オイルの匂いや金属の匂いが充満する広い建物。
シンジは破壊活動を一時やめここにいた。
ここが何の場所であるかと問われるとアキト達、逆行者の持っている工場、と言うべきだろうか?
そしてシンジが今なにをしているかと言うとかつて乗っていた愛機、ジュデッカを造る手伝いだ。
扱っていた本人の意見と言うのは本当に貴重だ。
何と言っても設計図が有るからと言って今の技術では無理なものを扱うのだし。
切っ掛けはラピスだった。
クリムゾンの研究所を破壊しているときに幾つかのデーターをドサクサ紛れに貰ってきてそのデーターの解析を頼みに行った時に、
「シンジ、ブラックサレナとジュデッカの方手伝って」
とラピスに言われたのだ。
これから先必要になるだろうと思いシンジはここに来たのだ。
実際シンジが手伝う事によりブラックサレナ、ジュデッカ共に完成が早まっている。
ただ組み立てるのは早まったがデーターの蓄積となるとシンジが、
「僕とアキトさんとでは戦い方が違うから反対にデメリットになる」
と言ったためブラックサレナの方に関してはシンジは機体を動かす際に不都合が無いかを確かめる程度だ。
言い換えればサレナは乗り手が異なる為に無理だがジュデッカなら良いと言う訳でシンジはジュデッカの方をメインに進めている。
そのためジュデッカは結構完成に近い。
近いといってもまだ数ヶ月はかかるぐらいだがサレナよりはよっぽど早い。
おまけにサレナはかつての追加装甲型ではないため余計に時間が掛かっている。
それによりサレナは以前の重そうな形ではなくどちらかと言えばジュデッカのようにスマートな形になっている。
つまりはエステバリスに近い形だ。
「随分とサレナも形が変わったな…」
そのことに一抹の寂しさを感じるシンジ。
あの時、共に宇宙を翔けた機体の形が変わるのは物悲しさを憶える。
感傷――そう切り捨てる事も出来るのだがシンジはそうはしなかった。
これが他の者の機体であればそも、そんな感情を抱く事は無かったのだがこれはアキトの機体だ。
かつて共に在りそして宇宙を翔けた者の。
「らしくない」
シンジはそう呟き首を振った。
これは確かにアキトが扱う機体であるがアキト自身ではない。
それを思うと確かに自分らしくないとシンジは首を振る。
追加装甲型ではない為サレナのスペックは上がるだろう、それは喜ばしい事だ。
そう考えシンジは思考を止める。
埒も無い事を考えていると思ったのが一つ、口の堅いというよりは契約は厳守するという人物ばかりの技術者が近づいてきたからだ。
ラピスもまたアキトの復讐が終わった後にネルガルが切り捨てるかもしれないということで幾つかのパイプラインを持っている。
それを利用し集めた者たちだ。
腕のよさではウリバタケに及ばないものの、というかウリバタケが異常なだけともいえる…色んな意味で。それでも腕のいい者達を集めたのだ。
彼らが居なくばサレナもジュデッカも完成に持っていく事は不可能だったろう。
「シンジ」
義眼をした男が話し掛けてきた。
「なにか?」
「折角だから、ジュデッカに角をつけて赤い色にしないか?」
その言葉を聞きがくんと崩れ落ちそうになるシンジ。
腕はいいのだが、腕はいいのだがこんな連中ばかりだ。
どうにもナデシコ向きな者達だ。
もしかしたらプロスがスカウトしに来たかもしれない。
「生憎ですが駄目です」
「なぜに?」
「これはこの色じゃないと駄目なんです…」
遠くを見る目をするシンジ。
自分の行為を忘れないように。
自分の大切な人物を喪わない様に。
「そうか、なら仕方が無い」
シンジの表情を見て突っ込む事無く引き下がる。
「…最高の出来上がりにしてやるよ」
背を向けながら片手を上げる男。
その背に柔らかな笑みを向けながらシンジはジュデッカのコクピットに入ろうと動く。
機体を動かす事は無理だがシミュレートする事は可能だ。
機体の動きを、そしてそのデーターを蓄積させ本当にシンジ専用機とさせる。
それがブラックサレナに乗れない理由でもある。
シンジとアキトの闘い方は違う。
シンジがジュデッカの機動力を用いて相手を翻弄するいわば虚の動きを以って闘うのに対してアキトは一撃必殺、実の動きで闘う。
どちらが優れてるともいえないがそれでもそれぞれ闘い方があるのは確かだ。
動きそしてチェックをする。
それをなんども繰り返す。
飽きる事無くそれだけが大事な事といわんばかりに。
その単調な作業が自らの生存確率を上げることと知っているから。
ただひたすらとシンジは繰り返した。
●
夜も更け一息入れる事になった。
夕食は大分前に終えている。
ので間食がテーブルの上に広げられている。
いや間食というよりはつまみだが。
無論アルコールの。
「シンジお前、酒結構呑めるんだな」
義眼の男とはまた別の男がシンジに話し掛けてくる。
片手にグラスを持ちながらシンジは答える。
「昔、結構つき合わされたんですよ。同居していた人に」
小さく笑いグラスを口元に持っていき一気に呷る。
喉を焼くような感覚を感じる。
「なるほどな」
「まあ、それでも昔はこんなものの何処がおいしいんだと思っていましたが…」
「酒の味がわかりゃあ大人だ」
ケケケ、と奇妙な笑い声を上げる男。
「あまり…分かりたくありませんでしたが…」
小さく呟くシンジ。
口元に浮かぶのは自嘲の笑み。
シンジ自身は酒の味は嫌いではない。
だが酒の味の憶え方が苦い記憶となっているのだ。
アキトが復讐者となっていたときだから。
五感が壊れコロニーを落としていた合間に時折呑んでいたのだ。
シンジが、でなくアキトが。
そしてシンジはアキトに付き合い呑んでいた。
日々命を削りユリカを探すアキト。
残された時間は余りにも短い。
そんな中で呑んでいたのだ。
ただアルコールで忘れる為に。
だがアキトを蝕んでいたナノマシンはアキトに酔う事を許さなかった。
入るアルコール全てを分解し酔う事を許さなかった。
憶えている、焦燥のみが募る中で絶望の表情を浮かべるアキトの顔を。
憶えている、酔う事すら出来ずに一時であれ絶望を忘れる事が出来ないアキトを。
初めてアキトとそのように酒を飲んだのは何時だっただろうか?
シンジは思い出そうと記憶を探る。
暗い部屋の中。
アルコールの臭いのみが漂う中。
ラピスにアキトの様子が変だといわれアキトの元に赴いたその時を。
暗い部屋に散らばる何本もの酒瓶。
火を着ける事が可能な程に高いアルコール度数の酒。
それを何本空けても酔う事が出来ないアキト。
シンジが部屋へと入ったときアキトは泣いていた。
シンジへと縋りつくように涙を流し呟いた。
酔えないんだ、と。
忘れる事が出来ないと言った。
コロニーを襲撃する合間の時間。
その間に感じる絶望。
もう既にユリカは…とアキトは思ったことがある。
それでも無理矢理心を奮い立たせ動いた。
コロニーを襲撃している間はよかったのだ。
絶望を感じている余裕など無かったから。
だがコロニーを襲撃し終えてユリカがいないと知った後、次のコロニーを襲撃するまでの間の時間。
その時間がアキトを狂いかねない絶望に落とすのだ。
誰も知らないだろう、アキトのその姿を。
シンジとそしてアキトとリンクしているラピスのみが知っている。
アキトの弱さを。
だがアキトはラピスに弱い部分を決して見せない。
だからアキトが本当に弱い部分を見せるのはシンジだけだ。
復讐者となる前から傍にいてアキトの弱い部分も強い部分も知っているシンジ。
だからアキトは隠す必要が無かった。
自分の弱さを、シンジの前で。
アキトの強い部分しか知らないナデシコクルー。
ナデシコクルーはアキトの強さのみを見ている。
アキトに弱さなど無いと思い込んでいる。
だがシンジはそれに対し首を振る。
あの人はあんなにも弱いのに、と。
もう喪いたくないから強く見せているだけ。
ただそれだけ。
どれほど力を手に入れてもアキトは弱い。
喪う事をただひたすら恐れているだけ。
「だから…支えたいと思うんですよ」
カラン、とグラスの中で氷が音を立てる。
随分と長考していたようだとシンジは気づく。
もう周囲にマトモな者達は残っていない。
酔いつぶれているか酔っているかだ。
グラスの中に残っている酒を飲み干しシンジはその場を後にした。
明日もまた早いのだから…。
●
「この部分が…」
「この回線はどう繋ぐんだ!」
「バグが出てるぞ!」
騒がしい一日である。
昨夜は散々酔っ払っていたというのに一夜明ければ皆自分の仕事に徹底して尽くす。
「シンジ!士翼号のIFSデーターを回してくれ!」
「今回します!」
シンジもデーター、ソフト面で動き回っている。
ちなみに技術者間でのジュデッカの呼び方はなぜか士翼号だ。
シンジは氷牢と呼んでいるのだがなんでもこれは”アレ”だろう?とのことだ。
そんな叫びと熱い動きがあって今ではシンジを除いて氷牢と呼ぶものはいない。
ブラックサレナは黒百合だが。
「黒百合のエネルギーバイパスに異常があるぞ!」
「それは繋ぐラインが異なっています!」
大きな声と動き回る人々、組み上げられていく二機。
「ふう…」
早朝より初めてもう既に昼。
一度も休まずに大声を出し動き回っていたのでさすがに疲れてきたので休息をとるシンジ。
控え室内では他にも幾人かの人間がコーヒー片手に休んでいる。
さすがに他の者達も疲れているようだ、ソファーにぐったりと身体を預けている。
そのためシンジが座る場所が空いていない。
ので壁に寄りかかり皆と同じようにカップを持ち、コーヒーを啜ることにした。
芳醇な香りが疲れた心にどこか気持ちいい。
(ジュデッカはもう間も無く完成する。ブラックサレナもまた…)
サレナに載る人物の事を思い出すシンジ。
そう、漆黒の衣裳を身に纏った彼を。
シンジはその姿を夢想し笑みを零す。
懐かしいと感じてか。
アキトと共に再び虚空を翔ける事ができる、純粋にそれが嬉しい。
それが叶わないと思っていたから。
戦いを終えた後にアキトとラピスの三人でユーチャリスに乗り駆け巡った日々.。
だが、アキトの限界は近づきその命は終わろうとしていた。
もしこの様に時を遡ることが無ければ一体あのときの結末はどの様になっていただろうか。
火星の後継者の残党を殲滅し終えた後の結末は。
アキトの命は残り僅かだった時。
if…があればどうなっていただろうか。
今、そのifの中を生きている。
時をやり直す事が出来たらという。
だが今生きているこの時が”if”なのならばあの時の事も”if”と呼べるだろう。
それでもあのときよりはずっといい。
シンジはそう思った。
あのアキトが命を終えるのを傍で見ているときよりは。
未だアキトは傷を抱えている。
それは癒えない傷。
未だ無色透明の血を流し続ける傷。
悔恨が悲哀が思慕が…、様々な想いがその傷を癒させてはくれない。
シンジは左手で胸元を強く握った。
鈍い痛みが走るが気にはならない。
(どうにも昔の事を思い出すと感傷的になりすぎる…)
強く握った胸元が鈍い痛みを知らせる。
そっと口へとカップを持っていきコーヒーを啜る。
なぜかそれは先程より苦く感じた。
●
夜は更け深夜と呼べる時になっても未だ中では音が響いている。
がシンジだけはその場を離れ今は外にいる。
夜風が快い。
そよぐ風がシンジの髪を揺らす。
空には月が輝いている。
木陰に座り込み木に身を預ける。
空を見上げると煌々と輝く月の新円。
手に持っていたウィスキーのビンとグラス。
グラスは二つ。
一つは自らの手に、もう一つは目の前に。
そのそれぞれにウィスキーを注ぐ。
チィン、と音を鳴らしての乾杯。
シンジの心に映り目の前に座る者は…。
すぅと一口だけ含み小さく息を吐く。
空を見上げる。
月が煌々と輝く。
その月に掛ける様にシンジは一言――
「待っていますから…」
眠れぬ「少女」に安らぎを