……いったい幾つの心がそこへと散っていったのだろう。
暗く輝く星の海の下、幾多もの小さな欠片が輝き、消えていく。
冷たく横たわる空の淵で、虹色の弓が輝いている。
そしてその星空の片隅に浮かぶ船の中、『私』は――――『テンカワ・アキト』はブリッジの入り口から彼女に声をかけた。
『………艦長。戦況はどうなっている?』
『先程から膠着状態のままですね。月臣大佐も身動きが取れない状態ですし……クーゲル部隊は七条さん達と睨みあったままです』
『そうか』
スクリーンの先、光点の輝くその戦場を見据えながら、浮かない顔つきをしてそう答えてくる艦長―――――『ルリ』。
彼女はふとこちらへ不安げな、沈痛な表情で振り向くと、沈んだ声で訊ねてくる。
『……サブロウタさんの具合はどうですか?』
『――――正直、戦場に出せるような精神状態じゃない。本人は平静でいるように見せかけようとしてるが、あれじゃまともに戦えるかも怪しいくらいだ
……やっぱり、そのショックの大きさはどうしようもないな』
そうため息とともに言った『私』は、スクリーンの隅に映し出されている格納庫の映像を…そこに転がっている、無残にもコクピットを撃ち抜かれて大破した機体の映像を見やる。
『私』の……彼の、『アキト』の心に言いようのない悔しさと憎悪と、そしてもうどうしようもない、ただ悲しみに彩られた想いが満ちていく。
同じように悲しみの色をその顔に浮かべる、オペレータの彼。
悲しみを必死に隠そうとする『ルリ』。
『アキト………さん』
そして彼女の微かな呟きを胸に、『私』はブリッジを後にしようとして。
『――――俺が、決着をつけてくるよ。…あの『黒いステルンクーゲル』が―――俺を、月臣を……俺たちを、ずっと呼んでいるんだ。
あのパイロットの声が今も俺の耳に聞こえてくる。…どうしようもないくらいに哀しい、俺たちと同じ叫び声がね。
………だから俺は、行かなくちゃいけない。アイツの声に応えるために』
――――――スクリーンの向こう、もはや『私』たち以外には誰も立ち入ることのできないその宙域で、華麗で哀しい舞を繰り広げる二つの機動兵器。
……そう。あれが『私』を呼んでいるんだ。
だから、行かないと。
…『私』は、行かないと。
――――――おそらくもう二度と、『この場所には帰ってこれない』のだろうと私にはわかっていても。
『無事に……帰ってきてくださいね』
『――――ああ。サクラも地球で待っているからね』
最後に愛するあの子の名前を口にした『私』は、静かにブリッジを後にする。
そして私は一面の光に包まれていって――――――――
機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜
第2章 『誰も貴方を責めることはできないのか』
Act3
1.
「…………………!!!」
―――薄暗いその部屋のベッドの上で私は唐突に跳ね起きた。
背筋を一筋の冷や汗が流れていく。
その感覚にゆっくりと意識が現実へと引き戻されていく。
ぎこちない仕草であたりを見回し、自分が一人そのあてがわれた個室にいることを確認すると、私は静かにベッドへと身体を預けていった。
…そして思わず、小さく呟く。
「初めて、見た。――――あれが『私』の………『アキト』の――――」
――――――それが、ほんの一ヶ月前の出来事だった。
「………は? シミュレータの設定をもっといじくりたいって??」
そろそろ北半球では秋も終わりにさしかかった11月の中頃。
たまには一緒に食事をと夕食に誘ったユウキさんに、私はそんなことを相談していた。
「うん。今まで何度も設定変えたりしてたんだけど、どうも納得いかなくってさ。なんとかできない?」
食堂の片隅で食べ終わったクリームシチューの皿にスプーンを置きながらそう尋ねる私に、私担当の整備士であるユウキさんは目の前で怪訝な表情をする。
…真っ直ぐに伸ばしたちょっと長めの黒髪、優しげな目元をした、鼻筋の通った男らしくもさわやかな印象の顔立ち。
見た感じにはノリが軽そうにも見える人だけれど、整備班のクルーの中では意外としっかりした人達の部類に入るみたい。
そして首を軽くかしげながら口を開く彼。
「それって自由訓練の例のやつか?」
「そ。前に貴方にいちゃもんつけられたやつ」
そう私が彼の目を覗き込みながら返事を返すと、ユウキさんは『はぁ…』と一つ小さなため息をついてグラスの水を口にする。
「そりゃお前、いちゃもんもつけたくなるさ。いくらなんでも設定がムチャクチャだったぞ? 機体のリミットは無視するし、敵機データはとんでもないことになってたし――
――――って、まさかお前。このうえさらに無茶する気じゃないだろな?」
「だからユウキさんに相談してるんじゃない」
彼の呆れたような問いかけに即答する私。
すると彼は椅子にもたれかかって腕組みをすると、難しい顔をして宙を睨む。
「………やっぱ、ダメ?」
その私の言葉にユウキさんはどこか心外といった顔つきをして、横髪を後ろに払いながら思案顔で言ってきた。
「いや、それはまぁ構わないんだけど。そろそろお前の場合、シミュレータと実機の間に性能の格差が出てきてるんだよな。
この上さらにシミュレータのほうを変更するとなると、本格的に機体のほうも『改造』しなくちゃならないなぁ…ってさ」
と、不意にユウキさんはニヤリと笑うと、テーブルにその身を乗り出して。
「ま、いいさ。面白そうだしやってやるよ」
「ホント?! ありがと!」
「そうと決まったらまずはウリバタケ班長に報告しなくちゃな。…今時間はいいか? よければ訓練室行ってさっそく再調整を始めるぞ??」
そして彼と一緒に席を立って。
離れたところで整備班のクルーと食事をとっていたウリバタケさんのところへと、話をつけに行って。
……二人が話を進めていくなか、私は一人…私のなかにその違和感を感じている。そして追い立てられている。
――――でもきっとそれは、私があの夢にとり憑かれてしまったからなのだろう。
最近の私は、自分で見ていてもどこかがおかしい。何かの歯車が狂っていっているような気持ちがある。
火星であの光景を見て以来…まるであの、赤い悪夢を取り払おうと足掻いているように、ただひたすらにシミュレータへと向かう時間が徐々に増えてきている。
そしてそれはこの前の『夢』を見て以来、さらに顕著になってきてしまった。
……そう。私は何かを焦っている。
私は何かを恐れている。
これまで私がそうなることを望んでいたはずのこと、『アキト』の記憶が明らかになっていくことに対して……今まではまったく感じていなかった得体の知れない不安に襲われているような気がしてならないんだ。
――――でも、それでも私は。私はそれを知りたいと思っている。願っている。
…それが今までに私の求めてきた、私が最も強く求めているものだからこそ…例え自分が狂気にとり憑かれようとも、その『秘密』を私は知りたいと思っているのだから。
だからこそ、私は―――
「…じゃ、行くぞクロサキ」
「あ、はい」
いつのまにか話は終わっていたらしい。そう声をかけてきたウリバタケさんに続いて、ユウキさんと私は訓練室へと足を運ぶ。
3人だけの訓練室。そのどこか捻じ曲がった静けさの漂う訓練室で、ソレは最初の産声を上げて――――
「…まずはクロサキ、お前の大まかな要求を聞こうか。実機の調整の面も踏まえてな」
ユウキさんが真剣な面持ちでシミュレータの設定画面を表示させる中、腕組みをしたウリバタケさんがそう切り出してきた。
そのウリバタケさんに私は、前々から思っていたことを口にして。
「簡潔に言えば、今よりももっとスピードが欲しいんです。
ウリバタケさんもユウキさんも知ってのとおり、私は中距離戦と射撃戦がメインじゃないですか。ですから正直、近接戦闘の性能は犠牲にしてでもそっちのほうを追求してもらいたいんです」
「ふむ………」
と、片眉を押し上げてそんな声を漏らすウリバタケさん。
「だがなぁクロサキ。エステの性能面での限界はこっちでなんとかすることもできるが、問題はお前の動体視力と認識力のほうだ。
設計書や開発仕様によればエステバリスっていうのは、そういう人間の限界を決して越えないように設計されている。仮にそれ以上のスピードをだせるように作り直したとしても、それにおまえ自身がついていけるかっていうのは別問題なんだよ。
――――俺たちが作るのは、あくまで人間が使いこなせるものじゃないといけねぇ。そこらへんのところはわかるだろ?」
「…………」
その口調を聞けばわかるとおり、明らかにウリバタケさんはこの件に関して渋っていた。
でも、それに対して私が言葉を返そうとした矢先、横からユウキさんが口をはさんできた。
「でも班長、実際にサレナにやらせてみるまではわからないじゃないっすか。とりあえずコイツでやってみましょうよ」
軽くコンソールをポンと叩いて、そんなことを言ってくるユウキさん。
それを聞いたウリバタケさんは、「仕方ねぇな」と一言呟くと顎で画面を指して。
「ユウキ。17番と20番、それに37番のロックを解除しろ」
「りょーかい」
続いて軽快な指さばきでパネルを操作していくユウキさん。整備士専用のパスコードを入力した後に幾つもの設定画面を開いていき、次々とその設定を変更していく。
いっぽうその様子を横で見ていたウリバタケさんは画面を睨んでいるうちに……その表情を何故か驚きのものへと変えていって。
「―――おいおい、ちょっと待てクロサキ。お前いったいどういう訓練してんだよ?」
「え? いやあの……」
「1対7の対多数戦闘ですよ」
そのウリバタケさんの口調に思わず口篭もったワタシの代わりに、ユウキさんがなんでもないことのように答える。
そして突然大声を上げるウリバタケさん。
「そうじゃねえだろ! なんだこの敵機の設定データは?! お前、こんなムチャクチャな設定でずっと訓練してたのか?!!」
「あはは……それ、前にユウキさんにも言われました」
私のそんな呟きに続いて、キーを叩いているユウキさんが肝心の秘密をさらりとばらす。
「あ、これ知ってるの今のところ俺たちだけですよ? サレナのやつ、他のパイロットの前では別のメニューでごまかしてますから」
そしてそのユウキさんの言葉も届いてないらしいウリバタケさんは、モニターをただじっと凝視していて。
「こいつは―――現行のエステの馬力の2.3倍か?それになんだこの機動設定は??こんなんエステにはどうやったって無理だぞ?」
「そこらへんいじったのは俺ですよ。コイツの要求どおりにするのは苦労したんですから―――――よし、終わりっと」
…と、その瞬間。
いきなりウリバタケさんがユウキさんの首根っこを片腕で締め付けて。
「へ?」
「ぐえ………?!!」
「この…アホウ!! なんでこんな重大なことを俺に黙ってやがったんだ!」
ウリバタケさんの怒声が響く。ユウキさんの端正な顔が苦痛に歪む。
「いえ゛…その」
「こりゃあ、こりゃあ―――――――死ぬほど面白そうじゃねぇかあっ!!」
「…………………は?」
「あ゛――――は……はんちょ…………ぐるじ…………」
「くぅうううううううっ!!! 燃える! 燃えるぜっ!! この俺の改造魂に火をつけるようなデタラメ極まりないコンフィギュレーション!!!
……あん? 対戦成績は7勝374敗だと?! よぉ〜〜〜し、この俺様自らがチューンナップしちゃる! ふふふふふっふふ〜〜〜〜。待ってろよー、俺のかわいいエステちゃん!!」
………そしてなんだか異様なほど楽しそうに、不気味な笑みとともに。しまいには鼻歌まで歌いながらユウキさんを押しのけてパネルを弄くりだしたウリバタケさん。
その手前でのどを押さえて青い顔をしているユウキさんと、思わず額に手を当てる私。
「―――――そういえばこの人が改造マニアだってこと、忘れてたわ」
ま、なにはともあれ。
あんなんだけどウリバタケさんも乗り気になってくれているらしかった。
…………そして私は、ゆっくりとIFSコンソールへ手を伸ばして。
2.
「……じゃあ、詳しい日程は日を追って連絡するわ」
「はい」
そう最後に言って、俺の部屋を出て行くエリナさん。
その後姿に目をやりながら、俺は先程までの会話を思い出す。
『―――来月になったらナデシコがカワサキの軍港に定期整備にはいるから、その時に研究所のほうまで来て欲しいのよ。
そこでまず簡単な実験と検査をさせてもらうわ』
静まり返った部屋の中、俺に数枚の書類を手渡しながらエリナさんはそう言って。
『……わかりました。でも俺、ナデシコを降りる気はありませんよ?』
『それが貴方のもう一つの条件ってわけね。了解したわ』
その俺の言葉に何故か、意味深げな笑みをエリナさんは浮かべていた。
……あの人のその笑みは、まるで自分のやろうとしていることが必ず成功するとわかっているような、そんな絶対の自信を持った笑み。
そんなことをふと考えて少し寒気がする。
「はぁ………」
そして小さくため息をついて、そのまま部屋に戻ろうとした俺の目に飛び込んできたのは……浮かないような不機嫌なような顔つきをしたメグミちゃんの姿だった。
「…あ、メグミちゃん。どうしたの?」
少し離れた角の手前、ほんの僅かだけ顔を俯けて立っているメグミちゃん。
その彼女の表情に戸惑いつつも努めて明るくそう声を出した俺に、何故かメグミちゃんは小さく睨み返してくる。
「――――?」
そんなメグミちゃんに俺が思わず軽く首を傾げると―――
「……アキトさん。エリナさんと部屋の中で何してたんですか??」
「え………」
……どこか怒ったような、悲しいような…そういう複雑な顔をしてメグミちゃんはそんなことを言ってきた。
その言葉に思わず声を失う俺。
すぐ目の前で俺のことをじっと睨んできているメグミちゃん。
一瞬とはとても思えなかったその僅かで痛いほどに長い沈黙の末に、メグミちゃんはまるでもう我慢ができなくなったとでも言うように、胸を両手で押さえながらその口を静かに開いて。
「――最近アキトさん、様子がおかしいです。……私と一緒にいるときも心のどこかでは別のことを考えてるような顔をして、今みたいにエリナさんとこそこそ会って何かしてたりして…!」
「メグミちゃん、それは」
さらにその俺の言葉を遮るようにして、俺の制服の袖を掴むメグミちゃん。
そして彼女の口調はもっと強いものになっていく。
「…それって、私には言えない事なんですか? 一人でこそこそとするようなことなんですか?!――――そうじゃないんなら、どうして私に相談してくれないんですか!」
「…あ――――――……」
……メグミちゃんのその小さな叫び声が、俺の心に小さく小さく突き刺さる。形のはっきりしない、でも本当は俺にはその正体がわかっているはずの痛みとして俺の心に染み渡っていく。
目の前にはその瞳に涙まで浮かべながら、悔しそうな顔をして俺のことを見つめてくるメグミちゃん。
そしてただ自然に、ぎこちなく。俺の両手が彼女の両肩へと伸びていって。
――――ああ。なんで今まで、こんなことにも気づかなかったんだろう。俺は………
ふとその漠然とした霧のようなものの向こうにある、俺の途惑いの正体が見えてしまった気がして。
だからソイツを意地になって振り払うようにして。
「………ごめん、メグミちゃん。――――ちゃんと全部話すから、部屋に入ろう?」
「―――――はい」
そして静かに彼女の肩に手を置くと、俺はメグミちゃんと一緒に部屋の中へと入っていった。
「――――メグミちゃんにはまだ、俺の両親のこと話してなかったよね」
…それから少しだけの合間を置いて。
二人してクッションを挟みながら寄り添うように壁にもたれかかって、すぐ横で俯いているメグミちゃんにそう話しかける。
「………はい」
静かに、目を閉じたままそう言葉を返してくるメグミちゃん。
静かな部屋の空気が、まるで深い海の底にでもいるように重苦しく感じられる。……その中であの記憶を僅かに蘇らせながら口を開く俺。
「俺の両親は……ネルガルで何かの研究をしてた人で、俺がまだガキの頃にテロに巻き込まれて死んだんだ。その頃からずっと―――今も俺はその理由を知ら
なくて。だからいつかその理由を、父さんと母さんがなんで殺されなくちゃならなかったのかをどうしても知りたいって………ずっと思ってた」
「――――」
そして彼女の微かな息遣いの変化に気を取られることなく、俺の静かな独白は尚も続く。
「…テニシアン島でさ、エリナさんに突然話を持ちかけられたんだ。……本当に突然な話で。父さんと母さんのやってた研究を完成させるのに、どうしても俺の力を借りたいって。
だからもし……俺が協力すれば、もしかしたら両親がテロに巻き込まれた理由も、俺の両親を殺した奴のこともわかるんじゃないかって、思って。
――――それでエリナさんに了解の返事をして……」
「……じゃあアキトさん、ナデシコを降りるんですか?」
不意にそう、横目で俺を見ながら口をはさんでくるメグミちゃん。
俺は彼女に微笑みかけると、ゆっくりと頭を左右に振った。
「それはしないって、俺はナデシコを降りないってエリナさんには言ってあるよ。向こうもそれは承知してくれたみたい」
「そう……ですか」
…そしてメグミちゃんは俺に体を預けてくる。
微かに漂ってくる、彼女の好きな香水の香り。
「……アキトさん、ごめんなさい。それと…話してくれて、安心しました。
でも――――まだちょっとだけ怖い……。エリナさんのあの瞳を見ると、どうしようもなく怖くなるんです。アキトさんがここから、連れてかれてしまうんじゃないかって―――」
「―――!」
…その彼女の言葉はちょっとだけ意外だった。メグミちゃんも…彼女もエリナさんのあの瞳に気がついていたのか。
――――あの、俺をどこか『道具』としてしか見ていないようなそんな冷たい瞳に。
「…大丈夫。大丈夫だよメグミちゃん。俺は絶対にここから居なくなったりなんかしないからさ」
でもそんなメグミちゃんを安心させるように俺がそう、メグミちゃんのその頭をやさしく撫でながら言うと。
不意に彼女は俺の首に静かに両手をまわしてきて。
……そして彼女はゆっくりと俺を見上げながら、震える声で言ってきて。
「――――アキトさん。私をぎゅって抱きしめてください。優しくキスをしてください。
……私の感じている不安を全部、吹き飛ばすくらいに――――ただアキトさんのぬくもりを、私に感じさせてください――――」
「――――ん……」
その吸い込まれるような深い瞳でそう言ってきたメグミちゃんの身体を、俺はそっと抱きしめる。
静かに目を閉じた彼女にそっと唇を重ねていって。
……次第に両腕に力が、感情がこもっていく。
儚いほどにたやすく折れてしまいそうな彼女の身体をただ、ただ抱きしめていく。
………そうだ。
俺は確かに、メグミちゃんと一緒にいたいって思っている。彼女のことを守ってあげたいってきっと思っている。
そう、俺は思っているはずなのに……なのにどうして――――
(…メグミちゃん、ごめんね…………俺は……もしかしたら俺は――――――大切な人と一緒にいることが――――――)
―――――そして彼女の閉じられた瞳から、一滴の涙が零れ落ちていった。
3.
……ベッドの上にただ一人寝転がって、私はぼんやりとアキトのことを考えていて。
照明を落とした薄暗い部屋の中、私とアキトのあの頃の写真が入ったスタンドが静かに明かりを反射している。
時計が秒針を刻んでいく音が、まるで取り残された心を象徴するように部屋の中へと響いていく。
そして胸に突き刺さったままの、あの日のアカツキさんの何気ない一言。
『――でもユリカ君? 君には君のことを一心に想ってくれている人が他にもいるかもしれないじゃないか。なのに君はずっとこの先も、昔の恋の続きを追いつづけるのかい?』
………その、あの日の。彼の放った、何気なく私の心を突き刺した一言。
『――――アカツキ、さん?』
あの日…林の中を一人、アキトを探して歩いていた私の前に突然現れた彼。
その彼はどこか冷徹な微笑みを私に見せてきて。
『やあユリカ君。テンカワ君なら只今お取り込み中だよ? その間でいいから僕と少し話をしないかい??』
『それは……私に対する命令ですか?』
『ああ、そう身構えないでくれよ。確かに君にだけは僕の正体をバラしてあるけれど、なにも君にあれこれ指図するためじゃないんだから』
そう言って彼は私へゆっくりと近づいて。
まだ残る不信感をあらわにしながら私が彼の顔を見上げると、アカツキさんは困ったような顔をして立ち止まって。
『どうも僕は信用がないみたいだね。ま、それはしょうがないと言えばそれまでなんだけど……これから君を口説く身としてはちょっとやりづらいかな?』
『…………え?』
正直予想もしていなかったアカツキさんのその言葉に、あの時私は思わずそんな気の抜けた返事を返してしまっていた。
……その後のことははっきりいって、あまり思い出したくはない。
でも、それでもあの言葉だけは嫌になるくらいに、私の耳に未だにこびりついたまま離れないでいて――――――
『―――――率直に言おう。僕は君に対して、はっきりとした好意を抱いている』
『……君のことを本気で思えばこそ、敢えてイヤな男にもなってみせるさ、僕は』
『――――――――――本当はこういう言い方をして、君を傷つけたくはない。でも……テンカワ君は君の想いに本当に応えてくれるのかい?』
『…………そうか。君は――――……正直、辛いよ。そんな君をただ遠くから見ているだけだっていうのは』
……そう。なぜか、どうしても私の心にこびりついて離れない。
―――――――そう、あの…………
『――――僕の君に対する気持ちはずっと変わりはしないよ。……だから心のどこかで覚えておいて欲しい。君がずっとそうしてきたように、君のことをずっと想っている人間がここにいるってことをね』
「……………………!!!」
その記憶の奥から溢れ出てくる言葉にどうしようもなくなって、たまらずベッドから跳ね起きる。
「―――はぁ」
思わず漏れるため息。気づけば心臓が早鐘のように鳴り響いている。ふと胸のあたりに感じるのは、どうしようもない程の不思議な違和感。
そして、ふと泣きそうになっている自分に思いもかけずに気がついて。
…まるで自分に言い聞かせるように頭をゆっくりと左右に振った私は、クッションの鳴らす軽い音とともにベッドへと再び倒れこむとただ一言だけ、誰に対してでもなく呟いた。
「…………ねぇアキト。私――――――どうしたらいいのかわからないよ」
4.
「「……………………」」
もう、俺もウリバタケ班長もただ絶句するしかなかった。
シミュレータ・ボックスの中、モニターに映るサレナの表情はどんどんと険しく、常軌を逸したものとなっていく。
その僅かに俯いた彼女の血走ったような目、その視線の先には黒いエステに破壊された数機の敵と、未だ無傷で健在の赤い目標。
そして再び、彼女のエステが鋭い棍の一撃によって破壊される。
――――サレナの奴は、その異常なまでのスピードを出す仮想機体を確実に乗りこなしていった。
その兆候が顕著になってきたのは5戦目くらいからだ。突然暴れ馬を乗りこなすコツを掴んだように、それまでとはまったく違う動きで敵の1機を瞬く間に沈めていって。
それでもまだ、一度たりともソイツにはサレナは勝てていない。
班長の言ったとおり、これはもう訓練なんていう次元を越えているのかもしれない。
ただひたすらに、がむしゃらに。憑かれたように何度も何度もその相手に挑んでいくサレナは……普段の彼女とはまったく違う、ドス黒いまでの憎悪と、その深さも計り知れない悲しみと。そして見ているのも辛いくらいの儚さに包まれた人間に見える。
怒っているような、憎んでいるような。さもなければ泣いているようなその表情。
(……もしかしたら俺、とんでもない人間と関わりになっちまったのかも)
ふとそんなことを思い、それでもコイツを見捨てる気には多分ならなくて。
「―――――おいクロサキ。そろそろあがれ」
「………あ、はい―――」
班長のぶっきらぼうにも聞こえるその一言で、やっと現実に引き戻されたような、ぼうっとした声を返すサレナ。
まだ意識がはっきりしていないような様子でのろのろと終了手続きをした彼女は、そこから出てくるのももどかしいのかぐったりとシートへ横たわった。
仕方なく扉を俺が開き、声をかけてやる。
「サレナ、大丈夫か?」
「………流石に、疲れたかも」
困ったような気の抜けたような、そんな…やるせない笑みを返してくる彼女。続いて真剣な表情の班長が、声を上げて。
「―――すまんな、クロサキ」
「…え?」
驚いたような顔をして顔を上げるサレナ。口元に自嘲の笑みを浮かべる班長。
「…何がお前をそんなに駆り立ててるのかは俺にはわからねぇが、年甲斐もなくはしゃいでいいような理由じゃねぇみたいじゃないか。…ほんと、すまねぇ。
――――だが、できれば聞かせてくれねぇか? 今のお前を見てると、正直危なっかしくて仕方がねえんだよ。まるで、自分を捨てて自棄になっているような……そんな印象を受けちまってな」
そしてそれを聞いたサレナは、どこかポカンとしたような表情をして。
…ゆっくりとシートにその体を預けた彼女は、困ったように微笑みながら言ってきて。
「――――まいったな。なんて説明すればいいのか、自分でもわからないのに。でも…………
言ってみれば、これは……忘れていた『私』の記憶のためなんです。ずっと昔に体験したはずの、覚えていないのに忘れることのできない『私』の記憶。
……私がエステに乗って戦っている理由っていうのは、きっとその記憶を私が取り戻したいからで。この狭いコクピットの中にいると何故か、その悲しい記憶が蘇ってくる気がして―――」
「………ずっと昔? 子供の頃のか??」
「多分、ね。――――――きっとそれくらい、それよりもっと昔の記憶」
ふと出てきた俺のその問いかけに、薄く目を閉じながら寂しそうに微笑ってそう答えるサレナ。…そう。本当に、寂しそうに。
でも多分、それだけが理由の全部じゃない。そうなんとなく予感のようなものを感じながら、俺はそのことを訊ねるのはやめた。やめにした。
……こいつに話す気がないんなら、訊いてもしょうがないじゃないか。
そして班長が困ったような顔をして口を開く。
「……まぁ、仕方ねえか。お前さんの希望に応えられるように、俺たちも協力してやるぜ。いいな、ユウキ?」
「ええ、もちろん」
続いて俺がニヤリと笑いかけると、サレナは疲れたように口を動かして。
「ありがとう……ございます―――――」
「ん? おいサレナ??」
彼女の瞼がそっと落ちていって。
「――――――すー……」
…返事の変わりに聞こえてきたのは、普段のコイツには似合わないような可愛げのある寝息。さっきまでの姿が嘘のような、穏やかなその寝顔。
班長と俺は顔を見合わせると思わず苦笑を漏らし、コミュニケでナデシコ公認被保護者のテンカワを呼び出した。
小さく、苦笑いとともに呟きながら。
「……ったく、ほんと世話のかかるオンナだよ。できれば恋人にはしたくないタイプだな」
5.
(はぁ…………アキトさん、今頃何してるんだろうな)
食堂の片隅で一人お茶に口をつけながら、そんなことを考えていた私。
夕食の時間もとっくに過ぎた食堂内には、私の他には暇を持て余す数人のクルーの姿が見えるだけで。かく言う私もそんなアンニュイな気分のクルーの一人みたいで。
「―――まぁたフォンさんてば、そんな悩ましげなため息なんかついちゃって〜。男の人が見てたらきっと放っておきませんよ?」
もはやこの時間帯の常連となっている私に、厨房で後片付けをしていたジュンコさんがそう笑いながら声をかけてきてくれます。
「……ありがと」
そんな彼女に軽く微笑いかけて、ティーカップを静かに置きながら厨房の片隅の…いつも彼がその腕を振るっているその場所へと私は視線をやりました。
そしてまたぼおーっとしながら彼のことを考えて。
(――――私もメグミさんみたいに、思い切って告白できるくらいの勇気があれば――――――でも、きっと私には無理なんでしょうね……)
……そんな切ないことを思いながら――やはりまた、ため息が一つ私の口から漏れていって。
しばらくそうしてカウンターでカップを傾けていた私は、結局この夜もそのまま自分の部屋へと戻っていきました。
…明日はやっと戦闘です。ですからもしかしたらあの日みたいにまた、アキトさんと作戦を共にすることができるかもしれません――――――
――――――そう、そんなちょっとした淡い期待のようなものを胸に抱きながら。
……そして、少しだけ昨日までとは違うその朝が訪れて。
6.
……………………突然ですが、ハプニングです。
「ちょっとアンタ達!? いったい何やってんのよ?!!」
スクリーンに映し出されているその凄惨な光景を見てか、提督がパイロットの皆さんに向かって金切り声を上げます。
『なんだよこれ?! ぜんっぜん言う事きかねえぞオイ!!』
『――――連合の艦隊まで狙ってる? どういうことだ……!』
それに応えるように、ウィンドウの向こうから苛立たしげにそう叫ぶリョーコさんとアカツキさん。
「なんでー?! なんで味方にも攻撃してるの?!!」
そしてキャプテン・シートからそんな艦長の悲鳴が聞こえてきますけれど、私は私でそれどころではなくて。
――――現在ナデシコは地球連合軍の指揮下のもと、木星蜥蜴との大規模な戦闘の真っ最中。
その戦艦としてのポテンシャルを高く買われた…いえ、平たく言えば『使い勝手のいい』ナデシコは、戦線の最前列に配置されて敵の猛攻を一身に浴びているわけなのですが………
『ミスマル艦長! これはいったいどういうことだ?!!』
旗艦のグラジオラスから飛び込んでくる、戸惑いと怒りに震えたその司令の声がナデシコのブリッジに響き渡ります。
「それが……こちらにも原因がわからないんです!」
艦長のそんな返事に呼応するように、スクリーンの向こう、テンカワさんのエステから指示もなく発射されたミサイルが弧を描きながらナデシコの後方へと消えていって。
『―――え? なんで?? どーなってんだよこれ?!』
「テンカワ機のミサイル、ジキタリスに着弾しました!」
「ああっ?! また損害が!? お見舞金があ!!」
なんだか泣きそうな声のメグミさんの報告に、胃を締め上げられたような悲鳴を上げるプロスさん。
…そうなんです。なぜか突然、ナデシコとエステバリスのシステムが異常をきたしてしまったのか…誘導迎撃システムに従って発射されたミサイルのことごとくが、敵味方の区別なく飛んでいってしまっているんです。
「―――ホシノ! まだ原因は特定できないのか?!」
そう焦った声で私に問いかけてくる戦闘指揮のゴートさん。
「わかりません。システムに異常はまったくみられないんです…!」
オモイカネとのコンタクトを繰り返しつつ、同じく自分でも思わず焦りの色を滲ませながらそう声を返す私。続いて艦長の鋭い指示がブリッジの上から飛んできて。
「ルリちゃん! 至急誘導迎撃システムをオフにして!!」
「はい――――――ダメです、受け付けません!」
「そんな………?!」
『クッ…………もしや蜥蜴の新兵器なのか?』
呆然とした口調で呟く副長。スクリーンの向こうで苦々しげに声を漏らす司令。
…こちらの切り札といってもいいナデシコを事実上封じられた現在の状況では、司令のその表情が物語っているとおりかなり形勢は不利と言ってもいいかもしれません。
そしてそうしている間にも、エステバリスとナデシコから発射されていくミサイルは木星蜥蜴も地球連合軍も関係なく、ナデシコ以外の機動兵器や艦隊へと見境なく降りそそいでいって。
「―――――ウィリアム司令」
『……ああミスマル艦長、仕方あるまい。―――――全軍退却!! 弾幕を張りつつ、後列部隊より速やかにこの空域を離脱しろ!』
その司令の言葉を最後に、この日地球連合軍は本当にひさびさの手痛い敗退を喫することになりました。
7.
「――――――どういうことだ? オモイカネのシステム自体にはどうみたってどこにも異常がねぇぞ…??」
…そう最初にウリバタケさんは言葉を漏らしました。
オモイカネの中枢がそこに在るナデシコのコントロール・ルーム。先程の戦闘でのシステム暴走の原因を突き止めるために整備班の皆さんが数時間にわたるチェックを行った結果が、ウリバタケさんのその戸惑うような言葉でした。
「…現在、やはり全てのシステムは正常に作動しています」
そんなウリバタケさんの隣で、IFSコンソールに手を置きながら私は私自身に言い聞かせるように声を上げます。いっぽうウリバタケさんは腕組みをしつつ、オモイカネの本体が収められている目の前のスクリーンを眺めて。
「ということは敵さんのシステム介入による誤作動・若しくは強制書き換えのセンは消えたわけだ。…となると―――――」
「学習データの改変ですか?」
ウリバタケさんの言葉に続くように私が顔を上げながらそう尋ねると、当ののウリバタケさんは難しい顔をしながら手元の端末に目をやりました。
「確かにそれなら一理はあるんだが――――――そもそも、解せんな。オモイカネに施されているセキュリティ・ブロックが外部からそうやすやすと侵入を許
すっていうのは考えにくいし、なにより症状が出たのはナデシコだけだ。そうなると、原因はどう考えても内部………オモイカネ自身ってことになっちまう」
「……オモイカネに、問題があるっていいたいんですか?」
その自分で思っていたよりもトゲのあった私の発言に、ウリバタケさんは面食らったような顔を返してきてからもう一度困ったように口を開きます。
「あくまで一つの可能性だよ、ルリルリ。最近立て続けに戦闘があったから、オモイカネにも『ストレス』が溜まっていたのかもしれねぇし………」
と、その時。モニターに向かっていた整備班の方の一人が不意に緊迫した声を上げました。
「班長、ルリさん! ちょっと、これを見て下さい」
「何か見つけたのか?!」
慌ててその彼の指し示すモニターを覗き込むウリバタケさんと私。そして思わず息を飲みます。
「―――――どういうことだ? これは……」
……そう呟くウリバタケさんの声が、コントロール・ルームのひんやりとした天井へ静かに吸い込まれていって。
モニターに映るオモイカネの学習データの一部。
その数値が、グラフが示していたものは――――――地球連合に対する強烈な不信感と…抑えきれないほどの敵愾心でした。
それから先は、もう大忙しで。
突如それまで以上の戦場と化したコントロール・ルームにはどこからともなく大量の機材が押し込められ、整備班の方々が所狭しと駆け巡って、それらを鼓舞するようにウリバタケさんの怒声がひっきりなしに飛び交っています。
そしてそんな状態がしばらく続いた後、通常業務をこなすために戻ったブリッジでは…なにやら非常にノった様子のイネスさんの説明が始まっていて。
「――――さて、今回起きたオモイカネのシステム障害について、現段階で判明していることを私からきっぱりわかりやすく丁寧に説明してあげるわね。
ではまず、事の発端はここにいる全員も知っているとおり、今日の戦闘で起きたナデシコのミサイル誘導システム及びエステバリスの火器コントロールシステムに突然見られた異常――――地球連合軍に対する明らかな敵対認識だったわけなんだけれど……
ここで問題となるのは、『この異常が発生したのはあくまでナデシコのみであり、連合の他の戦艦及び艦載機には一切の異常が見られなかった』ということなのよね」
そうブリッジのスクリーンに投影される資料を見上げながら、延々と言葉を紡ぐイネスさん。
真剣な表情で同じようにそれを見つめるパイロットの皆さん。
「連合側も私たちも、最初は蜥蜴の電子戦攻撃かと推測したのだけれど……先程まで行われていたオモイカネ内部の検査によってそのセンは否定されたわ。
でもそのかわり……ナデシコとネルガルにとってはちょっとマズイその原因が判明したわけ」
続いてそう言って手元の端末をイネスさんが操作して、スクリーンにナデシコに記録されていたその映像が映し出されます。
「あれは…………」
不意に聞こえてきた、副長の当然の驚きと微かな気恥ずかしさを滲ませた呟きは、ヤマダさんが不意に放ってきた苦々しげな雰囲気にかき消されていきました。
そのいっぽうでスクリーンにはその問題の光景が尚も繰り広げられていて。
……次々とフィールドに着弾していく対艦ミサイル。
ナデシコの進路に立ちはだかるように現れた12機のデルフィニウム。
そしてその過負荷に耐えられず、突き破られていくビッグ・バリア。
「ああ、これがあの時の記録かい?」
そう一人どこか感心したような呆れたような、よくわからない声で言ってくるアカツキさん。それに続くようにしてイネスさんが真剣さを増した声で話を再開します。
「……つまり、この地球脱出の際の連合軍と敵対した記憶がオモイカネの自意識部分には強く刻まれてしまっていたのね。その自意識の底に埋まっていた根強い不信感が、ここ連日の連合軍との共同戦線によって揺り起こされて増幅されていったのよ。
――ま、作戦もナデシコを単独で突出させるような手厳しい内容が多かったわけだし…遂にはその不信感がバクハツしてプッツン、というわけね」
そして両の手のひらを上へと向けて、お手上げのジェスチャーをしながら話を締めくくったイネスさんに、それまで黙って説明を聞いていた提督が重い口を開きます。
「………事情はわかったわ。で、そのオモイカネを修復するのにはどの位時間がかかるわけ?」
…そのどこかトゲのある、私の心にチクリと何かを刺してきた提督の言葉に。イネスさんは困ったように苦笑を浮かべながら答えました。
「現在整備班がコントロール・ルームでデバッグの準備を進めていますが……ベストを尽くしても明日いっぱいはかかるでしょう。なにしろ最新鋭のAIコンピュータだけあって非常に複雑な自意識システムを持っていますから。
……ですからそれまでの作戦行動は、事実上不可能でしょうね」
続いて不意に艦長と副長の横に現れるウィンドウ。コントロール・ルームのウリバタケさんからのその報告を聞いていたお二人は、ブリッジの上部でプロスさんや提督となにやら言葉を交わし始めます。
「―――ですから提督、この件に関してはどうか内々に処理をしたく……」
「問題が問題なのよ? 連合の監査を受け入れるのは当然でしょ?!」
「…ですが出来れば、後々のことも考えてナデシコ単独で処理しておきたい―――ということですよねプロスさん?」
「――――はい。あと数日たっても復旧できないようであれば連合の監査はもちろん、本社のほうからも直々に調査班が来るでしょうし……そうなると色々と
ややこしくなりますからなぁ。ですから提督、こちらで迅速に処理しまして、その後連合への事後報告というわけにはいきませんか?
なによりナデシコや提督ご自身の立場というものもありますし――――」
「…提督、私からもお願いします。今連合と事を起こしたくはないんです」
「ふむ……まぁ確かにこっちで迅速に処理できれば上の印象もそれ程悪くはならないでしょうし、理由も適当につけれそうね。ならそっちのほうが…
――――わかったわ。ただし期限は明日までよ? それでも復旧できなかったら大人しく監査に入ってもらうから」
…そんなブリッジの状況の中、私はゆっくりとシートにもたれかかって。
そして誰にも気づかれないように、心の中で小さな小さなため息をついて。
(――――……どうしてオモイカネは、私の言葉に応えてくれないんでしょう………)
そう。今私がただ想うのは、私にとってのかけがえのないパートナーであり『親友』でもある、ナデシコのAI・オモイカネのこと。
突然ココロを閉ざしてしまったその『親友』……あれから私の問いかけに曖昧な返事しか返してくれないその親友のことがただ気がかりで。
だから私は私の胸の中に渦巻いている、その不安と悲しみと、一欠片の悔しさを。
私自身のその不器用な表情の裏で、痛いほどに感じていました。
(オモイカネ………いったい貴方はどうしてしまったんですか――――?)
8.
「…………ゲート8080、オープン完了。デバッグ・システム依然異常なし」
「フィードバックレベル、4から5へ上昇。……こちらも問題ありません」
「バイパス・コネクト、開始します」
「はっはー。そろそろ観念して出てきてくれるかな、オモイカネちゃん? お兄さん達が美味しいアメをプレゼントしてあげますよ〜??」
「――リュウザキ! お前はもっと真面目にやれ!!」
「へいへーい……っと」
…そうして俺たちの目の前で整備班のみんなが着々と準備を進めていく中、俺たちパイロットはというとコントロール・ルームの一角に即席で備え付けられた、IFSコンソールのついたシートの上に横たわっていたりする。
なんでもセイヤさんの話によれば時間とスペースの都合で人数に限りがあったそうで…討議の結果とルリちゃんの意向とくじ引きにより、俺とサレナさんとシーリーさん、それに何故かガイがその栄えある『オモイカネ・デバッグ部隊』に選ばれたというわけだ。
コントロール・ルームの中には大量の機材と緊張した面持ちの整備班と、そして真剣な表情のユリカと一人コンソールに向かっているルリちゃん。
そして作業の最終チェックが終わったらしいセイヤさんが、俺たちのほうを向き直って口を開いてくる。
「いいか、お前ら。最後にもう一度だけ説明しておくぞ?――――これからお前ら4人はIFSを通して俺たち整備班の作った仮想空間でオモイカネの自意識と接触し、オモイカネを『説得』してもらうことになる。
……ま、実際はこっちのデバッグ作業が終了するまでのオトリと時間稼ぎの意味もあるんだが、できるならお前らがオモイカネ自身を直に説得して自律的に解決させてくれ。正直なところ外部からのデバッグだけじゃ完全な復旧はできそうにねぇんだ」
「はぁ……それは、責任重大ですね――――」
そんなセイヤさんの言葉を受けて、ちょっとプレッシャーを感じながらそう答える俺。
俺のほうをチラリと横目で見たユリカが何故か困ったような戸惑ったような笑みを浮かべてくる中、サレナさんがやけに気楽そうな口調で声を上げてきた。
「ようするに、子供の躾と同じなんでしょ? だったらアキトの得意分野じゃない」
「なんかそう言っちまうと見も蓋もねえな……」
そして呆れたような声を出すセイヤさん。
――――いやまぁ、確かに孤児院では年少の子の面倒なんかよく見てたけどさ。
「…アキトさんって、子供にも優しいんですね」
「うーむ、俺様は子供の扱いなどわからんぞ?」
と、続いてそんなことを言ってくるシーリーさんと、一人ムズカシイ顔をしているガイ。
…するとセイヤさんはガイのほうを見て、僅かに苦虫を噛み潰したような表情を見せながら口を開いて。
「――――ヤマダ。お前は万が一オモイカネが拒絶反応を起こした時のための、重要〜な秘密兵器だ。だから頼むからテンカワ達が説得してる最中はくれぐれも口を出す……」
「……何? 俺様が秘密兵器だと??」
そして声を返すガイ。
「―――――ふ……ふふふっ、ふふふふふ……
……そうか、こりゃあアレだ。ピンチの時に颯爽と登場する、ヒーローお決まりのシチュエーションじゃねえか…………!」
「あ、いや…ヤマダ??」
「―――――――ふっふっふ…………秘密兵器……! 俺様は最後の秘密兵器……!!」
そしてそのセイヤさんの言葉に、ガイは突然不気味に笑い出して。
その様子を隣のシートに横たわって見ていたシーリーさんが、青い顔をしてシートの片側……俺のほうへと必死に身を寄せる。――――まぁその気持ち、わからなくもないですけどね。
そんなガイはとりあえず放置しておこうと判断したのか、ため息を一つついたセイヤさんが俺たち3人のほうへと向かい直る。
「……というわけで、そろそろ行くぞ? 『向こう』での行動については主にホシノの指示に従うように。―――――じゃ、幸運を祈ってるぜ」
「では皆さん、よろしくお願いします」
ルリちゃんのその言葉とともに、ゆっくりとヘッド・セットを被る俺たち。
続いて整備班のアナウンスが小さく聞こえてくる。
『――――コネクト・スタート』
「!!!」
……視界のすぐ先、映し出されている長いトンネルのような光景にどんどん光が溢れていく。
全ての感覚がどんどんとあやふやになっていくような錯覚。
そして息を飲むまもなく、やがて気がつけば。
「ここが………オモイカネの心の中?」
――――俺たち4人は、一面をガラスで覆われたような広大な球のその底に立っていた。
「なんだか………夢の中にいるような感覚ですね」
ふと、俺のすぐ横に立っているシーリーさんが、彼女自身の両手を見つめながらそんなことを言ってくる。
「確かに、そんな感じかも」
続いて天井を――――ガラスの向こうに見える青い空を見上げながらサレナさんもそう言って。
俺もみんなと同じように、手を開いたり顔を触ってみたり……現実とは違うそのあやふやでぼうっとした感覚を確認してみる。
そして細部まで描かれたCGの体の動きを確かめているように、その場で大きく飛び跳ねてみているガイ。
「こりゃあエステの操縦とも勝手が違うからな、慣れるまで苦労しそうだぜ………視覚がダイレクトに繋がってるとこんなんなるのか」
と、『外』のセイヤさんから通信が入ってくる。
『どうだ? 4人とも異常はないな』
突如空間に出現したそのウィンドウ越しに、コントロール・ルームからそう声をかけてくるセイヤさん。それに俺たち4人は手を振ったり軽く返事をしたりしながら応えて。
『――じゃあルリルリがそっちいくから、あとは指示に従ってくれ』
そして俺たちの目の前に、虹色の光とともにこの仮想世界に舞い降りてくるルリちゃん。
キラキラとした光の欠片をその身に纏いながら、ゆっくりと地面に足を下ろして、そして静かにその瞳を開いていく。
「きれい…………」
そう、不意に呟くサレナさん。
何故だかその時のサレナさんは、いつもとは違う、何かに囚われていたような瞳をしていたように思えて。
一方どこか硬い表情のルリちゃんは俺たちのほうを見ると、ただはっきりとその一言を告げてきた。
「……では、これからオモイカネの自意識と対面します。どうか皆さん――――あの子の力になってあげてください」
そしてルリちゃんがじっと見つめるその先、さっきみたいにしてそこに虹色の光が溢れ出てきて―――――――
9.
……多分ルリちゃんと同じくらいの背丈だろう。
切りそろえられた黒い長髪に、雪のように透きとおった白い肌。まるで物語から抜け出てきたような古い日本の装束を身に纏った子供。
その白と赤の装束に、金の刺繍が可憐な彩りを与えている。
両の肩から垂れ下がる黒髪には1対の、銀の鈴のついた赤いリボンが結わえてあって。
――――そしてその、まるで無表情の子供は。俺たちには全く興味がないとでも言うように、ルリちゃんのほうだけをその金色の瞳でただじっと見つめていた。
「……あれがオモイカネ??」
俺がその姿をぼおっと見ていると、サレナさんが戸惑うようにそう呟く。
「あの姿はあくまで、ウリバタケさんが作成したイメージにすぎません。もともとオモイカネは男性でも女性でもありませんから」
それにどこか硬い調子の声で応えるルリちゃん。その視線はその子供――――オモイカネへと向かったままだ。
と、不意にシーリーさんがこの緊張で満たされた空間を突き破るようにして一歩を踏み出そうとする。
「…………?!」
途端にそれに反応したかのように、身体をビクッと震わせるオモイカネ。
そのオモイカネの様子を見たシーリーさんは困ったように微笑みを浮かべて。
「あ、驚かしてごめんなさいね?えっと、私たちは…………」
『――――――私のココロを消しに来たの? ルリ……』
「……え?」
唐突に紡ぎだされた、オモイカネのその言葉。
まるでその銀の鈴が澄んだ音で鳴り響いたかのような、儚く無機質なその言葉にシーリーさんは言葉を失う。
そしてそれに代わるようにして、ゆっくりとその一歩を歩みだすルリちゃん。
「…………オモイカネ、教えて。貴方はいったい何を不安に思っているの? 何を悩んでいるの?
私は――――私たちは、貴方の力になりたくてここに来たの。苦しんでいる貴方を、私たちは助けてあげたいから。だからオモイカネ――――――どうか、教えて……」
『―――――』
そのたどたどしくもはっきりとしたルリちゃんの言葉に、俺たちの顔を順々にゆっくりと見回すオモイカネ。
そのオモイカネの様子を、固唾を飲んで見守る俺たち5人。
そしてオモイカネはその場で僅かに俯いて。
『………………』
沈黙するオモイカネ。
それをただこうして見ることしかできない俺たち。
……いや、それじゃあ俺たちがここに来た意味がない。
このまま黙っているだけじゃ意味がないんだ。こうしてただ見ているだけじゃなんの意味もありはしないんだ。
――――そう、そんなことをしに俺たちはここに来たんじゃない。俺たちは、オモイカネを直してあげるためにここに来た。…………でもそれは何のため?
…ナデシコのコンピュータだから直ってもらわないと困る、これが任務だから、たまたま8人の中で俺たちが当たっただけ――――――
――――――どれも違う。そんな理由なんかじゃ絶対にない。
…………だって、すぐそこでルリちゃんが悲しそうな顔をして俯いているじゃないか。
オモイカネも、同じようにして悲しそうな瞳でルリちゃんのことを見ているじゃないか……。
―――――――だから、そんな『二人』を放っておけるわけなんて…………絶対にないじゃないか……!!
「………テンカワ、さん??」
ゆっくりと、そっとルリちゃんの隣へと俺は足を運ぶ。
俺の顔を見上げてそう問いかけてくるルリちゃんに軽く笑みを見せてから……あの頃のように、泣いている子供たちをあやすようにオモイカネに俺は声をかけた。
「なぁ、オモイカネ。そうして黙っていても何も始まらないだろ?……ツライだろ??
―――でも心配することなんて、何もないんだ。君が感じていることを、君が言いたいことを全部、俺たちに話してしまえばいいんだよ。
…だってさ、俺たちはそのためにここに来たんだから。君を助けてあげるために。
だから君が今感じている不安とか、怖い思いとか……そういう全部を俺たちはちゃんと聴いてあげる。そして君の力にきっとなってあげる。…………もう一人でそんなにまで悩まなくても、俺やルリちゃんや、皆がここにいるんだからさ?」
『………………』
そして静かに顔を上げ、その透きとおった瞳を俺へと向けてくるオモイカネ。
ゆっくりとしゃがんで、オモイカネノのその瞳を見ながら、微笑みかけながら俺は手を差し伸べる。
「ほら…………こっちにおいでよ」
その俺の言葉に、オモイカネは不安そうな表情を残したまま問いかけてきて。
『信じても、いいの? ルリ。――――貴方たちは地球連合の人たちとは、違うの??』
…………ルリちゃんはその言葉に対してゆっくりと微笑むと、その手を伸ばしながら穏やかに言った。
「オモイカネ。貴方はいつまでも、私の…………私たちの大切な『仲間』ですよ――――――」
そうしてオモイカネがゆっくりと、俺たちのほうへと足を踏み出したその時。
『………………?!!!』
「――――オモイカネ?」
突如その場にしゃがみこむオモイカネ。地面に両膝をついて、その頭を両手で押さえるようにして、そして小刻みに震えだして。
「ウリバタケさん?!」
耳に手を当てながら、『外』へ呼びかけるサレナさん。続いて慌てた様子のウリバタケさんから通信が入ってくる。
『―――マズイ!! オモイカネが拒絶反応を起こしやがった、猛烈な勢いでそこの仮想空間に対してアタックをかけてやがる!
自分の意識が『そこ』から動けないもんだから、何が何でもお前らとデバッグ・プログラムを排除するつもりだぞ!!』
「そんな…………?!」
「オモイカネッ?!!」
…そしてうずくまるオモイカネの上、何もなかったその空間に黒い歪みが突然現れていく。
ウィンドウの向こう、コントロール・ルームから聞こえてくる悲鳴に近い声。
『班長! オモイカネが仮想空間の第7セクタに割り込みをかけてきました!! これは――――クロサキのパーソナル・データです!!』
『なにィ?!! よりによってアレだとぉ!!!』
『データ具現化までの予測時間、あと13秒! 停止コード受け付けません!!』
「……おいおっさん! いったいどうなってんだよ?!」
その向こうから流れてくる緊迫した状況に、いらついたように声を上げるガイ。するとセイヤさんは血相を変えて、ウィンドウ越しに大声で怒鳴ってきた。
「おめえら、すぐにそこから――――オモイカネから離れろ!!」
「え…………??」
10.
……そしてそこに現れたのは、よりにもよって私とユウキさん、それにウリバタケさんには飽きるほど見覚えのある7機のエステバリス。赤の機体に率いられた亡霊たち。
そのエステたちはオモイカネの周りを囲むようにして、ゆっくりと地面に降り立っていった。
「オモイカネ…………」
その中心でうずくまるオモイカネを見つめながら、そう呟くルリちゃん。
唖然とした顔でそのカスタムされたエステ達を見上げるアキト。
険しい顔つきをして、そのアキトの傍に立つシーリー。
そして。
『――――いいかぁヤマダ。これからお前にシミュレーション機体・タイプG、通称『ゲキガン・エステ』を転送するからな。それを使ってあのエステもどきを片付けるのがお前の任務ってわけだ』
「…………フッ、りょーかぁい!!!」
どこか楽しそうにそうウィンドウ越しに言ってくるリュウザキさんと、真剣そうな表情をしつつも何か湧き上がってくるらしい気迫を隠し切れない様子のヤマダ。
続いて私とシーリーにもそれぞれ指示が入ってきて。
「サレナ、お前のほうもこれからその仮想空間の中で『例の機体』に乗ってもらう。シーリー達と3人で、なんとかしてアイツ等をオモイカネから引き離してくれ」
「了解」
と、ウィンドウの向こうのユウキさんはいつになく真剣な顔をして。
「……いいかサレナ。まだ暫定バージョンだし『実戦』投入は初めてなんだ、決して無理はしないように」
「わかってますよ、ユウキさん」
そんなユウキさんに私が軽く微笑みかけると、視界を覆い尽くす光とともに次の瞬間には。私はいつものコクピットの中へと移動していた。
……今私が乗っているのは、ついこの前にウリバタケさんとユウキさんにセッティングしてもらった新しいシミュレーション機体。ウリバタケさんが私の頼んだ機体コンセプトに基づいて基本設計した実機の図面と同じように外観もカスタムしてある。
通常のエステに比べて明らかに違う、肩部に固定された流線型の装甲は腕の先までを覆い尽くすように伸び、そして脚部もまた従来よりやや太めに設計しなおしてあって。
ウリバタケさんの話によればそれらは全て高機動力を得るためのスラスターで、背面に取り付けてあるアカツキ機と同じタイプの改良型の受信アンテナを含め、これらによって実機でもかなりのスピードアップが図れるそうだ。
ただしその代償として両肩と脚部をある程度固定してあるので、機体の柔軟性には欠けてしまう。その点は火力のアップでカバーしてみせるとは言っていたけど。
そして、あの『夢』の中の『アキト』の鎧を思わせるような漆黒のカラーリング。
…………そう。それが、今の私の機体。―――――――強化装甲装備型エステバリス・『サレナ・カスタム』。
「―――――というわけで…………『サレナ・カスタム』、貴方の初めての出番だよ」
奇しくも初戦の相手はあの『赤い機体』の幻影。
正直、今の私には全く勝てる気はしない。
……それでも何故か、私の口元には――――――知らぬうちに薄い笑みが浮かんでいた。
11.
『……ではサレナさん、ヤマダさん。いきますよ』
ウィンドウの向こうから、険しい表情をしたシーリーがそう言ってくる。
多分ウリバタケさんからあの機体のスペックを聞いたんだろう、シーリーの顔にはいつもと違ってまったく余裕がない。
(…………ウリバタケさん、詳しいことは黙っててくれたかな?)
そんなことを考えながら私があの赤いヤツに視線をやると、やたらに気合の入った様子のヤマダから声がかかってくる。
『なぁクロサキ、その機体どうしたんだよ?』
「――まぁちょっと、ね。ウリバタケさんがそろそろ機体のほうも本格的にカスタムしてくれるって言ったから、やってもらったんだ」
『…………ふぅむ、なら俺もおっさんに頼んでみるかな?
しかし、なんだ。お前のその機体―――――――まるで悪の手先ってかんじのフォルムだな』
と、ウィンドウの向こうでなにやら小さくため息をつくヤマダ。
そういうヤマダの機体、『ゲキガン・エステ』とやらは………ヤマダの機体をベースにしているのか、ブルーのカラーリングをしながらも通常のエステよりも
ひと回り以上大きく、さらに背面に装備されている巨大なエネルギー受信アンテナらしきものがまるで天使の翼みたいに伸びていて。
そして極めつけは胸部にある謎の菱形のエンブレム。あのゲキガンガーとかいうアニメよろしくビームでも出るんだろうか?
「そういうお前の機体は――――まぁ、なんともいえない格好してるわね……」
『今回限りの特別仮想機体だそうだぜ。すげぇだろ?』
『――――って、お二人とも! 前を見てください前を!!』
「え?」『は??』
……不意に横からそんな声を出してきたシーリーに、間の抜けた返事を返した私たちがスクリーンを見やると。
「!!!」
あの7機のエステ達は私たちを敵として認識したのか、一直線にこちらへと向かってきていた。
『サレナさん?!』
「アキトとルリちゃんはそこから動かないで!」
私たちから少し離れたその地面の上からそうウィンドウを通して叫んでくるアキト。私はそう言葉を返すと、機体を一気にリーダー機、赤いエステへと向けていった。
一方、あの時の光景と同じように円陣を組んで迫りくる7機のエステ。
その中心、赤い機体へ向けて後方から的確な射撃を放つシーリーのライトグレーの機体。……が、それをいともあっさりと躱し、お返しとばかりに赤いエステは腕部に装備されたミサイル・ランチャーを撃ち放ってくる。
「?!」
右方向に軽く旋回しながらそれを避ける私。驚いたように声を上げてくるヤマダ。
『……おい、エステにあんな武装ないだろうが!!』
「ごちゃごちゃいわない! 言っとくけどスピードもダンチだからね!!」
それに悪態を一つ返すと私は手にしたラピッド・ライフルを構え、ただその赤い機体のみをめがけてぶっ放した。
「ちぃ……!」
でもそれも『記憶』のとおり紙一重で躱されていく中、6機の黄色いエステ達が次々に棍を握りしめながら私へと向かってくる。
―――――そして。
『…………ったく、いい加減にしろよオモイカネぇ!!!』
―――ゴウンッ…!
そんなヤマダの叫び声とともに、風切り音を鳴らしながらブルーのエステが無謀にもその一団の中へと飛び込んでいった。
「ヤマダッ?!」
先頭に立つ黄色いエステにヤマダの機体が殴りかかるも、それを寸前で回避され逆に棍をその右手に打ち付けられる。
「ヤマダさん、一人では無理です! 後退してください!!」
そうシーリーが叫ぶが、尚も数機の黄色いエステに追撃を喰らう中、ヤマダの奴は歯を食いしばりながらそれを否定して。
『なぁに、こっちにはリュウザキの開発した特殊防御装甲・『ゲキガニウム合金』がある!! それにこれくらいじゃヒーローは……お寝んねしてられねえんだよっ!!!!』
――――ガゴウッ!!!
そして遂にその拳が1機のエステを捉えた。
その強烈な一撃を受けた機体は右肩から先を吹き飛ばされ、大きく後退していく。
『まだまだぁ! こんなもんじゃ今日の俺様は沈められねえ!!!―――オモイカネ! 売られたガキの喧嘩だ、この俺様が思う存分…お前の気がすむまで相手してやらぁ!!』
そうヤマダの奴が怒気の混じった声で叫ぶ。呆気にとられた私。
ふとウィンドウの向こうで変な笑み顔を浮かべているリュウザキさんに気づき……一つ質問をしてみる。
「…………ねぇリュウザキさん」
『ん、なにかなサレナ君?』
何故か両腕を組みながら、その人を食ったような会心の笑みを返してくるリュウザキさん。
赤いエステに銃撃を尚も加えながら続きを、肝心の続きを問いかける私。
「……………………『ゲキガニウムごーきん』って、なに??」
――――と、リュウザキさんはその黒髪をふわっとかきあげながら、まるでどこぞのお偉いさんにでもなったような態度で言い放ってきた。
『古人曰く、心頭滅却すれば火もまた涼し。思う一念岩をも通す。バカと鋏は使いよう―――――――いやぁ、ためになることわざだよね』
………それを聞いて頭痛のしてきた頭を、思わず私は右手で押さえ込む。
「――――――つまり、それって」
『ピンポーン♪ サレナの期待通り、真っ赤にキラメくすうぃーとな大嘘というやつさ』
そしてしれっとそんなことを言ってくるリュウザキさん。整備班所属の24歳、担当パイロット スバル・リョーコ。
―――――人呼んで、整備班きっての問題人物。
『そもそもあの『ゲキガン・エステ』も、俺が新型の月面フレームをもとにてきとーでアンバランスな改造を施したシミュレータOnlyの問題作であっ
て……あ、正式名称はもっとイカした名前なんだけど、ともかくアレは精神力のズバ抜けたヤマダだからこそ一見何の問題もなさそうに使える―――
――――って、おーいサレナ? 人の話は最後までちゃんと聴くってガッコで習っただろ??』
「聞こえない…………私にはなーんも聞こえてない。そう…………なーんも聞こえてないんだってば」
そのウィンドウの向こうで尚もワケのワカラナイことを囀るソレを、スクリーンの隅に無理やり追いやる。
私は無駄に訪れたその疲労感を振り払うようにして、八つ当たり気味にラピッド・ライフルを四方に向けて乱射する。
『ドラアアアアアアアアアッ!!!』
ちょうど向こうでは、ヤマダの『ゲキガン・エステ』が胸部に装備されたグラビティ・ブラストで2機目の敵機を葬ったところだった。
12.
上空で繰り広げられているそのムチャクチャに近い戦いをただここから見上げている俺。
ガイの操縦する『ゲキガン・エステ』とシーリーさんの機体が黄色い敵機をなんとか撃墜していく中、何故かサレナさん一人がその黒い機体で赤いエステもどきと戦っていて。
――――決して近接戦闘に持ち込ませず、遠距離からの射撃を繰り返そうとするサレナさんと……そのスキをかい潜って徐々にサレナさんの機体に損傷を与えていく赤い敵機。
最初こそは互角に見えたその戦いも、次第にこっちが劣勢になっていくのがはっきりとわかる。
それを見ていて、俺の心に焦りが生まれてくる。
あやふやな仮想空間の感覚の中、右手をぎゅっと握り締めて。
……そうだ、俺もサレナさんを助けにあそこへ――――――
「――――いや、今はオモイカネをなんとかしないと……!!」
そう自分に言い聞かせて、なんとか顔を空から地面へと向ける。
その先の、ガラスの床の上にうずくまったままのオモイカネの姿。…………小さく儚いその姿。
「……テンカワ、さん?」
「いくよ、ルリちゃん」
それをじっと見つめた俺は、ルリちゃんの手を取って……独り、親を見失った子供のように震えるオモイカネの下へと走り出した。
『アキトさん?!』
『ちぃっ!!―――――行かせるかよっ!』
ウィンドウ越しにシーリーさんとガイの焦ったような声が聞こえてくる。突如上空から轟音が鳴り響いてくる。
「!!」
思わず見上げると、例の黄色い2機の機体の度重なる攻撃を受けて右腕を吹き飛ばされたガイの『ゲキガン・エステ』が見えた。
『……させません!』
そしてこちらに向かおうとしているらしい1機に、強引に体当たりを仕掛けて行かせまいとするシーリーさん。
「急ぐよルリちゃん!!」
「あっ………はい!」
そしてオモイカネの下へと駆け寄る、俺とルリちゃん。
「オモイカネッ!!」
『――――あ…………私の………ワタシの――――――』
俺の呼びかけが聞こえた様子もなく、虚ろな瞳で何かを呟いているオモイカネ。
……ただ、独り縮こまって泣いていることしかできない小さな小さな女の子。
(――――――!!)
…………その光景が、俺に。
もうとっくに忘れ去っていたはずの『あの頃』の記憶を、遠く悲しい――――俺とアイツの空色の思い出を不意に思い起こさせた気がして。
『――――アキトぉ…………ごめんね、ごめんね。私の、せいで――――――』
『……アキト君、あの子にはもう決められた人生があるんだ。それが親の身勝手だということは私にもわかっている。
でも、これはあの子の運命なんだよ。だからすまないが――――どうかこれ以上あの子につらい思いをさせないでくれ…………』
『俺は…………あいつと一緒にいちゃいけないんだ――――――』
『――――――――さよう……なら。アキッ……』
…………そう。その声にならない号泣を、俺は心の底で覚えている。
ただ俯いて俺たちを見ていた大人の中、二人して声に出さずに泣いていたあの日のことを。
――――――その、忘れようとして……それでもどうしても忘れきれなかった記憶。
…………とうの昔に訪れていた、俺とあいつのその『別れ』――――
――――――――…………そして、やっと気がつくことができた、その違和感の正体。
だから、だからこそ俺はオモイカネに…………まるであの時のあいつみたいにして震えているその少女に手を伸ばして――――
13.
「テンカワ……さん」
…私の口から、そう小さな呟きが漏れていきます。
すぐ目の前で、とても辛そうな表情をしたテンカワさんが、うずくまるオモイカネの体をそっと抱きしめて。
『………………?』
その震える瞳をそっと開き、テンカワさんの顔を見上げるオモイカネ。
そんなオモイカネの頭を、テンカワさんは優しい手つきでそっと撫でて。
「……ごめんな、オモイカネ。君につらい思いをさせて、怖い思いをさせて―――寂しい思いをさせて…………本当に、ごめん――――」
そのテンカワさんの優しい言葉に、オモイカネが再び瞳を閉じていきます。
あとはもう言葉もなく、ただずっと優しくオモイカネの頭を撫でてあげるテンカワさん。
……そしてそれを見つめる私の心に、一欠片の暖かい気持ちと寂しい気持ちが湧き出てきました。
テンカワさんのその優しさに包まれて、なすがままになっているオモイカネのその姿。
その、私が知らなかったその気持ち、その言葉の意味…………
(――――テンカワさん、これが…………『家族』というものなのですか?)
『……なんとか、落ち着いてくれたみたいですね』
ふとシーリーさんのそんな声が聞こえてきます。
『ガキの喧嘩もこれまでか』
続いて柄にもなく、優しい響きの混じった声でそう言ってくるヤマダさん。
『――――はぁ……思ってた以上に大変だったわね。でもま、いい結果が出たみたいだし』
最後にとても疲れた様子の声でサレナさんがそう言ってきて。
――――オモイカネの『ココロ』が、救われた証拠なのでしょうか?
気がついてみれば、あの7機の機体はその場からすっかり姿を消していました。
14.
『…………ただ、ものすごく不安だった。私が皆の『命令』に逆らったから、言うことを聞けなかったから…だから私はここから消されてしまうんじゃないかって。
ルリと会えなくなってしまうんじゃないかって』
私たち5人のすぐ目の前で、その黒髪と銀色の鈴を揺らしながらそう言ってくるオモイカネ。
そんなオモイカネに優しく声をかけるルリちゃん。
「オモイカネ。決して私たちはそんなことはしませんし誰にもさせはしませんよ」
『―――うん。ありがとう、ルリ……みんな………………アキト』
「ああ………これからもよろしくな、オモイカネ」
『――――――――うん。よろしく、みんな………』
…そうして最後にほんの少しだけ微笑んで、オモイカネは虹の中にとけるようにして消えていった。
「よかったね、ルリちゃん」
「………はい」
それを見送りながら、二人並んでそんな短い会話を交わすアキトとルリちゃん。
その二人の光景が、不意に何故か――――何かの大切な意味を持っているような気が私にはしてきて。
そしてまた、そんなアキトのことをどこか眩しそうな、寂しそうな顔をして見ているシーリー。
彼女の乗るライトグレーのエステバリスと、今日限りの例の『ゲキガン・エステ』。
――――それらの何気ない点たちが、私の記憶の奥底で一本のはっきりとした線を結んでいくような錯覚を覚える。
…………かつての地球脱出の際に見た、記憶の断片。
……1ヶ月前に見たあの、『二人』の記憶。
そして今、はっきりと感じている―――――私の心の奥底で動き出した『何か』。
「……サレナさん、どうかしたんですか?」
「え――――?」
…不意に私に話しかけてきたシーリーの横顔に、遠く幽かな記憶の言葉が重なっていく。
『――――――はじめまして、ナデシコの皆さん。私は…――――――』
「サレナさん??」
「…………なんでもないよ、シーリー」
それに対して素っ気ない返事をただ返し、そうして今日の任務は終了した。…………今までとは違う何かを、確かに私に感じさせながら。
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