ようやく後は組み立てを待つのみとなったジュデッカをラピスに任せシンジは再び本来の目的に戻った。
つまりクリムゾンの非合法施設の破壊に。
今までに幾つも破壊してきたので警備が厳重になっている。
それはシンジも重々承知だ。
だがその施設はその分を差し引いても余りにも警備が厳重すぎるといえた。
その警備網にこれは余程重要で知られては不味い事があるなとあたりをつけたシンジは意を決し決行する事にした。
だが侵入しようにも何時も潜入する際に使用するダクトの排気口にも警備員が張り付きそれこそねずみ一匹通さないと呼べた。
深い深緑の中に潜み様子を窺うシンジ。
バイザーのお陰で遠いところまではっきりと見える。
暫し様子を窺っているとふと妙な事に気づいた。
ダクトまでしっかりと離れず見張っているような連中がある一ヶ所になると離れては再び着くといったことをしているのだ。

(なにかあるのか?)

声に出さずシンジは呟き、そこへ集中しバイザーの倍率を上げる。
施設側でライトを使っているとはいえここは数十キロ内に一切の人が住んでいない辺境とも呼べる場所。
月すらないためライトで照らされているところ以外は完全な闇だ。
だからと言うわけでもないだろう、そこは何も知らなければ気づかない程に上手くカモフラージュされた何らかのダクトだ。
なぜあれのみが離れているのかをシンジは疑問に思ったがこの施設に入るにはあそこを利用するしかないと考えた。
一度離れた警備員が戻ってくるのはおおよそ三分ほど。
その三分の間に侵入できなければ…アウト。

(やれやれ、気分はトム・クルーズか)

と自分の考えに苦笑していた。
が取り敢えずは少しでもそこの状況と蓋の状態を知りたい為に暫し観察するシンジ。

(センサーは…誤魔化せられる。蓋は…錆が全然ない、チタンか。ならナイフで切れる)

一度中に入ってしまえば格段に楽になる。
何せ自然な感じであるがそこは盛り上がっており入ってしまえば覗き込まない限り外からは見えない。
そして今まで一度たりとて覗き込んでいない。
まあ異常が無いのにわざわざ覗き込んで注意を逸らすようなこともしないだろう。

(次、離れたときに…)

戻ってきた警備員。
それを見ているシンジ。
警備員はなぜか嫌悪に顔を歪めている。
いつでも動けるようにしながらシンジは待つ。
そして…時が来た。
うえ、と吐きそうな表情で口を押さえ離れていく警備員。
音を立てずに近づくシンジ。
暗闇の中にシンジが疾走する。
警備員は気づいていない。
シンジが隠されたダクトに辿り着く。
離れたところで煙草に火をつける警備員。
これが三分の理由か。
シンジは戦闘服の上に着込んでいるベストから機器を取り出しセンサーにセットする。

02:30

センサーと機器が反応し機器のレッドランプがグリーンランプに変わる。

01:50

ナイフを取り出しその刃を斜めにしながら横に滑らせる。

01:40

二回、三回、四回!

01:15

ナイフを仕舞い音を立てないように細心の注意をしながら蓋を持ち上げる。

00:40

シンジの体がギリギリ入るほどの穴ができる。
警備員は煙草を片手に一つ伸びをし煙草を一吸い、フィルターにジジジと近づく灯火。

00:30

そっとそのできた穴に身体を潜り込ませ蓋を持ち上げる。

00:15

吸殻を投げる警備員。まだ仄かに灯る火を踏み消す。
そして面倒臭げに振り向く。
音も無く蓋は再び戻されシンジは狭い穴の孔の中に身を潜めた。 そして機器を解除。
機器の全てのランプは消え去り完全な暗闇と同化する。
近づいてくる足音。
それはシンジの潜むダクトのすぐ傍に。

「は〜最悪だぜここの警備は。ったく俺も別のところに行きてえよ…」

そして鼻を摘む警備員。

(匂い?)

とシンジが思った。
今シンジは顔を完全に隠す物をつけている。
ガスを防げるタイプであり空気が濾過されている。

(まあいい)

そしてもう一度警備員が離れるのを待ちシンジはダクトの内側にあるもう一枚の邪魔ものをどかした。
どかした後にはまるで地獄に通じているのでは?と言うぐらいの闇の奈落がある。
ワイヤーフックを引っ掛けシンジはそっと奈落を降りていくのであった。







バイザーが無ければ何も見えない完全な闇。
その中をゆるゆると降りていくシンジ。
広い空間に出た。
その先に待ち受けていたのは……

地獄だった。

暗闇の中で思わず叫びそうになったシンジ。
それをなんとか自制しもう一度あたりを見回す。
そこに有るのは夥しいほどの死骸。
何十では足りない、何百でいやもしかしたら千を越えているかもしれない。
それほどの数の死骸だ。
もはや腐り骨が見え蛆が湧いているものもある。

「これは…」

マスクを通しての為くぐもった声が小さくその空間に響いた。
ワイヤーが伸び死骸と言う床に足がつきそうになる。
シンジは一瞬躊躇ったが意を決し足をつく。
腐った死骸に足がめり込み蛆がシンジの足に纏わり着く。
シンジが死骸を確認してみるとどれもが地獄の亡者もかくやという表情で死んでいる。
おそらく苦しみぬきながら死んだのだろう。
そしてもう一つ、腐っているものはともかく未だ腐り始めていないものまで原型がおかしい。
いや。腐っていようとそれは明らかに人の形を成していなかった。

「人体実験…」

それがシンジが出した結論。
かつてアキトが受けた様にここで死んでいるものは全て実験の被害者か。
それが答えだとすればここは…

「廃棄場と言う訳か…」

嫌悪を全く隠さずシンジは呟いた。
これで分かった。なぜあの警備員が何度も離れたのか。
なぜ鼻を摘み愚痴を言っていたのか。
シンジもマスクをしていなければ気づいただろう。
フィルターを通して尚も臭う、死臭と腐臭に…。
シンジが立っていると上のほうで、ガコン、と音がした。
光が差し込んでいる。
咄嗟に身を伏せるシンジ。
足同様マスクに蛆が登ってくる。
それを気にも留めず上を見ている。
そして落ちてくる新たな…用済みのモルモット。
それだけが開けた理由だろう。
再びシンジのいる地獄は暗闇に閉ざされた。
新たに落とされた人物の下へ行くシンジ。
これもまた人の原型を留めていない。
ハッとシンジが落とされた人物の胸に手をやる。
ぐずぐずになっているが僅かに確認できる胸の隆起がその人物を女性と告げる。
その骨格の形状から未だその女性が少女でしかない事が分かる。
そしてシンジが当てた手の先から僅かに感じる振動。
まだ心臓の鼓動はやんでいない。
そしてシンジが言葉を発する前に少女が言葉を発した。
闇に溶けそうな声とも呼べぬ声を。

「だれ…か…いる……の…」

少女にはシンジが見えていない。
確かにシンジの場合バイザーがある為この暗闇の中でも分かるのだ。
シンジはバイザーを外しそしてマスクを脱ぎ捨てる。
そして改めてバイザーを着ける。
そっとシンジは少女の手とおぼしきものを握り締める。

「ここにいるよ」
「あな…た…だ……れ…」

声が途切れ途切れだ。
だが心臓は弱いが確実にそして正確な鼓動を刻んでいる。

「そうだね…侵入者かな?」

あえて軽い声で言うシンジ。
そのシンジの言葉に喘息のような声を上げる少女。
笑っているのだろう。

「そ…うなん……だ……な…んだ…か…わらっ…た…のひ…さしぶ……り」
「喋らないで」
「おね…が…い……が…ある…の…」

シンジの言葉は聞こえていただろうに少女は言葉を続ける。
そんな少女にシンジは悲痛な目をし仕方なしに耳を傾ける。

「あ…のね……わた…し……を……ころ…し…て……」

必死の声だとわかる。
いかなる願いもこれには届かないだろうと言えるぐらいの必死の、そう本当に必死の声。
だがその願いが自らの死を願う事とは。
だからこそ何よりもそれは悲痛な言葉であった。

「わた…しを……すて…に…き…た…ひと…た…ち…にも……た…の…んだ…けど…むし……さ…れ…ちゃっ……たの」

醜悪というものを越えた吐き気を催すような顔にぽつんとある目から涙が流れる。
いや、涙が流れているように見えた。
すでにその目は眼としての機能を失っており涙を流す事さえできない。

「か…わり…に……これ…あげ……る…か…ら…」

そう言って少女はシンジが握っている方とは別の手をシンジに伸ばした。
伸ばす際に肉が崩れ、落ちる。

「おねがい…」

なぜかその声だけは途切れる事無く聞こえた気がする。
シンジは何を思い想うか。
静かに伸ばされた少女の手を握る。
そして少女が歪な手を開いた。
シンジの手に渡ったのは…銀のロザリオ。
美麗な意匠が施されたロザリオ。
その色合いから見てそれなりの年月が過ぎているのが分かる。
いまこの時になっても握り締めていたという事は…

「おか…あ…さん……のか…たみ…おか…あ……さん…せん…そ…う…で…しん…じゃっ…たの」
「……」

シンジは静かに聞いている。
決して目を離さず決して聞き漏らす事が無いように。
それこそが少女が本当に望んでいる事かもしれない。

「そ…の…あと……に…ね…わ…た……し…ど…こに…も…い……くば…しょ…な…くて…ひと……り…で…いた…ら」

そこで少女が一つ咳をした。
それと共に口腔より溢れる赤茶けた色の血。
それに構わず少女は話を続ける。

「へ…んな…ひと……た…ち…が…きて…わた…し……さら…われ……ちゃっ…た」

そっとシンジは少女の口元を汚す血を手で拭う。
少女はそれに笑みとは見えないがそれでも笑みを返した。

「く…らい…とこ…ろに……い…れ……られ…て…きづ…いた……ら…ここ…にきて…たの」

喋れば喋るほどに少女の体が肉が崩れていく。
だがシンジは少女が喋るのを止めない。

「ひど…いん…だ…よ……ここ…の…ひと…た…ち…わた…し…いた…い…って…いっ…てる…の…に…いた…い…こと…する…の」
「もう大丈夫だよ。もう…痛くなくなるから…」
「う…ん…よか…った…さ…いご…に…あな…た…みた…いな…ひ…と…にあ…え…て……ね…え」
「なに?」
「…か…お…さ…わら…せて……も…う…いち…ど…だ…け…ひと…の…ぬく…も…り…かん…じ…た…いの」

シンジは握っている少女の手を、その腐っているような少女の手を何の躊躇いも無く自分の顔に持っていった。
ぬるりとした感触がシンジに伝わる。
それに一切の嫌悪の情を見せないシンジ。それどころか優しい笑みを浮かべている。
怒りのためではない本当に優しい笑みを。

「あり…が…とう…も…う……いい…よ」

僅かに瞼とおぼしき部分が動く。
目を、閉じようとしたのだろう。
だがそれを可能とする肉がないだからシンジはそっと自分の手を少女の目に置いた。

「あり…が…と…う…や…さし……いひ…と……」

シンジはそっとナイフを取り出し少女の胸の上、ちょうど心臓の上に切っ先を見据える。

「おやすみ」
「う…ん…」

静かに…ナイフは…少女の心臓を優しく貫いた……。
力の抜けた腕がシンジの顔から落ちる。
今の殺し方には自信がある。少女に一切の苦痛も死んだ瞬間も分からせずに殺したという自信が。
ナイフを優しく引き抜きシンジは少女の手を胸元で組ませる。
祈りの言葉を、とシンジは思ったが何一つと知らなかった。
誰かに教わった事があったかもしれない…だがそれは何一つとして思い出せない。

「死者を送る言葉を知らない事をこれほど後悔した事はないです…」

そして涙も流れない自分の心の在り様に後悔したことも…。
静かに立ち上がるシンジ。
まるで寝ている人を起こさないようにするように。
そして少女より受け取ったロザリオを首にかける。
漆黒の戦闘服の首元で揺れる銀の十字架。
あたりを見回すシンジ。
暗闇が真昼のように見える中で見つけた扉。
掃除用…だろう。
そこに向うシンジ。
当然内側からは開かない。
今一度ナイフを取り出す。
そして裂く。
一回、二回……。
扉が音を立て向こう側に落ちた。
もう一枚扉がありそれもまた同じように切り裂き除ける。
研究所の中は赤く染まっていた。
シンジが扉を切り裂いた為に警報が鳴ったのだ。
足音が複数近づいてくるのが分かる。
だがシンジは動かない。
ナイフを握り締め顔を伏せている。
辿り着いたのは五名ほど。
銃を構えシンジに。武器を捨てろと、言う。
シンジは顔を伏せている。
そして、

「やさしいひと…か。名前も知らない君よ…僕は優しくなどない…殺し、壊す事しかできない人間だ…」

誰にも聞こえないような声で囁くように言うシンジ。

「でも、悦んで殺した事などない…悦んで壊した事などない…」

シンジが顔を上げる。
その顔には優しく柔らかい笑み。
今までの何よりも優しく柔らかい笑み。
それを見ただけで彼らは動けなくなった。
余りに笑顔が優しかったから?
いいや違う。
相手が少年だったから?
いいや違う。
彼らが動けなくなった理由はただ一つ。
恐怖だ。
それも絶対的な恐怖。
この広い通路の中を拭きぬける地獄の凍土のような猛る様な鬼気とはまた別の全てを凍りつかせずにはいられない魔気。
まるでその魔気に体が本当に凍りついたかのように動かない。
シンジは言葉を続ける。

「だが、今は違う。今この時だけは…僕は悦んで人を殺そう、悦んで破壊をもたらそう!名前も知らない君が静かに眠れるように……ここに在る全てを滅ぼし尽くそう!!」

その途端、紅が白い通路を染め上げた。
一瞬にして数メートルの距離を駆け同じく一瞬にして五人の首を跳ね飛ばしたのだ。
ごろんと転がる五つの首。 ちょうど足元に転がってきた首をシンジは天使の笑顔のままで踏み砕いた。
紅に脳という白が混じる。
その首を踏み砕いたときのシンジの笑顔のなんと嬉しそうことか。
今浮かべる笑顔をは天使に非ずそれこそ堕天使の笑みだろう。
優しい笑顔で欺き人を滅びへと導くその笑み。
欺き、後に滅ぼす。それゆえの天使のいや堕天使の笑みか?シンジ。







そこは地獄と化していた。

「うあああああ!!」

銃火が眩しく閃く。
無意味に虚しく。
そして飛ぶ首、吹き出る血。
シンジは研究所の中を自在に駆けていた。
邪魔をする者は全て首を跳ねられ血を撒き散らし殺されてゆく。
シンジの顔は愉悦に歪んでいる。
ダイヤにすら傷を付けることを可能とするナイフは人の肉など骨など何の抵抗も無く切り裂けるものでしかない。

「どうしたんですか?そんなに怯えて」

機材の影に隠れている研究員の一人に話し掛けるシンジ。
研究員は怯えて声も出せない。
いやただ一言、

「た、助けて…」

と声を出せた。だがシンジは変わらぬ笑みの表情のまま無情に、

「駄目です」

とナイフを一閃する。
首は…飛ばなかった。
喉を裂かれたのだ。
裂かれた喉より血と空気を漏らす研究員。
かひゅかひゅともれる音がドコと無くユーモラスだ。

「あなた方が弄んだ少女は苦しみの為殺してと言いました。……苦しむ必要など無かった少女以上に苦しみながら死んでください」

必死で漏れる血と空気を押さえようと手を喉に伸ばす研究員。
だがシンジはそれすら許さなかった。
腕を斬り飛ばした。
どのような技が可能とするのか切り口より血が溢れない。
飛ばされた腕を必死に追いかける研究員を見て笑みを深めるシンジ。

「苦しんで死ぬべきです。無関係の者を踏みにじるものは…僕がそうであるように」

銀閃が幾度となく閃く。
そのたびに声を上げることすら苦痛の為に出来ずに悶える研究員。
そしてようやく動かなくなった研究員を見てシンジは氷の様に冷たい目を向ける。
そしてまた殺戮に戻った。
悲鳴が響く。それしか無いというように。
漆黒が舞う。ただひたすら狩る為に。
銃声が鳴り響く。無駄なのに。
銀閃が広がる。より紅を広げる為に。
後どれだけ続くのか?それはシンジが答えた。
この研究所の人間を殺し尽くすまで、壊し尽くすまでと。

「ち…ちが…私は…命令されて…」

座り込み懇願するように助けを請う女の研究員。
その後ろには手術台に置かれた異形の人間が横たわっている。

「命令ですか…。便利な…免罪符です」

女であろうとシンジの行動は変わらなかった。
悲鳴をあげる事すら出来ずに苦痛とすら呼べぬ地獄の苦痛に転がる研究員を邪魔だと蹴飛ばすシンジ。
その視線は横たわる人物に注がれている。

「貴方を助けられますが…」

正確には命を助けられると言う事だ。
シンジの言葉に動かぬ体を何とか動かしその彼とも彼女ともつかない人物は言った。

「ころ…し…てく…れ…」

と。
シンジはその言葉を受けナイフを握り締め空いている手でその人物の目を覆う。
そして静かに優しくナイフを心臓に突き立てる。
地下で出逢った少女にしたように。

「あり…がとう…」

安らかな言葉を残しその人物は眠るように逝った。
そして入ってくる警備員。
シンジは何時の間にか息絶えて自分の足元に転がってきた女研究員を警備員の方に蹴飛ばす。
放たれる銃弾がその死体を挽肉にする。
そして次の銃弾をシンジに浴びせる前に彼らの首は飛んだ。
血が紗幕を作る。
新月の夜はただひたすらこの地獄の狂乱が終わるのを待ち受けているように見えた。







パシャン!と水のなる音がした。
否、それは水に非ず。
それは血だ。
夥しいほどの血だ。
ようやく狂乱が終わった頃には朝日がゆるりと惨状を照らし出した。
もはや白い床はない。
ただひたすら血で溢れた床が続くのみだ。
だからシンジが歩くごとに水のなる音がするのだ。
パシャンパシャン…と。

「随分と呆気なかったな…」

物足りなそうに言うシンジ。
血の床を作り上げて尚も足りないというのか。
自身も血で濡れていない場所など無いのに、ナイフも別の手に持つ銃も血で濡れ今尚滴らせている。
水音を立てて歩いていたシンジがふと立ち止まった。
そして振り向きもせず銃を背後に向け引き金を引く。
轟く銃声。
シンジはなにを感じたのか?

「あっ…」

この地獄絵図の中に響いたのは女の声だった。
シンジはゆっくり後ろを振り向く。隙を見せないように。

「?」

振り向いた先に見た人物に訝しげな顔をするシンジ。
立っていたのは裸の少女。
一切を身にまとう事無く立っている。
足首まで真っ赤に染まっている。
だがシンジが放った銃弾をどのように避けたのかその身に銃創は無い。

「貴方は?」

と問うシンジに少女は怯えた表情を浮かべ答えた。

「せい…こうれい…そう呼ばれていた…」

成功例。この場で、この研究所で成功例という言葉が示すのはただひとつ。

「…完成していたという事ですか…」
「ヤマサキって人が…」
「ヤマサキ」

ヤマサキという苗字でにやけた研究員といえば一人しかシンジには思いつかなかった。
そしてそれは当たっている。

「うん…あの人もここの人たちと同じ…」
「でしょうね」

シンジがナイフを静かに持ち上げる。

「貴方は…どちらを選びますか?」
「?」
「生と死のどちらを選びますか?」

改めて問うシンジ。

「僕がここの人間を殺しているとき何人か実験中の方がいまして、聞いてみたんです」

生と死、どちらを選ぶか。

「聞いた全ての人が死を選びました。もう苦しいのは嫌だから殺してくれと」
「……」
「殺す人に感謝されるのは辛いものがありますね」

哀しげな笑みを浮かべるシンジ。
思い出すのは名も知らない少女の心臓を優しく貫いたときの安らかな表情。
皆、そんな安らかな表情をしてシンジに殺してもらった。

「でも…みんな嬉しそうだった…」
「それでも、ですよ」
「…みんな死にたいって言ってたのに?」
「……貴方はどちらを?」

再びシンジは問うた。

「…たい。生きたい」
「そうですか」

シンジはそれだけ聞くと満足そうにナイフを収める。
そしてまた歩き出す。

「どこに行くの?」
「この施設を爆破します。この様な施設の場合、場合によっては自爆して消すのが手っ取り早いでしょうから」

”それに…彼女達の亡骸を人の目にさらしたくは無い…”とは心の中で呟いた言葉。
だから自爆装置を作動させる。

「私はどうすれば…?」
「適当な着替えを見つけてきてください。その後はどこか希望の場所に送ります」
「うん…」

少女の返事を待たずシンジはその場を出る。

「あっ……」

シンジの後ろ姿に少し哀しそうな声を上げながらも彼女は適当に服を探しに行くのだった。







中央制御室といっても仰々しいものがあるわけでもない。
幾つかのディスプレイと端末があるだけだ。
そこでシンジは後これを押すだけで、という段階まで進めていた。
ならなぜ押さないかというと、あの少女を待っているのだ。

「……」

言葉を発する事無く入ってくる少女。
ピンクのセーターにクリーム色のパンツそして白のコートを羽織っている。

「なら行きます」

カコ、とエンターキーを押すシンジ。
最早本来の使うべき者たちが居ないのにコンピュターは律儀に警報を鳴らす。

「爆発まで二十分。急ぎましょう」
「うん」

シンジのみであればジャンプで逃げられるがさすがに同伴者が居てはそれも無理だ。
まさかジャンパーかどうかを尋ねてみるわけにも行かない。
二人とも走って出口へと辿り着く出口周辺には乗り物がある。
といってもこの研究所の場所が場所なのでオフロード用のバイクだが。
シンジはそれに無言で跨る。
こんなところで盗難も何も無いだろうと思っていたのかキーは付けっぱなしだ。
そして少女もシンジにしがみつき乗った。
エンジンをスタートさせアクセルを回すシンジ。
一気に悪路を駆け抜けていく。
散々走り研究所よりかなり離れたとき後方から音が響いた。
どうやら爆発したようだ。
だが聞こえたのは音のみで爆風などは全く来ない。
そこでようやくシンジはバイクを停めた。

「もう大丈夫です」
「うん」
「それで、貴方はこれからどうします?」
「……」

どうする、と聞かれても一般常識すら知らない、というより教わらなかったのだから答えられない。

「戸籍とお金程度でしたら用意できますよ?」
「……」

本当にどうしようか悩んでいる表情だ。

「貴方に…」
「着いていくというのは駄目です」

シンジの言葉に哀しそうな目をする。

「駄目です。僕のやっている事は知っているでしょう?自分から生きることを望んでわざわざ死に近づく事もないでしょうが」
「でも…行く場所なんて…無い…」

そんな言葉を言う少女の表情にシンジは頭を振り溜息をついた。

「三ヶ月間です。三ヶ月間だけ貴方は僕に着いて来れます。もしそれ以降も着いてくると言うのなら…」
「……」
「日本のネルガルが造った戦艦、ナデシコを目指してください」
「ナデシコ…」
「そこに僕は居ます」
「そこに行けば良いの?」
「そうです。そこに僕は居ます」
「どんなところ?」
「そうですね…まともな神経では着いてこられない戦艦ですか」

笑みを浮かべシンジは言う。
楽しそうな笑みを。
そんなシンジの笑顔に驚いた顔をする。

「なんです?」
「ううん。表情が…」
「表情?」
「うん。凄く嬉しそうな楽しそうな表情」

そう言われシンジは自分の顔に手を当てる。
それはどんな表情だったのかを思い出そうとするように。

「僕にも…まだそんな表情ができるんだ……」

切ないように呟くシンジ。
そして彼女に笑顔を向けた堕天使の笑みでなく天使の笑みを。

「行きましょう」
「……」
「?どうしたんです?」
「なんでもない…」

顔を赤らめ言う少女。
そしてシンジは再びシートに跨る。
同じように少女も。
走り出すバイク。街に向けて。

「そう言えばまだ名前聞いてなかったですけど」
「フィーア…四番目だからフィーア」
「…碇シンジ、よろしく」

そしてシンジも名乗る。
粉塵を上げ走るバイク。
シンジの胸元で銀のロザリオが朝日を受け優しく輝いていた。
ただ優しく優しく……。





光、降る「世界」