第2話 シミュレーション・バトル
ちょうど一段落付いたところを見計らったかのように、一人の青年がレモンの研究室に入ってきた。
動きやすさを優先したパンツルックに緋色のやや長めの髪、しなやかな体躯の青年……昏睡していたアキトをここまで連れてきた、アクセルだった。
「いいタイミングね。まるで見計らってきたみたい」
「話はすべて聞かせてもらった、といって部屋を訪れるのはお約束というものだろう」
「何のお約束なのそれは」
気安い二人の会話に、ほんの少しだけアキトが驚いたような表情を浮かべる。
そして、レモンの傍ら、W17と反対側にごく自然に立つアクセルを見て、ようやくアキトも二人の関係に気づく。
「アキト、といったな。俺はアクセル・アルマー。地球連邦軍特殊部隊……の、特殊処理班隊長……だった。今は、暇を持て余すただのパイロットだがな」
「……テンカワアキトだ」
やはり、いまだに軍人に対しての忌避感は拭えないのだろう。アキトの声が硬い。
それを見て取り、アクセルはニヤリ、と意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「軍人はお嫌いなようで」
レモンは気づかない。アクセルの言葉に反応したものの、二の腕の筋肉のわずかな緊張だけでそれを隠し通したアキトの動揺に。
だが、アクセルはそれに気づいた。
そうなるように仕向けた発言の主だけに、気づかないはずがない。
「ま、でかい戦いの後で俺達にはすることがない。予備役みたいなもんさ。最も、あんたには関係ないんだろうけどな」
「……アクセル……?」
見かねたようにレモンが口を挟む。アクセルの言葉は、意図的にアキトを挑発しているようにしか聞こえない。
「だが、俺は非常に興味がある。あんた、相当鍛えてるな。それにこの艦に現れたときに着ていた服、あれは機動兵器に搭乗するときのプロテクトスーツだろ? レモンに解析を頼んだら、結構大きなGも中和できる機構が取り付けられてるって話だ。ということは、あんたはそれだけの機体を乗りこなす腕も持ってるってことになる」
「……何が望みだ?」
暗い瞳を向けるアキトに、アクセルは笑みの方向性を変えてこう言い放った。
「あんたと勝負したい。異世界の人間がどんな機動戦をするのか、それを見てみたいんだ」
その時のアクセルの笑みを見て、アキトは初めて目の前の青年が自分に近い年齢、ないしは年下であろうことに気づいた。
やんちゃ坊主がゲームで勝負しようと誘うような、そんな笑み。
レモンはまたか、と苦笑を浮かべながら、内心でほっと息をつく。
なにせ、自分より強いかもしれない、と思うと戦って確かめてみずにはいられないのだ。そんな姿を知り合ってからレモンはずっと眺めていたのだ。
その中には、宇宙要塞ア・バオア・クーで行方不明になった白い悪魔を駆る連邦軍のエースパイロットや、かつて赤い彗星と呼ばれ、今はコロニー国家群を取りまとめる若き総帥もいたのだ。
無鉄砲極まりない。
身もふたもない言い方をすれば、ガキなのだ、アクセルという男は。
「ブラックサレナかエステバリスがあれば、可能だが」
「聞いたことのない名前だな」
「では無理だ」
アキトの言い方はあまりにそっけなかった。
「なんで? 出し惜しみしてるわけじゃないんだろ」
「エステバリスがないということは、ここの機動兵器はIFSを装備していないということだろう。元々、俺の世界の技術だからな。IFSなしの機体は素人よりはうまく扱えるだろうが、機動戦など無理な話……」
「あ、それなら問題ないわよ」
IFSコントロールは、機械的な端末制御を必要としない。イメージ通りに動く、というのがそもそものコンセプトだからだ。逆に言えば、それ以外の操縦法が必要な機体は、アキトには動かせない。
それを盾に断ろうと思っていたところにレモンが割り込んできた。
「ナノマシンのサンプルはとってあるから、シミュレータの設定を変えてやればアキト君も操作は可能よ。実機はさすがに無理だけど」
「なにぃ〜? それじゃ意味がないじゃないか。シミュレータなんて面白くもなんともない」
「あのね、木星軌道上で息を潜めている私たちが、実機の模擬機動戦なんてできるわけないでしょ? 満身創痍のこの艦を、あなた一人で守れるわけ?」
「いや、それは、その」
「だったらおとなしくシミュレータでガマンしなさい」
「う……わかった」
すごすごと引き下がるアクセルをしり目に、レモンはアキトに改めて話しかける。
「ということで、私としてもあなたの体にあるナノマシンがどういう動作をするのか興味があるわ。今言ったとおり、シミュレータの改造は私がやるから、どう、やってみない?」
興味があるのは本当のことだろう。こういう反応をする科学者……そういえば年格好もよく似ている……には一人心当たりがあるからだ。
だから、アキトは苦笑しつつうなずいた。
「わかった。相手をしよう」
「お! よし、じゃあ早速」
「というわけにはいかないの。改造作業が終わったら呼ぶから、しばらく待ってなさい。W17、手伝って」
「了解しました」
レモンとW17は工作機械とその端末に向かった。
「で、なぜ俺と闘おうなんて思ったんだ?」
手持ちぶさたのアキトは、アクセルにそう尋ねた。
挑発してまで、なぜ俺と?
理由が見当たらない。バトルマニアの傾向はあるのだろうが、それだけではないだろう。
そんなことをアキトが考えていると、実にシンプルな答えがアクセルから返る。
「強そうだからな」
「……それだけ、なのか? 本当に?」
「強いやつと戦いたいから最前線にいるのさ、俺は」
そのアクセルの口から様々な戦いのことをアキトは聞いた。
自分の知らない歴史。
自分の知らない戦争。
そして、地球連邦軍所属の戦艦がなぜ、木星にまで来ているのか。
「このラビアンローズはステルス艦だ。感知できるのは、そうだな。アムロかシャア、カミーユだったらあるいは、ってとこだな。おかげで重宝がられたぜ。ロンド・ベルが、ホワイトベースが表の顔なら、俺達は裏、影の存在だったのさ」
「……潜入任務か」
「そ。表で華々しくヒーローたちが活躍している隙に、俺達は敵の中枢めがけて息を潜めて忍び寄る。機密もかっさらった。時には暗殺だってやった。表沙汰にできないことは、全部俺達が引き受けたというわけさ」
「で、そこまでやった部隊がなぜ連邦軍の中枢にいない? 上層部がお前らを手放すとは考えにくいが」
「……そう。その通りだ。俺達の知っていることは平和になった今、もらすわけにはいかない特1級の機密。そんなものを抱えている俺達は……」
「抹殺、または飼い殺し」
「ヴィンデルはそれが納得できなかった。ま、オレもレモンも、そんな理由で他人に殺されてやるほどお人好しじゃない。だからといって機密をホイホイとリークしたら、そもそもこの世界自体が揺らいじまう」
「だから、逃げたのか」
「そーいうこと。ロンド・ベル隊長をやらされていたあの若い士官……ブライト、とかいってたかな。あいつもかばってはくれたが、所詮は現場の指揮官。上層部の決定を撤回するには至らなかった。俺達と似たようなことをしていたジオンの海兵隊はとっとととんずらしてたしな。夜逃げだよ、夜逃げ」
実にポジティブな夜逃げだ。
とは言え、下士官だからこの程度の認識……個人的な才覚の問題はあえて目をつぶった……なのかもしれないが、果たして艦長、この部隊の指揮官は何を思って出奔という選択をしたのだろう。
まぁ、俺には関係のない話だ。
その時、アキトはそう考えていた。
この認識が甘かったことに気づくまで、今しばらくの時間を必要とする。
「お待たせ、アクセル」
「できたのか!?」
一仕事終えた充足感を全身から発しながら、レモンがアクセルに声をかけてきた。
「準備はOK。一応ゲシュペンストベースの機体は一通り使えるわ。あと、今までに収集している機動兵器のデータもあるから、それを選んでもいいわよ。あ、どの機体もIFSで動かせるようになっているから、アキト君も好きな機体を選んでね」
レモンに促され、アキトはシミュレータを覗き込んでみた。
……自分が知っているものとほとんど変わりがない、エステバリスのコクピットが復元されていた。
「俺が教えてもいないのに、よくここまでのものができたな」
アキトの感嘆に、レモンはこともなく答えた。
「あぁそれなら、インターフェイスのデータはあなたのナノマシンが記憶していたのよ。私はそれを復元しただけ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
ナノマシンを注入されると、脳下垂体の位置に機械的な補助脳が形成される。体全体の代謝を統括する部位に、ナノマシンの制御体が作られるのだ。
ホシノ・ルリ、ラピス・ラズリなどのマシンチャイルドは、そこを一種のキャッシュメモリとして、記憶の一部をバックアップすることができる。だが、パイロット用のナノマシンにそこまでの機能はない。
俺の体に何が起こっている?
怪訝そうな顔から一転して悩み込んだアキトを見て、レモンは苦笑した。
「何か納得いってないようだけれど、あまり細かいことは気にしない方がいいわね。どうしても気になるなら、後でナノマシンの解析データを見せてあげるわ」
「……あぁ、わかった。どうせ、専門的な部分はわからんし、いま考えるだけ無駄か」
「東洋人のことわざで言うと、餅は餅屋、かしらね」
そんなことを話し込んでいると、隣のシミュレータから大声が響く。
「おーい! 早くやろうぜ、アキト! レモン!!」
どう考えてもアクセル以外の何者でもない声に、アキトとレモンはしばし顔を見合わせ、二人同時にため息をついた。