〜Ai〜

  今は祝杯 宴の夕べ
  皆もテーブル囲んでる
  貴方は知らずにワインを飲むの
  私はそれを 見てたくない

  …だって私、知っているもの 今夜と明日は絶交だって


  貴方の運命 お停まりなさい
  夜明けもちょっと待ってよね
  今夜は笑顔で明日は涙
  それを知ってて 微笑えるの?




  …じゃあ そろそろ歌い手を呼びましょうか
  真っ黒に染まったフランス娘を
  影絵をなぞったフランス娘を
  遠くお祭りを眺めるだけだった あの子の代わりの悲しい復讐者




  そして彼女は踊ったの
  それを見た貴方は震えたの
  それを見た私は俯いたの
  踊っていた彼女も泣いていたの


  ああ 貴方
  やはりお気に召さなかったのかしら?
  泣いてしまったのかしら?
  その虹色が 目に染みたのかしら?
  それとも私のこと 哀れに見えたのかしら…



  …でもね でも私はね
  ずっと前からその明日を その真っ黒な太陽を知っていたのよ











 0. 〜全てが始まったとき〜

 ――――誰かのために、自分の全てを捧げることが出来たなら。

 そんなありきたりなような文句。昔はどこか他人事のように見ていた気がするその言葉。
 その言葉を、想いを……どうして私は本気になって思うことができるようになったのだろう?

 どうして私は、アキトとユリカさんのために…この過酷すぎる道を選ぼうとしたんだろう――――?






 『…ねぇヒロィ。人が本当の気持ちを誰かに言えるときって、どんなときなのかな?』
 『突然面白い事を言い出すな、君は―――』
 いつかに彼と交わしたそんな会話。
 街外れにあるその公園で、その草原に横たわって彼と二人そんなことを話していたあの時。

 …友人っていう言葉よりはもうちょっとだけ上の関係だったような気がする彼と、よく二人で話をしていた私。
 今までにあったことのなかった、彼の、リロィのその不思議な雰囲気…全てに対して優しそうでいて、でも最後の最後には突き放されてしまいそうなその雰囲気。
 なのに何故かそれが私を惹きつけていたのかもしれない。
 彼だったらどんな話でもできてしまいそうな…ううん、彼になら自分の中のそういう話さえもしてしまいたくなるっていう、不思議な雰囲気があったのかもしれないとも思う。
 事実、私は端から見れば恋でもしているみたいにして彼にひきよせられていた。






 『――――何故、俺なんかにそうまでして構うんだ。エリナ……』
 それは『アキト』が火星の後継者の研究施設から救出されてから、幾ばくか経った頃。まだ彼があの男と刃を交え初めて間もなかった頃。
 その薄暗い部屋の中に崩れ落ちていた『アキト』は、小さな声でボツリと漏らした。
 目の前にいた彼女は…『エリナ』は悔しそうに顔をゆがめると黙って彼の身体を抱え起こそうとする。
 『!!』
 その手を乱暴に振り払おうとする『アキト』。でも彼はそうすることさえできずに、彼女の手を借りながら無様に立ち上がっていく。
 代わりに、まるでその一言に弱音と決意の両方とを込めるようにして呟く。
 『ユリカ……』
 その言葉が『アキト』の口から漏れるたびに、彼女の顔に見えないひびが入っていく。






 『…誰だって一度は、人を本気で愛することが怖くなるのだろう? でもいつかはその意味を自然とわかっていくのだから』
 『かもね。でも私にはまだわかんないかな…』
 『そんなことはないさ』
 意味ありげに微笑いながら私のほうを見てきたリロィに、少しだけ自嘲的な笑みにも見えたその表情に……その頃はまだ私自身も私がよくわかっていなかったからこそ、曖昧な微笑を返していた。
 『それにしても、ミキ達に聞かれたら思い切り笑われそうな会話。なにマジメくさった話してるんだろう』
 そして照れ隠しみたいにして言葉を付け足す私。
 太陽に手をかざしながら、でも彼にだからそんな話をしてみる気になったんだとも強く実感する。リロィは唇の端をゆるめながら言ってくる。
 『たまにはいいんじゃないか? こんな話でもしていないと君はホントに可愛げがないことになってしまう』
 『……何気にアタマくること言ってくれるよね』
 思わずむっとして彼を軽く睨むと、それを余裕で躱すようにしてリロィは街のほうを見つめて。
 『僕は、サレナのそういう途惑いは大事なものな気がする。ただ…僕自身は例えその先が見えていたとしても、でもどうしても。
 その気持ちははっきりとあるのに、それなのにどこかでもっと違う“何か”にひきよせられてしまうんだろうな…』

 …何故だかは知らないけれど、私とこういう話をするときだけ彼は優しい口調に変わる。それにどんな意味があるのかを、少しだけ知りたい気もする。
 彼の横顔はどこか寂しそうに微笑んでいる。言葉とは裏腹なものを感じてしまう。
 私が両手を芝生につきながら彼のほうを見ると、彼は小さく苦笑した。

 『もっとも君にしてみればつまらない理由だろうね、それは。きっと物凄くマジメくさった、つまらない何かさ』
 『…………』
 不意に訪れる沈黙。緑に溢れる木々が、そっとざわめいて。
 『ね、ヒロィ』
 『なんだ?』
 『……貴方のそのマジメくさった話、もう少し聞いてみたい』
 穏やかな初夏の風が、この草原に暖かさを運んできた。






 …一度だけ、『アキト』が『エリナ』の身体を抱こうとした時があった。
 たぶん激情に身を任せた上でのことだったんだろう。どうしようもないその悔しさと、敗北感と、やるせなさとを少しでも癒したかったからなのかもしれない。
 『ちょ…アキト君?!』
 その時戸惑う言葉とは裏腹に、彼女はその身体をきつく抱きしめてきた『アキト』にさしたる抵抗をみせようとはしなかった。
 乱暴に唇を貪られて、その頬に僅かに朱が灯って。
 でもそれは、彼女が心の内で密かに望んでいたのかもしれないそれじゃなかくって。
 『…………!!』
 落ちたグラスの向こうにあった『アキト』の瞳を見た彼女は、その表情をはっきりと凍らせて…。

 戸惑うままに、彼女は『アキト』に押し倒される。彼の手が首筋にかかり、白いその肌を撫ぜていく。
 『アキト』は乱暴に、でもどこか優しく彼女に接するけれど、でも彼は『エリナ』のことを見ているんじゃなかった。
 ……彼女の身体に接しながら、でも『アキト』はユリカさんの名を呼んでいた。
 その事が『エリナ』にはとてつもなく辛かったんだろう。辛くないわけなんてない。結局彼女は彼の想い人に、欠片すらも敵わなかったってことなんだから。
 だから彼女は彼を受け入れようとして…でも、どうしてもできなかった。
 必死になって『アキト』を突き飛ばそうとし、彼の前で初めて叫んでしまった。

 彼女は、『エリナ』はたぶん不器用な人だったから…そうすることしかできなかった。






 『ヒロィって誰か“愛してる人”とかいるの?』
 『…その問いには少し答えかねるが――――端的に言えば、“No”だ』
 そんなバカバカしいような短い問いかけ。あいつの部屋だったか、私の部屋だったか。
 恋人とかそういう間柄じゃなかったのに、そうして二人でいることが多々あった奇妙な私たち。
 『……ふぅん』
 『不満そうな口ぶりだな』
 ソファにもたれかかってそう呟いた私に彼は苦笑いを返してくる。
 『貴方のそういう表情とか見てると、なんか嘘っぽく思えてくる。他の男とは全然雰囲気が違うんだもの』
 『それは光栄なのかな?』
 『…………さあ』
 今にして思えば、あの時の私は何てバカなことを口走っていたのだろう。でもあの時の事がなかったら、それからの私がいなかったことも事実で。
 その時彼はふと…吸い込まれるような眼差しで、私にその言葉を投げかけてきたんだった。
 『―――君は本当に不思議な人だな』
 『……は?』
 そうポツリと言った彼。向かいのソファに腰掛けていたあいつは、顎に手をあてながら私を見てくる。
 『つくづく、変なところで気が合うのかもしれない』
 『ヘンなところって……何よ?』
 『他の誰にも決して言えない、自分の秘密を大事に抱えているところさ』
 『…………』
 私はその言葉に、思わず強い視線をリロィに向けて投げかけていたらしい。彼の表情が静かに変わる。
 怒らせたと思ったのだろう。実際少しあいつの不意打ちな言葉には腹も立ったから間違いではなかったのだけれど。でも彼は謝ったりなんてしなかった。
 『僕にしてみれば君は、まさに不思議な人だ。突然思いもしなかったことをどんどんと僕に投げかけてきてくれる。何故か今までしなかったような話さえできる気がしてくる。その度に僕が驚きに包まれることなんて、君はきっと知らないだろう。
 でも君は…僕のことをどう思っているのだろうな』
 『…それ、遠回りなくどき文句?』
 『そういうものじゃない。でももしかしたら、それよりも重要なことかもしれない』
 悪びれずに、深い瞳で、そんなことさえ彼は言ってくる。そしてその眼差しに負けたみたいにして…でもまちがいなく、私は私のその意志で、彼にその言葉を言っていたんだ。

 『―――たぶん、私は貴方に興味があるわ。きっと他の誰よりもずっと。
 …だから私は、貴方の中にあるものを見てみたい。貴方のことをもっと知ってみたい。だってそうすれば…私も私の中の何かを、貴方になら話してしまえるかもしれないって思えるから―――』

 …そして最初のきっかけはどっちからだったか。
 なし崩し的に立った気もするし、私からだったような気もする。愛なんていうものを二人確かめるためじゃなくって、それが互いに相手の中にあるのかを探るために。不確かな私たちからそういうものが生まれるのかを知りたくて。
 だからそのために身体を重ねて――――そして心っていうのを通じ合わせようとした。
 二人とも快楽に溺れてしまうことなんてなく、でも夢中になっていた気もして……そしてあの時に初めて、私の心の片隅で『寂しさ』みたいなものが少しだけ軽くなった気がした。
 ともかく、そんなあの日にあいつとの奇妙な関係が始まったことだけは確かだった。

 ……ただあの時はまだ、彼のことを『愛して』なんていないはずだった。






 …結局『エリナ』は、『アキト』の中にそれ以上踏み入ろうとすることはできなかった。
 その出来事をさも忘れたように、気にしていないようにして以前と同じく彼に接する彼女。『アキト』のほうも心に深い戒めのようなものを築き上げて、それから二人の関係はただ淡白なものに変わっていく。見た目だけは。
 『アキト』はもう、彼女を…ユリカさんだけを見ていて。ううん、本当は最初からあの人だけを見ていたのだから。
 だからそのことは彼女を深く傷つけていったのかもしれない。

 『……嘘でもいいから、私を愛しているっていって欲しい』
 あの時に『エリナ』はそんな言葉を言いかけたんだろう。でも彼女はそれさえ――そういう嘘にまみれた言葉さえ言えなかった。
 きっと『アキト』には、自分だけを見ていて欲しかったんだろうから。彼女がいつからか、彼だけを見ていたようにして。
 でも『アキト』は…どうしようもないくらいに一人の女性しか見えていなかったから。
 もう逃げ道すら作ろうとしなかったから。




 ―――そうして『アキト』は、ついにその願いを叶える。最愛の人は再びこの世界に戻ってくる。
 そんな彼の記憶の断片を…私はずっとここで見てきた。

 ……そう。私が見てきたものはきっと断片に過ぎない。
 それはあの人を、ユリカさんを取り戻そうとして、そのためだけに何もかもかなぐり捨てて突き進んでいた『アキト』の姿。
 私がいつしかこの夢の中の彼のことを知りたいと思うようになったのは…そんな『アキト』の姿をずっと見てきたせいなんだろう。
 『アキト』のそういう姿に、憧れのようなものを持ったのかもしれない。

 『私も彼みたいになれたら――――』
 そう、心のどこかでずっと思っていたのかもしれない…。






 …………そして私はついに、アキトに出逢った。
 『記憶』の頃よりもまだずっと若い、その一人の青年に。


 『…へぇ、アキトってコックの卵なんだ』
 『はい。あまり大きな店じゃないですけれど、もう2年くらいそこで下積み修業してるんです―――』

 アキトはまだあどけなさの残る、ちょっと頼りなさげな雰囲気さえ見え隠れするような普通の男の子だった。


 『サレナさん、お疲れ様です』
 『うん。アキトもお疲れ。…って、サイゾウさんは?』
 『ちょっと近所に用があるからって。夕飯の支度やっておきましょうか』
 『あ、私やるからアキトは休んでていいよ』
 『え…でも』
 『いいからいいから』

 だからどこか彼のことを、『記憶』の彼とはあべこべに弟みたいにして見ていたのかもしれない。それが少しだけ可笑しかった。


 『……俺、本当にダメですよね。まだ蜥蜴が怖くて、まだあの時の事が焼きついていて―――震えているしかできないなんて』
 『そんなことない。アキトがまだ恐怖がとれないのは、当たり前のことなんだから。…だから、そうくよくよしないでさ』
 『でも…サレナさんは』
 『―――私はちょっとだけ、そういう“怖い”っていう感覚が麻痺しているようなものだから。一種のトラウマなんだ』

 そんなアキトと一緒の生活が始まって。


 『……おはよう、アキト』
 『あ、おは――――ぶっ?!!』
 『…??』
 『さ、ささささ、サレナさん?!』
 『………なに?』
 『いえ、その、服…シャツだけ……ていうか、もしかしてまだ寝ぼけてます?』
 『……朝、弱いから。洗面所使いたいんだけど、いい?』
 『あ、はい―――』
 『…ん、ありがと』
 『…………えらいもん見ちゃったな』

 気がつけば思いもしないほど自然にその中に馴染んでいて。



 『…もうここに来て、2ヶ月だね』
 『そうですね。なんだかあっという間な気もしますけど』
 『―――火星、今どうなってるんだろうね…』
 『……サレナさん』


 …そう。あの頃はまだ、彼に対してただ自然に接していることが出来た。
 でもあの始まりの言葉が、彼のもとにやってきた。






 『―――――もう一度、火星へ行ってみたいと思いませんか?』


 ……そして『記憶』の歯車は、また動き出して。







 『―――アキト!! アキトでしょう?! 私だよ、ユリカだよ!!』
 『え……ユリカって…………もしかして、おまえ』
 『やっぱり覚えていてくれたのね!!』

 『……俺の両親は、死んだんだよ。お前が火星を去ったあの日に』
 『え……?』


 …夢に見ていたもう一人の人、ユリカさんとの出会い。



 『そんな……そんなの正義って言うのかよ?! 俺にはそういう軍のことなんて全然わかんないけれど、でも―――!!!
 ……俺にだって、守りたい正義があった! 死に物狂いで努力すれば、きっと何とかなるって思ってたさ!!
 ―――でも、でもやっぱり駄目だったんだ…。俺はあの時、みんなを助け出したかったのに―――結局自分達だけ地球に逃げ出してきて!』

 『…じゃあ、アキトさんと艦長はどうだったんです?』
 『――最初はね、正直戸惑ってたんだ。嘘みたいな話だけど、あの頃のユリカはちょっと今とは違ってて…どこか寂しそうだった。表面上はいい子でいたんだけれど―――あいつ、ひとりぼっちだったんだ…』


 …私が見てきたアキトのそんな姿。



 『――――情けない、よね。ちゃんと覚悟はしていたつもりなのに、みんなが生きていないのがこんなにショックだったなんて……』
 『サレナさん?!!』

 『―――いいんですよ、サレナさん。
 …確かに俺には失った人がいるし、それはとても悲しかったけれど……その人たちは俺にとっての大切な人じゃあなかったから……だから俺は、サレナさんほどは悲しくなれないんです。
 ――今の俺はただ、ここが戦場なんだって実感するだけで…』


 『……大丈夫だよ、アキト。お前は私と違って、やさしい心の人だから。だから今はそう思っても、その優しさはきっと失わない。
 だって、その心こそがお前なんだから――――』


 …あの日の火星の記憶。それだけじゃなかった記憶。




 『…実はさ、昔の頃の―――火星にいた頃の夕日を思い出してたんだ』
 『昔の……ですか?』
 『そう、ずっと前の…俺がまだ小さな子供だった頃のこと。その頃に一度、今日みたいな夕日を見たことがあってね。
 あの時の夕日も、ホントに綺麗で…なんか、久しぶりに思い出しちゃったからさ―――』

 『―――いってみれば、これは…忘れていた“私”の記憶のためなんです。ずっと昔に体験したはずの、覚えていないのに忘れることのできない“私”の記憶。
 ……私がエステに乗って戦っている理由っていうのは、きっとその記憶を私が取り戻したいからで。
 この狭いコクピットにいると何故か、その悲しい記憶が蘇ってくる気がして―――』

 『…うん。私、アキトならきっと…そういう気持ちがわかるんだって思う。だってアキトはあの時に、私を狭くて小さい箱庭から連れ出してくれた王子様で、お父様やお母様以外に初めて私を私としてみてくれた人で…………
 ……そう、なんて言ったらいいのかわからないけれど…やっぱりアキトは私の大好きな人だもの――――』



 …そしてどんどんと溢れ出てきた、ユリカさんの……あの人たちの姿。
 あの人のまわりにあった全てのものたち…。







 『――――何故地球人の貴様が、し……あの男のことを知っている?!…答えろ!!』

 『しょうがないじゃない!! どんなに頑張っても私、アキトの悲しい気持ちを全部わかることなんて無理だもの! 悔しいけれど無理だもの!!
 …でも今のアキトは自暴自棄になってるだけでしょ?! 何も見えなくなっているだけでしょう!!?』

 そして私自身がこの目で見た、彼らの……アキトの、ユリカさんの、月臣の―――あの人たちの姿。
 アキトの心にずっとあったその想い。


 『―――ごめん、こんな話聞かせちゃってさ。でもメグミちゃんに嘘をつくことはできないから…俺が確かに好きになった人だから、やっぱり話さなくちゃいけないんだって、今本当に思い知らされたんだ。…だから今は、はっきりと口に出来る。
 俺…俺は―――ユリカのことが好きなんだ。一番大事に思ってる人なんだ、あいつは。そしてこれからも……ずっと――――』



 それらが次第に、一つの記憶に繋がっていって。


 『……彼は、生きております。死んでなどおりません。戦争の勃発する直前にやんどころなき都合から地球へと渡来していたのですよ。そして今は連合空軍の士官候補生となっている。
 …それが、リロィ・ヴァン・アーデル―――我が主でありクリムゾン家正当後継者候補でもあるアクアリーネ様にとっての、血の繋がった実の兄なのです―――』


 裏返しだったはずのその欠片は、恐ろしいほどまでにその一つずつが確かに集まっていって…。

 そして――――




 『…………俺も、お前の事――好きだ。ずっと、お前だけが…好きだ』

 『…うん―――アキト……私も、アキトが大好き―――――』




 ………………そして。










 「―――イネスさん。私、全部思い出した……」

 白一色の病室の中で、私は小さく呟いていた。
 その声を聞いた彼女はほんの僅かだけ身体を強張らせて、静かに息を吐き出して。そして硬い表情で椅子に腰掛けた。
 私はそれをぼんやりと見ていた。

 …時計の音が怖いくらいにはっきりと耳に届いてくる。私の吐き出した息が、私の中から何もかもを奪っていく。
 その静かな空間は…次第に私たちの鼓動で埋め尽くされていく。

 そして何もしていなくても、何かをしようとしていても……私の中でその『記憶』は響いてくる――――








 『……俺が、ナデシコCに?』
 『そうだ』
 あの日ネルガル本社の、薄暗いそのブリーフィング・ルームでゴートからの命令を受け取ったアキト。
 “私達”にとっての全てが始まったその瞬間。

 『クリムゾンと木連の小競り合い…か』
 『紛争、ですよアキトさん。―――正直に言えばこんな任務……私はアキトさんにはやって欲しくなかったですけれど』
 『……ありがとう、ルリちゃん』
 二人その白い船へと向かう車の中、そんな言葉を漏らしていたルリちゃん。火星へと向かうことになったあの人たち。

 …そしてナデシコCはその赤い大地に、旅立っていって。


 『久しぶりだな、月臣』
 『……ああ』
 『…月臣大佐、宇宙軍の方に知り合いがおられたんですか…?』
 『?――――君は…』

 そこでアキトはあの男と、純白の制服に身を包んだ彼と再会する。

 『……あれが、黒いステルンクーゲルだと?』
 『テンカワさん?! ンなこと言ってないで至急出撃お願いしますよ!!』

 …その、一人のパイロットと出逢うことになる。
 そして。


 『―――初めまして、だな。テンカワ・アキト殿』
 『お前がリロィか……』
 『…しかし、アルストロメリアとは…な。つまり貴様にとって“サレナ”はもはや用済みということか、テンカワ・アキト』

 『余計なおしゃべりはするなリロィ! そいつは私が殺すんだ――――!!』


 …冷たく侮蔑の笑みを浮かべた彼と、そして“彼女”と…もうひとりの『私』と、初めて対峙することになる――――






 『……リロィ・ヴァン・アーデル。統合軍豪州方面一派を動かし今回の紛争を指揮している張本人で、彼個人もクリムゾン・グループに深い繋がりを持っているようです。
 出身地はオーストラリア、以前は火星のユートピア・コロニーにもいたことがあるらしいんですが、その後連合空軍の士官学校に入っていますね』
 『―――ユートピア・コロニー……?』

 そう。あの火星の大地に降り立った『私』達。

 『貴様にならばわかるだろう、テンカワ。これは我々の…俺にとっての戦いだ。この血塗られた両腕の代償を払うための戦いなのだ。
 だからこそ――――お前たちの手は借りぬ』
 『…そういうわけにはいきません、月臣大佐』
 『ルリちゃん……』

 そんな『私』達の、月臣達の、悲しみに満ち満ちた想い。変えることのできない想い。

 そして……。



 『…遺跡のコア・システムというのは、単にナノ・マシンからの信号を受け取って対象物を“跳ばす”だけの機械にすぎん。それ自体は一切の意思など持ち合わせていないのだよ。
 だからこの結果を導き出したのは、他の誰でもない――――』


 そして、あのユートピア・コロニーで。なにもないその故郷で―――



 『―――そうだ! 全部…全部お前のせいだ、テンカワ・アキト!! お前のせいで、私は……“私たち”は―――――!!』












 (……そっか。そう…だったんだ――――――)


 その裏返しの世界で、アキトに襲いかかった事実。遥か遠いその場所で、あの人達が知ることになったその答え。
 できることなら知らないほうがよかった―――その『未来』。

 ……そう。その全てを私は話していた。まるで心を失った人形のようにして。
 いつしか浮かんでいた涙は止められることもなく。私の言葉は途切れることすらなく。彼女の、イネスさんの耐え切れない表情すらも…それを止めようとすることはなくって。
 そして二人とも、その一つの未来に心を強く殴りつけられていて……。



 ―――――だからこれからその一つの物語が始まるんだろう。
 遂に幕開かれたその『記憶』の話が始まろうとしているんだろう。

 でも、その前にもう少しだけ……私はこの今を進んでいくことができたから―――











 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』

  Act6




 1.

 『―――秋山中佐。跳躍砲艦隊の攻撃準備は全て整いました』
 「……うむ」
 画面の向こうから艦長に報告が入る。それをいつになく硬い面持ちで受け取る秋山艦長。このかんなづきの艦橋も刻一刻と迫ってきたその決戦へとむけて、空気が鋭く研ぎ澄まされていくようだ。

 …今、艦橋は不思議な高揚感で包まれてると言っていい。
 俺達木連の優人部隊のおよそ3分の1を集結させて実行される今回の作戦、その作戦に誰もが絶対的な勝利を確信していたからだ。そしてこの俺、高杉三郎太も例外ではなく、その予感に胸を躍らせているんだ。
 しかし何故か、秋山艦長だけは様子が違っていた。昨日からずっと押し黙ったまま、硬い表情を崩されようとはしない。
 草壁閣下からこの作戦の指揮を任されたのだから、本来ならばもっと覇気のある表情をされていてもいいはずなのにだ。
 「艦長、どうかされたのですか?」
 だから俺はそう何度か進言していた。しかし返ってくる艦長の言葉は素っ気ない。
 「…敵の布陣が少々気になるだけだ」
 「…………」
 その艦長の言葉が嘘であることは、俺にはなんとなく見通せていた。
 こちらが前線に無人艦隊と有人艦の混合部隊で壁を作り、さらにその内に作戦の核となる跳躍砲艦隊を配置しているのに対し…地球人達はその数で我々を圧倒するつもりなのか、慢心してなのか、我々に対し真正面から叩こうとする構えらしい。
 …周辺宙域の探査の結果でも伏兵は確認されなかった。敵は全軍を我々の前にバカ正直に投入してくれたことになる。
 さらに我々が月を背に陣を敷いている以上、未だ戦艦規模での跳躍が行えない彼らに後方からの奇襲は不可能に近く、結果彼奴等は草壁閣下の想定どおりに陣を敷いてくれているはずなのだ。

 なのに艦長は浮かない顔をされている。
 明らかに勝利は確信されている。だが艦長の顔から憂いは消えない。
 …それはもしかすると、勝敗とは全く別のことを危惧されていられるのか、或いはそうではないのか……。








 2. 〜作戦開始時刻102分前 ナデシコ・ブリッジ〜

 ナデシコの貴賓室からユリカさん達が出てきてからおよそ一時間。
 何故かユリカさんが晴れやかな顔をしていたり、アカツキさんの表情がどこか硬かったり、おまけにミスマル提督は目に見えて様子が変だったりしましたが…。
 まぁそんなことはともかく、その間に連合軍の戦闘配備はほぼ整っていました。

 『…ボソン砲戦艦群に対し、下手な小細工は一切通用し得ない』というミスマル提督の言葉に沿うようにして、連合軍の布陣は真正面から敵に挑む、防衛を主軸とした陣になっています。
 その最前列を第2艦隊の主力艦による防壁で…2段構えになっているその守りで硬め、その背後にはさらに第3艦隊と陸・海・空軍によるもう一つの防御壁。
 そしてナデシコはその厚い壁の一番奥、ボソン砲の最大射程よりもさらに先の地点から直接、相転移砲を敵のボソン砲戦艦群へと打ち込む手筈でした。
 …これは相転移砲の射程がボソン砲の射程と同等、若しくはそれ以上あること…そして相転移砲がボソン砲と同じようにして、目標ポイントとの間にある障害物―――敵味方まじえた戦艦群―――の影響を一切受けないという、その特性を利用することで初めて実現できる作戦です。
 言ってみればこの戦いは、間合を完全に制した側が勝利できる…ということなのでしょう。
 条件はほぼ五分と五分。艦隊の指揮官の采配と、そしてナデシコの艦長であるユリカさんの一瞬の判断が勝敗を決定付けることになるわけです。

 ですからブリッジの皆さんも、今回ばかりはいつになく緊張した空気の中で作業を進めていました。
 オペレータ席に座る私も例外ではありません。隣に座るミナトさんも硬い表情でウィンドウと向き合っている中、私はオモイカネと、そしてサルタヒコとコンタクトを取りながらシステムの調整を細心の注意とともに行っています。
 …メグミさんもひっきりなしに行われる司令艦との通信に追われていました。
 ゴートさんとプロスさんは副長と一緒になにやらずっと、エステバリスのパイロットの配置について話していました。
 そして、艦長のユリカさんは……。


 「ルリちゃん、サルタヒコの復旧のほうはどの位進んでる?」
 「…あ、はい。現在80%程です。作戦開始時刻までにはなんとか間に合わせます」
 「うん、お願いね」
 そう、いつになく…何か強い気持ちのこもっているような声で言ってきたユリカさん。
 この緊迫したブリッジの中でどこか浮いているように、でも皆さんの気持ちを安心させてくれるように。その晴れやかな微笑みでスクリーンを見つめています。

 ――――だから、そんなユリカさんに引きつけられるようにして、クルーの皆さんも少しずつ不安が消えていくようでした。
 だんだんと心が固まっていくようでした。不思議な確信が艦内に溢れ始めていました。
 そしてきりっと前を見つめたままでなのでしょう、ユリカさんはブリッジにいる私達がかろうじて聞きとれるくらいのその声で…私達に何かを与えてくれるその声で言ってきました。


 「……アキト、みんな――――絶対にこの戦い…勝つからね……!」








 3. 〜作戦開始時刻97分前 木連軍有人艦『ゆめみづき』〜

 作戦開始まで、あと2時間足らず。
 同胞たちが各々の胸に必勝の誓いを刻んでいっていたその時刻に、この私アララギはどの将校にも知られることもなく白鳥少佐の下を訪れていた。
 彼から内密の話があるということだったのである。
 「……白鳥少佐、それで話とはなんですか?」
 艦橋から一人歩いてきた彼に、私はある種の期待を持ちながらも済ました顔をして話しかける。
 いつもに増して真剣な顔つきの少佐はチラリと一瞬背後を見やると、一礼をして言ってくる。
 「時刻もおしている中、申し訳ない。詳しくは艦長室で」

 そしてただ二人、艦の外とはうってかわって静謐な空気に包まれた艦長室に立ち…白鳥少佐はその言葉を言ってきてくれたのだ。

 「…アララギ殿。私はこの作戦が終了したら閣下に、地球との和平交渉をもう一度行う事を勧めてみようと思っている」
 「ほう、それはどういった思惑からでしょうか?」
 白鳥少佐はもちろん私が軍の中でも議会派に属していることを、かねてから地球との和平を望む立場にいることを知っている。
 ただ彼は秋山中佐と同じく中立派の人間だった。これまではどちらにも属しようとはせず、ただ軍人として、草壁閣下の僕として己の務めを果たしてきた人だ。
 その彼が突然、そのようなことを言ってきたのだ。

 …彼は、白鳥少佐は素直に信頼するに値する人だ。木連軍人の鏡と言っていいだろう。
 だから彼の発言力は軍の中にあって、またその外にも、ある種の力を持つと言っていい。そんな彼のその言葉にすぐに賛同を示そうとすることもできる。
 だが彼の親友である月臣少佐は忠実な草壁派に属している。その月臣少佐は和平に対してはっきりと否定的な立場であり、その事実が白鳥少佐に和平派へと傾くことを拒ませてきたと言ってもいいだろう。
 ――そしてだからこそ私は、彼の意志をはっきりと確認する必要があった。
 彼が私達和平派に綻びをもたらす者なのか、それとも希望の光をもたらすものなのか。

 「アララギ殿。貴方はかねてから、この戦争の正当性を批判していたな」
 そう白鳥少佐は私に言ってくる。穏便な言葉を私は返す。
 「批判、というほどではありませんよ。ただ私は私の思った疑問を述べていただけです」
 「『我々のかざしている正義は、真の正義たりえないのではないか』―――そう以前に貴方が仰られていたのを私は覚えている」
 「…………」
 その少佐の言葉に私はあえて黙ってみることにした。わざとらしい弁解は挟まないことにした。
 構わず彼は言葉を続ける。物思いにふけるようにして、目を細めながら。
 「私は…私にとっての正義は、我々の国を、そして私の大切な家族を地球人の魔の手から守ることだった。そのためには彼らを――地球人たちを打ち滅ぼすことも仕方ないとまで思っていた。だからこそ閣下の説かれる正義もまた、一つの形なのだと思っていた。
 …だが、この短い間に彼らと戦場で相まみえてみて、私は気づいた気がするのだ」

 そして、拳を握り締めながら。

 「議会の方々の中には、草壁閣下の思想に危惧を抱いておられる方もいられる。前の私はそんな彼らを慎重すぎる人間、どこか臆病な人間としか見ていなかったのかもしれない。
 だが…今は違う。
 草壁閣下が説いておられたその正義が、我々の手の内にだけあるというそのたった一つの正義が…私にはどうしても真実のものとして見る事ができなくなったのだ。
 …そう、私は覚えている。以前貴方がその正義のことを、『劣等感に根ざした正義』と呼んだ事を。
 そしてその言葉は今の私にとって、なによりも重く響いている…」


 ―――そうして拳を強く握りしめながら、白鳥少佐は天を見上げられた。
 彼の言葉は偽りなどではなかった。その表情はそうはっきりと物語っていたのだ。そして少佐はどこか悔しそうに、しかし僅かな微笑みを浮かべながら、言葉を続けてくる。
 「私にそれを気づかせてくれたのは、あのナデシコという船に乗っていた人達だった気がする。私たちと同じ人間である、彼らだった気がするのだ。
 …我々の祖先が味わったその屈辱、100年にわたる苦しみの日々――その中で憎しみが生まれることは、それは責めることの出来ない事実だ。だがその憎しみを盾にした詭弁を作り出すことは許されない。
 ――地球人を憎むあまりに、我々のこの境遇を辛く思うあまりに…その憎悪と劣等感を以って、誤った『正義』を語ることだけは許されないのだと…」
 「…白鳥少佐」
 「だから貴方がたがこれまでに主張してきたとおり、我々はそんな我々自身を変えていかなければならないのだろう。その一歩を踏み出すための勇気を持たな くてはならないのだろう。一度は否定された和平だが、それでも我々は真摯な態度を持って彼らに歩み寄らなければならない。
 ……そして私は、その必要性を閣下にどうしても説いてみたいのだ」
 「…………」

 彼のその言葉は、私に希望を持たせるとともにまた一つの懸念をも生み出させていた。
 …彼は知らないのだ。草壁閣下が本当は、『地球との和平交渉を行っていなかった』事を。閣下の懐に潜ませていた議会派への内通者によってもたらされた、我々にとっての決定的な切り札となりえるその事実を。
 少佐はまだ閣下への敬意と忠誠を失ってはいられなかった。だからこそこの事実はまだ彼に打ち明けるべきではないと思う。私は私のこの判断を正しいと信じたい。
 それに『閣下に忠誠を誓う』彼が、中立派である彼が和平論を唱え始めることが…木連の内部に大きな影響を与えることもまた事実なのだから。

 だから私はその決断を下すことにした。

 「アララギ殿。私の力になってくれるだろうか?」
 そう真摯な瞳で言ってこられた白鳥少佐。私は微笑みを浮かべ、彼に右手をそっと差し出す。
 「…もちろんですよ、白鳥少佐。貴方ほどの方が我々和平派の同胞となってくださることは、なによりも心強いことです。
 全てはこの木連の未来のため。この身を粉にしてでも必ずや和平を成し遂げましょう」
 「ええ。アララギ殿」


 …そして、硬く手を握り合う私達。
 あとにして思えば、この瞬間に木連の未来は一つの道へと大きく傾いていっていたのだろう。
 だがそのときの私には、その重大な事実を気づく由もなかった。
 木連の中で様々な思惑が動いていることは把握していても、その先をはっきりと読み取ることはできなかった。

 …私達と、彼と、秋山中佐。
 そして月臣少佐の辿ることになるその運命を予測することなど…この私などには到底できることのないものだったのだ――――












 4. 〜作戦開始時刻70分前 ナデシコ・格納庫〜

 「…サレナさん、本当に大丈夫なんですか?」
 「うん……。心配かけて、ごめん」
 あのあとしばらくして、『一人にして欲しい』って言われてだいぶ経ってから医務室から出てきたサレナさん。作戦前の慌しい格納庫の中、駆け寄った俺に感傷的な微笑みを返してきてくれる。
 まだ全然大丈夫には見えなかったけれど、それでも無理をしてそんな態度を取っているように見える。
 そしてサレナさんはふと、俺の顔をじっと見てくる。
 「……………」
 「な、なんです?」
 「アキト、何かユリカさんとあった?」
 「え?!」
 苦笑しながら突然そんなことをサレナさんは言ってきた。驚く俺を見て、ほんの少しだけ可笑しそうに笑う。

 …微笑って――――そっと、目を瞑る。

 「……サレナさん?」
 そのサレナさんの不思議な雰囲気に、俺は思わずそう問いかけた。
 そうしたらサレナさんはただ…そっと言ってきたんだ。


 「―――ねぇアキト。ユリカさんのこと、ずっと傍から離れないように…アキトもユリカさんの前からいなくならないようにしていなくちゃ、駄目だからね」
 「え…………」

 …それだけ言って、いつもみたいにして軽く手を振って。そしてサレナさんは自分の機体のほうへといってしまった。
 優しいはずなのにどこか胸が締め付けられるような瞬間。整備の人と一言二言声を交わして、コクピットに入っていくあの人。それをここから見ていた俺。

 作戦前にあったその光景は、そしてゆっくりと時間の中に埋もれていった。








 5. 〜作戦開始時刻49分前 木連軍『かんなづき』級戦艦〜

 …この俺、月臣元一朗はダイマジンの狭いコクピットの中で一人座していた。
 いや、正式に言えば『ダイマジン弐式』…跳躍制御装置に改良を施し、機体自体にも細かな再調整を行ってある試験型のこの機体。シートに座る俺の身体は鈍い銀色の光を放つ装甲で覆われ、その兜の中では俺自身の脳波を測定するための無数の端子が皮膚に取り付けられている。

 ―――第2格納庫からは既にあらかたの整備士を退去させていた。
 残るは新城から直接預かってきた僅かな者たちだけ。副官の川口にも彼らのことは『極秘』としか伝えていない。
 そして同じく新城が俺に預けた、彼直属の軍人たちが回線を繋いでくる。
 『……月臣少佐。全機出撃準備が完了しました』
 「ああ、わかった。引き続き作戦時刻まで待機せよ」
 『はっ』
 彼らとの間に交わされる会話はその程度のものだ。
 その理由は我々がこの作戦限りの関係であることもあったが、それよりも何よりも。これから敵陣の真っ只中に切り込んでいく俺たちが生きて帰れる可能性など、僅かしかないこと――――おそらくそれが一番の理由だろう。
 …励ましの言葉をかけることもできる。だが我々がそれをすることはおそらくない。
 俺にしてみれば草壁閣下のため、そして彼らにしてみれば閣下と上官である新城のため…そして我等が木連のためにこの戦場で散ることを、それすらも名誉として受け取らなければならないのだから。

 そう、そうでいなければならないのだ。なのに今の俺は……。


 (……なぜだろうな。何かが俺の中で引っかかっている)
 四肢を半ば固定された状態で、俺はチラリとその格納庫の片隅に置かれた小さな人型兵器を……その封印を解かれた暗赤色の機体を見やった。
 その、『夜天光』の名を冠せられたばかりの試作型の人型兵器。ジンとは比べ物にならないほど小さなその機体。しかし恐るべき程の機動力と近接戦闘能力を誇るその機体の内にいる、あの男。
 …彼はその血に染まったような装甲の内で、何を思っているのだろう?
 昔も、この今も、木連のために己の全てを投じてきた師範―――北辰殿。闇の中のみでしか生き続けることのできなくなった彼。
 彼は血溜まりの中で蠢き続けている今となっても木連への…いや、閣下への忠誠を少しも失ってはいない。この俺が日の光の中でさえそれが揺らぎ始めているのにも関わらずだ。

 そう。彼には疑心というものが一切ない。ただ閣下のためにのみ、その身を尽くすことしか知らないように。
 それが木連の軍人としてあるべき姿であるはずなのに、なのに俺はそのことを疑い始めている。……そしてそんな自分自身が許せないのだ。


 「――――おのれ。このような迷いなど晴れてしまえばよいものを」

 だからこそ俺は、口を歪めながらそう一人呟いた。拳を握り締め、自分自身を侮蔑するように俯いた。
 ふりきれない迷いを、その弱さを捨て去ろうとし…そのためのきっかけを欲していた。欲しながらも心は乱れていた。
 …そう。皮肉なことにも、この戦いが始まってから初めて自身の甘さに俺は気がついた。
 あの地球人を殺すことを躊躇い、イツキを手にかけることすらできず…今はこうして俺の中に燦然と輝いていたはずの忠誠すら見えなくなりかけている。
 そしてその全ては、この俺の中にある甘さにその原因があるのだと。

 そしてならばこそ、この俺はその甘さを……俺自身のためにも捨て去らねばならないのだと、俺は俺自身に言い聞かせて―――――




 ……格納庫は、恐ろしいほどに静まり返ってしまった。
 一人の惰弱な人間と、そして一人の外道とだけが今はこの場に残されるのみだった。

 その中で俺は唇を噛み締め…その刻が訪れるのをひたすらに待つのみだった。












 6. 〜作戦開始時刻25分前 ナデシコ・とある一室〜

 「……エリナ。私になんのようかしら?」

 そしてその薄暗い彼女の居室に足を踏み入れた私。その小さな部屋へと赴いた私。
 彼女は…一人椅子に腰掛けていたドクターは私のほうを振り向きもせずに、か細い声を上げてくる。
 「どうしたもこうしたもないわよ。何があったわけ?…こんな暗い部屋で一人いるなんて」
 腕を組みながら私はそう問い詰める。
 「…………」
 でもドクターは身じろぎ一つせず、その考え込むような姿勢のまま動こうとはしない。
 「――――サレナ・クロサキのことなんでしょう?」

 だから、私はきっぱりと彼女に言った。
 彼女は首を僅かにだけ、動かした。
 「やはりそうなのね?…彼女、『未来の話』をまた思い出したのかしら?私に話してくれない、その疑わしい内容のことを」
 「…たぶん貴方にはこれからも話せないわ」
 「?!……どういう意味よ?」
 …すると、ドクターはゆっくりと椅子を回転させて私のほうを向き直ってくる。
 この暗い部屋の中で、何故かはっきりと見える彼女のその深い瞳が私を射抜く。

 ―――そうなのだ。ドクターはそのサレナ・クロサキの打ち明け話を、あの会長には話こそすれ私にはまだ一言も語ろうとはしない。
 私が彼女に詰問しても、会長に食い下がっても、何故か二人とも同じようにして首を横に振る。
 あの極楽トンボも、それが仮に真実だとすれば…私としては疑わしいことこの上なくても、その話を彼一人だけが握っていることの危うさ、リスクなんてことはわかりにわかりきっているはずなのに。
 なのに彼は私には一言も話そうとはしない。それが私の気に障るのよ。

 「……一つだけ言えることがあるわ、エリナ」
 「な、なによ?」
 と、不意にドクターは冷たい瞳で私を貫きながら言ってくる。冷たく拒絶するような声で、言ってくる。
 「『未来の話』はね……その重さに耐えられる強さを持った人間しか聞くべきじゃないの。そうまでの心の強さがない人には、その重みは耐えられない。そう―――文字通り、心が潰れてしまう。
 …それでもアカツキ君は、その途方もない重圧を自ら背負うことを決意したわ。彼自身の持つ責任を全うするためにね。でも彼なら潰れることはないでしょう。
 私は彼ほどの強さを持てる自信がなかったから、代わりに私自身を犠牲にする事を選んだわ。そうしてでも私はその未来を、知らなくちゃいけなかったから。
 ――――でも、貴方は?」

 そしてその、どこか優しささえ含んだような静かな声は私を一歩後ずらせた。


 「…貴方は、貴方自身が潰れていってしまうことを覚悟して、彼女の知っている『私たちの未来』を聞くことができるのかしら――――?」



 ……たぶん、いいえきっと。その問いかけに“Yes”とこたえるのは簡単だったのだと思う。
 でも私にはそんな簡単なことができなかった。
 ドクターのその表情は、私の中にある浅はかな心を見透かすようにして…最も重たくて冷たい何かを私へと向かって訴えかけてきていたのよ。
 …だから私にはその一瞬、目の前にいるドクターが人間には見えなかった。もっと別の恐ろしいものに見えた。

 そして…結局躊躇してしまったのね。


 「…………」
 ため息を一つついて、背もたれに体を預け、深く椅子に腰掛けなおす彼女。
 もう彼女はそれ以上のことを、今は話してくれないとわかったから。私はせめて一つだけ…彼女に問いかけて。

 「―――――ドクター。一体彼女は…サレナ・クロサキは、なんなの? 一体彼女はどういう人間なの?」



 …そしてそのドクターの答えは、恐ろしいくらいに淡々としたものだった。


 「彼女は……アキト君にとっての影。その運命に定められた光を背に踊るしかない、影絵の人形なのかもしれない――――」


















 ――――そして戦いの火蓋は、切って落とされる。

 星の海に展開された幾重もの艦隊群。
 まるで頼りなく浮かぶように見えるその小さな木の葉たちは互いにその切っ先を向け合い、その黒鉄色の重力に彩られた身体から一瞬の煌きを放っていって……。




 7.

 ―――地球連合軍の最前線に位置する第2艦隊は、思ったよりも善戦していると言ってよい状態でした。
 敵のボソン砲戦艦群も何故かまだ本腰を入れて攻勢に入っている状態ではなく、迫りくるゲキガン・タイプを大量投入された月面フレームが迎え撃ちながら…でもすこしずつ第1防衛線が敵によって侵食されていっていました。

 「……妙だね。何故敵は本格的に攻め入ってこないんだ?」
 ナデシコがゆっくりと、遠いボソン砲戦艦群との間合を狭めていく中…スクリーンを見つめながら副長がそんな呟きを漏らします。
 確かに副長の言うとおり、ボソン砲による被弾の報告は稀にしか入ってきません。
 「でもこっちにしてみれば好都合じゃない?」
 「いや、もしかしたら何か策があるんじゃ……」
 お隣の操舵席から声を上げるミナトさんと、考え込んでしまう副長。そしてゴートさんが言ってきます。
 「おおかた敵も様子見、と言ったところだろう。…ホシノ、サルタヒコの復旧はまだ完了しないのか?」
 そして作業を続行しながら返答する私。
 「…整備班の修復作業がまだ完了していませんので、それが終わらないと最終調整が行えません。あと15分といったところです」
 「セイヤさん、もう少し早めにお願いできませんか?」
 Yユニットで作業を行っているウリバタケさん達にそう言うユリカさん。
 『わぁってるよ艦長! 今ラストスパートかけてるところだ、せめてあと10分待ってくれぃ!!』
 「お願いします」
 「しかし……作戦直前に敵の襲撃を受けたのは痛かったですなぁ」
 と、ふとそんな声をプロスさんが漏らしてきました。
 「ええ。このタイムロスが作戦にこれ以上の支障をきたさなければいいんですけれど…」
 「大丈夫だよジュン君。こういうときくらい軍の人たちを信じなくっちゃ」
 「……そうだね、ユリカ」
 そしてメグミさんから入る報告。
 「現在、第2艦隊の消耗率は4%だそうです」
 「そう……ミナトさん、艦をポイントH11まで進行させてください。メグちゃんも司令官に通達、お願いします」
 「了解〜」「了解しました」


 ――――そうして、最初だけは穏やかに開始していたこの戦闘。
 ですが変化は急激に、何の前触れもなくやってきました。

 「艦長、グラジオラスから通信です!…敵機動兵器部隊の一部が第1防衛線を突破してきました!!」
 「「「!!?」」」






 8.

 「ふんっ!! たかが地球人の腕でこの俺を捉えられると思うなよ…!」

 そう高く吼え、俺は正面で銃身を構える青い機動兵器を一睨みした。
 その敵機の周囲半キロ四方。限られた空間の情報を瞬時にこの頭脳に叩き込み、そして未だ厄介なその情報伝達を跳躍制御装置へと行っていく。
 「………跳躍!!」
 そしてそう叫ぶや否や、この機体は一瞬の闇に包まれてその地点へと移動していく。
 艦隊から発射されたそのミサイル群があらぬ空間を薙いでいく。
 「愚かな……」
 その無様な光景を後に、俺はまた先へと侵攻を開始する。

 …これがこのダイマジン弐式に搭載された新しい跳躍装置…旧来の電子計算による跳躍ではなく、操縦者のイメージに従って生体跳躍を行うシステムだ。
 まだ試験段階であり、また扱いが従来のものに比べ格段に難しいという問題もあるが、使いこなせればジンの跳躍システムが抱えていた欠点を完全にカバーできるものとなる。
 なにせ今までのような電子計算によるパターン推測が不可能なのだからな。

 「……む?!」
 と、不意に俺のすぐ近くを航行していた地球人の戦艦から火の手が上がった。
 おそらく跳躍砲。これは秋山からの援護か、もしくは……。

 そしてその爆炎をあげる戦艦の側――――あの暗赤色の機体がチラリと見える。まるで全てのものからその姿を隠すようにして、宇宙に溶け込むようにしてそこに佇んでいる。
 ……続いて、俺とあの男の周りの戦艦から次々と巻き起こる炎の柱。まるでその存在を煙の中に隠すように。

 (――――これは…秋山ではないな。閣下か、新城の命を受けたものが跳躍砲艦隊の中にいるのか……)


 『…月臣少佐、どうされました?』
 と、この部隊の一人、副隊長の鷹岡から通信が入ってきた。彼の研ぎ澄まされた武人の顔に言葉を返す俺。
 「いや、なんでもない……。いくぞ! 目標はこのさらに奥だ、こんなところで無駄弾を使うなよ!」
 「「「「はっ!!」」」」
 そしてその場から掻き消え、さらに敵陣の奥へと跳躍していく4機のジン。
 それと時を同じくして、暗赤色のその機体……『夜天光』もその姿をかき消していく。一人、この場で呟く俺。
 「成る程。俺もやつらも所詮はオトリにすぎないということか……」
 思わず漏れたその一言。
 だが唇を噛み締め、そんな自分自身に激を入れるようにして俺は高く、強く叫ぶ。
 「跳躍!!」

 ……瞬時に、目まぐるしく周囲の景色は変わっていった。
 だがこの俺とて、あの男ほどではないにしても木連式柔の達人であり、また類稀なパイロットの一人だ。この程度の戦域における空間認識に必要とする時間は常人のそれより遥かに短い。故に、これしきの密度の戦闘において被弾する確率などほぼなきに等しい。
 だが、新城の部下たちはそうもいかなかったようだ。
 『く……無念!!』
 『枚方?!』
 『――余所見をする暇などないぞ、甘木!!』
 次々と爆炎を巻き起こす地球人の戦艦の中を進んでいく俺たち。それでもときたまに、我等の中の一人が運悪くも敵の攻勢に遭いその場に消えていく。
 しかし誰も、決して引き返そうとはしない。
 ただ閣下のために、その命のために…力尽きぬ限りひたすらに前へと進んでいく。
 その我らの姿を思い、俺の口元に笑みが浮かぶ。

 ……そう。これぞ木連の軍人たち――――素晴らしき盲信の武人たちではないかっ!!!


 それは自嘲の笑みだったのか、それとも甘美な心酔だったのか。
 迫りくる敵機たちを悠然と躱し、黒と白の交じり合った、灰色の光条の中を駆け巡り、今俺はただ…そこに待ち受けているはずのあの地球人どもと、そして己の中にあるその脆弱さを撃ち滅ぼすために突き進んでいく。

 そして俺は操縦桿を握りしめ、強く叫ぶ―――


 「――――見えた…!! 鷹岡、甘木、あの白い船だっ!!!」








 9.

 「あの艦隊の中を抜けてきたっていうのか…!!」
 月面フレームの青い機体の中で、俺はそう思わず呟いていた。
 ナデシコの前に現れたその3機の機動兵器。青いヤツが1機に赤いヤツが2機。そいつ等は何かの距離を測るようにして、3機ばらばらにこっちへと向かってくる。
 『―――エステバリス全機、ナデシコのフィールドギリギリで敵機を迎え撃ってください! 本艦はこのまま前進します!!』
 『了解…って、そりゃあシビアな作業だねぇ』
 厳しい口調で飛んでくるユリカの声。硬い表情に苦笑を浮かべるアカツキ。
 『うだうだいってんじゃねぇぞアカツキ! 各機散開!!』
 『『『了解!』』』
 そしてリョーコちゃん達の0G戦フレームと、俺の月面フレーム……そして俺の機体と同じくレールガンを装備したアカツキとサレナさんのカスタム機はそれぞれ2機ずつ、3組に分かれてナデシコのまわりを囲むように散開する。
 不意に敵の機体から、通信が入ってくる。

 『――今日こそ引導を渡してやるぞ、地球人!!』
 「………お前は?!」
 その声、その見覚えのある顔。
 以前とは違って全身を銀のプロテクターで覆ってはいたけれどもまちがいなく、俺が月面で二度も顔を合わせたあの長髪のパイロット。
 「ふん、貴様か…!」
 向こうも俺のことを覚えていたんだろう、そう表情を険しくしながら言ってくる。俺もあいつに向けて言葉を投げ放つ。
 「決してお前の思い通りになんてさせないからな!!」

 …でもこの時、俺の心にあったのは前のときみたいな憎しみとかとは少し違うものだった。そういうものとはちょっと違ったんだ。
 そうじゃなくて俺の頭にあったのは、ナデシコにいるユリカのこと。他のみんなのこと。原点に返ったような気持ちだったけれど――――前ともまた違う気がする、その気持ち。
 だから血が滾っているような気がするのに、なのに心は驚くくらいに落ち着いていて。澄みきっているようでいて。

 『おいアキト、あまりアタマに血ぃ昇らせんなよ?!』
 「わかってるよリョーコちゃん。でも絶対にナデシコは守り通す!」
 『……へへっ、いい顔してるじゃねぇか―――――って、きたぞっ!』
 「!!」
 そして牽制とばかりに青い機体がグラビティ・ブラストを撃ち放ってくる。
 その黒い一撃を俺とリョーコちゃんが躱すと同時に、ジャンプするあいつ。俺たちから僅かに離れたそのナデシコのフィールドの境界に出現して、無骨な右腕を突き立てて。
 『させるかよっ!!』
 俺と組になったリョーコちゃんがすぐさまその機動力を生かしてヤツに詰めより、フィールド・ランサーを突き立てようとして…。
 『……ちぃっ!』
 しかしすぐさまヤツはその場から掻き消した。一瞬の静けさがやってくる。
 その中で俺は周囲の光景に全部の意識を染み込ませていき、ヤツのその行方を…気配を探し―――
 「――――いたっ!!」
 ナデシコと繋がっている機体のコンピュータがそのボース粒子の『揺らぎ』を見つけ出した。自分でも驚くくらいに短いその瞬間に、機体と銃身とをその方向へと正確に向ける。
 『――――!?』

 ……でも撃ち放ったその弾丸はかろうじて躱され、敵の肩部装甲を僅かに抉り取っていったのみ。



 そしてもう一度、その離れた距離で対峙する俺たち。
 『―――いい腕だ。この一瞬で正確に追撃してくるとは……』
 「あんたもな。まさかあそこから躱すなんて」
 そう、不敵な、余裕のある笑みを浮かべながら言ってくるあいつ。ヤツの腕に正直面くらいながら、静かに声を返す俺。
 その言葉に重なるようにして、不意にアカツキとイズミさんの組のほうで閃光が疾る。その爆炎が空をのむ。
 『…リョーコ、こっちは片付けたわよ。アンタも二人いちゃいちゃしてないでさっさと終わらせなさい』
 『なぁにがいちゃいちゃだ、このアホ』
 そして手に持つランサーを構えなおすリョーコちゃん。リョーコちゃんの緊張したような顔にも小さく笑みが浮かんで。
 俺はもう一度右手の感触を確かめ、やつの姿へと顔を向ける。

 『……そうか、甘木も墜ちたか――――』
 と、ウィンドウの向こうであいつはそう小さく呟いて、一瞬だけその目を閉じた。
 でも次の瞬間……何もかもを射抜くような目をして、俺を見やってきた。
 『だが俺を葬るには貴様等では役不足のようだな。やはり今の俺を止められるのは彼奴1人のみ―――そう、あの女……サレナ・クロサキはどこにいる』
 「……え?」

 そして。

 『…………私ならここにいるよ、月臣』
 「サレナ、さん??」






 10.

 「―――エステバリス隊の皆さん、目標作戦ポイントまであと7分02秒です」
 『現在の被害状況報告! 第2艦隊第1防衛線、9%、第2防衛線、17%!…第3艦隊及び陸・海・空軍、14%!!』
 『敵ボソン砲艦隊、微速により前進を始めました!』
 『ボソン砲艦隊の推定射程データ、そちらに転送します!!』
 「了解。……艦長、Yユニット最終調整終了まで、あと3分です。目標作戦ポイント位置修正……修正完了しました」
 「…目標作戦ポイントまで、あと6分47秒です」

 ……目の前でアキトさんたちエステバリスのパイロットが敵のゲキガン・タイプと交戦している中、前進を続けるナデシコのブリッジにはそんな報告が乱れ飛んでいました。
 「くっ、防衛線はあくまで無人艦隊に任せ、こちらの中枢を直接叩くつもりか」
 私が尚も作業を続ける中、焦りの混じった声で言ってくるゴートさん。その声に珍しくプロスさんが言葉を返します。
 「なぁに、連合艦隊はそんなにヤワではありませんよ」
 「……あと、6分…!」
 祈るような副長の、アオイさんの声。
 「ねぇ艦長。ナデシコの速度はこのままでいいの?」
 「―――かまいませんミナトさん。敵はアキト達に任せます」

 そしてナデシコの目の前では、敵機動兵器の前にゆっくりと機体を運ぶ…その黒い鎧に包まれたあの人の、サレナさんの姿がありました。






 11.

 『おいサレナ?! 勝手に持ち場を離れんなよ!』
 黒と青とに彩られたダイマジンの機体。その機体の前へと進んでいった私にリョーコからの怒声が飛んでくる。

 「……ごめん、リョーコ。でもこれだけは譲れない」
 『サレナ……?』
 でも私はそう呟いて、そして目の前にいるあいつを……月臣を睨む。
 『―――そうか。やはりお前が秋山の報告にあった、黒い機体のパイロットだったのか』
 一瞬眉をひそめ、そしてそんなことを言ってきた彼。私は手に持つレールガンを僅かに構えて、素っ気なく言い放って。
 「…で、今日は何の用?」
 『簡単だ、貴様を殺しに来た。……前に言ったろう? 次は見逃さんと』
 そう言った月臣の表情は険しいものになっていた。
 その銀色のプロテクターで身体が覆われている彼は、何か鬼気迫るようなものを背負っているようにも見える。

 …………でも。

 「―――私を殺せるのは、あの男だけだ」
 その言葉に月臣はやるせないような苦笑いを返して。

 『……そう、か。ならば感謝しろ、やはり貴様はここで死ぬことになる……最期には貴様のその望みどおりにな』

 そして彼の撃ち放ってきたグラビティ・ブラストを合図に、戦闘は再開されて…。




 (……やっぱり、あの男が来ている―――!)
 私はその閃光を回避しつつ、周囲へと目をやりつつも彼の機体へと迫っていく。
 あいつにすれば瞬時にジャンプで距離が取れる分、私の機動力もあまり関係はないんだろう。その自信を見せつけるようにしてその場で鈍く旋回し、口部からレーザーを牽制とばかりに放ってくる。
 『ああ、くそ!―――イズミとアカツキはヒカルと一緒にもう1機のほうにまわれ!!』
 飛んでくるリョーコの声。続いてアキトの撃ち放った弾丸を、その場での僅かなジャンプでいとも簡単に躱してみせる月臣。
 続いて彼は、接近していった私から一定の距離を取るようにジャンプして、ナデシコから後退する。
 「……何? やる気あるの月臣?!」
 『ついて来い。貴様の墓場に相応しい場所はここではない――――』
 『サレナ、あまりナデシコから離れるな!!』
 重なる二人の声。リョーコの声。
 でも私は構わず月臣を追った。追うしかなかった。…今がその時なんだって、私は知っていた。
 『おいサレナ!!』

 …だから、私は。



 「――――本当にごめん、リョーコ…ユリカさん。……帰ってこれたら、どんな罰でも受けるから」

 『…って、サレナ?! 何だよそれ!!』
 『サレナさん?!』


 『…………サレナさん!!』


 そして画面の向こうで私を見つめ、ううん…強く訴えるようなその表情で私の心を掴んできたアキト。
 そのアキトの声に、姿に…………遠い記憶が重なった気がして。
 だから小さく、呟いて。


 「……アキト―――――私、行ってくるね…」



 そうしてもう振り返らずに、私はナデシコを後にした。












 12.

 …そしてあとはただ、彼の後を追っていく。その星の海の中を、一人追いかけていく。
 私はこの黒い鎧に包まれて、その遠い記憶に導かれるようにして。その黒の海の先にいる事を知っている…あの男の下へと駆けていく。

 (……一人で、来ることもなかったかな―――?)

 彼の軌跡を辿り、物言わぬ鉄くずと化したスカイブルーの装甲を横目に。その中でふとそんなことを思い…そしてすぐにその思いは霧散していった。
 あの男、北辰は私だけに姿を見せるだろうことなんてわかりきっているのだから。
 …それにもしかしたら、こんな言い方は好きになれそうにないけれど――――何かが私にそうさせていたのかもしれない。
 だとしたら、それはやっぱり―――――



 「…違う、そうじゃない。それだけは違うんだ」

 ……私はゆっくりと、首を横に振った。私を見失わないようにして、そうして大切なものを思い浮かべた。
 それはアキトの横顔。ユリカさんのかけがえのない笑顔。その側にあった皆と、そして私の心の中にいる……。



 ――――そして私は、こんなときなのにどうしようもない苦笑が口から漏れ出るのを感じていて。


 それがどうしても可笑しかった。
 可笑しくて、そして少しだけ悲しかった。
 指先が僅かに震えて、一瞬だけ視界が霞んだような気がした。

 でも……そうすることで心が最後の奥まで、今までは見えなかったその奥まで澄み渡っていくような気がした。
 だから、最後に少しだけ…微笑むことが出来た。



 (―――――大丈夫。私はずっと、私のままでいれる…)








 そうして一人、私は向かっていった。その中でふと思っていた。

 …全てを受け入れたとき、どうしようもなくなってしまうことだってある。でもそれを認められなければ、先に進むことが出来ないこともわかってる。
 でも今の私はそんな場所にいる。
 いるからこそ、『受け入れられた時に、初めて楽になれる』なんていうのは―――虚言にすぎないことだって、もうわかってるんだ。

 だから…わかっているから、私は前を向いていく。苦しみながら未来に向かっていく。
 記憶に引き摺られた『私』としてじゃなく…今ここにいる私として。例え私が影絵の人形なのだとしても、それでもその光を変えられると信じて。



 ……そして私達に訪れる未来が、決して絶望だけではないことを強く願って――――












 「――――貴様か。我を探していた地球人というのは」

 「…ええ。やっと―――逢えた……北辰……」


 …その数多の残骸の只中に浮かんでいたのは、私の記憶とは少しだけ違う…血のような暗赤色に包まれた夜天光の姿。
 銀色の装甲に包まれた、かつてと同じ北辰の姿。



 「……女、一つだけ聞こう。主と我が逢うたのは何処ぞ」

 彼は、赤い左眼の男は私に低く冷たい声で問いかける。



 「貴方の覚えていない、私が決して忘れることのない……いつかのあの日に」


 私は心を抑えながら、静かに言葉を返す。月臣の息を飲むような声が聞こえてくる。

 そして…。



 「――…………語る言葉はこれまでだ。この暗き常世に塵と消えるがよい」




 「…………アキト……きっと、必ず――――――」
















 13. 〜記憶の始まり、記憶の終わり〜

 ……そうして、その『記憶』の物語が今始まる。
 サレナ・クロサキという一人の女性が、遠い過去からずっと見続けていたその一つの記憶。
 私達が、ほんの一握りの人だけがその意味を知ってしまった――――そのたった一つきりの記憶。

 …それはその時に閉じられ、そして開かれた大切な光景。
 私があの時に知ることになった、アキト君にとっての過去と未来。
 彼の運命に刻まれた…赤い大地の物語。過去から未来へと連なる物語。


 ――――あの星に生まれ落ち、翻弄された全ての人たちにとっての物語…。




 そして……そう。
 私達はその物語こそを、今から始めようとしているのよ…。






 (最終章 『
赤い大地の記憶』へ続く)




 <第3章を終えて>

 …正直、ここにたどり着くまでが長かったかなと思える3章。4章構成のなかで中編に位置するこの章は、サレナの持つ『アキトの未来の記憶』へ向けて小さな道筋をつけていった章、という意味合いが強かったかもしれません。
 思えばヤマダと提督の最期だとか、イツキと月臣のちょっとした出会いだとか、それにアキトとユリカのようやくやっと(?)な告白だとかがあって。そして そんななかでじわじわとサレナの記憶に関することを、その記憶に絡んでくる人達のことを少しずつ書いてきたわけなのですけれど……ここまできてようやく、 ぼんやりとしか見えてきていなかった『アキトの未来』の話に入っていくこととなりました。

 というわけで、この「メビウスの欠片」もクライマックスまでもう一息。続く最終章はこの物語にとって1つの出発点でもあり、私が一番書きたかった章でもあります。もしよろしければもう少しだけ、お付き合い下さいませ。
 では、モデレでした。


 

(2004年11月 第3章加筆・修正)