機動戦艦ナデシコ<黒>
13.「真実」は一つじゃない→譲れない、たった一つの「真実」
ヴ…ヴ……ヴ…
それは低く、低く、唸るかのように自らを震わせた。
だが、誰も気づいていなかった。
<時が……来た>
その言葉の響きに、誰も気づいていなかった。
グ…グググ…
軋みをあげて、それは現れようとしていた。
誰にも、どうしようもなかっただろう。
とても短時間のうちに現れ、そこに居る人間達を建物ごと破壊し、歩き出したそれを止めるなど、誰にも出来なかった。
ドンッ!!!
激しく――揺れた。
テーブルが倒れ、料理が床に落ち、サセボの街中に警報が鳴り響き、いぶかしんだ者は街を見やり、次の瞬間唖然とした。
街中の誰かが言った。
「実写版、作るって話は……聞いた事が無いよなぁ」
そして、誰もが何かに納得できないような表情を一瞬作り、それが本物であることに驚き、全力で逃げ出した。
まるでアニメに出る民間人、そのもののように。
パッ!
現れたウインドウにはルリの姿。ただその後方では泣き疲れたハーリーが哀愁漂う眠り方をしており、ラピスとナオとダッシュはババヌキをしているが、それはまあどうでもよい。……洗濯バサミでライオン(罰ゲーム)にされ、半泣きのナオの顔など、本当にどうでもよい光景だ。
そんなものを見ていたからか、
「……バカばっか」
と、どことなく傷ついた風に呟き、とりあえず立ち直った。
「敵襲です。それもヤマダさん好みの」
そうは言ったが、答えが無い。
「…?」
見渡しても、反応が無い。いつもなら「ダイゴウジ・ガイだーーーーーーっ!!!」とでも叫ぶはずなのに。
見かねたのか、イズミが答える。
「ヤマダ君ならお酒飲んで倒れたわよ。全く○○○で×××が○○○よね……あら? みんなどうしたの」
「い、いえ……なんでもございませんのことよ」
「そうそう、もうイズミには逆らわないから。あたしの持ってる同人誌の中で欲しいのがあったら差し上げますから」
と、凍りついた空気の中、何とか至近距離にいたリョーコとヒカルの二人が再起動を果たし、頭をブンブンと振り回しながら卑屈に言い切った。
「……そう? ならいいわ……」
と、平然として言うイズミに対し、奇妙な畏怖が広まった。
さて、ヤマダであるが、ここに居なくて正解だっただろう。
ブリッジに駆け込むユリカ。とりあえずあの格好では、と言うことで上着だけは羽織っているものの、足元は見えている。ジュンなどは理性がもつか分からない。
「ルリちゃん状況は?!」
「連合軍サセボ基地、再び崩壊です。市街地に無人兵器は見当たりませんが……繁華街のあたりに……その……」
と、言いにくそうに言葉を濁す。
だが、言葉に合わせて切り替わった画面が映し出した物は……
そう言って映し出されたのは、ナデシコ初出撃の日の再来だった。
たなびく煙と瓦礫の山、所々延焼している。
が、それ以前に。
「……げきがんがぁ?」
胸の飾りのようなものから光線を出し、妙に古めかしい動き方で建物を壊している。リアルなCGといっても納得できそうな光景……だが、その足元で人々が苦しんでいるのは間違いなく現実。
みんなの顔が……蒼白になった。
「そんな……ルリちゃん、被害状況を教えて!」
「はい…オモイカネ」
被害状況
ゴート・ホーリ……脳波、呼吸、心拍数が異常。予断を許さない状況。
リュウ・ホウメイ……現実逃避中。鎮静剤を投与したことで安定。
アオイ・ジュン……小康状態。
ウリバタケ・セイヤ……脱水症状を起こし急激に衰弱。
ヤマダ・ジロウ……オレンジジュースの毒が全身に回っている。
テンカワ・アキト……景品として括り付けられていたまま。人事不省。
被害状況……まあ、間違いではないのだが、ブリッジ要員は例外を除き、全員が納得していた。最後の一名を除き、ほとんど食中毒なのだから。
以上に対するイネス・フレサンジュ博士のコメント。
「……興味深いわね」
イネス……あなどれない女性である。
「オモイカネ……違う」
言うルリは半眼である。
おそらく、先ほどのラピスとダッシュによるアクセスがオモイカネに致命的な”何か”を与えたのだろう。
<……ごめん>
被害状況
地上施設……損壊率87%。
航空部隊……滑走路、カタパルト使用不可。出撃できず。
地上砲火……自動制御不可能。人的要員不足につき稼動不可。
機動兵器……格納庫損壊に巻き込まれ圧壊、全損。
人的被害……計測できず。
「……」
「……」
「……」
思わず沈黙が降りる……が、小声で何事か話し合う一団がいた。
「……連合軍って、学習能力あるのかしら?」
「全く嘆かわしい……過去の教訓を生かしきれないとは、どれほど新規予算を必要とするか……分かっておられるのでしょうか」
「まぁいいんじゃないの? 資材売れるし」
上からエリナ、プロスペクター、アカツキであるが、まさに三者三様の言い分である。
防衛設備の向上も無く、最も重要であるはずの発進デッキが潰され、連合に正式配備されているエステバリスタイプの機動兵器も、機影は一つさえ見えない。
「ここに配備されていたエステって何機ぐらいあったっけ?」
「たしか…二個小隊よ?」
「確かこういう時はこう言うんだっけ…『商売繁盛、笹持ってこーい』…とか?」
「ちょっと違う気がするわ」
「まあ、僕は出撃の準備するから。後、頼むね」
言いつつ自らのエステバリスのある格納庫へと急ぐアカツキ。
それを見ながらのエリナの一言。
「今更だけど……自覚、あるのかしら?」
その呆れたような顔を見ながら、プロスペクターは内心思っていた。
(最前線にて戦う。…危険でしょうが、またとない宣伝材料……やはり商才以上のものを受け継いでいるようですな)
と。
……それはさておき。
どこからともなく現れ、サセボの街をなぎ払い、焼き払っていく巨大なロボット。それは誰もが言うようにゲキガンガーに通じるデザインをしていた。
「ルリちゃん、ナデシコは動かせる?!」
「ドック係留中でしたから、エネルギーに関しては。……ですが、現在の状況からすればディストーションフィールドを張れば街が潰れてしまいますし、兵装を使っても街を壊滅させます!」
「……え?」
「オモイカネ、シミュレートお願い」
<了解>
その表示が出たとたん、ブリッジの床に街の模型が投影された。
街の中心にはデフォルメされたゲキガンガーがその短い手足をジタバタさせている姿が映っている。……不謹慎だが、ほほえましく見えるのが逆に怖い。
また、周囲にはナデシコが浮いてもいる。
そして放たれるグラビティ・ブラスト。それは地上ごと、街ごと、おそらくは逃げ遅れた民間人ごと全てを破壊した。
「……」
「……」
場面はリセットされ、またゲキガンガーもどきが暴れている。
今度のナデシコは水平に射線をとっている。
再び放たれるグラビティ・ブラスト。
命中!
グラビティ・ブラストは町に毛ほども被害を与えてはいない。
……なのに、やはり壊滅。
再びブリッジは静まり返った。
<また敵機はグラビティ・ブラストを搭載。そのエネルギー量から相転移エンジン搭載型と推測。攻撃の余波にてそれが暴走、自壊を起こし街を破壊しました>
それは駄目押しの声。
地上で相転移エンジンをつんだ兵器……ナデシコのグラビティ・ブラスト。もしくは新兵器のマイクロブラックホールキャノン。どちらが命中するにせよ、影響を無くすなど出来ようもない。そんな夢想が出来るような器用な代物ではないのだ。
「……」
「……」
けれどもユリカは意を決した。もとより他に選択肢が無かったからとも言えるのだが。
「エステバリス隊、展開! ゲキガンガーの機動力、攻撃力の無力化に務めてください! それと本体への攻撃は相転移エンジンの誘爆の危険性がありますから避けてください!」
「艦長、敵の相転移エンジンは大きさと放熱、反応からグラビティ・ブラスト発射口の僅かに下と思われます」
そしてキッとした表情で後ろに来ていたシュンに向き直り――
「いいですね、副提督――」
「ああ。やってみるといいさ」
そんなユリカに、気を抜けといわんばかりにシュンは気楽に答えた。出来の良い生徒を見るような目と微笑で。……仮装したまま。
――格納庫。
慌てふためき、右往左往する作業員が、奔走していた。
「おい、ウリバタケ班長はどこ行った?!」
「医務室だ……きっと三日は戻らないだろう……」
「くっ……」
「どうするんだ……ああ、そっちの弾丸はヤマダ用の実験機のやつだ! イズミさんのはそっちの青いケースの奴!」
「おおい、こっちのイミディエットナイフは?!」
「2ndって書いてあるのはまだチェックが終わってない! そこに置いておけ!」
だが、活気にあふれている。
特に、彼らが何処からともなく手に入れた資金によって開発した「こんなこともあろうかと」用新兵器の数々!
その姿を見てレイナが叫んだ!
「しっかりしなさい!!!」
しん……となった。
「いい?! 奇をてらったものは今は必要ないわ! 今必要なのは安全性の高い、ピンポイントで攻撃が出来るもの! 私たちはパイロットが五体満足で生還できることに全力を尽くせばいいの! いい?! わかったわね!!」
「「「は、はい!!!」」」
後日談ではあるが、このときよりレイナは整備班の中で「マッドエンジニア・ウリバタケ」と並ぶ「レイナ・ザ・クイーン」と影で呼ばれることになった。なぜ王妃ではなく女王なのか、本人以外は酷く納得していたという。
イツキは呆然としていた。
レイナのあたりが騒がしいが、今の彼女にはそれを気にする余裕など無かった。
巨大な……それを目にして。
「何なんですか……これは……」
いや、彼女はそれを知っていた。
連合軍の埒外にある力……。
体の中に収まりきらない強大な、暴発するほどのエネルギーが蛇のように巻きつきながら放電を繰り返し、一撃で全てを貫き通す殲滅者<アニヒレイター>……誰にも扱うことの出来ない兵器DFSを易々と操るその姿。その上、奇妙な龍を生やした右腕。
ごく普通の左の顔と、三つの縦に並んだアイカメラのある右の顔。
軍の映像資料で見たことのあるそれを……EX01<シュツルムヴィント>を。
だが、それの醸し出す空気……まさに修羅。
だが。
「ん? 何してんだ……えっと……カザなんとか」
「イツキ・カザマです! ……あなたこそ誰ですか」
「おれ? そーいや言ってなかったな…スバル・リョーコ。パイロット。で、あそこの赤いのが俺の機体な」
「そ、そうですか。……じゃなくて! あんなのがここに置いてあるのに、何も感じないんですか?! この冷たい空気に何も?!」
少々ヒステリックになっていると言えなくも無いイツキの声。
いわれリョーコは何やら考え込み……ああ、と頷いてから
「慣れた」
とだけ答え、ここからは見えないだろうし、イツキはまだ見たことさえ無いだろう……龍皇のある方に一瞬だけ目をやった。
「とにかくここ(ナデシコ)でうまくやってく秘訣は気合とノリだ。覚えときな!」
言い、颯爽と走っていった。
リョーコの視線の意味はイツキにはわからなかったが、しかしその強い表情は……イツキのほほを赤く染めさせた。
好意は多種多様なもので、前途多難なものであることに間違いは無い。
……が、イツキの場合、何やら方向性が違う。
なにやら「イヤイヤ」をするようにし、ついと顔を上げた。
……上げたその先には、落ち着いた感の美女がいた。
「えと……貴女は?」
「マキ・イズミ……○○○○○○○○○○で×××××××××で□□□□□□。よろしくね」
だが、その挨拶を聞いていなかった。
なぜならイツキの脳は麻痺しており、脳が先ほど聴覚から入力された刺激を消去するために奔走していたのだ。だがあまりに凶悪な記憶は消去を許さず、それが脳内でリフレインする始末。
イツキは今日この日、あまりに寒く、脳どころか魂から拒否するようなギャグ――これをギャグと呼ぶのは、ギャグに対する冒涜かもしれない――が存在するのを知った。
そしてイズミはリアクションが帰ってこないのを見、しかし何処か嬉しそうな表情で自分のエステに向かうのだった。
そして最後にヒカルが自分の耳から耳栓を引き抜き、
「良かったら使って。あ、わたしはアマノ・ヒカル。黄色のパイロットだからね。でも好物はカレーじゃないよ」
と言い、歩いていった。
イツキは、カタパルトからエステバリスの射出音が聞こえてくるまで自分と戦いつづけていたそうな。
そのころ医務室から脱走しようとする不屈の魂があった。
「ゆめが、あ…すを……戦場、が……お…れを……よ、ん、でい…る……おれ……はひーろぉ……だ」
その声と言うか、内容にイネスは溜息をつぎ、指一本動かすだけで一歩ずつ死に近づいていくようなそれに向かって手にしたものを投げつけた。
シュ…カカカカカカカカカッ!!!
たった一つの風切り音。
だが両の手から放たれた十を越すメスの群れが彼の行く手を……床に服を縫いとめる事で防いだ。リノリウム張りだがその下は宇宙空間を航行する戦艦だけあってなまなかな金属より遥かに強靭な素材のはずだが……なぜか根元まで突き刺さった。
ヤマダは……人食い虎に睨まれた子兎のような気分になり、背中からのプレッシャーを何とかかわそうと考えた。だが。
「……うれしいわ……この状態で動けるなんてなんていいサンプル……じゃなくて。何てすごい患者なのかしら……」
途中で二度ほど「じゅるり」と涎を拭くような音が聞こえたような気がしたのだが……気のせいと思うことにし、ヤマダは夢の世界へと逃げた。
これこそ賢明な判断だっただろう。
尤も…命の保証は無いかもしれない。
彼女の目の焦点は合っていなかった。不審げに見ながらも、とりあえず声をかける事にした。……後ろのほうではそんなアリサの英雄的行為に喝采を送っているほど……どれほど胡乱な表情をしていたかは……おして図るべし。
「……何してるの、イツキさん」
「えー、あー、あー……あー……はっ?! 私は一体!?」
「それはこっちが聞きたいわ……」
まるで漫画のように大きな汗をかきながらイツキを見る一同。
何故かイツキはそれを意に介すことなく……イズミの駄洒落を聞き再起不能になった仲間を格納庫の隅に寝かせる、妙に手馴れた光景に感動を覚えていた。
「で、その…アリサさん、どうかされたのですか?」
「何言ってるの! 私たちのエステバリスもセッティングが終わったのよ!」
「え……えぇぇぇぇぇぇ?! もう始まってたんでしかぁ?!」
「このコは……こっちよ!」
そうして連れ立っていった二人の少女は……異様な光景を見た。
整備された白銀の機体。全身に充電用のケーブルや冷却材の充填のためのケーブル、そして低出力で運転を開始したジェネレータの低い唸り声。ここまでは緊急出撃に備えていたナデシコ整備班の手腕のすばらしさ……だが!
その横に存在したモノのインパクトが違った!!
イツキは知る由も無かったがそれはEX04と呼ばれる機体。
そしてその横で日本刀を抱え、赤ら顔でいびきをかいている老人が居ることに驚き、何故かその脇に予備機として搬入されたサーフェス塗装さえしていない新品のエステバリスが鏡のように滑らかな断面を見せていた。
「こ、これ何?!」
手が伸び、それに触れようと――
ガシィッ!!
突如背後からイツキを羽交い絞めにしたアリサ……イツキは驚きのあまり悲鳴をあげそうになり、しかし舌を噛んで黙り込んだ。
「駄目! アレが見えないの!」
軽く振り回すようにイツキの体の向きを変える。
するとそこには「峰打ち」を食らった整備班が死屍累々と横たわり、それをやったであろう老人の右手が、いつのまにか刀にかかっていた。キリ…と音が鳴る。
その姿を見たアリサには何やら思い当たることがあるのか、冷や汗――それとも脂汗か――を流しながらイツキを諭そうとした。
「……いびきをかいているシュウエイさんに近づいちゃ駄目……サイトウさんなんて漫画の悪役並みに吹き飛ばされたのよ…」
サイトウ――姿を消してしまった西欧の基地に所属していたメカニック――の事をイツキが知るわけは無いのだが、「漫画の悪役並み」という言葉に畏怖を感じたのか、「カチリ」という鯉口を切る音に恐れを抱いたのか……後ずさりはじめた。
「……なあ、トウヤ」
「なんです、隊長?」
「……俺達、一体何やってんだろうな?」
「気にしたら、きっと負けですよ……きっとね…」
とはいえ。
賞品姿のまま磔にされているアキトと、花嫁姿のハマリ過ぎたトウヤ。
戦場に行かなければならないのだが、景品化されているアキトを逃がした事がばれれば、逃がした者の身が危ない。何せ、ナデシコに乗っている人間はなぜか「手加減、何それ?ストーカー? これは愛情表現です、間違わないでください失礼なっ!!」と、必ず口をそろえて言うのだ。
朱に交われば赤くなる。
元から赤かった、というよりも合わさって相乗された感のある、暴走女どもに理屈は通じないので、アキトは逃げ出したくとも逃げ出せなかった。
ではトウヤは?
こちらは簡単。
更衣室まで行く間に、貞操の危機に陥りそうな予感があったからだ。
正直、そのような事を考え震えている姿は「ストレートをゲイに変える」力があるとしか思えない。
第一!
EX01<シュツルムヴィント>は修理が終わっているとはいえ調整中であるのだし、長年の無理がたたったトウヤ専用のエステバリス改はフミカの専用機ともども置いてきた。
よって、この二人は戦闘能力皆無。
そんな、奇妙な空気の流れの中、ブリッジからの声が聞こえた。
敵の姿がゲキガンガーであるとの声。
その言葉に、アキトの表情が鋭く変わる。
「ゲキガンガー……てことは、あいつらが来たのか…?」
「隊長が言っていた人ですか? でも時間が流れたのなら、考えが変わることもあるんじゃ…?」
ふと、厳しさが増す。
「それはわかっている。だが、割り切れないんだ。アイツらがそう簡単に意思を変えるようには思えないし、……状況に何かがあったんじゃないかって、願っている自分もいる」
その顔には何か深い決意のようなものがうかび、意思を統一するために目を閉じ、息を整える。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
三つ数え、力を、集中する。
あのテロリストと相対したとき知った、人間の限界の先の力。
「ぅぅぅぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ギシッギシギシッグググ…ギリギリ…
「た、隊長?! 止めてください! 腕のほうが千切れます!」
「今はそんな事を言っている場合じゃない!! あいつらがここに来るって事は…勝利を確信したか、特攻かのどっちかだ! そんな事…許せるかぁぁ!!」
四肢を拘束する鎖……だが、切れない。
だが軋む。
こすれあう。
パキパキと音が響く。
やがてそれはヒビを生み出し、裂け目をつくり、ついには、鋼鉄の鎖を、千々に引き裂いた!
ドン…!
引きちぎった鎖が床に叩きつけられ、重く高い音を立てる。
拘束されていた体を伸ばすように、四肢を床につけたまま伸びる。
歯を剥き出しにして、全身の痛みに耐えるかのように虚空を睨んだ。
だが、誰もそれに気づくことはない。
ユリカも、ルリも、オモイカネさえも。
誰にも……気づかれなかった。
「……」
目の前にあるのは、とても奇妙な機体。かつて火星で何十機と作られたテスト機に似ていた。
全体的には砲戦フレームに空戦フレームの手足を合わせたような形状。ただ特徴的なのは胸から背中にかけてが妙に長い。だからと言う訳ではなかろうが、肩が少し高く、その下にサブアームがある、二対の腕を持った機体だった。
カラーリングはダークシルバーにブラックのラインと並行するようにホワイトのラインが描かれている。
電子戦を考慮したのかレーダードームが肩の後ろ、ウイング状のユニットに二基備え付けられている。
そして身長ほどもある長柄の棍が握られているが、その中央付近に<DFSver2.0>と書かれている。
だが、もっとも目を引いたの、他の誰でもないフミカの目を引いたのは……左肩のマーキング。
「EX……05?」
ほんの少しフミカは考え込んだが、考えても答えは出ないので周りに居た作業員を捕まえて聞くことにした。
この間0.25秒。
「おーい、そこ行く整備員君、ちょっと良いかい?」
「今出撃準備で忙しいんだ! 遊ぶならどっか行ってろ!」
ぷち。
可愛らしい「怒りマーク」が現れる。
きっとダッシュがオモイカネに侵入している時に変なデータが混入した為……でしかありえないが、オモイカネの細工である。
だが、一般の作業員に気配を察しろと言うのが無茶な話であるので……
フミカはにこりとした表情を崩さない。
崩さない。
……崩さない?
「そーかそーか、あたしらナデシコじゃ戦ってなかったからね。これはおねーさん参ったなぁ」
「んあ? 自分で自分の事を「オネーサン」なんて言ってんなよ、邪魔だ。どけ」
「ふむふむ、そうかそうか。お行儀の悪い子にはお仕置きだぁね」
すい。
すべるように床の上を歩く。
ぐわぁし。
フミカさんクロー。
フミカは身長160センチ。ある程度鍛えているとはいえ細身である。なのに顔面を掴んだまま余裕で持ち上げる。
「え゛う゛」
だがそんな事を無視して、整備員は涙を流す事も出来ないくらいに命とプライドと忍耐力がギリギリになっていた。
「ねー、これ、なんなのか教えてくれるとおねーさん、嬉しいんだけどなー♪」
「う…あ゛…」
やはりなにかギリギリらしい。
整備員は指一本も動かせずに、助けも求める事が出来ない。
それ以前に周りに居たはずの整備員も、そこのことが目に入っていないかのように平然と仕事をしたままで、助けようともしない。さすがはナデシコに乗りつづけた猛者たち。
「さーて、教えてくれるかなー?」
ぱすん。
途端に手を離す。
整備員は失禁さえしないものの、気絶したくとも出来ない、そう言いたげな程に怯えきっていた。
腰が抜けた、いや全身が魂から零れ落ちた、の間違いか。全く動けないらしい。
「コレ、何?」
整備員は、意識しなかった。
考えなかった。ただ、理由はわからないが、彼は自分の口に油でも射したのかと疑ってしまうくらいに喋り始めた。
「こここここここれはウリバタケ班長が作った画期的なフレームで今までに一度も作られたことの無かった複座式フレーム<デュアル>タイプと言いましてテンカワさんの戦績を羨んだ連合の上層部にせっつかされて組み上げたDFSオペレートの可能な機体ですけどDFSを使っている間ディストーションフィールドは張れないし機体制御するメインパイロットにしてみれば攻撃と防御が自分の意志で出来ないのは危なくて使えないからと出戻ってきたのを倉庫で寝かしているものでDFS抜きでもまともに扱えるパイロットが……」
ぽむ。
肩に手を置く。
まあ、彼の心境がどれほどのものかは知らないが、
「うん、教えてくれてありがと」
「は、はは……どういたしまして……」
そう言って向けられた笑顔に、彼は「地獄の中で天使を見た」と後に語ったらしい。
ちなみにフミカの名誉の為に言わせてもらうが、彼女は別になにかをしているわけではない。ただ単純に、プレッシャーに負けただけだ。もっともプレッシャーだけで人間の口を割れるような人間が他にどれだけ居るだろうか。
ジャラリと音を立てて鎖が外れ、アキトは身の危険から漸く逃れられた。
(危くあの二人のモノになるところだった……不謹慎だとは分かっている……だがあえて言わせてくれ!! 逃げる為の時間を作ってくれて…ありがとう、木星蜥蜴!!)
だがこの魂からの咆哮は、誰にも聞かれずに正解だったかも知れない。
ぜえはあ、ぜえはあと息を荒げ、何とか立ち上がり、格納庫に行こうとするが、途端にトウヤに呼び止められた。
「隊長!」
「? ぷっ…ははははは……いや、初めて正面から見たが…似合い過ぎだなトウヤ」
トウヤの顔が引きつり、何か言いたげになったものの、彼は何とか自分を押しとどめることに成功した。
「それはいいですから……だから聞いてください! シュツルムヴィントの再調整、まだ終わってないんですよ!」
そう、まだ調整が終わっては居なかった。
今まで運用経験の無かったパーツを今日になって新規に組み込んだばかりなのだ。全体バランスの再調整が終わっていない。ただでさえ微妙なバランスで動くEX…動かした途端に煙を出しかねない。
「終わってなくとも出るしかないだろう!」
「……それでまた一週間再調整に費やすって言うんですか?」
「今日やったのは右足だけだろう…後どのくらいかかる?」
「最低でも十七時間」
「くっ…だが!」
「ダメですよ! フミ姉も何か言って……て?」
と、見てみれば、なにやらアカツキと話し込んでいる。
「…」
「!」
「? ……!! ?!」
「……!」
頷いて、何やらを受け取り……こちらへと走ってきた。
ついそれを見てアキトがこぼした。
「揺れないなー」
スパーン!
容赦なかった。
本気で。
何しろ……走ってきた勢いそのままに、急にブレーキをかけるように足の動きを押さえ込むように纏め、しかし勢いを殺さず槍で突くように前方に体を押し込むようなそれと、瞬間的な回転力。
言い方を代えよう。全速力時の速度エネルギーを一瞬で0に。そのエネルギーを今度は回転エネルギーに変換したのだ。
避けることは出来なかった。
威力は推して知るべし。
そして顔面から床に突っ伏した状態で「膝からのスナップを利かせた、命を断ち切るようなハイキック」の感触を後悔していた。
健全な男子の一言……代償はひどく強烈だった。
けれどフミカは、そんなアキトを一瞥することも無くトウヤに向き直り言った。
「トウヤ……あたし等が使えそうな機体があるみたいだから……行ってみる?」
と。
「初期設定、開始しますよ」
「おーけい。パイロットエントリー……メイン、サブ…承認、と」
チ…チチ…チ…チチチ……チ…
聞き逃しそうなほどに小さな音が、激しく何かを書き込んでいく。
新たなパイロットのデータを。
パイロットのバイタルの特性、IFSの詳細なパーソナルデータが瞬時に書き込まれていく。
前後に並んだ二つのシート。後方のシートは視界確保のためか、前方のシートよりも高い位置に設定されている。試作機としての傾向からか、メイン以外に計器類が所狭しと並び、激しく動いて安定しない。
「…チェックリスト埋まった?」
「フミ姉……真面目にやってる?」
「……やってるわよー? どうもメインのこっちはコントロールに専念して、後ろでこまごまやるみたいね」
「最初の微妙な間とイントネーションが気になりますけど……良いです。それにしても、この機体に搭載されている小型相転移エンジン、まだ煮詰め方が甘いみたいですね……安定性に欠けてます。シュツルムヴィント並ですよ」
「……んーーーじゃ、火器管制は?」
「えと…光学兵装…未搭載。誘導兵器……未搭載……DFS…ver2.0?」
「えらく極端な機体ね……どうしようか?」
「それは……」
「……まあ、実戦でテストなんて最低だけど、やるしかないね。ブリッジ、聞こえる?」
『はい……て、あれ……あなた確か……』
急に開いたウインドウに見慣れない女性が映ったことにお互い、小さな驚きを感じた。
フミカにしてみれば、今まで見ていた軍側のオペレータはサラだけなのだから仕方がないといえば仕方はないが。
「あーさっきの子ね。こちらサクラバ・フミカとミフネ・トウヤ。敵掃討に出るから、機体の登録お願いね」
『え、でも…艦長?』
『すみません、こちらは既に軍の管轄になっていまして申し出は嬉しいんですけど……提督なにか言って…あれ、提督?』
『ムネタケ提督なら出向中で居ませんけど』
『…じゃあ責任者私ですか?』
一瞬、変な顔をするユリカ。
ともあれ、少しばかり困ったような顔でシュンは助け舟を出す。視線は画面ではなく、プロスペクターのほうを見て。
『まあ、その機体は連合への納入品のリストに載っていないようだから、使ってもかまわないんじゃないか、ネルガル重工の判断で』
『…ええ、ではご自由にお使いください。ただその機体は…』
「あ、マニュアル読んだから分かる。じゃ、行って来るから」
そう言って、さくっと出て行った。
ただ、なにか妙に割り切れないものがあるブリッジクルー達だった。