機動戦艦ナデシコ
『影(シャドウ)』
遂に、遺跡 = くまのヌイグルミの手によって、火星からナデシコは脱出した。
火星に降り立った時と違い、船体は綺麗に補修されているのが対照的である。
それはさておき、これから行きと同じ時間をかけて約一ヶ月間、旅をしなくてはならない。
そのことを乗員も重々承知しているので、忙しなく艦内の作業に没頭している最中であった。
さて、そんな中、通路を壁伝いによろよろとよろけながら歩いている人がいた。
ナデシコの艦長ことユリカであり、ガイのスプラッタ現場を見て倒れた人物である。
ようやく意識が復活したので、必死にブリッジへと急いでいる最中であった。
・・・どうでも良いが、そのスピードは亀と対を張れるほどに遅い。
「うぅ、エグいもの見ちゃった」
顔を青ざめながら口元を押さえている様子を見ると、まだ気分が優れないようだ。
しかし、艦長であるユリカの元には、いかなる事情があろうとも、厄介事が舞い込んでくる。
「大変です、大変ですぞ!!」
プロスがバタバタと足音を鳴らしながら、慌ててやってくる。
その激しい足音を耳にする度に、少しずつユリカの額の青筋が大きくなっていく。
「ぷ、プロスさん。
私、体調がすこぶる悪いんですけど」
「それどころじゃないんですよ!!
聞いてください、我が社が合併してしまったんですよ!?」
「……はあ。
それがどうかしたんですか?」
「どうかしたじゃないでしょう!!
ナデシコはネルガル所有の戦艦なんですよ!?
つまり、合併と言っても――聞こえは悪いですが、吸収合併です。
そうなるとナデシコの立場は微妙な位置になるんですよ!?」
吸収合併に関する情報をコミュニケに表示し、まとめた関係書類をユリカに見せる。
どれもプロスの良い仕事振りを表す理解し易い、読み手のことを考えたまとめかたであった。
しかし、そんなことは、ユリカには関係無かったようである。
「はあ、分かりました。
とりあえず(体力回復の為に)ブリッジで昼寝するんで、そこを通してください」
あぼーん!!
(ころんっ♪)
「ありゃりゃ」
ショックの余り外れてしまったプロスの顎が、ころころと通路を転がっていく。
その顎の行方を気だるげに見届けながら、ユリカもブリッジへと重い一歩を踏み出そうとした。
そんな昼寝が目的のユリカを止めもせずに、プロスは静かに燃え尽きようとしている。
ぷしゅー(シナシナ〜ドンッ!!)
「へ?」
「艦長、艦長!!」
そんなユリカの元へと、重武装したミナトが怯えた表情で駆け足でやってくる。
どう考えても、そんな格好をしているミナトに迫られる方が怖かったりするが、怯えていた。
ユリカとしては怖いので、やや重たげに引きずっていた体を慌てて後ろへとのけぞる。
だが、怯えている割に興奮気味のミナトは、そのユリカがのけぞった分、前のめりになって話し始めた。
「あれって、艦長の私物なんでしょ!?
一体、どうなってるのよ!!
マッドに改造手術をされたとでも言うの!?
銃で撃っても、スタンガンぶち込んでも、平気で向かってくるんだけど!?」
「あぁ、うるさぁい!!」
遂にイライラが頂点に達したユリカが絶叫したので、今度は逆に慌ててミナトが後ろにのけぞる。
「決めました、私は艦長です!!」
「え、そうだけど?」
「強権発動!!
貴方を危険物に指定します!!」
「な…何よ、それ(ぺたっ)
へ? へ? 紙?」
ユリカに額に張られた紙をミナトが剥がして見てみると、そこには危険物と書かれていた。
それを見ても訳が分からないミナトは妙に強行な態度を示すユリカを、汗をたらりと流しながら見る。
「つまり、今すぐ武装解除をしなかった場合、
ミナトさんを隔離室へと閉じ込めて、反省してもらいます」
そうユリカが人差し指を天井へと向け、目を閉じた状態でつらつらと述べる。
しかし、その内容が告げられたミナトの方としては、とんでもないことであったので、
ぎょっと目をひん剥きながら、ユリカの顎へと迷うことなく銃口を突きつける。
その顔は切羽詰っているせいか、夜叉の如き様相である。
「ごめんねぇ?
私としてもしたくないんだけど、銃は手放したくないのよ」
手放したくないのは、アキトが原因だったりする。
「これは上司に対する態度とは思えませんね。
減俸、減給、反省文の提出で済まされると思わないでください」
ここ一番での頑張りが強いユリカは、顎で冷たい鉄の感触を味わいながらも言い放つ。
今までの青ざめてだらーっとしていた態度も、今ではきりっとした艦長らしい態度になっている。
これを見た人は恐らく、これを別の場面で役立てて欲しいと思うことであろう。
「ふふふっ、取り下げるつもりはないようね」
躊躇うことなく撃鉄を引き起こす。
「私はナデシコの艦長です。
それに私のピンチの時は――」
(そう、スーパーピ○チクラッシャーが駆けつけてくれるはずなのである)
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
・・・ユリカにとっては、いつも通りの腐敗しきった台詞であったが効果はてきめんである。
その証拠にミナトは、今やユリカの顎に突きつけていた銃を通路への警戒の為に使用していた。
「ふ、ふふふ、そうよ。
来るわけがないじゃない」
ガタガタと震える手を抑えつけながらも、自己暗示をかけるべく呟いている。
そんなミナトの態度が、ユリカにはカチンときた。
「いいえ、来ます!!
だって、アキトは私の王子様なんだから!!」
ガタッ
「アキト!? あ、アキト?」
ユリカが物音を耳ざとく聞きつけて振り返ると、そこには血塗れ、青タンだらけのアキトが立っていた。
余りにも悲惨な様相に思わずユリカも息を飲んでしまう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・い、医者を呼んでくれ」
バタンッ!!
どうやらミナトにぶち込まれた鉛や、青痣を作ったパンチやらは効いていたらしい。
それとユリカもガイの時と違い、気絶しなかったのは免疫でもできたのだろう。
「アキトォ!?
どうしたのぉ!?」
ガクガク!!
懸命に傷だらけのアキトを振り回しながら何があったのかを聞き出そうとする。
そんな病人に鞭打つような行動を取るユリカの問いには、当然のことながら答えられる訳がない。
と、そんなユリカの様子を見て逃げ出そうとする人物がいた。
そろ〜
「どこに行くんですか?」
「え?
あ、その、ねぇ?」
「こっちが質問してるんです。
もしかして、貴方犯人を知ってるんじゃないんですか?」
目を怪しく光らせながら、ゆっくりと首をミナトの方へと向ける。
その様子を見たミナトは、脂汗を流しながら懸命に首を左右に振りたくっていた。
「NO、NO!!
ワタシ、シリマセン!!」
「じゃあ誰が犯人だって言うんですか!?」
「えっと……じゃあ、あの侵入者がやったんです!!」
「ふざけないでください!!」
ユリカの首絞め(ハングネックブリーカー)が思いっきりミナトの首を絞めた。
このままだとナデシコ初の人死には、艦長の手によって成されるかもしれない。
そんな勝手に、犯人扱いされてしまっているアキトと言うと、木連にいた。
ナデシコから装甲をぶち破って脱出した後、フラクタルを操縦して火星付近までやってくると、
ダッシュの強力なジャミングがかかっている中、ボソンジャンプをして木連までやってきたのだ。
「ふっ、その手をどけたらどうだ?」
額から滲み出る汗を拭おうともせず、アキトが九十九に向かって静かに呟く。
今、驚くべきことにアキトはガスマスクを外し、いつも(?)のバイザーを付けている状態であった。
その為、苦々しげに歯を噛み鳴らす姿が丸見えだったりして新鮮である。
しかも、黒い戦闘服の下に隠されている屈強な肉体からは、筋肉が隆起しているのが分かった。
「お前の方こそ、離してもらおうか」
そんなアキトの視線を、真っ向から受けながら、九十九も涼やかに言う。
さらに、優人部隊で鍛え上げられた屈強な肉体が掴んでいる箸が、少しずつ増していく負荷に耐えられず悲鳴をあげる。
そう、二人とも箸で御新香を掴みながら睨んでいるのだ。
二人が巻き起こす熱き戦いの横で、ユキナが呆れながら口へと米を運ぶ。
我、関せずという態度を示しているが、やはり馬鹿な行為が気になるのか、口元がピクピク動いている。
ユキナとしては、馬鹿馬鹿しい争いだけに気にしたくないのだが、目に映って鬱陶しいようだ。
それに加え、なまじ実力者な二人だけに御新香の奪い合いが無駄に激しいのもユキナのイライラを増長している。
「はっ!!」
アキトの気迫の篭った箸の動きで、拮抗していた力が破られる。
御新香が二つの箸から離れ、宙を舞う。
続けて放ったアキトの二撃目は、確実に御新香を我が物にできる距離と速度であった。
先程の拮抗が破れた衝撃で九十九の動きが遅れているのもチャンスである。
「えぇい!!」
しかし、九十九も舌打ちをしながら、宙を舞う御新香目掛けて箸を動かす。
だが、九十九と御新香の位置、アキトと御新香の位置を、瞬時に計算して無理だと判断する。
その為、御新香を掴むことは断念した九十九は、なんとアキトの箸をはじきにかかった。
ギャリッ!!
一瞬、邪魔が入ったアキトは箸を取りこぼさないようにしつつ、九十九の力を逃がす。
九十九の箸がはじこうとした方向へと、箸を移動させて箸を弾こうとする九十九の力を受け流したのだ。
これにより九十九は、体全体が前のめりになり、倒れそうになる。
(このままでは、御新香が奴の手に落ちてしまう!!)
九十九の悲痛な叫びとは裏腹に、皮肉にもスローモーションで動きが見える。
ゆっくり、そう、ゆっくりと、アキトの箸が御新香に近づいていく。
この永遠とも言える距離と時間を九十九は、まるで苦い物を噛み潰したような表情で見詰める。
「もらったぁ!!」
そして、遂にアキトの箸が御新香を捉えた!!
「あぁぁぁぁ、うざったいのよ!!」
ドンッ!!
「「あぁ!?」」
ぽてっ
無常にも、我慢の限界がきたユキナの一喝のせいで、御新香が地に落ちる。
地と言っても木連の家屋なので、畳の上に落ちたに過ぎないが、それでも落ちてしまった。
これを拾おうともせず、悲しげに二人が御新香とユキナを交互に見詰める。
「な、何よ」
この妙な重圧に耐えかね、一歩身を引きながら問い掛ける。
そのユキナの問いには答えず、アキトは盛大にため息を漏らし、九十九は御新香を悲しげに拾い上げる。
「だから何のよ!!」
「貴様ぁぁ、わからないのか!?
お前は、御新香を汚したんだぞ!?」
アキトが頭に手をやり、嘆かわしいとばかりに首を振りながら叫ぶ。
九十九も両手で大事そうに、御新香を抱えながら首を縦に振り同意を示す。
今まで争っていた二人だが、今、心は一つになっていた!!
「御新香、御新香ってうるさいわね!!
御新香だったら山のように切ってあるんだから良いでしょうが!!」
「わかってない、わかってないぞ!!
これだから子供は困る!!
男と男が物を取り合い争っているんだぞ!?
それなのに、横から全部台無しにしたのは誰だ!? お前だ!!」
「だから御新香ぐらいでギャーギャー言わないの!!」
「ぐらいだと!?
ぐらいだと言ったのか!?
この食料難の状況において、木連の食料担当の人がどれほど精魂込めて作っていると思っている!!」
妙に木連の食料事情に詳しいアキトが、稲光を背負いつつ抗議する。
稲光が発生する雷雲の隙間から、一人のにこやかに微笑む老婆の影が見え隠れする。
ともかく、その勇姿は、近年ぱったり姿を見せない復讐鬼であった頃の、アキトが放っていた威圧感を醸し出していた。
「うっ……な、何よ。
そんなに怒んなくたって良いじゃない。
それに落ちたって言っても、畳だから食べられるわよ」
「あっ」
ひょいっと軽く九十九の手から御新香を奪い取ったユキナが口へと運ぶ。
そして、軽い咀嚼音が白鳥家に響いた後に、ごっくんと喉を鳴らしながら飲み干す。
「食った?」
「食ったな」
何やら二人が顔を見合わせ、呟きあう。
「食べたけど?」
そんな二人の様子に、ユキナはきょとんとしながらも返事を返す。
何も分かっていない様子のユキナに向かって、アキトは親切にも言ってやることにした。
「うわっ、ばっちい」
わざとらしく口元を隠しつつ、ユキナを指差して言う。
アキトのあんまりな言葉にユキナは、顔をタコのように真っ赤にして絶叫していた。
「掃除してるから汚くないわよ!!」
どんっ!!
足で畳を踏み鳴らしながら怒気の篭った視線をアキトへと向ける。
そんなユキナの視線だが、最近忘れがちだが修羅場を潜ってきたアキトには効いていない。
むしろ、怒るユキナを面白がって、尻を叩いていたりする。
「ユキナ、お兄ちゃんが悪かった。
今度からはきちんと、落ちてるものは食べないようにな」
代わりにユキナが怒っているのが怖いのか、九十九が怒りを沈めにかかる。
どうでも良いが、言っていることがどこか可笑しい。
「お兄ちゃんは、仕事ばっかり夢中になってしてるから知らないと思うけど、
私は毎日家の掃除、洗濯、炊事、餌やり、新聞取り、ゴミ出し、全部やってるのよ!?」
「はっはっは、なんか後半部分は俺がやらないといけない気がするなあ」
典型的な駄目な人っぽい台詞を何の躊躇もなくのたまう。
そんな兄の態度を見て、情けなくなったのかユキナもついつい手が出てしまった。
「バカ、バカ、バカッ!!」
ブン、ブン、ブン!!
パシ、パシ、パシ!!
ユキナのお子様パンチを顔に笑みを貼り付けたまま九十九が受け止める。
ちなみに笑いながら受け止める為に、余計に馬鹿にされていると思われユキナの怒りを増長させていた。
「んっ……いたた〜」
と、そんな様子を見ていたアキトが、急に腹を押さえ始めた。
突然、腹痛を訴え始めたアキトを見て、ユキナが慌てて走り寄ってくる。
目の前まで近づいてくると、心配そうにアキトの顔を覗き込みながら言う。
「やっぱりアンタ、浮浪者生活長かったんでしょ。
何が失敗したのか知らないけど、ゴミ袋の上に倒れてたし。
……その、食べたんでしょ?」
「んー!!」
妙に声を大きくしながらアキトが訴える。
やはり、ユキナの優しさが堪えたのかもしれない。
「もう、早くすっきりしてきなさいよ」
呆れ半分、心配半分にユキナがそう提案すると、アキトがいそいそと向かい始める。
その後姿を見届けた後に、ユキナは思い出したように食卓の席へと着いた。
「ユキナ」
「ん?」
「お兄ちゃんは奴を家へと上げるのは反対だと言っただろ!?
なのに飯まで食べさせるだなんて、お兄ちゃんは悲しいぞ!!
昔はあんなに聞き分けが良かったのに!!」
腕を天井へと突き出しながら熱心に言う。
それに対しユキナは―――――。
「はいはい」
「・・・・・・」
結局、九十九の言うことは、あっさりとユキナにあしらわれてしまった。
九十九の日頃の行いが行いだけに、ユキナとしてもどうでも良いのだろう。
「…………危険人物なのになあ」
イジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジ
イジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジ・・・
・・・当然のことながら、九十九が部屋の隅っこで幾らいじけても、ユキナはかまってくれなかった。