機動戦艦ナデシコ<黒>
西欧編第五話 世界を揺るがす戦闘、その終わり。
サラの声が悲痛なまでにコクピットに響き渡る。
『戻ってください!! タカスギさん! タカスギさん!!』
電源車をロスト!
援護は無し!
武装は近接戦用のみ!
「……絶望的か……」
そう言いながらもサブロウタは蓮華を駆る。刀身の半ばから折れてしまった刀をデビルエステバリスの腹に残し、拳を固めて後方のデビルエステバリスの頭部に叩き込む。
笑う。
アキトのような肉食獣の笑みではない。武人としての笑みだ。
「けどな!」
デビル、などと言った所で憑いている悪霊――つまりはバッタ、もしくはジョロ――を破壊すれば機能停止に追い込める。
「まだ俺は!」
爪先を意識する。
途端、そこからもナイフが現れ、正面から接近してきた敵を逆袈裟に切り裂く。
戦場で散ったエステバリスを材料にしているだけあって、武装がたいしたことが無いのが救いか。サブロウタは疲弊しながらも人間相手の戦術が功を奏していることにある種の安堵を覚えていた。
だが、もし誰かが見ていたなら見惚れてしまうであろう彼の戦いも、次の一言で台無しになること請け合いだ。
「俺のナナコさんを見つけていない!!」
誰、とは言わないが…誰かに聞かれれば殺されかねない台詞である事に間違いは無い。
タカスギ・サブロウタ……真実を知る者にとっては喜劇の道化でしかない……バレた瞬間を思えばそれだけで余りに哀れである。
アリサは焦っていた。
サブロウタが命令を無視し――彼は正確にはシュンの部下に組み込まれているわけではないが――突出してしまった時、自分には、そしてこの機体には止めるだけの力が残っていなかったことに、そして助けを呼ぶことしか出来ない事に。
「誰か、誰か……来て……」
しかし、答えたのは。
ビーッビーッビーッビーッ!!
警告音!
途端、レーダーにマーカーが突然現れる!
「――!! 何でこんな所にサソリがいるのよ?!」
地上から天へと上るレーザーの雨!!
そしてそれが、たった一条のそれがエステバリスの右足を貫き、爆発。ただでさえ右腕を失ったエステバリスは地上へと墜落をはじめる。
ドン!!
ドン!!
ナパームの光が地上を焼き払い、そしてアリサは地上へと落ちた。
脳裏に映るのは走馬灯というものか。
いくつもの、光景。
失ってしまった景色。
そしてそれは、今また、失われる。
そして最後に残ったのは、ごくごく日常の風景。
姉と自分、アキト、フミカとトウヤ、レイナとサブロウタ、シュンとカズシ、ラピスとハーリー、ミリアとメティ、ナオとテツヤ。馬鹿らしくて騒がしい、大切な日々。
だから。
だから思った。
――死にたくない――と。
目を見開き、正に眼前に迫った地上。
ドンッ!!
足に収納された指向性地雷を爆破、足が吹き飛ぶ代わり回転力を得る。それを利用し、背中を地上へと向け、最大出力で、暴走に近いエネルギーをバーニアから生み出す。
ランサーを中央部から二つに折り、投げ、サソリの背を貫く。
標本にされた昆虫のようにジタバタともがくが動けず、フィールドを張ろうとしても途端にかき消されてしまう。そう、これはフィールドランサー! そしてもう一方、今アリサがその手に持つのはガンランサー。
それをまた、投げつける。
そして単純に突き刺さり、その衝撃でスイッチが入り、内部から銃撃を行う。
断末魔の叫びを上げることさえ出来ずにサソリは内部から炎を吹き上げて自壊、しかし、シルバーエステバリスをわずかに減速させることしか来ない
間に合わず大地と接触した下半身はつぶれ、代わりに衝撃は緩和し、アサルトピットはその僅かな時間でフレームから飛び出し、地面に叩きつけられるものの、わずかにへこむだけでほぼ無傷と言ってよかった。
ただ、激しくシェイクされたコクピット内のアリサは、それに耐え切れずに意識を手放してしまう……。
その光景は、遠目ながらもサブロウタにも届いていた。
「しまったっ!!」
気を取られた瞬間、朽ち果てた残骸を、脚をその手にもったデビルエステバリスがそれで殴りかかった。
衝撃はフィールドを消滅させ、ロータスを丸裸にする。
ぎゅい、ぎゅいいい、ぎゅい。
油の切れた歯車のような軋んだ駆動音を上げながら――サブロウタにはそれが笑い声に聞こえた――やけにゆっくりと歩いてくるデビルの群れ。
一撃目で肩鎧が破壊され、二撃目で頭部がひしゃげ、センサーが一度に大量に失われる。
「くっ……だ、誰か、聞いているのなら……アリサちゃんを……助けてくれ!!!」
その悲痛な叫びは、ロータスが片膝をついたのと同時だった。
振り上げられるデビルエステバリスの腕。
目を閉じることなど恥じ、と言わんばかりに見開き、炎を見た。
デビルの腕が内側から炎を吐き出し、誘爆し、その機体が内部からばらばらになる。
「……寄せ集め……だからか?!」
だが、それで「時間」が出来たのは確かだった。
周囲に散らばった破片のうち大きく、尖っている物をその手に投げつける。
「……まだ、やれる」
その呟きは、消える事無く、その場に浸透し、彼の意思を強めた。
しかし彼は気付いていない。
何故、敵が自ら炎を吹き上げ滅んだのか、その理由に。
無残な状態を晒すシルバーエステバリス、そのアサルトピット。
そのハッチは開き、アリサは今、戦火を免れた草の海の中に居た。
運び出したのは二人の青年、その背後にはサブロウタのものとは趣を異にする機体があった。サブロウタのロータス……蓮華が侍をモチーフにした物とすれば、それはまさに忍者。一機が非常に軽装なのに比べ、もう一機は非常に長い砲身――狙撃銃であるとしても、体高の二倍、15メートル近い――銃を持っていた。
そして青年は脈を取ろうにもパイロットスーツの脱がせ方を知らず――知っていたとしてもやらないだろうが――様態を確かめるために息を確認していた。
「どうだ九十九?」
「……大丈夫のようだ。多分、気を失っているだけだろう……元一朗、高杉の方はどうなった?」
「大丈夫だろう。あらかたの機体は関節部に損傷を与えておいた。高杉なら戦いきれるだろう」
「そうか」
互いに九十九、元一朗と呼び合った男たちはそれだけ言うと、自らの機体に戻った。
九十九は軽装機に。
月臣は狙撃機に。
コクピットに戻り、その手にアリサを抱えて慎重に動き出す。
指を軽く曲げたままでロックさせ、間違って握りつぶしたりしないように姿勢を固持する。また、安定性を上げるために奇妙な体勢…拳法の歩法にあるような腰を下ろした、腰を一定の高さに保つ歩き方をする。
そんな九十九だが、意を決したように言葉を口にした。
「……元一朗……お前はこれをどう思う?」
「軍の暴走……我々の見つめるものはまだ遠い……草壁閣下はこの件で発生した被害をどう埋められるのか……」
そう、軍上層部が草壁春樹の台頭を嫌って行なったとされる今回の作戦……それはもう、素人目にも敗戦色は濃厚だった。そして誰も知らない。その上層部がもう人ではないこと。そして、この戦闘が終わると同時に軍事裁判にかけられ、死刑台へと送られることが……決まっていることを。
「……噂だが、木連内の暗部がこの一件に関わっているらしい」
「暗部? ……北辰……あの殺人狂がか!」
それは、余りにもおぞましい男への一言だった。
幾条もの、幾十条もの、幾百条もの光芒が視界の全てを白に染め上げ、一瞬の後にそれを赤く染める。
光芒に貫かれた無人兵器が、やがて自分が撃墜されたことに気付く事無く落下を始め、内側からめくれ上がるように赤い光を上げながら、砕け散りながら地上へと黒い尾を天へと伸ばしながら落ちてゆく。
しかし地上へと到達されるまでにもう一度「以上」貫かれ、欠片にさえなる事無く空中で燃え尽きてしまう。
それを見た人間は「理科の実験みたいだ」などと益体も無いことを考えてしまう……。
手品の一つにある「燃える紙」を思わせるその光景が消え果ると次の瞬間、04は膝を屈しクラウチングスタイル――短距離走のスタート――のような体勢をとる。そして再び<バベル>が発動した。
今度は目も眩むような、世界を染め上げるような光ではない。
ただ、全てを切り裂くような一条の光芒。
全ての発振体が位相を揃えて励起し、たった一つの光を生み出した。
ディストーションフィールドは、展開しながらの作戦行動が可能な事実が指し示す通り、ある種の電磁波を防ぐことは出来ない。そして、その電磁波には可視光線も含まれる。
遠く遠く離れて、ただ無人兵器を生み出すだけの戦艦が、何の抵抗も出来ずになます切りにされていく。
誰も、何も口することが出来なかった。
その光景に魂を奪われて。いや、魂を鷲づかみにされて。
敵がいなくなった事を確認し、システムを閉鎖させる。
全身にまとわりつく汗を感じながらも、それをどうこうしようと言う気力が沸かない。
そのまま気を失おうとして、しかし現実に引き戻された。
「シュウエイさん!!」
聞きなれた声によって。
「…アキトか…これは…こたえるな…」
まるで体を二つに分けられるような感覚。だからこそEX、いや遺跡を扱えるものの資格は…。
「なんていう無茶を……04はトウヤに任せるはずの……!」
「かまわんさ。ただ疲れたんでな……少し眠らせてくれ……」
「……ええ。済みませんがバッテリーをもらいます。残りが5%切っていて……」
しかし答えは「ぐう」という寝息だった。
「……大丈夫なのか? パイロットは」
心配そうに聞いてくる兵士にアキトは苦笑を返す。
「大丈夫、……だとは思いますけどね。何しろ言葉どおり殺しても死なない、というか殺せない人ですから。たぶん疲労による気絶だと思います」
事実、刀を持ったシュウエイは、アキトにさえ手を出せない「刃の結界」を生み出す。そしてその結界を維持する精神力と体力。もっとも、物心ついたときから遺跡――本人は気にしていなかったが、父であるテンカワ博士が自宅地下工房に秘匿したEX01――に触れ続けたことで免疫を持つアキトにはその疲労を理解出来ていない面もあった。
「そうなのか? それほど大変そうには見えなかったが」
「EXは言葉どおりパイロットの精神を削り取ります。そして、心と体に影響を与える…間違っても乗らないでください。……増援か救援が来るまでは…ここにいますから」
内心、後はマーカーが仲間に届くかどうかと案じていた。
敵戦力を殲滅させた「力」……「敵」が見逃すとは思えない。
先に来るのはどちらか。
「……ダッシュ、頼むぞ……」
<マーカー確認……ヴィンツブラウトおよびEX04、ここから東に148キロ、南に97キロにあります>
「……無事なの?」
<レッドシグナルは確認できず。……というか、アキトさんが怪我している姿が想像できないんですが…>
推測ではなく想像という表現を使うあたり、ダッシュはAIの道を踏み外しているかもしれない。
しかし、その声に安心するフミカをよそに、トウヤは愕然とする。
ダッシュの言葉にある「EX04」と言う単語のもつ意味を知って。
「あのさ、ダッシュ」
<なんですかトウヤさん>
「重砲戦じゃなくて、EX04で間違い無いんだね?」
<そう、ですけど>
「……そう、か…」
しかし、考え込むトウヤにある種の疑問を感じた。つい聞いてしまった、その程度のものであったが、予想に対して反応は複雑だった。
「ねえ、トウヤ。EX04に何かあるの?」
逡巡する。
答えるべきか、そうでないかを。
そして選んだ答えは。
「……ごめん」
EX04、いや龍皇を含めたEXたち。つまりは遺跡兵器を扱える人間は二通りに分類される。「適合し操れるもの」と、「許容され使えるもの」だ。
龍馬、アキト、そしてトウヤは前者であるのに対し、しかしフミカとシュウエイは後者である。
自分はただIFSの扱いに長けているからだと誤魔化しようはあるが、残る二人に付いて言及された時、どう答えれば良いのか分からない。だから、言葉をつぐんだ。『魅入られたもの』とは何か…を伝えられるものなら伝えたい……と言う思いを胸にしたまま。
「トウヤ」
「…僕一人の判断じゃ明かせない…ごめん…」
(こうなると頑固だからね……しかたないか)
押し黙ったトウヤから視線をEX01に向ける。
「ね、ダッシュ。途中はどうなってるの? 敵の数とか」
<…最短距離だとチューリップが1、戦艦が13、無人兵器がおよそ400……僕らじゃ無理ですよ>
「…確かに…起動キーは隊長のところ…EX01のノーマルモードだけでも起動できれば突っ切るだけは出来るのに……」
悩む。
わざわざ戦場で敵を寄せ付けかねないのにマーカーを出すその真意。
それだけ切羽詰った状況であるこの時。
ふっと、フミカが声をあげた。
「打ち上げようよ」
「え?」
と、正体不明の発言をする。しかしトウヤにはいまいち理解出来ない。
「隣(シュンのいる基地)からミサイル借りて、中にEXつめて、どーーーーんって」
「う、撃ち落されたらどうする気ですか?!」
「ま、その時はその時! ……もし本当にアキ君が危ないんだったら……この西欧を滅ぼしてでも敵を殲滅させるために龍皇が出るわ」
<? どういうことです?>
「龍皇は知っているのよ。今がチャンスだって。自分が作られた意味を果たすための、一体何時からそうしようとしているかなんて知らない…でも、目的を果たすために……同じ志を持つアキ君を必要としているから……」
<ロボットって言うからには兵器なんじゃないんですか?>
「アレが本当にロボットだって言うのかな…」
「私はそうは思わないわ……」
ただ、ダッシュは理解できなかった。
その龍皇のことを話すフミカに「怯え」が、トウヤに「畏怖」があったことに。
「ただ、私たちにはロボットに見えるだけ、ってことよ。それにアリサちゃんたちの手伝いに行かないとまずいでしょうしね」
そう言って、ふみかはスゥ、と目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出す。
「ダッシュ、オオサキさんのところ、いえ、カズシさんの所に繋いで」
<うん。……あ、すみませんダッシュです。カズシさんですね。ええ、フミカさんが…え? あのそれは……はあ>
なにやら奇妙な声をあげるダッシュに近づき、しかしトウヤは離れる。
やおらダッシュを持ち上げ、聴覚センサーに口を近づけ――おそらくは伝えろと言うことなんだろう――叫びだした。
「毎度っ、明朗会計、お一人でも遊べます! 親切設計な多国籍料理店「ゆ〜とぴあ」でっす!」
『ふ、フミカ君?! シュン隊長、代わってください!! え、あ、逃げないでくださいよ!!』
何気に…捨てられる子犬があげてそうな、哀れ極まりない声である。
さすがにトウヤが哀れに思ったのか携帯を取り出し。
「……あ、オオサキさんですか? ミフネです。実は荒っぽい方法ですが輸送用にミサイルを一つ……」
『……そこにフミカ君はいるのか?(汗)』
シュンにしては珍しく切羽詰った感じのする言葉だった。
「居ますけど?」
『OKっ!!』
どこかの地方都市の一家庭の主婦の『了承』、またはとある機関の長官の『承認』を思わせる叫びっぷりであった。
ガチャン!!
ツー……ツー……ツー……
引きつった笑顔がまぶしいミフネ・トウヤ今度のクリスマスで17歳。ギリギリと音のしそうな感じで首を回し、フミカへと向き直る。
「……フミ姉……何したの?」
「……てへ♪」
サクラバ・フミカ、20歳と半年。こんな仕草の似合う、かわいらしい笑顔だった。……目に見えそうな「聞いちゃダメだ!!」的オーラが出ていることを除けば。
何故だろうか?
思いっきりと言って差し支えないような気の落とし方をしているシュンが居た。横にはカズシが「裏切り者」と言いたげな視線でシュンを貫いているがそれは堪えていないらしい。
ちーっちーっちーっちーっちーっ
突然鳴り出した呼び出し音。
腕を上げるのが億劫なほどの精神的疲労。それでも何とか手にする。
「オオサキだ……ああ、爺さんか。……そりゃ朗報だ、サラ君に知らせてくるよ……ああ、そっちは任せた」
プツン。
「…シュン隊長?」
「アリサ君の無事が確認された。診断では軽い脳震盪と打ち身くらいで後は何とも無いらしい。サラ君にこの事を知らせてくるよ。ああ、カズシはグラシス中将に伝えておいてくれ。何しろ今ではたった三人だけの家族なんだからな」
「えええええっ?!」
狼狽するカズシ! その悲鳴をバックに消え去るシュン!! 彼は元々言った通りにサラのいる部署へ急いでいった! しかしカズシは、これからアリサの家族に「アリサの入院」のことを話さなければならない。そしてその相手は間違いなく雲の上の人物。
胸に手をやり……うめくように言葉を発した。
「ぐぐっぅ……胃薬……足りるか……?」
その悲痛なため息の中に聞こえた言葉が、彼の心境を如実に物語っていた。
それを聞いた瞬間、アキトとシュウエイの額に同時に汗が流れた。
「ふ、フミ姉……思い切ったことをするなあ……」
「まあ、最優先とはいえ……いや最優先だからこそか……」
ICBM……大陸間弾道弾と呼ばれるそれは、それを成し遂げるだけの速度をもって地上を突き進んだ。
おそらくは撃墜防止の為だろう、弾頭部分に『壊れかけたエステバリスをくくりつけて』空気抵抗を低減させるためのディストーションフィールドを張りつつ、最後は衝撃をやわらげる為の逆噴射までして、見事に地面に突き刺さった。
引きつる笑いをとめることが出来ない。
そして、聞くべきことではないが、それでも聞いてしまう自分を止めることが出来なかった。
「……シュウエイさん、今更聞くことじゃないかもしれないけど……俺が『向こう』に行っている間……フミ姉に何があったんですか? 最後に見たときはどっちかというと『おっとりしたお嬢様』みたいな印象があったんですけど……?」
「……トウヤはあの通り女顔だ……だから苛められていた。フミカ君にはそれが許せなかったんだろう。だからいじめっ子に向かっていった」
その瞬間、シュウエイの額から汗がジト、とたれた。
フミカはシュウエイの経営していた孤児院の出身である。そこで最年長であった彼女は年少組の世話を見、家事をこなし、それなりの腕っ節を持つようになっていた。家事は貧弱な腕力では勤まらないのだ。
そして、圧勝した。
いじめをするような軟弱な精神の持ち主に負ける理由など無いのだ。そして、格闘技の練習を始めた。軍隊式格闘技の達人であるシュウエイがそばに居たこともあり上達は早かった。
「……何時の間にか、『ユートピアコロニー最強の女』『女帝』とまで呼ばれるようになり……龍馬君とアキト、お前たちが来てからはもう遠慮なしだ……」
「そ、そうですか……」
さて、その上龍馬は一体何を教えたのだろうか。
非常に不安だった。
「とりあえず初期設定を始めますから、あたりの警戒をお願いしますね」
「ああ。……急げよ」
ジャイロが働いたからだろうか、半分地面に埋もれたような状態でもごく普通に立ち尽くしている今のEX01の姿はシュールに見える。アキトはそれを引き上げようとヴィンツを近づけ、その異様な気配に立ち止まった。
「シュウエイさん、これは!」
「……ふざけているな……このマーカーは」
ヴィンツブラウトの倍以上の射程を誇るEX04の広域レーダー。映るのはかつて火星で作られた「最大の破壊力」を保持する機体の物。そして、それの今の主は。
EXの名を冠するのは四機。
超長距離の対艦砲撃を主軸としたEX――01。
零距離戦闘を想定した、単眼の殺戮者”サイクロプス”――02。
高度予測機能を持つ指令機、忌まわしきもの”デュラハン”――03。
殲滅戦を想定した、殲滅者”ジェノサイダー”――04。
オールマイティーを望まれた01と、02以降の機体はまったくの別物だ。しかし火星に取り残された人間たちが全ての枠組みを超えて作り上げたそれの能力は、使いこなせるのなら一機で一軍を滅ぼす事さえ出来るものだった。
ヴィンツはDFSを構え、どうせ効かない、牽制にさえならないと知りながらもラピッドライフルを構える。
EX04は前傾姿勢をとり、バベルを発動させる。後は命令一つでその輝きが解き放たれる。
準備などと言うものは、何の意味ももたなかった。
それはレーダーに映った瞬間、黒い影として視覚に捉えられ、有効射程の中に入ったときにはすでに目の前に居た。
「ぐわぁぁぁ!」
「シュウエイさん!!」
二度と見ることの無いと思ったそれは、ごくあたりまえのようにそこに居て、EX04の片腕を食っていた。
「!! マテリアル・イーター!?」
目を背ける事は出来ない。
すれば、その瞬間に殺される。
ピーッピーッピーッピーッピーッ。
レーダーに新たな敵影。
余りにも常識はずれなデータ。1000を超える無人兵器。しかも内百数十は連合軍のマーカーを出したまま……デビルエステバリス。
「……シュウエイさん」
「アキトお前がむじ…」
「シュウエイさんが行って下さい。俺が時間を稼ぎます」
「だが」
「…重砲戦ならともかく、EXはシュウエイさんじゃ扱いきれません。それにこいつは…コイツは…俺の、俺の敵だあっ!!」
「……任せるっ!!」
ブレードを構え、走り出す。
だが、今は本人さえ気づいていなかった。
その目に、封じていたモノが浮かんでいたのを。
それをそう呼ぶのは適当なことではないかもしれない。
しかし、それをそう呼ぶのは余りにもあたりまえのことだった。
それとは残存思念。
または、魂。
それとも残滓か。
ただ、それは間違いなく彼でありながら、彼ではなかった。
宇宙そのものが大地となったような空間。
遠く離れ、輪郭さえ見ることが出来ないほどの闇と、なのに何故かそれが誰だかわかる程度の光。
矛盾によって埋め尽くされた空間。
そこに居る者を見れば、あるものは自らの正気さえ疑うだろう。人々が妖精、妖魔、幻獣、魔獣……そのように呼んだ生き物たちがひしめいていたのだから。
エルフに似たものが性別を感じさせない声で口を開いた。
「必要は無い。我らはただ時を待てばよいのだから」
ドワーフに似た男が顎鬚をしごきながら。
「いや。時は有限。かの者が資格者である限り我らもまた介入すべきであろう」
ただの岩くれの様な生き物が震えた。
<ヒトナドイクラデモイル>
巨大な竜が言う。
『後の影響を考えよ。今は我の力は示すべきではない』
何十、何百と言う生き物たちがひしめき、答えの出ない論争を繰り返している。
だが、そのとき一人の、その場にいるただ一人の人間が口を開いた。
「介入を提案する」
『何故』
「今世において<接触>を目論む者がいる。そしてその男は、おぼろげながら<システム>の謎を知った」
『ならば危険性を知っているはずだ。問題はない』
「おぼろげ、と言っただろう? 効果だけで副作用を知らない……『アレ』は馬鹿に渡すには危険すぎる玩具だ……だからだろう、俺を含めて貴方達が死した後にも此処にとどまった理由は」
重い沈黙。
「遥か彼方……まさに星辰の彼方より来た、そして滅ぼされた貴方達がそれを良く知っているはずだ……違うか?」
そして採択された道。
<良かろう。今ひとたびの介入を>
人の目に触れる事無く。
死者たちは、悲劇を恐れ、悔やみ、しかし今なお現世に生きる者達のために存在する。
それは鳴動した。
「……あれ?」
ザザ、と言うノイズ。
「どうしたのメグちゃん」
「ミナトさん……いえ……さっきからノイズが多くて……おかしいな…?」
イヤホンを軽く叩いたりしているが一向に直る気配が無い。
「……どうしたんだろう……」
その様子がよっぽど不可解そうに見えたのか、珍しくジュンが教本から顔を上げた。
「ルリちゃん、分かるかい?」
「……オモイカネ」
<破損個所多数。内部放電が機器に影響を及ぼした可能性あり>
「……だそうです。後はウリバタケさんに聞いてください」
「分かったわ。……ウリバタケさん、お願いできますか?」
『メグミちゃん……この状況を考えてくれ……そっちまではさすがに手が回らねぇ……もうちょっと待ってくれ』
何故かコミュニケの向こうでは男たちが床に倒れた上、赤い字で『助けて』とか『ウリ……』とかダイイングメッセージのようなものを残している。しかし正面に写ったウリバタケは――一仕事を終えた者特有のさっぱりとした顔をして――ペイントでもしていたのか顔に赤いペンキが跳ねた跡がある。……ずいぶん黒っぽい赤だが。
「……」
『……』
「……」
『まあ、とりあえず…通信系はまだ待ってくれ。推進系を片付けなけりゃ動かせない固定砲座にしかなんねえんだ、今のナデシコは……』
彼が、そう言いかけた時に再びそれは起きた。
ヴァ、ギシ…ガァ…ルゥルルルゥゥゥゥゥ……
それは身じろぎした。
<大変!>
<警告!>
<CAUTION!>
視界を埋め尽くす程に幾つものウインドウが瞬く間に現れる。そしてその全てが何かが危険であるとしか伝えてこない。
「ホシノ君!」
「はい。…どうしましたオモイカネ」
<艦内各所でエネルギーが異常減少! 生活ブロック、酸素供給停止! 無重力倉庫、重力発生! 艦内空調停止! ……!!>
なおも伝わるエネルギーシステム異常。
これは、かつて見たある現象に似ていた。
「え、エリナさん、今度は何をしましたか!?」
「大丈夫です、正直に言ってください!!」
「そうです! 私達だって今ここで死にたい訳ではありませんから!!」
汗ジトになりながらもエリナは何とか言い返そうとする。
が。
「……前科があるんです。今なら罪は軽いですよ……」
援護すべきプロスペクターからもこのお言葉。
「あの……私の信用って……?」
なぜだろう?
誰もその問いかけには答えなかった……。
ギッ、ギギ……グシャァァァァアアァ!!! ギシャァァアア!!
特殊鋼で作られた漆黒の鎖がギシギシ、ギシギシと今にも弾け飛びそうな音を立てながら擦れあっている。 時折、鎖の取り付けられた錘が一瞬浮き、落ちては床にくぼみを作っている。
<振動感知・第二格納庫。試作型龍皇制御デヴァイス・フリーズ!! 観測システム・オール・フリーズ!!>
「オモイカネ、画像を!!」
「ひっ?!」
「なに……な、何なのよっ!!」
ルリの声に反応して映し出された光景。
第二格納庫の中にあった謎の遺跡、現在ナデシコにおいて唯一完全な姿を持つ存在……<龍皇>……それが立っていた。鎖は伸びきり、錘は宙に浮き、骨組みだけの翼に蝙蝠を思わせる竜の翼、その皮膜が生まれていく。まるでガラスがひび割れ砕け散る様をスローモーションで逆回しに見ているようだ。
そしてただ、立っていた。
ただ、それだけだと言うのに。
自然と、本当に自然に悲鳴が漏れた。
肌があわ立つ。
汗が、滲み出す。
ウ・ル・グ・グゥォォォォ・グウオオオオオオオオォォ!!!!!
いまだに素材が分からない、ネルガルの科学者の誰かが作り出したと言うその仮面の、砕けた左側の半分から漏れ出るモノ。深く皺の入った、魔性を思わせる龍の顔。
しかし今、それは「思わせる」などではなく「そのもの」だった。
砕けた仮面……残る右が押さえ込むためか、苦しみの表情に見える。心なしか、頭部を押さえ込む仮面が軋み、覗く口元の牙が一回り大きくなったように見えた。そして……右足を、前へと。
ただそれだけで、奇妙な何かを見るもの全てに与えた。
恐怖そのもの。
であるのに。
「怖い……」
「なのに」
「……なんで」
誰もその先の言葉を口にしない。
怖いのだ。
今まで自分が見たどのようなモノよりも「恐怖」を呼び覚ます「それ」を「美しい」と感じたことを「認めたくない」のだ。
今までの自分の価値観が壊れてしまいそうで。
白くさえ見える黄金の鬣をなびかせ、それは吼えた。
<ナデシコに重力変動。回頭しています>
急激にナデシコが持ち上がり、独楽のようにグルンと回転してしまう。
「うわぁぁぁ?」
『何してるのブリッジ! ヤマダ君に打つ注射、間違っちゃったじゃないの!』
「それは元からでは?」
『……』
「……ドクター?」
『……まあ、医務室のことを考えて頂戴ね』
「おーい、ヤマダさんはどうなったんですかー?」
それきりイネスは出て来なくなった。
異様な静寂が訪れたのも一瞬、それ以上の衝撃がナデシコを襲う。
右腕を持ち上げ、左腕を模している五匹の蛇を引きちぎる。
しかし、それが蛇にもたらしたのは『死』ではなく、『自由』だったのか? 突如周囲に居る整備員を掠めるようにして壁に激突するが破壊することなく、壁の中へ潜り込んでいった。
「ほ、ホシノ……君……オモイカネは……」
<微弱ながらボース粒子を検知。位相が「ズレ」ているものと推測>
<警告>
<グラビティブラスト加速器にひずみが発生>
<砲身部に異常>
<相転移エンジン急速再生!>
<グラビティブラスト制御プログラムにハッキングを感知。カウンタープログラム・ファイアウォール展開>
<ファイアウォール突破>
<カウンタープログラム無効化>
<ハッキング位置確定>
<第二格納庫>
「何が…起こっているの?」
ミナトのその呟きは誰もが思っていることであり、誰もが答えを持っていなかった。
だが無情なまでにオモイカネの異常報告は続く。
<重力子生成炉に異常感知>
「グラビティブラストを……撃つつもりなのか……あの、龍皇が……?!」
そんな中、艦内の喧騒とはかけ離れた場所で、イネスは誰に言うでもなく虚空へと呟いた。
「これも……予定通りなの……全ては予定調和に過ぎないと言うの……?」
ただ、失った記憶。
その向こうにいる、どんな顔だったか、どんな声だったか全く覚えては居ない、しかし、彼女の支えとなってきた者へと言葉を向けた。自分の胸に暖かい何かをもたらす……シルエットへ。
机の上にぽつんと置かれているみかんに向かって。
「教えてよ……お兄ちゃん……助けて……」
その顔はとても不安定で、見ているほうが悲しくなるような呟きと共にあった。……その横に、白目をむいているヤマダさえ居なければ。
そして誰も気付く事無く。
誰に気付かれること無く。
天に一条の光点が存在していた。
この戦場の全てを見届けるかのように。
「おおあぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
右手に盛ったDFSを発動させ、その意思を込める。ただ、屍鬼を滅ぼすことを。ただ、敵を殺すことを。ただ、北辰を殺すことを!!!
前に進み、その流れのままに腕を動かす。
舞のように優雅にさえ見える動き。
『未熟』
ただ、その得物が屍鬼の手の動きだけでいなされ、逆に右腕を半ばから持っていかれる。
その瞬間、左腕の竜牙が屍鬼の顔に喰らいつき、顔を食いちぎる。
しかし、それは装甲のみ。素体には傷一つ無く、ヴィンツは返す刀で弾き飛ばされる。
残るは無傷の屍鬼と、両腕を失ったヴィンツの姿。
『……柳の弟子か』
ただ超然と大地に立つそれは間違いなくEX02<サイクロプス>……と、呼ばれるはずだった機体。真実を知ってまで人は自分を正義であると言えるほど傲慢になることは出来ない。だからこそ、火星で生まれた機体は自分が正義と主張しないデザインになっている。人によってはくだらないと言うだろう。しかし、それだけのこだわりを彼らは持った。ある意味、最も真実に近い場所にいた火星に人間は、悲しいことと知りつつもそうしたのだ。
それに『あの男』は乗っている。
余りと言えば、余りに侮辱。
唇が乾く。
目の前が暗くなっていく。闇に染まっていく。怒りの赤が、何層にも塗り込められて、もはや視界に写るのは敵である屍鬼のみ。
(残る手段は……コイツか…すまないヴィンツ…)
ポケットの中にはCCが二つ。
一度、唇をなめた。
そして言葉は自然と出てきた。
「……北辰、何で貴様が生きているんだ……!」
『あの時も答えたな。今一度答えよう……愚問だ。未熟なる者よ』
「なめるなぁぁぁっっ!!! ブースター点火っ! 最大加速!」
『……愚かの極みよ』
ニヤリと、笑った。
その笑みはどちらのものであったか。
狙い過たず、正確にコクピットを貫く屍鬼の指先。
同時に残る足が、腕が屍鬼の自由を奪った。
その隙を見逃すことなく、EX01の右手が、黒い刃を翻した。
ガシャ…
ただあっけなく、ヴィンツブラウトの機体のみが大地に呆気無い音を立てて崩れ落ちる。
立つのは、人の意思を宿した、もう一つの異形――EX01。
『生体跳躍……それも完全制御か。ヤマサキが見れば狂喜乱舞することだろうが……死体で我慢してもらうことにしよう。欠片かもしれんがな』
瞬間、屍鬼の姿がかき消え、現れた時は、その全てを砕く黒い手が眼前に迫っていた。
意識さえせずに、しかし機体は4G近い加速で真横に『落ち』た。
自由落下を遥かに超える速度がパイロットスーツ(耐Gスーツ)に守られているとはいえ、アキトの体に瞬間にかかった。
体の中を流れる血液が瞬間に寄ってしまったような感覚に襲われる。
機体に備えられたセンサーが敵を知った。
<EX02の移動そ>
「屍鬼だ。アレは今後屍鬼と呼称する」
<了解、以降敵機を屍鬼と呼称します。屍鬼の直線移動速度は音速の二倍以上と確認されました>
「現在の武装で屍鬼に有効なものはあるか?」
<敵の移動速度・防御能力を考慮。ブレードまたはDFSと判断します>
「……そうか」
肘を軸にキャノンを腰の後ろに叩きつけるように。同時に腰にマウントしてあったブレードがキャノンに仮想砲身として取り込まれていく。不恰好なこの剣は、敵を切り裂くためのものではない!
黒い手が再び迫る!!
ぎぃぃぉぉぉおんんん!!
激しく鳴動し、辺りに激しい振動を与える。
大地は突如陥没し、木々は瞬時に燃え尽き、また砕け散る。
「お、おお、おおおおおおおおおおおおおおお!!」
激しい怒りが迸る!!
機体は高速で目標を破壊するためだけに、常人では見れるかさえ怪しい速度で走り出した!
背に負いし「局所重力制御装置」はブースターには不可能な、まさに瞬間の機動を可能とし、左足と異形の右足は大地を瞬間跳ね上げながら砕くように修正を加える。
ギ・グシャアァァァァァ!!!
完全剛体と言う常識を超えたその武器はただの一撃でEX02の、いや屍鬼の腕をフィールドによる一瞬の停滞の後、難なく斬り飛ばした。
間合いの内に入った。
瞬間。そう、まさにその瞬間。
屍鬼の足が翻った。
全身を循環しつづける金属粒子が液体となり足に集まり、まるで竹馬のように足が伸びる。それをブレードで防ごうとして、しかし足は剣をくぐりぬけた。
落ちる。
後方へと。
しかし足は伸びつづけ頭部へと接触。カメラを破壊した。
「エグザ!!」
<頭部カメラ右1・右2・右3全損。センサー再起動。視界補正>
叫びに反応し被害を報告。右側の視界が潰された事を告げ、他のセンサーを使って擬似的に視界を作る。
「……フィールドは、どうなっている?」
<敵はディストーションフィールド耐久値を遥かに上回る破壊力を保持。無効化されています>
<フィールドジェネレータ臨界値>
<冷却・再起動まで27秒>
センサーの反応が遅い。
右からの攻撃に対処しづらい。
しかし腕を失ったことで敵機もバランスが悪くなり、最初の一撃ほどの先鋭さが無い。
互いに下がる。
屍鬼は大地に落ち、制御から切り離されたために流体装甲を維持することが出来なくなったのか、素体を晒す腕――アキトには見覚えがあったが、流体金属の制御機構がある他は屍鬼のパーツはどちらかと言うと空戦型に近い作りをしている――をつかみ、無造作に切り口どうしをあてる。
すると胴体部から渦を巻くように右腕に殺到した流体金属が再び装甲を形作る。
そして二度三度指を動かす。
素体が再生したわけではない。しかし導電物質が介在し、動かしている。これこそが遺跡の超常性!!
『少しは出来るようになったな……小僧』
にやりと、獲物を目にした毒蛇を思わせる笑みをした。
……フィールドジェネレータは停止状態。
DFSは内部の非常用システムでかろうじて発動しているが、余りに弱々しい。
対しアキトは右腕に持っていたブレードをキャノンに突き刺し、空いた右手にDFSを持つ。
キャノンはこれで<殲滅者・アニヒレイター>となり、EXのために再調整された専用のDFSはその手に不思議と馴染む。そして、力がこめられた瞬間から漆黒の刃を曝け出した。
「……エグザ。バーストモードは?」
<未設定。エステバリスとEXシステムの相違点により発生する問題。それに付随する〜>
「いや、もういい。……戦闘補助システム、オールカット。フィードバック値上昇」
<擬似痛覚が発生します。よろしいですか?>
「かまうものかっ!!! 黒き刃よ、今こそ見せろ!! ……全てを食い破る貪欲なる欲望の牙を!! 黒牙!!」
ただ単純に、婉曲した円錐形。そしてそれは間違いなく牙。それとも人を斬りやすいという湾曲した刀か。それは単純にイメージを具象化したもの、だからこそ全てを食いちぎるだけの「意思」が込められていた。
「屍鬼を、北辰を食いちぎれえぇぇぇぇ!!!」
だが。
『具象化か……』
右手をゆっくりとさえ思える速度で掲げる。
たったそれだけ。
そして、距離がゼロになった。
二つの<黒>……「黒い手」が「黒い剣」とが接触した。ぶつかり合った。歪められた力が互いに食い合い、しかしそれ以上の力が生み出され、大地を傷つけ、空気を燃やし、激しい衝撃が全てを剥ぎ取っていく。
そして、針の先以上に研ぎ澄まされた牙は、たった二本の指に挟み込まれ、止まっていた。
『イメージの多寡ではない。純然たる破壊力、それが全てだ』
次の瞬間、あってはならない事が起こった。
屍鬼の指にはさみこまれた牙が次の瞬間、まるで砂のように飛沫を上げて砕け散った。
『忘れたわけではあるまい。あの時、この我の手によってあの男は……』
「ああそうさ!!」
北辰の言葉をさえぎるほどの、激しい声。それは怒りよりも悔恨。
「俺のせいだ。俺があの時、あのミスをしなければ師匠が俺をかばうことは無かった。師匠が死ぬことは無かった。……龍皇とEXの二機がかりで貴様に圧倒された」
奇妙な音を上げるDFSをアニヒレイターに差し込んだ。
「だからこそ……今、ここでお前を倒す」
息が切れる。
極限以上の緊張感が疲労を呼び、視界が闇に包まれる。
だがその目には今までには無い『狂気』』の光が宿っている。
<相転移機関・出力低下>
「次で決める……アニヒレイター起動と共に全ての兵装を完全閉鎖、エネルギーバイパスを変更。局所重力制御を有効にした後、砲撃」
<了解>
その目には、後を任せることの出来る人間が居るからと、わずかにだが……自分の死を前提とした決意が現れていた。
だが、相反する感情もある。
全てを滅ぼしてでも、生き延びる意思。
その不安定さこそが、かつて封じた『獣』を呼び覚ました。
『次が最大の攻撃か……来い』
毒蛇を思わせるその笑みは、常人であれば意識を手放すであろう極限の緊張感の中でも消えることなく、戦場と言う死に包まれた空間だからこその「生」に充足して現れた。
『柳が死んでから今日この日まで我を満足させた強者はおらぬ……来い』
全身を維持する為の高度栄養剤…調整液…それがもう切れかけている。北辰は自らの残り時間をその全身を苛む苦痛によって実感していた。
互いに必殺の構え。
常人では知覚さえ出来ない超高速と、通常火器では傷つけられない装甲、触れたもの全てを「引き裂く」黒い指先。
雷光もかくやと言う電光を帯びたキャノン。その亜高速にすら達する砲撃。意思に従ってどのような形状にさえも変化しうる黒い刃。
手の形に固定されている屍鬼の指先と、射出するがゆえに形態を維持するのが困難なDFS。互いに零距離戦闘と言って良いだろう。
「……これで決着をつける……行くぞ!!」
『……推して参る!!』
およそ1/15秒。
これは光が目の中に残る『残像』の時間。虚像とも呼べるだろう。
これにより、瞬間の光を連続した物として見る事が出来る。
だが、今の彼らはそれ以上のものを見ていた。
極限の集中力が生み出したスローモーションの世界。目に映る全ては『コマ送り』となる。
襲うは屍鬼の右腕。
同じく右腕で払い、衝撃に肘から先が砕ける。
しかし屍鬼の装甲がうねり、肘から先、肩へと巻きつき、01の動きを封じる。
力任せに『左方向へ落下』し、肩先から完全に失う。
だが生まれたのはわずかな隙間。
左腕を向け、射撃体勢に入る。
大地を切り裂き、空を震わせ、突如現れた異常なまでの力。
遠方にあるナデシコから放たれた力。
マイクロブラックホール。
それが高機動戦を身上とする屍鬼の動きを止めた。
その瞬間、それは幸いだったかもしれない。
この西欧の地において、ほぼ全ての連絡機器は切断されている。ほんの一部の例外が生き延びているだけで。
EX01のコクピット。
そこにただ一人居るアキト、彼の今の顔は、表情は、そしてそこに宿るものは余りに冷たく、そして凶暴な、かつて自ら律し、押し込めたはずの『獣』の顔。
屍鬼の左腕が動き、01に触れるが、それは蒼い残像。
後方に出現したとき、雷霆にも等しき光が、力の解放を告げた。
そして、戦場に、闇が生まれた。
ズ……
それは音などではない。純粋な衝撃。
大地を揺さぶり天を震わせ、雲はにわかに生まれ出で、地は幾重にも砕け散る。そう、地震雲が発生し、大地は断層ごとに隆起、陥没を繰り返す。局地的な高重力に晒された大地は数千度を超え蒸発さえしている。
触れたものの原子組成を崩すほどの強重力体。最大で光速の60%近い射出速度を誇るアニヒレイター……その併用が、この結果を生んだ。まさにこの世の地獄を思わせる光景。
ボコ…ボコ……
赤熱した大地がマグマ同様に気泡を不気味な音と共に上げている。
それを眼下に見下ろし、息を吐く。
「ハァ…ハァ、…ハァ……やった……か?」
高機動戦の所為か全身から汗が流れ出し、数ヶ所からは出血が見える。しかしそれでも闘志は損なわれること無くそこにある。
そして無機質な声がかけられる……。
<熱量センサ・ダウン。有視界モードに切り替え。動体反応無し>
<疲労が見られます。システム・ノーマルへ強制移行。補助機能サポート開始>
チキチキチキ……
<チェック終了>
正面モニタにEX01の模式図が現れ、瞬く間に赤く塗りつぶされていく。
シュカァァァ…
強制排気システムが作動し、冷却材が空を白く染めながら排出されていく。
<機体に致命的なダメージが見られます。オーバーホールの後、再起動願います>
「NO。…現状維持のまま待機。回収を待つ」
<了解。現状を維持します>
かしゅぅぅぅぅん……
そして機体が冷えた地面に下りたち、数分が過ぎた。
言葉も無く。
ただ、時間が過ぎるのを待った。
ただ、ただ……。
ざば…
音が立つ。
「何!」
驚愕と共に現れたのは黒掌…屍鬼の忌々しい遺跡の腕。だが、他の部分は存在しない。これのみが、マグマの熱に耐えたのだ。
しばし考え、結論を出した。
「エグザ…回収は可能か?」
<可能。ただし現状では接触は…動体反応!!>
「な…そんな、バカ……な」
数千度を超える高熱。
その中から、浮き上がった腕につながるように、それは現れた。
激しく回転する球体。
循環を繰り返し、過熱と冷却を繰り返し、そしていまだに存在するもの。
やがて循環は止み、それはまるで卵から孵化するかのように冷え固まったそこから抜け出した。
空戦型を基にしたためか、むしろスマートな印象を抱かせる黄金の機体。ただ両肩の見慣れない球状の物体と、表情の無い目と口だけをくり抜かれた仮面がその正体を物語っている。それこそが「屍鬼」であると。
『今のは少々堪えたぞ…』
その声からは、何を推し量ることも出来ない。
ただ、愉悦のみがある。
汗が滴り落ちる。
DFSはすでに消滅し、回収は出来ない。残るは強重力で過剰圧縮した特殊弾頭のみ。そしてそれは通用するとは限らない。
ギ…ガギャッ…
右腕に続いて左足が、足首から膝にかけて体重に負けたように押し潰れる。遺跡を使用した戦闘に、現代技術がまたも敗北したのだ。
そしてこれは圧倒的不利と、その場での死を意味する。
『……そこまでだ』
突如現れた声。
男性の声にしては高く、女性の声にしては低い。
そう、変声期前の少年のような声。
「誰だっ!」
『何奴』
期せず、同調し誰何の声があがる。
『……木星圏全体の意思として北辰、貴様を捕縛する』
途端、世界が切り取られた。
無論比喩であるが、これこそが、最も適切な表現だろう。
「……結界……か?」
正八面体の形状に切り取られた空間。EX01の手を触れさせた瞬間、指先が崩れ落ちた。
<平面状に展開された強重力のフィールド。接触すれば崩壊を起こします>
「見れば分かる……」
だが、北辰はその動きを見て自らの行動を決めた。
僅かに振りかぶり、ただ単純に力場を破壊しようと手を、黒掌を叩きつけた!!
『お、おお…おおおお、おおおおおおっ!!!』
ギッ! ギギ…ギ…ガガッ!!
耳障りな音!
周囲の空間を振動させ、衝撃となって周囲に展開される!
『ぐ…あ、ああっ!!』
だが脅威なのはこの結界…屍鬼の黒掌さえ弾き返す!!
そのことが、この力の強大さを知らしめる……。
『そこまで、と既に言った筈だ』
そして降り立つ声の主。
それは紅……血の色をしていた。
だが不思議と不吉な印象は無く、むしろ生命感を感じさせる。……そう炎の色、太陽の色だ。
そして機械であるにもかかわらず、質感を伴った女神像ような外観と鎧、二枚の全身を覆うほどの翼が天使や戦乙女を想起させる。そして鳥を模した仮面が頭部の上半分を覆っている。
その姿は、それの名を思い出させた。
「…こう、おう」
そう…紅鳳だ。
もう一つの完全なる遺跡。
可能性の一つ。
だがそれはその呟きには答えず、ただ一言。
『これは回収する……すまない』
ゴオオオオォォォォォォォッッッッ!!!!!
一際、強い、風が…吹いた。
赤い羽根が宙を舞った。
空に、地に。
全ての視界を埋め尽くして。
そして視界が開けた時、其処には自らの他には何も無かった。
ただ残ったのは、EX01と搭載AIエグザ。その主たるテンカワ・アキト。
ただ、無力感と共に……そこに残った。