機動戦艦ナデシコ
The Triple Impact
第十七話 二つの海 Cパート
「さあ、どうぞ」
「はあ…」
(……どうして、こんなことになったんでしょう?)
海人の目の前には豪勢な食事が並んでおり、正面には美少女と言って差し支えない金髪の少女が座っていた。
海人が島を適当に歩き回ろうと思い立って歩き始めた矢先、いきなりこの少女――アクア クリムゾンと遭遇し、現在に至ったわけであるのだが……。
まさか、オーナー自ら手を出してくるとは予想外だった。そう言われてみれば、“記録”にもこの島のことはあったような気がする。
(でも、そんなに印象には残ってませんでしたし…。それほど重要な事でもないから僕も透真も今まで忘れてましたね。この後、何が起こるんでしたっけ?)
海人と透真が経験した“記録”では、テニシアン島での出来事は“色々あった中の一コマ”のような位置づけだったので、どうも印象が薄い。
「あの…、料理の中に何か嫌いなものでもありました? もしそうなら…」
「あ、いえ、僕は別にこれと言って好き嫌いはありませんから」
そんな事を考えていると、アクアから心配そうな声がかかってきた。どうやら出した料理の中に気に召さないものがあったと思ったらしい。
(…ま、出された料理を食べないと言うのも失礼でしょうし…)
「では、いただきます」
モグ、モグ…
「おや、美味しいですね」
「よかった!」
嬉しそう言うアクア。
「………っ」
そんな彼女の声を聞いていると、海人は何とも言えない気分になってくる。
「? どうかしたんですか?」
「…いえ、何も」
そう言えば、テラサキ サユリの声を聞いた時もこれと同じような気分になった覚えがある。
…どうやら自分の“失った記憶”とやらの中には、彼女達と似た声の女性が二人ほど登場するらしい。
(まあ、どうでもいいですね。今の所は)
海人はそうやって割り切ると、気を取り直して目の前の食事に取りかかった。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
銃声が森の中に響く。
「…ほう、なかなかいい腕だな。クリムゾンSSの中でも実力的にはけっこう上の部類か」
しかし、銃声が響くだけでその弾丸は標的には掠りもしなかった。
決して撃った人間の腕が悪いわけではない。先ほど“標的”が言ったように、この島にいるのはクリムゾングループのシークレットサービスの中でも精鋭と呼ばれる者達だった。
では、どうして当たらないのか。
撃った銃弾を躱されるのだ。
これでどうしていいか困り果てるのは撃った人間である。
銃弾をセンチメートル単位で動いて回避する人間など、見たことも聞いた事も無い。当たり前なのだが。
そんな風に呆気に取られている内に、標的に一瞬で自分との距離をゼロにされ、
ガッ!
SS隊員はこめかみに強い衝撃を受け、その意識を暫しの間手放した。
そしてそのSSに自分から喧嘩を吹っかけた人間――石動 透真は、楽しそうに笑みをこぼす。
「なかなか楽しいな、これ。今度機会があったらアキトや海人でも誘ってバトルロイヤルでも……っと、上か」
ガサッ!
木の枝の上で様子を窺っていたらしい男が、ナイフ片手に透真を目掛けて垂直落下してくる。
ヒュッ
しかし、透真はそれをバックステップで軽く躱し、
タッ
後方に着地すると同時に、大地を蹴って前方へ跳ぶ。
一瞬で間合いを詰められて男は多少驚くが、とっさに半身になってナイフを構え、迎撃体勢を取った。
ヒュンッ!
“まあまあ”のスピードでナイフが迫って来た。透真はこの十倍以上は速いナイフの攻撃を一週間に一度は見ているため、躱すのは容易い。しかし、ただ躱すのも芸が無いので、
ドゴォッ!! メキャアッ…!
躱すついでに、クロスカウンターと言うものに挑戦してみる事にする。直後、透真の拳に“何かの固形物”が砕ける手応えが伝わった。
襲ってきた相手を見ると、拳が綺麗にアゴにめり込んでいて白目を向いている。
……殺していない自信はあるが、少なくともこれで彼のアゴは一生に渡って極端に衝撃に弱くなることだろう。
「さて、残りは……ひい、ふう、みい、よ……八人か。四人ずつのチームで、と……。んじゃ、先にこっちから片付けるか」
透真はプランを組み立て終えると、即座に実行に移した。
ザッ!!
まず、片方のグループの中の一人に猛スピードで肉迫し、腹部に膝を叩き込んで沈める。
……ひょっとしたら内臓破裂とかしてるかもしれないが、気にしない。
相手チームが突然の襲来に面食らってまごついている間に、手近にいた男の後頭部に裏拳をぶつける。
……後頭部はちょっとシャレにならない気がするが、もうやってしまった事なので後悔しても始まらないだろう。
残った二人が慌てて自分に向かって銃を撃ってくるが、これを上手く躱しつつ片方の男に接近。鳩尾に肘を放つ。
(よし、今度は何の問題も無いぞ)
……“今度は”と言うことは、前の人間の内の誰かには何か問題があったのだろうか。
それはさておき、最後の一人に向かう透真。
ガン! ガン! ガン!
半ば半狂乱になりながら銃を乱射するSS隊員。しかし、透真は慌てずにそれを回避していく。
ビッ!
そして透真は左手で男の持つ銃を跳ね飛ばし、右手で男の服の襟首の辺りを掴むと、
ドシャアッ!!
力まかせに地面に叩きつける。…受け身さえ取れていれば気絶するだけで終わるレベルの技のため、心配無いだろう。
……そう、受け身さえキチンと取れていれば。
ついでに言うと相手の鎖骨の辺りもちょっとヤバいかもしれないのだが、鎖骨が折れて死ぬ可能性は低いと思われるので、
「さ、次に行こう」
気にせず次に進むことにした。
今度は一気に距離を詰めたりせず、ゆっくりと歩いて向かうことにする。
「………ん」
十秒ばかり歩いた所で、向こうの方からも気配が近づいて来る事を認識する。
「バカ正直に迎え撃つのも何だしな……。やるか」
気配を殺して木の影に隠れ、やって来た敵を観察してみる。
こういう“気配の殺し方”だの“気配の読み方”だのは、かつて姉に嫌と言うほど教え込まれたため――彼の使う流派はそういう分野が上手いと言うこともあるのだが――得意分野なのだ。
「チッ、どこに隠れたんだ!?」
ガサガサ…
右手に銃を持った男が、透真を探してあちこちの茂みを覗き込んでいく。
すぐそばにいるのに全く見当外れの方向を探していると言うのは、気配を消している人間から見ると何だか馬鹿みたいに見える。
しかし、このままこんな隠れんぼを続けるわけにもいかないので、
「おい」
「なっ!? い、いつの間に後ろに!!」
「…お前がここに来た時からいたよ」
ガッ!
後頭部に軽く手刀を振り下ろして終わらせる。
「残りは三人……っと」
自分に向かって殺気が飛んで来たので、素早くその場を離れる透真。
数瞬後、
パァンッ!! パンパンッ!!
先程まで身を隠していた木に、銃痕が三つほど生まれた。
殺気の飛んで来た方向を見ると、確かに人の気配がする。…その場から動く気配も無い。
(気配の殺し方が荒すぎる。我流だな、これは。…どうでもいいが、こういうブッシュ戦では銃で攻撃した直後は動いた方がいいと思うんだがなぁ…)
気配の読み方ができなくとも銃痕から敵の大体の方向くらいは割り出せるため、位置が分かりやすいのである。
ジャリッ! ガササッ!!
「う、うわぁっ!?」
足元の砂を蹴り、茂みの中に体ごと突っ込む。いきなり茂みの中から標的が現れたので、敵はビックリ仰天しているようだ。
ドンッ
仰天している間――と言っても一秒にも満たないが――に、鳩尾に拳を打ち込む。
ドサリ……
敵はアッサリとその場に崩れ落ちた。
「あと二人…」
ざっと周囲を見回してみる。……少なくとも姿は見えない。
しかし、
「…また上か。本日二度目だな」
体二つ分ほど飛び退き、木の上から降って来る男を眺める。
ズシャッ!
着地する敵。そして透真を睨みつけ、
「…何故、俺の位置が分かった!? そこで寝ているヤツならともかく、俺の気配の消し方は完璧なはずだ!!」
と尋ねた。
「あの程度で“完璧”だと? 笑わせるな。俺は少なくとも、お前よりは練度の高い気殺をする十歳の子供を一人知ってるぞ」
「な、何!?」
「それに俺は昔、殺気を全く出さないヤツ相手に目隠しして戦った事があるんでな。それに比べりゃお前なんて雑魚もいいとこだ。何なら、ハンデとして目隠しで戦ってやろうか?」
そしてゆっくりと目を閉じる透真。
「このっ……ふざけるなあっ!!」
ダッ!!
完全に馬鹿にされたと思い込み(実際、そうなのだが)いきり立って透真に突進する敵。
透真はその突進を目を閉じたまま軽く躱し、すれ違いざま握り拳を敵の背中に向けて振り下ろした。
――ゴッ! ダンッ!
敵が地面に叩きつけられる。
「…目隠しで戦う事の欠点は、敵の体の部位の正確な位置が分からなくなる事だな」
まぶたを開きながらそう言う透真。…それ以前に、もっと根本的な欠点があると思うのだが。
(しかし、アレはキツかったな…)
透真は何年か前に目隠しをしたまま枝織と戦った事を思い出し、苦笑する。
……やる前に友人達から、『馬鹿ですか、あなたは』とか『まともな戦いができるわけないだろ、阿呆』とか『止めといた方がいいですよぉ』とか、えらい言われようをされたのも、今では良い思い出だ。
枝織を相手にする場合は殺気が微塵も感じられないため、“勘”――いわゆる“第六感”が大して働かない。
つまり通常の五感だけで戦わなくてはならないのである。
人間の五感による情報収集力を100とすると、その内訳は、視覚72、聴覚13、味覚6、嗅覚6、触覚3となる。
つまり五感の七割を占める視覚からの情報を自分から遮断してしまったため、透真はかなり苦戦を強いられた。
味覚と嗅覚は戦闘においてほとんど出番が無いため、必然的に聴覚と触覚のみに頼らざるを得なくなる。そのため透真は“空気の動きを肌で感じる”などと言った、おおよそ常人には不可能な芸当を披露しなくてはならなくなった。
――ちなみに勝敗の結果だけを言うと、引き分けであった。
(…始めの内は防戦一方でやられまくってたからなぁ…。ようやくコツをつかんで反撃したと思ったら、それが相打ちになってお互いに気絶しちまったし…。前半にやられすぎたのが原因だよな、多分)
「さて、と……」
昔を懐かしむのはその辺で終わりにして、最後の一人を探す。すると、
「…んで、最後は俺ってワケか」
意外な事に、向こうの方から声がかかってきた。
(ほう、自分から出て来るとは…)
透真が驚きと感心が入り混じった顔で男を見る。
「俺はどちらかと言うと武術家タイプでね。…ま、正直勝てる気はせんが、後ろからいきなりってよりは真正面から当たって砕けた方が納得できるんで…」
「…んで、わざわざ俺の目の前に姿を現したのか」
「そういう事。じゃあ、行くぜ!!」
ザッ!!
男は地面を蹴って一気に透真との距離を縮め、
シュッ!
左拳で、ジャブとストレートの中間のような一撃を放つ。
透真はそれを左に軽く飛んで躱すと、側面から男のこめかみに向けて軽く拳を叩きこむ。
しかし、
「おぉっと!」
ガッ!
男はとっさに上半身を透真のいる方向へ捻り、両腕を使って攻撃をガードした。
「……へぇ」
並の相手――先程まで相手をしていた奴らレベル――だったら、これで終わっていたはずだったのだが。
……どうやら、もう一つか二つほどランクが上の相手らしい。
バッ!
お互いに半歩離れ、間合いを取る。
「へへ……やっぱやるねえ、アンタ」
「お前もなかなかだぞ」
「そりゃどう、も!!」
『も』の言葉と共に、男が中段蹴りを放つ。透真はそれをバックステップを使って間合いギリギリで回避すると、今度は自分が中段蹴りを使って男を攻撃した。
「うおぉっ!?」
ドガァッ!!
体勢を立て直したばかりの所に蹴りを叩きこまれ、男は盛大に後ろに吹き飛び、
ドゴッ!
5メートルほど背後にあった木に激突して止まった。
「ぐ、ぐうぅぅ……」
よろめきながらも立ち上がる男。
一方の透真は、そんな男にかなり感心していた。
(俺の脚が体にぶつかるまでの間に両腕を使ってとっさに十字受けし、その上バックステップを使って衝撃をいくらか殺すとは…。しかもけっこうなダメージを受けたはずなのに、それでも立ち上がって来るタフさ…)
「……今の時点のルチルより少し上くらいか」
「ルチ…ル? 誰だ…そりゃ……?」
少したどたどしい口調で透真に尋ねる男。どうやら、立ち上がったとはいえかなりのダメージがあるらしい。
「俺の弟子みたいなもんだよ。…まあ、それはさておき…」
――トン
問いに答えつつ、透真は歩いて男との距離をほぼゼロにすると、彼の心臓の位置に手を置いた。無抵抗な所を見ると、男は立っているのも辛いようだ。
「お前、なかなか見所があるぞ。一度キチンと基礎から鍛え直してみろ」
「………は? 何を言って――」
「それだけ言いたかった。じゃあな」
その一瞬後、
ドンッ!!
心臓の上から直接、寸勁――密着した状態で放つ発勁――を放つ。
ドサッ
そのまま男は綺麗に吹き飛び、大の字になって倒れた。
「…さすがに心臓はヤバかったかな?」
倒れたままピクリとも動かない男。
「どれどれ…」
ちょっと不安になり、首の頚動脈の辺りに手を触れてみる。こうした方が腕の脈をとるより分かり易いのだ。
そして男の首に透真がその指を当てた瞬間――、
「………………………………………やば」
透真の表情が凍りついた。
「……い、いかん!! 『鍛え直せ』とか言っといてこれでは意味が無い!!」
しばらく呆けた後、慌てて心臓マッサージをする。
「頑張れ!! しっかりしろーー!!」
自分でやったくせに、勝手な男である。
そして透真の数十秒に渡る努力の末、
「……ぅ、ぅう、うぅう……。あ、あれが……三途…の………」
男は息を吹き返した。……何か妙なうわ言を口走っている気がするが、気にしてはいけない。
「フウ…。あー、ビックリした。やっぱ心臓に直接衝撃を与えるのは止めよう」
とても大事な教訓を胸に、透真は戦闘が終わったその場を後にしたのだった。
「はあぁっ!」
バッ!
ルチルが右の飛び蹴りでアキトの頭部を狙う。
「………」
ガッ!
アキトは慌てずにそれを左腕でガードし、空いている右腕を使ってルチルを攻撃――しようと思ったその瞬間、
「……!」
ビッ!
ルチルが滞空したまま、空いている左の足をまっすぐ突き出すように――相手に足型のスタンプを押すのが目的であるかのように――アキトの胸の辺りへ放った。
「むっ」
ルチルの行動が予想外だったのか、少し慌てた様子でアキトは攻撃に使うはずだった右腕を防御に回す。
ドン!
無事にルチルからの攻撃をガードするアキト。ルチルは自分で放った蹴りの反動が大きかったのか、後方へ二、三メートルほど飛んで行った。
ジャッ!
砂地に着地するルチル。自分が攻撃をしたと言うのに、その顔には何故か冷や汗が浮かんでいる。
(ヤ、ヤバかったぁ〜〜! 何かよく分かんないけど、あのまま右脚の攻撃だけで終わってたら多分やられてた…!)
一方のアキトは、右腕に少々痺れを感じながら目の前の少女を見つめていた。
(…蹴りの反動を利用して俺から離れたか。先読み……いや違うな、純粋に気配に敏感なのか)
自分の隙を窺う少女を観察するアキト。
(スピードもそこそこある。動きに何となく透真を感じるのは、まあ仕方ないとして……認識を改める必要があるな、これは)
スッ……
構えをとるアキト。どうやら本格的に戦闘体勢に入ったらしい。
「…へぇ、アキトが自分から構えてくれるなんて、私も少しは認められたみたいね?」
「ああ。俺の見積もりでは、お前は“わざわざ構えなくても勝てるレベル”のギリギリ内側くらいだと思っていたんだがな。ワンランクアップだ」
「どのランクなのよ?」
「“構えれば間違いなく勝てるレベル”」
「…ちなみに、透真と海人は?」
「透真は“死ぬ気でやっても勝てないかもしれないレベル”で、海人は“本気でやりあったらどっちかが死ぬレベル”だ」
「…あっそ」
シュン!
会話が終わるや否や、ルチルが微かに残像を残してその場から消えた。つい先程までルチルがいたその空間には砂埃が舞っている。
「フッ……」
アキトは笑みを浮かべた。真正面から向かって来ても勝ち目が無い事は、先程のやり取りでルチルも分かったはずだ。ならば次は当然、
「…後ろか」
「いっ!?」
ガシィッ
アキトは上体を軽く捻って後ろに振り向き、握り拳で突き出されたルチルの右腕をつかむと、
ブオン!
「うわひゃあっ!!?」
そのまま力まかせに放り投げた。
ザシャアァッ……!!
そのまま砂地に体をダイブさせるルチル。
「うぇっ、ペッ、ペッ、…アンタねぇ、肩が外れたらどうしてくれんのよ!」
右肩を抑えながら立ち上がりつつ、アキトへ抗議するルチル。口の中に砂が入ったらしく、気持ち悪そうに口を鳴らしている。
「安心しろ、外れた関節を嵌めるくらい誰でもできる。…と言うか、お前は自分でできないのか?」
「『骨が固まってない内に下手にいじると危ない』って透真に言われてたし」
「フム、一理あるが…」
それだと、子供の頃に銃の訓練で頻繁に脱臼していた自分はどうなるのだろうか。
(…まあいい、過ぎた事は忘れよう)
少なくとも今は何ともないのだから大丈夫だろう、多分。
アキトはそう考える事にすると、再び構えをとってルチルに向き直った。
シュッ!
するとルチルは再び唐突に姿を消す。
(真正面からは論外、後ろも駄目、となると……)
ビシュッ!
ガッ!
左から飛んできた拳を腕で軽くガードする。と、
ヒュッ!
足払いが狙ってきた。アキトはそれを軽くジャンプして躱す。
ザァッ!
砂を巻き上げる音と共に、今度は右側から上段蹴りが――と言ってもアキトから見れば中段蹴りだが――向かってくる。どうやらルチルは自分がジャンプしている間に、左側から右側に回りこんだらしい。
(…やはり、チョコマカ動き回るしか無いか)
アキトは冷静に、その向かってくる右脚の、
ガシイッ!!
膝の下の辺りをつかんでルチルの動きを封じた。左腕に結構な衝撃が走ったが、些細な事だ。
「…っ!」
さすがにこれにはルチルも驚いたようだったが、数瞬後、不意にその顔に笑みを浮かべ、
バッ!
「むっ!?」
空いた左脚を使って跳躍し、そのまま足首から先の部分でアキトのアゴを狙う。今度はアキトが驚く番だった。
しかし驚くことは驚いたが反応できない程ではない。
アキトは頭を後ろに引いてルチルの攻撃を躱すと、すぐさま頭を元の位置に戻し、
(さて、これからどうしようか…。脚をつかんだままと言うのも何だし…)
などと考え始めた途端、
ゴッ!!
何か硬いもの同士がぶつかった音と同時に、頭部に鈍痛が走った。
視界の中に星が何個か瞬く。何秒か思考がぼやける。何度か経験した事ではあるが、やはり慣れるものではない。
その症状から回復してまず目に入った物は、右脚は自分につかまれたまま、左脚を高く――そのかかとがアキトの頭の上に乗る程に――上げたルチルだった。
「…お前な」
「………えへ♪」
可愛く微笑むルチル。
ルチルは、最初の左脚の一撃――アゴを狙ったもの――が躱されることは大体予測していた。そこで、二段構えの作戦を取ったのである。
つまりアゴへ向けての最初の攻撃は囮で、本命はその直後のかかと落としだったわけだ。
しかしこの“水着の少女が男に右脚をつかまれたまま左脚をその男の頭の上に乗せている”という光景は、傍目に見るとかなり奇妙な光景であった。
事実、ラピスは何とも言ったら良いのか分からない微妙な顔をしている。
そんなラピスの視線を感じつつも、アキトは行動を開始した。
ガシッ
まず右手を使い、自分の頭に乗ったままのルチルの脚をどかせる。ついでに左手もルチルの脚をつかんだままで右手と同じ高さに上げた。
「うひゃあっ」
するとルチルの体が支えを失い、ガクンと宙吊りになったようになった。
それを見ていたラピスの顔がさらに変な物になる。それはそうだろう、“水着の少女が男に両脚をつかまれて宙吊りにされている”など、奇妙と言うか、異様と言うか、面妖と言うか……とにかく、そういう光景なのだから。
「ちょ、ちょっと、何すんの! 降ろしなさいよ!」
ルチルが抗議の声を上げる。
「降ろしたら即座に攻撃されそうなんでな、ここは慎重に行こうと思ってるんだが…」
「『思ってるんだが』じゃないわよ! 早く降ろしなさいってば、この児童虐待者! ロリコン! 変態ー!!」
ポカポカポカ
宙吊りにされながらも両拳でアキトの腹部に攻撃するルチル。しかし下半身の踏ん張りが効かない上半身の力だけによる攻撃――しかも子供の力で――など、痛くも痒くもない。
「…児童虐待はともかく、ロリコンと変態ってのは止めろ」
「ホントの事じゃない」
「誰がだ! …おお、そうだ。いい事考えた」
「へ?」
ババッ!
「ふきゃっ」
アキトは一瞬でルチルを横に180度回転させ、右手で右脚を、左手で左足を持った。ルチルは当然アキトと同じ方向を――上下逆さまだが――見ている。
「な、何すんのよ?」
「何だと思う?」
質問を質問で返すアキト。
「………まさかとは思うけど………」
「まあ、お前が何を考えたのかは知らんが…。取りあえず頭は抱えておけよ、落ちた時に首を痛めるから」
「うげっ! やっぱり!?」
アキトは脚をつかんだ手をそのまま腰の辺りに持っていく。それに合わせてルチルの体も肩から上が砂地に着いた。
「よし、行くぞ」
「ちょ、ちょちょっ、ちょっと待った!! 子供相手にそんな事しないでよ!!」
「俺はお前と同じ年の時、同じ事を透真にやられた記憶がある」
「へぇ、そうなんだ……って、それ理由になってないし! うーんと……あ、そうだ! 一つだけ聞きたい事があるんだけど」
これでアキトの気が少しでもそれれば、と思い、取りあえずの疑問をぶつけてみる。
「何だ?」
「あのさ、どうして戦ってる時に私の動き――って言うか、行動を予測できたの? 攻撃の気配はなるべく消したつもりなんだけど」
「その事か。俺もお前と同じくらいの年に大人を相手に戦った経験があるからな、その経験に基づいてお前を迎撃したわけだ」
何となく遠い目をしながら答えるアキト。
「へぇ、誰と戦ったのよ?」
「“育ての親”と“その取り巻き”だよ。…さて、無駄話はここまでにして…」
「わあぁっ!? 止めてってば!!」
やっぱり止まらなかったらしい。なおもルチルは抗議の声を上げる。
「問答無用。行くぞ!」
そしてアキトはルチルの両脚を抱えたまま、豪快にその場で回転を始めた。
グォンッ! グォンッ! グォンッ! グォンッ!
「キャアアアアアァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜!!」
飛ばない人間プロペラと化すアキトとルチル。
そのジャイアントスイングの間にも絶え間なくルチルの絶叫は辺りに響き渡り、何事かと他のクルーが集まり始めた。
そして二十秒間ほど経過し、ようやくルチルは回転地獄から開放される。
ズシャアッ
砂地にその身を投げ出すルチル。満足に受け身も取れないほど効いたらしい。見ると、比喩ではなく文字通り目を回している。
ガクッ
その一方で、アキトもその場に膝を付いた。
ジャイアントスイングと言うのは、相手も回転するが自分も回転するものである。つまり、相手に与えたダメージはそっくりそのまま自分も味わうことになるのだ。おまけに回転させるのはあくまで自分の力によるものであるから、体力も消耗する。
……何故このような割に合わない技が存在するのか非常に疑問ではあるが、そのことについて言及するのは止めておこう。
(ぐ、ぐぅおお……。くそっ、ここまでリスクの高い技だったとは…。透真のヤツ、よくこんな技を俺にかけて平気――でもなかったな、確か)
前に自分がかけられた時も、透真は確かこうやってクラクラしていたような気がする。
(…フフフ、俺は透真にジャイアントスイングをかけられてルチルに同じことをした…。おそらく透真も誰かにかけられたから俺にかけたのだろう…。そして、いずれはルチルも…。…ああそうか、こうやって歴史は積み重なっていくんだな)
嫌な歴史だ。
「ちょ、ちょっと! ルチルちゃんの悲鳴が聞こえてきたけど、何かあったの……って、ええ!!?」
ルチルの悲鳴を聞きつけ、遅ればせながら慌てて駆け寄って来たミナト、ウリバタケ、リョーコ。そこにあったのは、
「仰向けに倒れてるルチルちゃんと、その近くで膝を付いて苦しそうにしてるアキト君、そしてその二人を眺めているラピスちゃん……? ハッ、ま、まさかラピスちゃんが二人を倒したの!!?」
「…え?」
勝手に推測するミナト。確かに見ようによってはそう見えなくもないが、展開に無理があるとは思わないのだろうか。
「そうじゃなくて、これはアキトとルチルが……相打ち?」
「…何で疑問形なんだよ」
それを聞いたラピスが訂正しようとするが、この状態をどう解説したものか迷う。途中経過だけを見ればほぼ間違いなくアキトの勝ちなのだろうが、この結果を見る限り『アキトの勝ち』と言い切るのも違う気がする。
「…とにかく、アキトとルチルが戦った結果こうなったの。私は一切手を出してないから」
取りあえずこれで間違いあるまい。変な誤解をされないように、一言付け加えておくのも忘れない。
「はぁ…。しっかし、ルチルちゃんはともかくテンカワがここまで消耗してるとはなぁ。一体どんな内容だったんだ?」
「テンカワが強いってのは何となく分かってたけど、そのテンカワと引き分けるなんてルチルも意外と強いんだな」
感心するウリバタケとリョーコ。
「もう、こんな女の子に悲鳴を上げさせるような大人気ない事するなんて…。後でアキト君にキツく言っとかなきゃ」
ミナトはルチルの介抱をしながらそう呟く。
ともあれ、“ルチルのストレス解消”という名目で始まったはずのこの勝負は、引き分けとなったのである。
……彼女のストレスが無事に解消されたかは、定かではないが。
あとがき(簡易版)
格闘に限らず、戦闘シーンって私にとっては鬼門ですねぇ。
しかも何かルチルとアキトの戦いに持って行くまでの経緯が強引だし(汗)。
……あ、しまった。これ前のパートの話でしたね(滝汗)。
ま、ともかく……。
次のパートでようやくこの第十七話も終わりです。
このスタイルのあとがきとも、しばしのお別れですね(次の話では、パート分けする予定はありません)。
…まあ、いずれはこのスタイルも復活すると思いますが。