機動戦艦ナデシコ
『影(シャドウ)』
場所を変えて、地球。
ネルガルが吸収合併する少し前のことである。
クリムゾン本社にある一室において、一つの会合が行われた。
それは、ネルガルの社長とクリムゾンによる、秘密裏の会合である。
会合の目的は、合併後における軋轢を、今のうちに対策を立てて解消しておくつもりなのだ。
「では、株式の配当。
株主総会での発表などは、以上でよろしいですかな?」
「えぇ、利益があげられていない企業と合併など、抗議が殺到するでしょうからな。
ネルガルの持つ生産性と流通経路が合併の目的であると、しっかり説明しておかないと」
「まあ表向きですがね?」
「その通り、私達の目的は、マシンチャイルド関連の実験データ。
火星にあると言われる、遺跡の奪い合いを有利にする為でもある」
「ネルガルなど、クリムゾンの敵ではなかったですがな」
今でもネルガルに所属しているものもいるはずなのに、全員にこやかに笑いあう。
笑っていると、一人の男が、さも些末なことを思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、君のところの会長はどうするのかね?」
「会長については、私どもの間でも話し合いましたが、
他企業に身柄を確保される前に、口を閉じてもらおうかと」
「ふむ、では私達の方で手を回しておこう」
「それと、部隊指揮は彼女にお願いするとしようか。
彼女はこちら側についたとは言え、元は会長派に属していた人間だ。
ここらで切り捨てる口実を作っておいても悪くはあるまい」
「なるほど。 会長の首を取れれば良し、失敗した場合は口実が作れるというわけか」
「一挙両得とは、このことですな」
「いやはや、この頭を捻ったかいがありましたな」
「はははっ、ご謙遜を」
「いえいえ、会長には敵いません」
「ふふふっ・・・」
「はははっ・・・」
「「「「「ふはははははっ!!」」」」」
「では、この件は念入りにお願い致します」
「うむ、一人の始末ぐらい任せておきたまえ」
と、和やかに笑いあう集団であったが、要はバレずにアカツキを消すらしい。
しかもアカツキ一人を狙うにしては、些かやり過ぎとも言える人員を動かす様子であった。
その後、ネルガルとの合併に関する会合は予定の時間をややオーバーした後に終了した。
そんな怖い人にモテモテのアカツキと言うと、人目を避けながら裏道を歩いていた。
だが、どこかその足取りは心許ない。
どうやら、別のことを考えているので、逃げることに集中できていないようである。
だが、それはネルガルが潰れたということが、それだけアカツキにはショックだったのだろう。
何しろネルガルの吸収合併が決まった日、アカツキは報告を聞いても直ぐには信じられなかった。
社長が勝手に行動していたとしても、そのような性急に会社が合併したりできるわけがない。
何者かが裏で手を回したのではないかと、アカツキは直ぐ考えた。
実際、会長派として周りには知れていた人達ですら、合併に対して賛成しており、
アカツキが話を聞いた時点で、計画は半ばまで進行しているところでさえあった。
会長であるアカツキだけが事情を知らないのだ、こんな可笑しな話はない。
何者かの暗躍を勘付きながらもアカツキは、結局何もできないまま合併することになった。
「……まさかねぇ」
もはやどうすることもできないと悟るや、身を隠したのは正解であったが、
脱出時にアカツキを探すことに躍起になるエリナの姿を見て、アカツキは誰が根回しを行っていたのかを悟った。
「まさか、根回しをしているのがエリナ君とはねぇ」
アカツキは秘書として有能な働きを見せるエリナのことを信頼していた。
おまけに美人である。
そんな頭が回り、容姿が整った女性を信用せずに、アカツキが自身の生命に関わる要職に就かせたりしない。
「まったく、エリナ君もとんでもないことをしてくれたもんだ」
「へぇ、そんなこと言ったりするわけ」
「そうだよ、ネルガルは僕の会社だからね。
それを勝手に合併されたりしたら困るんだけど」
突然、独り言に入ってきた言葉に、アカツキは動じた素振りすら見せずに会話を続ける。
背後を振り返ると、アカツキの秘書をしていた頃と、同じスーツを着ているエリナが立っていた。
だが、疲労が溜まっているのか、目元がどんより濁っている。
その様子を眺めながら、アカツキは呆れたように両手を挙げる。
「やれやれ、会長をクビになった僕を、こんなところまで追っかけてきたのかい?」
「そうよ、アンタを捕まえておかないと、眠れないという人がいるもんだから」
「へぇ、あのお堅いエリナ君がねぇ。
一緒に寝るような人がいたんだ」
「言葉のあやよ、あや!!
だからアンタは嫌いなのよ!!」
「それが――裏切った理由なのかな?」
「さあ? でも、どっちにしろ。ネルガルに先はなかったわよ。
クラウンに開発中の商品よりも良い商品を顧客に提供されてしまうし、
ナデシコが火星に向かった件についての問題で連合と大ゲンカをしてるんだから」
そのことを、何よりも実感していたのはアカツキであったので分かる。
だが、それでアカツキが納得できるわけでもない。
まだ起死回生のカードは数枚、アカツキの頭にはあった。
何より遺跡の技術を解析したものが、他の企業を差し置いてトップになれるという簡単な図式である。
例え、今現在劣勢であろうとも、技術を解明したものが勝つのだ。
なのに、エリナはネルガルを、引いてはアカツキを裏切っている。
「ふーん、あんなに酷い裏切りをしておいて、
今は、この暑苦しい連中と仲良くしてるわけだ」
「そう、全員、仕事熱心でふざけたりしない。
ネルガルで働いていた頃のアンタとは大違いよね」
アカツキとエリナの周りを、黒服、サングラス、黒帽子を着用した連中が包囲する。
全員、懐に手を入れたり、入れないまでも直ぐに懐から手を伸ばせるように準備していた。
懐の膨らみ具合を見る限り、入っているものは物騒なものに違いない。
そのことを分かっているアカツキは、逃げ出す時に何も持ち出さなかったことを後悔していた。
慌てて身一つで脱出してしまったので、拳銃すら持ち合わせていない。
持っている物と言えば、コスモス建造に赴いた時にどさくさに紛れて持ち出したマスターキーのみである。
さすがのアカツキも鍵で銃と戦おうとは思わなかった。
「――どうやら、僕には選択肢はないようだね」
降参の意思を表すように両手を掲げながらエリナへと話しかける。
「どういうつもり?」
エリナはアカツキの行動をらしくないと思い、慎重に行動しようと身構える。
目を精一杯吊り上げながら、相変わらず薄笑いを浮かべているアカツキを睨む。
「……………」
だが、睨んでいても無駄だと思ったのか、エリナの方から視線を外す。
腕を組んだ体勢のまま背後に立っている一人の黒服へと目線で合図を送る。
その合図を受けたものは、頷いた後に一人だけ銃口をアカツキへと向けた。
「それじゃあ、貴方の頭に入っている情報を頂くとしましょうか」
「へぇ、僕のサブ脳から情報を引き出そうというのか。
エリナ君にしては、随分と思い切ったことを考えついたもんだよ」
「……まだ使われてるのよ」
「ふん? 不満そうだねぇ」
「私のことはどうだって良いでしょ!!
今、貴方の生死は、私に掛かってるのよ?
もっと緊張感を持ったらどうなのよ!!」
「そうは言われても、死ぬ寸前にどうしようが僕の勝手だろ?
まあ落ち着いているのは、僕が死ぬ気がないからだけど―――ね!!」
ドン!!
「―――っ!?」
エリナを銃口が向けられていた方へと突き飛ばす。
黒服は思いも寄らない射線上の邪魔な物体に、舌打ちをしながらも銃口を上へと向け移動しようとする。
他の黒服達もターゲットが動き始めたことを受け、次々に懐に隠し持っていた銃を構えていく。
しかし、アカツキの行動は素早く、一人の黒服から銃を奪い取ると同時に背後に隠れる。
同士討ちになることを悟った黒服の何人かが銃を撃つのをやめるが、勢い余ったのか発砲するものもいた。
その弾丸を、盾にしたものが受けた衝撃を感じながらアカツキも銃を構えて撃つ。
「構わん、撃て!!」
躊躇する人間も多い中、黒服の一人が撃ちながら叫ぶ。
その言葉を聞いて撃たなかった連中も、一斉にアカツキ向けて撃ち始める。
「うほっ、酷いねぇ」
黒を赤く染めていく盾を引きずりながら、アカツキは後退していく。
盾を貫通した弾丸が、アカツキの体を貫くのを感じるが構ってはいられない。
必死に黒服の集団から逃れる為に、アカツキは包囲を抜けると距離を取る為に走った。
アカツキは知らないが、数百m離れたビルの屋上に黒服が一人いた。
包囲した連中と同じ暑苦しい服装をしているが、違うのはスコープを覗き込んでいる。
スコープの向こう側には、懸命にケガを抑えながら走るアカツキが覗けた。
胸へと照準を合わせると、口元を歪めながらトリガーを引いていく。
「それは駄目だよ」
「っ!?」
ライフルの銃身が蹴り上げられ、弾丸は空の彼方へと飛んでいった。
同時に黒服は頭に強い衝撃を食らい、意識も飛んでいく。
その様子を眺めながら、迷彩服姿のラピスがにこやかに言い放つ。
「まず即死は駄目。
次に服装が駄目。
全く、こんなことをしてもらっちゃあ困るんだよね」
「社長、こいつどうします?」
狙撃しようとしていた黒服を縛り上げている迷彩服姿の連中がラピスに問い掛ける。
全員、市街戦なのに迷彩服姿というのは如何なものか。
ともかく、ラピスが面倒臭そうに呟く。
「ああ、いつも通り、洗脳部屋へ送っといて」
ラピスの指示を受けて、気絶している黒服を運んでいく。
その様子を眺めていた迷彩服の連中から、次々に同情の声が上がる。
「あぁ〜あ、可哀相に」
「社長は、鬼子だよ。鬼。」
「馬鹿。滅多なことを言うもんじゃない」
「あ、あんたらねぇ。な、何が可哀相なのよ」
「だって、もうあいつは自分の意思で生きていけないんですよ?
俺達みたいに銃を取って戦うことはできないし、やろうとも思わない。
まさに生き地獄って奴ですよ」
「大丈夫、大丈夫!!
ちょっと脳みそ弄くって、親への思慕を取り戻してもらうとか、
暴力に対する恐怖心、嫌悪感を増幅させた後に社会に放すだけだよ」
「いや、酷いと思うんスけど」
「じゃあ何、この前みたいな奴がいいの?
不安を軽減してくれるっていう物質のノンアドレナリンやらセロトニンの分泌をゼロにしてさ。
ちょちょちょ〜と、拷問した後に社会に放すって方法の方が良いわけ?」
「・・・どっちも酷い」
「もううるさいなぁ。
良いじゃない、世の中を掃除する為には奇麗事ばかり言ってられないの」
「社長、お電話です」
そうラピスが強引に締めくくると、隣に立っていたCSS(クラウン・シークレット・サービス)から通信機器を受け取る。
ラピスが受け取った通信機器は、平べったい形の画面だけが付いた形をしていた。
その為、ボタンなどの直接操作する為の部位が見当たらない。
だが、ラピスが通信機器の横側を触ると、両手の先からナノマシンが光り輝く。
その部位にインターフェイスがあり、ラピスが触れるだけで操作ができるようだ。
「よう、俺だ」
マントを脱いで、戦闘服のみの格好になっているアキトが映る。
どうやら、なにか席のようなものに座っているらしく、マントが邪魔になったのだろう。
「わかってるよ、私とダッシュとアキトだけの通信回線なんだから」
呆れたようにラピスが、ハッ!と嘲るように笑う。
「ああ、それでアカツキはどうなった?」
「アカツキなら確保できたよ」
「そうか……アカツキだったらネルガルの詳しいところまで知ってるだろうな。
ふ、ふふふっ。 それと、ミユキちゃんにも連絡入れて、今後の予定については詳しく教えておくから。
それと――まだ怒ってるのか?」
ドングリを頬に溜め込んだリスの如く、頬を膨らませているラピスの様子を見てアキトが呟く。
「…………」
「お、怒ってるのか……その、ごめん」
「…………」
「いや、な? そんなに怒ってるなんて思わなかったからさ。
今度からは、トカゲの時は言うからさ。許してくれよぅ」
情けない声を上げながら、ラピスに向かって手を合わせる。
その映像を、頬を膨らませたまま横目で見ていたラピスは、渋々という態度で口を開く。
「うー、今回だけだからね!
私がトカゲ嫌いなの知っててやらせるんだから。
それと今度からは、私だけ仲間外れにしないように」
ガスマスクはしていないが、バイザーをしている為に、アキトの表情は分からない。
だが、恐らくぬぼーとした顔付きをしているであろうアキトに向かって、ラピスが指を突きつけて宣言する。
「はいはい」
「わかってるの?」
「わかってるよ」
「社長は、へそ曲がりなんですね」
何やら背後でアキトとラピスの会話を聞いていた連中が、にたにたと笑いながら横槍を入れる。
「へそ曲がり!?
それ、どういう意味なのかなぁ?」
「ぷ、ぷぷぷ」
「―――アキト?」
「そうか、ラピスがへそ曲がりか!!
これは良いな、へそ曲がりか!!
はははっ、そうか、あのラピスがか!!」
なにやら嬉しそうに、笑みを浮かべながらアキトが言う。
ラピスが訝しげな顔をしているが、アキトは余計に嬉しそうに口元を歪める。
いや、必死に笑いを堪えているらしく、時折声が漏れていた。
「いーひっひっひっひ」
「ねぇ、アキトが壊れちゃった」
後ろに控えている、迷彩服を着込んでいる連中へと呟く。
全員相変わらずにたにた笑いを顔に引っ付けていたが、隊長らしき人物が代表して話し掛ける。
「社長と家族の会話ができて楽しいのではないのですか。
それよりも、ネルガルの会長の確保は完了してないはずです。大丈夫なのですか?」
「大丈夫、私の友達が行ってるから」
自信満々という感じのラピスが双眼鏡でアカツキの様子を探る。
先程のラピスの言葉を表すかの如く、アカツキは呆然としながら地面にへたり込んでいた。
(なんだ、あれは?)
先程起こった出来事を、アカツキが頭の中で反芻する。
まず、大量に血を流したせいで見た幻覚症状なのかを疑った。
しかし、何度目を閉じようとも、目の前で広がる光景は消えない。
それどころか、耳に響く阿鼻叫喚とも聞き取れる叫び声が痛かった。
そう、アカツキの錆付いてる五感の総てがアレが現実だと伝えている。
黒服にしこたま撃ち込まれ、体に刻まれた弾痕から流れる血と共に感じる痛み。
黒服が必死にあげる、鼓膜を振動させるほどの絶叫。
自身が流しているむせ返るような血の匂いが、鼻腔を刺激していた。
それらが正常に機能していることこそが、目の前の光景が現実だと訴える。
「―――へ、へぇ」
「う、うわぁぁぁ!!」
「たすけてくれぇ!!」
「ひぃ、銃が効かない!!」
目の前で、次々に黒服が上へと吊りあげられていく。
ビルの屋上へと続く壁で、黒服が必死に抵抗する為にガリガリ擦って音が鳴る。
その黒服を引きずるようにして、上へと連れ去るのは人の姿をした何かであった。
人の姿を模しており、五体を備えているが、動く度にモーター音が辺りに鳴り響く。
壁と黒服が奏でる音と、蜘蛛のように壁を登るものが鳴らす音が合わさる。
どちらも屋上へと到着すると消えてしまう。
その光景が、視界一杯に展開されているので、負傷した体から感じる痛みも忘れて見入っていた。
「あれは何だ?」
チュイーン
背後から聞こえた、機械が発する独特の音を耳にし、慌てて飛び上がる。
すかさず、振り向きざまに背後へと迫ってきていた機械の関節部分へと、弾丸を叩き込む。
甲高い音と火花が散るが、相手に致命的なダメージを加えられなかった。
すると、抵抗する意思がアカツキにあることを理解したらしく、相手の腕が素早く動き、アカツキの首を掴む。
そのままアカツキは、体を強制的に地面から飛び立たされる。
「ぐっ」
首に感じる圧迫感の為に、くぐもった声が口から漏れ出る。
何とか相手の手を首から外そうとするが、まるで歯が立たない。
(……僕は死ぬのか)
そして、アカツキが最後の時を迎えようとしていた時であった。
「コダッシュ、それは駄目!!」
その声を視聴覚機能が捉えたのか、アカツキの首を絞めていた力が弱まる。
首の圧力が減った為に、自然とアカツキは重力に引かれて地面へと落下した。
ドサッ!!
「コダッシュったら、駄目だよ!!
あれはアカツキなんだから、気絶させたりしたら駄目なの!!」
「――――――!!」
「ゲホ、ゲホ、ゲホ!! な、なんだ?」
アカツキが痛む尻を摩ることすら億劫に感じながら見上げると、先程の首を絞めていた奴がいた。
卑屈そうに腰を曲げて、オーバーアクション気味にラピスと話している――ように見える。
何故なら、首を絞めていた奴は言葉を発していない。
その為、アカツキの目には、ラピスが変な一人芝居をしているように映った。
(――あれ?)
「いい? これは気絶させたら駄目なの!!」
びしっ!!
アカツキの鼻を指差しながら勢い良くラピスが宣言する。
一方的に相手に対してまくし立てるラピスの様子は、アカツキの脳裏に一人の女性が浮かばせる。
(僕は、オモチャじゃないんだけどねぇ)
その指を眺めていると、目の前の景色が歪む。
どうやら大量に血を流し過ぎたらしく、意識が遠のいていく。
「ああ、倒れた!!」
そんな仲良く機械と手を繋いでいるラピスの声が響く中、アカツキはゆっくりと地面へと向かって倒れこんだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そりゃ、倒れもするよ)