最悪のパターンは免れていたもののそれに近い。
北斗はあの真紅のドレスに身を包んだまま、大立ち回りを演じていた。
クリムゾンの人間と思しき黒服らは皆ダウンし、今は天道艦長のみが辛うじて立っている状況だ。
それを小細工としか考えられないようではこいつも先が短いな……。
北辰でさえも、貴様が小細工と蛮勇とほざく行為の恐ろしさを心得ているというのに……。
まあ知らないならば教えるまで。その……命でな!
助走全く無しで飛び上がった俺は、北斗の直上の位置から渾身の振りを繰り出す!
殆ど頭髪一本の差で体を逸らすとは!
幾ら北辰と、文字通り親子程の時間差があるとはいえ……この差は一体?!
あの親子は共に、暗部で生きて来た人間の筈、その環境にさしもの差は……。
返事をしそうになって思わず踏みとどまる。
俺はもうカイトなんだと、一体何度言えば良いのやら……。
捨てたとはいえ、かつての名前を口にするのは意外と辛いのだ。
美しいとさえ思える北斗の笑みに、俺はハッとなった。
これこそが北辰との最大の違いではないかと。テンカワさんやナデシコの皆の様な、全力で戦える相手がいるからこそ、ここまで実力が伸びたのではと。
長年効率的かつ効果的な“仕事”しかして来なかった北辰には底がある。しかし北斗はまだ、前に進める。
銃撃戦に加え北辰との戦闘、更には花火の硝煙を思いっきり被ったりして見るも無残な状態であることは確か。
楽器といい服といい……今度の騒ぎだけの出費だったな。
だが……。
それでこいつを葬れるならば!
逆に葬られる可能性も無きに有らずだがな!
さていよいよだ。
前回はそれぞれダリアとアルストロメリアと言う鎧を纏っていたが、今は生のままで戦う事になる。
肉体と共に精神もな……装甲に遮断された殺気も一身に受けねばならない。
それぞれの鎧には博士と、班長の魂が篭っていたがその加護はもう無い。
俺達は、全て自力でやらねばならない。守る事も倒す事も。
天道艦長の疲労はかなりの物と見受けられたため、俺はそう言った。
しかし本気でもしもの時が訪れるかもしれない。そうなっても……致命傷は与えなければ。
遊びで殺ってんじゃないんだよ、俺達は!!
そんな風にしか考えられない奴を、この世に置いてはならない!!
手首、足首、肩、首、腰……。
全身の骨という骨、関節という関節が軋みを生みつつ熱を生む。
それがたった一本の、鉄をも溶かす光の刃の演舞の為に費やされる労力だ。
報われはしないこの動き……止まるとしたら、どちらかの首を切り落とすその時だけだ。
驚くほど俺の頭はスッキリしていた。
戦場よりも遥かに死が近づきつつあると言うのにだ。
そう、俺には帰る場所があり、迫っている戦いもある!
こんな所で死んでは何の意味も無いのだ。俺達の戦いはこんな所で終わりはしない!
俺達はずっと戦うのだ……戦争が終わったとしても、新たな時代で生きると言う壮大な闘争が待っている!!
とうとう手を出した。追い詰めてはいないが、熱くなっている証だ。
こいつは時代で戦う気が無い……いつまでもこんなグズグズした時間でいる事を望んでいる!
冗談じゃない!
たった一人の凶戦士の所業で、明日を否定されてたまるものか!!
天道艦長の顔が激昂する。
こいつを使えるまでに、俺らが一体どれ程修練を積んだと思っている!
優人部隊や人造人間は素質が付加されているとはいえ、全員が使える訳ではないのだ。
中には力の制御を誤り……腕は戻ってきたものの二度と粒子兵器を使えない身体になった者もいる。
過酷な修練がなければ本来こいつは使えない……それを才能だけで扱っている貴様に、何が判ると言うのだ!!
俺の独白に答えるかのように、芯のある声が響く。
天道艦長と同じ、純白の制服に身を包んだあの男は……!!
三羽烏が一人、月臣元一郎か!
秋山艦長に比する木連最高の戦士が、今ここに……。
木連の癌を断つ為に、遂に少佐も心刀を抜いた!
……しかし大丈夫か?!
木連式柔に関しては北辰を上回る部分がある。
だが北辰や北斗が修めているのは表の柔のみならず、裏の柔もある。
人殺しに特化した黒歴史だ。この生の戦いで、一体どれだけ戦えるのか!
しかしこの声を聞いた途端、そんな心配は無意味だと感じた。
月臣少佐に続き、超博士と姉さんまで!
これで心刀の使い手が半数以上集結した事になる。
特に博士は、心刀を作り上げたのみならず、その基本モーションの構築も行っている。
ともすれば自分の刃で自分を斬ってしまう代物である心刀を、誰よりも理解している。
そしてそれに最も近いのが他でもない姉さんなのだ。
これは……勝てる!
この面子を前にすれば、真紅の羅刹等恐れるに足りず!!
犠牲を最小限に抑えようとする博士の言葉もまず無意味だろう。
……しかし実際、守備隊も黙ってはいないだろう。一刻も早く連絡艇で脱出しなければ国境突破が不可能になるぞ!
あの北斗を苛立たせている!
普通の人間ならこの時点で肉塊になっているだろうが博士は違う。
あの人もまた、北斗を唯の屍にする力があるのだ……だからこそこんな口が利ける。
遂に説得が失敗し、姉さんが動き出した。
最初に踏み込みを行った地面に深いヒールの後が残っている。
カタパルトで加速する様に前に出た姉さんは、一直線に北斗の首を狙ったのだ。
……パワー、判断力、動体視力、瞬発力とどれを取っても姉さんのスペックは俺を超えている……。
そんな姉さんに度胸と決意が加われば、敵う奴はまずいない!
そんな振りで姉さんを捕らえられるほど、甘くはないぞ!
どうやら全力を経験した事がない奴には、そういう感覚が鈍い様だな!
と、その時姉さんは自分の心刀を博士に投げ渡した!
まさか……。
おもむろに心刀を発現する博士。
俺らでも多少の気合を入れないと骨だというのにこの人は……涼しい顔で当然のように動かすとは。
驚いたのは俺も同じだった。
二刀流だって?!
イメージを維持する事は勿論、これだけの危険物、生身の人間が扱うのは無茶だ!
二刀流ともなれば出力調整は全く効かずフルパワーの筈。うっかり身体の何処かに触れただけであっさりと断たれるかもしれない……!!
そんな気負いは博士には一切無かった。
あくまでも冷静沈着、自分の事すら傍観しているようだ。
俺はこの思考パターンが羨ましいと感じると同時に……得体の知れなさも感じつつあった。
本当にこの人は、凄過ぎる……。
だが真紅の羅刹も負けじと劣らずだ。
今度は極めて真っ直ぐな振りを博士に見舞う!
辛うじて受止めるも博士の表情も苦い!
ここに来て奴の瞳に真剣さが帯びて来たが、よりにもよって博士相手ではそう大差は無いだろう。
矢張り一人では手一杯と感じたのか、スキを見て心刀を投げる博士。
一体の如き動きで鮮やかに受け取った姉さんが、ヒールで地面を削りながら駆け出す!
これ以上敵が増えるのを面倒と感じたのか、博士から一旦離れ姉さんのほうへと向き直る北斗。
……まだまだ面倒は増えるぞ!!
姉さんより一歩前に立ちはだかると、刃を立てて待ち構える!
お互いにこれが全力の一撃となる!
しかしお前にとっては一撃だとしても、こっちは二の太刀三の太刀がある!
まあそれには頼らないがな……俺の一撃で全てを決めてくれる!
その時だった。
俺達の顔面を高温の粒子が横切ったのは。
咄嗟に身を引いた俺達の髪が何本かもっていかれ、それが地面に落ちる前に何本かの街路樹が宙に舞っていた。
光波を……飛ばしたのか天道艦長!
秋山艦長でも光波飛ばしは出来ない事は決して無いが、ここまでの飛距離は無い!
しかし奴相手では目晦ましがやっと。
実力のケタが違い過ぎる……!
銃声を聞いて我に返った。
……実力が全てでは無かったのだ。こういった絡み手もまた、勝利への道。
それを忘れていたとは、俺も知らず知らずの内に北斗と同調していたようだな。
血の霧が北斗のドレスを更に染め上げた。
どうやらそれは奴の意識すら染め上げ……奪ったようだ。
気配そのものが、失われたのだ。
慌てて各務隊長ら優華部隊の面々が駆け寄るが……その悲痛な表情が徐々にだが消えていく。
やっぱり。
鉛球程度で北斗を殺せるようならば苦労はしない……無力化してしまう他に方法は無かった。
だが今ならば……いや止めて置こう。博士の思惑を無にするわけにはいくまい。
それに、殺気が近づいた途端覚醒しないとも限らないし。
北斗を背負って高杉副長が行く……。
短い間でしたが、貴方ともう一度仕事が出来て良かったです。
今後の更なるご活躍を期待しています……!
おおっとそうだった。
感動の渦に飲まれる前に姉さんに引き戻されてよかった、って……。
……。
……え?
何で、こんな張っているんだ? 空気が。
既に脅威は去った筈。それなのに……。
本国での通り名はそうなっているのか……って何故そこで殺意をむき出しにするんですテンカワさん?!
博士も!
どうしてそう挑発的な目で見下したり……。
怒っているのか博士は!!
和平会談の場が無茶苦茶にされた事に対し……何よりクリムゾンとの関係を悪化させるような真似を見過ごした事に!!
でもあれは仕方が無かった!
テンカワさんだって神じゃない!
……違う?
博士は結果で無く、その過程について言及している……。
……う、確かにテンカワさん。会場内で知った顔以外と口をまともに開いた事無かったなぁ。
"同盟”からの粛清を恐れ特に女性を避けまくっていたのが更にマイナスに……とうとう実際問題としてテンカワさんを追い詰めたよあの人達は!!
ああ……博士、人の良いところを見つけるのは大変だけど、問題点ならば幾らだって発見できるからなあ……。
テンカワさんの場合、ありとあらゆる面で常人を凌駕している分、そういった面が目立ってしまうのか?
努力してるのに……いや、努力しているじゃ駄目か。
博士は、本気でテンカワさんに期待していた、結果がほしかった。それを裏切ってしまったのだ……。
失望の眼を向けて博士は背を向けてしまった。
テンカワさんは戦う事でしか、己の強さを示せない訳じゃないのに……ナデシコに来ればそれが判る筈だ。
……それが出来ないからこそ、他の手段で自らをアピールする必要があったのに……。
見て欲しかった……俺達の真実を。