ヤマダさんと提督とのお別れから1週間。
それぞれ気分が沈んだりどう戸惑っていいのかわからなかったりしていたクルーの皆さんも、表面的にはやっといつもどおりの生活に戻ることが出来るようになって。
一番ショックを受けていたんでしょうアキトさんも、つきっきりで構おうとするユリカさんのお陰かそうではないのか…まぁよくはわかりませんけれど、ちょっとだけ元気になったみたいで。
…そしてその日、お久しぶりな休養を取るためにナデシコがフランス南東部の都市、ニースに到着した時のことでした。
「ピースランドからの使者…ですか?」
業務がすべて終了して、皆それぞれブリッジを後にしていく中…席を立った私にプロスさんが近づいてきてそう言ってきます。
「はい。なんでもルリさんに是非ともお会いしたいとかで」
いつものような笑みを浮かべながらも、どこか困っているようにも見えるプロスさん。続いてその隣に立つ艦長―――ユリカさんが不思議そうにプロスさんに訊ねます。
「ピースランドって…あのピースランドですか? 永世中立国で観光立国の。そういえば国営銀行も大きいんですよね」
「はい、そうなんですよ艦長。それに我がネルガルもあそこには色々とお世話になっていましてねぇ……何せ銀行っていうのは怒らせるといろいろと怖いですから、できれば穏便に事を済ませたいんですが」
そんな二人の会話を聞きながら、プロスさんのお顔を見上げて私は口を開きます。
「でもプロスさん、私ピース銀行に口座なんて持っていません」
と、プロスさんはさらに困ったような表情になりながら言ってきました。
「あ、いえそれが……どうもそういう用事ではないようなのですよ。とりあえず私と艦長も同席しますから、ご足労願えますか?」
「はぁ…………」
…そして何がなんだかわからないまま。
ちょっとだけ不安になりながらその使者さんのいる貴賓室へと私とプロスさん達が足を運ぶと…まるで中世のヨーロッパ貴族のようないでたちをしたその男の人は、目深にかぶったその黒い羽帽子を優雅に胸に抱いて、私のすぐ目の前で片膝をついて。
「…お初にお目にかかります。姫」
「……………」
「―――…」
「………」
「―――――ひ」
「「姫ぇ…??!!!」」
……私、いったいどうなっちゃうんでしょうか――――?
機動戦艦ナデシコIF ~メビウスの欠片~
第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』
Interlude
1.
…とりあえず、一時的なその混乱からどうにかして抜け出した私達。
いっぽうでその混乱を予想していたのかずっと平静な顔をしていたその使者さん―――それなりに年をとっている感じのするその立派な髭のおじさんは向かいのソファに腰をかけなおして、長いその話を始めました。
「……我が主であるプレミア国王陛下と皇后陛下は、ご成婚されてから長い間子宝に恵まれませんでした。
王室ご用達の医師にもその原因が特定できず、一時はその血をお残しになられることを諦めかけもしたのですが―――ですがやはりどうしてもお子様の誕生を
望まれた国王陛下は、やむを得ず遺伝子医学的な方法をもってご子息をお作りなさることを決意し、とある国にある信頼できる機関にそれをご依頼されたので
す。
…それが今から13年前程のことでした」
「つまり…試験管の中で、ってことですか?」
言葉を切ったその使者さんに、確認するように問いかける私。
そして私のほうを真剣な眼差して見ながら答えてくる使者さん。
「それ程までに国王陛下はお子様の誕生を望んでおられたのです。そして万事は順調に進んでいるはずでした…。
ですが事もあろうにその医療機関が、我が国とは何の関係もないテロに巻き込まれ…受精卵の行方がわからなくなってしまったのです。
――そしてそれからずっと、我々はその行方を…国王陛下と皇后陛下のお子様の行方を探し続けてきました。そして…遂に辿り着いたのが、貴方様だったのです!」
…次第にその使者さんの声に力がこもっていって。表情に輝きが増していって。
いっぽう私は心の中で、私がこのナデシコに乗ってクルーの皆さんに出会ってから少しずつ気になっていた……思うようになっていた、私の『家族』というものへの想いを感じていて。
「…私、ネルガルの研究所に来る前のことはもうほとんど覚えていないんです。その頃のことは―――」
「勿論全てわかっております。貴方様がお生まれになった地も、貴方様がその幼少時にお過ごしになった場所も。
…今では国王陛下にも5人のお世継ぎが、貴方様にとっての弟君がおられますが…それでもやはり、陛下は貴方様のことを探し、そしてできるなら共に暮らしたいと仰せであられるのです。
ですからどうか貴方様には、一度両陛下にお会いしていただきたくこうして参上したのです…。
――貴方様にとっては突然の出来事でしょう、お悩みになられるのも無理はないかと存じます。ですがどうか、両陛下の……貴方様のお父上とお母上のお望みをお聞き入れ願えないでしょうか……?」
そしてもう一度私のことを、じっと見つめてくる使者さん。
「私の本当の――――父……母…………」
その使者さんの顔をただ見据えながら、そう呟く私。
――思い起こしてみれば……私のことを引き取った研究所の義理の父と母は、私のことをあくまでも研究所にいる一人の子供としてしか扱おうとしなかった。
私のことを子供として、娘としては決して扱わなかった。
どこか機械的に、どこか無機質に。愛情というものを意図的に排除したような、罪悪感の混じったようなその態度で接してくることさえあったその義理の『父』と『母』。
その二人の裏に私は何を見ていたのか。そういう嘘で塗り固められた人間が『大人』なのだと思って、私はあの研究所時代を過ごしていたのだと、今になって思う。
だから大人っていうのはズルイものなんだっていうのが昔の私にとっての唯一の認識。このナデシコへと来るまでの認識。
プロスさんやウリバタケさんや、アオイさんにメグミさんにミナトさん。それに……テンカワさんとユリカさんに出会うまでの、私の認識――――
……結局私はうやむやな返事を返すことしか出来なくって、それでもその遺伝上の父と母に、私は会いに行くことになって。
「はぁ……お姫様、か」
そして一人自室のデスクの上に突っ伏して、右手でそっとその表面をなぞっていく私。
必要なものだけを置いてある、必要なものだけしか置いていない部屋。私の部屋。
その中でただ一つ、天井につるされているそのゆらゆらと揺れる熱帯魚の飾りたちは…私にとって一つの古い思い出のような品―――私がネルガルの研究所へ
とやってくる前にすごしていた、その微かにしか覚えていない小さな施設の私の部屋に飾られていた…ちょっとしたおもちゃ。
私が今も覚えている数少ない昔の記憶を留めるための、かけがえのない欠片。
……もちろん、他にも幾つかは覚えていることがある。
その小さな施設で私と一緒に教育を受けていた、どこか皆似たような子供達。私の『友達』たち。大きなスクリーンの向こうから私に、私達に色々なことを教えてくれた『先生』たち。でも……
でも、私に『父』と『母』の記憶はない。『家族』の記憶というものは一切持っていない。
あの研究所で一緒に育った子供達のことを家族と呼べるのかどうか、それは私にはまだよくわからなくて―――でもそれ以外に家族と呼べるような人達がいた記憶はどこにもなくて――――
そんな私が、今更本当の父と母だという人にどういう顔をして会うんだろう。きっと、いつものように無表情なまま、その『父』と『母』をがっかりさせるだけなんだろうと思う。それで終わってしまうんだろうって。
…それでいいのか、よくないのか、私にはわからない。それにここには友達のオモイカネがいて、ちょっぴりヘンだけど今までに会った『大人』達とは違うナデシコのクルーの皆がいる。
だから、私は少なくとも今のナデシコはキライじゃないから……でも、その本当の『父』と『母』のことも、本当は多分少しだけ―――ううん、きっともっと気になっているんだと思うから――――
そして、1日がすぎて。
2.
「……で、プロスさん。この人選はいったいなんなんですか?」
昨日のうちにミナトさんと一緒に街に行って仕立ててきた、こんな時でもないと着そうにもない、白いシルクのドレスを着た私。
そしてその両脇に立つ制服姿の『お二人』のほうを見ながら…副長のアオイさんがなんだか困ったように言ってきました。
そしてどこか楽しそうな笑みを浮かべるプロスさん。
「いえ副長、見てのとおりですよ。ナデシコの代表として失礼のないようにしなければいけませんし――――ねぇ? 艦長」
「はい、任せといてください!」
そのプロスさんの言葉を受けて、私のすぐ右隣で満面の笑みを浮かべながら返事をする艦長。いっぽう左隣では、どうしてか苦笑を浮かべるテンカワさん。
「…でもルリちゃん、どうして俺も一緒なの?」
「オモイカネが、『お姫様には護衛役のナイトが必要だから』って言っていました」
「しかし……なんかとてつもなく不安だよ、僕は」
私の言葉に続いて、ミナトさんが苦笑を浮かべるなかそんなことを言ってくるアオイさん。そういう苦労性な面も久しぶりに見た気がします。
そんなアオイさんにユリカさんは声をかけて。
「大丈夫だよジュン君。ちゃんと立派にお役目は果たしてくるから、その間ナデシコの事はよろしくね」
「うん、わかってるけれど……ユリカ。くれぐれも言っておくけれどあまりハメを外しちゃ駄目だよ? 公務の時はともかく、プライベートになると途端にはしゃぎだすんだから」
「そう、そうなんだよなぁ…こいつ。それで俺も昔、何度となく振り回されたことか」
「……なんか私ってもしかすると、あまり信用されてない??」
ため息をつきながらそんなことを言うアオイさんに、そのアオイさんの意見に同調するテンカワさん。そしてユリカさんは微妙に落ち込んだような様子を見せてきます。
と、そんななか。ふとミナトさんが楽しそうに笑いながら言ってきました。
「…まぁいいじゃない? 艦長も普段いろいろと頑張ってるんだからさ、ついでに思いきって羽を休めてくるのもね。
それと、一緒に行けないのは結構残念だけど…ルリルリ、せっかく本当のお父さんとお母さんに会えるんだから、遠慮せずに甘えてくるのよ?」
「―――はい。それじゃ、いってきます」
「「「いってらっしゃい」」」
そしてピースランド王室専用の、豪華絢爛な内装のそのシャトルへと私達は乗り込みます。
赤絨毯の敷き詰められた乗降口を抜け、びっくりするくらいに広々としたその通路の前で待っていたのは昨日にも会ったあの使者さん。
「では、姫。本国への到着までしばしこちらのほうでお休みくださいませ。従者の方もどうぞ」
「…どうも」
静かに一礼をしながら奥の部屋へと案内してくれる使者さんにそうとだけ私は返事をして。
そしてどこか緊張した様子のテンカワさんと、対照的になんだか雰囲気に馴染んでいるみたいなユリカさんを従えるようにしてその一室へと入っていきます。
「では、後程」
最後にもう一度深く敬礼をして扉の向こうへと去っていく使者さん。その使者さんの足音が遠ざかっていくのを確認するようにカチカチの表情で扉のほうを見ていたテンカワさんは、不意に大きなため息をつきました。
「はぁあ……駄目だ、俺。こういう雰囲気慣れてないんだよ」
いっぽうどこか楽しそうな、嬉しそうな顔をしてこのなんというかバロック調のお部屋を見回していたユリカさんが、可笑しそうに苦笑を漏らしてきて。
「アキト、そんな調子じゃこの先心臓が持たないよ? きっともっとすっご~いお城がバァンって私達の目の前に見えてきて、それで映画の世界みたいな大広間が広がってるんだから」
「そうは言ってもなぁ……ルリちゃんは、緊張とかしてないの?」
そしてそのため息混じりなアキトさんの質問に答える私。
「正直、よくわかりません。でも少しだけ、不安と言えば不安な気もします」
「……そっか。でもなんか堂々としてて、似合ってたよね。お姫様も結構板についてるじゃん」
と、テンカワさんは…アキトさんは続けてそんなことを屈託のない笑顔で言ってきて。
そしてその様子を見たユリカさんがなんだか可笑しそうに声を漏らしました。
「アーキート? それなら『ナイト様』のほうもちゃあんとしなくちゃ駄目だよ。今のうちに私が基本的なマナーとか教えといてあげよっか??」
「うげ……礼儀作法かよ」
それを聞いて顔をしかめるテンカワさん。私はそんなお二人を眺めながら、とりあえず右手にあるソファに座ることにします。
それからテンカワさんが、意外そうに声を上げて。
「…しかしユリカ、お前って案外こういう場面には慣れてんだな」
「だって私、まがりなりにもお嬢様だもん。ルリちゃんはそういうの大丈夫?」
「あまり自信はありません…」
「う~ん…そっかあ」
そして私のすぐ隣にぽふっと軽い音を立てながら座ってくるユリカさん。
その長くてつやつやとした黒髪がふわりと揺れて、続いてユリカさんは私とテンカワさんの顔を交互に見やると…おどけたような、明るい声で言ってきました。
「――じゃあここで、私からとっておきのマナー講座基本編~! なにはともあれ細かい作法はあまり気にしすぎないで、たどたどしくでもいいから心を込めて相手の人に接しましょう!」
その底抜けに明るい声で笑うユリカさんの発言に、思わず呆ける私とアキトさん。
少しだけのその沈黙の後に、堪えきれない笑い声の混じったような声でアキトさんが訊ねます。
「……って、ユリカ。それだけか?」
「うん。それだけ」
「いやあのさ、そうじゃなくてこう色々―――」
「いいのいいの! ホントの作法なんて一朝一夕で身につくようなものじゃないし、要は気持ちが伝われば100点満点なんだから」
そしてもう一度微笑むユリカさん。顔を見合わせて苦笑しあう私とアキトさん。
「…ま、ユリカらしいっちゃ、らしいよな」
「そうですね」
「ほらほら! アキトもいつまでも立ってないで座ろうよ!!」
……と、そうして幾らか緊張が解けた私達は、そのピースランドまでの短い旅程のなか――――なんだか不思議な3人だけの時間を過ごしていって。
「――――おお、ルリと申したな!! 我が娘よ、よくぞ会いに来てくれた!」
それからしばらくして、私達3人はその人の前に立っていました。
赤いベルベットの絨毯が伸びていくその先、ほんの少しだけ高くなったその場所にある金の玉座の上で顔をほころばせながらそう言ってくるのは…赤いマントに身を包んだ、その頭上に大きな王冠をいただいた、亜麻色の髪と立派なお髭をした男の人。
そのプロスさんよりももう少し上くらいに思える年齢の人―――ピースランド国王に、私は抑揚なく問いかけます。
「…貴方が、私の父ですか?」
「そうだとも。私がお前の父だよ」
そしてその私の言葉に、嬉しそうな…本当に嬉しそうな表情を見せて答えてくる、父。
続いてその父の隣に座ってハンカチーフを目元にあてている、私とよく似たような灰色がかったくすんだ輝きを放つ長髪の女の人へと父がその手を向けて。
「そしてお前の母だ!」
「本当に、立派になって……」
その母を、私は表情らしい表情を作ることが出来ないまま、私自身にも良くわからない気持ちのままにじっと見つめる。
優しい微笑みを返してきてくれる母。
「そしてルリよ、これにおるのがお前の弟達だ!」
「「「「「ようこそお帰りなさいませ、僕達のお姉さま!!」」」」」
…さらにはそう一斉に合唱しながら、父の右手に5人一列に並んでいた子供たちが胸に右手を当てながらすっと頭を下げてくる。
どこか緊張したような、何かわくわくしているような表情を見せてくる子、私のように少し冷めたような顔つきをしている子、表情の良くわからない子。
私のすぐ右で澄ました微笑みを浮かべているユリカさんと、左側でガチガチになっているテンカワさん。
そんなテンカワさんの様子を気にとめてなのか、父はその場ですっと立ち上がるとニコリと笑って言ってきました。
「さあさ! 堅苦しいのはこの辺までにしておいて。…ルリや、もっと近くに来てお前の顔を見せてくれないか」
「……ほら、ルリちゃん」
ふと右を見ると、優しく微笑いながら私の背に手をあててくれるユリカさん。私は戸惑いながら、その実感のない父と母の下へと……実感のまだ湧きあがってこない私の本当の『家族』の下へとゆっくりと足を進めていき……
遅れるようにして立ち上がる母。どこかそわそわした様子の弟達。
「さ……お前」
「ええ。――――ルリ、ありがとう。私達の願いを聞き届けてくれて…こうして会いに来てくれて」
ふと、ふわっとした感覚が私を包んでいきました。
私の背中へとそっとまわされていく、その母の透きとおるような白い手。私の頬に、とても大事なものを抱きしめるようにして顔を寄せてくる母。伝わってくる、母の暖かさ。――――まだ…実感の湧いてこない暖かさ。
…そして私はぎこちない手でそっと母の身体に触れていました。
本当の母だというこの女の人の身体に触れていました。
いったい私は嬉しいと感じているのか、それともまさかそうではないのか――――私自身にも、よくわからないまま……
3.
その日の夕食は、ルリちゃんとルリちゃんの家族たちと…そして俺とユリカをあわせた10人での、国王陛下がいうところの『身内と賓客だけでの慎ましやかな食事』とあいなった。
未だに緊張したような様子のルリちゃんを気遣ってか、そのルリちゃんの向かいに並んで腰掛けて、かわるがわるにルリちゃんに話しかけてくる国王夫妻。
各自マイペースな様子で食事をしながらも時々ルリちゃんのほうへと視線を向けているルリちゃんの弟達……皇太子殿下。
…まぁそんな中で、俺の隣に座ってビックリするくらいに行儀良くしているユリカに今更ながら驚いたり、ホウメイさんから聞いていたマナーの基本なんかのお陰で、ひどい赤っ恥だけはかかずに済んだり。
それから国王陛下にはナデシコ艦内でのルリちゃんや俺たちの暮らしぶりなんかを訊かれたりして、その優雅だけどどこかほんわかとした時間は過ぎていったんだ。
そして、夜も少しずつ深まっていって。
俺は各自に宛がわれた豪華な部屋に一人いるのにも退屈してきて、こうしてうろついてもいいものか躊躇しながらも足の向くままにユリカの部屋のほうへと向かっていく。
……流石に、お姫様の部屋にお邪魔するのは気が引けたし、その、まぁ色々とね。
「……ユリカ? ちょっといいか」
軽くその黒塗りの、両開きの大きなドアをノックしてから数秒後。ゆっくりとその扉の片側が開いていって、中からピンクのネグリジェの上に白いカーディガンを羽織ったユリカが顔を出した。
「どうしたの、アキト?」
「…………」
そしてその、ある意味予想もしていなかったユリカの格好に、思わずドキッとして言葉に詰まる俺。
慌ててあさってのほうに視線をやりながらも怪しい挙動で場を繋ぐ。
「あ、いやな。一人で部屋篭ってても退屈だし…お前何やってんのかなぁって。まぁ、そんだけなんだけど」
「じゃあアキト、ちょっとだけお話しようよ! ほら、入って入って」
すると微笑みを浮かべるユリカに手を引かれて、俺は部屋の中へと足を踏み入れる。
どこかゆったりとした仕草でベッドへと歩みより、その上に腰掛けるユリカが…いつになく大人びて、色っぽく見える。内心ちょっと焦ってくる。
(う……ここに来たのって、ある意味マズかったかもしんない)
「―――アキト? まだ制服のままでいたんだ」
と、不思議そうな顔をして、一転して天真爛漫ないつもの表情に戻ったユリカがそう訊いてきた。
「あ、ああ…。こんな場所で普段着なんか着て歩いていいのかわかんなかったからさ。
…それでさ、明日は国王陛下に許可貰ってルリちゃんと一緒に観光だろ? どういう服着てけばいいかなぁって迷ってるんだけど、どう思う?」
とりあえず窓際の椅子に腰掛けて、オレンジ色の灯りに照らされたテーブルに両腕を載せながら聞く俺。
ユリカはほんの少し顔を上げて、特に考え込む様子もなく返事をしてきて。
「うーん、そうだねー。あまりラフすぎない格好なら大丈夫かな。朝食の時は他に礼服ないならナデシコの制服がいいだろうけど……ルリちゃんとなんだし、城の外に行く時の格好はそんなに気にしなくてもいいと思うよ?」
「そっか?」
「うん」
と、そこでなんとなしに言葉が切れる。
なんだか不思議な沈黙がやってきて、ユリカのほうへと視線をやってみればあいつも同じようにして俺の顔を……
「「…??!」」
――――目が、あった。
なんでもないことのはずなのに、さっきユリカの姿を見てドキッとしたせいなのか、無性に恥ずかしいような照れてしまうような気分になってくる。
慌てて、どうしてかあらぬほうを向く俺。
ユリカもなんだか困ったようにして、その場で身じろぎをする様子を見せてくる。……なんだか沈黙が気まずい。
だから俺はそんな気まずい空気を取り払わなくちゃって思って…それから、ちゃんとユリカに伝えておこうって思ったことがあったから……多少どもりながらも、こんな雰囲気の中で懸命に声を絞り出し――――
「あ、あのさ………」
「ねぇアキト……」
(――――って、なんでここでタイミングが重なるんだよっ!!!)
思わず心の中でそう絶叫する。またもお見合い、そして慌てて顔を俯ける俺達。
……なんかどうも、調子が出ないと言うかなんというか。
そうして心の中で脱力のため息をついてから、俺はユリカのほうをなんとか向き直って…心なしか顔を紅くしているようにも見えるあいつに―――というか、もうとにかく可愛く見えてしまうあいつに言葉をかけなおして。
「な、なんだよ…?」
「あ、ううん。アキトから言って」
でも少しだけ背を丸めるようにして、微笑いながらそう言ってくるユリカ。
俺は心の奥でぐっと決心をし直すと、ゆっくりとそれを言った。
「あ、俺さ……メグミちゃんとは、別れたんだよ」
「――――」
一瞬だけユリカの顔が曇って、どこか困ったようななんともいえない表情になる。苦笑いしながら、続ける俺。
「ほら、俺…最近色々あっただろ? クリスマス・パーティすっぽかしたりとか、月面でおもいっきりメグミちゃんと言い合ったりとか。
…あの時はお前がガツーンって俺に言ってくれたお陰で、なんとかうまく収まったけど、あの後色々と考えてさ。それで……もう、限界なんじゃないかなぁって思ったんだ」
……そう、もう自分のホントの気持ちを見ないでいるのは、限界だって思ったんだよな。
「だからさ。この間きっぱりと別れたよ。お前にはとにかく迷惑とか、心配とかかけてたから……ちゃんと報告しておかなくちゃって」
「―――そっかあ……そうだったんだ…」
そしてユリカは僅かな間だけ俯くと、両腕を後ろについて、身体を少しだけ後ろに傾けながら俺のほうを見てきて。
「この間からね、メグちゃんの雰囲気が変わったなぁ…って、気になってたんだ」
そのユリカの言葉に、首を傾げるような動作に、そしてユリカの視線にドキッとする俺。
「……分かるのか?」
「なんとなくだよ。あ、でも…落ち込んでるとかそういうのじゃなくて、なんていうのかな――――『がんばらなくちゃ』っていう雰囲気みたいなの」
でもゆっくりと首を横に振ってから、ユリカはどこか不思議な微笑みを見せてくれながらそう言ってきた。
そして、優しい声で言ってきてくれる。
「だからアキトも……元気出してね?」
「――――……」
…そして俺は、自分でも不思議なくらいにきょとんとしたような…不意をつかれたような顔をしてしまったんだろう。
ユリカは無言になった俺を優しい目で眺めてくると、もう一度だけ、なんだからしくないような優しい笑顔を浮かべてくれた。
(――――はぁ……なんでだろうな。自分の気持ちに気がついただけで、正直になっただけで……なんでこんなにこいつのことが可愛く見えちゃうんだろうな)
そう。もう、何も言えなくなってしまう。
今まで感じたことがなかったくらいに、どこかがあったかくなっているのがわかる。……心って、ところなのかな。そこがやんわりとした、その暖かい感情で包まれていくのが分かるんだ。
…この数週間の間、本当に色々なことがあった。そして辛いことがあった。
特にあいつとの―――ガイとの、あんな形での別れは…もうどんな顔をしてこれからここにいればいいのかさえ、わからなくなりそうだった。なんでガイが死ななくちゃならなかったかなんてことすらも、考えることすらできなかった。
本当に……心にぽっかりと穴が開いてしまったんだ。
でも、それでももう弱いままでの自分ではいたくなかったから、治まることのない悲しみを必死になって胸の中だけに隠そうとして……皆がそうしていったよ
うに、俺も今度は、悲しみをちゃんと乗り越えよう、もう、昔の俺とは違うんだ――――って、自分に言い聞かせながらこの1週間を過ごしてきて。
―――でも、心の底はどうしようもないくらいに沈んでしまっていて。
……だからこそ。そんな俺には今はユリカの笑顔がとても眩しく見えるんだ。愛しく見えてしまうんだ。
俺の悲しみを癒してくれるような、その暖かい微笑みが――――
だからそんな俺を見て不思議そうな顔をしてくるユリカを見て、俺は自分ではどんなになっているかわからない、精一杯の笑みを返して。
あとはもう……いつもみたいに、今までみたいにして二人でなんでもないような話に笑っていられて。
…まぁ、この先のことはわからないけれど――――今更ながら、まだ俺はあの昔のことを引き摺っているけれど、こいつのはっきりした気持ちもわからないけれど……
それでも今夜は、今夜だけは。ほんの少しだけ元気でいられそうだった。
4.
「あーあ、いいよねアキト君と艦長。今頃きっとお城で豪華なディナーだよ?」
いつもと変わらないナデシコの食堂の一角で、そんな声を上げながら白いご飯を口に運んでいくヒカル。
ミナトさんやメグミ達のように手続きを済ませて街へと足を運ぶクルーもちらほらとはいるけれど、なにせここはフランス圏。国際語しかしゃべれないような
来訪者には少々心理的敷居の高いところらしく……そういう一部のクルーを除いては大体の人達が、ナデシコの中で夕食を済ませていた。
そしてそんな自分たちの境遇がやるせないのか、ぼけっとしたようなため息をつくヒカルに向かいの席に座るリョーコが口をはさんで。
「ヒカル、そんなに堅苦しいメシ食いたいのか? 俺はごめんだけどなぁ」
「そこらへんは慣れでしょ、多分ね」
その右隣に座るリョーコの発言をさらりと流した私は、目の前に座るイズミの茶碗の中で躍っているネバネバして異様な匂いを放ってくるその怪しい食べ物―――ナットウに圧倒されながらもふと思っていた事を口にする。
「……でもアキト、そういえば結局メグミとは別れたんだね」
「え? やっぱそうなのか??」
と、驚いたような顔をしながら訊ねてくるリョーコ。
いっぽうでヒカルは可笑しそうに苦笑を漏らしながらも煮魚をパクリと口に運んで。
「ムグ……リョーコ、そんなにアキト君のこと気になってたの?珍しく敏感だよね」
そのヒカルの言葉にリョーコは怪訝な顔を見せてくる。
「アホか、そんなんじゃねぇよ。ただテンカワの奴…前からなんだか艦長とメグミの間で煮え切らないような態度ばっかとってやがったからさ、なんかホッとしたっつうか…なんていうか――――」
「……ほら、やっぱり気になってるんじゃない」
そしてナットウの糸をネトリとひかせながら、薄く怪しく笑っていってくるイズミ。……というかお願いだから、その気持ち悪い匂いのする食べ物は早く処理して欲しいんだけれど。
そしてリョーコはその言葉になんだかムキになりながら反論をしてきて。
「ちっげーよ!! 俺にとってテンカワはあくまでダチだ、ダチ!! だいいちアイツには艦長がいるだろうが?!」
「えー? つまんなーい、そんなにあっさり諦めちゃうの?? 私こっそり応援してあげよっかなーとか思ってたのに」
「お、おめぇホントは俺に喧嘩売ってるだろ……」
「ヤだな~リョーコ、からかってるだけだってば」
そんな二人のやりとりを、アキトとユリカさんの一応の『将来』を知ってる身としてはちょっと一線退いた位置から傍観していた私はふと、残念そうな顔をしてお味噌汁を啜っていたヒカルに問いかけた。
「…でも、そう言えばヒカルさ。ここんところあまりアカツ――」
「――!!!」
瞬間、思いっきりむせるヒカル。そのお陰で言いかけた言葉が止まる私。
わけがわからない様子でありつつもヒカルのその粗相にびくっとするリョーコと何食わぬ顔をしてご飯をかきこんでいくイズミ。
…で。
「さ、さ、さ…サレナ~?!!」
「ん? 違った??」
珍しく慌てた様子を見せながら声を張り上げてきたヒカルにそう私は問い返す。そしてさらに声を大きくしながらヒカルは叫んでくる。
「ち、違うっていうかあれはその、ちょっとだけミーハーな気持ちとかほんの好奇心とかでその色々とさぁ…! 今はもういいの!! あんな汚点は忘れたんだから!」
「ふぅん…そうなの?」
そしてそう言葉を返した私に、ヒカルは見るも凶悪な視線を向けて小声でうめいてくる。
「ていうかサレナぁ、前にあんたの話聞いてあげたでしょ? 後でたぁっぷり愚痴聞かせてやるから今は黙っててよねえ~」
「あ、うん――――って、なんか遠慮できそうにないわね…これは」
「……なんのこっちゃ?」
「若さゆえのちょっとした過ちなのよ、リョーコ。入れ込まないうちのほうが痛手も少ないってね」
「だからなんなんだよ? ヒカルがど――――」
「―――あれぇ? 4人して何盛り上がってんのかな??」
…と。ここでその話の肝になりつつある人物が食堂の入り口から顔を出してきた。
誰かというとアカツキ・ナガレ。
こないだの『ネルガル重大機密暴露事件』のおかげで、やや女性クルーの好感度を下げた感のある腹黒い女たらしだ。
そしてそのアカツキのほうを慌てて振り向いて、なんとか事態の揉み消しにかかろうとする女が一人。
「な?! なんでもないっすよ~アカツキさん! あは、あはははははは……」
乾いた笑いが食堂の天井へと消えていく。うっすらと滲んでいるのは焦りと羞恥とため息と。
で、そんなヒカルの態度を軽く流すことにしたらしい『大人なアカツキ君』は、私のほうを向きながらちょっとだけ真剣な顔になって訊ねてきた。
「あ、そう。―――そういえばサレナ君、返事のほうはあれから考えてくれたかい?」
「「「?!!」」」
「あ…もうちょっと待って。その前にちょっと――――って、なんなの? 皆してヘンな顔してさ」
「「「い、いやなんでも…」」」
終いにはヒカル達がヘンな勘違いをしそうになりもしたけれど、そうはならずに済んだらしく。後はいつもより幾分か活気の少ない食堂にヒカルの空元気な声が響いていく。
―――とまぁ、つまりはその日のその時までは、いつもどおりのナデシコと私だったのだけれども……。
5.紅い兄妹 ~いつか、あの星に~
…連合空軍豪州方面部隊の宿舎。
何十年も渡って使い古された、その巨大な建物の一角にある……私に宛がわれた小さな個室。その個室にあるデスクの前で、私はつい先日アクアから受け取ったばかりのクリムゾンに関する最新の報告に目を通していた。
閉じられたカーテンの向こうは、すでに夕闇から夜へと移りつつある。夕食時ということもあって静けさの増した宿舎の中、親しい数人の同期と共に早めに食事を取り終えた私は街へと繰り出した彼らとは別に、ここでこうして私のための『仕事』に精を出しているのだった。
(―――ふむ、ステルンクーゲルの開発状況は若干スケジュールを下方修正か。
木星の連中との取引は……こちらは進展があったようだな、うまく連中の足元を見ている。おかげでようやく相転移エンジンの技術取得契約に成功、と…)
その膨大な情報を一つ一つ、限られた時間の中で的確に把握していく。必要な情報とそうでない情報とをより分け、整理していく。
そしてその中には地球圏内のチューリップに関する兵力派遣の分布情報などもあった。
アクア曰く、これを上手く調整することによってクリムゾンの息のかかった部隊―――主に連合空軍や同様の国家の負担を減らし、逆にその他の国家・部隊についてはこちらの情報提供によって木星側の損害を減らしているらしい。
全くもってどっちも素晴らしい性根をしているものだ。
そうして一連の資料に目を通し終え、椅子にもたれかかりながら私は軽く目を閉じて。そしてしばし考える。
…アクアの言葉を借りるなら、クリムゾンの目的は『木星との和平』にあった。ただし――――――それはあくまでも、木星にとって有利な条件での和平だ。
そしてその状況の中で木星の連中との間にパイプを持つ彼らが、その後の新しい体制の中でライバル企業のネルガルを追い抜き…地球圏の経済を掌握する。
それがクリムゾンの現CEO、アクアの父でもあるあの男が描いたシナリオ。両軍の動向について細心の注意が必要とされるシナリオだ。
(だが……そううまく、いくかな?)
利用しようとしているのは、クリムゾンも木星の連中も同じこと。連中にしてみればこの都合のいい『協力者』を利用して、一刻も早くこの戦争に勝利を治めたいのだろう。そしてクリムゾンもそれはわかっているからこそ、双方の間で騙しあい、化かし合いが続くわけだ。
しかし、さて……一体私はどっちに軍配が上がる事を望んでいるのか。
そう。どちらに転んだほうが――――私にとっての都合のいい展開になってくれるのか…。
(少なくとも…木星の全面勝利だけは困るな、私が頼みの綱とするだろう連合空軍が骨抜きになってしまう。将来駒として使うはずの軍隊がなくなっては元も子もない。
かといって、クリムゾンが大きな力を持ちすぎるのも……やはり問題か。彼らには、程々の勢力で我慢してもらわなくては、な――――)
…と、その時。数人の同期の連中と一緒に街に出ているはずの彼から連絡が入ってきた。
軽くため息をつき、手元の書類を仕舞いこんでから端末を開く。ただし音声のみでだ。
「――リロィだが、いきなりどうした?」
そして耳元に飛び込んでくるのは、彼の遠慮のないその大声。
「おおう、アーデル大先生よ!! そろそろ『お仕事』のほうは終わったかい? もしかしなくても暇なんじゃねぇのかい! いいから今夜は一緒に飲もうぜ、なぁ?!」
…思わず耳を抑えそうになり、私は眉をしかめた。この調子から察するに街のいつものバーで一杯引っ掛けている途中なのだろう。
いつも以上に遠慮のない様子の彼――――ロバート・ガウェインは、野性味あふれるその声でさらにまくし立てようとしてくる。
「そうそう、あのなリロィ……って、あん? なんだよリック。わあってるよンなこた! 俺様のちょっとした親切心ってヤツ……んだとぉ?」
しかし一緒にいるだろうリチャードに何か言われたのだろう、すぐさま向こうで言い合いを始める彼。…その向こうにいるだろう、馴染みになりつつあるマスターが困惑しているだろう様子が脳裏に浮かび、思わずため息をつく。
「…ガウェイン、お前かなり酔ってるな? 今日は何をやったんだ」
「ステラと別れた。今日はそんだけだ」
そしてそれを聞いて、口から漏れるため息がさっきの3倍になる。
端末の向こうで腐れた顔をしているだろうこの男…1週間に一度は決まってその左頬に赤い腫れ痕をこしらえてくる、筋金入りの遊び人でもある。
これはつまり、今日の『仕事』はここまでということだろう。彼は一応分別のある人間だが、一度キレると見境がつかなくなる悪癖もある。つまり…ここでこ
いつの言い分に従わないと、彼はあの店で大暴れしかねないということ。そしてそのせいで迷惑するのは私やリチャード達だ。
だから結局私は仕方無しに書類をデスクの奥に仕舞いこみながら、回線の向こうでしょげた雰囲気を放ってきている彼に言葉を投げかけて。
「はぁ……どうせ私も愚痴に付き合えというのだろう? せっかくの馴染みの店がお前のせいで出入り禁止になるのも癪だ、大人しく今夜は行ってやるよ」
そしてそれから30分後。
「よう、リロィ! 思ったよりも早かったじゃねぇか」
「…………」
そのいつものバーのカウンターの隅に陣取り、グラスを片手にやけに楽しそうな笑みを返してきたガウェインの姿を見て…私はこめかみに軽く血が上るのを感じていた。
…もう一度、瞬きをしてから状況を確認しなおす。
確かにそのカウンターの席に一人座っているのは私の知っている男、ロバート・ガウェインだ。
190cmを越える長身にボクシングで鍛えたという筋肉の締まった強靭な身体、やや悪趣味な印象の受ける白のスーツを着崩して、今はその短めの黒髪を無造作にバックに流している。
その猛獣のような、そしてまた人を食った笑みを浮かべる顔も、異様に目つきが悪く見えるその目も、鳶色の瞳も、間違いなく私の知っているあのロクデナシだ。
さらにふとマスターのほうへ目をやってみれば、特に一悶着あった様子もなく涼しげな顔でグラスを磨いている。
時間にしてはやけにガラガラな店の中、ぽつぽつといる客も特に不審気な様子は見られず、なによりも一緒にいるはずのリチャードとホーナー…私の同期である二人の姿はどこにもない。
そして彼はそんな私の様子を見てか、首をかしげて抜け抜けと訊いてきた。
「お、なんか拾い食いでもして腹壊したのか? 今夜はなんかヘンな顔してるぜ」
そんなこいつの戯言には耳を貸さず、私は務めて平静を保とうと努力しながら声を絞り出す。
「……さてガウェイン、きちんと説明してもらおうか? 事の次第によってはお前を裏のドブ川に叩き込んで目を覚まさせてやろう」
と、悪びれた様子も見せずにやつは口を開いてくる。
「いやぁ、アレは悪かった。こうでもしねぇとお前出てきてくれそうになかったからよ。ちなみにリックとホーナーなら一足先に帰ったからな」
どうやらまんまとこの男に騙されたらしい。しかしその左頬に赤い腫れ痕があるあたり、また『やらかした』のだけは本当のようだ。
だから私はこいつの右隣の空席に腰掛けると、軽く睨みながら言ってやる。
「――今日はお前の奢りだな、それで勘弁してやるよ。…で、一体何の話なんだ??」
「ああ、そうそう。そういえばお前、可愛い妹がいたよな~。アクアちゃんだっけ? 今度紹介してくれよ」
だがグラスを傾けながら、そんな戯けたことを言ってくるガウェイン。
「……おい、やはり帰ってもいいか?」
半眼でそう告げる私。
すると彼は楽しそうに笑うと―――こいつがこういう阿呆な話を挟む時は、大抵なにか真面目な話をする前触れなのだが―――不意に真剣な目つきになって言ってくる。
「冗談だよ。いや、冗談じゃねぇかな?…まぁそれはまた後でじっくり話すとして、今日はな……お前と秘密のお話ってヤツがあるわけさ」
そして、一瞬の沈黙が私と彼の間に訪れる。
「…………ガウェイン」
「…あんだ?」
「言っておくが私にそのケはないぞ」
「――――はぁ?」
…続いて私のその発言に、ガウェインは思いっきりガクリと肩を落とした。そして彼はため息をつきながらこっちのほうを見やってきて。
「あ……あのなぁリロィ。俺様がこれから珍しく殊勝な真面目話をしようって時に、何でお前はこういうときに限ってそう話の腰を折るようなボケた返事を返すんだよ?」
「ならば普段からもう少し真面目にしてみることだな。そうすれば私もお前にいちいち合わせなくて済むかもしれん」
「んー……そりゃ無理、ってやつだな。俺のコレはもう筋金入りさ、お前のその頭の硬さと一緒でな」
そうしてグラスを飲み干し、また楽しそうにクックッと笑うガウェイン。ちょうどマスターが私達の前にきてくれたので、私も一杯注文をする。
と、ガウェインはマスターに向かってなにやら冷めた声でボソリと言った。
「……じゃあマスター、人払い頼むわ。後はこっちで適当にやってるからよ」
「了解しました、ガウェイン様」
ボトルを2本だけ私達の目の前に置き、一礼してカウンターの向こうへと去っていくマスター。
気がついてみれば、私達の周りは壁と無人の席とで囲まれていて。そのガウェインの言葉どおりに…そこは周りとははっきりと隔離された、別の空間になっていた。
そしてまた、楽しそうにニヤリと笑うガウェイン。
「…さぁて、これで用意は整ったぜリロィさんよ。
周りには物見高い阿呆な一般客もうざったい軍の上官も、それにやたらとアンタのことをライバル視している、分不相応などこかのカスもいやしねぇ。…まぁ
リックとホーナーには悪いが、あいつらはまだどっちに転ぶかわかんねぇんでな。結局お前と俺だけで、こっそり将来の野望について密談ってわけよ」
「―――ったく、話というのは結局そういうことか」
…そのガウェインの言葉に、私はグラスの中のウィスキーを飲み干してから軽く苦笑する。さて、どうしたものかと考える。
そんな私の顔を横目に覗き込みながら、辛抱強い、一見粗暴に見えてその実冷静な瞳で私の中を見透かそうとしているガウェイン。
その彼が口を開く。
「……なぁ、リロィよ。そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃねぇか? お前が一体この先、何をやらかそうとしてるかをよ。
初めてお前が俺達の前に姿を見せた時――――ありゃあホント、時期ハズレな編入だったよな…そん時俺は一目見て思ったんだよ。『こりゃあ大層ヤバそうなのが俺達の同期になったもんだ』ってな」
「…私はお前のその野心いっぱいなツラを見て、身を引き締めたのを覚えているよ」
私が返したその言葉に、何故か嬉しそうにクックッと笑うガウェイン。
「そりゃあ光栄だな。…で、話を戻すとよ。多分俺達皆、お前を見て感じたんだな。『こいつ、俺たちの誰よりもでっけぇ野心を持ってやがるんだな』ってよ。でもその後の騒ぎはそれどころじゃなかったわけさ。
――考えても見ろよ? こんなご時世のこんな時期に、火星帰りで向こうの駐留軍にいた人間が、何をどうやったのか連合空軍の士官候補生だぜ? しかも俺達の誰よりも明らかに、その資質と手腕は優れてるときている。
だからお前の素性についての根も葉もない噂が飛び交ったり、それにお前をライバル視する身の程知らずで阿呆な連中が出たりするのも当たり前の話だ」
「…………」
そしてガウェインは、身体を乗り出して……その目をギラギラさせながら言ってくる。
「―――でな、そんな中で俺はこう思ったわけよ。『こいつはきっと、そのうちに間違いなく何かをしでかしやがる。それをやろうとするだけの意志も、それを成し遂げるための力も、バックボーンも持ってやがるんだ。
なら…こいつと一緒の場所にいれば、何かとんでもなくでっけえ事ができるんじゃねぇかな』ってよ。…これは俺様の、確かなカンだな」
……その言葉に私は、手にしていたグラスをカウンターの上に静かに置いた。
口からは小さなため息と、そして冷たい微笑が漏れていた。
「―――随分と、私のことを過大評価してくれるものだな、ガウェイン」
その私の言葉に、やはりどこか冷たい笑い声で彼は返事をする。薄暗いオレンジの灯が彼を冷たく映し出す。
「…そうでもねぇさ。言ってみれば俺は野心を嗅ぎ付ける鼻ってやつが昔からあるのよ。そしてその鼻は、その野心を実現するに十分な実力を持った奴しかひっかからねぇ。
――ホント、最初ここに来た時は…どいつもこいつも腑抜けた野郎、並な連中ばかりで正直がっくりしてたんだ。でも…辛抱強くここで粘ろうとした甲斐が
あったぜぇ? 何しろ今、俺のすぐ横には滅多に出会えないほどの大物さんが座って、こうして一緒に酒を飲んでるんだからな」
――そしてあたりの空気は、いつのまにか冷たく鋭いものへと変わっていく。私の中にある冷徹な部分が、だんだんとその意志を強くしていくのが分かる。
「……ではガウェイン。お前は何を目指しているんだ?」
その私の問いかけに、楽しそうに笑うガウェイン。
「さっきも言ったとおり、俺の願いはガキみたいなもんさ。こんな窮屈な軍の平凡な上官なんざじゃ満足できねぇ。そんなんよりも、俺はもっとでっけえ事をやってみたいんだよ、それがどんな形であってもな。
…ま、強いて言えば俺は、『そういうでっかい何かを一緒に出来そうな奴』っていうのを探してたんだろうな。――――つまりはリロィ、お前のことさ」
そう言って、笑って……不意に彼は目を細める。
冷たい言葉が、その口から漏れてくる。
「…さあ、次はアンタの番だぜ、リロィ。ここまできて話してくれねぇなんて、そんな切ねぇことは言わないよな?」
その言葉を受けて、私は――――静かに横を、ガウェインのほうを見た。
そして静かに言う。彼のその薄い笑みを射抜くように。
「……もし、お前がこの話を口外したら、間違いなく私はお前の存在を消すだろうが――――それでもいいか?」
「っ――――…」
…僅かな間ではあっただろう。とてつもなく重たい沈黙が私達の間に訪れた。
私の顔を凝視したガウェインの額には、今までに一度も見ることのなかった彼の冷や汗が浮かんでいた。その表情が凍りつく様を、私の瞳は射抜いていた。
だが、やがて彼の口元には歪んだ笑みが戻る。
そして……搾り出すようにして、声を返してくる彼。
「―――ああ……いいぜ。そうこなくっちゃ、お前らしくない――――俺が薄々感じていた、お前の中にあるその冷徹さには相応しくない」
「そう、か――――」
口元に不思議な笑みが零れた。私はどこか満足な気持ちだったのかもしれない。
グラスの中の氷を見つめ、その先にある光を見つめ――――私は遠いあの星を思い起こしながら、ただ……彼へと向けて。
その変わることのない言葉を言い放ったのだ。
「――――ならば話そう、ガウェイン。私の中にずっと潜んでいた野心とは、その壮大すぎる野心とはな……あの火星という星を、あの星の全てを、いつかこの手に掴む事なのだ。
そう。この地球連合からも、そして木星の連中からも奪い取ってな……」
6.紅い兄妹 ~暖かな、2月の庭で~
「アクアリーネ様、紅茶が入りました」
「――ん。ありがとう、エスメラルダ」
メルボルンの郊外にある、クリムゾン家の別邸の一つ……その小さな庭先にあるテラスで、静かに本を読む私に侍女のエスメラルダは声をかけてきた。
彼女に至極簡素な返事を返し、白いカップを傾ける。陽射しは暑く、ここで物語の世界へとどっぷり浸かりたい私にとっては少々意地悪なものに思えてくる。
……でも、まぁ、いいわね。
ちょっとイライラしそうになるけれど、そんなことより目の前にある話の続きのほうが大事だもの。
と、私は不意に、すぐ横手に立つ彼女の困ったような視線に気がついて。
「……どうかしたの?」
「あ、いえ―――アクアリーネ様、その…」
顔を俯かせ、口を篭らせる彼女。私が首をかしげると、やがておずおずと、その続きを言ってくる。
「……その、お嬢様。そのような本はもうできるだけお読みになられないよう、お父上から仰せつかっていると思うのですが―――」
言われた私は手元の分厚い本を閉じ、タイトルを彼女に見せてみる。―――――『世界悲劇全集・第27巻』、断っておけばもう読み返すのは優に百回目を超えているかもしれない。
「でもエスメラルダ、本当にいい話ばかりよ? 少しリアリティというか――切実さが足りないのは残念だけれど」
そして彼女はため息をついて。それにしても真夏でもロングドレスにエプロンだなんて、暑くないのかしら?
…と、そんなことを考えながら再び本を開こうとした私に、ここで彼女は不意打ちをかけてきて。
「あの、私からお嬢様に強く言うことはできませんが……やはりできれば他の種類の本も読まれるべきかと思います。その―――リロィ様も苦笑されてましたよ?」
「…………う」
そう言われ私はちょっと言葉に詰まってしまった。
以前も確かに兄さんは私のこの『悲劇趣味』をなんだか仕方なさそうに笑っていたけれど……だからといって今それを持ち出してくることはないじゃないと思う。そう思って私は小さなため息を漏らす。
――でも、仕方ないのかもしれない。彼女は私が兄さんに弱い事を知っているうえで、私に対してここぞという時に限ってそれをとても有効に使おうとしてく
るのは……なまじ普段は気が弱くて、主である私に強くものを言えない彼女だからこそ、私を説得する唯一の手段なんだろうし。
そして私は心の中で、小さく苦笑する。
(しかし本当に――――私はリロィ兄さんに『弱い』のね……)
頭上に伸びる樫の木の、その緑の葉の隙間を縫って太陽の光が零れ落ちてくる。
ふと私は視線をエスメラルダからその横手のほうへ、燦燦とした日の光が降り注いでいる芝生のほうへと移す。小ぢんまりとしたこの私のための可愛らしい庭園に。
…そう。その恵まれた、不自由のない……でもとても窮屈な庭園。まるで私自身みたいな、ね。
それはきっと、幸福なことなんだろうけれど、私は『不自由』というものをあまり味わったことがないのかもしれないけれど―――だからこそ。小さい頃からずっと、私には私だけのその『不幸』が、『不自由』がやっぱりあったんだと思ってきた。
悲劇的な話とか、そういうものに病み付きになっていったのも……私自身がそうなることをどこかで望むようになっていったのも、その頃からだったと思う。『幸せすぎるのが私の不幸』――――なんて、そんな事を思っていた時期もあったっけ。
そして……そんな私が出会ったのが、その当時から火星にいたリロィ兄さんだった。
…兄は、リロィ兄さんは私が思い描いていたようなその、『甘い悲劇』とでもいうようなものの真っ只中にいる人のように当時の私には思えたんだ。
私と同じ母から生まれたのに、父親の身分を理由に母の実家から疎まれ、生まれた頃からその父に連れられて火星へと移り住んだという兄。
本当なら母の実家、シンクレア家の立派な後継ぎとして、何一つ不自由しない生活を遅れたはずなのに、あんな辺境の地へと―――兄さんにそう言ったらきっと苦笑するだろうけれど―――そう、追いやられた兄。
まだこの私がいるクリムゾン家の、醜い一面を知らなかった私は、子供だった私は……そんなリロィ兄さんに憧れていたんだと思う。自分勝手で、そして無知な心で。
でも…それでも兄さんはスクリーンの向こうから、いつも私に優しく話しかけてきてくれた。私の知らない、火星のいろんな事を話してくれて、私も友人や家の使用人には話さないようなことまで、兄さんにはたくさん話していって。
そして…………
(――――あれは、いつの頃だったかしら…)
そう、いつの頃だったか。
私は、兄さんのその優しい笑顔の裏が、その奥の本当の気持ちが気になるようになった。時々見えてしまうようになった、兄さんの悲しそうな笑顔がどうしても頭から離れなかった。
そして……私は不安に思ったんだ。
兄さんが本当は―――母や、私や、そして私の父を……兄さんにとってのあるべき『幸せ』を奪った人たちを、本当は憎んでいるんじゃないかって。
私に見せてくれたその笑顔は……本当は、偽りだったのかもしれない…って。
そうしてその事が、どこか恐ろしく思えたその不安がずっと心の中で大きく渦巻いていた私はある日、兄さんに訊いてしまったんだ。
『兄さんは……今の兄さんの境遇を、兄さんのお父様と二人だけで火星に行かなくちゃいけなかった境遇を恨んだりしたことはなかったんですか?』――――って。
……だって、その当時までに私が見てきた、この目で見てきた多くの人達は…自分の身に起きた不幸を呪い、そして他人を罵るような人達ばかりだったのだか
ら。そしてそれは今になっても、お父様の下で幾つかの『仕事』をし、そしてクリムゾン家の令嬢として社交界に身を置く中でも変わらないのだから。
それはきっと私が知りたくなかった、『悲劇』の中にある、決して綺麗ではない人間の心――――私が本当は見たくなかったもの。
そしてだからこそ、私は怖くなって、一欠片の切ない望みを持って、兄さんにそう訊かずにはいられなかったんだ。
…だからこそあの時の、あのリロィ兄さんの表情は……私はきっと忘れることがないのだと思う。
あの時のあの時間は、私の中にはっきりと刻まれている。だって兄さんは、まだ少年の面影を強く残していた兄さんは――――私の顔を見てから、仕方なさそうに笑ったのだから。
笑って、少しだけ寂しそうに…でも優しく微笑んで、私に言ってくれたのだから。
『…それは難しい質問かもしれないけれど、僕はそんなことを思ったことはないよ、アクアリーネ。
例え今の僕が君から見て、報われない人生を送っているのだとしても―――僕は今の生活が、ずっと暮らしてきたこの土地が…この火星が、好きなんだ。ここには地球ではきっと手に入らないものがあるんだから。
確かに、僕が地球にいれば、あのシンクレアの家にいれば今とは違う生活があったかもしれない。アクアともこんな画面越しでじゃなくて、一緒に緑の草原の上を駆け回ったりできるかもしれない。
それは少し…寂しいけれど、でも……そうはならなかったけれど、それでも僕にはこの大切な『今』が、この火星の大地があるんだ。僕が生まれ育った全てが。だから……』
――――そう。
『……だから、僕は母のことも、クリムゾンさんのことも、君のことも、決して憎んだり恨んだりはしていない。
クレメンスのおじさんも、地球から僕や父のことをいつも気にかけていてくれているし…シンクレア家の祖父と祖母とはまだ少し折り合いが悪いけれど、それでも僕の事を気にしてくれているからね。だから僕はここで生きていけるんだ。
そうだよアクア。何故ならここが、僕にとっての大切な故郷なんだから――――』
―――その兄さんの言葉に、ドキンとしながら…不思議な気持ちに包まれながら、ただ首をこくんと肯かせることしか出来なかった私。
そんな私に兄さんは、決まりの悪そうな顔をしながら笑い返してきて。
…そしてあの時、私は突然に気がついたんだった。
『――――ああ、私は恋をしているんだ』って。
絶対に報われることのない――――私が憧れていた、悲劇の恋をしているんだって……。
「……あれからもう、7年も経つのね」
「お嬢様?」
ふと呟いた私に、エスメラルダは首をかしげて問いかけてくる。私は左手に持った本をそっと胸にあてて、私とエスメラルダの二人だけのこの庭に目をやる。
…あれから7年。
私がこのクリムゾンの箱庭の中で、退屈しのぎのための余興を―――そして兄のための大切な仕事を始めてから随分とたった。以前なら考えもしなかったような仕事もいくつかやってきた。そうして私は変わっていったんだと思う。
でも、この7年の間―――私が変わらずにずっと心に抱いてきたものがある。その不安と、切なさと……そして今はもっと違う形に変わっていった、リロィ兄さんへの想いがある。
それは本当に、身を切り裂くような思いだった。どうしようもない気持ちだった。
そしてそれはまた、私の中にあって唯一の輝いた…悲しい輝きを放つものだったんだ――――――