月軌道艦隊の残存兵力の掃討は、順調に進んでいました。
舞歌さんに豪州の管理運営を丸投げしたお陰です。あの人矢張り軍隊指揮するよりああいった事が向いているみたいで……流血と流涙しか招けない私とは大違いです。
まあそれだけにそれを未然に防ぐ方法も熟知していますが。
月の占領がいよいよ現実味を帯びてくると、元老からの横槍が激しくなってきたのです。
色々と現実を見据えない無茶な要求ばかり言ってきましたが、極め付けが一つありました。
“今こそ悲願達成の時。我らが正義を裏切り者共に知らしめろ”
……早い話が月面都市への報復行為です。
老人どもは未だにかつての政変争いを根に持っており、共和派の末裔に対してもその怒りの矛先を向けようとしたのです。
そんな事をやって誰が何の利益を得る事が出来るのか?
亡霊の下らない感傷で本来木連の半身である月を壊滅させるなどと、正気の沙汰ではありません。
いい加減鬱陶しくなったので、彼らの切捨てを実行しました。
私と草壁中将閣下は早い段階からこう言う事態を想定し対策を練っていましたが……流石は草壁中将、何のしこりも残さずに片をつけてしまいました。
全国民に元老の真意を暴露し、その行為の是非を問うという荒業の結果は……言うまでもありません。
賞賛めいた言葉をかけてみますが、これで舞い上がるような男ではありませんでした。
……まだ腐ってはいないようですね。
勝ち続けている限りはこの状態は維持できるでしょう……ですが指導者と言うのは辛い役職。いつ“支配”という耽美な誘惑に負けてしまうか解ったものではない。
慎重に見極めが必要ですね……。
国民を絡めて尋ねてきましたか。
まあ私とて犠牲が嫌だから戦いを止めましょうなどとは考えていません。
そんな覚悟でここまでは来ませんから。
そう、今でも月では多くの市民が取り残されたまま……幸い共和派の流れを汲む団体等が協力してくれたお陰で、今でも月の都市機能は生きています。
豪州の時と違い殆どそのままの状態で数十の都市を支配下に置けましたからね……我々は資源力だけでなく経済力をも手にしつつあるのです。
着艦要請信号は……ダリアを含め無事に全機揃っている。
私が長距離ボソン通信を行っている間、イツキは私の話に複雑そうな顔をしつつも北斗君達の誘導をしてくれていたのです。
同時に損傷状態を外部から判別していたのですが……そうですかそこまで酷いのですか。
二人で駆け足で格納庫に辿り着くと、余計にその惨状が目立ちました。
神皇は何処かしらパーツが欠損しており、特に零夜機は頭部どころかコクピットすれすれの部分にまで鉤痕がありました。
北斗君の毒舌に反応する気力も残っていないか……これでもかと言うぐらい痛めつけられたようです。
ダリアもまた随分と酷い状態です。左腕は喪失し、胸部と頭部に醜い傷跡が残されています。
極めつけはコクピットで、何と装甲に穴が空き操縦席まで貫通していたのです。良くこんな状態で帰って来れたものです!
あの男ではない?!
今のナデシコ機動部隊において、あの男に匹敵する能力を持つ人間など……。
彼しか居ないじゃないですか!
参った……懸念が現実と化しましたか。
動揺が顔に出てしまいましたか。
大仕事を終え、北斗君達が全員生還出来た事でかなり気が緩んでいましたね……どうしましょう。
こうなったら覚悟を決めて全てを話す事にします。
中将閣下じゃありませんが、面倒な事になりますねこりゃ。
各務さんを初めとして優華部隊の皆さん全員が目を見張りました。
ついさっきまで戦場でまみえ、危うく命を奪われかけた存在の身内がここに居るのです……驚いて当然。
頬を赤らめ照れているイツキですが、彼女には腑抜けている余裕がありません。
北斗君の熱烈と言うか何というか……とにかく狙いを定めたという風な視線が向いていましたから。
御剣さんが一番に疑問をぶつけてきます。
彼がああなったのは海よりも深い訳がありますが、一々説明するのは面倒です。
……と言うよりせっかちな北斗君が持たないでしょうから。
余りにあっさりとイツキが答えたので、逆に言及を控えてしまいました。
後の詳しい事情は戦後本人に直接聞くか、自伝でもリクエストしてもらいたいですね。
……いや正直それどころじゃないんです!
どんどん北斗君の目がぎらついて来てるんですよ……!!
何で挑発しますかねこの人は!
確かにイツキのスペックはカイト君に匹敵するものがあります。
いや、むしろ安全面を考慮していないのである意味彼より強力です。
ですが……実戦経験が乏しいイツキと今のカイト君では、その実力差は歴然です。
自分でもそれは解っている筈なのに……何故です?!
そう、例えナデシコが沈むような事態になっても彼は生き残るでしょう。
彼の大切な者と共に……ね。
神皇を不安げに眺め、空さんが尋ねてきます。
他の皆さんと同じくらい、この機体の事が心配なのでしょうね……。
テンカワ=アキトが投入した新型機動兵器……ブローディア。
相転移エンジンと“オモイカネ級”の人工知能を搭載した化け物の様なマシンです。
単機での能力は木連の如何なる兵器の追随も許さないでしょう……“本体”でも太刀打ちできるかどうか。
……ですがブローディアは兵器ではありません。
量産できず、世界でたった一人しか扱えないような代物など……兵器などとは呼べません。
こんなものを持っているからといって、戦局が容易く変わると本気で考えているのでしょうか。
だとしたら愚かですね……木連世代の実力を過小評価し過ぎているとしか思えません。
所詮は、テロリストと言う事ですか……。
それから暫く時間が経ち、暇を持て余した北斗君の相手をしつつ、私はダリアだけでも先に復活させようと考えを練っていました。
あの変態的な性能を持つ機体相手だと、ただ元に戻すだけでは話になりませんし、ちょっとやそっとの出力強化では追いつかない。
ブローディアの性能で特に厄介なのはあの光の翼、フェザー。
自らがディストーションフィールドを纏い、変幻自在に動き回る攻防一体型汎用端末。
あんなものに纏わりつかれたら流石の北斗君も厄介でしょう。
あれをどうにかして封じる方法は無いのでしょうか……遺跡から発掘された新技術、AFS(アンチ・フィールド・システム)が一瞬頭に浮かびましたが却下。あれはまだ開発段階の代物であり、今の段階ではゆめみづき級のハンガー全てを使ってようやく詰め込むことが出来る様な容量ですし。
自立砲台をダリアに搭載させる事は……ブローディアが高性能人工知能を少なくとも複数搭載している事からも効率的ではありません。テンカワ=アキトもそれぐらいは軽く撃ち落せるでしょうし。
なら守りに徹する様な代物を考えるしか無いのでしょうか?
北斗君はそれで納得するかちょいと不安。
……ま、気に食わ無くても彼に生きてもらうには仕方が無い。我慢してもらいますか。
ウインドゥに入ったタチアナのメッセージに、私はプラン作成の手を止めました。
気が付くと真後ろに蜥蜴顔が迫っていたので、思わず引いてしまいました。
……寝ているイツキに悪いと思って暗明かりの中作業していたのは失敗でしたね……心臓に悪い。
完全には私を信用していないと言うことか?
いやそれならば態々私に伝える必要は無くこっそりやればいい……厄介な任務のようですね。
成る程、ピースランドの事ですか……。
永世中立国という今のご時世では俄かに信じがたい体制をとっている小国。
そんな所で何をするつもりなのでしょう奴は?
しかしこの場でアクア嬢に何かあれば豪州の融和政策が大きく後退しますね。
何らかの手を打つために私の元へ協力を求めたのでしょう。
北辰は黙ってうなずくと、手を引いて長髪の少女を私に紹介してきました。
だらしなくはだけたシャツとトロンとした目だけ見ると、とてもじゃないですがさっき私と心刀三本勝負をしていた人物とは思えません……散髪が要らない位頭髪に心刀が掠りましたからね……。
そのまま大きなあくびをして、枝織ちゃんは北辰に寄りかかって目を閉じてしまいました。
……うーん実にミスマッチな光景。しかし現実というものは意外性に富んでいる物で。
北斗君の半身である彼女もまた、その意外性の賜物なのです。
今まで私が座っていた椅子に枝織ちゃんを座らせ、白衣を上から掛けてから話を続けます。
枝織ちゃんもまた北斗君と同じで酷い方向音痴なのです。
しかも石蒜の内壁をぶち破ったりと、壁があっても引き返そうとせず無理やりにでも前に進もうとしますし……。
さらに厄介なのは枝織ちゃんは北斗君に比べ精神年齢が低い。
下手に迷子になってパニックに陥ったりすれば、もう任務どころではなくなります。
性格だけでなく外見、いや雰囲気まで大幅に変わりますからね……。
男性的な人格を持つ北斗君ではこの手の任務はむいてませんね確かに。
何だかんだ言って北辰はこの二人にかまってますね……。
先に逝かれて決着がつかなくなるのを武人として恐れているのか、それとも……。
数時間後、私はイツキと共に石蒜から下船し、潜入用跳躍門を経由して地球に向かいました。
豪州が中継地点として機能しているお陰で、昔に比べ地球への潜入は遥かに容易になりました。
……そろそろ優華部隊の皆さんも北斗君、いや枝織ちゃんの失踪に気が付くはずです。
タチアナには跳躍門を含めた全てのシステムの使用許可を与えています。間違いなく舞歌さんの指示を仰ぎ救出作戦を敢行するでしょうからね。
……それに、彼女達には神皇の修理の目処が立たない以上あそこにいても意味はありませんし。
今の私達は機上の人となっていました。
豪州から出発するアクア=クリムゾン専用シャトルに、身代わりとして搭乗する事が出来たのです。
本人はとっくの昔に、高速連絡艇を用いてピースランドに向かっている途中です。
前回の連合の行動の事もありますので、用心と言う訳で。
私に受話器を渡すと、落ち着かない様子でグラスの液体に口を付けるイツキ。
他にもドリンクはあるのだから水を呑まなくても……贅沢に慣れていないのでしょう。
慣れても困りますけど。
こうなる事が解っていたので、あらかじめ受話器を耳から放していて正解でした。
でないと、イツキの様に耳を押さえ悶える羽目になったでしょうから。
そ知らぬ顔で切り返す私に、舞歌さんも冷静さを取り戻しこちらに口撃を仕掛けます。
受話器の向こうから唇を噛む音が。
しばしの沈黙の後に、落ち着いた声で舞歌さんが答えました。
ですが舞歌さんにはこのままで居てもらいたいですね。
八雲さん同じ気質……常に追及を忘れないその姿勢が無くなってしまえば、彼女は彼女で無くなるでしょう。
舞歌さんがミス?!
一体何をやらかしたのでしょう……。
頭を抱えたい気分になりましたが……私はとにかく考えます。
木連の未来達が潰れる事は極力避けねばなりませんからね。
その為には漆黒の戦神に退場してもらう事も、頭に入れておかねば。
苦い顔で受話器を置いた私を、イツキが不安気に見つめます。
外遊程度に考えていた旅路が、波乱の物へと変化した瞬間でした。
ピースランドの地に降り立った私達の、沈んだ雰囲気を動かした人物が居ました。
若々しく自信に満ちた表情をした青年が、私の顔を見て企みめいた笑みを浮かべたのです。
これには消沈していたイツキも表情を固くしてしまいました。歳相応とは言い難い貫禄が、彼にはありましたからね。
ロビーの前で秘書である吾郎君と共にいたのはあの北岡秀一……北辰に護衛を依頼している人物です。
OREジャーナルによるゲリラ報道に関連した訴訟において矢面に立っている弁護士の一人。
私達が提供した連合の極秘資料や、自身の豊富な人脈と才能で、裁判において政府側を圧倒する心強い味方です。
矢張り連合側の露骨な干渉があるようですね。
事態を予期して北辰を派遣してよかった……。
私達はそんな会話をしつつタクシー乗り場まで足を運びます。
イツキを試すように見下ろす北岡先生。
人によっては反発を生むでしょうが、それだけでは無いというのが彼の不思議な所です。
断る理由など無く、私達は笑顔で申し出を承諾しました。
ですが運転手と顔を合わせた途端笑顔では済まず声に出して笑ってしまいました。
三白眼の鋭い表情をした彼……私の知る人にソックリだったのです。
編み笠を被ればもう本人と見紛うばかり……。
まあ、彼にそんな事を言っても仕方が無く、実に荒削りな発進の仕方でした。
今までずっと黙っていた吾郎君が駄目押しするぐらいですから相当なものでしょう。
いやー意外な一面を見てしまったと言うか何と言うか。
矢張り変装してもその笑みはインパクトが強いですね……ほら横切った時歩道の子どもが泣いてましたよ?
矢張り……。
何時の世も体制と言うのは悪足掻きを好むものです。
時々北岡先生こう言う風にボケますからね……。
まさか彼も、って事は無いでしょうけど。
お互い乾いた笑い声を上げましたが、ふと私は横目でイツキを見つめました。
矢張り拗ねてました。
こういった政治的な話は、置いてけぼりにされると何も出来なくなりますから……。
前部座席に座っている吾郎君が、振り返らず言ってくれました。
貴女に頼り助けられているお陰で、私はこうまで頑張れるのです。
それでも満足できないのがまあ、彼女らしいと言えばらしいですが。