次に意識が戻っていた時には、もう日が昇りかけていた。
 覚醒して直に視界に入ってきた男の口が動く前に、私は言葉を発していた。


「……ごめん、ヤガミ」

「謝る事じゃねえさ。疲れてたんだろ」


 ……違う。
 あれはそんなのではなかった。
 長い事放置し、脱色してしまった本を開く様な奇妙な感覚。
 ……丁寧に扱わなければ、ページが崩れてしまうような危うい雰囲気が、そこにはあった。
 あれは一体なんだったのだろう……あの、心に重く響く男の声は。
 ……まさか!


「……今、何時?」

「まだ朝の五時だ。もう一眠りしておけ」

「ううん。もう帰る」


 綺麗に整ったベッドから降りると、私は僅かな手荷物を身につけ窓へと近づいた。


「おい……! まだ動いたら……」

「眠ったら落ち着いたわ。そろそろ戻って連絡入れないと、アクアが心配するわ……それに貴方の貴重な“時間”をこれ以上使わせるのも……ね。じゃ、舞踏会で会いましょう」

“バッ!”

「っておい……本当気を付けろよ!」


 二階の窓から見ているヤガミを一度見上げると、私は屋敷の庭を歩き出した。
 ……普通にこれだけの運動ができるならば問題はない。恐らくは……さっきのは肉体的なものより精神的なものだなのだろう。


「行くのかね?」


 ……見送りは一人ではなかったようだ。
 銀に近い金髪の老人……グラシス将軍が庭のテラスに座っていたのだ。


「……?!このような時間に、どうしたのです?」

「年寄りは朝が早いのだよ」


 どうやらそういう所は、木連も欧州も共通しているようだ。
 しかしそれが理由ではあるまい……。
 昨日は周囲の警戒もあってか、話す機会が無かったからな……テンカワ=アキトとあの双子、そしてヤガミとメティにミリアさんは私を迎え入れてくれたが……最後まであの男三人と女と少女は私に疑惑の目を向けていた。
 全ての人間が異質を受け入れれるならば、戦争など起きやしない……折角の空気を壊すまいと、私は甘んじてその視線を受け続けていた。
 しかしそれは、グラシス将軍にとって望まぬ展開だったようだ。
 故に、最後に言葉を交わすべく態々私の前に現われた……そう考えるのが妥当か。


「君は……強い人間だな。だからこそ他人の痛みにさえも気を使うことができる」


 それは他人に多くの痛みを強いてでも、守るべき物を守り続けて来た将軍ならではの言葉だった。
 だが自分では、そんな事は微塵たりとも感じていない……私は強くなどない。


「いえ、私はただ……逃げ道を知らないだけです。故に現状に対してもがく……他人の目には、それが強者の姿として映るのでしょう」



 ここで一端言葉をとぎり、昨晩蘇ったあの光景を、もう一度思い出した。
 今度は、頭痛はしなかった。


『そんな事は無いぞ……お前は……私達と沢山の喜びを分かち合った……それが……私達がお前に貰った……』


「しかし……自分の強さなど、私を生かしてくれた父の足下にも及びません」


 そう……。
 夕べ蘇ったあの声は、父のものだったのだ。
 私の故郷が滅びる時、崩れ落ちるコロニーの破片から我が身省みず私を庇い……炎の中に消えた父の。
 以前までは、いい加減なイメージしか無かったが……昨日突如明確な光景が浮かび上がったのだ。
 断片的とはいえ、一体何故そんなものを今更思い出したのか?
 ひょっとすれば、私は無意識のうちにメティと幼い日の自分を重ね、幸せだった過去を振り返ってしまったのか?


「あの時、実の父を犠牲にしてまで生き長らえた事は……果たして正しかったのでしょうか?」

「でなければ、君は欧州(ここ)には来れず……恐らくメティは死んでいただろう」


 確かに……私が助けに行かなければ、メティはモノリスの落着で消滅していたかもしれぬのだ。
 少なく共メティを救えた事は、正しかった。


「命は継がれていく物だ。与えられた生には意味がある……君にも、生き続ける以上必ずな」

「ありがとうございます。貴方にそう言って頂けると、助かります……」



 私が生きている意味……。
 兵士としてでもクリムゾンSSとしてでもなく……私という個人が生きる意味。
 それはまだ探求している最中だ。自分の一生について、急いで意味を見つける必要は無い。
 只後になって後悔せぬように……目の前の選択に決断を下し、動くまでだ。
 生きる意味は……この世を去る寸前に見出しても遅くは無い筈だ。
 その時が来るまで私は、存分に刃を振るおう。
 弱きを救い、強きを挫く為に。




 その後、空港で待機していたタイラント少尉の連絡艇に戻り、ピースランドへと向かった。
 予想通りアクアが心配して何度も連絡して来たらしいが……それ以上の事はしなかったようだ。
 それだけ自分の責任を重く受け止め、同時に私の事を信用してくれている証拠だ。
 先刻豪州を発ったアクアにちゃんと詫びを入れた後で、アンダースンが居ないことに気が付きタイラント少尉に尋ねた所……とんでもない返事が返ってきた。


「プルトニウスを国境付近に待機させた?!」

「それだけじゃない。ヴァグラントも地中海近海に潜伏中だ」


 漆黒の戦神ですら、機動兵器無しでピースランドに入国したと言うのに……豪州はピースランドに宣戦でも布告するつもりか?!


「優人部隊の動きも慌しい。お前に直接命令書が届いたぐらいだからな」

「私に?! 舞歌様が?」


 先刻暗号回線で送られてきた文を見せてくるタイラント少尉。
 ……その文面を見て、私は指が震えてしまった。


「足りない、全然足りないわよこれじゃあ!! 例え今から重装改とクーゲルを持ち込めたとしても、五分以下だわ……」

「そんなに深刻なのか? 今度の相手は?!」

「……下手すると、ピースランドは一夜にして滅ぶわ」

「な……!」


 舞歌様もその危険性は重々承知である事が、この文章からも伺えた。


『北斗がある理由により失踪しました。手引きをした犯人には、こちらで目星を付けています……が、それは問題ではありません。多分、私の予想では北斗はテンカワ=アキトの元に向かうでしょう。あの子を止めて下さい、まだ二人が出会うのは早過ぎます。そこで優華部隊を現地に投入しました。彼女達と協力をして、この任務を遂行して下さい。以上、舞歌より』

「真紅の羅刹……狂犬が!!」


 北の血を受け継ぐ存在として、多くの人々を血と肉塊に変質させていった……人の皮を被った獣という表現が、一番似合う存在である。
 だがその活動は、今まで木連内部に限定されていた。しかも北も扱い切れずに、永きに渡って幽閉されていた筈……その枷を自ら破り、己を満たす為にこの地に、来ると?


「……少尉、急ぎましょう。私如きがどれだけの事ができるか解らないけど、全力でアレを止めないと……」

「マジでヤバイみたいだな……OK、飛ばすぞ」


 漆黒の戦神テンカワ=アキト。
 その人柄はあらゆる人物を引き寄せて止まない。
 ……が、カタオカや真紅の羅刹といった、好ましからぬ存在まで呼ぶ事は無いだろうに!
 それらを退ける力を彼は持っているかもしれない。しかし周りの人間全てがそうではないのだ。
 これだけ多くの人々を巻き込んでいるのだ……その行動には細心注意を払ってもらわねば。
  




 現地に着いてからと言うもの、一時たりとも休む事ができなかった。
 来訪者に一時の幻想を与えてくれる筈の数々の施設も……今の私にとっては只の障害物にしか過ぎない。
 今も空の上、海の彼方で同胞達が命を燃やしている状況で、とても能天気に偽りの世界に浸る気にはなれない。
 私にとっての現実は戦場であり、そしてそれは今もここにある。


「おー! ディスクのワゴンセールか……なぁ」

「自分で買え」

「流石にここの国の蔵書は多いな……ここはひと」

「返すアテが無い、諦めろ」


「……おい」


「何だ」


「どの面下げて私の前に現われた!! 貴様らァ!!!」


「こういう顔よ?」


 余裕めいた笑みを浮かべながら挑発してくるスーツの女……エル。
 シャロン派が来ると言う時点である程度解っていたが……実際このサイボーグ一行と再会すると胸の内には憤懣が渦巻いて来る。


「手を出すなよ。ここは中立国だ……俺らが互いにやり合ったら問答無用で国外退去だ」

「グッ……解ってる!!」

「そうカリカリするな。ここにいる限りは俺らも一切手出しはしない」


 腰の心刀に手を伸ばしそうになる衝動を抑え、私はDを睨みつける。
 矢張り後でクーゲルを空輸してもらっておこう。
 国境を出た途端、私とこいつらは敵になるのだ。正直当面の危機である真紅の羅刹よりも厄介やもしれぬ。


「惜しい所だよなぁ。あのテンカワ=アキトを目の前にしておきながら、ぶっ殺す事が出来ないなんてよ」

「まあ貴方にとっては目の前にぶら下げられた人参みたいなものよね、彼は」

「俺は馬かっての」


 ジェイの言葉はまず間違いなく本心だろう。 
 力を持つ者にとって、より強い力を持つ者は魅力であり目標であり……嫉妬の対象だ。
 しかしいびつな方法で力を持った彼ら、ブーステッドマンにとってその認識は命取りになりかねない。
 自分の力すら人に与えられた様な連中に、とてもじゃないが漆黒の戦神と対等に闘える力は無い。
 彼は幾多の地獄から這い上がってその力を手に入れたのだ……己の命を危機に晒した回数は、ブーステッドマンの比ではない。
 それに反して、他人の命を危機に晒した回数はブーステッドマン側が圧倒的だ。
 故に、一切の妥協も感傷も無く、任務遂行の為にはいかなる行動も辞さないだろう。
 ……“仲間”と呼べる存在が多いだけに、漆黒の戦神は今後苦しい戦いを強いられる事は間違いない。


「……所で、何でついて来る!」

「たまたま下見のルートが同じなだけだ。何……同じクリムゾンのよしみと思って」

「そんなよしみは御免被りたい! 全く……」


 とは言っても、本気でこいつらを追っ払う事は出来ない。
 私の目の届かない場所で何かやらかされても困るからだ。
 それは、向こう側も同じなので……この奇妙で温いにらみ合いを一日中続けるハメになりそうだ。


「あら、よさげな香水。ねえDちょっと寄り道……」

「いい加減にしろ〜!」



「ねえ……大丈夫?」


 心配そうに顔を覗き込んできたアクアに、私は気が抜けた笑みを返すことしかできなかった。
 結局あれから一日中引きずりまわされた挙句、何も無かったというオチだったのだからたまったものではない。 
 奴等本気で観光をしていたのか? 血も涙も無いという訳ではないのか……。
 無人兵器ならば無駄な行動は一切しない。
 只プログラムに則って命令されるがまま動くだけ……豪州の公園などで内部ギミックを器用に駆使して(勿論重火器以外だが)子供と一緒になって遊んでいるバッタなども、所詮は幼児の精神安定プログラムの一環としての任務を遂行しているに過ぎない。
 だがブーステッドマン共のアレも、任務だったのだろうか?
 馬鹿な騒ぎを起こし、物欲に捕らわれ、他愛の無い行為を笑うあの姿は、本当に人間らしかった。
 例えそれが敵だとしても、何も考えていない空虚な相手よりかはよっぽどマシかもしれない……。


「随分と頼りないナイトね」


 だが私の視線は常にある一点を捉えていた。
 ウエーブがかかった稲穂の様に輝く髪。
 アクアと同じく真っ赤なドレスを着ているが、年齢分を差し引いても若干勝る着こなしぶり。
 周囲の者を明らかに圧倒しているその風格は、正に指導者のそれであった。

  
「お久しぶりね……アクア」

「あらお姉さま」


 シャロン=ウィードリン……。
 現在クリムゾングループの半分以上を牛耳る才女であり、アクアの異母姉妹。
 アメリカと言う強力な政治・経済基盤を手にした彼女らシャロン派の勢いはかなりのものであり、先日崩壊した明日香インダストリー系列の企業を次々と買収し、力を蓄えている。
 本人も決断力とカリスマ性に優れ、そのアグレッシブな手腕は故ロバート氏を彷彿させるという。


「私は同性愛者を妹に持った覚えはありません……アクア=クリムゾン」

「……その様な発言はご自身の品性を疑われるだけですよ? お姉さま」


 周囲の出席者が声を潜めているのに気がつき、なるべく平静を装うべく咳払いをするシャロン。
 ……これがシャロンがアクアに決定的に劣っている部分だ。
 シャロンは己の感情を包み隠そうとする事ができない。
 通常業務ではそうでは無い様だが……アクアを、いやクリムゾンの血筋に対してはいつもこうなのだと、ドナヒューさんは教えてくれた。
 幼少時から親の愛情はアクアだけに注がれ、自分が蔑ろにされた事が深く彼女に傷跡を残していると言う。
 幾ら優秀であろうとしても全く見向きもされず、幾らアクアがどうしょうもない行為をしても親はそちらに感心を向いてしまうのだ。腐ってしまう気持ちは解る。
 ……が、それを公人として区別できないのはどうか?
 私人としての憤懣を公の場にまで持ち出して闘争を繰り返すとは……それで一体幾人の人間が犠牲になると思っている?
 才能のある者、上に立つ立場にあるものが何をしても言い訳ではない。手にした地位にはすべからく、果たすべき義務も存在するのだ。
 それを果たさず何が会長か……。


「さて……前置きは省くわよ、アクア……豪州の権利一切をこの私に預けなさい」


 前回もこんな事があった為に、私は即座に臨戦態勢に入ったが……Dは動かない。
 あろう事にエルは余所見をしてるしカエンはくだを巻き、ジェイはテラスで読書中……真面目にやっているのはシャンデリアの上のインだけか、と思ったがこいつもこいつで目を閉じたまま……。
 お前ら、一体何の為にここにいる?


「それは無理ですわお姉さま。今の豪州の復興計画を中断してしまえば市民の生活は成り立たなくなります」
「そんなものは別の業者に引継ぎさせるわ。少数の残留者には多少の不便は強いてもらわないと」

「……お姉さま、その考えは危険です。豪州の人々の連合陣営に対する不満は予想以上に大きいのです。事を急げば、クリムゾンは基盤層の全てを敵に回す事に繋がります」

「基盤はまた作ればいいわ。あんな事が起こったのだもの……もう元通りという訳には行かないわ」


 そろそろアクアの眉間にも皺がより始めた。
 シャロンのほざく計画はアクアにとって絶対に認めてはならないものであったからだ。
 彼女に賭けた多くの人々の意思と、命に代えて。


「それに、豪州の主要生産拠点は木連に破壊されたのでしょう? もう豪州にクリムゾンの本拠地という役目は果たせない」


 これには私も思わず眉をひそめる。
 まさか……シャロンはまだ、私達アクア派が木連と結びついた事を知らないのか?!
 何てお粗末な……いや、クリムゾンの主要衛星システムの中枢はアリススプリングにある。
 通信から観測、そして諜報衛星を握っているのは実質アクアなのだ。
 流石にビックバリアは連合の管轄だが、クリムゾン勢力内に範囲を限定すれば、制宙権を握っているのは此方側。
 外部の往来が遮断された豪州の内情を知る手段が、シャロン派には無いのだろう。
 その代わりにこちらは豪州攻略作戦実行後、外部事情を断片的にしか入手できない鎖国状態が続いている。
 そういう点では中立とはいえ、ピースランドはシャロンの独壇場と言える。
 ……まあ幸いシャロンはそれを生かし切れていないようだが。 
 どうもアクアに対する理不尽な恨みが先行してしまい、本来の目的を失念しているようだ。


「プレミア国王夫妻、及びルリ姫、御入場!!」

『おおおおおお!』


「いけませんわ。主賓に対して拍手を、お姉さま」

「う……貴女に言われなくても!」


 ……今の光景を見ていた来賓にとって、シャロンとアクアの力関係は一目瞭然だっただろう。
 アクアはシャロンのペースを飲み込むことに見事成功したのだ。
 彼女ら二人の雰囲気は何も姉妹としてではなく、アクア派とシャロン派という勢力としての状況も伝えている。
 アクアの底なしの余裕は豪州の真の強さを知らしめ、シャロンの浮ついた態度はシャロン派の意外な脆弱さを露呈した事だろう。
 たった数十秒の会話だけでも……私達がこの地に来た甲斐はあった。  



「……で、感想は?」

「……侮れないな、流石に。俺を値踏みする目で見てたよ。どう評価したのかは知らないけど」


 音も無く私の背後に現われたタキシードの青年……テンカワ=アキトに、失礼ながらも背中で語りかける。
 先程よりも若干距離は離れているものの、一時たりともアクアから目を離す訳にはいかない。
 今二人はやや穏やかに談笑しているが……それが何時崩れるか解ったものではないからだ。


「でもシャロンを甘く見ては駄目。伊達や酔狂でアメリカ方面の株主をまとめ上げた訳では無いわ……ああやって平静を維持できないのはアクアの前だからこそ。それも何時かは慣れる筈よ」

「確かに……実はナデシコとの連絡が一時間前から途絶えた」

「え?」


 ナデシコには超高性能な電子演算機が搭載されていると聞く。
 一説に寄れば超博士が保有するT-260Gに匹敵する電子戦闘能力を有していると言うが……それを黙らせるとは只事ではない。
 ここでテンカワ=アキトは、コミュニケーターと呼ばれる腕時計型通信機を軽く人差し指で叩く。


「通信網も一時間前から、見事に切断されてる。多分、今夜だけの為に全戦力を投入したみたいだな。それに、他のSP達に動揺が見られないところを見ると……事前に根回しはしていたみたいだな……侮っていたよ、ここまで形振り構わずくるとはな」


「……違う」

 私はテンカワ=アキトの説に異議を唱え、遂に振り返った。


「違う? どういう事だい?」


 漆黒に金糸銀糸で縁取られたタキシードを着こなしているテンカワ=アキト。
 はっきり言おう。彼の覇気を包み込むにはこれでは足りない。
 大抵の人間は歓声を上げて褒め上げるだろうが……。


「もしそういう風に根回しを行っていたならば、幾ら何でももう少し上手く立ち回る筈よ、シャロンは。それにね、今のクリムゾンの精鋭工作員は、ヤガミを含めシャロンの元にはあまり残っていない……それだけ大掛かりな仕掛けが可能な人材は居ないわ。タカオカは死んだし」


 では目の前のブーステッドマンはどうなる……と考えたが、インを除いてこいつら全員破壊活動はともかく隠密行動向きではない。
 小国とはいえ国一つを完全に遮断するには一人では絶対に手が足りないのだ……。
 しかも他のSPの統制を見る限り、シャロン個人が完全に制御できているのはブーステッドマン達だけと見える……いやそれはそれで恐るべき才能なのだかそれはともかく。
 他のSPの行動のばらつきが目立つのだ……シャロンの思惑とは別に動こうとする存在が背後に居るのか?


「……こんな事を貴方に言うのは何だけど、今回の一件木連は……何奴っ!!」

“バッ!”



 突如生まれた気配に私は迷わず腰の心刀を掴んだ。  
 テンカワ=アキトやインでさえある程度の気配は察する事ができたが、今度のは別だ!
 完全に気を消す事に成功している……手強い!
 最早躊躇っている暇は無いと決断した私は、その手に気を集め心刀を実体化させる寸前だった。


「はうっ……! 何、何?!」


 赤い髪をした少女が、脅えた表情で後ずさるのを見て、私は一瞬手が止まった。


「ウツキさん目、怖いよ」



 鳶色の瞳に涙をためつつあった少女に、慌てて私は笑顔を作る。
 彼女の恐怖をいち早く察したテンカワ=アキトの言葉があって助かった。


「ご、ごめんね! ちょっと私緊張してて……何処も怪我してない? 怖がらせて本当に悪かったわ! この通り!」


 まだあどけなさが残る少女の顔に辛うじて笑顔が戻った。
 全くの無実の人間に対し心刀を向けてしまったのだ……頭を下げるぐらいはやらなければ!

「あ、あの〜、お邪魔でしたか?」


 困惑した表情を見せて少女が尋ねる。
 ……メティが無事成長すれば、こんな美女になるのだろうな。
 ただ、いささか筋肉質な体はしていると感じる。
 針金のように細い手足だが、その実無駄が無いだけ……モデルか何かだろうか?


「いや、別にそんな事は無いけど」

「良かった〜! 私、こんな大きなパーティー初めてだったから……ちょっと人込みに酔っちゃって。バルコニーにも出れないとなると、窒息しちゃいます」


 タイラント少尉もこの雰囲気は苦手と言っていたが……私もだ。
 御伽噺などの影響で舞踏会に憧れる奴の気が知れない……現実はこんなにも醜く、欺瞞に満ちた空間だと言うのに。

 そんな中でこの少女の存在は正に一輪の華。女の私でさえも癒されるようだった。
 邪な考えを一切持たぬその瞳には、誰もが惹きつけられる事だろう。



「ああ、その気持ちは解るよ。俺達もそうだったからさ」

 そう言って、彼女に微笑みかけるテンカワ=アキト。
 彼もまた目の前の少女のお陰で、精神の緊張が解れている。


「そうなんですよね。あんなに沢山の人がいて、ビックリしちゃいました!!」 


 天真爛漫に微笑む少女を見て、私達は思わず微笑んでしまった。
 最早これだけ純粋無垢な少女など、木連でも絶滅してしまっているぞ……。
 地球と言う場所はまだまだ奥が深い。


「あ……私の名前は枝織(しおり)です。宜しければ、お二人のお名前を教えて貰えますか?」

「あ、俺の名前はテンカワ=アキト」


 名乗りを拒む理由など無い。
 私も彼に続いて名を名乗った。


「私の名は天道ウツキよ」

「えっと、アー君に……てんちゃんですね」


“ドタッ!!”

「ア、アー君?」

「て、てんちゃん?!」


 バルコニーから落ちそうになった体を起こしつつ、お互いに指差しあい、何とも言えない表情で呟く。
 てんちゃんって……そんな風に呼ばれるのは本当違和感があって……何せ愛称など付けられたのは生まれて初めてだっから。


「駄目? じゃあうっちゃんの方がいい?」

「……どっちでも良いわ。貴女が好きなほうを」


 半ば投げやり気味に答えるが、悪くは無い。
 そう、悪くは……。


「じゃあてんちゃんで決まり! 私って人の名前を覚えるの、苦手なんです。だから、一文字だけで覚えちゃんですよ。」


 そう言って笑う枝織に思わず私達は苦笑いする。
 確かに私の名字一文字だけど……豪快な名付け方だ。


「ダンスか〜、楽しそうですね。」


 バルコニーから会場内を覗いて、そう呟く枝織。
 ……あ、アクアがカエンにエスコートされて踊ってる!
 いやこれは誤認か。エスコートしているのはアクアの方だ。
 カエンの方は力をセーブする事で頭がいっぱいで、とてもリードする事など考えられないようだ。
 ここでアクアに何かあればシャロン派の信用は地に落ちるからな。
 しかも今度はジェイにも狙いを定めているようだ。Dはエルが牽制したお陰で諦めたようだが、インの方はシャンデリアの影に隠れ冷や汗を流している。
 ここで恐らく、ブーステッドマンの実力を測るつもりなのだろうが……大胆不敵なプレッシャーをかけるものだ


「……まあ、枝織みたいな美人なら、踊ってくれる人なんて勝手に寄ってくるだろうけど……そう言うのはハズレよ。どうせなら、自分の好きな人を誘ってみては?」

 と、こうしている間にも何人か近寄っていたが……全て私とテンカワさんが視線で追い返している。
 彼女を汚させてなるものか、下劣な男共が!


「じゃ、頑張って誘ってみます!!」


 と言って、テンカワ=アキトの方に歩いていった。
 成る程……まあ彼ならば……。


「踊って、くれます?」

「……喜んで」


 優しい微笑みと共に、差し出された枝織の手を……何故か一瞬の躊躇いの後掴んだテンカワ=アキト。
 ……これだけ愛らしい枝織の誘いに、何故躊躇いを見せるか理解に苦しむ。
 それとも彼は、己の血で染まった手を……闇を知らぬ彼女に晒す事を避けたかったのかもしれない。
 枝織をエスコートしてバルコニーから出て行くテンカワ=アキトを見て、私はそんな風に感じた。




 その舞はとてもこの世の物とは思えない、夢の様な光景を私に見せていた。
 世の中にはまだ、これほどまでに美しい空間が残っていたのかと考えていると……今までの苦しい現実は何だったのかと思ってしまう。
 番いの鳥の如く軽やかに、華麗に舞い続ける光景に……私を含めこの場に居る全ての人間が虜にされた。


「ん?」


 いや、たった一人だけ例外が居た。
 やや長めの髪を揺らし人ごみを掻き分けていく青年。
 だがこの状況では思うように進めず、業を煮やしたのか隣の給仕からワイングラスを貰い……。

 
“ガシャアン!!”


 ……有ろう事か地面に叩きつけた!



「ぐっ!!」


 その瞬間、テンカワ=アキトの表情が歪み、枝織も驚愕の表情を作った。


「……枝織ちゃん、君は何者なんだい?」


 構えた?!
 何のつもりだ! 只の少女相手に何を……只の少女?
 本当にそうだったか?! あの身のこなし、あの体格……! 彼女は、もしや!!


「アー君のお友達だよ。でも、それは今日だけのはずだったのに〜……どうして、痛い思いをしてまで避けたの?」

“ポタッ!”


 フロアに流れ落ちた鮮血に私は蒼然となったが、すぐさま行動を起こす!!


“ブン!”
“ブゥン!”

「?!」

「あ、貴方は!!」


 会場に鳴り響いた心刀起動音が二つ?!
 一つは私だ……そしてもう一人は私と同じく、こちらを見て固まっているさっきの青年!


「天道艦長?!」

「ミカヅチ?! そうか、貴方はナデシコに!!」 


 突然の再会を驚いている時間的余裕は無く、私達は月での戦闘時と同じく、自然に連携体制に入っていた。


「募る話は後回し! 今は……」
「解っています……! テンカワさんを!!」


 人が波の様に退いて、発生した空白地帯にはテンカワ=アキトと枝織、そして私達の四人のみが残る。


「カイトが割ったグラス……その確認に一瞬、視線を君から外した時に、君の繰り出す凶器が見えたんだ」

「ふ〜ん、凄い偶然だよね」

「偶然じゃないさ……俺はちゃんとお前の動きが見えていた!」

「待って。今はまだ、仕掛ける時ではない!」


 そのまま私達は黙って身構えている……赤と青の心刀を煌かせながら。 


「だが、問題はそんな事じゃ無い!!君は……何故殺気も無く人を殺せる!!」

「だって、お父様に言われてたんだもん。テンカワ=アキトを楽にしてあげろ、って。お父様の言う事は、ちゃんと守らないと駄目なんだよ?」


 ……!!
 無邪気故の残虐性を、ここまで引き伸ばして暗殺者に仕立て上げただと?!
 まさか、枝織の父親とはあの……!


「そんな、理由で君は……人を!!」

「だって、どうせ今日が終ったらもう会わないでしょう?なら、別にアー君が死んでも、私には全然関係無いじゃない。それに、アー君を殺してあげないと、私が父様に怒られちゃう」


 罪悪感は感じられなかったが、父親に怒られる言った瞬間、少し悲しい顔をした。
 ……間違っているぞ。
 そんな父親は間違っている!!


「君は……危険すぎる。殺意が存在しなければ、俺にも君の攻撃は捌けないだろう。殺気がなければ、君の動きは捉えられないだろう。だから、本気でいかせてもらう!!」


 最早殺気を隠そうともせず、テンカワ=アキトが臨戦態勢に入った。


「今っ!」

「応!!」

 そして私達も心刀を握りなおし、何時でも飛びかかれるよう身構える!
 私達はテンカワ=アキトの殺気に気押されているというのに……枝織は涼しい顔をしている?!


「怒っちゃ嫌だよ、アー君♪ でも、何だか怖いから今日はさよならね!!」


“ヒュン!!” 


 手首のスナップのみ、しかも瞬時に何かを投擲しただと?!
 しかもあの速度、軽く人を殺せる!!
 その飛来する先には……。


“ドスッ” 







 
「グラシス中将、シュン提督!!すみませんがプレミア国王夫妻に掛け合って、会場の人達を避難させて下さい!!」

「うむ、任せておきたまえ。」

「解った、しかし油断するなよ。」

「はい!!」


 この混乱の中避難誘導が始まったようだ……。
 我先にと会場からの脱出を図る来賓の足音が、震動として私に伝わる。
 ……今の私の耳には音が入らず、それだけが周囲の状況を物語っていた。


「アクアっ! アクアしっかりなさい!!」

「お、お姉さま……無事ですか?」

「何で……何で私を庇ったりするの!!」


 赤いドレスが更に真紅に染め上げられていく……アクア自身の、血によって。


 
「……お父様も……お母様も……お爺様までもが居なくなって……最後に私だけだ何て……嫌だもの……」

「そんな……っ!」


「……ウツキ」


「!」


 アクアに呼ばれた瞬間私は心刀を放り投げ、彼女の身体を抱きかかえると肩に突き刺さった食事用のナイフを抜く。
 こんなもので……こんなものでアクアが!!


「うっ!」


 抜いた途端にドッと血が吹き出て、私の制服を血で染めていく。
 しかしそんな事は今は問題では無い! 私は肩口に力を込めて制服をちぎろうとしたが……。


“ビリッ!!”


 私よりも先に衣服を裂いた者がいた。


「……シャロン!」

「何をしてるの早く!! 貴女アクアのガードなんでしょう?!」


 意外な出来事に驚きはしたが、すぐさまシャロンのドレスの切れ端でアクアの肩を縛る。


「ウツキ……」


 白く美しかった顔には生気が失われかけていた。
 それでもなお唇を動かそうとする彼女の顔に、何度も雫を落としてしまう。  


「お姉さまを……守って……」


「!!」


 力尽きる寸前の、たった一言を聞いて両手で口を覆うシャロン。
 私はと言うと……只、戦慄くだけであった。


「大丈夫です! 出血によるショック症状が起きているだけ!」


 例の双子の片割であるアリサが、素早くアクアの症状を分析すると、手際よく担架に乗せて運んで行った。
 各自仕事を果たすべく散った後には……私達しか残らなかった。  


「……………う…ううう……!」


 ……何もできなかった。
 心刀も抜き、手も足も出たはずの状況で私は……何も、出来なかった。
 いやしなかった!!


「……あ、悪を断ち、弱者を守る刃の筈の私が……女一人救えないの……! アクア一人守れないと言うの……ッ!」


「天道……さん」


 座り込んでいるシャロンが、どうしたら良いか解らないといった風にこちらに手を伸ばしたが……。
 その手が届く前に、私は髪を振り乱し叫んでいた。


「うおおおおおおおおッ!! おのれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


「待て」


 追撃し、枝織を撃滅しようと駆ける寸前に声を掛けたDを、私は鬼の様な形相で睨んでいた。


「……俺達の任務はクライアントの安全確保。その不安要素を除去する為にはいかなる行動も許されている」

「……!! 手伝うって言うの?!」


 黙って頷くD。


「俺達にもブーステッドマンとしての面子がある。こんな所で、のうのうとしては居られんよ……!」


 その瞳に、私は闘争心以外のものを感じたような気がした。




「何故そちらでは察知できなかった!!」


 廊下を走り追撃を開始した私は、この苛立ちを思わずインにぶつけていた。
 隠密行動能力、そして索敵能力に関しては奴が一番優れていた筈なのだ。
 しかも人と言う遮蔽物が無いシャンデリア上で直に索敵は可能だった筈……。


「……全センサーがジャミングで潰されて使い物にならなかった」

「だから逃した?! 呆れた言い訳ね!!」

「……確かにな」


 だがこれではっきりした。
 今回のピースランド孤立工作に関しては彼らはシロだ。
 危うく雇い主を殺してしまうような危機を呼ぶ工作は、彼らはしないだろう。
 ……では矢張り、シャロンの存在を亡き者にしようとする意志が!


「こっちの方はまだ支配基盤が脆弱でね……あなたのアクアちゃんみたいにガッチリ人心を掴めないのよ、ウチのお嬢は」

「その砕けた言い方はよせ! 不謹慎だ!!」

「まあまあ。あんまりピリピリしているといざって時に困るぜ……っておおっと!」



“ババババババ!!”


 二手に別れていた通路の片方から、銃撃を受ける私達!
 すぐさまDがフィールドを張ったお陰で大半は無傷だが、矢面に立っていたジェイは?!


「痛いじゃねーか」

「流石ジェイだ。何とも無いぜ」

「俺が受けたのは弾丸で、機雷でもハンマーでもねえぞ?」

「また何処かのオールドムービーからセリフ引っ張って……演技力ゼロよカエン」


 ジェイの体からひしゃげた銃弾が何発か落ちる。
 穴が空いたのは服だけだ……しかし今更ながら、こいつら黒服が激しく似合わないな。


「放っとけ」


“ドゴオッ!!”

『キャアッ!!』

 Dがディストーションフィールドを限定的に使用し、その衝撃を直接相手側にぶつけた。
 今の声は女か……ったく、下手に前に出るから!


「目標の鎮圧確認。前進する」

「オイオイこらこら!! 随分と乱暴じゃねえか!!」



 Dの荒っぽい攻撃に抗議する、サングラスの男……ヤガミ!
 そうか、テンカワ=アキトと共にここまで先行していたのか!!


「攻撃目標を制圧しただけだ……何の文句がある?」

「チッ! 死んでなきゃいいんだが……それよりも! 今さっき連絡が入ったが王城内庭園と連絡船の停泊所に爆発物が仕掛けられているらしい!!」

「何ですって!!」

「庭園の方は仲間に任せている! ウツキ! お前は停泊所の方を頼む!! 俺はあの工作員を締め上げて情報を出させる!……生きてたらな」

「了解! D!! 異存は?」

「ねえだろうからとっとと行くぞ! 楽しみだぜ……あのお嬢ちゃんは一体どんな声で」


“ガスッ!”


「……馬鹿は黙らせたわ。行きましょうD」

「ああ」


“ダダダダダダ……”


 ……凄いタイミングのツッコミだったなエル。
 早すぎて見えないぐらいに。


「……なあウツキ」

「何よ」

「……友達は選べよ?」


「誰がっ!」


 場を弁えない冗談に怒りを覚えながら、私は再び駆け出した。    




「見逃して……もらえませんか?」

「……彼女の正体を聞きたい。」

  私達が駆けつけると、既にテンカワ=アキトは枝織を追い詰めつつあった。


“パチパチパチ!!”

“ヒュルルルルル……!!”

“パパパパアアアア……”


 その場に居る全員を、天上の煌びやかな光が照らす。
 ヤガミが懸念していた爆発物とは、大型花火だった訳か。
 誰かは知らんが性質の悪いやりかたをする……。


「どう考えても、彼女の実力は北辰を凌ぐ……彼女もまた、北斗と同じく北辰の子供なのか?」

「そうだとしたら……どうするんですか!!」


 
 怒りと、恐怖が華によって彩られている。
 どちらがどちらかは……言うまでも無い。
 しかし対峙する工作員が恐怖を無謀とも言える勇気で振り切ろうとするその姿勢には、ある種の敬意を感じていた。


「……いずれ、彼女も俺の敵としてまた現れるだろう。その時の確認だとでも、思ってくれ」



 その覚悟を感じたのかテンカワ=アキトはあっさり引き下がったが……ここからが本題だな。
 ここまで来た以上D達が引き下がると思えない……そして私自身もそんな気は更々無い。
 ……生きて帰れると思うな! 枝織!!


「零夜!!」

「零夜ちゃん!!」

「大丈夫とね、零夜!!」

「皆!!」


 そこに、遅れながらもあの工作員らも駆けつけて来た。
 それを率いる男の顔には見覚えがある……秋山源八郎の副官だった男か。
 ピースランドに潜入できたのもあの男の手腕故、か。

 
「アキト!!」

「テンカワ!!」

 ヤガミともう一人の大男も辿り着いたか。
 これで包囲は完璧だ……しかしこれだけ雁首そろえて、果たしてどれだけが生き残れる?
 私の思い違いであって欲しいが……あれは下手をすると真紅の羅刹に匹敵する!


「くくくく、山崎も……味な真似をしてくれる。時間が経てば俺の暗示を解くとはな」


「し、枝織ちゃん?」


 あの工作員だけでなく、私やテンカワ=アキトにも動揺が生まれる!
 声が違う……! それに、気の流れも全く異質なものに変化している!
 真っ白で、それでいて無慈悲な枝織の気が、みるみるうちにどす黒く染まりつつある!


「12時……シンデレラの時間は終わりだ。ここからは……」


「この闘気、まさか!!」

「本当に彼女が!!」


 ……矢張り皆、同じ結論に至ったようだ。
 テンカワ=アキトなど先ほど以上に真剣な表情で大地を踏みしめていた。
 私も心刀を再起動させる! こいつは断たなければならない……。
 木連の未来以前に、私達が生き残る為に!!   

 

 

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