八ヶ月。
この時を短いと見るか長いと見るかは人それぞれであろう。
この最早少年とは呼べぬシンジにとって八ヶ月は長いか短いか…。
歳はもうおおよそ十七。
逆行をしたためもっと精神的にはもっと齢を重ねているが今は十七である。
体を鍛えに鍛えていた為か背丈はこの八ヶ月でアキトに並ぶほどになっている。
ナデシコに戻った際の言い訳をどうしようかなどと考えているうちに目的の場所についた。
そこは広く広がった草原。
周りには木々が密集して並んでいると言うのにここだけは綺麗に空いている。
知らぬものがここを訪れれば差し込む陽光と聞こえる鳥の囀りに感嘆の溜息を漏らすだろう。
だが知っているものにとってはここは呪われた土地。
そしてシンジは知っている。
かつて、いや三ヶ月前までここには思い出すのも忌まわしい研究所があったのを。
そしてその研究所を潰したのは他ならぬシンジだ。
そのとき初めてシンジは悦びながら人を殺した。
侵入してすぐに出逢った少女との短い会話の後に。
殺して、と哀願した少女の胸に刃を突き立てた後に。
今でも思い出すと言葉にできない胸の痛みが、少女の感謝の言葉が蘇る。
シンジはその事を思い出し胸元のロザリオを触る。
戦闘服越しに伝わる微細な細工の凹凸を感じる。
「シンジ…」
と胸元のロザリオを触るシンジに躊躇いがちにかけられる声。
フィーアだ。フィーアもまたシンジに連れ添いこの土地を訪れたのだ。
彼女もまたこの土地で忌まわしい実験をその身に施された者だ。
そして唯一の生き残りでもある。
「ん…わかってるよ」
振り返り笑みをフィーアに見せるシンジ。
目はバイザーに隠され見えない。
だがフィーアにはなぜかそのバイザーに隠された目がどのような表情をしているのか分かった。
再びシンジは歩き出しそして立ち止まる。
ちょうどシンジの立つ足元が少女の居た場所だ。
あの時のように盛り上がった土がある。
だがそこにもう穴は無い。
クリムゾングループの方で全て片付けたのだろう。
だがこの下に夥しいほどの死者が眠っていたのをシンジは知っている。
そっとシンジは花を置いた。
陽光に眩しく光るような白百合の花を。
なぜ白百合を選んだのかはシンジにも分からなかった。
だが他の花を選ぶ気になれなかったのも事実だ。
敢えて言うのならばその白さからか。
清純な白さをせめて…そんな思いを込めたのかもしれない。
花を置いたシンジは立ち上がりそっと目を閉じる。
フィーアもまたシンジ同様目を閉じる。
死者を追悼する。
墓標も何も無い場所で神聖に満ちた姿をする二人。
どれほどの時が過ぎたのだろう。
日は目に分かるほどにその位置を変えている。
だがそれでも陽光は降り注いでいる。
目を開けたのはフィーアだった。
シンジは未だ目を閉じている。
きっと色々想う事があるのだろう、とフィーアはその場を離れる。
静かに、シンジの邪魔をしないように。
フィーアが離れ暫くした後にシンジも目を開いた。
バイザーを外しコートに仕舞う。
目には眩しく白百合の白さが映る。
「名前も知らない君…君は安らかに眠れているだろうか…」
小さく低く声が響く。
シンジの目の前には白百合の花と短い草が風に揺れる姿しかない。
それでもシンジは目の前にあの少女がいるかのように言葉を発す。
「僕のあの時の行動は正しいものとは言えないだろう。もしかすれば君を救う術があったかもしれない」
殺すこと以外で。
「それ故、僕は思う。君を殺す事以外になにか出来ただろうか、と」
だが、それは…
「だがそれは最早無意味な事。もう僕は君を殺した。それは覆らない事」
そっとナイフを取り出すシンジ。
陽光に眩く輝く。
その冷たい輝きが少女を殺した。
「後悔などしない。どれほど省みようとも後悔など決してしない」
ナイフを逆手に持ちシンジは地面に突き立てる。
刃の部分が完全に埋没する。
「だがそれでも…僕は自問する。それは長く続くだろう。名前も知らない君…いつか僕がその答えを出す事が出来たら僕は…泣く事が出来るだろうか…」
つぅっと頬に指を滑らせる。
「君を殺した僕。その僕が君を想うて泣く事が出来るだろうか…」
泣き方を忘れた自身。
今はどことも知れない場所を漂う”彼”以外の為に涙する事が出来るのか。
「……このナイフは君の墓標。いつか僕がここを訪れた時、君がここに居るという事を知らしめる墓標」
突き立つナイフ。
硬い地面に深々と突き刺さりびくともしない。
「僕は必ずここを訪れよう。それが何時になるかは解らない。それでも僕はここを訪れよう。君が眠るこの地を」
優しく吹く風。
風が梢を揺らし音を立てる。
風が百合の香りを乗せる。
陽光煌く静謐と墓標を前に立つシンジ。
蒼い空の下の誓いであった。
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