機動戦艦ナデシコ<黒>
13.「真実」は一つじゃない→譲れない、たった一つの「真実」





 12月24日。
 午前8時50分。
 24時間営業・三交代制であるナデシコ、朝の業務時間は9時からである……が、ブリッジには誰も居なかった。



 トンカントンカン……
 古めかしい、トンカチの音が鳴り響く。
 ナデシコ甲板上のパーティ会場ではウリバタケ以下整備班総出で大工仕事をしていた。

 板に絵を書き、柱に打ち付け看板にする。
 書かれたのは僅かな濃淡を描いた雪原と、MerryX’masの文字。
 感心したのかウリバタケが声をかける。
「流石に上手いねぇダンナ。うちの若い連中に見習わせたいくらいだぜ」
 そう言いつつ、後方に目をやるウリバタケ。確かに専門馬鹿と言うか、整備班は悲鳴をあげながら作業をしている。……機械いじり以外は完全に専門外なのだろう。
 一方誉められたダンナ……シュウエイは気にした風でもなく。
「昔は毎日のようにしていたからな」
 と言った。
「毎日、かい?」
「前にも言ったとは思うが儂は孤児院の院長をしていた。想像してみると良い、一番多い時で15人の子供が居た……が、特に君たちが知るだけでもアキトにフミカ君、トウヤ……修理の手間がどれだけあったと思うかね?」
 毎日のように割れるガラスに、一週間目にしてガラスは全面が強化・防弾になり、壁は鉄板の上に壁紙を貼り付けることになった。
 ……それまでの惨状……押して図るべし。
 それを聞くとウリバタケは容易に想像できたのか、苦笑いになり、
「そうか。……あの三人……か。そりゃ大変だわな」
 とだけを言うので精一杯だった。
 ただ、ウリバタケは気づかなかったことだが、何故かシュウエイはフミカにのみ君付けしている。……本当にどうでもいいことだが。

 …ガン!
「いだぁっ!」
 鈍い音と共に上がる悲鳴。
 ……その主はジュン。
 よくよく考えると効果があるのか疑わしいのだが……指にふうふうと息を吹きかけていた。つまりは釘を打ち付けていて指を打ったのだろう。
「大丈夫かね?」
「なんか考え事でもしてたのか?」
 一応心配ではあるし、声をかける。
 ……が、それが一分続かないところがナデシコたる所以でもある。ウリバタケの顔がいやらしく笑った。
「そーか、そーか。ジュン、お前も男だったって訳か」
「? 僕は最初から男だけど」
「いや、皆まで言うな! ……今日のパーティはコスパだ。艦長のコスプレ姿に頭ン中沸いてたんだろ。えぇ? なぁにしろ、あの艦長のことだ、勝負服で来るに決まってるからよぉ」
「ユリカの……コスプレ……勝負服?! ち、ちがぁうっ! 僕はそんな不純なことを考えていたのではなくてっ」
「……不純って、コスプレがか?」
「あ」
 ジュン、自爆。
 自らいやらしい想像をかきたてている事をばらしてしまう。
「いや、それはまあ考えていたともいえなくも無かったわけで、考え事は確かにしていたけど僕は」
 とまあ、慌てふためき、支離滅裂なことを口走る。
 見かねたのはシュウエイ。
「ならば何を考えていたのかね」
 と、問いただす。
 その落ち着いた声は隠し事をしよう、とか誤魔化そう、と言う考えを何故か呼び起こさせず、正直に話したいと言う気分にさせる。……実はこの辺、子供達が喧嘩した時に事情を聞き出すことから身についたテクニック。
 別にジュンが子供と同レベルと言うわけではないのだが……。
 そしてジュンも考える。
(この人はテンカワ達の事を知っている……)
「教えてください! ……僕はこの間の一件で補佐が分相応だと思い知らされました……でも、テンカワは自分で考えたように奔放に生きていて…どうして、何が違うんですか!」
 その答えは、幾つもあるだろう。
 そして、ジュンが満足する答えを発するものは居ないだろう。
 そう。正しい答えがあったとして、その人が求める正解であることなどまず無い。
 けれど、そのうちの一つの答えはある。
「自分で考えなさい。……ただ、あの三人を奔放に生きていると見ているのなら君はまだ若い……いや、幼いと言うことを知るべきだ」
 その言葉は重く、反論を許さない何かを持っていた。






 午前9時48分。
 地球連合軍・サセボドック前、検問所。

 ぱっぱー
 と、重低音がエステバリス用のキャリアのクラクションから鳴り響く。
 それは当然ドライバーのところにも聞こえてくるわけで。
「れ、レイナさん……もうちょっと……穏やかに……」
「何言ってるのよ! こんな所に止められてもう一時間近いのよ!! ……アキトがもう来ているかもしれないのに!!
 と、こんな風にヒートアップしていた。
「くぅーっ、何してんのかしら前の車……一旦どかせばいい物を……ああ、いらつくっ!」
「はぁ…ちょっと、後ろに行ってます。まだちょっと確認したいこともあるし……」
「そう? 検問所が動いたら……教えるから」
「お願いしますね」
 そう言って、頭を下げながらトウヤはキャリアからキャビンに入り、そのまま後部のコンテナまで移動する。遭遇戦も考慮された設計の為、一度も外に出ずに入る事がそれには可能だった。
 コンテナに入るとトウヤはシートをずらす。
 頭部から胸元までをめくり上げ、その目で確認する。
「……やっぱり装甲も交換しないとダメだな……」
 そう言いつつ、ほんの僅かに力をかけると、目には見えないのにキリキリ、パキパキと、何かが剥がれ落ちるような音がする。人の力でかけられた力だというのに、それだけで軋んだ装甲が表層から剥がれ落ちているのだ。
 チェックしながら最後にはキャノピーを開ける。
 中のシステムは正常に稼動しているのか、コクピットの中からコンピュータの稼動音が響いてくる。コアとエグザが積極的に情報を交換し合っている。
「けど。…このコアじゃ機体の運動制御で精一杯。エグザもセンサとデータ処理で終わり。アニヒレイターを使う時にはオーバークロック設定が必要になってるし、右足の遺跡はろくに稼動できないまま砕け散った……本当に”霧”なんて組み込んで大丈夫なのかな……」
 独り言がボロボロ出て行く……。
 言えば言うほど不安になるが、それでも言葉にしないと逆に押しつぶされそうな気がしているのだ。
「僕らの機体だって二体とも限界だから置いてきたし……機体も無い状況で、僕らはなにができるんだろう……?」
 そう、思った。
 うぅぅん……
 車体が動き、すぐに止まった。
「? ……検問所に入ったのかな?」

 しかし、トウヤとレイナの前の車に乗っていた人間は不機嫌だった。
 助手席に座っていた人間が不満げに言葉を漏らした。
「……原因はテツヤさんですよ?」
 運転手が言い返す。
「それはハッキリと返す。原因はハーリー、お前だ」
「……テツヤさんがそんなおっかない格好して、おまけに車のトランクいっぱいに銃やらバズーカやらC4やら詰め込んでいるからじゃないですか」
「お前のお袋さんだろう? 別れ際にベアハッグに噛み付き、さらに爪研ぎまでして、虐待された幼児みたいな格好になったのは。それにこの格好は俺たちの仕事のトレードマーク、制服みたいなもんだ、ナオの奴も大差なかったと思うが?」
「それは認めますよ。お二人とも怪しかったですし」
「そうか、そうか」
「そうですよ。まったくもって」
「はははははははははははは」
「ふふふふふふふふふふふふ」

 剣呑な雰囲気の中、車は駐車場の中に入っていく。
 そんな中、後部座席から欠伸が聞こえた。
 ラピスである。
 ……ちなみに、横になって寝ていた為「誘拐し、騒いだので薬を嗅がした」と疑われもしたのだが。
「ね、ダッシュ」
<聞きたくない聞きたくない>
 そんなラピスに声をかけられ、そのときの顔がフミカに似すぎていた為にダッシュは聴覚センサのある辺りに手を当て、首、というか全身をぶんぶんと振り出す。
「……ストレス解消しよーか?」
<しなくていい、しなくていい>
 それがどんなものであれ、結果が碌なものにならない事は重々承知している。
 とは思うも、どうせそれが起こることは回避できないんだろうな、と諦めつつもあるのだが。




 所変わって医務室。
 ジャラ…ギシッ! ミチミシ…ギギンッ!!
「ぐ、がぁ…はぁ、はぁ、はぁ……あ、五年生の時に死んじゃった猫のクロじゃないか。生きててくれたんだね♪
 今にも何かに変身しそうなジュンの叫び声、唸り声。そして拘束具のきしむ音。なおかつ話している言葉は文法がおかしい。
 それが止まったと思ったら突然穏やかな声でクロ、である。……イネスはこれは危険だと焦りを覚えていた。
「ヤマダ君、そっちの『髑髏十三号』を97倍に希釈、無針注射器に詰めて!!」
「俺の名はダイゴウジ・ガイだっ!! ……なんで俺がこんなところでこんなことを?!」
 言われてガイ、奇妙に慣れた手つきで指示どおりに動き出す。いわゆる「門前の小僧」というものであろうが……見て覚えるほど、何をされたのかが気になるかもしれない。それ以前にずいぶん微妙な希釈率……一体、どのような実験をしたのやら。
「いいから急ぎなさいっ! アオイ君の精神崩壊が始まるまえにっ!! それからアンタはヤマダ・ジロウ! カルテがゴッチャになるから医務室では本名を名乗りなさい!!」
「ダイゴウジ・ガイこそが俺の魂の、真の名だ!! て、そうだった! おい、ジュン、しっかりするんだ!!」
「……ああ、六年生の時死んだエリマキトカゲのジョー、え? 何で僕を威嚇するんだい? そっちに行ってもいいじゃないか」
「戻ってきなさいアオイ君!! 艦長のクリスマスケーキなんかに負けちゃダメよ!!
 どかっ!
 その叫びとどちらが早かったか……ウリバタケが飛び込んできた!!
「イネスセンセ、こいつらも見てやってくれ! ……おいコバヤシ、オオタ、ニシカワ意識をしっかりもて! 医務室についたぞ!! …てコウダ、お前今度の正月休に嫁さんと子供に会いに行くってあれほど嬉しそうに言ってたじゃねえか!! しっかりしやがれ!」
 なんとたった一人で四人も抱えてウリバタケがやってきたのだ!
 全員が虚ろな目で真っ青な顔色。しかも時おり意味不明なことを口走っている。
 ……先ほどから居るジュンに負けず劣らずの状況だ。
「……原因は?」
「パーティ会場に置いてあったジュースだ! 未開封ペットボトルに入ってたんで油断した……整備に疲れたこいつらが摘み食いに走るのを止められなかった俺のミスだ……」
 ピン! と脳裏に閃く物があった。
「ウリバタケさん、とりあえず余ってるベッドに彼らを乗せて! ヤマダ君、死神38号を100、いえ102倍に! …違うわ! そっちの三つ編みした死神が書いてあるほうよ!」
 ……みつあみ?
 そう言えば先ほどの髑髏には帽子が被せてあったようにも思える。
「やだなぁタロ。五年ぶりの再会じゃないか。何で僕を噛むんだよぉ」
 ……そろそろジュンの臨死体験も佳境を迎えたようだった。



 その頃の食堂……。
「アタシが信じてやってきた料理ってのは……料理ってのは……」
 両手を床につき、打ちひしがれるホウメイ。目の前には、ここにあった材料だけで作られた”ハズ”の……焼きプリンが異臭を上げ、なぜかフライパンを、床を突き破って落ちていった……。
「負けないでください、チーフ!」
「そうです! あんな毒なんかに!」
「……でもあれが伝説の毒毒プリンなのかなぁ?」
 ちょっとした疑問が、励ましの声に混ざった。
「で、伝説……あんな物が、あんなモノが……ほかに…ほかにもぉぉぉぉぉぉぉ?!?!?! ぱた」
「ちょ、チーフ? ホウメイチーフ?!」
「……だめ、意識が無いわ……ミカコ、イネス先生に連絡を……」
「うん、分かったわ……あ、イネス先生、こちら調理室ですケド…」
 後ろにホウメイを運びながら、彼女たちは呟いた…。
「料理は人を幸せにするもの……」
「チーフ、いっつもそう言ってましたもんね」
「そのチーフに……」
「あれはきつかったのね……」
 そう言って、彼女たちは見た。
 ホラー、サスペンスに負けず劣らずの惨劇、惨状を示す調理室を……。



 ナデシコ艦体デッキ上、クリスマスパーティ会場。
 華やかに飾られたクリスマス・ツリー。電飾を最終調整する為に入れたり切ったりを繰り返している。
 幾つものテーブルを並べ、クロスをかけ(多国籍企業ネルガルはパーティ用品のリース・レンタルも行なっている)、その上には少しずつ料理も並べられている……が、一際目を引くテーブルもあった。
 平たく言えば、瘴気を醸し出している……殺気をブレンドして。
「あらあらユリカさんに……メグミさんでしたわね? どうして貴方たちの料理を食べたあの人達倒れたのかしら……ねぇ?」

 そう言いながら、一目で手作りとわかるチョコレートケーキを並べるカグヤ。器用なことに砂糖細工でカグヤサンタ、カグヤ(戦艦)ソリ、トナカイアキトが演出されている……さらに芸が細かいのが、そこはかとなくリアルに作られたSDユリカであるが……。
「ねえ、カグヤさん」
「何かしらメグミさん?」
「どうして艦長の人形だけ、真っ二つになっているんですか?」
 そう、そうなのだ!
 ユリカの人形だけ、綺麗さっぱり、包丁の切り跡の上にあって真っ二つになっていたのだ!!
「それはバランス、ですわ。人形の置き位置、飾り位置、デコレート。それら全てを計算し尽くして置いたら、出来る限り綺麗に並べたんですけど、切る時になってユリカさんが邪魔だったので切っちゃいましたわ
 にっこり。
 そんな擬音が聞こえてきそうなほど……ユリカはにっこりと微笑んだ。まあ、おそらく面会に来た誰かの子供だろう……それがその顔を見て全力で逃げていく……そう、子供の感受性はそう簡単に誤魔化せるものではないのだ……。
「おほほほほほほほ」
「あははははははは」
「うふふふふふふふ」
 ピタリ。
 ギンッ!!!
「オホホホホホホホ」
「アハハハハハハハ」
「ウフフフフフフフ」

「……オイ、誰か止めてこいよ……」
「なコト言うならお前が……」
「俺を殺す気かよ……」
 ……後方二十メートル……なすりつけあいが始まっていた……。





 午前10時04分。
 バババババババババ……
 ヘリがローターをなびかせ、ナデシコ脇に着艦する。
「おおっ、高速機動ヘリっ!! しかもあのサイズはエステバリス輸送タイプだぜ!」
「う、ウリバタケチーフ……皆は?」
「医務室に置いてきた。……さすがはイネス先生、前回海に行った時のテンカワの教訓を元に解毒剤を完成させていたんで、安心して置いてきた」
 と言いつつウリバタケは軽くなった肩に、重量が100キロは下らないであろう巨大スパナを担ぎ上げる。が、全くふら付かない。……なぜ?
「……駐車場のほうに行きましたね……ヘリポートってあっちでしたか?」
「確かそうだったと思うが……」



 午前10時06分。
 ヘリのローター、その回転が落ち、やがて止まった。
 そしてそこから降りてくるのは…アリサ、サラ、シュン、カズシ。……ついでにナオ。ナオは痛みからか動きづらそうにも見えるが、とりあえず自分の足で立っている。
「くぅ〜〜やっと着いたぁ〜〜」
「姉さん大丈夫?」
「ええ……アリサこそ大丈夫なの?」
「私は演習とかで慣れているから……お二人は?」
 言い、シュンとカズシを見る。
「ん? …肩がこった位だ。ま、俺もそろそろいい年だからな」
 シュンは腕を肩口からグルグルと回し、疲れをほぐそうとする。
 対しカズシはやや、やつれていた。
「……シュン隊長……なんで基地から俺一人だけがパイロットをする羽目に……?」
「俺は免許もっていないからな」
「私も」
「私もです」
「俺はまだ完全に回復していないから」
 と、他の全員が言うと、カズシは「しわ寄せは全部自分に……?」と声無き声を発した。
 返す返すも不幸な男である。
「とりあえず私のエステ下ろしておこうっと」
「そうね、じゃハッチ開けてくるわ」
 そう言いつつ、仲のいい双子はこの場から逃げていった。



 午前10時54分。
「…はい、はい。……!! それは本当ですか?!」
 タカスギ・サブロウタは通信機を片手に、サセボの郊外にいた。
 驚愕に見開かれた目からは彼の心の乱れさえ見えそうだ。
「……はい。自分の任務は……現状維持、ですか。……いえ、不満などは……」
 そう言いつつも、握り締められた手からは血さえ滴り落ちている。
 それから幾ばくかの言葉を交え、それを下ろした。
 ただ、何も出来ない自分に、言いようの無い怒りを覚えた。
「一体、何が起こっているんだ……」






 午後00時00分。

 ユリカ立つ!
 そのとき、雄叫びが上がった!!
 ユリカはこの寒風吹きすさぶ中、エステバリスのパーツを模した水着と言う格好で現われたのだ!!
「まずは悲しいお知らせです……」
 しょんぼりとした声と表情が、危機感を感じさせる気がしないでも無い、と言った程度の響きを持っている。
「先日より伝えてきたとおり、ナデシコが連合軍の一部隊として編入されます。一部のクルーはそれに伴い、カグヤ側に編入されることが決定してしまいました……」
 しかしカグヤのみは、「それこそが当たり前」という表情……しかしクルーにしてみれば、個人を尊重し、訳の分からない組織が毎日のように現われては淘汰されると言うリベラルなナデシコの空気を愛しているのもまた事実。 
 そしてマイクパフォーマンスのようにユリカがカグヤにマイクを投げつける。
 カグヤはそれを取り、何かを感じ表情を顰めた後、反対側の手でハンカチを取り出し、マイクを捨てて手を拭き始めた。……どことなく、不穏な空気を立ち込めさせる行為である。
 何故か拭き終わった後ハンカチを汚い物でもつまむような持ち方で捨て、コミュニケを取り出しボリュームを最大に設定して言い放った。
「アキト様はこちらで引き取りますから、後はそっちで選んでくださって結構ですわ!!!」
 その温かいお言葉にユリカ嬢はにこりと青筋をお立てになられ、負けじとボリュームを最大にされました。
「いえいえいえ、それだけは譲れませんから……第一そちらにはムネタケ提督をお任せすることになっていますから、これ以上ご迷惑をおかけするわけにもいきませんもの」
「あ〜らユリカさんお気になさらずに。アキト様を引き取るくらいこちらには……」

 その取り留めも無い、醜い女の争いを見て、ごく自然に声が漏れ出た。
「……馬鹿ばっか」
 呆れた顔を隠そうともせずに、予備のマイクをどこからともなく取り出し、宣誓した。
「じゃ、はじめよ」
 ……この盛り上がらない声が引き金となり、ネルガル重工創立以来もっとも混沌としたパーティ、と呼ばれる宴が始まったのだった……。

 と、同時に悲鳴が上がった。
「ぐぶがっ?!」
 悲鳴をあげたのはトナカイ姿のゴート・ホーリ。錯覚なのか……全身から煙が上がっているように見える。
「ちょっとどいてください……」
 何らかの心得があるのかサンタクロースのプロスペクター、ゴートを揺さぶろうとするミナトの手をどかせ呼びかけ、脈を取り、目を見る。
 呼びかけに答えず、脈は弱い。更に瞳孔は開いているのだ。
「……危ないですな。イネス先生に連絡を……誰か、彼が何をしたのか分かりませんか?」
「そこにあったポテトを一つ食べただけよ……?」
 そのミナトの言葉と共にプロスペクターはポテトを見る。
 見かけは……普通だ。要注意料理人に指定されているメンバーのモノではなさそうだ。
 香りも……普通だ。
 懐から取り出した液体をかけ、ろ紙にそれを含ませ、色を検分する。……毒素は無い。
「ウリバタケさん、ちょっと来てください」
「何だ? プロスのおっさんよ?」
 …おっさん呼ばわりされたことに腹が立ったのかプロスペクター、例のポテトをウリバタケの口にひょい、と投げ込む。
 ぱたり。
 一瞬で倒れるウリバタケ。

 周囲のテンションが更に下がる。

 そこからほんの僅か離れて。
「あれ? おっかしーな」
 そういいながら、何かを探す女性が一人。
「どうしたのリョーコ。探しもの?」
 一人身ゆえの寂しさか、ヒカルが声をかけた。
 ちなみにヤマダ、未だにジュンに「帰って来い」と叫んでいる。
「ヒカルか……いや、俺が揚げたポテトとかフライとから揚げ……無いんだよ」
「りょ、リョーコが作ったの……?」
 瞬時に脳裏で展開される、夏の海で繰り広げられた惨劇。
 この事件のあと、イネスは調味料の作り出す猛毒領域”Y””R””M”を発見した。それは単なる噂だが、実際にあの光景を目にすれば……誰も疑うことは無い。
「ああ。猛特訓したからな、見た目からして美味そうになったぜ」
「……中身は?」
 その問いに、冷や汗がぽとり。
「……そこまで気が回らなかった、はは」




 そして同時刻、ネルガルの極秘実験場。
 そこで、ある実験が行なわれていた。
 ……科学に魂を売ったと豪語する、果て無き愚かさを露呈する愚者の饗宴とも言うべき、悪魔の所業、安全な場所から見ることによる、感覚の麻痺。
 何層にも区切られた安全な場所から、男たちがそれを見ていた。男たちは妙なところで律儀なことに、全員が白衣という科学者のステロタイプのような格好をしている。
 実験場に流れるアナウンス。
『エステバリス・耐圧型・チューリップへのエントリー開始』
 その声と共に、無骨な機械が下りていく。……それがエステバリスというのは妙な気がするが、乗り手の意志通りに動くという点ではそうなのだろう。幾つものセンサーを全身に取り付け、エステバリスはクレーンに吊り下げられたような状態でチューリップの中に進入していった。
 それは進入、それとも侵入か。
 沈むにしたがって、何か、言い知れぬ予感が、悪寒がする。
 そして、ほんの数メートル沈んだ時、再びアナウンスが流れた。
『耐圧エステ、圧壊』
 そして、実験室に流れたのは失われた人命を悔やむ声ではなく、実験を失敗した事による残念なため息だけだった。






「ふーん、そぉ。……あ、遺族には見舞金はずんどいてね」
 そう言いつつ、人の死を軽々と言い切ったのはアカツキ・ナガレ。パーティ会場を潜り抜け、トイレで用を足すついでに連絡をつけたのだ。
 ……人の死、それは非常に重い物である。
 だが、身も知らぬ他人のことで本気で悔やむことが出来るほど純粋な人間など、まず居まい。地球の重さと命の重さを比べる者も居るが、実際、そんな物を比較することなど出来ないのだ。
 それ以上に、アカツキの様な立場に居る者なら、それに関して一定以上の距離を保たなければならない。……情に溺れる余裕など、誰にも無いのだ……。
 手を洗い、何事も無かったようにトイレから出る。
 ……が、出た瞬間、世界が固まった。
「……これは何の真似だい?」
 普段通りの軽口を言ったつもりだった。だが、それも上手く言えたかどうか分からない。なぜなら、そこに居たのは本物だったからだ。そう、幾度となく目にした、本物の死神。
 真っ黒な装束と、一瞬にして命を刈り取る武器。そして、それを持ち、なおかつ自制する存在。実在、空想の違いは必要ない。黒いスーツとサングラス、そしてオートマグ。
 そこに居ることに、間違いは無いのだから。
 死神は、ヨレヨレのタバコをくわえると、空いた手で火をつけ、暗く笑った。
「人違いじゃないのかい?」
 隙が無い。アカツキは揺さぶりをかけようにも、自分の頭が空回りしている事に腹が立った。
「人の命は、軽い物だよなぁ……自分以外の人間ならな」
 その声の主は、息をするのと同じくらい自然に銃の引き金を引いた。




 とん、とん。
 唐突に肩を叩かれ、エリナ・キンジョウ・ウォンは何とか平静を装って後ろを向くことに成功した。
「えっ?」
「はぁいエリナさん、メリークリスマス♪」
「え? ええ、メリークリスマス」
 にこやかに笑いかけてきた誰か。知っているはずなのに、何故だろうか、誰なのか分からない。エリナは商売に必要な素養として、人の顔を記憶するのは得意な方なのに、何故か眼前の人物が誰なのか分からないのだ。
「えっと…貴方、どなただったかしら?」
「ひどい、ひどいわっ、エリナさん! 忘れちゃったの?」
「ご、ごめんなさい……」
 むしろ、エリナの方が気後れしているようだ。
「ん、いいのいいの。……それよりもさ、エリナさん。楽しい?」
「楽しい…わよ」
 普段のエリナなら、この人物が誰なのか、気になるところだろう。
 なのに、それを確認しようという気にならない。
 こんな胡乱な人物を相手に、何故か警戒心が沸かない。
 …いや、疑問に思わないことこそ、疑問に思うべきなのかもしれない。
 エリナは目の前の人物を見る。
 顔の造作は女性の物で、体型も胸が控えめなことを除けば、むしろ理想のプロポーションと言うべきだろう。女性らしい声と表情、何処となく子供っぽさを感じさせる仕草。首筋にそってすっきりと切られた髪。
 何より醸し出す雰囲気が、彼女を忘れられない人物にするだろう。
 ……なのに、思い出せない。
 それどころか、本当にココに居るのか、それさえも……いや、本当にココは、パーティ会場なのか。自分は本当にここに居るのか居ないのか。
 誰も居ない。
 何も見えない。
 何も聞こえない。
 なのに何も不安を感じない。
 何も……。
 そして、エリナは最後にこのような声を聞いた。
「ようこそ、もう一つのパーティ会場に」




 プロスペクターは話していた。
 目の前に居るのは、オオサキ・シュン副提督と、その補佐官のタカバ・カズシ。
 広げられたのは、やけに分厚い封書。だがそれが正式な書類であることを示すように、UNの定める書式に沿って書かれ、一般人が決して目にするはずのないサインがいくつも書かれている。
 それを見てプロスペクターは戦慄する。
 何が起こったのだ、と。
「……では、これがこれからのナデシコの役割…というわけですね?」
「ええ。……幾つもの政治的取引……いや、政治的裏取引の結果、ようやくこうなったと言うべきか……」
 対するシュンは、何かを知っているのか…それ以上は口にしない。
 気まずい沈黙が流れ……数分が過ぎた。
「そう言えば、上はクリスマスパーティの最中でしたね」
 こういう沈黙は碌なことにならないと知っているからか……胃が痛むのか、カズシはほんの少し胸元を抑え、なけなしの気力で勤めて明るい声を出した。
 それに便乗してプロスも声を合わせる。
「え、ええ…そうだ、オオサキ副提督とタカバ補佐官も参加されてはいかがですか? 皆さんに紹介するのにちょうど良い機会と思いますよ」
「それは良いですね、他の皆も呼んできましょう」
「…カズシ」
 硬質な声が一瞬にして室内を凍りつかせる。
 プロスとカズシの動きが止まる。
 シュンは血が冷めるような、凍りつくような無表情のまま立ち上がり、室内を睥睨する。
 が、一転。
「それはいい考えだ、うん。んじゃ後、頼むわ」
 ……そのまま、足取り軽く、スキップしそうな感じに歩いていった。
「おー、アリサ君、サラ君。上のパーティに参加しようって事になったんだけど……」
 カシュ。
 自動ドアが密閉する為に空気を吐き出す音が、やけに空しく響いた。
 引きつった、妙に薄ら寒い笑みを浮かべたカズシ。
 プロスペクターは、道楽会長に仕事を押し付けられた時の会長秘書の笑みにそれを重ね、この二人の関係を一瞬にして把握した。
「……苦労なさってますね」
「……それがわかる貴方も」
 そして二人はため息をつく。
「「……はぁ」」

 とまあ、おどろおどろしたナニかが廊下まで漏れだしているのを感じながら…サラは尋ねた。
「良かったんですかシュン隊長?」
 その表情にははっきりと心配する色が見て取れるのに、尋ねられたシュンはと言えば。
「今の俺は隊長じゃなくて副提督なんですけどね」
 と、別のことを気にしていた。
 それは皮肉であったに違いないだろう。実際、自嘲の笑みも浮かべていたのだから。
 けれどアリサはそれに気づく事無く、
「そうでしたね、昇進おめでとうございます」
 と、本心から祝辞を述べた。
 ははは、と苦笑し、そのまま曖昧な笑みを浮かべたシュンは、
「……普通ならめでたいんだけどね」
 と、口から出さないよう呟いた。



 イツキ・カザマは迷っていた。
 別に彼女が方向音痴な訳ではなく、まして道が分からないと言うことでも無い。それは「本当に此処に来て良かったのか」ということに他ならない。
「いくら軍港の中だからって、戦艦に乗るのにカード一枚でよいのでしょうか?」
 ほんの一筋ほど汗を流しながら……担架に乗って運ばれていく『怪奇トナカイ男』を見るのだった……。
 だが、それも時間にすれば30秒足らず。気を取り直して前を見ると。
「……本当に此処が戦艦の中なのかしら」
 地面を這いながらパーティ、ケーキ、ユリカと不気味な声を出すゾンビモドキを発見してしまった。
 そしてそれを避け、近づきたくないから遠回りも仕方ないと別の通路に入り込んだ。
 どん。
 だが入った途端、人にぶつかってしまった。
「……君、大丈夫かい?」
 そう言いながら、ごく自然に手を伸ばしてくるシュン。けれどイツキの目には年の離れた美少女を二人も(サラ・アリサ)連れ歩く危険人物としてインプットされてしまった。
「え? あ、すいません、本日付けでナデシコに赴任してきました、イツキ・カザマです。着任届を出したいのですが、責任者のムネタケ提督はどちらに?」
「ああ、さっきプロスさんが言ってたな…夕方まで帰ってこないとか何とか」
「そうなのですか? ……では人事は…?」
「ああ、俺が預かろう。言い忘れていたが、俺も今日から此処に赴任することになったオオサキ・シュン副提督だ」
 その言葉を聞きながら、イツキは内心「あちゃ〜」と叫んでいた。

「! 貴方があの白銀の戦乙女!!」
「……ん〜やっぱりその”二つ名”って恥ずかしいなぁ」
 驚くイツキ。けれどアリサは恥ずかしそうに笑って見せる。アリサにしてみれば、自分は”二つ名”などというご大層な物を名乗れる腕前ではないと考えている。
 特に、あの三人と一緒に戦っていた人間としては。
 短期決戦用の、言わば決闘用とも言うべき異常な火力を誇る機体を長時間操る体力と精神力を持つアキト。
 戦場の真っ只中から逃げ遅れた人間を、確実に護りながら安全圏まで誘導できるフミカ。
 機動力のほとんど無い機体ながら、戦場の最深部から無傷で生還するトウヤ。
 口で言うのは単純かもしれない。だが、今までそれをできる人間など、ただの一人も居なかった。
 あれに比べれば、自分など素人に毛の生えたようなもの、アリサはそう思っている。
「そんなこと無いですよ! 貴方の武勇伝、物凄いんですから!」
「ぶ、武勇伝?!」
 アリサの顔が引きつってしまう。
 一体どのような噂が流れているのか、と。

「アリサったら、イツキさんとすっかり打ち解けたみたいですね」
「そうなんだが……」
 姉の余裕と言うか、同じパイロット同士ということで打ち解けたアリサとイツキの様子を見て微笑む。が、シュンには何か気になることがあるらしい。
「何か?」
 言いつつ、シュンの目線を追う。視線の先にあるのは錯覚かも知れないが、ほんの少し朱を帯びたようなイツキの顔。
「何となく…アリサ君を見つめるイツキ君の目が…ちょっと気になる物でな」
「……そうです……ね」

 そんな会話を続けながら、四人はパーティ会場に到着した。




「さて、どうしよっか?」
<どうしなくても良いよ……というかしないで……>
「むぐーむぐー」
 此処はナデシコのサブブリッジ。無用心なことに誰もおらず、楽しげなラピス、おろおろするダッシュ、『でこい』と張り紙されたハーリーの三人がいた。それとほんの少し離れて、入り口の近くにナオも居る。
 そしてラピスはダッシュを「ぐわしぃ」と掴むと、どことなくフミカそっくりの笑顔でこう言った。例え一桁の年齢であったとしても、朱に交われば赤くなるどころか朱になるらしい。その割に、子供子供したところが抜けず、「答えづらい質問」を周りの大人たちに浴びせ掛けることが多々あり、困らせても居るのだが。
「ダッシュ君、お願いね♪」
<しくしくしくしく>
 そしてダッシュは、何でこんなにストレスかかってるのにフリーズできないんだろう、僕……と、自らの高性能さを悔やんでいた。
<助けてよ〜オモイカネ兄さ〜ん>
 だがオモイカネは現れず、現れたのは全く別の人物だった。
「あなたたち、何をしているんですか?」
 開いたドア、入ってきたのはルリ。
 だが、彼女はまだ気づいていない、自分を銃で狙っている人間がすぐ脇に居るなど。
「む〜む〜ぬ〜」
 その光景を見てハーリーは何とか「逃げて」と言おうとするが、ルリは縛られたハーリーのその姿を見て、ポッと頬を赤らめると目を伏せ、
「最近の子供って進んでいるんですね……あ、お邪魔のようですから」
 と、見た光景をそのまま誤解した。

 そしてクルリと後ろを向き、部屋から出ようとして……両脇に居る銃を構えた人物、ナオの姿を見た。
「……今はまだ、ここに居てもらおう……」
 その言葉を放ったナオの顔には、苦いものが張り付いていた。
「何をする気ですか…?」
 その姿に何かを感じたのだろう…ルリは尋ねた。そして帰ってきた答えは、ラピスからのものだった。
 ラピスは本当に苦しそうに、しかし意を決してそれを答えた。
「もう、戦争の火種はいらないから…みんな、消しちゃおうって」
「僕も、そう思うよ…」

 弱弱しい笑みだったが、それでも誇りを持った笑みだった。
 例えそれが正しくない事でも、自分の主義を貫く目だった。


 Cパート