬉しくない…………」

 と、不意に日常に帰ってきたらしいあたりの様子が騒がしくなる。
 ビーチバレー組の一角からなんだか複数の叫ぶ声が聞こえてきて。
 「………なんだろ?」

 「――――――大変だ!! ユウキの奴が『彼女』の色気にやられやがった!」
 「――――なにぃ?!! 傷は?! 救護班、至急担架を頼む!!!」
 「……………ち…ちが―――(ユウキさんが何か言っているらしい)」
 「――――――バカ!! 何言ってんだユウキ、傷はまだ浅いぞ!!……って、ああっ??! ユウキ、しっかりしろーーーーーーーーーっ!!」
 「いやあ、青春だねぇ」
 「「「…………」」」
 無言で立ち尽くす俺たち6人。
 周りの喧騒をよそに、果てしなく冷たくて情けない空気がここに流れてる気がする。
 そんな中、浜茶屋から顔を出してきたセイヤさんとルリちゃんがやけに真顔で一言だけ呟いた。
 「………ジュン、お前本当に20歳の男か?」
 「ほんと、バカばっか」

 ……真夏の太陽が、やけに悔しく眩しかった。











 3.

 それからしばらく時間がたって。

 「ジュンさ〜〜〜ん♪ どうか記念に一枚お願いしますよー」
 「だぁめ!! ダメったらダメ、絶対ダメ!!」
 「えー?! そんなこと言わないで、ね? だってすっごく可愛いんですよ??」
 「サユリの言うとおりですよー。せっかくだから記録に残しておかないともったいないじゃないですか」
 「あ、そこの男子!! 勝手にジュン君の写真撮ろうとしてんじゃなーい!!」

 「…………いや、まあ。なんというか」
 そのビーチで繰り広げられている、アオイさんとサユリたちのしようもない会話を聞きながらお昼を食べる私達。
 ここからこうして見ていると単に6人の女の子がじゃれあってるようにしか見えないのだから、アオイさんの女顔と華奢な身体も相当なもんだよね。
 …ちなみに本日のお昼はホウメイさんやアキト達が朝早くから用意していたお弁当。ウリバタケさんの屋台のほうもぼちぼち利用があるみたいだけど、結局クルーの大半は食べなれたこっちのほうを選んだみたい。
 そして販売業務の手伝いがやっと終わったアキトは、それを待っていた私やユリカさんにシーリー、それからついでのメグミと一緒に遅い昼食を、厚かましくもウリバタケさんの浜茶屋の中でとっているわけである。

 「あはは。ジュン君人気者だね」
 そう私の向かいで言って、困ったような笑みを浮かべながらご飯を口に運ぶユリカさん。
 「そうですね、ホントびっくりするくらいに可愛らしいですし……」
 さらに私の隣、そう言葉を続けるシーリーの頬は微妙に赤く染まっているような。
 いっぽうこのグループの中で半ば無理やりに『ふたりっきりムード』を作り出そうとしているメグミはさっきからアキトに構いっぱなし。ホントは二人でお昼 を食べたかったみたいだけど、アキトの『みんなで食べたほうが美味しいよ』という鈍感発言にしぶしぶ従ってはいるらしい。

 ――――というかようするにアキトとしてはユリカさんとメグミの仲を良くしたいみたいなんだけど、それはさすがに無理でしょうが。

 とまぁ、それは兎も角。
 「……はぁ、やっと開放された――――ここ、いいかい?」
 「ん……いいですよ」
 そう大きなため息をつきながら、お弁当片手にアオイさんが私の右隣に腰掛けて。なるべく肌の露出を抑えたいのか、パレオの裾を懸命になって膝上へと運ぶアオイさん。その長い黒髪を困ったように右手で後ろへと払う『彼女』。
 ………ああ、もうダメ。間近で見るとあまりにも可愛くてお腹が痛くなる。
 「……サレナさん。いい加減慣れたらどうですか?」
 多分また顔がニヤついていたんだろう、そんな私に半眼でそう告げてくるアキト。
 と、不意にそれまでアキトとずっと話していたメグミが疑問顔でユリカさんに声をかけてきた。

 「それよりもユリカさん、私ちょっと疑問に思ってたんですけど、この島って新型のチューリップが落っこちてるんですよね?」
 「そうだよ?」
 「……そんなところでこんなにのんびり遊んでて、本当に大丈夫なんですか??」
 「ふぇ??」
 それに非常に間の抜けた返事を返すユリカさん。その代わりとでもいうように、またまた肩にかかる髪を払いのけながらアオイさんが口を開く。
 「その点なら心配は要らないと思うよ。念のためにクルーが交代で観測してはいるけど何かしらの活動をするような気配はないし、そもそも目標からここまではかなり距離が離れてるしね。
 …ま、念のためにクルーのみんなにはこのビーチからは出ないように通達してあるでしょ?」
 「―――まあ、リョーコとヤマダのバカ達は遠泳に出かけちゃったけどね」
 「はぁ……あの二人は…………」
 その私の言葉に小さくため息をつくアオイさんと苦笑を漏らすシーリー。
 「でも大丈夫ですよ。先程リョーコさんの姿を見かけましたから」
 「…なんだ、ガイの奴もう帰ってきたのか」
 そしてアキトの意外そうなその一言。
 ……………それはまた、うるさくなりそうね。

 と、その時。
 「おーーっ、アキト! こんなところにいやがったかあ!」
 「―――ガイ?」
 その噂の本人であるヤマダの奴がアキトの肩に手を置きながら、しかもやけに楽しそうに笑いながら声をかけてくる。
 そしていきなり有無を言わさずアキトの奴を引っ張り上げる。
 「え? なに??」
 「ちょっとこの先でやたら面白そうなモン見っけたんだ。善は急げだ、早速見に行くぞアキト!!」
 「あ? ちょ……ガイッ?!!」
 「ヤ、ヤマダさんっ??!」
 「それじゃ艦長にメグミ! アキトの奴は借りてくぜっ!」
 「だあああああああああああああああああああああっ?!!―――――――」

 その怒涛の如き勢いでアキトのパーカーの裾を掴んだまま、ビーチの向こう、森のほうへと姿を消していくヤマダ。
 「―――アキトッ?!!」
 「アキトさん!!」
 さらに続いて二人を追いかけていくユリカさんとメグミ。
 「え……えっと」
 箸を片手に困惑するシーリー。本日何度目かわからないため息をつくアオイさん。そしてとりあえずエビフライを口に運ぶ私。
 「…追いかけるのは、ご飯食べてからにしようか」
 「………そうですね」
 そして私の両隣からそんな声が聞こえてくる。
 もしかしたらこの二人、結構気が合うんじゃないかなぁ――――――なんて事を考えながら、続いて私はちょっとだけぬるくなってきたウーロン茶へと手を伸ばした。








 4.

 「――――おやまぁ、ヤマダ君もよくやるね」
 その一部始終を眺めていた彼が、さも愉快そうにそんな科白を口にする。
 「よく言うわよ。ヤマダ・ジロウをけしかけたのは貴方なんでしょう? どうせサレナのことでも引き合いに出したんでしょうに」
 彼は私のそんな言葉にかまった様子もなく、ただ軽く笑うとその目を細めて言ってきた。
 「とにかく、これで僕らにとって都合のいい状況になったわけさ。
 ……さあ、君はテンカワ君を追いたまえ。念のために彼のパーカーに発信機を仕掛けておいたから、見つけるのは簡単だよ」
 「で、貴方は?」

 ―――そしてその、彼の見せる不敵な微笑み。

 「ユリカ君と大事なビジネスの話がある。…なぁに、彼女を見つけることくらい僕にはどうってことないさ」














 5.

 鬱蒼とした熱帯の木々。
 その隙間から漏れてくる陽の光。
 そしてまるで、誰かが何度も使っているかのようなそのはっきりとした、剥き出しの小道。
 「……ねぇアオイさん。この島って誰か人が住んでるの?」
 「いや、連合軍からの情報によれば特に定住している人間はいないって話だったけれど――――」
 結局アキト達を探しに林の中へと足を踏み入れた私たちは、その不自然なまでに歩きやすい土の道の上を歩きながらそんな会話を交わす。
 アオイさんを中心に3人並ぶようにして、木々のトンネルをくぐり抜けていく。
 「あ、でも確か――――この島はクリムゾン・グループの所有になっているって書いてあったから、何かしらの施設がある可能性は否定できないね」
 そして首に纏わりつく、ウェーブのかかったその髪を鬱陶しそうに払いのけるアオイさん。
 「…クリムゾン・グループ?」
 その聞きなれないようでいて、私はどこかで聞いたことのあるその単語を訊ね返した。

 と、シーリーがアオイさんの横から口をはさんでくる。
 「主に地球圏、ヨーロッパとオセアニアを中心にビジネスを展開している兵器メーカーですよ。防衛機器に関しては業界トップなんです」
 「とはいっても最近は、どうもネルガル重工に押され気味みたいだけどね。クリムゾンはまだディストーション・フィールドなんかの遺跡技術の開発があまり進んでないんだ」
 そしてそう言ったアオイさんが、不意に立ち止まって。
 「………?」
 彼の視線の先には、唐突に終わりを告げる林の小道と、この島にはまるで不自然に思える広い芝生。
 「――――行ってみよう。ヤマダが言っていたのはここかもしれないし」
 一瞬戸惑うような素振りを見せたアオイさんだったけれども、そう言って慎重に歩き出す。それに続く私とシーリー。
 …で。
 その道の終わりの先、再び太陽が容赦なく降りそそいでくるそのちょっとした芝生は……もちろんただの野原なんかではなくて。


 「…綺麗ですね」
 そんなどこか間の抜けたようなことを言うシーリー。
 彼女の目は、少し離れた場所にある円形の花壇とその中心で水しぶきを上げている噴水に釘付けになっている。
 よくよく見てみればあたりは非常に整然と手入れされていて、私には名前もわからない熱帯の樹木なんかが何かの模様をかたどるように配置されている。
 そして視界の向こうには…急な斜面を背景にして、やたらと立派な建物が一つ。
 「別荘…なのかな?」
 そう首をかしげながら呟くアオイさん。
 そして躊躇することなく、その噴水の向こうの建物のほうへと歩き始めた。
 「え? アオイさん!」
 「誰か人がいるかもしれないから、とりあえずヤマダ達がここに来なかったかだけ聞いてみればいいよ。…こっちは一応調査で派遣されてるんだし、言い訳はなんとかなるさ」
 私の問いかけに、苦笑しながらそう答える彼女――もとい、彼。仕方なく私たちもその豪奢な庭園を見回しながら中へと進んでいく。
 「やっぱり…クリムゾンの方の別荘だったりするんでしょうか?」
 少し不安そうな顔をしながらそう呟くシーリー。
 「こんな海のど真ん中に別荘建てるくらいなんだから、それなりの金持ちには間違いないわよね…」
 そう応えながら、やたらと値の張りそうな、その装飾の凝った噴水を見上げる私。
 …その噴水の向こうにあるベンチに、一人座っている人影が見える。
 「……アオイさん?」
 「僕が話すよ」
 そしてそのベンチに座って本を読んでいるらしい女性―――私たちと同じくらいの年齢だろうか、ボブカットにしたブロンドの髪に、涼しげでいてやけに上品さを感じさせる薄い水色のロングドレスを着ているその女性に、私たち3人は近づいていった。


 「すみません。ちょっとよろしいですか?」
 「え―――?」
 よほど本を読むのに集中してたんだろう。突然アオイさんに声をかけられて驚いたように女性は顔を上げる。
 続いて私たちの格好―――無論水着とパーカーにサンダル姿―――を見て、不審そうにそう問いかけてきた。
 「貴方たちは……?」
 「ええと、僕たちこの近くのビーチに来ていたんですけど……友人が二人こっちのほうに向かって帰ってこないんですよ。それで探しに来てみたら、ちょうどここの建物が目に入ったものですから」
 「…じゃあ、ここへはご旅行で?」
 首を軽く傾げてそんなことを訊いてくる女性。
 申し訳なさそうな顔をしながら、アオイさんが彼女に答える。
 「まぁ、そのようなものです。…それでお尋ねしたいんですけれど、こっちのほうへ誰か来ませんでしたか? 男女の4人組なんですけど」
 そしてそうアオイさんが尋ねると、その女性は何かを思いついたような顔をしながら…読んでいた本をパタンと閉じて。
 「ちょっとお待ちくださいね。――グリモー、いますか」
 「……ここに」
 途端、建物の中から若い男性が姿を現した。
 黒のタキシードに同じく黒の蝶ネクタイ、20代半ばくらいにも見えるその長身の男。その銀色に鈍く輝く髪を丁寧に後ろに流している男。
 そしてその侍従らしき男性に、アクアさんは続けて言葉をかけて。
 「この方たちのお連れが森の中で迷っているそうです。すぐにでも探してきてくれますか?」
 「―――ふむ、そうですね、何か事が起きますと御当主様もお困りになりますし。…かしこまりましたお嬢様。ただちに捜索のほうにかかりましょう」
 その男性は何か考え事をするような素振りを見せた後…最後に私たちのほうをチラリと見ると、静かに建物の中へと消えていく。
 続いて何事もなかったように、ニコリと笑う彼女。
 「これで大丈夫ですよ。しばらくここでお待ちくだされば、お二人とも見つかりますから」
 「あ、え…どうも、すみません」
 それに対し、やけに慌てたようにペコリとお辞儀をするシーリー。それを見た彼女はわずかに苦笑する。
 「成程、こんなところで優雅に読書なんかしてたし…」

 …そしてその私の呟きに、彼女は軽い微笑みを返すと…ゆっくりと立ち上がって。

 「…そういえば自己紹介がまだでしたね。
 私はアクアリーネ。アクアリーネ・シンクレア・クリムゾン―――アクアと呼んでくだされば結構ですよ、『ナデシコ』のみなさん?」
 「「「――――え?」」」

 そう言って彼女―――アクアは、その言葉に驚いた私たちを見てどこか意地悪そうに微笑んだ。










 6.〜季節はずれな夏の庭で〜

 「……結局、最初から私たちのこと知ってたんじゃない」
 「ええ、まあそうなんですけれどね。
 この島は一応私有地ですから、連合から派遣されたナデシコの皆さん以外は入れるわけないんですよ」

 あれからちょっとの時間が過ぎた。
 なんだかんだでそれからアクアさんにお茶を誘われて、断るわけにもいかないし噴水のそばにあったラウンジでそれをご馳走になってる私たち。
 よくよく考えてみれば相手はネルガルにとってライバルである企業のご令嬢なんだから、こうやって一緒にくつろいでるのもなんか変な気がするんだけど。

 「ふぅん。それを知っているわりには僕たちにも親切なんですね」
 そしてその色っぽい足を組みながら………ああ、だめ。まだ笑いそうになる――――兎も角そう感心したようにアオイさんが言うと、アクアさんはグラスを手に苦笑して。
 「会社は会社、私は私ですからね。確かに父はクリムゾンのCEOですけれど、私は社員ですらありませんから」
 「平たい話、ビジネスの世界に興味はないって事?」
 「ええ、そうなりますね。それでもいろいろと、家族としてやらなければいけないことはたくさんあるのですが」
 そして私の問いかけにそう答えてアイスティーを口に運ぶアクアさん。まぁ社交界ってところはそれだけ大変なんだろう。
 「だからでしょうか。毎年この時期になると、ここへこうやって静養にくるんですよ」

 …テラスの外の、陽にとけて消えていくような噴水の水しぶき。
 それを見ながらそんなことを静かに言うアクアさんに、今度はアオイさんが小さく苦笑を漏らした。

 「まぁその気持ちは、少しわからなくもないですけどね。僕もそういう家柄なんですよ」
 そのアオイさんの発言にアクアさんは少し驚いたような顔をすると、まるで同士を得たような微笑みを見せてくる。
 「あら、そうなのですか?…やっぱりこういうことって、いろいろと気苦労もありますよね。
 特に最近、父がうるさいんですよ。私はまだそんなつもりはないのに、やたらと男性を紹介してきたりとか」
 「それはありますよね。僕も近頃両親と顔を合わす毎に『お見合い』の話が増えてきて…」
 「『お見合い』? それってなんですか??」
 「ああ、ニホンに昔からある風習ですよ。言ってみれば一種のパーティみたいなものなんですけれど――――」
 ……と、何故かアクアさんとそんな話題で盛り上がるアオイさん。
 そしてそんな二人の話を興味津々な様子で聞いているシーリーと、とりあえずゆっくりくつろいでいる私。
 不意に建物の中から、いわゆるメイド衣装というものを着た、綺麗なウェーブのかかったブロンドの長髪の女性が現れて。
 「―――お嬢様」
 「なにかしら?」
 「メルボルンのリロィ様からお電話ですが」
 「…そう。後程こちらから連絡するように伝えておいて」
 「かしこまりました」
 そう少し考えるような素振りを見せてから、素っ気なく言うアクアさん。丁寧なお辞儀を返して戻っていくその侍女。

 (――――…? “リロィ”……?)
 …そしてふと。
 その、やはり聞き覚えのあるような気のする名前に……何故か理由もなく心がざわつく私の心に。
 何故か、心の底にその単語か唐突に浮かび上がってきて。




 ――――………………ーゲル。


 (……―――――え?)

 …そう、それはあまりにも唐突に。
 あの『アキト』の寂しそうな表情とともに、それらの溢れ出てくる言葉が――――――

 言葉が私の意識を飲み込んでいって―――――




 ――――クリムゾン………リロィ……赤い大地と、赤い月…………………

 …………そして黒い――


 ………黒い―――――――










 ……一方その頃、アキトはアキトで思いもかけない事態に直面していて。




 7.

 「え…………? エリナさん、今、なんて――――――」

 心底驚いたような顔をしながら、私を見てそう言ってくる彼。その肩を小刻みに震わせながら私を見つめてくる彼。
 私は彼のその瞳を見つめ返すと、もう一度その言葉を告げなおしてあげた。
 彼へと向かってその微笑を浮かべていった。
 「だから、貴方にはカワサキでの実験に協力してもらいたいのよ。貴方のご両親が関わっていた研究がもう少しで実を結べそうなの」

 …そしてその『彼』から教えられた魔法の言葉は、もう思っていた以上に効果的すぎたくらいで。

 「―――あ……あんた、俺の両親の研究のことを知ってるのか?! 教えてくれ! 父さんと母さんはいったい何を研究してたんだ?!」
 突然彼は今まで見たこともないくらいに取り乱して、私に掴みかかってきそうなほどの勢いでそう訊いてくる。それはもう、懇願といってもいいかもしれないくらいの勢いで。
 その彼の態度に私は確かな手ごたえを感じ、続いてゆっくりとその言葉を口にする。
 「…ごめんなさいね、今の時点で詳しいことはいえないの。でもこの研究にはドクター―――イネス・フレサンジュも協力を申し出てくれてるわ。
 ―――そして、なによりも貴方なの。
 貴方、ナデシコが火星から地球に帰ってきたときに、ドクターや艦長と一緒に展望室にいたでしょ? それに聞いた話によれば、火星からサレナ・クロサキと一緒に、『原因不明の方法』で地球まで来たって言うじゃない。その秘密…………貴方は知りたいとは思わない?」
 震える瞳で私を見つめ、彼は言葉を返してくる。
 「―――…それが、父さんたちの研究していた事だって言うのか?」


 ……そしてその、彼の瞳。
 その奥にある『何か』は私にはわからないけれど、でも彼が、この話にOKを出すしかないだろう事だけは私にももうわかっている。

 「……ええ、おそらくね。私はテンカワ夫妻と面識があるわけじゃないし、詳しいことはわからないけれど…もしかしたら博士は貴方に『何か』を遺していったのかもしれない。この研究の鍵を握っている人物のうちの一人が貴方であることは確かなのよ。
 ―――テンカワ夫妻の一人息子であり、現在ただ一例のみの、研究の最終到達点にたどり着いた人物。それが貴方。
 …だから貴方には、ぜひとも私たちに協力してもらいたいの」

 ――――そして、その予測通りに彼がゆっくりとその口を開いて。
 ためらいがちにだったけれど、その瞳は私が予想していなかった深い色に包まれていたけれど。

 「………少しだけでいいです。俺に考えを整理するだけの時間を下さい。――――――それが条件です」


 だから私はただ、静かに彼に微笑みかけた。
 …………まだ何も知りはしない、純粋でいて憐れなこの青年に。








 8.

 (……くっそ〜〜〜、クロサキの奴、いったいどこまで行っちまったんだよ?)

 そんなことを考えつつ、俺は一人藪の中をひたすらに前進していた。端的に言うとかなり道に迷っている。
 アカツキの野郎に唆されて、アキトを連れ出してうまくジャングルに置き去りにしてきたまではよかったんだが―――

 (――――肝心のクロサキが見つからないんじゃ、意味ねーじゃねぇかっ!!!)

 そう心の中で思わず叫んで、近くのヤシの木にゲシゲシと蹴りを入れて。……ふう、爪先が思ったよりも痛ぇ。
 続いてあたりを見回して、やっぱり人影がないことを確認した俺はその場で小さなため息をついて。

 …そもそも、アレだ。
 ロンゲの戯言にその気になっちまってアキトの奴をクロサキや艦長達から引き離したけど、これってもしかしてアイツの手の内で躍らされてるだけじゃなんじゃねぇか?
 いやそれとも……
 「……はっ?? もしやアカツキの奴、実はクロサキを狙っているのかっ?!!」

 ――いや、でもなぁ……なんかそんな雰囲気には見えなかったし、だいいちクロサキの奴って最近全然そういう感じがなくなったというか、火星から帰ってきてからちょっと変わったっていうか。
 そんなことを考えながら頭の後ろを右手で掻く俺。どうもこういうごちゃごちゃしたのって苦手なんだよな。
 …でもまぁ、なんとなぁく、クロサキの奴が俺のことをどうとも思ってないんじゃないかっていうのは感じてるから…だからすっぱり諦めようかって『あの』防衛ライン以来何度も考えてるけど。
 でもやっぱ実際はわかんねーじゃんってバカバカしくも期待しちまってる俺も俺で。あいつはあいつで恋人がいるらしいってアキトが言ってて、そいつはもう死んじまってたらしくて。
 ……でも、こういう場合ってどーすりゃいいのか俺になんてわかるわけねぇし。
 そしてもう一度、俺の口から情けないため息が漏れていく。


 (―――こういうんだから、俺はやっぱダメなのか?…………“あの時”みたいによ)

 …ゆっくりと、握りしめた右手を幹に叩きつける。胸の底を苦い記憶が掠めていく。
 『あの人』のときも…そう、ナナコさんのときも。あの時はその他いろいろな要因のほうがもちろん大きかったけど、結局は俺の気持ちは届くはずもなかったんだからよ……。

 ――今なら、俺がただのガキだったこともよくわかってる。
 相手があの兄貴だったことも、あの人が最初から兄貴のことばっか見てたのも、よぉくわかってる。
 なのに、なのによ……。

 ……それでもまだ、今になってもやっぱどこかで。
 ほんの少しだけ諦めきれてない俺がいるのが…どうしようもなく無性に腹が立って――――




 見上げれば太陽は眩しかった。
 緑一面の葉に照りかえるその光を見ながら、俺は気づけば苦笑いを浮かべていた。
 「…ったく、こんな風にうじうじしてんのは…俺の性にあわねぇよな」
 そしていい加減にうじうじ悩んでいるのも疲れてきて。とにかくクロサキの奴を探そうかと足を踏み出したその時だった。

 「ん?――――うぉおおおわああああああああああっ?!!!」

 足にまとわりつく妙な感触。身体全体がガクンと揺れて、視界が一気に持ち上がっていく。
 …気づけば俺は体中こんがらがって、宙に浮かぶそのネットの中に吊るされていて。
 「なんだこりゃ?! いったいどーなってんだよ!」
 がむしゃらに暴れようとするもうまく身動きが取れない。ぎしぎしと鈍い音を立てながら俺の身体が小さく揺れるだけ。
 と、そんな俺のほうを下からぼうっと眺めてくる男が一人。
 「……これはこれは、驚きましたな」
 その男、黒のスーツ姿に銀の髪をして無表情にそんなことを呟いてくる。
 「お、おいアンタ! すまねぇがちょっと助けてくれ――」
 「…別荘内に不審な輩が侵入したと聞いて見回ってみれば、まさかかくも間の抜けたゴリラが罠にかかっているとは」
 「――……って、あ?」
 ワケのわからねぇことを、言ってきやがる。
 「さて、とりあえずの捕獲には成功しているようですがこれからどうしましょうか。見たところ極東のボス猿並みには人間の言語も解するようですし」
 「…いや、いいからとにかく降ろしてくれよオイ。ていうか俺の話聞こえてんのか?」
 とりあえずも一度声をかけてみる。全っ然聞いてねぇ男。
 そして男は延々としゃべり続けて、俺は頭上でこんがらがったままで。
 「とりあえず屋敷へ持って帰りましょうか――とはいえ万が一暴れられでもしたら、お嬢様にどんなお叱りを受けるかもわかりません。私の薄皮一枚な信用にもかかわりますし。
 というわけでそこの貴方、このまま暴れず大人しく屋敷までついてきてくれると嬉しいのですが」
 「…だからとにかく、降ろしてくれってば」
 やっと男から声をかけられ、俺はわずかながらの希望を持ってそう頼み込んだ。なにやら非常に歓迎されてないのはわかるがそれはとにかく、今はここから出してくれることを目の前の話の通じない男に祈るしかない。
 僅かに訪れる沈黙。じっと俺を見つめてくる男。
 だが、天はこの俺にこのうえなく無情だった。
 「残念ながらそれはできませんな。何しろこの私、ブービートラップの設置方法と暴れゴリラの仕留め方は知っていても、偽善的動物愛護精神の類は一切持ち合わせておらんのです」
 「…………」
 男は真顔でそう言ってくる。しまいには明らかに俺をバカにしてるとしか思えない様子でゆっくりとかぶりをふって。
 …ゆっくりと、腹の奥底で灼熱のマグマのごとき熱がたまっていくのがわかる。10月のジャングルに俺の熱い魂が響いていく予感。そして届いたトドメの台詞。
 「しかしとなるとやはりあれですかねぇ…。ここは生ぬるい微笑でも残しておきつつ爽やかにこの場から立ち去る、と。
 まぁ明朝に再度尋問すれば少しは気も変わっているでしょう。何せテニシアン島の夜は長いですから」

 「いいからさっさと…降・ろ・せえええええええええええええええええええっ!!!!」








 9.

 「………あれ? サレナたち、どこいきやがったんだ?」
 「ホントだ。アキト君も姿が見えないね〜」

 私がパラソルの下で持ってきた端末を操作していると、そんなリョーコさんとヒカルさんの声が聞こえてきました。
 続いてミナトさんが後ろから端末を覗き込みながら声をかけてきます。
 「あら? ルリルリ、定時報告?」
 「はい。現在目標のチューリップには異常ないそうです」
 そう私が返答すると、ミナトさんのどこか申し訳なさそうな笑い声が聞こえてきて。
 「ありがとね、ルリルリ。ホントみんな、はしゃぎすぎて仕事の事なんか完璧に忘れてるんだから」
 「そうですよね。でも、だからこそのお休みなんじゃないんですか?」
 「ま、そうかもね。というわけでルリルリ、アナタも参加しなさい!」
 「……………なにがですか?」

 と、突然とても楽しそうに笑いながらそんなことを言ってきたミナトさん。
 そしてその手には何故か、一本の長い木の棒が握られています。
 「ふっふふ〜。夏の海での恒例イベントと言えば、誰がなんと言おうがスイカ割りと200年前から相場が決まっているのよ。さ、そろそろはじまるし、行きましょ?」
 「……はぁ」
 そう言って有無を言わさず私の手を引っ張っていくミナトさん。
 すでにその準備は整っていたようで、突然いなくなったテンカワさんたちと、それを探しに行った副長たちを除いてその『スイカ割り』というイベントが始まりました。


 「――――でわ先手を切ってだいいっちばん! アマノ・ヒカル、思い切っていっきま〜〜す!」
 皆さんの歓声が響き渡る中、そう高らかに宣言したヒカルさんは、目隠しをしたまま何故かその場でぐるぐると回り始めます。
 そして手に棒を構えるとふらふらとその場から歩き始めて。
 「いけー! そのまま真っ直ぐー!!」
 「あ〜、あとちょっと右!!」
 「少しだけバックして〜!」
 「も少し左だってばー」
 「オーケイオーケイ、そこそこ!」
 「………ていやっ!!」

 ―――――カスッ。

 「「「惜しい〜〜〜!」」」
 「ありゃ」
 そしてふらついた足取りの中皆さんにナビゲートされてスイカに突進していったヒカルさんは、ものの見事に空振ってしまいました。
 ビニールの上には全く持って無傷なスイカさんが鎮座したままです。

 と、突然ウリバタケさんがニヤリと笑いながらパチンと指を鳴らして。
 「…というわけで、犠牲者第1号はアマノ・ヒカルだああああああっ!!!」
 「「「「「オオーーーーーーーーーッ!!!」」」」」
 「………………へ?」
 そして整備班の面々に担ぎ上げられるヒカルさん。
 「わ?! ちょっとウリP、これどーゆーことぉぉっ??!!」
 「罰ゲームに決まってんだろ?」
 「ええーーっ?! 聞いてない聞いてないーーっ!………って、うひゃあああああああああああああああああああっ?!」
 「「「「「そーれっ!」」」」」
 宙の上でじたばた暴れつつも波打ち際まであっさりと運ばれたヒカルさん。
 そして腰の深さの辺りまで運ばれた彼女はやおらあっさりと海へ向かって投げ捨てられて。―――――ええそりゃもうポイッてくらいにお手軽な感じに。


 「…………なんなんですか、これは」
 海面にいい感じに気の抜けたヒカルさんが浮かび上がるなか、私がそうウリバタケさんに質問すると。
 「では説明しま――」
 「うむ、説明しよう! 今回のスイカ割りでは見事スイカを粉砕した猛者にはホウメイさん特製のスペシャル・デザートが振舞われるのだが、正直それだけではつまらん。
 そこでだ! 失敗した連中は罰ゲームとして、こんなこともあろうかと準備していた我が整備班の精鋭部隊によって、遠く海の底に放り投げられる決まりとなっているのだな。
 まぁもっとも、ヒカルの奴はちゃんと参加要綱を読んでなかったみたいだが」
 「――――わ、私の出番…………」
 『デンジャラスな感じがしてなかなかいいだろ?』なんて科白を付け加えながら、2番手の選手のほうを見やるウリバタケさん。
 何故かむこうでいじけたような顔をしながら、砂浜に『の』の字を書いているイネスさん。
 そしてその2番手、整備班のユウキさんはフェイクの歓声に引っかかってものの見事に空振ります。そして先程とは違って遠慮の全くない整備班の皆さんの手によって高く宙へと舞い、落ちていきました。

 …吹き上がる大きな水しぶき。
 それを見てさらに歓声をあげるクルーの皆さん。
 「気を取り直して3番! スバル・リョーコ、いっくぜぇ!」

 ―――――チッ!

 「ああ〜〜〜っと、惜しい! カスリはしたが致命打とはならなかったかあああああっ??! ではスバル選手にも高らかに宙に舞ってもらいましょう!」
 「どわあ〜〜〜〜っ?!」
 「続いて4番!! ミズハラ・ジュンコいきます!」

 ―――スカッ。

 「おおっと、ナデシコ食堂期待の星もまさかまさかの大撃沈!! そのまま海へと運ばれていきます!―――ていうかジュンコ! お前は作る側だろうが!!」
 「あ〜〜〜れ〜〜〜!」
 「スイカが俺を呼んでいる! 5番、整備士リュウザキ・トオル――――」
 ――――――どっぼ〜〜〜〜〜ん!!
 「リョーコお姉さまのカタキは私が討つ! 6番、サトウ・ミカコ――――」
 ―――ざっぱ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!
 「…………!!」
 「―――!!!」
 「……え〜〜、只今のウエムラ選手の遠投記録は―――おおっと?! 6mです!! 久々の記録更新ですねー、やはり錐揉み回転がポイントでしょうか」

 ……とまぁ、いつのまにかスイカ割りというよりかは人間遠投大会になっているビーチに、ふらりと戻ってくるテンカワさんの姿が見えて。
 なんだか浮かない顔をしていますね。どうしたんでしょうか……。
 私はそんなテンカワさんがなんだか少しだけ、気になって。


 「――――13番、マキ・イズミ。殺ります」
 「「「へ?」」」
 そして不意に声が聞こえてきました。
 会場へと出てきたのは、そんな冷たげな呟きとともに棒の周りをふらふらとまわり始めたイズミさん。イズミさんが歩き出すと共に、何故か急にざわめきの消えていくビーチ。

 …誰かが唾を飲み込んだ音が、私たちの耳に届いてきました。
 そんな中怖いくらいに確かな足取りで、確実にスイカへの距離を詰めていくイズミさん。彼女のパイロットとしての腕を知っているクルーの皆さんは、その張り詰めた空気の中に確かな期待と不安を感じていて。
 そして手に持った棒を水平に寝かせるように脇に構えたイズミさんは、異様な雰囲気の中……ナビゲートも殆どなしに目隠しをしたまま、スイカのほうへと吸い寄せられていきます。
 確かな足取りで、そのまぁるい果物へと進んでいきます。
 「……あれ?――――イズミのやつ……」
 と、突然ずぶ濡れのリョーコさんが、イズミさんのほうを怪訝な顔つきで見ながら呟いた…その刹那でした。
 「………………視えたわ」

 その微かな呟きとともに。イズミさんの手元の『棒』に、キラリと一瞬の光が疾りました。
 そして―――

 ――――――ざしゅこん!


 「………………へ?」
 聞こえてきたのは、そんな鋭い切断音と、リョーコさんの発した間の抜けた声。
 続いてそのスイカに一直線、綺麗な線が入っていって。

 「―――また、つまらぬモノを斬ってしまった……」
 「あ……アホかてめぇはーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」



 …真っ白な砂浜に響くリョーコさんの絶叫。
 小気味いい音を立てるイズミさんの頭。
 そして呆気に取られた皆さんの視線の先には…リョーコさんにおもいっきり叩かれた頭をさするイズミさんと、綺麗に真っ二つ――惚れ惚れするくらいの半球形に切断されたスイカの姿。
 さらにイズミさんの持つ、木の鞘と柄の妖しい刀がギラリと光を放っていて。
 「…いいじゃないリョーコ、どうせ食べるんだから棒で叩くよりこうしたほうが効率的よ」
 「そういう問題じゃねぇだろが! だいたいその刀、どこから持ってきたんだよ?!」
 「『ざんてつけん』のこと??」
 「銘なんかどーでもいいんだよ! あっぶねえだろが!! 特にお前が持ってると!!」
 「安心して。人とこんにゃくは斬らないから」
 「安心できるかっ!!」
 「?…………!?」
 「…………」
 「……!!」
 「―――あらら、残念だったわねルリルリ。出番がくる前に終わっちゃって」
 「……いえ、別にかまいませんけれど」
 終いにはイズミさんのしていた目隠しがどうのと言い出したお二人のいつものじゃれあいを見ながら、そんな会話を私とミナトさんが交わしたその時でした。


 ―――――――ピーッ、ピーッ、ピーッ!

 「え?」
 「……ナデシコからの緊急連絡―――」
 突然のその通報音。その音に振り返る皆さん。
 慌てて私がパラソルの下の端末に駆け寄ると、画面の向こうからは切羽詰った様子の声が聞こえてきました。
 『ルリさん、大変です! チューリップが活動を開始しました!!』
 「「「「「「!!」」」」」」








 10.

 「――――あれは……ジョロ?!」
 突然の大音響とともに割れたその新型チューリップ。
 テラスからはるか遠く、その中から出てきたのは…通常の10倍以上はあるかと思えるジョロ。僕に続いてクロサキとフォンも険しい顔をして立ち上がるなか、つい先程執事のグリモーさんにずるずると引き摺られて回収されてきたヤマダが声を上げる。
 「どうすんだよ副長? ここ、どう考えたって絶好のカモだぜ!」

 …確かに、そのとおりだ。この森と林で覆われた小さな島にただ一つあるこの別荘は、いやが応にも相手には目立つ。
 仕方なく僕は手元のコミニュケを手早く操作し、ホシノを呼び出して。

 「こちらアオイ・ジュン。ナデシコ、聞こえるか?」
 『…はい。副長、現在どちらにいらっしゃいますか』
 流石にこういうときのクルーの行動は素早い。既にブリッジでオペレート作業に入っているホシノがそう聞き返してくる。
 「ビーチから西に数百メートルほどのところにあるクリムゾン家の別邸にいる。クロサキとフォン、それにヤマダも一緒だ。ただ……悪いがすぐには退避できそうにもない。なんとか敵がこちらに接近しないよう、迅速に対処してくれ」
 『了解しました。…ところで副長、その別邸で何か動きがあるみたいですけれど』
 「……え?」

 ……そしてくるりと庭のほうを振り返った僕が見たものは。


 「うおぁ?! なんだアレ、もしかしてあんたらの作った秘密基地か?!」
 そんなヤマダの間の抜けた大声とともに、別荘の一角にある大理石の広場が沈んでいく。
 ふと隣を見てみれば、何故かリモコン片手に不敵に微笑んだアクアさんがいる。
 「――グリモー、発進準備はよろしいかしら?」
 『いつでもよろしいですよ、お嬢様』
 そして返ってきた声。クリムゾン製のコミニュケらしきものの先に映っているのは…なにやら配線ののたくったコクピットに、これまた楽しそうな笑みを浮かべて座しているグリモーさんの姿。
 「発進……準備、ですか??」
 その呆けたようなフォンの呟き。
 続いて、そのぽっかりと開いた穴から……1機の見たこともないライトグレーの機動兵器が姿をあらわした。

 「――――あれは………………!」

 「さあ、いきなさいグリモー! あの醜悪極まりない木星の木偶の坊に、我がクリムゾンの実験兵器の威力を見せつけて差し上げるのです!!」
 はるか遠くで蠢いている巨大なジョロを指差し、なにやらとてもノッている様子で高らかにそう叫ぶアクアさん。
 「てか、なんでアイツがパイロットなんだよ?!!」
 見せ場を取られたのが悔しいのか、それとも何かあったのか。いやに怒気の篭った声で叫び返すヤマダ。さらにウィンドウの向こうでは、当のグリモーさんがヤマダの指摘を鼻で笑う。
 『…失礼。この私、ゴリラにしゃべる言葉は持ち合わせていないのですがね』
 「ンだとてめぇ!!」
 ……なんだかやけに気の立っているヤマダは、とりあえず放っておくとして。

 「グリモーさん! すみませんがこちらのエステが出撃するまでの時間稼ぎだけでもお願いできますか?!」
 『…フッ、ご心配なくマドモワゼル!
 この私ジャン・グリモー、可憐に花咲く貴方のためにもあのような機動兵器、灰色で退廃的な愛の囁きと共に華麗に倒してみせましょうとも!!』
 「いや………えっと、あ゙の……」
 その言葉に思わず固まる僕。キラリと光る彼の白い歯。無意味にさわやかなその笑顔。
 「なんなんだよアイツは?! あんたあいつの主人なんだろ、頼むからどーにかしてくれ!!」
 「とは言われましてもグリモーはお父様直属の執事ですから私ではどうにも。それにああなった彼は誰にも止められませんし」
 「んな変人雇うんじゃねえよっ!!」
 そして隣で頭の痛くなるような問答を繰り返すヤマダとアクアさん。展開についていけないのか、おろおろするだけのフォン。
 いっぽうのグリモーさんはマニュアル片手に計器と睨めっこをしていたかと思うと、かくも不安な大声を上げてきて。
 『まぁ少々私の頭では理解にあり余るパネルが多いようですが、そんなものは些細な問題! こういうものはとりあえず操縦桿をおもいっきり押し倒せば動くものと相場が決まって―――――おや?』


 ――――――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 そしてふと。
 ウィンドウの向こう、その灰色のコクピットから警告音が響いてきた。それもとびきり危険な響きの音が。
 「………なんか私、イヤな予感がします」
 皆の気持ちを代弁したようなそのフォンのうめき。アクアさんがいやに冷静なままグリモーさんへと問いかける。
 「グリモー、いったいどうしたのです?」
 「…ふむ、どうやらジェネレータに過負荷がかかっているようですな。今宵は可憐な核の花火が見られますぞ」
 「あらまぁ」
 「「「…………」」」
 そして真顔でのたまうグリモーさん。
 引きつった笑みを凍りつかせているフォンとヤマダ。ぜんぜん困ったようには見えない笑顔を浮かべるアクアさん。
 その数瞬の沈黙の後に…グリモーさんはただ寂しげに、その微笑みを浮かべて。 

 『とりあえず気にせずに射撃でも開始いたしましょうか』
 「………って、待てえええええええええええええええええええいっ!!!!?」


 そんなヤマダの絶叫も空しく、テニシアン島の上空に一発の轟音が響き渡っていった。













 11. 〜黄昏と、紅い海のなかで〜

 「――――起動試験のほうは課題が山積みでしたな」

 落ちる、夕日。落ちていくそのオレンジ色。
 窓の向こう、見慣れたテニシアン島の海に沈みゆくその夕日を眺めながら。そのグリモーの報告に私は耳を傾けていた。
 「そう、でしょうね……」
 「はい。ジェネレータのバランスの問題は予測の範囲内でしたのでこれについてはよろしいのですが、レールガンの実装に関してはもう一度設計面からやり直す必要があるでしょう。
 たった4発撃っただけで機体がオーバーヒートでは正直話にもなりません」
 そう言って肩を小さく竦めるグリモー。
 「……それよりも、よかったのかしら?」
 「は?」
 私がそう小さく呟くと、グリモーは何を今更、というふうに声を返してきた。
 「ネルガルの連中に実験中の試作機をお披露目したことですか? チューリップの調査だと言って連合が横槍を入れてきた時点で、それは半ば承知の上でしたでしょう。
 それにプロジェクトはまだ初期段階です。今日の実験機も向こうにとってはただの玩具に過ぎませんよ」

 そして口の端に薄く笑みを浮かべるグリモーを横目で私は見やると、その報告書のプロットを机の上へと放り投げた。
 「そういえば……あの人に連絡するんだったわね」
 「ああ、『彼』ですか。クレメンス少将のところの」
 さも興味がないといったように窓の外を眺めながら彼は言う。
 そんなグリモーの姿を眺めながら、私はふと……あの時から気になっていたことを思い出していた。


 『――――あれは………ステルンクーゲル…!』

 そう。確かにあの時、あの『サレナ・クロサキ』という女はそう口走っていたのだ。
 父が打倒ネルガルの最初の一手として開発を決めた、クリムゾン最新型の人型機動兵器のコード・ネーム――――『ステルンクーゲル』。
 プロジェクトの発足からまだ1年。なのに何故、開発者とごく僅かの委員しか知らないはずのその名前をあの女が知っていたのか。
 …スパイの可能性。情報の漏洩。
 そんな単語が頭の中をよぎっていくが、ふとそれもどうでもいいことと思い直す。
 ……今日私がアオイ・ジュンというナデシコのクルーに言ったあの言葉は、それもまた私の真実だったから。


 (―――――そう…ね。結局私はただ面白そうだからパパの手伝いをしているだけだもの)

 そして私は静かに笑みを浮かべる。
 父がシンクレア家をとおして連合の上層部の人間となにかを企んでいることも、あまつさえは木星蜥蜴となにかしらの交信を行っていることも。それらも結局は私にとって、どうでもいい事なのだ。
 …そんなものでは私の心の隙間は満たされたりはしない。
 だからだろうか、それなのにそういう戯れ事に自ら進んで手を染めていってみて。
 「……アクアリーネ様?」
 ふと訝しげなグリモーのその声で、私の意識は引き戻された。そのまま右手で端末を操作し、彼に下がるように合図をする。
 回線がつながる音。静かに開くウィンドウ。
 『…はい、こちらシンクレア家』
 そして私はデスクの上の写真を見た。そこには私ともう一人……あの人の微笑む姿が映っていた。


 「――――アクアリーネ・シンクレア・クリムゾンです。リロィ・ヴァン・アーデル少尉に……兄に、取り次いでくださいますか?」




 (Act3へ)